「やぁやぁ、守矢の巫女さん」
巫女さんが境内に生える雑草抜きの手を止めて見上げますと、一本足の下駄を履いた黒のスカートに白いシャツの少女が人懐こそうな笑みをたたえて空中に留まっておりました。背中の羽がぱさりぱさりと動くたびに僅かに砂が舞います。
「えーと、新聞屋さん……でしたよね?」
神さまたちと山の方々へ挨拶に行った折、新聞の契約は是非ウチにと数多押し寄せてきた天狗の中にいた気がしてそう尋ねますと、少女はやや大げさに首を振りました。
「他の有象無象と一緒くたにされては困りますね。文々。新聞の射命丸 文といいます」
「文さん、ですね。はい、おぼえました。それで、本日は押し売りでしょうか?」
儚げな印象のある巫女さんが柔らかい笑みをたたえて毒を吐いてきたので、記者さんはくるりと目を丸くしました。巫女さんは先日神さまがボヤいていた言葉を特に考えもなく使っただけなのですが、記者さんは警戒されているのだなと一人納得して地面に降りてきました。
下駄の歯の分だけ記者さんの方が頭の位置が高いですが、頭上でパタパタするよりは威圧感がないだろうと判断してのことでした。というのも、記者さんは新聞の契約ではありませんがお願いのあって訪れた身なのです。
「取っていただけるのでしたら有難いことですが、本日は違います。もし、空いている部屋があればお貸しいただけないかと思いまして」
「何かお困り事ですか?」
「えぇ、そうなんです。実はあなた方の監視を命じられてしまって」
「まぁ、監視を」
守矢神社の建っている妖怪の山はその名前の通り妖怪が、今は天狗たちが支配している山です。緑豊かで人口も多いので勝手に居座っている神さまもそこそこいまして、そちらは互いに干渉せずで暮らしているのですが守矢は少々事情が違いました。
元々神社と湖ごと外の世界から飛んできたイカれたヤローだと話題沸騰中だったのですが、先の挨拶をしに行った場面で愛する巫女さんがもみくちゃにされそうになったものですから、怒った神奈子さまと諏訪子さまが天狗を全員吹き飛ばしてしまったのです。
幻想郷にて新聞をせっせこ書いている烏天狗は決して弱い種族ではありません。それを一度に相当数のしてしまったのですから、天狗社会に敵対することを恐れず、また張り合うだけの力がある相手だと認識されたわけです。
「しかし、はっきり言ってやる気がありません。四六時中遠くから見ていろだなんて冗談もいいところです」
「なんとなく分かります。交通量調査の人は大変そうですもんね」
巫女さんの聞きなれない言葉に記者さんの指がペンを求めて疼きました。外の世界のあれやこれやを質問してみたい衝動に襲われましたが、一度脱線すると自分の意思で戻れる自信がないのでここはぐっと抑えます。
「でも、内部に入ることが出来たらそれだけで大きな成果ですし、私にもサボりや新聞作りの自由が認められると思いません?」
「そこまで嫌がるのにどうして断らなかったんです?」
「神様の怒りを買うのを恐れて皆さんやりたがらなくて。一番真面目な私が貧乏くじを引くことになったのです」
「そうでしたか。ウチは貧乏ではありませんが、それでも宜しければ是非お越しになって下さい」
記者さんがころころ笑いました。東風谷さんは何と言いますか天然成分が含まれていまして、発言も頭をひねって出した類のものではないのですが今まさに付き合いを始めようとする記者さんにはそんなこと分かりません。外の世界の人間は中々どうしてユーモアのある返しをするものだと感心するのみです。
「えぇ、是非に」
神奈子さまと諏訪子さまはこの話に当然反対しましたが、東風谷さんに滅法弱いお二人ですので敢え無く折れます。こうして、射命丸 文という天狗が守矢に住むことになりました。
暮らすにあたって射命丸さんの方から幾つか提案があがりました。家賃を払うこと、食事は用意しなくてもよいこと、お風呂はなるべく最後に入るようにすることetc……。色々ありますがざっくりまとめてしまうと、長屋かマンションにおける別室の住人のような存在に徹するということでした。自分で言うだけあって射命丸さんは真面目でした。
もっとも他人行儀のルールが徹底して守られていたのはほんの一週間です。
だらだらお喋りする内に食事を用意する時間が無くなったことを射命丸さんが嘆きますと、東風谷さんが神奈子さま作の夕飯へ招待します。それが二度三度、気がつくと射命丸さんの分が何時も用意され、食事当番が回ってくるようになりました。皿洗いや掃除も手伝い、お風呂に入る順番が適当になり、お仕事と寝起き以外で自分の部屋にいることが少なくなります。
もうすっかり守矢の一員です。
ある日のこと。
「文さん、こっちに私の勉強机を持ってきてもいいですか?」
ここは射命丸さんに割り当てられた部屋です。埃っぽいだけだったこの部屋もすっかりインクと古紙の匂いに満ちていて、彼女らしさというものを感じることが出来ます。
「それはまた、どうして?」
射命丸さんがかちゃりと新聞作成時にだけかけている眼鏡をずらして振り向きます。詰めに入っていないというのもありますが、最近守矢の神さまたちの尽力によって電気が通うようになり、眠っていたワープロとプリンターが動かせるようになって作業効率が格段に上がりました。今はこうして仕事の手を止めるだけの余裕があります。
「神奈子さま諏訪子さまのお手伝いが出来ないかと事務の勉強をしようと思っていまして」
「それは立派ですね」
「でも、ほら、私の部屋は毒が多くて集中が」
「なるほど」
東風谷さんの部屋は割と何でもあります。超合金フィギュアや歴代のゲーム機、積まれたプラモデル、漫画や雑誌に体が沈みこんで凄くリラックス出来るクッション。休憩するかと手を伸ばせば最後、ずぶずぶと時間を失ってしまうこと請け合いの部屋なのです。そうでなくとも勉強机に座っていますと、チラチラ視界の端に映るベッドが強く誘惑してくる配置になっていて大変です。東風谷さんが学校に通っていた頃は図書館で宿題など全部終わらせてしまうのが日常でした。
「しかし、私の部屋に机が入る余地はありませんよ」
射命丸さんの部屋は片付いていないわけではないのですが、仕事で使う為の道具や資料がとにかくきっちり隙間を埋めるように並んでいまして、その余りの物の多さに圧倒されます。確かにこれではやや大きめの東風谷さんの机は、通り道を塞いでしまうような場所以外に置けそうにもありません。
「えぇ、ですから文さんのベッドを私の部屋に」
射命丸さんのベッドは作業机と反対の壁にくっついて置かれています。交換ということでしたら、互いに邪魔してしまうことのない良い位置と言えるでしょう。東風谷さんはきちんと考えて話を持ってきているようでした。射命丸さんも頷きます。
「それなら、私も仮眠がうっかり熟睡になることが減りそうですね。ちゃちゃっと運んでしまいましょう」
こうして、早苗さんと射命丸さんは同じ部屋で寝起きするようになりました。既にお話しましたように射命丸さんは自分の部屋を仕事と睡眠以外に対して使っておりませんでした。その片方も早苗さんの部屋に移ってしまったので、ここはもう射命丸さんの部屋と言うよりは仕事部屋と呼ぶのが相応しくなってしまいました。
ちなみにですが、2人で間取りやら日の当たり具合やらを考えた結果、ベッドは横付けで並べることになりました。良い機会だと枕をお揃いで新調したのでさながらダブルです。
ある日のこと。
「一緒に入ってしまいませんか?」
射命丸さんから早苗さんへお風呂のお誘いです。近頃人里に腰を下ろしたお寺の鼠さんが掘り出し物のDVDやVHSを自分たちでは使えないからと譲ってくれたので、ソファに腰掛けて暇つぶし程度に見ていたら想像以上に面白く、ついつい夜も遅くになってしまったのです。
2人とも少女ですし、早苗さんは特に綺麗な長髪を維持するのに手間をかけますから、お風呂の時間は長くなってしまいます。寝る場所も同じことですし、別々に入りますと睡眠時間に影響が出そうなので射命丸さんは一緒にどうかと誘ったのです。
「素敵です。そうしましょう、そうしましょう」
早苗さんさんもニコニコして賛同しましたので、2人でお風呂に入ることになりました。
かぽーん。お風呂です。1人なら足を思い切り伸ばせる広さのある浴槽で、おチビちゃんだった頃の早苗さんは家族や神さま2人と良く一緒に入っていました。その頃の入り方が彼女にとって誰かと湯船に入る時の普通でして、射命丸さんに抱き締められる形で背中を預けています。
ちゃぷと音を立てて射命丸さんの手が動き、早苗さんの髪を丁寧に撫でます。一房を持ち上げて指の間を滑らせてまた一房持ち上げる。ほぅと息をつきました。
「ねぇ、早苗さん。私に髪を洗わせてくれませんか?」
「それでしたら洗いっこしましょう」
「私のつまらない髪では等価にならないでしょうに」
「お綺麗ですよ。艶やかで私うっとりしてしまいますもの」
早苗さんが身体を捻り、射命丸さんの髪をひとまとまり掬いますと口付けを落として笑みを浮かべます。褒められた射命丸さんはぽっと頬を赤くして恥ずかしがりながらもありがとうと笑みを返しました。
褒めり褒められ、魔が差して脇をつつーっと擽ってみたり、耳たぶをぷにぷにしたり。わぁきゃぁ楽しく過ごしまして気がつきますと1人で入る時より随分長風呂となっています。
すっかり逆上せてタオルを巻いただけの姿でベッドに倒れ込み、馬鹿なことをしたと2人でクスクス笑いました。
おでことおでこをコツンと突き合わせ、次からはお風呂場で騒ぐのは控えましょうと約束をしました。
ある日のこと。
「文さん、来てください」
早苗さんが目を瞑ると文さんはゆっくり顔を近付けて唇と唇を重ねました。キスと呼ぶにはまだ幼い不器用なものでした。
事の顛末はこうです。
早苗さんと文さんは仲良しで最近は特に一緒にいることが多くなりましたが、2人はきちんとそれぞれに別の交友があります。友達との会話で相手との思い出を語ることもあるのですが、この度はいよいよお風呂に入っている時のエピソードが出てきました。それを聞いた友人らは「布団もお風呂も一緒って、それもう恋人じゃん」と感想を呟いたのでした。
そして、2人はその言葉に引っかかるものを覚え、笑い飛ばしてやることが出来なかったのです。
好きか否か、恋人になりたいのか否か。2人は話し合い、早苗さんの蔵書からヒントを得てキスしてみようという結論に至ったのです。
ほっぺが赤く色付きます。艶かしい吐息を零して2人が離れました。熱のこもった瞳が相手の潤んだ瞳を見つめます。2人は暫く無言でした。
「心がぽかぽかしています。これってやっぱり、文さんのことが好きだから、なんですね」
早苗さんは触れ合っていた唇をそっと指でなぞって微笑みました。感じたのは一瞬でしたけれど、柔らかさと熱は未だ残っています。
「文さんは?」
「ドキドキしてます。その、すごく。ドキドキしすぎて、よく分かりませんでした」
文さんは胸に手を当てていつもより早く心臓が動いているのを感じました。それは心地のよい音で、ひと鼓動ごとに心がくすぐられます。
「だから、早苗さん」
手をぎゅっと絡めます。
「もう一度キスしましょう」
「はい」
幸せが満ちていました。
ある日のこと。
「射命丸 文から報告です」
文さんは仕事を続けていました。守矢神社に潜伏し、内部より情報を探ると表向きにはなっている仕事です。報告の殆どは異常ナシで済ませられていましたが、例えば先の間欠泉騒ぎなど要所要所はきちんとこれこれ動きアリと伝えていまして今日までその任は解かれていません。いい加減ではありますが、文さんの情報は正確で早かったのです。
「おぉ、来たか」
今のところ守矢を止められた実績はありませんが、それは実行部隊の責任や高度に政治的な問題で手出しが出来ないせいです。動きアリの報告書を適切な文章に直して上に出すだけで、一歩ずつ確実に昇格の道を歩んでいける立場になった文さんの上司は優秀な部下に鼻高々です。そんなわけで、今日もニコニコ顔で封書を受け取るのでした。
しかし、直ぐに驚愕に変わります。守矢偵察の任を降りる旨が書いてあったからです。簡素なのは何時ものことですが、今回ばかりは理由の無いのが不安を煽ります。詳しく書く事のできない状態にあるのでは、と。真っ先に浮かんだのはスパイであることがバレたのか、始めからバレていて今まで泳がされていたのかでした。慌ててもう一通の封を破ります。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
驚き色の叫声が響きました。鼻高天狗が硯をひっくり返して書類が一山ダメになり、烏天狗が沸かしたお湯を零して転がり、哨戒天狗が事件と勘違いして警笛を吹きました。
二枚目の封には早苗さんと文さんが並んだ写真が入っていて、裏にはこう書いてあります。
『私たち、結婚します』
巫女さんが境内に生える雑草抜きの手を止めて見上げますと、一本足の下駄を履いた黒のスカートに白いシャツの少女が人懐こそうな笑みをたたえて空中に留まっておりました。背中の羽がぱさりぱさりと動くたびに僅かに砂が舞います。
「えーと、新聞屋さん……でしたよね?」
神さまたちと山の方々へ挨拶に行った折、新聞の契約は是非ウチにと数多押し寄せてきた天狗の中にいた気がしてそう尋ねますと、少女はやや大げさに首を振りました。
「他の有象無象と一緒くたにされては困りますね。文々。新聞の射命丸 文といいます」
「文さん、ですね。はい、おぼえました。それで、本日は押し売りでしょうか?」
儚げな印象のある巫女さんが柔らかい笑みをたたえて毒を吐いてきたので、記者さんはくるりと目を丸くしました。巫女さんは先日神さまがボヤいていた言葉を特に考えもなく使っただけなのですが、記者さんは警戒されているのだなと一人納得して地面に降りてきました。
下駄の歯の分だけ記者さんの方が頭の位置が高いですが、頭上でパタパタするよりは威圧感がないだろうと判断してのことでした。というのも、記者さんは新聞の契約ではありませんがお願いのあって訪れた身なのです。
「取っていただけるのでしたら有難いことですが、本日は違います。もし、空いている部屋があればお貸しいただけないかと思いまして」
「何かお困り事ですか?」
「えぇ、そうなんです。実はあなた方の監視を命じられてしまって」
「まぁ、監視を」
守矢神社の建っている妖怪の山はその名前の通り妖怪が、今は天狗たちが支配している山です。緑豊かで人口も多いので勝手に居座っている神さまもそこそこいまして、そちらは互いに干渉せずで暮らしているのですが守矢は少々事情が違いました。
元々神社と湖ごと外の世界から飛んできたイカれたヤローだと話題沸騰中だったのですが、先の挨拶をしに行った場面で愛する巫女さんがもみくちゃにされそうになったものですから、怒った神奈子さまと諏訪子さまが天狗を全員吹き飛ばしてしまったのです。
幻想郷にて新聞をせっせこ書いている烏天狗は決して弱い種族ではありません。それを一度に相当数のしてしまったのですから、天狗社会に敵対することを恐れず、また張り合うだけの力がある相手だと認識されたわけです。
「しかし、はっきり言ってやる気がありません。四六時中遠くから見ていろだなんて冗談もいいところです」
「なんとなく分かります。交通量調査の人は大変そうですもんね」
巫女さんの聞きなれない言葉に記者さんの指がペンを求めて疼きました。外の世界のあれやこれやを質問してみたい衝動に襲われましたが、一度脱線すると自分の意思で戻れる自信がないのでここはぐっと抑えます。
「でも、内部に入ることが出来たらそれだけで大きな成果ですし、私にもサボりや新聞作りの自由が認められると思いません?」
「そこまで嫌がるのにどうして断らなかったんです?」
「神様の怒りを買うのを恐れて皆さんやりたがらなくて。一番真面目な私が貧乏くじを引くことになったのです」
「そうでしたか。ウチは貧乏ではありませんが、それでも宜しければ是非お越しになって下さい」
記者さんがころころ笑いました。東風谷さんは何と言いますか天然成分が含まれていまして、発言も頭をひねって出した類のものではないのですが今まさに付き合いを始めようとする記者さんにはそんなこと分かりません。外の世界の人間は中々どうしてユーモアのある返しをするものだと感心するのみです。
「えぇ、是非に」
神奈子さまと諏訪子さまはこの話に当然反対しましたが、東風谷さんに滅法弱いお二人ですので敢え無く折れます。こうして、射命丸 文という天狗が守矢に住むことになりました。
暮らすにあたって射命丸さんの方から幾つか提案があがりました。家賃を払うこと、食事は用意しなくてもよいこと、お風呂はなるべく最後に入るようにすることetc……。色々ありますがざっくりまとめてしまうと、長屋かマンションにおける別室の住人のような存在に徹するということでした。自分で言うだけあって射命丸さんは真面目でした。
もっとも他人行儀のルールが徹底して守られていたのはほんの一週間です。
だらだらお喋りする内に食事を用意する時間が無くなったことを射命丸さんが嘆きますと、東風谷さんが神奈子さま作の夕飯へ招待します。それが二度三度、気がつくと射命丸さんの分が何時も用意され、食事当番が回ってくるようになりました。皿洗いや掃除も手伝い、お風呂に入る順番が適当になり、お仕事と寝起き以外で自分の部屋にいることが少なくなります。
もうすっかり守矢の一員です。
ある日のこと。
「文さん、こっちに私の勉強机を持ってきてもいいですか?」
ここは射命丸さんに割り当てられた部屋です。埃っぽいだけだったこの部屋もすっかりインクと古紙の匂いに満ちていて、彼女らしさというものを感じることが出来ます。
「それはまた、どうして?」
射命丸さんがかちゃりと新聞作成時にだけかけている眼鏡をずらして振り向きます。詰めに入っていないというのもありますが、最近守矢の神さまたちの尽力によって電気が通うようになり、眠っていたワープロとプリンターが動かせるようになって作業効率が格段に上がりました。今はこうして仕事の手を止めるだけの余裕があります。
「神奈子さま諏訪子さまのお手伝いが出来ないかと事務の勉強をしようと思っていまして」
「それは立派ですね」
「でも、ほら、私の部屋は毒が多くて集中が」
「なるほど」
東風谷さんの部屋は割と何でもあります。超合金フィギュアや歴代のゲーム機、積まれたプラモデル、漫画や雑誌に体が沈みこんで凄くリラックス出来るクッション。休憩するかと手を伸ばせば最後、ずぶずぶと時間を失ってしまうこと請け合いの部屋なのです。そうでなくとも勉強机に座っていますと、チラチラ視界の端に映るベッドが強く誘惑してくる配置になっていて大変です。東風谷さんが学校に通っていた頃は図書館で宿題など全部終わらせてしまうのが日常でした。
「しかし、私の部屋に机が入る余地はありませんよ」
射命丸さんの部屋は片付いていないわけではないのですが、仕事で使う為の道具や資料がとにかくきっちり隙間を埋めるように並んでいまして、その余りの物の多さに圧倒されます。確かにこれではやや大きめの東風谷さんの机は、通り道を塞いでしまうような場所以外に置けそうにもありません。
「えぇ、ですから文さんのベッドを私の部屋に」
射命丸さんのベッドは作業机と反対の壁にくっついて置かれています。交換ということでしたら、互いに邪魔してしまうことのない良い位置と言えるでしょう。東風谷さんはきちんと考えて話を持ってきているようでした。射命丸さんも頷きます。
「それなら、私も仮眠がうっかり熟睡になることが減りそうですね。ちゃちゃっと運んでしまいましょう」
こうして、早苗さんと射命丸さんは同じ部屋で寝起きするようになりました。既にお話しましたように射命丸さんは自分の部屋を仕事と睡眠以外に対して使っておりませんでした。その片方も早苗さんの部屋に移ってしまったので、ここはもう射命丸さんの部屋と言うよりは仕事部屋と呼ぶのが相応しくなってしまいました。
ちなみにですが、2人で間取りやら日の当たり具合やらを考えた結果、ベッドは横付けで並べることになりました。良い機会だと枕をお揃いで新調したのでさながらダブルです。
ある日のこと。
「一緒に入ってしまいませんか?」
射命丸さんから早苗さんへお風呂のお誘いです。近頃人里に腰を下ろしたお寺の鼠さんが掘り出し物のDVDやVHSを自分たちでは使えないからと譲ってくれたので、ソファに腰掛けて暇つぶし程度に見ていたら想像以上に面白く、ついつい夜も遅くになってしまったのです。
2人とも少女ですし、早苗さんは特に綺麗な長髪を維持するのに手間をかけますから、お風呂の時間は長くなってしまいます。寝る場所も同じことですし、別々に入りますと睡眠時間に影響が出そうなので射命丸さんは一緒にどうかと誘ったのです。
「素敵です。そうしましょう、そうしましょう」
早苗さんさんもニコニコして賛同しましたので、2人でお風呂に入ることになりました。
かぽーん。お風呂です。1人なら足を思い切り伸ばせる広さのある浴槽で、おチビちゃんだった頃の早苗さんは家族や神さま2人と良く一緒に入っていました。その頃の入り方が彼女にとって誰かと湯船に入る時の普通でして、射命丸さんに抱き締められる形で背中を預けています。
ちゃぷと音を立てて射命丸さんの手が動き、早苗さんの髪を丁寧に撫でます。一房を持ち上げて指の間を滑らせてまた一房持ち上げる。ほぅと息をつきました。
「ねぇ、早苗さん。私に髪を洗わせてくれませんか?」
「それでしたら洗いっこしましょう」
「私のつまらない髪では等価にならないでしょうに」
「お綺麗ですよ。艶やかで私うっとりしてしまいますもの」
早苗さんが身体を捻り、射命丸さんの髪をひとまとまり掬いますと口付けを落として笑みを浮かべます。褒められた射命丸さんはぽっと頬を赤くして恥ずかしがりながらもありがとうと笑みを返しました。
褒めり褒められ、魔が差して脇をつつーっと擽ってみたり、耳たぶをぷにぷにしたり。わぁきゃぁ楽しく過ごしまして気がつきますと1人で入る時より随分長風呂となっています。
すっかり逆上せてタオルを巻いただけの姿でベッドに倒れ込み、馬鹿なことをしたと2人でクスクス笑いました。
おでことおでこをコツンと突き合わせ、次からはお風呂場で騒ぐのは控えましょうと約束をしました。
ある日のこと。
「文さん、来てください」
早苗さんが目を瞑ると文さんはゆっくり顔を近付けて唇と唇を重ねました。キスと呼ぶにはまだ幼い不器用なものでした。
事の顛末はこうです。
早苗さんと文さんは仲良しで最近は特に一緒にいることが多くなりましたが、2人はきちんとそれぞれに別の交友があります。友達との会話で相手との思い出を語ることもあるのですが、この度はいよいよお風呂に入っている時のエピソードが出てきました。それを聞いた友人らは「布団もお風呂も一緒って、それもう恋人じゃん」と感想を呟いたのでした。
そして、2人はその言葉に引っかかるものを覚え、笑い飛ばしてやることが出来なかったのです。
好きか否か、恋人になりたいのか否か。2人は話し合い、早苗さんの蔵書からヒントを得てキスしてみようという結論に至ったのです。
ほっぺが赤く色付きます。艶かしい吐息を零して2人が離れました。熱のこもった瞳が相手の潤んだ瞳を見つめます。2人は暫く無言でした。
「心がぽかぽかしています。これってやっぱり、文さんのことが好きだから、なんですね」
早苗さんは触れ合っていた唇をそっと指でなぞって微笑みました。感じたのは一瞬でしたけれど、柔らかさと熱は未だ残っています。
「文さんは?」
「ドキドキしてます。その、すごく。ドキドキしすぎて、よく分かりませんでした」
文さんは胸に手を当てていつもより早く心臓が動いているのを感じました。それは心地のよい音で、ひと鼓動ごとに心がくすぐられます。
「だから、早苗さん」
手をぎゅっと絡めます。
「もう一度キスしましょう」
「はい」
幸せが満ちていました。
ある日のこと。
「射命丸 文から報告です」
文さんは仕事を続けていました。守矢神社に潜伏し、内部より情報を探ると表向きにはなっている仕事です。報告の殆どは異常ナシで済ませられていましたが、例えば先の間欠泉騒ぎなど要所要所はきちんとこれこれ動きアリと伝えていまして今日までその任は解かれていません。いい加減ではありますが、文さんの情報は正確で早かったのです。
「おぉ、来たか」
今のところ守矢を止められた実績はありませんが、それは実行部隊の責任や高度に政治的な問題で手出しが出来ないせいです。動きアリの報告書を適切な文章に直して上に出すだけで、一歩ずつ確実に昇格の道を歩んでいける立場になった文さんの上司は優秀な部下に鼻高々です。そんなわけで、今日もニコニコ顔で封書を受け取るのでした。
しかし、直ぐに驚愕に変わります。守矢偵察の任を降りる旨が書いてあったからです。簡素なのは何時ものことですが、今回ばかりは理由の無いのが不安を煽ります。詳しく書く事のできない状態にあるのでは、と。真っ先に浮かんだのはスパイであることがバレたのか、始めからバレていて今まで泳がされていたのかでした。慌ててもう一通の封を破ります。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
驚き色の叫声が響きました。鼻高天狗が硯をひっくり返して書類が一山ダメになり、烏天狗が沸かしたお湯を零して転がり、哨戒天狗が事件と勘違いして警笛を吹きました。
二枚目の封には早苗さんと文さんが並んだ写真が入っていて、裏にはこう書いてあります。
『私たち、結婚します』
でもすごくいい作品なのはまちがいない!
いいよ!
でも、それが凄くいいです。
すごく淡々としているんだけど、味気ないわけではなく、むしろ行間から睦ましいやり取りが感じられてすごく良い。
にやにやしながら読みました。
キスしだした当たりから「おおっ?」となって
最後は「いやっほおおおぅ!」となりました、満腹です