※原作との時系列矛盾、設定が異なっている箇所を多少含みます。
※一部に原作からのセリフ引用があります。
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始・ラストオカルティズ厶
起・秘密は儚き二人の為に
承・ファーストオカルティズム
転・忘れられた古戦場
結・少女初代秘封倶楽部
至・現し世の秘術師
遠・科学世紀の少女秘封倶楽部
始・ラストオカルティズム
東京の街は、昼夜を問わず光に満ちている。
謂れは簡単だ。自らの弱さを隠すために社会の歯車を演じ続ける者たちが、ただ鼻先の事のみを考えて、貴重な人生を湯水のごとく消費しているから。延々と働き続けるそれらの命が、文字通り燃料となって燃えているのだ。
そんな安っぽい光が嫌いだ。しかし、それ以上に私が嫌いなのは、そいつらの目だ。
目の前にあるパソコンやスマホの画面ばかりを見続け、自らの将来だとか、世の中の不思議なことだとか、そういった夢を見ることを忘れたその目が。
現実しか見ることができない彼らは、それ故に、私を見つけることができない。小さなディスプレイからほんの少しだけでも目線を窓の外に向けるだけで、深秘はすぐそこにあるのだと知覚できるというのに。
ビル街の上空を自由に舞いながら、私はそんなことを考えていた。
……帽子のつばを弾き、星空を見る。
地上からの光によって、視認できる星の数は多いとは言えない。それでも、この夜空を私一人が独占できているというのはいつも以上に優越感を感じるし、住んでいた長野の片田舎にも同じ空が広がっていたことを考えると、それが当たり前なのだけれど、どこか不思議に思ってしまう。
――そして、きっと、彼女の見上げる夜空も同じはずだ。
視線をそのまま上に向けてゆっくりと旋回していると、ポケットからボールが転がり落ちてしまった。
私はそれを眼の前にテレポーテーションさせて、手袋をはめた手でしっかりと握りしめる。これは、私が行おうとしている結界破りの、文字通り鍵となるものだ。我ながら不注意だったなと思いながら、なんとなく、改めてオカルトボールをまじまじと見つめる。
……そんな大切なものの色が紫というのは、なんとまあ皮肉というか、因果というべきか。
紫。菫の色。私の色であり、奴を象徴する色でもある。
「……早苗」
ぼそりと、小さく彼女の名前をつぶやいた。私の唯一無二の親友。今は隣にいない、大切な人。
紫に奪われた、私の愛する人。
掌でオカルトボールを転がしていると、ふつふつと昔の思い出が蘇ってきた。
ミステリアスな出会い、スピリチュアルな冒険、突然の別れ。
時間はたっぷりある。異変が本格的に始まるその時まで、昔話と洒落込もうか。
――これは、私と早苗の、遭逢と秘封倶楽部と離別の、短いお話。
起・秘密は儚き二人のために
昔私は、かなり内気な性格の人間であった。他人に打ち解けようとせず、一定の距離を保ち、他者の中に自分という存在が残らないように徹底して行動する、お世辞にも前向きとは言えない考えの持ち主。
理由は単純明快。生まれ持った超能力のせいだ。人と抜きん出て違う者は、徹底的に叩かれ淘汰される。絵本やマンガのように、この世界はイレギュラーが活躍するようなところでは無い。読書好きの親の影響で、幼い頃から本で囲まれて生活してきた私にとって、それははっきりと分かっていたことだった。悲惨な目に会うぐらいなら、いっそ、他人の前では猫をかぶっていよう。そうすれば、私は傷付かずに済む。
……そうした後ろを向いた思考から導き出された態度は、保護者や教師の間では高く評価されるから楽であった。人から見られる状況では、いつも笑顔であれ。ほころびを見せれば、遅かれ早かれ、今まで築き上げてきた表面上の関係、砂上の楼閣が崩れ去る。
幸い、最も近い他者である親には、超能力の事はバレていないようであった。幼いころの事をそれとなく聞いたことがあったが、曰く「周りでものがよく倒れていた」そうだ。彼らはそれを住んでいる家の立地やらなんやらのせいだろうと考えて、小学校に上がるときに今住んでいる場所に引っ越しをしたという。その頃から、自分が他の人とは違うことを認識して、能力を無意識に行使することがなくなっていたのが幸運であった。
私は菫。誰とも交わらず、自己の中で完結し、独りで生きる。そして――独りで枯れてしまえばいいのだ。
そんな私の人生観が大きく変えたのが、彼女――東風谷早苗だった。
§
夜空は煌々と照る星々により、より一層広く見えていた。
私は、小さいころに誕生日プレゼントとしてもらった天体望遠鏡をベランダに出し、空を見上げていた。山々に囲まれた片田舎の町なので、所謂都会と比べて空気も澄んでいる。しかも今日は新月であり、雨の後で雲もないという絶好の天体観測日和であったからだ。
春と雖も、真夜中を過ぎれば夏の星が東方から顔を出している。私は望遠鏡を、アンタレスの近くにある土星へと向ける。ファインダーを覗いて大まかな位置を決め、接眼レンズで微調整。私の目の前には、巨大な輪を持つ惑星が綺麗に映っていた。その綺麗さに、おもわずため息が出る。
宇宙というのはいいものだ。否応なしに自分の小ささを実感させられ、持っている不安を払拭することが出来る。
と言っても、哀しかな、それは一時的なものだ。後回しにしたり、忘れようとしても、いっときの開放感から一転、悲壮感や絶望感が増すだけで。
それでも、私は星を見ていたかった。いつかあそこまで手が届けばいいのにな、なんて漠然とした思いを抱きながら。
眼鏡を外し、再び空を見上げる。ピントがあっていない状態で見る星空もまた、綺麗なものであった。
§
そんなこんなで今日が昨日にかわって数時間たったが、未だに自分が中学生になったという実感が湧いてこなかった。例えるなら、レベルが上ったのにステータス上昇が感じられないような。あるのは、あと少しでやってくるあの学校――というより他者という煩わしい物に対する嫌悪感だけであった。
「私みたいなイレギュラーは、独りっきりでいたいのに」
無意識に口からこぼれ落ちた言葉は、宙に浮いて溶けていく。はずだった。
「そう?私は嫌かなぁ」
風のようにふわりと、その声は私の耳に届いた。反射的に、発された方向へと目線を向ける。
隣の家のベランダに、誰かが立っていた。はて何者かと注意して見ようとするも、天体観測のために LEDランタンを消して、眼鏡を外していたのを忘れていた。慌ててそれをかけ直し、地面においてあるランタンを拾い、スイッチを入れる。
「こんばんわ。いいお天気ね」
水玉模様のパジャマを着て、カエルとヘビの髪飾りをつけた女の子が見えた。顔立ちからみて、恐らく私と同い年であろう。かなり苦手とする相手であることには間違いない。早急にお帰り願いたいと言いたい気持ちをぐっと堪える。ここは適当にあしらっておこう。
「……こんばんわ。見かけない顔だけど、貴方は誰?」
「あ、自己紹介が遅れました。私は東風谷早苗って言います。昨日ここに引っ越してきました。よろしくおねがいしますね」
はっとした表情を浮かべながら彼女はそう言って、ペとコリ頭を下げた。
「昨日引っ越してきた?あぁ、そういえば、そこ空き家だったわね」
近いうちに一家が隣に引っ越してくるようなことを親が言っていたのを思い出した。私には関係ない話だろうと頭からこぼれ落ちていたのだ。しかし、これは難敵である。もし私の態度が彼女の琴線に触れるようなことがあれば、親同士の交流にも悪影響を及ぼしかねない。慎重な対応が求められる。
「心配していたわよ?引っ込み思案でいつも手を焼いてるって。……あーっえっと」
「菫子。宇佐見菫子」
なるべく、愛想よく、それでいて自分のテリトリー内に踏み込まれないよう、距離感を与えるような口調で答えてやった。無愛想なやつ、と思われたかも知れない。が、私の考えとは裏腹に、彼女は満面の笑みを浮かべて「菫子さん!素敵な名前ね」と言ってくれた。
「じゃ、私はこれで」
深く話しすぎれば私のボロが出かねない。同年代ならなおさらだ。もうこれぐらいでいいだろうと思い、そんな言葉を投げてからそそくさと望遠鏡を片付けようとする。しかし、
「待って、待ってよ。もう少しお話しない?超能力者さん」
「……は?」
いきなり私の心を抉るような一言を投げてきた。思わず素が出てしまうが、なんとか取り繕うために言葉を続ける。
「なにそれ?いきなりどうしたの?」
あくまで、冷静に。きっと彼女のジョークか何かなのだろう。そうに違いない。あぁ、話しかけられた時に黙ってベランダから自分の部屋に逃げ込んでいればよかったと、いまさら後悔していた。
咄嗟の返答も虚しく、彼女はマイペースに言う。
「私もそういう体質だから」
……さも、病弱な人に、自分自身もそうなのだと告白して励ますかのように、さらりと言った。それでも、私の神経を逆撫でるだけで。
「次はホラ吹き?目的は何よ」
少しキツイ口調で言葉が出てしまった。でも、それでいいだろう。なぜだかは分からないが、たとえ無意識だとしても、人のウィークポイントを突いてくるような言動をする奴にしてやる配慮なんてない。
「ホラなんかじゃ、ないわ」
そういうと、彼女は突然私の方に掌を向けた。何をするつもりなのかと思わず半歩後ずさる。数秒の無言の後、彼女は突然腕を降ろした。自然と、自分の中で張り詰めていた緊張の糸が緩んで、無意識にふぅと口から息が漏れる。すると突然、手に持っていたLEDランタンの光が消えた。あれ、最近買ったやつだからLEDはおろか電池すら切れるはずないのに。そう思って、暗い中目線をライトの方へと移した。よく見ると、スイッチがいつの間にかオフになっていた。自分でそんなことしたつもりはないのだが……と考えながら電源を入れて、彼女のいた方を見遣る。
だが、そこに彼女はいなかった。眠くてもう部屋に戻ったのだろうか。どちらにせよ、もう無益な会話はしなくて済みそうだと胸を撫で下ろす。私もそろそろ寝ようと思い、まずは望遠鏡を片付けようと部屋の方に向いて窓を開けようとした直後、背後からあの煩わしい声が聞こえてきた。
「さっき電気が落ちたのは偶然?」
家に戻ったのかと思ったら、どこかに隠れていて、気づかないうちに後ろに回りこんでいたらしい。いい加減おちょくるのはやめてくれと文句を言うため、彼女と向きあおうと振り向く。
「じゃあ、私がこうしているのも、ただの偶然かしら?」
彼女は、私の後ろにはいなかった。……いや、厳密に言えばいるのだ。
私の直線上の、ベランダの"外"に、私を見下ろす高さに、彼女は宙に浮いていた。
「……嘘でしょ?」
その突然の非現実的な状況に自然と口が半開きになり、息をすることさえ忘れてしまう。怒りの感情など、無限遠点へと吹き飛んでしまった。むしろ、満天の星空をバッグに浮遊している彼女、という風景に見惚れている自分がいた。ぼけーっと阿呆みたいに眺めていると、彼女の頬がほんのり赤くなっているように見えた。
「あ、あんまりじっと見つめないでくださいよ」
「えっあ、いやその」
えっへんえっへんと咳払いをして、気まずい空気をごまかす。
「あ、貴方、それど、どうやってるの?」
目の前で起きている出来事があまりにも突拍子過ぎて、言葉がつっかえつっかえになりながらも、この場で一番に問うべきことを問う。私の目には、ピアノ線などの透明な糸は見えない。一見、種も仕掛けもないように私は感じた。
「これですか。これが、神の奇跡です」
私と同じ目線まで降りてきて、えっへんと腰に手を当てて得意気に鼻をならす彼女。でもその説明ではいささか足りない気が……と思っていると、それを察したのか、バツが悪そうにもう少し解説を付け足してくれた。
「私は、生まれた時から一子相伝の秘術を体得していたの。自分自身も何故それを覚えているのかよくわかんないんだけれど、神様曰く先祖返りとか何とからしい」
「一子相伝……?っていうか、ええとちょっとまって、その言い方だと……」
「ええ、私には神様が見える。物心ついた頃からね。信じられない?」
「め、目の前で人が浮いてるのよ?今更不思議の一つや二つ、いくらでも肯定できる、よ」
それを聞くと、彼女はニッコリと笑ってみせた。私もつられて、笑みを浮かべていた。
「貴方のことも、神様から聞いたの」
「わ、私みたいな凡人が神様に知られているだなんて、光栄だわ」
「ううん、貴方は凡人なんかじゃない。超能力者でしょ?」
「貴方みたいに、空は飛べないけど、ね」
そう呟きながら、自分のメガネに念を送る。ほどなくしてそれは、私の頭から離れて辺りを漂いだした。
その様子を見ていた彼女は、今まで一番の笑顔ですごい!すごい!と嬉しそうな声をあげていた。
「次は自分自身を浮かせてみようよ!」
「い、いや、それはまだ試したことないから」
空をするりと滑りながら急に近づいてきたことにどぎまぎしながら答えるが、それではダメ!と一喝されてしまった。
「こういう力には思考が強く影響されているんです。自分ができると思えば、なんだってできるようになる!……神様の受け売りですけどね」
……思い、か。確かに、私はそれに囚われすぎているのかもしれない。自分自身の能力に蓋をして、溶け込めないのは社会のせいだと決めつけて、内に閉じこもって。同学年の人間からは距離を取り、大人たちには、望まれるようなお利口さんのフリをして。思いのせいで、能力どころか自分自身すら封じ込めているし、そして、これからもそうなのだろうと思っていた。
でも、そんな考えも、彼女と出会って、少し変える時がきたのか。似た力を持つ彼女があんなに笑顔で活発なのだ。きっと、私にもできるのでは、と思ってしまう。
超能力の制御に集中してみる。何か感じ取ってくれたのか、息と息がかかりそうなほど近くにいた彼女は、そっと離れてくれた。はぅと息を吐きだして、念力が体の隅々にまで満ちるイメージを思い浮かべる。体が軽くなったような、そんな気がした。
そして、
「空を、飛びたい」
強く、ただそれだけを一心に願った。
……十数秒たった。体にあるのは、微妙な浮遊感だけで。未だ視界は暗く閉ざしたまま、どんな状態になっているのか確認するのが、怖かった。
「大丈夫。自分を信じて」
そう、彼女が耳元で囁きながら、私の手を握ってくれた。彼女のぬくもりが念力を伝って体全身に巡ってくるような感じがして、少しくすぐったい。
彼女の声で、幾らか気が楽になった。私一人では出来なかったことも、彼女とならきっと、なんでも出来る気がしてくる。今この瞬間も、きっと、これからも。二人一緒なら。早苗と、一緒なら。
――瞳を開く
「……わぁ」
目の前には、星の海がより広く、より美しく見えた。下の方に目線をやると、小さくなった自分の街が見えた。
「ほらね?願いは現実に変わるのよ!」
「すごい……本当に出来ちゃった……」
煌々と光る星々が、まるで、私達二人の出会いを祝福しているかのようだった。
私は、今の気持ちを率直に言うために、早苗から少し離れて向かい合う。早苗の瞳が光を反射して、キラキラと輝いて見えた。
「さっきはごめんなさい。突き放すようなこと言っちゃって」
「ううん、私も悪かったわ。突然話しかけたりして。びっくりさせちゃったよね」
「お互い様ね」
「お互い様」
右手を彼女の前に出す。意図がわかったのか、手を伸ばして握手に応じてくれた。
「改めまして、私は宇佐見菫子。菫子でいいわ。私と、友達になりましょう?」
「私の名前は東風谷早苗。早苗でいいわよ。出会った時から友達でしょう?」
お互いの手を強く握りしめ合っていると、ふと、やさしくてやわらかい風が私達の間を吹き抜けていった。
承・ファーストオカルティズム
早苗と出会ってから、私はかなり変わったと、自分のことながら思う。小学生の頃とは違って、明るく前向きであろうと努めて頑張っているからか、自然と他者との交流も増えていった。あくまで、クラスメイト程度の関係にとどまっているが。
親から見ても、中学に入ってから変わったねと言われた。褒められているのか少しわからなかったが、少しこそばゆかった。
早苗は、持ち前の真面目さと明るさから、すぐにクラスの人気者になっていた。そんな彼女は、いろんな人が周りにいるけれど、そんな中でもわたしを気にして一緒に行動してくれているのがとても嬉しかった。何より、他の人達は知らない、お互いの秘密を共有しているという、一種の優越感がとても心地良かった。
そんな彼女との関係が一歩前進するのは、中学校生活も慣れてきた六月の頭だった。
§
「あ、これ絶対作りものだわ」
「わかる~。雰囲気からして紛い物臭がぷんぷんね」
私と早苗は、私の家のリビングで、録画しておいたホラー番組を見ていた。内容は、全国の視聴者から集めた心霊写真やネットで見つけた曰く付きの画像を芸能人に見せつけたり、二流専門家がその解説をしたり、オカルトスポットを芸人が散策したりと、よくある感じの番組だ。
それでも、早苗とソファーに座って一緒に見るだけで、つまらないバラエテティ番組でもとても楽しいひと時となる。一緒に番組の演出に驚いたり、この心霊写真は本物かどうか真剣に考えたり、嘘八百な作り話に大笑いしたり。
そんな番組も、司会の「来週もまたこの時間に」というセリフの後にCMに入っていた。パッとしない男が、掃除機の素晴らしいところを褒めちぎっている。
「しかしまー、今日のはぶっ飛んだものが多かったわね」
目の前にあるテーブル上のコップを手にとって、麦茶を一口飲み、一息つく。壁に掛かっている時計は、既に二十三時を少し過ぎた時刻を指していた。明日も休みだということで、こんな時間まで起きていられる。
「一番面白かったのはトイレの花子さんとのツーショット写真かな。息できないぐらい笑っちゃったわ」
そういいながら、早苗はくふふと含み笑いをする。ついつい、私もつられて笑ってしまった。
今回は学校の怪談スペシャルと題して、そういった関連の話題が中心であった。大半が眉唾ものだったが。
「ああいう分かりやすい嘘をつくのも考えものよね。視聴者にそういうのがバレても大丈夫なのかしら?」
リモコンを念力で弄び、チャンネルをぐるぐる変えながらそう返事をする。
「でも、学校の怪談ってなんか憧れるわ。小学校の頃はそういうの、特になかったから」
「早苗も?私が通ってたところじゃ、そういうのは聞かなかったなぁ」
まあ、先輩後輩はおろか、同級生同士の交流すらなかった私だから、実は存在するけど耳にしなかった可能性はなくもないけど。そうは思ったが口には出さないでおく。
「じゃあさ、中学校にならあるんじゃない?」
「あー」
早苗の言ったことは一理ある。私達が通っている中学校は、統廃合を繰り返してこの地域に残った唯一の中学校だ。歴史もそこそこあり、校舎は開校当時からあまり変わっていないと聞いている。そういった怪談話が存在しても別におかしくはない。
「案外あったりして」
「調べてみましょう?」
「おっけーおっけー」
リビングの定位置においてあったパソコンをテレキネシスで目の前まで移動ささせて、サイコキネシスで立ち上げる。数十秒後にはパパっとブラウザが起動した。カタカタと検索欄にキーワードをタイピングして、エンターキーを押す。一瞬でネットの海から情報がかき集められ、結果がズラリと画面に表示される。
「やっぱりネット様様よねぇ。お、あったあった。へぇ。七不思議だって」
「面白そう!どんな内容なの?」
全国津々浦々にある学校の怪談を収集しているという九十年代風味のするホームページ曰く、こんなことが書いてあった。
・一、赤いピアノが音楽室で独りでに鳴りだす
・四、緑色の人体模型が理科室を歩きまわっている
・六、青い目の人形が教室で佇んでいる
・七、七番目に遭えばどんな願いも叶う
・※遭遇するためには、土曜日と日曜日の境に学校と外の境界を超えること
「……なんだか変わった内容ね。数字から考えるに、所々に抜けがあるし。本当に信用に足るところなの?菫子」
「一応、自称国内最大手よ?」
「自称じゃない」
確かに、よく聞く学校の怪談と比較すると、どこか風変わりなものがあるように私も感じる。特に、七不思議に触れるための条件が突いているところは、他には例がないように思う。
「緑色の人体模型ってなんだと思う?早苗」
「確かにあそこの理科室に人体模型はあったはずだけど、別に緑色でも何でもなかったわ」
「そうよね。ピアノだって赤くはないし。もしかしたら他にも謎があるのかしら」
なにか他にも特徴的なものはないか、再度注意深く文章を読む。
「ねぇ早苗。この数字とそれぞれに書かれてる単語から、なにか思い浮かべられない?」
「数字と単語、ねぇ」
むむむと顎に手を当てて暫く考えていると、あっと彼女は声を上げた。
「これ、虹が関係してるんじゃないかしら?」
「虹……あぁなるほど」
虹の色の順番は 赤、橙、黄色、緑、水色、青、紫だ。これは、七不思議として振られている番号とも合致する。
「でも、最後のやつだけは色が書かれてないのよね。だからハズレかも」
「いや、早苗の推測通りだと思うわ。七番目に色が書かれてないのは意図的だと考えればいい」
「意図的……つまり、わざと?」
「そう。もしかしたら、この七番目の紫色が、この七不思議の中で一番重要なことなんじゃないかしら」
キーボードを叩き、似たような別のサイトを開いて検索をかけてみる。幸いそこにも載っていたが、一番目が欠けていて総計三つになっていた。しかし、振られている数字に変化はない。他にも複数のサイトを巡ったが、どれも欠けた七不思議に言及はなく、むしろ数が一つやら二つやらになっているところも多々あった。
しかし、それらのホームページにはひとつの共通点が見られた。
「七番目だけがどこでもしっかり書かれてる……」
「もう明らかね。問題は、この紫色が"なんなのか"って所」
他の挙げられているオカルトには場所と色が付随しているが、この七番目には場所とその正体が書かれていない。言うなれば、正体不明。
「何でも願い事を叶える都市伝説でメジャーなものといえば、猿の手があるわ。でも、他とは違って明確にしていないのは、猿の手じゃないから……?うーん、どっちみち、この文章から読み解けることはここまでかしら」
最後に残った謎を放置するのは気持ち悪いことだが、これ以上は根拠の無い、ただの妄想の域になってしまうだろう。少し下にずれた眼鏡の位置を直しながら、はぁと息を吐いた。
「……ならさ、直接私達の目で確かめてみない?」
もう寝ようかしらとぼんやりと考えていた時、突然彼女は、私の手を取りそう言ってきた。一瞬ドキリとしたが、悟られないようにどうにか取り繕う。
「そ、それってつまり、今から学校に乗り込むってこと?」
「そういうことになるわね」
「えらく急ね」
「だって、この"土曜日と日曜日の境"ってつまり、あと数十分後の日付が変わる時間のことじゃない?こんな偶然、滅多にないと思うの」
それにほら、思い立ったが吉日って言うじゃない?と早苗は続けて言った。
「菫子と一緒なら、絶対なにか見つけられるし、それに、きっと楽しいわ。ウソまみれのホラー番組だって、昏い深夜の学校だって。なにより、大親友と秘密の肝試しって、ちょっと憧れない?青春みたいでさ」
そう言うと、早苗は、裏表のない透き通った、それでいて自信に満ち満ちた笑顔を見せた。……それは流石に卑怯だわ。
「確かに、このまま有耶無耶になって終わるのも気持ち悪いわね……うん。よし、行こう」
深夜の学校に不法侵入。こんな一夜の過ごし方もきっとありだろう。彼女の言う青春ってやつを体験してみようじゃないか。
ちらりと時計を見ると、長針は既に六を過ぎていた。
「ジャージに着替えて、四十分に菫子の家の玄関前に集合。遅れないでよ?」
「了解。真を確かめに行きましょう」
「虚々実々をハッキリさせましょう」
§
「はい、二分五十秒遅刻」
じっとりと冷たい視線で私を貫きながら、早苗は言い放った。深夜のお出かけより、そちらのほうが何倍も怖い。
「いや、ジャージをどこやったか忘れちゃってさー、あはは~」
笑って誤魔化そうとするが、カエルを睨みつける蛇のような鋭い目線は変わってくれない。
「菫子ってさ、遅刻癖あるわよね?出会って数ヶ月で何回待たされたことやら……」
「これは宇佐見家に代々伝わる遺伝というか呪いというか」
「流石にソレは遺伝しないと思うけど」
そういうと早苗は、はあぁと大きくため息をついた。目の前でそんなことされると反省せざるを得ないじゃないか。いやいや、普段も反省はしているけども。
「と、ところでそのポーチは何?」
少しでも遅刻から意識をそらそうと話を振ってみる。彼女はそれを聞くと、ニシシとどこか悪巧みをしている子供のような表情を浮かべながら、そこから懐中電灯を出して渡してきた。
「はい。多分持ってないだろうと思って。それ以外は秘密~」
「ひ、秘密?」
「何かあったら見せるかもーって感じ。それよりほら、行きましょう!」
「え、あ!ちょっと待ってよ!」
妙にテンションが上がっている彼女の背中をライトで照らしながら、小走りで追う私であった。
§
黒々とした夜の闇にとっぷりと浸かった学校は、私達の知らない得体のしれない雰囲気を醸し出していた。
この地域にたくさんの子供がいたのも今は昔の話。片田舎に乱立した小中学校は統廃合を繰り返し、今や両方とも一校ずつしか残っていない。そんなこんなで生き残っているのが現在通っている中学校だ。広い土地、広い校舎、周りが木で囲まれていて静かで、通いやすい立地なんかが主な要因らしいが、言い換えれば、遮蔽物が何もない校庭、先を見通せない程の長い廊下、裏に広がる森林地帯などと、この場にとっては不気味さを加速させる原因にしかなっていない。
でも、そんなおどろおどろしさも、ひゅるるひゅるると校舎が泣いているように聞こえる風の音も、私達にとっては、ピリリと辛いスパイスでしかない。
空には薄く雲がかかっており、月の光がぼうと輝くほかに、辺りに光源は見当たらない。そんな暗い中、二人で力を合わせて校門を横に思いっきりスライドさせる。ガラガラと音を立てながら、扉は開かれた。
「よっと。しかしまぁ、セキュリティあますぎるんじゃないの?これ」
「偶然よ偶然」
「早苗が言うと妙な説得力を感じるわ……」
ポケットから懐中電灯と携帯を取り出して時計を確認する。後二分と三十秒で日付が変わる。
「私がいちにのさんって言ったら校門を跨ぐわよ?早苗」
「おっけー」
暫しの沈黙の時間……というのも少し味気ないので、ちょっと気になっていることを、なんとなく話題として振ってみることにした。
「そう言えばさ、この夜更かし行為に貴方の神様は止めたりしないの?」
隣の早苗はそれを聞くと、何もない空中をちらりと見てから言った。
「お二方ならもう九時ぐらいから寝てらっしゃるわ」
「神様って寝るものなの?」
「う~ん……他の神様は知らないけど、私の神様は寝るわ」
「そもそもさ、なんで早苗には神様が常に近くにいるの?普通神社にいるものじゃない?」
「それがね、私にもよくわからないの。初めて会った時にも言ったけど、生まれた時から……って菫子、そろそろ時間じゃない?」
早苗に言われて、再び携帯の画面で時刻を確認する。あと二十秒だ。
「よし、私が合図するまで超えちゃダメだからね?」
…あと十…九…八…七………
「……いちにの、さん!」
私達は同時に一歩踏み出し、学校と外の境界を超える。
カチリ、と小さな歯車が噛み合うような、変な音がしたが、多分風の音か何かだろう。
「なんか変わった様子はある?早苗」
「ううん。私から見た限りじゃさっきと変わらないわよ?」
「まぁ、これで七不思議の注意書きのとおりなら、他のオカルトに遭遇する条件が整ったわけだから、まずは校舎の中に入ってみましょう」
携帯をしまい、代わりに懐中電灯の明かりをつけて足元を照らし、ゆっくりと歩き始める。
ざくっざくっざくっ。
静まり返った校庭に足音が響く。そんな音も私達の他愛も無い会話も、真っ黒な世界に溶けて消えていく。
「私が思うに、七番目に会うには、ソレ以外の奴等とも遭遇する必要がある気がするの」
「その根拠は?」
「第六感」
「当てにしてるわよ、菫子。……でも、それだとまるでダンジョン攻略ね」
「パーティは二人だけ、だけど」
「警備員さんがいたら仲間にする?」
「その前に追い出されるかも」
そんなことを話していると、生徒玄関前についた。一度にたくさんの生徒が出入りできるように両開きのドアが三つあるが、どれも閉じたままだ。私はそれのうち真ん中のドアに手をかけ、手前に引っ張る。が、ガチャンと音がなり、中への侵入を拒まれる。ぐぬぬ。いや当たり前といえば当たり前なんだけども。
「私の方は開いたわ。"偶然"ね」
早苗に選ばれた扉は、小さく金属音を鳴らしながらいとも簡単に開く。勝ち誇ったような、まさにドヤ顔を私に見せつけてきた。
「コッチ通る?それとも鍵を開けようか?私の奇跡で」
「いや結構」
少しムキになったわたしは、念力で内側から乱暴に鍵を外し、ダンジョンの中へと足を踏み入れた。
外と同様に、黒いペンキをぶち撒けたかのような真っ黒い闇。明かりといえば、時々非常口の緑がかった光が点滅している程度。
ライトであたりを照らしながら、慎重に下駄箱を通り抜けて、廊下に出る。
「まずはどの七不思議に遭遇してみる?菫子」
「最初は危険性が低そうなやつからにしましょ。ま、音楽室のピアノが妥当かしら」
そう言って、音楽室がある方を見る。長い廊下が暗闇と合わさって、無限に続いているかのように錯覚させられる。
私達の学校はカステラのように細長い形をした三階建てで、昇降口が校舎の真ん中付近に南側を向いて存在している。そこから左右均等に廊下が伸びていて、その北側に教室がずらっと並んでいる。一階の西に職員室があって、中央付近から東に家庭科室と音楽室が並んである。二階には一年生の教室と理科室、美術室。三階に先輩たちの教室とパソコン室。別棟に体育館やら図書館やらがある。極普通の、ありきたりな校舎だと思う。
そんな学校の一階を、東に向けてゆっくりと歩く。タタンタタンと暗黒空間に私達の足音が響いている。普段はうるさすぎるところも、ひっそりと静まり返っているだけで、印象がガラリと変わる。壁に掛かっている見慣れた習字に、少しビビってしまったのは内緒だ。
「まるで、夢の世界に迷い込んだかのようねぇ」
「何言ってんのよ早苗。ここは紛れも無く現実よ?」
彼女の頬をつんつんと突く。触れた指からは柔らかい感触が、確かに伝わってきている。
「触れられてる感覚あるでしょ?夢じゃない証拠よ」
「わかってるわよぅ。あくまで比喩よ比喩。こう、普段見慣れてる場所でも、時間帯とかが違うだけでまったく違った印象を持つっていうか……何か"出て"きてもおかしく無さそうだなぁって」
「確かに。"出て"きそうね」
そんな会話をしながらゆっくり進んでいると、家庭科室の真ん中辺りに差し掛かったところで、不自然な音が聞こえてきて、私達はその場で身を屈めた。ポロ、ポロロ、ポロン。聞いたことがない、不思議なメロディーだなぁと私は思った。
「これってピアノ、かしら?」
「うーん。そうとは限らないんじゃないかしら、菫子。例えば、こんな夜遅くに学校に来て演奏してる物好きとか、もしかしたらラジカセが流れっぱなしになってるだけっていう可能性も」
「いずれにしても、実際にこの眼で視るまではハッキリしないわね……あれ」
ピアノに接近するために再び歩きだそうとした私の耳に、二つめの異音が飛び込んできた。
ペタッ……ペタッ……。
中途半端に硬くて柔らかいものを平面に叩きつけているような、湿り気のある音。思わず、早苗と目線を交わす。
「変な音がするわね」
「ええ。一体何かしら?」
私は早苗と共に、視線を進行方向とは逆の方向へと向ける。暗い廊下の奥、階段付近で何かが動くような影が見えた。何者なのか確認するために、懐中電灯でそこを照らしてみる。
人間の左半身が見えて、まさか警備員か?と身構えたが、どうやら違う。というか、普通の人より肌の露出が高い気がする。いや、高いというか、裸そのものだ。
「まさか露出きょ……」
ぼそりと早苗がそう呟くやいなや、奴は突然くるりと身体を回転させて、こちらに全身が見えるように向いた。
よく見るとそいつは、首に骨が通っていないかようにダラリと頭が垂れていて、体の右半分は緑の苔のようなものがびっしりとついており、一部からは筋肉やお腹の中身が丸見えだった。
あんなオカルト、一つしか無い。
「菫子、アレってまさか」
「そのまさか!」
そうつぶやいた矢先、そいつの頭が突然ぐるりと起き上がり、目線を私達に向けて、ねっとりとした笑みを浮かべやがった。まるで、飢えた肉食動物が久しぶりの獲物を見つけたようなそれに、背筋に冷たいものが走る。
あれはまずいヤツだ。直感でそれを感じるが、どう対応していいのか一瞬迷っていると、奴は突然、その姿からは予想できないほどの猛スピードでこちらに迫ってきた。腹から形容しがたい色の体液を辺りにぶちまけながら近づいてくるその様は、まさに怪談映画そのもの。その作られた眼からは、殺気のようなものが発せられている。こちらを敵視しているのは火を見るより明らかだ。
どうする?あの速さだ、後ろに走ってもいずれ壁際に追い込まれるだろうし、窓を開ける時間もない。どんどんと距離が迫ってくる。考えろ考えろ!テレキネシスで対抗しようと考えたが、果たして効果があるのか……自信がない。
「ギリギリまで引きつけて回避?」
「早苗、それは廊下が狭くて無理……いや、いける!上だ!」
人体模型と天井との距離を目測する。なんとかいけそうなスキマだ。
「時間ない!翔ぶわよ、早苗!」
「オッケー!」
私達は同時に、足で思いっきり地面を蹴った。飛び上がった体が重力に縛られる前に、超能力で更に高く押し上げる。刹那、私達のすぐ真下を人体模型が猛スピードで走り抜けてく。浮いたまま去っていった方向を見ると、奴は勢い余って転がっていた。不気味な液体が、まるで絵の具が入ったバケツをぶちまけたかのように廊下に広がっている。
「うぇ、くっさい……」
その液体から、肉が腐ったかのような腐乱臭が漂ってきた。とても気持ちが悪い。
奴の動きを注視しながら、超能力を解いて地面に降り立つ。幸い、私達のところに体液は飛んでこなかった。
「一応、切り抜けたけど……まだあいつはやる気のようね」
人体模型は、しばらくは投げ捨てられた人形のように黙って転がっていたが、すぐに鈍く動きながら起き上がっていた。大量の体液やら内臓やらが抜け落ちたせいなのだろうか、体のバランスが取れていないようだが、反撃に転ずるのは時間の問題だろう。
「どうする早苗。窓から逃げる?」
「このまま驚かされておめおめと逃げる?そんなの、この私が許さないわ!」
「同感。でも、何か策はあるの?」
「もちろん。さっきは突然だったから驚いて何もできなかったけど、きっと一発で終わらせてみせる。菫子は懐中電灯でヤツを照らしてて!」
「りょ、了解!」
何をするのかわからなかったが、彼女の指示に従い、光をその方向へと向けた。照らされた人体模型は、その憎悪に満ち満ちた汚らしい顔をこちらに向けてふらふらとしている。
早苗は持っていたポーチに片手を突っ込みながら 、ヤツの直線上に仁王立ちして睨み返す。
「これが役に立つ時が来ました!くらえ、 『祈願「商売繁盛守り」』!」
そう高らかに宣言しながら、ポーチから手を引き抜くと、握りしめていた何かを空中にばら撒いた。その何かは桃色に淡く光ると、まるでマシンガンのように次々と勢いよく人体模型に襲いかかった。
小さい物がヒュンヒュンと風を切る音と、硬い何かにぶつかる音が十数秒したかと思うと、パタリと突然音がやみ、桃色の何かもすべてがヤツの方に叩き込まれていた。食らった相手は、何かが燻ぶるような音がするだけで、ぴくりとも動かない。
「へへん、どうよ?」
両手をパンパンと払いながら早苗はこちらに振り向いてニカッと笑ってみせた。
「す、すごい!今の、一体どうやってやったの!?」
「あれも一子相伝の秘術のひとつ、らしいの。使ったのは初めてだけど」
「その秘術ってやつ、本当に便利よね?。空も飛べるし、ある程度確率もいじれるし」
なんというか、恐らく普通の奴らから見ればその場で腰がぬけるほど驚くのだろうけども、私達の間ではもう慣れてしまっていた。現に、この間パイロキネシスとかサイコキネシスとかが出来るようになったので披露した時も、似たような雰囲気だったし。
「よし、次はピアノのオカルトね。早く見に行きましょうよ、菫子」
「それもそうね。何かあったら、相棒の新たな力を頼りにするわ」
「えっへん」
§
音楽室からは、先ほどと変わらずに短いフレーズらしきものを断続的に繰り返すピアノの音色が聞こえてくる。
扉に付いている小さな窓から一緒に中を覗いてみるが、そこには人っ子一人見当たらない。グランドピアノの鍵盤はカバーが開いていて、実際白黒のそれらは上下しているが、問題の奏者が見えなかった。
「ラジカセは動いてないっぽいわね。幽霊が弾いてるのかな?それともピアノ自身が何かしら作用して音が出てるのかな。もしかしたら菫子の携帯のカメラでなにか映るんじゃない?」
「そんな回りくどいことしないで、直接確かめればいいのよ」
右手でガラスに触れ、入口から一番近い椅子をテレキネシスでガタガタと揺らす。
「ちょっと、そんな派手にやっていいの?」
「へーきへーき。四つのオカルトの中じゃ一番無害そうだし」
早苗の危惧とは裏腹に、ピアノの様子に変化はない。音を断続的に鳴らしている。
「もうちょっと近くで聞いてみましょ?」
「何かあったら菫子のせいだからね」
はいはいと空返事をしながら、からりと音を立てて扉を開けて、中に入る。
普段は生徒たちの歌声が響いて明るい雰囲気を持っている音楽室だが、暗闇の部屋からは、そんな面影すら見いだせない。
そんなギャップが、壁に掛かっている絵画がひとりでに動いているように見せたり、演奏者のいないピアノの音を聞かせるのかもしれない。少なくとも、後者は幻聴ではなくて今まさに聞こえているのだが。
ピアノに近づくにつれ、その音に水が跳ねるような音が混じっていることに気がついた。最初はどこかの蛇口の締め忘れか何かと思っていたが、ピアノを目前とした時にその正体がわかった。
「なるほどねぇ。こうなってたのか」
七不思議が伝えるとおり、目の前のピアノは所々真っ赤に染まっていた。主に鍵盤が、だが。そのちょうど真上をライトで照らすと、そこから赤い液体が滴り落ちていた。
「通りで音が断片的で、音楽としての体を成してないわけだわ」
「天井でも開けてみる?菫子」
「う、うーん……何があるかわからないし、あんまりやりたくないけどなぁ」
さっきの人体模型のこともある。どんな棘々しい物が詰まっているのか、想像に難くない。
手でこじ開けようかどうか、天井を見上げながらあれこれ思考を巡らせていると、
カタン。と、何かが外れるような音がして。
「早苗、今何かし――」
次の瞬間、ブウォンと大きな音がなった途端、椅子が次々に倒れていくような音が耳に飛び込んできた。
反射的に懐中電灯を放してしまい、頭に手を当てて身をかがめてしまう。姿勢は変えず、とっさに教室の後方を見る。
教室の後ろ側にある椅子が、まるで箱を傾けて中身を一箇所に集めたかのように、教室の角に固まっていた。そして近くには、そこにあるはずのない、ドアが横たわっていた。まさかと思い、入り口の方に目線を移すと、ドアが一枚外れていた。
「え、ちょっと何が起こって」
なんとか状況を整理しようと必死に頭を回転させるが、その回転を狂わせようとするかのように、またおかしなことが起こった。
ドアが外れた入り口付近の椅子が、三つほど空中に浮いたのだ。その様子はまさしく私が扱うテレキネシスの部類に違いないと、直感的に感じた。
「こんな非常事態になにしてるのよ!」
「私じゃない!」
その椅子は、ふわりと一瞬宙に留まったかと思うと、まっすぐに私達の方向へとすっ飛んできた。
私は咄嗟に、早苗を抱えてピアノの下に滑りこむ。刹那、私達がいた所に椅子がガシャンガシャンと派手な音をたてて地面と激突した。
「あぁんもう!何なのよ!」
地面に這いつくばるような格好のまま、地面に握りこぶしで叩く。そんなことをしても無意味だということはわかるが、何がなんだかわからないこの状況下において、何か物に当たらないと正常な思考をしていられそうにない。
落としたままのライトをテレキネシスで引き寄せて、後ろの入口側を光で照らす。
「早苗には、何に見える?」
「人形ね。しかも、空中に浮いてる」
彼女の言うとおり、開け放たれた入り口に人形が浮いていた。真っ白い白衣のような服を着て、金色の髪の毛を生やし、その作られた目は、ライトの光に反射して青く輝いている。
「アレが六番目の……!」
青い目の人形は、その小さな指でこちらを指さしてきた途端、壁にかかっていた肖像画が外れて、まるでニンジャの手裏剣のように回転しながらこちらに迫ってきた。
私はテレキネシスで近くの椅子を掴むと、バットでボールを打つように椅子をフルスイングして、肖像画を木っ端微塵に叩き壊す。しかし今度は、譜面台が二つほどこちらに突っ込んできた。もう一度、掴んでいる椅子をフルスイングしてはねのける。弾け飛んだそれの破片が窓に当って派手に割れるが、気にしていられるか。しかし、敵の波状攻撃はとても厄介だ。少しでも気を抜いたら、確実にこちらの身が危なくなるのは疑いようがない。
「早苗!追撃を頼むわ!」
彼女の御札なら、今は防戦一方だが、形勢を逆転できるかもしれない。そう思っての発言だった。しかし、返ってきた言葉はその希望とは裏腹なものだった。
「ゴメン!ここに滑りこんだ時に御札が入ってるポーチを落としちゃったの!……んっ……はぁ……!ダメ!腕を伸ばしても届かない!」
「念力でとってあげたいけど……この!あいつの攻撃が止まらない!」
私の超能力は、奴の比べてもかなり弱い。こうして奴の波状攻撃を防ぐことしか出来ず、平行して早苗のポーチをテレキネシスで拾えないのがその証拠だ。椅子でまた振り払うが、叩き落とし損ねた奴の椅子がピアノの上部に当たって派手な音を鳴らす。
「せめて、奴を周りに物がないような場所に誘導できたら……」
舌打ちをしながら、愚痴のような言葉をぽろりと漏らす。それを、早苗は聞き逃さなかった。
「そう!その手があったわ!廊下に出れば、何もないし、移動するときにポーチを拾えれば一気に有利になる!」
「確かにそうだけれど、一番近いところにあるドアに鍵が解錠されているとは限らないわよ?」
音楽室は、他の部屋と同じように前後に入口がある。後ろ側には人形がいるから論外として……前、つまり私達の近くにある法のドアの鍵が開いているとは保証できない。もし締まっていたら、奴の強撃の格好の的になってしまうかもしれない。
「何言ってるのよ、菫子。私の奇跡を、忘れてもらっちゃ困るわ!」
そんな私の危惧を、彼女のその自信に満ちた声が払拭してくれる。試してみる価値はありそうだ。
「わかった!精一杯援護するよ!」
「貴女になら、安心して任せられるわ。それじゃあ、行きます!」
そう言い終わるや否や、彼女はするりとピアノの下から這い出ると、そのままドアの元へと走りだした。人形は早苗に向かって椅子の攻撃を仕掛けるが、私がそれを阻止する。彼女はすぐにポーチを拾うと、そのままドアを開けて廊下へと出た。それを確認すると、私も廊下の方へと一気に駆け出す。同時に、椅子がまたこちらの方へと飛んできた。当たりそうになるも、間一髪のところで、私がドアを駆け抜けるほうが速かった。
§
異臭漂う廊下は、先ほどと変わらず真っ黒に染まっている。人形は、私達につられて音楽室からこちらに顔を出した。チャンスだと思い、一気に距離を詰めるが、ソレより早く人体模型が私達めがけてふっ飛ばされてきた。私はさっきと同じようにおもいっきりジャンプしてそれを避け、真下を通り過ぎる奴の頭めがけてサイコキネシスを叩き込み、地面へと叩きつける。後ろにいた早苗が、間髪入れずにポーチから御札を取り出して「蛇符『雲を泳ぐ大蛇』!」と宣言し、白い大蛇が奴を壁に叩きつける。四足が本来曲がらない方向にネジ曲がり、頭部がぺちゃんこに潰れていた。私はそれを視界の端で確認すると、一人となった敵を睨む。奴の周りには譜面台が浮いていた。なるほど、人体模型はアレを廊下まで運ぶための時間稼ぎだったのだろう。そこまで想像した直後、譜面台が一斉に私めがけて突いてきた。冷静に後ろへ飛びのいて、それを回避する。相手がこちらへ深追いしようと、ランスのように譜面台を構えた。しかし、それによって防御が疎かになったのを、私と早苗は見逃さない。もう一度地面をけって彼女の後ろへ回り込み、彼女の邪魔にならないようにする。
「奇跡『ミラクルフルーツ』!」
札が白く輝き、そこから少し大きい楕円形の弾が複数発射される。人形は譜面台を振り回し、それをはたき落とそうとした。
「それくらい、お見通しよ!」
譜面台とぶつかる直前、楕円弾が弾けて小さな弾が列となり全方位にばらまかれる。人形はサイコキネシスのようなもので弾いたりするが、いくつかがその小さな体に着弾した。
「まだまだ!」
第二波、第三波と、次々に弾幕を叩き込む早苗。譜面台以外の防御手段が無い人形は結果的に防戦一方となる。
彼女が弾幕を張っている間、私は右手に思いっきり念力を溜めていた。奴は見るからにジワジワと追い詰められている。その中で、スキを見せた時がチャンスだ。紅い弾が拡散する様子を的確に予測しながら、奴がそれを譜面台でどう避けるのかに注視して……
「いまだ!」
手に込めていた念力を燃え盛る炎に変換して、それを人形に向けて放つ。熱と光の塊は弾と弾の間を滑り抜け、譜面台を掠めて奴の腹部に直撃した。 弾を避けることに専念していたあいつは、突然の状況変化についていけず、早苗の弾幕をまたもろに食らった。注意力を完全に失ったその瞬間を見逃さず、テレキネシスで譜面台の制御を奪う。
「いっけぇぇ!!」
出せる最大の運動エネルギーを乗せて、人形につきつける。布の塊であるオカルトは、譜面台がぶつかると二つに裂け、炎によって跡形もなく燃え尽きた。
「やったか!?」
「早苗それフラグ」
「えへへ、ごめん」
展開していた弾幕は既に消え、校舎は再び静寂に包まれた。
「つ、つかれたぁ……」
さっきの一撃に全力を入れすぎた。念力と体力は比例しているらしく、回復には少し時間がかかりそうだ。緊張がつけたので、ついフラフラと地面に座り込んでしまう。
「私も……ふへぇ」
そういうと、早苗もその場にへたり込んだ。彼女の秘術も体力に関係しているのだろうか。
「さて、三つのオカルトと遭遇したわけだけど、最後の紫色にはどこで出会えるのかな?」
今までのオカルトはどれも場所の指定があった。――まあ、実際に指定された場所で出会ったのは赤いピアノのオカルトだけだったが――しかし、紫色に関する記述なんて、ただ願い事が叶うということしか書かれていなかった。
「多分、校舎内をウロウロしていれば、ばったり会えるんじゃない?緑色の人体模型やら青い目の人形やらとかみたいに」
「そうね。そのうちエンカウントするかもね」
早苗が言った方法がもっとも可能性が高いだろう。運が良ければ、欠けた他のオカルトにも鉢合わせするかもしれない。
そんなことを考えていると、不意にバタンと家庭科室のドアが乱暴に開かれた。
「まさか紫色!?」
いきなりの出来事だが、やけに簡単に遭遇することが出来たなと頭によぎるが、結果オーライだろう。
しかし、その見通しはあまりにも甘かった。
そこから出てきたのは、先ほど倒したはずのオカルト、人体模型であった。
「はぁ!?だってあいつはさっき早苗に倒されたはずじゃ」
ちらりと水道の方を見るが、そこには早苗によって叩きつけられた人体模型が確かに存在している。学校にそれが二体もあるなんて、見たことも聞いたこともない。
奴は先ほどのアレと同じように、右半身が緑色に包まれていて、体液が垂れ流しになっている。そして奴は、ゾンビのようにこちらに腕を伸ばして襲いかかろうとした。既のところで立ち上がって後ろに飛び退き、それを回避する。
「菫子!貴方は回復できた?」
「ダメ、まだ奴らと渡り合えるほどは……」
「逃げるしかないようね?とりあえず、昇降口の方に行きましょう!」
人体模型は、先ほどとは違い走ってこちらを追う様子は見せない。重い足取りで一歩ずつ近づいてくる感じだ。
好機と判断して、よろけながらも奴のそばを全速力で通り抜けて廊下を一直線に駆ける。こんなに体力をフルで使っているとのは生まれてはじめてかもしれない。それぐらい全力で体を動かす。
……しかしこれは、本格的に起こる悪夢のような現実の、ほんの始まりにすぎなかった。
§
息も絶え絶えになりながら、なんとか昇降口のところまで辿り着く。
「ひぃ……はぁ……」
肩を上下に大きく揺らしながら、呼吸を整える。今すぐにでもさっきみたいに床に座り込んで休憩したいけれど、ヤツの気が変わって急に襲ってくるかもしれない。だから、腰を下ろすことはあまり得策ではない。
「ていうか菫子、なんかここ、さっきと感じがおかしくない?」
「確かに。何か前より一層暗くなった気がする」
そう呟いて、私はあたりを見渡す。違和感の正体はすぐに分かった。何かが下駄箱やドアや壁に張り付いているのだ。懐中電灯で照らしながら、一番近いところにあるやつを観察してみる。
それは、赤黒く、湿った表面を持ち、心なしか脈打っているようにみえる。見れば見るほど、観察し、理解すればするほど、段々と手の震えが大きくなっていくのがわかった。
「人体模型に入ってたアレ、よね?」
しかし、ソレに内蔵されていたものは、明らかにプラスチック製であったはずだ。だが、目の前にあるこれは果たして。いや、そんなはずはない。だって、本物のソレに関するオカルトなんて、そんなことが書いてあるサイトなんてどこにもなかったのだから。
そんな私の儚い願いをあざ笑うかのように、臓器共は突然伸びている管という管から、形容しがたい液体を吐き出し始めた。垂れた先では、しゅうしゅうと煙を出しながら溶けているようにも見える。
「う、うわぁ……」
言葉に出来ない嫌悪感と、背中に走る悪寒がごちゃ混ぜになり、胃の中身がひっくり返ってしまいそうになる。しかし、そんなことお構いなしに、オカルトは隠していたその牙を徐々に私達に向けはじめた。
「菫子!あっちからなんか近づいてくる!」
早苗が、職員室がある方を指さす。そこには、学校には必ず一体はあるだろう金次郎像がいた。しかし、一体だけではない。なんと三体も並んでこちらに迫ってきていたのだ。
「この学校には金次郎像は確かにあるけど、一体だけじゃない!なんで増えてるのよ!!」
彼女の叫びが学校に響くが、オカルト共はひるまない。人体模型もこちらにズルズルと詰め寄ってくる。
外に逃げたいのはやまやまだが、私には、あんな非常識で不気味な物を取り除きながら移動するなんて、出来そうにない。電話で助けを呼ぼうと携帯電話を取り出したが、何故か圏外になっている。なら、道はひとつしかない。
「早苗!上!階段を上ろう!」
早口に言いながら、思わず彼女の手を握る。こうでもしないと、恐怖で冷えきった自分の心が簡単に折れてしまいそうだったから。そんな私の手を優しく、早苗は包んでくれたのが、何よりの励みとなった。
「よし、早くいこう菫子!」
手を固く握って、おもいっきり階段へと走り、スピードを維持するために一段飛ばしで上へと登る。踊り場を抜けて、瞬く間に二階へ辿り着いた。体力の限界なんてとうに越しているが、どうにか気合で立ち続ける。
「つ、疲れた……」
中腰の姿勢で肩を大きく揺らしながら呼吸を繰り返す早苗の背中を擦ってやりながら、私は返事をした。
「やっぱりまずは体力回復が最優先事項よね……。どこかの教室に籠城しよう。ドアの鍵をかけて、付近に物をおいて、バリケードを作る。その中で休憩するっていうのが、今取れる最善策だと私は思う」
「了解。それで行きましょ」
やっと一息つける。そう考えると急に力が抜けていってしまいそうになる。いや、作戦を立てたのは自分なのだから、ここでへばってはダメだと自分をなんとか奮い立たせ、私は近くの教室のドアを開けた。が、そこには、またしても私の精神を折りかねない状況が待ち構えていた。
「う、うわあああああ!!」
そこは、よく知っている教室なんてなかった。机やロッカーの中身は散乱し、うごめく人型の何かがグチャグチャと異音を発していて、その様はさながら地獄絵図のようで。
私達は思わず叫び声を上げて、ガタンと扉を閉じ、一目散に逃げようとした。
が、この悪夢のような現実は終わらない。その刹那、私は視界の隅で巨大な塊のような何かが急速に接近してくるのが見えた。無意識に、体の中に残っていた念力をかき集めてガードをする。直撃は逃れたが、懐中電灯が手から離れてしまい、殺しきれなかった衝撃が私達を階段の方へと吹き飛ばした。グワングワンと視界が何度も回転し、壁にたたきつけられて漸く止まる。
「かはっ……さ、早苗?」
慌てて、同じく吹き飛ばされて近くで倒れている彼女の安否を確認する。よく見ると、頬にかすり傷がついていた。
「わたしは、大丈夫だから。それより、あれ……」
顔面が真っ青な早苗は、震える指でどこかを差した。その方向へと顔を向けると、言葉では形容しがたい光景が広がっていた。
腕が異様に肥大化しているモノ。首が異様に長いモノ。口が耳辺りまで裂けているモノ。下半身が千切れているモノ。頭部のみのモノ。足が何本も生えているモノ。モノ。物。者。怪。
そいつらが、欠けた怪談の一部なのか、いつの間にか発生したオカルトなのか、そんなことはどうでもよかった。なぜなら、私達はこの様を誰にも伝えることが出来そうにないからだ。
化物の中の一匹が私の懐中電灯を拾って、その巨大な口の中に放り込む。プラスチックが裂ける音と、汚らしい咀嚼音が私の精神をガリガリと削っていく。
知らず知らずのうちに、私は早苗に抱きついていた。あまりにも受け入れがたい現実に、ただ、早苗だけが私に残された最後の、日常につながる現実だから。彼女は、そっと優しく、抱き返してくれる。震えが伝わってくるけど、とても暖かかった。
ジリジリと奴等は近づいてくる。湿り気のある息が耳を撫でる度に、猛烈な吐き気に襲われる。あいつらに襲われたらどうなるのだろうか。今更になって、段々と恐怖心が増していく。そして、無意識に懇願していた。
――誰か、七番目でもなんでもいいから、誰か助けて……!
「ま、合格ってところかしらねぇ」
ふと、私でも早苗でも、ましてや奴等のではない、はっきりとした声が聞こえた。かと思うと、突然私達の真下の地面がぱっくりと割れ、その中に吸い込まれて―――
§
お尻に強い衝撃が走った。激痛に悲鳴を上げる前に、上から柔らかい何かが降ってきて顔面とぶつかり、硬い所と柔らかいソレとのサンドイッチ状態になってしまう。
「む、むがが!むぐぐぐ!」
何が起こっているのかさっぱりわからない。ただ、もし上に乗っかられているものが、さっきまで見ていたバケモノだとしたら……。背筋に冷たいものが走り、反射的にぼかすかとなりふり構わず拳を振り回す。
「い、痛い痛い!ちょっとやめてよ!」
耳に入ってきたのは、聞き慣れた早苗の声だった。と同時に、上のものが取り除かれる。勢い良く起き上がり、大事な眼鏡の心配をする。暗くてよく見えないが、どこも傷はついてなさそうだ。ひとまず安心。
「す、菫子だったのね……大丈夫だった?」
「なんとか。というか、ここはどこ?」
キョロキョロとあたりを見てみるが、先程までいた校舎内とは全く違う場所に、何故か私達はいた。風と、呼応するようにさざめく木々の音、他にも環境音がくっきりと聞こえる。
「あれ、なんで私達、屋上にいるの?」
あの場所から屋上へは、そのまま階段を使えば行けるが、そもそも私達は落とし穴のような何かに落ちていったのだ。だれが仕掛けたトラップなのかはわからないが、それならば、一階の昇降口辺りにいた方が自然ではないか。
「下に落ちたはずなのに、上にいる……」
普通に考えれば、それは明らかにおかしな出来事だ。しかし、校舎を妖共が跋扈しているという現実があったことを考慮するなら。
「これは、紫色の仕業?」
早苗が私の思っていたことを呟く。私を同意見だと言おうと口を開いたその時。今まで曇り空だった空が、不意に薄くなり、スキマから月明かりが差し込んできた。あぁ、今日は満月だったなぁと、今更そんなことが頭によぎると、
「あら、いい月夜ね」
誰か、早苗でも私でもない誰かが、突然言葉を発した。
「どうもこんばんわ。初代会長さんに、現人神さん」
フェンスに腰掛けていたそいつは、月明かりに照らされて、妖艶な雰囲気を醸し出していた。リボンの付いた帽子のような物をかぶり、何故かひょっとこのお面をかぶっていて、そして、フリルの付いた紫色のドレスを着ている。
紫。ということはつまりあいつが。そう想った瞬間、ゾッと背中につららを当てられたかのような、今まで感じたこともない恐怖を覚えた。
あいつは絶対にやばい。本能が全力で警報を鳴らしている。思わずたたらを踏み、出入口の壁に背中があたった。
「早苗!逃げるよ!」
「も、もちろん!」
早苗もなにか感じ取っているのか、顔面が真っ青だ。私は彼女の手を再び掴むと、振り返って階段へと続くドアに手を伸ばすが、
「あら、逃げられるのは困るのよねぇ」
と、紫色が言った瞬間、私達の手足が、まるで金縛りにあったかのように動けなくなっていた。よく見ると、足首辺りにどこからか伸びてきた白い腕のような何かが巻き付いていたのだ。
「くそっ、離せ!」
サイコキネシスでその腕を攻撃してみようと試みるも、なぜか発動できない。それどころか、パイロキネシスも念力も、超能力全般が発揮できなくなっていた。
「いろいろ立て込んでてね、手短にいかせてもらうわ」
紫色がフェンスから屋上に飛び降りると、カツンカツンと音を立ててこちらに近づいてきた。
「あなた達の行動、全て見させてもらったわ。評価は、初めてにしては上出来ってところかしらね。流石はあの人の血縁者と、古来の血を引く娘」
いきなり何も言い出すんだ?内容が私にはよく理解できなかった。全て見ていた?血縁者?
「ちゃんと与えられた謎もしっかりと解いているようだし、この点に関しては良い評価をあげてもいいでしょう」
カツン。カツン。足音を鳴らして近づく彼女の真意を見出そうにも、その顔にはお面が被されていてできそうにない。
「ただ、今あなた達が置かれている状況はあまり理解してないように見える」
カツン。そして彼女は、私達のすぐ近くまで寄ってきた。普通なら、腕を伸ばせば頬を叩くことさえできそうな距離にまで。
「最後の問題。いま、あなた達は何処にいる?」
至極簡単そうに聞こえる問いかけ。だが、恐らく奴が望んでいる答えは、私が反射的に言いかけたものとは違うと、直感ではわかった。しかし、ならどう返答すればいいのか。設問の意図が理解できなければ、解答することはできない。
しばらくの沈黙の後、紫色が口を開いた。
「うーん。流石にそこまでは見抜けないか。まあしょうがないわね」
あの人ならどうだったかな、と続けて言う彼女のそのお面の奥にある瞳は、私でも早苗でもない、どこか遠いところを見ているようだった。
「ここは、現と夢のちょうど境界線上に位置する場所。現実だけど、幻日でもある。曖昧かつ中途半端な、分かれ目のない世界。あなた達は、そこで意識的には行動しているけれど、無意識に紛れ込んでいた」
すると彼女は突然、私の頭に手を乗せてきた。それはまるで、母親が子供を褒めるときにするような行為に、私は一瞬気をゆるめてしまいそうになる。
「ここを現実だと思いながら、別の世界で行動することはとても危険な事。夢なのか現なのか判断を誤れば、私のようにこちら側に引きずり込まれて、二度と戻って来れなくなるわ」
するりと、彼女は私に伸ばしていた手を引っ込めた。ちらりと見えたその瞳もまた、私ではない誰かを見ているようで、反射的に恐怖を覚える。
「私の力を持ってすれば、あなた達の記憶を弄るのは容易なことよ。でも、それではいけない。あなた達の行動一つで、未来は大きく変わってしまうから」
そう言い終えると、彼女は私に何かをかぶせてきた。
「あなた達が生きている世界の他に、夢の世界があることをよく覚えておきなさい。これは、それを証明するためのお土産よ」
紫色は私のそばから離れると、今度は早苗に近づいて、奴と同じ色に淡く輝く御札のような何かを彼女のポーチに入れた。
「使い所は間違えないようにね?また逢える日を楽しみにしているわ」
そう彼女は言うと、くるりと振り向き、屋上の奥の方へと歩いていく。私は思わず、疑問に思っていることを、その背中に叫んだ。
「あなたは何者なの!?名前は!?あなたは、私達をどこまで知っているの!?」
話していた口ぶりからして、私達に関する何かは確実に知っているように思えた。紫色は歩みを止めて、こちらに振り返る。
「知りたいのなら、もう一度、境界を超えなさい。私はいつでもそこにいるから」
途端、手首に巻き付いていた白い腕が消え、行動の制限が解除される。
「では、おやすみなさい。あなた達の視る夢が、吉夢であらんことを」
「ま、まて!」
私達が足を一歩踏み出し地面に触れるようとしたその瞬間。そこがまたぱっくりと割れて、足場が消え去った。
「う、うわああああああ!!」
そのまま私たちは暗黒の底へと真っ逆さまに落ちていき……
ぷつりと、意識が途絶えた。
§
夢を見ていた。
――蓮台野にある入口を見に行かない?
夢の中で夢を見ているのか、現実の中で夢を見ているのか、よく判断がつかなかったが、そんなことを区別する必要はないのかもしれない。
夢を見ている状態を自覚していることもおかしな話だが、見ているその夢の内容もまた、おかしなものであった。
――今日は夢の話をするために貴女を呼んだのよ
ぐるりぐるりと、まるで別々の映画のワンシーンをいくつも編集してつなぎ合わせたように、夢の内容がめまぐるしく変化する。私の意思など関係なしに。
しかし、その夢にはある一つの共通点があった。会話をしている二人組だ。
――理論上はともかく、事実上、観測物理学は終焉を迎えているわ
一人は、白いリボンが付いている黒い帽子をかぶって、白と黒のツートンカラーの服装、少し黒味がかった茶髪をしている人物。帽子さえなければ、私に似ている気がして、少し親近感があった。
――ここのカフェは校内でも割とお洒落で美味しいわね
もう一人は、金髪の髪に、特徴的な白い帽子をかぶり、紫色のドレスを着た女性。どこかでみたことのある人に思えたが、よく思い出せない。
――これが冥界よ
彼女達は、不思議な眼を持っていた。
茶髪の人は、月を見て現在地が、星を見て現在時刻がわかる眼を。
――蓮台野で一番彼岸花が多く生えているお墓が入り口よ
金髪の人は、この世界と別の世界を隔てる境界の裂け目を見ることができる眼を。
――二時三十分ジャスト!
そんな二人は、その力を利用して、クラブ活動をしていた。学校に認められていない、非公式のオカルトサークルの活動を。
――羨ましいのよ。不思議な世界がいっぱい見えて
お互い、世の中には決して理解されないであろう秘密を共有しながら、世界中にある結界を暴こうという活動していた。
――この近くにも鳥船神社、あったよね
その親友以上恋人未満の強い絆が、私にはとても羨ましく思えた。
――今夜はそこから『見に行きましょう』
そして、どこか懐かしい街を、夜にふたりで駆けるその姿もまた、輝いて見えて。
――今のわたしはさながらシューティングゲームの主人公よ!
私も、彼女達のような活動がしてみたい。
――天の岩戸といえば高千穂の……
彼女達に近づきたい。
――そうと決まれば行こう、戸隠へ
私一人じゃダメかもしれないけれど、
――素敵だわ、私達で見つけ出しましょう!
きっと、早苗と一緒なら……!
§
また、カチャリとフィルムが変わるような音がして夢が切り替わる。しかし今度は、先ほどとは違ってとぎれとぎれではなくなっていた。
何年も手入れがされていないのだろう、枯れ荒れ果てた畑のようなものが延々と続いている。そんな背景を背に彼女達は、暗い闇の中でも一層黒い影を落としている山の前に立っていた。鬱蒼と木々が茂っているが、どうやらその奥はゆるやかな上り坂が続いているようにみえた。
「や、やっとついた~!」
白いリボンが付いている黒い中折れ帽を被った人がジャンプをしながら、一人はしゃいでいた。
「ここがそうなの?」
キョロキョロと当たりを見ながら、特徴的な帽子を身に着けた金髪の人がボソリと呟く。そんな言葉に、帽子のつばを弾きながら、茶髪の人は金髪の彼女に何かを見せていた。
「ええもちろん。これを見てよ」
私からはよく見えなかったが、それはどうやら写真のようだった。
「ほら、この鳥居が、あれ」
茶髪の人が指差した方向を金髪の人と一緒に目線を移す。が、鬱蒼と茂っている森ばかりがそこにあるだけだ。
「ほらほら、よく見てみて?」
急かされる金髪の人が写真と山都を交互に見つめながらも、どこか釈然とし無さそうな雰囲気を出しながら茶髪の人に言葉を返す。
「確かにそれっぽいけど、どこでこんな写真手に入れたの?」
「裏表ルートよ」
「やっぱり、いつものやつね。で、本当にここにあるんでしょうね?█████」
「うん。私が収集した情報によると、この山の頂上付近には昔██があって、そこには神代から伝わる何かがあるんだって」
「いつも思うけど、よくネットにも乗ってない情報をホイホイと掴めるわよね」
「すごいでしょ。それでさ、貴方には見えてるでしょ?境界」
「まあね。目的のものじゃないけど」
「よし、もうひと踏ん張りしましょうね」
茶髪の人が空を見て呟く。
「二十三時四十分六秒。場所は、████████。いい月夜ね」
「こんな夜遅くまで起きてるのも、もう慣れっこだわ。お肌には悪いけど」
「安心して。終わったら廃墟に戻って呑み会よ?」
「何を安心すればいいのよ。健康な身体にダブルパンチじゃない」
「肴は何にしようかねぇ。遠い昔長野で起こった████とか、もっと安く月面ツアーに行く方法とか」
「はいはい。美しい自然と、ほんのちょっぴりのミステリアスね」
「まさに、私達らしいじゃない?」
さざと、風によって木々が揺れる。
「さあ、██。秘し封じられたものを暴くために、秘封倶楽部の活動を始めましょうか」
「ええ、███。夢を現に変えるのよ!」
――――そして私は、夢から醒める
§
「――ぇ菫子……ねぇ菫子!」
「うぉぁあ!?」
私を呼ぶ誰かの声を聞いてガバリと上半身を起こした。途端に頭に激痛が走る。
「あいててて……」
歪む視界に、ぐわんぐわんと重低音が中で唸る頭を手で抑えながら、寝る前に何が起こったかを想起して……
「あれ、ここどこ?」
「保健室よ」
声のした方向に向くと、早苗がジャージ姿のまま立っていた。そのままゆるゆると視線を巡らせると、自分がベッドで寝ているのがわかった。
「え」
「私も驚いたわ。菫子より先に起きたら、こんなところで寝ていたんだもの」
早苗はそのまま、私の寝ているベッドに腰掛けた。漸く頭痛が引いてきたので、昨日の出来事を思い出す。奴との別れ際、私達はまた落とし穴のようなものに真っ逆さまに落ちたのだっけ。
「早苗はあの後以降のことでなにか覚えていることってある?」
「何も。気付いたらここ」
まさか、紫色の仕業なのだろうか。しかし、ここまでお節介をする理由があるのだろうか。あの私達を拘束した術、そして落とし穴のようなものも彼女がしたことだと考えると、私達の命を奪うことなんて容易いことではなかったのか?
そこまで考えて、彼女の入った言葉を思い出した。
「……でさ、ここは現実、よね?」
あんなことを問いただされては、自分がいるこの世界がどちら側なのか自信が持てなくなる。
「まだ確信は持てないけれど、現実だと思うわ」
そう言うと早苗は、手に持っていた何かを私に見せてきた。
「渡された紙はあるのよね。それにほら、菫子も」
ちらりと移した目線の先を追うと、私の枕元に、紫色に渡された帽子と私のメガネがあった。どこか、別の場所でも見たことがあるような気がするのは何故だろうか?それよりも、ここがどこなのか、確かめなくてはいけない。帽子と眼鏡を掛けて、私は言った。
「一旦起きてさ、学校の中をもう一度探検してみない?あの夜に起こったことが、果たして現での出来事だったのか、それとも幻での出来事だったのか」
§
結論から話すと、学校は何も起こってなかったかのように、そのままであった。
緑色の人体模型の残骸も、
赤色のピアノの鍵盤の色も、
青色の目の人形が破壊したドアも、
二階にいた棘々しい奴等も、
何もかも無かったことのように。
「つまり、あの紫色が言ったように、本当に別の世界に行っていたのかな」
すべての階を丁寧に調べた後、私達は屋上でぼんやりと空を眺めていた。電波をしっかりと拾っている携帯電話によると、時刻は五時と少し過ぎた頃合い。
あの夜の雲なんてどこへやら。空は、きれいな朝焼けで染まっていた。
「でもまあ、すごい体験しちゃったわね、菫子」
「えぇ。流れに流されるままだった感じだけれど、とても楽しかった」
「いきなり人体模型が飛びかかってきた時はびっくりしたわ」
「一番驚いたのは、貴方の御札だけどね。とってもかっこよかったよ?」
「えへへ、それほどでもあるかな~」
それからは自然と、夜にあったことを振り返りながら、お互いのことを褒め称える流れになっていた。楽しかったことを思い出し大いに笑ったり、怖かったことを想起して一緒に恐怖したり。
そんなことを話しながら笑顔を咲かせる早苗に、どこか既視感があった。
「でも、本当に夢のようだったわね。出来るなら、もう一度体験してみたいなぁ」
――夢を現に変えるのよ!
早苗の一言で、頭のなかでつっかえていたものがガタリと外れ、あの時見ていた夢を、思い出した。
あの時感じた冒険心、未知との遭遇に対する高揚感、してはいけないことをしているという背徳感、ほんのちょっぴりの恐怖と、何より、頼れるパートナーが近くにいるという安心感と幸福感。
きっとソレは、夢のなかであの人達も感じていたのだろう。
墓荒しの時に。
カウンセリングの時に。
音もなく走る列車の中で。
カフェでの何気ないティータイムで。
大きな植物園のようなところで。
そして、大いなる秘密を見出した時に。
そして、それらを共有し、究極の目標である封じられた秘密を暴くために結成したのだろう。オカルトサークルを。
普通の人間である彼女達に出来たのだ。私達みたいな特別な存在なら……!
「私も、そう思うわ」
空を見上げながら立ち上がり、早苗に言った。
「だから、私に提案があるの」
「聞かせてもらおうかしら」
「オカルトサークルを結成するの。昨日の夜みたいに受動的で無意識に渡るのではなく、意識して現と幻の境界を越えるの!」
私の言葉を静かに聞いていた彼女はゆっくりと立ち上がると、好奇心で満ち満ちた綺麗な瞳で私を見つめながら言った。
「素敵!とっても楽しそうだわ!私は大賛成よ!」
「本当に?」
「ええ、もちろん!」
よかったぁと安堵の気持ちと、受け入れてくれた嬉しさから、彼女の手を握っていた。
「名前ももう決めてあるの」
「仕事が速いわね、菫子」
「その名も"秘封倶楽部"!意味は……そうね、この世界から境界によって秘し封じられた深秘を暴くから!どうよ」
「いいじゃない!それに、秘封ってなんだか響きがカワイイわね」
「ひふーん」
「ひふーん」
思わず、同時に吹き出してしばらく笑ってしまった。
「よし、家に帰って結成記念にホラー映画でも見ようかしら」
「いつもどおりの休日の過ごし方じゃない」
「なんでもない日常でも、サークル活動と捉えれば、きっとなんでも楽しくなるわよ、早苗」
「菫子と一緒なら、いつでも楽しいよ?」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
山から太陽の光が漏れだす。日の出の時間だ。新しい一日の始まり、新しい私達の関係の始まりだ。
「さ、記念すべきサークル活動その一をはじめましょうか」
「活動一発目が映画鑑賞じゃないの?」
「帰るのよ。せっかく結成したのに、深夜に外を出歩いてただなんて親にバレたら、初日から外出禁止になるわ!」
「よし、じゃあ家まで競争よ!飛翔超能力奇跡その他諸々なしでね」
「おっけー!それじゃあお先に!」
「あ、まちなさーい!ずるいわよ菫子ぉ!」
転・忘れられた古戦場
秘封倶楽部を結成した私達は、幻想の世界へと再び足を踏み入れるべく、様々なオカルトスポットを巡った。冥界につながっているという噂のお墓を暴いたり、人の残留思念漂う廃病院や、曰くつきの廃墟に行ったり。自然教室では、深夜にこっそり抜けだして、近くを散策したり。なぜ、私たちは他の人間共とは違い、超能力を体得しているのかをあれこれ考察したり。……境界暴きをしたり。
遭遇したオカルトや超常現象を撮影して、ホラー番組に送りつけたりもした。偽物の烙印を押された時は、審査員共の無能さを早苗と一緒に大笑いしたのは、今思い出してもニヤついてしまう。
そんな楽しいクラブ活動をしていると、時間はあっというまに過ぎ去って、学年は一つ繰り上がり、サークルを結成して一年が経った。
私達は前々から気になっていた情報を確かめるべく、旅行と称して一周年記念遠征をすることにしたのだ。
その噂が流れだした事自体が必然だったのか、そうでなかったのか。
それとも、私達がそこにいこうと決心したことが奇跡的なのか。
少なくとも、早苗と私の運命が、その出来事によって決定づけられたのは確かだった。
§
「急いで早苗!このままだと間に合わない!」
「どこの誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ!」
息つく暇もなく、階段を一段飛ばしで駆け下りていると、真中付近でけたたましい発車ベルが耳に飛び込んできた。
「待ってぇ!乗ります!乗りますからぁ!」
その音に負けじと大声を出し、運転手にアピールしながら階段を一気に飛び降り、着地の衝撃を利用して、そのまま電車の中へと飛び込んだ。一瞬遅れて早苗が滑り込んだ後、扉が音をたててしまり、ゆっくりと動き始めた。
「ん、はぁ……なんとか間に合ったわね、早苗」
と彼女に話しかけてみたが、口元からひゅうひゅうと息を漏らしながらその場にへたり込んでいるままであった。
何故私達がこんなにも息を切らしているのかというと、見ての通り、電車に乗り遅れそうになったからである。原因?一体誰の仕業なのだろうか。皆目検討もつかない。
「……貴方が遅刻してきたからでしょぉぉがぁぁ!!」
突然声を荒げながら早苗は立ち上がると、私の頬を両手でおもいっきりつねってきた。
「ひ、ひひゃいひひゃい!わ、わるかったってふぁ」
「反省してもらうために、電車の中ではずっとこうしていようかしら?」
「そ、そへはへはかんへんひへ……」
あまりの痛さに少しだけ涙目になってきたところで、冗談よと早苗は言いながら手を離してくれた。
「ほら、いいから早く席に座りましょう?いつまでも立ちっぱなしは辛いわ」
まだじんじんとする頬をさすりながら、コクリと頷く私であった。
§
「ご乗車ありがとうございます。この電車は、新諏訪経由――」
車内アナウンスを聞き流しながら、汗ばんだ身体に帽子で風を送る。
今日は動きまわる予定なので、チェック柄のシャツにハーフパンツ、リュックサックという格好で来たが、早苗の方は黒いノースリーブの上に薄い水色のチュニックを着て、紺色のミニスカートを履き、トートバッグを持って、いつもの蛇と蛙の髪飾りを身につけていた。涼しさも動きやすさも考えての服装に、おしゃれに疎い私でも、可愛いなぁと感じずにはいられなかった。
そんな彼女は、ボックスシートの反対側で、うちわを仰いでいた。
「ここから一時間近くだっけ?」
ポケットからスマートフォンを取り出して、しっかりと確認してから相槌を打つ。
「しかしまあー危なかったわ。この電車を逃してたら、一時間近く駅で待たされることになったんだもの。田舎って、こういうところが不便よねー」
「うん?遅刻しなければ発車十五分前にはしっかりと駅に到着して、余裕で乗れたわけだけれど。どこかの、誰かさんが、遅刻したせいで……」
うぐうと唸り声を上げてしまう。痛いところを突かれた。
「でもねぇ菫子。これで何回目?」
「多分、天王星の衛星の個数より少ないはず」
「なぁあに言ってるの。軽く見積もって、現在発見されている小惑星の数ぐらいはあるわよ」
「ちょ、ちょっとまって!さすがの私も、そこまでは」
「じゃあ一周年記念として、一つずつ振り返ってみましょうか~。まずは、出会った翌日の遅刻から……」
その瞳から察するに、本気でやる気だ。これでは私が終始やられっぱなしになってしまう!
「わー!わー!あ、そうだ。親に渡されたものがあったんだ!」
話をそらそうと、横の座席においたバッグを開けて、ゴソゴソと中を探る。私はそこから、カップアイスを二つ取り出した。一緒に入れておいた保冷剤のお陰で、ひんやりと冷たいままだ。
「ふ~ん。気が利くわね。遅刻のお詫びかしら?」
「親が電車の中で食べたらって言ってくれたの」
有難うと言いながら、早苗はその一つを受取る。そこで、私は一つのイタズラを思いついた。
「スプーンは?」
「ふっふーん。ほしい?」
「当たり前じゃない。無いと食べられないわ」
「おーけーおーけー。じゃあ早苗、掌を出してくれない?」
「……何するの?」
疑いの目を向けながらも、おずおずと手を出した。
「しっかりキャッチしてねー!そりゃっ」
それを確認すると、私はパチンッとおもいっきり指を鳴らした。すると、空中に紙製のスプーンが現れ、重力に従って落下してきた。
「うお!?おっとっと」
突然のスプーンの出現に驚いていたが、彼女はなんとかそれをキャッチすることができた。
「セーフ……って菫子、今何かした?」
「テレポーテーション。練習してたらなんかできるようになってたから、自慢したくて」
「はー……いや驚いたわ」
「まだまだ限定的だけれどね。こういう小さいものだったり、かなり近くになきゃいけないし、テレキネシスのほうがまだ便利って所」
そういいながら、アイスが入っていたバッグに手を突っ込んで、自分の使うスプーンを取り出す。
「溶けちゃう前に食べましょうか。早苗」
「賛成。いっただきま~す」
ぺりっと紙をめくり、スプーンですくい取って口に運ぶ。冷たいバニラの味が、走り疲れた体全体に染みわたるようだ。
「んふ、はぁおいしい」
「こうして風景を見ながらアイスをたべるのも乙ね」
電車は田園風景を抜け、私達を南東方向へと運んでいく。
「うーん!今から諏訪が楽しみだわ。最初はどこへ行こうかしら。やっぱりショッピングモール?」
「私的には、つい先日オープンしたプラネタリウムは外せないわ」
「いいねぇ。あそこはなんでもあるから、一日中いたって飽きはしないわ。きっと」
「でも早苗、一つ忘れてない?この遠征の最大の目的」
「忘れてなんか無いわよ。例の神社の謎を追うんでしょ?」
――諏訪には忘れられた神社がある
そのような噂が流れだしたのは、半年以上前のインターネットが初めてだった。そこから数ヶ月は、考察サイトが乱立したり、実際に諏訪に行って調査をするオカルトサークルも現れた。しかし、個人個人によって至った結論があまりにも千差万別で、いつまで経っても神社がどこにあるのかはわからずじまいで、今ではすっかり下火になってしまった。
でも、今日までに数多ものオカルトスポットをめぐり、何よりそんじょそこらの人間とは違う力を持っている私達なら見つけられると考えて、この諏訪遠征が決まったのだ。
「ネットの情報も色々だったからなぁ、最初にすることとしては、新県立図書館で資料の見直しかな」
「その次にショッピング?」
「んにゃ、図書館は駅から少し遠いし、先にお昼あたりまでモールにいる感じになるかな」
モールは図書館に行く道の途中にあるので、総移動距離に大差はないはずだ。またアイスを一口口に含むと、ふと前々から思っていたことを思い出して、彼女に聞いてみた。
「ねぇ早苗、この遠征について神様は何か言ってた?」
「……い、いいえ、特に何もおっしゃってなかったわ」
そうですよねーっと空中の方に微笑みかける彼女。相変わらず、私にはその神様が見えていない。
「貴方の神様って、どんな神様なの?」
「それが、ご本人たちも覚えてないそうなの」
「覚えてない?」
「うん。でも、私にとってはかけがえのない大切な……」
その時、反対方向から電車が走ってきて、その音のせいで早苗の言葉が聞き取れなかった。
「ごめん、今の電車の音でよく聞こえなかったから、もう一回言ってもらえるといいな、って」
「え、いやいやいや!今日の遠征でなにか分かったらいいなーって」
聞き逃してしまったが、その時の彼女の表情は、今まで見たことがないような、哀しそうな表情をしていたように私には見えた。
§
「ついたー!」
駅から出て私達を出迎えたのは、太陽光とそれを反射して輝くビル群であった。私はそれを前身に浴びるように思いっきり伸びをする。
「さすが諏訪。大都会ねぇ……ええと、モールへはどうやって行くんだったっけ」
空を舞うドローンを横目で見ながらマップアプリで場所を確認する。それから後ろに立っている早苗の方に振り向くが、当の彼女はどこかを見つめながらボーっとしていた。
「どうしたの早苗?具合でも悪い?」
「……あ、いや。ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「熱中症の前兆かもしれないわ。しっかり水分補給しなきゃダメよ?」
「ごめん。気をつけるわ」
「ささ、行きますか!」
§
そこからは、楽しい出来事の連続だった。
プラネタリウムでは、解説者が説明する前に星の名前を言い合ったり、夏ということで特設会場でやっていたおばけやしきでは、暗闇をいいコトに超能力を使って、逆にお化け役を驚かしたりもした。
ショッピングでは、お揃いの黄金シャトル状のアクセサリーを買ったり、流行りの服を見てみたり、美味しそうなスイーツを見ながら、色々諸事情になり頑張って我慢したり。
そんなこんなで一段落ついたところで、フードコートで昼食をとっていた。夏休み初日とあってか、かなり混んでいる。
「ぷはー。ごちそうさまでした。やはりお蕎麦は美味しいわねぇ」
「よし菫子、そろそろ移動しましょうか。一分一秒が惜しいわ」
読んでいた本を片付けるが、ちょっと待ってと言って留める。いうのはこのタイミングが良いだろか……
「ねぇ早苗さん。チョット話があるのですが」
「どうしたのよ菫子。突然改まっちゃって」
「いやさ、今日この時まで私達は秘封倶楽部として活動してきたわけじゃない?」
「ええ」
「それでさ、これからのことを考えてたの。次の一年後、二年後、十年後を」
突然変なことを言い出してなんだと訝しげな目で見てくるかもと思ったけれど、早苗は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「えっと、それで、さ、一年後といえば、受験じゃない?」
「そうねぇ。避けられないイベントね」
「でさ、一緒の高校に行きたいの。早苗と、二人で」
「私はそのつもりだけれど?」
「ううん、多分早苗が考えてるのとは違う」
ぶんぶんと首を横に振る。メガネのズレを直してから、バッグから大きめの封筒を取り出して、私は、一世一代の告白をした。
「一緒に、東京に行かない?」
封筒の右端に書かれた学校名が見えるようにテーブルに置く。
「ここって」
「そう、東深見高校」
東深見高校。東京都内にある、全国でもトップレベルに近い有名私立校だ。
「嫌だったら嫌って言っていいのよ?ほら私達はさ、学校の他の奴等とは違ってテストの総合成績もトップクラスだしさ、たしかにそれでもきつそうに見えるけど、今から然るべきところに行ったりして対策を積めば、届かない範囲じゃないと思うんだけど……どうかな?」
少し恥ずかしくなって、帽子をを深々と被って彼女の反応を待った。早苗は封筒を受け取ると、ペラペラと資料を読み始めた。
私の告白の返事はどうなるのだろうか。心臓がバクバクと打ち続ける。待っている時間が永遠のように感じられた。
「菫子、顔上げてよ」
その声に、ひゃいっ、だなんて変な声を口から漏らしながら、恐る恐る彼女と向き合った。
「……いいじゃない!とっても素敵な提案だわ!私はもちろん大賛成よ!」
満面の笑みで早苗はそう言うと、私の手をとってぶんぶんと握手をしてきた。思わぬ反応に面食らったような感じになってしまう。
「ほ、ほんとうに!?」
「もちろん!!東京だとちょっと遠いけど、なんとか親を説き伏せてみせるから!」
その言葉で、私はとてもホッとした。告白は大成功だった。
「でさでさ、その学校には古くから伝わる学校の七不思議があってさ……」
そこからは、まるでもう東京へ行くことが決まったかのように、未来のあれこれについて語り合った。その時間も、ショッピングの時と同じくらいとても楽しかった。何より、私達なら行けるという絶対の自信があったから。
§
「で、こうなるわけね……」
「さあ、急いで急いで!」
将来に関する楽しい会話は、乗る予定のバスの発車時刻ギリギリまで続いた。そして案の定、こうして走っている。一本遅いバスでもいいのではと早苗に言われたが、一分一秒が惜しいのだ。
「善は急げってやつよ、早苗!」
「急がば周れっていう諺があるでしょう!」
彼女の叫び声に近い主張をあえて受け流し、自動ドアを抜ける。あるはあの柱の角を曲がれば、バス停はすぐだ!足に力を込めて、地面を蹴る。
……だからか、バスのことばかりに気を取られていた私は、柱の陰にいた人の存在を認識できなかった。気がついた時には、その人の背中にぶつかり、私は反動で尻餅をついてしまった。
「あいたたた……す、すいません!大丈夫ですか?」
あわててお起ち上がって、深々と頭を下げる。その表紙に、帽子を落としてしまった。
「ん、そんなに深く頭を垂れなくても大丈夫じゃよ。お主の方こそ、怪我はなかったかえ?」
ちらりと顔を上げると、その人がこちらに振り向いていた。
全身をスーツで包み、メガネを掛けた女性。同年代が思い浮かべそうなデキるOL……というのが最初に私が持った印象であった。その女性は地面に落ちていた私の帽子を拾い上げると、手渡ししてくれた。ありがたくそれを受け取り、しっかりとかぶる。
私も平気だと伝えると、後からやってきた早苗が、私の服についたホコリ等をはたいて落としてくれた。
「あ、バス!」
少し落ち着いたところで、私達の目的を思い出す。慌ててバス停の方を見てみるが、バスはおろか並んで待っている乗客すらいなかった。
「何かあったらしくて、ここ一時間位はバスなんぞ来ておらんぞ?」
嗚呼、骨折り損のくたびれ儲け……と、二人して落胆していると、女性が思いもよらぬことを口にした。そんなまさかと思い、端末を開いてバス会社のホームページを覗く。そこには想定外のことが書かれていた。
「"何者かのいたずらにより、管理している車両がすべて使用不可"!?なんじゃそりゃ!?」
「……あのうつけ共が」
目の前の女性がぼそりとなにかつぶやいたが、アンラッキーな事態になってしまって、それどころではない。
「どどど、どうしよう早苗!」
「私に言われても……セグウェイは高校生になってからじゃないと使えないし、歩いて行く他には……」
「うぅ、それだと四十分近くかかるわ!」
距離的に、歩いていけない距離では無きにしも非ずという感じであるが、フィールドワーク――つまり神社探索に使う体力と時間はなるべく残しておきたい。
「なんじゃ、二人とも足がなくて困っておるのか?」
私たちがコクリと頷くと、にやりと笑いながら、女性は言った。
「なら、儂を使わんか?」
胸ポケットから何かの紙を取り出し、私たちに差し出した。それを受け取ると、一緒にそれを見てみる。
そこには、ぽんぽこタクシーという会社名のようなものと、電話番号、二匹のたぬきのイラスト、そして彼女の名前が載っていた。
「さど……なんて読むのかしら、これ」
下の名前もしっかり書かれているのだが、かなり難しい感じなので、読むことができない。
「ふぉっふぉっふぉ。無理して読まんでもええぞ。ちなみに佐渡じゃなくてさわたりじゃ。まあ、生まれは佐渡じゃがな」
「なるほど。タクシーの運転手でしたか」
タクシーを使うという選択肢は考えてなかった。しかし。
「でも、結構割高じゃない?」
私の思っていたことを、早苗が代弁してくれた。いくら親のお金だからといって、無駄遣いしすぎるのはあまり避けたい。
「なんなら、この"奇跡的な"出会いを祝して、サービスしようかな」
そう言いながら、佐渡さんが耳打ちしてきた値段は、かなり破格といえるものだった。
まさに、渡りに船というやつだろう。このチャンスを逃すだなんて、以ての外だ。
「よろしくお願いしてもいいですか?」
「うむ。車を取ってくるから、待っといてくれ」
駐車場に向かって走る佐渡さんの背中を見ながら、今の世の中にもああいう優しい人がいるものなのねと、二人して話していた。
§
「ええと、目的地はどこかのう」
「新県立図書館でお願いします」
「了解。シートベルトはしっかりするように頼むぞ」
一言そう言うと、エンジンが震えて車が動き出した。
ビルとビルの隙間を走っている間、特に話すこともないので、近くにおいてあったタヌキのぬいぐるみをもふもふしながら、時間を持て余す。
そんな中、佐渡さんが話しかけてきた。
「諏訪には、観光目的で?」
「そうですが、でも何でそんな質問を?」
「まあな、大体の人はストリートを巡ったり、一日中モールにいたり、駅からちょいと離れるが新すわっこランドにいったりするからのう。図書館とは、中々マニアックなチョイスだなぁと思ってな」
儂も本は好きじゃがね、と含み笑いをしながらそう付け加えた。はて、素直にオカルト調査だなんて言ってしまえば、恐らく車内に気まずい雰囲気が流れかねない。さてどうしたものか。
「ああ、夏休みの自由研究に必要な資料を閲覧したいので」
あれこれ思案していると早苗が助け舟を出してくれた。彼女の方に目配せをすると、私に任せてと言っているかのように、自信満々の表情を見せた。
「自由研究!いやはや、勉強熱心じゃな」
「ありがとうございます」
「最近は自堕落な学生が増えたと聞くからのう。関心関心。お、諏訪湖が見えてきたぞい」
佐渡さんが前方を指さしていった。私達は、前のめりになってよく見ようとする。建物と建物の間から光を反射して、キラキラと光る湖面が見えた。車はそのまま湖の縁を沿って伸びる道を反時計回りで走るコースに乗っていた。
「電車からも見えただろうが、コッチのほうが近くでよく見えるだろう?」
諏訪湖より大きな湖は、ダムに行ったりしてみたことはあるが、それらにはない、どこか惹かれる魅力というものがあった。
「大昔はな、冬になると毎年御神渡りがあったんじゃがのう。今はずいぶん暖かくなってしまったからか、とんと見なくなってしまったわい」
その話を聞いていた早苗がぴくりと反応したような気がしたが、それに気づくわけがない佐渡さんは、続けて言った。
「どうじゃ諏訪は」
「とっても楽しいです。何より、私達の住んでるところよりも賑やかですし。ね、早苗」
隣に座っている彼女に同意を求めるが、さっき見せた自信満々の表情とは違い、なにか思いつめた表情で諏訪湖を眺めていて、返事がない。
「早苗?」
「うわぁ!あ、ゴメン。なんかボーっとしてた」
「また?ほんとうに大丈夫なの?」
「平気平気」
「ダメならしっかり言うんじゃぞ?」
「はい。でもほんとうに大丈夫なので……」
早苗は強がっていたが、私は少しそれが心に引っかかった。
§
「ようし、ついたついた」
短い揺れの後、車は駐車場に止まっていた。
「まっとれ、今ドアを開けるから」
「運転お疲れ様でした」
「なに、このくらい朝飯前じゃよ」
ガチャリと音をたててドアが自動的に開く。触っていたタヌキの人形を元の場所に戻し、バッグを手にとって車を降りた。
スマホで今の時間を確認した時、そういえばと思って佐渡さんに声をかけようと車内を覗いてみたが、そこに彼女はいなかった。
「菫子、どうしたの?」
「タクシー代払わなくていいのかなーって思ってさ」
「それなら心配ないぞい」
突然、後ろから佐渡さんの声がした
振り返ると、鍵を指でクルクルと回しながら立っていた。気配に全く気づかなかった。
「お主らは帰りも使うじゃろう?その時まとめて払ってくれれば、それでええ」
「助かります」
早苗がペコリと頭を下げると、佐渡さんは車の鍵を締めて言った。
「儂は一階のコーナーでなにか読んで時間を潰しているから、何かあったら探してくれ」
「わかりました」
「それじゃあいこうか、早苗」
「ええ。いいものが見つかるといいね」
§
「ぜっぜん見つからない……」
私は頭をかきむしりながら、小さな声でおもいっきり不満の声を漏らした。
すぐに色々見つかるだろうと、どこから来たのかよくわからない自信を持っていた私達だったが、それはすぐに崩れ去った。
ネットで上げられていた参考文献を数冊呼んだが、ある本に書いてあったものが他の本には全く異なる結論で〆られているものがあったりと、とにかく矛盾だったり情報が錯綜していたりするのだ。そこから、また本の巻末に書いてある参考文献を読みあさったりしていると、複数人が同時に使うことができる丸いテーブルは大量の本置き場と化していた。職員に白い目で見られている気がするが、多分気のせいだと思う。
「この本もダメか。よっと」
いつの間にか、資料として役に立たなさそうな本の山となっていたテーブルの一箇所に見終えた本を一番上に乗っけて、私は深々と椅子にもたれかかった。
「もっと古い資料も呼んだほうがいいのかなぁ」
「えぇ、あーうん。そうなんじゃない?」
私の独り言に反対側に座っている早苗がページをめくりながら相槌を打つが、その声は心なしか先程より元気が無さそうに聞こえた。
「どうしたの早苗?気分が悪いの?」
「ううん!全然ヘーキよ。ちょっと頭を使いすぎたかなって」
「しっかりしてよもー。ムリしないで、ちゃんと適度に休憩挟んだりしなさいよ?」
「えへへ、ごめんなさい」
「一旦、ここまでで得た情報をまとめてみましょうか。お片づけはその後で」
積み重なった本をギュウギュウと端へと押しやってスペースを作って、そこに、さっき拡大コピーした諏訪の地図を広げた。そこに、メモしていた情報を色々と書き込んでいく。
「ふぅ。こんなもんかしらね」
十数カ所に点やら文章を書き終えて、一度全体を俯瞰してみるが、
「どこも再開発された所ばかりね……」
私の隣に移動してきた早苗が、地図を覗き込みながら呟いた。
目星の場所なんかは諏訪湖の北あたりに位置していたが、そのほとんどがすでに昔とは全く違う姿形に変わってしまっているところばかり。
「やっぱり、もっともっと資料を漁らなきゃだめっぽいね」
「その前に机の上の整理をしてからよ、菫子」
「はいはい。ここだと超能力が使えないから不便だわ」
また愚痴をこぼしながら、多種多様なジャンルの山を前に、深くため息を吐いた。
そんな私達に、話しかけてきた人がいた。
「どうじゃ、自由研究ははかどっておるか?」
「あ、佐渡さん」
私が資料の山から頭を上げると、反対側に彼女が立っていた。軽く会釈をすると、ニコニコと笑顔を浮かべながら、こちらに歩み寄ってきた。
「チョット手持ち無沙汰になってな。こちらの様子を伺いに来たのじゃが……その様子じゃと、どっかで詰まっておるな?」
「アハハ、そのとおりです」
佐渡さんの笑顔が苦笑いに変わる。そのまま山から何冊か本を手にとって見たりしていた。
「ほほぉ。"諏訪神社という都市伝説"、"消えた諏訪神社の真実!?"……ヤツの言った通りか」
彼女はひと通り表紙を眺めたりすると、隣の椅子に座ってきた。私は特に気にしないで、積まれたヲンに手を伸ばし、手当り次第つかもうとする。
すると佐渡さんは、とんでもないことを口にした。
「……諏訪大社のことなら、知ってるぞ」
疲れきっていた頭に冷水をぶっかけられたかのような衝撃に、思わずガタンと音をたてて立ち上がってしまった。周囲からの目線が更にきついものになった気がするが、そんなことは二の次三の次だ。
早苗と目線を合わせて、軽く意見を交わす。
「どうする?」
「詰まってるのは事実だし、聞いてみてもいいんじゃない?」
「というわけで、その話を詳しく聞かせてもらえますか?佐渡さん」
「うむ。勿論だとも」
そう言いながら、メガネを手で押し上げると、彼女はどこか不敵な笑みを浮かべていた。
「まずは、その地図を見せてくれるかな?どこまで知っているのか確認したいのでな」
私は彼女が見えるようにするために、椅子から離れて早苗の後ろに立つと、佐渡さんはそこに座って注意深く地図を見た。
「ふむ。あのごちゃごちゃした情報からよくここまで綺麗にまとめられたのう」
「ありがとうございます。それで、私達が打ち込んだ点のどこに神社はある、またはあったのでしょうか?」
私達は真相に近づいているのかどうか。逸る気持ちを何とか抑えて聞いてみる。しかし、佐渡さんは静かに首を横に振った。
「いや、示した点のどこにはない。あったとしても、もはや神社の痕跡は残っておらんよ」
「や、やっぱり……」
しゅんと、早苗と二人して肩を落とすが、お構いなしに彼女は話を続けた。
「そもそも、あの神社はここが再開発される前からその存在自体があやふやだったらしいからのう。じゃが、忘れられたまま、人の手が入っていないところもあるぞい?」
「で、でもそういうところってまっさきにいろんな人が探し当ててるんじゃ?」
早苗の疑問はもっともだと思う。私達以前から噂は流れていたわけだし、その場所もすでに調査されている可能性だってあるのではないか。
「無論、何人かが行ったということは聞いているが、話題に上がってないということは、つまり何も発見できなかった、ということではないかな?」
「では、私達が行っても結果は」
「言い方を訂正させてもらおう。"普通の人間には、何も発見できなかった"」
その言葉にはっとさせられ、思わず早苗の方を見た 。彼女は驚きの表情を見せたかと思うと、ニヤリと笑ってみせた。多分、私も似たような表情をしていると思う。そして、同じことを考えているに違いない。
――一般人にできないことでも、私達のような特別な人間なら!
「そ、それでいったいどこにあるんですか!?」
「おいおい、そんなに焦るなよ、東風谷の嬢ちゃん。その場所というのが……ここじゃ」
そういうと、佐渡さんは地図の南あたりを指さした。それを見ていた私達は、同時に同じことを口走っていた。
「私達を、ここに連れてって下さい!」
§
ガタンガタンと、道の隆起に呼応して上下する車内で、天井にぶつからないように必死にシートにしがみついていた。
「こ、この凸凹道はなんなんですか!」
「しょうがないじゃろう。これが、未だにこの地域が手付かずのままでいる最大の理由なんじゃからな……よし、ここからは比較的平らじゃぞ」
それを聞いて、私達はほぅと大きく息を吐いた。揺れはまだあるが、先程よりもだいぶマシだ。
「しかし、ひどい道ね。早苗は大丈夫?」
「え、ええ。なん、とか」
「儂が一昔前に来た時はこんなんじゃあ無かったんじゃが。話によると、あの開発事業が始まる数年前からこんなことになっていたらしい。しかも、今もそれは止まってない。試しに元に戻しても、二三日すれば再び隆起が始まる。結局、おさまるまでココらへんはストップというわけじゃ」
「もしかして、人影が全然ないのも……」
「そう、こんな調子じゃまともに生活できないからのう。みんな他に移住していったそうじゃ」
「それで、神社があるっていうところは……」
「あそこじゃ。目の前にチョット大きな山が見えるじゃろう?」
早苗と一緒に前のめりになって見てみる。確かに山があるのは確かだが、その麓辺りに見覚えがあるものが立っていた。
「あれは、鳥居ね」
赤く塗られたものとは違う、石の肌が露出しているタイプの鳥居だ。下半分は蔦が絡まっていて、後ろの森と見分けがつきにくい。
「あそこが、目的地」
「そうじゃ。そろそろつくから、降りる準備をしといてくれ」
佐渡さんがそういった数分後、私達はその鳥居のすぐ近くまで到着した。ドアを開けて、その場に降り立つが、感じる空気が明らかに他の場所とは違うものがある。巡ってきたオカルトスポットの雰囲気と似たものがあるが、どこか決定的に違う。
「早苗はなにか感じるものはない?」
後から降りてきた早苗に意見を求める為に振り返ると、ふらりと彼女がバランスを崩したかのようにこちらに倒れてきた。なにか考える前に、二の腕あたりを掴んで抱きとめる。
「ど、どうしたの?」
「ごめん。多分、さっきの凸凹道でちょっと酔っちゃったかも……」
その場でしっかりと立ち、数回大きく深呼吸をして、早苗はやわらかい微笑みを浮かべた。暗に、心配しなくても大丈夫だ、と言っているかのように。
「それよりさ、記念撮影しましょうよ!せっかくカメラをお願いできる人がいるんだし」
「そ、そうね」
鳥居の方に走っていく彼女の背中をちらりと見てから、車内にいる佐渡さんに話しかけた。
「あの、写真を取って欲しいのですが、手を貸して頂けませんか?」
「ん、ああ、それぐらいならお安い御用じゃ」
運転席から降りてきた彼女に、カメラアプリを起動させたスマホを手渡す。すると佐渡さんは、苦笑のような表情を浮かべながら言った。
「この手の機会は苦手でのう……使い方を教えてくれるかな?」
今時スマホ画面を見て使い方がわからないのは少し珍しいなと思いながら、手をカメラのフレームに見立てて鳥居の方に向ける。
「ここの位置で、こう、あの鳥居が入るようにこれを持ってください」
「え~と。こ、こうか?」
「あ?、もうちょっとこうですかね」
私の隣に立ってスマホを構える佐渡さんの腕を微調整しながら私は言った。
「しかしまぁ、こんな小さな機械で電話も手紙も写真も撮れるとは。いやはやすごい世の中じゃのう。……あれ、そういえばあの時の奴とは形が違うな」
「なにか言いましたか?」
「え?あーいやいや、ただの独り言じゃよ」
「で、ここを押したら、写真が撮れます」
「了解じゃ」
「取るタイミングは任せますね。よろしくお願いします。早苗ー!写真撮るよー!」
彼女に合図を送り、急いで鳥居の方に向かった。そして、二人並んでピースサインを決める。
「はい、チーズ」
パシャリと小さな効果音が鳴る。また急いで佐渡さんの元へ駆け寄って、写真の様子を確認する。
「どうじゃ?上手く行ったかのう」
「大丈夫です。上手く撮れてます!」
「そいつは良かった」
「いつもオカルトスポットに来たら写真を撮ってるんですよ。いつもは岩とかに乗っけたりして撮るんですがね。助かりました。ところで、佐渡さんは一緒に行きますか?」
「儂は遠慮しておくよ。何かあったら、渡した名刺に書いてある電話番号に掛けておくれ」
「わかりました」
これは幸運だ。もし何かあったとして、超能力を使わざるを得ない状況に陥った場合、普通の人に見られたら色々とまずいことになりかねないから。
「それじゃあ、行ってきます」
「気をつけるんじゃぞ」
再び早苗のもとに走り寄って、彼女の肩を叩きながら、私は言った。
「さぁ、行きましょうか、早苗」
「ええ。夢を現に変えましょう」
§
鳥居を抜けると、苔のようなものに覆われた参道らしきものが目の前に現れた。その周りは依然として深い森が続いている。私達は注意深くそこを歩いて行く。参道はそこまでキツイ斜面ではなかったが、十数分も歩いていると、鳥居の方は木々の葉に隠れて見えなくなってしまった。
「ここは地形の隆起が起こってないのね」
「確かに、そうね」
早苗の指摘通り、参道どころか、目線の届く範囲にある森林のどこにも、地形の変化がないのだ。ここに神社があったことと関係があるのだろうか?
そんなことを考えながら歩みを進めていくと、参道の先が急に開けているように見えた。
「早苗、もしかしてあそこが」
「ゴール、かもね」
あそこには何かがある、いや、あったかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなり、迷わず道を駆け上った。そして、ものの数分でそこに辿り着いた。少し遅れて、早苗も私の後に続く。
「ここ、が」
目の前には、雑草の生い茂る妙に広い空き地があった。その大きさから考えるに、何かしらの建物が存在していた可能性というのは大いにありそうだった。
そして、特筆すべき者は、ひしひしと感じるこの"何か"だ。
「やっぱり、ここには何かがある!」
オカルトスポットと似た雰囲気が漂っているのはタクシーから降りた時から感じていたが、ここまでくると、今まで巡ってきたものとは格が違うように私には感じた。
私達のサークル活動は、単にオカルトスポットを荒らしたりするだけではない。そこに生じている境界の裂け目をこじ開けて、いつの日か紫色が言っていた別の世界に行くことにあるのだ。大抵の場所は、すぐに閉じてしまったりして、ろくに覗くことすら叶わなかったけど。
「早苗、境目みたいなの感じた?」
「……まだ」
境目といえど、それはあくまで経験則から来るたとえみたいなものだ。私達にはそれが本当に境目なのかすらわからない。みえないのだから。物を暗闇の中、手探りで探している状態に近いものがある。
「ここ、よ」
そういいながら、彼女は私達が入ってきたところから五メートルほどの場所で立ち止まっていた。
「そこね。いまからあけるから、少し離れて」
境界を暴くと言っても、そんな小難しいことはしない。ただ、まるで鍵を破壊してドアをあけるかのように、境界の境目に私の念力をぶつけて、文字通りこじ開けるのだ。
小走りで早苗のもとに走りより、境目がある方向へ向く。
「さあ、諏訪の神社の真実を見せてもらいましょうか!!」
右手にサイコパワーを十二分に溜め込み、一つ深呼吸をして、境界の境目に向かって一気に放つ!そして、無理やりこじ開けられ……
「あれ」
ない。目標物があると思われる場所を通っても、何の反応も感じず、サイコキネシスはすぐそばの地面を抉ることになってしまった。
「なんで?」
こんなことは初めてだ。早苗の勘違いというのもちらりと考えたが、私もそこに何かがることはちゃんと感じている。ならば力が足りていなかったということか?もう一度念力をお見舞いしてやろうと力を込めていると、早苗が突然私の前に移動してきた。その足取りは、明らかに先程より具合が悪くなっているようにしか見えない。
「さ、早苗?」
「いいから。しんぱい、しない、で。ここは、わたしがひらくから」
そういうと、彼女はポーチから一枚のお札を取り出した。まさか、早苗が開けるのか?境目をこじ開けたりするのはいつも私の役割で、彼女は一度もやったことがないはずだ。何が起こるかわからない。嫌な予感がした。
「早苗!やめ」
私の静止を求める声が出る前に、彼女はその御札を境目に突きつけた。
刹那、早苗を中心にして、まるでハンマーで殴られたガラスのように、空間全体に亀裂が走るやいなや、それらは弾けて一つ一つばらばらになり、空へと舞っていき光の粒となって、消えた。
「い、いったい何が!?」
口を半開きさせて呆然と空を眺めていた。突然の現象に何が起こっているのか理解が及ばず思考停止しかけるが、なんとか心を落ち着かせると、早苗がいる方に目線を戻した。
「あれ、が……」
そして、この目ではっきりと見た。
崩れた、神社の成れの果てを。
「結界の内側にあったから、誰にも見つけられなかったのかな?」
目の前にある本殿らしきものは、屋根の重さでぺちゃんこになっており、三十メートルありそうな木の柱のようなものがあちこちに倒れていたり、建物だった何かの残骸が散乱していたり、その光景は、あまりにも無残なものであった。
人々に忘れ去られて一体どれくらい経ったのだろうか、と思考を巡らせていると、目の前にいた早苗が突如ふらりふらりと熱にうなされている病人のような足取りで、本殿だったものの方へと歩きだした。
「早苗?」
声をかけるが返事がない。黙々と前へ前へと進んでいる。様子がおかしいのは火を見るよりも明らかだ。
「ちょ、ちょっと!」
本殿は、側面が崩れて積み重なった上に巨大な屋根が乗っかっている状態なのだが、その二つの間には比較的大きなスキマができていた。彼女はそこの中に、するりと入っていってしまった。私も慌ててその中へと入る。
内側はひどくかび臭く、入り口とその真反対にある同じくらいの穴から入ってくる光を除くと、かなり薄暗い。スマホのライトを付けて視界を確保すると、辺り一面に本が沢山散らばっているのが見えた。早苗はどこに言ったのだろうかと四方に移しながら、落ちている本を一冊だけ拾い上げ、タイトルを見た。
「"諏訪大明神画詞ノ補遺及ビ備考"……諏訪大明神って、もしかしてこの神社の祭神?」
恐らく、この神社についての真実が書かれているに違いない。そう思いページをめくろうとしたその時、ドサリと何かが倒れるような音がした。本から顔を上げて、音のした穴のほうを見た。そうだ、私は早苗を追っていたのだ。オカルト界最大の発見に、つい一番大切なことが抜け落ちてしまっていた。そんなことより彼女の安否が最優先事項だ。手に持っていた本を乱暴に地面に置くと、入り口とは反対側の光に向かって急いで走った。
本殿を抜けると、再び草原が広がっていた。本殿の中に彼女はいなかった。だとすると。
「早苗!」
私の少し先の所に、彼女が倒れていた。一心不乱に走って彼女のもとに行く。
「さなえ!さなえ!!」
跪いて、彼女の方を大きく揺らしながら必死に名前を叫ぶ。しかし、早苗は何かにうなされているかのように苦痛に満ちた表情を浮かべるばかりで目を開かない。まさか、と最悪の状況が頭をよぎる。思わずパニックに陥りかけてしまうが、なんとか踏みとどまって冷静に彼女の顔に耳を近づける。よかった、呼吸音はある。手首に指を当てて、脈があるのも確認できた。しっかりと生きている!
しかしまだ意識は戻らない。オカルトのたぐいに襲われたような傷もない。一体全体、何が原因なのだろうか。いや、そんなこと考えている時ではない。まずは早く病院に連れて行かないと。しかし、あの悪路だ。救急車に来てもらい、病院まで連れて行くには時間がかかりすぎるのではないか。
「そうだ、佐渡さん!」
何かあったら連絡してくれと言っていたのを思い出し、名刺を取り出して書かれている番号に電話をかける。
「もしもし!」
「その声は宇佐見の嬢ちゃん。その様子だと、何かあったようじゃな?」
「早苗が倒れたんです!意識がなくて……」
「わかった。救急車より儂のタクシーのほうが多分病院につくのは早いじゃろう。東風谷の嬢ちゃんを抱えて降りてこられるか?」
「なんとか頑張ります」
「儂も山道を登るから、途中で合流じゃな。持ってる荷物なんかはその時肩代わりしようぞ」
「よろしくお願いします」
「その子の運命はあんたにかかっているからな」
そう言って彼女は電話を切った。
私は早苗の上半身を起こし、自分が持っていたリュックサックを彼女の背中に預けると、なんとか頑張って早苗を背負うことができた。その時、本殿の中にあった資料のことがちらりと思い浮かんだが、頭を横に振ってそれを追い出す。何より優先すべきは早苗だ。
「私が頑張らなきゃ……!」
自分自身に活を入れ、来た道を急ぎ足で戻る。
§
早苗は諏訪の中規模な病院に運び込まれた。医者の診断によると、疲労と軽い熱中症が原因との事だった。大きな病院だったりオカルトのせいでは無さそうなので、一先ず安心といったところか。
しかし、栄養剤を駐車されてすでに一時間近く経つが、彼女は目を覚まさない。
あまり大事にはしたくないので、連絡をためらってきたが、そろそろ親御さんに知らせなくちゃいけない時が来たのだろうか。
「そう気を落とすでない。目が冷めて、友人がそんな思いつめた顔をしていたらきっと悲しむぞ?」
早苗が寝ているベッドのそばにいる私の方に、佐渡さんが手をおきながら静かに言った。
「費用の半分は儂が出すから、親にもバレまい」
「え、そんな。大丈夫ですよ」
「何、旅は道連れ世は情けじゃよ」
「でも」
「遠慮するでない。若いんだから、大人の好意には素直に甘えとくもんじゃ」
「佐渡さんも十分若いじゃないですか」
「お?そうかそうか。嬉しいことを言うねぇ」
カカッと景気良く笑う佐渡さんにつられて、私も頬が緩んだ。
「しっかし、お主、急にしおらしくなったな」
「そうですか?」
「先刻前の元気ハツラツさが感じられん。確かにさっきまでは彼女の安否やらが心配でたまらなかったのはわかるが、今はもう元気になったらどうじゃ?」
「昔はこんな感じだったんですよね、私」
「意外じゃな。"あの時"の元気さを考えれば、とても想像できん」
「早苗がいたからこそ、私はこうして元気に、前を向いて生きているんです」
「そうか……大切にするんじゃぞ」
そういう佐渡さんは、何故か、どこか達観しているような、そんな気がした。
「……菫子?」
会話の途中であったが、その声を聞いてベッドの方へと反射的に向いた。目を開き、きょろきょろと辺りを見ている。
「さ、早苗!眼を覚ましたのね!」
よかった。本当に良かった。思わず抱きしめたくなるが、医者に安静を命じられているので、手をぎゅっと握りしめるだけに留める。
「びっくりしたのよ?突然歩き出したかと思ったら倒れてたんだから。私がいなかったら――」
「佐渡さん」
早苗に今まで何があったのかを細かく説明しようとすると、彼女はそれを遮って佐渡さんに声をかけた。予想外の反応で、思わず口が半開きになる。
「諏訪には長くいるんですよね?」
「あ、あぁ。そうじゃが」
「今の諏訪を見て、どうですか?」
「時代は移ろうものだからな。生きているということは、変化するということじゃ」
「人の思いが何処かへ置いてけぼりにされても?」
「意思の集合体は、時として個々のソレを無視することはある。彼らは、地元の発展を願ったのじゃよ」
「諏訪を本当に愛している存在を忘れてしまっても……?」
「それが、この世界の選択だったんじゃろう」
二人の会話についていけず、きょとんとしていると、看護師を呼んでくるからと言って佐渡さんが席を離れた。
「ごめんね、菫子。迷惑かけちゃったみたいで」
「いいのよ、健康にはしっかり気をつけてよね?」
「再発防止に努めますわ」
「ならいいのよ」
「ところでさ、今は何時?」
「ええと、十七時三十分よ」
「結構長く寝てたのか……」
「気にしないの。さ、早くここを出て晩御飯を食べに行きましょう?」
「うん……そうね」
§
「今日は楽しかったわね、早苗!」
周りの客に流されないように、しっかりとボックス席を確保して、ホッと息をつく。今回は早め早めにホームにいたので、しっかりと間に合った。
「そうね。でも本当にごめんね。私のせいで、結局神社のこと、ろくに調べられなかったでしょう?」
「別に、気にしてないわ。秘密は逃げない。高校に受かったら、もう一回来よう」
「高校……」
窓の外を見ながら早苗はボソリとつぶやいた。その表情は、どこか、とても悲しそうに見えた。だけど、すぐにいつもの笑顔が咲いていた。
「東京、行けるといいわね」
「いけるいけないじゃなくて、行くのよ」
「うん。私頑張る」
「さ、そうと決まれば、もうちょっと具体的な計画練りからね!」
それからは、車内でずっと学校の話を続けた。スマホで合格差の体験談を見たり、早苗が苦手な社会をどう補うかをはなしたり。
「絶対、東京に行くわよ、早苗!」
「……ええ」
結・少女初代秘封倶楽部
次の日、私たちは進学計画のことを親に話した。早苗の親は快諾していたが、私の親はかなり渋った。最後には折れてくれたが。
それからは、毎日一緒に受験勉強をしまくった。辛い時も、苦しい時も、同じ目標を持っているからこそ、お互いに励まし合ったりすることができた。
しかし、諏訪から帰ってきてから数ヶ月間、早苗は勉強をしている間も時々ぼーっとしていたり上の空になっていることが多々あった。気になってはいたが、段々減っていったので特に病院に行ったりはしなかったそうだ。
そして、勿論私たちは無事に東深見高校に合格した。合格通知はネットで確認したが、それを確認した時は狂喜乱舞していた。それを学校に報告すると、皆がほめてくれた。多人数はあまり好かないが、ちょっとは嬉しかった気もする。
§
三月三十一日の二十三時。私達が高校生になるまで後少しとなった。一緒にホラー番組をぶっ続けで三本ぐらい見ていたが、気分転換に改めて制服を着てみることにした。
「んしょっと。よし、どうよ早苗。似合ってるでしょー」
その場でくるりと一回転しながら、小さなテーブルを挟んで無効にいる彼女に話しかけた。
「ええ。とっても」
「早苗も似合ってるわよ」
部屋の隅から姿鏡をテレキネシスで引っ張ってきて、色々なポーズを取ってみる。容姿に自身はないが、我ながら似合っているように思う。
「なんだか、夢みたいだね。あのパンフレットに載っていた制服を、自分が着てるだなんて」
「今まで頑張ってきたご褒美ね。でも忘れないでよ。これはゴールじゃなくて、あくまでも通過点でしか無いんだから」
「んも~先生みたいなこと言わないでよね早苗。でもまあ、確かにそうね。ここはゴールじゃない。鳴りを潜めていた秘封倶楽部の活動再開の起点でもあるわ!」
「そう、ね」
柔らかい笑顔を浮かべながら、早苗は返事をして、コップに入っていたジュースを一口飲んだ。
「でさ、再開一発目の活動を考えたの!」
テーブルの前に座って早苗と向き合い、目線を合わせる。
「天体観測ってどうかしら?」
「……いいわね、素敵じゃない。勉強ばっかりでまともに星空なんて見てなかったし」
「そうと決まれば、早速準備しなきゃね!」
景気づけに私もジュースを呑もうとしたが、空っぽになっていたのを忘れていた。ペットボトルの中身もすでにない。
「その前に、飲み物持ってくるわね」
「……よろしくね」
からのペットボトルを掴んで立ち上がると、ドアを開けてから早苗の方に振り返った。
「望遠鏡の準備できるならやっといてもらいたいかな~」
「そうね、そうしとくわ」
くるりと向き直り、部屋のドアを閉じた。すぐに階段を駆け下りて、一階のリビングに行くと、父親がまだ起きていて、パソコンで何かをしていた。多分仕事関係か何かだろう。黙ってそのそばを通りすぎようとしたら、早く寝なさいと釘を差されてしまった。笑ってごまかしながら、キッチンへと入って冷蔵庫から冷たいサイダーを取り出した。そのまま来た道を戻り、階段を駆け登って部屋のドアを開けながら、中にいる早苗に話しかけた。
「キンッキンに冷えたヤツ持ってきてよー」
ガチャリ、バタンと、部屋の中に入る。が、早苗の姿が見当たらなかった。お手洗いにでも行っているのだろうと思って特に気にもとめず、天体観測の準備をすることにした。ベランダに繋がる窓を開けて、手でしっかりと望遠鏡を抱きかかえて外に出る。夜空には綺麗な星空が広がっていた。そういえば、早苗と出会ったあの日も、こんな綺麗な星空だったっけなぁと感傷に浸りながら、せっせと準備に取り掛かる。一年近くしていなかったのに、身体はよく覚えているもので、数分で作業を終えた。スマホで今日の星空を確認しながら、一応準備が終わったことを伝えようと、部屋の中を通ってトイレの前に来た。
「早苗~、準備出来たから、先に始めちゃってるよ?」
こんこんとノックをしながら言うが返事がない。おかしいなと思っていると、トイレの電気がついていない事に気がついた。あれ、トイレにはいなかったのか。なら、彼女の部屋の中かな?再びベランダに戻り、そこから早苗の家のベランダに飛び移って、その中を覗いた。
しかし、その部屋の中には、文字通り"何もなかった"のだ。
「え、あれ?」
早苗の部屋には何度も訪れているし、どこにどんなものがあるかはしっかりと覚えている。しかし、目の前の部屋には何もない。何も。
何がなんだかよくわからない。とりあえずその中に入ってみようと、念力で鍵を開けながら窓をガラリと開ける。中へ入ろうとすると、中から埃まみれの湿った空気がムワッと襲ってきて、思わず咳き込んでしまった。ライトアプリを起動して中を照らしてみると、誇りが大量に積もっているのが見えた。まるで、何年も空き家だったかのように。
そんなバカな。ここは早苗の家族が住んでいたじゃないか。意を決して中へと飛び込み、滑るように部屋を通り、階段を降りて一回を見る。
しかし、そこにも何もない。ガランとしていた。
「……は?」
幻覚でも見ているのだろうか。あったはずのものが存在しない。いや、そんなまさかと思い、一回の部屋から玄関へ行き外へ出る。早苗の家ならば、ちゃんと東風谷という表札があるはずだ。ポストの近くにあるはずのそれを探すが、見つけることができない。
いや、たしかに三年前までは空き家だった。だけれど、ちょうど三年前に早苗の家族が引っ越してきてからはそうではなくなったのだ。こんなのはおかしい。
「引っ越し?」
一つの仮説が頭をよぎる。もしかして、早苗の家族は引っ越しをしてしまったのではないか?しかし、すぐにそれを否定する。引っ越しし業者が来ただなんて聞いてないし、そもそも、早苗がそのことを私に告げないわけがない。それ以前に、早苗と私は東京でルームシェアをする予定だ。家族全体が引っ越す必要性なんて無い。
なら、目の前で起きている現象はどう説明する?まるで、神隠しにあったようじゃないか。
そうだ、他の人にこの家のことを聞いてみよう。制服についた埃を払いながら、私の家の玄関を通り、静かにリビングへと入る。父親がまだ起きていたので、そっと聞いてみた。
「ねえ、お隣って誰が住んでたっけ?」
父親は、訝しそうな眼で私を見ながら言った。
――三年以上前から、隣は空き家だ……と。
§
私は眼鏡を外しベッドで仰向けになりながら、天井をボーッと見ていた。
わからない。わけがわからない。早苗は一体どこへ言ったのだ。本当に神隠しにあったのか?大胆な一家失踪?そんなもんじゃない。少なくとも、この目で見た事象を考慮すれば、早苗はもともとここにいなかったことになってしまう。そんな馬鹿げた想像を振り払うように頭を横に振り、スマホで写真を確認した。ほら、ちゃんと写ってるじゃないか。
そうだ。これは悪夢だ。そうにちがいない。なら、ちゃっちゃと眼を醒まそう。どういう方法が良いかなと思案しながらベッドから立ち上がると、テーブル―早苗がさっきまで使っていたものだ―に何かが置いてあるのが見えた。
手にとってよく見てみると、茶色い封筒だった。こんな物、先ほどはなかったはずだ。宛先も、書いた人の名前も無い。なんとなく中身が気になったので、開けてみることにした。メガネを掛けて、ハサミで上部を切り落として中を漁ってみると、三折になった紙が出てきた。
その一番上をペラリとめくってみると、私の名前が書いてあった。目が見開いた。これは誰かから私に対する手紙だというのか?急いで全部開いてみると、そこには、ただ一言『ごめんなさい』と、何か液体が垂れていたような痕。
そして、『東風谷早苗』と名前が書いてあった。
「え……」
どういうことだ?確かに筆跡は早苗のそれだと断言できるが、内容が理解できない。『ごめんなさい』とはどんな意味だ?何故謝っているのだ?
あぁもうこれは悪夢なのだ。友人が突然消えてしまえばいいと、深層意識で私はそう思っていたのか?なんて卑劣で最低な奴だ。早く起きて彼女に謝りたい。そうだ、頭をこのテーブルにぶつけてしまえば目が覚めるんじゃないか?きっとそうだ、そうにちがいない。そう思って机をしっかりと掴み、勢い良くぶつけようとした、その瞬間。
――プルルルル、プルルルル
ベッドにおいてあったスマホが、けたたましく鳴り響いた。電話のコールだ。相手は誰なんだろうか。どうせ、起きることなんていつでも出来る。早苗への手土産の一つぐらいにはなるだろうと思い、私はその電話に出た。
「誰?私の深層意識か何か?」
「……言っておくが、これは夢なんかじゃないぞい」
その声は、どこかで聞いたことがあった。確か……
「佐渡じゃよ。受験で忙しかったじゃろうが、忘れられていると流石に傷つくわい」
「な、何で貴方が電話を?」
「話は後じゃ。適当な支度をしてベランダから飛び降りてこい。車を用意してある」
言われたことが本当かどうか確かめるために、ベランダへ出て下を見る。確かに車と、手を振る人影が見えた。
「で、でも飛び降りるだなんて」
「お主は超能力者じゃろう?早くしないと、東風谷早苗を救えないぞ?」
電話越しの彼女の声ではっとする。何故、佐渡さんが私の秘密を、早苗がいないことを知っているんだ?言いたいことは山ほどあったが、電話を切られてしまった。真相を知るべく、スマホをポケットに仕舞い、帽子をかぶり、服装は……いや、時間の無駄だ。制服のままでいい。彼女がとたんに胡散臭く感じるようになったが、今は話を聞いてみるしか無い。
「……早苗」
私は躊躇することなく、ベランダから飛び降りた。
§
地面とぶつかる直前、サイコキネシスを真下に放って運動エネルギーを相殺し、静かに着地する。アスファルトが多少削れたが、特に気にも留めない。
すると、車の後部座席のドアが開いて、中から私を呼ぶ声がした。それにしたがって乗車して、叫んだ。
「佐渡さん!あなたはどこまで知って」
「しっかり掴まってな」
短くそれだけを言うと、普通では考えられないようなスピードで発進した。バランスを崩して、座席にたたきつけられる。
「あたた……こ、こんなスピードで走ってたら警察に捕まりますよ!?」
窓から見る景色から察するに時速100km以上は出ていそうだ。普通の公道でこんな速さを出していたら犯罪だし、それ以前に危険だ。
「捕まる前に逃げればいい。それより、早苗を助けるのが先決じゃろう?」
車を運転しながら言った言葉に、はっとさせられる。
「貴女は早苗がどこにいるか知っているんですか!?」
「無論。儂達はそこへ向かっている」
「で、でもなんで佐渡さんがそんなことを知っているんですか?それに、私の能力ののことも」
「儂もお主らと似た存在だから。とでも言っておこうか」
突然のカミングアウトに、私は戸惑った。聞きたいことがまた二,三増えたが、どうにも頭が状況に追いついていない。咄嗟に、私が最も気になっていることが口からでた。
「どうして早苗がいたという証拠がなくなっているんですか!?その状況でも、何故佐渡さんは覚えているんですか?!」
「その東風谷早苗が、こちらの世界から消えようとしているからだよ」
焦る私とは裏腹に、佐渡さんは冷静そのものだ。しかし、この世界から消える?これじゃあまるで二流ホラー映画だ。
「それは、神隠し……ってことですか」
「いや違う。どちらかというと、神救いかな……少なくとも、これは彼女の意志だ」
「早苗自身の意志で消えた?それってどういう」
「さあな、それは本人に聞いてくれ。それにほら、ついたぞい」
そう佐渡さんが言い終えるや否や、車は急ブレーキによって停止した。なんて乱暴な運転なんだろうと思っていると、ドアが自動的に開く。そこは、去年の夏に訪れた、諏訪神社があったところだった。あの時から何一つ変わっていないように見える。五分も経っていないのに、家からかなり離れた距離にあるこの場所についたのも謎だが、それ以上に気になることがあった。
「何、この気配は」
去年もここで変わった雰囲気を感じたのだが、それとはレベルが違うものを感じる。いや、レベルというより種類が違うといったほうが適切だろうか。しかもその強さが段違いだ。去年を、ほのかに果物の香りが漂うようなものだと例えるのなら、今は線香を一箇所で大量に焚いているかのように強烈だ。
あまりの異質さに外へ出るのを躊躇していると、佐渡さんが話しかけてきた。
「一つアドバイスをさせてくれ。感じているじゃろうが、今この場にはとてつもない妖力が満ちておる。ここなら、お主の超能力を十二分に発揮できるはずじゃ」
試しに何かしてみなと続けて言われたが、何をすればいいのだろうか。いや、こんな時に悩んでいる時間はない。ええい、どうにかなってしまえと乱暴に超能力を発動させる。すると、車外にバス停の標識が落ちてきた。
自分の能力の強さだと未だ手のひらサイズのものを漸く中距離あたりから自分のところまでテレポーテーションさせるのが精一杯だったのに、どこからやってきたのかわからないものが飛び出してきたのに、とても驚いた。
「よし、上々じゃな。さあ行け。その目で、真実を見定めてこい!」
「佐渡さんは一緒には来ないんですか?」
「生憎、儂の役目はここまでお主を導くことじゃ。この先はお主一人で運命を切り開け。大丈夫。お前にならできる」
「……わかりました。早苗を、助けに行ってきます」
彼女にお礼をいい、意を決して外に出る。この雰囲気には、慣れるのに時間がかかりそうだ。
「十二分に発揮……か」
車から離れて鳥居をくぐる。暗闇との境界が曖昧になっている道を、光る星々を頼りに山道を駆け上る。が、それより早く移動する方法を思いついた。
助走をつけて、おもいっきり地面を蹴り、そのまま念力を使って身体を宙に浮上させ、空を翔ぶ。いままでは、せいぜい宙に浮いたままで精一杯だったが、ここだと前に進むことが出来た。これなら、走るより数倍早く目的地に着きそうだ。
「待っててね、早苗!」
§
ものの数分で空き地に出た。此処も去年とは大して違いがない。飛翔をやめて地面に降り立ち、あたりを見渡す。
早苗はおろか、誰も人っ子一人いない。何故だろうと考えてみるが、あの神社は境界の中に潜んでいたはずだ。ならば彼女はその中か……と考えていたところで、私は気付いた。
「結界は、どこ?」
一年前に境界を発見したのは早苗だ。私も指摘されてようやく気づくほどの存在感だったが、今は周りの気配が異常すぎて、境界の裂け目を感知することが出来ない!
「これじゃあ、どうやって境界を超えればいいの……?」
そもそも見つけられたからといって、私にそれをこじ開けられるのかすら定かではない。去年は早苗が御札で開けていたから。私は失敗していたし。
「ア、アハハ……ハハ」
目の前が真っ暗になり、無意識に乾いた笑い浮かべながら、草原に倒れこんだ。監禁されているであろう親友を助けるために来たはいいものの、その部屋を開けられる唯一の人間が当の親友なのだから、あまりにも情けない。そう、情けない。情けなさすぎる。このままおずおずと戻らなければならない。その時、佐渡さんになんて言われるだろうか。
「私には、見定められませんでしたってか。フフ……」
……見定める、か。この"眼"で境目が見えたなら、どんなに楽だろうか……。
――願いは現実に変わるのよ!
初めて早苗と出会った時に彼女が言っていたことを思い出し、勢い良く上半身を起こした。
そうだ、まだ手はある。思いは現実に変わるのなら……!
眼鏡を外し、両手で目を覆うと、眼球に念力を掛けた。境界が見えないのなら、眼でそれが見えるように"調節"すればいい。
「ぐぅあぁあ!」
言葉に出来ないほどの激痛が頭に響く。耐えてくれ……!早苗を失ってしまう苦しみに比べれば、こんなもの……!
「あぁぁあ!!」
これぐらい流せばいけるだろうか、ゆっくりと手を離し、眼鏡を掛けておそるおそる瞼を開いた。
真夜中なのに、辺りがとても鮮明に見える。空を見上げると、普段は見えない六等星以下の星が瞬いていた。通常の視界にはほぼ問題ない。むしろ見えすぎているくらいだ。なら……
「……見つけた」
前方すぐ近くに、まるで崩れかけた壁の亀裂のようなものがあった。これが境界の裂け目なのだろうか。それを360度様々な角度で見てみるが、一定の方向からでしか見えない。有り体に言えば、厚さがないのだ。
こんな非物理的なものは、あちらの世界のものに違いない。すぐ近くで観察すると、そのスキマの大きさは縦に三十センチ、幅は五センチほど。両手を引っ掛ければ、こじ開けられるかもしれない。しかし、安易に指を入れて大丈夫なのかは試してみないとわからない。落ちていた枝を突っ込んで引き抜いてみたが、変化はない。大丈夫そうだ。
念力を両手に貯め、腹をくくって、境界に手を差し込む。そして、左右におもいっきり引っ張る。こんな、一見物理的な方法で行けるのかはわからないが、ダメなら他の方法を試すまでだ。
しばらく唸りながらこじ開けようと力を入れていると、ピシリと何かにヒビが入ったような音がなった。まさか、いける?念力と腕の力をさらに強めると、ひびの入る音が断続的に続くようになった。これはいける!
「早苗……早苗……」
力を、思いを込めて思いっきり引っ張る。
「早苗!!」
瞬間、ふと、抵抗力がなくなり、まるで麩を両手で開くような感じになって、両手がぽんと左右に伸びた。と同時に、境界の裂け目が急速に広がり、結界らしきものにヒビが入って崩れていく。その光景は一年前に視たまさにそれで。
「私にも、できた!」
目の前に広がるあの神社も、去年と変わっていない……ように見えるが、どこか変だ。瓦礫のかけら一つ一つが淡く光っており、時々その一つが空に浮いて、光の粒となって消えていくのだ。一体何が起こっているんだろう。
そんな疑問は、本殿を見てどこかに吹っ飛んでいた。四人、こちらに背を向けて並んでいたが、そのうち一つの背中――私と同じ制服を着た彼女には、見覚えがあった。
思わず、叫んだ。親友の名を。私が信頼している唯一の人の名を。
「早苗!」
その声に反応して、四人がこちらを振り返った。一人は四人の中で一番背が高く、しめ縄のようなものを背負い、一人は特徴的な帽子をかぶり、早苗よりも小さく、最後の一人は、リボンの付いた帽子のような物をかぶり、何故かひょっとこのお面をかぶっていて、そして、フリルの付いた紫色のドレスを着て……!?
「なんで、紫色のアイツと一緒にいるの……?」
「……菫子」
そして早苗は、こちらに振り返った。
「貴女には関係ないわ」
とても、哀しそうな表情を浮かべながら。
「……わ、わからないことが多すぎるのよ!何で突然私の目の前から消えたの!?なんで家には何もなくなっているの!なんで貴女がいた証拠が私の周り以外消えているの!?なんで、なんで……」
思っていたことを、形振り構わず大声でまくし立ててしまう。もっと他に掛ける言葉があったはずなのに。言い終えたあとに、やり場のない怒りのような悲しみのような、感情がぐちゃぐちゃに絡みあった何かが胸にどっしりと沈み込み、無意識に唇を噛んでいた。
「私は、このおふた方を助けるために、幻想入りすることを決意したの」
そういいながら、彼女は両隣に立つ二人の方をみて、柔らかく微笑む。その表情はまるで、もう少しで消えてしまいそうな儚さを感じさせた。
「紹介するわ。こちらが八坂神奈子様。こちらが洩矢諏訪子様。私の信じている、大切な、大切な神様です」
「かみ、さま?」
あれが、早苗の傍にずっといた神様なのか。いるとは信じていたが、まさか本当に目にする時が来るとは思わなかった。そして、ふとその神様について早苗が言っていたことを思い出した。
「貴方の神様って、名前とかがわからなかったんじゃ……?」
「そう、わからなかったわ。去年、この場所に来るまでは」
スワコ、という名前から考えると、まさか。
「そう、この二柱こそが、人々から忘れられた諏訪大社の祭神だったの」
再び哀しそうな顔で、こちらを向きながら、静かにそう言った。
「……神社に行く前から、八坂様達の具合があまり良くなかった。昔は、たくさんおしゃべりしたりしていたけれど、その時はもう、首を縦か横かに振るだけの意思疎通しか出来ない状態だったの。なんとかしようにも、誰にも相談できないし、途方に暮れていた。そんな時だった。貴方が、神社に行こうって誘ってくれたのは」
「そうだったの……」
「そして、ここで思い出したの。八坂様たちの名前と、信仰を失った神様は消える定めにある……って」
「信仰?」
「神様は、人々に肯定されていると、その存在を保つことが出来る。逆に、忘れられればいずれ消えてしまう。八坂様達は、この状況に陥っていた。
神社に行って八坂様の正体はわかったけれど、同時に、このまま消える運命だと分かって、私は深く絶望したわ。でも、その時に救う方法を教えてくれたのが、紫(ゆかり)さんだったの」
「ゆかり……」
すると、紫がこちらに振り向いて、手を振ってきた。ひょっとこのお面から見えるその眼は、笑ってはいなかった。
「その、紫(ゆかり)が教えたっていう幻想入りって何?」
「現の世界からその存在を完全に忘れられ――幻想のものとして、なかった事にして、夢の世界に移り住むことよ。この現の世界で私は『もともと存在しなかった』ことになって、歴史が修正されるの。貴方以外の人や物が私を否定するようになったのもそのため。あの家に誰もいなくなっているのは、あの夫婦の間に私がいなくなって、引っ越す必要がなくなったからよ。こちら側の世界で、私はすでにもう生きていてはおかしい存在になってる」
「なんで、どうしてそんなことをしたの!?私との関係はどうなるのよ!秘封倶楽部はどうなるのよ!」
声を荒げる私を、冷たい目線で見つめながら、彼女は言う。
「八坂様は、私を救ってくれた。だから、今度は私が力になってあげなきゃいけないの」
「救ってくれた?」
「ええ、最初はまだ物心ついた時だった。児童養護施設にいた私は、次々と引き取られていく同い年の子が羨ましくて、願ったの。優しいお父さんとお母さんがほしいって。それからすぐに、あの二人に引き取られた」
「血がつながってなかったの……」
「そうだと悟られないように過ごしてきたから、菫子がわからなくてもしょうがないことよ。確かに血の繋がりはないけれど、それでも、あの二人は私を娘として大切に育ててくれた……。
でも、それ以外の周りは優しくなかった。
小学校に上がった時から、私は同じクラスの人間から蔑ろに扱われてきた。最初は身体的なものはなかったけれど、年々ひどくなっていって、そして気づいたの。私は他の人とは違うと。そして神様に願ったの。私と同じような境遇にいる人と友だちになりたいって。そうして引っ越すことになって、菫子、貴方と出会った」
淡々と打ち明けてくる彼女の言葉を、ただ聞くことしか出来なかった。
「でも、それがいけなかったの。ただでさえ信仰しているのが私だけなのに、そのお力を不必要に消費させてしまった。責任は全て私にある」
「で、でも、貴方が神様と一緒にそっちに行く必要はないじゃない!」
「だめよ。八坂様達は私がそばにいるから、ここにこうしていられる。少しでも離れてしまえば、他の人から信じて貰う前に消えてしまうわ」
「なら!こっちの世界で信仰を集めようよ!早苗の奇跡ならきっと」
「そんな奇跡は起きないわ、一度としてもね」
普段の明るくて自信家な彼女からは想像できない、冷たい、突き放すような口振り。
その態度に、私は激昂してしまった。
「何よ……何よ!一人で抱え込んで!私に相談すればよかったでしょう!?」
「そ、それ、は……貴方に相談しても発展がないと思ったから……」
「そうやって一人で抱え込んで!一人でネガティブな結論をだして!後向きで腐っていた私を救ってくれたのは貴方でしょう?思いは現実に変わるって教えてくれたのは貴方でしょう?
なら、貴方に救ってくれたこの身で、貴方の心をとりもどす!奇跡は起こすよ、何度でも!!」
「っ……あくまでも、受け入れないのね。その態度は、私達に対する敵対行為とみなします。自らの意見を通したいのなら、私を倒してみせなさい。勝負は、あちらの世界での物事の解決方法『弾幕ごっこ』よ。ルールは簡単。攻撃を避けながら、私を倒すだけよ!」
言い終えるや否や、早苗は空へ舞い、こちらを見下ろしながら、言葉を発した。
「私は、神長守矢の末裔にして現人神、東風谷早苗である!二柱の下に、ひれ伏すがいい!」
「私は、秘封倶楽部会長にして高校生、宇佐見菫子である!絶対に、貴女を助けてみせる!」
「奇跡『客星の明るすぎる夜』!」
早苗が高らかに宣言すると、星が同時に爆発したかのように夜空が真っ白に染まった。反射的に帽子のつばを掴んで深く被る。強光は数秒で収まり、再び早苗の方を見ようとしたその時、ヒュンヒュンという風切音とともに前方と左右数メートルの距離につららのようなレーザーが突き刺さった。とたんに、次々とそのすぐ側に刺さり、しかもその場所が徐々に私の近くに迫ってきていた。被弾しないように複数回後ろにジャンプを繰り返してその場を離れ、最後に大きく地面を蹴って大空に舞った。早苗の方を見てみるが、彼女はかなり上空を飛んでいる。私の攻撃は主に近接系だ。相手の懐まで近づかなければならない。接近するために飛翔しようとするが、レーザーの第二波が襲ってきた。後ろに翔んで回避しようとしたが、あのスピードだと確実に追いつかれてしまう。ならばと、超能力で調節された眼で弾幕を観測すると。よく見るとまっすぐ一直線に進んでいるのが分かった。
「その弾幕、見切った!」
レーザーとレーザーの間に入り込み、冷静にその場にとどまると、それらは次々と私をかすめて後方へと飛び去っていく。これで大丈夫だろう。
「見切ったぁ?甘いわよ!」
突然目の前に白く発光する弾が飛んできた。避けようにも身動きがとれない!なるべくダメージを抑えるために、両腕に念力を溜めて、体の前でクロスさせて白弾を受け止める。が、衝撃で私は後方に吹き飛ばされた。背中にレーザーがぶつかり、被弾箇所はまるで熱湯をかけられたかのような痛みが走る。
「うぐぅ……!」
その後も次々とレーザーにぶつかり、数秒後にやっとそれの波の外に出た。
きりもみ回転をしているからか、ぐるりぐるりと視界がめまぐるしく変化するが、眼でしっかりと、状況を捉える。レーザーはいつの間にか消えていた。しかし、私はかなりの速度で早苗から遠ざかっており、このままだと地面と衝突するのは確実だ。焦らず冷静に念力を操作して、なんとか回転運動を止める。そして、すぐさま旋回し、上昇方向へと転じた。早苗より若干上空につくと、すぐさま彼女に近づくべく、重力からも力を借りて、速度を増して空を舞う。
「奇跡『ミラクルフルーツ』!」
早苗の追撃が来る。あの札は、一年前、学校に乗り込んだ時に遭遇したオカルトを退治するとき使ったものだっけ。そういえば、あの時はまだ秘封倶楽部じゃなかったんだっけ。あの時から彼女と私の連携は完璧だった。活動の時、自信満々にサポートしてくれたり。あの優しい彼女は嘘だったのか?
複数の楕円弾が弾けて小弾の列が四方八方に散らばる。迫り来る弾幕の軌跡を予測しながら、早苗へと一直線に降りていると、ふと有利になりそうなことを思いついた。私も擬似的な弾幕を張れるのではないか……と。地面に落ちている瓦礫のかけらを一つ自分の近くにテレポーテーションして、それをテレキネシスによって加速させ、近づいてきた小弾列に向かってふっ飛ばした。かけらは弾幕にぶつかると、数個の塊になって散らばったが、衝突されたそれは光の粒となって消えていった。よし、うまくいった!飛んできた他の小弾列のスキマに滑り込んでやり過ごしながら、それを確認すると、すぐに目線を早苗の方に戻した。
第一波が全て渡しの後ろへ過ぎ去ると、すぐさま大量の瓦礫を瞬間移動させた。そして、私の周囲に浮遊させ、それらをテレキネシスで加速させてから早苗の方へ向かって放つ。名づけて……
「念力『テレキネシス 不法投棄』!!」
すでに来ていた第二波を蹴散らしながら、瓦礫は一直線で早苗の方へと落ちていく。彼女は、鳥のように自由に空を飛びながらそれを回避しようとするが、それは想定内だ。サイコキネシスで瓦礫を一つあたり複数個の塊に分離して、四方へと吹き飛ばす。流石にそれは予測していなかったのか、数個に被弾して彼女は地面に落ちていった。
まずい!あの高さから地面にぶつかれば、身体に大ダメージをうけてしまう。私は心だけを変えたいのだ。彼女を救う方法を考える……衝撃を抑えればいい。諏訪湖の水を大量にテレポーテーションさせると、ハイドロキネシスによって流れを作り、早苗の元へと伸ばす。これなら間に合いそうだと気をゆるめた、次の瞬間。
「開海『海が割れる日』!」
彼女がそう叫ぶと、水流が真っ二つに引き裂かれた。何かの作戦だったのか、彼女はわざと落下していたのかと驚くあまり、迫り来る弾幕に気が付かなかった。
「まずっ」
もう一度両手を体の前で交差して念力を溜めようとするが、間に合わない。被弾の痛みが、直接体に響く。
「ぐあぁぁ!」
一瞬視界がチカチカして超能力操作を忘れてしまう。ふわりと上空へ舞った後、私の身体は重力によって下へ下へと引きずり降ろされていく。飛翔しようとするも、数々の痛みでうまく集中できない。そのまま落下していくが、ぶつかる直前になんとかサイコキネシスで勢いを相殺して、数メートルほど地面を転がった。
「げほっ……ぅぐっ」
体の節々が痛みを訴える。しかし、そんなものにいちいち構っていられない。急いで立ち上がり、反撃に出ようとするが、彼女の追撃のほうが早かった。
「秘法『九字刺し』!」
前後左右そして上から、柱のような大きさの赤く光るレーザーがジャングルジムのような形を私の周囲を囲うように形成し、動きを完全に封じられる。しまった、これじゃあ、彼女からの一方的な攻撃に耐えなければならない。思わず舌打ちをする。どうすればいい?瓦礫を瞬間移動させようにも、あのレーザーにあたったら何が起こるかわからない。テレキネシスで周囲の何かを操ろうにも、役に立ちそうなものがない。……いや、一つ方法がある。でも、一度も試したことがないし、危険な結果になるかもしれない。迷っていると、周りの木々の葉が淡く光りだした。枝から離れて、立体格子の周囲を漂い始めた。まさか、この身動きが殆ど取られない状況でアレを避けさせるのか?私にはそんなこと出来る自信はない。なら、もう一つの可能性にかけるしか無い。
弾幕と化した木の葉が波となり、全方位から襲ってくる。弾速をと推定距離を確認すると、静かに目を閉じ、全身の感覚を研ぎ澄ませる。帽子のてっぺんからメガネのレンズ、足の爪の先まで全てを意識する。全身で、起こす事象をイメージする。まだだ、まだ。まだ……――思いは現実に変わるのよ――今だ!足に力を込めて、全力でジャンプをし……
格子のすぐ外に着地した。
「な、まさか」
「そのまさか、瞬間移動よ!」
早苗が驚くのも無理は無い。私は今まで物しかテレポーテーションさせたことしかないし、彼女の前でもそれしかしてこなかったから。生き物――とくに人間なんかは、自分自身で自重していたのだ。大きさ的にも、何より移動した先でも生きているかどうかが恐ろしくて実験する勇気がなかった。ぶっつけ本番で、自分の命をかけたのだ。しかし、これはある意味隠し玉だ。恐らく今後の攻撃はテレポーテーションを使ってもやり過ごせない、密度の高い弾幕を張ってくるに違いない。
彼女の驚愕した表情をよそに、手早く身体に欠けたところが無いのを確認すると、道路標識を私のすぐ上に出現させ、両手でつかむ。
「とおぉりゃああ!!」
そして、そのまま助走をつけて、一気に振り下ろした。しかし、早苗の身体にぶつかる直前、彼女はどこからか先端に御札のようなものがついた棒――たしか大幣とかいうやつを取り出すと、その持ち手の部分で標識を受け止めた。見た目からどう考えても木かなにかなのに、両者がぶつかった時にはまるで金属同士がぶつかったかのような、すさまじい音が鳴り響いた。
「そんな手が通用するとでも?菫子!」
早苗はそう叫ぶと、標識を右に受け流し、胸ポケットから一枚の札を取り出した。
「蛙符『手管の蝦蟇』!」
御札が強烈な光を放ちながら破裂して、小さな小さな弾がこちらに吹っ飛んできた。咄嗟に標識のテレキネシスを解き、マンホールのふたを出現させて、盾代わりにして身を守る。
「ツメが甘いんじゃあ無いの?」
追撃対策のために後ろへジャンプしながら、十数メートルほど距離を開ける。彼女は苦々しそうな表情を浮かべると、もう一枚札を取り出して宣言をする。
「蛇符『神代大蛇』!」
早苗の足元から半透明な大蛇が四体姿を現す。大幣で私の方を指すと、その化物共が一斉にこちらへ向かって突進してきた。
動きを冷静に見極めようとするが、動きが不規則で予測できない。なら、直前に対応すればいいだけの話だ。方針を決めていると、一匹が間近に迫ってきた。少し後ずさりした後、ソイツの真正面に向かって全力で走る。激突する寸前におもいっきり飛び上がり、奴の頭を勢い良く踏みつけた。足元からぐしゃりと嫌な音がなったかと思うと、それの身体から力が抜けたように動きが止まった。そのままソイツ背中を走り、早苗の方へと駆ける。
彼女のところまでもう少しといった時に、今度は左右から大蛇が襲ってきた。冷静に見極めて、若干早い左のやつの上空に電柱を瞬間移動させ、自由落下によりその巨体を押しつぶす。そいつはゴキリと音を鳴らし、勢いを失って地面へと倒れこんだ。それを視界の隅で確認すると同時に、バス停の標識を出現させてバットのようにフルスイングし、反対側から迫る大蛇の頭を叩き割る。障害は全て排除した。そのままの勢いで大蛇の背を走りきり、持っていた標識を彼女に対してランスのように突きつけようとした。
早苗は前かがみになってそれを避けると、大幣の札がついてない方で私の肋骨辺りを突いてきた。そのまま地面に転がってしまうが、勢いを利用してすぐさま立ち上がる。反撃しようとすると、淡く輝く御札が複数枚襲いかかってきた。落ち着いて全てにサイコキネシスをぶつけて被弾を回避すると、落としたバス停の標識を念力で拾い上げ、再び早苗の方へと走って近づき、今度はなぎ払うようにスイングする。ぶつかる直前で彼女は標識のそばで御札を破裂させて勢いを殺し、大幣で私の顔面に向けて突きつけてくる。体全体をひねってそれを回避すると、そのままの勢いで早苗がそばを通り過ぎた。一瞬だけ、息と息粋が絡みあうほど顔が近づくが、すぐに過ぎ去っていった。
ひねりを利用して、再び標識に速度を乗せて後ろに振り返し早苗に打ち付けようとするが、またも弾ける御札で阻止されてしまった。だが、同じことが何度も通じさせる訳にはいかない。弾ける瞬間、瓦礫を瞬間移動させ、彼女の方へと飛ばしたのだ。早苗はすぐさま御札を取り出して、それらにぶつけて回避するが、そこにサイコキネシスをお見舞いする。
「くっ……!」
その衝撃にたまらずたたらを踏む早苗。その隙を見逃さず、標識とテレキネシスによる瓦礫、サイコキネシスを駆使して彼女をじわりじわりと追い詰める。形勢が少しだけ私に傾いてきた。
攻防を繰り返していると、先ほど脳裏に浮かんでいた疑問を思い出した。冷たい、突き放すようなあの行動。いつもの優しいくて真面目な彼女からは到底考えられないその態度が、果たして本心なのだろうか。あの優しい彼女は偽物だったのだろうか。
瓦礫をテレキネシスで飛ばす。御札で撃ち落とされる。
……いや、それはありえない。この三年間、学校にいる時も、放課後も、時には寝る時もお風呂に入る時も一緒だったのだ。誰よりも早苗のそばに、私はいたと自負できる。だからこそ、私は確信を持って言える。早苗はとても優しいくて素直で真っ直ぐな女の子だ、と。
「あなたの本心は一体なに……?」
ぽろりと、不意に出てしまった言葉に、早苗は反応した。
「これがそうよ!あなたは私の敵!絶対に倒す!」
……やはり、どこかおかしい。今の言葉も、先ほどの彼女の行動も、違和感……わざとらしさがあるように感じる。戦うことになる前の私はかなり気が立っていたので、彼女の挑発に乗ってしまった。しかし、よく考えてみると、訳あって演じているように思えてならない。まるで、
「嫌われたいかのように」
「そう!私は菫子に嫌われたい!そして、綺麗に忘れてほしいのよ!」
私の言葉に反射的に返ってきた言葉で、気づいた。そして、確信する。
早苗は真面目で優しい。いや、優しすぎて真面目すぎるのだ。
命の、心の恩人である神様を救いたい。けれど、そうすれば私のそばを離れなければならない。しかし、そのことを私に話せば反対される可能性もあり、友人関係が危うくなるかもしれない。そう思った彼女は、一人で悩み、悲しみ、抱え込んだのだろう。優しさ故に。わざとらしい悪意も、無理して装っているに違いない。
この世界から去るのだって、私にそのまま黙っていてもよかったはずだ。しかし、そうしようとせずに手紙を残したのは、彼女の真面目さが許さなかったのだろう。そして、私を挑発し嫌われようとしているのも、しっかりと決別し、彼女のことを諦めて新しい人生を歩んで欲しいということなのだろうか。
そうだとしたら、なんと私は愚かだったのだろうか。三年そばにいて親友を自称しているのに、すぐにそれに気づかなかっただなんて。
そんな私ができる事は、ただ真っ直ぐに、彼女の思いを受け止めるだけだ。
その時、カタリと早苗の背中に建物の残骸がぶつかった。
「早苗……」
「……」
「私は、そんな貴女が、たまらなく好きなのよ」
勢いをつけて、標識を彼女が見動きできなくなるように突きつける。
ぶつかる瞬間、彼女は飛び上がって突きを回避されて、後ろの残骸に突き刺さった。更には、突き刺さったそれの上に着地すると、再びジャンプして瓦礫の上に降り立つ。私は念力によって瓦礫全体を下から押し上げ、早苗を挟みこむように叩きつけようとする。が、彼女は更に飛翔してまたも上空に舞い、そして宣言した。
「準備『神風を喚ぶ星の儀式』!」
早苗の周りから星形をかたどった弾の塊が複数飛び出して来た。彼女の近くでは、圧倒的密度で押しつぶされてしまう。後ろ走りで距離を取り、青球と赤球の弾幕を可能な限り最小限の動きを持って正確にしっかりと避ける。打開策を見つけようと思案していると、
「奇跡『神の風』!」
突然、強風が吹き荒れて、周囲の弾とともに私も吹き飛ばされ地面を転がる。そのせいで幾つか弾幕に被弾し、その箇所が痛みという悲鳴をあげる。続けてぶつかる前に周囲に連続して小さなサイコキネシスを発動して、防御壁がわりとする。そのまま立ち上がると、バスケットボール大の弾が私の頬をかすめた。上空を見上げると、楔形の弾と球体の弾が風に舞っていて、次々と私の方へと拡散し、迫ってくる。
弾の速度、距離を見極めて、最小限の動きで避け続ける。私からは早苗に攻撃が届かない。根気勝負だ。どちらが先に力を出し切るか……
まるで、永い時間避け続けていたように感じる。実際はどれくらい経っているのか。三十秒か、六十秒か。そんな時、突然弾幕が光の粒となって消えた。まさか、一定時間避け続けていると、御札の効果が切れるのだろうか?何にせよこれはチャンスだ。しかし、頭と体をフル回転させての連続回避に疲労しきっており、息を整えるだけで精一杯であった。早苗も同じらしく、いつの間にか私の前方の中距離あたりに降り立ち、肩を大きく上下させていた。
早苗が顔を上げる。この場所で初めて、目線が重なる。
来る。そして、それが最後になるだろうと、何故か直感で感じていた。
「秘術『一子相伝の弾幕』!!」
空が弾ける。大小様々な弾がそれぞれで五芒星を形作る。それはまるで、今まで歩んできた楽しかった思い出を象徴しているみたいで。そこで、私はようやく気付いた。弾幕というのは、きっと、彼女の思いが形となったものなのだ、と。そして、私は親友なのだから、大切な人の思いを、受け止めなければならない。
星星の一辺一辺が波のように動き出し、空全体に拡散し、私に迫ってくる。
楔形の弾の合間を抜け、彼女の苦悩を受け止め、前に進む。
赤い小弾の合間を抜け、彼女の悲愁を受け止め、前に進む。
青い小弾の合間を抜け、彼女の絶望を受け止め、前に進む。
彼女の決意を受け止め、私自身の心も、前に進ませる。
たとえ世界中が彼女を忘れても、私だけが、早苗のことを覚えているために。
一歩、踏み出す。
瞬間、すべての弾幕が光の粒となって周囲に散らばっていった。その光の海の中を、ただ一心に駆け抜けて、
「早苗!!」
「菫子!!」
力尽きたのか、その場でへたり込んでいる早苗のそばに走り寄って、思いっきり、抱きしめた。とても、暖かかった。
「ごめん。ごめんね、早苗。貴方の気持ちを考えていなくて」
「ううん。私の方こそごめん。一人で考えこんでないで、貴方に相談するべきだった」
「いいのよ。早苗は、十分に考えて、正しい結論を出したと思う」
「こんな身勝手な私を許してくれるの?菫子は優しいのね」
「私なんかより、早苗のほうが何倍も優しいわ。私と似た境遇にいたのに、私より前向きで、明るくて、優しくて、可愛くて、強くて格好いい。世界で一番大好きよ」
「ありがとう。貴方がそう言うんだもの。間違いないわ」
「……でも、別れるのは辛いわ」
「私もよ。紫さんに頼んで、どうにかこの世界に留まって八坂様たちと共に生きていく方法がないかどうかを調べてもらったけれど、駄目だった」
「あのお二人が大切なのね」
「もちろん、菫子のことも大切よ。けれど、二柱のこともそれと同じくらい……お力になれるのなら、私はどんなことでもするわ」
「早苗らしいわ」
「ありがと」
「その、なんだ」
突然第三者の声が耳に飛び込んできた。抱きしめ合ったまま顔を上げると、早苗の両隣に、先ほど神様と呼ばれていた二人がいた。
「今日の今日まで早苗をそばで支えてくれてたこと、本当に感謝している」
「い、いえ、そんな!私の方こそ、早苗に支えられてばかりで」
背の高い女性からの突然の謝辞に、思わず声が上ずってしまう。この強い威圧感と神聖さが、嗚呼、神様なんだろうなと直感的に理解できた。
「私がもっとしっかりしていれば、幻想入りする必要もなかったかもしれない。菫子さん、すまない」
「まー、信仰なんて所詮民のさじ加減だからねぇ。科学技術が発達した昨今じゃあ、他の神様も……」
「こら諏訪子、空気を読みなさい」
そう神奈子さんは言うと、諏訪子さんの頭にチョップを食らわせた。
「あだっ。んもぅわかってるよぉ。……二人の神遊び、とっても面白かったよ!特に、『神の風』を避けきるたぁ驚いたよ」
「諏訪子、もっと他に言うことがあるでしょう」
「べっつに~。私は神奈子についていくだけだよ……まあそうだね、やれば出来る子だっていうのは、早苗のそばからみてたから。これから辛いこと、悲しいこともあるだろうけど、頑張ってね」
「……はい」
私が返事をすると、まわりの瓦礫の光が一層強くなり、粒となっていく。どんどんあちらの世界に移っているのだろう。
「私達も、そろそろらしい」
そう呟いた八坂さんの足元からは、光の粒がふわりふわりと浮き始めていた。洩矢さんも同様に。
「繰り返すが、本当に有難う、菫子さん。この命、君にも救われたようなものだ」
「たまたまですよ……あの、お二方にお願いしたいことがあるんです」
「ん?なあに?」
八坂さんと諏訪子さんを交互に見ながら、私は言った。
「早苗のことを、よろしくお願いします」
「もちのろん!ね、神奈子」
「ああ。然と心得た」
二人から出ている光量が更に増す。下半身はとうに消えてしまっていた。
「それでは、菫子さん。いつの日にか、共に酒を呑み交わそうぞ」
「じゃあね~!いつか、私の神遊びにも付き合ってね!」
そういって、二人は光りに包まれて、消えていった。だが、その粒は未だ止まない。なぜなら、私の胸の中からも、発生しているのだから。
「早苗」
静かに、彼女の名を言って、背中に回していた手を方に乗せ、その顔を覗き込んだ。
「私もそろそろみたい」
「そうみたいね」
その頬を両の手で包み込む。彼女のぬくもりを、最期までしっかりと身体に刻みこむために。
「やっぱり、別れるのは寂しいわ。菫子」
「私もよ。でも、必ず、また会いに行ってみせる」
「本当に?」
「ええ。だって私は、秘封倶楽部(秘密を暴くもの)だもの」
「期待してる」
「貴方も秘封倶楽部のメンバーらしく、あっちの世界でもはっちゃけてきてね」
「もちろん」
一段と光が増す。どんどん消えていく。いつまでも一緒に同じ時間を過ごすはずだったのに、それがかなわないのはとても悲しいことだけれど、親友の旅立ちのときに涙を流して、悲しませることは出来ない。
最後に言いたいことを言うために、額を彼女のそれにぴとりと触れて、早苗の、その綺麗な瞳を覗き込んだ。
「大好きだよ、早苗」
「私も好きよ、菫子」
そう言い終えると、彼女の身体がふわりと浮いた。私の額からぬくもりが失われる。もう、肩から下は光となってもはや見えなくなっていたが、それでも、早苗はこちらに微笑みながら、一言、私に囁いてくれた。
「ありがとう、愛してる」
言葉を返すために口を開き彼女の方に手を伸ばすが、
彼女はそのまま光りに包まれて、消えていった。
「早苗!!」
瞬間、強い風が吹き込み、光る瓦礫と早苗の光とともに、夜空へと消えていく。
あたりは、もともと何もなかったかのように、薄暗く、静かになっていた。
§
しばらく、放心状態で座っていると、どこからかパチパチと手を叩く音が聞こえてきて、ふと我に返る。そうだ、私にはまだやらなければならないことがあるのだ。顔を音のした方に向けると、そこには私が睨んだ通り、紫が立っていた。
「おめでとう。貴方はきっちりと役割を果たせた」
相変わらずひょっとこのお面をつけていて表情が読めないが、その口調からして、この結果に満足しているように聞こえた。
役割がなんなのかは分からないが、あいつには話の主導権を渡すと厄介なことになりそうだ。私は彼女の言葉を無視して、言葉を投げる。
「貴方が、早苗たちにあっちの世界に行く方法を教えたのよね?」
「そうよ」
「なら、わたしもそちらの世界に行きたい。早苗のいない世界なんて退屈でしょうがないから」
「あら、何故そんなことをしなくてはならなくて?貴女はこちら側の存在では無い、只の人間じゃない」
「私は超能力者!他の凡人どもと一緒にしないで!」
思わず声を荒げてしまう。しかし、冷静にならなければ。相手は二年前、私達に意味深長な事をいい原理不明の妖術で否応なしにこちらの行動を制限してきたやつだ。丸め込まれれば、かなり危険だ。
「私にとっては、貴女なんてたくさんいる人間の一人にすぎない」
「なら、早苗は!?早苗は普通の人間じゃないっていうの!?」
「あ、言ってなかったわね」
そういうと、しっかりとした足取りで、私の方へと歩いてくる。何をされてもいいように、バス停の標識を瞬間移動させてしっかりと握りしめる。
「東風谷早苗は、元をたどれば神と血がつながっているのよ」
「いきなり何を言って」
「貴女は考えたことなかったの?一介の人間に神様が二柱も憑依するだなんてあり得ないわ。それこそ、訓練された巫女か、その神の関係者、現人神以外はね」
「早苗が現人神だったから、そちらの世界への移住方法を教えたの?」
彼女は私の目の前、手を伸ばせば届きそうなほどの距離で立ち止まると、静かに言った。
「半分正解ね」
「…………」
「何故、彼女達を幻想入りさせたか?その理由は"私が彼女達を欲した"からよ」
欲した?どういうことだ。
「だって、魅力的じゃない?方や国譲りで活躍し、数多の武将に信仰されてきた軍神、方やミシャグジをはじめとする土着神の頂点。こんな大物を引き込めれば、こちらの世界はもっともっと変化する。だから、一芝居打ったのよ」
「それって、まさか」
「そう。私は、彼女達が幻想入りせざるをえない状況に追い込むために、あれやこれや様々なことをしたわ。それこそ、東風谷早苗が生まれる前からね」
その言葉に、目の前が段々と暗くなっていくように感じた。下手に出て、誠実に頼もうという気持ちは、どこかへ吹っ飛んでしまった。心にドロリと怒りの感情が流れ込んでくる。
「ずっと、お前の掌の上だったというの……?」
「もちろん。だから言ったでしょう?"貴女は役割を果たした"って」
なにか考える前に、体が動いた。目の前のバケモノを亡き者にしようと標識をフルスイングしぶつけようとする。しかしその直前、奴はその細い腕で私の攻撃を受け止めた。念力を更に強めるが、びくともしない。
「じゃあ!この超能力も、貴女の仕業!?」
「普通の人間がそのレベルの力を生まれながらにして持っているのは珍しいケースよ。でも、私は知りませんわ」
「秘封倶楽部結成も、お前が仕組んだのか!?」
「秘封、倶楽部?……なんのことだか、さっぱりですわ。けれど、貴方達が"結界暴き"と称していたものなんて、"私達"に言わせれば、児戯にも等しいわよ」
「この私達の三年間を侮辱する気?」
「三年……三年も私のコマとしてよく働いてくれたわねぇ。感謝してるわよ」
「あ……あああああああ!!!!」
ただ感情に身を任せ、別の標識を瞬間移動させて、大きく振りかぶって奴の脳天を破壊しようとする。しかし、それも空いている手で受け止められてしまった。
「返せ!!私に早苗を返せ!!」
「勘違いしてるわよ、貴方。私は幻想入りを選択せざるを得ない状況を作ったけれど、彼女たちを強制的に取り込んだわけではない。あくまで、幻想入りは彼女の意志よ。
いい加減諦めなさい。貴女はもう、東風谷早苗に会うことは出来ない」
「黙れ!」
まるで私を煽るかのようにケタケタと動く、奴のお面をぶっ壊す為に、パイロキネシスを発動しようとすると、足に何か巻き付いてくるような感触を感じた。ちらりと見てみると、二年前に私を拘束した、骨のない触手のような腕が絡みついてきていた。怒りのあまり防御への意識を蔑ろにしすぎた自分自身に、大きく舌打ちをする。飛び上がって抜けだそうとするが、素早く胴体に巻きつかれて、身動きがとれなくなってしまった。
「くそ……ちくしょう……ちくしょう!ちくしょう!!」
せめてもの抵抗として奴を素手で殴ろうとするも、腕にまで絡みつき、動きを封じられる。
「はいはい、暴れないの」
標識二つをそこら辺に適当に払いのけた紫は、こちらの顎に手を合って、クイッと、目線が合うようにした。
「本っ当に……"あの人に似て"気持ち悪い目ね」
そう一言いうと、今度はその手で私のメガネを外し、眼に覆い被せてきた。と同時に、経験したことのある激痛が、眼球を、脳を襲う。
「がぁ、うぅ……!!」
「貴女には、境界を見る眼は必要ない。それは私の専売特許。何か付与するにしても、精々時間と場所がわかるぐらいにしなさい」
数秒後、奴は私から手を離し、眼鏡をかけてきた。痛みが消えていたが、どこか様子が変だ。頭を揺さぶり、視界を確認し、異常事態をすぐさま理解する。
「さっきより暗くてよく見えない……というより、境界が見えなくなってる!」
「眼を弄るのはかなり危険な行為よ。失明どころか、見えてはいけないものを見て、狂人になるかもしれない。だから、ちょっとした細工をしておいたわ。」
そういうと奴は、私から離れて、上空数メートルのところで静止し、どこからか御札を取り出した。遠目でもわかる紫色の淡い光を放つそれには、見覚えがあった。
「それって、二年前にお前が早苗に渡した御札じゃ」
「本当は彼女が使う予定だったけど、結局そんな事態にはならなかっただけよ。でも、こうして使い道ができたってわけ」
一呼吸おいて、奴はまるで舞台の上で演技をするかのように、オーバーなアクションを交えながら叫んだ。
「さあ!私がこの世界から去ることによって、東風谷早苗の幻想入り譚は幕を下ろす。この先で貴女がどんな選択をしようとも、それは自由!深秘を暴くものとしての活躍に期待しますわ。私はただ、貴女にお呪いと呪いをかけるだけ。さあ、その脳裏にしっかりと焼き付けなさい!
結界『夢と現の呪』!」
札が、弾けた。弾幕が襲いかかってくると思い、一瞬全てを諦めかけたが、目に飛び込んできたのは、熱と質量を帯びた弾ではなかった。
「えっ!?」
私の周囲で境界が裂けていくのが第六感でわかったが、その場所から、妙なものが浮かんでいるのが、私の"眼"には見えた。それは数式だった。そしてそれは、現れては頭に刻みこまれるかのように、私の意に反して記憶されていく。理解不能な出来事に目を背けるために頭を動かそうとするが、伸びてきた触手によって阻まれてしまった。しかも、目を閉じようにもその触手によって瞼を強制的に開かれたままにされてしまい、出来なくなっていた。
まるでフラッシュバックかのように次々と意味不明な数式が目の前に現れては、問答無用で脳内に彫り込まれる。それはまるで、大量のデータを書き込まれる記憶媒体のようで。嗚呼、なんだか頭がボーッとしてきた。視界さえも揺らぐが、それでも数式だけははっきりと見えている。
何故こんな仕打ちになっているんだっけ。早苗はどうして。何故神様は消えるんだ。信仰は。結界とは。私は。境界とは。早苗は。私は。早苗は。秘封倶楽部は。
――そして、私の意識は途絶えた。
§
私があそこからどうやって帰ったのかは全く覚えていない。目が醒めたら、自分の部屋で倒れていた気がする。そんな状態の私を最初に発見したのは父だったか。泥だらけの制服を着て、床でぐったりしている娘という非常識な様に、きっと腰が抜けるほど驚いていたと思う。夢遊病なのではないかと心配されて病院に行ったそうだが、もうそこら辺すら定かではない。
そんな私を待ち受けていたのは、地獄のような現実だった。
早苗と私の楽しかった出来事を他人にそれとなく聞いてみる度に、捻じ曲げられたこの世界の過去を知り、有りもしない思い出話を聞かされる。そのせいで、私の精神はすり減っていった。
覚悟を決めて、独りでもなんとか境界暴きをしようと試みたこともある。だが、メンタルが影響しているのか、それをうまく発見することができず、さらに心が追い詰められていくという、まさに負のスパイラルに陥るばかりで。
そして、その精神状態で私は引っ越しをして東京に来た。データが飛んだら怖いと思い早苗が写っている写真は全部現像してアルバムに収めていたのだが、引っ越しの際、当のアルバムを無くしてしまった。親に聞こうにも、全く知らない人とのツーショット写真ばかりのものを見つけられた時の反応なんて容易に想像できるし、引越し業者にこっそり問い合わせてみたりもしたが、結局見つからずじまいだった。さらに、メンタルがぐちゃぐちゃになっていった。
そんな状態で見た東京の夜景は、酷く汚れているなぁという感想しか持てなかった。
新しい住まいは、大きめの部屋だった。何故か私が、此処がいいと連呼していたらしい。私が覚えているのは、一緒に済むから大きい部屋のほうがいいよね、と楽しく早苗と会話していたことぐらいだ。
一人娘の一人暮らしだからか、欲しいものは何でもよこしてくれた。新しいスマホ、タブレット、ネット環境。これだけは、感謝してもしきれない。
だが、メンタルは相変わらずで、学校が始まってからも、自堕落な生活は続いた。早苗と楽しい高校生活を送るはずだったのに。よってたかってくるのは、私の足元にも及ばない人間もどきばかりで。追い払おうにも、奴等はしつこく迫ってくる。一体どこからその元気が来るのだろうか。そのざまは、反吐が出るほど気分を悪くさせられた。
……やめろ!私に近づくな!お前らとは違う!一緒に、しないで!!
どうみても、精神が早苗と出会う三年前に退化していた。
§
そんな堕落した生活も早いものでひと月近く立っていた。その日は前にやったちょっとしたテストの返却日だった。私は普通に満点をとったが、周りのバカどもの声がうるさくなっただけだったので、これからはわざと手を抜こうかと思ったりした。
放課後、先生に頼まれたことを片付けた私は、さっさと帰ろうと昇降口に来てから、下校時あたりに雨が降ると天気予報士が言っていたことを思い出した。
外は薄暗く、少し強い雨が降っている。嫌な天気だ。ここから私の住むマンションまでは結構距離がある。傘を忘れてしまったので、濡れて帰る他ないか。職員室まで行って愛想笑いを浮かべながら傘を借りるのも面倒だし。
鞄の中にかぶっていた帽子を仕舞いこみ、ぎゅうと両腕で抱えていざ小雨の中を走ろうとしたその時、突然スマホが震えた。なぜなら、メールアドレスも電話番号も交換しているのは親ぐらいだ。その親も、一日一回夜八時にその日はどんなことをしたのか連絡することになっているので、この時間帯のコールはおかしい。でも、確認するのも面倒だ。無視していればいつか切れるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。通知を切っておくべきだったなぁと後悔しながら端末を取り出し、画面をつけた。
そこには、思いがけない人物の名があった。
「さわ、たり」
佐渡といえば二年前諏訪で初めてであって、そして少し前にも……といったところで、思い出した。彼女もまた、同じ超能力者だと言っていたことを。思わず、人目も気にせずにその場で電話に出た。
「もしもし?」
「おー、やっとでてくれたわい」
「……なんで今になって電話を」
「いいから、つもる話もあるじゃろうが、聞きたければ車に乗りな。家まで送ろうぞ」
そして、ガチャリと一方的に切られてしまった。思えば、数カ月前もこんな感じだったっけ。
外を見てみると、たしかに例のタクシー車がハザードランプをつけて止まっていた。
……立ち止まっていたら前に進まない、か。他のバカどもに話しかけられないように注意しながら、私は雨の中を走った。
§
「ひどい雨じゃのう。ほれ、これで拭くがいい」
運転しながら佐渡さんは後部座席に座っている私にタオルを渡してきた。ありがたくそれを受け取って、濡れた髪の毛を拭いていく。
「あれからどうじゃ、調子は」
「すこぶる悪いです。あいつを脅せば自由にあっちの世界に行けると思ってましたが、うまくいかなかったし、何より早苗を失ったショックが大きくて……もう、何もする気も起きません」
「やはりそうか……顔色を見ればだいたい察しがつく。だが、いつかは受け入れなけれならない。もう、彼女は此処にはいないと」
メガネを外し、顔を拭きながら、その言葉を聞いていた。
「彼女との写真も、引っ越しのドサクサで無くしてしまったんです。データも日を追う度に何故か消えていくんです。……早苗がいたという証拠がなくなっていって、本当はいなかったんじゃなかったのかって、時々疑心暗鬼になって。これじゃ、親友失格ですよね」
ハハハと自嘲しながら、タオルをたたんで外を見る。薄暗い街の色は、まさに今の心境のようだ。
「……佐渡さんはあの紫って奴と知り合いなんですか?」
紫、という単語で彼女はピクリと反応したように見えた。少しの間、ザアザアと打ち付ける雨音が車内を満たす。そして、佐渡さんが口を開いた。
「ああ、奴とはグルじゃ。今日も、頼まれてここに来た」
「やはり、全て仕組まれてたんですね」
「すまぬ。儂の立場上逆らえんのじゃ」
「……で、また必要になったから利用しようと」
「まてまて。儂まであんな胡散臭いやつと同族扱いするでない。仮にそうだとしたら、ちゃっちゃと依頼を済ませる為に、お主を羽交い締めにしてこいつを照射して終わらせとるわい」
そういうと、佐渡さんがどこからか、変な装飾が施されている銀色のペンライトを取り出して、こちらに見せた。あの色、形状……どこかで見たことがある。たしか、いつの日かに早苗と見たコメディ映画の中で……
「あ!」
「そう、これはMIBの"アレ"じゃ。任意の記憶の消去やらなんやらができるオカルトアイテム。"あの時"はごっこじゃったが、これはサトリの血、河童と鬼の技術により作られておる。都市伝説通りの効果を発揮することができる代物じゃ。一回ポッキリじゃがな」
佐渡さんの口調は真剣そのものだ。嘘を行って私を馬鹿にするような意図はないように思う。何より、見せつけられた道具から発される凄まじい妖気がオカルトアイテムだという証拠だ。
「で、これをやつから渡されて頼まれたことは二つ。一つは、東風谷早苗の、お主と儂に関する記憶の消去。もう一つは、お主の、東風谷早苗、紫、そして儂に関する記憶の消去、加えて、あの異変を起こすための都合の良い記憶を植え付けること」
「もしかして、貴方は」
「あぁ、お主の思っているとおり、儂はあちらの世界の住民じゃよ」
「それで、あっちの世界での早苗は!?」
「元気溌剌じゃ。前向きで明るくて自信家で、少し外れたところもあるが、皆ととても仲良くしておる」
そう、なのか。よかった。本当に良かった。心の淀みが少し消えて、無意識に頬に熱いものが流れていた。
「話を戻すが……儂には、依頼をこなす気はない」
「な、何故です?今までさんざん私を利用して」
「頼まれたんじゃよ。東風谷早苗にな」
空に稲妻が走り、外が一瞬光る。
「紫の依頼を受け取った日、すぐに早苗殿のところに行き、依頼をすべて話し、聞いたんじゃよ。お主はそれでいいか、と。無論、彼女は首を横に振った。そして頼まれた。どうにかできないかと。じゃから、これは儂の独断行為になる。つまり、紫の依頼は三割だけを達成することにしたんじゃ」
「三割?」
「うむ。記憶の消去改変は儂に関するものだけにとどめておく。もともと、お主と早苗殿が儂と出会うのは"あの時"と"あの時"――儂にとっては過去の出来事――お主にとっては未来の出来事じゃからな。まあ、そうすればある程度いじらなくても、お主は"アレ"を起こしてくれよう」
「でも、そんなことして良いんですか?佐渡さんの身に何かあったら」
「紫の好きにさせるのも癪じゃからのう」
そう言って佐渡さんがカカカッと笑った。かと思うと、車がゆっくりと止まる。外を見てみると、私の部屋があるマンションの前まで来ていた。
「さ、どうする?このまままた奴の掌の上で踊る運命を辿るのか。それとも、自らの意思で異変を起こし、早苗のもとに行くのか」
シートベルトを外し、彼女はこちらに振り向きながら言った。
「その異変ってやつを私が起こせば、本当に早苗にまた会えるんですか……?」
「ああ、勿論」
……なら、結論は決まっているじゃないか。
「もう一度、彼女に逢いたい!そのためなら、私は何でもしてみせる!」
「合点承知!さて、事を済ませる前に渡すものがある」
佐渡さんは助席からA4サイズのダンボールを私に渡してきた。
「これは?」
「今此処で開けてはならぬぞ?記憶の改変に関わるものじゃからな」
そして、カチリとアレをこちらに向けて、穏やかな口調で言った。
「しばしのお別れじゃ。"あの時"になったら、また会おう」
「あ、待ってください佐渡さん」
「なんじゃ?」
「……最後に、貴方の本当の名前が知りたいです」
「ほう、いつから偽名だと気付いていた?」
「いや、カマをかけてみただけです。やっぱり違ったんですね」
「こりゃ一本取られた。そうじゃな、儂の本当の名は二ッ岩マミゾウ。マミゾウと呼んでくれ」
「わかりました。それではマミゾウさん。今まで、ありがとうございました。また出会うときはよろしくお願いします」
「あぁ。達者でな」
マミゾウさんはサングラスをかけると、カチリとアレのボタンを押す。青い光が視界に溢れて――
§
パチリと目が覚めた。……そうだ。部屋に帰って雨で濡れた身体を暖めるためにシャワーを浴びてゆっくりしていたら、宅配便が来て、荷物を受け取ったら急に眠気が襲ってきたから、ベッドに横たわって……。どうやら、ちょっと長い時間寝ていたようだ。
ふわぁと、大きくあくびをして起き上がる。なにか忘れているような気がするが、まあ気のせいだろう。
濡れたバッグの中身を乾かすために、立ち上がって学習机に乗せてあるそれを開けようとすると、ふと同じ所にダンボールが置いてあるのに気がついた。そうだ、これが配達員から受け取った荷物だっけ。そちらの中身のほうが気になったので、そちらを先に開けることにした。
カッターナイフをテレキネシスで手にまで持ってきて、封を丁寧に切りフタを開ける。中には包装材、業者からの謝罪の文が書いてある紙切れと、
「これって」
引っ越しの時にどっかへ行ったっきり、諦めていた早苗と私の思い出のアルバムだった。いや、そんなまさかと恐る恐る真ん中辺りのページをめくってみると、いろいろなオカルトスポットをめぐって、その度に撮った、私と早苗のツーショット写真がたくさんあった。ゆっくりとめくって、一つ一つ、ここで何があったのかを思い出す。嗚呼、あの時はとても楽しかった。
「あ、あれ?」
ポタリとアルバムにしずくが垂れていた。懐かしさと同時に、二度と会えない悲しみで、胸がきぅと締め付けられて、涙が止まらない。ぼやけた視界でアルバムをペラリペラリと捲っていく。一番後ろのページには、最後の活動である諏訪大社跡地前で撮った写真が貼り付けられていた。
「ぅぐ、ん……うぅ……」
しばらく感情のままに泣いていると、ふと、最初のページからなにかはみ出ているのに気がついた。眼鏡を外して涙を拭い、該当するページを開いく。
「こ、これって」
一枚の、見たことがない写真が挟まっていた。何かの神社を背景に、被写体は……あの二人の神様と……見たこともない服を着た早苗。
「えっ!?」
あるはずのない、届くはずのない写真。あちらの世界を写した写真だった。
驚きのあまり、流していた涙が引っ込んだ。何か、何か他に情報はないかと写真を裏返しにしてみる。
そこには、こう書かれていた。
『"いつかまた、夢の世界で"
秘封倶楽部副会長 東風谷早苗
八坂神奈子
洩矢諏訪子
撮影者 射命丸文
撮影場所 幻想郷 守矢神社 』
「さな、え……!」
そうか、きっと、これは彼女の奇跡のおかげに違いない。彼女の思いが、願いが、奇跡となり、ここにたどり着いたのだと、私は直感的に思った。
彼女もまた頑張っているに違いない。それに答えずして、誰が親友といえるだろうか。
「ありがとう、早苗。私、思い出したわ」
私は独りなんかじゃない。彼女の思いは、常に傍にあったのだ。ならば、私の行う行動は一つ。たったひとつのシンプルな事だ。
早苗の写っている写真を抱きかかえ、机のそばにある窓の外を見た。時刻はもう夕暮れ時で、いつの間にか雲が何処かへ流れていて、満月がこちらを覗き込んでいた。そうだ、久しぶりに天体観測をしよう。彼女との最後の日に出来なかった、秘封倶楽部再開後最初の活動を。きっと、今日はとても綺麗に見えるだろう。あの日見ることが出来なかった分も。
「私も、奇跡を起こしてみせるよ」
もう、涙も迷いも卑屈な態度も、塞ぎこんだ自分もいない。
なぜなら私は、"秘封倶楽部"なのだから。
至・現し世の秘術師
あれから私は様々なことをしたし、出来るようになっていた。
一番初めに上げるとすれば、"一時的幻想入り"というべき現象。私の影というか、形容するのが難しいのだが、とにかく私だけど全部私でない何かになって、私は幻想郷に入っていたのだ。といっても、目的の生身での幻想入りではない。一時的というのは、自分の意に反して突然幻想郷から自分の世界へと強制的に戻される点だ。それでも、出来ることは多々あったので、それは後で大いに利用させてもらうことにした。何より、たとえどんな状態の自分でも、垣間見た幻想郷という世界は、本当に美しかった。東京よりも私の実家よりも綺麗に輝く夜空、今の日本にはない熱い活気づいている人里、悪魔が住む真っ赤なお屋敷、一年中櫻が舞う幽冥の地、竹林にひっそりと佇む日本家屋、地面のはるか下に存在する人工太陽、空を舞う宝船、瘴気漂う森……そして、人妖入り乱れての宴会が毎日のように行われている神社。次第に私は、早苗に会うという目的と同じくらい、その世界の深秘を解き明かしたくなった。
それと、周りに集ってくる奴等の駆除。"秘封倶楽部"の名前を借りてあえて人を集めて、実態をさらけ出してやったら、私の目論見通り、友だちになろうとする人は現れなくなった。トモダチだなんて障害物は、私には必要ない。それらを欲するものは、一人で己を律する事ができない、弱者だけだ。……先生なんかにも変な目で見られるようになったが、そんなのは必要経費だ。一々気にしてられるか。
私には、自分自身と早苗と幻想郷の秘密を暴くという大いなる使命があれば、それでいい。
私という枯れかけた花に水をくれたのは、早苗だった。
紆余曲折あって少し内に篭っていたが、それももう辞める時間。
彼女の為……否、私自身のために、菫の花を咲かせる時間だ。
§
東京の街は、昼夜を問わず光に満ちている。
謂れは簡単だ。自らの弱さを隠すために社会の歯車を演じ続ける者たちが、ただ鼻先の事のみを考えて、貴重な人生を湯水のごとく消費しているから。延々と働き続けるそれらの命が、文字通り燃料となって燃えているのだ。
そんな安っぽい光もあまり好きではないが、何より私が嫌いなのは、そいつらの目だ。
文字通り、目の前にあるパソコンやスマホの画面ばかりを見続け、自らの将来だとか、世の中の不思議なことだとか、そういった夢を見ることを忘れたその目。
故に、彼らは私を見つけられない。小さなディスプレイから、ほんの少しだけでも目線を窓の外に向けるだけで、深秘はすぐそこにあるのだと、知覚できるというのに。
ビル街の上空を自由に舞いながら、私はそんなことを考えていた。
帽子のつばを弾き、星空を見る。
地上からの光によって、視認できる星の数は多いとは言えない。それでも、この夜空を私一人が独占できているというのはいつも以上に優越感を感じるし、住んでいた長野の片田舎にも同じ空が広がっていたことを考えると、それが当たり前なのだけれど、どこか不思議に思ってしまう。
――そして、きっと、彼女の見上げる夜空も同じはずだ。
視線をそのまま上に向けてゆっくりと旋回していると、ポケットからボールが転がり落ちてしまった。
私はそれを眼の前にテレポーテーションさせて、手袋をはめた手でしっかりと握りしめる。これは、私が行おうとしている結界破りの、文字通り鍵となるものだ。我ながら不注意だったなと思いながら、なんとなく、改めてオカルトボールをまじまじと見つめる。
結界。毎日の殆どの時間をインターネットサーフィンに使い、結界をどうやって突破するかを徹底的に調べあげた。その過程で、私は気付いたことがあった。それは、早苗と別れた日に紫に焼き付けられた式が、実は結界を破壊することができる術式に関係しているということ。何の意図をもってそんなことをしてきたのかはもう定かではないが、結果として奴は私にヒントを与えたことになる。
が、私はそれを無視した。確かに奴の式を持ってすれば結界破壊なんて容易にできるだろう。だがそれでは紫の掌でまた踊らされるだけだ。
それでは意味が無い。私は、あくまで私の力を持ってして結界をぶっ壊し、世界の深秘を暴いて、早苗に会いに行きたい。この命に変えてでも。
そこで考案したのが、霊力の高いものを一点集中させて、結界を破壊する方法だ。仕組みは単純。世界中に存在する霊験あらたかなオカルトスポットにあるパワーストーンを核とし、そこに私の超能力でちょちょいと弄くり、一定個数集めると自動的に結界を壊すアイテム――オカルトボール。これを幻想郷中にばらまいて、"七つ集めると願い事が叶う"という根の葉もない噂を流してやれば、あとはあっちの世界の住民が適当にやってくれるだろうという寸法だ。
オカルトボールを幻想郷に放つのには一時的幻想入りが役に立った。幸い、噂を流すことにも成功できたようだし。
そうして何度も何度も一時的幻想入りをしてはオカルトボールを置いていく日々が数週間続いていたが、つい昨日、とうとうその現場を神社の巫女――早苗とは違う奴だ――に襲われてしまった。相手は私の存在に気がついた。恐らく、事態はなし崩し的に始まるだろう。
「でも、流石に昨日の今日だし、まだ何も起きてないわよね?」
持っていたオカルトボールをポケットに仕舞い、マントの裏に隠し持っている3Dプリンター銃を軽く握る。
ちなみに、マントは私の自作だ。念力を編みこんだこいつのおかげで、私は最低限の力で空中移動が出来るようになったのだ。我ながらいいアイディアだと思う。3Dプリンター銃は、まあ、ゴニョゴニョして手に入れたシロモノ。実弾を撃てるかどうかはよくわかんないけど、サイコパワーを詰め込んだものなら射撃可能だ。
他の超能力も念入りに訓練を積み、早苗と別れた日の時とは行かずとも、かなりのパワーを長時間維持できるようになったと自負している。
……やっぱり今日は何も起こらないか。まあ、準備に数ヶ月掛けたのだ。いくらだって待てる。
もう、今日はオカルトボールを放り込んで帰ろうかと考えがよぎるが、それはいい意味で出来なくなった。
突然、第六感が警報を鳴らす。全身で、境界に何か起こっている事を感じとる。こんな事態は初めてだ。ポケットからESPカードを取り出して、何が起こってもいいように構える。
そして、私の目の前で結界が裂けた。私の計画は成功したんだ!と歓喜していると、そこから何かがひょっこり飛んできた。ソイツは、リボンの付いた黒い三角帽をかぶり、いかにも魔女って感じの服装をして、空飛ぶ箒に腰掛けてゆうゆうと空を飛んでいる。
「あいたたた……こりゃ眩しくて目が痛いな。外の世界(こっち)に居られるのは半時くらいだって言ってたな……ん?」
「わー、釣れた釣れた!」
私と早苗と同じイレギュラーな存在を前にして、私のテンションはダダ上がりになっていた。未知との遭遇に際して先に手を出すのは野蛮というものだろう。というわけで一旦会話をしてみよう。
「空を飛んでいるって事はやっぱり人間じゃ無いわよね」
それを聞くと、目の前の魔女は三角帽のツバを弾いて、私のことを観察するかのような目線を投げながら言った。
「まごう事なき人間だ」
「人間……?」
「お前こそ……何者だ?外の人間だよな?というかお前だろ、私を罠に嵌めた奴は」
そういえばまだ自己紹介がまだだった。眼鏡をくいと上げて、にやりと口を歪めて、言ってやった。
「いかにも。自己紹介が遅れたわ。東深見高校一年、宇佐見菫子。泣く子も黙る本物の超能力者よ!」
…
「あなたの仕事、こういうことでしょ?」
「そうだ、察しが良いな。ただ普通の人間とやり合うのはフェアじゃ無い気がするが……」
「貴方こそ、気を付けた方が良いわね。今は女子高生にだって武器が作れる時代だから……」
「じょしこうせーってなんだ?」
「異世界の貴方に教えてあげる。外の世界で唯一無二の最強無敵の種族の事よ!」
……
「儂と勝負をしないか?」
「勝負ですって?」
「ここに新しいパワーストーンがある」
「む、貴方はもしや」
「そうじゃ気付いておる。オカルトボールの正体はパワースポットの石じゃな。そして儂が持っているのは幻想郷のパワーストーンじゃ。コレさえあれば幻想郷と行き来は自在になる。もしお主が勝ったらこれをやろう」
「面白ーい!欲しい欲しい!で、私が負けたら?」
「そうじゃのう……外の世界を一日案内して貰えるか?」
「そんなんで良いの?じゃあやるよー」
「儂が勝つことは判りきっておるんでのう。余り無茶は言わんて」
「よーし、俄然やる気が湧いてきたわ。私の超能力の見せ所ね!」
………
「ここは……神社か……やったあ!あの狸の言うとおり、正式に幻想郷に入れたっぽいわね。今日は確認取れれば十分十分。一旦帰って準備してこよう」
「もしもーし」
「ん?何か聞こえた?」
「もしもーし、聞こえますかー」
「……もしかしてスマホから聞こえている?ここは圏外よね……気のせい気のせい。まさか携帯が繋がる訳無いし……」
「もしもーし。ねえ電話に出てよう」
「そういえばそんな怪談あったっけ?圏外なのに電話が掛かってきて『今貴方の後ろにいるの』とか何とか言っちゃう奴……」
「もしもーし。私、今ねぇ……貴方の目の前にいるの!」
「うわあ!で、出たー! おーばーけー!」
…………
「判りました判りました、もう良いです。私、秘封倶楽部 会長として、最後の大仕事をします。結果どうなるのか判らないし、幻想郷の誰か他の人にやらせるつもりだったけど、もうオカルトボールの力を解放するしか無い。解放して自らが幻想郷との結界を破壊する鍵となる!」
「いやちょっ、待って、それは罠よ!」
「追い詰められた女子高生の死に様は、さぞかし記憶に残るでしょう!嗚呼、なんて美しい死。なんて価値のある死」
「そんなこと美しくない!自爆に価値は無い!
私は楽園の巫女、博麗霊夢である!
どうあっても結界は守る!
そして人間を軽々しく死なせるもんか!」
「人間界、最期の夜を」
「幻想郷、最初の夜を」
「遺伝子の奥底にまで刻み込め!」
「悪夢を見飽きるまで刻み込め!」
……………
――――――――――――――
あれからいくつ夜を数えただろうか。
私はいつのまにか、種として育てられる側から、種を育てる側になっていた。
例えば、他者から天才だと見込まれた種だったり、私によって秀才となった種だったり、人々から無視された才能を私が引き出してやった種だったり。
全ては、夢を違えた科学世紀においても、夢を現に変えるために。
最後に私から巣立っていった彼女ならば、この世界の全ての深秘を解き明かせるだろう。
ひょっとすると、彼女こそが、私が目指したあの――
――――――――――――――
遠・科学世紀の少女秘封倶楽部
中央道を東に走る。昔は祝日だろうと平日だろうと渋滞が発生していたらしいが、今は私達が乗っている車以外、何も走っていない。あるとすれば、道路を一定間隔で自動的に舗装している自律型無人機だけで。
何故、使用頻度が低そうな道路を維持し続けるのかは分からないが、これがお偉いさんの意向なのだろう。別に気にしすぎることでもない。こんなことに私の税金が使われているかと思うと釈然としないが。
「ここまで長かったわねぇ。でも後少しか」
ボソリとつぶやきながら、ダッシュボードの上に浮いているウィンドウ画面に数回ふれて位置情報を確認する。諏訪湖の西側にいて、ナビゲーションによるとそこから時計回りで湖の南の方へと向かうようだ。すでに陽は落ちていて、空には星空とまん丸のお月様が地上を照らしている。
「二二時二十六分十四秒!ねぇーもう疲れたぁ。後ろにビールあるでしょ?スポーツドリンクは飽きたわ!ビールぅとってよぉ」
相棒はホルダーからペットボトルを取り出すと、口で器用に開けてガブガブと飲んだ。女の子なんだから、もうちょっと上品に飲めないものかと苦言が出かけたが、言うだけ無駄である。
「あのねぇ……飲酒運転は犯罪よ?」
「こちとら京都から四時間近くも運転してるのよ!少しは労うなり運転代わるなりしてくれたっていいじゃないぃ?」
「親友が犯罪に手を染める瞬間に立ち会いたくないわ」
「べっつに、結界暴きしてる時点で貴方もアウトでしょーに」
「そもそも、私は運転免許なんて持ってないし。そんなのを持ってる貴方の方が珍しいわ」
「大叔母が言ってたのよ。どんな時代になってでも、運転免許だけは取得しときなさいって」
「大叔母?初めて聞いたわよ、そんな人がいるだなんて」
「そりゃ初めて言ったもの」
「詳しく聞かせてよ。貴方が素直にアドバイスに従うだなんて、その人とよっぽど仲がよかったのね」
「まーね。大叔母っていうのは、私の父方のおじいちゃんの従兄弟に当たる人。近所からの評判は"世紀の天才児にして問題児"」
「せ、世紀の……」
「旧東京の中でもトップクラスに有名だった私立高校である東深見高校を成績ぶっちぎりで卒業、同時に京都大学に進学。院では超統一物理学が確立するきっかけとなった理論の基礎研究に関わってたらしいけど、卒業してからは卯東京で塾を開いて中高生を中心に勉強を教えていたそうよ」
「貴方の関係者なんだから、きっとハチャメチャな人なんでしょうね」
「相当だったらしいわよ?なんだかよく分かんない火薬作ってみたりとか、ドローンを沢山作って子どもたちと遊んだりとか、自作の3Dプリンター銃で泥棒を迎撃したりとか。それでも勉強の教え方は滅茶苦茶上手だったから、かなり人気だったそうよ。晩年になったら車いす生活になっちゃったりして、そういう暴れっぷりも収まっちゃったけどね」
「もしかして、貴方も教わったの?」
「勿論。おかげさまで、こうして大学に入って貴方に逢えたんだもの。感謝してもしきれないわ。もし生きてたら、貴方とも意気投合できたかもしれないのにね。非常に残念だわ」
「あー、前に貴方の実家に行った時には、もう?」
「私が大学受かったのを報告した時にこの帽子を譲り受けてさ、その数日後に……ね。三月の頭だったっけ」
「そうだったの……」
「お、例のサービスエリアが見えてきた。あそこで降りるわよ」
新諏訪サービスエリアと書いてある看板の案内に従って、車が本流から外れる。細い一本道の先には、ちょっとした規模の駐車場に、買い物ができそうな建物。まあ、建物はトイレと思しき所以外に電気はついていないし、駐車場にも車ひとつないのだが。
「閑散としてるわねぇ。ここで何するの?」
「ここから高速から一般道にね。その前に、見ときたい物があるのよ」
そういうと、車が乱暴に止まった。文句をいう前に降りるように言われて、ふてくされながらそそくさとその通りにする。舗道に降り立つと、柵によって区切られたその向こうに湖が広がっていた。夜空からの月明かりを反射させて、湖面がキラキラと輝いている。
「綺麗ね」
「そっちもいいけど、問題はあっちよ」
柵から身を乗り出して見ていると、隣で相棒が湖の左側を指差した。そこには、同じく月光を反射している何かがあった。ビル群……ではあるのだが、よく見てみると、ガラスがほぼ全て割れていたり、中には真ん中からへし折れているビルもあったりした。
「酷い有様ね」
「あれでも一時期は"向こう五十年の繁栄が約束された土地"だったんだけどねぇ」
「あそこ通るの?」
「モチのロン。きっと目的地の前に面白いものが見えたりして。あ、その前に、私は少しお花でも積んできますわ」
「私は車の中で待ってる」
建物の方へと小走りで行く相棒の背中に小さく手を振りながら、今夜の倶楽部活動について考えていた。
§
「荒廃しまくりねぇ。旧東京都心とはまた違った感じだけど」
昏い廃街のなかを慎重に徐行しながら、相棒はつぶやいた。
窓の外は、まさに映画とかでよく見かけるゴーストタウンそのもの。道には無人機の残骸やら乗り捨てられた車、建物のガラスというガラスは全て割れており、通りに面した元お店の前にはテーブルや椅子が散乱している。なんというか、これが末法ってやつなのかもしれない。
「都心は神災のせいだけれど、これは急激な衰退が主な原因だからね」
「盛者必衰か?。無情ねぇ」
諏訪。お偉いさんがお金に物を言わせて勝手に再開発を行った場所。何故ここが選ばれたのかは定かではないが、その再開発理由として挙げられているのは唯一つ。後に酉京都再開発に使用された建築精神理論の実地試験という説だ。
文字通り、諏訪は異常な発達を遂げたそうだ。数々のベンチャー企業やら精密機械工場やら大学の研究室やらなんやらが進出し、中央道や中央本線は新しい諏訪へのアクセスを容易にするために大規模な工事も行われた。日本で最も人口密度が高いところ、日本で最も最先端の科学技術が生活に組み込まれたところ、日本で最も成功したところ……云々と持て囃されたらしい。
そんな時代に起こった、東京の大神災。首都機能及び政治機能が完全に麻痺した東京に変わり、急遽仮首都として選ばれたのが――この諏訪だった。
そこからはもう、奇々怪々……いや、狂気だった。異次元の資本が投入され、指数関数的に開発はどんどん進んでいった。何故そこまで発展させるのか、どこを目指しているのか、移り住んできたよそ者がのさばり、膨大に膨れ上がった人口から放たれる欲は底知れぬもので。諏訪は日本一の都市だ、このまま永遠に首都は諏訪にある……。誰もが妄信的に口々に呟いて、足元だけをライトで照らしながら、真っ暗な道を進んでいった。
しかし、その道の終点は、奈落だった。お偉さんは方針を転換、正式な首都は京都とする――そして、諏訪の時代は終わった。新たなフロンティアを目指して人々が流出して、とうとう諏訪には人っ子一人いなくなってしまった。
「でさ、なにか見えた?」
彼女が声を弾ませながら聞いてきた。試しに目頭に力を入れて注視してみるが、あるのは平均的なものばかり。
「あるにはあるけど、気に留めるレベルのものはないわね」
「そっか。でも、例のやつの探索が終わったら、こっちもいろいろ漁るよ?もしかしたら、建物の奥にでかいのがあったりして」
「もしかしたら、ね。それよりまずは第一目的を果たしましょうよ」
「はいはーい」
§
「や、やっとついた~!」
相棒が隣で小さくジャンプしながら、一人はしゃいでいた。
例の場所に行くための道中は、想像を絶するほどのひどい悪路。泥濘んでるのなんてまだ甘い方で、ひどいところは私の腰ぐらいまで地面が隆起している場所もあった。最終的に、車での接近は無理だと判断したので、最低限の荷物を持って目的地に行くことにしたのだ。
幸い、諦めたところからそこまで遠くない場所に、目的地はあった。
「ここがそうなの?」
来た道以外は、一世紀近く人間の手が入ってなさそうな畑と、目の前にある小山。標高はそんなに高くはなさそうだが、暗い空間に黒黒としたシルエットが浮かび上がっているのは、ちょっとしたホラーだ。
「ええもちろん。これを見てよ」
相棒は一枚の写真を取り出すと、私にそれを見せてきた。端末のウィンドウをライト代わりに照らしてそれを見てみる。鳥居の前に誰かが立ってピースサインをしているが、かなり昔の写真なんだろうか、その人達の顔や服装の部分が劣化していてさっぱりわからない。
「ほら、この鳥居が、あれ」
指差した方向を見る。が、鬱蒼と茂っている森ばかりがそこにあるだけだ。
「ほらほら、よく見てみて?」
急かす彼女に押されて、写真と山とを交互に凝視する……と、その山道の入口辺りに違和感を覚えた。もっとよく見てみると、それが草木に飲み込まれかけた鳥居だと認識することができた。
「確かにそれっぽいけど、どこでこんな写真手に入れたの?」
「裏表ルートよ」
「やっぱり、いつものやつね。で、本当にここにあるんでしょうね?伊弉諾物質」
「うん。私が収集した情報によると、この山の頂上付近には昔神社があって、そこには神代から伝わる何かがあるんだって」
「いつも思うけど、よくネットにも乗ってない事をホイホイと掴めるわよねぇ」
「すごいでしょ。それでさ、貴方には見えてるでしょ?境界」
「まあね。目的のものじゃないけど」
「よし、もうひと踏ん張りしましょうね」
相棒が、かぶっている帽子のつばを弾き、その気持ち悪い目で、星空から時刻と現在位置を視て呟いた。
「二十三時四十分六秒。場所は、諏訪大社上社跡地。いい月夜ね」
「こんな夜遅くまで起きてるのも、もう慣れっこだわ。お肌には悪いけど」
「安心して。終わったら廃墟に戻って呑み会よ?」
「何を安心すればいいのよ。健康な身体にダブルパンチじゃない」
「肴は何にしようかねぇ。遠い昔長野で起こった古代大戦とか、もっと安く月面ツアーに行く方法とか」
「はいはい。美しい自然と、ほんのちょっぴりのミステリアスね」
「まさに、私達らしいじゃない?」
さざと、風によって木々が揺れる。
一つため息をついてから、私は口を開いた。
「さあ、"蓮子"。秘し封じられたものを暴くために、秘封倶楽部の活動を始めましょうか」
「ええ、"メリー"。夢を現に変えるのよ!」
※一部に原作からのセリフ引用があります。
以下をクリックすることで、その章に移動することが出来ます。
始・ラストオカルティズ厶
起・秘密は儚き二人の為に
承・ファーストオカルティズム
転・忘れられた古戦場
結・少女初代秘封倶楽部
至・現し世の秘術師
遠・科学世紀の少女秘封倶楽部
始・ラストオカルティズム
東京の街は、昼夜を問わず光に満ちている。
謂れは簡単だ。自らの弱さを隠すために社会の歯車を演じ続ける者たちが、ただ鼻先の事のみを考えて、貴重な人生を湯水のごとく消費しているから。延々と働き続けるそれらの命が、文字通り燃料となって燃えているのだ。
そんな安っぽい光が嫌いだ。しかし、それ以上に私が嫌いなのは、そいつらの目だ。
目の前にあるパソコンやスマホの画面ばかりを見続け、自らの将来だとか、世の中の不思議なことだとか、そういった夢を見ることを忘れたその目が。
現実しか見ることができない彼らは、それ故に、私を見つけることができない。小さなディスプレイからほんの少しだけでも目線を窓の外に向けるだけで、深秘はすぐそこにあるのだと知覚できるというのに。
ビル街の上空を自由に舞いながら、私はそんなことを考えていた。
……帽子のつばを弾き、星空を見る。
地上からの光によって、視認できる星の数は多いとは言えない。それでも、この夜空を私一人が独占できているというのはいつも以上に優越感を感じるし、住んでいた長野の片田舎にも同じ空が広がっていたことを考えると、それが当たり前なのだけれど、どこか不思議に思ってしまう。
――そして、きっと、彼女の見上げる夜空も同じはずだ。
視線をそのまま上に向けてゆっくりと旋回していると、ポケットからボールが転がり落ちてしまった。
私はそれを眼の前にテレポーテーションさせて、手袋をはめた手でしっかりと握りしめる。これは、私が行おうとしている結界破りの、文字通り鍵となるものだ。我ながら不注意だったなと思いながら、なんとなく、改めてオカルトボールをまじまじと見つめる。
……そんな大切なものの色が紫というのは、なんとまあ皮肉というか、因果というべきか。
紫。菫の色。私の色であり、奴を象徴する色でもある。
「……早苗」
ぼそりと、小さく彼女の名前をつぶやいた。私の唯一無二の親友。今は隣にいない、大切な人。
紫に奪われた、私の愛する人。
掌でオカルトボールを転がしていると、ふつふつと昔の思い出が蘇ってきた。
ミステリアスな出会い、スピリチュアルな冒険、突然の別れ。
時間はたっぷりある。異変が本格的に始まるその時まで、昔話と洒落込もうか。
――これは、私と早苗の、遭逢と秘封倶楽部と離別の、短いお話。
起・秘密は儚き二人のために
昔私は、かなり内気な性格の人間であった。他人に打ち解けようとせず、一定の距離を保ち、他者の中に自分という存在が残らないように徹底して行動する、お世辞にも前向きとは言えない考えの持ち主。
理由は単純明快。生まれ持った超能力のせいだ。人と抜きん出て違う者は、徹底的に叩かれ淘汰される。絵本やマンガのように、この世界はイレギュラーが活躍するようなところでは無い。読書好きの親の影響で、幼い頃から本で囲まれて生活してきた私にとって、それははっきりと分かっていたことだった。悲惨な目に会うぐらいなら、いっそ、他人の前では猫をかぶっていよう。そうすれば、私は傷付かずに済む。
……そうした後ろを向いた思考から導き出された態度は、保護者や教師の間では高く評価されるから楽であった。人から見られる状況では、いつも笑顔であれ。ほころびを見せれば、遅かれ早かれ、今まで築き上げてきた表面上の関係、砂上の楼閣が崩れ去る。
幸い、最も近い他者である親には、超能力の事はバレていないようであった。幼いころの事をそれとなく聞いたことがあったが、曰く「周りでものがよく倒れていた」そうだ。彼らはそれを住んでいる家の立地やらなんやらのせいだろうと考えて、小学校に上がるときに今住んでいる場所に引っ越しをしたという。その頃から、自分が他の人とは違うことを認識して、能力を無意識に行使することがなくなっていたのが幸運であった。
私は菫。誰とも交わらず、自己の中で完結し、独りで生きる。そして――独りで枯れてしまえばいいのだ。
そんな私の人生観が大きく変えたのが、彼女――東風谷早苗だった。
§
夜空は煌々と照る星々により、より一層広く見えていた。
私は、小さいころに誕生日プレゼントとしてもらった天体望遠鏡をベランダに出し、空を見上げていた。山々に囲まれた片田舎の町なので、所謂都会と比べて空気も澄んでいる。しかも今日は新月であり、雨の後で雲もないという絶好の天体観測日和であったからだ。
春と雖も、真夜中を過ぎれば夏の星が東方から顔を出している。私は望遠鏡を、アンタレスの近くにある土星へと向ける。ファインダーを覗いて大まかな位置を決め、接眼レンズで微調整。私の目の前には、巨大な輪を持つ惑星が綺麗に映っていた。その綺麗さに、おもわずため息が出る。
宇宙というのはいいものだ。否応なしに自分の小ささを実感させられ、持っている不安を払拭することが出来る。
と言っても、哀しかな、それは一時的なものだ。後回しにしたり、忘れようとしても、いっときの開放感から一転、悲壮感や絶望感が増すだけで。
それでも、私は星を見ていたかった。いつかあそこまで手が届けばいいのにな、なんて漠然とした思いを抱きながら。
眼鏡を外し、再び空を見上げる。ピントがあっていない状態で見る星空もまた、綺麗なものであった。
§
そんなこんなで今日が昨日にかわって数時間たったが、未だに自分が中学生になったという実感が湧いてこなかった。例えるなら、レベルが上ったのにステータス上昇が感じられないような。あるのは、あと少しでやってくるあの学校――というより他者という煩わしい物に対する嫌悪感だけであった。
「私みたいなイレギュラーは、独りっきりでいたいのに」
無意識に口からこぼれ落ちた言葉は、宙に浮いて溶けていく。はずだった。
「そう?私は嫌かなぁ」
風のようにふわりと、その声は私の耳に届いた。反射的に、発された方向へと目線を向ける。
隣の家のベランダに、誰かが立っていた。はて何者かと注意して見ようとするも、天体観測のために LEDランタンを消して、眼鏡を外していたのを忘れていた。慌ててそれをかけ直し、地面においてあるランタンを拾い、スイッチを入れる。
「こんばんわ。いいお天気ね」
水玉模様のパジャマを着て、カエルとヘビの髪飾りをつけた女の子が見えた。顔立ちからみて、恐らく私と同い年であろう。かなり苦手とする相手であることには間違いない。早急にお帰り願いたいと言いたい気持ちをぐっと堪える。ここは適当にあしらっておこう。
「……こんばんわ。見かけない顔だけど、貴方は誰?」
「あ、自己紹介が遅れました。私は東風谷早苗って言います。昨日ここに引っ越してきました。よろしくおねがいしますね」
はっとした表情を浮かべながら彼女はそう言って、ペとコリ頭を下げた。
「昨日引っ越してきた?あぁ、そういえば、そこ空き家だったわね」
近いうちに一家が隣に引っ越してくるようなことを親が言っていたのを思い出した。私には関係ない話だろうと頭からこぼれ落ちていたのだ。しかし、これは難敵である。もし私の態度が彼女の琴線に触れるようなことがあれば、親同士の交流にも悪影響を及ぼしかねない。慎重な対応が求められる。
「心配していたわよ?引っ込み思案でいつも手を焼いてるって。……あーっえっと」
「菫子。宇佐見菫子」
なるべく、愛想よく、それでいて自分のテリトリー内に踏み込まれないよう、距離感を与えるような口調で答えてやった。無愛想なやつ、と思われたかも知れない。が、私の考えとは裏腹に、彼女は満面の笑みを浮かべて「菫子さん!素敵な名前ね」と言ってくれた。
「じゃ、私はこれで」
深く話しすぎれば私のボロが出かねない。同年代ならなおさらだ。もうこれぐらいでいいだろうと思い、そんな言葉を投げてからそそくさと望遠鏡を片付けようとする。しかし、
「待って、待ってよ。もう少しお話しない?超能力者さん」
「……は?」
いきなり私の心を抉るような一言を投げてきた。思わず素が出てしまうが、なんとか取り繕うために言葉を続ける。
「なにそれ?いきなりどうしたの?」
あくまで、冷静に。きっと彼女のジョークか何かなのだろう。そうに違いない。あぁ、話しかけられた時に黙ってベランダから自分の部屋に逃げ込んでいればよかったと、いまさら後悔していた。
咄嗟の返答も虚しく、彼女はマイペースに言う。
「私もそういう体質だから」
……さも、病弱な人に、自分自身もそうなのだと告白して励ますかのように、さらりと言った。それでも、私の神経を逆撫でるだけで。
「次はホラ吹き?目的は何よ」
少しキツイ口調で言葉が出てしまった。でも、それでいいだろう。なぜだかは分からないが、たとえ無意識だとしても、人のウィークポイントを突いてくるような言動をする奴にしてやる配慮なんてない。
「ホラなんかじゃ、ないわ」
そういうと、彼女は突然私の方に掌を向けた。何をするつもりなのかと思わず半歩後ずさる。数秒の無言の後、彼女は突然腕を降ろした。自然と、自分の中で張り詰めていた緊張の糸が緩んで、無意識にふぅと口から息が漏れる。すると突然、手に持っていたLEDランタンの光が消えた。あれ、最近買ったやつだからLEDはおろか電池すら切れるはずないのに。そう思って、暗い中目線をライトの方へと移した。よく見ると、スイッチがいつの間にかオフになっていた。自分でそんなことしたつもりはないのだが……と考えながら電源を入れて、彼女のいた方を見遣る。
だが、そこに彼女はいなかった。眠くてもう部屋に戻ったのだろうか。どちらにせよ、もう無益な会話はしなくて済みそうだと胸を撫で下ろす。私もそろそろ寝ようと思い、まずは望遠鏡を片付けようと部屋の方に向いて窓を開けようとした直後、背後からあの煩わしい声が聞こえてきた。
「さっき電気が落ちたのは偶然?」
家に戻ったのかと思ったら、どこかに隠れていて、気づかないうちに後ろに回りこんでいたらしい。いい加減おちょくるのはやめてくれと文句を言うため、彼女と向きあおうと振り向く。
「じゃあ、私がこうしているのも、ただの偶然かしら?」
彼女は、私の後ろにはいなかった。……いや、厳密に言えばいるのだ。
私の直線上の、ベランダの"外"に、私を見下ろす高さに、彼女は宙に浮いていた。
「……嘘でしょ?」
その突然の非現実的な状況に自然と口が半開きになり、息をすることさえ忘れてしまう。怒りの感情など、無限遠点へと吹き飛んでしまった。むしろ、満天の星空をバッグに浮遊している彼女、という風景に見惚れている自分がいた。ぼけーっと阿呆みたいに眺めていると、彼女の頬がほんのり赤くなっているように見えた。
「あ、あんまりじっと見つめないでくださいよ」
「えっあ、いやその」
えっへんえっへんと咳払いをして、気まずい空気をごまかす。
「あ、貴方、それど、どうやってるの?」
目の前で起きている出来事があまりにも突拍子過ぎて、言葉がつっかえつっかえになりながらも、この場で一番に問うべきことを問う。私の目には、ピアノ線などの透明な糸は見えない。一見、種も仕掛けもないように私は感じた。
「これですか。これが、神の奇跡です」
私と同じ目線まで降りてきて、えっへんと腰に手を当てて得意気に鼻をならす彼女。でもその説明ではいささか足りない気が……と思っていると、それを察したのか、バツが悪そうにもう少し解説を付け足してくれた。
「私は、生まれた時から一子相伝の秘術を体得していたの。自分自身も何故それを覚えているのかよくわかんないんだけれど、神様曰く先祖返りとか何とからしい」
「一子相伝……?っていうか、ええとちょっとまって、その言い方だと……」
「ええ、私には神様が見える。物心ついた頃からね。信じられない?」
「め、目の前で人が浮いてるのよ?今更不思議の一つや二つ、いくらでも肯定できる、よ」
それを聞くと、彼女はニッコリと笑ってみせた。私もつられて、笑みを浮かべていた。
「貴方のことも、神様から聞いたの」
「わ、私みたいな凡人が神様に知られているだなんて、光栄だわ」
「ううん、貴方は凡人なんかじゃない。超能力者でしょ?」
「貴方みたいに、空は飛べないけど、ね」
そう呟きながら、自分のメガネに念を送る。ほどなくしてそれは、私の頭から離れて辺りを漂いだした。
その様子を見ていた彼女は、今まで一番の笑顔ですごい!すごい!と嬉しそうな声をあげていた。
「次は自分自身を浮かせてみようよ!」
「い、いや、それはまだ試したことないから」
空をするりと滑りながら急に近づいてきたことにどぎまぎしながら答えるが、それではダメ!と一喝されてしまった。
「こういう力には思考が強く影響されているんです。自分ができると思えば、なんだってできるようになる!……神様の受け売りですけどね」
……思い、か。確かに、私はそれに囚われすぎているのかもしれない。自分自身の能力に蓋をして、溶け込めないのは社会のせいだと決めつけて、内に閉じこもって。同学年の人間からは距離を取り、大人たちには、望まれるようなお利口さんのフリをして。思いのせいで、能力どころか自分自身すら封じ込めているし、そして、これからもそうなのだろうと思っていた。
でも、そんな考えも、彼女と出会って、少し変える時がきたのか。似た力を持つ彼女があんなに笑顔で活発なのだ。きっと、私にもできるのでは、と思ってしまう。
超能力の制御に集中してみる。何か感じ取ってくれたのか、息と息がかかりそうなほど近くにいた彼女は、そっと離れてくれた。はぅと息を吐きだして、念力が体の隅々にまで満ちるイメージを思い浮かべる。体が軽くなったような、そんな気がした。
そして、
「空を、飛びたい」
強く、ただそれだけを一心に願った。
……十数秒たった。体にあるのは、微妙な浮遊感だけで。未だ視界は暗く閉ざしたまま、どんな状態になっているのか確認するのが、怖かった。
「大丈夫。自分を信じて」
そう、彼女が耳元で囁きながら、私の手を握ってくれた。彼女のぬくもりが念力を伝って体全身に巡ってくるような感じがして、少しくすぐったい。
彼女の声で、幾らか気が楽になった。私一人では出来なかったことも、彼女とならきっと、なんでも出来る気がしてくる。今この瞬間も、きっと、これからも。二人一緒なら。早苗と、一緒なら。
――瞳を開く
「……わぁ」
目の前には、星の海がより広く、より美しく見えた。下の方に目線をやると、小さくなった自分の街が見えた。
「ほらね?願いは現実に変わるのよ!」
「すごい……本当に出来ちゃった……」
煌々と光る星々が、まるで、私達二人の出会いを祝福しているかのようだった。
私は、今の気持ちを率直に言うために、早苗から少し離れて向かい合う。早苗の瞳が光を反射して、キラキラと輝いて見えた。
「さっきはごめんなさい。突き放すようなこと言っちゃって」
「ううん、私も悪かったわ。突然話しかけたりして。びっくりさせちゃったよね」
「お互い様ね」
「お互い様」
右手を彼女の前に出す。意図がわかったのか、手を伸ばして握手に応じてくれた。
「改めまして、私は宇佐見菫子。菫子でいいわ。私と、友達になりましょう?」
「私の名前は東風谷早苗。早苗でいいわよ。出会った時から友達でしょう?」
お互いの手を強く握りしめ合っていると、ふと、やさしくてやわらかい風が私達の間を吹き抜けていった。
承・ファーストオカルティズム
早苗と出会ってから、私はかなり変わったと、自分のことながら思う。小学生の頃とは違って、明るく前向きであろうと努めて頑張っているからか、自然と他者との交流も増えていった。あくまで、クラスメイト程度の関係にとどまっているが。
親から見ても、中学に入ってから変わったねと言われた。褒められているのか少しわからなかったが、少しこそばゆかった。
早苗は、持ち前の真面目さと明るさから、すぐにクラスの人気者になっていた。そんな彼女は、いろんな人が周りにいるけれど、そんな中でもわたしを気にして一緒に行動してくれているのがとても嬉しかった。何より、他の人達は知らない、お互いの秘密を共有しているという、一種の優越感がとても心地良かった。
そんな彼女との関係が一歩前進するのは、中学校生活も慣れてきた六月の頭だった。
§
「あ、これ絶対作りものだわ」
「わかる~。雰囲気からして紛い物臭がぷんぷんね」
私と早苗は、私の家のリビングで、録画しておいたホラー番組を見ていた。内容は、全国の視聴者から集めた心霊写真やネットで見つけた曰く付きの画像を芸能人に見せつけたり、二流専門家がその解説をしたり、オカルトスポットを芸人が散策したりと、よくある感じの番組だ。
それでも、早苗とソファーに座って一緒に見るだけで、つまらないバラエテティ番組でもとても楽しいひと時となる。一緒に番組の演出に驚いたり、この心霊写真は本物かどうか真剣に考えたり、嘘八百な作り話に大笑いしたり。
そんな番組も、司会の「来週もまたこの時間に」というセリフの後にCMに入っていた。パッとしない男が、掃除機の素晴らしいところを褒めちぎっている。
「しかしまー、今日のはぶっ飛んだものが多かったわね」
目の前にあるテーブル上のコップを手にとって、麦茶を一口飲み、一息つく。壁に掛かっている時計は、既に二十三時を少し過ぎた時刻を指していた。明日も休みだということで、こんな時間まで起きていられる。
「一番面白かったのはトイレの花子さんとのツーショット写真かな。息できないぐらい笑っちゃったわ」
そういいながら、早苗はくふふと含み笑いをする。ついつい、私もつられて笑ってしまった。
今回は学校の怪談スペシャルと題して、そういった関連の話題が中心であった。大半が眉唾ものだったが。
「ああいう分かりやすい嘘をつくのも考えものよね。視聴者にそういうのがバレても大丈夫なのかしら?」
リモコンを念力で弄び、チャンネルをぐるぐる変えながらそう返事をする。
「でも、学校の怪談ってなんか憧れるわ。小学校の頃はそういうの、特になかったから」
「早苗も?私が通ってたところじゃ、そういうのは聞かなかったなぁ」
まあ、先輩後輩はおろか、同級生同士の交流すらなかった私だから、実は存在するけど耳にしなかった可能性はなくもないけど。そうは思ったが口には出さないでおく。
「じゃあさ、中学校にならあるんじゃない?」
「あー」
早苗の言ったことは一理ある。私達が通っている中学校は、統廃合を繰り返してこの地域に残った唯一の中学校だ。歴史もそこそこあり、校舎は開校当時からあまり変わっていないと聞いている。そういった怪談話が存在しても別におかしくはない。
「案外あったりして」
「調べてみましょう?」
「おっけーおっけー」
リビングの定位置においてあったパソコンをテレキネシスで目の前まで移動ささせて、サイコキネシスで立ち上げる。数十秒後にはパパっとブラウザが起動した。カタカタと検索欄にキーワードをタイピングして、エンターキーを押す。一瞬でネットの海から情報がかき集められ、結果がズラリと画面に表示される。
「やっぱりネット様様よねぇ。お、あったあった。へぇ。七不思議だって」
「面白そう!どんな内容なの?」
全国津々浦々にある学校の怪談を収集しているという九十年代風味のするホームページ曰く、こんなことが書いてあった。
・一、赤いピアノが音楽室で独りでに鳴りだす
・四、緑色の人体模型が理科室を歩きまわっている
・六、青い目の人形が教室で佇んでいる
・七、七番目に遭えばどんな願いも叶う
・※遭遇するためには、土曜日と日曜日の境に学校と外の境界を超えること
「……なんだか変わった内容ね。数字から考えるに、所々に抜けがあるし。本当に信用に足るところなの?菫子」
「一応、自称国内最大手よ?」
「自称じゃない」
確かに、よく聞く学校の怪談と比較すると、どこか風変わりなものがあるように私も感じる。特に、七不思議に触れるための条件が突いているところは、他には例がないように思う。
「緑色の人体模型ってなんだと思う?早苗」
「確かにあそこの理科室に人体模型はあったはずだけど、別に緑色でも何でもなかったわ」
「そうよね。ピアノだって赤くはないし。もしかしたら他にも謎があるのかしら」
なにか他にも特徴的なものはないか、再度注意深く文章を読む。
「ねぇ早苗。この数字とそれぞれに書かれてる単語から、なにか思い浮かべられない?」
「数字と単語、ねぇ」
むむむと顎に手を当てて暫く考えていると、あっと彼女は声を上げた。
「これ、虹が関係してるんじゃないかしら?」
「虹……あぁなるほど」
虹の色の順番は 赤、橙、黄色、緑、水色、青、紫だ。これは、七不思議として振られている番号とも合致する。
「でも、最後のやつだけは色が書かれてないのよね。だからハズレかも」
「いや、早苗の推測通りだと思うわ。七番目に色が書かれてないのは意図的だと考えればいい」
「意図的……つまり、わざと?」
「そう。もしかしたら、この七番目の紫色が、この七不思議の中で一番重要なことなんじゃないかしら」
キーボードを叩き、似たような別のサイトを開いて検索をかけてみる。幸いそこにも載っていたが、一番目が欠けていて総計三つになっていた。しかし、振られている数字に変化はない。他にも複数のサイトを巡ったが、どれも欠けた七不思議に言及はなく、むしろ数が一つやら二つやらになっているところも多々あった。
しかし、それらのホームページにはひとつの共通点が見られた。
「七番目だけがどこでもしっかり書かれてる……」
「もう明らかね。問題は、この紫色が"なんなのか"って所」
他の挙げられているオカルトには場所と色が付随しているが、この七番目には場所とその正体が書かれていない。言うなれば、正体不明。
「何でも願い事を叶える都市伝説でメジャーなものといえば、猿の手があるわ。でも、他とは違って明確にしていないのは、猿の手じゃないから……?うーん、どっちみち、この文章から読み解けることはここまでかしら」
最後に残った謎を放置するのは気持ち悪いことだが、これ以上は根拠の無い、ただの妄想の域になってしまうだろう。少し下にずれた眼鏡の位置を直しながら、はぁと息を吐いた。
「……ならさ、直接私達の目で確かめてみない?」
もう寝ようかしらとぼんやりと考えていた時、突然彼女は、私の手を取りそう言ってきた。一瞬ドキリとしたが、悟られないようにどうにか取り繕う。
「そ、それってつまり、今から学校に乗り込むってこと?」
「そういうことになるわね」
「えらく急ね」
「だって、この"土曜日と日曜日の境"ってつまり、あと数十分後の日付が変わる時間のことじゃない?こんな偶然、滅多にないと思うの」
それにほら、思い立ったが吉日って言うじゃない?と早苗は続けて言った。
「菫子と一緒なら、絶対なにか見つけられるし、それに、きっと楽しいわ。ウソまみれのホラー番組だって、昏い深夜の学校だって。なにより、大親友と秘密の肝試しって、ちょっと憧れない?青春みたいでさ」
そう言うと、早苗は、裏表のない透き通った、それでいて自信に満ち満ちた笑顔を見せた。……それは流石に卑怯だわ。
「確かに、このまま有耶無耶になって終わるのも気持ち悪いわね……うん。よし、行こう」
深夜の学校に不法侵入。こんな一夜の過ごし方もきっとありだろう。彼女の言う青春ってやつを体験してみようじゃないか。
ちらりと時計を見ると、長針は既に六を過ぎていた。
「ジャージに着替えて、四十分に菫子の家の玄関前に集合。遅れないでよ?」
「了解。真を確かめに行きましょう」
「虚々実々をハッキリさせましょう」
§
「はい、二分五十秒遅刻」
じっとりと冷たい視線で私を貫きながら、早苗は言い放った。深夜のお出かけより、そちらのほうが何倍も怖い。
「いや、ジャージをどこやったか忘れちゃってさー、あはは~」
笑って誤魔化そうとするが、カエルを睨みつける蛇のような鋭い目線は変わってくれない。
「菫子ってさ、遅刻癖あるわよね?出会って数ヶ月で何回待たされたことやら……」
「これは宇佐見家に代々伝わる遺伝というか呪いというか」
「流石にソレは遺伝しないと思うけど」
そういうと早苗は、はあぁと大きくため息をついた。目の前でそんなことされると反省せざるを得ないじゃないか。いやいや、普段も反省はしているけども。
「と、ところでそのポーチは何?」
少しでも遅刻から意識をそらそうと話を振ってみる。彼女はそれを聞くと、ニシシとどこか悪巧みをしている子供のような表情を浮かべながら、そこから懐中電灯を出して渡してきた。
「はい。多分持ってないだろうと思って。それ以外は秘密~」
「ひ、秘密?」
「何かあったら見せるかもーって感じ。それよりほら、行きましょう!」
「え、あ!ちょっと待ってよ!」
妙にテンションが上がっている彼女の背中をライトで照らしながら、小走りで追う私であった。
§
黒々とした夜の闇にとっぷりと浸かった学校は、私達の知らない得体のしれない雰囲気を醸し出していた。
この地域にたくさんの子供がいたのも今は昔の話。片田舎に乱立した小中学校は統廃合を繰り返し、今や両方とも一校ずつしか残っていない。そんなこんなで生き残っているのが現在通っている中学校だ。広い土地、広い校舎、周りが木で囲まれていて静かで、通いやすい立地なんかが主な要因らしいが、言い換えれば、遮蔽物が何もない校庭、先を見通せない程の長い廊下、裏に広がる森林地帯などと、この場にとっては不気味さを加速させる原因にしかなっていない。
でも、そんなおどろおどろしさも、ひゅるるひゅるると校舎が泣いているように聞こえる風の音も、私達にとっては、ピリリと辛いスパイスでしかない。
空には薄く雲がかかっており、月の光がぼうと輝くほかに、辺りに光源は見当たらない。そんな暗い中、二人で力を合わせて校門を横に思いっきりスライドさせる。ガラガラと音を立てながら、扉は開かれた。
「よっと。しかしまぁ、セキュリティあますぎるんじゃないの?これ」
「偶然よ偶然」
「早苗が言うと妙な説得力を感じるわ……」
ポケットから懐中電灯と携帯を取り出して時計を確認する。後二分と三十秒で日付が変わる。
「私がいちにのさんって言ったら校門を跨ぐわよ?早苗」
「おっけー」
暫しの沈黙の時間……というのも少し味気ないので、ちょっと気になっていることを、なんとなく話題として振ってみることにした。
「そう言えばさ、この夜更かし行為に貴方の神様は止めたりしないの?」
隣の早苗はそれを聞くと、何もない空中をちらりと見てから言った。
「お二方ならもう九時ぐらいから寝てらっしゃるわ」
「神様って寝るものなの?」
「う~ん……他の神様は知らないけど、私の神様は寝るわ」
「そもそもさ、なんで早苗には神様が常に近くにいるの?普通神社にいるものじゃない?」
「それがね、私にもよくわからないの。初めて会った時にも言ったけど、生まれた時から……って菫子、そろそろ時間じゃない?」
早苗に言われて、再び携帯の画面で時刻を確認する。あと二十秒だ。
「よし、私が合図するまで超えちゃダメだからね?」
…あと十…九…八…七………
「……いちにの、さん!」
私達は同時に一歩踏み出し、学校と外の境界を超える。
カチリ、と小さな歯車が噛み合うような、変な音がしたが、多分風の音か何かだろう。
「なんか変わった様子はある?早苗」
「ううん。私から見た限りじゃさっきと変わらないわよ?」
「まぁ、これで七不思議の注意書きのとおりなら、他のオカルトに遭遇する条件が整ったわけだから、まずは校舎の中に入ってみましょう」
携帯をしまい、代わりに懐中電灯の明かりをつけて足元を照らし、ゆっくりと歩き始める。
ざくっざくっざくっ。
静まり返った校庭に足音が響く。そんな音も私達の他愛も無い会話も、真っ黒な世界に溶けて消えていく。
「私が思うに、七番目に会うには、ソレ以外の奴等とも遭遇する必要がある気がするの」
「その根拠は?」
「第六感」
「当てにしてるわよ、菫子。……でも、それだとまるでダンジョン攻略ね」
「パーティは二人だけ、だけど」
「警備員さんがいたら仲間にする?」
「その前に追い出されるかも」
そんなことを話していると、生徒玄関前についた。一度にたくさんの生徒が出入りできるように両開きのドアが三つあるが、どれも閉じたままだ。私はそれのうち真ん中のドアに手をかけ、手前に引っ張る。が、ガチャンと音がなり、中への侵入を拒まれる。ぐぬぬ。いや当たり前といえば当たり前なんだけども。
「私の方は開いたわ。"偶然"ね」
早苗に選ばれた扉は、小さく金属音を鳴らしながらいとも簡単に開く。勝ち誇ったような、まさにドヤ顔を私に見せつけてきた。
「コッチ通る?それとも鍵を開けようか?私の奇跡で」
「いや結構」
少しムキになったわたしは、念力で内側から乱暴に鍵を外し、ダンジョンの中へと足を踏み入れた。
外と同様に、黒いペンキをぶち撒けたかのような真っ黒い闇。明かりといえば、時々非常口の緑がかった光が点滅している程度。
ライトであたりを照らしながら、慎重に下駄箱を通り抜けて、廊下に出る。
「まずはどの七不思議に遭遇してみる?菫子」
「最初は危険性が低そうなやつからにしましょ。ま、音楽室のピアノが妥当かしら」
そう言って、音楽室がある方を見る。長い廊下が暗闇と合わさって、無限に続いているかのように錯覚させられる。
私達の学校はカステラのように細長い形をした三階建てで、昇降口が校舎の真ん中付近に南側を向いて存在している。そこから左右均等に廊下が伸びていて、その北側に教室がずらっと並んでいる。一階の西に職員室があって、中央付近から東に家庭科室と音楽室が並んである。二階には一年生の教室と理科室、美術室。三階に先輩たちの教室とパソコン室。別棟に体育館やら図書館やらがある。極普通の、ありきたりな校舎だと思う。
そんな学校の一階を、東に向けてゆっくりと歩く。タタンタタンと暗黒空間に私達の足音が響いている。普段はうるさすぎるところも、ひっそりと静まり返っているだけで、印象がガラリと変わる。壁に掛かっている見慣れた習字に、少しビビってしまったのは内緒だ。
「まるで、夢の世界に迷い込んだかのようねぇ」
「何言ってんのよ早苗。ここは紛れも無く現実よ?」
彼女の頬をつんつんと突く。触れた指からは柔らかい感触が、確かに伝わってきている。
「触れられてる感覚あるでしょ?夢じゃない証拠よ」
「わかってるわよぅ。あくまで比喩よ比喩。こう、普段見慣れてる場所でも、時間帯とかが違うだけでまったく違った印象を持つっていうか……何か"出て"きてもおかしく無さそうだなぁって」
「確かに。"出て"きそうね」
そんな会話をしながらゆっくり進んでいると、家庭科室の真ん中辺りに差し掛かったところで、不自然な音が聞こえてきて、私達はその場で身を屈めた。ポロ、ポロロ、ポロン。聞いたことがない、不思議なメロディーだなぁと私は思った。
「これってピアノ、かしら?」
「うーん。そうとは限らないんじゃないかしら、菫子。例えば、こんな夜遅くに学校に来て演奏してる物好きとか、もしかしたらラジカセが流れっぱなしになってるだけっていう可能性も」
「いずれにしても、実際にこの眼で視るまではハッキリしないわね……あれ」
ピアノに接近するために再び歩きだそうとした私の耳に、二つめの異音が飛び込んできた。
ペタッ……ペタッ……。
中途半端に硬くて柔らかいものを平面に叩きつけているような、湿り気のある音。思わず、早苗と目線を交わす。
「変な音がするわね」
「ええ。一体何かしら?」
私は早苗と共に、視線を進行方向とは逆の方向へと向ける。暗い廊下の奥、階段付近で何かが動くような影が見えた。何者なのか確認するために、懐中電灯でそこを照らしてみる。
人間の左半身が見えて、まさか警備員か?と身構えたが、どうやら違う。というか、普通の人より肌の露出が高い気がする。いや、高いというか、裸そのものだ。
「まさか露出きょ……」
ぼそりと早苗がそう呟くやいなや、奴は突然くるりと身体を回転させて、こちらに全身が見えるように向いた。
よく見るとそいつは、首に骨が通っていないかようにダラリと頭が垂れていて、体の右半分は緑の苔のようなものがびっしりとついており、一部からは筋肉やお腹の中身が丸見えだった。
あんなオカルト、一つしか無い。
「菫子、アレってまさか」
「そのまさか!」
そうつぶやいた矢先、そいつの頭が突然ぐるりと起き上がり、目線を私達に向けて、ねっとりとした笑みを浮かべやがった。まるで、飢えた肉食動物が久しぶりの獲物を見つけたようなそれに、背筋に冷たいものが走る。
あれはまずいヤツだ。直感でそれを感じるが、どう対応していいのか一瞬迷っていると、奴は突然、その姿からは予想できないほどの猛スピードでこちらに迫ってきた。腹から形容しがたい色の体液を辺りにぶちまけながら近づいてくるその様は、まさに怪談映画そのもの。その作られた眼からは、殺気のようなものが発せられている。こちらを敵視しているのは火を見るより明らかだ。
どうする?あの速さだ、後ろに走ってもいずれ壁際に追い込まれるだろうし、窓を開ける時間もない。どんどんと距離が迫ってくる。考えろ考えろ!テレキネシスで対抗しようと考えたが、果たして効果があるのか……自信がない。
「ギリギリまで引きつけて回避?」
「早苗、それは廊下が狭くて無理……いや、いける!上だ!」
人体模型と天井との距離を目測する。なんとかいけそうなスキマだ。
「時間ない!翔ぶわよ、早苗!」
「オッケー!」
私達は同時に、足で思いっきり地面を蹴った。飛び上がった体が重力に縛られる前に、超能力で更に高く押し上げる。刹那、私達のすぐ真下を人体模型が猛スピードで走り抜けてく。浮いたまま去っていった方向を見ると、奴は勢い余って転がっていた。不気味な液体が、まるで絵の具が入ったバケツをぶちまけたかのように廊下に広がっている。
「うぇ、くっさい……」
その液体から、肉が腐ったかのような腐乱臭が漂ってきた。とても気持ちが悪い。
奴の動きを注視しながら、超能力を解いて地面に降り立つ。幸い、私達のところに体液は飛んでこなかった。
「一応、切り抜けたけど……まだあいつはやる気のようね」
人体模型は、しばらくは投げ捨てられた人形のように黙って転がっていたが、すぐに鈍く動きながら起き上がっていた。大量の体液やら内臓やらが抜け落ちたせいなのだろうか、体のバランスが取れていないようだが、反撃に転ずるのは時間の問題だろう。
「どうする早苗。窓から逃げる?」
「このまま驚かされておめおめと逃げる?そんなの、この私が許さないわ!」
「同感。でも、何か策はあるの?」
「もちろん。さっきは突然だったから驚いて何もできなかったけど、きっと一発で終わらせてみせる。菫子は懐中電灯でヤツを照らしてて!」
「りょ、了解!」
何をするのかわからなかったが、彼女の指示に従い、光をその方向へと向けた。照らされた人体模型は、その憎悪に満ち満ちた汚らしい顔をこちらに向けてふらふらとしている。
早苗は持っていたポーチに片手を突っ込みながら 、ヤツの直線上に仁王立ちして睨み返す。
「これが役に立つ時が来ました!くらえ、 『祈願「商売繁盛守り」』!」
そう高らかに宣言しながら、ポーチから手を引き抜くと、握りしめていた何かを空中にばら撒いた。その何かは桃色に淡く光ると、まるでマシンガンのように次々と勢いよく人体模型に襲いかかった。
小さい物がヒュンヒュンと風を切る音と、硬い何かにぶつかる音が十数秒したかと思うと、パタリと突然音がやみ、桃色の何かもすべてがヤツの方に叩き込まれていた。食らった相手は、何かが燻ぶるような音がするだけで、ぴくりとも動かない。
「へへん、どうよ?」
両手をパンパンと払いながら早苗はこちらに振り向いてニカッと笑ってみせた。
「す、すごい!今の、一体どうやってやったの!?」
「あれも一子相伝の秘術のひとつ、らしいの。使ったのは初めてだけど」
「その秘術ってやつ、本当に便利よね?。空も飛べるし、ある程度確率もいじれるし」
なんというか、恐らく普通の奴らから見ればその場で腰がぬけるほど驚くのだろうけども、私達の間ではもう慣れてしまっていた。現に、この間パイロキネシスとかサイコキネシスとかが出来るようになったので披露した時も、似たような雰囲気だったし。
「よし、次はピアノのオカルトね。早く見に行きましょうよ、菫子」
「それもそうね。何かあったら、相棒の新たな力を頼りにするわ」
「えっへん」
§
音楽室からは、先ほどと変わらずに短いフレーズらしきものを断続的に繰り返すピアノの音色が聞こえてくる。
扉に付いている小さな窓から一緒に中を覗いてみるが、そこには人っ子一人見当たらない。グランドピアノの鍵盤はカバーが開いていて、実際白黒のそれらは上下しているが、問題の奏者が見えなかった。
「ラジカセは動いてないっぽいわね。幽霊が弾いてるのかな?それともピアノ自身が何かしら作用して音が出てるのかな。もしかしたら菫子の携帯のカメラでなにか映るんじゃない?」
「そんな回りくどいことしないで、直接確かめればいいのよ」
右手でガラスに触れ、入口から一番近い椅子をテレキネシスでガタガタと揺らす。
「ちょっと、そんな派手にやっていいの?」
「へーきへーき。四つのオカルトの中じゃ一番無害そうだし」
早苗の危惧とは裏腹に、ピアノの様子に変化はない。音を断続的に鳴らしている。
「もうちょっと近くで聞いてみましょ?」
「何かあったら菫子のせいだからね」
はいはいと空返事をしながら、からりと音を立てて扉を開けて、中に入る。
普段は生徒たちの歌声が響いて明るい雰囲気を持っている音楽室だが、暗闇の部屋からは、そんな面影すら見いだせない。
そんなギャップが、壁に掛かっている絵画がひとりでに動いているように見せたり、演奏者のいないピアノの音を聞かせるのかもしれない。少なくとも、後者は幻聴ではなくて今まさに聞こえているのだが。
ピアノに近づくにつれ、その音に水が跳ねるような音が混じっていることに気がついた。最初はどこかの蛇口の締め忘れか何かと思っていたが、ピアノを目前とした時にその正体がわかった。
「なるほどねぇ。こうなってたのか」
七不思議が伝えるとおり、目の前のピアノは所々真っ赤に染まっていた。主に鍵盤が、だが。そのちょうど真上をライトで照らすと、そこから赤い液体が滴り落ちていた。
「通りで音が断片的で、音楽としての体を成してないわけだわ」
「天井でも開けてみる?菫子」
「う、うーん……何があるかわからないし、あんまりやりたくないけどなぁ」
さっきの人体模型のこともある。どんな棘々しい物が詰まっているのか、想像に難くない。
手でこじ開けようかどうか、天井を見上げながらあれこれ思考を巡らせていると、
カタン。と、何かが外れるような音がして。
「早苗、今何かし――」
次の瞬間、ブウォンと大きな音がなった途端、椅子が次々に倒れていくような音が耳に飛び込んできた。
反射的に懐中電灯を放してしまい、頭に手を当てて身をかがめてしまう。姿勢は変えず、とっさに教室の後方を見る。
教室の後ろ側にある椅子が、まるで箱を傾けて中身を一箇所に集めたかのように、教室の角に固まっていた。そして近くには、そこにあるはずのない、ドアが横たわっていた。まさかと思い、入り口の方に目線を移すと、ドアが一枚外れていた。
「え、ちょっと何が起こって」
なんとか状況を整理しようと必死に頭を回転させるが、その回転を狂わせようとするかのように、またおかしなことが起こった。
ドアが外れた入り口付近の椅子が、三つほど空中に浮いたのだ。その様子はまさしく私が扱うテレキネシスの部類に違いないと、直感的に感じた。
「こんな非常事態になにしてるのよ!」
「私じゃない!」
その椅子は、ふわりと一瞬宙に留まったかと思うと、まっすぐに私達の方向へとすっ飛んできた。
私は咄嗟に、早苗を抱えてピアノの下に滑りこむ。刹那、私達がいた所に椅子がガシャンガシャンと派手な音をたてて地面と激突した。
「あぁんもう!何なのよ!」
地面に這いつくばるような格好のまま、地面に握りこぶしで叩く。そんなことをしても無意味だということはわかるが、何がなんだかわからないこの状況下において、何か物に当たらないと正常な思考をしていられそうにない。
落としたままのライトをテレキネシスで引き寄せて、後ろの入口側を光で照らす。
「早苗には、何に見える?」
「人形ね。しかも、空中に浮いてる」
彼女の言うとおり、開け放たれた入り口に人形が浮いていた。真っ白い白衣のような服を着て、金色の髪の毛を生やし、その作られた目は、ライトの光に反射して青く輝いている。
「アレが六番目の……!」
青い目の人形は、その小さな指でこちらを指さしてきた途端、壁にかかっていた肖像画が外れて、まるでニンジャの手裏剣のように回転しながらこちらに迫ってきた。
私はテレキネシスで近くの椅子を掴むと、バットでボールを打つように椅子をフルスイングして、肖像画を木っ端微塵に叩き壊す。しかし今度は、譜面台が二つほどこちらに突っ込んできた。もう一度、掴んでいる椅子をフルスイングしてはねのける。弾け飛んだそれの破片が窓に当って派手に割れるが、気にしていられるか。しかし、敵の波状攻撃はとても厄介だ。少しでも気を抜いたら、確実にこちらの身が危なくなるのは疑いようがない。
「早苗!追撃を頼むわ!」
彼女の御札なら、今は防戦一方だが、形勢を逆転できるかもしれない。そう思っての発言だった。しかし、返ってきた言葉はその希望とは裏腹なものだった。
「ゴメン!ここに滑りこんだ時に御札が入ってるポーチを落としちゃったの!……んっ……はぁ……!ダメ!腕を伸ばしても届かない!」
「念力でとってあげたいけど……この!あいつの攻撃が止まらない!」
私の超能力は、奴の比べてもかなり弱い。こうして奴の波状攻撃を防ぐことしか出来ず、平行して早苗のポーチをテレキネシスで拾えないのがその証拠だ。椅子でまた振り払うが、叩き落とし損ねた奴の椅子がピアノの上部に当たって派手な音を鳴らす。
「せめて、奴を周りに物がないような場所に誘導できたら……」
舌打ちをしながら、愚痴のような言葉をぽろりと漏らす。それを、早苗は聞き逃さなかった。
「そう!その手があったわ!廊下に出れば、何もないし、移動するときにポーチを拾えれば一気に有利になる!」
「確かにそうだけれど、一番近いところにあるドアに鍵が解錠されているとは限らないわよ?」
音楽室は、他の部屋と同じように前後に入口がある。後ろ側には人形がいるから論外として……前、つまり私達の近くにある法のドアの鍵が開いているとは保証できない。もし締まっていたら、奴の強撃の格好の的になってしまうかもしれない。
「何言ってるのよ、菫子。私の奇跡を、忘れてもらっちゃ困るわ!」
そんな私の危惧を、彼女のその自信に満ちた声が払拭してくれる。試してみる価値はありそうだ。
「わかった!精一杯援護するよ!」
「貴女になら、安心して任せられるわ。それじゃあ、行きます!」
そう言い終わるや否や、彼女はするりとピアノの下から這い出ると、そのままドアの元へと走りだした。人形は早苗に向かって椅子の攻撃を仕掛けるが、私がそれを阻止する。彼女はすぐにポーチを拾うと、そのままドアを開けて廊下へと出た。それを確認すると、私も廊下の方へと一気に駆け出す。同時に、椅子がまたこちらの方へと飛んできた。当たりそうになるも、間一髪のところで、私がドアを駆け抜けるほうが速かった。
§
異臭漂う廊下は、先ほどと変わらず真っ黒に染まっている。人形は、私達につられて音楽室からこちらに顔を出した。チャンスだと思い、一気に距離を詰めるが、ソレより早く人体模型が私達めがけてふっ飛ばされてきた。私はさっきと同じようにおもいっきりジャンプしてそれを避け、真下を通り過ぎる奴の頭めがけてサイコキネシスを叩き込み、地面へと叩きつける。後ろにいた早苗が、間髪入れずにポーチから御札を取り出して「蛇符『雲を泳ぐ大蛇』!」と宣言し、白い大蛇が奴を壁に叩きつける。四足が本来曲がらない方向にネジ曲がり、頭部がぺちゃんこに潰れていた。私はそれを視界の端で確認すると、一人となった敵を睨む。奴の周りには譜面台が浮いていた。なるほど、人体模型はアレを廊下まで運ぶための時間稼ぎだったのだろう。そこまで想像した直後、譜面台が一斉に私めがけて突いてきた。冷静に後ろへ飛びのいて、それを回避する。相手がこちらへ深追いしようと、ランスのように譜面台を構えた。しかし、それによって防御が疎かになったのを、私と早苗は見逃さない。もう一度地面をけって彼女の後ろへ回り込み、彼女の邪魔にならないようにする。
「奇跡『ミラクルフルーツ』!」
札が白く輝き、そこから少し大きい楕円形の弾が複数発射される。人形は譜面台を振り回し、それをはたき落とそうとした。
「それくらい、お見通しよ!」
譜面台とぶつかる直前、楕円弾が弾けて小さな弾が列となり全方位にばらまかれる。人形はサイコキネシスのようなもので弾いたりするが、いくつかがその小さな体に着弾した。
「まだまだ!」
第二波、第三波と、次々に弾幕を叩き込む早苗。譜面台以外の防御手段が無い人形は結果的に防戦一方となる。
彼女が弾幕を張っている間、私は右手に思いっきり念力を溜めていた。奴は見るからにジワジワと追い詰められている。その中で、スキを見せた時がチャンスだ。紅い弾が拡散する様子を的確に予測しながら、奴がそれを譜面台でどう避けるのかに注視して……
「いまだ!」
手に込めていた念力を燃え盛る炎に変換して、それを人形に向けて放つ。熱と光の塊は弾と弾の間を滑り抜け、譜面台を掠めて奴の腹部に直撃した。 弾を避けることに専念していたあいつは、突然の状況変化についていけず、早苗の弾幕をまたもろに食らった。注意力を完全に失ったその瞬間を見逃さず、テレキネシスで譜面台の制御を奪う。
「いっけぇぇ!!」
出せる最大の運動エネルギーを乗せて、人形につきつける。布の塊であるオカルトは、譜面台がぶつかると二つに裂け、炎によって跡形もなく燃え尽きた。
「やったか!?」
「早苗それフラグ」
「えへへ、ごめん」
展開していた弾幕は既に消え、校舎は再び静寂に包まれた。
「つ、つかれたぁ……」
さっきの一撃に全力を入れすぎた。念力と体力は比例しているらしく、回復には少し時間がかかりそうだ。緊張がつけたので、ついフラフラと地面に座り込んでしまう。
「私も……ふへぇ」
そういうと、早苗もその場にへたり込んだ。彼女の秘術も体力に関係しているのだろうか。
「さて、三つのオカルトと遭遇したわけだけど、最後の紫色にはどこで出会えるのかな?」
今までのオカルトはどれも場所の指定があった。――まあ、実際に指定された場所で出会ったのは赤いピアノのオカルトだけだったが――しかし、紫色に関する記述なんて、ただ願い事が叶うということしか書かれていなかった。
「多分、校舎内をウロウロしていれば、ばったり会えるんじゃない?緑色の人体模型やら青い目の人形やらとかみたいに」
「そうね。そのうちエンカウントするかもね」
早苗が言った方法がもっとも可能性が高いだろう。運が良ければ、欠けた他のオカルトにも鉢合わせするかもしれない。
そんなことを考えていると、不意にバタンと家庭科室のドアが乱暴に開かれた。
「まさか紫色!?」
いきなりの出来事だが、やけに簡単に遭遇することが出来たなと頭によぎるが、結果オーライだろう。
しかし、その見通しはあまりにも甘かった。
そこから出てきたのは、先ほど倒したはずのオカルト、人体模型であった。
「はぁ!?だってあいつはさっき早苗に倒されたはずじゃ」
ちらりと水道の方を見るが、そこには早苗によって叩きつけられた人体模型が確かに存在している。学校にそれが二体もあるなんて、見たことも聞いたこともない。
奴は先ほどのアレと同じように、右半身が緑色に包まれていて、体液が垂れ流しになっている。そして奴は、ゾンビのようにこちらに腕を伸ばして襲いかかろうとした。既のところで立ち上がって後ろに飛び退き、それを回避する。
「菫子!貴方は回復できた?」
「ダメ、まだ奴らと渡り合えるほどは……」
「逃げるしかないようね?とりあえず、昇降口の方に行きましょう!」
人体模型は、先ほどとは違い走ってこちらを追う様子は見せない。重い足取りで一歩ずつ近づいてくる感じだ。
好機と判断して、よろけながらも奴のそばを全速力で通り抜けて廊下を一直線に駆ける。こんなに体力をフルで使っているとのは生まれてはじめてかもしれない。それぐらい全力で体を動かす。
……しかしこれは、本格的に起こる悪夢のような現実の、ほんの始まりにすぎなかった。
§
息も絶え絶えになりながら、なんとか昇降口のところまで辿り着く。
「ひぃ……はぁ……」
肩を上下に大きく揺らしながら、呼吸を整える。今すぐにでもさっきみたいに床に座り込んで休憩したいけれど、ヤツの気が変わって急に襲ってくるかもしれない。だから、腰を下ろすことはあまり得策ではない。
「ていうか菫子、なんかここ、さっきと感じがおかしくない?」
「確かに。何か前より一層暗くなった気がする」
そう呟いて、私はあたりを見渡す。違和感の正体はすぐに分かった。何かが下駄箱やドアや壁に張り付いているのだ。懐中電灯で照らしながら、一番近いところにあるやつを観察してみる。
それは、赤黒く、湿った表面を持ち、心なしか脈打っているようにみえる。見れば見るほど、観察し、理解すればするほど、段々と手の震えが大きくなっていくのがわかった。
「人体模型に入ってたアレ、よね?」
しかし、ソレに内蔵されていたものは、明らかにプラスチック製であったはずだ。だが、目の前にあるこれは果たして。いや、そんなはずはない。だって、本物のソレに関するオカルトなんて、そんなことが書いてあるサイトなんてどこにもなかったのだから。
そんな私の儚い願いをあざ笑うかのように、臓器共は突然伸びている管という管から、形容しがたい液体を吐き出し始めた。垂れた先では、しゅうしゅうと煙を出しながら溶けているようにも見える。
「う、うわぁ……」
言葉に出来ない嫌悪感と、背中に走る悪寒がごちゃ混ぜになり、胃の中身がひっくり返ってしまいそうになる。しかし、そんなことお構いなしに、オカルトは隠していたその牙を徐々に私達に向けはじめた。
「菫子!あっちからなんか近づいてくる!」
早苗が、職員室がある方を指さす。そこには、学校には必ず一体はあるだろう金次郎像がいた。しかし、一体だけではない。なんと三体も並んでこちらに迫ってきていたのだ。
「この学校には金次郎像は確かにあるけど、一体だけじゃない!なんで増えてるのよ!!」
彼女の叫びが学校に響くが、オカルト共はひるまない。人体模型もこちらにズルズルと詰め寄ってくる。
外に逃げたいのはやまやまだが、私には、あんな非常識で不気味な物を取り除きながら移動するなんて、出来そうにない。電話で助けを呼ぼうと携帯電話を取り出したが、何故か圏外になっている。なら、道はひとつしかない。
「早苗!上!階段を上ろう!」
早口に言いながら、思わず彼女の手を握る。こうでもしないと、恐怖で冷えきった自分の心が簡単に折れてしまいそうだったから。そんな私の手を優しく、早苗は包んでくれたのが、何よりの励みとなった。
「よし、早くいこう菫子!」
手を固く握って、おもいっきり階段へと走り、スピードを維持するために一段飛ばしで上へと登る。踊り場を抜けて、瞬く間に二階へ辿り着いた。体力の限界なんてとうに越しているが、どうにか気合で立ち続ける。
「つ、疲れた……」
中腰の姿勢で肩を大きく揺らしながら呼吸を繰り返す早苗の背中を擦ってやりながら、私は返事をした。
「やっぱりまずは体力回復が最優先事項よね……。どこかの教室に籠城しよう。ドアの鍵をかけて、付近に物をおいて、バリケードを作る。その中で休憩するっていうのが、今取れる最善策だと私は思う」
「了解。それで行きましょ」
やっと一息つける。そう考えると急に力が抜けていってしまいそうになる。いや、作戦を立てたのは自分なのだから、ここでへばってはダメだと自分をなんとか奮い立たせ、私は近くの教室のドアを開けた。が、そこには、またしても私の精神を折りかねない状況が待ち構えていた。
「う、うわあああああ!!」
そこは、よく知っている教室なんてなかった。机やロッカーの中身は散乱し、うごめく人型の何かがグチャグチャと異音を発していて、その様はさながら地獄絵図のようで。
私達は思わず叫び声を上げて、ガタンと扉を閉じ、一目散に逃げようとした。
が、この悪夢のような現実は終わらない。その刹那、私は視界の隅で巨大な塊のような何かが急速に接近してくるのが見えた。無意識に、体の中に残っていた念力をかき集めてガードをする。直撃は逃れたが、懐中電灯が手から離れてしまい、殺しきれなかった衝撃が私達を階段の方へと吹き飛ばした。グワングワンと視界が何度も回転し、壁にたたきつけられて漸く止まる。
「かはっ……さ、早苗?」
慌てて、同じく吹き飛ばされて近くで倒れている彼女の安否を確認する。よく見ると、頬にかすり傷がついていた。
「わたしは、大丈夫だから。それより、あれ……」
顔面が真っ青な早苗は、震える指でどこかを差した。その方向へと顔を向けると、言葉では形容しがたい光景が広がっていた。
腕が異様に肥大化しているモノ。首が異様に長いモノ。口が耳辺りまで裂けているモノ。下半身が千切れているモノ。頭部のみのモノ。足が何本も生えているモノ。モノ。物。者。怪。
そいつらが、欠けた怪談の一部なのか、いつの間にか発生したオカルトなのか、そんなことはどうでもよかった。なぜなら、私達はこの様を誰にも伝えることが出来そうにないからだ。
化物の中の一匹が私の懐中電灯を拾って、その巨大な口の中に放り込む。プラスチックが裂ける音と、汚らしい咀嚼音が私の精神をガリガリと削っていく。
知らず知らずのうちに、私は早苗に抱きついていた。あまりにも受け入れがたい現実に、ただ、早苗だけが私に残された最後の、日常につながる現実だから。彼女は、そっと優しく、抱き返してくれる。震えが伝わってくるけど、とても暖かかった。
ジリジリと奴等は近づいてくる。湿り気のある息が耳を撫でる度に、猛烈な吐き気に襲われる。あいつらに襲われたらどうなるのだろうか。今更になって、段々と恐怖心が増していく。そして、無意識に懇願していた。
――誰か、七番目でもなんでもいいから、誰か助けて……!
「ま、合格ってところかしらねぇ」
ふと、私でも早苗でも、ましてや奴等のではない、はっきりとした声が聞こえた。かと思うと、突然私達の真下の地面がぱっくりと割れ、その中に吸い込まれて―――
§
お尻に強い衝撃が走った。激痛に悲鳴を上げる前に、上から柔らかい何かが降ってきて顔面とぶつかり、硬い所と柔らかいソレとのサンドイッチ状態になってしまう。
「む、むがが!むぐぐぐ!」
何が起こっているのかさっぱりわからない。ただ、もし上に乗っかられているものが、さっきまで見ていたバケモノだとしたら……。背筋に冷たいものが走り、反射的にぼかすかとなりふり構わず拳を振り回す。
「い、痛い痛い!ちょっとやめてよ!」
耳に入ってきたのは、聞き慣れた早苗の声だった。と同時に、上のものが取り除かれる。勢い良く起き上がり、大事な眼鏡の心配をする。暗くてよく見えないが、どこも傷はついてなさそうだ。ひとまず安心。
「す、菫子だったのね……大丈夫だった?」
「なんとか。というか、ここはどこ?」
キョロキョロとあたりを見てみるが、先程までいた校舎内とは全く違う場所に、何故か私達はいた。風と、呼応するようにさざめく木々の音、他にも環境音がくっきりと聞こえる。
「あれ、なんで私達、屋上にいるの?」
あの場所から屋上へは、そのまま階段を使えば行けるが、そもそも私達は落とし穴のような何かに落ちていったのだ。だれが仕掛けたトラップなのかはわからないが、それならば、一階の昇降口辺りにいた方が自然ではないか。
「下に落ちたはずなのに、上にいる……」
普通に考えれば、それは明らかにおかしな出来事だ。しかし、校舎を妖共が跋扈しているという現実があったことを考慮するなら。
「これは、紫色の仕業?」
早苗が私の思っていたことを呟く。私を同意見だと言おうと口を開いたその時。今まで曇り空だった空が、不意に薄くなり、スキマから月明かりが差し込んできた。あぁ、今日は満月だったなぁと、今更そんなことが頭によぎると、
「あら、いい月夜ね」
誰か、早苗でも私でもない誰かが、突然言葉を発した。
「どうもこんばんわ。初代会長さんに、現人神さん」
フェンスに腰掛けていたそいつは、月明かりに照らされて、妖艶な雰囲気を醸し出していた。リボンの付いた帽子のような物をかぶり、何故かひょっとこのお面をかぶっていて、そして、フリルの付いた紫色のドレスを着ている。
紫。ということはつまりあいつが。そう想った瞬間、ゾッと背中につららを当てられたかのような、今まで感じたこともない恐怖を覚えた。
あいつは絶対にやばい。本能が全力で警報を鳴らしている。思わずたたらを踏み、出入口の壁に背中があたった。
「早苗!逃げるよ!」
「も、もちろん!」
早苗もなにか感じ取っているのか、顔面が真っ青だ。私は彼女の手を再び掴むと、振り返って階段へと続くドアに手を伸ばすが、
「あら、逃げられるのは困るのよねぇ」
と、紫色が言った瞬間、私達の手足が、まるで金縛りにあったかのように動けなくなっていた。よく見ると、足首辺りにどこからか伸びてきた白い腕のような何かが巻き付いていたのだ。
「くそっ、離せ!」
サイコキネシスでその腕を攻撃してみようと試みるも、なぜか発動できない。それどころか、パイロキネシスも念力も、超能力全般が発揮できなくなっていた。
「いろいろ立て込んでてね、手短にいかせてもらうわ」
紫色がフェンスから屋上に飛び降りると、カツンカツンと音を立ててこちらに近づいてきた。
「あなた達の行動、全て見させてもらったわ。評価は、初めてにしては上出来ってところかしらね。流石はあの人の血縁者と、古来の血を引く娘」
いきなり何も言い出すんだ?内容が私にはよく理解できなかった。全て見ていた?血縁者?
「ちゃんと与えられた謎もしっかりと解いているようだし、この点に関しては良い評価をあげてもいいでしょう」
カツン。カツン。足音を鳴らして近づく彼女の真意を見出そうにも、その顔にはお面が被されていてできそうにない。
「ただ、今あなた達が置かれている状況はあまり理解してないように見える」
カツン。そして彼女は、私達のすぐ近くまで寄ってきた。普通なら、腕を伸ばせば頬を叩くことさえできそうな距離にまで。
「最後の問題。いま、あなた達は何処にいる?」
至極簡単そうに聞こえる問いかけ。だが、恐らく奴が望んでいる答えは、私が反射的に言いかけたものとは違うと、直感ではわかった。しかし、ならどう返答すればいいのか。設問の意図が理解できなければ、解答することはできない。
しばらくの沈黙の後、紫色が口を開いた。
「うーん。流石にそこまでは見抜けないか。まあしょうがないわね」
あの人ならどうだったかな、と続けて言う彼女のそのお面の奥にある瞳は、私でも早苗でもない、どこか遠いところを見ているようだった。
「ここは、現と夢のちょうど境界線上に位置する場所。現実だけど、幻日でもある。曖昧かつ中途半端な、分かれ目のない世界。あなた達は、そこで意識的には行動しているけれど、無意識に紛れ込んでいた」
すると彼女は突然、私の頭に手を乗せてきた。それはまるで、母親が子供を褒めるときにするような行為に、私は一瞬気をゆるめてしまいそうになる。
「ここを現実だと思いながら、別の世界で行動することはとても危険な事。夢なのか現なのか判断を誤れば、私のようにこちら側に引きずり込まれて、二度と戻って来れなくなるわ」
するりと、彼女は私に伸ばしていた手を引っ込めた。ちらりと見えたその瞳もまた、私ではない誰かを見ているようで、反射的に恐怖を覚える。
「私の力を持ってすれば、あなた達の記憶を弄るのは容易なことよ。でも、それではいけない。あなた達の行動一つで、未来は大きく変わってしまうから」
そう言い終えると、彼女は私に何かをかぶせてきた。
「あなた達が生きている世界の他に、夢の世界があることをよく覚えておきなさい。これは、それを証明するためのお土産よ」
紫色は私のそばから離れると、今度は早苗に近づいて、奴と同じ色に淡く輝く御札のような何かを彼女のポーチに入れた。
「使い所は間違えないようにね?また逢える日を楽しみにしているわ」
そう彼女は言うと、くるりと振り向き、屋上の奥の方へと歩いていく。私は思わず、疑問に思っていることを、その背中に叫んだ。
「あなたは何者なの!?名前は!?あなたは、私達をどこまで知っているの!?」
話していた口ぶりからして、私達に関する何かは確実に知っているように思えた。紫色は歩みを止めて、こちらに振り返る。
「知りたいのなら、もう一度、境界を超えなさい。私はいつでもそこにいるから」
途端、手首に巻き付いていた白い腕が消え、行動の制限が解除される。
「では、おやすみなさい。あなた達の視る夢が、吉夢であらんことを」
「ま、まて!」
私達が足を一歩踏み出し地面に触れるようとしたその瞬間。そこがまたぱっくりと割れて、足場が消え去った。
「う、うわああああああ!!」
そのまま私たちは暗黒の底へと真っ逆さまに落ちていき……
ぷつりと、意識が途絶えた。
§
夢を見ていた。
――蓮台野にある入口を見に行かない?
夢の中で夢を見ているのか、現実の中で夢を見ているのか、よく判断がつかなかったが、そんなことを区別する必要はないのかもしれない。
夢を見ている状態を自覚していることもおかしな話だが、見ているその夢の内容もまた、おかしなものであった。
――今日は夢の話をするために貴女を呼んだのよ
ぐるりぐるりと、まるで別々の映画のワンシーンをいくつも編集してつなぎ合わせたように、夢の内容がめまぐるしく変化する。私の意思など関係なしに。
しかし、その夢にはある一つの共通点があった。会話をしている二人組だ。
――理論上はともかく、事実上、観測物理学は終焉を迎えているわ
一人は、白いリボンが付いている黒い帽子をかぶって、白と黒のツートンカラーの服装、少し黒味がかった茶髪をしている人物。帽子さえなければ、私に似ている気がして、少し親近感があった。
――ここのカフェは校内でも割とお洒落で美味しいわね
もう一人は、金髪の髪に、特徴的な白い帽子をかぶり、紫色のドレスを着た女性。どこかでみたことのある人に思えたが、よく思い出せない。
――これが冥界よ
彼女達は、不思議な眼を持っていた。
茶髪の人は、月を見て現在地が、星を見て現在時刻がわかる眼を。
――蓮台野で一番彼岸花が多く生えているお墓が入り口よ
金髪の人は、この世界と別の世界を隔てる境界の裂け目を見ることができる眼を。
――二時三十分ジャスト!
そんな二人は、その力を利用して、クラブ活動をしていた。学校に認められていない、非公式のオカルトサークルの活動を。
――羨ましいのよ。不思議な世界がいっぱい見えて
お互い、世の中には決して理解されないであろう秘密を共有しながら、世界中にある結界を暴こうという活動していた。
――この近くにも鳥船神社、あったよね
その親友以上恋人未満の強い絆が、私にはとても羨ましく思えた。
――今夜はそこから『見に行きましょう』
そして、どこか懐かしい街を、夜にふたりで駆けるその姿もまた、輝いて見えて。
――今のわたしはさながらシューティングゲームの主人公よ!
私も、彼女達のような活動がしてみたい。
――天の岩戸といえば高千穂の……
彼女達に近づきたい。
――そうと決まれば行こう、戸隠へ
私一人じゃダメかもしれないけれど、
――素敵だわ、私達で見つけ出しましょう!
きっと、早苗と一緒なら……!
§
また、カチャリとフィルムが変わるような音がして夢が切り替わる。しかし今度は、先ほどとは違ってとぎれとぎれではなくなっていた。
何年も手入れがされていないのだろう、枯れ荒れ果てた畑のようなものが延々と続いている。そんな背景を背に彼女達は、暗い闇の中でも一層黒い影を落としている山の前に立っていた。鬱蒼と木々が茂っているが、どうやらその奥はゆるやかな上り坂が続いているようにみえた。
「や、やっとついた~!」
白いリボンが付いている黒い中折れ帽を被った人がジャンプをしながら、一人はしゃいでいた。
「ここがそうなの?」
キョロキョロと当たりを見ながら、特徴的な帽子を身に着けた金髪の人がボソリと呟く。そんな言葉に、帽子のつばを弾きながら、茶髪の人は金髪の彼女に何かを見せていた。
「ええもちろん。これを見てよ」
私からはよく見えなかったが、それはどうやら写真のようだった。
「ほら、この鳥居が、あれ」
茶髪の人が指差した方向を金髪の人と一緒に目線を移す。が、鬱蒼と茂っている森ばかりがそこにあるだけだ。
「ほらほら、よく見てみて?」
急かされる金髪の人が写真と山都を交互に見つめながらも、どこか釈然とし無さそうな雰囲気を出しながら茶髪の人に言葉を返す。
「確かにそれっぽいけど、どこでこんな写真手に入れたの?」
「裏表ルートよ」
「やっぱり、いつものやつね。で、本当にここにあるんでしょうね?█████」
「うん。私が収集した情報によると、この山の頂上付近には昔██があって、そこには神代から伝わる何かがあるんだって」
「いつも思うけど、よくネットにも乗ってない情報をホイホイと掴めるわよね」
「すごいでしょ。それでさ、貴方には見えてるでしょ?境界」
「まあね。目的のものじゃないけど」
「よし、もうひと踏ん張りしましょうね」
茶髪の人が空を見て呟く。
「二十三時四十分六秒。場所は、████████。いい月夜ね」
「こんな夜遅くまで起きてるのも、もう慣れっこだわ。お肌には悪いけど」
「安心して。終わったら廃墟に戻って呑み会よ?」
「何を安心すればいいのよ。健康な身体にダブルパンチじゃない」
「肴は何にしようかねぇ。遠い昔長野で起こった████とか、もっと安く月面ツアーに行く方法とか」
「はいはい。美しい自然と、ほんのちょっぴりのミステリアスね」
「まさに、私達らしいじゃない?」
さざと、風によって木々が揺れる。
「さあ、██。秘し封じられたものを暴くために、秘封倶楽部の活動を始めましょうか」
「ええ、███。夢を現に変えるのよ!」
――――そして私は、夢から醒める
§
「――ぇ菫子……ねぇ菫子!」
「うぉぁあ!?」
私を呼ぶ誰かの声を聞いてガバリと上半身を起こした。途端に頭に激痛が走る。
「あいててて……」
歪む視界に、ぐわんぐわんと重低音が中で唸る頭を手で抑えながら、寝る前に何が起こったかを想起して……
「あれ、ここどこ?」
「保健室よ」
声のした方向に向くと、早苗がジャージ姿のまま立っていた。そのままゆるゆると視線を巡らせると、自分がベッドで寝ているのがわかった。
「え」
「私も驚いたわ。菫子より先に起きたら、こんなところで寝ていたんだもの」
早苗はそのまま、私の寝ているベッドに腰掛けた。漸く頭痛が引いてきたので、昨日の出来事を思い出す。奴との別れ際、私達はまた落とし穴のようなものに真っ逆さまに落ちたのだっけ。
「早苗はあの後以降のことでなにか覚えていることってある?」
「何も。気付いたらここ」
まさか、紫色の仕業なのだろうか。しかし、ここまでお節介をする理由があるのだろうか。あの私達を拘束した術、そして落とし穴のようなものも彼女がしたことだと考えると、私達の命を奪うことなんて容易いことではなかったのか?
そこまで考えて、彼女の入った言葉を思い出した。
「……でさ、ここは現実、よね?」
あんなことを問いただされては、自分がいるこの世界がどちら側なのか自信が持てなくなる。
「まだ確信は持てないけれど、現実だと思うわ」
そう言うと早苗は、手に持っていた何かを私に見せてきた。
「渡された紙はあるのよね。それにほら、菫子も」
ちらりと移した目線の先を追うと、私の枕元に、紫色に渡された帽子と私のメガネがあった。どこか、別の場所でも見たことがあるような気がするのは何故だろうか?それよりも、ここがどこなのか、確かめなくてはいけない。帽子と眼鏡を掛けて、私は言った。
「一旦起きてさ、学校の中をもう一度探検してみない?あの夜に起こったことが、果たして現での出来事だったのか、それとも幻での出来事だったのか」
§
結論から話すと、学校は何も起こってなかったかのように、そのままであった。
緑色の人体模型の残骸も、
赤色のピアノの鍵盤の色も、
青色の目の人形が破壊したドアも、
二階にいた棘々しい奴等も、
何もかも無かったことのように。
「つまり、あの紫色が言ったように、本当に別の世界に行っていたのかな」
すべての階を丁寧に調べた後、私達は屋上でぼんやりと空を眺めていた。電波をしっかりと拾っている携帯電話によると、時刻は五時と少し過ぎた頃合い。
あの夜の雲なんてどこへやら。空は、きれいな朝焼けで染まっていた。
「でもまあ、すごい体験しちゃったわね、菫子」
「えぇ。流れに流されるままだった感じだけれど、とても楽しかった」
「いきなり人体模型が飛びかかってきた時はびっくりしたわ」
「一番驚いたのは、貴方の御札だけどね。とってもかっこよかったよ?」
「えへへ、それほどでもあるかな~」
それからは自然と、夜にあったことを振り返りながら、お互いのことを褒め称える流れになっていた。楽しかったことを思い出し大いに笑ったり、怖かったことを想起して一緒に恐怖したり。
そんなことを話しながら笑顔を咲かせる早苗に、どこか既視感があった。
「でも、本当に夢のようだったわね。出来るなら、もう一度体験してみたいなぁ」
――夢を現に変えるのよ!
早苗の一言で、頭のなかでつっかえていたものがガタリと外れ、あの時見ていた夢を、思い出した。
あの時感じた冒険心、未知との遭遇に対する高揚感、してはいけないことをしているという背徳感、ほんのちょっぴりの恐怖と、何より、頼れるパートナーが近くにいるという安心感と幸福感。
きっとソレは、夢のなかであの人達も感じていたのだろう。
墓荒しの時に。
カウンセリングの時に。
音もなく走る列車の中で。
カフェでの何気ないティータイムで。
大きな植物園のようなところで。
そして、大いなる秘密を見出した時に。
そして、それらを共有し、究極の目標である封じられた秘密を暴くために結成したのだろう。オカルトサークルを。
普通の人間である彼女達に出来たのだ。私達みたいな特別な存在なら……!
「私も、そう思うわ」
空を見上げながら立ち上がり、早苗に言った。
「だから、私に提案があるの」
「聞かせてもらおうかしら」
「オカルトサークルを結成するの。昨日の夜みたいに受動的で無意識に渡るのではなく、意識して現と幻の境界を越えるの!」
私の言葉を静かに聞いていた彼女はゆっくりと立ち上がると、好奇心で満ち満ちた綺麗な瞳で私を見つめながら言った。
「素敵!とっても楽しそうだわ!私は大賛成よ!」
「本当に?」
「ええ、もちろん!」
よかったぁと安堵の気持ちと、受け入れてくれた嬉しさから、彼女の手を握っていた。
「名前ももう決めてあるの」
「仕事が速いわね、菫子」
「その名も"秘封倶楽部"!意味は……そうね、この世界から境界によって秘し封じられた深秘を暴くから!どうよ」
「いいじゃない!それに、秘封ってなんだか響きがカワイイわね」
「ひふーん」
「ひふーん」
思わず、同時に吹き出してしばらく笑ってしまった。
「よし、家に帰って結成記念にホラー映画でも見ようかしら」
「いつもどおりの休日の過ごし方じゃない」
「なんでもない日常でも、サークル活動と捉えれば、きっとなんでも楽しくなるわよ、早苗」
「菫子と一緒なら、いつでも楽しいよ?」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
山から太陽の光が漏れだす。日の出の時間だ。新しい一日の始まり、新しい私達の関係の始まりだ。
「さ、記念すべきサークル活動その一をはじめましょうか」
「活動一発目が映画鑑賞じゃないの?」
「帰るのよ。せっかく結成したのに、深夜に外を出歩いてただなんて親にバレたら、初日から外出禁止になるわ!」
「よし、じゃあ家まで競争よ!飛翔超能力奇跡その他諸々なしでね」
「おっけー!それじゃあお先に!」
「あ、まちなさーい!ずるいわよ菫子ぉ!」
転・忘れられた古戦場
秘封倶楽部を結成した私達は、幻想の世界へと再び足を踏み入れるべく、様々なオカルトスポットを巡った。冥界につながっているという噂のお墓を暴いたり、人の残留思念漂う廃病院や、曰くつきの廃墟に行ったり。自然教室では、深夜にこっそり抜けだして、近くを散策したり。なぜ、私たちは他の人間共とは違い、超能力を体得しているのかをあれこれ考察したり。……境界暴きをしたり。
遭遇したオカルトや超常現象を撮影して、ホラー番組に送りつけたりもした。偽物の烙印を押された時は、審査員共の無能さを早苗と一緒に大笑いしたのは、今思い出してもニヤついてしまう。
そんな楽しいクラブ活動をしていると、時間はあっというまに過ぎ去って、学年は一つ繰り上がり、サークルを結成して一年が経った。
私達は前々から気になっていた情報を確かめるべく、旅行と称して一周年記念遠征をすることにしたのだ。
その噂が流れだした事自体が必然だったのか、そうでなかったのか。
それとも、私達がそこにいこうと決心したことが奇跡的なのか。
少なくとも、早苗と私の運命が、その出来事によって決定づけられたのは確かだった。
§
「急いで早苗!このままだと間に合わない!」
「どこの誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ!」
息つく暇もなく、階段を一段飛ばしで駆け下りていると、真中付近でけたたましい発車ベルが耳に飛び込んできた。
「待ってぇ!乗ります!乗りますからぁ!」
その音に負けじと大声を出し、運転手にアピールしながら階段を一気に飛び降り、着地の衝撃を利用して、そのまま電車の中へと飛び込んだ。一瞬遅れて早苗が滑り込んだ後、扉が音をたててしまり、ゆっくりと動き始めた。
「ん、はぁ……なんとか間に合ったわね、早苗」
と彼女に話しかけてみたが、口元からひゅうひゅうと息を漏らしながらその場にへたり込んでいるままであった。
何故私達がこんなにも息を切らしているのかというと、見ての通り、電車に乗り遅れそうになったからである。原因?一体誰の仕業なのだろうか。皆目検討もつかない。
「……貴方が遅刻してきたからでしょぉぉがぁぁ!!」
突然声を荒げながら早苗は立ち上がると、私の頬を両手でおもいっきりつねってきた。
「ひ、ひひゃいひひゃい!わ、わるかったってふぁ」
「反省してもらうために、電車の中ではずっとこうしていようかしら?」
「そ、そへはへはかんへんひへ……」
あまりの痛さに少しだけ涙目になってきたところで、冗談よと早苗は言いながら手を離してくれた。
「ほら、いいから早く席に座りましょう?いつまでも立ちっぱなしは辛いわ」
まだじんじんとする頬をさすりながら、コクリと頷く私であった。
§
「ご乗車ありがとうございます。この電車は、新諏訪経由――」
車内アナウンスを聞き流しながら、汗ばんだ身体に帽子で風を送る。
今日は動きまわる予定なので、チェック柄のシャツにハーフパンツ、リュックサックという格好で来たが、早苗の方は黒いノースリーブの上に薄い水色のチュニックを着て、紺色のミニスカートを履き、トートバッグを持って、いつもの蛇と蛙の髪飾りを身につけていた。涼しさも動きやすさも考えての服装に、おしゃれに疎い私でも、可愛いなぁと感じずにはいられなかった。
そんな彼女は、ボックスシートの反対側で、うちわを仰いでいた。
「ここから一時間近くだっけ?」
ポケットからスマートフォンを取り出して、しっかりと確認してから相槌を打つ。
「しかしまあー危なかったわ。この電車を逃してたら、一時間近く駅で待たされることになったんだもの。田舎って、こういうところが不便よねー」
「うん?遅刻しなければ発車十五分前にはしっかりと駅に到着して、余裕で乗れたわけだけれど。どこかの、誰かさんが、遅刻したせいで……」
うぐうと唸り声を上げてしまう。痛いところを突かれた。
「でもねぇ菫子。これで何回目?」
「多分、天王星の衛星の個数より少ないはず」
「なぁあに言ってるの。軽く見積もって、現在発見されている小惑星の数ぐらいはあるわよ」
「ちょ、ちょっとまって!さすがの私も、そこまでは」
「じゃあ一周年記念として、一つずつ振り返ってみましょうか~。まずは、出会った翌日の遅刻から……」
その瞳から察するに、本気でやる気だ。これでは私が終始やられっぱなしになってしまう!
「わー!わー!あ、そうだ。親に渡されたものがあったんだ!」
話をそらそうと、横の座席においたバッグを開けて、ゴソゴソと中を探る。私はそこから、カップアイスを二つ取り出した。一緒に入れておいた保冷剤のお陰で、ひんやりと冷たいままだ。
「ふ~ん。気が利くわね。遅刻のお詫びかしら?」
「親が電車の中で食べたらって言ってくれたの」
有難うと言いながら、早苗はその一つを受取る。そこで、私は一つのイタズラを思いついた。
「スプーンは?」
「ふっふーん。ほしい?」
「当たり前じゃない。無いと食べられないわ」
「おーけーおーけー。じゃあ早苗、掌を出してくれない?」
「……何するの?」
疑いの目を向けながらも、おずおずと手を出した。
「しっかりキャッチしてねー!そりゃっ」
それを確認すると、私はパチンッとおもいっきり指を鳴らした。すると、空中に紙製のスプーンが現れ、重力に従って落下してきた。
「うお!?おっとっと」
突然のスプーンの出現に驚いていたが、彼女はなんとかそれをキャッチすることができた。
「セーフ……って菫子、今何かした?」
「テレポーテーション。練習してたらなんかできるようになってたから、自慢したくて」
「はー……いや驚いたわ」
「まだまだ限定的だけれどね。こういう小さいものだったり、かなり近くになきゃいけないし、テレキネシスのほうがまだ便利って所」
そういいながら、アイスが入っていたバッグに手を突っ込んで、自分の使うスプーンを取り出す。
「溶けちゃう前に食べましょうか。早苗」
「賛成。いっただきま~す」
ぺりっと紙をめくり、スプーンですくい取って口に運ぶ。冷たいバニラの味が、走り疲れた体全体に染みわたるようだ。
「んふ、はぁおいしい」
「こうして風景を見ながらアイスをたべるのも乙ね」
電車は田園風景を抜け、私達を南東方向へと運んでいく。
「うーん!今から諏訪が楽しみだわ。最初はどこへ行こうかしら。やっぱりショッピングモール?」
「私的には、つい先日オープンしたプラネタリウムは外せないわ」
「いいねぇ。あそこはなんでもあるから、一日中いたって飽きはしないわ。きっと」
「でも早苗、一つ忘れてない?この遠征の最大の目的」
「忘れてなんか無いわよ。例の神社の謎を追うんでしょ?」
――諏訪には忘れられた神社がある
そのような噂が流れだしたのは、半年以上前のインターネットが初めてだった。そこから数ヶ月は、考察サイトが乱立したり、実際に諏訪に行って調査をするオカルトサークルも現れた。しかし、個人個人によって至った結論があまりにも千差万別で、いつまで経っても神社がどこにあるのかはわからずじまいで、今ではすっかり下火になってしまった。
でも、今日までに数多ものオカルトスポットをめぐり、何よりそんじょそこらの人間とは違う力を持っている私達なら見つけられると考えて、この諏訪遠征が決まったのだ。
「ネットの情報も色々だったからなぁ、最初にすることとしては、新県立図書館で資料の見直しかな」
「その次にショッピング?」
「んにゃ、図書館は駅から少し遠いし、先にお昼あたりまでモールにいる感じになるかな」
モールは図書館に行く道の途中にあるので、総移動距離に大差はないはずだ。またアイスを一口口に含むと、ふと前々から思っていたことを思い出して、彼女に聞いてみた。
「ねぇ早苗、この遠征について神様は何か言ってた?」
「……い、いいえ、特に何もおっしゃってなかったわ」
そうですよねーっと空中の方に微笑みかける彼女。相変わらず、私にはその神様が見えていない。
「貴方の神様って、どんな神様なの?」
「それが、ご本人たちも覚えてないそうなの」
「覚えてない?」
「うん。でも、私にとってはかけがえのない大切な……」
その時、反対方向から電車が走ってきて、その音のせいで早苗の言葉が聞き取れなかった。
「ごめん、今の電車の音でよく聞こえなかったから、もう一回言ってもらえるといいな、って」
「え、いやいやいや!今日の遠征でなにか分かったらいいなーって」
聞き逃してしまったが、その時の彼女の表情は、今まで見たことがないような、哀しそうな表情をしていたように私には見えた。
§
「ついたー!」
駅から出て私達を出迎えたのは、太陽光とそれを反射して輝くビル群であった。私はそれを前身に浴びるように思いっきり伸びをする。
「さすが諏訪。大都会ねぇ……ええと、モールへはどうやって行くんだったっけ」
空を舞うドローンを横目で見ながらマップアプリで場所を確認する。それから後ろに立っている早苗の方に振り向くが、当の彼女はどこかを見つめながらボーっとしていた。
「どうしたの早苗?具合でも悪い?」
「……あ、いや。ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「熱中症の前兆かもしれないわ。しっかり水分補給しなきゃダメよ?」
「ごめん。気をつけるわ」
「ささ、行きますか!」
§
そこからは、楽しい出来事の連続だった。
プラネタリウムでは、解説者が説明する前に星の名前を言い合ったり、夏ということで特設会場でやっていたおばけやしきでは、暗闇をいいコトに超能力を使って、逆にお化け役を驚かしたりもした。
ショッピングでは、お揃いの黄金シャトル状のアクセサリーを買ったり、流行りの服を見てみたり、美味しそうなスイーツを見ながら、色々諸事情になり頑張って我慢したり。
そんなこんなで一段落ついたところで、フードコートで昼食をとっていた。夏休み初日とあってか、かなり混んでいる。
「ぷはー。ごちそうさまでした。やはりお蕎麦は美味しいわねぇ」
「よし菫子、そろそろ移動しましょうか。一分一秒が惜しいわ」
読んでいた本を片付けるが、ちょっと待ってと言って留める。いうのはこのタイミングが良いだろか……
「ねぇ早苗さん。チョット話があるのですが」
「どうしたのよ菫子。突然改まっちゃって」
「いやさ、今日この時まで私達は秘封倶楽部として活動してきたわけじゃない?」
「ええ」
「それでさ、これからのことを考えてたの。次の一年後、二年後、十年後を」
突然変なことを言い出してなんだと訝しげな目で見てくるかもと思ったけれど、早苗は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「えっと、それで、さ、一年後といえば、受験じゃない?」
「そうねぇ。避けられないイベントね」
「でさ、一緒の高校に行きたいの。早苗と、二人で」
「私はそのつもりだけれど?」
「ううん、多分早苗が考えてるのとは違う」
ぶんぶんと首を横に振る。メガネのズレを直してから、バッグから大きめの封筒を取り出して、私は、一世一代の告白をした。
「一緒に、東京に行かない?」
封筒の右端に書かれた学校名が見えるようにテーブルに置く。
「ここって」
「そう、東深見高校」
東深見高校。東京都内にある、全国でもトップレベルに近い有名私立校だ。
「嫌だったら嫌って言っていいのよ?ほら私達はさ、学校の他の奴等とは違ってテストの総合成績もトップクラスだしさ、たしかにそれでもきつそうに見えるけど、今から然るべきところに行ったりして対策を積めば、届かない範囲じゃないと思うんだけど……どうかな?」
少し恥ずかしくなって、帽子をを深々と被って彼女の反応を待った。早苗は封筒を受け取ると、ペラペラと資料を読み始めた。
私の告白の返事はどうなるのだろうか。心臓がバクバクと打ち続ける。待っている時間が永遠のように感じられた。
「菫子、顔上げてよ」
その声に、ひゃいっ、だなんて変な声を口から漏らしながら、恐る恐る彼女と向き合った。
「……いいじゃない!とっても素敵な提案だわ!私はもちろん大賛成よ!」
満面の笑みで早苗はそう言うと、私の手をとってぶんぶんと握手をしてきた。思わぬ反応に面食らったような感じになってしまう。
「ほ、ほんとうに!?」
「もちろん!!東京だとちょっと遠いけど、なんとか親を説き伏せてみせるから!」
その言葉で、私はとてもホッとした。告白は大成功だった。
「でさでさ、その学校には古くから伝わる学校の七不思議があってさ……」
そこからは、まるでもう東京へ行くことが決まったかのように、未来のあれこれについて語り合った。その時間も、ショッピングの時と同じくらいとても楽しかった。何より、私達なら行けるという絶対の自信があったから。
§
「で、こうなるわけね……」
「さあ、急いで急いで!」
将来に関する楽しい会話は、乗る予定のバスの発車時刻ギリギリまで続いた。そして案の定、こうして走っている。一本遅いバスでもいいのではと早苗に言われたが、一分一秒が惜しいのだ。
「善は急げってやつよ、早苗!」
「急がば周れっていう諺があるでしょう!」
彼女の叫び声に近い主張をあえて受け流し、自動ドアを抜ける。あるはあの柱の角を曲がれば、バス停はすぐだ!足に力を込めて、地面を蹴る。
……だからか、バスのことばかりに気を取られていた私は、柱の陰にいた人の存在を認識できなかった。気がついた時には、その人の背中にぶつかり、私は反動で尻餅をついてしまった。
「あいたたた……す、すいません!大丈夫ですか?」
あわててお起ち上がって、深々と頭を下げる。その表紙に、帽子を落としてしまった。
「ん、そんなに深く頭を垂れなくても大丈夫じゃよ。お主の方こそ、怪我はなかったかえ?」
ちらりと顔を上げると、その人がこちらに振り向いていた。
全身をスーツで包み、メガネを掛けた女性。同年代が思い浮かべそうなデキるOL……というのが最初に私が持った印象であった。その女性は地面に落ちていた私の帽子を拾い上げると、手渡ししてくれた。ありがたくそれを受け取り、しっかりとかぶる。
私も平気だと伝えると、後からやってきた早苗が、私の服についたホコリ等をはたいて落としてくれた。
「あ、バス!」
少し落ち着いたところで、私達の目的を思い出す。慌ててバス停の方を見てみるが、バスはおろか並んで待っている乗客すらいなかった。
「何かあったらしくて、ここ一時間位はバスなんぞ来ておらんぞ?」
嗚呼、骨折り損のくたびれ儲け……と、二人して落胆していると、女性が思いもよらぬことを口にした。そんなまさかと思い、端末を開いてバス会社のホームページを覗く。そこには想定外のことが書かれていた。
「"何者かのいたずらにより、管理している車両がすべて使用不可"!?なんじゃそりゃ!?」
「……あのうつけ共が」
目の前の女性がぼそりとなにかつぶやいたが、アンラッキーな事態になってしまって、それどころではない。
「どどど、どうしよう早苗!」
「私に言われても……セグウェイは高校生になってからじゃないと使えないし、歩いて行く他には……」
「うぅ、それだと四十分近くかかるわ!」
距離的に、歩いていけない距離では無きにしも非ずという感じであるが、フィールドワーク――つまり神社探索に使う体力と時間はなるべく残しておきたい。
「なんじゃ、二人とも足がなくて困っておるのか?」
私たちがコクリと頷くと、にやりと笑いながら、女性は言った。
「なら、儂を使わんか?」
胸ポケットから何かの紙を取り出し、私たちに差し出した。それを受け取ると、一緒にそれを見てみる。
そこには、ぽんぽこタクシーという会社名のようなものと、電話番号、二匹のたぬきのイラスト、そして彼女の名前が載っていた。
「さど……なんて読むのかしら、これ」
下の名前もしっかり書かれているのだが、かなり難しい感じなので、読むことができない。
「ふぉっふぉっふぉ。無理して読まんでもええぞ。ちなみに佐渡じゃなくてさわたりじゃ。まあ、生まれは佐渡じゃがな」
「なるほど。タクシーの運転手でしたか」
タクシーを使うという選択肢は考えてなかった。しかし。
「でも、結構割高じゃない?」
私の思っていたことを、早苗が代弁してくれた。いくら親のお金だからといって、無駄遣いしすぎるのはあまり避けたい。
「なんなら、この"奇跡的な"出会いを祝して、サービスしようかな」
そう言いながら、佐渡さんが耳打ちしてきた値段は、かなり破格といえるものだった。
まさに、渡りに船というやつだろう。このチャンスを逃すだなんて、以ての外だ。
「よろしくお願いしてもいいですか?」
「うむ。車を取ってくるから、待っといてくれ」
駐車場に向かって走る佐渡さんの背中を見ながら、今の世の中にもああいう優しい人がいるものなのねと、二人して話していた。
§
「ええと、目的地はどこかのう」
「新県立図書館でお願いします」
「了解。シートベルトはしっかりするように頼むぞ」
一言そう言うと、エンジンが震えて車が動き出した。
ビルとビルの隙間を走っている間、特に話すこともないので、近くにおいてあったタヌキのぬいぐるみをもふもふしながら、時間を持て余す。
そんな中、佐渡さんが話しかけてきた。
「諏訪には、観光目的で?」
「そうですが、でも何でそんな質問を?」
「まあな、大体の人はストリートを巡ったり、一日中モールにいたり、駅からちょいと離れるが新すわっこランドにいったりするからのう。図書館とは、中々マニアックなチョイスだなぁと思ってな」
儂も本は好きじゃがね、と含み笑いをしながらそう付け加えた。はて、素直にオカルト調査だなんて言ってしまえば、恐らく車内に気まずい雰囲気が流れかねない。さてどうしたものか。
「ああ、夏休みの自由研究に必要な資料を閲覧したいので」
あれこれ思案していると早苗が助け舟を出してくれた。彼女の方に目配せをすると、私に任せてと言っているかのように、自信満々の表情を見せた。
「自由研究!いやはや、勉強熱心じゃな」
「ありがとうございます」
「最近は自堕落な学生が増えたと聞くからのう。関心関心。お、諏訪湖が見えてきたぞい」
佐渡さんが前方を指さしていった。私達は、前のめりになってよく見ようとする。建物と建物の間から光を反射して、キラキラと光る湖面が見えた。車はそのまま湖の縁を沿って伸びる道を反時計回りで走るコースに乗っていた。
「電車からも見えただろうが、コッチのほうが近くでよく見えるだろう?」
諏訪湖より大きな湖は、ダムに行ったりしてみたことはあるが、それらにはない、どこか惹かれる魅力というものがあった。
「大昔はな、冬になると毎年御神渡りがあったんじゃがのう。今はずいぶん暖かくなってしまったからか、とんと見なくなってしまったわい」
その話を聞いていた早苗がぴくりと反応したような気がしたが、それに気づくわけがない佐渡さんは、続けて言った。
「どうじゃ諏訪は」
「とっても楽しいです。何より、私達の住んでるところよりも賑やかですし。ね、早苗」
隣に座っている彼女に同意を求めるが、さっき見せた自信満々の表情とは違い、なにか思いつめた表情で諏訪湖を眺めていて、返事がない。
「早苗?」
「うわぁ!あ、ゴメン。なんかボーっとしてた」
「また?ほんとうに大丈夫なの?」
「平気平気」
「ダメならしっかり言うんじゃぞ?」
「はい。でもほんとうに大丈夫なので……」
早苗は強がっていたが、私は少しそれが心に引っかかった。
§
「ようし、ついたついた」
短い揺れの後、車は駐車場に止まっていた。
「まっとれ、今ドアを開けるから」
「運転お疲れ様でした」
「なに、このくらい朝飯前じゃよ」
ガチャリと音をたててドアが自動的に開く。触っていたタヌキの人形を元の場所に戻し、バッグを手にとって車を降りた。
スマホで今の時間を確認した時、そういえばと思って佐渡さんに声をかけようと車内を覗いてみたが、そこに彼女はいなかった。
「菫子、どうしたの?」
「タクシー代払わなくていいのかなーって思ってさ」
「それなら心配ないぞい」
突然、後ろから佐渡さんの声がした
振り返ると、鍵を指でクルクルと回しながら立っていた。気配に全く気づかなかった。
「お主らは帰りも使うじゃろう?その時まとめて払ってくれれば、それでええ」
「助かります」
早苗がペコリと頭を下げると、佐渡さんは車の鍵を締めて言った。
「儂は一階のコーナーでなにか読んで時間を潰しているから、何かあったら探してくれ」
「わかりました」
「それじゃあいこうか、早苗」
「ええ。いいものが見つかるといいね」
§
「ぜっぜん見つからない……」
私は頭をかきむしりながら、小さな声でおもいっきり不満の声を漏らした。
すぐに色々見つかるだろうと、どこから来たのかよくわからない自信を持っていた私達だったが、それはすぐに崩れ去った。
ネットで上げられていた参考文献を数冊呼んだが、ある本に書いてあったものが他の本には全く異なる結論で〆られているものがあったりと、とにかく矛盾だったり情報が錯綜していたりするのだ。そこから、また本の巻末に書いてある参考文献を読みあさったりしていると、複数人が同時に使うことができる丸いテーブルは大量の本置き場と化していた。職員に白い目で見られている気がするが、多分気のせいだと思う。
「この本もダメか。よっと」
いつの間にか、資料として役に立たなさそうな本の山となっていたテーブルの一箇所に見終えた本を一番上に乗っけて、私は深々と椅子にもたれかかった。
「もっと古い資料も呼んだほうがいいのかなぁ」
「えぇ、あーうん。そうなんじゃない?」
私の独り言に反対側に座っている早苗がページをめくりながら相槌を打つが、その声は心なしか先程より元気が無さそうに聞こえた。
「どうしたの早苗?気分が悪いの?」
「ううん!全然ヘーキよ。ちょっと頭を使いすぎたかなって」
「しっかりしてよもー。ムリしないで、ちゃんと適度に休憩挟んだりしなさいよ?」
「えへへ、ごめんなさい」
「一旦、ここまでで得た情報をまとめてみましょうか。お片づけはその後で」
積み重なった本をギュウギュウと端へと押しやってスペースを作って、そこに、さっき拡大コピーした諏訪の地図を広げた。そこに、メモしていた情報を色々と書き込んでいく。
「ふぅ。こんなもんかしらね」
十数カ所に点やら文章を書き終えて、一度全体を俯瞰してみるが、
「どこも再開発された所ばかりね……」
私の隣に移動してきた早苗が、地図を覗き込みながら呟いた。
目星の場所なんかは諏訪湖の北あたりに位置していたが、そのほとんどがすでに昔とは全く違う姿形に変わってしまっているところばかり。
「やっぱり、もっともっと資料を漁らなきゃだめっぽいね」
「その前に机の上の整理をしてからよ、菫子」
「はいはい。ここだと超能力が使えないから不便だわ」
また愚痴をこぼしながら、多種多様なジャンルの山を前に、深くため息を吐いた。
そんな私達に、話しかけてきた人がいた。
「どうじゃ、自由研究ははかどっておるか?」
「あ、佐渡さん」
私が資料の山から頭を上げると、反対側に彼女が立っていた。軽く会釈をすると、ニコニコと笑顔を浮かべながら、こちらに歩み寄ってきた。
「チョット手持ち無沙汰になってな。こちらの様子を伺いに来たのじゃが……その様子じゃと、どっかで詰まっておるな?」
「アハハ、そのとおりです」
佐渡さんの笑顔が苦笑いに変わる。そのまま山から何冊か本を手にとって見たりしていた。
「ほほぉ。"諏訪神社という都市伝説"、"消えた諏訪神社の真実!?"……ヤツの言った通りか」
彼女はひと通り表紙を眺めたりすると、隣の椅子に座ってきた。私は特に気にしないで、積まれたヲンに手を伸ばし、手当り次第つかもうとする。
すると佐渡さんは、とんでもないことを口にした。
「……諏訪大社のことなら、知ってるぞ」
疲れきっていた頭に冷水をぶっかけられたかのような衝撃に、思わずガタンと音をたてて立ち上がってしまった。周囲からの目線が更にきついものになった気がするが、そんなことは二の次三の次だ。
早苗と目線を合わせて、軽く意見を交わす。
「どうする?」
「詰まってるのは事実だし、聞いてみてもいいんじゃない?」
「というわけで、その話を詳しく聞かせてもらえますか?佐渡さん」
「うむ。勿論だとも」
そう言いながら、メガネを手で押し上げると、彼女はどこか不敵な笑みを浮かべていた。
「まずは、その地図を見せてくれるかな?どこまで知っているのか確認したいのでな」
私は彼女が見えるようにするために、椅子から離れて早苗の後ろに立つと、佐渡さんはそこに座って注意深く地図を見た。
「ふむ。あのごちゃごちゃした情報からよくここまで綺麗にまとめられたのう」
「ありがとうございます。それで、私達が打ち込んだ点のどこに神社はある、またはあったのでしょうか?」
私達は真相に近づいているのかどうか。逸る気持ちを何とか抑えて聞いてみる。しかし、佐渡さんは静かに首を横に振った。
「いや、示した点のどこにはない。あったとしても、もはや神社の痕跡は残っておらんよ」
「や、やっぱり……」
しゅんと、早苗と二人して肩を落とすが、お構いなしに彼女は話を続けた。
「そもそも、あの神社はここが再開発される前からその存在自体があやふやだったらしいからのう。じゃが、忘れられたまま、人の手が入っていないところもあるぞい?」
「で、でもそういうところってまっさきにいろんな人が探し当ててるんじゃ?」
早苗の疑問はもっともだと思う。私達以前から噂は流れていたわけだし、その場所もすでに調査されている可能性だってあるのではないか。
「無論、何人かが行ったということは聞いているが、話題に上がってないということは、つまり何も発見できなかった、ということではないかな?」
「では、私達が行っても結果は」
「言い方を訂正させてもらおう。"普通の人間には、何も発見できなかった"」
その言葉にはっとさせられ、思わず早苗の方を見た 。彼女は驚きの表情を見せたかと思うと、ニヤリと笑ってみせた。多分、私も似たような表情をしていると思う。そして、同じことを考えているに違いない。
――一般人にできないことでも、私達のような特別な人間なら!
「そ、それでいったいどこにあるんですか!?」
「おいおい、そんなに焦るなよ、東風谷の嬢ちゃん。その場所というのが……ここじゃ」
そういうと、佐渡さんは地図の南あたりを指さした。それを見ていた私達は、同時に同じことを口走っていた。
「私達を、ここに連れてって下さい!」
§
ガタンガタンと、道の隆起に呼応して上下する車内で、天井にぶつからないように必死にシートにしがみついていた。
「こ、この凸凹道はなんなんですか!」
「しょうがないじゃろう。これが、未だにこの地域が手付かずのままでいる最大の理由なんじゃからな……よし、ここからは比較的平らじゃぞ」
それを聞いて、私達はほぅと大きく息を吐いた。揺れはまだあるが、先程よりもだいぶマシだ。
「しかし、ひどい道ね。早苗は大丈夫?」
「え、ええ。なん、とか」
「儂が一昔前に来た時はこんなんじゃあ無かったんじゃが。話によると、あの開発事業が始まる数年前からこんなことになっていたらしい。しかも、今もそれは止まってない。試しに元に戻しても、二三日すれば再び隆起が始まる。結局、おさまるまでココらへんはストップというわけじゃ」
「もしかして、人影が全然ないのも……」
「そう、こんな調子じゃまともに生活できないからのう。みんな他に移住していったそうじゃ」
「それで、神社があるっていうところは……」
「あそこじゃ。目の前にチョット大きな山が見えるじゃろう?」
早苗と一緒に前のめりになって見てみる。確かに山があるのは確かだが、その麓辺りに見覚えがあるものが立っていた。
「あれは、鳥居ね」
赤く塗られたものとは違う、石の肌が露出しているタイプの鳥居だ。下半分は蔦が絡まっていて、後ろの森と見分けがつきにくい。
「あそこが、目的地」
「そうじゃ。そろそろつくから、降りる準備をしといてくれ」
佐渡さんがそういった数分後、私達はその鳥居のすぐ近くまで到着した。ドアを開けて、その場に降り立つが、感じる空気が明らかに他の場所とは違うものがある。巡ってきたオカルトスポットの雰囲気と似たものがあるが、どこか決定的に違う。
「早苗はなにか感じるものはない?」
後から降りてきた早苗に意見を求める為に振り返ると、ふらりと彼女がバランスを崩したかのようにこちらに倒れてきた。なにか考える前に、二の腕あたりを掴んで抱きとめる。
「ど、どうしたの?」
「ごめん。多分、さっきの凸凹道でちょっと酔っちゃったかも……」
その場でしっかりと立ち、数回大きく深呼吸をして、早苗はやわらかい微笑みを浮かべた。暗に、心配しなくても大丈夫だ、と言っているかのように。
「それよりさ、記念撮影しましょうよ!せっかくカメラをお願いできる人がいるんだし」
「そ、そうね」
鳥居の方に走っていく彼女の背中をちらりと見てから、車内にいる佐渡さんに話しかけた。
「あの、写真を取って欲しいのですが、手を貸して頂けませんか?」
「ん、ああ、それぐらいならお安い御用じゃ」
運転席から降りてきた彼女に、カメラアプリを起動させたスマホを手渡す。すると佐渡さんは、苦笑のような表情を浮かべながら言った。
「この手の機会は苦手でのう……使い方を教えてくれるかな?」
今時スマホ画面を見て使い方がわからないのは少し珍しいなと思いながら、手をカメラのフレームに見立てて鳥居の方に向ける。
「ここの位置で、こう、あの鳥居が入るようにこれを持ってください」
「え~と。こ、こうか?」
「あ?、もうちょっとこうですかね」
私の隣に立ってスマホを構える佐渡さんの腕を微調整しながら私は言った。
「しかしまぁ、こんな小さな機械で電話も手紙も写真も撮れるとは。いやはやすごい世の中じゃのう。……あれ、そういえばあの時の奴とは形が違うな」
「なにか言いましたか?」
「え?あーいやいや、ただの独り言じゃよ」
「で、ここを押したら、写真が撮れます」
「了解じゃ」
「取るタイミングは任せますね。よろしくお願いします。早苗ー!写真撮るよー!」
彼女に合図を送り、急いで鳥居の方に向かった。そして、二人並んでピースサインを決める。
「はい、チーズ」
パシャリと小さな効果音が鳴る。また急いで佐渡さんの元へ駆け寄って、写真の様子を確認する。
「どうじゃ?上手く行ったかのう」
「大丈夫です。上手く撮れてます!」
「そいつは良かった」
「いつもオカルトスポットに来たら写真を撮ってるんですよ。いつもは岩とかに乗っけたりして撮るんですがね。助かりました。ところで、佐渡さんは一緒に行きますか?」
「儂は遠慮しておくよ。何かあったら、渡した名刺に書いてある電話番号に掛けておくれ」
「わかりました」
これは幸運だ。もし何かあったとして、超能力を使わざるを得ない状況に陥った場合、普通の人に見られたら色々とまずいことになりかねないから。
「それじゃあ、行ってきます」
「気をつけるんじゃぞ」
再び早苗のもとに走り寄って、彼女の肩を叩きながら、私は言った。
「さぁ、行きましょうか、早苗」
「ええ。夢を現に変えましょう」
§
鳥居を抜けると、苔のようなものに覆われた参道らしきものが目の前に現れた。その周りは依然として深い森が続いている。私達は注意深くそこを歩いて行く。参道はそこまでキツイ斜面ではなかったが、十数分も歩いていると、鳥居の方は木々の葉に隠れて見えなくなってしまった。
「ここは地形の隆起が起こってないのね」
「確かに、そうね」
早苗の指摘通り、参道どころか、目線の届く範囲にある森林のどこにも、地形の変化がないのだ。ここに神社があったことと関係があるのだろうか?
そんなことを考えながら歩みを進めていくと、参道の先が急に開けているように見えた。
「早苗、もしかしてあそこが」
「ゴール、かもね」
あそこには何かがある、いや、あったかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなり、迷わず道を駆け上った。そして、ものの数分でそこに辿り着いた。少し遅れて、早苗も私の後に続く。
「ここ、が」
目の前には、雑草の生い茂る妙に広い空き地があった。その大きさから考えるに、何かしらの建物が存在していた可能性というのは大いにありそうだった。
そして、特筆すべき者は、ひしひしと感じるこの"何か"だ。
「やっぱり、ここには何かがある!」
オカルトスポットと似た雰囲気が漂っているのはタクシーから降りた時から感じていたが、ここまでくると、今まで巡ってきたものとは格が違うように私には感じた。
私達のサークル活動は、単にオカルトスポットを荒らしたりするだけではない。そこに生じている境界の裂け目をこじ開けて、いつの日か紫色が言っていた別の世界に行くことにあるのだ。大抵の場所は、すぐに閉じてしまったりして、ろくに覗くことすら叶わなかったけど。
「早苗、境目みたいなの感じた?」
「……まだ」
境目といえど、それはあくまで経験則から来るたとえみたいなものだ。私達にはそれが本当に境目なのかすらわからない。みえないのだから。物を暗闇の中、手探りで探している状態に近いものがある。
「ここ、よ」
そういいながら、彼女は私達が入ってきたところから五メートルほどの場所で立ち止まっていた。
「そこね。いまからあけるから、少し離れて」
境界を暴くと言っても、そんな小難しいことはしない。ただ、まるで鍵を破壊してドアをあけるかのように、境界の境目に私の念力をぶつけて、文字通りこじ開けるのだ。
小走りで早苗のもとに走りより、境目がある方向へ向く。
「さあ、諏訪の神社の真実を見せてもらいましょうか!!」
右手にサイコパワーを十二分に溜め込み、一つ深呼吸をして、境界の境目に向かって一気に放つ!そして、無理やりこじ開けられ……
「あれ」
ない。目標物があると思われる場所を通っても、何の反応も感じず、サイコキネシスはすぐそばの地面を抉ることになってしまった。
「なんで?」
こんなことは初めてだ。早苗の勘違いというのもちらりと考えたが、私もそこに何かがることはちゃんと感じている。ならば力が足りていなかったということか?もう一度念力をお見舞いしてやろうと力を込めていると、早苗が突然私の前に移動してきた。その足取りは、明らかに先程より具合が悪くなっているようにしか見えない。
「さ、早苗?」
「いいから。しんぱい、しない、で。ここは、わたしがひらくから」
そういうと、彼女はポーチから一枚のお札を取り出した。まさか、早苗が開けるのか?境目をこじ開けたりするのはいつも私の役割で、彼女は一度もやったことがないはずだ。何が起こるかわからない。嫌な予感がした。
「早苗!やめ」
私の静止を求める声が出る前に、彼女はその御札を境目に突きつけた。
刹那、早苗を中心にして、まるでハンマーで殴られたガラスのように、空間全体に亀裂が走るやいなや、それらは弾けて一つ一つばらばらになり、空へと舞っていき光の粒となって、消えた。
「い、いったい何が!?」
口を半開きさせて呆然と空を眺めていた。突然の現象に何が起こっているのか理解が及ばず思考停止しかけるが、なんとか心を落ち着かせると、早苗がいる方に目線を戻した。
「あれ、が……」
そして、この目ではっきりと見た。
崩れた、神社の成れの果てを。
「結界の内側にあったから、誰にも見つけられなかったのかな?」
目の前にある本殿らしきものは、屋根の重さでぺちゃんこになっており、三十メートルありそうな木の柱のようなものがあちこちに倒れていたり、建物だった何かの残骸が散乱していたり、その光景は、あまりにも無残なものであった。
人々に忘れ去られて一体どれくらい経ったのだろうか、と思考を巡らせていると、目の前にいた早苗が突如ふらりふらりと熱にうなされている病人のような足取りで、本殿だったものの方へと歩きだした。
「早苗?」
声をかけるが返事がない。黙々と前へ前へと進んでいる。様子がおかしいのは火を見るよりも明らかだ。
「ちょ、ちょっと!」
本殿は、側面が崩れて積み重なった上に巨大な屋根が乗っかっている状態なのだが、その二つの間には比較的大きなスキマができていた。彼女はそこの中に、するりと入っていってしまった。私も慌ててその中へと入る。
内側はひどくかび臭く、入り口とその真反対にある同じくらいの穴から入ってくる光を除くと、かなり薄暗い。スマホのライトを付けて視界を確保すると、辺り一面に本が沢山散らばっているのが見えた。早苗はどこに言ったのだろうかと四方に移しながら、落ちている本を一冊だけ拾い上げ、タイトルを見た。
「"諏訪大明神画詞ノ補遺及ビ備考"……諏訪大明神って、もしかしてこの神社の祭神?」
恐らく、この神社についての真実が書かれているに違いない。そう思いページをめくろうとしたその時、ドサリと何かが倒れるような音がした。本から顔を上げて、音のした穴のほうを見た。そうだ、私は早苗を追っていたのだ。オカルト界最大の発見に、つい一番大切なことが抜け落ちてしまっていた。そんなことより彼女の安否が最優先事項だ。手に持っていた本を乱暴に地面に置くと、入り口とは反対側の光に向かって急いで走った。
本殿を抜けると、再び草原が広がっていた。本殿の中に彼女はいなかった。だとすると。
「早苗!」
私の少し先の所に、彼女が倒れていた。一心不乱に走って彼女のもとに行く。
「さなえ!さなえ!!」
跪いて、彼女の方を大きく揺らしながら必死に名前を叫ぶ。しかし、早苗は何かにうなされているかのように苦痛に満ちた表情を浮かべるばかりで目を開かない。まさか、と最悪の状況が頭をよぎる。思わずパニックに陥りかけてしまうが、なんとか踏みとどまって冷静に彼女の顔に耳を近づける。よかった、呼吸音はある。手首に指を当てて、脈があるのも確認できた。しっかりと生きている!
しかしまだ意識は戻らない。オカルトのたぐいに襲われたような傷もない。一体全体、何が原因なのだろうか。いや、そんなこと考えている時ではない。まずは早く病院に連れて行かないと。しかし、あの悪路だ。救急車に来てもらい、病院まで連れて行くには時間がかかりすぎるのではないか。
「そうだ、佐渡さん!」
何かあったら連絡してくれと言っていたのを思い出し、名刺を取り出して書かれている番号に電話をかける。
「もしもし!」
「その声は宇佐見の嬢ちゃん。その様子だと、何かあったようじゃな?」
「早苗が倒れたんです!意識がなくて……」
「わかった。救急車より儂のタクシーのほうが多分病院につくのは早いじゃろう。東風谷の嬢ちゃんを抱えて降りてこられるか?」
「なんとか頑張ります」
「儂も山道を登るから、途中で合流じゃな。持ってる荷物なんかはその時肩代わりしようぞ」
「よろしくお願いします」
「その子の運命はあんたにかかっているからな」
そう言って彼女は電話を切った。
私は早苗の上半身を起こし、自分が持っていたリュックサックを彼女の背中に預けると、なんとか頑張って早苗を背負うことができた。その時、本殿の中にあった資料のことがちらりと思い浮かんだが、頭を横に振ってそれを追い出す。何より優先すべきは早苗だ。
「私が頑張らなきゃ……!」
自分自身に活を入れ、来た道を急ぎ足で戻る。
§
早苗は諏訪の中規模な病院に運び込まれた。医者の診断によると、疲労と軽い熱中症が原因との事だった。大きな病院だったりオカルトのせいでは無さそうなので、一先ず安心といったところか。
しかし、栄養剤を駐車されてすでに一時間近く経つが、彼女は目を覚まさない。
あまり大事にはしたくないので、連絡をためらってきたが、そろそろ親御さんに知らせなくちゃいけない時が来たのだろうか。
「そう気を落とすでない。目が冷めて、友人がそんな思いつめた顔をしていたらきっと悲しむぞ?」
早苗が寝ているベッドのそばにいる私の方に、佐渡さんが手をおきながら静かに言った。
「費用の半分は儂が出すから、親にもバレまい」
「え、そんな。大丈夫ですよ」
「何、旅は道連れ世は情けじゃよ」
「でも」
「遠慮するでない。若いんだから、大人の好意には素直に甘えとくもんじゃ」
「佐渡さんも十分若いじゃないですか」
「お?そうかそうか。嬉しいことを言うねぇ」
カカッと景気良く笑う佐渡さんにつられて、私も頬が緩んだ。
「しっかし、お主、急にしおらしくなったな」
「そうですか?」
「先刻前の元気ハツラツさが感じられん。確かにさっきまでは彼女の安否やらが心配でたまらなかったのはわかるが、今はもう元気になったらどうじゃ?」
「昔はこんな感じだったんですよね、私」
「意外じゃな。"あの時"の元気さを考えれば、とても想像できん」
「早苗がいたからこそ、私はこうして元気に、前を向いて生きているんです」
「そうか……大切にするんじゃぞ」
そういう佐渡さんは、何故か、どこか達観しているような、そんな気がした。
「……菫子?」
会話の途中であったが、その声を聞いてベッドの方へと反射的に向いた。目を開き、きょろきょろと辺りを見ている。
「さ、早苗!眼を覚ましたのね!」
よかった。本当に良かった。思わず抱きしめたくなるが、医者に安静を命じられているので、手をぎゅっと握りしめるだけに留める。
「びっくりしたのよ?突然歩き出したかと思ったら倒れてたんだから。私がいなかったら――」
「佐渡さん」
早苗に今まで何があったのかを細かく説明しようとすると、彼女はそれを遮って佐渡さんに声をかけた。予想外の反応で、思わず口が半開きになる。
「諏訪には長くいるんですよね?」
「あ、あぁ。そうじゃが」
「今の諏訪を見て、どうですか?」
「時代は移ろうものだからな。生きているということは、変化するということじゃ」
「人の思いが何処かへ置いてけぼりにされても?」
「意思の集合体は、時として個々のソレを無視することはある。彼らは、地元の発展を願ったのじゃよ」
「諏訪を本当に愛している存在を忘れてしまっても……?」
「それが、この世界の選択だったんじゃろう」
二人の会話についていけず、きょとんとしていると、看護師を呼んでくるからと言って佐渡さんが席を離れた。
「ごめんね、菫子。迷惑かけちゃったみたいで」
「いいのよ、健康にはしっかり気をつけてよね?」
「再発防止に努めますわ」
「ならいいのよ」
「ところでさ、今は何時?」
「ええと、十七時三十分よ」
「結構長く寝てたのか……」
「気にしないの。さ、早くここを出て晩御飯を食べに行きましょう?」
「うん……そうね」
§
「今日は楽しかったわね、早苗!」
周りの客に流されないように、しっかりとボックス席を確保して、ホッと息をつく。今回は早め早めにホームにいたので、しっかりと間に合った。
「そうね。でも本当にごめんね。私のせいで、結局神社のこと、ろくに調べられなかったでしょう?」
「別に、気にしてないわ。秘密は逃げない。高校に受かったら、もう一回来よう」
「高校……」
窓の外を見ながら早苗はボソリとつぶやいた。その表情は、どこか、とても悲しそうに見えた。だけど、すぐにいつもの笑顔が咲いていた。
「東京、行けるといいわね」
「いけるいけないじゃなくて、行くのよ」
「うん。私頑張る」
「さ、そうと決まれば、もうちょっと具体的な計画練りからね!」
それからは、車内でずっと学校の話を続けた。スマホで合格差の体験談を見たり、早苗が苦手な社会をどう補うかをはなしたり。
「絶対、東京に行くわよ、早苗!」
「……ええ」
結・少女初代秘封倶楽部
次の日、私たちは進学計画のことを親に話した。早苗の親は快諾していたが、私の親はかなり渋った。最後には折れてくれたが。
それからは、毎日一緒に受験勉強をしまくった。辛い時も、苦しい時も、同じ目標を持っているからこそ、お互いに励まし合ったりすることができた。
しかし、諏訪から帰ってきてから数ヶ月間、早苗は勉強をしている間も時々ぼーっとしていたり上の空になっていることが多々あった。気になってはいたが、段々減っていったので特に病院に行ったりはしなかったそうだ。
そして、勿論私たちは無事に東深見高校に合格した。合格通知はネットで確認したが、それを確認した時は狂喜乱舞していた。それを学校に報告すると、皆がほめてくれた。多人数はあまり好かないが、ちょっとは嬉しかった気もする。
§
三月三十一日の二十三時。私達が高校生になるまで後少しとなった。一緒にホラー番組をぶっ続けで三本ぐらい見ていたが、気分転換に改めて制服を着てみることにした。
「んしょっと。よし、どうよ早苗。似合ってるでしょー」
その場でくるりと一回転しながら、小さなテーブルを挟んで無効にいる彼女に話しかけた。
「ええ。とっても」
「早苗も似合ってるわよ」
部屋の隅から姿鏡をテレキネシスで引っ張ってきて、色々なポーズを取ってみる。容姿に自身はないが、我ながら似合っているように思う。
「なんだか、夢みたいだね。あのパンフレットに載っていた制服を、自分が着てるだなんて」
「今まで頑張ってきたご褒美ね。でも忘れないでよ。これはゴールじゃなくて、あくまでも通過点でしか無いんだから」
「んも~先生みたいなこと言わないでよね早苗。でもまあ、確かにそうね。ここはゴールじゃない。鳴りを潜めていた秘封倶楽部の活動再開の起点でもあるわ!」
「そう、ね」
柔らかい笑顔を浮かべながら、早苗は返事をして、コップに入っていたジュースを一口飲んだ。
「でさ、再開一発目の活動を考えたの!」
テーブルの前に座って早苗と向き合い、目線を合わせる。
「天体観測ってどうかしら?」
「……いいわね、素敵じゃない。勉強ばっかりでまともに星空なんて見てなかったし」
「そうと決まれば、早速準備しなきゃね!」
景気づけに私もジュースを呑もうとしたが、空っぽになっていたのを忘れていた。ペットボトルの中身もすでにない。
「その前に、飲み物持ってくるわね」
「……よろしくね」
からのペットボトルを掴んで立ち上がると、ドアを開けてから早苗の方に振り返った。
「望遠鏡の準備できるならやっといてもらいたいかな~」
「そうね、そうしとくわ」
くるりと向き直り、部屋のドアを閉じた。すぐに階段を駆け下りて、一階のリビングに行くと、父親がまだ起きていて、パソコンで何かをしていた。多分仕事関係か何かだろう。黙ってそのそばを通りすぎようとしたら、早く寝なさいと釘を差されてしまった。笑ってごまかしながら、キッチンへと入って冷蔵庫から冷たいサイダーを取り出した。そのまま来た道を戻り、階段を駆け登って部屋のドアを開けながら、中にいる早苗に話しかけた。
「キンッキンに冷えたヤツ持ってきてよー」
ガチャリ、バタンと、部屋の中に入る。が、早苗の姿が見当たらなかった。お手洗いにでも行っているのだろうと思って特に気にもとめず、天体観測の準備をすることにした。ベランダに繋がる窓を開けて、手でしっかりと望遠鏡を抱きかかえて外に出る。夜空には綺麗な星空が広がっていた。そういえば、早苗と出会ったあの日も、こんな綺麗な星空だったっけなぁと感傷に浸りながら、せっせと準備に取り掛かる。一年近くしていなかったのに、身体はよく覚えているもので、数分で作業を終えた。スマホで今日の星空を確認しながら、一応準備が終わったことを伝えようと、部屋の中を通ってトイレの前に来た。
「早苗~、準備出来たから、先に始めちゃってるよ?」
こんこんとノックをしながら言うが返事がない。おかしいなと思っていると、トイレの電気がついていない事に気がついた。あれ、トイレにはいなかったのか。なら、彼女の部屋の中かな?再びベランダに戻り、そこから早苗の家のベランダに飛び移って、その中を覗いた。
しかし、その部屋の中には、文字通り"何もなかった"のだ。
「え、あれ?」
早苗の部屋には何度も訪れているし、どこにどんなものがあるかはしっかりと覚えている。しかし、目の前の部屋には何もない。何も。
何がなんだかよくわからない。とりあえずその中に入ってみようと、念力で鍵を開けながら窓をガラリと開ける。中へ入ろうとすると、中から埃まみれの湿った空気がムワッと襲ってきて、思わず咳き込んでしまった。ライトアプリを起動して中を照らしてみると、誇りが大量に積もっているのが見えた。まるで、何年も空き家だったかのように。
そんなバカな。ここは早苗の家族が住んでいたじゃないか。意を決して中へと飛び込み、滑るように部屋を通り、階段を降りて一回を見る。
しかし、そこにも何もない。ガランとしていた。
「……は?」
幻覚でも見ているのだろうか。あったはずのものが存在しない。いや、そんなまさかと思い、一回の部屋から玄関へ行き外へ出る。早苗の家ならば、ちゃんと東風谷という表札があるはずだ。ポストの近くにあるはずのそれを探すが、見つけることができない。
いや、たしかに三年前までは空き家だった。だけれど、ちょうど三年前に早苗の家族が引っ越してきてからはそうではなくなったのだ。こんなのはおかしい。
「引っ越し?」
一つの仮説が頭をよぎる。もしかして、早苗の家族は引っ越しをしてしまったのではないか?しかし、すぐにそれを否定する。引っ越しし業者が来ただなんて聞いてないし、そもそも、早苗がそのことを私に告げないわけがない。それ以前に、早苗と私は東京でルームシェアをする予定だ。家族全体が引っ越す必要性なんて無い。
なら、目の前で起きている現象はどう説明する?まるで、神隠しにあったようじゃないか。
そうだ、他の人にこの家のことを聞いてみよう。制服についた埃を払いながら、私の家の玄関を通り、静かにリビングへと入る。父親がまだ起きていたので、そっと聞いてみた。
「ねえ、お隣って誰が住んでたっけ?」
父親は、訝しそうな眼で私を見ながら言った。
――三年以上前から、隣は空き家だ……と。
§
私は眼鏡を外しベッドで仰向けになりながら、天井をボーッと見ていた。
わからない。わけがわからない。早苗は一体どこへ言ったのだ。本当に神隠しにあったのか?大胆な一家失踪?そんなもんじゃない。少なくとも、この目で見た事象を考慮すれば、早苗はもともとここにいなかったことになってしまう。そんな馬鹿げた想像を振り払うように頭を横に振り、スマホで写真を確認した。ほら、ちゃんと写ってるじゃないか。
そうだ。これは悪夢だ。そうにちがいない。なら、ちゃっちゃと眼を醒まそう。どういう方法が良いかなと思案しながらベッドから立ち上がると、テーブル―早苗がさっきまで使っていたものだ―に何かが置いてあるのが見えた。
手にとってよく見てみると、茶色い封筒だった。こんな物、先ほどはなかったはずだ。宛先も、書いた人の名前も無い。なんとなく中身が気になったので、開けてみることにした。メガネを掛けて、ハサミで上部を切り落として中を漁ってみると、三折になった紙が出てきた。
その一番上をペラリとめくってみると、私の名前が書いてあった。目が見開いた。これは誰かから私に対する手紙だというのか?急いで全部開いてみると、そこには、ただ一言『ごめんなさい』と、何か液体が垂れていたような痕。
そして、『東風谷早苗』と名前が書いてあった。
「え……」
どういうことだ?確かに筆跡は早苗のそれだと断言できるが、内容が理解できない。『ごめんなさい』とはどんな意味だ?何故謝っているのだ?
あぁもうこれは悪夢なのだ。友人が突然消えてしまえばいいと、深層意識で私はそう思っていたのか?なんて卑劣で最低な奴だ。早く起きて彼女に謝りたい。そうだ、頭をこのテーブルにぶつけてしまえば目が覚めるんじゃないか?きっとそうだ、そうにちがいない。そう思って机をしっかりと掴み、勢い良くぶつけようとした、その瞬間。
――プルルルル、プルルルル
ベッドにおいてあったスマホが、けたたましく鳴り響いた。電話のコールだ。相手は誰なんだろうか。どうせ、起きることなんていつでも出来る。早苗への手土産の一つぐらいにはなるだろうと思い、私はその電話に出た。
「誰?私の深層意識か何か?」
「……言っておくが、これは夢なんかじゃないぞい」
その声は、どこかで聞いたことがあった。確か……
「佐渡じゃよ。受験で忙しかったじゃろうが、忘れられていると流石に傷つくわい」
「な、何で貴方が電話を?」
「話は後じゃ。適当な支度をしてベランダから飛び降りてこい。車を用意してある」
言われたことが本当かどうか確かめるために、ベランダへ出て下を見る。確かに車と、手を振る人影が見えた。
「で、でも飛び降りるだなんて」
「お主は超能力者じゃろう?早くしないと、東風谷早苗を救えないぞ?」
電話越しの彼女の声ではっとする。何故、佐渡さんが私の秘密を、早苗がいないことを知っているんだ?言いたいことは山ほどあったが、電話を切られてしまった。真相を知るべく、スマホをポケットに仕舞い、帽子をかぶり、服装は……いや、時間の無駄だ。制服のままでいい。彼女がとたんに胡散臭く感じるようになったが、今は話を聞いてみるしか無い。
「……早苗」
私は躊躇することなく、ベランダから飛び降りた。
§
地面とぶつかる直前、サイコキネシスを真下に放って運動エネルギーを相殺し、静かに着地する。アスファルトが多少削れたが、特に気にも留めない。
すると、車の後部座席のドアが開いて、中から私を呼ぶ声がした。それにしたがって乗車して、叫んだ。
「佐渡さん!あなたはどこまで知って」
「しっかり掴まってな」
短くそれだけを言うと、普通では考えられないようなスピードで発進した。バランスを崩して、座席にたたきつけられる。
「あたた……こ、こんなスピードで走ってたら警察に捕まりますよ!?」
窓から見る景色から察するに時速100km以上は出ていそうだ。普通の公道でこんな速さを出していたら犯罪だし、それ以前に危険だ。
「捕まる前に逃げればいい。それより、早苗を助けるのが先決じゃろう?」
車を運転しながら言った言葉に、はっとさせられる。
「貴女は早苗がどこにいるか知っているんですか!?」
「無論。儂達はそこへ向かっている」
「で、でもなんで佐渡さんがそんなことを知っているんですか?それに、私の能力ののことも」
「儂もお主らと似た存在だから。とでも言っておこうか」
突然のカミングアウトに、私は戸惑った。聞きたいことがまた二,三増えたが、どうにも頭が状況に追いついていない。咄嗟に、私が最も気になっていることが口からでた。
「どうして早苗がいたという証拠がなくなっているんですか!?その状況でも、何故佐渡さんは覚えているんですか?!」
「その東風谷早苗が、こちらの世界から消えようとしているからだよ」
焦る私とは裏腹に、佐渡さんは冷静そのものだ。しかし、この世界から消える?これじゃあまるで二流ホラー映画だ。
「それは、神隠し……ってことですか」
「いや違う。どちらかというと、神救いかな……少なくとも、これは彼女の意志だ」
「早苗自身の意志で消えた?それってどういう」
「さあな、それは本人に聞いてくれ。それにほら、ついたぞい」
そう佐渡さんが言い終えるや否や、車は急ブレーキによって停止した。なんて乱暴な運転なんだろうと思っていると、ドアが自動的に開く。そこは、去年の夏に訪れた、諏訪神社があったところだった。あの時から何一つ変わっていないように見える。五分も経っていないのに、家からかなり離れた距離にあるこの場所についたのも謎だが、それ以上に気になることがあった。
「何、この気配は」
去年もここで変わった雰囲気を感じたのだが、それとはレベルが違うものを感じる。いや、レベルというより種類が違うといったほうが適切だろうか。しかもその強さが段違いだ。去年を、ほのかに果物の香りが漂うようなものだと例えるのなら、今は線香を一箇所で大量に焚いているかのように強烈だ。
あまりの異質さに外へ出るのを躊躇していると、佐渡さんが話しかけてきた。
「一つアドバイスをさせてくれ。感じているじゃろうが、今この場にはとてつもない妖力が満ちておる。ここなら、お主の超能力を十二分に発揮できるはずじゃ」
試しに何かしてみなと続けて言われたが、何をすればいいのだろうか。いや、こんな時に悩んでいる時間はない。ええい、どうにかなってしまえと乱暴に超能力を発動させる。すると、車外にバス停の標識が落ちてきた。
自分の能力の強さだと未だ手のひらサイズのものを漸く中距離あたりから自分のところまでテレポーテーションさせるのが精一杯だったのに、どこからやってきたのかわからないものが飛び出してきたのに、とても驚いた。
「よし、上々じゃな。さあ行け。その目で、真実を見定めてこい!」
「佐渡さんは一緒には来ないんですか?」
「生憎、儂の役目はここまでお主を導くことじゃ。この先はお主一人で運命を切り開け。大丈夫。お前にならできる」
「……わかりました。早苗を、助けに行ってきます」
彼女にお礼をいい、意を決して外に出る。この雰囲気には、慣れるのに時間がかかりそうだ。
「十二分に発揮……か」
車から離れて鳥居をくぐる。暗闇との境界が曖昧になっている道を、光る星々を頼りに山道を駆け上る。が、それより早く移動する方法を思いついた。
助走をつけて、おもいっきり地面を蹴り、そのまま念力を使って身体を宙に浮上させ、空を翔ぶ。いままでは、せいぜい宙に浮いたままで精一杯だったが、ここだと前に進むことが出来た。これなら、走るより数倍早く目的地に着きそうだ。
「待っててね、早苗!」
§
ものの数分で空き地に出た。此処も去年とは大して違いがない。飛翔をやめて地面に降り立ち、あたりを見渡す。
早苗はおろか、誰も人っ子一人いない。何故だろうと考えてみるが、あの神社は境界の中に潜んでいたはずだ。ならば彼女はその中か……と考えていたところで、私は気付いた。
「結界は、どこ?」
一年前に境界を発見したのは早苗だ。私も指摘されてようやく気づくほどの存在感だったが、今は周りの気配が異常すぎて、境界の裂け目を感知することが出来ない!
「これじゃあ、どうやって境界を超えればいいの……?」
そもそも見つけられたからといって、私にそれをこじ開けられるのかすら定かではない。去年は早苗が御札で開けていたから。私は失敗していたし。
「ア、アハハ……ハハ」
目の前が真っ暗になり、無意識に乾いた笑い浮かべながら、草原に倒れこんだ。監禁されているであろう親友を助けるために来たはいいものの、その部屋を開けられる唯一の人間が当の親友なのだから、あまりにも情けない。そう、情けない。情けなさすぎる。このままおずおずと戻らなければならない。その時、佐渡さんになんて言われるだろうか。
「私には、見定められませんでしたってか。フフ……」
……見定める、か。この"眼"で境目が見えたなら、どんなに楽だろうか……。
――願いは現実に変わるのよ!
初めて早苗と出会った時に彼女が言っていたことを思い出し、勢い良く上半身を起こした。
そうだ、まだ手はある。思いは現実に変わるのなら……!
眼鏡を外し、両手で目を覆うと、眼球に念力を掛けた。境界が見えないのなら、眼でそれが見えるように"調節"すればいい。
「ぐぅあぁあ!」
言葉に出来ないほどの激痛が頭に響く。耐えてくれ……!早苗を失ってしまう苦しみに比べれば、こんなもの……!
「あぁぁあ!!」
これぐらい流せばいけるだろうか、ゆっくりと手を離し、眼鏡を掛けておそるおそる瞼を開いた。
真夜中なのに、辺りがとても鮮明に見える。空を見上げると、普段は見えない六等星以下の星が瞬いていた。通常の視界にはほぼ問題ない。むしろ見えすぎているくらいだ。なら……
「……見つけた」
前方すぐ近くに、まるで崩れかけた壁の亀裂のようなものがあった。これが境界の裂け目なのだろうか。それを360度様々な角度で見てみるが、一定の方向からでしか見えない。有り体に言えば、厚さがないのだ。
こんな非物理的なものは、あちらの世界のものに違いない。すぐ近くで観察すると、そのスキマの大きさは縦に三十センチ、幅は五センチほど。両手を引っ掛ければ、こじ開けられるかもしれない。しかし、安易に指を入れて大丈夫なのかは試してみないとわからない。落ちていた枝を突っ込んで引き抜いてみたが、変化はない。大丈夫そうだ。
念力を両手に貯め、腹をくくって、境界に手を差し込む。そして、左右におもいっきり引っ張る。こんな、一見物理的な方法で行けるのかはわからないが、ダメなら他の方法を試すまでだ。
しばらく唸りながらこじ開けようと力を入れていると、ピシリと何かにヒビが入ったような音がなった。まさか、いける?念力と腕の力をさらに強めると、ひびの入る音が断続的に続くようになった。これはいける!
「早苗……早苗……」
力を、思いを込めて思いっきり引っ張る。
「早苗!!」
瞬間、ふと、抵抗力がなくなり、まるで麩を両手で開くような感じになって、両手がぽんと左右に伸びた。と同時に、境界の裂け目が急速に広がり、結界らしきものにヒビが入って崩れていく。その光景は一年前に視たまさにそれで。
「私にも、できた!」
目の前に広がるあの神社も、去年と変わっていない……ように見えるが、どこか変だ。瓦礫のかけら一つ一つが淡く光っており、時々その一つが空に浮いて、光の粒となって消えていくのだ。一体何が起こっているんだろう。
そんな疑問は、本殿を見てどこかに吹っ飛んでいた。四人、こちらに背を向けて並んでいたが、そのうち一つの背中――私と同じ制服を着た彼女には、見覚えがあった。
思わず、叫んだ。親友の名を。私が信頼している唯一の人の名を。
「早苗!」
その声に反応して、四人がこちらを振り返った。一人は四人の中で一番背が高く、しめ縄のようなものを背負い、一人は特徴的な帽子をかぶり、早苗よりも小さく、最後の一人は、リボンの付いた帽子のような物をかぶり、何故かひょっとこのお面をかぶっていて、そして、フリルの付いた紫色のドレスを着て……!?
「なんで、紫色のアイツと一緒にいるの……?」
「……菫子」
そして早苗は、こちらに振り返った。
「貴女には関係ないわ」
とても、哀しそうな表情を浮かべながら。
「……わ、わからないことが多すぎるのよ!何で突然私の目の前から消えたの!?なんで家には何もなくなっているの!なんで貴女がいた証拠が私の周り以外消えているの!?なんで、なんで……」
思っていたことを、形振り構わず大声でまくし立ててしまう。もっと他に掛ける言葉があったはずなのに。言い終えたあとに、やり場のない怒りのような悲しみのような、感情がぐちゃぐちゃに絡みあった何かが胸にどっしりと沈み込み、無意識に唇を噛んでいた。
「私は、このおふた方を助けるために、幻想入りすることを決意したの」
そういいながら、彼女は両隣に立つ二人の方をみて、柔らかく微笑む。その表情はまるで、もう少しで消えてしまいそうな儚さを感じさせた。
「紹介するわ。こちらが八坂神奈子様。こちらが洩矢諏訪子様。私の信じている、大切な、大切な神様です」
「かみ、さま?」
あれが、早苗の傍にずっといた神様なのか。いるとは信じていたが、まさか本当に目にする時が来るとは思わなかった。そして、ふとその神様について早苗が言っていたことを思い出した。
「貴方の神様って、名前とかがわからなかったんじゃ……?」
「そう、わからなかったわ。去年、この場所に来るまでは」
スワコ、という名前から考えると、まさか。
「そう、この二柱こそが、人々から忘れられた諏訪大社の祭神だったの」
再び哀しそうな顔で、こちらを向きながら、静かにそう言った。
「……神社に行く前から、八坂様達の具合があまり良くなかった。昔は、たくさんおしゃべりしたりしていたけれど、その時はもう、首を縦か横かに振るだけの意思疎通しか出来ない状態だったの。なんとかしようにも、誰にも相談できないし、途方に暮れていた。そんな時だった。貴方が、神社に行こうって誘ってくれたのは」
「そうだったの……」
「そして、ここで思い出したの。八坂様たちの名前と、信仰を失った神様は消える定めにある……って」
「信仰?」
「神様は、人々に肯定されていると、その存在を保つことが出来る。逆に、忘れられればいずれ消えてしまう。八坂様達は、この状況に陥っていた。
神社に行って八坂様の正体はわかったけれど、同時に、このまま消える運命だと分かって、私は深く絶望したわ。でも、その時に救う方法を教えてくれたのが、紫(ゆかり)さんだったの」
「ゆかり……」
すると、紫がこちらに振り向いて、手を振ってきた。ひょっとこのお面から見えるその眼は、笑ってはいなかった。
「その、紫(ゆかり)が教えたっていう幻想入りって何?」
「現の世界からその存在を完全に忘れられ――幻想のものとして、なかった事にして、夢の世界に移り住むことよ。この現の世界で私は『もともと存在しなかった』ことになって、歴史が修正されるの。貴方以外の人や物が私を否定するようになったのもそのため。あの家に誰もいなくなっているのは、あの夫婦の間に私がいなくなって、引っ越す必要がなくなったからよ。こちら側の世界で、私はすでにもう生きていてはおかしい存在になってる」
「なんで、どうしてそんなことをしたの!?私との関係はどうなるのよ!秘封倶楽部はどうなるのよ!」
声を荒げる私を、冷たい目線で見つめながら、彼女は言う。
「八坂様は、私を救ってくれた。だから、今度は私が力になってあげなきゃいけないの」
「救ってくれた?」
「ええ、最初はまだ物心ついた時だった。児童養護施設にいた私は、次々と引き取られていく同い年の子が羨ましくて、願ったの。優しいお父さんとお母さんがほしいって。それからすぐに、あの二人に引き取られた」
「血がつながってなかったの……」
「そうだと悟られないように過ごしてきたから、菫子がわからなくてもしょうがないことよ。確かに血の繋がりはないけれど、それでも、あの二人は私を娘として大切に育ててくれた……。
でも、それ以外の周りは優しくなかった。
小学校に上がった時から、私は同じクラスの人間から蔑ろに扱われてきた。最初は身体的なものはなかったけれど、年々ひどくなっていって、そして気づいたの。私は他の人とは違うと。そして神様に願ったの。私と同じような境遇にいる人と友だちになりたいって。そうして引っ越すことになって、菫子、貴方と出会った」
淡々と打ち明けてくる彼女の言葉を、ただ聞くことしか出来なかった。
「でも、それがいけなかったの。ただでさえ信仰しているのが私だけなのに、そのお力を不必要に消費させてしまった。責任は全て私にある」
「で、でも、貴方が神様と一緒にそっちに行く必要はないじゃない!」
「だめよ。八坂様達は私がそばにいるから、ここにこうしていられる。少しでも離れてしまえば、他の人から信じて貰う前に消えてしまうわ」
「なら!こっちの世界で信仰を集めようよ!早苗の奇跡ならきっと」
「そんな奇跡は起きないわ、一度としてもね」
普段の明るくて自信家な彼女からは想像できない、冷たい、突き放すような口振り。
その態度に、私は激昂してしまった。
「何よ……何よ!一人で抱え込んで!私に相談すればよかったでしょう!?」
「そ、それ、は……貴方に相談しても発展がないと思ったから……」
「そうやって一人で抱え込んで!一人でネガティブな結論をだして!後向きで腐っていた私を救ってくれたのは貴方でしょう?思いは現実に変わるって教えてくれたのは貴方でしょう?
なら、貴方に救ってくれたこの身で、貴方の心をとりもどす!奇跡は起こすよ、何度でも!!」
「っ……あくまでも、受け入れないのね。その態度は、私達に対する敵対行為とみなします。自らの意見を通したいのなら、私を倒してみせなさい。勝負は、あちらの世界での物事の解決方法『弾幕ごっこ』よ。ルールは簡単。攻撃を避けながら、私を倒すだけよ!」
言い終えるや否や、早苗は空へ舞い、こちらを見下ろしながら、言葉を発した。
「私は、神長守矢の末裔にして現人神、東風谷早苗である!二柱の下に、ひれ伏すがいい!」
「私は、秘封倶楽部会長にして高校生、宇佐見菫子である!絶対に、貴女を助けてみせる!」
「奇跡『客星の明るすぎる夜』!」
早苗が高らかに宣言すると、星が同時に爆発したかのように夜空が真っ白に染まった。反射的に帽子のつばを掴んで深く被る。強光は数秒で収まり、再び早苗の方を見ようとしたその時、ヒュンヒュンという風切音とともに前方と左右数メートルの距離につららのようなレーザーが突き刺さった。とたんに、次々とそのすぐ側に刺さり、しかもその場所が徐々に私の近くに迫ってきていた。被弾しないように複数回後ろにジャンプを繰り返してその場を離れ、最後に大きく地面を蹴って大空に舞った。早苗の方を見てみるが、彼女はかなり上空を飛んでいる。私の攻撃は主に近接系だ。相手の懐まで近づかなければならない。接近するために飛翔しようとするが、レーザーの第二波が襲ってきた。後ろに翔んで回避しようとしたが、あのスピードだと確実に追いつかれてしまう。ならばと、超能力で調節された眼で弾幕を観測すると。よく見るとまっすぐ一直線に進んでいるのが分かった。
「その弾幕、見切った!」
レーザーとレーザーの間に入り込み、冷静にその場にとどまると、それらは次々と私をかすめて後方へと飛び去っていく。これで大丈夫だろう。
「見切ったぁ?甘いわよ!」
突然目の前に白く発光する弾が飛んできた。避けようにも身動きがとれない!なるべくダメージを抑えるために、両腕に念力を溜めて、体の前でクロスさせて白弾を受け止める。が、衝撃で私は後方に吹き飛ばされた。背中にレーザーがぶつかり、被弾箇所はまるで熱湯をかけられたかのような痛みが走る。
「うぐぅ……!」
その後も次々とレーザーにぶつかり、数秒後にやっとそれの波の外に出た。
きりもみ回転をしているからか、ぐるりぐるりと視界がめまぐるしく変化するが、眼でしっかりと、状況を捉える。レーザーはいつの間にか消えていた。しかし、私はかなりの速度で早苗から遠ざかっており、このままだと地面と衝突するのは確実だ。焦らず冷静に念力を操作して、なんとか回転運動を止める。そして、すぐさま旋回し、上昇方向へと転じた。早苗より若干上空につくと、すぐさま彼女に近づくべく、重力からも力を借りて、速度を増して空を舞う。
「奇跡『ミラクルフルーツ』!」
早苗の追撃が来る。あの札は、一年前、学校に乗り込んだ時に遭遇したオカルトを退治するとき使ったものだっけ。そういえば、あの時はまだ秘封倶楽部じゃなかったんだっけ。あの時から彼女と私の連携は完璧だった。活動の時、自信満々にサポートしてくれたり。あの優しい彼女は嘘だったのか?
複数の楕円弾が弾けて小弾の列が四方八方に散らばる。迫り来る弾幕の軌跡を予測しながら、早苗へと一直線に降りていると、ふと有利になりそうなことを思いついた。私も擬似的な弾幕を張れるのではないか……と。地面に落ちている瓦礫のかけらを一つ自分の近くにテレポーテーションして、それをテレキネシスによって加速させ、近づいてきた小弾列に向かってふっ飛ばした。かけらは弾幕にぶつかると、数個の塊になって散らばったが、衝突されたそれは光の粒となって消えていった。よし、うまくいった!飛んできた他の小弾列のスキマに滑り込んでやり過ごしながら、それを確認すると、すぐに目線を早苗の方に戻した。
第一波が全て渡しの後ろへ過ぎ去ると、すぐさま大量の瓦礫を瞬間移動させた。そして、私の周囲に浮遊させ、それらをテレキネシスで加速させてから早苗の方へ向かって放つ。名づけて……
「念力『テレキネシス 不法投棄』!!」
すでに来ていた第二波を蹴散らしながら、瓦礫は一直線で早苗の方へと落ちていく。彼女は、鳥のように自由に空を飛びながらそれを回避しようとするが、それは想定内だ。サイコキネシスで瓦礫を一つあたり複数個の塊に分離して、四方へと吹き飛ばす。流石にそれは予測していなかったのか、数個に被弾して彼女は地面に落ちていった。
まずい!あの高さから地面にぶつかれば、身体に大ダメージをうけてしまう。私は心だけを変えたいのだ。彼女を救う方法を考える……衝撃を抑えればいい。諏訪湖の水を大量にテレポーテーションさせると、ハイドロキネシスによって流れを作り、早苗の元へと伸ばす。これなら間に合いそうだと気をゆるめた、次の瞬間。
「開海『海が割れる日』!」
彼女がそう叫ぶと、水流が真っ二つに引き裂かれた。何かの作戦だったのか、彼女はわざと落下していたのかと驚くあまり、迫り来る弾幕に気が付かなかった。
「まずっ」
もう一度両手を体の前で交差して念力を溜めようとするが、間に合わない。被弾の痛みが、直接体に響く。
「ぐあぁぁ!」
一瞬視界がチカチカして超能力操作を忘れてしまう。ふわりと上空へ舞った後、私の身体は重力によって下へ下へと引きずり降ろされていく。飛翔しようとするも、数々の痛みでうまく集中できない。そのまま落下していくが、ぶつかる直前になんとかサイコキネシスで勢いを相殺して、数メートルほど地面を転がった。
「げほっ……ぅぐっ」
体の節々が痛みを訴える。しかし、そんなものにいちいち構っていられない。急いで立ち上がり、反撃に出ようとするが、彼女の追撃のほうが早かった。
「秘法『九字刺し』!」
前後左右そして上から、柱のような大きさの赤く光るレーザーがジャングルジムのような形を私の周囲を囲うように形成し、動きを完全に封じられる。しまった、これじゃあ、彼女からの一方的な攻撃に耐えなければならない。思わず舌打ちをする。どうすればいい?瓦礫を瞬間移動させようにも、あのレーザーにあたったら何が起こるかわからない。テレキネシスで周囲の何かを操ろうにも、役に立ちそうなものがない。……いや、一つ方法がある。でも、一度も試したことがないし、危険な結果になるかもしれない。迷っていると、周りの木々の葉が淡く光りだした。枝から離れて、立体格子の周囲を漂い始めた。まさか、この身動きが殆ど取られない状況でアレを避けさせるのか?私にはそんなこと出来る自信はない。なら、もう一つの可能性にかけるしか無い。
弾幕と化した木の葉が波となり、全方位から襲ってくる。弾速をと推定距離を確認すると、静かに目を閉じ、全身の感覚を研ぎ澄ませる。帽子のてっぺんからメガネのレンズ、足の爪の先まで全てを意識する。全身で、起こす事象をイメージする。まだだ、まだ。まだ……――思いは現実に変わるのよ――今だ!足に力を込めて、全力でジャンプをし……
格子のすぐ外に着地した。
「な、まさか」
「そのまさか、瞬間移動よ!」
早苗が驚くのも無理は無い。私は今まで物しかテレポーテーションさせたことしかないし、彼女の前でもそれしかしてこなかったから。生き物――とくに人間なんかは、自分自身で自重していたのだ。大きさ的にも、何より移動した先でも生きているかどうかが恐ろしくて実験する勇気がなかった。ぶっつけ本番で、自分の命をかけたのだ。しかし、これはある意味隠し玉だ。恐らく今後の攻撃はテレポーテーションを使ってもやり過ごせない、密度の高い弾幕を張ってくるに違いない。
彼女の驚愕した表情をよそに、手早く身体に欠けたところが無いのを確認すると、道路標識を私のすぐ上に出現させ、両手でつかむ。
「とおぉりゃああ!!」
そして、そのまま助走をつけて、一気に振り下ろした。しかし、早苗の身体にぶつかる直前、彼女はどこからか先端に御札のようなものがついた棒――たしか大幣とかいうやつを取り出すと、その持ち手の部分で標識を受け止めた。見た目からどう考えても木かなにかなのに、両者がぶつかった時にはまるで金属同士がぶつかったかのような、すさまじい音が鳴り響いた。
「そんな手が通用するとでも?菫子!」
早苗はそう叫ぶと、標識を右に受け流し、胸ポケットから一枚の札を取り出した。
「蛙符『手管の蝦蟇』!」
御札が強烈な光を放ちながら破裂して、小さな小さな弾がこちらに吹っ飛んできた。咄嗟に標識のテレキネシスを解き、マンホールのふたを出現させて、盾代わりにして身を守る。
「ツメが甘いんじゃあ無いの?」
追撃対策のために後ろへジャンプしながら、十数メートルほど距離を開ける。彼女は苦々しそうな表情を浮かべると、もう一枚札を取り出して宣言をする。
「蛇符『神代大蛇』!」
早苗の足元から半透明な大蛇が四体姿を現す。大幣で私の方を指すと、その化物共が一斉にこちらへ向かって突進してきた。
動きを冷静に見極めようとするが、動きが不規則で予測できない。なら、直前に対応すればいいだけの話だ。方針を決めていると、一匹が間近に迫ってきた。少し後ずさりした後、ソイツの真正面に向かって全力で走る。激突する寸前におもいっきり飛び上がり、奴の頭を勢い良く踏みつけた。足元からぐしゃりと嫌な音がなったかと思うと、それの身体から力が抜けたように動きが止まった。そのままソイツ背中を走り、早苗の方へと駆ける。
彼女のところまでもう少しといった時に、今度は左右から大蛇が襲ってきた。冷静に見極めて、若干早い左のやつの上空に電柱を瞬間移動させ、自由落下によりその巨体を押しつぶす。そいつはゴキリと音を鳴らし、勢いを失って地面へと倒れこんだ。それを視界の隅で確認すると同時に、バス停の標識を出現させてバットのようにフルスイングし、反対側から迫る大蛇の頭を叩き割る。障害は全て排除した。そのままの勢いで大蛇の背を走りきり、持っていた標識を彼女に対してランスのように突きつけようとした。
早苗は前かがみになってそれを避けると、大幣の札がついてない方で私の肋骨辺りを突いてきた。そのまま地面に転がってしまうが、勢いを利用してすぐさま立ち上がる。反撃しようとすると、淡く輝く御札が複数枚襲いかかってきた。落ち着いて全てにサイコキネシスをぶつけて被弾を回避すると、落としたバス停の標識を念力で拾い上げ、再び早苗の方へと走って近づき、今度はなぎ払うようにスイングする。ぶつかる直前で彼女は標識のそばで御札を破裂させて勢いを殺し、大幣で私の顔面に向けて突きつけてくる。体全体をひねってそれを回避すると、そのままの勢いで早苗がそばを通り過ぎた。一瞬だけ、息と息粋が絡みあうほど顔が近づくが、すぐに過ぎ去っていった。
ひねりを利用して、再び標識に速度を乗せて後ろに振り返し早苗に打ち付けようとするが、またも弾ける御札で阻止されてしまった。だが、同じことが何度も通じさせる訳にはいかない。弾ける瞬間、瓦礫を瞬間移動させ、彼女の方へと飛ばしたのだ。早苗はすぐさま御札を取り出して、それらにぶつけて回避するが、そこにサイコキネシスをお見舞いする。
「くっ……!」
その衝撃にたまらずたたらを踏む早苗。その隙を見逃さず、標識とテレキネシスによる瓦礫、サイコキネシスを駆使して彼女をじわりじわりと追い詰める。形勢が少しだけ私に傾いてきた。
攻防を繰り返していると、先ほど脳裏に浮かんでいた疑問を思い出した。冷たい、突き放すようなあの行動。いつもの優しいくて真面目な彼女からは到底考えられないその態度が、果たして本心なのだろうか。あの優しい彼女は偽物だったのだろうか。
瓦礫をテレキネシスで飛ばす。御札で撃ち落とされる。
……いや、それはありえない。この三年間、学校にいる時も、放課後も、時には寝る時もお風呂に入る時も一緒だったのだ。誰よりも早苗のそばに、私はいたと自負できる。だからこそ、私は確信を持って言える。早苗はとても優しいくて素直で真っ直ぐな女の子だ、と。
「あなたの本心は一体なに……?」
ぽろりと、不意に出てしまった言葉に、早苗は反応した。
「これがそうよ!あなたは私の敵!絶対に倒す!」
……やはり、どこかおかしい。今の言葉も、先ほどの彼女の行動も、違和感……わざとらしさがあるように感じる。戦うことになる前の私はかなり気が立っていたので、彼女の挑発に乗ってしまった。しかし、よく考えてみると、訳あって演じているように思えてならない。まるで、
「嫌われたいかのように」
「そう!私は菫子に嫌われたい!そして、綺麗に忘れてほしいのよ!」
私の言葉に反射的に返ってきた言葉で、気づいた。そして、確信する。
早苗は真面目で優しい。いや、優しすぎて真面目すぎるのだ。
命の、心の恩人である神様を救いたい。けれど、そうすれば私のそばを離れなければならない。しかし、そのことを私に話せば反対される可能性もあり、友人関係が危うくなるかもしれない。そう思った彼女は、一人で悩み、悲しみ、抱え込んだのだろう。優しさ故に。わざとらしい悪意も、無理して装っているに違いない。
この世界から去るのだって、私にそのまま黙っていてもよかったはずだ。しかし、そうしようとせずに手紙を残したのは、彼女の真面目さが許さなかったのだろう。そして、私を挑発し嫌われようとしているのも、しっかりと決別し、彼女のことを諦めて新しい人生を歩んで欲しいということなのだろうか。
そうだとしたら、なんと私は愚かだったのだろうか。三年そばにいて親友を自称しているのに、すぐにそれに気づかなかっただなんて。
そんな私ができる事は、ただ真っ直ぐに、彼女の思いを受け止めるだけだ。
その時、カタリと早苗の背中に建物の残骸がぶつかった。
「早苗……」
「……」
「私は、そんな貴女が、たまらなく好きなのよ」
勢いをつけて、標識を彼女が見動きできなくなるように突きつける。
ぶつかる瞬間、彼女は飛び上がって突きを回避されて、後ろの残骸に突き刺さった。更には、突き刺さったそれの上に着地すると、再びジャンプして瓦礫の上に降り立つ。私は念力によって瓦礫全体を下から押し上げ、早苗を挟みこむように叩きつけようとする。が、彼女は更に飛翔してまたも上空に舞い、そして宣言した。
「準備『神風を喚ぶ星の儀式』!」
早苗の周りから星形をかたどった弾の塊が複数飛び出して来た。彼女の近くでは、圧倒的密度で押しつぶされてしまう。後ろ走りで距離を取り、青球と赤球の弾幕を可能な限り最小限の動きを持って正確にしっかりと避ける。打開策を見つけようと思案していると、
「奇跡『神の風』!」
突然、強風が吹き荒れて、周囲の弾とともに私も吹き飛ばされ地面を転がる。そのせいで幾つか弾幕に被弾し、その箇所が痛みという悲鳴をあげる。続けてぶつかる前に周囲に連続して小さなサイコキネシスを発動して、防御壁がわりとする。そのまま立ち上がると、バスケットボール大の弾が私の頬をかすめた。上空を見上げると、楔形の弾と球体の弾が風に舞っていて、次々と私の方へと拡散し、迫ってくる。
弾の速度、距離を見極めて、最小限の動きで避け続ける。私からは早苗に攻撃が届かない。根気勝負だ。どちらが先に力を出し切るか……
まるで、永い時間避け続けていたように感じる。実際はどれくらい経っているのか。三十秒か、六十秒か。そんな時、突然弾幕が光の粒となって消えた。まさか、一定時間避け続けていると、御札の効果が切れるのだろうか?何にせよこれはチャンスだ。しかし、頭と体をフル回転させての連続回避に疲労しきっており、息を整えるだけで精一杯であった。早苗も同じらしく、いつの間にか私の前方の中距離あたりに降り立ち、肩を大きく上下させていた。
早苗が顔を上げる。この場所で初めて、目線が重なる。
来る。そして、それが最後になるだろうと、何故か直感で感じていた。
「秘術『一子相伝の弾幕』!!」
空が弾ける。大小様々な弾がそれぞれで五芒星を形作る。それはまるで、今まで歩んできた楽しかった思い出を象徴しているみたいで。そこで、私はようやく気付いた。弾幕というのは、きっと、彼女の思いが形となったものなのだ、と。そして、私は親友なのだから、大切な人の思いを、受け止めなければならない。
星星の一辺一辺が波のように動き出し、空全体に拡散し、私に迫ってくる。
楔形の弾の合間を抜け、彼女の苦悩を受け止め、前に進む。
赤い小弾の合間を抜け、彼女の悲愁を受け止め、前に進む。
青い小弾の合間を抜け、彼女の絶望を受け止め、前に進む。
彼女の決意を受け止め、私自身の心も、前に進ませる。
たとえ世界中が彼女を忘れても、私だけが、早苗のことを覚えているために。
一歩、踏み出す。
瞬間、すべての弾幕が光の粒となって周囲に散らばっていった。その光の海の中を、ただ一心に駆け抜けて、
「早苗!!」
「菫子!!」
力尽きたのか、その場でへたり込んでいる早苗のそばに走り寄って、思いっきり、抱きしめた。とても、暖かかった。
「ごめん。ごめんね、早苗。貴方の気持ちを考えていなくて」
「ううん。私の方こそごめん。一人で考えこんでないで、貴方に相談するべきだった」
「いいのよ。早苗は、十分に考えて、正しい結論を出したと思う」
「こんな身勝手な私を許してくれるの?菫子は優しいのね」
「私なんかより、早苗のほうが何倍も優しいわ。私と似た境遇にいたのに、私より前向きで、明るくて、優しくて、可愛くて、強くて格好いい。世界で一番大好きよ」
「ありがとう。貴方がそう言うんだもの。間違いないわ」
「……でも、別れるのは辛いわ」
「私もよ。紫さんに頼んで、どうにかこの世界に留まって八坂様たちと共に生きていく方法がないかどうかを調べてもらったけれど、駄目だった」
「あのお二人が大切なのね」
「もちろん、菫子のことも大切よ。けれど、二柱のこともそれと同じくらい……お力になれるのなら、私はどんなことでもするわ」
「早苗らしいわ」
「ありがと」
「その、なんだ」
突然第三者の声が耳に飛び込んできた。抱きしめ合ったまま顔を上げると、早苗の両隣に、先ほど神様と呼ばれていた二人がいた。
「今日の今日まで早苗をそばで支えてくれてたこと、本当に感謝している」
「い、いえ、そんな!私の方こそ、早苗に支えられてばかりで」
背の高い女性からの突然の謝辞に、思わず声が上ずってしまう。この強い威圧感と神聖さが、嗚呼、神様なんだろうなと直感的に理解できた。
「私がもっとしっかりしていれば、幻想入りする必要もなかったかもしれない。菫子さん、すまない」
「まー、信仰なんて所詮民のさじ加減だからねぇ。科学技術が発達した昨今じゃあ、他の神様も……」
「こら諏訪子、空気を読みなさい」
そう神奈子さんは言うと、諏訪子さんの頭にチョップを食らわせた。
「あだっ。んもぅわかってるよぉ。……二人の神遊び、とっても面白かったよ!特に、『神の風』を避けきるたぁ驚いたよ」
「諏訪子、もっと他に言うことがあるでしょう」
「べっつに~。私は神奈子についていくだけだよ……まあそうだね、やれば出来る子だっていうのは、早苗のそばからみてたから。これから辛いこと、悲しいこともあるだろうけど、頑張ってね」
「……はい」
私が返事をすると、まわりの瓦礫の光が一層強くなり、粒となっていく。どんどんあちらの世界に移っているのだろう。
「私達も、そろそろらしい」
そう呟いた八坂さんの足元からは、光の粒がふわりふわりと浮き始めていた。洩矢さんも同様に。
「繰り返すが、本当に有難う、菫子さん。この命、君にも救われたようなものだ」
「たまたまですよ……あの、お二方にお願いしたいことがあるんです」
「ん?なあに?」
八坂さんと諏訪子さんを交互に見ながら、私は言った。
「早苗のことを、よろしくお願いします」
「もちのろん!ね、神奈子」
「ああ。然と心得た」
二人から出ている光量が更に増す。下半身はとうに消えてしまっていた。
「それでは、菫子さん。いつの日にか、共に酒を呑み交わそうぞ」
「じゃあね~!いつか、私の神遊びにも付き合ってね!」
そういって、二人は光りに包まれて、消えていった。だが、その粒は未だ止まない。なぜなら、私の胸の中からも、発生しているのだから。
「早苗」
静かに、彼女の名を言って、背中に回していた手を方に乗せ、その顔を覗き込んだ。
「私もそろそろみたい」
「そうみたいね」
その頬を両の手で包み込む。彼女のぬくもりを、最期までしっかりと身体に刻みこむために。
「やっぱり、別れるのは寂しいわ。菫子」
「私もよ。でも、必ず、また会いに行ってみせる」
「本当に?」
「ええ。だって私は、秘封倶楽部(秘密を暴くもの)だもの」
「期待してる」
「貴方も秘封倶楽部のメンバーらしく、あっちの世界でもはっちゃけてきてね」
「もちろん」
一段と光が増す。どんどん消えていく。いつまでも一緒に同じ時間を過ごすはずだったのに、それがかなわないのはとても悲しいことだけれど、親友の旅立ちのときに涙を流して、悲しませることは出来ない。
最後に言いたいことを言うために、額を彼女のそれにぴとりと触れて、早苗の、その綺麗な瞳を覗き込んだ。
「大好きだよ、早苗」
「私も好きよ、菫子」
そう言い終えると、彼女の身体がふわりと浮いた。私の額からぬくもりが失われる。もう、肩から下は光となってもはや見えなくなっていたが、それでも、早苗はこちらに微笑みながら、一言、私に囁いてくれた。
「ありがとう、愛してる」
言葉を返すために口を開き彼女の方に手を伸ばすが、
彼女はそのまま光りに包まれて、消えていった。
「早苗!!」
瞬間、強い風が吹き込み、光る瓦礫と早苗の光とともに、夜空へと消えていく。
あたりは、もともと何もなかったかのように、薄暗く、静かになっていた。
§
しばらく、放心状態で座っていると、どこからかパチパチと手を叩く音が聞こえてきて、ふと我に返る。そうだ、私にはまだやらなければならないことがあるのだ。顔を音のした方に向けると、そこには私が睨んだ通り、紫が立っていた。
「おめでとう。貴方はきっちりと役割を果たせた」
相変わらずひょっとこのお面をつけていて表情が読めないが、その口調からして、この結果に満足しているように聞こえた。
役割がなんなのかは分からないが、あいつには話の主導権を渡すと厄介なことになりそうだ。私は彼女の言葉を無視して、言葉を投げる。
「貴方が、早苗たちにあっちの世界に行く方法を教えたのよね?」
「そうよ」
「なら、わたしもそちらの世界に行きたい。早苗のいない世界なんて退屈でしょうがないから」
「あら、何故そんなことをしなくてはならなくて?貴女はこちら側の存在では無い、只の人間じゃない」
「私は超能力者!他の凡人どもと一緒にしないで!」
思わず声を荒げてしまう。しかし、冷静にならなければ。相手は二年前、私達に意味深長な事をいい原理不明の妖術で否応なしにこちらの行動を制限してきたやつだ。丸め込まれれば、かなり危険だ。
「私にとっては、貴女なんてたくさんいる人間の一人にすぎない」
「なら、早苗は!?早苗は普通の人間じゃないっていうの!?」
「あ、言ってなかったわね」
そういうと、しっかりとした足取りで、私の方へと歩いてくる。何をされてもいいように、バス停の標識を瞬間移動させてしっかりと握りしめる。
「東風谷早苗は、元をたどれば神と血がつながっているのよ」
「いきなり何を言って」
「貴女は考えたことなかったの?一介の人間に神様が二柱も憑依するだなんてあり得ないわ。それこそ、訓練された巫女か、その神の関係者、現人神以外はね」
「早苗が現人神だったから、そちらの世界への移住方法を教えたの?」
彼女は私の目の前、手を伸ばせば届きそうなほどの距離で立ち止まると、静かに言った。
「半分正解ね」
「…………」
「何故、彼女達を幻想入りさせたか?その理由は"私が彼女達を欲した"からよ」
欲した?どういうことだ。
「だって、魅力的じゃない?方や国譲りで活躍し、数多の武将に信仰されてきた軍神、方やミシャグジをはじめとする土着神の頂点。こんな大物を引き込めれば、こちらの世界はもっともっと変化する。だから、一芝居打ったのよ」
「それって、まさか」
「そう。私は、彼女達が幻想入りせざるをえない状況に追い込むために、あれやこれや様々なことをしたわ。それこそ、東風谷早苗が生まれる前からね」
その言葉に、目の前が段々と暗くなっていくように感じた。下手に出て、誠実に頼もうという気持ちは、どこかへ吹っ飛んでしまった。心にドロリと怒りの感情が流れ込んでくる。
「ずっと、お前の掌の上だったというの……?」
「もちろん。だから言ったでしょう?"貴女は役割を果たした"って」
なにか考える前に、体が動いた。目の前のバケモノを亡き者にしようと標識をフルスイングしぶつけようとする。しかしその直前、奴はその細い腕で私の攻撃を受け止めた。念力を更に強めるが、びくともしない。
「じゃあ!この超能力も、貴女の仕業!?」
「普通の人間がそのレベルの力を生まれながらにして持っているのは珍しいケースよ。でも、私は知りませんわ」
「秘封倶楽部結成も、お前が仕組んだのか!?」
「秘封、倶楽部?……なんのことだか、さっぱりですわ。けれど、貴方達が"結界暴き"と称していたものなんて、"私達"に言わせれば、児戯にも等しいわよ」
「この私達の三年間を侮辱する気?」
「三年……三年も私のコマとしてよく働いてくれたわねぇ。感謝してるわよ」
「あ……あああああああ!!!!」
ただ感情に身を任せ、別の標識を瞬間移動させて、大きく振りかぶって奴の脳天を破壊しようとする。しかし、それも空いている手で受け止められてしまった。
「返せ!!私に早苗を返せ!!」
「勘違いしてるわよ、貴方。私は幻想入りを選択せざるを得ない状況を作ったけれど、彼女たちを強制的に取り込んだわけではない。あくまで、幻想入りは彼女の意志よ。
いい加減諦めなさい。貴女はもう、東風谷早苗に会うことは出来ない」
「黙れ!」
まるで私を煽るかのようにケタケタと動く、奴のお面をぶっ壊す為に、パイロキネシスを発動しようとすると、足に何か巻き付いてくるような感触を感じた。ちらりと見てみると、二年前に私を拘束した、骨のない触手のような腕が絡みついてきていた。怒りのあまり防御への意識を蔑ろにしすぎた自分自身に、大きく舌打ちをする。飛び上がって抜けだそうとするが、素早く胴体に巻きつかれて、身動きがとれなくなってしまった。
「くそ……ちくしょう……ちくしょう!ちくしょう!!」
せめてもの抵抗として奴を素手で殴ろうとするも、腕にまで絡みつき、動きを封じられる。
「はいはい、暴れないの」
標識二つをそこら辺に適当に払いのけた紫は、こちらの顎に手を合って、クイッと、目線が合うようにした。
「本っ当に……"あの人に似て"気持ち悪い目ね」
そう一言いうと、今度はその手で私のメガネを外し、眼に覆い被せてきた。と同時に、経験したことのある激痛が、眼球を、脳を襲う。
「がぁ、うぅ……!!」
「貴女には、境界を見る眼は必要ない。それは私の専売特許。何か付与するにしても、精々時間と場所がわかるぐらいにしなさい」
数秒後、奴は私から手を離し、眼鏡をかけてきた。痛みが消えていたが、どこか様子が変だ。頭を揺さぶり、視界を確認し、異常事態をすぐさま理解する。
「さっきより暗くてよく見えない……というより、境界が見えなくなってる!」
「眼を弄るのはかなり危険な行為よ。失明どころか、見えてはいけないものを見て、狂人になるかもしれない。だから、ちょっとした細工をしておいたわ。」
そういうと奴は、私から離れて、上空数メートルのところで静止し、どこからか御札を取り出した。遠目でもわかる紫色の淡い光を放つそれには、見覚えがあった。
「それって、二年前にお前が早苗に渡した御札じゃ」
「本当は彼女が使う予定だったけど、結局そんな事態にはならなかっただけよ。でも、こうして使い道ができたってわけ」
一呼吸おいて、奴はまるで舞台の上で演技をするかのように、オーバーなアクションを交えながら叫んだ。
「さあ!私がこの世界から去ることによって、東風谷早苗の幻想入り譚は幕を下ろす。この先で貴女がどんな選択をしようとも、それは自由!深秘を暴くものとしての活躍に期待しますわ。私はただ、貴女にお呪いと呪いをかけるだけ。さあ、その脳裏にしっかりと焼き付けなさい!
結界『夢と現の呪』!」
札が、弾けた。弾幕が襲いかかってくると思い、一瞬全てを諦めかけたが、目に飛び込んできたのは、熱と質量を帯びた弾ではなかった。
「えっ!?」
私の周囲で境界が裂けていくのが第六感でわかったが、その場所から、妙なものが浮かんでいるのが、私の"眼"には見えた。それは数式だった。そしてそれは、現れては頭に刻みこまれるかのように、私の意に反して記憶されていく。理解不能な出来事に目を背けるために頭を動かそうとするが、伸びてきた触手によって阻まれてしまった。しかも、目を閉じようにもその触手によって瞼を強制的に開かれたままにされてしまい、出来なくなっていた。
まるでフラッシュバックかのように次々と意味不明な数式が目の前に現れては、問答無用で脳内に彫り込まれる。それはまるで、大量のデータを書き込まれる記憶媒体のようで。嗚呼、なんだか頭がボーッとしてきた。視界さえも揺らぐが、それでも数式だけははっきりと見えている。
何故こんな仕打ちになっているんだっけ。早苗はどうして。何故神様は消えるんだ。信仰は。結界とは。私は。境界とは。早苗は。私は。早苗は。秘封倶楽部は。
――そして、私の意識は途絶えた。
§
私があそこからどうやって帰ったのかは全く覚えていない。目が醒めたら、自分の部屋で倒れていた気がする。そんな状態の私を最初に発見したのは父だったか。泥だらけの制服を着て、床でぐったりしている娘という非常識な様に、きっと腰が抜けるほど驚いていたと思う。夢遊病なのではないかと心配されて病院に行ったそうだが、もうそこら辺すら定かではない。
そんな私を待ち受けていたのは、地獄のような現実だった。
早苗と私の楽しかった出来事を他人にそれとなく聞いてみる度に、捻じ曲げられたこの世界の過去を知り、有りもしない思い出話を聞かされる。そのせいで、私の精神はすり減っていった。
覚悟を決めて、独りでもなんとか境界暴きをしようと試みたこともある。だが、メンタルが影響しているのか、それをうまく発見することができず、さらに心が追い詰められていくという、まさに負のスパイラルに陥るばかりで。
そして、その精神状態で私は引っ越しをして東京に来た。データが飛んだら怖いと思い早苗が写っている写真は全部現像してアルバムに収めていたのだが、引っ越しの際、当のアルバムを無くしてしまった。親に聞こうにも、全く知らない人とのツーショット写真ばかりのものを見つけられた時の反応なんて容易に想像できるし、引越し業者にこっそり問い合わせてみたりもしたが、結局見つからずじまいだった。さらに、メンタルがぐちゃぐちゃになっていった。
そんな状態で見た東京の夜景は、酷く汚れているなぁという感想しか持てなかった。
新しい住まいは、大きめの部屋だった。何故か私が、此処がいいと連呼していたらしい。私が覚えているのは、一緒に済むから大きい部屋のほうがいいよね、と楽しく早苗と会話していたことぐらいだ。
一人娘の一人暮らしだからか、欲しいものは何でもよこしてくれた。新しいスマホ、タブレット、ネット環境。これだけは、感謝してもしきれない。
だが、メンタルは相変わらずで、学校が始まってからも、自堕落な生活は続いた。早苗と楽しい高校生活を送るはずだったのに。よってたかってくるのは、私の足元にも及ばない人間もどきばかりで。追い払おうにも、奴等はしつこく迫ってくる。一体どこからその元気が来るのだろうか。そのざまは、反吐が出るほど気分を悪くさせられた。
……やめろ!私に近づくな!お前らとは違う!一緒に、しないで!!
どうみても、精神が早苗と出会う三年前に退化していた。
§
そんな堕落した生活も早いものでひと月近く立っていた。その日は前にやったちょっとしたテストの返却日だった。私は普通に満点をとったが、周りのバカどもの声がうるさくなっただけだったので、これからはわざと手を抜こうかと思ったりした。
放課後、先生に頼まれたことを片付けた私は、さっさと帰ろうと昇降口に来てから、下校時あたりに雨が降ると天気予報士が言っていたことを思い出した。
外は薄暗く、少し強い雨が降っている。嫌な天気だ。ここから私の住むマンションまでは結構距離がある。傘を忘れてしまったので、濡れて帰る他ないか。職員室まで行って愛想笑いを浮かべながら傘を借りるのも面倒だし。
鞄の中にかぶっていた帽子を仕舞いこみ、ぎゅうと両腕で抱えていざ小雨の中を走ろうとしたその時、突然スマホが震えた。なぜなら、メールアドレスも電話番号も交換しているのは親ぐらいだ。その親も、一日一回夜八時にその日はどんなことをしたのか連絡することになっているので、この時間帯のコールはおかしい。でも、確認するのも面倒だ。無視していればいつか切れるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。通知を切っておくべきだったなぁと後悔しながら端末を取り出し、画面をつけた。
そこには、思いがけない人物の名があった。
「さわ、たり」
佐渡といえば二年前諏訪で初めてであって、そして少し前にも……といったところで、思い出した。彼女もまた、同じ超能力者だと言っていたことを。思わず、人目も気にせずにその場で電話に出た。
「もしもし?」
「おー、やっとでてくれたわい」
「……なんで今になって電話を」
「いいから、つもる話もあるじゃろうが、聞きたければ車に乗りな。家まで送ろうぞ」
そして、ガチャリと一方的に切られてしまった。思えば、数カ月前もこんな感じだったっけ。
外を見てみると、たしかに例のタクシー車がハザードランプをつけて止まっていた。
……立ち止まっていたら前に進まない、か。他のバカどもに話しかけられないように注意しながら、私は雨の中を走った。
§
「ひどい雨じゃのう。ほれ、これで拭くがいい」
運転しながら佐渡さんは後部座席に座っている私にタオルを渡してきた。ありがたくそれを受け取って、濡れた髪の毛を拭いていく。
「あれからどうじゃ、調子は」
「すこぶる悪いです。あいつを脅せば自由にあっちの世界に行けると思ってましたが、うまくいかなかったし、何より早苗を失ったショックが大きくて……もう、何もする気も起きません」
「やはりそうか……顔色を見ればだいたい察しがつく。だが、いつかは受け入れなけれならない。もう、彼女は此処にはいないと」
メガネを外し、顔を拭きながら、その言葉を聞いていた。
「彼女との写真も、引っ越しのドサクサで無くしてしまったんです。データも日を追う度に何故か消えていくんです。……早苗がいたという証拠がなくなっていって、本当はいなかったんじゃなかったのかって、時々疑心暗鬼になって。これじゃ、親友失格ですよね」
ハハハと自嘲しながら、タオルをたたんで外を見る。薄暗い街の色は、まさに今の心境のようだ。
「……佐渡さんはあの紫って奴と知り合いなんですか?」
紫、という単語で彼女はピクリと反応したように見えた。少しの間、ザアザアと打ち付ける雨音が車内を満たす。そして、佐渡さんが口を開いた。
「ああ、奴とはグルじゃ。今日も、頼まれてここに来た」
「やはり、全て仕組まれてたんですね」
「すまぬ。儂の立場上逆らえんのじゃ」
「……で、また必要になったから利用しようと」
「まてまて。儂まであんな胡散臭いやつと同族扱いするでない。仮にそうだとしたら、ちゃっちゃと依頼を済ませる為に、お主を羽交い締めにしてこいつを照射して終わらせとるわい」
そういうと、佐渡さんがどこからか、変な装飾が施されている銀色のペンライトを取り出して、こちらに見せた。あの色、形状……どこかで見たことがある。たしか、いつの日かに早苗と見たコメディ映画の中で……
「あ!」
「そう、これはMIBの"アレ"じゃ。任意の記憶の消去やらなんやらができるオカルトアイテム。"あの時"はごっこじゃったが、これはサトリの血、河童と鬼の技術により作られておる。都市伝説通りの効果を発揮することができる代物じゃ。一回ポッキリじゃがな」
佐渡さんの口調は真剣そのものだ。嘘を行って私を馬鹿にするような意図はないように思う。何より、見せつけられた道具から発される凄まじい妖気がオカルトアイテムだという証拠だ。
「で、これをやつから渡されて頼まれたことは二つ。一つは、東風谷早苗の、お主と儂に関する記憶の消去。もう一つは、お主の、東風谷早苗、紫、そして儂に関する記憶の消去、加えて、あの異変を起こすための都合の良い記憶を植え付けること」
「もしかして、貴方は」
「あぁ、お主の思っているとおり、儂はあちらの世界の住民じゃよ」
「それで、あっちの世界での早苗は!?」
「元気溌剌じゃ。前向きで明るくて自信家で、少し外れたところもあるが、皆ととても仲良くしておる」
そう、なのか。よかった。本当に良かった。心の淀みが少し消えて、無意識に頬に熱いものが流れていた。
「話を戻すが……儂には、依頼をこなす気はない」
「な、何故です?今までさんざん私を利用して」
「頼まれたんじゃよ。東風谷早苗にな」
空に稲妻が走り、外が一瞬光る。
「紫の依頼を受け取った日、すぐに早苗殿のところに行き、依頼をすべて話し、聞いたんじゃよ。お主はそれでいいか、と。無論、彼女は首を横に振った。そして頼まれた。どうにかできないかと。じゃから、これは儂の独断行為になる。つまり、紫の依頼は三割だけを達成することにしたんじゃ」
「三割?」
「うむ。記憶の消去改変は儂に関するものだけにとどめておく。もともと、お主と早苗殿が儂と出会うのは"あの時"と"あの時"――儂にとっては過去の出来事――お主にとっては未来の出来事じゃからな。まあ、そうすればある程度いじらなくても、お主は"アレ"を起こしてくれよう」
「でも、そんなことして良いんですか?佐渡さんの身に何かあったら」
「紫の好きにさせるのも癪じゃからのう」
そう言って佐渡さんがカカカッと笑った。かと思うと、車がゆっくりと止まる。外を見てみると、私の部屋があるマンションの前まで来ていた。
「さ、どうする?このまままた奴の掌の上で踊る運命を辿るのか。それとも、自らの意思で異変を起こし、早苗のもとに行くのか」
シートベルトを外し、彼女はこちらに振り向きながら言った。
「その異変ってやつを私が起こせば、本当に早苗にまた会えるんですか……?」
「ああ、勿論」
……なら、結論は決まっているじゃないか。
「もう一度、彼女に逢いたい!そのためなら、私は何でもしてみせる!」
「合点承知!さて、事を済ませる前に渡すものがある」
佐渡さんは助席からA4サイズのダンボールを私に渡してきた。
「これは?」
「今此処で開けてはならぬぞ?記憶の改変に関わるものじゃからな」
そして、カチリとアレをこちらに向けて、穏やかな口調で言った。
「しばしのお別れじゃ。"あの時"になったら、また会おう」
「あ、待ってください佐渡さん」
「なんじゃ?」
「……最後に、貴方の本当の名前が知りたいです」
「ほう、いつから偽名だと気付いていた?」
「いや、カマをかけてみただけです。やっぱり違ったんですね」
「こりゃ一本取られた。そうじゃな、儂の本当の名は二ッ岩マミゾウ。マミゾウと呼んでくれ」
「わかりました。それではマミゾウさん。今まで、ありがとうございました。また出会うときはよろしくお願いします」
「あぁ。達者でな」
マミゾウさんはサングラスをかけると、カチリとアレのボタンを押す。青い光が視界に溢れて――
§
パチリと目が覚めた。……そうだ。部屋に帰って雨で濡れた身体を暖めるためにシャワーを浴びてゆっくりしていたら、宅配便が来て、荷物を受け取ったら急に眠気が襲ってきたから、ベッドに横たわって……。どうやら、ちょっと長い時間寝ていたようだ。
ふわぁと、大きくあくびをして起き上がる。なにか忘れているような気がするが、まあ気のせいだろう。
濡れたバッグの中身を乾かすために、立ち上がって学習机に乗せてあるそれを開けようとすると、ふと同じ所にダンボールが置いてあるのに気がついた。そうだ、これが配達員から受け取った荷物だっけ。そちらの中身のほうが気になったので、そちらを先に開けることにした。
カッターナイフをテレキネシスで手にまで持ってきて、封を丁寧に切りフタを開ける。中には包装材、業者からの謝罪の文が書いてある紙切れと、
「これって」
引っ越しの時にどっかへ行ったっきり、諦めていた早苗と私の思い出のアルバムだった。いや、そんなまさかと恐る恐る真ん中辺りのページをめくってみると、いろいろなオカルトスポットをめぐって、その度に撮った、私と早苗のツーショット写真がたくさんあった。ゆっくりとめくって、一つ一つ、ここで何があったのかを思い出す。嗚呼、あの時はとても楽しかった。
「あ、あれ?」
ポタリとアルバムにしずくが垂れていた。懐かしさと同時に、二度と会えない悲しみで、胸がきぅと締め付けられて、涙が止まらない。ぼやけた視界でアルバムをペラリペラリと捲っていく。一番後ろのページには、最後の活動である諏訪大社跡地前で撮った写真が貼り付けられていた。
「ぅぐ、ん……うぅ……」
しばらく感情のままに泣いていると、ふと、最初のページからなにかはみ出ているのに気がついた。眼鏡を外して涙を拭い、該当するページを開いく。
「こ、これって」
一枚の、見たことがない写真が挟まっていた。何かの神社を背景に、被写体は……あの二人の神様と……見たこともない服を着た早苗。
「えっ!?」
あるはずのない、届くはずのない写真。あちらの世界を写した写真だった。
驚きのあまり、流していた涙が引っ込んだ。何か、何か他に情報はないかと写真を裏返しにしてみる。
そこには、こう書かれていた。
『"いつかまた、夢の世界で"
秘封倶楽部副会長 東風谷早苗
八坂神奈子
洩矢諏訪子
撮影者 射命丸文
撮影場所 幻想郷 守矢神社 』
「さな、え……!」
そうか、きっと、これは彼女の奇跡のおかげに違いない。彼女の思いが、願いが、奇跡となり、ここにたどり着いたのだと、私は直感的に思った。
彼女もまた頑張っているに違いない。それに答えずして、誰が親友といえるだろうか。
「ありがとう、早苗。私、思い出したわ」
私は独りなんかじゃない。彼女の思いは、常に傍にあったのだ。ならば、私の行う行動は一つ。たったひとつのシンプルな事だ。
早苗の写っている写真を抱きかかえ、机のそばにある窓の外を見た。時刻はもう夕暮れ時で、いつの間にか雲が何処かへ流れていて、満月がこちらを覗き込んでいた。そうだ、久しぶりに天体観測をしよう。彼女との最後の日に出来なかった、秘封倶楽部再開後最初の活動を。きっと、今日はとても綺麗に見えるだろう。あの日見ることが出来なかった分も。
「私も、奇跡を起こしてみせるよ」
もう、涙も迷いも卑屈な態度も、塞ぎこんだ自分もいない。
なぜなら私は、"秘封倶楽部"なのだから。
至・現し世の秘術師
あれから私は様々なことをしたし、出来るようになっていた。
一番初めに上げるとすれば、"一時的幻想入り"というべき現象。私の影というか、形容するのが難しいのだが、とにかく私だけど全部私でない何かになって、私は幻想郷に入っていたのだ。といっても、目的の生身での幻想入りではない。一時的というのは、自分の意に反して突然幻想郷から自分の世界へと強制的に戻される点だ。それでも、出来ることは多々あったので、それは後で大いに利用させてもらうことにした。何より、たとえどんな状態の自分でも、垣間見た幻想郷という世界は、本当に美しかった。東京よりも私の実家よりも綺麗に輝く夜空、今の日本にはない熱い活気づいている人里、悪魔が住む真っ赤なお屋敷、一年中櫻が舞う幽冥の地、竹林にひっそりと佇む日本家屋、地面のはるか下に存在する人工太陽、空を舞う宝船、瘴気漂う森……そして、人妖入り乱れての宴会が毎日のように行われている神社。次第に私は、早苗に会うという目的と同じくらい、その世界の深秘を解き明かしたくなった。
それと、周りに集ってくる奴等の駆除。"秘封倶楽部"の名前を借りてあえて人を集めて、実態をさらけ出してやったら、私の目論見通り、友だちになろうとする人は現れなくなった。トモダチだなんて障害物は、私には必要ない。それらを欲するものは、一人で己を律する事ができない、弱者だけだ。……先生なんかにも変な目で見られるようになったが、そんなのは必要経費だ。一々気にしてられるか。
私には、自分自身と早苗と幻想郷の秘密を暴くという大いなる使命があれば、それでいい。
私という枯れかけた花に水をくれたのは、早苗だった。
紆余曲折あって少し内に篭っていたが、それももう辞める時間。
彼女の為……否、私自身のために、菫の花を咲かせる時間だ。
§
東京の街は、昼夜を問わず光に満ちている。
謂れは簡単だ。自らの弱さを隠すために社会の歯車を演じ続ける者たちが、ただ鼻先の事のみを考えて、貴重な人生を湯水のごとく消費しているから。延々と働き続けるそれらの命が、文字通り燃料となって燃えているのだ。
そんな安っぽい光もあまり好きではないが、何より私が嫌いなのは、そいつらの目だ。
文字通り、目の前にあるパソコンやスマホの画面ばかりを見続け、自らの将来だとか、世の中の不思議なことだとか、そういった夢を見ることを忘れたその目。
故に、彼らは私を見つけられない。小さなディスプレイから、ほんの少しだけでも目線を窓の外に向けるだけで、深秘はすぐそこにあるのだと、知覚できるというのに。
ビル街の上空を自由に舞いながら、私はそんなことを考えていた。
帽子のつばを弾き、星空を見る。
地上からの光によって、視認できる星の数は多いとは言えない。それでも、この夜空を私一人が独占できているというのはいつも以上に優越感を感じるし、住んでいた長野の片田舎にも同じ空が広がっていたことを考えると、それが当たり前なのだけれど、どこか不思議に思ってしまう。
――そして、きっと、彼女の見上げる夜空も同じはずだ。
視線をそのまま上に向けてゆっくりと旋回していると、ポケットからボールが転がり落ちてしまった。
私はそれを眼の前にテレポーテーションさせて、手袋をはめた手でしっかりと握りしめる。これは、私が行おうとしている結界破りの、文字通り鍵となるものだ。我ながら不注意だったなと思いながら、なんとなく、改めてオカルトボールをまじまじと見つめる。
結界。毎日の殆どの時間をインターネットサーフィンに使い、結界をどうやって突破するかを徹底的に調べあげた。その過程で、私は気付いたことがあった。それは、早苗と別れた日に紫に焼き付けられた式が、実は結界を破壊することができる術式に関係しているということ。何の意図をもってそんなことをしてきたのかはもう定かではないが、結果として奴は私にヒントを与えたことになる。
が、私はそれを無視した。確かに奴の式を持ってすれば結界破壊なんて容易にできるだろう。だがそれでは紫の掌でまた踊らされるだけだ。
それでは意味が無い。私は、あくまで私の力を持ってして結界をぶっ壊し、世界の深秘を暴いて、早苗に会いに行きたい。この命に変えてでも。
そこで考案したのが、霊力の高いものを一点集中させて、結界を破壊する方法だ。仕組みは単純。世界中に存在する霊験あらたかなオカルトスポットにあるパワーストーンを核とし、そこに私の超能力でちょちょいと弄くり、一定個数集めると自動的に結界を壊すアイテム――オカルトボール。これを幻想郷中にばらまいて、"七つ集めると願い事が叶う"という根の葉もない噂を流してやれば、あとはあっちの世界の住民が適当にやってくれるだろうという寸法だ。
オカルトボールを幻想郷に放つのには一時的幻想入りが役に立った。幸い、噂を流すことにも成功できたようだし。
そうして何度も何度も一時的幻想入りをしてはオカルトボールを置いていく日々が数週間続いていたが、つい昨日、とうとうその現場を神社の巫女――早苗とは違う奴だ――に襲われてしまった。相手は私の存在に気がついた。恐らく、事態はなし崩し的に始まるだろう。
「でも、流石に昨日の今日だし、まだ何も起きてないわよね?」
持っていたオカルトボールをポケットに仕舞い、マントの裏に隠し持っている3Dプリンター銃を軽く握る。
ちなみに、マントは私の自作だ。念力を編みこんだこいつのおかげで、私は最低限の力で空中移動が出来るようになったのだ。我ながらいいアイディアだと思う。3Dプリンター銃は、まあ、ゴニョゴニョして手に入れたシロモノ。実弾を撃てるかどうかはよくわかんないけど、サイコパワーを詰め込んだものなら射撃可能だ。
他の超能力も念入りに訓練を積み、早苗と別れた日の時とは行かずとも、かなりのパワーを長時間維持できるようになったと自負している。
……やっぱり今日は何も起こらないか。まあ、準備に数ヶ月掛けたのだ。いくらだって待てる。
もう、今日はオカルトボールを放り込んで帰ろうかと考えがよぎるが、それはいい意味で出来なくなった。
突然、第六感が警報を鳴らす。全身で、境界に何か起こっている事を感じとる。こんな事態は初めてだ。ポケットからESPカードを取り出して、何が起こってもいいように構える。
そして、私の目の前で結界が裂けた。私の計画は成功したんだ!と歓喜していると、そこから何かがひょっこり飛んできた。ソイツは、リボンの付いた黒い三角帽をかぶり、いかにも魔女って感じの服装をして、空飛ぶ箒に腰掛けてゆうゆうと空を飛んでいる。
「あいたたた……こりゃ眩しくて目が痛いな。外の世界(こっち)に居られるのは半時くらいだって言ってたな……ん?」
「わー、釣れた釣れた!」
私と早苗と同じイレギュラーな存在を前にして、私のテンションはダダ上がりになっていた。未知との遭遇に際して先に手を出すのは野蛮というものだろう。というわけで一旦会話をしてみよう。
「空を飛んでいるって事はやっぱり人間じゃ無いわよね」
それを聞くと、目の前の魔女は三角帽のツバを弾いて、私のことを観察するかのような目線を投げながら言った。
「まごう事なき人間だ」
「人間……?」
「お前こそ……何者だ?外の人間だよな?というかお前だろ、私を罠に嵌めた奴は」
そういえばまだ自己紹介がまだだった。眼鏡をくいと上げて、にやりと口を歪めて、言ってやった。
「いかにも。自己紹介が遅れたわ。東深見高校一年、宇佐見菫子。泣く子も黙る本物の超能力者よ!」
…
「あなたの仕事、こういうことでしょ?」
「そうだ、察しが良いな。ただ普通の人間とやり合うのはフェアじゃ無い気がするが……」
「貴方こそ、気を付けた方が良いわね。今は女子高生にだって武器が作れる時代だから……」
「じょしこうせーってなんだ?」
「異世界の貴方に教えてあげる。外の世界で唯一無二の最強無敵の種族の事よ!」
……
「儂と勝負をしないか?」
「勝負ですって?」
「ここに新しいパワーストーンがある」
「む、貴方はもしや」
「そうじゃ気付いておる。オカルトボールの正体はパワースポットの石じゃな。そして儂が持っているのは幻想郷のパワーストーンじゃ。コレさえあれば幻想郷と行き来は自在になる。もしお主が勝ったらこれをやろう」
「面白ーい!欲しい欲しい!で、私が負けたら?」
「そうじゃのう……外の世界を一日案内して貰えるか?」
「そんなんで良いの?じゃあやるよー」
「儂が勝つことは判りきっておるんでのう。余り無茶は言わんて」
「よーし、俄然やる気が湧いてきたわ。私の超能力の見せ所ね!」
………
「ここは……神社か……やったあ!あの狸の言うとおり、正式に幻想郷に入れたっぽいわね。今日は確認取れれば十分十分。一旦帰って準備してこよう」
「もしもーし」
「ん?何か聞こえた?」
「もしもーし、聞こえますかー」
「……もしかしてスマホから聞こえている?ここは圏外よね……気のせい気のせい。まさか携帯が繋がる訳無いし……」
「もしもーし。ねえ電話に出てよう」
「そういえばそんな怪談あったっけ?圏外なのに電話が掛かってきて『今貴方の後ろにいるの』とか何とか言っちゃう奴……」
「もしもーし。私、今ねぇ……貴方の目の前にいるの!」
「うわあ!で、出たー! おーばーけー!」
…………
「判りました判りました、もう良いです。私、
「いやちょっ、待って、それは罠よ!」
「追い詰められた女子高生の死に様は、さぞかし記憶に残るでしょう!嗚呼、なんて美しい死。なんて価値のある死」
「そんなこと美しくない!自爆に価値は無い!
私は楽園の巫女、博麗霊夢である!
どうあっても結界は守る!
そして人間を軽々しく死なせるもんか!」
「人間界、最期の夜を」
「幻想郷、最初の夜を」
「遺伝子の奥底にまで刻み込め!」
「悪夢を見飽きるまで刻み込め!」
……………
――――――――――――――
あれからいくつ夜を数えただろうか。
私はいつのまにか、種として育てられる側から、種を育てる側になっていた。
例えば、他者から天才だと見込まれた種だったり、私によって秀才となった種だったり、人々から無視された才能を私が引き出してやった種だったり。
全ては、夢を違えた科学世紀においても、夢を現に変えるために。
最後に私から巣立っていった彼女ならば、この世界の全ての深秘を解き明かせるだろう。
ひょっとすると、彼女こそが、私が目指したあの――
――――――――――――――
遠・科学世紀の少女秘封倶楽部
中央道を東に走る。昔は祝日だろうと平日だろうと渋滞が発生していたらしいが、今は私達が乗っている車以外、何も走っていない。あるとすれば、道路を一定間隔で自動的に舗装している自律型無人機だけで。
何故、使用頻度が低そうな道路を維持し続けるのかは分からないが、これがお偉いさんの意向なのだろう。別に気にしすぎることでもない。こんなことに私の税金が使われているかと思うと釈然としないが。
「ここまで長かったわねぇ。でも後少しか」
ボソリとつぶやきながら、ダッシュボードの上に浮いているウィンドウ画面に数回ふれて位置情報を確認する。諏訪湖の西側にいて、ナビゲーションによるとそこから時計回りで湖の南の方へと向かうようだ。すでに陽は落ちていて、空には星空とまん丸のお月様が地上を照らしている。
「二二時二十六分十四秒!ねぇーもう疲れたぁ。後ろにビールあるでしょ?スポーツドリンクは飽きたわ!ビールぅとってよぉ」
相棒はホルダーからペットボトルを取り出すと、口で器用に開けてガブガブと飲んだ。女の子なんだから、もうちょっと上品に飲めないものかと苦言が出かけたが、言うだけ無駄である。
「あのねぇ……飲酒運転は犯罪よ?」
「こちとら京都から四時間近くも運転してるのよ!少しは労うなり運転代わるなりしてくれたっていいじゃないぃ?」
「親友が犯罪に手を染める瞬間に立ち会いたくないわ」
「べっつに、結界暴きしてる時点で貴方もアウトでしょーに」
「そもそも、私は運転免許なんて持ってないし。そんなのを持ってる貴方の方が珍しいわ」
「大叔母が言ってたのよ。どんな時代になってでも、運転免許だけは取得しときなさいって」
「大叔母?初めて聞いたわよ、そんな人がいるだなんて」
「そりゃ初めて言ったもの」
「詳しく聞かせてよ。貴方が素直にアドバイスに従うだなんて、その人とよっぽど仲がよかったのね」
「まーね。大叔母っていうのは、私の父方のおじいちゃんの従兄弟に当たる人。近所からの評判は"世紀の天才児にして問題児"」
「せ、世紀の……」
「旧東京の中でもトップクラスに有名だった私立高校である東深見高校を成績ぶっちぎりで卒業、同時に京都大学に進学。院では超統一物理学が確立するきっかけとなった理論の基礎研究に関わってたらしいけど、卒業してからは卯東京で塾を開いて中高生を中心に勉強を教えていたそうよ」
「貴方の関係者なんだから、きっとハチャメチャな人なんでしょうね」
「相当だったらしいわよ?なんだかよく分かんない火薬作ってみたりとか、ドローンを沢山作って子どもたちと遊んだりとか、自作の3Dプリンター銃で泥棒を迎撃したりとか。それでも勉強の教え方は滅茶苦茶上手だったから、かなり人気だったそうよ。晩年になったら車いす生活になっちゃったりして、そういう暴れっぷりも収まっちゃったけどね」
「もしかして、貴方も教わったの?」
「勿論。おかげさまで、こうして大学に入って貴方に逢えたんだもの。感謝してもしきれないわ。もし生きてたら、貴方とも意気投合できたかもしれないのにね。非常に残念だわ」
「あー、前に貴方の実家に行った時には、もう?」
「私が大学受かったのを報告した時にこの帽子を譲り受けてさ、その数日後に……ね。三月の頭だったっけ」
「そうだったの……」
「お、例のサービスエリアが見えてきた。あそこで降りるわよ」
新諏訪サービスエリアと書いてある看板の案内に従って、車が本流から外れる。細い一本道の先には、ちょっとした規模の駐車場に、買い物ができそうな建物。まあ、建物はトイレと思しき所以外に電気はついていないし、駐車場にも車ひとつないのだが。
「閑散としてるわねぇ。ここで何するの?」
「ここから高速から一般道にね。その前に、見ときたい物があるのよ」
そういうと、車が乱暴に止まった。文句をいう前に降りるように言われて、ふてくされながらそそくさとその通りにする。舗道に降り立つと、柵によって区切られたその向こうに湖が広がっていた。夜空からの月明かりを反射させて、湖面がキラキラと輝いている。
「綺麗ね」
「そっちもいいけど、問題はあっちよ」
柵から身を乗り出して見ていると、隣で相棒が湖の左側を指差した。そこには、同じく月光を反射している何かがあった。ビル群……ではあるのだが、よく見てみると、ガラスがほぼ全て割れていたり、中には真ん中からへし折れているビルもあったりした。
「酷い有様ね」
「あれでも一時期は"向こう五十年の繁栄が約束された土地"だったんだけどねぇ」
「あそこ通るの?」
「モチのロン。きっと目的地の前に面白いものが見えたりして。あ、その前に、私は少しお花でも積んできますわ」
「私は車の中で待ってる」
建物の方へと小走りで行く相棒の背中に小さく手を振りながら、今夜の倶楽部活動について考えていた。
§
「荒廃しまくりねぇ。旧東京都心とはまた違った感じだけど」
昏い廃街のなかを慎重に徐行しながら、相棒はつぶやいた。
窓の外は、まさに映画とかでよく見かけるゴーストタウンそのもの。道には無人機の残骸やら乗り捨てられた車、建物のガラスというガラスは全て割れており、通りに面した元お店の前にはテーブルや椅子が散乱している。なんというか、これが末法ってやつなのかもしれない。
「都心は神災のせいだけれど、これは急激な衰退が主な原因だからね」
「盛者必衰か?。無情ねぇ」
諏訪。お偉いさんがお金に物を言わせて勝手に再開発を行った場所。何故ここが選ばれたのかは定かではないが、その再開発理由として挙げられているのは唯一つ。後に酉京都再開発に使用された建築精神理論の実地試験という説だ。
文字通り、諏訪は異常な発達を遂げたそうだ。数々のベンチャー企業やら精密機械工場やら大学の研究室やらなんやらが進出し、中央道や中央本線は新しい諏訪へのアクセスを容易にするために大規模な工事も行われた。日本で最も人口密度が高いところ、日本で最も最先端の科学技術が生活に組み込まれたところ、日本で最も成功したところ……云々と持て囃されたらしい。
そんな時代に起こった、東京の大神災。首都機能及び政治機能が完全に麻痺した東京に変わり、急遽仮首都として選ばれたのが――この諏訪だった。
そこからはもう、奇々怪々……いや、狂気だった。異次元の資本が投入され、指数関数的に開発はどんどん進んでいった。何故そこまで発展させるのか、どこを目指しているのか、移り住んできたよそ者がのさばり、膨大に膨れ上がった人口から放たれる欲は底知れぬもので。諏訪は日本一の都市だ、このまま永遠に首都は諏訪にある……。誰もが妄信的に口々に呟いて、足元だけをライトで照らしながら、真っ暗な道を進んでいった。
しかし、その道の終点は、奈落だった。お偉さんは方針を転換、正式な首都は京都とする――そして、諏訪の時代は終わった。新たなフロンティアを目指して人々が流出して、とうとう諏訪には人っ子一人いなくなってしまった。
「でさ、なにか見えた?」
彼女が声を弾ませながら聞いてきた。試しに目頭に力を入れて注視してみるが、あるのは平均的なものばかり。
「あるにはあるけど、気に留めるレベルのものはないわね」
「そっか。でも、例のやつの探索が終わったら、こっちもいろいろ漁るよ?もしかしたら、建物の奥にでかいのがあったりして」
「もしかしたら、ね。それよりまずは第一目的を果たしましょうよ」
「はいはーい」
§
「や、やっとついた~!」
相棒が隣で小さくジャンプしながら、一人はしゃいでいた。
例の場所に行くための道中は、想像を絶するほどのひどい悪路。泥濘んでるのなんてまだ甘い方で、ひどいところは私の腰ぐらいまで地面が隆起している場所もあった。最終的に、車での接近は無理だと判断したので、最低限の荷物を持って目的地に行くことにしたのだ。
幸い、諦めたところからそこまで遠くない場所に、目的地はあった。
「ここがそうなの?」
来た道以外は、一世紀近く人間の手が入ってなさそうな畑と、目の前にある小山。標高はそんなに高くはなさそうだが、暗い空間に黒黒としたシルエットが浮かび上がっているのは、ちょっとしたホラーだ。
「ええもちろん。これを見てよ」
相棒は一枚の写真を取り出すと、私にそれを見せてきた。端末のウィンドウをライト代わりに照らしてそれを見てみる。鳥居の前に誰かが立ってピースサインをしているが、かなり昔の写真なんだろうか、その人達の顔や服装の部分が劣化していてさっぱりわからない。
「ほら、この鳥居が、あれ」
指差した方向を見る。が、鬱蒼と茂っている森ばかりがそこにあるだけだ。
「ほらほら、よく見てみて?」
急かす彼女に押されて、写真と山とを交互に凝視する……と、その山道の入口辺りに違和感を覚えた。もっとよく見てみると、それが草木に飲み込まれかけた鳥居だと認識することができた。
「確かにそれっぽいけど、どこでこんな写真手に入れたの?」
「裏表ルートよ」
「やっぱり、いつものやつね。で、本当にここにあるんでしょうね?伊弉諾物質」
「うん。私が収集した情報によると、この山の頂上付近には昔神社があって、そこには神代から伝わる何かがあるんだって」
「いつも思うけど、よくネットにも乗ってない事をホイホイと掴めるわよねぇ」
「すごいでしょ。それでさ、貴方には見えてるでしょ?境界」
「まあね。目的のものじゃないけど」
「よし、もうひと踏ん張りしましょうね」
相棒が、かぶっている帽子のつばを弾き、その気持ち悪い目で、星空から時刻と現在位置を視て呟いた。
「二十三時四十分六秒。場所は、諏訪大社上社跡地。いい月夜ね」
「こんな夜遅くまで起きてるのも、もう慣れっこだわ。お肌には悪いけど」
「安心して。終わったら廃墟に戻って呑み会よ?」
「何を安心すればいいのよ。健康な身体にダブルパンチじゃない」
「肴は何にしようかねぇ。遠い昔長野で起こった古代大戦とか、もっと安く月面ツアーに行く方法とか」
「はいはい。美しい自然と、ほんのちょっぴりのミステリアスね」
「まさに、私達らしいじゃない?」
さざと、風によって木々が揺れる。
一つため息をついてから、私は口を開いた。
「さあ、"蓮子"。秘し封じられたものを暴くために、秘封倶楽部の活動を始めましょうか」
「ええ、"メリー"。夢を現に変えるのよ!」
どのキャラクターも味が出てるから、原作プレイ時の情動が蘇る
ありがとうございます。かなり長い時間を掛けて執筆できたので、色々な設定を深く考えることが出来たのかな、と思います。
>>3さん
ご感想ありがとうございます。この作品の大前提である「菫子さんと早苗さんが出会う」という前提を通すために、他の作品には見られない設定を多く盛り込んでしまったので、合わないところもあったかもしれません。それでも満足して頂けたのなら、この作品を執筆してよかったと思います。
>>5さん
ありがとうございます。励みになります。
>>6さん
ありがとうございます。途中でダレないように気をつけたつもりでしたが、大丈夫だったようなので安心しました。
>>7さん
初見プレイ時に菫子さんを初めて見た時に感じた衝撃からどんどん想像を膨らませた結果なので、この作品を通じて原作プレイの時の感情を想起して頂けたのは、嬉しい限りです。
>>8さん
菫子さんの心理描写は、もともと書いてあったものを、外來韋編に掲載された香霖堂での菫子さんの描写などを参考にして更に手を加えていったものなので、丁寧に書けていると感じて頂けたのはとても嬉しいです。
……香霖堂で菫子さんが出るって聞いた時は、嬉しい半面早苗さんと漸近していたらどうしようとビクビクしていたのはいい思い出。
頭の中で簡単に想像できるほど文章が分かりやすく、また菫子も早苗も原作のような喋り方だったり、もうとにかく面白かったです!
もしまた作品を作るのなら是非読んでみたいです。こんな素晴らしい話に出会えて幸せ...