分岐点
-1-
「乙女の寝起きを襲うとは趣味が悪いな。香霖」
嫌味の一つを投げかけても香霖は涼しい顔をしていた。寝起き直後のまどろみの気持ちよさを味わおうとしたらドアのノックであっという間に現実に落とされて、文句の一つも言いたくなるものだ。おかげで急いで着替えて部屋の物を隅に追いやらねばいけなくなった。
「魔理沙に手紙だよ」
嫌味については何も言わず封筒を手渡してきた。その厚かましさは尊敬に値すると考えながら封筒を受け取った。封筒には『魔理沙へ』と書かれていてその筆跡だけで誰が書いた手紙なのか一瞬でわかった。正直読む気にならなかったが、香霖が持ってきたものを捨てるわけにもいかない。
封を開けて手紙を読んだ。確認のためにもう一度読んだ。
「……で?」
それが感想だった。
「明日葬式だから。支度して、家に行くよ」
「なんで行かなきゃいけないんだよ。私は家を出たんだぞ」
「親子の縁はそう簡単には切れないものだよ。墓参りはいつでもできるけど、葬式は一回きりだろ。後で行けばよかったって後悔しても遅いだけだよ」
「後悔なんかしない」
「僕はしたよ」
香霖の過去についてはよく知らない。ひょっとしたら連れていくための嘘なのかもしれない。けれど、いつもよりずっと強い口調で反論を許してくれそうになかった。
「……わかったよ。先に行ってて。箒で追いかけるから」
「里の中では飛んじゃダメだよ」
「わかってるよ。うるさい」
動作が荒いせいか、戸棚を開ける音やタンスを開ける音がいつもより大きかった。閉めようとするとその振動で上からものが降ってきて、それがますます苛立たせた。結局、落ちた物を拾うことなしに家を出た。
できるだけ高く飛んだ。空の青さで気分が変わるかと期待したけどうまくいかない。
手紙は親父の訃報だった。
魔法を学ぶなと言った頑固な親父だった。家を出てからは一度も会わなかった。もちろん手紙も一切ない。年齢を考えたら早死にだ。きっと頑固で短気な性格が寿命を縮めたのだ。
ふと、今はどうなっているのだろうと気になった。サボり魔の死神に連れられて川を渡っているのか。それとも口うるさい閻魔の裁きを受けているのだろうか。娘と仲違いしたのは白なのか、黒なのかどっちだろう。
-2-
「何か言われた?」
「家に戻って店を手伝ってくれだって」
里の飯屋で香霖と食事していた。今日はずっとイライラしっぱなしで、そのせいかあまり食べる気が起きなかった。けど、香霖に気づかれたくないから箸は動かし続けた。
通夜はもう形だけ出席して明日の葬式はきちんと出るということで話がついている。私としても実家からできるだけ離れたかった。そもそも、あそこが実家という認識もあまりなかった。
「戻らないの?」
「やだよ。戻っても碌なことにならない」
戻ったらもう2度と魔法ができないと思う。店に戻って、落ち着いたら親父の一番弟子と結婚することになって、子供を産んで店の中で一生を終える。そんな光景がありありと見える。それが里の中で生きるほとんどの人間が過ごす一生だ。そういう定まった道筋は嫌だった。もっと自由でいたい。
食い物を茶で流し込みながら一番弟子の顔を思い出していた。家を出る前に弟子入りした奴で少しは面識があった。憔悴しきった母さんに代わって葬式の準備を取り仕切っている姿が何度か見えたから、それなりに有能な奴に成長したらしい。嫌いじゃない、でも好きでもない。香霖ほどの男じゃないという印象だ。一緒にいればそれも変わるかもしれないけど、実家に帰る気は露ほどもなかった。
「戻ってもいいと思うよ。親父さんには悪いけどタイミングとしてはいいし、周りも納得してくれる」
その言葉は予想外のもので、頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。足元が頼りなくなって周りの雑音が遠くに行ってしまったようにも感じる。
「そんなこと、言わないでくれよ……」
ぎこちない動きで香霖の手に私の手を乗せた。指の関節がごつごつしていて私とは全然違う手の形をしているのがわかる。
「私は……香霖と一緒にいたいんだよ……お願いだよ……」
喉から絞り出した声は周りの雑音にかき消されそうなほど弱々しかった。反対に心臓の音はうるさいくらいだった。まともに香霖の顔も見ることができず、視線を落として手ばかり見ていた。
「家を離れたいだけだろ?そんな都合よく使わないでほしい」
香霖の言葉が魔法の呪文であるかのように突然視界が滲んだ。たまらず両手で顔を覆う。何も見たくなかったし見せたくもなかった。周りの雑音は完全に聞こえなくなって、世界には私一人しかいないんじゃないかと思えて怖くなった。
-3-
葬式には聖が参加していた。幻想郷に来た当初からうちの店と取引があったみたいで、その関係でやってきたらしい。ちなみに
火葬の間、時間があったので聖と話をした。聖も魔法使いだからそっちの相談ができるかもしれないとの期待もあった。
「お父様、魔理沙さんのこと気にしていましたよ。元気でいるかって」
「初めて聞いたぜ」
「言わないようにと釘を刺されていたんです」
「で、親父は何か言ってた?」
「お転婆なくらい元気ですと伝えたら、嬉しそうな顔で『そうですか』と言っていました」
親父が私を気にしているとは知らなかった。親子の縁を切ったと私は思っていて、野垂れ死にしても関わらないだろうと腹をくくっていた。けど親父はそうは思ってなかったのだろう。
香霖が言っていたことを思い出した。親父が親であろうとしていたのなら、私は子であることから逃げられないのかもしれない。
「魔理沙さん。これからどうするんですか?お店に戻るのですか?」
「……正直言ってよくわからない。店に戻るのは嫌だ。けど、このまま魔法を続けるのもなんか違うと思うんだ」
ついさっき、母さんが泣いていた。
いつも親父の一歩後ろにいて自分の意見は滅多に言わない人だった。私にとっては参考にしたくない女性の筆頭で反面教師だった。けど、いつも私を気にかけていたのは知っている。家を出たとき母さんは見送ってくれた。香霖に様子を尋ねたこともあったと聞いていた。
そんな母さんの泣き顔がさっきから忘れられない。写真みたいにあの光景が目蓋に焼き付いていた。泣いている姿を見たとき、これだけ泣いてくれたんだからきっと親父は白だと突拍子もなく考えたりもした。
そういうのを見ていると離れて魔法を続けていいのかと疑問を感じるようになった。
職業柄だろうか、聖は私の思いを見透かしていたようだった。
「魔理沙さん。お父様はもういないんですよ。これからお店を切り盛りするのはお母様だけです。魔理沙さんはお母様のいるあの店が嫌いなのですか?」
聖の言葉が雷みたいに響いた。私にとって店と親父は同じもので、店に戻ることは親父の顔を見るような気分だった。
店と親父を切り離して考えたことがなかった。
店に行っても親父はいないんだよな。
少し視線を上げて空を見た。青空を縦に切り裂くように親父を焼いた煙が上がっている。空を飛んでいたら出くわすこともあるのかな、と柄にもなく感傷にふけった。
「……いや、嫌いじゃない」
ようやくひねり出した言葉がそれだった。
また、視界が滲んだ。悲しいわけじゃない、母さんの泣き顔が忘れられないせいだ、と言い聞かせたようとしたけど溢れ出るものは留まらない。聖に声を聞かれないようにするのが精いっぱいだった。落ち着くのにだいぶ時間がかかってしまった。
「そろそろ時間です。戻りましょう」
聖と肩を並べて歩いた。来た時よりも道のりは遠く感じた。
「なあ、どうすればいいんだろう?」
「私からは何とも言えませんが、魔法は目的ではなく手段だと思っています。そこから考えてみてはどうでしょう」
私にとって魔法ってなんだっけ?
-4-
実家の畳の上で仰向けになっていた。時刻は深夜で明かりも一切なく自分以外は寝ているはずだった。両手を重ねて少し開く。すると金粉のような細かい光の粒子が両手の間に漂って私と部屋全体を照らした。
魔法に初めて出会ったのはこの店だった。店に来た客が待ち時間に見せてくれた。どんな人だったかは思い出せないがとにかくキラキラしていてどんな宝石より素晴らしいものに見えた。私もこれができるようになりたい、と思った。
私が魔法を始めたきっかけは憧れだった。今も興味のおもむくまま手当たり次第に学んでいる。魔法使いになるからにはパチュリーの属性やアリスの人形のように具体的なテーマが欲しいと思っていた。けど、いままでやってきた光とパワーの魔法ではいずれ頭打ちになってしまう。興味のあることは山ほどあるけど、テーマとなるような共通点をその中から見つけることができていない。
中途半端だった。
アリスのような自律人形といった具体的な目標も。
パチュリーのような本の虫になれる純粋さも。
聖のような人と妖怪の平等という理想や自己犠牲も。
何もなかった。憧れから得られたものは自己満足だけだった。
私はただの我儘な人間の少女だったのかもしれない。
そう思うと泣きそうになった。
家を出て店を正面から眺めてみた。こんな夜遅くでは人の気配はしないが、昼にはたくさんの人がこの店にやってくる。小さい頃は親父と母さんと一緒に店を手伝っていた。親父のうるさいくらい大きな声と母さんの笑顔を見るのがあの頃は好きだった。認めたくないけど、このお店を支えていたのは親父だ。この先、この店がどうなるか考えると不安になる。
この店はただの少女、霧雨魔理沙と魔法使いを目指す少女、霧雨魔理沙の原点だ。親父は今でも好きじゃないけど、この店は小さい時の思い出もたくさんある大切な場所だ。
ここから離れられなくなってしまったじゃないか。
-5-
「来なくていいって言っただろう」
「歩いていくなら僕のほうが詳しいよ」
歩きであっても私が神社への道を間違えるはずがないだろう。香霖のおせっかいが。
「箒とか魔導書とかそのうち香霖のところに持っていくから。預かっていてくれよ」
「魔法はどうするの?」
「一時休業だよ。アイディアをしばらくため込む」
歩きながら腕を伸ばした。見上げると木々の隙間から空が見えた。
しばらくはこうやって空を見ることになるんだろうな。別に後悔はない。地上にも楽しいものはたくさんある。
「パチュリーとアリスに本を返さないとな。整理が大変だ」
「分別してくれたら。届けるよ」
「いや、私がやるのが筋だろう。お礼もしないと」
「そういう形を気にするところは親父さんゆずりだね」
私は一瞬立ち止まった。その間に香霖が先に進んだけど、小走りで香霖の前で仁王立ちした。
「香霖。これは女としての忠告だけどな」
今の私はちゃんと笑っているだろうか。
「お前は余計なひと言とか余計な行動が非常に多いんだよ。その調子だといずれ痛い目にあうぞ」
香霖は肩をすくめて笑っていた。
「せいぜい気を付けるよ」
わかってないだろう。こうなったきっかけの一つがお前なんだぞ。馬鹿野郎。
博麗神社の石造りの階段が目の前に迫ってきた。
「ここでいいよ。あとは一人で行く」
「わかった」
箒は置いてきたから歩いて登っている。いつもめんどくさがって飛んでいるから神社の階段がどのくらいの長さかよくわかっていなかった。
霊夢には何も言わずに決めた。どう反応するだろう。怒るか、寂しがるか、その両方か。あいつにこんな真面目な話をするのは初めてだからうまく伝えられるかわからないし、どうなるかわからない。けど、どんなことがあっても霊夢と私の関係は変わらないと思う。そう信じてる。
神社の鳥居と青空が見えてきた。ここの空で霊夢とたくさん飛んで、たくさん弾幕をした。
霊夢はどうしているだろう。元気に飛んでいるだろうか。
魔理沙も悩むべくして悩み、そして答えを出していったのでしょう。
人の輪に戻る、妥協するを「大人になる」と表現するならば、例え憧れから始まった感情であっても、誰よりも負けん気強い魔理沙に己の道を捨てさせるにはもうひと波乱欲しいかも?