Coolier - 新生・東方創想話

星を呑んだ闇の話

2015/07/07 17:42:57
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 ふよふよと、紅い目をした少女が夜空を漂う。

 夜の帳に溶け込んでしまいそうな黒い衣服と、対象的に輝く金の髪。瞳と同じ色をしたリボンと靴。――宵闇の妖怪ルーミアは、今日も太陽の落ちた幻想郷を当てもなく散策していた。
 満月の夜を除けば、ほぼ常に闇を纏っている彼女だったが、今日は月明かりすら見えない曇り空。ほとんど光の届かない宵闇の中で、わざわざ闇を纏う必要は感じられなかった。
闇が無いおかげで、普段分からなかった風景がよく見える。眼下を見渡せば、澄んだ小川が清らかな音を立てて流れていた。そのせせらぎ以外には、虫の鳴き声と時折そよぐ風の音だけが響き渡る、極めて静かな夜だった。

 こうして辺りを眺めながらの散歩も、たまには悪くない。昼と夜の境界が入り混じり、世界が闇へ沈んでいく。日が沈んで間もないこの時間帯が、ルーミアはたまらなく好きだった。
 当たり前だが、周囲に人の気配は感じられない。酉の刻はもうとっくに過ぎており、今人里から出てしまうのは自殺行為だからだ。妖怪に襲われても、文句は言えまい。

(……?)

 だからこそ、視界の端に引っかかった人影が余計に際立って見えた。
 川辺に佇む、少女の姿。短い黒髪に藍色の浴衣という出で立ちで、小脇に笹の枝を抱えていた。一人だけで来たのだろうか、辺りには少女以外の人影は見当たらない。
 どうしてこんな所にいるのだろうか。少しだけ気になったルーミアは、降りて声をかけてみた。

「お嬢さん、こんな所で何してるのさー」

 上空から呼びかけるとともに、紅い靴が地面へふわりと着地する。突然現れた妖怪の姿を見ても、少女は状況が飲み込めていないのか、しばらく呆けたままでいた。
 やがて、少女の表情がみるみる恐怖に染まっていった。目の前にいる者の正体をようやく理解できたらしい。

「ひっ、よ、妖怪……!」

 少女が、顔を真っ青にして力なく座り込んでしまう。腰を抜かしてしまったのか、よく見れば全身が小刻みに震えていた。
 そんなに脅えなくてもいいのにー、とルーミアが宥めるような声色で話しかける。話しかけられた少女は、なお恐怖の感情を露わにした。

 ただ、少女が恐がるのも無理はない。
 妖怪は人からすれば畏怖の対象であり、二者は捕食者と被捕食者という関係でしかない。……最近はその関係性から外れた人間も増えてきたが、それはあくまで例外だ。
 この少女は非力な少女でしかなく、本来なら、ルーミアのような野良妖怪に喰われてもおかしくないはずだった。

「もう夜なんだから、妖怪ぐらい居るわよ。他の奴らに取って食われない内に、早く帰りなさいな」
「お、お姉ちゃんは、私を食べたりしないの……?」

 本能的な恐怖からか、見上げる少女の瞳は限界まで潤んでおり、今すぐにでも涙が溢れてしまいそうな程だった。
 ルーミアは、そんな少女を安心させるような笑みを浮かべて、潤んだ瞳を覗きこむ。

「今はねー。里の人間食べたら大目玉だし、そもそもお腹いっぱいだし」
「え、本当に……?」

 ルーミアの言葉に偽りはない。今日の彼女に人を食べる気は毛頭なかったからだ。
 外来の者ならともかく、里の人間を襲えば間違いなく巫女かそれ以外の誰かが自分を退治しに来る。こうして夜出歩いている人間は襲っても構わないとも云われているが、なるべくなら面倒事は避けたいのがルーミアの心情だった。

 今すぐ自分が食べられる心配がなくなったからか、少女の顔が僅かに明るくなる。しかし、ルーミアへの恐れは未だ残っているようで、その表情は幾らか固さを残していた。

「それよりさ、あなたは一人で何してたの?」

 そんな少女の反応は気にも留めず、ルーミアは自分がなぜ声をかけたのか、その本題を聞いた。
 既に夜だというのに、妖怪と出くわせば腰を抜かすほど脅えてしまう。思い切りは良いが、考えなしでここまで来たのだろう。子供にはよくある話だが、ここ幻想郷では些か無鉄砲に過ぎる。
 ルーミアは、少女のことより、少女の目的の方に興味が湧いていた。そこまでして少女を動かす目的は、一体何なのか。
 ルーミアが尋ねると、少女は瞳いっぱいに溜めた涙を、浴衣の裾で拭いながら答えた。

「あ……えっと、明日は七夕だから」

 これ取ってきたの、と抱えていた笹を見せる。
 七夕――、そういえば明日はそんな日か。少女の言った行事の名を、ルーミアは思い出すように反芻する。
 確か、織姫星と夏彦星の二人が、年に一度だけ邂逅する日だったか。他にも逸話があった気もするが、この程度の知識しか思い出せなかった。ルーミア自身には全く関係ない行事なので、仕方ないのかもしれない。妖怪は自分と関わりのないことはすぐに忘れてしまうものだ。

「七夕ねー。まあ、確かに明日はそうだけど」
「うん。お父さんに笹を取ってきて、ってお願いしたんだけど、お父さんたら忘れちゃって。それで、こっそり抜け出してきたの」
「笹なんて、その辺にいっぱい生えてるじゃない」
「それは……」

 言いかけて、周りを見渡す少女。目線の先には、仄かに明滅する光がふわりふわりと点在していた。蛍の群れだ。

「この子たちが綺麗で、追いかけて来ちゃった」

 蛍を眺める少女が、微かにはにかむ。
 ……確かに、少女が目を奪われるのも分からなくはなかった。点っては消えてを繰り返すその光は、さながら満ちて欠ける月のよう。ルーミアも、蛍の曳く光は嫌いではなかった。儚くはあるものの、弱々しさは全く感じられない灯火。何より、暗闇にばかり居るルーミアの目にも眩しくない。
 気ままに光る彼らを見つめていると、ふとルーミアは、蛍を統べる"彼女"のことを思い出した。――そういえば、最近会っていない気がする。彼女のことだから、少なくとも今は元気にしていると思われるが。夏は蟲たちの専売特許と言っても過言ではない。

「でも、どうして笹を? 日が昇ってから取りに来ればいいのに」
「笹に短冊を括りつけて、願いごとを書くの。それを、七夕の日に川へ流すと願いごとが叶うんだって。だから今日じゃないと駄目だったんだ」

 慧音先生が教えてくれたの、と屈託なく笑う彼女に、先ほどまでの妖怪に対する恐怖心はもう残っていなかった。妖怪相手でも、意外と話が通じたからだろうか。

「そうなのかー」
「どうしても叶えたい願い事があって、それで家を抜け出してきたんだけど……。
あ、お姉ちゃんも何か願いごとある? 私が書いておいてあげるよ」

 少女の提案を聞いて、ルーミアは逡巡するように目を伏せた。
 願い――それは、ルーミアとは一番縁遠い言葉だった。日々を当てもなく漂う彼女には、願いはもとより生きる目的すら存在しない。

「願いなんて私にはないよ。
でも、そうねー……。強いて言うなら、一つだけ」
「本当? 教えて!」

 急かす少女に、ルーミアは薄い笑みを浮かべて答えた。
 存在意義が皆無に等しく、自らの意思で何かを為すこともない。元よりそうして生まれた己だ。願い事を祈る資格を持たないことは、何よりルーミア自身が一番良く理解している。
 しかし、それでも――ただ一つ、願うことが許されるのならば。

「……このリボンが解けないように、かしら」
「……?」

 あまりに拍子抜けな回答だったからか、少女は怪訝な表情を浮かべた。リボンを解くな、なんて、わざわざ願いにするようなことではない。そう言いたげな風に、少女は首を傾げた。

「どうして? 解いちゃ駄目なの、それ」

 す、と少女の手がリボンに向かって伸ばされる。それを、ルーミアが優しく払いのけた。

「そんな簡単に解けたりしないわよ、これは。
この世界に生きる者が在る限り、ね」
「お姉ちゃん……?」

 不安気な少女を余所に、ルーミアは流暢に言葉を紡いでいった。同時、彼女の纏う空気が徐々に変化していく。刺のない無害な雰囲気から、得体の知れぬ不気味な何かへと。幼げな容姿はそのままに、その風格は、さながら太古から生きる妖怪そのものへ変貌を遂げていた。

「このリボンは、闇を恐れる者達の意識そのものよ。人間たちは勿論、真の闇は人ならざる者でさえ恐怖する。だから、リボン……御札と言ったほうが正しいかしら? まあ、それで彼らは闇に蓋をした訳よ」
「どういうこと……? お姉ちゃんの言ってること、わからないよ」

 ルーミアの尋常でない変異を覚ったのか、少女の額には冷や汗が浮かんでいた。気がつけば、辺りを飛んでいた蛍の姿が見当たらない。蛍たちの光を失って、周囲は暗闇に包まれていた。

「要するに、貴方たちがわたしを恐れる限り、このリボンは解けない。そういう仕組みよ。
だから安心ね。これがあれば、本当の闇は絶対に現れたりしないもの」

 にこりと、いっそ寒気を感じるくらいの笑顔で、ルーミアが微笑む。その背後では、闇が僅かずつ滲み始めていた。じりじりと陽炎のように揺らめくそれは、さながら舌舐めずりをする蛇のようにも見えた。

「そうなの……?」
「もちろんよ。思念より強力な封印は無いわ。その証拠に、私はただの野良妖怪やってるわけだし。
――でも、そうねー。

今の弱った私の闇でも、小さな子供一人くらいは飲み込めるかしら、ね!」

 ルーミアが語気を強めた瞬間、ぞわりと、彼女の背後で燻っていた闇が一斉に溢れ出した。
 蠢くように侵食する闇が、宙を染め地を這いずり回って周囲を瞬く間に埋め尽くし――小さな脚を舐めたところで、少女の顔が真っ青に怖気立った。

「っ、きゃああああ!?」

 金切り声をあげて、少女は忽ち駆け出していってしまった。人間の全力を持って逃げたようで、後ろ姿はすぐに見えなくなってしまった。
 少女を見送った後、ルーミアは周囲に展開していた闇を収縮させ、自らを包むような球状に形を変形させた。

「あれ、笹置いてっちゃったわ。ちょっと脅かしただけなのにー」

 纏った闇の中で、ルーミアが笹を拾い上げつつ独りごちる。

「あの子みたいに、私に脅えてくれるのはむしろ有難いけどねー。そのおかげで、このリボンを保ててるようなものだし」

 ルーミアの身体が、闇を纏ったまま宙に浮かび上がった。
 そのまま暗闇の中で漂いつつ、髪を縛るリボンに、触れない程度の距離で手を添える。 もしこれが解けたのなら、また闇が世界を支配してしまうのだろうか。
 ……また、自分は形を伴わない闇に戻ってしまうのか。そんな意味のない自問を、ルーミアは頭に巡らせて――途中で止めた。何せ生きる者全ての思念だ。これが解ける時が来るのなら、それこそ世界が滅んでしまった時だけだろう。……それか、人々が闇への畏怖を忘れてしまった時。まあそうなってしまえば、人間は滅びる他無いのだから、やはり考えるだけ無意味だ。

(難しいこと考えるのは、私の領分じゃないしー)

 そう、自分はただ浮遊していればいいのだ。何も考えることなく、何の疑問も持たず。それが、闇を司る自分の役割なのだから。……少なくともルーミア自身は、そう考えることにしていた。

(そういえば、明日は七夕だったかしら)

 不意に、少女と出会ったきっかけを思い出す。身に纏っていた闇を消散させて、ルーミアは夜空に、先ほど拾った笹を掲げた。
 天の川が空いっぱいに煌めいているのだろうけれど、今日は厚い雲に阻まれて望むことは叶わない。この調子では、明日も曇りか、ともすれば雨が降るかもしれない。この調子では、笹が有ろうと無かろうと七夕の実行は難しそうだ。
(まあ、どうでもいいか。織姫さまも彦星さまも、私には関係ないもの。
でも――)
 あの願い事だけは、叶ってほしいかもしれない。少女に伝えた、たった一つの願いを思い浮かべて、ルーミアは紅い瞳を緩やかに瞑った。


――夜の闇は、今日も宵の空を覆っている。
やがて日が昇り始める、その時まで。
七月七日でそーなのかー。というわけでルーミアと七夕ネタを絡めてみました。
もう捏造ってレベルじゃねえ気もしますが何卒。

(何時ぞや短編を投稿した者です。前作への閲覧評価コメント等ありがとうございます!)
金釘セセリ
http://twitter.com/ikyo_Erin
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コメント



0.170簡易評価
3.70さわしみだいほん削除
イイハナシダナー
4.100名前が無い程度の能力削除
季節ネタいいっすね~
7.60名前が無い程度の能力削除
そーなのかー。