ゆうに十万は超えているだろう。
これだけ銭が張り子の前に積まれるのは命蓮寺の常盆が始まって以来の事態に違いない。
胴頭と合力達は動揺を隠そうともしない。
聞けば、明六つに訪れた鴉天狗達は何時もの場所に座ると同じようにチビチビ張っていたという。
陽が高くなる前辺りに暇をした天狗の片割れが酒を飲み始めたらしい。
その後も変わらずチビチビ張っていたがある時、突然手持ちの有り金を全てスイチで張って当てたという。
場は大いに盛り上がったが天狗達は更に次の勝負で勝ち金を全額スイチで張った。
まさかと誰もが呆気に取られたが札をめくった胴頭が震えたという。
その次もその次もまるで当然の事かのように勝ち金を全額スイチで張りやがった。
今、天狗達の目の前には本日の盆の有り金の実に八割があるのだという。
スイチとは一点張りの事だ。
手本引きとは要するに親である胴頭が張った1から6の数字を子が当てる博打で、その当て方に種類があって細かく配当が定められている。
まずは一点張りのスイチ、配当は4.5倍。
次に二点張りのケッタツ、サブロク。
二点張りから事は複雑になる。
二点張りとは字のごとく親の目に対して子が二点張る事で一点張りよりも当たる確立が上がる。
それに伴い配当も引き下げられて二点を張るケッタツは大(本命の事・一点目)で3.5倍、中(二点目)で種となる。
種で当たると賭金はそのまま差し戻しとなりプラマイ零。二点目は保険というわけだ。
サブロクは大が3倍、中が0.5倍。
更にグニという二点張りもあってこれは大と中どちらで当てても2.5倍の配当。
以下三点張り、四点張りと続く。
つまるところ天狗達は勝ち金をスイチで張り続けていずれも4.5倍の配当を得ていたという事になる。
今、奴らの目の前には約十万銭という途方も無い金が積まれているが仮に次の勝負で勝つような事があれば一挙に四十五万銭。
目もくらむような大金である。
更に次も勝てば?
もはやこれでは幻想郷中の銭を持ってくる他ないだろう。
手本引きは青天井。
幾らからでも賭けて良い。
サマだ!
と誰かが言ったが証拠がない。
証拠がない以上は挙げられない。
挙げられない以上は勝負を止める事も出来やしない。
別に誰かがイカサマだと言い立てなくてもそれは明白だった。
どんなに強運の持ち主でも当たるかどうか疑わしい六分の一を何度も続けざまにしかも勝ち金をそっくり賭け続けて当て続けるなど不可能な芸当に違いないからだ。しかも天狗達は特に迷う素振りすら見せずに胴頭が紙下に札を入れるなりスイチと張った寸法である。これがイカサマでなくて何であろう。
奴らは何かをやっている!
しかしながらそのサマも種を割れなければどうしようもないのだ。
種を割れないようでは盆を切り盛りする資格は無い。
盆奥の狸は物凄い表情で天狗達を睨んでいるが彼奴らときたらそんなものは全く意に介していないという風情で弱る胴頭と合力を責め立てていた。
やい、何時もさんざっぱら貧乏人から巻き上げていざてめえ達が負けるとなると黙りとは随分じゃねえか!
いいからさっさとそのケチな紙下に札をいれやがれ!
とても一見妙齢の黙ってさえいればとんでもない器量よしの鴉天狗の口から出る言葉とは思えぬ粗暴さではあったが筋は通っていた。
命蓮寺の奴らは控えめに言って貧乏人から銭を日々巻き上げている訳でそんな事は盆に居るだれもが知っている訳だが確かに自分たちが負ける段となってケツをまくったとあっては如何にも体裁は悪かろう。
弱り切った合力達は何事かこそこそ話あった末に鴉天狗の前に二人して膝を屈した。
本日の粗相に関しては確かにどのような言い逃れも出来るものではない。
しかしながら本日手前共で用意した銭高では仮にこの次スイチが当てられでもしたら払い合わせる事が出来ない。
その事情をどうか汲んで頂きたい。
本日のところは寺銭も結構ですから勝ち金をそっくり持ち帰って頂きたい。
そしてご存知かどうかは分からないが一週間後は月納めの納会がある。
主だった寄り合いの年寄りも皆集めて大々的に開帳するからその時に本日の意趣を返して頂きたい。
納会の日であればどれだけの大勝負でも受けて立ちましょう、云々。
天狗達は口々にケチな奴らだの博徒の風上にも置けない等と言いながら大金を懐に仕舞いつつ大股で盆を出ると意気揚々と山へ飛び帰ったのであった。
後に残されたのは陰惨なまでの沈黙だった。
胴頭は震えた声で本日はこのような次第ですから場を閉じさせて頂きますと言うのが精一杯であった。
いずれの者達もそれを聞くや足早に盆から抜けだして、その後に盆の奥から狸の胴間声が合力と胴頭を強烈に叱責する声を聞いた。
お前たち、全くなんてザマだい!よくもこの私の顔に泥を塗ってくれたね!!
赤蛮奇の足取りはふらついていた。
それは何も昨夜降った雨のせいではなく一種異様な興奮のせいである。
銭が、と赤蛮奇は思った。
うず高く積まれていた。
聞けばわかさぎ姫の貸証文は既に十万を超えているという。
日に一割の利息が付くから当然だ。
巷の噂ではそろそろあのわかさぎ姫は女郎として売り飛ばされるのだという。
人魚を買うなんて奇特な奴らが居るかどうか知らないがわかさぎ姫がこれからも勝てないとなればいずれは何らかの方法で女郎とはいかなくても借金を詰めなければならない。
女郎になるならまだしも酷く後ろ暗い事をさせられた挙句見捨てられて殺されるかもしれないのだ。
あの天狗達のイカサマの種を万が一割る事が出来たのならばどうだろうか。
そうすればこの赤蛮奇が命蓮寺の納会の銭という銭を攫い尽くしてわかさぎ姫の証文を破く事だって出来るに違いない。
それに銭があれば自分の盆を持つ事だってあるいは夢ではないのかもしれない。
盆の奥底に座って主よろしく振る舞う自分を想像してみた。
毎日場が立つ際に一言口上を述べるのだ。日替わりで九つの頭に口上を述べさせるのだ。
あれは随分と恰好がいいものだ。
銭さえあれば。
しかし、である。
賭場にイカサマはつきものだ。
特にこの幻想郷には能力持ちの有象無象が跋扈する魑魅魍魎の総本山。
その真ん真ん中で賭場を開帳しようというのだから相当の自信がないと出来ないだろう。
しかしながら手本引きのイカサマとは如何なるものであろうか。
手本引きはイカサマの要素が極めて少ない博打のひとつである。
それはあらゆる観点からイカサマの入り込む余地がないように予め検討された作法に則っている訳だが、しかしながら以下の要素が考えられる。
まず胴頭と張り子が組んでいる場合。
これが一番簡単だ。
特に命蓮寺の常盆は廻り胴ではない。
これには理由があって胴を張らなければ受からないのが本引きという博打であるが同時に危険もつきまとう。張り子が胴の目を当てに当てた場合一瞬で破産となる。胴とはそういう危険が常につきまとうのだ。逆を言えば胴を張って張り子が皆外した場合は大受けになるだろう。
要するに胴を張るには一定以上の資本が必要で命蓮寺の常盆に出入りするケチな人間や妖怪にそういう器量がなかったので胴は常に命蓮寺の者が引き受けていたのである。客が自分の持ち金以上に負ければ当然それは借金で賄わなければならない。
盆奥の狸から借りる事になるのだが利息は前述のとおり一夜で一割。
払えぬとなればそれはそれはキツイ切り取りが待っている。
さて、命蓮寺の胴は常に一者で交代しないから言い換えるならばこの親を何かしらの方法で抱き込めば後は思うがままである。
事前に打合せた数字を張るだけで意図も簡単に場の銭を全て攫う事が出来るわけだ。
それゆえに今、あの暗い盆の奥では本日の胴頭である寅丸星という長身の妖怪が執拗な詮議を寺中の者から受けているのだろう。
あるいは本人には自覚も無しに天狗達の術で操られていた可能性も否定できないところだ。
次にカガミである。
カガミとは字の如く鏡だ。
つまり胴頭が張った数字を何らかの方法で盗み見する行為である。
命蓮寺の常盆が立ってから間もない頃にこういう事があった。
本日の天狗同様にバカヅキをした妖怪が居た。
怪しんだ狸が胴頭の後ろに灰を投げると何と小振りの人型が浮かびあがったのだ。
それは透明に化けた河童でその場で取り押さえられて腕と足を切り落とされた。
張っていた妖怪は逃げようとしたもののどうなるものでもなく同様に取り押さえられて酷い目に合わされた。
狸は張り子の妖怪を執拗にじっと観察していたらしい。
ある時、合図の兆候を発見して露見したという次第だ。
カガミの場合、最大の問題は如何に相棒が盗み見してそれを張り子に知らせるか、という事である。
河童の場合は胴頭が札を入れた後に件の妖怪の肩を数字の分だけ叩いたのだという。
狸の執拗な観察の結果、不自然に肩の部分がごく微妙に動いた瞬間を見逃さなかったというわけだ。
しかしその狸が恐らく全身全霊を持って天狗達のサマを破ろうと頑張ったにも関わらず遂に割れなかったのである。
勿論相棒を使わないカガミもあるがどうしたって何かしらの手立てを胴頭の後ろに細工しなければならない。
そのような細工を如何にして施したのか。当然命蓮寺側としても細工を考慮して警戒を行っている筈であるから、ということはカガミではないのだろうか。
その次は屏風札。
これは札に仕掛けが施してあって普通の札の上に薄い紙が乗っていてそれを剥がすと別の絵柄が出るというもので今回の場合は違うだろう。
なによりこれは証拠が残りすぎる。
あるいは、と赤蛮奇は思った。
鴉天狗達は胴頭である寅丸星の癖を破ったかもしれないと思った。
何か非常に小さく細かい癖が、本人はもとより身内ですら気が付かない寅丸星の張り癖を見破ったのかもしれなかった。
最初のスイチで当てて次もそっくりスイチで当てる。
当然寅丸星は動揺するだろう。
すると更に癖が浮かび上がる。
見破る。
勝ち続ける。
その寅丸星の癖を探す為に今日という日まで天狗達は通い詰めたのかもしれない。
それならば納会の日に天狗達は来ないだろう。
当然、胴頭は交代するだろうし癖をいちから探さねばならないからだ。
あれやこれやと考えながら歩いていたがそういえば今日は張らなかったから昨日の仕事の日銭はそっくり懐に入っていた。
偶には酒でも飲もうかと思うと居ても立ってもいられなくなり昼の日中に早速暖簾を潜る事になった。
命蓮寺の常盆がハネたとあって既に暇人共で店内は埋まっていたが御座が空いていたので赤蛮奇はそこに落ち着いて酒と香の物で一杯やり始めた。
麦だか米だか色々なものをとにかく蒸して作ったどぶろくだ。ろくに濾してもいないから濁り酒だ。
それに塩で漬けすぎた野の菜が肴の全てだった。
そういえば、とほろ酔い気分になったところで赤蛮奇は思い出した。
奴らの片割れは酒を飲んでいたそうだ。
それが今日変わった事といえば変わった事である。
酒、か。
酔うと勘が冴えるとでもいうのか。
奴らの傍らには輸入品の一升瓶があった。
これもとてつもない贅沢品でその馥郁たる香りに味わいは何者にも代えがたいという。
輸入品の一升瓶、
酒、
瓶、
酒、
瓶、
酒、
そういえば昨夜は雨だった。
だからどうという事もないのだけど、今朝は綺麗に晴れ渡っていて気持ちが良かった。
そこでつい二度寝してしまった赤蛮奇は肝心の奴らが張るさまを見逃したのである
見逃した以上は想像に任せるしかない。
命蓮寺の常盆が朝から陽が落ちるまで開帳しているのは妖怪たちの本来の活動時間である夜を空ける為である。
どういう事かといえば妖怪性というものはあまねく夜に発揮されるものだ。
然るに妖怪寺である命蓮寺の仏道修行は夜、つまり陽が落ちてから始められるのである。
故にまさか仏道修行中に博打でもあるまいから朝から開帳するというわけだ。
何とも分からん理屈であるがともかくそういう事であるらしい。
建物の窓から自然光を入れて照明の代わりとしているという事情もある。
夜の開帳となればいちいちロウソクを多数立てねばならぬだろう。
一応昼の開帳であっても胴頭の隣にはロウソクが立っているが高々一本の事であるから全体を照明する必要はないのでそれだけだった。
盆は自然光を取り入れるから多数の窓が開いていた。
まさか胴頭の後ろに窓はない。故にロウソクが立っている。
赤蛮奇はやはりカガミだと思っていた。
あの鴉天狗共はどういう方法かで胴頭である寅丸星の繰り札を盗み見して札を張っているのだ。
癖を破った可能性も否定できないがそれは寅丸星に限って考え辛いものがあった。
彼女はかの毘沙門天の代理であるらしい。
非常に徳が高く落ち着いた物腰でどっしりと構えている。
札を紙下に入れる作法は常の通りで何処にもはみ出しは見当たらない。
出目の傾向も如何にもばらついていて時に三度も四度も同じ目を出す事もある。
それ故に命蓮寺の手本引きで大勝ちをした者は今の今までいなかった。
適当に勝つ事があっても長くやればいずれは負けが込むものだ。
しかし彼奴らは勝ち切った。
それも前代未聞の大勝ちだ。
紙下に仕掛けがあるのか・・・・・・
紙下は率直に言って手拭いの事だ。
命蓮寺の紋で染められている。
紙下が置かれる位置は決まっている。
その下、つまり床下に細工があってそこから紙下に入れた札を覗き見している者が居るとか。
だが、しかしそれは否定されるのだ。
命蓮寺には鼠使いが居るという。
その鼠共が檀家の隅々に浸透していて見張りを凝らしているという。
何か自然や不都合があれば直ちに鼠使いがそれを知る事になってイカサマは露見する恰好だ。
だから紙下も違う。
やはり思い過ごしなのだろうか。
奴らは単に寅丸の細かなあるはずもない癖を見破って勝ち続けたのか。
その答えは結局奴らが納会に来るか来ないかで判断するしかないだろう。
来ればやはりサマをやっている。しかし見破られぬ自信がある。
来なければ、そういう事なのだ。
赤蛮奇は猪口を口に運びながらこの一週間仕事に精を出して銭を溜めて私も納会に乗り込もうと心に決めた。
なにか大勝負というものに身を委ねると自分自身が変われる気がしたのだ。
一週間後。
命蓮寺の月納めの納会は緊張を持って開帳された。
納会は月の終わりにこれまでの揚がりと盆の運営の成果などを命蓮寺の長である聖白蓮が里の有力者の集まりである寄合衆に報告するのが主な行事だった。
毎月、だいたい同じ揚がりがあって、だいたい同じくらいの返しがあった。
納会がハネると開帳という事になる。
納会にて報告された盆の揚がりが少なければそこで寄合達は埋め合わせる為に多めに遊ぶ。
反対に盆の揚がりが多ければ寄合達が浮いて返される仕組みとなっていた。
あくまで盆は幻想郷に出回る余剰資金回収の場。
誰かが過剰に買ったり負けたりしたら困る。
然るに、今月の収支は異常であった。
拙い事になった、というのが寄合の意見であった。
妖怪の山は一種の独立勢力でこちらの都合などお構いなしだという。
それを言うならば何処も似たり寄ったりではあるが他は少なくとも人間の都合を多少は斟酌はしてくれるだろう。
しかしながら妖怪の山の鴉天狗達はそもそも天狗というくらいだから驕慢にて傲慢。
奴らに付け入る隙を与えるとは何たる失態だろう。
しかも一週間もありながら未だに奴らのイカサマを破れていないというではないか。
仮に今日も奴らが勝ち続けた場合どうするつもりなのか。
里の経済が破綻しちまうぞ!
いっそ天狗はもうこれっきり出入り禁止にしてしまえばどうだろうか?
聖白蓮はそれらの懸念に対して丁寧に釈明を繰り返して提案に対しては反対した。
ともあれ、天狗が本日現れるのか現れないのか。
そこが重要だと言った。
もしも本日も現れて賭場を潰すような行いをするのであれば妖怪賢者と相談をさせて頂くと宣言した。
その上で厳正な対処を考案して実行する、と。
寄合の年寄り達はまあ、それであるならばと納得半々不満半々という様子だったもののその場は収まった。
納会の盆の開帳の時が近づいている。
果たして天狗は来るのか来ないのか。
来なければそれでもいいと白蓮は思っていた。
十万銭というのは大金に違いないが致命的という訳でもない。
来ないならば彼女達の小さな策が個人的な思いつきがハマっただけ。
天狗社会の組織的な思惑はなかった事にもなる。
つまり命蓮寺に喧嘩を吹っ掛ける賭場潰しが目的という事ではないからだ。
今後は更に一層気を引き締めて運営にあたるという事で何とかなるだろう。
問題は性懲りもなく本日も来た場合だ。
妖怪の山と戦争した場合私は果たしてあの山を焼き尽くす事が出来るだろうか。
寄合の手前妖怪賢者に相談、等と言ったが嘘もいいところ。
そんな弱みを見せるような事をする訳がなかった。
顔に泥を塗られたのだ。この顔を売っているようなものなのに一部の者に舐めた真似を許せば今後はもう賭場の運営どころではなくなるだろう。
きっと天狗達は今後共大挙して押し寄せいずれ乗っ取ってしまうに違いない。
幻想郷の新参者である私達をまだ小さな芽のうちに潰してしまおうという魂胆に違いなかった。
寅丸星と鼠使いには現在山を攻略する為の策を立案させている。
天狗達が本日も非礼を働くようならばそして勝ち続けるならば問答無用で天狗達をその場で縊り殺してそのまま山に攻め込む段取りであった。
上等だわ、と聖白蓮は気合を入れた。
仏の道を妨げるものがどうなるかあの生意気な天狗共の身体に刻んでやる。
ここは魑魅魍魎が集う幻想郷。
流血沙汰にいずれはなるだろうと考えていたが思ったよりも早かったようだ。
なに、人間を殺すわけではないのだ。
未だ幻想郷の掟に従わぬ天狗共を誅滅するまでの事。
きっと幾つかの取引の上で妖怪賢者とは妥協できるだろう。
陽が昇り盆が開帳した。
月に一度の納会の日は早朝から大変な賑いとなる。
大負けした者も小勝ちした者もこぞって集まり月に一度のチャンスに賭けている。
本日は里の寄合衆が参加するから場に集まる賭金が違うのだ。
だからレートも高くなるし勝った場合は月の負け分をチャラに出来たりもする。
そういう訳で毎月納会の盆は騒がしく大盛況となるのだが本日はどうも皆が皆気もそぞろだった。
今のところ、来てない。
今日の赤蛮奇は舶来だねのポーカーで遊びながら入り口を注視していた。
それを言うならば本日此処に集まった人間や妖怪は皆が皆入り口に注意を払っていた。
赤蛮奇の手元にはジャックのスリーカードが出来ていた。
普段から無表情には自信があったからひょっとするとポーカーというのは私に向いているかもしれないと思ってレイズと呟いた。
周囲がギョッとしたが赤蛮奇は此処が押しどころだと強気にレイズしていった。
結果は皆のベタオリ。
もう賽子を振るのはやめよう。
これからはポーカーの時代なのだ。
本日は納会という事で普段の天狗装束ではなく礼服を着用してしかしながら相変わらず目つきの悪い鴉天狗達が優雅に盆の入り口に舞い降りたのは陽が高くなる前の朝四つの事であった。
ぬっと二人が盆に入ってくると賭場を静寂が支配した。
これで、と聖白蓮は思った。奴らの肚は分かった。
普段の天狗装束ではなく礼服を着ているという事はこれが個人の独断ではなく上の許しを得た上の行いだと雄弁に物語っていた。
天狗は厳格な縦社会だ。個人的な独断など許さる余地は何処にもない。間違って法度を破ろうものならば回状持ちにて追放となる。二度と妖怪の山に足を踏み入れる事は許されずその後何処かで見かけられたらそれをどうしても良いという事になっている。つまり追放とはそのまま死を意味していた。
そういう社会で生きる彼女達が誰の許しもなく里で大金を稼ぐ事などある筈もなかった。全ては天狗という組織からの明白な意思だ。お前たちを潰してやると宣戦布告してきたのだ。あるいは挑発の上でこちらが暴発する事を期待しているのだ。
ならば向こうが思うよりも早く徹底的に叩くまでだ。
彼女達は目の前に誰が居るとも構いなく歩みを進めていく。
遮るものは蹴飛ばすまでだ。
彼女達はそしていつもの位置に座ると懐からありったけの札束を札前に押し出した。
全部賭けるという事なのだろう。
本日の胴頭は聖白蓮が直々に務めていた。
寅丸星には別の大事な仕事がある、という訳だ。
聖白蓮は合力の一人である雲居一輪に耳打ちした。
合図をしたら天狗を殺して山を滅ぼすと。
合力はまるで昼飯の献立を相談されたかのような顔をして頷くと皆に一礼して盆から出て行った。
賭場に居る皆が皆この大勝負に釘付けになった。
賽子やカブやポーカーをやっている連中も黒山の人集りの一部となった。
黒山の人集りは全員鴉天狗の後ろに群がりことの成り行きを見守った。
向かいには薄い笑顔の聖白蓮。
彼女は器用に札を繰ると入りますと綺麗な声でいって紙下に札を入れた。
合力の村紗水蜜は儀礼的にさあ気張って張っておくんなさいと声を上げた。
天狗達はまたもや迷う事無くスッピンで張りやがると、やがて紙下が開けられてそれは三で天狗の張りも三だった。
盆奥から冷たい顔をした狸が配下の手に持たせた盆に百銭大束が三十五本載せられていて天狗の前に放っていく。
天狗はそれを収める事もせずにさあ次だよ次と囃し立てた。
誰かがもうやめろと叫んだがその程度で止まる筈もなし。
白蓮としては幾らでも勝てば良いと思っていた。
精々時間を稼いで準備が整うまで待つのだ。
時が満ちれば地獄を見せてやる。
それにしても奴らいったいどういう技を使っているのだろう。
周囲の声がする。
透視の一種だろうか。
だが、あの紙下は特別性だよ。
妖力を練り込んである紙下を見透かせる筈もないものな。
赤蛮奇も皆と同様に頭を捻って考えたが答えは見つかりそうにもなかった。
考えすぎて頭が痛くなってきたので頭を飛ばす事にした。
九つの頭のうち八つを盆の外に出した。
ろくろ首の頭が飛んで驚く奴なんて此処にはいなかったのである。
静かに晴れた真昼だった。
屋根に首を乗っけると眠気がやってきてもおかしくない。
けれども眠気はやって来なかった。
あれだけの物を見たから当然だ。
聞いた通りだった。
聖白蓮が札を入れたと思ったら直ちにスッピンで張った。
しかも当てた。
神通力の一種だろうか。
何らかの方法で心が読めるのかもしれない。
けれども相手が無心で、というかどの札を入れたか仮に白蓮自体が知らないとするならばどうだろう。
これでは心も読めない。
秋の空は風もまばらで実に気持ちのよい日差しだった。
暑くもなく寒くもない。
小鳥がチチチと陽気に歌う秋の午後。
小鳥!
チチチだって!?
まさか、と思って頭を周囲にやたら滅多に飛ばしてそれを探した。
だが、冷静に考えれば飛ばす方向は限られているだろう。
そうか、そういう事だったのだ。
奴ら大掛かりな方法を考えやがった!
盆の入り口の上に開く窓。
そこから先を探せば必ずいる筈だ。
今も賭場の方向を注視している天狗仲間が!!
鴉天狗達は百万銭を超える札束をニヤついて眺めていた。
流石に気持ちが上がってしまう。
これだけの札束を前にして頬を緩めるなという方が無体な話だ。
仕掛けは単純だった。
反射だ。
床に、どうあれ如何様に上手に紙下に札を入れようと一瞬だけ床に映る事だろう。
特に命蓮寺の常盆は床が畳ではなく木板だったから(これは透明に化ける者への対策だ。木板を音を立てずに歩く事は難しい)これを利用した。
仮に畳でもあっても同じこと。
あらゆるものは反射によって像を浮かばせる。
ただ、布や畳では見えにくいというだけだ。
その点、白狼天狗の達者な者達は山の上から千里を見渡せるのである。
根拠地である山の上から賭場まで一直線。
窓が開いているから見通す事は容易だ。
その紙下に入るまでの僅かな隙間に反射する像を捉える事もまた容易だった。
あとは仲間の鴉天狗が点々に中継して鴉にだけ聴こえる風の音で目を知らせてくれる段取りだった。
勿論最初は上手くいかなかった。
けれど回数を重ねる事で精度は向上した。
あとは奴らを破産させてこの金で肉に魚に酒だ!贅沢品を買い込んで今夜は山全体で宴会という訳だ。
奴らめ、調子に乗るからこういう事にもなる。
精々痛い目をみるといいさね。
赤蛮奇が飛ばした六つ目の頭がそれを見つけた。
不自然に木に止まって山からの合図を待つ下っ端鴉天狗を。
あれだ、あいつが何かをやっている。あれに違いない。
赤蛮奇は集中した。
きっと何処からか遠目の利くものが場を見ているのだろう。
そしてどういう訳だか胴の札目を知れるという訳だ。
それはとても遠くに離れているから合図を送るにも工夫がいる。
恐らく鴉を使うのだ。
だが、盆の近くに鴉がカーカーと鳴いていては余りにも露骨だから何か他の方法で伝えているのだ。
他の鳥を使っているのだ。
だけど音という奴は大きな音を立てなければ合図にならないだろう。それに距離が離れていれば音は中々伝わらないものだ。
そこで中継を使う事になる。
賭場の入り口から妖怪の山へと一直線。
その先に必ず誰か居ると踏んだが間違っていなかった。
大事なのはタイミングだ。
集中しろ。
聖白蓮が繰り札を紙下に入れる直前にあの木に止まっている鴉天狗に頭を突っ込ませる。
それで奴らの目の前の銭は露と消えるのだ。
幸いあの哀れな下っ端は合図を待つ事に集中していてまだこの小さな頭に気がついていない。
天狗は相変わらず薄笑いを浮かべる胴頭に向かってさあさあ勝負だよ。
何処までも勝負するとこの前歌ったよなと凄むと「酒だ」と盆奥に要求した。
とはいえ次が最後の勝負だ。
奴らの懐具合は分かっている。
三百万銭以上の金は持っては居ないだろう。
これでしまいだわなと思いながら、それにしてもあの胴頭は何故勝負を辞めにしないのだろうと初めて違和感を持った。
これは明らかに無体な仕打ちであり挑発的な行為だった。
納会のような大きな場で負けるような事、つまり勝ち金の支払いが出来なくなるなんて事があれば盆の続行は不可能だし畳むほかはない。
命蓮寺に他に現金収入はあるにはあるのだろうが暮らし向きは慎ましくなるだろうし信者も離れていくだろう。
要するに身の破滅なのだ。
それにこのウン百万という銭は命蓮寺からの持ち出しを含めて大部分を狸から借り入れしているに違いない。
命蓮寺は如何にして奴らからの借金を返していくつもりなのだろう。ご苦労な事だ。
胴頭の聖白蓮はたっぷりと間を持たせて札を繰っていた。
この勝負が終われば、一世一代の大博打に打って出なければならない。
妖怪の山を焼いて天狗を滅ぼす。
これが切っ掛けで幻想郷を大戦争へと導くかもしれないのだ。
戦力に不安はない。
なんと言っても毘沙門天がこちらには付いているのだ。
最終的に多数の犠牲をだしても勝利する事だろう。
次に紙下に札を入れて奴らが勝ったら電光石火で飛び出しそのはらわたをぶち抜いてやるのだ。
まさかそこまでされるとは彼女達も思ってもいないだろう。
呆気にとられている相棒の首も飛ばしてやる。その生首を片手に山へと乗り込むのだ。
盆は大騒ぎになるだろう。それが合図だった。
「入ります」
芝居かかった様子で最後の札を紙下に入れて天狗を睨みつけた。
けれども常のとおりならばさっさと札を張る天狗達が微動だにしなかった。
「?」
どうも様子がおかしい。
盆全体がざわめきだす。
何だ、何が起こったのだろう。
鴉天狗はびっしょりと濡れた汗を拭く事も出来なかった。
何故だ、何故合図が来ない!
何が起こっている。
彼奴らようやくこの仕組に気がついたか。
きっと中継点の何処かが潰されたのだ。
この風による伝達の拙い部分だった。
道理であの胴頭は薄笑いを浮かべていた訳だ。
けれど確立は六分の一。
今更二点三点張りなんざしない。真っ向勝負だ。
サマなんざしなくてもそのケチな札を当ててやる!
気負った天狗達はがっくりと肩を落として山へと帰っていった。
必殺と意気込んでいた白蓮はその場に崩れ落ちた。
一体全体なにが起こったのだろう。
ともあれ幻想郷は今日を境に戦争へと突入する事もなければ龍神の怒りを買って破滅的な災害が引き起こされる事もなかった。
赤蛮奇は頭を全て身体の中に収容すると何事もなかったかのようにその場に居た。
目は相変わらずあのうず高く積まれた銭に吸い寄せられていた。
いつの日にか、あの銭を攫う日が来るのだろうか。
ともあれ今日のところはまたポーカーで少しだけ強気に張らせて貰う事にするよ。
帰りにわかさぎ姫と一緒に飲みに行こう。
あの証文を狸共から取り返す算段を二人で立てるのだ。
なんだかそういう事が出来そうな気がしてきた。
きっと、運も向いてきているに違いない。
(終)
これだけ銭が張り子の前に積まれるのは命蓮寺の常盆が始まって以来の事態に違いない。
胴頭と合力達は動揺を隠そうともしない。
聞けば、明六つに訪れた鴉天狗達は何時もの場所に座ると同じようにチビチビ張っていたという。
陽が高くなる前辺りに暇をした天狗の片割れが酒を飲み始めたらしい。
その後も変わらずチビチビ張っていたがある時、突然手持ちの有り金を全てスイチで張って当てたという。
場は大いに盛り上がったが天狗達は更に次の勝負で勝ち金を全額スイチで張った。
まさかと誰もが呆気に取られたが札をめくった胴頭が震えたという。
その次もその次もまるで当然の事かのように勝ち金を全額スイチで張りやがった。
今、天狗達の目の前には本日の盆の有り金の実に八割があるのだという。
スイチとは一点張りの事だ。
手本引きとは要するに親である胴頭が張った1から6の数字を子が当てる博打で、その当て方に種類があって細かく配当が定められている。
まずは一点張りのスイチ、配当は4.5倍。
次に二点張りのケッタツ、サブロク。
二点張りから事は複雑になる。
二点張りとは字のごとく親の目に対して子が二点張る事で一点張りよりも当たる確立が上がる。
それに伴い配当も引き下げられて二点を張るケッタツは大(本命の事・一点目)で3.5倍、中(二点目)で種となる。
種で当たると賭金はそのまま差し戻しとなりプラマイ零。二点目は保険というわけだ。
サブロクは大が3倍、中が0.5倍。
更にグニという二点張りもあってこれは大と中どちらで当てても2.5倍の配当。
以下三点張り、四点張りと続く。
つまるところ天狗達は勝ち金をスイチで張り続けていずれも4.5倍の配当を得ていたという事になる。
今、奴らの目の前には約十万銭という途方も無い金が積まれているが仮に次の勝負で勝つような事があれば一挙に四十五万銭。
目もくらむような大金である。
更に次も勝てば?
もはやこれでは幻想郷中の銭を持ってくる他ないだろう。
手本引きは青天井。
幾らからでも賭けて良い。
サマだ!
と誰かが言ったが証拠がない。
証拠がない以上は挙げられない。
挙げられない以上は勝負を止める事も出来やしない。
別に誰かがイカサマだと言い立てなくてもそれは明白だった。
どんなに強運の持ち主でも当たるかどうか疑わしい六分の一を何度も続けざまにしかも勝ち金をそっくり賭け続けて当て続けるなど不可能な芸当に違いないからだ。しかも天狗達は特に迷う素振りすら見せずに胴頭が紙下に札を入れるなりスイチと張った寸法である。これがイカサマでなくて何であろう。
奴らは何かをやっている!
しかしながらそのサマも種を割れなければどうしようもないのだ。
種を割れないようでは盆を切り盛りする資格は無い。
盆奥の狸は物凄い表情で天狗達を睨んでいるが彼奴らときたらそんなものは全く意に介していないという風情で弱る胴頭と合力を責め立てていた。
やい、何時もさんざっぱら貧乏人から巻き上げていざてめえ達が負けるとなると黙りとは随分じゃねえか!
いいからさっさとそのケチな紙下に札をいれやがれ!
とても一見妙齢の黙ってさえいればとんでもない器量よしの鴉天狗の口から出る言葉とは思えぬ粗暴さではあったが筋は通っていた。
命蓮寺の奴らは控えめに言って貧乏人から銭を日々巻き上げている訳でそんな事は盆に居るだれもが知っている訳だが確かに自分たちが負ける段となってケツをまくったとあっては如何にも体裁は悪かろう。
弱り切った合力達は何事かこそこそ話あった末に鴉天狗の前に二人して膝を屈した。
本日の粗相に関しては確かにどのような言い逃れも出来るものではない。
しかしながら本日手前共で用意した銭高では仮にこの次スイチが当てられでもしたら払い合わせる事が出来ない。
その事情をどうか汲んで頂きたい。
本日のところは寺銭も結構ですから勝ち金をそっくり持ち帰って頂きたい。
そしてご存知かどうかは分からないが一週間後は月納めの納会がある。
主だった寄り合いの年寄りも皆集めて大々的に開帳するからその時に本日の意趣を返して頂きたい。
納会の日であればどれだけの大勝負でも受けて立ちましょう、云々。
天狗達は口々にケチな奴らだの博徒の風上にも置けない等と言いながら大金を懐に仕舞いつつ大股で盆を出ると意気揚々と山へ飛び帰ったのであった。
後に残されたのは陰惨なまでの沈黙だった。
胴頭は震えた声で本日はこのような次第ですから場を閉じさせて頂きますと言うのが精一杯であった。
いずれの者達もそれを聞くや足早に盆から抜けだして、その後に盆の奥から狸の胴間声が合力と胴頭を強烈に叱責する声を聞いた。
お前たち、全くなんてザマだい!よくもこの私の顔に泥を塗ってくれたね!!
赤蛮奇の足取りはふらついていた。
それは何も昨夜降った雨のせいではなく一種異様な興奮のせいである。
銭が、と赤蛮奇は思った。
うず高く積まれていた。
聞けばわかさぎ姫の貸証文は既に十万を超えているという。
日に一割の利息が付くから当然だ。
巷の噂ではそろそろあのわかさぎ姫は女郎として売り飛ばされるのだという。
人魚を買うなんて奇特な奴らが居るかどうか知らないがわかさぎ姫がこれからも勝てないとなればいずれは何らかの方法で女郎とはいかなくても借金を詰めなければならない。
女郎になるならまだしも酷く後ろ暗い事をさせられた挙句見捨てられて殺されるかもしれないのだ。
あの天狗達のイカサマの種を万が一割る事が出来たのならばどうだろうか。
そうすればこの赤蛮奇が命蓮寺の納会の銭という銭を攫い尽くしてわかさぎ姫の証文を破く事だって出来るに違いない。
それに銭があれば自分の盆を持つ事だってあるいは夢ではないのかもしれない。
盆の奥底に座って主よろしく振る舞う自分を想像してみた。
毎日場が立つ際に一言口上を述べるのだ。日替わりで九つの頭に口上を述べさせるのだ。
あれは随分と恰好がいいものだ。
銭さえあれば。
しかし、である。
賭場にイカサマはつきものだ。
特にこの幻想郷には能力持ちの有象無象が跋扈する魑魅魍魎の総本山。
その真ん真ん中で賭場を開帳しようというのだから相当の自信がないと出来ないだろう。
しかしながら手本引きのイカサマとは如何なるものであろうか。
手本引きはイカサマの要素が極めて少ない博打のひとつである。
それはあらゆる観点からイカサマの入り込む余地がないように予め検討された作法に則っている訳だが、しかしながら以下の要素が考えられる。
まず胴頭と張り子が組んでいる場合。
これが一番簡単だ。
特に命蓮寺の常盆は廻り胴ではない。
これには理由があって胴を張らなければ受からないのが本引きという博打であるが同時に危険もつきまとう。張り子が胴の目を当てに当てた場合一瞬で破産となる。胴とはそういう危険が常につきまとうのだ。逆を言えば胴を張って張り子が皆外した場合は大受けになるだろう。
要するに胴を張るには一定以上の資本が必要で命蓮寺の常盆に出入りするケチな人間や妖怪にそういう器量がなかったので胴は常に命蓮寺の者が引き受けていたのである。客が自分の持ち金以上に負ければ当然それは借金で賄わなければならない。
盆奥の狸から借りる事になるのだが利息は前述のとおり一夜で一割。
払えぬとなればそれはそれはキツイ切り取りが待っている。
さて、命蓮寺の胴は常に一者で交代しないから言い換えるならばこの親を何かしらの方法で抱き込めば後は思うがままである。
事前に打合せた数字を張るだけで意図も簡単に場の銭を全て攫う事が出来るわけだ。
それゆえに今、あの暗い盆の奥では本日の胴頭である寅丸星という長身の妖怪が執拗な詮議を寺中の者から受けているのだろう。
あるいは本人には自覚も無しに天狗達の術で操られていた可能性も否定できないところだ。
次にカガミである。
カガミとは字の如く鏡だ。
つまり胴頭が張った数字を何らかの方法で盗み見する行為である。
命蓮寺の常盆が立ってから間もない頃にこういう事があった。
本日の天狗同様にバカヅキをした妖怪が居た。
怪しんだ狸が胴頭の後ろに灰を投げると何と小振りの人型が浮かびあがったのだ。
それは透明に化けた河童でその場で取り押さえられて腕と足を切り落とされた。
張っていた妖怪は逃げようとしたもののどうなるものでもなく同様に取り押さえられて酷い目に合わされた。
狸は張り子の妖怪を執拗にじっと観察していたらしい。
ある時、合図の兆候を発見して露見したという次第だ。
カガミの場合、最大の問題は如何に相棒が盗み見してそれを張り子に知らせるか、という事である。
河童の場合は胴頭が札を入れた後に件の妖怪の肩を数字の分だけ叩いたのだという。
狸の執拗な観察の結果、不自然に肩の部分がごく微妙に動いた瞬間を見逃さなかったというわけだ。
しかしその狸が恐らく全身全霊を持って天狗達のサマを破ろうと頑張ったにも関わらず遂に割れなかったのである。
勿論相棒を使わないカガミもあるがどうしたって何かしらの手立てを胴頭の後ろに細工しなければならない。
そのような細工を如何にして施したのか。当然命蓮寺側としても細工を考慮して警戒を行っている筈であるから、ということはカガミではないのだろうか。
その次は屏風札。
これは札に仕掛けが施してあって普通の札の上に薄い紙が乗っていてそれを剥がすと別の絵柄が出るというもので今回の場合は違うだろう。
なによりこれは証拠が残りすぎる。
あるいは、と赤蛮奇は思った。
鴉天狗達は胴頭である寅丸星の癖を破ったかもしれないと思った。
何か非常に小さく細かい癖が、本人はもとより身内ですら気が付かない寅丸星の張り癖を見破ったのかもしれなかった。
最初のスイチで当てて次もそっくりスイチで当てる。
当然寅丸星は動揺するだろう。
すると更に癖が浮かび上がる。
見破る。
勝ち続ける。
その寅丸星の癖を探す為に今日という日まで天狗達は通い詰めたのかもしれない。
それならば納会の日に天狗達は来ないだろう。
当然、胴頭は交代するだろうし癖をいちから探さねばならないからだ。
あれやこれやと考えながら歩いていたがそういえば今日は張らなかったから昨日の仕事の日銭はそっくり懐に入っていた。
偶には酒でも飲もうかと思うと居ても立ってもいられなくなり昼の日中に早速暖簾を潜る事になった。
命蓮寺の常盆がハネたとあって既に暇人共で店内は埋まっていたが御座が空いていたので赤蛮奇はそこに落ち着いて酒と香の物で一杯やり始めた。
麦だか米だか色々なものをとにかく蒸して作ったどぶろくだ。ろくに濾してもいないから濁り酒だ。
それに塩で漬けすぎた野の菜が肴の全てだった。
そういえば、とほろ酔い気分になったところで赤蛮奇は思い出した。
奴らの片割れは酒を飲んでいたそうだ。
それが今日変わった事といえば変わった事である。
酒、か。
酔うと勘が冴えるとでもいうのか。
奴らの傍らには輸入品の一升瓶があった。
これもとてつもない贅沢品でその馥郁たる香りに味わいは何者にも代えがたいという。
輸入品の一升瓶、
酒、
瓶、
酒、
瓶、
酒、
そういえば昨夜は雨だった。
だからどうという事もないのだけど、今朝は綺麗に晴れ渡っていて気持ちが良かった。
そこでつい二度寝してしまった赤蛮奇は肝心の奴らが張るさまを見逃したのである
見逃した以上は想像に任せるしかない。
命蓮寺の常盆が朝から陽が落ちるまで開帳しているのは妖怪たちの本来の活動時間である夜を空ける為である。
どういう事かといえば妖怪性というものはあまねく夜に発揮されるものだ。
然るに妖怪寺である命蓮寺の仏道修行は夜、つまり陽が落ちてから始められるのである。
故にまさか仏道修行中に博打でもあるまいから朝から開帳するというわけだ。
何とも分からん理屈であるがともかくそういう事であるらしい。
建物の窓から自然光を入れて照明の代わりとしているという事情もある。
夜の開帳となればいちいちロウソクを多数立てねばならぬだろう。
一応昼の開帳であっても胴頭の隣にはロウソクが立っているが高々一本の事であるから全体を照明する必要はないのでそれだけだった。
盆は自然光を取り入れるから多数の窓が開いていた。
まさか胴頭の後ろに窓はない。故にロウソクが立っている。
赤蛮奇はやはりカガミだと思っていた。
あの鴉天狗共はどういう方法かで胴頭である寅丸星の繰り札を盗み見して札を張っているのだ。
癖を破った可能性も否定できないがそれは寅丸星に限って考え辛いものがあった。
彼女はかの毘沙門天の代理であるらしい。
非常に徳が高く落ち着いた物腰でどっしりと構えている。
札を紙下に入れる作法は常の通りで何処にもはみ出しは見当たらない。
出目の傾向も如何にもばらついていて時に三度も四度も同じ目を出す事もある。
それ故に命蓮寺の手本引きで大勝ちをした者は今の今までいなかった。
適当に勝つ事があっても長くやればいずれは負けが込むものだ。
しかし彼奴らは勝ち切った。
それも前代未聞の大勝ちだ。
紙下に仕掛けがあるのか・・・・・・
紙下は率直に言って手拭いの事だ。
命蓮寺の紋で染められている。
紙下が置かれる位置は決まっている。
その下、つまり床下に細工があってそこから紙下に入れた札を覗き見している者が居るとか。
だが、しかしそれは否定されるのだ。
命蓮寺には鼠使いが居るという。
その鼠共が檀家の隅々に浸透していて見張りを凝らしているという。
何か自然や不都合があれば直ちに鼠使いがそれを知る事になってイカサマは露見する恰好だ。
だから紙下も違う。
やはり思い過ごしなのだろうか。
奴らは単に寅丸の細かなあるはずもない癖を見破って勝ち続けたのか。
その答えは結局奴らが納会に来るか来ないかで判断するしかないだろう。
来ればやはりサマをやっている。しかし見破られぬ自信がある。
来なければ、そういう事なのだ。
赤蛮奇は猪口を口に運びながらこの一週間仕事に精を出して銭を溜めて私も納会に乗り込もうと心に決めた。
なにか大勝負というものに身を委ねると自分自身が変われる気がしたのだ。
一週間後。
命蓮寺の月納めの納会は緊張を持って開帳された。
納会は月の終わりにこれまでの揚がりと盆の運営の成果などを命蓮寺の長である聖白蓮が里の有力者の集まりである寄合衆に報告するのが主な行事だった。
毎月、だいたい同じ揚がりがあって、だいたい同じくらいの返しがあった。
納会がハネると開帳という事になる。
納会にて報告された盆の揚がりが少なければそこで寄合達は埋め合わせる為に多めに遊ぶ。
反対に盆の揚がりが多ければ寄合達が浮いて返される仕組みとなっていた。
あくまで盆は幻想郷に出回る余剰資金回収の場。
誰かが過剰に買ったり負けたりしたら困る。
然るに、今月の収支は異常であった。
拙い事になった、というのが寄合の意見であった。
妖怪の山は一種の独立勢力でこちらの都合などお構いなしだという。
それを言うならば何処も似たり寄ったりではあるが他は少なくとも人間の都合を多少は斟酌はしてくれるだろう。
しかしながら妖怪の山の鴉天狗達はそもそも天狗というくらいだから驕慢にて傲慢。
奴らに付け入る隙を与えるとは何たる失態だろう。
しかも一週間もありながら未だに奴らのイカサマを破れていないというではないか。
仮に今日も奴らが勝ち続けた場合どうするつもりなのか。
里の経済が破綻しちまうぞ!
いっそ天狗はもうこれっきり出入り禁止にしてしまえばどうだろうか?
聖白蓮はそれらの懸念に対して丁寧に釈明を繰り返して提案に対しては反対した。
ともあれ、天狗が本日現れるのか現れないのか。
そこが重要だと言った。
もしも本日も現れて賭場を潰すような行いをするのであれば妖怪賢者と相談をさせて頂くと宣言した。
その上で厳正な対処を考案して実行する、と。
寄合の年寄り達はまあ、それであるならばと納得半々不満半々という様子だったもののその場は収まった。
納会の盆の開帳の時が近づいている。
果たして天狗は来るのか来ないのか。
来なければそれでもいいと白蓮は思っていた。
十万銭というのは大金に違いないが致命的という訳でもない。
来ないならば彼女達の小さな策が個人的な思いつきがハマっただけ。
天狗社会の組織的な思惑はなかった事にもなる。
つまり命蓮寺に喧嘩を吹っ掛ける賭場潰しが目的という事ではないからだ。
今後は更に一層気を引き締めて運営にあたるという事で何とかなるだろう。
問題は性懲りもなく本日も来た場合だ。
妖怪の山と戦争した場合私は果たしてあの山を焼き尽くす事が出来るだろうか。
寄合の手前妖怪賢者に相談、等と言ったが嘘もいいところ。
そんな弱みを見せるような事をする訳がなかった。
顔に泥を塗られたのだ。この顔を売っているようなものなのに一部の者に舐めた真似を許せば今後はもう賭場の運営どころではなくなるだろう。
きっと天狗達は今後共大挙して押し寄せいずれ乗っ取ってしまうに違いない。
幻想郷の新参者である私達をまだ小さな芽のうちに潰してしまおうという魂胆に違いなかった。
寅丸星と鼠使いには現在山を攻略する為の策を立案させている。
天狗達が本日も非礼を働くようならばそして勝ち続けるならば問答無用で天狗達をその場で縊り殺してそのまま山に攻め込む段取りであった。
上等だわ、と聖白蓮は気合を入れた。
仏の道を妨げるものがどうなるかあの生意気な天狗共の身体に刻んでやる。
ここは魑魅魍魎が集う幻想郷。
流血沙汰にいずれはなるだろうと考えていたが思ったよりも早かったようだ。
なに、人間を殺すわけではないのだ。
未だ幻想郷の掟に従わぬ天狗共を誅滅するまでの事。
きっと幾つかの取引の上で妖怪賢者とは妥協できるだろう。
陽が昇り盆が開帳した。
月に一度の納会の日は早朝から大変な賑いとなる。
大負けした者も小勝ちした者もこぞって集まり月に一度のチャンスに賭けている。
本日は里の寄合衆が参加するから場に集まる賭金が違うのだ。
だからレートも高くなるし勝った場合は月の負け分をチャラに出来たりもする。
そういう訳で毎月納会の盆は騒がしく大盛況となるのだが本日はどうも皆が皆気もそぞろだった。
今のところ、来てない。
今日の赤蛮奇は舶来だねのポーカーで遊びながら入り口を注視していた。
それを言うならば本日此処に集まった人間や妖怪は皆が皆入り口に注意を払っていた。
赤蛮奇の手元にはジャックのスリーカードが出来ていた。
普段から無表情には自信があったからひょっとするとポーカーというのは私に向いているかもしれないと思ってレイズと呟いた。
周囲がギョッとしたが赤蛮奇は此処が押しどころだと強気にレイズしていった。
結果は皆のベタオリ。
もう賽子を振るのはやめよう。
これからはポーカーの時代なのだ。
本日は納会という事で普段の天狗装束ではなく礼服を着用してしかしながら相変わらず目つきの悪い鴉天狗達が優雅に盆の入り口に舞い降りたのは陽が高くなる前の朝四つの事であった。
ぬっと二人が盆に入ってくると賭場を静寂が支配した。
これで、と聖白蓮は思った。奴らの肚は分かった。
普段の天狗装束ではなく礼服を着ているという事はこれが個人の独断ではなく上の許しを得た上の行いだと雄弁に物語っていた。
天狗は厳格な縦社会だ。個人的な独断など許さる余地は何処にもない。間違って法度を破ろうものならば回状持ちにて追放となる。二度と妖怪の山に足を踏み入れる事は許されずその後何処かで見かけられたらそれをどうしても良いという事になっている。つまり追放とはそのまま死を意味していた。
そういう社会で生きる彼女達が誰の許しもなく里で大金を稼ぐ事などある筈もなかった。全ては天狗という組織からの明白な意思だ。お前たちを潰してやると宣戦布告してきたのだ。あるいは挑発の上でこちらが暴発する事を期待しているのだ。
ならば向こうが思うよりも早く徹底的に叩くまでだ。
彼女達は目の前に誰が居るとも構いなく歩みを進めていく。
遮るものは蹴飛ばすまでだ。
彼女達はそしていつもの位置に座ると懐からありったけの札束を札前に押し出した。
全部賭けるという事なのだろう。
本日の胴頭は聖白蓮が直々に務めていた。
寅丸星には別の大事な仕事がある、という訳だ。
聖白蓮は合力の一人である雲居一輪に耳打ちした。
合図をしたら天狗を殺して山を滅ぼすと。
合力はまるで昼飯の献立を相談されたかのような顔をして頷くと皆に一礼して盆から出て行った。
賭場に居る皆が皆この大勝負に釘付けになった。
賽子やカブやポーカーをやっている連中も黒山の人集りの一部となった。
黒山の人集りは全員鴉天狗の後ろに群がりことの成り行きを見守った。
向かいには薄い笑顔の聖白蓮。
彼女は器用に札を繰ると入りますと綺麗な声でいって紙下に札を入れた。
合力の村紗水蜜は儀礼的にさあ気張って張っておくんなさいと声を上げた。
天狗達はまたもや迷う事無くスッピンで張りやがると、やがて紙下が開けられてそれは三で天狗の張りも三だった。
盆奥から冷たい顔をした狸が配下の手に持たせた盆に百銭大束が三十五本載せられていて天狗の前に放っていく。
天狗はそれを収める事もせずにさあ次だよ次と囃し立てた。
誰かがもうやめろと叫んだがその程度で止まる筈もなし。
白蓮としては幾らでも勝てば良いと思っていた。
精々時間を稼いで準備が整うまで待つのだ。
時が満ちれば地獄を見せてやる。
それにしても奴らいったいどういう技を使っているのだろう。
周囲の声がする。
透視の一種だろうか。
だが、あの紙下は特別性だよ。
妖力を練り込んである紙下を見透かせる筈もないものな。
赤蛮奇も皆と同様に頭を捻って考えたが答えは見つかりそうにもなかった。
考えすぎて頭が痛くなってきたので頭を飛ばす事にした。
九つの頭のうち八つを盆の外に出した。
ろくろ首の頭が飛んで驚く奴なんて此処にはいなかったのである。
静かに晴れた真昼だった。
屋根に首を乗っけると眠気がやってきてもおかしくない。
けれども眠気はやって来なかった。
あれだけの物を見たから当然だ。
聞いた通りだった。
聖白蓮が札を入れたと思ったら直ちにスッピンで張った。
しかも当てた。
神通力の一種だろうか。
何らかの方法で心が読めるのかもしれない。
けれども相手が無心で、というかどの札を入れたか仮に白蓮自体が知らないとするならばどうだろう。
これでは心も読めない。
秋の空は風もまばらで実に気持ちのよい日差しだった。
暑くもなく寒くもない。
小鳥がチチチと陽気に歌う秋の午後。
小鳥!
チチチだって!?
まさか、と思って頭を周囲にやたら滅多に飛ばしてそれを探した。
だが、冷静に考えれば飛ばす方向は限られているだろう。
そうか、そういう事だったのだ。
奴ら大掛かりな方法を考えやがった!
盆の入り口の上に開く窓。
そこから先を探せば必ずいる筈だ。
今も賭場の方向を注視している天狗仲間が!!
鴉天狗達は百万銭を超える札束をニヤついて眺めていた。
流石に気持ちが上がってしまう。
これだけの札束を前にして頬を緩めるなという方が無体な話だ。
仕掛けは単純だった。
反射だ。
床に、どうあれ如何様に上手に紙下に札を入れようと一瞬だけ床に映る事だろう。
特に命蓮寺の常盆は床が畳ではなく木板だったから(これは透明に化ける者への対策だ。木板を音を立てずに歩く事は難しい)これを利用した。
仮に畳でもあっても同じこと。
あらゆるものは反射によって像を浮かばせる。
ただ、布や畳では見えにくいというだけだ。
その点、白狼天狗の達者な者達は山の上から千里を見渡せるのである。
根拠地である山の上から賭場まで一直線。
窓が開いているから見通す事は容易だ。
その紙下に入るまでの僅かな隙間に反射する像を捉える事もまた容易だった。
あとは仲間の鴉天狗が点々に中継して鴉にだけ聴こえる風の音で目を知らせてくれる段取りだった。
勿論最初は上手くいかなかった。
けれど回数を重ねる事で精度は向上した。
あとは奴らを破産させてこの金で肉に魚に酒だ!贅沢品を買い込んで今夜は山全体で宴会という訳だ。
奴らめ、調子に乗るからこういう事にもなる。
精々痛い目をみるといいさね。
赤蛮奇が飛ばした六つ目の頭がそれを見つけた。
不自然に木に止まって山からの合図を待つ下っ端鴉天狗を。
あれだ、あいつが何かをやっている。あれに違いない。
赤蛮奇は集中した。
きっと何処からか遠目の利くものが場を見ているのだろう。
そしてどういう訳だか胴の札目を知れるという訳だ。
それはとても遠くに離れているから合図を送るにも工夫がいる。
恐らく鴉を使うのだ。
だが、盆の近くに鴉がカーカーと鳴いていては余りにも露骨だから何か他の方法で伝えているのだ。
他の鳥を使っているのだ。
だけど音という奴は大きな音を立てなければ合図にならないだろう。それに距離が離れていれば音は中々伝わらないものだ。
そこで中継を使う事になる。
賭場の入り口から妖怪の山へと一直線。
その先に必ず誰か居ると踏んだが間違っていなかった。
大事なのはタイミングだ。
集中しろ。
聖白蓮が繰り札を紙下に入れる直前にあの木に止まっている鴉天狗に頭を突っ込ませる。
それで奴らの目の前の銭は露と消えるのだ。
幸いあの哀れな下っ端は合図を待つ事に集中していてまだこの小さな頭に気がついていない。
天狗は相変わらず薄笑いを浮かべる胴頭に向かってさあさあ勝負だよ。
何処までも勝負するとこの前歌ったよなと凄むと「酒だ」と盆奥に要求した。
とはいえ次が最後の勝負だ。
奴らの懐具合は分かっている。
三百万銭以上の金は持っては居ないだろう。
これでしまいだわなと思いながら、それにしてもあの胴頭は何故勝負を辞めにしないのだろうと初めて違和感を持った。
これは明らかに無体な仕打ちであり挑発的な行為だった。
納会のような大きな場で負けるような事、つまり勝ち金の支払いが出来なくなるなんて事があれば盆の続行は不可能だし畳むほかはない。
命蓮寺に他に現金収入はあるにはあるのだろうが暮らし向きは慎ましくなるだろうし信者も離れていくだろう。
要するに身の破滅なのだ。
それにこのウン百万という銭は命蓮寺からの持ち出しを含めて大部分を狸から借り入れしているに違いない。
命蓮寺は如何にして奴らからの借金を返していくつもりなのだろう。ご苦労な事だ。
胴頭の聖白蓮はたっぷりと間を持たせて札を繰っていた。
この勝負が終われば、一世一代の大博打に打って出なければならない。
妖怪の山を焼いて天狗を滅ぼす。
これが切っ掛けで幻想郷を大戦争へと導くかもしれないのだ。
戦力に不安はない。
なんと言っても毘沙門天がこちらには付いているのだ。
最終的に多数の犠牲をだしても勝利する事だろう。
次に紙下に札を入れて奴らが勝ったら電光石火で飛び出しそのはらわたをぶち抜いてやるのだ。
まさかそこまでされるとは彼女達も思ってもいないだろう。
呆気にとられている相棒の首も飛ばしてやる。その生首を片手に山へと乗り込むのだ。
盆は大騒ぎになるだろう。それが合図だった。
「入ります」
芝居かかった様子で最後の札を紙下に入れて天狗を睨みつけた。
けれども常のとおりならばさっさと札を張る天狗達が微動だにしなかった。
「?」
どうも様子がおかしい。
盆全体がざわめきだす。
何だ、何が起こったのだろう。
鴉天狗はびっしょりと濡れた汗を拭く事も出来なかった。
何故だ、何故合図が来ない!
何が起こっている。
彼奴らようやくこの仕組に気がついたか。
きっと中継点の何処かが潰されたのだ。
この風による伝達の拙い部分だった。
道理であの胴頭は薄笑いを浮かべていた訳だ。
けれど確立は六分の一。
今更二点三点張りなんざしない。真っ向勝負だ。
サマなんざしなくてもそのケチな札を当ててやる!
気負った天狗達はがっくりと肩を落として山へと帰っていった。
必殺と意気込んでいた白蓮はその場に崩れ落ちた。
一体全体なにが起こったのだろう。
ともあれ幻想郷は今日を境に戦争へと突入する事もなければ龍神の怒りを買って破滅的な災害が引き起こされる事もなかった。
赤蛮奇は頭を全て身体の中に収容すると何事もなかったかのようにその場に居た。
目は相変わらずあのうず高く積まれた銭に吸い寄せられていた。
いつの日にか、あの銭を攫う日が来るのだろうか。
ともあれ今日のところはまたポーカーで少しだけ強気に張らせて貰う事にするよ。
帰りにわかさぎ姫と一緒に飲みに行こう。
あの証文を狸共から取り返す算段を二人で立てるのだ。
なんだかそういう事が出来そうな気がしてきた。
きっと、運も向いてきているに違いない。
(終)
赤蛮奇らしい終わりだと思いました。
親分怖いなと思ってたらガンガン行く僧侶がもっと怖くて笑いました。
姐さん呼びの意味合いが変わってきますね…
タネには命蓮寺の面々にも気づいて欲しかったです。
時代小説か竹書房辺りの空気ですね…
昼間から飲み屋で暇潰したり、ばんきっきは一匹狼具合が(実際にそうかは別として)似合ってるなあ
これ命蓮寺に恩を売れるレベルの行動なんじゃないかと思えるんですが、普通にわかさぎ姫と組んで賭博でなんとかしようとしてる辺り、妖怪って人間によく騙されたりするし、やっぱ単純なのかな?と言う感想です
〆の数行での妙な自信はもうなんらかのフラグにしか見えず、サイコやサスペンス、或いはホラー系の洋画のように破滅的な未来が予期できてしまい、ビターな余韻ですが、あの雰囲気好きなんで面白かったです
>人魚を買うような奇特な〜
え?買います買います
買うでしょうよ
幻想郷の人達なら尚更気にせず買う気もします
面白かったです
ただキャラの思考やイカサマのトリックが納得には足りなくて...
全体的に良い雰囲気でした