Coolier - 新生・東方創想話

旧都にありて八雲の月をのぞむ

2015/08/13 19:15:14
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「最近、うさぎと出くわす夢をよく見るのよ」
 とうとう意を決して告白をしたの。それは、目下私を悩ませている最大の問題だった。本当に、大真面目に相談したというのに。
「ちょっと、メリー。また一人で向こう側に行ったの!?」
 我が相棒ときたらこれだもの。目の前にいる少女、前々からずっと私を悩ませている歩く大問題、宇佐見蓮子は何かにつけて『向こう側』に繋げてしまう。
 と言って、蓮子が変な宗教をやっているだとか危ない薬をやっているという訳じゃないわよ。彼女は理系も理系、超ひも理論とか超統一物理学とかいう自然科学の徒。相対性精神学専攻の私にははっきり言ってよくわからないわね。が、彼女の最もわけのわからない点はそこじゃないわ。
 彼女は禁じられている結界暴きを行う霊能者サークル、秘封倶楽部を立ち上げてしまったの。メンバーはたった二人、つまり彼女と私、マエリベリー・ハーンだけ。メリーっていうのは彼女が勝手につけたあだ名よ。どこをどうすればメリーになるのかさっぱりわからないんだけど、蓮子ったらこの方が言いやすいなんて言って聞かないのよ。もう本名なんて忘れてるんじゃないかとずっと疑っているわ。
 彼女の言う向こう側とはつまり結界の向こう側の世界のこと。私は、その結界の綻びが見えるという不可思議な眼をもっている。こんな眼に興味を持つ人間などいる筈はいない、いても面白半分か何かよからぬことに使おうとするだけだろう、と思っていたのだけど。
彼女は違ったわ。面白全部だったのよ。
 おまけに、彼女も不思議な眼をもってたの。こっちからすればよっぽど変な力だと思うのだけど、星を見ればその場所の位置がわかり、月を見ればその場所の時刻が分かるというのよ。それだけなら動物にも似たような能力があるとはいうけど、彼女は写真などに映った月や星でもその映像が写された瞬間の位置と時刻がわかるんですって。まったく、これで普通だと言い張るのだから信じられないわ。私の方がよっぽど普通じゃない。
 とにもかくにも、ひょんなことからお互いの瞳のことを知って意気投合してしまった私たちは、結界を求めて歩き回る不良サークルとして活動しだしたというわけ。

 以上の回想は一瞬にして私の頭を駆け巡った。時間にして1秒足らず。だけど、蓮子が我慢できなくなってテーブルから身を乗り出してくるには十分な時間だったみたい。
「落ち着いて、蓮子。貴方にとっては残念だろうけど、結界絡みじゃないのよ、多分」
 慌てて否定することで蓮子を押しとどめる。結界絡みじゃない、と聞いて途端に興味を失ったように椅子に腰を下ろした。そのままこっちも見ずに、身を乗り出したはずみで脱げかけた黒い帽子をかぶり直して向きを直すなどしている。相変わらず興味がないとなると露骨ね。が、慌てて碌に話も聞かずに飛び出されるのも厄介だが興味を失ってもらうのも困るのよ。
「結界絡みじゃないんだけど、どうもおかしいのよ。さっき『よく』って言ったわよね。別に毎日ってわけでもないんだけど、見るときは全くおんなじ光景なのよ」
「ふーん、メリーがそんなにはっきり覚えているなんて珍しいわね」
「何度も見ていれば獏だって食べ飽きるのよ、きっと。それはともかく、毎度同じうさぎに会うの」
そこで蓮子は、ちょっと待ったとでもいうように右手を前に出す。いや、少し遅れて実際に口を開いた。
「ちょっと待った」
「どうかしたの、蓮子」
「どうして毎回同じ兎だって分かるのよ?」
「そりゃわかるわよ。同じ顔なんだから」
「いや兎の顔なんて見ても違いは分かんないでしょ?」
「いくらなんでも顔ぐらい間違えないわよ。ちゃんと自分で名乗ってたし。喋ったというよりは頭の中に直接語りかけてきたような感じだったけど」
「テレパスを使う兎なの?また実に幻想的ねえ。ひょっとして餅つきでもしてたんじゃないかしら?」
「そんなわけないでしょ。彼女はいつもこういうの。『私はレイセンよ。さっそくで悪いけど私のいう事を聞いてもらうわね』」
「ふーん、自己紹介するなんてえらく行儀がいい兎さんね」
「夢の中の私は彼女が手にした銃に怯えたのか、突然頭の中に響いてきた声にびっくりしたのか、素直にいう事に従うの」
「ちょ、ちょっとメリー、メリーったら!」
 突然蓮子が私の話を遮ってきた。ここからが大事なのに、まったくどういうつもりかしら。
「そんな不満そうな顔しないでってば。その兎なんだけど、もうすこし見た目について詳しく教えてくれないかしら」
「えーと、まずあの大きな耳でしょ」
「ま、そりゃそうよね」
「それに背は高くないわね。私よりも多分小さいわ」
「え?」
「それにブレザー?を着てスカートを履いていたわね。以前、昔の学校を写した写真を二人で見たでしょ。そこに写っていた女学生が着ていたやつに似ていたわ」
「え??」
「結構可愛らしい子だったわね、胸も蓮子ぐらいだったし。顔は似てなかったけど」
「だ、誰の胸が可愛らしいのよ!ってそれはおいといて」
 何故だか顔を真っ赤にさせて蓮子が突っ込む。無駄に脇に置くゼスチャー付きなのは関東生まれとは思えないわね。日本では関西生まれがそう言う動きをすると聞いたのだけど。
「メリー、そのうさぎって……宇佐見の言い間違いだったりしないわよね?」
「いやうさぎはうさぎよ。蓮子はうさぎじゃないでしょ?それとも宇佐見さんは超能力が使えて銃を持ってたりするのかしら?」
 プランク並の頭脳を自称するにしてはあまりに愚問じゃないの。蓮子は何を言っているのかしら。
「ああもう、そうじゃなくて。そのうさぎは人間に似た姿だったのね?」
「当たり前でしょ」
 蓮子はなぜだか顔を伏せて頭を両手で抱えている。そんなに胸のことが気になったのかしら?
「うう、とりあえずそのことはもういいわ。それでその先はどうなったの?」
「私は言われるがまま彼女のあとをただついていくの。なんだか体がふわふわしてたんだけど、その理由ははっきりしていたわ。といっても夢から覚めた後に思い返して気づいただけで、その時のわたしには何故だか分らなかったのだけど」
 もはや突っ込む気力も失せたのか、蓮子はただ私の話をメモすることに集中している。これは好都合ね。とっとと話を進めてしまいましょ。
「空には星空が輝いていて、地面はごつごつしていたわ。そして、遥か彼方にここが浮かんでたの」
「ここ?」
「ここっていったらここに決まってるじゃない」
「いやわからないわよ」
「んもう、今日はえらく鈍いじゃない。ここよここ。私たちが今いる星」
「へ?」
「だから、満天の星空に青く輝く半分に欠けた地球が浮かんでたのよ」
「ということは?」
「夢の中の私がいたのは月ってことになるわね」
「ギブ、もうギブよ」
「ちょうどよかったわ。夢はそこで終わりだもの」
「本当にちょうどよかったわ。これ以上爆弾を投げられたら耐え切れなかったわよ」
「大げさねえ。はい、お水」
「ありがと。……えーと、メリーの話をまとめるわね」
「メリーは最近夢を見ていて、その夢には兎耳をつけて学生服を着て銃を持っててテレパシーで話しかける人間型のなにかが出てくる。そして彼女と会ったのは月面上である」
「大体そのとおりね」
「まあ月面で空気はどうしたのだとかそう言うのはいいわよ、どうせ夢だし。でもその情報だけでどうして兎って思うのよ。そりゃ、兎耳に月ときたら兎とおもうのもわからないでもないけど。どう聞いても兎耳つけただけの人間じゃないそれ」
「どうしてって言われても……なんでかしら?そう思うのよ」
「はあ、これじゃらちが明かないわ。夢の続きが分かるまで保留ね」
 必要な情報が足りないなら結論は出せない。こういうとこは蓮子も理系っぽいのよね。
「それで、その夢だけどメリーの妄想ってオチじゃないわよね?」
「もちろんよ。妄想だったらどんなに気楽かしら」
 それを聞いた蓮子は珍しく頭を抱えてて、なんだか妙に気分がいい。大体こっちは蓮子の素っ頓狂な行動に振り回されてばかりなのだ。この眼以外のことでだって偶には蓮子を困らせるのもいいわよね。きっと、最期には解決してくれるだろうし。そう気楽に考えられる程度には、目の前の困った相棒を信頼しているのよ、私も。

「それで、いつからその夢見てるのよ。結界越えたのでもないなら、何かきっかけがある筈でしょ」
「よく見るようになったのはこないだ月旅行について話してからのことよ」
「まあ、あの時は月についていろいろ話したしね。そう言えばメリーったら妙に乗り気だった気がするけどそれも関係してるのかしら?」
「そんなつもりはなかったけど、そういえば前から月には行ってみたいとは思っていたわね」
「それじゃ、月について調べたりしたのが原因かしら?」
「うーん、確かにあれから色々調べては見たけど……」
「ってメリー、ストップ。さっき『よく見るようになった』っていったわよね?回数が増えたのはこの前の話のせいだとして、最初に見たのいつだか分かる?」
「うーんと、たしかそう、最初に見たのはこの前の旅行にいってすぐよ。その時はそれっきりだったから忘れちゃってたけど」
「旅行ってヒロシゲの?」
彼女の問いかけに首を縦に振って応じる。ヒロシゲというのは当然東海道を五十三次ならぬ五十三分で繋ぐ卯酉新幹線の列車のことだ。

 あの時は確か、彼女が帰省するのに便乗して一緒に東京見物に赴いたんだったわね。
 初めて訪れた東京は、なぜだかどこか懐かしい気がしたわ。と言って、東京の景色なんて遷都前の古い映像データを多少閲覧したぐらいなのだから、デジャヴュというやつなのだろうけど。
 ニュースで見た程度なのだけど、神亀の遷都以降、東京は急速に寂れていったらしいわね。政治の中心であることでかろうじて都市の形をなしていた東の都は、そのタガが外れるや時代に取り残されたのだと。
ヒロシゲの誕生によって、東京の周りに広がったベッドタウンは直接京都につながってしまった。うちの大学にも関東の実家から通っている子すらいるぐらいだものね。その子の言うには、朝の京都行と夕方の東京行が出る時間帯はいまも大混雑しているらしいけど、それもあくまでターミナルとして。東京の大地に降り立つ人間などほとんどいなくなっていたわ、私たちのような物好きを除いて。
 ヒロシゲの車中で蓮子に聞いた通り、確かに初めて目にする東京の街は京都とは全く異なるものだったわ。
 取り残された若者たちが築いた、独自の文化。手を加えるものなどいなくなった、緑の環状線。庶民の文化を色濃く残した、いにしえのテーマパーク。
 もちろん、私たち秘封倶楽部にとっても大いに刺激的だった。もっとも、京都に比べて結界の切れ目は大きすぎ、そして不安定なものばかりで覗き見る程度しかできなかったんだけどね。

「とにかく、あの旅行の後に見たのが最初よ。その時はまだ月について調べたりしてないからそれに影響されて、ってわけじゃないと思うわ。あの頃に読みだした本とかそういうのもないし」
「うーん、やっぱり向こうで何か変な結界に触れちゃったのかしら」
 いつの間にか頼んでいたおかわりの紅茶を片手に蓮子は唸っていた。どうやら私と同じく、東京に私の夢のきっかけがあるとにらんだらしい。だけど、
「東京の結界、とはいまいち関係ない気がするのよねえ。本当になんとなくなんだけど」
「メリーのなんとなくは当たるからね」
「今日も蓮子が遅刻するって思ったのはなんとなくじゃなくて経験則だけどね」
「御免御免。東京に行くときはちゃんと間に合わせるから、ね?」
と、いう訳で、いつの間にか次の活動内容が決まっていた。いつも決めるのは蓮子なのだけど、それこそ私の意を汲んだ答えばかりだったもので、秘封倶楽部は彼女の言う通り私の望む通りに進んでいくのだ。

「それじゃ、一週間後のお昼に酉京都駅に集合で!」
……この内容で約束になると思っている時点で、彼女の遅刻は運命づけられたようなものだったけど。


 その夜も、同じ夢を見て。いつも通りの兎、いつも通りの会話。そしてその後に。
 どうしても、その先が思い出せない。いや、そこまでしか夢で見ていないだけかしら?


 起きてからも夢について考えすぎていたせいか、酉京都駅の待ち合わせ場所に到着したのは私がきっちり指定し直した時間ちょうどだったわ。これじゃあ笑われるかしら、と思ったけど、やっぱり蓮子は蓮子だったわね。
「ごめんごめん、待った?」
 約束から三十分も遅れておいて、待ったもなにもないわよ。それでも、汗だくの彼女が謝る様子を見てしまうと怒れない。そんなに必死で来たのであれば、許さずにはいられないわ。
「はあ……。次はちゃんと遅れないでよ?」
 我ながら甘すぎるとは思うけど、タオルを渡しながらこう言ってしまうのだ。
「ありがとうメリー!やっぱり持つべきものはできた相棒よね」
 そう言って調子よく笑う姿にどうにもかなわないのは、我ながら反省すべきところだった。もっとも、こればっかりは治る気がしないのだけど。


 電車に揺られながら、京都駅で買った合成駅弁当を二人でつまむ。わずか五十三分の旅に弁当なんていらないだろうとは思ったのだけど、つい売り子の強引さに負けて買ってしまった。蓮子を待つ間の暇つぶしと売店を見て回っていたのが失敗だったわ。それでも、幻影の富士を眺めながら二人で食べるお弁当はいつもより美味しい、気がした。
「こういうのは気分なのよ、気分。それで、メリーには何か当てはあるのかしら?」
「あてと言ってもねえ。あの時行ったのは蓮子の実家のほかは結界関係の場所ばかりだし」
「ふっふっふ。もう一つ、忘れてるところがないかしら?」
 自信満々に問いかける蓮子。そうはいっても思い当たることなどあったかしら?あの時は、東京の結界について調べるために蓮子に連れられて図書館に……
「図書館?」
「それそれ。結界関係ない場所でいわくありそうなのなんてあそこぐらいよ」
と、言われても、蓮子が結界を調べるならココと案内してくれただけでいわくなんて何も聞いた覚えなんてない。そういって不平を述べてみるけど、蓮子はまともに答えてくれずに自分の世界に入ってしまった。というか、それっきりお弁当に夢中になっていただけなんだけど。


「秘封倶楽部、旧都に再び!ってね。いや~、はるばる東海道を越えてようやくついたわね」
「いや53分しかたってないでしょ」
「メリーは返しが上手ね。本当は関西生まれなんじゃないの?」
「それは蓮子の方でしょ」
「ほら、すぐに的確なツッコミを」
「ツッコミってどういう意味なの?」
 そんな他愛もない会話をしながら。私は蓮子に案内されて前と同じ図書館を訪れていた。
「前来た時は特に関係ないから詳しく説明もしなかったんだけど。ここが、昔の東京大学付属図書館ってことぐらいは説明したわよね」
「ええ、聞いた覚えがあるわ」
「けっこう古い建物で、関東大震災で旧建屋が倒壊してすぐに建て直されてからは戦争にも耐え切ってそのまま残っているらしいの」
 関東大震災。私たちが生まれるよりずっと前の話だ。それでも東京、いや江戸の歴史から考えれば新しい建物であることは確かね。
しかし、ここが月の夢に関係があるとするならだけど、アポロ計画に関する本でも残されているのかしら?そんな本、読んだ覚えなんてないんだけど。日本の大学が計画に協力していたみたいな話も聞かないし。
「遷都後は蔵書の大部分を京都大学、つまりうちに移したんだけどね。その代りに、分類不可能なものが運び込まれたのよ」
「分類不可能なものって?」
「各研究室に保管されていた研究記録だとか私的文章の類いね。捨てるのも問題だし、かといって持っていくほどの物でもないってわけで棚が空いたここにまとめて突っ込んじゃったのよ。その中には京都の結界の中に持ち込めないようないわくつきも混じってるから、この前の結界暴きの時にも役立ったってわけだけど」
「あの時は完全に蓮子頼りだったわねえ」
 いつもそうなのだけど、こういう情報を仕入れてくるのは決まって蓮子なのよね。彼女の言う裏表ルートとはいったい何なのか、そっちのほうがよっぽど不思議じゃないかなんて思うのだけど、詳しいことを教えてくれはしない。
「そうそう、メリーは適当にふらふらしてたわね。こっちの目途が立った後は一緒に見てもらったけど」
 さて、私たちは何を探すべきなのかしら?あの時私の方は別に変なものなど見てない筈。適当にふらふらしていろんな本を手に取ってみたけど、さっき蓮子がいったような私文書がファイリングされたものだったり、古いだけの何の変哲もない本なんかばかりだったわ。もちろん、月に関するものなど一つもなかったと思う。
「やっぱり、蓮子が案内してくれた方かしら?」
「ちっちっち、メリーは甘いわ。どうせそれも思いつきでしょ?」
「そういうそっちは何か当てがあるのかしら?」
「私は物理学の徒だから、ちゃあんとした根拠もあるわよ。この話をした時、『東京の結界とは関係ない気がする』って言ったでしょ?」
「確かに言ったけど……もしかしてそれが根拠なの?」
「もちろん!メリーの勘を信じろという私の勘よ。一人では当たるか当たらないかの五割でも二人合わされば十割ね!」
 そっちだって思いつきだし、確率ってそんなもんじゃないことぐらい文系の私だって知っているけど、そう自信満々でいう彼女の笑顔についつい引きづられてしまった。


「それで、ここで色々漁ってたのね」
「うん、確かにそうだけど……」 
そこは、文学部研究室関係の資料置き場だった。自分の専攻である相対性精神学に関する文献がないかと探してみたりしていたのだ。月に関する資料がないとは言わないが、私の夢に関わるようなものがあるとは思えなかったわ。
「やっぱり、違うんじゃないかしら?」
「いいや、きっと此処よ」
いつもの調子で断言する。全く、この自信はどこから来るのかしら?
「昔から、月と文学は切っても切れない関係だったでしょ?竹取物語なんてそのものズバリだし『I love you』を『月が綺麗ですね』なんて訳した文学者もいたわね」
「学生服を着たうさぎが出てくる話なんて聞いたこともないけどね」
 そう軽口をたたきあいながら、残されている資料を漁っていく。文人の遺稿とはいっても、私信や原稿の催促をかわそうとする言い訳の手紙ばかりで、なるほど京都まで持っていかなかったと納得するようなモノばかり。さっき蓮子が言っていたようなロマンチックなものを期待してしまったせいか、反動でどんどん眠くなってしまったの。
眠気覚ましに蓮子に話でも聞こうと思ったのだけど、彼女はPCにまとめられている文献データを当たってみると言ってデジタルルームに行ったきり。データをクラウド化してないなんてひどく不便だわと思うけど仕方ないわね。
 とうとう、眠気に負けてしまって、一冊のファイルを手にしたままソファに横になってしまったわ。強烈な睡魔に飲み込まれる寸前に手にしたファイルにデジャブを感じたけど、思考はそこで止まり、後は真っ暗な夢の中へと落ちていった。




「はい、ようやく着いたわ。といっても貴方を都に入れるわけには行かないから、この静かの海で待ってもらう事になるけれど。通信でお呼びしたから、すぐにおいでになるわ」
 そう言ううさぎの前には、青い海が広がっていた。しかし、こんな海は初めて見る。遠く果てまでも雲は見えず、見上げれば黒い空に瞬く星空と太陽という矛盾した取り合わせ。それに、あの大きな青い星は何なのだろう?
「あの方々がお見えになるまでの余興として、何か聞きたいことはある?これは貴方の為、というより私の単なる興味ね。本当は禁則事項なんだけど、どうせ貴方は後で記憶を無くしてもらうから」
 記憶を消す、という不穏かつあり得ない発言だが、目の前の彼女が嘘を言っているとは思えなかった。彼女がそう言うのならそうなのだろうと、どうしてだか素直に受け止めていた。
 そうはいっても、後で記憶を消すといわれて質問をと言われても困る。とりあえず、現在の不安を消すために今この場所について聞いてみることにした。
「ここは月よ。貴方たちが普段見上げている丸い月。そこに見える海は静かの海ね。そしてあそこに浮かんでいるのが貴方たちの住む星地球。信じるかどうかは貴方の勝手。もっともどうせ忘れてもらうんだけどね」
 月、月。月と言われても。たしかに、ここが今まで見たこともない場所であることは確かである。日本の昔話にも月に民が住むという話もあった。そこで、ある可能性に思い至る。理由は分からないが私がここへ来たということは。
「私以外にも月に来た人間が?」
「なるほど、意外と地上の民も頭が回るみたいね。確かあの方から水江浦島子という人物の話をお聞きしたことがあるわ。地上で神になったと聞いてるから貴方も知っているのでは?」
 浦島太郎の民話は知っている。たしか彼、いや彼女は助けた亀に連れられて竜宮へと至ったはずだ。それが実は月の都だったとは。私は長年憧れてきた竜宮、彼女の言う月の都に思いを馳せる。手の届く距離に、絵と詩と夢の中にしか残っていないと思っていた蓬莱の都があるというのに。何故だか、彼女を前にすると都へ連れて行ってくれるよう頼む気も起きなかった。
「おっと、時間切れのようね。あの方がおいでになったわ」
 彼女の言葉とその視線を見て、慌てて振り返る。
背後には、桃を帽子に乗せた麗しき姫君が立っていた。足音も何も聞こえなかったのに、いつ現れたのだろう?という当然の疑問はしかし、その時の私にはついぞ浮かばなかった。
彼女は、まさに天女というほかない高貴さを纏っていた。私が思い描いていた蓬莱を、失われた世界を体現するようなその姿。穢れというものをまったく感じさせないその雰囲気に、私は一瞬で心を奪われてしまっていたのだ。
「ようこそおいでになりました■■様。□□様はご一緒ではないのですね」
「あの子は真面目すぎるしちょっと忙しいみたいで。あっ、私だって暇じゃないのよ。向こうからお客人が来たって聞いて慌てて出てきたんだから」
「はいはい、言い訳はいいですから。地上人って簡単にきいてくれて楽でしたよ。聞いていたよりも素直だし弱いんですね」
「もう、レイセンったらいつからそんなに生意気になったのかしら。飼い主として悲しいわ、よよよ」
 そこで彼女はこちらへ向き直り、佇まいを正す。うさぎと話していた時の緩さはどこへやら、立ち振る舞いは光すら纏っているかのようで、おもわず頭を下げてしまっていた。
その時、私は理解していた。先の緩さは彼女の神々しさに周りが威圧されてしまわないための真実の姿を隠す羽衣のようなものなのだと。
 
「ようこそおいでになりました、地上のお方。これも何かの縁でしょう。貴方の記憶に残らずとも我々は貴方のことを忘れないでしょう、ハーンさん」




 私の名が呼ばれたところで、眼を開いた。目の前には、心配そうに見つめる蓮子の顔。
「大丈夫よ、蓮子。ちょっと眠っていただけ」
「本当に?起こそうとゆすっても『揺れる』ばっかりで全然反応ないから心配したわよ」
 どうして揺れるにアクセントを置くのだろうと笑ってしまって、冗談で答えを返したわ。
「なにか変なことしなかったわよね?」
「もう、そんなことしないわよ!……そんな台詞が言えるならもう大丈夫そうね、よかったわ。メリーがいないと結界の向こう側なんて見られないんだから」
 プンプンおこりながらも、本当に安心したような彼女の笑顔にこちらまで嬉しくなったのだけど、最後の言葉が心に小さな棘となって刺さったような気がした。


「夢の続きを見ていたのよ。ちょっと話が飛んでいたような気もするけど」
 蓮子に買ってきてもらったコーヒーを飲んで頭をしゃっきりさせた後、私は蓮子に先程見た夢の内容を伝えた。
「ますますよくわからなくなったじゃない。その天女様は確かに『ハーンさん」と言ったのね」
「ええ、それは確かよ。あの綺麗な声がまだ耳に残っている気がするぐらい」
「うーん、まあ兎がテレパスが使えるぐらいだし心を読んだのかもしれないけど。夢の記憶も飛び飛びみたいだからその間に名乗ったのを兎が言ってたっていう通信で伝えていたのかもしれないし」
 首をひねって考えている蓮子は、私が言うのもなんだけどひどく子供っぽい。見つめられていることに気がついたのか、恥ずかしさを誤魔化すように蓮子が尋ねてきた。
「ところで、なんのファイルをもっているのかしら?」
 そこでようやく手にしたファイルのことを思い出して、改めてしげしげと眺めてみた。外には何のラベルも張ってなく、中身を開いてもつたない日本語でまったく理解できなかった。おまけに単なる私信らしく、書かれたのもかなり昔のようでますますよくわからない。
「メリー、何か面白い物でも書いてるの?」
 そう言いながら後ろからひょいとファイルを取り上げられた。癪ではあるが蓮子の方がこういう文章の『解読』はお手の物なのだ。彼女のメモを見せてもらったことがあるが、様々な文字が混ざり合いまったく意味不明に見えたのに、彼女はそれが一番わかりやすいなどと言ってのける。日本語や英語のところですら私には文法をなしているようには見えなかったのに。
と、ファイルを眺めていた蓮子の顔色が変わった。私にファイルを返しながら、真剣な顔で問いかけてきた。
「メリー、これを読んでて倒れちゃったの?」
「倒れたというより、手にしたところでなんだか眠くなって横になっただけよ。だから中身は見てなかったけど」
 私の答えを聞いて、蓮子は謎はすべて解けた!と言わんばかりの芝居がかった動きで私を指さした。突然指を突き付けられて、おもわず犯人は私じゃないわ!と言いたくなったが、彼女の指の先が私ではなく先ほど返してきたファイルに向いていることに気づいてほっと胸をなでおろす……じゃなくて、このファイルがなんだというのだろう?
「分かったわ!やっぱりこれがメリーの夢をひきだしたのね」
「どういう事?なにが分かったの蓮子?」
蓮子はその質問に答える代りに、ファイルの末尾に付けられた分類表示を、この私信を残した人間の名を示した。そこには、確かにこう書かれていた。


—— パトリック・ラフカディオ・ハーン 日本名:小泉八雲——
と。


 この私信を書いた人物が、かのラフカディオ・ハーン、小泉八雲であることは分ったけど。それが私の夢と何の関係があるというのかしら?
「メリー、夢の中の話をもう一度聞かせてもらえるかしら?」
 蓮子に問いかける前に逆に向こうから聞かれてしまった。出ばなをくじかれた私はわけのわからないままに彼女が求める通りに夢の話を伝える。
「ああ、そうじゃないわ。夢の中でのあなた自身について教えてほしいの。もちろん自分自身は見えないだろうから、自分の手だったり体だったり何でもいいわ。記憶のどこかに残ったものを教えてちょうだい」
 そう言われて気がついたのだけど、自分の体について見えた記憶がない。歩いているときにだって手ぐらいは見えるだろうし、彼女と話しているときもなにも見ていないという事もおかしかった。
「やっぱりなにも覚えてないのね。それにさっきの夢の話を語るときの口調。ますます仮説の信憑性が増したわ」
「仮説、仮説って一体なんなのよ、蓮子」
「メリー、小泉八雲については知っているでしょう?」
 もちろん知っている。同じハーン姓、そして同じく日本に魅せられた人間として彼のことはどうにも他人に思えなかったもの。自分の家系に連なるのではないかと尋ねたことも一度や二度ではなかった。どうも祖父の代で色々あったらしく家系については分らないと言われてしまったんだけど。それでもあきらめられずに戸籍やらなにやら考え付く限りの心当たりを当たってみたりしたけど、残念ながら八雲翁との関係は見つけられなかったわ。
 それを蓮子に伝えると、彼女は本棚を漁って彼について書かれた雑誌を見つけだし、その中のあるページを指で示した。
「私も彼については色々調べたわ。栁田國男のように民俗学を確立したわけではないけど、古い日本の伝承を語る上で外せない存在だもの」
「それで、彼に関する話の中でどうにも気になっていることがあったのよ。ああ、ここの小泉八雲についてまとめた雑誌の中に載っているわね。彼は亡くなる当日の朝に妻にこう話したらしいの」
 そう言って彼女は、指で指し示しながら、そこに書かれた彼の言葉を引いてこう言ったの。
「『昨夜は大層遠いところへ旅をした夢をみました、西洋でも日本でもない、珍しいところでした』」

 しばらく、蓮子の言ったハーンの言葉を頭の中で考える。蓮子の言いたいことは分ったのだけど、本当にそんなことがあるものなのだろうか?
「ねえ、蓮子。もしかしてこう言いたいの?彼がいう『大変遠いところ』というのが月で、私は彼の記憶を見ているのだと」
「もちろん証拠なんてないわ。仮に彼が月へ行ったとしてもメリーが夢を見る理由にならないかもしれない」
「それでも、さっき語ってくれた夢の描写、そして初めて東京を、この図書館を訪れてから夢を見るようになったことからも確実だと思うわ。彼は松江、熊本、神戸、そして東京に住んだことがあるけど、最期を過ごしたのはこの東京だもの」
「でも、ラフカディオ・ハーンは確か震災前には亡くなった筈よ。彼の書籍がここに残されていたとしても、ここの蔵書は震災によって全部焼けてしまったのでしょう?それがどうして残っているのかしら?」
「さっき言ったでしょ?ここには、各研究室の遺物が眠っているって。その中には小泉八雲の蔵書を集めて保管している研究室もあったの。メリーが持ってた資料はそのうちのひとつね」
 なるほど、強引な所だらけではあるけど、私が夢を見始めた理由は分かった。
だけど。

「それで、この夢どうしたら終わるのかしら?」
「さあ?」
「さあって蓮子……」
「まあいいじゃない。特に害もないんだし。それより小泉八雲が月に行っていたなんて大発見よ!おまけに月には海もあって月の兎や天女までいるだなんて。やっぱり月にも結界があって……」
 駄目だこりゃ。蓮子がこうなったらもう止まらないのだ。
 結局その日はずっと小泉八雲の残した資料とにらめっこさせられる羽目になった。こんなもの見ても、問題の夢は死ぬ前夜に見ているんだからと思わないでもなかったのだけど。
 ノリノリで資料をかき集める蓮子に押し切られてしまって閉館時間まで彼のへたくそな日本語を見せられ続けた。もう、本当に大変だったわ。
 いくらヒロシゲが五十三分で二都を結ぶと言ったって、卯東京発の終電に乗って座席に体を預けていれば眠くなるものは眠くなる。蓮子なんか先に寝ちゃってるし。ひたすらに眼と頭を酷使したこともあって、こちらもシートに体を預けているうちにいつの間にか眠りに落ちていった。


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