Coolier - 新生・東方創想話

ニオファイト

2015/08/21 21:41:57
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 宇佐見菫子には超能力がある。
 それもTVや胡散臭い雑誌なんかで時々見るようなエセ能力では無い、本物の超能力だ。
 そんな能力を使って、菫子は夢を介して違う世界に渡る事が出来る。
 今はもう見る事のない、妖魔怪異が跋扈する世界、幻想郷だ。
 とてつもなく好戦的で恐ろしい連中が住む世界だが……菫子にとっては魅力的な世界であった。
 そもそも、菫子は自分が生まれ育った世界に左程に興味があるわけでは無い。
 普通の人間よりも優れた頭脳と
 普通の人間には持ちえない力を持つ人間が
 普通の人間ですらコンピュータネットワークで万象を知る事が出来る時代に、世界に対しての興味など持つなど考えられない事である。
 そんなものよりも、夢と不思議に満ちて自分の力も振るえる幻想郷は菫子にとってまさに理想郷なのである。

 だから、今日も菫子は夢を見るのだ。
 学校の授業中であろうと構いはしない。
 勉学など、すぐに理解できてしまう菫子にとっては面白くもなんともない。

 オカルトサークル「秘封倶楽部」の会長を自称する宇佐見菫子にとって、世界は己一人であった。
 それで困った事もない。
 むしろ、ずかずかと入り込まれる方が困る。

 そう、困るのだ。
 困るのだが……所詮、これらすべてが菫子の主観である故に
 菫子の思い通りにいかないというのを、菫子はあまり考えていなかった。


    * * *



「きゃうっ!?」

 全身を揺らすような振動を感じて、菫子は薄暗い森の小道から、強制的に学校の教室に引き戻される。
 何事かとおもって周囲を見渡してみる。
 梅雨に差し掛かった強い日差しの中、自分以外だれもいない教室。
 はて、皆どこに行ったのかと疑問に思うよりも前、途轍もなく不愉快な色を含んだ声が上から浴びせられる。

「おい、いつまで寝てるんだ。教室移動するぞ」

 視線を向けて見れば、一人の男子が菫子をバカにしたような目で見ている。

 えぇっと、誰だっけ

 名前を思い出す事が出来ない。
 見たことはある、が、名前は覚えていない。
 見たことはあるので、同じクラスの男子なのは間違いないだろう。

「まだ寝ぼけてるのか?」

 ただでさえ不機嫌な顔を、ますます歪めて。
 そこまでいって、ようやく菫子はこの男子が自分を起こしたのだと理解する。
 おそらく、「叩き起こした」のだろう。机辺りを蹴って。

「ちょ、ちょっと何するのよ!」
「何って、教室移動なのにいつまでも寝てるから起こしたんじゃないか」
「蹴ったでしょ! 机!」
「声かけても、ゆすっても起きないお前が悪いんだろ」
「あぁ、もう、折角面白そうな場所見つけたのに」

 あからさまに空気の悪い、謎に満ちた森に入ろうとしていた処から、太陽がきつく降り注ぐ教室に戻されて、菫子は嘆息する。
 男子は「何を言っているんだお前は」と訳が判らないと吐き捨てると、そのまま教室を出てゆこうとする。
 ドアの手前で振り返って。

「……言っておくけど、理科室だからな」
「……次、理科だっけ?」

 時間割に目を向ける。
 4時限目、確かに理科だ。
 男子は片眉を吊り上げて、菫子とは違う意味で嘆息すると、そのまま出て行ってしまった。
 その後ろ姿をぼけっと見送って、菫子は頭を掻き毟る。

 5月頭の教室は、日が指してはいるがそれほどに暑くはない。
 おそらく、窓を閉めて左程時間が経っていないのだろう、確か今日は風が吹いていたから、窓を開ければ気持ちの良い風が吹き込んでくるに違いない。
 誰もいない教室で、風に吹かれながら夢を見る。
 悪くないかもしれないが、さっき乱暴にされてしまったせいですぐに眠る気になれない。
 仕方がない、と教科書とノートを手に教室を出る。
 夢を見るのは理科の時間が終わってからでいい、また教室に戻るときに起こされるのも面倒だ。

 休み時間も残り少ないので、すこし急いでみる。
 途中の階段なんか、周りに誰もいないのを確認して、超能力で全段抜かしの一跳び。
 上手く着地を決めて、ドヤ顔決めて時間ロス。
 とはいえ、間に合わなくなるようなロスではない。
 チャイムが鳴る前に理科室に滑り込み、出席番号で決められた席に座る。

 あれ?

 と菫子は首を傾げる。
 自分が座った真ん前に、さっきの男子が座っていたからだ。
 はて、いつもそうであっただろうか。
 思いだそうとして、いつも自分の眼前にいたのを思い出す。
 というか、席が近いから見覚えがあったのだ。
 男子は菫子をチラりと見ると、そのまま開いたノートの確認に戻ってしまった。

 何よ、感じ悪い。

 少しばかりむっとするが、どうでもいい事なのでそのまま放置しておく事にする。
 そうしている内に、チャイムが鳴って授業が始まる。
 予想通りの、退屈極まりない。
 そもそも、内容なんて教科書を読んでいけば判るような事ばかりじゃないか。
 とりあえず、ノートに内容を書き込みこそするが、要はテストの成績が良ければいいのだから、ノートを取っても取らなくても大して意味が無い気がする。

 眼の前の男子は、何か必死になってノートに書き込んでいる。
 それを見て、菫子は驚きで目を見開いた。
 まさか、授業を真剣にうけているのだろうか。

 生真面目だなー

 こんなもの、コツがわかればすぐなのに。
 結局の処、この男子も菫子にとっては眼前に広がる光景を構成する一部でしかない。
 最悪の関わり方をしたので、多少は印象に残るかもしれないが、いずれはそれも消えてしまうだろう。
 あくびを一つして、面白くもない一日がながれようとしていた。


     * * *


 と、ここで終わっていれば、菫子にとって幸せだったかもしれない。
 何の因果かしらないが、菫子はこの男子と関わる羽目になってしまっている。
 いや、関わるというか関わってきているというべきか。
 兎に角、顔を合わせる時間が増えたのだ。
 理由は……あえて言うまでもないだろう。

「おい、起きろ」

 体を大きく揺すられて、菫子は現実に引き戻される。
 目の前には、やはりあの男子がいた。
 またもや夢を邪魔されて、菫子は少し恨めし気に男子を一瞥する。

「お前、ほんと寝てばっかりいるよな」
「……うるさい」

 呆れ気味につぶやく男子に、菫子はぶっきらぼうに返した。
 この処、菫子は学校で夢をみる機会がすっかり減っていた。
 菫子が夢を見ても、なにかあるとこの男子が起こしにかかるのだ。
 しかも、最初の時と同じように机を蹴るなんて当たり前の様に。
 何度か文句を言いもしたが、「寝ているお前が悪い」の一言でばっさり切り捨てられる始末で、最近はもう何かをいう気分ですらなくなっていた。
 蹴られるのも嫌なので、浅い眠りでもなんとか夢を見ることはできないかと試みているが、やはりうまくいかない。

「今、何時?」
「4時」

 そればかりか、こんな風に時間ばっかりがもったいなく過ぎてしまう。
 まだまだ明るく、部活動の声が聞こえる教室で菫子は何度になるか分からないため息を吐いた。
 ため息を吐くと幸せが逃げるというが、今の状況では幸せが逃げてからため息を吐いている。

「お前、部活やってないだろあんまり遅くまで残ってるなよ」
「失敬な、これでも秘封倶楽部の会長よ私は」
「非認可の私的サークルは部活って言わないんだよ」

 正論を言われて、流石にむっとする。

「そういうアンタは部活どうしたのよ」
「天文部は今日は活動無し」

 お前と違って、ちゃんと部活動してると言われたような気がして。
 散々に眠りを邪魔されている事も頭にきてるので、ささやかな報復を仕掛けてやる事にした。
 報復、と言っても本当にささやかだ。
 ただ、自分のサイコキネシスで、机の上の彼のカバンを落としてやるだけ。
 ドサリ、と以外に重い音を立ててカバンが落ちて、中からノートや筆箱が飛び出してくる。
 彼は驚いたようにカバンを拾い上げ、散乱したものを拾い集め。
 菫子も、足元に滑ってきたノートを拾い上げる。
 中には、授業の内容があまりきれいとは言えない纏め方で記されていた。
 こんな纏め方、却って判りづらくないのかなぁと眺めていると、間違いがある事に気が付く。

「あれ、ここ間違ってる」
「何?」
「ここ、数式ちがってる。あ、ここも」

 ノートを机の上に広げて、間違いを指摘する。
 すると、彼は自分の椅子をひっぱってきて、菫子の机の前において、そこに座ってノートを覗き込み始めた。

「ちがうのか、これ」
「違うわよ、これじゃ途中を抜いて計算してるじゃない」

 真剣に授業を受けてる割にはずさんなと思いつつ、菫子は間違いを正してゆく。
 彼は、その話を最初は理解できなかったようだが、しだいに自分の間違いに気が付いてゆき、ただしい計算式を新たにノートに書き込んでいった。

「全く、これじゃノートとってる意味ないじゃない」
「いや、まぁ……」

 珍しい、バツの悪そうな彼の顔。
 初めて一本取ったようで菫子はちょっと胸がすっとする。

「それにしても、宇佐見は寝てばっかなのによくわかるな」
「ふふん、当然」

 昔から、頭の良さには自信があるのだ。
 その内、寝てばかりいるのに成績の良い女子生徒という都市伝説になる自信だってある。

「ちゃんと真面目に授業受ければいいじゃないか」
「そんなの私の勝手でしょ、テストだって点はとれるんだから」
「いや、テストだけの話じゃなくてな」
「何よ」
「お前、あんまり良い話聞かないぞ、何考えてるかわからないって」
「それが何か困る事?」
「困るだろ。それじゃお前が孤立しちゃうじゃないか」

 孤立などしても左程に困る事では無い。
 確かに、友人がいるのはそう悪くは無いと思うが、べつにいなくても困るという話でもない。
 楽しければ交流する価値もあるかもしれないが、こちら側にそこまでの価値があるとは思えない。

「やっぱ宇佐見って色々損してる気がする」
「べっつに? そんな事無いわよ」
「そうか? 勉強できるんだったら、それをもっと活かそうとか思わないのか?」
「勉強なんかに興味ないわ」
「じゃあ、何に興味あるんだ?」
「教えない」

 幻想郷の事など、教えても信じないだろうし理解もしないだろう。

「まぁ、いいけどさ、授業中に寝るのはよせよ。いちいち起こさなきゃいけなくなる」
「起こさなければいいじゃない」
「そのままだと、お前ずっとねてるだろ」

 菫子本人は、そうしていたいのだが。
 抗議の意味を兼ねて(講義にかかってて中々に巧い表現だと菫子は思っている)彼の足を軽く蹴る。

「うおっ」
「そんなのどうでもいいでしょ。ほら、ここの計算、ちゃんと理解した? もう一回やり直すわよ」
「へーい、よろしくおねがいします」

 軽い口調でペコリと頭を下げる。
 まぁ、悪い奴では無いのだろう、いつも授業は真面目に受けてるし。
 今蹴った事には何にも言わないし。

 結局、その日、二人は部活動をしている訳でも無いのに、閉校時間ぎりぎりまで教室に残っていた。


    * * *


 この頃辺りだろうか。菫子が学校で夢を見る時間がだんだんと減っていったのは。
 夢を見ても、無理矢理に起こされてしまっては敵わない。
 なにせ幻想郷は意外と広いのだ、何かある度に起こされてしまったら、何をするにも時間が足りない。
 その代り、彼との小言の言い合いや小突きあいの時間が増えてしまっている。

「あー……体育祭なんて概念滅びちゃえば良いのに」
「またそれかよ」
「だってさーこの暑い中で余計に汗かくって嫌じゃない?」
「そりゃあ、まぁ……確かに」

 プルーン味のヨーグルトジュースをパックから吸い上げながら、彼が苦笑する。
 この時代、日本は6月でも暑い。
 なんでこんな暑いなか体育祭なんてあるのだろうか、秋の一回だけで良いじゃないか。

「宇佐見は運動神経もわるくないのになぁ」
「それとコレとは話が別。あんただって球技の類は得意でしょ」
「得意って訳じゃねーよ」

 ずぞぞぞと汚い音がパックから聞こえる。
 名残惜しそうにストローを動かしていたが、もう一滴も残っていないのを確認して、わざわざ直接ゴミ箱に捨てに行く。
 ゴミ箱の距離が近いんだから、投げちゃっても良いのに。
 そう思う一方で、そんな事はしないだろうなとも理解している。
 授業も真面目に受けるし、運動だって全力でやる、勿論、ゴミだってきちっと片づける。
 最初に抱いたイメージそのままに、中々に生真面目な性格なのであった。

「んで、宇佐見は単距離?」
「そう、リレーとか長距離とかやってられないし」
「はっきりしてんなぁ」
「そういうアンタは?」
「バスケ」
「うわぁ」
「なんだよ」
「なんかバスケって気取ってるっぽい」
「ものすごい偏見だなそれ!?」
「ほら、漫画なんかでよく人気じゃないバスケって」
「そりゃまぁ、漫画から感化されて始める奴だって多いだろうけど、それは絶対違う」

 そんなやり取りをしながら、菫子は卵サンドを一口頬張る。
 やっぱこういうのは幻想郷には無い味よねー、コンビニ万歳。
 なんとも小市民的な幸福をかみしめて、菫子は外を眺める。
 太陽が降り注いで、良い天気なのが恨めしい。

「当日に雨でも降らないかなぁ」
「延期になるだけだぞ」
「延期先でも雨がふれば」
「ねぇよ」
「雨を降らせる能力とか使って」
「お前の方、漫画と現実ごっちゃにしてないか」
「漫画じゃないし」
「ゲーム?」
「……夢」

 実際には、夢ではない。
 幻想郷は夢として存在しているのではない。現実に存在している。
 故に、ある種の天候操作能力(彼女はこれを奇跡と称している)をもつ人間(正確には現人神らしいが)も実在している。
 ただ、菫子は幻想郷に夢を介して渡っている為に、感覚的に現実とは言いづらいし、ましてやそうした力を持たない者に、幻想郷の事言っても信じないだろうという事も弁えていた。

「夢の中の事、覚えてるのか」
「私の天才的な頭脳を以てすれば容易いことよ」
「そりゃすごい」

 彼が手を伸ばそうとしたハムサンドを横からかっさらって口に放り込む。

「ちょっ、おまっ、俺のハムサンド!」
「いいじゃない、放課後に単距離の練習よ、練習。あぁ、嫌になっちゃう。せめてたくさん食べないと持たないわ」

 口に含んだ玉ねぎの刺激が心地よい。
 昔は苦手だったけど、成長すると悪くない。
 うん、大人になってる。

「俺だってバスケ練習だよ!」
「いいじゃなーい、ほら応援に行ってあげるからさー」
「応援よりも腹が重要だ!」
「ひっど! やっぱ応援やめた」

 元より行く気などさらさらないのだが。
 あぁ、それより練習か。
 ますます夢に割ける時間が無くなっちゃう。

 晴れた空ににつかわない暗鬱な気持ちを、ハムと一緒に呑み込んで。
 青春の声に満ちた校庭をぼんやりと眺める。
 太陽と同じぐらい、明るい声。
 自分が輝いているのだと、信じ切ってる声。
 ふん、バカみたいと心の中で毒づいて。
 世界にはもっと大きな輝きがあるのだと嘯いて。
 次にあの輝かしい幻想郷にいけるのはいつになるのやら。

 自分が幻想郷に行きづらくなった元凶を横目でチラリと見やる。

「ねぇ」
「ん?」
「アンタ、ホントに真面目よね」
「なんだよいきなり」
「バスケの練習行くんでしょ?」
「そりゃ行くよ」
「中間の時もしっかり勉強してたしさ」

 そうだ、この前の中間テストの時、彼は菫子に頭を下げて教えを乞うた。
 菫子としては戸惑ったものの、なんやかんやと勉強を手伝う羽目になってしまい、そのお陰でまたも夢を見る時間が減ったのだ。
 おまけに、自分では理解しているのに他人に教えるというのが意外にも面倒で苦労している。

「あの時は、本当に感謝しています」

 彼が深々と頭を下げる。
 感謝されるのは悪い気がしない。
 ふふん、と鼻で笑って、パックの紅茶を啜る。

「勉強に運動に、青春真っ盛りって感じ」
「ん、というか、俺は凡人だから。何をするにも真剣にやらないと」

 菫子は、ストローから口を離して改めて彼に視線を送る。
 自分の事を、凡人だなどと、そんな事を口にする人間を菫子は初めて見た。
 茶化している訳でも何でもなく、ごく自然に。

「自分で言っちゃうんだそういう事」
「事実だからな。勉強じゃ宇佐見に敵わないだろ?」

 比較する対象が悪いと思う。

「でも、頑張っちゃうんだ」
「うん」
「なんで?」
「………俺は、俺の事ちゃんと知っておきたい」

 おもわず、「はぁ?」と声が出てしまう。
 自分の事を知っておきたい?
 なんだろう、なんか変な宗教だろうか。

「俺ってさ、凡人じゃん」
「うん、それはさっき聞いた」
「頭が特別良いわけでもないし、運動だってすごい得意な訳じゃない。だから考えるんだよ、俺ってなんなんだろうって」

 彼が、視線を向ける。
 青春の輝きが散らばる、その庭を。

「あそこにいる皆、ここにいる皆。一人一人が俺より頭良かったり、何か特技があったり、好きな事があったり。その逆もあったりしてさ」
「……」
「別に馬鹿にしてる、とかじゃないんだ。でも、ある時ふと気が付くんだよな、俺は他の大勢と何にも変わらないただ普通の凡人なんだって」
「だから努力するの?」
「うん、いろんな事頑張ってさ、真剣にやって。自分が何をどこまで出来るのかちゃんと知りたい。自分が何が好きで、何をするべきなのか、何をしたいのか」
「えーっと……才能有の奴らに勝ちたいとかじゃなくて?」
「宇佐見は、俺に勉強で負ける要素ある?」
「無い」
「そういう事」
「面白いの? そんな生き方」
「面白いかつまんないかは、これからかな」

 彼が、笑った。
 菫子には解らない笑顔だった。
 自分が凡人で、他人に敵わないなんてそんな諦めたような考え方なのに。
 他人との関わりが薄い菫子にすら、判ってしまうぐらいに、自嘲してる訳でも、僻んでる訳でも無い、ただの笑顔だった。
 だからこそ、余計に理解出来ない。

「天文部に入ったのも?」
「うん、天体観測なんて普通の授業じゃやらないからさ、違う体験したくて」

 違う体験。
 菫子は、それを知っている。
 きっと他の誰も知らない、菫子だけの「違う体験」だ。

「ねぇ」
「うん?」
「超能力って欲しくない?」

 欲しい、と言われてもあげられるものではないが
 いや、あの片腕仙人とかの処で修行させればあるいは。
 超能力と言うより仙術だけれども。

「超能力?」
「そう、空を飛んだり、念力で物を動かしたり」
「テレポーテーションしたり?」
「そう! それで人ならざる者との真剣勝負!」

 菫子の勢いが面白かったのか、彼はそこでぷっと吹き出す。

「ははは、そりゃすごいや。うん、あったら楽しそうだな」
「でしょ?」
「楽しいだろうけど……いや、俺は要らないかな」
「要らない?」
「うん、俺は、他人と違う自分になりたいんじゃないんだ。自分を突き詰めてみたいだけ」
「それって、何が違うの?」
「なんて言えば良いのかな。うん、他人と違うってあんまり意味が無いと思うんだ」
「ふぅん」

 素気ない返事の振りをしながら、菫子はつまらなそうにストローに口を付ける。
 不満をぶくぶくと紅茶の中に吹き込んで。
 彼が手を伸ばそうとしたツナサンドを横からかっさらうのであった。



 いつもだとここで終わりだった。
 後は午後の授業を終えて、彼は天文部の活動があればそっちに行ってしまうし、自分はさっさと帰ってしまう。
 帰る方向も違うから、別れの挨拶だけして、一日はお終い。

 そうなのだけれど。
 短距離走の練習が終わって、すこし気になって足が向いてしまう。

 応援するつもりなんて欠片も無いけれど、そっと体育館を覗いてみる。
 そこには、周囲に負けないぐらいの勢いで、必死にボールを奪おうと奮戦する彼の姿があった。
 その姿を、凡人と言えるのか、菫子には良く分からない。
 自分を凡人と言いながら、それを全く気にも留めていないような彼の姿があるだけだ。

 あんなに、必死にならなくたって、すごい事なんてすぐ近くにあるんだから。
 絶対に、絶対に楽しいんだから。
 普通の人間なんか、目じゃないくらいに。
 この力の素晴らしさを理解すれば、きっと誰もが手にしたくなる。
 この力を思いっきり振るえる場所を知れば、きっとその場所に夢中になる。

 そうだ、自分は秘封倶楽部の初代会長。
 「ひみつをあばくもの」なのだ。
 なればこそ、暴いた秘密を、誰かに知らしめるのだって自分の勤めのはずだ。

 背にした体育館に、ちらりと視線を向けて、あの夢の住民達のような悪戯な笑みを湛えて。
 今に見てなさい、と届きもしない挑戦を叩き付けるのであった。


    * * *


 数日後の放課後。
 学校のある部屋に、菫子は彼と二人っきりで過ごしていた。
 別に色気があるわけじゃない。
 ただ、体育祭の準備をやっているだけだ。
 窓を全開にしてるのに他の生徒たちの声も少し遠い。
 締め切っているよりはマシだが、風が入ってこないので、割と暑い。

「しっかし、本当に珍しいよな」
「それ、もう何回も聞いた」
「いや、だってさぁ」
「何よ、おかしいっていうの」
「おかしいだろ」

 菫子自身もらしくないというのは自覚している。
 きっと、菫子を知るならば周囲もおかしいと思うかもしれない。
 しかし、所詮は学校の教師である。
 生徒会だけでは手が回らないし、面倒な事をやりたがる者は少ない。
 そんな中で自発的に仕事をする生徒が現れれば特に何の疑問もなく任せてしまうものだ。
 実にチョロい。

「何ニヤニヤしてるんだよ」
「べっつにー?」

 チョロいと言えば彼もチョロい。
 仕事を手伝ってくれ、と頼めば訝しみながらも二つ返事で引き受けてくれる。
 何も知らずに罠にかかった憐れなターゲットを前に、菫子の表情はどうしても歪んでしまう。
 せっせとプログラム表を作成する彼の姿には感謝するが、それとこれは話が別だ。

 さぁ、はじめましょうか
 現実を掻き乱す、秘められた幻想の一幕を

 ドサリ、と音を立てて、彼の筆箱が床に落ちた。
 落ちるような場所には置いてなかったのに。
 少し不思議そうな顔で、筆箱を拾い上げようとした時、むやみやたらと大きい音が部屋に響き渡る。
 彼が驚いて周囲を見渡すと、さっきまで開いていたはずの窓が、全て閉まっていた。
 鍵までも全て下ろされていたが、それを確かめる事は出来ない。
 なぜならば、嵐が吹き始めたからだ。
 ただの嵐ならば人の目でも見えるだろう。
 風の唸り、稲妻の煌めき、闇を齎す雲。
 だが、その嵐は人の目には見えない。
 部屋の中を、無数の紙が舞い踊り、動くはずのない品々が縦横無尽に飛び交う。
 嵐が持たす結果だけが、嵐が起きている事を証明するのだ。

「うわぁ!」

 たまらず、悲鳴が上がる。
 何が起きているのか、理解できるはずもない。
 ただの人間である彼には、この様な力の奔流は今までに感じたことの無いものだ。
 今この場で、これを知るのはただ一人。

 ルーンの煌めくマントが翻る。
 嵐の中心、力の源泉に、彼女はいた。

「ようこそ――この真なる夢幻能の世界に」

 夢幻能。
 そう、能だ。
 ここは宇佐見菫子を示す舞台。
 宇佐見菫子の権能を以て、現世と異なる、夢幻を魅せる舞台なのだ。

「うさ、み ?」

 彼が、この舞台の「ワキ」が宇佐見菫子の「シテ」の名を呼ぶ。
 ただひたすらの驚愕をもって、茫然と菫子を「見上げて」いた。
 なんて事は無い、ただ単に菫子が浮いているだけにしか過ぎないが、それは彼にとって十分過ほどの「異常」であった。

「宇佐見、これ」
「これが、貴方が要らないって言った、超能力よ」

 菫子は、笑って力を強くする。
 彼を襲う嵐は、ますます勢いを増し、翻る大量の紙がまるで二人を分かつ壁の様であった。
 なすすべもなく、蹲る彼をみて、菫子は嘗てない高揚感を覚える。 
 あの幻想郷を暴いた時よりも、更なる高揚感。

 ワキとシテの差異こそあるが、今、彼と菫子は同じ舞台に立っている。
 今この場は、現実では無い。
 菫子が創った夢の世界であった。
 
 そしてこの夢の世界は、最後の一手で完成する。
 彼を、現在から解放する。
 以前の自分がそうであったように。
 恐怖を以て、幻想―非常識―をその内に秘めるのだ。

 菫子の手にしたソレが、パァンと乾いた音を立て、舞い踊っていた紙が幾つか吹き飛ぶ。

「!?」
「どう? コレは不格好だけど、必殺の武器よ」

 3Dプリンターという、文明の利器が生み出した銃を彼に向けた。
 実際には弾丸にゴムを用いているので、必殺には程遠い。
 だが重要なのは、普通では無い状況にする事なのだ。
 夢幻が、現在を圧倒し、夢幻の価値が現在を無価値にする。

 夢の完成を目前にして、菫子の心は完全に舞い上がっていた。
 彼を、自分の夢の中に引き込むのだ。
 世界には、もっともっと大きな輝きがあると、示すために。
 だからこそ、菫子は彼の目が急激に冷えていくのを気が付かなかった。

「撃つのか」

 嵐をものともせず、静かな声が夢を貫く。
 菫子がはたと気を向けると、そこには想像とは全く違う姿があった。

「それで、俺を撃つのか」

 驚きも恐怖もなく、蹲ってすらいない。
 嵐の中を、まるで眠りから覚めた獣の様に、立ち上がる。
 菫子は、理解できずに目を見開いた。
 超常の力と、非常識な銃口を前にして。

「撃ってみろよ」

 現が声を上げる。
 一歩、前に出て、夢が切り裂かれる。

「ちょっ」
「撃ってみろよ」

 菫子は撃つ気もなかった銃を、両手で構える。
 撃つわけが無い。
 彼は、ただの人なのだ。
 あの非常識の塊である幻想の存在とは違う。
 それでも、ただの人である彼が、その時の菫子には何故か恐ろしかった。

「撃ってみろよ」

 彼がまた近づいて、二人の距離が縮まる。
 いくらゴム弾でも、至近距離で撃たれれば間違いなく怪我をする。
 この銃が、何かしらの威力をもっているのは、判っているはずだ。

「近づかないで!」

 圧倒的な立場にいるはずの、菫子が悲鳴を上げる。
 ただの人間の怒りを孕んだ声が、こんなにも怖いのは初めて……否、極めて久しぶりだった。

 銃口が、彼の額に触れる。
 彼の弓の様に引き絞られた目が菫子を見上げ、菫子の淀んだ目が彼を見下ろしていた。
 いつの間にか、引き金に指がかかっている。
 自分が、震えている事すら菫子は気が付いていない。

「撃ってみろっつってんだよッッ!!!」

 獣が咆えたようであった。
 菫子が自慢げに作り上げた夢を、一気呵成に踏み潰す、燃えるような獣の声。
 声にならない悲鳴を上げ、菫子は手に持っていた銃を落とし、それと同時に嵐もピタリと消え失せてしまった。
 宙を待っていた全てが床に落ちる、耳障りな音。
 菫子自身も堕ちて、その小さな尻を思いっきり叩き付けてしまった。
 彼が床に落ちた銃を蹴り飛ばし、直後、菫子の頬を熱い衝撃が叩く。

「この馬鹿ッ! 銃を人に向けるとか何考えるんだお前は!!」

 彼の、平手撃ちだった。
 超能力なんてもたない普通の人間の打撃と、常識の世界での当たり前の怒り。
 どこにでもあるはずの、しかし、今まで想像もしていなかった痛み。
 幻想郷で、もっと怖いものや痛い事を知ってるはずなのに。
 それが、菫子の何かを確かに圧し折っていた。

「あ……ごめん、な…さい……」

 自然と口に出てしまった言葉。
 まるで父に怒られた子供の様に、か細い一言。
 人ならば大抵は経験する、そして決して忘れられないそんな感情。
 菫子も、いつか知った痛みと畏れである。
 だからそれは、完全無欠に菫子の敗北宣言で、それを自覚した途端、菫子の視界が歪む。

「ふぇ……」

 なんて、情けない声だろう。
 嗚呼それでも、内側からこみあげてくるそれを、押しとどめようとする間もなく、菫子の頬を伝う。

「うぇぇぇえぇぇえぇぇん……」

 泣いた。
 心の底から、
 ついさっきまで、自分の中にあった大切なものが消えてしまった。
 輝いているのだと信じていたものが。
 まるで這い出る事の出来ない真っ暗闇の中に突き落とされたような気持だった。
 菫子は、それを想い泣く事しか出来なかった。


   * * *


 そんな時間がどれほど過ぎただろうか。
 もう一生分の涙を流し尽くしたのではと思うくらいの時間だろうか。
 それとも、自分の感情が感覚を狂わせてるだけでほんの一時だったのだろうか。
 どちらにせよ、菫子の涙は少しだけその勢いが衰えていた。

「……落ち着いたか?」

 いつの間にか、隣に座りこんでいた彼が声をかけてくる。
 さっきまでの怒りもない、すこし優しい声で。
 本当は、まだ心がざわついているが、なんとかその声に応えるぐらいには落ち着く事が出来た。

「……うん」
「なんで、こんな事したんだ」
「アンタが、超能力なんて要らないって、言うから」
「超能力を見せてやろうって?」

 菫子は頷く。
 超能力を見せつけて、人と違うものを知らしめたかった。
 凡人の、楽しいのかつまらないのか解らないなんて生き方を受け入れているのを否定したかった。
 世界に不思議があって、その素晴らしさを伝えようとした。
 けれども、結果はまるで逆。

「……私、なんなんだろう」

 今までずっと、菫子は人とは違うのだという自負があった。
 優れた頭脳と、人には無い力を持った彼女の当然の意識である。
 幻想郷の人妖には敗北したが、それでもここまで傷つく事はなかった。
 彼女たちは、菫子と同じ「特別」で、ただ特別が他の特別と違うというだけの事にしか過ぎない。
 けれども、特別であるはずの自分が、普通である彼に、完膚なきまでに敗北したのだ。
 今の菫子は、己の超能力に信頼を置く事が出来なくなってしまった。

「宇佐見菫子、だろ」

 彼は、それが当たり前だと言いたげに呟く。

「頭が良くて、呑み込み早くて、意外と器用で、割と明るくて、無駄に前向きで、超能力者で」

 最後の単語に、菫子は身を縮めてしまう。
 それでも、彼はかまわず言葉をつづける。

「寝てばっかりいて、不遜で、小狡くて、抜けてる処があって、調子に乗りやすくて、でも、そんな……あ、いや……」

 一旦言葉を呑み込み、思案するように頭を掻いて。
 菫子の顔を覗き込んで、彼は伝える。

「そういうのが、俺の知ってる宇佐見菫子だ」
「……最近は、そんなに寝てないじゃない」
「最近はな」

 前は寝てばっかりだったろと言わんばかりの小ばかにしたような声色。
 それ以外にもあんまりにいろいろ言われてさすがにむっときて、菫子は不満の視線を向ける。
 そんな菫子を見て、彼は笑った。
 つられて菫子も少し笑った。

「ねぇ」
「うん?」
「アンタは、自分の事、ちゃんと分かってたんだね」
「さぁ? 俺はただ、自分を突き詰めるっていう手段を取ってるだけで、それが正しいやり方なのかなんて判んねーよ」
「それでも、やるんでしょ」
「まぁな」

 判らないままに、何かをするなんて怖く無いのだろうか。
 今の菫子は、不安で一杯なのに。

「宇佐見、こんど、天体観測にでも行くか?」
「え?」
「意外と面白いぞ、星を観るって」
「ここら辺じゃ、星なんて見えないじゃない」
「月なら観える」
「月なんて、面白いの?」
「面白いぞー、知ってるか月が齎す影響から計算される距離と光学で観測される距離が一致しないんだ。そういうのを何でだろうって考えながら見ると、全然違うものに見えてくる」
「……もしかして、慰めてくれてる?」
「一応」

 少し照れくさそうな彼の仕草。
 菫子は、それがおかしくて思わず吹き出してしまう。

「うん、有難う。それから……さっきは本当にごめん」
「いいさ、俺だって手が出ちゃったし、御相子様」

 本当はちっとも御相子じゃないだろうけど。
 そこで許してくれるのが彼の良い処だった。

「さぁ、まずはここを片付けようぜ。誰かさんのお陰でこのありさまだ」

 明るく笑いながら、彼は立ち上がり、ぐちゃぐちゃになってしまった部屋の中を、無情にも指さした。

「……はぁーい」

 自業自得の事ながら、ちょっぴり暗鬱な返事をして、菫子も立ち上がる。
 まずは、おちている紙を全部拾い上げなければ。

 二人は窓を開けて、さっそく作業に取り掛かる。

 まだ明るい光が、緩い風とともに直接入ってくるが、それは菫子の心と一致するものでは無かった。
 人と違うという事が、そこまで大きな特別では無いというのを、彼女は知ってしまったのだ。
 菫子は、未だ自分と言う者すら本当は判っていない。

 自分の事だって良く分からないのだから、他の誰かの事だって判るわけが無い。
 だから、彼がさっき呑み込んだ言葉を菫子は知らないままだ。
 ほんの少しの勇気があれば、もしかしたら言えたかもしれないその言葉。

―でも、そういうのが、最高に可愛いって思えるんだって―


 菫子の心を照らす、黄金の様な夜明けは、もしかしたらすぐ近くにまで迫っているのかもしれなかった。
「人は皆、唯一無二の異形」
「東大に行くような秀才でも、普通のサラリーマンでも脳みその出来はそこまで変わらない」
とある二つの漫画で見たセリフで、自分がとても好きな言葉だったりします。
普通にみると矛盾していますが、しかし、逆に矛盾してないと考えるとどうでしょう?
人と人を分かつものは、きっと見過ごしてしまうような些細なもので、目に見えて判る違いなどそうそう無いし、あっても個性の違いだというだけで、なにか特別であるとのは違うと思います。
宇佐見菫子という女の子も、頭脳と超能力で慢心し、その慢心を幻想郷に打ち砕かれて変化しましたが、でももっと沢山の魅力をもった子だと思います。
四聖堂
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コメント



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5.100名前が無い程度の能力削除
とてもよかったです最高でした
6.100名前が無い程度の能力削除
何て言えば良いのか難しいけれど、悪くなかったよ。
ただ菫子と彼の距離感が今一つ腑に落ちなかったかな。
年とったのかな、俺も。
7.90絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。
9.90名前が無い程度の能力削除
こういう書き方もあるものかと、少し意表を突かれるような物語でした。
良かったです。
11.80大根屋削除
高校生の抱く理想のイメージって、こんな情景のイメージだったと思い出す
青春やってるんだなぁ......
12.100名前が無い程度の能力削除
この話でより宇佐見菫子という人物が好きになった。