私は大天狗である。だから天狗の話をしようと思う。
つい先日、哨戒任務に出るはずの白狼天狗が一匹、何をしていたのか知らないけれど、仕事を放り出していたらしい。山の西側、申の方角を担当してた天狗らしいが、詳細が分からない。
何もなかったからいいものの、ヌンゴルンゴバジャデュジュでも侵入していたらどうなっていたか知れない。
大天狗である私は、主に現場や上層部から問題ごとを持ち込まれる事が多い。その対策を練って、また、諸天狗の不祥事や脱法行為を詰問するのもお役目である。
上からも下からも無暗に面倒事ばかり持ち込んでくるから、たいへん疲れる。しかしやらないわけにはいかない。第一、それで私が仕事を不真面目にこなしては沽券に関わる。
ともあれ、この白狼天狗は見つけ出して仕置きをせねばなるまい
しかし白狼天狗には詳しくない。私は大抵執務室にこもっていて、現場の連中の顔なぞ見ないからである。
資料によれば、「椛」という白狼天狗が下手人らしい。調べてみれば、かのお騒がせ烏天狗の射命丸文の部下であるらしい。上司が上司なら、部下も部下である。
それで目途が立ったので、射命丸の所に行ってみた。数多い白狼天狗から一匹を探すよりも、直接の上司に呼び出さした方が話が早い。白狼天狗なぞあちこちに散らばっているから、そこから一匹を見つけ出すのは容易でない。
部屋に行ってみると、射命丸は何やら原稿をもそもそ書いていた。「おいおい」と呼びかけると、「わあ」と言って振り向いた。
「わ、驚いた。どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもない。先日の哨戒任務放棄の下手人を捕まえに来た」
「わたし哨戒任務とか出ないですけど」
「お前ではない、お前の部下に「椛」とかいうのがいるだろう」
「はあ」
「それが哨戒任務をサボったのだ。しかし俺には居場所が分からん。お前に呼び出してもらおうと思って、来た」
「いいですけど、それって犬走る方の椛ですか。それとも犬走らない方の椛ですか」
「ナニッ、複数いるのか」
「ですねー」
「哨戒をサボったのはどっちだ」
「そこまでは知らないです」
射命丸は目をぱちくりさせている。埒が明かないので、それならどちらも連れて来いと言うと素直に出て行った。
煙草をふかして待っていると、「お待たせしましたー」と射命丸が入って来て、次いで同じような顔をした白狼天狗が二匹入って来た。
「この子たちが椛ですよ」
「どっちがどっちだ」
「わたしが犬走る方の椛です」
「わたしが犬走らない方の椛です」
「なぜ走らないのだ」
「いえ、面倒くさくて」
「そんな事ではいけないじゃないか」
「はあ」
と言って犬走らない方の椛は片付かない顔をしている。
まあ、椛が犬走ろうが犬走らなかろうが私の知った事ではない。問題はそこではない。
「それで、どちらが任務をサボった」
私が言うと、椛は顔を見合わせた。そうして何か話していたが、やがて犬走る方の椛がこちらを見て、言った。
「いつの事ですか?」
「二日前だ」
「その日はわたしは非番でした」
「わたしは丑の方角で任務に付いてました」
「ナニッ」
話がおかしい。確かにサボったのは椛の筈である。しかしここで嘘をつく筈はない。調べればばれるのだし、そういう姑息さは天狗には、こと白狼天狗にはない。
私が唸っていると、犬走らない方の椛が言った。
「あの、もしかしたら犬走ろうかと思っている方の椛かも知れません」
「何、まだいるのか」
「はい」
「二日前だと、犬走るか犬走らないか悩んで夜も眠れない方の椛かも知れないですね」
「何でもいい、それならそいつらを呼んで来い」
「分かりました」
椛二匹は出て行った。何だかひどく疲れる。射命丸がにやにやしている。
小一時間して、また同じような顔をした白狼天狗が二匹、先の二匹と合わせて四匹がやって来た。
先の二匹が後ろに控えて、新しく来た方がぺこりと頭を下げた。
「犬走ろうかと思っている方の椛です」
「それで、走ろうか決めたのか」
「今日はやめておこうかと」
「明日は」
「それはまだ決めてないです」
「そっちは」
と言うと、もう一匹がぺこりと頭を下げた。目の下にうっすらとクマがある。それに何処か疲れているようにも見える。
「犬走るか犬走らないか悩んで夜も眠れない方の椛です」
「そんなに悩んでどうする」
「神経質なのです」
「寝不足で任務に立ってはいかん」
「分かってはいるんですけど」
「走りたいのか、走りたくないのか」
「本音では犬走りたいです」
「とっかかりでもあるのか」
「いえ、そういうわけでは」
ちっとも埒が明かない。
「それなら走ればいいではないか。無駄な事で悩んで自分をいじめるのはよせ。もう少し体を大事にしろ」
私が言うと、犬走るか犬走らないか悩んで夜も眠れない方の椛は、俯いてくしくしと目をこすった。涙ぐんでいるらしい、鼻声で言った。
「こんなに優しくしてもらったのは初めてです、ありがとうございます」
「何も泣かなくてもいいではないか」
怒られて泣いているのかと思ったら、感涙にむせび泣いているらしい。他の椛どもが「よかったねえ」「よかったねえ」と泣いている椛の頭を撫でたり肩を叩いたり。何がしたいんだかよく分からない。
話の後先がよく分からなくなったが、私は椛を慰めに来たのではない。任務をサボった不届き者を見つけるために来たのである。「サボったのはどっちだ」と言うと、椛たちは顔を見合わせた。
「二日前なら、わたしは酉の方角の任務に出ていました」
「わたしも同じです」
私は頭を抱えた。まさか「椛」がサボったというのが間違いなのではなかろうか。
顔をしかめて考え込んでいると、犬走るか犬走らないか悩んで夜も眠れない方の椛がおずおずと言った。
「犬走るべきなのだけれどあえて犬走らない方の椛を呼んで来ましょうか?」
「待て、まだいるのか」
「犬走るのが嫌になった方の椛もいますが」
「結局何匹いるのだ」
「うーん」
と言って、椛たちはぷつぷつと呟きながら指折り数えていたが、諦めたようにこちらを見た。
「いっぱいです!」
「全員連れて来い」
椛たちは出て行った。私は息をついて、また煙草を吸った。頭の中が散らかって、考えがまとまりそうにない。射命丸がにやにやしている。
六本目の煙草に火を点けた頃、にわかに廊下の方が騒がしくなったと思ったら扉が開いて椛たちが入って来た。射命丸の部屋は広くはないから、あっという間に似たような顔ばかりがひしめいて、はなはだ狭くてたまらない。
もしかしてと思い、椛どもをかき分けて廊下に出てみると、長い廊下の向こうの方まで似たような顔の白狼天狗が詰まっている。そうして銘々に何か喋っているらしい、騒がしくて仕様がない。
「大天狗さま、こっちが犬走るべきなのだけれどあえて犬走らない方の椛です」
「なぜ走らないのだ」
「それも一つの選択だと思うのです」
「そうか」
私の背中をつつく者がある。振り向くと犬走るか犬走らないか悩んで夜も眠れない方の椛が立っていた。
「大天狗さま、こっちが犬走るのが嫌になった方の椛です」
「なぜ嫌になったのだ」
「何となくです」
「そんな理由でいいと思っているのか」
「矢張り駄目でしょうか」
「駄目だ」
「分かりました、頑張ります!」
と、なぜか発奮している様子である。意味が分からない。
また別の方から声をかける者がある。
「大天狗さま、わたしは犬走る事に意味を見出せずにヤキモキしている方の椛です」
「そうか」
「犬走る事に意味はあるのでしょうか?」
「意味も何もあるもんか」
「そ、そうか! それ自体をあるがままに受け入れろという事ですね! ありがとうございます!」
礼を言われても嬉しくも何ともない。結局喋った三匹ともサボりの下手人ではなかった。
手近な別の白狼天狗に「お前はなんだ」と言うと、曖昧な顔をした。
「わたしは犬走ったような犬走ってないような微妙な感じがする方の椛です」
「どうしてそんなに曖昧なのだ」
「はあ」
「そんな適当ではいかん」
「しかしですね、そこは特にはっきりしなくてもいいかと」
「はっきりしていないと、いざという時に走れないだろう」
私が言うと、犬走ったような犬走ってないような微妙な感じのする方の椛は、人を馬鹿にするような顔つきをした。周囲の白狼天狗どもも、嘲笑するようにくすくす笑っている。
「いざという時? そんな時に犬走るわけないでしょう」
「ちょっと、言ったら可哀想だよ」
「そうだよ、だって大天狗さまなんだから」
「きっと犬走れないんだよ」
今度は憐れんだような視線が私を取り巻いた。訳が分からないが、訳が分からない分だけ余計に腹が立つ。第一、犬走るの定義が曖昧である。ただ走るのとは違うのか。
廊下の向こうから、建物の外まで白狼天狗が押しかけているらしい、熱気が上がって、無暗にうるさい。この中から任務をサボった「椛」を見つけろというのか。
その時白狼天狗どもをかき分けて、いつの間にか姿が見えなかった射命丸が慌てた様子でやって来た。
「大変、大変、大変です」
「なんだ、騒々しい」
「山の全周囲からヌンゴルンゴバジャデュジュが押し寄せて来ています」
「ナニッ」
仰天した。怒鳴った。
「哨戒の白狼天狗どもは何をやっておるのかッ」
「それは少し無茶ですよ、大天狗さま」
「大天狗さまが皆呼び出したんじゃないですか」
「馬鹿を言うな、俺は「椛」を呼んだんだ、白狼天狗を集めたわけではない」
「だから皆来たんじゃないですか」
散らかっていた頭の中を無理矢理に片づけると、どうやら白狼天狗には「椛」しかいないらしい事が分かった。意味が分からない。
「犬走るだの、犬走らないだの、それだけで区別しておるのか貴様らは」
「はあ」
何をいまさらと言う顔で私を見た。腹が立つが仕様がない。
「ええい、急いで散れッ、駆除に回れッ」
「はーい」
椛どもは一斉に山のあちこちに散らばって行った。烏天狗も大天狗も、山の天狗総動員でかかった駆除が丸一昼夜かかったのは言うまでもあるまい。
とんでもなく疲れて、もうどの「椛」がサボったなどはどうでもよくなった。
どうやら我らが天狗社会は組織の在り方や命令系統には重大な欠陥があるらしい。
次回の天狗会議で刷新を提案しなくてはならないだろう。
そのうちズンドコベロンチョとかも大挙しそう
一体いくつのバリエーションがいたんだろう
なんだこれwwww
自分が頭を悩ませてウンウン唸っていたのが馬鹿みたいだ
今の私の心情を的確に表す言葉をこれ以外存じません、はい
でも椛大好きだからまあいいや! 次回はプレーン犬走の椛さんの出番があるといいなぁ。
発想もさることながら軽妙な言い回しも素敵でした
どちらも楽しませていただきました。