Coolier - 新生・東方創想話

電脳むすめのみるゆめ

2015/10/30 23:53:23
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――ぱちん。

何かの音が聞こえた。

世界が、真っ白に塗りつぶされている。

耳を劈く轟音。激しい耳鳴りの中、わたしは意識を取り戻そうと必死にもがいていた。体中の皮膚が、骨の髄までもが、燃えるように熱い。脳がぐちゃぐちゃに掻きまわされているなんて、そんな風にさえ感じられるぐらい、頭が痛む。吐き気がする。そんな状況の中でも、わたしの意識は、深い場所に沈んだ記憶を取り戻そうと躍起になっている。それは濁流のように激しく、しかし絶え間なく流れ出てきて、どろどろに溶けているはずの脳を飲みこんでゆくのである。

――ごうごう。

何かの唸り声。重力を失い、宙に浮かぶ感覚。わたしは、真上に浮かぶ太陽に向かって、手を伸ばした。
















「これが川崎港。神亀の遷都が行われてから、物流の中心は京都に移ってしまったから――まあ、この有様よね」

「ふうん。思っていた以上に酷いのね」


宇佐見蓮子は、トレードマークの中折帽を取り、ぱたぱたと扇いでいた。
焼け石に水、と言わんばかりの僅かな潮風が通り抜ける。彼女の額には、大粒の汗が浮かんでいた。

地球温暖化という呼称は既に廃れたものの、恒常的に訪れる熱波は、その度に日本を灼熱地獄へと変貌させる。季節は夏。盆を迎えた日本は、その湿度と気温の高さゆえ、多くの日本人に里帰りを躊躇させていた。
女学生たる彼女たちはと言えば、片方の里帰り――という名目の下、二人で小旅行をしている最中であった。しかし、当然のように、このうだるような暑さにやられ、女学生二人は廃工場の屋根の下で身を休めていた所であった。
蓮子の相方、マエリベリー・ハーンはと言えば、潮風に晒されたブロンド髪をしきりに気にしているようだ。蓮子は彼女をちらりと一瞥した後、再び海側に目線を戻した。

深い青色に染まった海。

かつて埋め立て地であったこの場所も、その多くは今や海に飲まれ、工場跡やコンテナ、大型クレーンといったものたちは、そのまま水底へと沈んでしまった。周辺海域への環境的な影響はほぼ無し、むしろ海洋生物たちの良き住処となっているから――という理由で、政府からは放置されているらしいが、見てくれは相当なものだ。


「でも、見てよあの海。ずうっと昔の埋め立て地を沈めておきながら、あんなに青いのね」

「そうね。あれだけコンテナの残骸が残っている割には、だけど」

「あんな大きなクレーンまで倒れてるしなあ。自然の力って凄い」

「それは、統一物理学の観点からの話?」

「メリー、良い所に気付いたわね。私たち日本人は『自然の力』って言葉をよく使っているけど、こうやって一つの力として統一されたのはつい最近のことなの。重力が完全に他の力と統一されたことは、メリーも知ってるとは思うけど――」

「げ、また蓮子に変なスイッチが入った」


蓮子の長話が終わる前に、メリーは立ち上がりながらそう言い捨て、そのまま海の方へ向かっていく。話相手のいなくなった蓮子は、仕方なく話を中断し、メリーの向かった堤防に顔を向けた。

彼女の前に広がるのは深い青色の海。過去の人々の営みを、容赦なく飲みこんだ海だ。

その海を見つめるのはブロンド髪の異邦人。ブロンドの髪は陽光を反射し、きらきらと瞬く。それを覆う白の帽子が、深い青にはよく映えるのだ。異邦人と、水中に沈んだ都市――伝説のアトランティス大陸のそれを彷彿とさせる、というと流石に言い過ぎではある。しかし、海に沈んでもなお、人々に見捨てられたこの場所は、その主張をまるでやめようとはしない。人工物だとはっきり認識できる上で、海と同化しているのだから、不思議なものだ。まるで一つの絵画のように、遥か昔からそこに存在していたようにさえに思えてしまう。

未だ屋根の下で腰を下ろしている蓮子は、彼女を見ながらそんなことを考えていた。


「なに、ぼうっとしちゃって」

「ああ、うん。海が綺麗だなって」


メリーはこちらを振り向いて、妖怪キメラでも見つけた時かのような、なにやら怪訝そうな表情を浮かべていた。だいぶ、変な表情をしていたようだと、蓮子は自分でもそう思った。

夏季休暇に入ってすぐ、『お盆に合わせて東京に帰省する』という話をした所、またもメリーが付いてくることになったのである。メリーは前回の東京旅行で味を占めたのだろうと、蓮子は勝手にそう解釈していた。歴史を感じる建物が多いから、という理由もあるようだが、東京の周りにはこのように人の営みの史跡が残っているからという理由が主だ。

かつてはこの狭い土地周辺に、一千万以上の人間が住んでいたというのだから、驚くべきことである。かつての繁栄は、この海と、寂れきった町を見る限り、微塵にも感じられないのである。
しかし、かつて多数の人間が暮らしていた場所、多数の人間の意識が残っている場所には『結界のほつれ』が見つかりやすいというのが、現在の結界暴き界隈の定説であった。だからこそ、二人はこのお盆休みを利用して、いつも通り結界を探しにきたのである。
無論、その成果は全く出ていないのであるが。


「まあ、滅びゆくものの美だよね。なんというか――あまり言葉にはできないけど」

「あら、珍しくおセンチなのね」

「何よ。私にだって、感傷的な気分に浸りたい時ぐらいあるもん」

「はあ。私たちの倶楽部活動は、綺麗な海を見に行くことが目的ではないのよ?」

「わかってるって」


そう言いながら立ち上がった蓮子は、メリーの立つコンクリート造りの堤防に向かう。堤防の上に立ち、メリーの横に並ぶと、海がよく見えた。そのまましばらくそうしていたが、灼熱の太陽に照らされ続けている、剥き出しのコンクリートの上だ。あまりの暑さに、蓮子は自身の肩掛けバッグから水を取り出そうとして、ふと手に、ざらりとした不思議な手触りを感じた。
蓮子の肩掛けバッグには、雑に丸められた新聞紙が入っていた。


「ああ、すっかり忘れてた。メリー、さっき駅で配られてた号外見た?」

「あの紙っぺら? ううん、旅の邪魔になるから捨てたわ」

「『完全対話型人工知能、遂に完成か』ってやつ。知らない?」

「はあ、AIね。相対性精神学を専攻してる身としては、結構気になる話題だけど……最近は、あまり話題にあがってなかったように思うわ」


そう、話題に上がっていないのである。数十年前に来ると言われていたシンギュラリティも机上の空論に終わり、人工知能の研究は停滞が続いていた。それ以降、処理速度と通信速度に物を言わせたAIを搭載したプログラムが流行り、それはそれで人々の生活を潤してきたのではあるが。やはり、画期的な人工知能というものは、ここ最近全く生まれていないのだ。
蓮子は丸められた新聞紙を手に取り、雑に広げてメリーの方に向けた。くしゃくしゃの紙に浮かぶ活字は少々読み難い。メリーは目を凝らしてそれを読んだ。

――物理的なコミュニケーションの価値が見直されてきているとはいえ、やはり手持ちの端末から他人とコミュニケーションを取る方が気軽なのは言うまでもない。現在の主流のコミュニケーション方法は、勿論それらツールを通したものだ。そんな、様々なコミュニケーションツールから抽出された膨大なデータは、数十年かけて構築された超複雑系のモデルを下に、量子コンピュータによって即自的に処理・解析され、情報は外部クラウドに適切な状態で蓄積されてゆく。無限に近い選択パターンを保持し、【彼女】は常に、刹那に近いスピードで必要な知識を取得できる。膨大な学習可能性を得た人工知能は、もはや完全な個の人間モデルを形成し、本物の人間と遜色ない会話が出来るようになった――

メリーは、首を傾けた。


「何が凄いのかさっぱりだわ。今までの人工知能と何が違うのかしら」

「ああ、やっぱりメリーもそう思う? これね、ただ超高性能の人工知能を積んだロボットが、一般向けに販売されるっていう記事。今までの人工知能と比べて、遥かに演算処理の能力が高くて、そんでもって庶民にもぎりぎり手の届く値段だから、話題になってるってだけね」

「ふうん。優秀なのね」


メリーは新聞紙から目を離し、そう言いながら先ほどの日陰まで戻ってしまった。蓮子は新聞紙を手に持ったまま、追いかける形で廃工場まで戻る。
時刻は正午を迎えていて、太陽は丁度真上にあった。日の陰が短くなってゆく。


「ねえメリー。AIにはさ、この美しさが理解出来るのかなあ」

「美しさの判別? それだって、人の感性で意見が分かれるところじゃない」


廃工場の屋根の下、海を横目で見ながら、蓮子が呟く。
それに対しメリーは、手提げのバッグから扇子を取り出して、面白くなさそうに答える。


「美しいか否かを判断するのは、そんなに難しいことではないでしょう。統計的に美しいことは【彼女】にも理解できるし、美しい理由をレポート数百枚にまとめるのことも、【彼女】にとっては容易いことだし」

「便利なものよね。私もAIの星の下に生まれたかったわ」

「……お盆直前にまでレポートを溜め込むなんて、そんな愚行に走るのは本物の人間だけよ。蓮子みたいなずぼらな人間だけ」

「これだからAIは。人間臭さが足りないわ」

「人間臭さと怠慢を一緒にしないで頂戴ね」


蓮子は、取りだしたペットボトルの中身を飲みながらそんなことを言うのである。
話の骨を折っておきながら勝手なものだ、とメリーは思うが、構わずに続けた。


「大分話が逸れたけど。とにかく多くのAIは、この光景を美しいと判断すると思うわ」

「そうなのかなぁ」

「たくさんの【私たち】がそう思う限りは、ね」

「あ、水が無くなった」


空のペットボトルを咥えた蓮子は、そのままメリーに顔を向けた。
その女性らしさを微塵にも感じさせない仕草を見て、メリーは大きな溜息をついた。


「ペースを考えて飲まないからこうなるのよ。優秀なAIなら、そんなことはしないでしょうけど」

「ちょっと、なんでもかんでもAIを引き合いに出さないでよ。私は真っ当な人間だから」

「どちらにしろ、この辺で飲み物を買えるような場所はなさそうだけどね」

「これぐらいの田舎なら、旧式の自動販売機の一つや二つ……」

「何年前の飲み物を掴まされるかわかったもんじゃないわ」

「ほら、合成産以外の飲み物が飲める良いチャンスだと思わない?」

「思わない」


蓮子は空になったペットボトルを肩掛けバッグの中に仕舞うと、のっそり立ち上がる。そのまま日陰から飛び出すと、彼女はうぎゃと小さい悲鳴を上げた。日陰に目が慣れていたせいで、外の明るさに対応できなかったらしい。

本日の気温も三十五度を越えている。海も近ければ湿度も高く、潮風のせいで肌もべた付く。寂れた港町に、避暑できる場所は少ない。メリーは、一つ大きな溜息を付くと、次の日陰に向かって駆けだしている蓮子に追い付こうと、歩みを早めた。
















――ぱちん。

気付くと、視界は開けていた。
耳鳴りが収まってゆく。身体の熱も痛みも、吐き気もなくなっていた。

見れば空には、記憶と寸分違わぬ太陽がある。立ち上る入道雲。そして、真っ青の海。潮風がわたしの髪を撫でる。
波の音が遠くに聞こえた。風鈴が鳴る。心地よい。相変わらず人通りは少ないが、それもまた静かで良い。ここはそういう場所だ。

なにも変わってはいないじゃないか。そう思って、わたしは笑った。

















廃工場から離れ、亜熱帯の海辺を往く。蓮子は数十秒おきに暑いと呟き、その度ごとにメリーの持つペットボトルを恨めしげに見つめてくる。メリーは蓮子の顔を見ようともしない。

右を見ると、シャッターの降りた家屋が続いていた。郵便受けに小包が挟まっている様子が確認できたり、洗濯物がかかっている様子を見る限り、多少は人が住んでいるようだ。たまに暖簾が出ている店も見受けられるが、人の入りはほとんど見当たらない。中には、明らかに人の住んでいないような、あちらこちらに塗装の剥がれた建物もある。

海岸沿いを進むと、『潮騒亭』と書いてある看板が見えた。アルミで作られただろう看板は、そのボード部分だけを残し、いくつかの塗装が剥がれてしまっていた。支える骨も錆びついていて、いつ傾くかわかったものではない。しかし、それを指摘する人間もいないのだろう。そうなれば、直そうとする人間もいなくなる訳である。

それが、科学世紀の田舎町。効率化を求め、切り捨てられた町。


「……暑いなあ」

「そろそろ諦めない? 次のバスを逃すと、次来るの三十分後みたいだけど」

「げ、それはまずい。こんな何もない所で、三十分も待つのは辛いわ」


メリーは、色褪せた時刻表が挟まっているバス亭を横目にそう言った。ここまで寂れた町でも、申し訳程度の公共交通機関は動いている。平日の昼間から散歩をしているような人間は見当たらないが、目に見えないだけで、実際ここで暮らしている人は確かにいるはずだ。多少の需要はあるのだろう。

しかし、目に見えない所で人が暮らしている町というのも、それは寂しいものだと。メリーはそう思った。


「あら、珍しいお客さんたちね」


唐突に、人の声が聞こえた。

二人が同時に声の方に振り向くと、そこには笑顔を浮かべた少女が座っていた。店先の雨避けの下、少女は木製の椅子に腰掛け、小型のうちわをぱたぱたと動かしている。
風鈴が、ちりんと鳴った。


「こんな所に若い女の子が来るなんて。本当に何年ぶりだっけ」

「え、ああ、こんにちは。あなたは……」

「ここはお婆ちゃんのお店。お婆ちゃん、最近体を壊しちゃって。暇だからわたしが店番してるの」


蓮子から、呆けた声が漏れる。メリーも、目を大きく見開く。二人は顔を合わせた後、再び少女に顔を向けた。まさか、こんな所にうら若き少女がいるとは、思いもしなかったのである。

少女は、見たところ十四五ぐらいの年齢に見えた。ボブカットに切り揃えられた黒髪には麦わら帽子が乗っている。白のワンピースから、小麦色の肌が覗く。少女は笑顔を浮かべながら、いらっしゃいませと言った。


「え、ええと。あなたのお婆さんは、ここで商売を?」

「うん。わたしが生まれる随分前からやってるみたい。ほら、これがお店」


少女は自身の後ろを指差した。
両隣の建物はとても人が住んでいる様子は見受けられないのに、この店の内装は思いのほかしっかりとしている。開かれた雨戸から除くのは、大量の木製の棚と、大量の――色鮮やかな何か。


「いいお店でしょ?」

「えーと。……確かに面白い物を売ってるね」

「ちょ、ちょっと蓮子。失礼でしょ」

「ふふ、お姉さんたちもそう思うでしょ? 日本の、昔のお菓子だとか、おもちゃとかを売ってる。まあ、マニアックすぎて、全然売れないんだけど」



少女は、にっこりと笑った。
蓮子とメリーは再び顔を合わせ、安堵の息を漏らした。

少女が座っているのは、木製の建物に貼られたビニール製の雨避けの下。外に木箱が置かれ、商品と思わしき色鮮やかなお菓子が並べられている。手作り感満載の立て看板には、『かき氷あります』の文字。少し下がって雨よけの上を見れば、『潮風商店』という、店の名前らしき文字が見えた。

蓮子は、店の中に入って、品物を物色し始めた。メリーも続いて店内に入る。物が溢れかえった店内は、人一人通るのが精一杯な広さであった。


「えーと、これは……飴かしら。随分派手なデザインね」

「それね、当たりが出たらもう一個もらえるの。味は合成で再現されたものだけど、こういうシステムも引き継いじゃうあたり、遊び心があっていいよね」

「ああやっぱり、お菓子は合成物なのか。これ、どれぐらい昔のものなんだろ」

「オリジナルは昭和とか平成とか、それぐらいの時代のものだって聞いてる」

「へええ……」



メリーは、手に持った小袋――飴玉のパッケージを手に取って、回しながら眺める。裏面びっしりに書かれた原材料名、製造者名。現在ではほとんど見かけない光景だ。蓮子はと言えば、奥に進んでは気になったものを手に取り、不思議そうに眺めては感嘆の声を上げていた。


メリーと比べると、蓮子の店内を回る速さは尋常ではない。メリーが店内の半分も行かないうちに、蓮子は店内を一周して入り口へと戻ってきていた。蓮子は隣を見る。

椅子の上には、少女が一人座っていた。


「ふふ、どうだった? 面白いものは見つかった?」

「ええもう。こんな昔の物が見れるなんて。商品は合成でも、この雰囲気はすごいわ。実際に、この時代を経験したことはないけど――」

「タイムスリップしたみたい、だった?」

「そうかもしれないね。タイムスリップ、したこと無いけど」


二人は、顔を合わせて笑った。

店の入り口を抜けると、外には海が広がる。
コンクリート造りの堤防に、消波ブロック。ウミネコたちが集まって、くわくわと鳴いている。青い海と、青い空の境界。立ち上る入道雲のおかげで、その境界がはっきりと知覚できる。水平線の向こうに、黒い影が見える。人の乗った大型船だろうか。あるいは、大きな海洋生物かもしれない。はっきりとは判別できない。


「ねえ、こんな所……っていうのは失礼かもしれないけどさ、この町で商売なんて、実際やっていけるの?」

「この店は道楽みたいなものよ。昔はこれで食べてたみたいだけど、今は無理」


少女は椅子から立ち上がり、蓮子の横に並び立った。
風鈴が、ちりんと音を立てた。
潮風が二人の髪を揺らしている。波の音が遠ざかる。


「あなたはここでずっと暮らしているの?」

「お婆ちゃんは、ずっと暮らしてるね。わたしも物心がついてからはここにいるよ」

「こんな、人もいない場所に?」


蓮子は、横に立つ少女に尋ねる。少女は、真っ直ぐ前を向いたまま答えた。


「昔はもっと、もっと沢山人がいたのよ。この場所にもね」

「でも今は」

「お婆ちゃんにとっては、思い入れがある場所なんだってさ」

「……あなた自身は?」

「ううん、どうだろ……」


少女は小さく笑った。蓮子は、再び海を見た。
二人は海を見ていた。


「でも、海は綺麗だし。風は気持ちいいし。わたしはここが好きだな」

「それだけ?」

「それだけ」


蓮子は思考を巡らせる。

先ほど、ここは道楽の店だと言っていたのだ。もし経営するのが難しいのならば、しばらく休業にすることもできるだろう。
ならば、彼女がここに居座るのには、なにか他の理由があるか――もしくは、彼女自身の意思によるものだと考えるのが自然な気がする。

しかし蓮子には、その理由がわからなかった。少女は、海が綺麗だとだけ言うのだ。理にかなっていないのではないかと思う。
あまり詮索する話題でもないのかもしれないが、蓮子は妙に気になっていた。


「最初はさ、お婆ちゃんが寂しくないようにって。そういう理由でわたしがここに来たんだけど。しばらくいる間にね、ここが好きになっちゃって」


少女は、蓮子の考えを見透かしたかのように、独りでに語り始める。

「ずうっと、ここにいるの。たくさんの人と喋って、色んなことを教えてもらってさ。そのうち、ここから離れられなくなっちゃってね」

「とらわれてしまったのかしら、この町に」


後ろには、いつの間にかメリーが立っていた。話を盗み聞きしていたらしい。
少女は、後ろを振り向くことなく頷く。


「こんなにも、綺麗な町だもん。青い海に青い空。たくさんの人が行き交って、たくさんの人が楽しそうに声を上げて。今はこんなに寂しい町だけどさ。これからは、もっと酷くなっちゃうのかもしれないけどさ」


少女は、顔を上げた。海を見る。空を見る。潮風が、彼女の黒髪を優しく撫でた。
少女は振り向いた。麦わら帽子が、彼女の頭から離れ、宙を舞った。


「それでも、わたしはここにいることしかできないのよね」


少女は、笑っていた。
否――泣きながら、笑っていた。


「久しぶりに人に会えて、本当に良かった。貴方たちを見かけた瞬間、嬉しくて嬉しくて! もう動けないと思ってたのに、なんだか気合いが入っちゃった。人間、やるときはやれるもんだね」


波の音と、風鈴の音が、徐々に遠ざかってゆく。少女の麦わら帽子が、風に攫われて空高くまで飛んで行いった。
空が割れ、太陽が水平線に沈む。月や星々が昇ってくることはない。海の色が真っ黒に染まり、夜が降りてくる。実に静かな終わりであった。
二人の視界は真っ黒に染まり、寂れた海辺の町は、そのまま静寂に包まれた。
















――ぱちん。
何かの音は、もうわたしの『耳』には届かない。
かち、かちと刻む心臓の音を夢想しながら、わたしはまどろみに沈んでいった。
















廃工場から離れ、亜熱帯の海辺を往く。蓮子は数十秒おきに暑いと呟き、その度ごとにメリーの持つペットボトルを恨めしげに見つめてくる。メリーは蓮子の顔を見ようともしない。

右を見れば、人の気配がまるでない家屋が続いていた。あちらこちらで塗装が剥がれ、また蔦に似た植物に覆われている家屋も見える。いくつかの建物からは灰色のシャッターが覗いているが、もちろん全て降ろされていて、あちこちに穴が開いている。元々は何かの店だったであろうが、もはや人のいないこの町に、そんなものは必要ないのだろう。

海岸沿いを進むと、右に大きく寄って、『亭』とだけ書いてある看板が見える。アルミで作られただろう看板は、そのボード部分だけを残し、塗装が剥がれてしまっていた。支える骨も幾分か傾いて、不格好極まりない。しかし、それを指摘する人間もいなければ、それを直そうとする人間もいないのだ。

それが、科学世紀の田舎町。効率化を求め、切り捨てられた町。


「……暑いなあ」

「そろそろ諦めない? 次のバスを逃すと、次来るの三時間後みたいだけど」

「げ、それはまずい。こんな何もない所で、三時間も待つのは辛いわ」


メリーは、色褪せてぼろぼろになった時刻表が挟まっているバス亭を横目にそう言った。ここまで寂れた町でも、申し訳程度の公共交通機関は動いている。見た所、人っ子一人見えない町ではあるが、目に見えないだけで、実際ここで暮らしている人もいるのだろう。

しかし、目に見えない所だけで人が暮らしている町というのも、それは寂しいものだと。メリーはそう思った。


「ん?」


蓮子が、急に声を上げた。ぼうっと物思いに耽っていたメリーは、その声を聞いてびくりと体を震わせた。メリーは蓮子の方に振り向いた。


「どうしたの、蓮子」

「いや、あれ」


蓮子が指を指していたのは、木造の建物のようだった。しかし、隣の建物も、その隣の建物もほぼ同様に朽ち果てているため、どの建物か判別できない。


「あそこの監視カメラ……動いてるように見えた」

「え、どれ?」


よく目を凝らしてみると、一つの木造の建物、そのビニール製の雨よけの付け根部分に、半球形のカメラが設置されていた。

雨よけの下には、横たわった木製の椅子と、所々塗装のはげた木箱。閉まり切った雨戸の下には、ガラスの破片が散らばっている。何かのお店らしいその建物は、やはり他の建物同様、人の気配はないようであった。

二人は建物に近づいて、その荒れ果てた様子を眺めていた。


「動いてないじゃない。大体この建物、明らかに人住んでないでしょう」

「それもそうだけど。でも電気は通ってるかもしれないし」


建物の前に立った二人は、ガラスの割れた雨戸から中を覗く。中は木製の棚がいくつも横たわっている。コンクリートで固められた床はあちこちに穴が空いていて、外からでも確認できる程に埃を被っていた。


「って、あれがカメラ? 今のとは形が随分違うわね」

「あー、そうね。ちょっと最近――というか、ついさっきの話だけど。たまたまあれと同型の監視カメラを見かける機会があって」

「え、あんな旧式の?」

「いやまあ、資料をちょろっとネット上で見かけただけなんだけど……ほら、これ」


蓮子は肩掛けバッグから端末を取り出し、操作を始めた。

手に持った端末から、空中にドキュメントが映し出される。古いウェブページのようで、文章が長々と続いていて、その境目ごとに可憐な少女たちの絵が挟まれている。様々な色の髪、アイドルのように可愛らしい洋服を少女たちの画像だった。



「数十年前に一部のマニアの間で流行った、『電脳むすめシリーズ』。これ、当時は凄い画期的なソフトだったのよ」

「ナードの好きそうな名前ね」

「実際、その手のマニア達には大人気だったらしいよ。人の表情、しぐさ、声質、体温から心拍数、はては脳波までをも測定するデバイス――当時の最新型監視カメラを改良したものらしいけど。それを付けると、プログラムが本物の人間から『人間らしさ』を模倣し続けて、実際の人間らしく振舞うの。もちろん、何人ものデータが必要なんだけど。彼女は仮想社会のモデル、複雑系のモデルを形成して、自身をその小社会の中にある、個の人間として定義するの。まさに、人工知能と呼ぶに相応しい代物だったらしいよ」

「へえ? 数十年前にそんなものが。話を聞く限り、さっきの人工知能よりも優秀のように思えるけど」


端末を仕舞いながら、蓮子は頭を掻く。


「ま、その『電脳むすめシリーズ』は、ただのおもちゃで終わってしまった訳だけど。このソフトを出した会社も、今じゃとっくに潰れているみたいだし」

「あらそうなの」

「画期的なソフトではあったんだけど。まあ、ナード向けの商品だったし、モデル化の手法が当時の人工知能研究の主流とは遠くかけ離れてて。あまり話題に上がらなかったとか」

「へえ」


つまらなさそうに返事をすると、メリーは再びカメラに目を向けた。ぼろぼろになった雨避けの天井は低く、監視カメラは目と鼻の先にある。しかしカメラのレンズ部分は、やはりあらぬ方向を向いていた。


「で、このカメラが、その電脳なんちゃらのデバイスだって言いたいの」

「可能性はあるでしょ」

「無いとは言わないけど。数十年も前のものが、こんなところに残ってる訳が」


――ぱちん。

メリーの言葉が、途中で切れる。


「メリー、どうしたの」


急に黙ったメリーを不審に思って、店の中を覗いてた蓮子は彼女の方に振り向く。
メリーは目を瞑っていた。眉間に皺が寄っている。


「ああいや、ちょっとね」


目を瞑ったまま、メリーはそう言って、再び黙り込んでしまった。
メリーが独りでに考え込むときは、決まってなにかを『視た』ときだ。彼女曰く、内容を整理するのに少し時間がかかるらしい。突然、他の世界の姿が視えるのだから、それも当然のことだろう。
少し時間が経てば自ら相談してくるので、あまり急かさないようにはしているのだが。
気になるものは気になる。


「メリー、もしかしてなにかが視えたの」

「ううん、まあ。視えたと言えば視えたんだけど……」


歯切れが悪い。なにか視えたのなら、そう言えばいいだけだ。それすら不安になるようなものを視たのだろうか。
ますます気になってしまう。


「ねぇ蓮子。さっきの話の続きなんだけど」

「え?」


何の話か。
蓮子は首を傾けるが、メリーはお構いなしに話し始めた。

「優秀な人工知能の話。結局の所、貴方の挙げた二つのAI……完全に対話ができるロボットと、ナード向けのおもちゃ、どっちが優秀なのかって話」

「メリーが何を視たかの方が、私は気になるんだけど」

「いいから。蓮子はどっちが優秀だと思う?」

「うーん。人工知能研究の最終目標が、いかに人間に近付くことができるかと仮定するのなら、『人間らしい』方が優秀ってことになるでしょう。でも『人間らしさ』なんて、それこそ曖昧な言葉だし、計測することはできないわよね。人工知能って言葉自体、この科学世紀においてさえコンセンサスの取れた定義がない訳で」

「人間らしさ、よね。やっぱり人工知能の目的は、そうあるべきよね」

一人でうんうんと頷きながら、メリーは歩き出す。
寂れた建物から離れ、海に向かう。コンクリート造りの堤防のぎりぎりに立って、彼女は海を眺めていた。

「人間らしさが優れているかどうか、判断するのは簡単じゃないかしら。かつて人間にしかできなかったことが、【彼女】たちにもできるようになればいいの」

「そうは言ってもねえ。何ができれば人間らしいって言えるのか、そこの判断は難しいじゃない」

「私は、一つの究極目標を知ってるわ。夢を見ること」

「夢?」


メリーが振り向く。ぼろぼろの雨避けの下でぼんやり彼女を眺めていた蓮子は、メリーが笑顔を浮かべていることを、そこで知った。メリーの視線は、蓮子の立つ隣――誰もいない、転がった椅子に注がれていた。
蓮子は、その視線を追いかける。


「だって、夢を見る行為って、私たちが思っている以上に凄いことよ。私たちの憧れや欲望、幸福感に恐怖に狂気に嫉妬――様々なものが入り混じった感情が、強い想いが、結界にほつれを生じさせるんだもの。人間の精神は、別世界への扉を開いてしまうのよ」


そのまま、彼女はカメラに視線を向けた。
先ほどは動いているように思えたが、もう一度、改めて眺めてみると、実に酷い有様であった。あちこちで塗装が剥がれている。レンズが割れたりはしていないが、長い間この場所に放置されていたことが目に見えてわかる。

それでも――蓮子は、何故か。あのレンズが、再びこちらの方に視線を向けたような、錯覚に捉われたのであった。

潮風が、彼女たちの黒髪を優しく撫でる。
遠くから、波の音が聞こえる。


「本当の人間らしさ――人工知能の行き着く先は、【彼女】たちが夢を見れるようになることだと、私はそう思うのよ」


そして蓮子は、見知らぬ少女の笑顔、その幻想を視た。
そんな気がした。
秘封倶楽部、一度は書いてみたかった。
タイトルは里香ちゃんのテーマをもじってますが、内容は特に関係ありません。語呂が好きです。
駄目星
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コメント



0.250簡易評価
3.無評価名前が無い程度の能力削除
海面上昇は年間2~3cmですから工場が沈むのに要する時間は…
7.無評価ナナシン削除
天変地異とかで一気に沈んだんじゃねーの