Coolier - 新生・東方創想話

マエリベリー・ハーンの長い夏休みの終わり

2015/08/31 14:55:45
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 八月も残すところあと一日となった今日、蓮子は机に向かって頭を抱えておりました。
 終わらない終わらないと頻りに口を動かしておりますが、口より先に手を動かすべきだと漫画本を読みながら私は思いました。
 先日、登校日という夏休みの宿題などを学校に提出し、夏休みが終わってからの学校行事の説明をするために学校に通う日に、私も蓮子の御夫妻と共に彼女が通う学校へと向かいました。
 というのも、九月から晴れて私も蓮子のクラスメイトになるからです。
 職員室で教頭先生から個別に話を聞いて、九月一日からこの学校に通い、どのような勉強をするのかなどの説明を受けました。
 私の特殊な力や、日本語がまだ堪能ではない、日本では宇佐見御夫妻が親代わりであるなどの、様々な事情を学校側も理解しているようで、その点は気を使うから、と教頭先生は仰ってくれました。
 ですが、私は首を横に振りました。
「わたし、早くレンコたちと同じ、なりたい。だから、みんなとイッショがいい。わたし、ガンバリマスので」
 そう言うと、教頭先生はにこりと微笑んで、ハーンさんが良いのであれば、そうさせていただきましょう、と言ってくれました。
「ハナシがはやくてタスカリマス」と言うと、何故か教頭先生は笑いました。
 教科書などの勉強道具に、リコーダーや通学帽子といったものを受け取り、それから学校の中を簡単に案内されました。
 学校というのは初めて通うこととなるのですが、なかなかに面白そうな場所でありました。
 一年生から六年生までの生徒何百人が、みんなそれぞれのクラスルームに収まっていて、廊下には私たち以外誰一人いないのです。
 クラスルームには一人一つずつ机と椅子が割り振られていて、みんながそれに座って教壇に立つ教師の話を聞いています。
「ここがハーンさんが通うクラスです。蓮子さんも一緒ですよ」と言って、私は蓮子のクラスへと案内されました。
 廊下からこっそりとクラスルームを覗き見ますと、先生に怒られながらぺこぺこと頭を下げている蓮子の姿がありました。
 なんだかよくわかりませんが、ものすごく情けない姿です。
 心なしか恭一郎さんと蓮花さんも呆れている様子でした。
「キョートーセンセ、あれはどうした?」私が蓮子を指差して訊ねると、教頭先生はバツが悪そうに苦笑しました。
「あれは、そのー、蓮子さんが今日までに終わらせなければならない宿題を終わらせてこなかったので、怒られていますね」
 申し訳ありません、と蓮花さんが恥ずかしそうに教頭先生へ頭を下げていました。
 そして、蓮花さんがおっかない顔をしながら小さく「帰ったらお説教ね」と呟いたのを今でも鮮明に思い出せます。
「はぁ、だからシュクダイ、ちゃんとしなさい言ったのに、レンコはキクミミ持たない。マッタク、ワタシがちゃんとしなきゃダメね」
 私がそう言うと、頼りにしていますよ、と教頭先生は言いました。
 そうして、家に帰ってから蓮子には蓮花さんの雷が落ち、学校が始まる一日までに宿題を終わらせるように厳命されたのでした。
 されたのですが……。
「終わらない! 終わる気がしない!」
「レンコー、うるさいよ! 口より手を動かす! グチ言うヒマあったらとっとこ終わらせる!」
「漫画読んでる人に言われるとすごく腹立つ!」蓮子はうぎぎと唸りました。
 唸っても宿題は終わらないと指摘すると、しくしくと泣きながら鉛筆を動かし始めました。
 登校日から数日が経過し、今日は八月の最終日である三十一日。
 蓮子の宿題は全く終わっておりませんでした。
 あれだけ怒られたのにもかかわらず、蓮子は夏休みも残りわずかだからと遊びに遊びまくったのです。
 宿題をするよう促したところ、蓮子は鴨川デルタの飛び石で腰に手を当てて仁王立ちしながら言いました。
「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥って諺と一緒よ。遊べば今は後悔するかも知れないけれど、遊ばなかったら一生後悔するわよ。なんせ今年の夏休みはもう来ないんだからね」と蓮子は豪語しておりましたが、その諺が意味するところはそういった理念ではないと思います。
 なんにしても今、蓮子はその『一時の恥』に大いに苦しめられているのでした。
 自業自得だと思います。
 しかし腹立たしいのは、蓮子が人並み以上に頭がいい点です。
 終わらない終わらないと言いながら、筆記系の宿題はお昼前にあらかた終えてしまったのです。
「なあんだ、夏休みの宿題なんて最終日で簡単に終わらせられるじゃない。焦って損した」などと言い放つ蓮子の頭にチョップをしてやります。
 これも愛の鞭です。
「レンコ、ナマケることを覚えたニンゲンはクズになるよ!」
「くっ、くずとか言わなくてもいいじゃない……」ぷるぷると震える蓮子に、しかし私は首を横に振りました。
「早いうちからヒトツヒトツこつこつとやるのがタイセツ。ワタシだって、ほら、こつこつとベンキョウしたから、こんなにもリューチョーなニホンゴが言える。すごい!」
「はいはい、メリーは偉いわねぇ」そう言って蓮子は私の頭をくしゃくしゃと撫でました。
「えへへ」撫でられて悪い気はしません。
 ……そうじゃありません。
「レンコ!」私は蓮子の手を払いのけました。「まだシュクダイ、終わってないデショーガ!」
 筆記系の宿題こそ終わりましたが、蓮子の夏休みの友はまだまだ残っています。
 日記は、蓮子いわく夏休み全日の出来事はしっかり覚えているから問題ないとのことでしたが、本当かどうか怪しいものです。
 自由研究はなにやら『チョーヒモリロン』とやらについて論文を作るとかなんとか言っていましたが、私にはなんのことだかさっぱりです。
 朝顔の観察日記は、夏休みが始まって一週間とたたないうちにベランダで枯れてしまった朝顔を延々書くことでこと無きを得るなどと言っていましたが、多分怒られるでしょう。
 そして、どこかに出かけて絵を描きましょう、という課題。
「どこかってどこよ! なんでわざわざ絵を描くためにどこかに行かなきゃならないのよ!」そう言ってパソコンで風景写真を検索し始めた蓮子に再びの愛の鞭チョップです。
「レンコ、あなた疲れてるのよ。キブンテンカンにどこかへ絵を描きにイキマショ!」
「どこかって言ったって、そんな遠くまで行けないわよ」
 呆れた風に蓮子は言いましたが、どうやら蓮子は疲れのあまり私の目に見えるコレのことをすっかりと忘れてしまっているようです。
「チッチッチ、レンコ、ワタシタチにはクルマもバスもタクシーも必要ないのよ!」
「全部車じゃん」
「イキマショ! ケッカイの向こう側へ!」
 バッグに画板(画用紙より少しだけ大きい板。紐やクリップが付いていて、屋外で画用紙の下敷きにして絵を描くのに使うらしい)と絵の具などの画材一式、それから熱中症対策に帽子を被って、私たちは出かける準備をしました。
「あっ、ついでにお使いも頼まれてくれないかな」蓮花さんがそう言ってメモを差し出しました。
「ニンジン、ジャガイモ、タマネギ……」メモに書いてある食材を読み上げると、ふふんと蓮花さんは笑いました。
「それは今日の晩御飯の材料です! さて、何を作るのでしょうか!」
 私はメモを睨んで数秒考えました。
「……はっ! これは、お鍋?」
「夏にお鍋は嫌だなあ」
「カレーね。それじゃあ帰りに買ってくるわ」
 なによう、おもしろくないわね、と蓮花さんはぷりぷりしました。
 こういう時の蓮花さんは本当に蓮子のお母さんかというくらい若々しい、というか子供っぽいです。
「それじゃあよろしくね。あんまり遅くなっちゃだめだからね」と蓮花さんが言いました。
「任せてよ、あなたの娘は時間と場所に関しては誰よりも詳しいんだから」時間を守らない蓮子が言っても説得力は皆無です。
「宿題さぼって遊ぶのもよ?」蓮花さんは鋭い目で蓮子を睨み、蓮子はこくこくと頷きました。
「ダーイジョウブ、マーカセテ! ワタシがしっかり監視します!」
「よろしくお願いね、メリーちゃん」
「ハイ!」
 そうして私たちは家を出て結界の向こう側を目指して出かけたのです。
 マンションの一階まで降りて、御池通に面した入り口の扉を開けると、むわっとこもった熱気が襲いかかりました。
 マンションのロビーがエアコンで快適な涼しさに保たれているだけあって、余計に暑苦しく感じるのです。
「……帰ろっか」
 後戻りしようとする蓮子の襟首を掴んで、私は御池通に出ました。
 車通りの少ないだだっ広い道は、アスファルトの照り返しで空間が歪んで見えます。
 そうして歪んだ空間に混ざって、所々に結界の境目があるのです。
 それにしても、どうして京都はこんなにも境目が多いのでしょうか。
 例えるなら、結界がシーツだとして、結界の境目はシーツの皺のようなものです。
 ピンと張られた綺麗な結界なら、その境目はほとんど見当たらないのですが、どういう訳か京都はまるで蓮子が寝た後のベッドみたいに結界がぐちゃぐちゃで、あちらこちらに境目があるのです。
 まあ、わざわざ探す手間が省けるのでこちらとしては願ったり叶ったりなのですが。
「暑い。茹だる。茹蛸になる」
「蓮子はいつもそればっかり」
 西側のワンブロック先にあるコンビニで飲料水を少し多めに購入し、それから一つ一つ境目の向こう側を覗き見て行きました。
 側から見たらきっと、なにもない場所を覗き込むように見ている少女に見えることでしょう。
「さっきからなにもない場所を覗き込むように見て、なにしてるのよ」蓮子が呆れた風に言いました。
「ケッカイの向こう側、アンゼンか確かめてるの」
 そうして裏通りで見つけた境目は、向こう側が森に囲まれた神社でありました。
 神社は好きですので、私はここで絵を描くことに決定しました。
「神社なんてどこにでもあるじゃん。ここ京都だよ?」
「それじゃツマンナイでしょ! ケッカイの向こう側にいくことソノモノにイギがあるの!」
 私は蓮子の手を握って、境目の真正面に立ちました。
 当たり前ながら、蓮子には目の前の境目が見えていませんので、私がこうやって先導してあげる必要があるのです。
「ソレジャ、いくよ!」
 蓮子がこくんと頷き、私は結界の境目を越えました。
 身体をぞわりと何かが這うような気持ち悪さと、ふっと意識が遠のくような感覚。
 身体がここにあって、ここにないような気持ちの悪さがありました。
 しかしやがてそれも収まってくると、だんだんと周囲の光景が鮮明になっていきました。
 そこは、古ぼけた神社でありました。
 神社は小さく、そしてどうやら小高い山の上にあるようです。
 正面に石畳の参道があり、その先には真っ赤な鳥居と長い下りの階段があります。
 そして、そこからは遠くまで日本の原風景とも呼べる自然豊かな光景が広がっておりました。
「ふわあ! スゴイ!」
 私は駆け出して、鳥居の麓からそれを眺めました。
 絨毯のように地面を覆う木々に、青々とした葉が揺れる田んぼとあぜ道。
 藁葺き屋根のアンティークな建物がぽつんぽつんと見受けられました。
「まるでタイムスリップでもした気分だわ。いつの時代に建てられたのかしら」蓮子が呟きました。
「ここ、絵を描くのにサイコーじゃない?」
「確かに、とびきり素敵な光景ね」
 私と蓮子は鳥居の下、階段の一番上に腰掛けると、そこからの光景を画用紙に描いていきました。
 とは言っても、描いているのは蓮子です。
 私はそこからの眺めにうっとりとしながら、はて、ここはいったいどこなのだろう、などと考えておりました。
鳥居を見上げてみますと、額束には『博麗神社』と書かれている。
 う、うーん……読めません!
 とりあえず、どこか山奥であるらしいことはよくわかったので、それ以上を考えるのはやめることにしました。
 ペットボトルのスポーツドリンクをこくこくと飲みながら、どこか遠くで鳴いている雉鳩の声に耳を傾けておりますと、なにやら階下からひーこらひーこらと荒い息遣いが聞こえてきました。
 見ると、浴衣を着た二十歳前後と思しき男性が、息も切れ切れに階段をよろよろと登っておりました。
 見るからに重たそうな風呂敷を担いでおり、しかしまるで枯れ枝のようにひょろひょろとしていて頼りない風貌です。
「はぁ……はぁ……この階段、急すぎやしないか……」
 途中で何度も立ち止まりながら、彼はなんとか私たちの下までたどり着くと、もう限界と言わんばかりにどかっと階段に座り込みました。
 その人は眼鏡をかけており、顔立ちは整っていてなかなかにイケメンといった趣です。
「はぁ……はぁ……ん? やあ、お嬢さん方。ちょっと失礼させていただこう」
「あ、ハイ……」
 彼は浴衣の胸元を開くと、手ぬぐいでもって身体の汗を拭き始めました。
 なかなかに時代錯誤な人ですが、もしかしたら懐古趣味なのかもしれません。
「ん?」と、彼は私が飲んでいたペットボトルを見るや、不思議そうな顔をしました。
「それは……飲料水の携帯に用いる、ぺっとぼとる? という名前なのか。ふむ、透明で、なのに硝子ともまた違う、不思議な容器だ。お嬢さん、もしよろしければ、それ、触らせてもらっても?」
 なんだろうこの人、懐古趣味が脳にまで達してしまったのでしょうか。
 私がペットボトルを差し出すと、彼はふんふんとラベルやキャップをまじまじと眺め始めました。
「ぽかりすうぇっと……内容物の名称か。となると、このぺっとぼとるは自分で飲料水を補充して使用するのではなく、もともと補充されている飲料水ごと購入するものなのか。して、ぽかりすうぇっととはなんぞや」キリッとした表情でこちらに目を向けました。
「ふむ、よく見なくても君はどうやら日本人ではないらしい。君がいた国ではここまで技術が進歩しているのかい?」
「あの……これ、ニホンの商品。ラベルの文字、ニホンゴでしょ?」私がペットボトルを指差して教えると、彼はふむふむと頻りに頷きました。
「……すまないが、知的好奇心を抑えられそうにない。よければ、一口いただけないだろうか」
 私が頷くと、キャップを面白そうにくるくると回し、飲み口を覗き込んだ後に中の飲料水を一口飲みました。
 そしてクワッと目を見開きました。
「これは! なんて美味しいんだ! こんなに美味しいものは今まで飲んだことがない! 渇いた体にすうっと染み込んでいくような、不思議な水だ!」彼はそう言って、ペットボトルの中身を全てごくごくと飲んでしまいました。
 別に多めに買ってきてあるのでペットボトルの一本や二本は大したことないのですが、そういえばこれって間接キスになるんじゃないかと今思い出して赤面しているところです。
 全て飲み干し大きく息をついた彼は、しかし空になったペットボトルを見るや否や慌てて私に深く頭を下げました。
「誠に申し訳ない! あまりの美味しさについ全部飲み干してしまった!」
「いえいえ、ダイジョウブ。いっぱい買ってある」私はバッグを開いて見せて笑いかけました。
 彼は、参考までに聞きたいのだが、これはどこにいくらで売っているのかね、と私に訊ねました。
 コンビニや自動販売機、食料品を扱う店なら大抵どこでも売っていますよ、と教えるも、今までこんなものは見たことも聞いたこともない、と言って、水を携帯するための竹筒を見せてくれました。
 普通は、こういった竹筒や瓢箪に水を入れて持ち歩くのだそうですが、それは一体何百年前の話なのでしょうか。
 それから、私は値段について教えました。
 中身によって値段が変わること、その清涼飲料水はだいたい百五十円だと伝えると、彼はみるみる顔を青ざめさせて、ぶるぶると震え始めました。
「これは……百五十円も、するのかい? この水一本で、そんな、高価なものを、僕は……」
「エット、百五十円くらい、大したことナイデス。シンパイしないで、あっ、もうイッポン、いります?」
 私がバッグからもう一本、ペットボトルを取り出して差し出すと、彼は目を見開いてから、遠慮しておこう、と震える手でそれを断りました。
 なんだかよくわかりませんが、貧乏なのでしょうか。
「ふぇーい! 結構進んだ進んだ」と、蓮子が画板から顔を上げてぐっと背伸びをしました。
「いやー、ふだんやらないけれど絵を描くのって面白いわね、メリーってうおっ!?」
 蓮子は私の隣に座る彼に今さら気が付いたらしく、仰々しく仰け反り驚いて見せました。
 男性の方はというと、さっきのペットボトル飲料のショックから立ち直れずにうちひしがれた様子で俯いております。
「メリー、この人誰?」蓮子が耳打ちしました。
「えっと……タビノヒトかな?」私が首を傾げながら答えると、蓮子はメリーに聞いた私が馬鹿だったわね、と言いました。
 失礼な。
 ま、どうでもいっか、と蓮子はバッグから筆箱を取り出し、シャープペンシルを中にしまいました。
 それに再び目をつけたのが、私の隣で打ちひしがれていたはずの男性でした。
「すまない、それをちょっと見せてくれないか!」彼は身を乗り出して蓮子に迫り、蓮子は相対するように引いていました。
「ちょっとメリー! なにがタビノヒトよ! まごう事なき変質者じゃない!」
「でも、カッコイイよ?」
「ただしイケメンに限るって? 馬鹿、イケメンでもなんでも変質者は変質者よ!」
 まあまあ、噛みつきゃしないわよ、と私は蓮子の筆箱をひったくって彼に差し出しました。
 彼は筆箱を開くと、中に入っているペンを見ておぉっ、と感嘆の声をあげました。
「しゃーぷぺんしる、鉛の芯で文字を書くという点においては鉛筆と似ているが、材質が木ではないな。この突起を押すと芯が出てくる仕組みなのか。それにしても芯がとてつもなく細い。触れれば折れてしまいそうだ」
「私のペン、食べちゃわないでしょうね」蓮子は私にしがみつきながら怪訝そうに男性を眺めていました。
 だから噛み付かないって、と私は蓮子をたしなめました。
「これはまじっくぺん……中に入った黒い液体が先端から滲み出て文字を書くのか。ふむ、筆みたいなものだな。しかしどれもこれも見たことのないものばかりだ」そう言って彼は硬直し、油の切れた自動人形みたいにギギギとぎこちない動きでこちらを向きました。
「まさか、これも百五十円もするんじゃないだろうね?」
「百五十円どころか、一本でななひゃもごもが」私は蓮子の口にハンケチーフを詰め込みました。
 きっと本当の値段を入ったら彼は階段から転げ落ちてしまうに違いありません。
「これ、イッポンで一円ダヨ」自分で言っておいてなんとも馬鹿らしい発言です。
 しかし、男性の方はなにやら納得したご様子でした。
「なるほど、それなりには高いが、そのぺっとぼとるに比べると随分と良心的だ」
 一円でも高いって、この人の頭の中で物価はいったいどうなっているのでしょうか。
 まさか〇・一円や〇・〇一円なんて言い出すことはないでしょう。
 と、蓮子は口にハンケチーフを詰め込んだまま、なにやらムツカシイ顔をして彼のことをじっと見ておりました。
 もしかして、ほの字でしょうか。
「違うわよ。ただ、もしかしたらって思って。この人、多分ずっと昔、数百年は前の人よ」そう蓮子は言いました。
「ムカシの人、なんでココにいる? テイムスリッパ?」
「もしくは、タイムスリップしたのは私たちかもしれないわね」
 彼は筆箱の中のペンを一本一本食い入るように見ると、ものは相談なのだが、と話を持ちかけてきました。
「どれか一本でいい、一円、いや二円で売ってくれないか!」そう言って男性は一円玉を二枚、こちらに差し出してきました。
 しかし、それは私が知っている一円玉とは少し違いました。
 まず大きいです。
 百円玉より少し大きいサイズで、材質もアルミではありません。
 表には『一圓』と書かれていて、裏には龍の絵に『年十一治明・本日大』と書かれており、まったくもって意味がわかりません。
 しかし蓮子は理解した様子で、なるほど、となにやら納得した様子でした。
 そして二円らしき硬貨を受け取ると、筆箱から適当に数本のペンを取り出し、それを男性に差し出しました。
「えっ、いいのかい? こんな高価なものをたくさん」
「彼女はね、英国のそれはそれは由緒正しき家系の偉いお嬢様なのよ。今はお忍びでこんな場所に来ているけれどもね。だからこんなペンの一本や二本、大したことないわ」
 英国のそれはそれは由緒正しき家系の偉いお嬢様とは私のことでしょうか。
 私はお嬢様でもなければ、そもそも英国人でもないのですが、蓮子が合わせろと目配せをしてくるので、とりあえず「セレブですわ」と言っておきました。
「そうでしたか、そうとは知らず無礼なことを、おまけにこんなに高価なものをたくさんいただいて、申し訳ない」
「ノブレスオブリージュですわ」
 蓮子が背後でくつくつと小さく笑っているのが聞こえました。
 男性はペンを大切そうに懐へとしまうと、ところで二人はやはり幻想郷を求めてここへ? と訊ねました。
 幻想郷、とは一体なんでしょうか。
 私と蓮子が揃って首を横に降ると、そうか、それなのにこんな場所で出会うとは、これも何かの運命かもしれないね、と男性は優しい笑みを浮かべて言いました。
 どうやらよほどペンを手に入れたのが嬉しかったようです。
「幻想郷、とは?」蓮子が訊ねました。
「幻想郷は、この国にある最後の理想郷だ。今やこの国は科学を信仰し、妖怪や神といった存在を否定している。それら人ならざる者たちにとって、住みにくい環境が構築されているんだ。そんな彼らの理想郷。この世界から失われた存在の最後の居場所。それが幻想郷だよ」
 僕も聞きかじった程度だから、詳しくは知らないけれどね、と付け加えるように男性は言いました。
 幻想郷、人ならざる者の集う場所。
 まるで絵本の中のような話だと私は思いました。
 それに、ならばこの世界はとっくの昔に妖怪や神が存在しなくなっているはずです。
 だって今は科学世紀なのですから。
「と、いうことは、あなたも?」蓮子が訊ねると、男性は少しためらったのち、おもむろに話し始めました。
「そうだよ。僕もその幻想郷を目指している。人ならざる者として、ね」
 それから、男性はぽつぽつと自分のことを語り始め、私と蓮子は黙って聞くに徹しました。
「僕は人妖なんだ。妖怪と人間の間に産まれ、人間と妖怪のそれぞれの血が身体の中を流れている。父と母は僕がまだ幼い頃に殺されてね、二人が話していた幻想郷に、僕一人でも辿り着いてやろうと思ったんだ。それが二人への手向けになるってね」
 父と母が殺されたことに関しては、彼は詳しく語ろうとはしませんでした。
 きっと、妖という異質を認めない人たちによって消されてしまったのでしょう。
「そうだ、妖の血が流れているからか、僕には少し特殊な力が備わっていてね」思いの外暗くなってしまったからか、少し慌てた様子で彼は話を続けました。
「僕はね、物を見ただけでその名前と用途がわかるんだ。それが初めて見たものであっても、どういう訳かね。仕組みはわからないのだけれども」
「物を見ただけで、ですか」
「そう、さっきのぺっとぼとるやしゃーぷぺんしるとかね。ただ、名前と用途がわかっても詳しい使い方がわかる訳ではなくてね、まあそれを模索して解明していくのがまた楽しいんだ」
 そう語る彼は、本当に楽しそうに笑っていました。
「ところで、どうやら君たちにもなにやら不思議な力が宿っている風に見える」
「おや、物だけでなく人のこともお分かりに?」
「いや、これは波長が合うというか、共鳴のようなものだ。なんとなく、似た波長を感じるんだ」
「私たちは人間だからかな、そういったものは感じないですね。でも、正解です。私たち、ちょっと特殊な人間なんですよ」蓮子はそう言って、自分の目に宿った力を説明しました。
 月を見ただけで現在位置がわかり、星を見ただけで現在時刻がわかる能力。
 それが蓮子の目に宿った能力です。
 彼は興味深そうに頷き、君は? と私を見ました。
「ワタシ、ケッカイの境目が、ミエマス」
「私たち、結界を越えてここにきたんですよ」
 蓮子が捕捉するように言うと、なるほど、だからこの世界にはないものを色々と持っているのか、と彼は納得した様子でした。
 それから私たちは、彼に元いた世界のことを話しました。
 彼が言った通り、世界はすでに科学信仰を主としており、妖怪や神といった存在はオカルトという非実在性のものとして扱われていること。
 それでもごく一部にはそういった存在が人知れず人間社会に紛れ込んでいて、私たちも空を自在に飛び回り達磨や金色の招き猫を吐き出す天狗様に出会ったこと。
 東京で大規模なオカルト災害が起こり、それを皮切りに首都が東京から京都に移る遷都が行われたこと。
 ベッドタウンと化した東京と、首都である京都を五十三分で結ぶ地下運行新幹線が開通したこと。
 世界の人口は年々減少傾向にあり、今やゆっくりと滅びへ向かっているとすら言われていること。
 そしてそんな終わりに向かう退屈な世界で、私たちは結界暴きをして遊んでいること。
 彼は興味深そうに話を聞いておりました。
 今から何十年、何百年も先、もし、可能なら、そんな世界を見てみたいものだ、と彼は遥か彼方の山々を眺めながら呟きました。
「僕は、これから幻想郷に入るからね。多分、そうしてそこに住み着くことになる。いつか父と母が来ようとしていた場所だ。あの二人の分もね。でも、もしこの世界が君たちのいた世界に追いついたら、その時は是非とも外の世界を見てみたいものだ」
「もしくは、私たちの方からそちらに訪問するかも」蓮子が悪戯っぽく笑いながら言いました。
「ソウネ、いつか、ダイガクセーになったら、阿呆ガクセーになって、きちゃうかもシレナイ」
「その時は何か珍しいお土産を頼むよ」と彼は笑いました。
 さて、僕はそろそろ行くよ、有意義な時間が過ごせた、君たちに出会えて本当に良かったよ、そう言って彼は立ち上がると、神社の方へと向かって行きました。
「神社の境内は外界と区別された聖域で、境内そのものが結界の境目のようなものなんだ。幻想郷は結界に囲まれた場所だからね、この神社はちょうど幻想郷とこっちの世界とが重なった部分……」
 ふうっと、空間が揺らぐのが見えました。
「つまり、ここは幻想郷に入り込みやすいんだ」
 すっと、彼の姿が影も形もなくなりました。
「消えたっ!」蓮子が驚き叫びました。
 揺らいでいた空間は再び元の形に戻り、そこにはただ寂れた神社がぽつんと佇んでいるだけでした。
 世界は再び静寂に包まれ、どこか遠くから雉鳩の鳴く声が聞こえてきました。
 私と蓮子は再び階段に腰掛け、蓮子は絵の続きを、私はぼうっと青い空を眺めました。
「いつか、いってみましょ。ゲンソーキョーに」
「……そうね。その時はシャーペンとボールペン、新しいのを持って行ってあげましょう」
 それから一時間後、蓮子の風景画は完成しました。
 蓮子の絵は至って人並みで、下手ではありませんでしたが決して上手いとも言えない出来栄えでして。
 言うなれば、
「カモナクフカモナク」
「うるさいわね」
 それから私たちは名前が読めないナントカ神社にお参りをしてから、ここに来たのと同じ結界の境目を通って、元の世界へと戻りました。
 こっちの世界の時間はちょうど夕方ごろで、しかしまだ陽は高く空は青空でした。
「さ、そしたらレンゲサンに頼まれたオカイモノ、しましょっか」そう言って私は鞄の中を探りましたが、蓮花さんに渡されたお買い物メモが見当たりません。
 どうやら神社の境内で落としてしまったようです。
 どうしようとオロオロしていると、ふふんと蓮子が無い胸を張りました。
「大丈夫よ、メリー。メモの内容は全部私の頭の中に入ってるから」そう言って蓮子は自分の頭を人差し指でトントンと小突きました。
「えーっと、人参、じゃがいも、玉ねぎ、しらたき、牛肉だったかしら」
 それから私たちは御池通を挟んだ向こう側の柳馬場通にあるフレスコで食材を買い、家へと戻りました。
「ただいまー」
「タダイマカエリマシタ!」
「お帰りなさい。どう、絵は描けた?」蓮花さんがリビングからひょこっと顔を覗かせました。
「描けたわよ、ほら」
 蓮子が絵を蓮花さんに見せると、蓮花さんは「可もなく不可もなくね」と評価し、蓮子はぷりぷりと怒りました。
「っと、お使い、ちゃんと行ってきてくれた?」
「オクサン、これがホシカッタんだろう?」私はスーパーの袋を蓮花さんに渡しました。
「どこで覚えてくるのよ、そういう言葉」苦笑しながら蓮花さんは袋を開け、「ちょっと、これ、肉じゃがの材料じゃない……カレールゥは?」と言いました。
 その日、晩御飯の肉じゃがはとても美味なものでした。



 その後のことを少しだけ語ることにしましょう。
 結論から言うと、蓮子の宿題は無事に終わりました。
 もっとも、毎日の日記は私が手伝う羽目になり、自由研究の論文は小学生がこんな内容を、しかも阿呆の宇佐見にできるわけがないと先生から疑いの目を向けられ、枯れた朝顔の観察日記は案の定怒られておりました。
 そして九月一日、記念すべき私の小学校デビューの日です。
「緊張しなくても大丈夫よ。簡単な自己紹介でいいんだから」クラスルーム前の廊下で、担任の先生が優しく微笑みかけてくれました。
 私は蓮子に教わった通り、掌に『入』と三回書いて、それを飲み込みましたが、正直空気を飲み込んでいる感覚しかありません。
 ですが、気休め程度には落ち着いたような気がしました。
「ハイ、ダイジョーブです!」私は答えて、先生の後ろを歩いてクラスルームに入りました。
 ざわざわと騒がしかったクラスルームがしんと静まりかえり、皆の視線が一点、私に向けられます。
 穴が空くほど見られるとはまさにこういうことなのでしょう。
 見ると、蓮子はだらしなく机に肘をついて、にやにやと笑みを浮かべておりました。
 さあ失敗してみろ、盛大に笑ってやろうと企んでいる顔に違いありません。
 蓮子を見つけると、私はなんだか苦しかった胸のあたりがすうっと楽になった気がしました。
 私は黒板に向き直り、そこに名前を書きます。
『マエリベリー・ハーン』
 メリーの名前は日本語表記だとこんな感じね、と蓮子が教えてくれた通りに書き、それから再び皆に向き直りました。
 すぅ、と息を吸い、まっすぐに前を向いて、噛まないようゆっくり、はっきり、蓮子に教わった通りに。
「ハジメマシテ! キョーからみなさんとイッショにこの学校に通うことにナリマシタ! マエリベリー・ハーンです! ヨロシクオネガイイタシマス!」
昨日の夜、そういえば書くの忘れてたとプロットを練り始め、なんとか夏休み最終日に間に合わせることができました。やったぜ。
小学生秘封倶楽部シリーズを続けるかは未定です。とりあえず一区切りということで。
それから博麗神社で出会った『彼』のお話も書きたいです。
雨宮和巳
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コメント



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次も楽しみにさせて頂きます。
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よかったです。
懐古趣味が脳にまで達したで笑いました。
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
8.100ひひらぎ削除
よかった