東京タワーの天辺から墜落したら、いったい何が見えるだろうか。
星空よりも眩い地上の銀河。欲望の火に彩られた都市東京を睥睨しながら、私は思う。もし、この空から墜ちたら――と。
地上333mの高さに立つ女子高生の姿は異質だ。科学主義の征服した現代において、そのような非常識が認められるはずはない。それにも拘らず、この異常事態を見咎める者は誰一人として存在していないのである。
現代人は空を観ない。それは決して星が見えないからではない。彼らの視線は地上 の幸不幸のみにある。人が空を観なくなったからこそ、星は消え失せたのだ。
ゆえに私もきっと星だ。誰も私のことを見ていない、いや、誰も私のことなど望んでいない。彼らにとって、星の光は眩しすぎるし、暗すぎる。たった一人の例外、それは常識を覆すことも可能だが、常識から弾くこともまた容易い。どちらにせよ、直視すべき対象でないということに変わりはないだろう。
そう、私は一人だ。誰も私の隣に立てはしない。何故ならここは塔の頂点。天に二人は並べない。もし二人目が居るとするならば、それは恐らく影だろう。だが今、私の影はどこにある。ここに星は無いのだから、私は地上からしか照らされない。影は闇に溶けてしまって、ドッペルゲンガーは歩めない。いいえ、そもそも私自身、ここに立っているのだろうか。私を見る他者がいなければ、自己の存在は保証されない。現実の私はとうに不在だった。
だから、夢の世界にしか居場所は無いと思っていた。けれども、それも違うのだと私は悟る。向こうの私に肉体は無いから、やはりどこを探しても、実際に私を目撃する者はいない。
無い。無い。居ない。否定形に貫かれた自己は空虚だ。
そんな空隙を埋めるために、私はこの電波塔に昇り続ける。彼もまた、意義を失いつつある孤独なのだから。別に傷の舐め合いがしたいわけではない。私はただ、鏡を見に来ているだけなのだ。
そう、鏡だ。誰も見てくれない私を私が見る。惨めかもしれないが、そうでもしないと埋められぬ孤独。どうやら私は私が思っていたほど強く造られてはいないらしい。況して、一度でも私を見てくれる人に出会ってしまった今となっては――
もし友達がいたら、と思うのだ。普通に話して普通に笑って普通に喧嘩して普通に仲直りをして……。それは私が今まで背いていたもの。厭い、怨み、避けてきたもの。
『自分は他と違う』
『他の人間は、自分を堕落させようとしている』
そう思い込まなければならなかった理由を、私は今になって知るのだった。
それは一種の自己防衛。友達すら作れないという欠点を認めてしまえば、自分が劣っていることを厭でも自覚してしまう。
私は特別でしか居られない。普通になることができない。普通に堕ちてしまえば、私は劣等種にしかなりえない。
なんて生き苦しい私。
なんて息苦しい世界。
だから私は私が嫌いで、この世界が大嫌いなのだ!
高く昇って目を背け、地上を見下し宣言する。
「こんな世は――」
「『燃え尽きてしまえ』か?」
炎の不死鳥が、そこにいた。
「菫子」
炎が、藤原妹紅が語り掛ける。
どうして。どうして貴方がこんな所にいるのだろう。こんな弱い私を、強い貴方に見られたくはないというのに。
「お前が遅刻するから、迎えに来た」
本気なのか冗談なのか分からない口調。貴方の笑顔は眩しすぎて、知らず涙が零れそうになってくる。
「不死人のくせに、時間に厳しいんですね」
精一杯の強がりだった。帽子を押さえて、顔を隠す。手が震えているのがはっきりと分かった。
「蓬莱人だからこそ、待つのは退屈で堪らないのさ」
嘘だ、と思った。それは出会って間もない私ですら知っていること。藤原妹紅は見え透いた嘘を吐くのが得意なのだ。
「ねぇ、どうしてここに?」
悪癖を咎める代わりに問いを投げる。表情はなおも伏せたまま。自分でもどんな顔をしているか分からないから恥ずかしい。
「簡単な話だ」
事もなげに、貴方は笑った。本当に容易いことだと歌うように。
「こんな夜更けに起きている子供は――」
あ。
するり、と帽子が掠め取られる。同時に華奢な指が私の顎を捉えた。それだけで私は何も抵抗できなくなる。
されるがままに顔を曝し、譫言のような溜息だけを吐く。
「きっと悪い子に違いないからな」
藤原妹紅が、私を照らす。私の影を暴き出す。
「だから逢いに来たんだ。大変だったんだぞ、また集めるのは」
私の頭を撫でるその指は、不器用だけれども暖かい。
母親に抱かれる幼子めいた安心感。身も心もすっかり貴方に委ねるがまま。
いったいどれだけの時間、私たちはそうしていたのだろうか。
「お前はどこか私に似ているから、放っておけないのかもしれないな」
自嘲するように呟く貴方。愛しい手が私から離れる。何故だか、名残惜しいとは思わなかった。
「もう、大丈夫だろう? 菫子」
貴方は、ずるい人です。
そんな風に言われたら、私は貴方に逆らえない。だってそれは、私が探し続けた理想 だったから。
「妹紅さん」
「なんだ?」
「やっぱり、なんでもありません」
「そうか」
輝く都市の光の影。塔の上にて二人は睦む。
誰も知らない星々が、互いを照らし合っていた。
* *
気付けば、私は満天の星が広がる幻想郷にいた。
恐らく眠ってしまったのだ。少し情けない気がしてきて、自分のことながら苦笑する。
今、ここに妹紅さんはいない。たぶん向こうで私を抱えて、困った表情 をしていることだろう。それとも、あの人はそれすらも想定内だったのだろうか。まあ分からないことを考えたって仕方がない。それを訊くのは後でも良いのだから。
さて、どこへ行こうか。
たまには地上を歩いてみるのも悪くない。
普通らしくあるのもいいと思った。
普通の友人が欲しいと思った。
私は一人じゃないと気付けたから、きっと何にだって踏み出せる。
私には、太陽 がついているのだから。
星空よりも眩い地上の銀河。欲望の火に彩られた都市東京を睥睨しながら、私は思う。もし、この空から墜ちたら――と。
地上333mの高さに立つ女子高生の姿は異質だ。科学主義の征服した現代において、そのような非常識が認められるはずはない。それにも拘らず、この異常事態を見咎める者は誰一人として存在していないのである。
現代人は空を観ない。それは決して星が見えないからではない。彼らの視線は
ゆえに私もきっと星だ。誰も私のことを見ていない、いや、誰も私のことなど望んでいない。彼らにとって、星の光は眩しすぎるし、暗すぎる。たった一人の例外、それは常識を覆すことも可能だが、常識から弾くこともまた容易い。どちらにせよ、直視すべき対象でないということに変わりはないだろう。
そう、私は一人だ。誰も私の隣に立てはしない。何故ならここは塔の頂点。天に二人は並べない。もし二人目が居るとするならば、それは恐らく影だろう。だが今、私の影はどこにある。ここに星は無いのだから、私は地上からしか照らされない。影は闇に溶けてしまって、ドッペルゲンガーは歩めない。いいえ、そもそも私自身、ここに立っているのだろうか。私を見る他者がいなければ、自己の存在は保証されない。現実の私はとうに不在だった。
だから、夢の世界にしか居場所は無いと思っていた。けれども、それも違うのだと私は悟る。向こうの私に肉体は無いから、やはりどこを探しても、実際に私を目撃する者はいない。
無い。無い。居ない。否定形に貫かれた自己は空虚だ。
そんな空隙を埋めるために、私はこの電波塔に昇り続ける。彼もまた、意義を失いつつある孤独なのだから。別に傷の舐め合いがしたいわけではない。私はただ、鏡を見に来ているだけなのだ。
そう、鏡だ。誰も見てくれない私を私が見る。惨めかもしれないが、そうでもしないと埋められぬ孤独。どうやら私は私が思っていたほど強く造られてはいないらしい。況して、一度でも私を見てくれる人に出会ってしまった今となっては――
もし友達がいたら、と思うのだ。普通に話して普通に笑って普通に喧嘩して普通に仲直りをして……。それは私が今まで背いていたもの。厭い、怨み、避けてきたもの。
『自分は他と違う』
『他の人間は、自分を堕落させようとしている』
そう思い込まなければならなかった理由を、私は今になって知るのだった。
それは一種の自己防衛。友達すら作れないという欠点を認めてしまえば、自分が劣っていることを厭でも自覚してしまう。
私は特別でしか居られない。普通になることができない。普通に堕ちてしまえば、私は劣等種にしかなりえない。
なんて生き苦しい私。
なんて息苦しい世界。
だから私は私が嫌いで、この世界が大嫌いなのだ!
高く昇って目を背け、地上を見下し宣言する。
「こんな世は――」
「『燃え尽きてしまえ』か?」
炎の不死鳥が、そこにいた。
「菫子」
炎が、藤原妹紅が語り掛ける。
どうして。どうして貴方がこんな所にいるのだろう。こんな弱い私を、強い貴方に見られたくはないというのに。
「お前が遅刻するから、迎えに来た」
本気なのか冗談なのか分からない口調。貴方の笑顔は眩しすぎて、知らず涙が零れそうになってくる。
「不死人のくせに、時間に厳しいんですね」
精一杯の強がりだった。帽子を押さえて、顔を隠す。手が震えているのがはっきりと分かった。
「蓬莱人だからこそ、待つのは退屈で堪らないのさ」
嘘だ、と思った。それは出会って間もない私ですら知っていること。藤原妹紅は見え透いた嘘を吐くのが得意なのだ。
「ねぇ、どうしてここに?」
悪癖を咎める代わりに問いを投げる。表情はなおも伏せたまま。自分でもどんな顔をしているか分からないから恥ずかしい。
「簡単な話だ」
事もなげに、貴方は笑った。本当に容易いことだと歌うように。
「こんな夜更けに起きている子供は――」
あ。
するり、と帽子が掠め取られる。同時に華奢な指が私の顎を捉えた。それだけで私は何も抵抗できなくなる。
されるがままに顔を曝し、譫言のような溜息だけを吐く。
「きっと悪い子に違いないからな」
藤原妹紅が、私を照らす。私の影を暴き出す。
「だから逢いに来たんだ。大変だったんだぞ、また集めるのは」
私の頭を撫でるその指は、不器用だけれども暖かい。
母親に抱かれる幼子めいた安心感。身も心もすっかり貴方に委ねるがまま。
いったいどれだけの時間、私たちはそうしていたのだろうか。
「お前はどこか私に似ているから、放っておけないのかもしれないな」
自嘲するように呟く貴方。愛しい手が私から離れる。何故だか、名残惜しいとは思わなかった。
「もう、大丈夫だろう? 菫子」
貴方は、ずるい人です。
そんな風に言われたら、私は貴方に逆らえない。だってそれは、私が探し続けた
「妹紅さん」
「なんだ?」
「やっぱり、なんでもありません」
「そうか」
輝く都市の光の影。塔の上にて二人は睦む。
誰も知らない星々が、互いを照らし合っていた。
気付けば、私は満天の星が広がる幻想郷にいた。
恐らく眠ってしまったのだ。少し情けない気がしてきて、自分のことながら苦笑する。
今、ここに妹紅さんはいない。たぶん向こうで私を抱えて、困った
さて、どこへ行こうか。
たまには地上を歩いてみるのも悪くない。
普通らしくあるのもいいと思った。
普通の友人が欲しいと思った。
私は一人じゃないと気付けたから、きっと何にだって踏み出せる。
私には、
もこすみ流行れ