Coolier - 新生・東方創想話

七色の夢、八番目の色

2015/10/08 16:15:45
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 世界には愛が溢れている。まるで、溺死するほどに。



 ――◇――

 原初の記憶が蘇る。
 それは、今まで何度か、見たことのある記憶だった。
 柔らかな水銀の髪に、紅玉の瞳がこちらを覗いている。私が笑みを浮かべると、彼女も優しい笑みを浮かべた。豪華な天蓋付きのベッドで二人きり、それが私の世界だった。

 
 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 その館には広い庭があった。
 綺麗な月と星の飾られた夜。私は姉と共にその庭で遊んだ。
 誰か他にもいた気がする。記憶が曖昧になっていて分からない。

 どうして?

 姉は笑っていた。私も笑っていた。それだけだ。
 何をして遊んでいた?
 私は姉に花飾りを作った気がする。それを姉の頭に被せると、姉は恥ずかしそうな顔になって、けれどちょっと嬉しげで、その花飾りを私達を見ていたその誰かに見せに行っていた。

 思い出した。

 それは私達の母親だった。 
 美しくて、どこか危うさを秘めるけれど、それでもそれを覆い隠す穏やかさを持つ、貴族の御令嬢。
 そんな彼女を形容するであろう言葉はすぐさま頭に浮かんだけれど、肝心の顔は思い浮かんではこなかった。映し出されている情景の女性の顔には黒い靄が掛かっていた。
 それはきっと私が忘れてしまったからだ。
 覚えているのは、姉だけだ。
 それ以外は、私にとって必要なかったという事なのだろう。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 世界は染まっている。赤い赤い。炎。破壊の炎。そして血。熱い。体中が熱い。
 これは何?何時?
 浮かぶ光景は赤い。赤い。匂い。血、肉、煙。

 何の記憶だ。何だこれは。何だ何だ何だ。

 見たことのある顔。見たことのない顔。混ぜこぜになっている。溶け合っているようでそうではない。歪で異物な光景だ。こんなもの、見ていたら魂は穢れ、砕けてしまう。まさしく地獄絵図だ。血みどろの灼熱。
 体が熱い。熱い熱い熱い。熱い液体が全身を滴っている。服にも被っていて、邪魔臭い。鬱陶しい。血と炎と、体の奥から湧き出すマグマのような感情が、思考を滅茶苦茶にして掻き混ぜている。
 分かる。理解する。

 これは〝怒り〟だ。

 何に対して?
 この情景を創りだした者に対してだろう。
 暴走する激しい怒りが、私の中で噴き出している。声を上げそうになるほどの苦痛だ。全身を駆け巡るその衝動は、痛みとなって私に訴えかけている。
 私はその感情の吐き出し方を知っている。
 私はその衝動の消し去り方を知っている。

 手をかざして、生み出して、握ればいい。

 それは機能。生まれ持った力。息をするようにそうすれば、この苦痛から開放される。
 だが、これは誰に向ければいい?
 この情景を創りだした輩はどこにいる?
 考えるのも嫌になる。
 この抑えきれない激情を、今すぐにも取り除きたい。
 だから私は手を向ける。力を、怒りを、衝動を凝縮して、手に顕すのだ。

 けれどそこで、叫び声が聞こえた。

 それはまるで咆哮。この世の者とは思えない怪物の叫び。それは憤怒と、憎悪と、悲哀と、遍く負の感情を激しく周囲に訴えかける。大気と大地は震え、ガラスが割れ、館が軋んでもなおその声は響く。

 私には分かった。

 それは姉の声だった。
 身に渦巻く怒りが鎮まっていく。張り詰めていた私の意識が、急激に緩む。
 全てを嘆く姉の声を聞いて、燃え盛る炎の中で、そして私は深い深い眠りについてしまったのだ。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 眠りから目覚めると、そこには知らない天井があった。
 前のようなベッドの天蓋でも、館のような華やかな装飾もない。みすぼらしい木製の組み木天井。隣で椅子に座り、まるで老婆のように暖炉の火に当たっていたのは、なんと姉であった。

 私の起床に気付き、姉は起こしてしまったかと困ったように笑った。

 眠りについてからどれほどの時間が過ぎたかは、私は体感できなかったが、その姉の疲れきった笑顔を見れば、相応の時間が過ぎたことは見て取れた。

 何が起きたのと聞けば、気にするなとはぐらかされた。

 どうなったの聞けば、こうなったのだと戯けられた。

 ごめんなさいと謝ると、姉はまた困ったように笑って何故謝ると聞き返した。

 幼いなりに、私は理解した。私達は本当に世界で二人きりになってしまったのだと。
 でも、それでもその時の私は、なんとも非道なことに、それに嬉しさを感じてしまった。
 だから私は狂っているのだと思う。
 だから私は壊れているのだと思う。
 
 だから私は姉が好きなんだと思う。

 こんな外れている私を、あの炎の中から助けだしてくれた姉を。
 どんなに落ちぶれようと、私を守るべく身を粉にしてくれた姉を。
 そしていつまでも変わらずに、私を傍で見ている姉を。

 私は大切に思う。これからもずっと、私の姉はあの人だけだ。



 ――◇――



 別の記憶を回顧する。 
 時間は飛ぶ。場面も変わる。気持ちも変わる。

 ある日、姉は私の前に一人の女を連れて帰ってきた。

 血で染めたような紅色を優美に伸ばした長髪に、三つ編みと鈴。対して瞳は空のように青く、笑みは柔和で、ゆったりとした服を着た、この国では見たことのない顔つきの女。
 姉は館のハウスキーパーとして女を連れてきたのだという。
 しばらく使用人のいなかったこの館は荒れ放題だった。姉も私も、掃除や家事をすることはなかった。せっかくのシャンデリアや調度品も、埃と蜘蛛の巣をかぶりその価値を暴落させる始末。我々にとって使用人の存在は不可欠だった。
 
 女は"美鈴"と名乗った。

 漢字というものに初めて触れた私は、まだその言葉を上手く発音できなかったことを思い出す。恥ずかしく、また姉と親しげに話すその女に対して、私は一方的な嫉妬を抱き、美鈴と上手くコミュニケーションを取れなかった。

 それは、いわゆる人見知りという状態だったのだろう。

 今思い出しても、少し不思議だ。それまで何人もの他人とは接してきた。人見知りなんて言葉も知らないかのように、私は振る舞えた。なのに彼女の前では、その経験もまるでなくなってしまった。本当に、不思議だ。
 心がむず痒くなる。もう遠い過去のことなのに、恥ずかしい。
 私の世界には入ってきた、私達の世界に入ってきた、初めての怪異。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 彼女は笑っていた。ずっとずっと笑っていた。むしろ、笑ってないことの方が少なかった。
 掃除をする時も、料理をする時も、ベッドの横で本を読むときも、姉と話している時も、私と話している時も。
 どうして笑い続けられるのと聞くと、いつも笑っているわけではありませんよと答えられた。でも、私が見ている限りでは笑顔でいるのが彼女だった。
 
 まるで、そういう仮面を着けているようで、怖かった。

 何も悟らせない。何も読み取れない。不可解で不透明な笑み。
 それを相談すると、姉はお腹を抱えて大笑いした。
 
「かわいい奴め」

 そう言われて、頭を撫でられる。恥ずかしかった。この頃は恥ずかしいことばかりだ。
 
「分からない事が怖いというのは正しい――しかし」

 姉の指先が、胸を、心臓を捉える。
  
「我々は、"分からせない"のが本質だ」

 心臓が跳ねる。
 姉の言葉が、重々しい油のように、けれど水のようにするりと、耳から頭にじっくりと染み込んでくる。
 それに反応して、背筋が冷えた。

「それは、我々同士であっても例外はない」

 笑みだ。
 それは"分からせない"笑みだった。
 暗闇で――底もなく――引き込まれ――沈む。
 私は痺れ、息を呑み、それを止めてしまう。
 けれどもすぐに彼女はその笑みに光を差し込んだ。ゆるりとした、柔らかい微笑みに変えて。

「まぁ、アレにそんな腹積りもないだろうけど。分からないんじゃなくて、何も考えてないのよ。きっと素直に、楽しいんじゃない?」

 そうなのだろうか。
 姉の笑みと比べれば、確かに美鈴の笑みは明るい物だった。
 本質とはまた違う意味を含んだ笑みのような気がした。
 
 隣で微笑みながら横たわる姉の笑みと、美鈴の笑みが重なって見える。

 そう感じた時、私の美鈴に対する理解は始まった。

 
 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 美鈴はメイドの職務を卒なくこなしていた。
 館は広く、一人で掃除するには相応の苦労もあるだろうに、美鈴はそれらの管理にスケジュールを組み、適切な時間配分でこなしている。彼女の高い家事能力もそれを可能にしている一因だったろう。
 料理の腕に関しても申し分はなかった。昔はその腕を使って人間社会に溶け込んでいたらしい。かなり高い位に就いていたとも言っていたが、本当かどうか。
 バリエーションも豊富で、彼女は私達の好みに関しての追求に関して余念がなかった。 
 また、彼女には私達の"遊び相手"にもなってもらっていた。
 本の読み聞かせからチェスの対戦、果ては姉の仕事まで、彼女は笑って付き従う。
 
 姉と美鈴の試合を観戦していた時のことを思い出す。

 姉は吸血鬼としての膂力や能力、強大な魔力を活かした戦法を、美鈴は妖力を応用した東の大陸武術を使う。妖怪としての耐久もあって、見応えは十分。
 何より驚いたのは、美鈴の放つ"虹色の光"だったろう。
 これも、美鈴を連れてきた理由の一つであると姉は言った。
 
 私の羽に吊り下がる、結晶の色と同じ光を駆使して、美鈴は舞う。

 不思議な気持ちだった。
 まるでごちゃごちゃしていた絵に、よく見える一本の線が引かれて、それによって視野が広がるような、そんな感覚。
 美鈴と私の間に、確かな一本線が結ばれたのだ。
 
 最初は一本。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 美鈴は、単なる侍従として私の中に記憶されているわけではない。
 彼女には迷惑を多くかけたし、そのおかげで私も変化した。
 
 良い変化だ。

 美鈴を通して、私は世界を知った。
 姉の仕事にも参加して、世界への理解を深めた。
 これも、美鈴が取り持ってくれたのだ。
 
 私は閉ざされた扉を開き、広い世界に立つことになる。
 
 もう、館の中で静かに眠るお人形ではなくなった。
 その変革は、美鈴が切っ掛けとなっていた。
 
 彼女が持つ私の鍵は、きっと虹で出来ているに違いない。



 ―――◇―――



 別の記憶に飛躍する。
 時間は飛ぶ。場面も飛ぶ。気持ちはあまり変わらなかった。

 しばらくすると再び別の女が館にやってきた。 

 名をパチュリー・ノーレッジ。職業魔女だそう。
 私はすぐさま彼女に魔法の教えを請うた。
 一時期、私は私自身の能力について研究していたことがある。
 能力のスペックは、すでに大方は把握している。伊達に400年もこの能力と共に過ごしてきたわけではない。それなりの恩恵と、またそれなりの代償があった。
 
 問題なのは、この能力――物の最も緊張している点(私はこれを"目"と呼んでいる)を右手に召喚し、握り潰して対象を破壊させる能力――が、私の不安定な感情によって大きくその出力を変えること。

 私の精神は不安定だ。
 それを許容しているし、治そうとしたことは何度もあったが、不安定故にすぐにそれを放り出し、挙句に忘れてしまうということが何度もあった。

 元々親の顔も忘れてしまうほどの私の脳は、油断すれば自制という概念すら忘れてしまう。

 けれどそんな私を傍に置き、声を掛けてくれる姉と美鈴だけは忘れなかった。
 そんな彼女たちの負担を少しでも減らそうと思い、私は能力の解明と制御に注力していたのだ。
 魔導書、神話、伝説などなど、近代化に明け暮れるこの時代に忘れ去られた多くの文献を読み漁った。そのために多くの秘密結社や研究機関の資料にも目を通した。魔力を紐解き、魔法側からのアプローチもした。結局解明はできなかったが。

 そしてある日やってきたのが、曰くつきの魔女である。

 本の虫姫。同族殺しの識者。書架の森の魔女――動かない大図書館。魔法学術のプロフェッショナル。
 私はまるで同じ思想を持つ同族に出会った気分だった。
 
 嬉しさと共に始まった、私の中での、パチュリー・ノーレッジとの記憶。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 しかし、完全無欠な研究者に見えたパチュリー・ノーレッジにも弱点はあった。

 一つ、魔法以外の知識が、それほど多くの実践を踏まえていないこと。
 二つ、彼女は相当のお喋り好き、教えたがりのようで、理論、引用、歴史に至るまでの知識が広いことも災いして、話が非常に長くなりすぎること。
 そして彼女の膨大な知識量を持ってしても私の能力の解明にはいたらなかったことだ。

 どういう因果で私の身にこの能力が備わったのか。結局私は解明できずにいた。

 不満は貯まる。貯まれば苛立つ。悪い傾向だ。
 私はそういったストレスやフラストレーションは、極力即時解消することにしている。
 今回私は美鈴に愚痴を零していた。
 美鈴は優しいので、どんな話でも嫌な顔をせず、また的確な合間と言葉で相槌を打ってくるので、ついつい喋りすぎてしまうことも多かった。
  
「妹様の能力は、よほど世界の深淵に根差した物なのかもしれませんねぇ」

 美鈴が言った。これまでの私の研究を知る美鈴だからこその言葉だ。
 迷惑だなぁと呟くと、美鈴は笑った。

「誰かの愛による物なのか、それとも憎しみか……いずれにせよ、妹様の能力を解明するのは、まだ早かったということでしょう」

 それは困る。私はこの能力を解明し、制御か、あるいは取り除きたいとすら思っているのに。
 美鈴は笑うばかりだ。優しい笑み。

「取り除くには勿体無いですけどね。では、ひとまずその疑問は取り置き、急ぎ新たな疑問を見つけてはいかがですか?」

 新たな疑問?

「そう。例えば、その能力を使う場面です。妹様はその能力をいつ使いますか?」

 能力の行使に制約を設ける。私はすぐに察しを着けた。
 ズバリ"使いたい時に使う"。

「ええ、その通りです。それでこそ我らがフランドール・スカーレット様。あの唯我独尊、レミリア・スカーレット様の妹君にあらせられます」

 褒めてるの、それ。

「ではその使いたい時とは? 妹様が破壊を望む時、それは如何なる時なのでしょうか?」

 それは……少しだけ迷った。
 初めてこの能力を自覚した時に抱いていた感情は、怒りだった。
 どうしようもない怒りが、魂の奮激状態を作り出す。するとそれに応じて魔力が、まるで間欠泉のように無限に湧き出してくるのだ。トリガーはまず間違いなく怒りの感情だった。
 この状態で、能力を使ったことは一度もない。
 過去、使う手前で止めて以来、本気で怒ったことはない。
 普段の能力の仕様ならば、物質の破壊程度で済む。
 ただしこれはきっとセーフティだ。それが外れて使えば、どうなるかは分からない。私の感情が昂ぶっている時、そのセーフティは外れているかもしれない。そしたらきっと、この能力は際限のない破壊を齎すだろう。
 
 それを排除して、使いたい時とはいつなのか。

 私の悩んでいる顔を見て、美鈴は苦笑した。

「理由はその都度変わるでしょう。大切なことは、その選択によって後悔をしないこと。後悔をしない選択をすることです」

 後悔をしない選択。
 これまた難しい。
 何故なら後悔の理由も変わるかもしれないからだ。
 
 永遠に不変な物などありはしない。

 確かにこれを考えるなら、能力の根源など考えている暇もないかもしれない。
 私は今以上の難題を提示してきた美鈴を睨んだ。なんという課題を出してくれたのだ。美鈴は苦笑交じりで肩を竦ませるだけ。その笑みですら、私の感情を解いてくる。まったくズルい。ズルいけど、しょうがないから、騙されてあげよう。
 

 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 しかしそれで私の不安が解消されたわけではない。
 
 私は能力に対して恐怖を抱いている。
 私の能力は《破壊》。
 感情が高ぶれば高ぶるほど――魂が燃えるほど――魔力を使って破壊を生む。
 根源を知り、除去することは出来なかった。
 選択を絞るには、この世は可能性に満ちすぎていた。

 けれど私自身が精神的に安定させさえしていれば、能力のリミッターを作り出し、制御することができる。
 
 結局初心に帰ることになってしまったが、まぁよくあることだろう。
 自己精神の安定をいかにして獲得するか、私は最終的にその研究に着手した。
 図書館の本の山から、精神に関する学術書を読み漁り、その方面でのアプローチに注力する。
 人間が記した物、人外が記した物、どちらも構わず読んだ。
 パチェには、私の精神分析を担当してもらった。彼女は日々変わる私の言動や心情には手を焼くとぼやいていたが、それでも長く私を観察し、報告してくれた。やはり自身で感じるよりも、私の心は大きく不安定であった。
 
 そして私は、その方法へと辿り着く。研究を初めて、およそ二年後のことだ。

 怒りや発狂は、様々な要因によって突発的に発生し、容易に自制心を喪失させてしまう。
 ならば、その自制心をいついかなる時も維持できるようにすればいい。
 ただし感情を抑制し続けるような状態は望ましくなかった。小さなストレスやフラストレーションは抑制するのではなく出来るだけ発散したい。それ以上の、発散が不可能なほどの爆発が起きた時、強制的に抑圧できるようなシステムを私は望んでいた。

 矛盾しているようだが、要は"切り替え"による安全装置を作るということ。

 単純にそれを心懸けることで実現できる者もいるかもしれないが、私にはそれを実行できなかった前科がある。だから、より確実な手法を取らざるを得ないかった。
 
 私はまず、魂を分割した。

 「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しさ」「愛しみ」「憎しみ」「恐れ」という根源的な感情を基に魂をバラバラにして分身体に移し、その状態で更に部分抽出し、それらを集めて8つ目の魂を創りだして分身体に導入する。
 感情を分割したのは、魂が持つ感情への限界値を平均し、より均一な状態の魂を作り出すためだ。それは感情の昂ぶりを持たない、極めて平坦な人格を持つ魂になる。
 その魂には分身体を介し、暗示と呪術を使って規範と規則を刷り込ませる。能力を使う時に、あらゆる状況を加味した上で後悔のない選択をするために。そして能力を行使する選択を、彼女に託すのだ。
 術後は長期間の睡眠によって分けた7つの魂の再融合を促す。
 この時魔術によって体内の魔力濃度の上昇に応じて、新しい魂が表層意識を支配するための精神術式も仕込んでおく。
 
 これが私が導いた精神安定の結論――魂を利用した新しい制御人格と機構の創造である。
 
 はっきり言ってこれは馬鹿馬鹿しい方法だと、私自身も思う。
 だからこれは、誰にも話していない。パチェも知らない。
 誰かが試したことなど、ましてや実証実験もしていない。成功するかどうかも分からないし、魂が融合するかも分からない。もしかしたらバラバラのままかもしれない。推察推論に塗れ、確証など何処にもなかった。
 少なくとも無事では済まないということだけを、なんとなく考えていた。
 
 けれど私は、迷わずこれを実行した。

 破滅願望はなかったといえば嘘になる。
 でも他にすることもなかった。
 四〇〇年近く生きた私にとっては、私自身がどうなろうと、それに躊躇いはない。
 元々壊れているような私が、いまさら壊れることの何を恐れるというのか。 
 それに、それは初めて私が一から思いついて、考えて、行動した結果だった。
 何か偉業を成しているかのような錯覚に陥っていたのかもしれない。

「馬鹿だなぁ、"私"」

 この選択によって、姉たちにどんな迷惑がかかるか、全然考えてない。完全に矛盾しているじゃない。
 加えてこの手術に関する記憶を"この私"以外に忘れさる魔法を使ったらしい。こういう辺りは徹底している。
 まぁ、飽き性にも関わらず最後まで実行したことには、賞賛と拍手を送っておこうと思う。
 これぞまさしく、自"我"自讃。なんちゃって。
 

 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 手術を終えて、眠りに入る直前。私はパチェに最後の検診と称して面会した。美鈴の焼いたクッキーと紅茶に、下らない世間話という、細やかなお茶会だ。本に囲まれた地下で、ひっそりと。
 いくつか世間話に混じえて、魔女は意地悪な質問を挟んでくる。これで私の精神を刺激しているのだ。その反応を彼女は収集し、分析し、記録する。
 
 経過は良好だった。

 というより、術前と全く変わっていなかったらしい。
 魂はまだ融合していない。というのに変わっていないということは、精神と魂の関係性は元々存在していなかったのか。それとも私が最初から壊れていたのか。
 どちらにせよ、制御人格が目覚めるまで、私は眠りに就かねばならない。
 実験が成功したかどうかは、その後で確かめるしかない。

 私は魔女に、少しだけお願いをすることにした。

 ほんの些細な、気にするべくもない、いくつかの他愛のない約束を。

 パチェは渋々ながらもそれを了承してくれた。
 これで心配することはもうない。
 後はもう、次に目を覚ました時に私が私であることを祈るだけだ。



 ――◇――



 手術は失敗した。私は結果だけを知り、これに関する記憶を持っていない。



 ――◇――



 新しい記憶を引き出す。
 時間が飛ぶ。場面が飛ぶ。何を考えていたのか思い出せなくなる。
 
 そこは、館の応接間だった。

 隣には姉と、パチェと小悪魔がいた。姉は家長用の椅子に、パチェは私と同じソファで、私を挟むようにして陣取っている。小悪魔はパチェの後ろに控えていた。
私は辺りを見回したが、あの赤い髪は見つからなかった。
 部屋と廊下を結ぶ木製の扉、その扉を見つめていると、控えめなノックが響く。
 間を置いて静かに入室してきたのは、白髪のメイド服を着た少女だった。
 話では何度か聞いていた、新しくやってきた少女。
 
 十六夜咲夜。

 実際に見るのは初めてだった。
 白い髪に、澄んだ水を湛える瞳が印象的。
 次いで美鈴が入室する。同じく侍従服に身を包んでおり、人数分のお茶と菓子を置いて、二人は私の対面に座った。髪色と身長以外に目立った違いはなく、赤と白が並んで縁起が良かった。
 
 これが、私が初めて記憶した人間との、ファーストコンタクト。
 
 少なくとも、私の記憶内では……であるが。
 

 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 私は人間というものを見たことがない。

 というのは些か過言であるが、どうにも見たという実感は薄い。
 何せ人間というのは似たり寄ったりの姿に言動で、加えて突けば簡単に弾ける脆い存在なのである。そのくせ数は夥しく、まるで羽虫のよう。
 そもそも私という存在に関わること自体が少ない輩である。
 一々顔も覚えるのも煩わしい。
 しかし知識としては勿論知っている。食べもする。
 
 私にとって人間とはその程度の存在である。

 だから咲夜もその程度の物になる――ということはなかった。
 咲夜には他の人間とは明らかに違う部分があったからだ。

 そう。《時を操る能力》だ。

 世界を動かす力を手にした人間。もう"その程度"では済まされない。
 けれどだからこそ私は、咲夜にシンパシーを感じていた。
 その身に余る力を宿した人間が、どういう風に考え、どういう風に生きるのか。 
 咲夜と会ってからの私は、極力起きているようにし、姉と過ごすことで姉の側付きである彼女を観察するようになった。

 そして同時に、彼女の能力研究に助力したというパチェにも積極的に話した。

「私が解明出来たのはスペックだけで、ルーツはその限りじゃないわ」

 開口一番、毒を含む声でそう告げて、まぁ、それでも大変興味深い物だったけどね。と魔女は付け足した。毒づいたのは私の研究の件が絡んでいるのだろう。
 もちろん私も力を持つ者として"時を操る能力"には大変興味があるが、それよりも重要なのは彼女の精神面である。
 ちゃっかりしている彼女のことだから、私の時の経験を踏まえてメンタルチェックにおいても欠かしていないと考えて突いてみると、やはり彼女はそのレポートを作成していた。

「変な所で頭が回るんだから」

 魔女は呆れ気味。それが私なのよ、と返しておく。
 レポートを読みながら、談笑を楽しむ。

「どう? 参考になりそう?」

 難しいところだった。
 咲夜は自身の能力と向き合い、それを活かすことに注力していた。
 目を背けて、置き去りにした私とは真逆。

 そこにあるのは使命感。忠誠心。姉への、まるで信仰のような強固な意志。

 それを植えつけたのは教えられるまでもなく彼女なのだろうと察した。
 行使する場面の厳選。後悔のしない選択。彼女の言葉を思い出す。 
 彼女は成功例だ。私は失敗作。
 というより、私は最初から崩れていたのだから、どうしようもない。
 嫉妬する気もない。
 
 むしろ拍手喝采で褒め称えたいほどだ。

 おめでとう。その力で、これからもお姉様をよろしく。
 あれほどの力があれば余程のことが無い限り安心じゃないか。

「どうやら難しそうね。その顔を見る限り」

 彼女は私とは違うのよ。彼女はどこまで行っても人間で、私は怪物よ。人間の心は、怪物には難解すぎる。

「貴女の心が複雑なだけじゃない?」

 魔女の言葉は、耳が痛くなる。

「あんまり思いつめちゃダメよ。気楽にするぐらいが、貴女の場合は丁度いい気がするわ。貴女は、何かと考えすぎる癖があるから」

 本当に、よく突き刺さる言葉を吐く。

  
 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 咲夜の能力は、時空を操る。
 時を止めたり、速めたり、空間を広げたり、縮めたり。
 
 実際に見るとその能力の凄さに驚嘆したものだ。
 
 何せ発動にほとんど予兆がないのだ。あると言っても魔力のざわめきを多少は感じる程度、集中しなければそれも知覚は不可能だろう。
 それはあらゆる面でアドバンテージになる。
 また広く応用も効く。

 対して私の能力は応用が効かない。

 破壊――その一点にのみ突き出る私の能力は、それ以外に使えない。
 目を召喚するのも右手の予備動作が必要で、対象を視野に捉えなければならない。一点特化過ぎてむしろハンデの方が多いくらいだ。
 使えるとしたら、戦う時か、脅す時か。
 全く物騒極まりない。
 
 咲夜にはそうなって欲しくない。

 私は咲夜に囁く。
 決して、私のようになってはいけないよ。
 彼女は笑って返す。
 成りたくても成れません。何故なら妹様は妹様だからです。

 分かっているのか分かっていないのか。
 はぐらかすような笑みは、美鈴に似ていた。
 全く、上手く育てたものだ。


 ――飽和/霧散/暗転/浮上――


 十六夜咲夜。
 お姉様の側付き。完璧な忠犬。時を統べる少女。
 
 どんな言葉を並べても、どれだけ時が経とうとも、私が彼女と並び立つことはないだろう。

 それでいい。
 彼女が姉を守ってくれるなら、私からすらも守ってくれるなら、こんなに安心できることはない。
 吸血鬼に見初められた哀れな人間。
 その道はきっと茨の道だ。
 けれど貴女の後ろには、頼もしい人たちがいる。
 
 頑張れ。

 私が言えるのは、これくらいだ。
 そしてもし、彼女が道を違えるようなことがあれば――その時は、私が壊してあげよう。



 ――◇――



 回想終わり。起きる時間だ。またね。おやすみなさい。



 ――◇――



 目が覚める。
 ぐるぐると頭が回り出す。
 何か夢を見ていた気がするが、どんな内容だったか思い出せない。
 ぐぃっと腕と背中の筋を上に伸ばして、眠気を引き絞る。

「ん~。よく寝た」
「おはようございます妹様」

 近くに咲夜が控えている。薄闇の中、蝋燭に照らされた彼女の銀髪は綺麗だ。撫でたくなる。撫でないけど。

「おはよう咲夜。何時間ぶり?」
「館の廊下で別れてから、十五時間と三十二分振りですね」
「ならきっかり十二時間の睡眠か……我ながら良い体内時計を持っているわ」
「さすがです」

 よく出来たメイドは紅茶と朝食を乗せたワゴンを持ち込んでいる。その香りが鼻孔をくすぐり、私の胃が食欲を生み出していく。小腹が空いていた。
 
「お姉様はまだ寝てる?」
「ええ。今夜は日付が変わるまで起こすなと」
「ふぅん。何かあるのかしら?」
「なんでも睡眠が美容にいいという記事を見て、睡眠を多く摂りたいとのことです」
「プー! 美容? 成長じゃなくて?」
「あるいは、その狙いもあるやもしれません。最近あのお身体にご不満があるようでしたので」
「あっそ。美鈴は? いつの間にかベッドから居なくなってたわ」
「早朝から業務に」
「じゃあ全然寝てないんじゃない?」
「昼食後にシエスタを」
「健康的ね。お姉様に見習わせたほうがいいわ」

 私はブランケットを畳んでベッドから出る。姉はベッドに棺を置いて寝ているが、私はベッドと棺を分けていた。使い道は分ける方がいい。役割分担はしっかりしないとね。

「今日のご飯は?」
「昨日が昨日でしたので、軽くサンドイッチでも」
「いいわね。紅茶はアイス、血はいらない。レモンを絞って」
「畏まりました」

 咲夜は次の瞬間には氷を持っていた。
 私はサンドイッチを食みながら、さきほど見ていたであろう夢に思いを馳せる。
 どんな夢だったのか。とても興味を唆られるが、うぅむ思い出せない。何か強固な意志が働いていて、それを覗かせないようにしているかのようだ。
 一つ目のサンドイッチをぱくりと食べ終えて、私は手についたケチャップを舐めとった。
 美味しい。
 
「ふん。体に飽きたのなら変えればいいじゃない」

 私は体を変える。歳は二十歳ほど、美鈴より身長は低いが、胸とお尻を大きくして、グラマラス。

「まぁお美しい。お召し物は如何されます?」
「自分で用意するわ」

 蝙蝠を集めて、真紅のドレスを。手袋とヒール。まるでどこかの御令嬢だ。

「ふむ」

 私達が映ることのできる姿見には、おおよそフランドール・スカーレットとは思えないような金髪の美女が立っている。血で口紅をしてみる。ちょっと変かも。

「美鈴を呼んで。今日はこれで遊ぶわ」

 蝙蝠をまた集めて、装いを変える。ジーンズ生地のズボンに、フィットするタンクトップ。どこかの雑誌で見たような、軍隊の衣服を参考にして。

「畏まりました。場所はどうしますか?」
「庭がいいわ。今日はきっと、雲ひとつ無い綺麗な夜だから」

 それが終わったらお茶にしましょう。
 温かいお茶には、いい匂いの血を垂らして。

 私は覗いていた姿見に右の拳を叩き込む。バキリといい音がする。全体に亀裂が浸透する。それくらいの力加減。ヒビの具合で、私が七人に見える。綺麗だわ。

 それから、置かれたサンドイッチを齧って、それをぞんざいに投げて、皿に戻した。もういらない。

「さぁ、素敵な一日の始まりね」

 私の七色の羽の結晶が、私の言葉に頷くように、しゃらりと小気味よい音を鳴らした。
ここまでお読みいただき有難うございます。

こういう形のフランちゃんの造形はこれまでにも多くありましたが、それらについて、私なりの考えを原作の要素とすり合わせる形で提示させていただきました。フランのキャラクターはとても難しかったですが、皆さまにお楽しみいただければ幸いです。

原作の設定や性格を重んじていますが、時系列や把握ミス、誤字脱字などの抜けがあるかもしれません。発見された際には、ご指摘のほどをお願いいたします。
泥船ウサギ
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コメント



0.150簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
すっげえ見覚えのある紅魔館感だと思ったらグリモワールオブパチュリーの作者さんでしたか…。
またも良いものを読ませてもらいました。
3.100奇声を発する程度の能力削除
とても良い素晴らしいお話でした
4.60名前が無い程度の能力削除
泥船氏の世界観は結構好みなんですが、今回フランが自分の来歴を語るだけで終わってしまって特にドラマも盛り上がりも無く終了してしまったので感想が上手く出ないな、と
これが日常系なら話は変わって来るんでしょうが、あえて辛辣な言い方をさせてもらうと、
「フランの設定を語っただけで終わった」
と言う風に見えてしまいました
パチ
5.無評価名前が無い程度の能力削除
失礼、文章が途切れてしまいました

パチュリーの話なんかは日記作成が魔理沙への報復を兼ねていたので物語として成立してましたが…
これまでは過去を掘り下げていく作風だったので、今度は騒動なり事件なりが見てみたいです
6.70名無しの権米削除
美鈴の登場シーン

笑わないでいないことの方が少なかった、

だと笑ってないことになりませんか
7.100名前が無い程度の能力削除
「はぐらかすような笑みは、美鈴に似ていた」って一節は素敵ですね。
面白かったです。