酉京都の夏は暑い。屋内に入れば、自動空調のおかげであまり感じることはないが、街中を少し歩けばもう汗まみれだ。そんな中をえっちらおっちら歩いてくるのだから、もう少し優しくしてくれてもいいってものだ。
そんなこんなで目的地の真ん前。いつもの、そう、いつもの喫茶店だ。待っているのはいつもの相方で、いつもと同じ言葉を投げかけられるだろう。そう思って独りくつくつと笑いながらノブに手をかけた。
ドアを開ける。ほんのワンテンポ遅れてドアベルが鳴り、店員が駆け寄ってくるが、待ち合わせなので、と言い、入口から既に見えている、あの独特な帽子を頼りに近づいていく。件のその人間は、足音に気が付いたか顔だけ向けて、
「7分の遅刻よ、蓮子」
なんて風にわたしを謗る。やっぱり思ったとおりにいつもの言葉だ。
「約、でしょメリー。正確には7分と42秒」
「何で昼間から時刻が視えるのよ」
「それはほら、友情パワーでごまかしておいて」
「でたらめばっかり言って」
暑い暑い、と言って帽子をはずし、パタパタとあおぐ。水を二つ持ってきたさっきの店員が、ご注文は、と訊ねてきた。どうやらメリーもついさっき来たようだ。言われてメニューを眺めるメリーを尻目に、わたしはコーラフロートを先に頼んだ。うんうん唸っていたメリーも結局いつもと同じアッサムのホットだ。
「知ってるかしら、20世紀の冷房には『エアーコンディショナー』なんて呼ばれる取付け式のデカブツを使っていたらしいわ。しかも方 法は空気自体を冷やすこと。なんて非効率的だったのかしらね」
「へえ、それなら今の冷房はずいぶん進化したものなのね。もっともこのお店は違うけれど。今どきシーリングファンなんてレトロでお洒落じゃない?」
そう言われて天井を見上げる。くるくるくるくると、やつらはしゃにむに回っていた。お勤めご苦労様。
で、視線を戻したらふくれっ面の金髪がわたしを見ていた。
「で、まさかそんなことを言いたくて集合したわけじゃないでしょうね。そうだったら今日は全額蓮子の負担よ」
「まさか。もっともっと心躍るような、とびっきりのネタを聞いたからそれについての話し合いよ」
あおいでいた帽子を隣の腰かけに置いて、鞄の中を探り始める。ちょうど店員が注文していたものを運んできて並べていく。あったあった、ちょっとばかし草臥れちゃってるけど、まぁ仕方ないわよね。
「これよこれ、『落ち武者の出るトンネル』!!何人もの人が、見た、襲われたって言ってるらしいわ」
トンネルが写された写真をメリーに手渡し、前に置かれたコーラフロートを飲む。うん、美味しい。この下品な甘さは夏だからこそよね。
「蓮子、だめよこれ。境界なんてまったく視えないわ。ただのよくある噂なだけね」
「噂こそが、わたしたちの求める怪奇への道標よ。決めたわ、次はここに行くわよ! 予定は追って連絡するから!」
「そんなことだろうと思ったわ、いっつもわたしに見せに来るまでに決まってるんだもの」
ふぅ、とため息をついて紅茶を啜るメリー。こうして見るとまさに西洋人で、紅茶と言う物がよく映えると思う。以前にあったセレブ発言もあながち間違ってないんじゃないかと勘繰ってしまう。
「メリーの方は何なのよ、珍しくそっちも何かあるみたいだったじゃない」
「勿論よ。まぁ……きっと大方蓮子の想像通りね」
それなら、あれに違いない。メリーから切り出すときはいつも『そう』だから。
「夢、の、話よ」
何とはなしに、少しだけ声を落とした。
「と言っても大した内容ではなかったのだけどね。妙に記憶に残ってるから伝えておこうと思って」
「それで、どんな気味の悪いものを見たの?」
「女の子よ、二人――いや、一人と一匹かしら。どちらかはわからないけど」
「何よそれ、ワーウルフだか人魚だかでも見たのかしら?」
「小人よ、小人。とってもちっちゃかったわ。それに、綺麗な着物を身に着けて、針の剣をさしていたわね」
「ちょっと、そんなのまんま一寸法師じゃない。片割れは鬼なんて言うんじゃないでしょうね」
「もしかしたらそうだったのかも、でも強そうではなかったわね。変わった服を着た、そっちは格好いい女の子だったわ。その子のお話よ」
ここまで止まることなく話していたので、口が渇いて仕方がなかった。メリーが紅茶に口をつけたので、慌ててわたしも残っている、バニラアイスの溶けきったコーラフロートを飲み下した。
続けるわね、とメリー。
「その子がね、誰にかは分からないけど、声高に叫んでいたの。『我ら力弱き者達が如何に虐げられていたか、お前達には判るまい! これからは強者が力を失い、弱者がこの世を統べるのだ!』とか、『さあ、弱者が見捨てられない楽園を築くのだ!』とかね。なんだかそれがすごく気になっちゃって、色んな時にふと考えちゃうのよ」
なんだかとても鮮明に想像できてしまった。己の思想をふりまくかっこいい(メリー曰く)鬼もどきと、それはそれは高貴な家柄の一寸法師。大体そういうイデオロギーを表現するやつはしたたかで二枚舌な小悪党といつでもどこでも相場が決まっている。その一寸法師もきっと騙されているに違いない。そもそも敵同士だし。
「それって、この国の社会体系の話?ずいぶん秘封倶楽部らしくないないような気もするけれど」
「大学生らしい、内容でしょ。たまには悪くないじゃない、蓮子はどう思う?」
「うーん、そこいらのことは門外漢だからわかんないけど、資本主義と共産主義ってことでいいのかしら。こんな今どき教科書でしか 見ないような言葉の話はちょっとね」
「そんなに飛躍させなくてもいいの。そうね……何か失敗した人を『自己責任』と掃き捨てるか、『可哀想に』なんて考えてとことん面倒見てあげるか、ってところかしら。その女の子の発言とは意味が違うかもしれないけど」
「前者はもちろんのことダメだと思うけど……後者も変な気がするのよね。失敗したなら、失敗して損するまでが一つの行動だと思うわ。それに、社会経済の中の失敗と日常範囲の失敗とでは意味合いが違ってくるもの、想像もかなり難しいのよ、この話」
ひとまずそこで話を打ち切り、各々言葉を考えた。わたしは残りのすっかり温くなったコーラフロートを飲み干し、メリーもおおよそ紅茶を飲み終わる。
「さっきの冷房の話じゃないけれど、20世紀には大学生がこんな内容をほんとに真剣に考えて討論して、果てにはデモ・襲撃まで した『学生闘争』の時代があったそうよ」
「過激で野蛮ね、昔の人は。さしずめ今は便利な全自動政治機能つき空調ってところかしら?」
「なによそれ」
「とにかく、難しい話はまた今度にして今は目の前のオカルトを追跡するわよ。メリーも家で準備しておいてちょうだいね」
「もう、そんな無理やり話を終わらしても、全然締まらないわよ」
「あはは、ばれた? でも答えも見つからなさそうだし、仕方ないじゃない」
二人同時に席を立って、会計をする。ちゃんと自分の頼んだ分だけ、それぞれが支払う。
「お金に困る弱者なわたしを、メリーが助けてくれてもいいんだけどね」
「馬鹿行ってないで、ほら、行くわよ」
帽子を被り、鞄を肩に掛けて、ドアを引く。ほんのワンテンポ遅れてドアベルが鳴り、店を後にした。
そんなこんなで目的地の真ん前。いつもの、そう、いつもの喫茶店だ。待っているのはいつもの相方で、いつもと同じ言葉を投げかけられるだろう。そう思って独りくつくつと笑いながらノブに手をかけた。
ドアを開ける。ほんのワンテンポ遅れてドアベルが鳴り、店員が駆け寄ってくるが、待ち合わせなので、と言い、入口から既に見えている、あの独特な帽子を頼りに近づいていく。件のその人間は、足音に気が付いたか顔だけ向けて、
「7分の遅刻よ、蓮子」
なんて風にわたしを謗る。やっぱり思ったとおりにいつもの言葉だ。
「約、でしょメリー。正確には7分と42秒」
「何で昼間から時刻が視えるのよ」
「それはほら、友情パワーでごまかしておいて」
「でたらめばっかり言って」
暑い暑い、と言って帽子をはずし、パタパタとあおぐ。水を二つ持ってきたさっきの店員が、ご注文は、と訊ねてきた。どうやらメリーもついさっき来たようだ。言われてメニューを眺めるメリーを尻目に、わたしはコーラフロートを先に頼んだ。うんうん唸っていたメリーも結局いつもと同じアッサムのホットだ。
「知ってるかしら、20世紀の冷房には『エアーコンディショナー』なんて呼ばれる取付け式のデカブツを使っていたらしいわ。しかも方 法は空気自体を冷やすこと。なんて非効率的だったのかしらね」
「へえ、それなら今の冷房はずいぶん進化したものなのね。もっともこのお店は違うけれど。今どきシーリングファンなんてレトロでお洒落じゃない?」
そう言われて天井を見上げる。くるくるくるくると、やつらはしゃにむに回っていた。お勤めご苦労様。
で、視線を戻したらふくれっ面の金髪がわたしを見ていた。
「で、まさかそんなことを言いたくて集合したわけじゃないでしょうね。そうだったら今日は全額蓮子の負担よ」
「まさか。もっともっと心躍るような、とびっきりのネタを聞いたからそれについての話し合いよ」
あおいでいた帽子を隣の腰かけに置いて、鞄の中を探り始める。ちょうど店員が注文していたものを運んできて並べていく。あったあった、ちょっとばかし草臥れちゃってるけど、まぁ仕方ないわよね。
「これよこれ、『落ち武者の出るトンネル』!!何人もの人が、見た、襲われたって言ってるらしいわ」
トンネルが写された写真をメリーに手渡し、前に置かれたコーラフロートを飲む。うん、美味しい。この下品な甘さは夏だからこそよね。
「蓮子、だめよこれ。境界なんてまったく視えないわ。ただのよくある噂なだけね」
「噂こそが、わたしたちの求める怪奇への道標よ。決めたわ、次はここに行くわよ! 予定は追って連絡するから!」
「そんなことだろうと思ったわ、いっつもわたしに見せに来るまでに決まってるんだもの」
ふぅ、とため息をついて紅茶を啜るメリー。こうして見るとまさに西洋人で、紅茶と言う物がよく映えると思う。以前にあったセレブ発言もあながち間違ってないんじゃないかと勘繰ってしまう。
「メリーの方は何なのよ、珍しくそっちも何かあるみたいだったじゃない」
「勿論よ。まぁ……きっと大方蓮子の想像通りね」
それなら、あれに違いない。メリーから切り出すときはいつも『そう』だから。
「夢、の、話よ」
何とはなしに、少しだけ声を落とした。
「と言っても大した内容ではなかったのだけどね。妙に記憶に残ってるから伝えておこうと思って」
「それで、どんな気味の悪いものを見たの?」
「女の子よ、二人――いや、一人と一匹かしら。どちらかはわからないけど」
「何よそれ、ワーウルフだか人魚だかでも見たのかしら?」
「小人よ、小人。とってもちっちゃかったわ。それに、綺麗な着物を身に着けて、針の剣をさしていたわね」
「ちょっと、そんなのまんま一寸法師じゃない。片割れは鬼なんて言うんじゃないでしょうね」
「もしかしたらそうだったのかも、でも強そうではなかったわね。変わった服を着た、そっちは格好いい女の子だったわ。その子のお話よ」
ここまで止まることなく話していたので、口が渇いて仕方がなかった。メリーが紅茶に口をつけたので、慌ててわたしも残っている、バニラアイスの溶けきったコーラフロートを飲み下した。
続けるわね、とメリー。
「その子がね、誰にかは分からないけど、声高に叫んでいたの。『我ら力弱き者達が如何に虐げられていたか、お前達には判るまい! これからは強者が力を失い、弱者がこの世を統べるのだ!』とか、『さあ、弱者が見捨てられない楽園を築くのだ!』とかね。なんだかそれがすごく気になっちゃって、色んな時にふと考えちゃうのよ」
なんだかとても鮮明に想像できてしまった。己の思想をふりまくかっこいい(メリー曰く)鬼もどきと、それはそれは高貴な家柄の一寸法師。大体そういうイデオロギーを表現するやつはしたたかで二枚舌な小悪党といつでもどこでも相場が決まっている。その一寸法師もきっと騙されているに違いない。そもそも敵同士だし。
「それって、この国の社会体系の話?ずいぶん秘封倶楽部らしくないないような気もするけれど」
「大学生らしい、内容でしょ。たまには悪くないじゃない、蓮子はどう思う?」
「うーん、そこいらのことは門外漢だからわかんないけど、資本主義と共産主義ってことでいいのかしら。こんな今どき教科書でしか 見ないような言葉の話はちょっとね」
「そんなに飛躍させなくてもいいの。そうね……何か失敗した人を『自己責任』と掃き捨てるか、『可哀想に』なんて考えてとことん面倒見てあげるか、ってところかしら。その女の子の発言とは意味が違うかもしれないけど」
「前者はもちろんのことダメだと思うけど……後者も変な気がするのよね。失敗したなら、失敗して損するまでが一つの行動だと思うわ。それに、社会経済の中の失敗と日常範囲の失敗とでは意味合いが違ってくるもの、想像もかなり難しいのよ、この話」
ひとまずそこで話を打ち切り、各々言葉を考えた。わたしは残りのすっかり温くなったコーラフロートを飲み干し、メリーもおおよそ紅茶を飲み終わる。
「さっきの冷房の話じゃないけれど、20世紀には大学生がこんな内容をほんとに真剣に考えて討論して、果てにはデモ・襲撃まで した『学生闘争』の時代があったそうよ」
「過激で野蛮ね、昔の人は。さしずめ今は便利な全自動政治機能つき空調ってところかしら?」
「なによそれ」
「とにかく、難しい話はまた今度にして今は目の前のオカルトを追跡するわよ。メリーも家で準備しておいてちょうだいね」
「もう、そんな無理やり話を終わらしても、全然締まらないわよ」
「あはは、ばれた? でも答えも見つからなさそうだし、仕方ないじゃない」
二人同時に席を立って、会計をする。ちゃんと自分の頼んだ分だけ、それぞれが支払う。
「お金に困る弱者なわたしを、メリーが助けてくれてもいいんだけどね」
「馬鹿行ってないで、ほら、行くわよ」
帽子を被り、鞄を肩に掛けて、ドアを引く。ほんのワンテンポ遅れてドアベルが鳴り、店を後にした。
そうすれば何が悪かったのかは自ずと分かると思います。
何か評価するとすれば、前よりも若干読みやすくなってる事でしょうか。
秘封倶楽部長編のプロローグに当たるお話のようで、彼女たちのこれからの冒険譚が期待できそうな感じがしました。
中身は少ないが有るとは思うが、確かに存在に意味はあるのだろうか?