Coolier - 新生・東方創想話

君来たりなば春遠からじ

2015/06/21 18:05:00
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「行ってらっしゃい」と彼女は言った。帰ってきてね、という言葉だ。私は行くでも帰るでもなく、ただ春という季節と共にあるだけだから、その言葉に少し戸惑った。彼女から見れば、私は「遠くに行く」存在なのだなあ、とぼんやり感じた。
「お見送り、有難うですよ」
「寂しくなるね」
「また逢えますよ」
「そうじゃなきゃ、もっと泣いてる」
 よく見ると、彼女の目はほんの少し赤かった。年に一度必ず会えると分かっているのを、何もそんなに寂しがることはないと思うのだけれど、彼女は一人で見送りに来てくれた。普段はきっと、私のことなんか思い出しはすまい。彼女は別れ際に弱いだけ。それでも、何かの機会にかこつけて、関係を確かめに来てくれることは、刹那的だけれど幸せだと感じた。
「山を越えていくんだね」
「はい」
 春を追って、北へ、北へ。せまい幻想郷、果てまでは直ぐに辿り着いてしまう。私はそこで暫くの間、僅かな春を抱いて眠る。世界が夏でも、秋でも、冬でも、私を包む空気だけは季節を変えない。春を感じていることが、私の命の全て。そこに不足を感じる暇は、私にはない。だから、目の前のこの娘は、私にとってはいつも不可解な存在だった。この娘はいつも、迷っている。何を探しているのだろう、と。
「ついていきたいな」
 その言葉に。
「……って思うことも、あるんだ」
 彼女がそう付け加えたのは、きっと私の顔が一瞬強張ったからなのだろう。私は明らかにそれを軽薄な言葉だと受け取ったし、彼女はそれを素早く察知していた。
 彼女は甘えん坊だ。勿論私もそう。私達はどちらも、何かに「ついていく」性質の妖精である。私の持つ力は、春の本来の力を少し見えやすく、発揮しやすくするものであって、私自身が力を発するものではない。そういう意味では、氷精と共に在る彼女と、私とはよく似ている。氷精はこの娘と共に居ると、いよいよ好戦的になる。安心感の反動だろう。それが勝敗に結びつくことはないけれど、彼女が氷精の精神を活発にし、エネルギーを一定量引き出しているのは確かだと思える。せいぜいが目の前の物質なり熱量なりを僅かに操作するのが限界である妖精という種族において、かの氷精の存在は明らかに異質であった。自らエネルギーを生み出していると錯覚させるほどの制御能力があるのなら、擬似的であれ、それを己の力であると称して差し支えあるまい。その圧倒的な存在に、この娘は惹かれたのだろうと思う。その力を引き出す一助に、自分がなれるという関係性。この娘自身、それには気付いていないと思うけれど。
「さては、チルノちゃんと喧嘩しましたか」
「してないよ。強くなったと思う。チルノちゃんも私も」
「ますます仲良しですもんね」
「うん。大好き」
 彼女は微笑み、遠くを見る。
「……時々、意地悪しちゃいたくなるくらいに」
 何の事はない。旅に出たいというのは、氷精と距離を置いてみたいという、ただそれだけのことなのだ。寂しがらせて、大事な人に意識してもらいたい。本当に彼女は、どこまで甘えん坊なんだろう。入り組んだ森に自ら迷い込みに行くような、好奇心にあふれた受動性は、いっそたくましくすら感じられる。耐えられなくなって、小さく笑う。私は、この娘を憎めない。
「お餞別はお惚気ですか。冬眠前でもないのに、お腹いっぱいになっちゃいますよ」
「リリーちゃんも、いつも惚気けてるからいいでしょ?」
「ふふ。違いないです」
 はるですよー。……はるですよー。
 愛する相手を探す旅のことを、私は知らない。私は絶対に迷わないから。私の愛するものと、私そのものとが、完全に一致していて、どこに寄り道してもこれ以上の幸福はないと知っているから。その分だけ、迷える人達のことが、少し羨ましくもある。生まれながらに、自分の運命を知らない人たち。自分が何を選ぶかを、心の磁針に問いながら、心もとなくも希望を抱いて歩いて行く人たち。出会いと別れの波の狭間で、あの人たちが見るものを、私はきっと生涯、おぼろげにしか見ることは出来ない。彼らが私の幸福を、きっと生涯羨み続けるのと同じように。
「また来年も、私に思い出させてね」
 春を。もしくは、幸福を。
 春風に舞う花びらは、空を目指すことはない。どんなに高く、どんなに遠くに運ばれても、やがて例外なく土に還ることを知っている。還るまでの一過程を、少しのんびり過ごしているだけ。名残を惜しむ誰かの心と、ほんの一瞬触れ合えたら、それだけで充分なのだ。迷い望む人々との出会いは、私の約束された日々に、僅かな隠し味を添えてくれる。今やすっかり春ではなくなった世界。見上げれば空を白く染める太陽が、私の目を刺してちょっぴり痛い。今年の風は気まぐれで、少しだけ長居しすぎてしまったけれど、それもまた、春の春たることを思い出させてくれる、一つのエピソードになるだろう。私はいつも幸せだ。
互いにシンパシーを抱きつつ、近過ぎない二人で居て欲しいと思います。
ふみ切
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コメント



0.470簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
良かったです
6.100名前が無い程度の能力削除
ああ…いい…
小さな幸せに満ちた、今の季節にもピッタリな作品だと思いました。
7.100名前が無い程度の能力削除
好き
8.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気も良く良かったです
9.80大根屋削除
良いもので御座いました。
11.90名前が無い程度の能力削除
この二人が誰も知らないところでこんな話をしてると思うと……いいですね
16.100ばかのひ削除
作品を通して触れるか触れないかの関係を上手く描写するなあと
しみじみ思いました
とても良かったです