Coolier - 新生・東方創想話

クッキーお一ついかがですか?

2015/07/01 22:22:54
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「霊夢さん、今日は何だか楽しそうですね」
「そう?」
「はい」
 頭の上に少名針妙丸と言う小人を乗せて、人里を歩くのは、とある博麗神社の巫女さん、博麗霊夢。
 彼女は普段着ている珍妙な巫女服ではなく、年齢相応の女の子といった感じの出で立ちをしている。
 それにあわせて髪型も変えており、ぱっと遠目に見ると、彼女とは気づかないほどだ。
「何かこういうおしゃれするの久しぶりだなーって」
「似合ってますよ」
「お、口がうまいな」
「何となくそう思ったことを口にしただけです」
「何を言うか、このちびっこ」
「ふみー」
 ぐにっとほっぺた引っ張られて、針妙丸が悲鳴を上げた。
 二人は里の中を歩いていく。
 今日の、ここへの来訪の理由は、晩御飯の買出しである。
「この頃は、若干ではあるけれど、お金に余裕が出来たわ。
 美味しいご飯を食べましょう」
「おー!」
 普段、金銭などと言うものとは縁遠い生活をしているのが、この博麗霊夢。
『一日10円あれば生活は余裕』と言ってのけるその生活は、その手の方々が『うむ。見事なり』と言ってしまうほどのサバイバル生活だったりする。
 ……無論、そんな状況に陥っていると、とある妖怪が『あなたは何をやっているの!』とお説教と共に食料を持ってやってきてくれるのだが。
「その服とか、どこで買ったんですか?」
「ああ、これ?
 んー……買った、とは違うかな。早苗にもらったのよ。おさがりみたいなものね」
「なるほど」
「外の世界の衣装って、なかなかいい感じよね」
「アリスさんも、そういうの、作るの得意ですよね」
「デザインは、早苗が持っている本を参考にしている、って言っていたわ」
 ――幻想郷のファッションは、外の世界のファッションよりも、数段遅れている。
 そう、『早苗』は言っていた。
 確かに彼女の言う通り、このように彩り鮮やかな、華やかな衣装は幻想郷には存在しない。
 それ故か、こうしたものを作れる人や、その知識を持つ人は重宝される。
 特に女の子に。
「スカートもいいけど、こういうパンツも歩きやすくていいわ」
「足の長い人は、特に映えるって言ってましたね」
「う~む……。そう言われると、咲夜やアリスにはかなわないのよねー」
「霊夢さんは小柄ですしね」
「あんたには言われたくないけどね」
 そんな話をしながら歩いていると、つと、通りの向こうに視線が向かう。
 その人物を見て、霊夢はぱっと顔を輝かせた。
 足早に通りを進み――、
「……あ」
 そして、足を止める。
「あっ、霊夢さん」
「こんにちは!」
 先ほどまでの話に出ていた人物、東風谷早苗の登場である。
「こんにちは」
「あら、針妙丸ちゃんも。こんにちは」
「こんにちは」
 その隣に、早苗に徹底的に懐いている少女、多々良小傘の存在があった。
 小傘は早苗の左腕に自分の腕をしっかり絡めて、楽しそうに笑っている。
「あ、霊夢さん。それ、以前、わたしがあげたやつですよね?
 どうですか?」
「あ、えっと……。
 いい感じかな、って自分でも思ってる」
「そうですか~。
 やっぱり、細身の人にはパンツルックって似合うんですよね。羨ましいな~」
「そう?
 早苗にだって」
「いえいえ、そうもいかないのです。
 わたし、結構、ほら、輪郭が……まぁ、ありますから。どちらかと言うと、スカートとかでふんわり感を出した方が合うんですよ」
「別に、早苗、太ってるとは思わないけどなー」
「……最近、わき腹にお肉が」
 はぁ、とため息をつく早苗。
 そう言われて、さっと彼女を頭のてっぺんからつま先まで見るのだが、別段、体のラインの変化は感じられない。
 服装でごまかしているのか、それとも、女の子特有の『気にしすぎ』なのかはわからないが。
「幻想郷の人たちはスマートな人が多くて羨ましいですよ。
 咲夜さんとかアリスさんが理想です」
「それはまぁ、人それぞれじゃない?」
「ダイエットって大変なんですよね……。
 あ、霊夢さん、今度、お付き合いください。弾幕勝負」
「……あれってダイエットの道具じゃないんだけどね」
 しかし、幻想郷で最強の『ダイエット』といえば、今、話題に出た弾幕勝負以外にはありえない。
 これをやりまくっているから、霊夢の体のラインは保たれているというほどに。
「ところで……」
「ああ。
 小傘ちゃんは、さっきたまたま。おなかをすかしているみたいで、これから、おやつを食べに行くんです。
 ね?」
「うん!」
「霊夢さんもいかがですか?」
「あ、うん。私はいいよ」
 ぱたぱたと、彼女は顔の前で手を振った。
「早苗もそうだけど、私も体には気を使ってるんだから」
「なるほど。
 ……やっぱりそうですよね。ケーキ一個でランニング一時間ですもんね」
「……そこまで深刻に考えなくても」
「だけど、はい。わかりました。
 じゃあ、それはまたの機会と言うことで」
「うん。ありがと」
 またね、と二人は手を振って、通りの反対側へと歩いていく。
「霊夢さん」
「何?」
「残念そうですね」
「そう?」
 霊夢の頭の上に載っている針妙丸が、そんなことを言ってきた。
 彼女は霊夢の肩の上に移動すると、『表情がそんな感じです』と言ってくる。
 自分はそんなに変な顔をしているだろうかと、霊夢は自分のほっぺたをつまんで引っ張ってみた。
「どう?」
「うーん?」
 具体的な返事はない。
 まぁ、いいか。彼女はそう結論付けて歩いていく。
「何が食べたい?」
「うーんと~……。
 ……あ、そうだ! この前、本で見た『かれぇらいす』っていうのを食べてみたいです!」
「カレーか。
 ってことは、野菜はあるから、肉ね」
『美味しいんですよね?』と目を輝かせて聞いてくる針妙丸に、『もちろん』と霊夢は答える。
 彼女、料理含め、家事全般の腕前はかなりのものだ。
 一人暮らしをしているから、と言うのも理由の一つだが、ひとえに、それは『親のしつけ』のおかげだろう。
「んー……」
 通りに並ぶ、一軒の肉屋の前にやってくる。
 彼女は腕組みし、並ぶものを見つめる。
 鶏肉、豚肉、牛肉。値段は前者から後者に向かって高くなる。
 普段の霊夢なら、迷わず『鶏肉』を選択していただろう。
 しかし、今の彼女は、少しではあるが懐の具合に余裕がある状態だ。この状態で、わざわざ、そんなケチなことをするのもどうかと思ってしまう。
 いやだがしかし、ここで贅沢に走っては、日頃の節制が無駄になる。
 使わずためる。それがお金持ちになる唯一の手法だ。
 いやだがしかしばっと――。
「おっ、博麗さんのところの霊夢ちゃんじゃないか!」
 そんな、堂々巡りの思考に陥りかけていた彼女の意識が現実へと引き戻される。
 視線を上げると、その肉屋の主人と思われる男性が笑顔を浮かべて立っている光景がある。
「こんにちは、おじさん」
「おうおう、どうしたどうした。普段とは違ってかわいらしいじゃないか。なぁ」
「あ、それひどい。普段の私がかわいくないって言うのね」
「わっはっは。そうじゃない、そうじゃない。
 普段の霊夢ちゃんもかわいいが、今はもっとかわいい、ってことだ」
「ありがと。お口がお上手ね」
「そうだろう? 今の家内を落とした時もな、こうやってうまく取り入ったもんよ」
 この彼とは、霊夢は、それなりに付き合いがある。
 母親に連れられて、よく買い物に来ていたのだ。
「何だ。何を食べるんだ?」
「この子がカレー食べたいっていうから」
「おう、そうか。
 そんならな……。よし! 今日、いい牛肉が入ったんだ。そいつをがつんと食え。値段は安くしといてやるよ」
 そんな昔からの付き合いか、彼は人のいい笑みをさらに深くして、店頭に並ぶ肉の塊の中からひときわ美味しそうなものを手に取り、包み始める。
 霊夢は素直に彼の好意を受け、『ありがとうございます』と微笑んだ。
「ほれ! おまけで、霊夢ちゃんの好きな鶏肉も入れておいたからな!
 あれにゃ内緒だぞ。ばれたら俺がどやされる」
「はい」
 彼にお金を払って肉を受け取る。
 彼は霊夢からお金を受け取る時に「うまいもの食って元気出せよ」と笑っていた。
「……私、そんなにしょぼくれた顔してる?」
 首をかしげながら、霊夢は歩いていく。
 針妙丸からの一言だけなら、相手の気のせいと割り切ることも出来るのだが、昔から付き合いのあった人物にそんなことを言われると気になってしまう。
「う~ん……。
 まぁ、霊夢さんが特に気にしてないならいいと思いますよ」
「よーわからん」
「でしょうね」
 自分もよくわからない、と言った風情で、針妙丸。
 それなら言うな、と霊夢は彼女のおでこを小突いてから、
「あとはスパイスね」
「何ですか? それ」
「カレーを作るのに必要な調味料。
 うちにそんなの常備してないもの」
「その辺りのお店には売ってないんですか?」
「ないわね」
 幻想郷には、そもそも洋食文化というものがない。基本、和食が全ての世界である。
 そんな中で、徐々に洋食も浸透しているのだが、やはりまだまだその絶対量は少ない。
 そうした世界において、唯一と言ってもいいくらい、洋食に明るいところがある。
「あ、いたいた」
「あれ、紅魔館のメイドさん達ですね」
「人里に行商に来るのよ」
 曰く、『里に足りないものを提供してくれる』のが彼女たちなのだ、ということだ。
 その紅魔館なるところ、幻想郷で唯一、洋食が主体の場所である。当然、そうしたところであるからして、
「すいません。カレーに使うスパイスをくださいな」
「かしこまりました」
 そうした食材と言うものも取り揃えている。
 彼女たちが、そもそもそれらをどうやって手に入れているのかは不明であるのだが、以前、館を統率する人物に尋ねたところ『直接、契約しているところから買っているの』という回答があったのを、霊夢は覚えている。
「どれになさいますか?」
「……うわ、こんなに一杯」
 ずらりと並べられたスパイスの瓶。
 それを見て、針妙丸が驚きの表情を浮かべる。
 瓶に張られているラベルを見てもちんぷんかんぷん。見た目には『何か色が違うぞ』くらいの認識である。
「えっと……。
 あんた、甘口じゃないとダメなんだっけ?」
「あら、そうなんですね。
 でしたら、こちらと……」
「そ、そんなことないです! この少名針妙丸、辛いものだってへっちゃらです!」
「へぇ。そうなの。
 それじゃ、ちょっと辛口にしてみようかな~」
 ちょっぴり強がる針妙丸を見て、霊夢と、スパイスを売ってくれる店員(メイドの衣装を着ている)がくすくす笑い、スパイスの瓶が開けられる。
 そこから取り出されたスパイスを別の小瓶へと移してから、「どうぞ」と霊夢へ渡される。
「ちゃんと、残さず食べなさいよ」
「もちろんです!」
 えへんと胸を張る針妙丸。
 今夜の晩御飯の時に、彼女が涙目になりながら、冷たい水を飲んでいる光景が容易に想像できて、霊夢は『やれやれ』と笑った。
「ありがと。普段から助かるわ」
「いいえ。
 ご利用、ありがとうございました
 霊夢は受け取ったスパイスを手に踵を返した。
 さあ、家に帰ってご飯を作ろう。カレーだけじゃ物足りないから、何か付け合せも一緒に、と。
 そんなことを考えながら、手元の瓶の中身を確認するために袋を見る。
「ん?」
 その中に、頼んでない小瓶が入っているのを見つける。
 ラベルには『セントジョンズワート』と書かれていた。どうやら、ハーブのようだ。
「……何これ。
 けど、ま、カレーにハーブティーってのも悪くはないか」
 きっとサービスなのだろう。
 そう思って、霊夢は地面を蹴る。
 ふわりと空へ舞い上がった彼女は、「私の作るカレーは美味しいわよ。残さないように」と肩の上の針妙丸に笑いかけた。


「よーう、霊夢ー」
「魔理沙」
「頼まれてたもの、持ってきてやったぜ」
 ふわりと空から舞い降りる、白黒ツートンモノクロカラーの魔法使い。霊夢の悪友、霧雨魔理沙である。
「ほい」
 彼女から手渡されたのは、一冊の本だった。
 タイトルは『誰でも簡単 お菓子作り』である。
「よーし」
「そんなものどうするんだ? 第一、お前、大福とか作るの得意だろ」
「この前、幽香のところでさ、ケーキ作りとかを学んできたんだけど。
 なかなか面白かったから」
「へぇ。
 そういや、お前、クッキーとかは好きだよな」
「軽い感じが好きなのよ」
 そうでなくとも、彼女はもちろん女の子。甘いものが嫌いな女の子はまずいない。
 霊夢はその本をぱらぱらめくりながら、自分でも作れそうなものを探していく。
「なあなあ、出来たら味見するから呼んでくれ」
「いいわよ。あんたの分だけ、真っ黒に焦げた奴、あげるから」
「うわ、ひどいな、それ。そうやって私をいじめるのか」
「いじめられるようなことを、日頃からやってるからでしょ」
「そんなことはないぞ。
 こうやって、友達のためには一肌脱いでるじゃないか」
「またそうやって、都合のいい時だけ友達面する」
 当然じゃないか、とにんまり、魔理沙は笑う。
 その笑顔は、誰がどう見ても『いたずらっこの笑み』であった。
「まあ、まずはこれか」
 本をめくっていた霊夢は、とりあえず、最初に挑戦するものを決める。
 話題に出ていた『クッキー』である。
「幸い、材料はあるし……」
 そこに書かれている手順と材料を確認する。
 それらを頭の中の知識と照合して、一つずつ確認し、『よし、作れる』と彼女はうなずいた。
「んじゃ、今から、クッキー作りにチャレンジするわ」
「お、早いな」
「善は急げ、ってね」
「だが、急がば回れという言葉もある」
「それはその時」
「確かにその通りだ」
 二人は何やらよくわからんことでうなずきあって、神社の母屋へと入っていく。
 本日、博麗神社は、いつも通りに人がいない。
 境内の掃除は綺麗に終わり、見た目は整っているというのに、相変わらずの閑古鳥である。
「お前、もうちょっと、人が来るような宣伝しろよ」
「してるわよ。
 一日の参拝客、増えたんだから」
「どれくらい?」
「具体的に数えてないわねー」
 大抵、そういうのは、表の社務所辺りに立ち寄って、適当に帰ってしまうのだという。
 だから、わざわざ、霊夢に声をかけてくるものはいない。
 そうしたもの達まで、いちいち数字としてカウントしていられるほど、霊夢は暇ではない――ということである。
「本当は、昼寝とかしてるから気づいてないだけだろ」
「うっさいな」
 母屋の居間にやってくる。
 魔理沙はそこのテーブルについて、『あー、疲れた』と大の字になって畳の上に寝転がる。
 霊夢は間続きになっているキッチンへと入って、『さて』と腕まくり。
「あ、魔理沙さん。こんにちは」
「おう、針妙丸。お前、何してんだ?」
「霊夢さんのお手伝いです」
 そんな会話も後ろから聞こえてくる。
 霊夢は一つ一つ、材料を用意しながら、「魔理沙ー、あんた、お茶が欲しかったら自分で淹れにきてねー」と後ろに向かって一言。
 返って来るのは『客にやらせることじゃないだろ』と言う抗議の声だった。
 そして、それからしばし。
「ほら、出来たぞー」
 出来たてのクッキーを持って、霊夢が居間へとやってくる。
 針妙丸とトランプをして遊んでいた魔理沙が『どれどれ』と早速、それに手を伸ばす。
「ほう。普通の味じゃないか」
「美味しいって素直に言いなさいよ」
「これ、美味しいですねー」
 針妙丸は実に素直に、クッキーを一つ、抱えて食べている。誠、小さいってことは便利である。
 魔理沙はクッキーをさらに一つ、口の中へと放り込む。
「ん~……。ちょっと砂糖多くないか?」
「そう?」
「あと、焼き時間がわずかに足りない」
「ふーん」
 自分でも食べてみるのだが、指摘されるほど『悪いもの』ではないように思える。
 しかし、魔理沙にそんなことを言われると悔しいのか、「よし、ちょっと待ってろ」と、再び、霊夢はキッチンへと引っ込んだ。
「これならどう」
「んー……どれどれ?」
 クッキーを数枚平らげて、『おなか一杯です』とテーブルの上に転がっている針妙丸が起き上がり、『一枚だけ』とまたクッキーに手を伸ばす。
 その彼女にクッキーを手渡してから、魔理沙はそれを一口。
「お、さっきよりマシになった」
「さすがね、私」
「威張ることかい。そんな難しいもの作ってるわけでもないだろうに」
「初めての挑戦にしては、まずまずのものが出来たと思わない?」
「まぁ、そりゃそうか」
 三人はそれぞれ、思い思いにクッキーを楽しむ。
 魔理沙が『そんじゃ、お菓子作り、頑張れよ』と立ち上がったのは、それから30分ほど後のこと。
 彼女は帽子をかぶりなおすと、庭へと出て、箒にまたがる。
 そして、
「プレゼントのこつは、ラッピングを頑張ることだぜ」
 とにんまり笑って去っていく。
 霊夢は一瞬、ぽかんとその場に呆けていた。
 それから徐々に言われたことの意味がわかったのか、顔を赤くして、
「うっさいなー、もう!」
 と、空の彼方に向かって、当たるはずのない弾幕を一発、放つのだった。

「さて……」
 作ったクッキーの中から、特別、『出来のいい』ものを悪戦苦闘しながらラッピングし、霊夢は一路、空を舞う。
 これを持っていったら、その相手はどんな顔をするだろうかと。どんな反応を見せてくれるだろうかと、それを考えるだけで、何となく嬉しくなってしまう。
 ラッピングに苦戦している時も、針妙丸が『楽しそうですね』と声をかけてきたほどだ。
 やはり人間、楽しみなことがあると心が浮かれてしまうものである。
「……あ」
 その視線が、ちょうど、里の上を通りがかった時にお目当ての相手を捉える。
 視線の先――その相手が一人でいるのを確認して、彼女は地面に降りようとする。
 しかし、だ。
「……」
 残念なことに、先客がいた。
 そういえば、彼女は、特に子供の面倒見がよかったな、と霊夢は思い出す。
 彼女の周囲に楽しそうに笑う子供たちの姿が見えた。
 それを見て、急ブレーキをかけてしまう。
 手に持ったクッキーの入った袋を背中に隠して躊躇してしまう。
「……帰ろ」
 霊夢はぽつりとつぶやいた。
 その時、相手が彼女に気づいたらしい。
 霊夢に向かって手を振ってくる、その姿には気づかないふりをしたままで、彼女はその場を立ち去った。
「……ありゃ、こっちに気づいてないのかな」
 霊夢に向かって手を振った相手は、残念、と肩をすくめる。
 しかし、『彼女にも用事があって忙しいのだろう』と考えて、その後を追いかけるようなことはしなかった。
 余計な気遣いとは、自分自身、感じたのもある。
 人にはそれぞれ理由があるものなのだから。


 さて、それから数日の間、霊夢の苦難の日々は続いた。
 何とかして声をかけよう、話をしようと思っても、なかなかそのチャンスに恵まれない。
 運悪く相手に用事があったり、はたまた今回のように、誰か余計なおまけがついていたり。
 そんなこんなで、日々、『手土産』を作っては自分と針妙丸の二人で消化する毎日である。
 そのせいか、針妙丸は、『今日はどんなおやつが食べられるのだろう』と午後3時頃になるとそわそわするようになってしまっている。
「小鈴ちゃんは、毎日、お仕事大変ね」
「そうですねー。
 まぁ、そう思ったことはないですけど。何せ半分以上、趣味なので」
 そして今日も、霊夢は見事に玉砕していた。
 帰り道、作ってしまったお菓子の行き場を探していたところ、たまたま立ち寄ったのが、ここ、鈴奈庵である。
 入り口をくぐってみると、懇意にしている店の主がいたため、彼女に『お菓子はいかが?』と声をかけたのが少し前のことだ。
「やっぱり、ほら。趣味を仕事にすると、仕事に疲れてしまった時に趣味に逃げられないからよくないって言うじゃないですか?
 だけど、趣味は楽しいから趣味なのであって、楽しいまま、仕事にしていれば、仕事も楽しくなるんですよ」
 よくわからないような、ある意味、物事の真理をついているような、そんな含蓄深いんだかいい加減なんだかよくわからないことを言うのは、この店の店員である本居小鈴である。
 彼女は片手に分厚い本を一冊たしなみながら、「それに、読書は暇つぶしには最高ですしね」と、誰もいない店内を一瞥する。
「何かうち並みに人が入ってこないのね。
 経営とか大丈夫なの?」
「大丈夫なんですよ。これが。
 お客さんには波がありますからね。一日に一人も来ないことだってあるし、逆に、目が回るくらい忙しくて『もう無理!』って締め出すこともありますし」
「へぇ~」
「霊夢さんも一冊いかがですか?」
「うちにも、そういう、書物、っていうの? 一杯あるから」
「うわ、それ、見に行きたい。
 由緒正しい神社の蔵の中にある、秘蔵の書物。よだれだらだらものですね」
「汚さないでね」
 そんな冗談を言い合っていると、店の奥から、「霊夢さんは、本当に、小鈴が気に入りなんですね」と一人、人がやってくる。
「阿求、ごくろーごくろー」
「お茶を淹れるのにじゃんけん勝負とか、誰が言い出したのよ」
「あんた」
「ぐっ」
 小鈴の友人、稗田阿求である。
 普段は自分の家にこもってなかなか外に出てこない『お姫様』も、この友人の元には、それなりに足しげく通っているらしい。
 一説によると、その理由は『眼鏡で細身の紳士な編集さん』から逃げているとのことなのだが、はてさて。
「お気に入りというか……。
 この、ちょうどいい高さにある頭とか、抱っこしやすいサイズ感というか」
 後ろから、小鈴を抱えるようにして抱っこしている霊夢。
 確かにそうしていると、『姉と妹』と言う感じで絵になる。
「小鈴は子ども扱いされても嫌がらないのね」
「だって、霊夢さんだし。
 どうだ阿求、羨ましいだろー」
「べっつにー」
 阿求は手にしたお盆の上から、ティーカップを三つ、用意する。その隣には、霊夢が、今回も渡しそびれたクッキーが鎮座していた。
「あ、これなかなか」
「紅魔館のとも幽香さんのとも違う感じの味よね」
 そして少女二人は、喜んでクッキーを手に取り、口へと運ぶ。
 何日も作っていれば、いやでも腕は上達する。霊夢自身、それを日々、感じる逸品であった。
「阿求はさー、そろそろ家に帰って仕事しないと、また編集さんに怒られるよ」
「だ、だーいじょうぶよ。今月のページはあと10ページくらいで終わるし……」
「明日で今月終わりなんだけど」
「だ、大丈夫だって! まだ、ほら、24時間あるもん!」
「わたし、知らないからね」
 阿求は現実逃避のためなのか、小鈴の一言にいやな汗だらだら流しながら、お茶とクッキーをこれでもかと口にしている。
「あんた、あんまり胃腸強くないんだから、おなか下すよ」
 そんな彼女を思いやってか、それとも適当な社交辞令なのか、小鈴はそんなことを一言。
「二人は仲がいいわね」
「最初の頃は、わたしも、『あの稗田様のご当主』って気後れしてましたけど、何のことはない、実際の中身はこれですから」
「あ、ちょっと。これって何よ、これって」
「じゃあ、それ」
「意味同じじゃない」
 ほっぺた膨らまして、阿求は小鈴に抗議する。
 まぁ、そんなわけで、神性の欠片もない相手を前に、必要以上に畏まっていてもどうしようもないだろうということで、お互い、徐々にあけすけな態度になっていったということだ。
 要するに、日頃の付き合いの中で、友情が醸成されていったということなのだろう。
「小鈴ちゃんは、阿求以外には友達とかは?」
「一杯いますよ。
 ただ、こっちは仕事、向こうも仕事、寺子屋、なんてやってると、なかなか時間って合わないんですよね」
「わたしはそうでもないけどなー」
「本書いてるかうち来てお茶飲んでだべってるかのどっちかじゃん、あんた」
「失礼なー。
 この頃、わたしは体力をつけるために運動を始めたのだぞ」
「具体的には?」
「ランニング。家の周り10周とか」
「阿求の家、結構、広いでしょ? 大丈夫なの?」
「……3周くらいで」
「……まぁ、そうよね」
「これだから阿求はダメなんだなー」
 へっ、と鼻で笑う小鈴。
 霊夢の前で見せる、小動物そのもののかわいらしい笑顔や表情とは違って、阿求は友人と言うこともあり、なかなか容赦がない。
「今度、わたしと一緒に、里の中をジョギングしようよ。
 この『トラック競技の小鈴ちゃん』が走るコツを伝授して進ぜよう」
「いつ、そんな風に呼ばれたことがあるのよ」
「自称」
「自称じゃダメじゃない」
 そんな風に、会話のテンポもなかなかいい。
 掛け合い漫才とは、まさにこのことか。
「あとは、あれだ。霊夢さんに色々教えてもらうとか」
「あ、それもいいわね。
 霊夢さんって、ほら、運動万能ですよね?」
「そういうわけでもないなー。
 私より、どっちかっていうなら……そうね、アリスとか。あとは、あれだ。美鈴師匠!」
「……なるほど確かに」
「師匠、って呼びたくなりますよね」
 霊夢が茶化して言ったその一言に、少女二人、思わず納得する。
 小鈴は腕組みをして、「美鈴さんに運動を教えてもらってきたら?」と、阿求に真顔で提案する。
「う~む……。
 あの人、優しいけれど、教えることは容赦ないって聞いてるしなぁ。
 参加したが最後、明日の朝日が拝めなくなりそう」
「整体とかマッサージとかも得意らしいわよ」
「あ、それならいいかも」
「いいですねー。
 阿求、姿勢悪いし、背骨とかぐにゃぐにゃに曲がってそう」
「あんたは根性が曲がってそうだけどね」
 そんな話をしていて、つと、
「ところで、霊夢さん。このクッキーは、誰かにあげるものだったんですか?」
 と小鈴が尋ねてきた。
 霊夢は『いやぁ』と笑いながら、
「お菓子作りの練習よ。で、実験台を探しているところ」
「なるほどー」
 あっさり小鈴は引き下がった。
 一方の阿求は、『へぇ~』と言う顔でうなずいている。
 その顔は、何だか妙に大人っぽい。年を経た、老獪な人物の顔つきだ。
「小鈴ちゃんは、料理とか得意?」
「これがさっぱり」
「わたしよりひどいですよ」
「阿求も相当なもんでしょ。同じくらいよ、同じくらい」
「言ったわね。味噌汁一つまともに作れないくせに」
「お米を炊く時に、いっつも水の分量間違えるあんたよりマシですよーだ」
 そんな丁々発止としたやり取りを繰り広げる二人を見て、霊夢は笑う。
 ――と、
「すいませーん」
 暖簾をくぐる仕草をして、一人、客がやってきた。
「あっ、早苗さん」
「こんにちは」
「こんにちはー」
「阿求さんも。
 あっ、お茶とお菓子。お邪魔でした?」
「いいえ。今、お仕事中ですから」
 片手に本を一冊持って、早苗がやってくる。
 彼女はそれをカウンターへと戻して、「ありがとうございました」と微笑む。
「このシリーズ、面白いですよねー。
 女性に人気ですよ」
「恋愛小説は女性に人気ですからね。外もここも、それは変わりません」
「個人的にイラストつけたいですけどね」
 と、なぜか阿求が横から話題に入ってくる。
 なお、幻想郷に流通している大半の本は活字本であり、中に挿絵などのビジュアルは入っていない。
 それを見るにつけ、阿求は『絵の一つでも入れればいいのに』と言うのだ。
 ちなみに彼女も本業は『物書き』であるのだが、近頃の『幻想郷縁起』は方向性を少し転換して『子供でも楽しく読める漫画なんてどうだろうか』と考えていたりする。
「そういえば、以前から思っていたんですけど。
 ここにある本って、どういうルートで手に入るものなんですか?」
「正規の本屋さんから安く流してもらったりとか、自分で仕入れに行ったりとか」
「ああ、ってことは、幻想郷でも作家を生業にしてる人ってそれなりにいるんですね」
「だと思いますけど、具体的にはどんな人、っていうのはわからないですね」
「妖怪もいるんじゃない?」
「いるかも」
 名前さえ人間っぽくしてしまえば、人間が書いた文章なのか妖怪が書いた文章なのかはわからない。
 人間と妖怪の思考は違うものであるが、それが文章に出てくるかどうかはわからないのだ。
「このシリーズの次の本、借りていってもいいですか?」
「いいですよ。あっちの方にあります」
「あっちですね」
「最近、新刊も入ってきたんですよ。
 このシリーズ、人気があるから、一度、逃したら次はいつになるかわかりませんよ」
「……なるほど」
「幸い、その次の次で終わりなので」
「じゃあ、まとめて借りていこうかな」
 小鈴の営業トークに載せられて、早苗は本棚から本を二冊取り出してきた。
 それを小鈴が座るカウンターに出してお金を払う。
「幻想郷では、本は高いものですよね」
「そうですねー。
 だから、うちみたいな仕事にもお客さんが来るんですけど」
「ちゃんと返ってくるんですか?」
「期日が切れたら督促の手紙を出して、延滞金がっつり取りますから」
「しっかりしてますね」
「たまに、それでも返しに来ない人とかいますけどね。
 まぁ、そういう場合は、ちょっと知り合いの人を使って取り立てに行ってもらったりとか」
 ものを『貸す』仕事の人間は、客に舐められたら終わりだ、と小鈴。
 なかなかシビアなものの考え方に、さすがに早苗もわずかに頬を引きつらせる。
「なかなかやりますねというか」
「子供だからってなめんなよ!
 ――なーんて。
 それじゃ、二週間でーす」
「ありがとうございました」
 ちらりと早苗は、立ち去る時に、カウンターの上に並ぶお茶とお菓子を見る。
 小さくうなずき、彼女はその場を去っていった。
 それを二人そろって見送ってから、
「……で、何で霊夢さんは隠れてるんですか?」
「う……いや、その……」
 早苗を見て、思わずカウンターの裏に隠れてしまった霊夢へ、小鈴が視線を向ける。
 膝を抱えた姿勢のままで、霊夢はほっぺた赤くしてそっぽを向く。
 何やら言い出しづらい、大人の事情があるのだろう――それを察した小鈴は、あえて何かを続けたりすることなく、「大変ですねー」と言うばかりだ。
 もぞもぞと、カウンターの裏から這い出してくる霊夢を見て、阿求がポツリと言う。
「そういえば、早苗さんって、甘いもの好きでしたよね」
 その一言に動揺したのか、霊夢は後頭部をがつんとカウンターに打ち付けて、しばし悶絶していたのだった。


 その日は朝から雨だった。
 起きて、家の中の掃除などをしたらやることはない。
「あー……参拝客こなーい……」
 いつも来ないのだが、今日はいつも以上に来ない。
 一応は巫女服を纏って、全く売れない御守りなどを用意して、参拝客よさあこいの姿勢をして待ち受けるのだが、鳥居をくぐってくるものは誰もいない。
 しとしとさあさあ。
 雨が降っている。
「今日はもう、神社閉めて寝てようかなー」
 ここで知り合いの仙人や妖怪がいれば、『暇な時間があるなら修行しろ』と言ってくるのだろう。
 幸いにして、今日は、この神社には自分と針妙丸しかいない。静かなものだ。
「よし、そうしよ」
 そうと決めたら善は急げ。
 運よく、昨日、天気がよかった時に布団は干している。まだまだ、お日様の匂いが残るぽかぽかの布団に昼からくるまれて眠るなど、なんという贅沢だろうか。
 彼女は立ち上がって踵を返そうとする。
「……ん?」
 ――と、そこで足を止めた。
 しとしと降る雨の中、ちょっと違った音が聞こえた。
 歌だ。

 ――あめあめふれふれ かあさんがじゃのめでおむかえ うれしいな

「誰か来たのかな」
 首をかしげて目を凝らす。
 そういえば、幼い頃は、母親と雨の日に出歩く時はいつもこの歌を歌っていたような気がする。
 真新しい傘を買ってもらった時は、雨の日はいつかいつかと待ち焦がれ、かわいい長靴を買ってもらった時は、水溜りと見るや踏んで歩いたものだ。
 何となく、そんな昔も思い出してしまう。

「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんら~ん、っと♪」

「……あ」
 境内に、傘を差して現れたのは、見覚えのある人物だ。
「……雨の日に」
「雨の日だから、霊夢さんが一人で暇してるだろうな~、と思って遊びに来たんですよ」
 早苗だ。
 片手に大きな傘を持って――どう見ても紳士用なのだが、その服装のせいか、それが妙に似合っている――にっこり笑う彼女は、霊夢の元へと近づいてきた。
「あがって。濡れるよ」
「そのつもりです」

「どこから歩いてきたの?」
「境内に入るところからですね。
 鳥居をくぐるのは神様に対する礼儀の一つであり、儀礼の一つですから」
 居間に彼女を通して、霊夢は『はい』とお茶を出す。
 早苗は湯飲みを受け取って、それを一口。
「今日は、何だかちょっと肌寒いから、あったかいお茶がいいですね」
「そうね」
「霊夢さんは、お茶を点てるのが上手ですよね」
「淹れるのはそうでもないけどね」
 そんな冗談を言い合ってから、早苗の視線はテーブルの上に。
「針妙丸ちゃん、何してるの?」
「将棋です」
 将棋盤とじっとにらめっこしている針妙丸の姿がある。
 しかし、対戦相手はいなかった。
 彼女はぱちんと駒を打った後、反対側に回って、またぱちんと駒を打つ。
 そうして、『う~ん』と眉根を寄せてうなりだす。
「この前、妖怪の山に行ったんだけど」
「はい」
「温泉に入りにね。
 その帰りにさ、にとりとかと会って、将棋を指してきたのよ」
「ああ」
「予想通り、この子、静葉とやってぼっこぼこにされたの」
 ぽんと手を打つ早苗に、『あなたの考えは正しいです』と霊夢は言った。
「静葉さま、ものすっごく強いですよねー」
「強い強い。
 針妙丸もね、にとりと椛は楽勝だったんだけど、『それなら』って出てきた静葉に、まぁ、ものの見事に。
 それが悔しかったみたいで、その時の棋譜を取り寄せて、『静葉対策』って」
「なるほど」
 あの秋の神様は、とかく将棋に強い、と早苗は言った。
「将棋と言うか、知的遊戯全般ですけどね。
 神奈子さまなんてまず相手にならないし、諏訪子さまも、何度かやったんですけど、最初の頃はいい勝負が出来たのに、今は全く相手にならない、って」
「なるほどねー」
「『ありゃダメだ、頭の回転が速すぎる。どんな手で攻めてもびくともしない』ってお手上げで言ってましたよ」
「紫も、『あれには勝てないわね』って言ってた」
「うわ、紫さんも?」
 普段、あれだけとろくさい、のんびりした人格のくせに、頭の中はそうでもない。
 人は見た目によらないとはこのことだが、二人の知る限りの『将棋に強い人』が手も足も出ないという現状は、やはり驚きの一言である。
「私も、それなりに将棋は強いのよ? けど、全然、これっぽっちも、ダメ。
 針妙丸には勝てるんだけどね」
「わたしだって、霊夢さんには、そんな簡単に負けたりしませんよ」
 と、きちんと反論してくる。
 この彼女、それなりに負けず嫌いの一面があるようだ。
「そういえば、輝夜も、めちゃくちゃ将棋強いのよね」
「あ、そうなんですか?」
「らしい。うどんげとか妖夢が20手くらいで負ける程度には」
「……20ですか」
「静葉だってそんなもんでしょ?」
「椛さんが22手で負けたって言ってましたね」
「なるほど」
「じゃあ、そのお二人が戦えば、すごい勝負になるかもしれませんね」
 一度、世紀の対戦と銘打って見てみたいものだ、と二人は笑った。
 それから少しして、『あ、そうだ。お茶請け出すわ』と霊夢が立ち上がる。
 その後ろ姿を見て、少しだけ、早苗は瞳を細くした。
 ややしばらくしてから戻ってきた霊夢が持ってきたのは、やはり、クッキー。
「はい、どうぞ。
 針妙丸。あんたも。好きでしょ?」
「頂きます」
 盤面にらみつけたまま、しかし、クッキーはもぐもぐかじる針妙丸。
 どうにもその姿は小さなげっ歯類のようで愛らしい。
「どう? 早苗」
「美味しいですね。
 久々の甘いもの! もう、いくらでも!」
「……また頑張ってたんだ?」
「……二週間ほど。
 だけど、まだまだ途中です……。だけどだけど、戦士にだって休日は必要なんです!」
 それに『食べないダイエット』と言うのは体に悪い。
 何より、『食べずにやせた』ということは、『食べたら太る』の裏返しである。
 女の子として、一生、甘いものを食べずに過ごすことなど出来るだろうか。いいや、答えは否である。仮にそれが可能だとしても、そのような生き地獄を味わうくらいなら死んだ方がマシ、とまで早苗は言う。
「気持ちはわかるけど……極端はよくないよ?」
「だから、程々に、だけどそれなりに」
 霊夢がわずかに顔を引きつらせる。
 甘いものに飢えてたんだろうな~、と思わず同情する視線を向けてしまうほどに。
「けど、霊夢さん、珍しいですね」
「何が?」
「洋菓子を作るなんて」
「ん~……。幽香のところで教えてもらった時に、色々作れたら楽しいかな~、って」
「そうですね。
 料理が出来る女性は、世の中に、絶対必須ですし」
「料理一つ出来ないでどうするの、って紫に怒られるわ」
「わたしは…………………………まぁ、はい」
「いいから。うん」
 ちょっと微妙な空気も流れる中、つと、針妙丸が立ち上がって、ぴょんと床の上に飛び降りた。
「どこ行くの?」
「休憩です」
 盤面を見ると、やはり針妙丸の方が不利な状況になっている。
 静葉当人はその場にいないというのにこれだ。やはり、彼女はとんでもなく手ごわい相手なのである。
 部屋を後にする針妙丸。
 小さい足音がとたとたと遠ざかっていってから、
「で、霊夢さん」
「何?」
「何で最近、わたしのこと、避けてたんですか?」
 おもむろに、早苗が切り出してきた。
 テーブルの上に頬杖をついて、にんまり笑いながら、霊夢を見ている。
「え? い、いや、その……別に、避けてたとか……」
「そうですか?
 何度か、気づかないふりとか聞こえないふりされたような気がするんですけど」
「……えっと、それはその……」
 どこでそれを察したのか。それとも、そもそも最初からか。
 早苗が茶化すような口ぶりで追及していくと、霊夢は反論する術を失って黙り込む。
 困ったものね、と彼女は肩をすくめてみせた。
「声がかけづらい時とか、たまにありますよね。何となく」
「……そうじゃない、というか……」
「ん?」
「その……何か、声、かけられないというか……。
 あんまり、顔、見られなかったというか……。
 だから、あの……」
 たとえば? と早苗。
 霊夢は頬を赤くして、視線を逸らしながらも、ぽつぽつ、話をする。
 その話を一つ一つ聞きながら、早苗はうなずき、やがて一言。
「やいてたな?」
 そう、相手のことをからかうように言った。
 そこで、霊夢の顔が真っ赤に染まっていく。
「へぇ~。霊夢さんも、やきもち焼いたりするんですね~」
「わっ、ちょっと」
 逃がすまいと、早苗は霊夢を捕まえると、体格差を生かしてあっさり捕獲してしまった。
 俗に言う、『ぬいぐるみだっこ』である。
「めっずらしい」
「そ、そんなこと……」
 あるわけない、と反論しようとして、押し黙る。
 そこで反論すると、ある意味、ものすごい恥ずかしい宣言をすることになると気づいたのだ。
 頭の中の脳みその奥までかっかと熱くなっていても、まだ冷静な判断を下すことの出来る余裕はあったらしい。
「気にせずに、声、かけてくれればよかったのに。
 そうしたら、このクッキーの感想だって、もっと早くに言ってあげることが出来たのに」
「うぐ……」
「だけど、霊夢さんもやきもち焼くなんて。か~わいい」
「う、うるさいなぁ、もう!」
 どんな反論をしても、それはどうにも微笑ましい。
 年下相手に優位を取る、いたずらお姉さんは、「はいはい」と笑って取り合わない。
「そんなこと気にせず、もっと声かけてきてくださいね」
「……今度からそうする」
「恥ずかしくても?」
「恥ずかしくなんてないもん!」
「どうだか?」
「もう!」
 からかわれているのがわかっていても、売り言葉に買い言葉で反論してしまう。
 そういうことをすると深さ100メートルの墓穴を掘ってしまうことには、どうやら彼女は気づかないようだ。
「心配しなくても、わたしの中で一番は霊夢さんですよ。
 安心して、もっと甘えてきてくださいな?」
「むぅ……」
 霊夢はほっぺた膨らませるものの、その表情に険悪なものは浮かべていない。それどころか、嬉しそうに笑っている。
「早苗のばか」
「はいはい」
「しーらないっ」
「はいはい」
 早苗はひょいとクッキーを一枚手に取ると、ぶーたれる霊夢の口にそれを一枚、放り込む。
 まだほんのり暖かさの残る、甘い味が口の中に広がっていく。
「恋愛経験値0のひよっこが、お姉さんに勝てると思うなよ」
 膨らんだほっぺたつつかれて、霊夢はほっぺたを桜色に染めてふてくされるのだった。


「雨降って地固まるとは言うけれど――」
 窓の外を眺めれば、まだ雨はやまない。
「今日の雨は長くなった分、地面はがっちり固まりそうです」
 ぴょんと、針妙丸はその場に立ち上がる。
 小さな体を大きく伸ばして、頭を何度か振って、『やれやれ』と肩をすくめてから。
「よし。負けないぞ」
 今度は気持ちを入れ替えて踵を返す。
 居間の外のすぐ近く。
 廊下の上にちょこんと座っていただけの彼女は、そのまま、居間に続く障子を開いた。
まずはクッキーから、という間柄で一つ。
haruka
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コメント



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1.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
5.90名前が無い程度の能力削除
久々のレイサナを堪能させてもらいました。
7.100名前が無い程度の能力削除
優しい幻想郷をありがとうございます。harukaさんの書くキャラクターはみんな生き生きしててその場面場面のシーンが容易に頭に浮かんできます。パンツルックの霊夢ちゃん、ぜひ見てみたいですね!
9.100ペンギン削除
いいさなれいむでした。
しんみょうまるちゃん
10.80絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。
18.100名前が無い程度の能力削除
優しい感じの話、良いですね
21.100名前が無い程度の能力削除
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