あぁ、お腹が空いた。
お偉いさんの命令で地上の調査に来て気が付いて、地上の人間や元同僚と戦って決心した。
月は楽園などではなくて決まりごとに縛られた地獄だ。私は月を捨て地上の楽園で自由気ままに生きていくのだ、と。
身を潜め調査を進めるうちにどこか惹かれたのかもしれない。自由に生きる人間達や妖怪達、妖精達や土着の神様達に。
そして私は思った。何故こんなにも厳しい規則やルールに縛られ、命懸けの潜入捜査などに参加しているのだろうか。
穢れの無い月での生活が至高。とお偉いさんは言っていたけれど、穢れに満ちた地上で生きる者は皆笑顔だった。
月の仲間や良くしてくれた上官に会えなくなるのは少しだけ寂しいけれど、一緒に地上に残る事を選んでくれた清蘭も旧友の鈴仙もいる。輝夜様や八意様もいらっしゃる。何か困った事があれば助けてくれるかもしれない。
あぁ、お腹が減った。
地上で暮らし始めて数ヶ月。月から持ち込んだ団子は底を尽き、同志である清蘭とは逸れてしまったし、鈴仙を訪ねて永遠亭に出向いてはみたけれど竹林で迷子になり辿り着けなかった。
正直、自由な生活がこれ程過酷なものとは思ってもみなかった。
腕には多少の自信が有るのでそこらの妖怪に襲われても返り討ちには出来ると思うけれど、派手に暴れれば強力な妖怪に目を付けられるかもしれないので、こそこそと逃げ回っている。
問題は食料なのだ。
厄介なことに地上では食料は支給される物ではなく、購入するのが決まりらしい。郷に入れば郷に従えと先人達の言葉にあるようにしたいのだけれど、残念ながら地上で流通している貨幣は持っていない。強奪なんてすれば人間にも目を付けられてしまう。月兎という事で最悪の場合、輝夜様や八意様、鈴仙にも迷惑をかけてしまう可能性だってある。
あぁ、お腹がぺこり。
自由とは恐ろしい。私はこのまま空腹で力尽きてしまうのだろうか? 志半ばで先に逝く私を許してくれ、清蘭。
そんな事を考えながら私は歩く。秋風が吹き、耳をそっと揺らす。涼しい風だと私は思った。あぁ、地上の風は林檎の香りがするのか。
ん? 林檎の香り? 近くに林檎畑があるのだろうか。私は犬の様に鼻をぴくぴくさせながら香りを辿る。
五分程歩くと一面に広がる林檎畑が私を出迎えてくれた。ちょうど収穫の時期なのだろうか、真っ赤な林檎が星の数程ぶら下がっていた。
嗅覚を刺激する誘惑的な甘い香り。成る程、禁断の果実と呼ばれる由縁がよくわかる。
きっとこの林檎を盗み食いする事は罪。農家の人間が丹精込めて育てたのだろう。晴れの日も雨の日も大切に見守られ、収穫され、八百屋に卸す事で農家の人間に金銭が入るのだ。
……そんな事知るか。私の中の悪魔が私の中の天使を右ストレートで打ち負かし、耳元で囁いた。
一個だけ。そう一個だけだ。私はそう言い聞かせ林檎畑に足を踏み入れた。この一歩は小さな一歩かもしれないが、私の飢えを凌ぐ大いなる一歩だ。
「ふぎゃ」
その一歩は私を地獄へ突き落とす一歩だった。地面を踏んだ瞬間に右足が思い切り吊り上げられ、私は宙吊りになる。言い直そう、地獄へ吊り上げられる一歩だったのだ。
「罠ぁぁぁ」
あっという間に武器を手にした人間達が群がり私に詰め寄ってきた。
人間相手に負ける事は無いと思うけれど余りの空腹で力が出ない。この間の巫女や魔法使いの様に腕の立つ人間がいたら間違いなく返り討ちにされてしまうだろう。ここは大人しく捕まって隙を見て逃げ出してやる。
「ようやく捕まえたぞ!」と随分とご立腹な様子だった。
「ちょっと待ってよ。林檎を取ろうとしたのは今回が初めてだよ」と、抗議の声を上げるも嘘を吐くなと一蹴された。
「まさか妖怪の仕業だったとは……。早く博麗の巫女様を呼んできてくれ」と一人の男が叫ぶ。
巫女は不味いな。今ならどうあがいても勝てない。
ここで逃げ出したら確実に追われる。巫女が来たらどうにか私の無実を証明して逃げよう。
生き残る算段を立てていると聞き覚えのある声が響いた。
「どうしたんだ」
「おぉ、霧雨の娘さん」
「その呼び方は止めてくれ。私は妖怪退治の専門家、普通の魔法使い霧雨魔理沙だ」
「いやぁ、丁度良い所に来てくれた。うちの林檎畑で盗みを働いていた妖怪を捕まえたんだ」
「ほうほう、そいつは図太い野郎だ。って、この間の兎!」
「げ、この間の魔法使い」
不味い。相手が悪い。巫女同様こいつもかなりの実力者だ。こんな状況でやり合えば確実に負けてしまう。どうにか見逃してもらわないと。
「さて、おっちゃん達は下がっててくれ。林檎泥棒は私からたっぷりお灸を据えてやるぜ」
おぉぉ。と歓声が湧く。
「待ってよ、私は盗んでない」
「泥棒は皆同じ事を言う」
「本当だ」
「懺悔は後でたっぷり聞いてやる。ここで暴れられると林檎畑にも被害が出る。場所を変えるぜ」
そう言うと魔法使いは私の体をぐるぐると縄で縛り上げ、空飛ぶ箒に括り付け林檎畑を後にした。
連れてこられたのはどうやら魔法使いの家の様だった。
散らかった部屋に押し込まれると椅子に座らされた。
「さて、なんで林檎を盗んだ?」と楽しそうな笑顔を浮かべた。
「だーかーらっ! 盗んで無いって」
「じゃあ、なんで盗もうとした?」
それは……。
私は正直に事情を話した。
自由を求めて月を捨てた事。食料が底を尽きた事。永遠亭に行こうとしたが迷子になってしまった事。
魔法使いは腕組みをしながら私の話を最後まで聞いてくれた。そしておもむろに立ち上がると私の背後に立った。何をされるのかと恐怖で瞳を閉じる。
あぁ、短い自由な生活だった。空腹で倒れる運命から魔法使いに処刑される運命に変更になっただけで私が絶命するのは変わりないようだ。
「疑って悪かったな」
そう呟くと魔法使いは私を縛っていた縄を解いてくれた。
「あれ? 殺さないの?」
「そんな物騒な事するか!」
その言葉を聞けて私は安堵のため息を漏らす。
「それより腹減ってんだろ? なんか食い物取りに行こうぜ」
にぃっと白い歯を見せる。
「え、あの」
「ほれ、早くしろよ」
先程の空飛ぶ箒を手に、竹籠を背負い魔法使いは手招きをする。
助かった……のだろうか?
魔法使いは霧雨魔理沙と言い、随分と親切にしてくれた。
人里近くの畑や果樹園は妖怪が手を出してはいけない決まりになっていると教えてくた。山の麓や森に自生する野菜や果物に関しては欲張らない程度になら誰が取っても良いと教えてくれた。
そうして連れてこられたのが山の麓だった。
「この辺りは栗が自生しているんだ」
「栗?」
「月には栗が無いのか? 甘くて美味しい秋の食べ物だぜ」
「月は年がら年中桃しか採れないの。桃以外の果物は穢れが多いんだって。偉い人が言ってた」
「月の連中は桃しか果物を食えんのか。可哀想な奴等だな」
そう言いながら魔理沙は竹籠から火バサミのような物を二本取り出すと一本を私に手渡す。これで栗を拾うんだ、と付け加えて。
とは言え、私には栗がどういう容姿をした物なのか想像もつかない。
「お、今年の栗は大粒だな」と足元に転がるタワシの様な物体を摘み上げる。
いくら私が月の兎で、地上の事を知らないからと言ってこんな棘に覆われた物体が果物であると信じる訳がない。
はっ! もしかして、出鱈目な事を吹き込んでからかうつもりなのかもしれない。
「おい、折角沢山の栗が落ちてるんだ。テキパキ拾ってくれよ」
「ちょっと魔理沙。騙そうったってそうはいかないよ。こんな棘まみれの果物があるはずないでしょう?」
呆れたような顔で私を見る。そして、やれやれ。と呟くと足元に転がった栗をブーツと火バサミの様な物で突き始めた。
ぽろりと棘の中から大粒の種が転がった。
「こんな棘食える訳がないだろう。栗ってのはこの中身を茹でたり焼いたりして食うんだよ」
そう言いながら茶色く輝く大粒の種を私に手渡した。
「こんなに硬いのに?」
「疑り深い奴だな」とポケットから八角形の道具を取り出す。
あれは見覚えがある。
警戒する私を無視して栗を八角形の上に置く。そうして暫くすると何とも言い難い甘い香りが広がる。
「頃合いだな」
栗を火バサミで掴み上げると胸のポケットからから小振りの折り畳みナイフを取り出し栗を半分に切る。そして器用に茶色の皮を剥ぐと黄色い物体がが現れた。
先程より強くなる香り。成る程、香りの正体はこれか。
「試しに食ってみろよ」と手渡される。
恐る恐る口に運ぶ。
「……美味しい」
「だろう? それじゃ栗拾い再開だ」
私は無心で栗を拾い集めた。
大振りの竹籠の半分程まで栗を拾うと魔理沙が手を止めた。
「まぁ、こんなもんか」
「何で? まだ向こうにも沢山落ちていたよ」
「さっきも言ったろ欲張らない程度にだ。山の連中も採りに来るだろうし、野鳥や動物の分もある」
ふと鈴仙の言葉を思い出す。
『自分勝手な月の兎』
私はもう月の兎を止めたんだ。
そうね。と返事をして火バサミを魔理沙に返す。
次に連れてこられたのは山の中腹に広がる雑木林だった。
松茸と言う茸を探すそうだ。なんでも人里では高級品の様で、一本でお酒が何杯も呑めてしまう程の価値があるとの事だ。
そう言えば、イーグルラヴィの地上攻略ガイドブックに書いてあった。
どんなにお腹が空いても茸は食べてはいけない。穢れの大地から膨れ上がった菌類が主成分なので一口で一生分の穢れを取り込むことになる。
随分と大層な事が書かれていたので、慌てて魔理沙に食べても大丈夫な物なのかを聞いた。勿論大笑いされてしまったが。
その後に連れてこられたのは山の麓を流れる川だった。川底がはっきりと見える透き通った綺麗な清流だった。
昨日仕掛けた罠に何かかかっていれば良い。と魔理沙は川に仕掛けられた網を引き寄せた。網の中には黄金色に輝く魚が五匹ひっかかていた。
月の都で動物を食べる事は禁忌とされている。他の生物の死を自らの体に取り込むのだ。食いしん坊の私ですら食べ様とは思わなかった。
だが、ここは月ではない。私はこの大地の上で生きていくと決めた。どんなに穢れようと面白おかしく自由気ままに生きていくんだ。今更穢れだ何だとは言っていられない。
栗に松茸に鮎と食材を集め終えた私と魔理沙は再び彼女の自宅へと戻って来た。
「さて、火ぐらい熾せるよな?」
「もちろん」と自信満々に返事を返し、ポケットから火起し用の小型レーザーを取り出した。
魔理沙は小型レーザーに随分と興味を持った様だった、自身のマジックアイテムの方が強力だぜ、と胸を張っていた。
栗は下茹でを済ませ、ご飯と一緒に火にかけた。栗ご飯を作ると言っていた。
松茸は残念ながら一本しか見つからなかったので半分に切り、七輪で炙る事にした。
鮎は串に刺してから塩を振り、私の熾した焚火でじっくりと焼き上げるそうだ。
きっと月の民が聞いたら卒倒する程の穢れ料理。今から楽しみだ。
「さて、後はのんびり飲みながら待つか」と魔理沙は七輪を魔法で浮かばせると、焚火のすぐ横に運んだ。
「おい兎」
「何?」
「名前は?」
「鈴瑚」
「鈴瑚は酒呑めるか?」
もちろん。と返した返事を聞くと魔理沙は立ち上がり、酒を取ってくると家の中に入っていった。
昨日の敵は今日の友。昔の人は上手い事を言ったものだ。
清蘭の奴はどこにいるんだろう。心配だが、地上の連中は良い奴が多い。魔理沙の様に。きっと上手い事やっているだろう。
薪の燃える香りと音が心地良い。
酒を持って戻って来た魔理沙は松茸が頃合いだ、と鼻息を荒くしていた。
七輪から取り上げ、大きな口を開ける。
「馬鹿、まずは香りを楽しむんだよ」
「馬鹿は酷い」と反論をするが、確かに先ほどから芳醇な香りが私の鼻孔を刺激している。
そして、ついに口へと松茸を運ぶ。
肉厚で、ぷりっと食感がした。それと同時に広がる濃厚な汁。
あぁ、松茸最高! 地上最高! 穢れ最高!
「美味しいっ!」
子供の様に目を輝かせ魔理沙を見る。
「うんうん、そうだろう。いやぁ、やっぱり秋は松茸だな」
心なしか魔理沙の目も輝いているように見えた。
松茸を肴に酒を呑む。地上での生活で一番最高の瞬間だった。
「いい飲みっぷりじゃあないか」
魔理沙は笑顔で空いた盃にお酒を注いでくれた。
「さて、そろそろ頃合いかな」
焚火の脇から串焼きにされた鮎を二本持って来た魔理沙。
手渡された鮎の塩焼きをまじまじと見る。くわっと口を開け、随分と恐ろしい顔をしている様に見えた。
他の生き物を口にするにはやはり勇気がいる。いくら穢れなど気にしないと心の中で誓ったとは言え、まるっとひっくり返った食文化だ。
食べ方がわからないので、魔理沙が鮎を食べる様子をじっくりと観察する。
くんくんと鼻を動かし、香りを堪能しているようだ。そして大口を開け一気に頭からかぶりついた……。
いや、予想はしていたけれども。少しだけショッキングな映像を見た気分にさせられた。動きを止めた私を見ると魔理沙は口の中の物を飲み込み再び口を開けた。
「食わないなら貰うぜ」
「駄目っ、食べるよ。ちょっと食べ方がわからなかっただけだから」
そっか。そう返した魔理沙は二口目を頬張る。
くんくんと私も鼻を動かし、香りを嗅ぐ。
食欲をそそる香ばしい香り。そして鼻孔に残る甘い香り。二つの香りに誘惑され私は鮎を口へと運んだ。
ぱりっとした皮の食感の後に感じたのはしっとりとした身の食感。骨は驚くほど柔らかく、食べていて違和感をまるで感じない。程よい塩加減が鮎の甘味を引き出している。
「さてどうだい? 穢れの味は」と魔理沙はからかうような笑顔を私に向ける。
「最高!」
「あと一匹ずつあるから安心しろよ」
「あれ、あともう一匹は?」
「骨酒用」
「骨酒?」
かりかりに焼いた鮎を酒に入れて呑むとの事で川魚が旬の時期の楽しみなのだそうだ。
ところで。と松茸と鮎を平らげ、栗ご飯の炊き上がりを待つ私は口を開いた。
「なんだよ」
「なぜ私を助けてくれたんだい?」
「話せば長くなる」
「どうせ時間はあるんでしょう?」
そうだな。と魔理沙は話を始めた。
「鈴瑚の境遇と過去の自分が少し重なって見えたんだ」と魔理沙は言う。
彼女の話によれば、魔理沙は人間の里の大富豪の一人娘。幼いころから何不自由なく育ったそうだ。だが、彼女はある時気が付いたそうだ。親に与えられた自由は自分の求めた自由とは違うという事に。
そして魔理沙は自分の求める自由の為に親元から飛び出し、右も左もわからぬまま魔法の森で生活を始めたそうだ。お腹が空いたと言えばお菓子が用意される環境で育ったので、食べ物をどうやって用意すればいいのかまるで分らなかったそうだ。
森に生えている茸を片っ端から食べ腹を壊したり、一晩中笑い転げたり、身体が痺れて動かなくなったりもしたそうだ。
月を捨て右も左もわからぬ土地で生活し、空腹と戦う私に遠い日の自分を重ねた。魔理沙はそう言うと照れくさそうに笑った。そして恥ずかしそうに「栗ご飯取ってくる」と残し家の中へと入っていった。
地上に来て最初にできた友人はとても良い奴だ。
山盛りの栗ご飯と鮎の骨酒を平らげ、私は月を見上げた。
大丈夫。地上でしっかりと生きていける。そう思った。
「そうだ、デザートに林檎でも食うかい?」
なんだろうか。嫌な予感がした。
「いやぁ、鈴瑚には感謝してるんだぜ? お前のお陰で林檎泥棒の汚名を被らずに済んだ上に林檎泥棒を捕まえた名誉まで貰えたんだ。お裾分けだ」
「犯人はお前か!」
大笑いする魔理沙から穢れた林檎を奪うと大口を開けて噛り付いた。
成程、どうやら私も大分穢れてしまった様だ。
お偉いさんの命令で地上の調査に来て気が付いて、地上の人間や元同僚と戦って決心した。
月は楽園などではなくて決まりごとに縛られた地獄だ。私は月を捨て地上の楽園で自由気ままに生きていくのだ、と。
身を潜め調査を進めるうちにどこか惹かれたのかもしれない。自由に生きる人間達や妖怪達、妖精達や土着の神様達に。
そして私は思った。何故こんなにも厳しい規則やルールに縛られ、命懸けの潜入捜査などに参加しているのだろうか。
穢れの無い月での生活が至高。とお偉いさんは言っていたけれど、穢れに満ちた地上で生きる者は皆笑顔だった。
月の仲間や良くしてくれた上官に会えなくなるのは少しだけ寂しいけれど、一緒に地上に残る事を選んでくれた清蘭も旧友の鈴仙もいる。輝夜様や八意様もいらっしゃる。何か困った事があれば助けてくれるかもしれない。
あぁ、お腹が減った。
地上で暮らし始めて数ヶ月。月から持ち込んだ団子は底を尽き、同志である清蘭とは逸れてしまったし、鈴仙を訪ねて永遠亭に出向いてはみたけれど竹林で迷子になり辿り着けなかった。
正直、自由な生活がこれ程過酷なものとは思ってもみなかった。
腕には多少の自信が有るのでそこらの妖怪に襲われても返り討ちには出来ると思うけれど、派手に暴れれば強力な妖怪に目を付けられるかもしれないので、こそこそと逃げ回っている。
問題は食料なのだ。
厄介なことに地上では食料は支給される物ではなく、購入するのが決まりらしい。郷に入れば郷に従えと先人達の言葉にあるようにしたいのだけれど、残念ながら地上で流通している貨幣は持っていない。強奪なんてすれば人間にも目を付けられてしまう。月兎という事で最悪の場合、輝夜様や八意様、鈴仙にも迷惑をかけてしまう可能性だってある。
あぁ、お腹がぺこり。
自由とは恐ろしい。私はこのまま空腹で力尽きてしまうのだろうか? 志半ばで先に逝く私を許してくれ、清蘭。
そんな事を考えながら私は歩く。秋風が吹き、耳をそっと揺らす。涼しい風だと私は思った。あぁ、地上の風は林檎の香りがするのか。
ん? 林檎の香り? 近くに林檎畑があるのだろうか。私は犬の様に鼻をぴくぴくさせながら香りを辿る。
五分程歩くと一面に広がる林檎畑が私を出迎えてくれた。ちょうど収穫の時期なのだろうか、真っ赤な林檎が星の数程ぶら下がっていた。
嗅覚を刺激する誘惑的な甘い香り。成る程、禁断の果実と呼ばれる由縁がよくわかる。
きっとこの林檎を盗み食いする事は罪。農家の人間が丹精込めて育てたのだろう。晴れの日も雨の日も大切に見守られ、収穫され、八百屋に卸す事で農家の人間に金銭が入るのだ。
……そんな事知るか。私の中の悪魔が私の中の天使を右ストレートで打ち負かし、耳元で囁いた。
一個だけ。そう一個だけだ。私はそう言い聞かせ林檎畑に足を踏み入れた。この一歩は小さな一歩かもしれないが、私の飢えを凌ぐ大いなる一歩だ。
「ふぎゃ」
その一歩は私を地獄へ突き落とす一歩だった。地面を踏んだ瞬間に右足が思い切り吊り上げられ、私は宙吊りになる。言い直そう、地獄へ吊り上げられる一歩だったのだ。
「罠ぁぁぁ」
あっという間に武器を手にした人間達が群がり私に詰め寄ってきた。
人間相手に負ける事は無いと思うけれど余りの空腹で力が出ない。この間の巫女や魔法使いの様に腕の立つ人間がいたら間違いなく返り討ちにされてしまうだろう。ここは大人しく捕まって隙を見て逃げ出してやる。
「ようやく捕まえたぞ!」と随分とご立腹な様子だった。
「ちょっと待ってよ。林檎を取ろうとしたのは今回が初めてだよ」と、抗議の声を上げるも嘘を吐くなと一蹴された。
「まさか妖怪の仕業だったとは……。早く博麗の巫女様を呼んできてくれ」と一人の男が叫ぶ。
巫女は不味いな。今ならどうあがいても勝てない。
ここで逃げ出したら確実に追われる。巫女が来たらどうにか私の無実を証明して逃げよう。
生き残る算段を立てていると聞き覚えのある声が響いた。
「どうしたんだ」
「おぉ、霧雨の娘さん」
「その呼び方は止めてくれ。私は妖怪退治の専門家、普通の魔法使い霧雨魔理沙だ」
「いやぁ、丁度良い所に来てくれた。うちの林檎畑で盗みを働いていた妖怪を捕まえたんだ」
「ほうほう、そいつは図太い野郎だ。って、この間の兎!」
「げ、この間の魔法使い」
不味い。相手が悪い。巫女同様こいつもかなりの実力者だ。こんな状況でやり合えば確実に負けてしまう。どうにか見逃してもらわないと。
「さて、おっちゃん達は下がっててくれ。林檎泥棒は私からたっぷりお灸を据えてやるぜ」
おぉぉ。と歓声が湧く。
「待ってよ、私は盗んでない」
「泥棒は皆同じ事を言う」
「本当だ」
「懺悔は後でたっぷり聞いてやる。ここで暴れられると林檎畑にも被害が出る。場所を変えるぜ」
そう言うと魔法使いは私の体をぐるぐると縄で縛り上げ、空飛ぶ箒に括り付け林檎畑を後にした。
連れてこられたのはどうやら魔法使いの家の様だった。
散らかった部屋に押し込まれると椅子に座らされた。
「さて、なんで林檎を盗んだ?」と楽しそうな笑顔を浮かべた。
「だーかーらっ! 盗んで無いって」
「じゃあ、なんで盗もうとした?」
それは……。
私は正直に事情を話した。
自由を求めて月を捨てた事。食料が底を尽きた事。永遠亭に行こうとしたが迷子になってしまった事。
魔法使いは腕組みをしながら私の話を最後まで聞いてくれた。そしておもむろに立ち上がると私の背後に立った。何をされるのかと恐怖で瞳を閉じる。
あぁ、短い自由な生活だった。空腹で倒れる運命から魔法使いに処刑される運命に変更になっただけで私が絶命するのは変わりないようだ。
「疑って悪かったな」
そう呟くと魔法使いは私を縛っていた縄を解いてくれた。
「あれ? 殺さないの?」
「そんな物騒な事するか!」
その言葉を聞けて私は安堵のため息を漏らす。
「それより腹減ってんだろ? なんか食い物取りに行こうぜ」
にぃっと白い歯を見せる。
「え、あの」
「ほれ、早くしろよ」
先程の空飛ぶ箒を手に、竹籠を背負い魔法使いは手招きをする。
助かった……のだろうか?
魔法使いは霧雨魔理沙と言い、随分と親切にしてくれた。
人里近くの畑や果樹園は妖怪が手を出してはいけない決まりになっていると教えてくた。山の麓や森に自生する野菜や果物に関しては欲張らない程度になら誰が取っても良いと教えてくれた。
そうして連れてこられたのが山の麓だった。
「この辺りは栗が自生しているんだ」
「栗?」
「月には栗が無いのか? 甘くて美味しい秋の食べ物だぜ」
「月は年がら年中桃しか採れないの。桃以外の果物は穢れが多いんだって。偉い人が言ってた」
「月の連中は桃しか果物を食えんのか。可哀想な奴等だな」
そう言いながら魔理沙は竹籠から火バサミのような物を二本取り出すと一本を私に手渡す。これで栗を拾うんだ、と付け加えて。
とは言え、私には栗がどういう容姿をした物なのか想像もつかない。
「お、今年の栗は大粒だな」と足元に転がるタワシの様な物体を摘み上げる。
いくら私が月の兎で、地上の事を知らないからと言ってこんな棘に覆われた物体が果物であると信じる訳がない。
はっ! もしかして、出鱈目な事を吹き込んでからかうつもりなのかもしれない。
「おい、折角沢山の栗が落ちてるんだ。テキパキ拾ってくれよ」
「ちょっと魔理沙。騙そうったってそうはいかないよ。こんな棘まみれの果物があるはずないでしょう?」
呆れたような顔で私を見る。そして、やれやれ。と呟くと足元に転がった栗をブーツと火バサミの様な物で突き始めた。
ぽろりと棘の中から大粒の種が転がった。
「こんな棘食える訳がないだろう。栗ってのはこの中身を茹でたり焼いたりして食うんだよ」
そう言いながら茶色く輝く大粒の種を私に手渡した。
「こんなに硬いのに?」
「疑り深い奴だな」とポケットから八角形の道具を取り出す。
あれは見覚えがある。
警戒する私を無視して栗を八角形の上に置く。そうして暫くすると何とも言い難い甘い香りが広がる。
「頃合いだな」
栗を火バサミで掴み上げると胸のポケットからから小振りの折り畳みナイフを取り出し栗を半分に切る。そして器用に茶色の皮を剥ぐと黄色い物体がが現れた。
先程より強くなる香り。成る程、香りの正体はこれか。
「試しに食ってみろよ」と手渡される。
恐る恐る口に運ぶ。
「……美味しい」
「だろう? それじゃ栗拾い再開だ」
私は無心で栗を拾い集めた。
大振りの竹籠の半分程まで栗を拾うと魔理沙が手を止めた。
「まぁ、こんなもんか」
「何で? まだ向こうにも沢山落ちていたよ」
「さっきも言ったろ欲張らない程度にだ。山の連中も採りに来るだろうし、野鳥や動物の分もある」
ふと鈴仙の言葉を思い出す。
『自分勝手な月の兎』
私はもう月の兎を止めたんだ。
そうね。と返事をして火バサミを魔理沙に返す。
次に連れてこられたのは山の中腹に広がる雑木林だった。
松茸と言う茸を探すそうだ。なんでも人里では高級品の様で、一本でお酒が何杯も呑めてしまう程の価値があるとの事だ。
そう言えば、イーグルラヴィの地上攻略ガイドブックに書いてあった。
どんなにお腹が空いても茸は食べてはいけない。穢れの大地から膨れ上がった菌類が主成分なので一口で一生分の穢れを取り込むことになる。
随分と大層な事が書かれていたので、慌てて魔理沙に食べても大丈夫な物なのかを聞いた。勿論大笑いされてしまったが。
その後に連れてこられたのは山の麓を流れる川だった。川底がはっきりと見える透き通った綺麗な清流だった。
昨日仕掛けた罠に何かかかっていれば良い。と魔理沙は川に仕掛けられた網を引き寄せた。網の中には黄金色に輝く魚が五匹ひっかかていた。
月の都で動物を食べる事は禁忌とされている。他の生物の死を自らの体に取り込むのだ。食いしん坊の私ですら食べ様とは思わなかった。
だが、ここは月ではない。私はこの大地の上で生きていくと決めた。どんなに穢れようと面白おかしく自由気ままに生きていくんだ。今更穢れだ何だとは言っていられない。
栗に松茸に鮎と食材を集め終えた私と魔理沙は再び彼女の自宅へと戻って来た。
「さて、火ぐらい熾せるよな?」
「もちろん」と自信満々に返事を返し、ポケットから火起し用の小型レーザーを取り出した。
魔理沙は小型レーザーに随分と興味を持った様だった、自身のマジックアイテムの方が強力だぜ、と胸を張っていた。
栗は下茹でを済ませ、ご飯と一緒に火にかけた。栗ご飯を作ると言っていた。
松茸は残念ながら一本しか見つからなかったので半分に切り、七輪で炙る事にした。
鮎は串に刺してから塩を振り、私の熾した焚火でじっくりと焼き上げるそうだ。
きっと月の民が聞いたら卒倒する程の穢れ料理。今から楽しみだ。
「さて、後はのんびり飲みながら待つか」と魔理沙は七輪を魔法で浮かばせると、焚火のすぐ横に運んだ。
「おい兎」
「何?」
「名前は?」
「鈴瑚」
「鈴瑚は酒呑めるか?」
もちろん。と返した返事を聞くと魔理沙は立ち上がり、酒を取ってくると家の中に入っていった。
昨日の敵は今日の友。昔の人は上手い事を言ったものだ。
清蘭の奴はどこにいるんだろう。心配だが、地上の連中は良い奴が多い。魔理沙の様に。きっと上手い事やっているだろう。
薪の燃える香りと音が心地良い。
酒を持って戻って来た魔理沙は松茸が頃合いだ、と鼻息を荒くしていた。
七輪から取り上げ、大きな口を開ける。
「馬鹿、まずは香りを楽しむんだよ」
「馬鹿は酷い」と反論をするが、確かに先ほどから芳醇な香りが私の鼻孔を刺激している。
そして、ついに口へと松茸を運ぶ。
肉厚で、ぷりっと食感がした。それと同時に広がる濃厚な汁。
あぁ、松茸最高! 地上最高! 穢れ最高!
「美味しいっ!」
子供の様に目を輝かせ魔理沙を見る。
「うんうん、そうだろう。いやぁ、やっぱり秋は松茸だな」
心なしか魔理沙の目も輝いているように見えた。
松茸を肴に酒を呑む。地上での生活で一番最高の瞬間だった。
「いい飲みっぷりじゃあないか」
魔理沙は笑顔で空いた盃にお酒を注いでくれた。
「さて、そろそろ頃合いかな」
焚火の脇から串焼きにされた鮎を二本持って来た魔理沙。
手渡された鮎の塩焼きをまじまじと見る。くわっと口を開け、随分と恐ろしい顔をしている様に見えた。
他の生き物を口にするにはやはり勇気がいる。いくら穢れなど気にしないと心の中で誓ったとは言え、まるっとひっくり返った食文化だ。
食べ方がわからないので、魔理沙が鮎を食べる様子をじっくりと観察する。
くんくんと鼻を動かし、香りを堪能しているようだ。そして大口を開け一気に頭からかぶりついた……。
いや、予想はしていたけれども。少しだけショッキングな映像を見た気分にさせられた。動きを止めた私を見ると魔理沙は口の中の物を飲み込み再び口を開けた。
「食わないなら貰うぜ」
「駄目っ、食べるよ。ちょっと食べ方がわからなかっただけだから」
そっか。そう返した魔理沙は二口目を頬張る。
くんくんと私も鼻を動かし、香りを嗅ぐ。
食欲をそそる香ばしい香り。そして鼻孔に残る甘い香り。二つの香りに誘惑され私は鮎を口へと運んだ。
ぱりっとした皮の食感の後に感じたのはしっとりとした身の食感。骨は驚くほど柔らかく、食べていて違和感をまるで感じない。程よい塩加減が鮎の甘味を引き出している。
「さてどうだい? 穢れの味は」と魔理沙はからかうような笑顔を私に向ける。
「最高!」
「あと一匹ずつあるから安心しろよ」
「あれ、あともう一匹は?」
「骨酒用」
「骨酒?」
かりかりに焼いた鮎を酒に入れて呑むとの事で川魚が旬の時期の楽しみなのだそうだ。
ところで。と松茸と鮎を平らげ、栗ご飯の炊き上がりを待つ私は口を開いた。
「なんだよ」
「なぜ私を助けてくれたんだい?」
「話せば長くなる」
「どうせ時間はあるんでしょう?」
そうだな。と魔理沙は話を始めた。
「鈴瑚の境遇と過去の自分が少し重なって見えたんだ」と魔理沙は言う。
彼女の話によれば、魔理沙は人間の里の大富豪の一人娘。幼いころから何不自由なく育ったそうだ。だが、彼女はある時気が付いたそうだ。親に与えられた自由は自分の求めた自由とは違うという事に。
そして魔理沙は自分の求める自由の為に親元から飛び出し、右も左もわからぬまま魔法の森で生活を始めたそうだ。お腹が空いたと言えばお菓子が用意される環境で育ったので、食べ物をどうやって用意すればいいのかまるで分らなかったそうだ。
森に生えている茸を片っ端から食べ腹を壊したり、一晩中笑い転げたり、身体が痺れて動かなくなったりもしたそうだ。
月を捨て右も左もわからぬ土地で生活し、空腹と戦う私に遠い日の自分を重ねた。魔理沙はそう言うと照れくさそうに笑った。そして恥ずかしそうに「栗ご飯取ってくる」と残し家の中へと入っていった。
地上に来て最初にできた友人はとても良い奴だ。
山盛りの栗ご飯と鮎の骨酒を平らげ、私は月を見上げた。
大丈夫。地上でしっかりと生きていける。そう思った。
「そうだ、デザートに林檎でも食うかい?」
なんだろうか。嫌な予感がした。
「いやぁ、鈴瑚には感謝してるんだぜ? お前のお陰で林檎泥棒の汚名を被らずに済んだ上に林檎泥棒を捕まえた名誉まで貰えたんだ。お裾分けだ」
「犯人はお前か!」
大笑いする魔理沙から穢れた林檎を奪うと大口を開けて噛り付いた。
成程、どうやら私も大分穢れてしまった様だ。
幻想郷で何の後ろ盾もない鈴瑚が今後、どうやって幻想郷に馴染んでいくか楽しみです!
ドレミーとクラピは人気あるから良いとして、鈴瑚はどうかなと思っていたらこの作品があったので楽しく読みました
生い立ちまで説明して良い話をしたのに、結局台無しにした魔理沙はちっとは悪びれなさい
あと魔理沙ェ……ホントこの娘は(苦笑)
オチがなかなかよい感じに決まっています
月では桃しか採れないし、栗は知らないのに、
林檎は匂いまで嗅いだことがある、というのが少し?となったかも
ダンゴが好きでリンゴという名前なのにテーマ曲はパンプキンな鈴瑚、これからも穢れでも食を極めて欲しいものです。
お腹いっぱいになりました
面白かったです。鈴瑚が普通にサバイバーだったw
したっぱでも小型レーザー持ってるのはさすが月だね
然り、魔法使いは御の字ですねぇ(笑
表現したかったポイントを多くの方にコメント欄で評価頂けて何よりです。
久々に創想話に投稿しましたが、この空気はたまらないですね。
またお話を投稿する事もあるかと思いますので、私の名前を見たらどうかまた覗きに来て頂ければと思います。
親切さも、オチも、全部含めて魔理沙らしいなぁ、と思えます。
凄く良かったです。あ、こりゃ堪らん涎ズビッ
面白かったです。