蓬莱人には時の流れがわからない。
そりゃ、昨日とか明日とか来週ぐらいはわかる。だけど、何年かをこえてしまうともうお手上げだ。なんとなく気づくのは久しぶりに人間と出会った時ぐらいだけど、それもそいつが大人になっていたり、爺になっていたり、要は見た目がはっきり変わっていたらの話だ。それを見てようやく、前に会ってから二十年ぐらいたったかな、と推測できる程度だった。
だから、あいつと最後に会ったのが三十年前だったかそれとも百年前だったか、それすらもよくわからなくなっていた。
なにせ、あいつは。
あいつと出会ったのはあの奇妙な異変の時だった。いつの間にか持たされていたオカルトボールとやらの影響か、それとも追い返しても追い返してもやってくる奴らにうんざりしたのか。いや違う、確か死の匂いがするボールが気になったんだった。もう詳しいことは忘れてしまったけれど、とにかく竹林の外に出てボールを集める事にしたのだ。
そうしたら最終的に結界の外にまで行ってしまった。いくらなんでも飛び出しすぎたような気もしたけれど、まあもののついでである。久々に見物した外の世界はひどく変わっていて、とんでもなく背が高い塔の放つ色とりどりの光に見とれていた。なんだ、輝夜の五色の枝の光もこっちでは大して珍しいものでもないのか、なんて呑気にしていたら。
こちらと比べてひどく明るい夜の下、あの奇矯な『女子高生』とやらに出会ったのだ。
あいつはそう、ひどく珍妙な格好をしていた。それが向こう側の普通の姿ではないことは後になって本人から聞いたんだが、初めて見たときから『浮いている』のが見て取れた。
紫と紺の線が交差する服は百歩譲るとしても、あの帽子と怪しげなマントは普通の人間の着るようなものにはとてもじゃないが見えなかった。まあ言ってみれば、こちら側の匂いがしたのだ。実際他の人間と違って飛んでたし。
果たして、あいつは異変の首謀者だった。外の人間のくせに様々な能力を使いこなしていたから、つい力を出しすぎてしまったぐらいだ。もちろん、最後には私が勝ったけど。
その時は、お互い名前も知らないままに別れた。もう会う事なんてないだろうな、ぐらいに思っていた。
だから、竹林であいつの姿を見たときにはいささか驚いた。こちら側の暗闇の下で見た少女は、強がってはいたが前よりずっと小さく見えた。とりあえず手加減して一戦交えてやって落ち着かせてから、いつものように案内してやったら随分驚いていたっけな。まあ、他の奴らがなにやら企んでいたみたいだったし、そっちに任そうと思っただけなんだが。
それでも、別れ際に言われた「ありがとう」の一言が、その時初めて見せた年相応の笑顔が何だか眩しく見えて。
頭を掻きながら竹林に戻って。本当になんでこんなことしているんだか、と自嘲してみたが手は止まらない。結局全部見つけられなかった、というのも情けない話ではあった。
わざわざ神社まで出向いて巫女に届けてくれるように頼んだのだ。あいつが落としていった、あのカードを。
が。それであいつ、いや宇佐見菫子とはお別れとはならなかった。
彼女はその後、霊体で訪れるようになったのだ。眠っている間だけ、とか言いながら、よく昼にも訪れては「次の授業がはじまっちゃう」とよくわからないことを言ってすぐに消えていった。
霊体だけとはいっても特に不都合はないようだった。なにせ彼女にはよくわからない力があるのだ。それで物を動かしたり肉体の弾力を再現するのもお手の物、と言ったことらしかった。もちろんそんなことが巫女に知られては面倒だからと口止めされたが。
そんな風に彼女が来るのがいつの間にか習慣になってしまっていた。なにせ彼女ときたら、こっちに来るたび竹林にきては迷うのだ。というよりいつのまにか眠ると竹林に来るようになってしまったらしかった。
それに彼女の姿は分かりやすかった。外のへんてこな服だから、というよりもいつもあの時と同じ格好のままなのだ。「この姿の方がイメージしやすいでしょ?」とかなんとか言ってはいたが、どうやら肉体のままでくると寝癖やら寝巻やら机に寝た時の痣まで再現してしまうかららしい。
「ただでさえ自信ないのに」なんて自嘲気味に言っているもんだから、「そんなことはないと思うけど」といってやった。
特に深く考えた台詞でもなかったのに、帽子で顔を隠しながらぽかぽか殴られたのは閉口したけれど。意外と痛いんだ、あいつのアレは。テレキネシスだかなんだかで再現してるからか加減が効いちゃいないし。
そう、あいつは何も変わらなくみえた。こっちはこっちで時間から置いてけぼりにされた人間だから、向こうの彼女が生身の人間で大人になっていっていることなんて考えもしなかったんだ。いや、考えないようにしていた、と言った方が正しいのだろう。
だから、彼女が「もうここには来れないわ」と言ったときも、驚きつつも心の底の醒めた部分では「ああ。とうとうこの日が来たんだな」と悟っていた。
「結婚することになったの」
そう告げる彼女の姿は、最初に出会った時とまったくかわらなかったけれど。その眼差しは既に大人のものだった。たぶんずっと前から、彼女がこちらを訪れる日が減りだしたころから変わっていたんだろう。だけど私は気づかないふりをしていたのだ。
彼女の見た目が変わらなかったから。彼女もこちら側の存在だと思いたかったのだ。そんなわけないと分かっていた筈なのに。
だから、彼女を引き留めることなんてできなかった。それが彼女を更に困らせるだけなんだと、分かってしまった。
大丈夫、身を引き裂かれるような思いがしたって、すぐにとは言わないがそれも消えてしまう。この永遠の前では、痛みも何もかもが。
彼女は泣きながらもひどく大人びた顔をして手を振っていた。それはきっと私との別れが寂しかったのではなく、自分の中の少女と決別するのが寂しかったのだろう。そういうことにして、私は。あの時と逆だななんて強がりを言って笑いながら別れた。
零れる筈の水滴は体に宿る熱に形を失い空に消えていった。これでいいのだ、私には涙なんて出す資格はないのだから。
あれから、もうどれくらいだったのだろう。首をひねってみてもどうにもはっきりしない。ただ、里の時間はあっという間にすぎていったようだ。慧音はまだ元気だけど、博麗が代替わりし普通の魔法使いが本当に魔法使いになって久しいぐらいはわかっていた。
相変わらず竹林の案内は続けていたが、人々の傍らで生き続けるにはちょっとした誤魔化しが必要だ。永遠亭の世話になるのはしゃくだったが、輝夜本人に世話になるわけではなくあくまであの兎に頼むだけだと言い聞かせていた。そろそろ代替わりもしなければと思ってはいたが、なんとなくまだ「妹紅」でいたい気分だった。
竹林で輝夜と殺し合うのに一向に飽きないのだけが救いだった。あいつも相変わらずムカつく顔だがそんな顔でも見ればほっとするのは事実だった。
そんな折りに、輝夜のやつから聞いたのだ。てゐが珍しい顔に会ったと。まだ竹林で迷っているだろうから案内してもらいなさいと。なにやら愉しそうな笑顔と意味深な言葉が怪しかったが、言われるがままに足を向けた。
そうして、彼女とまた巡り合った。
あの頃とおなじ、不思議な文字の踊るマント。
あの頃とおなじ、栗色の派手ではないが艶やかな髪。
あの頃とおなじ、意地の悪そうな笑顔。
彼女はまるで変わらないように見えた。ただひとつ、トレードマークであった帽子が記憶と齟齬を生んでいたけれど、他のすべては何から何までかわらなかった。だけど、ほかになにかが。そう違和感を感じかけた時だった。
こちらに気づいた彼女は私の顔をじろじろみたあと、スッと顔色を変えてこう叫んだのだ。
「妹紅さんが老いてるーッ!!!!」
その声は、竹林中に響き渡った。臆病な兎が何匹か駆け出し、鳥たちが驚いて羽ばたいていくほどに。
「ごめんごめん、人に関わって生きてるのに老いないってのは都合が悪くてさ。人間にはそういう風にみえるように細工をしてもらってたんだ」
彼女の驚きように慌ててリボンの一つを外す。そこでようやく彼女にも本来の私の姿が見えたらしい。
「あーもう、安心したわ。妹紅さんが私みたいに老いてたんじゃ若さを分けてもらおうと会いに来た甲斐がないもの」
若さ、ときたか。彼女に感じていた違和感。やはり彼女は変わったのだ。記憶の中の姿よりずっと子供っぽく無邪気にはしゃいでいるようにみえながら、所作の端々に過ごしてきた年月を感じさせる落ち着きがあった。それは最初に会ったときには、いや最後に別れたときの彼女にも感じられなかったもので。過ぎ去った年月を感じさせるには十分だった。
「どうして、またやって来たんだ?」
しらず、己の口から放たれたのは刺々しい言葉。僅かに後悔するけれど、彼女は気がつかなかったのか、あの頃と変わらない減らず口を返す。
「ふふん、聞きたかったら打ち負かしてみてよ!」
そう胸を張ってスペルカードを構える。その構えまで、あの頃と何から何まで同じでありながらやはり決定的ななにかが違って。何故だか涙が出そうで堪らなくなった。
「あーん、全然歯が立たないじゃない」
勝負はすぐについた。彼女の技はやはり過去の模倣に過ぎず、当時と比べるべくもなかったのだ。
悔しそうに地団駄を踏む彼女に、あくまであの時の少女のように振る舞う姿に我慢がならなくなって、
「どうしてやってきたんだ。そんなに年老いて、今更」
もう一度、今度は有無を言わさぬ口調で尋ねてしまう。
「やっぱり、わかっちゃうか。これでも若作りしたつもりなんだけどなあ」
私の言葉にふりかえった彼女の表情は、ひどく落ち着いていて、もはや隠すことなく彼女の過ごしてきた歳月を伝える。それはつまり、
「わたし、もう長くないみたいなの」
彼女が、最期の別れを言いに来たという事だった。
そう、彼女を最初に見たときから薄々わかっていたことだ。だから、すぐには聞かなかったというのに。後悔はいつだって先に立たない。それなのに繰り返してしまうのは、私が変わることのできない蓬莱人だからなのか、それとも人の性なのか。
終わることのない自問自答を続ける私の手を握るように自らの手で包み込み、彼女は真剣な表情で呼びかける。
「ねえ、妹紅さん。話を聞いてほしいの。私の、いいえ秘封倶楽部の話を。どうしてわたしがここに来たのかを」
彼女の話をこれ以上聞いても辛いだけだ。そう思ったのに。存在しない筈の手のぬくもりが私の心を離してくれなかった。
「本当はね。ここに来る気はなかったの。年老いて、支えなければいけない家族もいなくなって自由になった。そう、ここへ来てた頃みたいに。それでも墓場まで思い出として、憧れとして持っていくつもりだったの」
「そうすれば、未練が残って亡霊としてこっちに来れるんじゃないかなんて勝手に思い込んで。そんなことは無理でしょうに」
自嘲するように笑いながら、うら若き老女は言葉を続ける。
「でも、久しぶりに会った孫娘にいわれたのよ。『会いたいなら、行きたいときに行かないとダメよ!おばあちゃんはそうやって夢を現にかえたんでしょ?』って」
「『私の知っている初代秘封倶楽部会長はそういう人よ。私の憧れなんだから!』驚いたわ。ただの隠れ蓑として作っただけだったあの倶楽部が、ずっと七不思議として続いていて、それをあの子が聞いていたなんて」
彼女はぽつりぽつりと語りながら、顔を上げて竹林の上の空、いやさらに高い場所を見つめる。おそらくその孫とやらを思い浮かべているのだろう。その目は随分やさしげだ。けれど私は、また彼女が遠くに行ってしまったことを感じてしまう。やはり聞かなければよかったのか、彼女にこれ以上置いていかれる前に。そう思ったときだった。
「妹紅さん、また『どうせお前も私を置いていくんだろう』とか考えてたでしょ」
突然、だった。その真っ直ぐな言葉は先ほどの弾幕なんかよりもずっと鋭く私を貫いた。それでも、つい冗談で紛らわそうとしてしまう。
「読心能力があったなんて知らなかったけどな」
「ふふん、それぐらい超能力者じゃなくてもわかるわよ」
そこで、彼女は帽子のつばを掴みくるりと一回しする。
「ねえ、妹紅さん?この帽子どこか変じゃないかしら?」
「ああ、昔とは違う気がするな。前のへんてこなやつはどうしたんだ?」
ポカポカとあの時のように殴られるかと思ったけれど、薄い胸を張って大威張りで返してきた。
「へんてこなセンスとは聞き捨てならないけど、違うって事に気づいてたなら許してあげるわ」
「あの帽子はね、あの子に渡したの。さっき言った私の孫娘に。これはそのかわり。リボンつきのやつが見つからなくてね」
そう言って帽子をポンポンと叩いて微笑む。そして、そのまま話を続けた。
「あの子はね。こういったわ。『おばあちゃんが会いに行かなくても、私が会いに行くわ。おばあちゃんが目指したもの、たどり着いたところ、おばあちゃんの夢はきっと現になる。いやしてみせる!それが私、いや私たち秘封倶楽部よ』」
「あの子ったら、大学でサークルを立ち上げてね。幻想を探すなんて活動をしてるのよ。それだけじゃないわ。彼女たちを真似して他にも多くの人が幻想を目指してるんですって」
「それでようやく分かったのよ。私にしか、いいえ、『私たち』にしかできない、永遠へと至る道」
そこで一度言葉を切って、わたしを真正面から見つめた。彼女の瞳は透き通っていて、なのにひどく暖かさを感じた。瞳に抱きしめられているような錯覚すら覚えるほどに。
「『秘封倶楽部』はいつか此処へやってくるわ。それは私の知るあの子たちかもしれないし、私や彼女たちに憧れたまったく違う別の誰かかも知れない」
「それでも、人は夢に憧れ、幻想を目指すの。私のまいていた種は、彼女たちが拡げ、きっと幻想へと至る花を咲かせる。そうしてその花はまた新たな夢を生むの。そうしてきっと人が営みを続ける限り、『永遠に』続いていくんだわ」
彼女はゆっくりと、しかし確かな口調で告げた。私の瞳を見つめたまま。その瞳に吸い込まれるような気がして。彼女の次の言葉をただ待っていた。彼女が本当に伝えたいことを。
「あなたに、いずれここへたどり着く『秘封倶楽部』たちのことを託したいの。他の誰でもない、永遠に生き続けるあなただからこそ」
「これが、私がここに来たもう一つの理由。妹紅さんに託したい未来よ」
彼女の言葉に、私の止まっていた、いや自分で止めてしまっていた心の一部が動いた気がした。
待っていていいのか。永遠に過ぎ去っていく現在を見つめるだけだった私が、未来を。
蓬莱人は時間の感覚がないんじゃない。本当は、私が明日を見る事が出来ないだけだったのだ。
輝夜と再会するまでは、毎日が地獄だった。それでも、いつかあいつに復讐すると思うことができた。少なくとも、しばらくの間は。だけど、それをいつの間にか諦めるようになってからはずっと、今だけを生きてきた。そうしなければ、先を見たら永遠に続く何もない荒野に押しつぶされそうで、ただそこにあり続けた。それ以外、なにもできなかったのだ。
輝夜と再び巡り会って、今が本当に楽しくなって。あいつが月に帰らないとようやく理解できてからも、やっぱり今しか見えなかった。何よりも憎らしく、愛しいあいつと殺し合うためだけの永遠。
だから、今をあれだけ楽しんでいながら、死にたいなどと考えてしまったのだ。オカルトボールが死を囁いたのではない。それはずっと自分の中にあったのだ。そして、結局死ぬ方法を探したりはしなかった理由もようやくわかった。
彼女にめぐりあえたから。次にいつ来るかまるでわからなかったのに、いやだからこそ彼女を待つことは幸せだったのだ。それを心のどこかでわかっていたから、彼女が去った後も彼女が知る『妹紅』のままでいようとしたのだ。もしかしたら、また来てくれるんじゃないかと心のどこかで期待して。
そうか、あの時すでに未来を見せてもらっていたのだ。目の前のへんてこな少女に。そして、彼女は託してくれたのだ。私が待ち望むべき未来を。
「ふふふ、隙あり!妹紅さんのことだから、きっと持ってくれてると思ったわ」
涙を隠そうとする私に気を使ったのか、それとも本当に言葉通りだったのか。答えはすぐに分かった。
いつの間にか私の背後に回っていた彼女は、いつ盗ったのか私が隠し持っていた物を手にしていたのだ。
相変わらず手癖が悪い、なんて誤魔化そうとしても、彼女には通じない。なにより、自分でも分かるほど顔が火照っていた。これではどんな間抜けにだって分かるだろう。
古ぼけたそれは、彼女が来なくなってから竹林で見つけた物。持っていれば別れの辛さがぶり返すだけだと思っていながら、手放すことができなかった物。彼女が確かにこちらへ来ていたという証である、残されたESPカード。
それを後生大事に持っていたなんて、いかにも女々しくて恥ずかしかった。彼女の前では、もう少し格好をつけていたかったというのに。
そんなこっちの気も知らないで、奪ったカードを元の持ち主の当然の権利とばかりにしげしげと見つめている。しかし、それをどうしようというのだろう?
霊体である彼女にはテレキネシスでカードを動かして持っているように見せることはできても、それを向こう側まで持って帰ることはできない。しかし、彼女はカードを見て何やら思いついたように、突然全く関係ない話を始めた。
「ね、妹紅さん。すみれの花言葉を知ってる?」
勿論知っている。でも、彼女の名前をわざわざ調べたなんて言うのはなんだかむずがゆくて、
「ああ、昔聞いたような記憶があるよ、『白昼夢』だろう?」
「それはこの色の事ね。幻想郷に来る前の私の大好きだった色。現実をつまらないと思っていた頃のわたしが」
遠い昔を思い起こすように呟いた後、片方の手で帽子を外してもう一方の手でその中にカードを入れる。そして、いつかの手品のように紫のすみれを帽子から取り出した。えへんと口に出しそうな自慢顔で。
「でも、今日は違うわ。この色を贈りたいの。私が、ここへ来てから好きになったすみれの色を」
そういって、悪戯めいた表情を浮かべながら、手にした菫をマントで覆い隠す。ひらりと再び広がったマントの中、その手にあったのは。
「……桜色のすみれ?」
「吾も紅く染まれ……なんてね、妹紅さんのように真っ赤には染まらないけれど。これを妹紅さんにあげるわ」
彼女は言葉と共に、すみれの花を帽子の中に戻す。
「どうぞ皆様ご覧ください、種も仕掛けもありません!ってね」
再び帽子の中からカードが現れる。けれど、明らかに違う点が一つ。私の瞳に映ったのはカードの中に込められた桜色。
「こうしておけば妹紅さんもずっと持っていられるでしょ?花言葉はなんだかわかるかしら?」
片目をつぶって問いかけてくる彼女に見とれてしまって、言葉が返せない。そんな私に更に顔を近づけながら問いを重ねてきた。
「ふふ。当ててみて。ヒントは、妹紅さんにあげたものよ」
「残念だけど、まったく分らないな」
「ありゃ、そりゃ残念」
と言いながらも、全然残念そうではない。それどころか、その瞳はそう、なにか面倒なことを思いついたときのものだ。
そう、そうだった。その瞳が、好きだったのだ。
「もう一回、弾幕ごっこで勝負しましょ。妹紅さんが勝ったら、花言葉を教えてあげる。私が勝ったら……ふふ、それは勝ってのお楽しみね!」
そう言って、彼女自身のスペルを構える……前に、またしても悪戯っぽい瞳で何やらおねだりを始めた。
「ねえ、さっきのリボンつけてくれない?ハンデとしてちょうどいいでしょ?」
「ハンデになるかは知らないけれど、まあいいよ。その代り、一つ条件があるけれど」
私の出した条件を聞いて、彼女は眼を丸くした後、急に恥ずかしそうにもじもじし始める。
だけど、これは譲れない。あの頃の幻影(ドッペルゲンガー)ではなく、今の彼女の姿を目に焼き付けたいのだ。その思いを伝えようとするかのように彼女の手を握る。
この幻想の温もりを、永遠に忘れないように。
竹林に、二つの影が躍る。それは、一度きりの夢、一度きりの幻想。二人の老女が互いに己の全てを弾幕に込めて放ち、それを紙一重で躱しあう。
それは、この幻想郷においても絶後の光景であった。弾幕ごっこは少女のものだ。だから、老いた姿で戦うことなどあり得ない。
その意味をかみしめながら、私は空を駆ける。それを最小限の動きと読みで彼女が追ってきた。
その軌跡は、先の弾幕ごっこでの若さを模した動きとは違う。派手さはないけれど彼女がその生涯で得た老獪さを感じさせた。
そして、その手にかざした呪符もまた。
私が知らない彼女の人生。彼女の生きた軌跡がそのまま弾幕となり私を包む。先ほどの速さはないけれど、こちらの意図を読んだように無駄のない美しさで迫りくる。それを掠めるように近づきながらも、決して当たることはない。なんだか私たちみたいだなと思いながら、今はただ彼女の道と交わることができた幸福をただ形となす。生まれるは彼女と過ごした日々。彼女を思っていた日々。その記憶を込めた、二人で過ごした竹林を擬した弾幕。
彼女は、私の弾幕にもひるまず、私とは全く異なる動きで、同じように弾幕を掠めながら新たな弾幕を広げる。月光に輝く銀髪をなびかせながら、古い奇術師は、月夜に溶け込むかのように舞い踊る。
二人だけのひそやかな宴も永遠には続かない。残ったのは彼女のラストワード。だけどそれはあの時、向こう側の世界で少女が見せた孤独な言葉とは違う、彼女の過ごしてきた全てを込めた最後の言葉。
彼女の人生そのものともいえる光の中で、私は彼女の本当のこころに触れた。
そんな気がした。
色とりどりの思い出に包まれ、老いた不死鳥が遂に堕ちる。が、そう見えたのは一瞬だった。光が貫いたのは、髪に結ばれた紅白のリボン。それが風に飛ばされる前に、真紅の炎に包まれて不死鳥が真の姿を現した。永遠に燃え続ける魂が老女に迫る。だが、死力を尽くした年代物のオカルティシャンはもはや動けないのか、立ち尽くしたまま自らの身で以て受け止めた。
「んもー、ずるいわ妹紅さん。最後にあんなの隠してたなんて。おまけに自分だけリボン落として若返っちゃうし」
ほおを膨らまして怒っている彼女をなだめるのも一苦労だった。
年老いた姿だというのに、その姿はやはり美しく見えた。先ほどの若さを演じていた時より、いやあの頃の本当に若かった時よりも。
「ふっふっふ。妹紅さんもようやく私の魅力がわかったみたいね」
だから、心を読むのはやめてほしいと思う。
「これが年の功ってやつよ。妹紅さんもあの子たちに会うまでにちょっとは鍛えといてよ。わかりやすすぎて心配になるんだから」
本当に、形無しである。けれど、それがひどく心地よかった。
「妹紅さんが勝ったんだから、答えを教えなきゃね」
不満たらたらの顔で呟く彼女の口を指で抑える。生憎だけど、もう教えてもらわなくてもいいよ。答えは、あの弾幕に教えてもらったから。
「妹紅さん、カッコつけ過ぎよ。こんなお婆ちゃんにそんな……」
しわくちゃの頬をほのかに染める彼女に、もう一つ声をかける。散々格好悪いところを見せたんだ。これぐらい言わせてもらおう。
「さっきよりも、いやあの頃よりももっと綺麗だけどな」
今度こそ顔を真っ赤に染めた彼女にポコポコ叩かれる。その痛みはあの頃ほど強くなく、それでいてひどく心に響いた。
「んもう、本当にかっこつけてるんだから」
そんな彼女に対して笑いかける。答えは、次の『秘封倶楽部』にでも教えてもらうさ。なにせ、待つのにも約束があった方が楽しみが増すからな。
私の言葉を聞いて、彼女もつられて笑う。しわくちゃの顔、曲がった背、かさついた肌、銀色に染まった髪。彼女の過ごした歴史を感じさせる姿に、変わらない瞳の輝き。
やっぱり、美しいと思った。この彼女を覚えておこうと。最初に会った時の彼女だけでなく、今の彼女の姿を。
最後に、彼女と拳を交わした。握手よりも、そっちの方が私らしいと思ったのだ。彼女がしわくちゃの手を握られることに躊躇したというのもあるけれど。
「じゃあ、さよなら妹紅さん」
そう言って手を振り別れを告げる彼女に、最後の言葉を返す。
「ああ、さようなら、菫子」
そして、最初の言葉を。
「また会おうな、『秘封倶楽部』」
「本当にずるいわよ、妹紅さん。最後の最後まで」
「約束しただろう?」
「ええ、そうね。また来るわ。きっと……いや、必ず」
最後は笑いながら、彼女と別れた。今度は頬をつたう涙を隠す必要もない。だって、二人で誓ったのだから。また出会う事を。
ざわめく竹林の中、笹の間からこぼれる月明かりを受けながら、不死鳥は待ち続ける。今を楽しみ、未来を待ち望んで。
手にしたカードをしげしげと見つめるその瞳には、彼女から託された桜色が、希望の色が映っていた。
そりゃ、昨日とか明日とか来週ぐらいはわかる。だけど、何年かをこえてしまうともうお手上げだ。なんとなく気づくのは久しぶりに人間と出会った時ぐらいだけど、それもそいつが大人になっていたり、爺になっていたり、要は見た目がはっきり変わっていたらの話だ。それを見てようやく、前に会ってから二十年ぐらいたったかな、と推測できる程度だった。
だから、あいつと最後に会ったのが三十年前だったかそれとも百年前だったか、それすらもよくわからなくなっていた。
なにせ、あいつは。
あいつと出会ったのはあの奇妙な異変の時だった。いつの間にか持たされていたオカルトボールとやらの影響か、それとも追い返しても追い返してもやってくる奴らにうんざりしたのか。いや違う、確か死の匂いがするボールが気になったんだった。もう詳しいことは忘れてしまったけれど、とにかく竹林の外に出てボールを集める事にしたのだ。
そうしたら最終的に結界の外にまで行ってしまった。いくらなんでも飛び出しすぎたような気もしたけれど、まあもののついでである。久々に見物した外の世界はひどく変わっていて、とんでもなく背が高い塔の放つ色とりどりの光に見とれていた。なんだ、輝夜の五色の枝の光もこっちでは大して珍しいものでもないのか、なんて呑気にしていたら。
こちらと比べてひどく明るい夜の下、あの奇矯な『女子高生』とやらに出会ったのだ。
あいつはそう、ひどく珍妙な格好をしていた。それが向こう側の普通の姿ではないことは後になって本人から聞いたんだが、初めて見たときから『浮いている』のが見て取れた。
紫と紺の線が交差する服は百歩譲るとしても、あの帽子と怪しげなマントは普通の人間の着るようなものにはとてもじゃないが見えなかった。まあ言ってみれば、こちら側の匂いがしたのだ。実際他の人間と違って飛んでたし。
果たして、あいつは異変の首謀者だった。外の人間のくせに様々な能力を使いこなしていたから、つい力を出しすぎてしまったぐらいだ。もちろん、最後には私が勝ったけど。
その時は、お互い名前も知らないままに別れた。もう会う事なんてないだろうな、ぐらいに思っていた。
だから、竹林であいつの姿を見たときにはいささか驚いた。こちら側の暗闇の下で見た少女は、強がってはいたが前よりずっと小さく見えた。とりあえず手加減して一戦交えてやって落ち着かせてから、いつものように案内してやったら随分驚いていたっけな。まあ、他の奴らがなにやら企んでいたみたいだったし、そっちに任そうと思っただけなんだが。
それでも、別れ際に言われた「ありがとう」の一言が、その時初めて見せた年相応の笑顔が何だか眩しく見えて。
頭を掻きながら竹林に戻って。本当になんでこんなことしているんだか、と自嘲してみたが手は止まらない。結局全部見つけられなかった、というのも情けない話ではあった。
わざわざ神社まで出向いて巫女に届けてくれるように頼んだのだ。あいつが落としていった、あのカードを。
が。それであいつ、いや宇佐見菫子とはお別れとはならなかった。
彼女はその後、霊体で訪れるようになったのだ。眠っている間だけ、とか言いながら、よく昼にも訪れては「次の授業がはじまっちゃう」とよくわからないことを言ってすぐに消えていった。
霊体だけとはいっても特に不都合はないようだった。なにせ彼女にはよくわからない力があるのだ。それで物を動かしたり肉体の弾力を再現するのもお手の物、と言ったことらしかった。もちろんそんなことが巫女に知られては面倒だからと口止めされたが。
そんな風に彼女が来るのがいつの間にか習慣になってしまっていた。なにせ彼女ときたら、こっちに来るたび竹林にきては迷うのだ。というよりいつのまにか眠ると竹林に来るようになってしまったらしかった。
それに彼女の姿は分かりやすかった。外のへんてこな服だから、というよりもいつもあの時と同じ格好のままなのだ。「この姿の方がイメージしやすいでしょ?」とかなんとか言ってはいたが、どうやら肉体のままでくると寝癖やら寝巻やら机に寝た時の痣まで再現してしまうかららしい。
「ただでさえ自信ないのに」なんて自嘲気味に言っているもんだから、「そんなことはないと思うけど」といってやった。
特に深く考えた台詞でもなかったのに、帽子で顔を隠しながらぽかぽか殴られたのは閉口したけれど。意外と痛いんだ、あいつのアレは。テレキネシスだかなんだかで再現してるからか加減が効いちゃいないし。
そう、あいつは何も変わらなくみえた。こっちはこっちで時間から置いてけぼりにされた人間だから、向こうの彼女が生身の人間で大人になっていっていることなんて考えもしなかったんだ。いや、考えないようにしていた、と言った方が正しいのだろう。
だから、彼女が「もうここには来れないわ」と言ったときも、驚きつつも心の底の醒めた部分では「ああ。とうとうこの日が来たんだな」と悟っていた。
「結婚することになったの」
そう告げる彼女の姿は、最初に出会った時とまったくかわらなかったけれど。その眼差しは既に大人のものだった。たぶんずっと前から、彼女がこちらを訪れる日が減りだしたころから変わっていたんだろう。だけど私は気づかないふりをしていたのだ。
彼女の見た目が変わらなかったから。彼女もこちら側の存在だと思いたかったのだ。そんなわけないと分かっていた筈なのに。
だから、彼女を引き留めることなんてできなかった。それが彼女を更に困らせるだけなんだと、分かってしまった。
大丈夫、身を引き裂かれるような思いがしたって、すぐにとは言わないがそれも消えてしまう。この永遠の前では、痛みも何もかもが。
彼女は泣きながらもひどく大人びた顔をして手を振っていた。それはきっと私との別れが寂しかったのではなく、自分の中の少女と決別するのが寂しかったのだろう。そういうことにして、私は。あの時と逆だななんて強がりを言って笑いながら別れた。
零れる筈の水滴は体に宿る熱に形を失い空に消えていった。これでいいのだ、私には涙なんて出す資格はないのだから。
あれから、もうどれくらいだったのだろう。首をひねってみてもどうにもはっきりしない。ただ、里の時間はあっという間にすぎていったようだ。慧音はまだ元気だけど、博麗が代替わりし普通の魔法使いが本当に魔法使いになって久しいぐらいはわかっていた。
相変わらず竹林の案内は続けていたが、人々の傍らで生き続けるにはちょっとした誤魔化しが必要だ。永遠亭の世話になるのはしゃくだったが、輝夜本人に世話になるわけではなくあくまであの兎に頼むだけだと言い聞かせていた。そろそろ代替わりもしなければと思ってはいたが、なんとなくまだ「妹紅」でいたい気分だった。
竹林で輝夜と殺し合うのに一向に飽きないのだけが救いだった。あいつも相変わらずムカつく顔だがそんな顔でも見ればほっとするのは事実だった。
そんな折りに、輝夜のやつから聞いたのだ。てゐが珍しい顔に会ったと。まだ竹林で迷っているだろうから案内してもらいなさいと。なにやら愉しそうな笑顔と意味深な言葉が怪しかったが、言われるがままに足を向けた。
そうして、彼女とまた巡り合った。
あの頃とおなじ、不思議な文字の踊るマント。
あの頃とおなじ、栗色の派手ではないが艶やかな髪。
あの頃とおなじ、意地の悪そうな笑顔。
彼女はまるで変わらないように見えた。ただひとつ、トレードマークであった帽子が記憶と齟齬を生んでいたけれど、他のすべては何から何までかわらなかった。だけど、ほかになにかが。そう違和感を感じかけた時だった。
こちらに気づいた彼女は私の顔をじろじろみたあと、スッと顔色を変えてこう叫んだのだ。
「妹紅さんが老いてるーッ!!!!」
その声は、竹林中に響き渡った。臆病な兎が何匹か駆け出し、鳥たちが驚いて羽ばたいていくほどに。
「ごめんごめん、人に関わって生きてるのに老いないってのは都合が悪くてさ。人間にはそういう風にみえるように細工をしてもらってたんだ」
彼女の驚きように慌ててリボンの一つを外す。そこでようやく彼女にも本来の私の姿が見えたらしい。
「あーもう、安心したわ。妹紅さんが私みたいに老いてたんじゃ若さを分けてもらおうと会いに来た甲斐がないもの」
若さ、ときたか。彼女に感じていた違和感。やはり彼女は変わったのだ。記憶の中の姿よりずっと子供っぽく無邪気にはしゃいでいるようにみえながら、所作の端々に過ごしてきた年月を感じさせる落ち着きがあった。それは最初に会ったときには、いや最後に別れたときの彼女にも感じられなかったもので。過ぎ去った年月を感じさせるには十分だった。
「どうして、またやって来たんだ?」
しらず、己の口から放たれたのは刺々しい言葉。僅かに後悔するけれど、彼女は気がつかなかったのか、あの頃と変わらない減らず口を返す。
「ふふん、聞きたかったら打ち負かしてみてよ!」
そう胸を張ってスペルカードを構える。その構えまで、あの頃と何から何まで同じでありながらやはり決定的ななにかが違って。何故だか涙が出そうで堪らなくなった。
「あーん、全然歯が立たないじゃない」
勝負はすぐについた。彼女の技はやはり過去の模倣に過ぎず、当時と比べるべくもなかったのだ。
悔しそうに地団駄を踏む彼女に、あくまであの時の少女のように振る舞う姿に我慢がならなくなって、
「どうしてやってきたんだ。そんなに年老いて、今更」
もう一度、今度は有無を言わさぬ口調で尋ねてしまう。
「やっぱり、わかっちゃうか。これでも若作りしたつもりなんだけどなあ」
私の言葉にふりかえった彼女の表情は、ひどく落ち着いていて、もはや隠すことなく彼女の過ごしてきた歳月を伝える。それはつまり、
「わたし、もう長くないみたいなの」
彼女が、最期の別れを言いに来たという事だった。
そう、彼女を最初に見たときから薄々わかっていたことだ。だから、すぐには聞かなかったというのに。後悔はいつだって先に立たない。それなのに繰り返してしまうのは、私が変わることのできない蓬莱人だからなのか、それとも人の性なのか。
終わることのない自問自答を続ける私の手を握るように自らの手で包み込み、彼女は真剣な表情で呼びかける。
「ねえ、妹紅さん。話を聞いてほしいの。私の、いいえ秘封倶楽部の話を。どうしてわたしがここに来たのかを」
彼女の話をこれ以上聞いても辛いだけだ。そう思ったのに。存在しない筈の手のぬくもりが私の心を離してくれなかった。
「本当はね。ここに来る気はなかったの。年老いて、支えなければいけない家族もいなくなって自由になった。そう、ここへ来てた頃みたいに。それでも墓場まで思い出として、憧れとして持っていくつもりだったの」
「そうすれば、未練が残って亡霊としてこっちに来れるんじゃないかなんて勝手に思い込んで。そんなことは無理でしょうに」
自嘲するように笑いながら、うら若き老女は言葉を続ける。
「でも、久しぶりに会った孫娘にいわれたのよ。『会いたいなら、行きたいときに行かないとダメよ!おばあちゃんはそうやって夢を現にかえたんでしょ?』って」
「『私の知っている初代秘封倶楽部会長はそういう人よ。私の憧れなんだから!』驚いたわ。ただの隠れ蓑として作っただけだったあの倶楽部が、ずっと七不思議として続いていて、それをあの子が聞いていたなんて」
彼女はぽつりぽつりと語りながら、顔を上げて竹林の上の空、いやさらに高い場所を見つめる。おそらくその孫とやらを思い浮かべているのだろう。その目は随分やさしげだ。けれど私は、また彼女が遠くに行ってしまったことを感じてしまう。やはり聞かなければよかったのか、彼女にこれ以上置いていかれる前に。そう思ったときだった。
「妹紅さん、また『どうせお前も私を置いていくんだろう』とか考えてたでしょ」
突然、だった。その真っ直ぐな言葉は先ほどの弾幕なんかよりもずっと鋭く私を貫いた。それでも、つい冗談で紛らわそうとしてしまう。
「読心能力があったなんて知らなかったけどな」
「ふふん、それぐらい超能力者じゃなくてもわかるわよ」
そこで、彼女は帽子のつばを掴みくるりと一回しする。
「ねえ、妹紅さん?この帽子どこか変じゃないかしら?」
「ああ、昔とは違う気がするな。前のへんてこなやつはどうしたんだ?」
ポカポカとあの時のように殴られるかと思ったけれど、薄い胸を張って大威張りで返してきた。
「へんてこなセンスとは聞き捨てならないけど、違うって事に気づいてたなら許してあげるわ」
「あの帽子はね、あの子に渡したの。さっき言った私の孫娘に。これはそのかわり。リボンつきのやつが見つからなくてね」
そう言って帽子をポンポンと叩いて微笑む。そして、そのまま話を続けた。
「あの子はね。こういったわ。『おばあちゃんが会いに行かなくても、私が会いに行くわ。おばあちゃんが目指したもの、たどり着いたところ、おばあちゃんの夢はきっと現になる。いやしてみせる!それが私、いや私たち秘封倶楽部よ』」
「あの子ったら、大学でサークルを立ち上げてね。幻想を探すなんて活動をしてるのよ。それだけじゃないわ。彼女たちを真似して他にも多くの人が幻想を目指してるんですって」
「それでようやく分かったのよ。私にしか、いいえ、『私たち』にしかできない、永遠へと至る道」
そこで一度言葉を切って、わたしを真正面から見つめた。彼女の瞳は透き通っていて、なのにひどく暖かさを感じた。瞳に抱きしめられているような錯覚すら覚えるほどに。
「『秘封倶楽部』はいつか此処へやってくるわ。それは私の知るあの子たちかもしれないし、私や彼女たちに憧れたまったく違う別の誰かかも知れない」
「それでも、人は夢に憧れ、幻想を目指すの。私のまいていた種は、彼女たちが拡げ、きっと幻想へと至る花を咲かせる。そうしてその花はまた新たな夢を生むの。そうしてきっと人が営みを続ける限り、『永遠に』続いていくんだわ」
彼女はゆっくりと、しかし確かな口調で告げた。私の瞳を見つめたまま。その瞳に吸い込まれるような気がして。彼女の次の言葉をただ待っていた。彼女が本当に伝えたいことを。
「あなたに、いずれここへたどり着く『秘封倶楽部』たちのことを託したいの。他の誰でもない、永遠に生き続けるあなただからこそ」
「これが、私がここに来たもう一つの理由。妹紅さんに託したい未来よ」
彼女の言葉に、私の止まっていた、いや自分で止めてしまっていた心の一部が動いた気がした。
待っていていいのか。永遠に過ぎ去っていく現在を見つめるだけだった私が、未来を。
蓬莱人は時間の感覚がないんじゃない。本当は、私が明日を見る事が出来ないだけだったのだ。
輝夜と再会するまでは、毎日が地獄だった。それでも、いつかあいつに復讐すると思うことができた。少なくとも、しばらくの間は。だけど、それをいつの間にか諦めるようになってからはずっと、今だけを生きてきた。そうしなければ、先を見たら永遠に続く何もない荒野に押しつぶされそうで、ただそこにあり続けた。それ以外、なにもできなかったのだ。
輝夜と再び巡り会って、今が本当に楽しくなって。あいつが月に帰らないとようやく理解できてからも、やっぱり今しか見えなかった。何よりも憎らしく、愛しいあいつと殺し合うためだけの永遠。
だから、今をあれだけ楽しんでいながら、死にたいなどと考えてしまったのだ。オカルトボールが死を囁いたのではない。それはずっと自分の中にあったのだ。そして、結局死ぬ方法を探したりはしなかった理由もようやくわかった。
彼女にめぐりあえたから。次にいつ来るかまるでわからなかったのに、いやだからこそ彼女を待つことは幸せだったのだ。それを心のどこかでわかっていたから、彼女が去った後も彼女が知る『妹紅』のままでいようとしたのだ。もしかしたら、また来てくれるんじゃないかと心のどこかで期待して。
そうか、あの時すでに未来を見せてもらっていたのだ。目の前のへんてこな少女に。そして、彼女は託してくれたのだ。私が待ち望むべき未来を。
「ふふふ、隙あり!妹紅さんのことだから、きっと持ってくれてると思ったわ」
涙を隠そうとする私に気を使ったのか、それとも本当に言葉通りだったのか。答えはすぐに分かった。
いつの間にか私の背後に回っていた彼女は、いつ盗ったのか私が隠し持っていた物を手にしていたのだ。
相変わらず手癖が悪い、なんて誤魔化そうとしても、彼女には通じない。なにより、自分でも分かるほど顔が火照っていた。これではどんな間抜けにだって分かるだろう。
古ぼけたそれは、彼女が来なくなってから竹林で見つけた物。持っていれば別れの辛さがぶり返すだけだと思っていながら、手放すことができなかった物。彼女が確かにこちらへ来ていたという証である、残されたESPカード。
それを後生大事に持っていたなんて、いかにも女々しくて恥ずかしかった。彼女の前では、もう少し格好をつけていたかったというのに。
そんなこっちの気も知らないで、奪ったカードを元の持ち主の当然の権利とばかりにしげしげと見つめている。しかし、それをどうしようというのだろう?
霊体である彼女にはテレキネシスでカードを動かして持っているように見せることはできても、それを向こう側まで持って帰ることはできない。しかし、彼女はカードを見て何やら思いついたように、突然全く関係ない話を始めた。
「ね、妹紅さん。すみれの花言葉を知ってる?」
勿論知っている。でも、彼女の名前をわざわざ調べたなんて言うのはなんだかむずがゆくて、
「ああ、昔聞いたような記憶があるよ、『白昼夢』だろう?」
「それはこの色の事ね。幻想郷に来る前の私の大好きだった色。現実をつまらないと思っていた頃のわたしが」
遠い昔を思い起こすように呟いた後、片方の手で帽子を外してもう一方の手でその中にカードを入れる。そして、いつかの手品のように紫のすみれを帽子から取り出した。えへんと口に出しそうな自慢顔で。
「でも、今日は違うわ。この色を贈りたいの。私が、ここへ来てから好きになったすみれの色を」
そういって、悪戯めいた表情を浮かべながら、手にした菫をマントで覆い隠す。ひらりと再び広がったマントの中、その手にあったのは。
「……桜色のすみれ?」
「吾も紅く染まれ……なんてね、妹紅さんのように真っ赤には染まらないけれど。これを妹紅さんにあげるわ」
彼女は言葉と共に、すみれの花を帽子の中に戻す。
「どうぞ皆様ご覧ください、種も仕掛けもありません!ってね」
再び帽子の中からカードが現れる。けれど、明らかに違う点が一つ。私の瞳に映ったのはカードの中に込められた桜色。
「こうしておけば妹紅さんもずっと持っていられるでしょ?花言葉はなんだかわかるかしら?」
片目をつぶって問いかけてくる彼女に見とれてしまって、言葉が返せない。そんな私に更に顔を近づけながら問いを重ねてきた。
「ふふ。当ててみて。ヒントは、妹紅さんにあげたものよ」
「残念だけど、まったく分らないな」
「ありゃ、そりゃ残念」
と言いながらも、全然残念そうではない。それどころか、その瞳はそう、なにか面倒なことを思いついたときのものだ。
そう、そうだった。その瞳が、好きだったのだ。
「もう一回、弾幕ごっこで勝負しましょ。妹紅さんが勝ったら、花言葉を教えてあげる。私が勝ったら……ふふ、それは勝ってのお楽しみね!」
そう言って、彼女自身のスペルを構える……前に、またしても悪戯っぽい瞳で何やらおねだりを始めた。
「ねえ、さっきのリボンつけてくれない?ハンデとしてちょうどいいでしょ?」
「ハンデになるかは知らないけれど、まあいいよ。その代り、一つ条件があるけれど」
私の出した条件を聞いて、彼女は眼を丸くした後、急に恥ずかしそうにもじもじし始める。
だけど、これは譲れない。あの頃の幻影(ドッペルゲンガー)ではなく、今の彼女の姿を目に焼き付けたいのだ。その思いを伝えようとするかのように彼女の手を握る。
この幻想の温もりを、永遠に忘れないように。
竹林に、二つの影が躍る。それは、一度きりの夢、一度きりの幻想。二人の老女が互いに己の全てを弾幕に込めて放ち、それを紙一重で躱しあう。
それは、この幻想郷においても絶後の光景であった。弾幕ごっこは少女のものだ。だから、老いた姿で戦うことなどあり得ない。
その意味をかみしめながら、私は空を駆ける。それを最小限の動きと読みで彼女が追ってきた。
その軌跡は、先の弾幕ごっこでの若さを模した動きとは違う。派手さはないけれど彼女がその生涯で得た老獪さを感じさせた。
そして、その手にかざした呪符もまた。
私が知らない彼女の人生。彼女の生きた軌跡がそのまま弾幕となり私を包む。先ほどの速さはないけれど、こちらの意図を読んだように無駄のない美しさで迫りくる。それを掠めるように近づきながらも、決して当たることはない。なんだか私たちみたいだなと思いながら、今はただ彼女の道と交わることができた幸福をただ形となす。生まれるは彼女と過ごした日々。彼女を思っていた日々。その記憶を込めた、二人で過ごした竹林を擬した弾幕。
彼女は、私の弾幕にもひるまず、私とは全く異なる動きで、同じように弾幕を掠めながら新たな弾幕を広げる。月光に輝く銀髪をなびかせながら、古い奇術師は、月夜に溶け込むかのように舞い踊る。
二人だけのひそやかな宴も永遠には続かない。残ったのは彼女のラストワード。だけどそれはあの時、向こう側の世界で少女が見せた孤独な言葉とは違う、彼女の過ごしてきた全てを込めた最後の言葉。
彼女の人生そのものともいえる光の中で、私は彼女の本当のこころに触れた。
そんな気がした。
色とりどりの思い出に包まれ、老いた不死鳥が遂に堕ちる。が、そう見えたのは一瞬だった。光が貫いたのは、髪に結ばれた紅白のリボン。それが風に飛ばされる前に、真紅の炎に包まれて不死鳥が真の姿を現した。永遠に燃え続ける魂が老女に迫る。だが、死力を尽くした年代物のオカルティシャンはもはや動けないのか、立ち尽くしたまま自らの身で以て受け止めた。
「んもー、ずるいわ妹紅さん。最後にあんなの隠してたなんて。おまけに自分だけリボン落として若返っちゃうし」
ほおを膨らまして怒っている彼女をなだめるのも一苦労だった。
年老いた姿だというのに、その姿はやはり美しく見えた。先ほどの若さを演じていた時より、いやあの頃の本当に若かった時よりも。
「ふっふっふ。妹紅さんもようやく私の魅力がわかったみたいね」
だから、心を読むのはやめてほしいと思う。
「これが年の功ってやつよ。妹紅さんもあの子たちに会うまでにちょっとは鍛えといてよ。わかりやすすぎて心配になるんだから」
本当に、形無しである。けれど、それがひどく心地よかった。
「妹紅さんが勝ったんだから、答えを教えなきゃね」
不満たらたらの顔で呟く彼女の口を指で抑える。生憎だけど、もう教えてもらわなくてもいいよ。答えは、あの弾幕に教えてもらったから。
「妹紅さん、カッコつけ過ぎよ。こんなお婆ちゃんにそんな……」
しわくちゃの頬をほのかに染める彼女に、もう一つ声をかける。散々格好悪いところを見せたんだ。これぐらい言わせてもらおう。
「さっきよりも、いやあの頃よりももっと綺麗だけどな」
今度こそ顔を真っ赤に染めた彼女にポコポコ叩かれる。その痛みはあの頃ほど強くなく、それでいてひどく心に響いた。
「んもう、本当にかっこつけてるんだから」
そんな彼女に対して笑いかける。答えは、次の『秘封倶楽部』にでも教えてもらうさ。なにせ、待つのにも約束があった方が楽しみが増すからな。
私の言葉を聞いて、彼女もつられて笑う。しわくちゃの顔、曲がった背、かさついた肌、銀色に染まった髪。彼女の過ごした歴史を感じさせる姿に、変わらない瞳の輝き。
やっぱり、美しいと思った。この彼女を覚えておこうと。最初に会った時の彼女だけでなく、今の彼女の姿を。
最後に、彼女と拳を交わした。握手よりも、そっちの方が私らしいと思ったのだ。彼女がしわくちゃの手を握られることに躊躇したというのもあるけれど。
「じゃあ、さよなら妹紅さん」
そう言って手を振り別れを告げる彼女に、最後の言葉を返す。
「ああ、さようなら、菫子」
そして、最初の言葉を。
「また会おうな、『秘封倶楽部』」
「本当にずるいわよ、妹紅さん。最後の最後まで」
「約束しただろう?」
「ええ、そうね。また来るわ。きっと……いや、必ず」
最後は笑いながら、彼女と別れた。今度は頬をつたう涙を隠す必要もない。だって、二人で誓ったのだから。また出会う事を。
ざわめく竹林の中、笹の間からこぼれる月明かりを受けながら、不死鳥は待ち続ける。今を楽しみ、未来を待ち望んで。
手にしたカードをしげしげと見つめるその瞳には、彼女から託された桜色が、希望の色が映っていた。
二人の出会いと別れとてもステキでした
切なくも小気味良く、次の「彼女達」へと繋がる希望に満ちた良いお話でした。
それが年老いた菫子からというのが感慨深くていいです。
蓮子?
関係のがとても綺麗で素敵でした 妹紅と、菫子とも秘封倶楽部とも
またふと読みたくなる作品です
彼女が託された未来をみてみたい
でもそういうの含めて妹紅の魅力だと思います。