ある夏の話である。
姐さんの目を盗んで博麗神社の宴会に参加していたときの話である。
宴会自体は花見だとかそれ特別なものではなく、要するにただノリと勢いとその場にいた面子を適当に集めただけの会である。
こういう宴会に一輪が参加することはあまり多くはない。というのも一輪は命蓮寺の僧たちの中でもっとも里人からの信頼が厚いもので、これを一輪は己の服装によるものであろうと推測しているのだが(他の面子の服装を思い出してみればよかろう)、今更着慣れた僧服を脱ぐ気にはなれぬようである。
だもので一輪はあまりおおやけに酒をかっ喰らうことができぬのである。酒が嫌いなわけではないというか寧ろ大好きなのであるが。
その日はたまたまやんごとなき巫女たちと里中でご対面し、やんやかやのすえに荷物持ちとして里で購入した酒樽や酒瓶を神社まで運搬することで、食事代ロハで神社の宴会に参加したのである。
武勇伝、服装、化粧に体重、料理に天候三寒四温。
魔理沙や早苗、咲夜や霊夢といった若い娘たちのキャラキャラした会話に一輪はあまりついていけないのである。
なにせ敬虔な仏教徒である一輪の衣食住は戒律により制限されており、さらに四季折々の暑さ寒さは妖怪の身にはさしたる影響はないのであるし、ついでに言えば妖怪なので肌荒れや体重の増減とは永久に御然らば。若干痩せ気味のつやつや肌が一輪なのである。
一輪がちびちびと一升瓶を傾けている傍らで話題は河の流れのように移ろい行き、気付けば人間たちは以前の付喪神異変についての花を咲かせていた。
正直これも一輪にとっては話まで咲かせるに難い種である。
何せ一輪の戦輪はあの異変の時も実におとなしゅうて忠実であり、道具に反乱を起こされるなど普段の使いかたに問題があったに違いないと一輪は考えているのである。
そして一輪は自分が交戦的かつ頑固なこと、感情が顔からよく零れてしまうことをよく知っているのである。
黙したまま耳だけを少女たちのほうに傾けていると――ああこの酒は美味い――人里でもこの異変には難儀していた旨の発言が伺えた。
一輪は頷く。一輪も過去この異変に際し、供養やら魂抜きを里人から依頼されること数多であった。
そのときは黒幕がいて、道具たちに力を与えていたなどとは知りもしない頃の話である。
付喪神とて妖怪。立場の弱い妖怪をも平等に扱うこそが命蓮寺。
「拙僧未だ修行不足ゆえ」などとあれこれ理由をつけて断るのが大変であったのは記憶に新しい。
そうして供養されないまま大人しくなった道具たちを――やはり気味が悪いのだろう。里人は持て余しているようであり、そんなお悩みを解決する必要があるのではないでしょうか! そう早苗が息巻いているのが、一輪にはなんとなく微笑ましいようである。よきかなよきかな、頑張ることである。
へぇじゃあ具体的にはどうするの? あーでもないこーでもないとの纏らぬ酒の席の話に、はて珍しくバッカスでも舞い降りたか? 意外にも今回は一つの案が浮上した。
「古物市」である。
要するに不要なものは手放してしまえばいいのである。
いらぬ物を持っていて、しかも使わずにしまいこんでいたからの後ろめたさが里人達にもあるに違いない、というのが咲夜の言であった。
一輪は頷いた。胸を張って生きている人間は不安には怯えぬもの。悪くない案であるように思える。
問題となるのは、では誰がこれを主催するかということで、ここで三人ほどの瞳に炎が灯った。
里人たちの安心の為に、市へ出品する道具たちへ事前に魂抜きの神事法事。市の後に余り物は祈祷の末に廃棄。信仰獲得のチャンス。金銭も動く。
ならば宗教戦争の始まりである。
ああ、里人は誰を愛したもう。伝統の巫女か。霊験あらたかな仏門の徒か、はたまたおっぱいゲフンゲフン元気いっぱい新進気鋭の諏訪の風祝か。
呆れ顔のまりさくやを他所に三者自推罵倒弾幕格闘戦三本勝負は、大量飲酒後(早苗は僅かしか呑んでいないのだが)のアクロバティック飛行(+拳)がもたらしたリバースで勝者なしと相成った。ひどい話である。これの途中経過を一輪はまったく覚えていないようである。
ひどい話である。
結論から言えば、軍配は博麗神社に上がった。
今回の出品者、すなわち参加者は里人なのだから里人に決めてもらえばよかろう、との魔理沙の言に従って訪れた人里。
権力者御阿礼をさくりと巻き込み(まぁ、もともと悪い話ではないので)、役場にて有識者会談を開いた結果、まず最初に守矢神社が全会一致で脱落したのである。
原因はただ一つ。未だ架空索道も完成していない妖怪の山を里人は訪れる事はできぬ。
立ちはだかる天狗の縄張り意識を前に早苗はぐぬぬ、くやしいのう、くやしいのうと繰り返していたがこればっかりは如何ともしがたいものである。
さあ、残る命蓮寺と博麗神社。立地条件からして命蓮寺有利! との予想は見事に裏切られた。納得のいかない話である。
なぜウチではないのか? 猛る心を抑えそう問うてみた一輪に返された論はこのようなものであった。
曰く「妖怪が暴れた場合、命蓮寺はまず説得しようとして駄目だったら殴る。だが博麗神社は殴ってから話を聞く。どっちが里人にとって安全かは問うまでもない」と。
一輪は深く深く頷いた。
「なるほど、それなら仕方がない」
かくて博麗神社境内で開かれた古物市はそれなりに盛況であった。
問題となる神社までの道中。それを命蓮寺の面々がボランティアで手分けして見張りに当たる事で、里人の安全を確保したからである。
「人々の不安を取り除くに協力しない理由がありましょうか?」。ああ、姐さんはやはり姐さんである。
その言葉、慈愛に満ちた立ち居振る舞いは後光を背負っているかのように美しく(実際その後光はレーザーを吐き出して実に美しい)、一輪としてはやはり私はこの人を守らねばならぬと魂をなお熱くするものである。
これに加えて一輪の悪友布都の伝手で神霊廟も護衛に加えた結果の、その盛況振りである。喜ぶべきであろう。
結局これ博麗神社じゃなくて命蓮寺が里人の安全を確保したことになるのではないか? とも思うところであるが、深く考えてもいいことはない。喜ぶべきであろう。
午後からは博麗神社主催ということもあり、河童なども道具を出品しに来たとあって古物市は更なる賑わいを見せた。
と、いうよりもこれを狙って里人は博麗神社を選んだのではないか。一輪はそう思うのである。
人里の更に先を行った技術で作られた河童の道具は里人にも好評。境内は今や押しも押されぬ押し競饅頭である。
普段の閑散振りとはうって変わって賑う神社の境内。これは霊夢もご機嫌に違いあるまいと周囲を見回した先の博麗の巫女は実に不機嫌そうであった。
近づいた一輪が不満の理由を尋ねてみたところ、霊夢は本殿を指差して一言、こう言った。「誰も御賽銭を入れてかない」。
一輪は頷いた。
「なるほど」
さらに話を聞きつけた夜雀やらが屋台を出展したり等もあって、主催者たる霊夢を一人さしおいた財の流動は八つ時には隆盛を極め、その後緩やかに収束を始めていった。
夜は妖怪の時間。早めに撤収こそがいらぬ被害を避ける幻想郷人類の基本である。潮が引くように里人は荷物をまとめござを畳み、帰路へと人の河を成す。
力自慢を買われ後片付けに借り出されていた一輪は、日が沈む頃にようやく一息つくことができたのである。
祭りの後の静寂。
既に命蓮寺や神霊廟、霊夢の知人といった面々も己が棲み家へと戻っていった。
何事もなかったかのようにもとどおりの神社ではあるが、手水舎の横に小山を成す廃棄品の数々が、今日という日が間違いなく在った事を印象付けてくる。
「お疲れさま」と横から声をかけられ、振り向いた一輪は相好を崩した。博麗霊夢の手には徳利と、二つのお猪口である。一輪は酒を愛するのである。
この酒は? と一輪が問うてみると、なにやら夜雀から最後に色々と差し入れがあったらしく、なるほど妖怪には愛される巫女なのだなぁと一輪は頷くのである。
襲い、退治されるが人と妖怪の対話。なればこそ正面から妖怪と殴りあうこの暴力巫女は妖怪に愛される。
妖怪と拳で語り合う日々。かつて己もそうであったと、そんな過去を思い出す一輪の心に、酒がしみじみと沁みていく。
ああ懐かしき日々よ、そう湿ってくれるなよ。今の生活もまぁ、悪くはないはずである。一輪はそう思う。
手水舎脇の品々はどうするのか、と心を現在に戻した一輪が問うてみると、お払いをした上で再度里に返すとの事。
資源に乏しい人里は高度資源循環社会である。硝子、金属、紙、木工品から排泄物に至るまでその全てが資源である。
ふむと頷いてそれらを眺めやった一輪の眼に、ふとあるものが留まる。
丁寧な紙細工が施された、しかし一面がひしゃげた化粧箱。はてこれはどこのなにぞと歩み寄り、手水舎にお猪口を置いて手にとって開けば、中から出てきたのは美しい硝子製の風鈴である。
何故捨てられてしまったのかと、いぶかしんで中身を手に取った一輪はああと納得した。
薄く、淡い色彩で彩られた風鈴の丸い鐘部分には、ビシリと一筋のヒビが走っている。
薄い硝子製のそれである。吊るしておいて中の舌が激しく縁を叩けば、それだけで割れてしまう可能性もあるだろう。捨てられてしまっても仕方がない。
だが、と一輪は小さな悲しみに囚われる。
この指紋一つない――箱の具合から見て、外圧によって箱内でヒビ割れたのだろう。箱から取り出された形跡のなかったこの風鈴が、ただの一度も涼やかな音色を奏でぬまま廃棄されてしまうのは哀れではないか。
せめて一度くらいは役目を果してから、眠りにつかせてあげるべきではないか。一輪にはそう思えたのである。
これを貰っていってもかまわないか、とそう霊夢に尋ねてみると「神社に吊るさなければ好きにしていいわよ」とのこと。
いつ割れるかもわからないものを境内に吊るしておいて、万が一破片が神社に散らばったら危ないと、そういうことのようである。
酒の入っている今のこと。手違いで粉砕してしまっても確かに危ない。丁寧にそれを箱に戻して懐にしまい、とりあえず一輪は今日は酒を楽しむのである。
翌日、命蓮寺の片隅、己の寝所の傍の縁側に一輪は風鈴を吊り下げてみた。
あまり強い隙間風が差し込まぬ場所を探したので、風鈴は時おり思い出したように小音を奏でるのみ。あまり涼しげという印象はない。
しかしそれでも、ヒビが入っているとはいえ風鈴は風鈴である。チリンチリンという軽やかな音は、一輪の耳に心地良いようである。
そういえば友人には「りんちゃん」なんて呼ばれていたな、なんて過去の思い出に身をゆだねながら風の歌を聴くのは、一輪にとって悪くないものであるようだ。
だが、そう思っていたのは僅かに一輪ばかり。
翌々日、一輪の前には苦情が殺到していた。無論、里人ではなく同胞たる命蓮寺住人たちからである。
そもそも鈴、風鈴というものは過去、魔除けの道具として軒先に吊るされることが多かった品である。
今でこそ暑気払いの道具でしかないが、それでも元々からして「払う」道具なのである。
そして命蓮寺には、そういった古臭い謂れを苦手とする古臭い妖怪が生息しているわけである。
マミゾウ、ぬえ、ムラサといった面々に詰め寄られてしかし、一輪はとりあえずの説得を試みた。
そう長い期間ではない。ただ少しだけ、ほんの少しだけでいいからこの子を風鈴でいさせてやってはくれないか。
そう一輪が頭を下げると、不承不承ではあるものの三者は譲歩してくれた。
「一週間ばかりだからね」とムラサは踵を返した。
「まあ、私はそんなのに払われるような弱者じゃないし?」とぬえは翼を蠢かせた。
「好きにしたらええ。じゃがなぁ」マミゾウは巨大な尻尾で板張りの廊下を撫でた。
「お主のその行い、弱った身体に針を射され、無理矢理栄養を流し込まれて生かされていた外界の病人を思い出すのじゃよ」
その晩、一輪は眠れなかった。
善き行いのつもりであった。だが、マミゾウの言葉は否定しがたいほどに一輪の心に深く突き刺さったのである。
他に見るべき点が多々あるというに、たった一つだけの瑕疵によって封ぜられ、捨てられてしまった風鈴。それに一輪は同情していた。
だがもう風鈴として用を成せない、いつ割れるかもわからぬそれを自然の風にさらすことが、本当に風鈴のためなのであろうか?
自分は弱った身体に鞭を打ち、さあ鳴いてみせろと脅してかかる地獄の看守に等しいのではないだろうか?
一輪は思う。
雲居一輪は僧侶である前に戦士である。だからたとえ病魔に蝕まれ力尽き戦輪砕け、相棒を失おうとも姐さんと同胞を守るために戦う覚悟が一輪にはある。
僧侶である前に、戦士として死にたい。それが雲居一輪である。最後まで戦士でありたいと、一輪はそう願う。
だがそんな生き方を他人に求めるのは筋違いというものである。それを強要するのは封建社会における忌まわしき悪習の残り香とそしられても仕方が無い。
ならば、やはり一輪が間違っているのだろうか?
一輪には風鈴の心はわからぬ。
一輪のように思っているかもしれないし、マミゾウのように思っているかもしれぬ。
いや、マミゾウだって本当は破邪の音色が耳障りだったから一輪にそう言っただけなのかもしれぬ。マミゾウは化かし、欺く狸なのであるのだから。
だからマミゾウにそう聞かされた後、一輪は人間たちに話を聞いて回っていた。刹那を生きる人間たちの意見を聞いてみたかったのである。
「使わないものは処分すべきよ。そうしないからゴミで家が埋まるんだわ」。博麗神社社務所の縁側にて、右隣を揶揄しながら境界の巫女はそう言った。
「大事に取っとけよ。作者が高名になれば後で高値で売れるかもしれんぜ」。博麗神社社務所の縁側にて、左隣を揶揄しながら蒐集家はそう言った。
「処分して、次を購入なさいな。破損品を飾るは品格を疑われるし、何より流動こそが社会を廻す原動力よ」。紅い悪魔の館にて、完璧で瀟洒な従者はそう言った。
「在る意味がない、使えないからもう要らない、って。分かるけど、でも、やっぱり自分勝手ですよ」。外界に捨てられた神の巫女はそう言った。
わからない。
一輪には正解がわからない。どの意見も正しく、そしてどこか配慮に欠けているように思える。
もし一輪が覚りを開けたならば、迷いもなく正しきを選び取ることができるのだろうか? それはどのような世界なのだろう?
ぶれることなく唯一の選択肢を選び取れるという思考は本当は「ただ己だけに従い、周囲からのあらゆる声を遮断してしまっているだけなのではないか?」。
チリンチリン、と頭まで布団を被った一輪の耳に、か弱い鈴の声が届いている。だが風鈴が何を訴えているのかは一輪にはわからぬ。
一輪には風鈴の心はわからないのだ。一輪は風鈴ではないのだから。
風鈴を想って、一輪は布団の中で嗚咽した。己ではない他者を理解することは、こんなにも難しくて、そして苦しい。
数日後、風鈴をそっと軒先から取り外した一輪は、それを硝子細工屋へと持っていった。
一輪は思うのである。
一輪はかつて人であった。だが人のままでは成せぬ想いがあったから、一輪は人でなくなった。それでよかったと一輪は思っている。
もし一輪が脆弱な人のまま地底に落とされていたら、一輪はムラサたちに庇護されるだけの存在であっただろう。大事に大事に守られるだけの存在であっただろう。それは苦しみに満ちた生であろう。
あくまで、一輪にとっては、であるが。
一輪から風鈴を二束三文で買い取った里の細工師は金槌を振りかぶると、一輪の目の前でそれを粉々に打ち砕いた。
元の形ももう分からぬ無数の破片と成った風鈴はやがて溶かされ、そして次なる硝子細工の材料となる。
そうやって一輪の風鈴は今の生に終わりを告げ、輪廻の環に再び身を投じることとなったのである。
以上が、姐さんの目を盗んだ一輪が博麗神社の宴会に参加したときの話である。
なんら特別な点もない、どこにでもある初夏の日の話であった。
>博麗神社は殴ってから話を聞く
これにはワロタw
風鈴を通して、一輪の真面目さやたどってきた人生が感じられました。
用途や美術品、景観や愛着といったそれぞれの観点で返答する人間たちも合わせてキャラ付けが素晴らしかったです。
今後の公式の一輪さんは子供キャラ確定で少し寂しい(だがそれもいい)
これは良いものを読ませていただきました
風鈴のよう
緩めるところは分かっているがすごく真面目で、本当に優しい一輪さん。惚れちゃいそうなぐらい素敵ですね
後書きも素敵です
誰の話を糧としてどのような気持ちで決断したのはわかりませんが、最終的には自分で決めた事ですからね
そういう意味でも一輪は、答えが分からずとも、納得だけでも得られていたら良いですね
しかしこの一輪が千年聖の復活を待てたのでしょうかww
こんな小さなことに悩んだり迷ったりしてるなら裏切らせたりするのもやりやすそう
でも小さなことに悩むことで大きなことには大胆不敵で無神経になれるのかも知れません
仏教的には悩んだり迷ったりすることは悪らしいしあまり知らないけど
なんてこと無い日々の移ろいの中で、こんなふうに想う気持ちを失っていることに気づきました。
ラストスペルは彩光楽舞の『暗黒能楽――心綺楼――』を思い出しました。
過去作品行ってきます
正義の味方が、強大な悪に立ち向かう。
可憐な少女が、甘くせつない恋をする。
紅魔館の主が、いつも通りの目に遭う。……ん?
そんな、いわゆる「王道的」な話も、もちろん良いものですが、
たまには、読んだあと心が右往左往するような、そんな話を読みたくなる、
誰しも、そんなことがあるはず。
そんな時には、この話をすすめよう。
そう思った真夏のよるです。
思い悩む一輪というのもいいですね
一輪の誇るものが見えて面白かったです。