嫉妬にまみれた視線
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嫉妬とは難しい感情だと思う。うまく扱えることができれば向上心に繋がるし、できなかった場合は憎悪となる。しかもこの二つはちょっとした気の持ちようで容易にひっくり返ってしまう。昨日まで憧れの対象だった人がうわさ話一つで嫌いになるなんてよくある話だ。なにが言いたいかというと嫉妬と羨望は表裏一体だと私は思う。そのことに気づいてから私の嫉妬を操る妖怪としての活躍は目覚ましいものだった。直接嫉妬していなくてもその人に憧れていると思い込ませれば、簡単に嫉妬の塊になってくれた。最終的にはやりすぎてしまい地獄のある地底に追いやられてしまったがこの時の私が最高に輝いていたと断言できる。今は見る影もなく知り合いの嫉妬をつまみ食いするだけの小妖怪だ。これ以上暴れたら地底での居場所すらなくなってしまい嫉妬を獲得する機会を失ってしまう。
地底での私の居場所は主に地獄に至る道にかけられた橋だった。橋は川や境界線を連想させるらしく渡りたくないと暴れだす罪人がときどきいた。そいつらを無理やり渡らせるのが地獄で働く私の仕事だった。怨霊に触れる可能性があるため危険が伴う仕事だったが橋のそばにいられるこの仕事は橋姫にとっては最高の仕事だった。現場で働く仕事だったから報告書を提出する事務所には時々しか行かなかった。そのため、“彼女“に気づいたのは彼女の配属からだいぶ時間がたってからだった。
あの日私は報告書を提出するために事務所に向かった。扉を開けようと手をかけた瞬間に違和感に気づいた。この先に“何か“がいる。私がひるんでしまうような大きな嫉妬を持った“何か“を感じていた。扉の隙間からは火事の煙のように嫉妬が漏れ出していた。しかし、凄惨な雰囲気は感じられなかったため意を決して扉を開けた。いつもより扉が重いような気がした。室内はいつもの通り明るく穏やかで4人ほどの集団が談笑にふけっていただけだった。それの脇を慎重に通り過ぎたときに“嫉妬の源“が誰なのかを確認した。部屋の奥に行き所定の場所に書類を提出し戻ろうと振り返ると“それ“が私の目の前に立っていた。
目の前にいたのは一人の少女だった。私より背が低い。しかし、彼女の抱えた嫉妬の大きさのせいで私より巨大ではないかと錯覚し、圧迫感を感じた。少女のそばには赤い球体が浮かんでおりそこから紐が伸びていて彼女の体にまとわりついていた。
「始めまして。こちらに配属になりました古明地さとりと申します。よろしくお願いします」彼女は礼儀正しく笑顔でお辞儀をした。丁寧なその態度が私をさらに警戒させた。
そのあとはいたって普通の会話だった。彼女の持つ嫉妬の量に対してあまりにも不釣り合いな会話だった。ここまで抱え込むと喋り方や目つき、手の動かし方に特徴があってもいいはずだった。過去の私のように。しかし、それらは見出せなかった。唯一奇異に感じたのはその時の会話で彼女が最後に言った言葉だった。唐突に彼女はこう言った。
「私の認識はそれであっています」
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「何なのよ。あの新人」
酒を飲みながら知り合いの土蜘蛛を目の前に愚痴を言っていた。この土蜘蛛はほぼ同時期に地底に降りてきたため話をすることが多く、飲みながら愚痴をこぼしあう仲になっていた。といっても目的は愚痴だけではなかった。彼女はなかなか可愛く飲み屋で働く明るい子だったため一部地域で人気が高い。こうやって人前で一緒に飲んでいると、周辺の男と女がいろんな理由で嫉妬する。その嫉妬も私には酒の肴になるのだ。
「いつになく荒れてるね。そんなに生意気な子なの?」
「生意気よ。覚妖怪らしいんだけど、相手の心を読む能力を持ってるの。何度か話をしたんだけど2回目からは私の喋りたいことを先読みして一人で勝手に喋るの。この前なんか…………」
ああ、はい。水橋さん。その件でしたら知っています。日付まではしらなかったんですけど、いつごろになりますか。2週間後。必要なものは何か……はい。はい。わかりました。そこから忘れずに持っていきます。ちなみに、そんなに大変なんですか?確かに、暑いし厳しそうですね。それは。いつもお一人でされてるんですか?初めてなんでどこまでできるかわかりませんが、お力になれるように頑張ります。
「こっちは一言もしゃべらずにこれよ。用件は伝わるけど普通に喋らないと調子狂っちゃう。しかもよ。こんな喋り方するの私だけ。他の人とは普通に会話しているの。馬鹿にしてるのよ。現場で働いている女は私だけだから。事務所は安全な場所だから現場が気の毒に見えるんじゃないの。あ~ムカつく」
「まあまあ。今度一緒に現場に行くことになったんでしょ?その時に先輩らしく厳しく指導してやりなよ」
みっともないまでに愚痴を言っている私に彼女は優しかった。懐の広い彼女のやさしさは妬みの対象だった。あのくらい優しかったら私は橋姫にならなかったかもしれない。
「しかし、パルスィらしくないね。いつもなら何かにつけて妬ましい~って言うものなのに」
「まともに話ができなくて調子狂ってるのよ。本当はあの能力も妬みよ。他人の考えが読めるなんて便利じゃない」
半分はそうであった。残り半分は彼女への違和感だった。彼女は常に嫉妬していた。誰かと話をしているときは水が湧き出るように嫉妬していた。湧き出た嫉妬は彼女の内部を満たしそれ以外の何もないように思えた。あまりにも量が多く濃い彼女の嫉妬は私がつまみ食いをためらうほどだった。それなのに、彼女は表面上まともで社交的ですらあった。溢れる嫉妬は憎悪となって彼女の心を蝕むはずなのに、なぜ過去の私のように狂わないのだろうか。それが疑問だった。それとも既に手遅れなのだろうか。
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仕事帰りはいつも一人で帰宅していた。一人が好きというよりすれ違う人たちの嫉妬を観察するのが帰り道での習慣となっていたからだ。しかし、今は観察する気にはなれなかった。明日はさとりと一緒に現場を歩くことになっていた。それが私の肩に重しとなり、首の動きを制限しているようだった。
繁華街を抜け自宅近くに差し掛かったところで黒い大型犬とすれ違った。珍しいなと思いながら横目で追いかけていると、突然何かとぶつかった。足元に目をやると女の子がしりもちをついていた。女の子は落ちていた黒い帽子を慌ててかぶると私に頭を下げた。
「お姉さん。すいませんでした」
「大丈夫よ」
そこで会話は終わりかと思っていると女の子は舐めるように私の顔を覗き込んできた。視線を逸らそうとすると体の向きを変えてまで顔を見ようとした。私に魔法をかけようとしているのかと思うような薄気味悪さを感じた。
突然女の子は私の手首をつかんで走り始めた。「捕まえるの手伝ってください」
その子は私の返事を聞かなかった。聞く必要はないと言わんばかりの自信にあふれた声だった。
「ありがとうございます。無事に捕まえられました」
「ペットならちゃんと躾なきゃだめよ」
無事に黒い大型犬を捕まえた私たちは広場のベンチに座っていた。屋台で買った飲み物を飲んで人心地ついた私は女の子の体の周りに管がまとわりついていることに気が付いた。管をたどっていくと球体があった。その視線に彼女も気づいたようで指先で管をつまんだ。
「ああ、これ体の一部なんです。覚妖怪で。わたし古明地こいしって言います」
「古明地?てことは、さとりさんの家族なの?」
「妹です。お姉ちゃんを知ってるんですね」
『彼女』の妹ということで私の緊張はすばやく全身にいきわたった。けれど、会話を進めていってもこの子から嫉妬は感じられなかった。全くないと断言できるほど。
私はこの子にも違和感があるのに気が付いた。姉と同じく丁寧な言葉づかいで笑顔なのだが、姉とは真逆で嫉妬する能力がないようだった。そのためか、彼女と会話していてもどこか上滑りしていると感じた。笑顔の下には虚空が広がっていて、彼女の個性を掴もうとしても霧のように体を素通りするような無力感が感じられた。
「元気のない顔ですけど大丈夫ですか?」
会話の最中、いきなりそう聞かれた。口元に手をやって誤魔化しながら笑顔を作った。
「ごめんなさい。なんというかお姉さんと似ているところが少ないなって思って」
「あ~~お姉ちゃん性格悪いからね」
こいしはずっと笑顔のままだった。なにか重要なものを失ってしまって笑顔以外の表情を忘れているかのようだった。
「ここに来るまでに色々あったんです。おかげでわたしは能力が使えなくなったし、お姉ちゃんは僻みやすい性格になっちゃって」
「能力って心が読めないの?」
こいしは自らの球体を指さした。さとりの球体には切れ目がありそこから瞳が見えていたのを思い出した。しかし、この子の球体には瞳が見えなかった。目蓋が閉じられているかのような細い線が代わりに見えた。
「はい。ほら第三の眼が閉じているんです。最初は時々だったんですけど、ここに来るころには全く開いてくれないようになったんです」
私はここにきてようやく思い出した。ここは地獄にもっとも近く嫌われ者が集まる場所であり、望んで定住する者がほとんどいないことを。この姉妹も地上から追いやられてここまで逃げてきたことを。
そんな思考は足元で寝そべっている犬のくしゃみによって中断させられた。こいしが犬の背を撫で始めた。
「立派な犬ね」
「うん。これから育てて用心棒にするの」
意味がわからなかった。
「ペットが用心棒なの?」
「これから怨霊とか色々食べてもらうの。そうすると賢くなって力が付くの。人型に変身できるようになったら用心棒の完成よ。何かあったときは盾になってもらうの。覚妖怪伝統の知恵ね」
そういいながらこいしは犬の頭をなでていた。やはり笑顔のままだった。
「お姉ちゃんもペットを飼い始めたの。猫でね。わたしは犬の方がいいと思うんだけどな~~」
彼女は顔をこちらに向けた。
「お姉さんも用心棒飼わない?やり方は教えるよ」
「いや。いいわ」
私はしがない小妖怪でそんな用心棒が必要な状況にはならないと思った。
「けど、お姉さん橋姫ですよね。だったらわたしたちの仲間でしょ。あったほうが便利ですよ」
いつもの私ならここでこの子を殴っていたはずだった。今の私はあんな嫉妬にまみれた怪物と同類にされたくなかった。けど、殴らなかった。なぜだろう。
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目の前を古明地さとりが歩いていた。私の方を振り返ることもなく周囲を漂っている怨霊と会話している。どうやら彼女の能力は怨霊にも通用するようだった。怨霊の中には攻撃的な行動をとる危険なものがいる。そういった怨霊はおおむね生者への嫉妬が強い。嫉妬を感じることができる私は危険な怨霊がないか定期的に見回りと確認を行っているわけだが、今回はさとりも同行することになった。そうなった理由は推測できる。私は嫉妬の感情しか測れないが彼女ならあらゆる感情を読み取ることができる。上司たちは汎用性の高いほうがいいのだろう。そう考えると、私は彼女の能力を妬ましく思い始めた。彼女を理解していても嫉妬するのは私が橋姫だからだろうか。それとも、過去のことを無意識に後悔しているのだろうか。
灼熱地獄の区画に足を踏み入れようとしていた。溶岩から放出される熱と光が襲い掛かり用意した手ぬぐいも汗で湿り始めていた。先へ進むごとに光は強くなりそれに伴ってさとりの背中に深い影を落としていた。影を背負ったさとりの周りには怨霊が常に漂っていた。彼女の嫉妬が怨霊を引き寄せているようにも見えた。絶え間なく聞こえる罪人の叫び声を遠くで聞きながら彼女は一瞬だけこちらを振り返った。すぐに前を向いて歩き出したが私に対して話し始めた。いつものようにこちらの心を読みながら、一方的に。
妹に会いましたか。可愛い子でしょ。自慢の妹なんです。親はもう妹ばっかり可愛がって。優しくて頭もよかったんですけど、ここに来るまでの出来事で第三の眼が閉じてしまって。能力も使えなくなったしあの子の心を読むこともできなくなってしまって、不安でした。そんな風に言ってたんですか。確かに私も少々性格が変わってしまいましたね。妹を抱えて必死でしたから。周りにあるもの全てが自分より優れているように見えるんです。心が読めるせいでその人の長所がすぐにわかってしまって。あっという間に羨ましく思うんですよ。なぜ平気かと言われまして……たぶん心が読めるからですね。相手の長所がすぐにわかってしまいますが相手の弱みもすぐに分かるんですよ。こうすれば相手を精神的に追い詰められる、社会的に抹殺できる。相手を羨ましく思いながら、相手の苦しむ姿を考えるんです。ええ、けど楽しいですよ。はい。水橋さんにもします。いいじゃないですか、心から人を愛した思い出があったなんて。羨ましいです。妬ましいって言いたくなるほど。
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これ以降、私が怨霊の調査に行くことはなかった。さとりが上位互換となったのもあるが私が地獄での仕事を辞めたからだ。効率化のため移転することになった新地獄には橋なんて風情のあるものがなかった。私の職場である旧地獄の橋は放棄されることになったので私が働くメリットはなくなった。
地獄が移転したことで地底の町は一変した。住人の姿も様変わりしたし、かつて地獄で働いた人たちが利用した繁華街は旧都と呼ばれるようなった。
さとりはその後も旧地獄に残り続けた。いつしか旧地獄を管理する地霊殿の主となり滅多に人と会わなくなった。
こうして私とさとりの縁は無くなった。少なくとも直接的には。
旧都の有力者がさとりに会いに行くという噂を聞くと、私は面会の日に地霊殿の周囲を歩き回るようにしている。時々、さとりの嫉妬の欠片が見つかるのだ。面会者が地霊殿を離れるときに一緒に外に出てしまうらしい。さとりから切り離されて適度に薄まった彼女の嫉妬はつまみ食いにはちょうどよかった。ただ、地霊殿の周囲を歩いていると視線を感じることがあった。地霊殿の窓からさとりが私をジッと見つめているような、そんな気がするのだ。
ただ人の心を読んで怯えるより嫉妬という攻撃心が芽生えれるからこのさとりさんはタフなやつだと思う
無理にそういう性格になろうとしたかも知れない ならば嫉妬心があると認められることは彼女にとっては勲章なのかも知れない
真実を知りながらも罪悪感や恐怖ではなく怒りがこみ上げるのは中々出来ることではないわ
こいしの表面だけしか感情がないって言うところをパルスィが看破しててやはり心の妖怪なんだなぁと実感
最後のパル子は畏怖か、それとも...
と言うか橋姫が橋捨てちゃダメでしょ(笑)