Coolier - 新生・東方創想話

スクープ

2015/08/02 04:24:10
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 その日、私は釘を買いに里まで出ていた。寝室の窓枠を修理するためだ。
 不規則なリズムで階段を降りる夢を見て、ぐったりと疲れて目を覚ました私は、まどろみの中で響き続けたごつんごつんという音の正体を鬼の形相で探した。原因はすぐにわかった。蝶番を留めていた木枠が傷んでしまったのをしばらく放っておいたせいで、窓自体の立て付けが悪くなってしまっていたのだった。ちょうど風の強い晩で、窓枠ごと風に揺らされて、ぶつかり合って音を立ててしまったのだろう。かりに夜の間に雨でも降れば、窓に近い床は水浸しになってしまうかもしれない。折悪しく幻想郷は梅雨に入ったところで、放置していればすぐにそうなるのは容易に予想できた。それで私には釘が必要だったのだ。
 人里の金物屋で首尾良くそれらを手に入れたときだった。金物屋の店主が他に来ていた客とし始めた会話が私の気を引いた。小声だったので、その会話は、
「霧雨さんの…………いやまったく……とんだことで…………」
 のように断片的にしか聞こえなかった。私はそちらに近づいて尋ねた。
「とんだこと? 霧雨魔理沙に何かあったのかしら」
 店主はこちらを振り返って、道端にごみを捨てたのを見られたときのような顔をした。
「噂を聞いたものでね。何しろ年を取ると、噂話と将棋の他に楽しみがないときたもんだ」と店主は取り繕うように言った。
「ええ、そうなんです。ただの井戸端会議ですよ」と客の男も言った。そして店主へと向き直った。「旦那様もかわいそうですな」
「魔理沙の家に何かあったんでしょうか」と私は尋ねた。
 二人は意外そうな表情を浮かべた。
「おや、アリスさんはもしかして、新聞を読んでいないんですか」
「新聞?」
 ここでそのような言葉を聞くとは想像していなかった私は、思わず鸚鵡返しをした。男は頷いた。「ええ。新聞です。まさか、あんな記事が載ってしまうとはね」
「本当に、災難なことです。お嬢さんも……」
「新聞に魔理沙のことが載っているんですか」
 二人は、ああ、とかうむ、とかうなり声を上げた。それから、顔を見合わせた。
「言いにくいことなんですか」
「又聞きはよくない」と客の男が言った。
「そうですとも! 伝聞ではどうしても、正確さが失われてしまう」と店主が言った。自分の口からはどうしても言いたくない、と言った表情だった。
「わかりました。どうもありがとう」と私は仕方なく言った。
 店を後にしようとする私を店主の声が追いかけてきた。
「とにかく、新聞を読むことです」そして、こう付け加えた。「新聞を読めばすべて分かりますよ」

 帰りがけに私は雑貨屋に立ち寄った。新聞を売るための棚が、その店にはあるはずだった。天狗がたまに来ては新聞の束を入れていく。探していると、店の奥から店主の奥さんが姿を現した。
「まあ! アリスさん!」奥さんは大声を上げた。本人は大声のつもりがないのだろうが、その声は不必要に大きく響いた。
「ええ、ごきげんよう」
「アリスさんも、新聞を?」
「ええ、まあ、一応」私は曖昧に頷いた。
「ああ、でしょうね。アリスさんは特に気になるはずよね。あんな記事が……」
「霧雨魔理沙に何かあったんでしょうか?」
「だって、あんな記事が、ねえ」私の質問が聞こえていないかのように奥さんは言った。
「ですから、霧雨魔理沙に関係があるんですか?」
「それは新聞を読めば、すぐに分かるわ。文々。新聞をね」奥さんはそう言って、カウンターの端を指さした。そこにはさっきまで新聞が積んであったのだろう。そのときには、ただそれを縛っていたらしい縄だけが転がっていた。「……あら、ごめんなさい。もう今日の分はすべて出てしまったみたい」
 私はさとられないように溜息をついた。
「せめてどんな記事だったのか教えていただけませんか。どうしても気になるのですが」
「まあまあ」と奥さんは鷹揚さをアピールするように頷いてみせた。あなたの考えていることはすべて承知しているし、心配の必要はないと言わんばかりの表情だった。「焦っては駄目よ。急ぐ必要はないの。起こった出来事が煙のように消え失せてしまうわけではないわ。そうだ、カフェに行くのはどう? カフェには新聞が置いてあるはずだから」
「カフェに?」
「ええ、カフェへ行くといいわ。カフェで新聞を見せてくださいと言うの。あそこはいつもその日の新聞を何部か置いているからね」
「どうしても、新聞の内容は教えてもらえないのですか」と尋ねると、奥さんは突然しかめ面になった。「どうしても私に言わせようというの」
 そして顔の前で手を振った。まるで顔に近寄ってきた蚊を追い払うようなそぶりだった。私は急いで、自分の無礼を謝罪しなければならなかった。奥さんはすぐに穏やかな表情に戻った。
「大丈夫、新聞を読むだけのことよ」奥さんは言った。「それだけですべて解決するの。簡単なことでしょう」

 茶屋の店員は若い男で、私を認めるとすぐに申し訳なさそうな表情になった。
「いらっしゃいませ、アリスさん。ご用ははっきりと分かっています。今回の件は、本当に、何て言ったらいいか……言葉が見つかりません」その言葉に、私は何か嫌なものを感じ取った。
 突然、私を恐怖が襲った。
「ちょっと待って。私自身も、それに関係あるの?」
 彼は意外そうに目を丸くした。
「ご存じなかったのですか」
「ええ。ここに来たのは新聞を確かめたいからなの」
「ははあ、そういうわけだったのですね」
「ええ。見せてくれるのよね?」私はほっとして尋ねた。
「それが……」店員はますます申し訳なさそうになった。「それが、ないのです、新聞は」
「ないってどういうこと?」
「さっき、あるお客様がコーヒーをこぼしてしまって、すべて駄目になってしまったのです」

 私はすっかり打ちのめされて帰路についた。自分だけが深刻なことを知らずにいるというのがこれほどに恐ろしいものとは想像したことがなかった。もしこれが自分の記事で、皆が自分の噂をしているのだとしたら、私は恐怖で狂ってしまうかもしれないと思った。
 ちょうどうちに帰り着くころに雨になった。私は釘と工具箱を持ち出して表に回った。本降りになる前に窓を直してしまわなければならなかった。ふと、足下に何かが落ちているのに気づいた。ひさしのおかげか、それだけが濡れずに済んでいた。私は何の気なしにそれをつまみ上げた。何か判別が付いたとき、私の心は恐怖で凍り付いた。

 拾ったのはカラスの羽根だった。

 私はそれを持って居間へ戻った。机にいらだちといっしょに羽根をたたきつけた。私は居間中をぐるりと見回した。寝室から居間へ出て、少し見渡せば地下室への階段があることはすぐに分かる。その地下室こそが私の恐怖の源だった。私は階段を降りた。誰かが侵入した形跡がないかと思ってのことだ。降りる膝ががくがくと震えた。もしもあれを見られたとしたら? その先にあるのは破滅だ。皆が私に後ろ指を指すようになるだろう。噂の種になる。歩いているだけで嘲笑されるに違いない。
 誰の手によって? 言うまでもない。カラスの羽根の持ち主。里じゅうにも影響を及ぼしうる新聞記者。
 射命丸文に。
 侵入の痕跡はなかった。証拠は存在するときにだけ意味を持つ。侵入がなかったことの裏付けは何もない。居間に戻った私はじっと羽根を睨んだ。在るのはこの黒い羽根だけだ。羽根はただそこにあった。ただ、私にはそれがこう言っているような気がした。
 見たぞ。
 と。
 次の日も私は里に出かけていた。家にいると、テーブルの上に置いたペン立てから、カラスの羽根が私をじっと見つめているようで気が滅入ったのだ。
 しかし私は、羽根と距離を取ってみてもそれは解決しないことをすぐに悟ることになった。それどころか、より悪くなった。
 里に一歩踏み込んだ私は、その雰囲気が昨日と一変してしまっていることに慄かずにはいられなかった。締め切った民家や、店の奥の暗がりで、みなが私をじっと見ているのが分かった。表面上はにこやかに会釈をする人も、すれ違ってからふと立ち止まって、歩き去る私の背中をじっと見つめているのを感じた。私はほとんど泣き出しそうになっていた。
 本当は、変わったのは里の人々ではなく、自分自身だと分かっていた。この疑心暗鬼の源がなんなのか、ということも。もしも今日の新聞に、地下室で私がしていることが載っていたとしたら。
 ささやき続ける声はいつの間にかこう変わっていた。
 皆が知っているぞ。
 新聞を確かめなくてはならない。私はその声に追い立てられるようにして雑貨屋へ向かった。
 雑貨屋の店内には、何人かの客がいた。私は可能な限りゆっくりと、さりげなく、ただの買い物に見えるように店内を歩き回った。その間にも、店内の客の視線はすべて私一人に突き刺さっていた。私は店内を歩き回りながら、カウンターのそばへと自然に近づいた。何部か残っている新聞の、大見出しが目に入って私はもう少しで叫びだしそうになった。何人かが不思議そうに私の方を振り返った。
“ア”。
 見出しの一文字目は、“ア”だった。私はよろけながら店を出た。ふらふらと歩きながら、身体中に非難がましい視線を浴びながら私は考えた。昨日の今日で私のことがすべて記事にされるはずがないという理性より、この目で見てしまった“ア”の印象は強烈に過ぎた。
 まだ、“ア”を見ただけだ。私は自分にそう言い聞かせた。あの“ア”が“アリス・マーガトロイド宅の地下室で行われていること”だと決まったわけではないのだ。私は一度深呼吸をして、店へと戻った。そして、見た。最後の一部がまさに売れていこうとしているところを。私は駆け寄っていって、その男性の腕を掴んだ。
「うわっ。なんだ君は。何のつもりだ」
「ごめんなさい。どうしてもその、新聞が必要なんです」恐怖による吐き気でくらくらしながら、私は言った。しかしその言い方が彼の怒りに触れたようだった。
「俺だって要るんだよ。どうして譲らないといけないんだ」
「ごめんなさい、でもどうしても必要なんです。ごめんなさい」
 私の頭は恐怖と恥辱と、理不尽に対する怒りでぐちゃぐちゃになっていた。どうして私がこんな目に遭っているのか、考えると惨めさに涙がにじんだ。
「まあ、まあ。女の子が泣いてお願いしてるのよ。男みせて譲ってあげたら?」そう、奥さんが言ってくれたのだけが聞こえた。私はポケットから小銭を掴みだしてカウンターに叩きつけて、その場を走り去った。後ろでまだ文句を言っているような声は聞こえたけど、立ち止まる勇気は私にはなかった。

 持ち帰った新聞を、私はテーブルにたたきつけた。その勢いで畳まれていた新聞ははらりと広がった。
“ア”。あの忌々しい“ア”の続きが目に入った。
“アイスクリームの季節、近づく”
 私はめちゃくちゃに叫んだ。新聞を力任せに丸めて、ダストボックスに投げつけた。壁に跳ねて床に落ちたそれを踵で踏みにじる。理性を取り戻したときには、私の心を覆っていた恐怖は綺麗にぬぐい取られていた。
 皆は私がしていることなど知らずに、アイスクリームを心待ちにしている。
 少なくとも、今は。
 羽根は、置いたのと同じところに記憶と寸分変わらない姿で置かれていた。私はそれを憎々しい気持ちで睨み付けた。お前さえいなければ。お前さえ見つけなければ私はこんな苦しみを味わう必要はなかったはずだ。羽根は私の怒りなどどうということはないというように、そこにただ在った。当然だ。それ自体は何の変哲もない、ただの羽根なのだから。かりに道端に落ちていれば誰も見向きせず、じきに風化する運命にあっただろう。それ自体には何の意味も内包しない、ただの動物の身体の一部なのだから。
 私がそれに勝手に意味を見つけ出しただけだ。見かけたのが昨日であれば何も思わなかっただろう。あるいは、蝶番が壊れて施錠できていない窓の真下に落ちていなければ。何も感じなかったであろう。不運にも、場所と、時間によって、私が勝手に意味を付加してしまったのだ。それは呪いだった。自分自身に呪いをかけてしまったのだ。
 お前は知られている。
 だからといって何ができるというのか。射命丸文のところまで出かけていって、「ごきげんよう文。ところでものは相談なんだけど、私の地下室について記事にするのは止めてもらえないかしら?」
 とでも言えばいいというのか? あり得ない。地下室で見たものが私にとって重大なものだと――つまり、記事にする価値がある情報だと文が理解できているかも分からないし、何より、文が家を訪れていない場合、自分から、隠し場所を露呈することになる。それは最悪の選択肢だ。私には自分から働きかける手段が何も残されていない。できることは、もうたったひとつしかなかった。



 今や私の部屋には古新聞紙が束になっている。膝までの高さのが、もうすぐ二束になる。平均すれば二日で一部ずつ。古新聞の嵩は増えている。もちろん、隅から隅まですべて目を通している。売り切れてしまっては困るので、毎朝早く起きて里へ向かっている。これは軽い負担ではない。しかし私は安心を買っているのだ。安い買い物ではないか。
誰しも、絶対人に言えない秘密のひとつやふたつあるものですよね。
鉄火丼
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コメント



0.340簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
ずんどこべろんちょのパクり。
2.70名前が無い程度の能力削除
文章は巧いし、それだけで読み進められるくらいの力はあると思う
けど続きもんじゃあるまいし最後にネタばらしがなけりゃダメだよ
3.90名前が無い程度の能力削除
いかにもなショートショートで面白い。元ネタがあるの?
5.20名前が無い程度の能力削除
結局魔理沙の話はなんだったのか
これ魔理沙じゃなくてアリスそのままでよかったのでは
7.80名前が無い程度の能力削除
確かに魔理沙の話題無くても成立しますねコレ
話の筋とか落とし方は星新一っぽくて面白かった(特にラストの、〜ではないか、と言う一言で落とす感じ)
9.70名前が無い程度の能力削除
着眼点や見せ方はとてもよかった
やっぱり気になったのは他の方がコメントに書かれているとおり、前半の魔理沙の噂が余分なので浮いてしまっているってことと、真相そのものを書かないまでもそれを推測できる材料がないので読後感がすっきりしないってことと
でもこういう個性的な試みをしようという姿勢は素晴らしいことなので、どんどんやっちゃいましょう
10.90名前が無い程度の能力削除
こええなあ続きがほしい
16.20名前が無い程度の能力削除
結局ネタばらしはなかったけど、すごく地雷臭がする内容だった
またアリスが魔理沙好きの変態にされてる話とかですかねコレ?
17.10名前が無い程度の能力削除
うーん、謎の恐怖感を感じて最初は良かった。
一体真相が何なのかドキドキしたのに、それから結局なんだったのかのオチ無し。
最後で全て台無しにされたのでこの点数です。