大学生になって、私の人間関係は劇的に変わった。
それが好ましい方向に向けての変化だったのか私にはわからない、そもそも人との付き合いは全く無いと言ってもいいほどで友人など全く居なかったし、そんな私の価値観を基準にして正否を問うても意味など無いだろう。
だから結論は一つ、私が現状を善しとしているのだから善しとしよう。
メリーと出会い、いつの間にかルームシェアまでするようになって早一年、まさか私が赤の他人と一緒に暮らすことになるなんて当時の私に言っても信じてはくれないだろう。
人生なにが起こるかわからないものだ、私がメリーと同居出来るんだから、世界が明日崩壊したって驚きはしない。
高校卒業からまだ一年と少ししか経っていないと言うのに、高校までの知り合いで名前を覚えているのはたったの一人だけだ。
根本的に人間に興味が湧かなかったのだから仕方無い。
メリーと秘封倶楽部を結成するより以前からオカルトに傾倒していた私には、人間に向ける好奇心のリソースなどこれっぽっちも残っていなかったのだ。
だからこそだ、そんな私が誰かと部屋を共にするなんて、私自身にとってもそうだし、唯一連絡を取り合っていた友人にとっても驚くべき出来事だったはず。
そんな私達の会話がメリーの話題ばかりになるのも仕方のないことだろう。
「蓮子はぱっと見では変わんないね」
「まだ一年とちょっとしか経ってないしね、そう簡単に変わるほどやわな性格してないって」
「つまり、そんな蓮子と同棲するって言い出したメリーさんって子が変わってるのね」
私もそう思う、私なんかと同居なんてメリーは本当に変わり者だ。
人間に興味が無い、そんなことをはっきりと言い切れる私が自分からルームシェアを持ちかけるわけがなく、言い出したのは言うまでもなくメリーの方からだった。
そう、あくまでこれはルームシェアである。同棲なんていかがわしい名称で呼ぶのはやめて欲しい。
「同棲じゃないっての、ルームシェアって言ってるでしょ」
「ラブラブ同棲よね」
「る、う、む、しぇ、あ!」
私がどう力説した所で、この友人は私をからかうことを止めはしない。
彼女はメリーのことを変人と呼んだが、私みたいなのに付き合う彼女もよっぽどの変人である。
なんたって、堂々と人間に興味はないと言い放ち、クラスメイトをドン引きさせたこの私の友人なのだから。
おかげで私の中学、高校生活は散々なものだった。
彼女に振り回されたと言うか、彼女からしてみれば私が振り回した側なのだろうが。
少なくとも退屈はしなかったが、彼女という存在は私の人生にさまざまな汚点を残していった。
おかげで大学に入っても私は彼女の名前を忘れられない。他のクラスメイトたちの名前を全く忘れてしまっても、にっくきこいつだけは忘れられないのである。
「あの子も海外から来たばっかりで知り合いも居なくて不安だったんじゃないの、そこでたまたま出会ったのが私だったってだけで」
「いや、まずそこよね。蓮子が困ってる外国人に声をかけるって時点から違和感ありすぎるのよ。
困った人を見つけたら無言で通り過ぎるのが蓮子だったはずよ?
中学の頃だってそうだったわ、私が困っているのに助けるどころか鼻で笑って通りすぎて行ったわよね」
「あれはあんたが変なことしてたからでしょ、見知らぬ土地で仮装してカメラ弄ってる変人が居たら誰でも笑うって」
本当に懐かしい。
友人とは中学からの付き合いになる、さっきも言った通り彼女には振り回されてばかりで、カメラの件もその一つだ。
何でも修学旅行の記念として動画を撮影していたらしく、私もそれに巻き込まれたというわけだ。
結果的に仮装した変人と私の並んだ奇妙な動画が出来上がり、彼女はそれをあろうことかサイトに投稿してしまった。
記念にするなら投稿する意味など無いはずなのに。
出来るだけ多くの人に見て欲しいからー、なんて脳天気に笑う友人の腹に無言で拳を突き出したことは今でも鮮明に覚えている。
幸い、そんな下らない動画はせいぜい30再生程度しかされなかったようだが。
「あー、懐かしいなあ。そういえば久々にあの動画見たんだけどさ、なんと再生数800まで伸びてたんだよ」
「うえ、もう六年も前の動画だって言うのに何で伸びてるわけ?」
「さあ? どうも海外から見てた人が居たみたいで幾つかコメントが付いてたけど」
あんな動画を好んで見るなんて、海外との価値観の差は私が思ってる以上に大きいようで。
800と言えばそう大した数ではないが、最初の再生数に比べれば驚異的な伸びだ。
私の人生の汚点が800人もの人間に見られたかと思うと頭が痛い。
「本当に懐かしいわ、あの時の蓮子は今以上に冷たくて、根暗で、とっつきにくかったもの。
それが今では立派に人助けまでして……これ本当に蓮子なのかな?」
「何よ、私だってたまには人助けぐらいするって」
「パツキンでパイオツのカイデーチャンネーだったから助けたくせに」
「せめて日本語で話せば?」
要するに金髪で巨乳の美人さんだったから助けたんでしょう、と言いたいらしい。
「メリーって子の実物を見たことがあるわけじゃないけどさ、蓮子が声をかけるってことはよっぽど美人だったんでしょうね」
「だから見た目の問題じゃないんだってば、街で迷ってたメリーが私のことを縋るように見てくるから、仕方なく助けたの」
「見られたの?」
「ええ、私を見つけた途端にぱあっと顔を輝かせてね。
と言ってもあっちから声をかけてくることは無くて、通りすぎようとする私を目をキラキラさせて見つめてくるわけ。
ああ、もう逃げられないなって悟って仕方なく」
「実は古い知り合いだったとか?」
「まさか! 外国人の知り合いなんて居ないってば」
「覚えてないだけだったとか」
「メリーみたいな強烈な見た目をした子を忘れられるわけがないじゃない」
強烈と言うと悪く聞こえるかも知れないが、メリーの場合は良い意味で強烈だった。
友人の言う通り、金髪で巨乳の美人さんという形容が一番しっくり来る見た目ではあったのだが、最初に見た時はモデルか女優か何かだと勘違いしたほどだ。
街を歩くだけで男性はおろか女性の視線すらも釘付けにする、日本人の想像する理想の異邦人像そのものと言ってもいいぐらいだ。
私はかばんから携帯端末を取り出すと、以前旅行に出かけた際にメリーと一緒に撮った写真を表示した。
ちなみに端末の写真フォルダはメリーとの写真でほとんど埋まっている。
「ほら、これがメリー」
「うわお、でらべっぴんさんじゃない」
「だから日本語で喋りなさいって……」
「日本語だっての。いやあ、しかしこれは蓮子が思わず助けちゃう気持ちもわかるなあ、女の私でも”おお”って思うもの、下手したら惚れちゃうかもしれない」
「何度も言うけど、見た目で選んだわけじゃないから」
「本当に? 別にこの見た目なら選んじゃっても誰も責めないわよ、私だってそうするし、私が男だったら即ベッドにご案内しちゃうけどなあ」
実際に私と最初に出会った時も、その前に下心丸出しの男に何度も話しかけられたらしい。
ニホンゴワカリマセンでどうにか誤魔化したらしいが、日本に来たばかりと言いながらメリーは最初から日本語が堪能だった。
何でも、数年前にネットで見た京都の光景が忘れられず、ずっと勉強してからだとか。
「しかし……この写真、ずいぶんと仲良さそうね。頬くっつけて抱き合ってさ、やけに蓮子も嬉しそうだし」
「日本とは文化が違うのよ、スキンシップが過剰と言うか。私も悪い気はしないけどね」
「ああ、そういうの聞いたことあるわ。挨拶は抱き合ってキスが基本なのよね」
「そう、それ! 最初にされた時はびっくりしたんだから」
「あはははっ、違う文化圏の人と一緒に暮らすのは大変でしょうね
でも、あんな眉目秀麗な女性にキスなんてされたんじゃ、世の男どもは勘違いすると思うわよ、そのへん大丈夫なの?」
「初対面の相手にはハグもキスも止めた方がいいって注意しておいたからもう大丈夫」
そう言っても私に対してはやめてくれる様子はない。
今ではずいぶん慣れ……いや、未だ慣れない部分は多くあるが、おはようのキスやいってらっしゃいのキス、おかえりのキスにおやすみのキス、少なくとも計四回のキスが毎日繰り返されている、もうファーストキスなんてどうでもよくなってしまった。
少女漫画に憧れるほどロマンチストではないが、何となくファーストキスぐらいは大切にしておきたいと思っていたのだ。
それがほぼ初対面の美少女に奪われてしまうのだから世の中何が起こるかわからない。
まさにカルチャーショックというやつだ。
抱き合う度にメリーの豊満な胸が押し付けられて変な気分になるし、唇を離すとしばらくの間メリーはぽーっとした顔をしていてやけに色っぽいし、初対面の男性相手にもこんなことをしているのかと思うと気が気でない。
しばしメリー談義に花を咲かせていると、店員が注文しておいたコーヒーを持ってきた。
友人はオーソドックスなブラックコーヒー、私はカフェラテに少々多めのシロップを入れて。
「あーあ、経済格差を感じるわ」
「ただのカフェラテじゃない」
「ただのぉ!? ”プレミアム”が抜けてるわよ、倍近く値段差があるわ!」
「三百円程度の違いでいちいち噛み付かないの」
「苦学生のくせに贅沢しちゃってまあ、どうせたんまり仕送りしてもらってるんでしょう? この親の脛かじりガールめ」
「無いわけじゃないけど、あんたとそんなに変わらないんじゃないかな。
二人で暮らしてるから色々と生活費が浮いてね、おかげでずいぶん余裕が出来たの」
「あー、そういうこと。いいなあ、私も金髪巨乳の美少女とルームシェアしたいなー」
「そう良いもんじゃなって、さっきも言った通り色々文化が違うし」
挨拶に限った話ではない、メリーを基準に考えて良いものか判断しかねるが、彼女が言うのだからおそらくそれがメリーの国のスタンダードなのだろう。
こう、色々と奔放すぎるのだ。あけすけというか、容赦がないというか。
「前提として、何故かメリーが私のことをやけに気に入ってるってことがあるんだけど、それにしたって過激なのよね、あの子」
「例えば?」
「家では基本全裸」
「ぶっ……いやいや、待ってよ、確かに家で全裸で過ごしてる人が居るって話は聞いたことあるけど、あれって一人暮らしの話じゃないの!?」
「同居をはじめてすぐにね、おもむろに服を脱ぎだしたのよ。私もびっくりしたしさすがに怒ったけどね。
そしたら……」
「なんて言ったの?」
「私、外国から来たばっかりで日本のことよくわからないのって、申し訳無さそうに」
「外国人怖っ!?」
私も友人と全く同じ感想だった。
ここまで違うものなのかと、人が居ても裸を見せるのが平気なのが外国の文化なのかと。
正直言って今でも怖い、まだ私の知らない恐ろしい異文化があるのではないかと思うと体が震えてくる。
「まあでも最初に蓮子が注意してくれてよかったわね、今はきちんと服も着てるんでしょ?」
「んー、服って言うか、下着かな。妥協して、なんとか下着だけは身につけてくれて」
「ま、まあ全裸よりはマシかな、隠れてる分」
それでも目の毒であることに違いはないが。
「うん、マシと言えばマシなんだけど、たまに黒のガーターベルトとかつけてるんだよね」
「……本当に大丈夫なの、その子? と言うか本当にそれが海外の文化なの?」
「どうなのかな……」
実際に行ったことのある人間がここに一人でも居れば真偽もはっきりしたのかもしれないが、あいにく今までの人生で海外旅行に縁がなかった二人が揃っている。
メリーから微塵も恥じらいを感じない所を見ると、本当に彼女にとってはそれが自然な姿らしいのだが。
まだ見ているだけなら何とか冷静でいられるのだが、メリーはその状態で私を触れ合いたがるから始末におえない。
「あれ、もしかして最初に言ってたハグとかキスって、下着姿のままでやってるの?」
「まあ、ね」
「色々とすごいわね……蓮子の方はちゃんと服を着てるから大丈夫でしょうけど」
「……」
「待ってよ、何で目をそらすわけ?」
思い出すだけでも頭が痛い。
何より現状に慣れてしまっている自分が一番まずいのだと、自分でもよーくわかっているつもりだ。
「メリーが下着を着てくれる条件がね、私が下着姿で暮らすことだったって言うか……」
「えぇ……」
「私も日本の風習を受け入れたんだから、蓮子も私の国の風習を受け入れるべきだって、すごい力説されたんだよね。
それで仕方なく、折衷案として……本当に仕方なくなのよ、しぶしぶ下着で……」
「その状態で、ハグやキスも?」
「それは、そうなるかな」
「もう一度聞くけど、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だと思いたいんだけど」
今では休みの日になると一緒にランジェリーショップに行ってお互いの下着を選んだりもしている。
まずいとは思いながらも、二人で買い物をしてると何だかんだで楽しいし、今のままでもいいかなと思ってしまう自分も居るのは確かだ。
日本でも裸で暮らす人は居るって言うぐらいだし、下着で暮らしているとその人達の気持ちがわからないでもない。何せ身軽だし、楽なのだ。
それでもメリーほど羞恥心を失っているつもりはない、あの子の前以外で下着姿になろうなんて思いもしないし。
「何て言えばいいのか私にはわからないけど……ずいぶんと濃密な大学生活を送ってるのね、蓮子は」
「その濃密って言い方はやめて」
「だって濃密じゃない。
でも、さすがにそれだけよね、他にもあったりしないわよね?」
「そうね、やばいのはそれぐらいかな」
「やばくないのは沢山あるような言い方ね」
「大したことないから話す必要は無いってことよ」
言い出したらキリが無い。
一年が経った今でも毎日が驚きの連続なのだから、一つ一つ話していたら日が暮れてしまうほどだ。
「気になるから、試しに一つか二つぐらい話してよ」
「別にいいけど、本当に大したこと無い話よ?
例えば同じベッドに寝てるとか、お風呂は一緒に入るとか」
常に私にひっつきたがったり、外にでる時は必ず手をつないだりと、挙げれば他にも色々ある。
しかしそのどれもがキスに比べれば可愛い物で、おそらく友人の好奇心を満たすに足るエピソードではないだろう。
「蓮子、あんた……」
しかし私の予想に反して、友人は深刻な顔をしてこう言った。
「毒されてるわよ」
「え?」
想定外の反応に思わず声が出てしまう。
毒されている? 私が? 一体何に?
女の子同士で同衾なんてそう珍しいことではないし、確かに風呂場は狭いけど一緒に入るぐらいどうってことはないはずだ。
多少過ぎていると思う部分はあるが、常識の範囲内と言っても間違いではないはず。
「仮にそのメリーちゃんと私を置き換えて考えてみなさいよ。
私が下着姿であんたの帰りを待って、出迎えるや否やキスしてきたらどう思う?」
「気持ち悪い」
「そりゃそうでしょうよ、私だって気持ち悪いわよ。
それじゃあ一緒にお風呂に入って、下着姿のまま一緒に寝たらどう思う?」
「うわぁ」
「そうよね、そうなるわよね、それが世間一般の常識よ」
「言われてみればそんな気がしてきた……」
本当なら言われずとも理解しておくべきだった。
さすがに私だってキスやハグはおかしいとは思っていたが、外国の文化なら仕方ないと割りきってきた。
「海外の常識にしても、度が過ぎてるわ。
今の話を聞く限りじゃ、蓮子とメリーちゃんははまるで……」
最初にそれに慣らされたからか、後から提案された入浴も同衾も抵抗なく受け入れることができてしまったのだ。
冷静に考えればおかしい、スキンシップ過剰と言ってもやり過ぎだ、これではまるで――
「恋人みたいじゃない?」
ああ、そうだ、恋人のようだ。
恋人だったらしっくり来る、友人だったら不自然になる、ただそれだけのこと。
じゃあそれを受け入れていた私はメリーのことを恋人として認識していたかと言うと……ノーだ、そんなわけがない。
かけがえのない友人であることは間違いない、秘封倶楽部の大事なメンバーでもある。
しかしそのどれもが、恋とは直結しない。
まあ、私は確かにメリーに対して過保護な面はある。
あれだけの美人が大学を歩いていて男どもが黙っているわけがない、メリーを放っておけばすぐに声をかけられるし、時には私が一緒に居ても声をかけられることがある。
最初のうちは「日本語分かりません」で押し通すこともできたが、今やメリーはキャンパスの有名人、彼女が日本語ペラペラであることは誰もが知っている。
だから、私が守るしかない。
メリーは時折、ふざけて私のことをナイトと呼ぶことがあるけれど、そんな大仰なものになったつもりはなかった。
私はただ友人としてメリーを守りたいと、そう思っただけで――
「どうしたのよ、世界の終わりみたいな顔をして」
待ってよ。
守りたい? この私が?
本気でそう思ってる?
「私、出来る限りメリーが喜んでくれればいいと思って、だから多少違和感があってもメリーの提案を受け入れてたんだけど」
「いいことじゃない、美しい友情ね」
「メリーを守りたいと思ってさ、そのために近づく男たちを追い払ってきたし」
「前から言ってたわね、男が寄ってきて大変だって。
もしかして嫉妬だったりして?」
「嫉妬なんかじゃないの、ただ純粋に守りたいと思って。
でもそれって……変じゃない?」
「普通のことよ、あんな可愛い子だったら守りたいと思う気持ちもわかるわ」
「それは普通の人だったらそうだろうけど、でも”私”よ?」
今まで、メリーと出会うまで一度だって自分から誰かに興味をもったことは無かった。
オカルトばかりに向いていた興味が初めて人間に向けられた、それがメリーだったのだ。
この友人の場合は私が突き放しても付きまとってきたのだから話は別、腐れ縁とでも呼ぶべきだろう。
だがメリーは違う。
私から近づいて、私が自分の意思で守りたいと思った。思うことが出来た。
「高校のクラスメイト、誰一人として名前を覚えてないの。
それどころか教師の名前だって、あんた以外の名前は一切覚えてないわ、もちろん連絡先も知らない」
「筋金入りの人間嫌いね、今のポジションに落ち着いてる自分を褒めたいわ」
「ええ、そうね。今思えば私はずっと昔から人間嫌いだったのかもしれない、自分でも驚くぐらい他人に興味が無かったから。
だから、そんな私がメリーのことをこんなに守りたいと思うのは、とても奇妙なことなんじゃないかって」
理由はわからない。
最初からそう思っていたわけではなかったのだ、初めてメリーと会った時に本当なら無視して通りすぎようとしていたのだから。
それがメリーの懇願に負けて声をかけて、道に迷ったメリーを案内することになって、行き先は私の通う予定の大学だった。
そう、その時に私とメリーが同じ大学通うことを初めて知ったのだ。
”私にしては珍しく”メリーと会話は盛り上がり、道案内だけに留まらず一緒に食事に行くことになり、連絡先も交換した。
それから頻繁に遊ぶようになって、メリーが秘封倶楽部のメンバーになって、こんなにしょっちゅう遊ぶならいっそ一緒に暮らしたらどうかってメリーに誘われて……ああ、そうだ、この時点ですでに私はこの奇妙な感情を抱いていた。
だって、以前の私ならルームシェアなんて絶対に受け入れなかっただろうから。
私自身は嫌だと思った、一人がいいと考えた。なのに私は迷わずに首を縦に振った、メリーに喜んで欲しいという気持ちが勝ったから。
いつからだろう、何故なのだろう。
目の前の友人との間にある感情が友情と呼ばれる物なのだとしたら、私とメリーの間にある感情は友情ではない。
だったらこの奇妙な感情を、人は何と呼ぶのだろう。
「蓮子さんや」
「何?」
「その奇妙な物は、もしかすると愛ってやつじゃいなかな?」
「何言ってるんだか、私がメリーに恋なんてするわけないじゃない、第一女同士だし」
「いや、それは恋でしょう? 私が言ってるのは愛よ、家族愛だったり姉妹愛だったり友愛だったりする、うまく言葉じゃ説明出来ないやつ」
「愛って……」
まず愛の定義が定かではない。
友人が言葉では説明できないと言ったように、恋ほど明確な自覚があるものであはない。
「全てを受け入れる大いなる愛! なんて言うと胡散臭く聞こえるけどさ、要するにそういうことじゃない。
今までの話聞いてると、蓮子はメリーちゃんにお願いされたら何もかも受け入れちゃう気がするんだよね」
「全裸は受け入れなかったけど?」
「それは節度って物があるからよ。
でも今の蓮子なら、メリーちゃんが仮にお付き合いしてくださいって言ってきても受け入れちゃうんじゃない?」
「いや、だから女同士だしそんなわけが……」
「そう言わずに想像してみなよ」
半ば強引に、そんなありえないシチュエーションを想像させられる。
告白を受け入れるということは、つまり私たちが恋人になるということ。
恋人になれば抱き合ったりもするだろう、キスもするかもしれない。
一緒にお風呂に入って、手を繋いでデートに出かけて、寝るときもずっと一緒に――
「……あれ?」
これ、今と変わらないんじゃないだろうか。
そういえばさっき、”恋人みたい”と言われたばかりだ、”恋人のようだ”と自覚したばかりだ。
結局私たちは、すでに恋人として必要なステップをすでに数段踏み越えているわけで、今更呼び方が友人から恋人に変わった所で劇的な変化があるわけではない。
ただ、それを恋と呼ぶだけで。
「どうよ、断れた?」
断れば、メリーは悲しむだろう。
今となんら変わらない関係、日々の些細な変化を受け入れ今まで通りの日常を拒絶することに、そして私のプライドを守ることに、メリーを泣かせる以上の価値などあるだろうか。
いや、無い。
微塵もない。
「無理だった」
「だよね、そう言うと思った。
でもさ、蓮子の方から告白しようとかは思わないでしょ?」
「それは、まあ。今のままで行けるなら今のままでもいいかなと思ってる」
「つまり蓮子はね、メリーちゃんが望むままが一番良いって考えてるのよ。
何を言われても全てを許すし受け入れる、良い事も悪い事もね。これを愛と呼ばずに何を愛と呼ぼうか!」
確かに、この気持ちは恋などではない。
友人でもいいし、家族になってもいい、恋人だって、夫婦だって別に構わない。
そこでメリーが笑っているのなら、私はどんな場所だろうと満足できる。
なるほど、確かにこれは愛と呼ぶべきだ。それ以外に相応しい呼び名が見つからない。
「そっか、愛だったんだ」
「そう、愛だったのよ」
わかった所で大したことはない。
どんな変化でも受け入れるだけで、私がその名前を知った所で何が変わるだけでも無いのだから。
喉奥に刺さっていた小さな骨が一つ取れた程度の違い。
うん、本当に大したことは無い。
愛という大した言葉を使っておきながら、私の心には恥ずかしさも誇らしさも微塵も無かった。
変わらず平静が、ただメリーを想うだけの静かな海があるだけで。
「すいませーん!」
話が一段落した所で、私は店員を呼びつけた。
メニューを開くと、美味しいと評判のシフォンケーキを二つ注文する。
一つはプレーンシフォン、もう一つは紅茶シフォン。
手際よく注文を進める私を見て、ジト目の友人が一言呟く。
「食いしん坊め」
そう言いたくなる気持ちもわかる。
コーヒー一杯に節約する友人が追加のケーキなど頼めるわけがない、それをわかった上で私は二つ頼んだのだ。
「そんなこと言っていいのかなぁ、せっかく私が奢ってあげようと思ったのに」
「なっ、なんだって!? 蓮子が奢りとか今日の帰り大丈夫かしら……」
「雨が降るとでも言いたいわけ?」
空は雲ひとつ無い晴天だ、それだけに余計皮肉の切れ味が増す。
「だってさ、あの蓮子が奢りなんてありえないじゃない、それこそ天変地異でも起きない限りさ。
やっぱりメリーちゃんと出会ってから変わったのね」
言われみれば、他人に興味のない私から誰かに奢るという発想が生まれるわけがない。
最初に友人と顔を合わせた時に”変わらない”と言われたが、変わってないのはどうやら見た目だけだったようで。
「変わったといえば……」
友人の目が私の胸に向けられる。
「見た目はそう変わってないけど、そこだけはずいぶん変わってるわよね。
あえて触れないようにしてたけど、もしかして何か詰めてるの?」
「ああ、これ……」
メリーとの話が出てきた時点で話すべきかどうか迷っていたのだが、果たしてこの変化がメリーのおかげかどうかは定かではないわけだし、話せば友人が食いついてくるのが目に見えていたから。
だが気付かれてしまっては仕方無い。
「ここ一年ぐらいで大きくなったんだよね」
「やっぱり巨乳ちゃんと住んでると大きくなるもんなの? 食生活に何か秘密があるのかしら」
そんな物があるのなら私が聞きたいぐらいだ。
メリーは日本にいる間は日本食を食べたいと言っており、国に居た頃とずいぶんと食生活が変わったらしい。
だから彼女の体型の秘密なんて物は知るわけがない。
私の胸が大きくなった理由は、おそらくもっと別の場所にあって。
「いや、そういうわけじゃなくて……その、揉まれるの」
「……誰に?」
「メリーに」
そう、そういうことだ。
それも過剰なスキンシップの一つであり、湯船に二人で使ってると必ずメリーは私の胸を揉んでくる。
私の抗議など一切受け入れず、それはもう好き勝手に、自由気ままに、縦横無尽に蹂躙してくるのだ。
「どこで?」
「お風呂で」
「どれぐらいの頻度で?」
「毎日のように」
毎日一緒に入ってるし、それは仕方ないよね。
そこまで聞くと、友人は目を光らせてずいっと私の方に乗り出してきた。
「蓮子、その話くわしく聞かせてもらいましょうか?」
ほら来た、だから話したくなかったんだ。
あの後も話が盛り上がり、何だかんだで部屋に戻れたのは午後五時を過ぎた頃だった。
夕食前には戻ると言っておいたけど、思ったより遅かったしメリーがへそを曲げているかもしれない。
その対策と言うと賄賂のようであまり良い気がしないが、例のシフォンケーキもおみやげとして買ってきた。
あとで二人でつつけば多少は機嫌もなおるだろう。
インターフォンを押すと、中からドタドタとこちらへ走ってくる音が聞こえてきた。
そう慌てる必要など無いのにわざわざ走ってくるということは、どうやら私の帰りを首を長くして待っていてくれたらしい。
鍵が開かれるのとほぼ同時に、私がドアノブに手をのばすよりも早くドアが開かれた。
「ただいま、メリー」
「おかえりなさい、蓮子」
今にもこちらに抱きついてきそうだったので、先手を取って私からメリーに抱きつき、少々強引に部屋の中へと押しこむ。
驚いたメリーが「きゃっ」と声を上げたが、さすがに下着姿のままで廊下に出すわけにはいかない。
しかし今日はやけにメリーの胸が存在を主張している気がする、さっき友人とあんな話をしたせいだろうか。
何かと触りたがるメリーのせいで私の胸も大きくはなったが、メリーに比べるとまだまだだ。
目の前にあるそれを見ると口が裂けても大きくなったなんて言えない。
「今日の蓮子は大胆ね」
「メリーの柔肌を公衆の面前に晒すわけにはいかないの」
「大丈夫よ、心配しなくても蓮子以外には絶対に見せないから」
いたずらっぽく笑ったメリーは、そのまま顔を近づける。
同時に体もさらに密着する。
柔らかく、弾力のある唇が私の唇に押し付けられた。
背中に腕を回し、たっぷり十秒ほどキスをする。
唇を離すと、メリーは自分の唇に指を当てながら「はふぅ」と色っぽく吐息を漏らした。
その表情を見るたびにぞくりとした感触が背中を走る。
これだけはどうにも慣れない、挨拶の度に他人にもこの色気を見せているのかと思うと少しもやもやする。
すると私が表情を曇らせているのに気付いたか、メリーが自分の唇に触れていた指で私の唇に触れながらこう言った。
「これも、蓮子以外には絶対に見せないから」
心はとっくに見透かされていた。
私がメリーのことを理解できない一方で、おそらくメリーは私の全てを理解していると言っても過言ではないだろう。
その目は、まるで何もかもを知っているかのようで。
結界の境目だけではない、もっと違うものも見えているのではないか、たまにそんな風に思ってしまう。
こんなに傍にいるのに一人だけ置いて行かれる悲しさが、超然とした存在に全てを支配される喜びが同時に交じり合って、それでも出来ることなら同じ場所に立っていたいと、私はそう願っている。
自分の中にある愛という感情を知ったのならなおさらだ。
こちらから積極的に迫りはしない、何もかもを受け入れる、それでも失って平気な顔をしていられるほど物分かりのいい子ではない。
「……おかわりする?」
言葉にせずとも伝わることを私は知っているから、その意志を目で訴えかけた。
すぐに伝わる。すぐに触れあう。
ただいまのキス、おかえりのキス、二度も繰り返す必要があるのかと言われれば、無い。
おそらくメリーの国でも二度はしないだろう。
それでもしたいと思ってしまった。だって仕方無いじゃない、これが愛なんだもの。
「はふ……やっぱり今日の蓮子は大胆ね、何かいいことでもあったのかしら」
「いいことと言うか、メリーのことを沢山考える時間があってね、おかげで色々わかった気がしたの」
「私のこと?」
「ううん、私のこと」
それぞれに自分を指さす。
マエリベリー・ハーンのことを考えていたのに、理解できたのは宇佐美蓮子のこと。
私は自分のことだし理解できているが、メリーからしたら何のことかさっぱりだろう。
現に私の目の前でメリーは首をかしげている。
「私のことを考えていたのに、蓮子のことがわかったの?」
「そう、だってメリーのことは考えてもよくわからないし、謎が多すぎるのよ」
「そうかしら? 私からしたら蓮子の方が謎多き女よ、私は蓮子が思ってるよりずっと単純なんだから」
本気なのか冗談なのかもわからない、私を構成する要素なんてオカルト好き、人間嫌いぐらいの物で、メリーはとっくに知っているはずなのに。
いつまでも玄関で話を続けるのも何なので、私とメリーは洋室へと移動する。
ワンルームロフト付きのその部屋は、二人暮らしにしてはかなり窮屈だ。
六畳程度の洋室に、そこから梯子で上がった先に四畳ほどのロフトがある。
最初はそれぞれの部屋として使うつもりで居たのだが、メリーの提案で二人とも洋室で暮らすことになってしまった。
窮屈なのが好きと言うより、私と近い方が良いらしく、そのままなし崩し的に同じベッドに眠ることになったのである。
今ではロフトはすっかり物置と化しており、とてもじゃないが生活できるスペースは無い。
どうやらメリーの家はそれなりに裕福らしく、仕送り自体は私よりもずっと多いので無理せずとも1LDKの部屋ぐらいなら家賃で困ることも無かったはずなのに、出来るだけ節約した方がいいとのメリーの助言に乗っかった結果がこれだ。
洋室のベッドに腰掛けると、メリーは私の服を脱がし始めた。
これもメリーが始めたことで、断じて私が言い始めたわけではない。
よくわからないが、私の服を脱がすのが楽しくて仕方ないらしい、おかげで私もメリーの服を脱がすのが日課になってしまった。
下着で暮らすわけだし、どうせ服は脱ぐことになるのだから脱ごうが脱がされようがどちらでも構わないのだが、やはり恥ずかしい物は恥ずかしい。
ネクタイを外され、シャツのボタンを上から一つずつ外されていくのを見ていると、変な想像をしてしまうのは私だけではないと思う。
メリーも決してそういう下心があってやってるわけじゃ無いと思うんだけど、私ばかりが変な妄想をしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「せっかくの機会だし、理解を深めるためにもお互いの秘密を発表してみない?
もう一年も二人で暮らしてるのに、お互いに謎多き女なんて嫌じゃない」
「私に秘密なんて無いって、全部メリーには見透かされてるから」
「蓮子には無いつもりでも私が知らない事は沢山あるのよ。
私が一つ秘密を打ち明ける度に蓮子も言うこと、いいわね?」
どうせ私に拒否権はない、まあいつものことだ。
拒否権の有無に関わらず、頼まれればどうせ断れないのだから愚痴っても仕方ないのだが。
「じゃあまずは私の方からね、最初は軽い秘密から行きましょう。
私と蓮子ってよくキスするじゃない?」
「してるね、メリーの国では普通の挨拶なんだよね」
実際に行ったことがあるわけでは無いので情報のソースはメリーだが、彼女がそう言っていたのだから間違いないのだろう。
「実はね、あれ嘘なの」
「……は?」
思わず固まる。
今まで同居を始めてから一年間、挨拶に関してはその前からだったから一年以上だ、私たちはずっと挨拶と称してキスを続けてきた。
もう何度も、何百回か、下手したら千回は超えているかもしれない。
あれが、嘘?
いや待って欲しい、外国の人たちが抱き合ってキスをするシーンはテレビなんかで何度か見たことがあったはずだ、確かにその記憶がある。
メリーの国ではしないってこと? 確かにそれなら大した嘘ではない、メリーのちょっとした茶目っ気なんだろうし、軽い秘密と言うのにも納得だ。
「嘘と言っても、挨拶代わりのキスぐらいはするわよ」
「じゃあ何が嘘だって言うわけ?」
「唇にキスなんてしないわ、頬に軽くするだけよ。唇は特別な相手のために取っておくの」
「特別な相手って……」
私にとってもメリーは特別な相手ではある。
だがメリーの言葉の意味は、蓮子のそれとは少し違う気がする。
「はい、じゃあ次は蓮子の番ね」
「へ? いや待ってよ、特別って――」
「蓮子が秘密を教えてくれたら一つ教えてあげるわ」
「ええぇっ!? 秘密って言われても、私にメリーの知らない秘密なんて……」
「だったら私から聞いてもいい?」
「まあ、それだったら」
メリーが何を知っていて何を知らないのか、私にはてんで見当がつかない。
それよりもメリーの言った特別の意味が気になって仕方ないのだ、これはもう身を任せるしか無い。
メリーは私のシャツを脱がしながら、私へ質問を投げかける。
「最初に出会った時、私を見てどう思った?」
最初と言うと、京都の町中で迷っていたメリーを見つけた時だ。
「正直に言った方がいいかな」
「正直に言ってくれないと意味が無いじゃない」
「それもそうよね。
えーと……美人な外国人が困ってるなあ、できれば関わり合いになりたくないなあって思ったかな」
「やっぱりそうだったのね、私と話してる間も面倒臭そうな顔してたものね」
「気付いてた?」
「露骨過ぎてすぐにわかったわ」
懐かしい、あの頃の私はまだまだ人間嫌い続行中だった。
今も是正したつもりはないが、まあ以前より多少はマシになっているらしい。
「まあ、そうよね。一目惚れなんて都合のいい展開あるわけないし」
「一目惚れって何の話?」
「こっちの話。それじゃあ次は私の番ね」
「え、あんなのでいいんだ」
「いいのよ、一つずつ聞いていくから。
一緒に暮らし始めた頃に、実家では服を着ないで暮らしてたって言ってたじゃない」
「ああ、そういえば言ってたね。あれにはさすがにびっくりしたわ」
「あれも嘘」
「……マジで?」
「うん、本当に。みんなちゃんと服は着てたし、いくらなんでも全裸で生活はしないわ。
まさか蓮子が信じてくれるとは思ってなかったけどね」
「な、なんでまたそんな嘘をっ」
「だって、あれが通れば蓮子も脱いでくれるでしょう?」
私のスカートを脱がしながらそんなことを言うものだから、不覚にも寒気を感じてしまった。
なんだ、じゃあつまり、私が妥協して下着生活を余儀なくされたのも、ただ私の下着姿が見たいだけで国の風習でも何でもなかったと?
「私にとって蓮子は特別だったの」
「私、外国から来ました、日本のことはよくわかりませんって、そう言ってたのは……?」
「あれもね、全部ウソ」
「なっ――」
絶句。
つまり私が今までメリーと同居する上で受け入れてきた数多の妥協は、国の文化などではなく――ただのメリーの願望だったってことになる。
「一緒にお風呂に入るのは?」
「私の国ではね、まず日本と違って毎日湯船に浸かったりしないのよ。
もちろん入るときも一人で入るわよ」
「じゃあ、一緒に寝るのは!?」
「自慢じゃないけど、小学校に入る頃にはもう一人で寝てたわ」
「だったら、外を歩く時に手をつなぐのが普通っていうのも……」
「手を繋いでデートなんて特別な相手とだけよ、恥ずかしかったけど嬉しかった」
「……目眩してきたんだけど」
「ごめんね、蓮子と一緒に居られるのが嬉しくて色々誤魔化してたの」
こんなの、卑怯だ。
もし私とメリーが出会ってすぐに白状されてたら、気持ちだって冷めていたかもしれない。
でも、今更じゃないか。
もう私の気持ちは引き返せない所まで来ている、愛なんてとんでもない物を自覚して、ああそっかで済ませてしまえる程にメリーのことを想ってしまっているのだ。
なのに、だというのに――いや、これもまたメリーの思惑通りなのかもしれない。
今日という日に、何の前触れもなく全てを吐露しようと決めたのは、そろそろ頃合いだと判断したからなのだろう。
ああ、なんて恐ろしい子なのだろう。
メリーに目を付けられた時点で、私の運命はすでに絡め取られていたのかもしれない。
「次は蓮子の番」
先ほどの秘密に吊り合うような物は持ち合わせていない。
きっとこれもメリーの作戦の範囲内なのだろう、私が彼女に質問の権利を与えることも含めて、きっと全て知っていたのだ。
「ねえ教えて。
それでも蓮子は、私の傍に居てくれる?」
上下共に下着姿になった私の足に手を這わせ、靴下を脱がせながらメリーはそう問いかける。
全てがメリーの手のひらの上だと言うのなら、その答えすらも彼女は知っているのではないだろうか。
だったら私に問いかける意味なんてほとんど無いはずなのに。
「メリーはどう思う?」
「どう、って」
「私がメリーのことをどう思っているか、わかった上で聞いてるんじゃない?」
少し冷たい言い方になってしまった。
別に彼女を責めるつもりはない、最後の確認だ。
私は完全にメリーの思惑通り動いていたんだって、自分の敗北の事実を知りたかっただけなのだ。
「最初に言ったけど、私は蓮子のことを何も知らないわ。わからないことだらけよ、だからこうして確かめないと不安で仕方ないの」
「何もかも見透かしたような目をしてるくせに」
「ふふふ、何よそれ、蓮子の気のせいよ。
そっちこそ、その目で私の心を全部見透かしてるんじゃないの?」
私の目なんて、せいぜい星と月ぐらいしか見ることはできない。
どんなに近くにいたって、メリーを見つけることすらままならないのに。
「もし蓮子が本当に全てを見透かされていると感じているのだとしたら、それは気のせいか、偶然か、あるいは奇跡のおかげね。
こんなに何もかもがうまくいくなんて、神様が奇跡を授けてくれたとしか思えないもの」
「奇跡って、私がまんまと騙されて同居しちゃったこと?」
「ううん、それだけじゃなくて、最初から全部。
最初と言っても、蓮子にとっての最初のことだけど」
私にとっての最初とメリーにとっての最初が違うような言い方だ。
そういう言い方をするということは、実際違うということなのだろうか。
私の知らないうちからメリーは私のことを知っていたってこと?
「運命を感じたの、一度も足を踏み入れたことのない京都という地にやってきて、最初に出会えたのが宇佐見蓮子という人間だったことに」
あえてぼかすような言い方から、私はメリーの言いたいことを読み取ることが出来た。
ルールはルールだ、私が秘密を明らかにしなければメリーは次の秘密を教えてはくれない。
つまりは一つ秘密を教えて欲しいと、遠回しにそう言っているのだろう。
だったら、言ってやろうじゃないか。
嘘に嘘で対抗するのは子供のやり方だ、もう私たちは大学生なんだからそんなやり方は間違ってる。
私は、真正面から真実をぶつけてやろう。
「傍に居てくれるか、って聞いたよね」
「ええ」
「正直に言ってもいい?」
「もちろん、蓮子の素直な気持ちを聞きたいの」
だったら、お望み通りありったけの素直さで応えようじゃないか。
もうぼやけた関係はまっぴらだ、お互いに知らないでもやもやするぐらいなら、見せなくていい部分まで見せてすっきりした方が気持ちだって楽になる。
だから、言ってやろうと思う。望まれるより多く、余計なことまで全部。
「傍に居るよ、いつまでも、どんなときだって。
メリーが私を嫌いになっても、どこか遠くに行っても、手の届かない場所に居たとしても、私はどんな手を使ってでもメリーの傍にあり続ける。
嘘なんて関係ない。ううん、嘘をついたのなら余計に責任をとって私の傍にいてもらわないと困るわ。
好き勝手に私を捕まえて、好き勝手にはいさよならなんてそんなの絶対に許せないもの。
私は……もう手遅れなぐらい、メリーのことを愛してるから」
ほら、言ってやった。
嘘は言ってない、それは恋とは少し形の違う愛だけれど、メリーの気持ちがあって初めてその形になる不定形の感情だけれど、確かに私の中に愛と呼ばれる感情はある。
愛しているって言葉は、世間一般では恋人になるための告白なのかもしれない。
愛と恋は少し違うけれど、仮にメリーがそれを恋として受け取っても構わないと思った。
そうなるのならそうなってしまえ、恋人になればメリーが無責任に私を放棄することは無いだろうし、対価として全ての秘密を話さなければならなくなる。
追い込むために必要な言葉だったのだ。
さあ私は身を削ったよ、今度はメリーがぼかさず素直に全部話す番だ。
「これが、私の素直な気持ち」
「……」
メリーはぱちくりと目を見開いて私の方を見ている。
「何か言ってよ、恥ずかしいから」
「……え、あ……ごめんなさい、急に告白されたから、びっくりしちゃって」
今まで告白まがいのことをさんざんしておいてよく言う。
とはいえ、自分でもさすがに急すぎたかな、とは思っている。
傍に居るかどうかと言う質問だったのに、いきなり愛の告白をされたら私でも驚くだろう。
「えっと」
手をもじもじさせながら視線を泳がせるメリー。
それでも、やっぱり返事ぐらいは欲しい。
私に言わせるだけ言わせておいて終わりなんて、そうは問屋がおろさない。
しかし帰って来たのは、私の期待したような返事ではなく――
「えへへ」
気の抜けた笑い声だった。
可愛いけども、確かに可愛いけども! 私が望んでるのはそんな可愛いアピールじゃなくって!
「なんで笑うのよっ、これでも気持ち込めて告白したのよ!」
「だって、ここまで行くともう笑うしかないじゃない。
色んな事うまくいきすぎて、こんな簡単に夢が叶って良いのかなって」
「夢って、私に告白されることが?」
「ずっと前からそれが夢だったの、一緒に暮らし始めたのもそのためなんだから」
ずっと前と言っても、私とメリーが出会ったのはつい一年半ほど前のはずだ。
その前に会ったことは無いし、メリーほどの美人と出会って忘れられるほど私の人間嫌いは飛び抜けたスペックではない。
だったらずっと前とは一体何のことを指すのだろう。
何かの比喩? それとも夢で見た誰かに私が似ていたとか?
「ごめん、ちゃんと言わないと蓮子にはさっぱり分からないわよね」
まったくその通りだ、懇切丁寧に説明してもらわなければ。
「実は私、本当はここで出会う前から蓮子のことを知っていたの」
「それは、私が声をかける前にどこかで目撃したってこと?」
「いいえ、日本に来るより前からよ」
「え、どういうこと? 私、海外旅行なんて行ったことないんだけど、メリーだって今回初めて日本に来たって言ってたよね」
「そうよ、日本に来たのは初めてだし、間違いなく私と蓮子は初対面だった。
でも私は蓮子のことを見たことがあるし、ずっと前から知っているの」
ますますわからない。
初対面なのに知っている? 会ったこと無いのに私の顔を見たことがある?
友達のいない私の顔が海外にまで知れ渡るなんて、そんなことあるだろうか。
「覚えてないかな、六年前に蓮子が何をしたのか。
私が日本に来ようと思ったきっかけはそれなんだよ」
「六年前って……」
六年前と言うと、私が中学生の頃だ。
今よりもずっと素直じゃなくて、可愛くなくて、クラスメイトどころか教師にもあまり好かれていなかった。
でも私はそれを特に気にすることはなく、自分の好きなことだけに没頭していた。
ただし、一人の例外は居たけど。
例外と言うのはあの友人のことだ、彼女が居なければ私はもっと平穏な中学高校生活を送れていたはずなのに。
修学旅行先でおもむろに仮装してカメラを回すなんて奇行、並大抵の変人じゃできないだろう。
映画研究会や演劇部に入っているなら辛うじて理解できたかもしれないが、なんと彼女はただの帰宅部である。
他にも奇行を列挙するとキリがない、彼女は間違いなく私以上の変人――
「……あ、もしかして」
「思い出した?」
メリーは嬉しそうに微笑んだ。
「あの動画、見たの!?」
「そう、蓮子が映ってたあの動画よ。
日本のことを何も知らなかった私が、適当にネットで検索してたら見つけたのがあの動画だった。
私が見つけたのは今からちょうど五年ぐらい前のことだったかしら、意味もわからないし特に面白みも無かったけど、そこにはとても可愛らしい女の子が映っていたわ」
「それが、私……」
そういえば、先日話した時に、友人は例の動画の再生数が当時に比べてかなり伸びていると言っていなかっただろうか。
海外からのコメントが付いていたとも。
あの時は海外にも変わった人は居るもんだな、ぐらいの認識だったけど……そうか、あれがメリーだったんだ。
「その通り、それが蓮子だったのよ。今よりちっちゃくて生意気そうだったけど間違いなく宇佐見蓮子だった。
もちろんその時はフルネームまでは知らなかったけど、蓮子のお友達がレンコって呼んでたから名前だけは知ってたの。
それにしても、最初に動画を見た時はびっくりしたわ」
「あれ、変な内容だったでしょ?」
「内容じゃなくて、蓮子によ。
ああ、こんなにかわいい子がこの世に存在するのか、って心の底から驚いたわ。
見た瞬間に胸がぎゅーっと締め付けられて、虜になるってまさにこういうことを言うんでしょうね。
一瞬で夢中になって、もうその時から私の頭のことは蓮子でいっぱいになって。
声しか聞いたこともない、苗字も知らない、遠い異国の地に住むあなたに、私は最初で最後の恋をしてしまったの」
メリーは胸に手を当てて目を閉じ、当時のことを想起する。
道理で、初対面の時に私を見て目を輝かせていたわけだ。
あれは私に助けを求めていたわけではなく、日本に来るきっかけになった私を偶然見つけて喜んでいたんだ。
「動画から辛うじてわかったことは、これが日本にある京都という都市であること、そして動画に映っているレンコと呼ばれる少女が私と同い年ということだけ。
それでもね、私を突き動かすには十分すぎる情報量だったわ。
この子に会えるチャンスがあるなら何でもしてやるって、あんな動画でそこまでするなんておかしいわよね、けどそう思ってしまうほどに蓮子に惹かれちゃったのよ。
私にだって理由なんてわからなかったわ、でも私にはこの子しか無いんだって、理屈抜きでそれが正しいことなんだって、もう信じるしかないぐらい強い想いだった。
だから私、死に物狂いで日本のことを勉強してわ。
どうにか親も説得して、大学の入試にも通って、ようやく日本に留学出来ることになったの。
嬉しかった……嘘偽り無く、その瞬間は生まれてきて一番嬉しかったわ。
今は二番目だけどね、だってあの日に蓮子と出会えたんだから」
まいった、ここまでメリーに想われているとは想わなかった。
しかもあんな下らない動画がきっかけだなんて、人生の汚点として消化してきたアレがまさかメリーとの繋がりを産むなんて、神様だって想像していなかっただろう。
仮装した友人と私が揉み合ったり言い合いをしてるだけの動画だって言うのに、一体あれの何に惹かれたって言うんだろう。
メリーだって理由はわからないって言ってるんだ、それを私が理解できるわけがない。
今考えなければならないことは、メリーのその想いに私が報いる事ができるどうか、と言うことだ。
私はメリーを愛している。積極的な愛ではなく、受動的に、献身的にその想いを全て受け止めたいと思っている。
しかしメリーからの想いは私の器より遥かに大きい。
それを受け止めることなんて、果たして出来るのだろうか。
「だから、最初から日本語ペラペラだったんだ」
お茶を濁すように、関係が無いようである微妙な話題を振ることしか出来ない。
真正面からその物量を受け止める自信が無い。
「うん、蓮子とお話することを夢見て頑張ったんだから」
「でも京都で私と会えなかったらどうするつもりだったの? そもそも私の実家は東京だしね」
「そうね、後から実家のことを聞いた時は肝が冷えたわ。
でも私にとっては可能性があるだけで十分だったのよ、何もせずに諦めるぐらいなら一度ぐらい無茶した方がいいじゃない?
それに、結果こうして蓮子と出会えたんだもの、私の選択は正しかったってことよね」
それはもう、偶然なんて言葉では片付けられない、見えない力が私達を巡りあわせたとしか思えない、まさに奇跡と呼ぶに相応しい出来事だったのだ。
私はそれに気づかずにメリーの前を通り過ぎようとしていた。
無知とは真に恐ろしいものだ、私がタイムスリップ出来るとしたら、あの時の自分をバカヤロウって思い切り殴ってやりたい。
「こんな奇跡、私だって信じられなかった。
日本に来てから今までの日々が全部夢なんじゃないかって疑うぐらいに、ほんとに怖いぐらい全部うまく行って、今日もこんな風に蓮子に告白してもらって……」
夢だと思ってしまう気持ちもわかる。
日本の人口一億弱、と言うと大げさかもしれないが、首都である京都にはその二割ほどの人口が集まっている。
その中で私とメリーは巡りあったのだ。
奇跡という言葉も相応しくないかもしれない、メリーの強い想いが運命引き寄せた結果と呼んだ方がずっとしっくり来る。
出会いだけじゃない、私が初対面の相手に心を開いたという事もまた奇跡だったのだ。
それから友人になって、一緒に暮らすことになって、そしてメリーの数多の嘘は私に見破られること無く、私は疑いもせずにそれを受け入れた。
考えみれば、毎日服を脱がすなんて行為が常識であるわけがない。
要はメリーが私を脱がしたかっただけじゃないか、それを信じた私も私だけど。
結果的に、その過剰すぎるスキンシップが私に友情以上の感情を芽生えさせてしまったわけだ、つまりはメリーの思惑通りに。
成功するかどうかはまさに綱渡りだったはずだ、相手が私でなければとっくに見破られていただろう。
そう、私が人間嫌いでろくに友人も居ないポンコツだったから、メリーの作戦は奇跡的に成功してしまったのだ。
「本当に夢じゃないのよね、蓮子に触れたら泡のように消えたりしないわよね?」
「心配しなくてもちゃんと居るから、メリーを愛している私は、確かにここに」
手のひらを引き寄せ私の頬に当てると、メリーは熱く潤んだ瞳で私を見つめた。
今まで気付かなかったが、その眼差しには確かに彼女の言葉通り、溶けてしまうほどの熱量が込められていて――その真っぐすな力強さに思わず目を背けそうになる臆病な私を思い切りひっぱたいて、心の中から追い出した。
メリーにそんな冷たい真似出来るかっての。
それに、今更躊躇ったからってどうなる。私達はもう行く所まで行ってしまっている。
周りの目だってある、女同士だし色々と大変なことはあるだろう、今までのように何もかもがうまくいくことばかりじゃ無いはずだ。
でもそれは、臆病さの言い訳にはならない。
以前の私ならつゆ知らず、今の私は人間嫌いだけどメリーが好きだ、愛してる。
これはメリーと出会えたことで生まれた感情だ。
砂漠から同じひと粒を同時に探り当てる、そんな奇跡を私の臆病さなんかで無為にしていいわけがない。
何より、私自身がこの気持ちを大事にしたいって思ってる。
だから――
「いいよ」
彼女の全てを、私は受け入れてみせよう。
「……っ」
メリーが生唾をごくりと嚥下する。
「メリーの気持ち、全部私が受け入れてあげる」
宣言した。もう逃げられない。ざまあみろ、臆病な私。もう逃げ場など無い、愛という言葉に背は向けられない。
頬で重ねた手をたぐり寄せるようにメリーは私に近づいて、そのまま私をベッドの上に押し倒した。
「すぅ……ふぅ……」
息が荒い。
深呼吸をしなければならないほどいに乱れている。
あのメリーが心を乱している、私なんかのために。
見開かれた瞳がが、まばたきも忘れて揺れている。
白雪のような肌がしっとりと汗ばんでいる。
首から鎖骨にかけてが赤く染まっている。
近づいた体が、触れてもないのにメリーの体温を感じていた。
熱い。メリーの何もかもが熱くて焼けてしまいそうだ。
視線も、吐息も、そして想いも。
「……今でも夢みたいに幸せなのに、本当にいいの?」
いいな、この感じ。
うん、いい。メリーほどの素敵な女の子が私に夢中になってくれるなんて、こんなに素晴らしいことはない。
できれば離したくないと、受け身な私の割には、少しわがままな独占欲が私の中に芽生えるのがわかった。
きっと、人はこんな気持ちを恋と呼ぶのだろう。
メリーの恋を受け入れて初めて芽吹いた、私だけの恋心。今はまだ愛しか知らない私の初恋。
その恋を、私は手遅れにまるまで育ててみたいと思った。
「いいって言ってるじゃない、いつも強引なメリーらしくもない」
頬に手を重ねると、手のひらに砂糖菓子のような甘い熱が広がった。
触れ合うだけでメリーの瞳にさらに強く熱がこもる、もう我慢出来ないとさらに息を荒くする。
「本当の、本当の、本当にいいの?」
「もう、ここまで来ておいて何言ってるのよ。
怖いことなんて一つもないわ」
受け入れる覚悟はとうにできている。
両手を広げて、私はメリーに全てを委ねた。
「夢の向こう側、一緒に見よ?」
それが好ましい方向に向けての変化だったのか私にはわからない、そもそも人との付き合いは全く無いと言ってもいいほどで友人など全く居なかったし、そんな私の価値観を基準にして正否を問うても意味など無いだろう。
だから結論は一つ、私が現状を善しとしているのだから善しとしよう。
メリーと出会い、いつの間にかルームシェアまでするようになって早一年、まさか私が赤の他人と一緒に暮らすことになるなんて当時の私に言っても信じてはくれないだろう。
人生なにが起こるかわからないものだ、私がメリーと同居出来るんだから、世界が明日崩壊したって驚きはしない。
高校卒業からまだ一年と少ししか経っていないと言うのに、高校までの知り合いで名前を覚えているのはたったの一人だけだ。
根本的に人間に興味が湧かなかったのだから仕方無い。
メリーと秘封倶楽部を結成するより以前からオカルトに傾倒していた私には、人間に向ける好奇心のリソースなどこれっぽっちも残っていなかったのだ。
だからこそだ、そんな私が誰かと部屋を共にするなんて、私自身にとってもそうだし、唯一連絡を取り合っていた友人にとっても驚くべき出来事だったはず。
そんな私達の会話がメリーの話題ばかりになるのも仕方のないことだろう。
「蓮子はぱっと見では変わんないね」
「まだ一年とちょっとしか経ってないしね、そう簡単に変わるほどやわな性格してないって」
「つまり、そんな蓮子と同棲するって言い出したメリーさんって子が変わってるのね」
私もそう思う、私なんかと同居なんてメリーは本当に変わり者だ。
人間に興味が無い、そんなことをはっきりと言い切れる私が自分からルームシェアを持ちかけるわけがなく、言い出したのは言うまでもなくメリーの方からだった。
そう、あくまでこれはルームシェアである。同棲なんていかがわしい名称で呼ぶのはやめて欲しい。
「同棲じゃないっての、ルームシェアって言ってるでしょ」
「ラブラブ同棲よね」
「る、う、む、しぇ、あ!」
私がどう力説した所で、この友人は私をからかうことを止めはしない。
彼女はメリーのことを変人と呼んだが、私みたいなのに付き合う彼女もよっぽどの変人である。
なんたって、堂々と人間に興味はないと言い放ち、クラスメイトをドン引きさせたこの私の友人なのだから。
おかげで私の中学、高校生活は散々なものだった。
彼女に振り回されたと言うか、彼女からしてみれば私が振り回した側なのだろうが。
少なくとも退屈はしなかったが、彼女という存在は私の人生にさまざまな汚点を残していった。
おかげで大学に入っても私は彼女の名前を忘れられない。他のクラスメイトたちの名前を全く忘れてしまっても、にっくきこいつだけは忘れられないのである。
「あの子も海外から来たばっかりで知り合いも居なくて不安だったんじゃないの、そこでたまたま出会ったのが私だったってだけで」
「いや、まずそこよね。蓮子が困ってる外国人に声をかけるって時点から違和感ありすぎるのよ。
困った人を見つけたら無言で通り過ぎるのが蓮子だったはずよ?
中学の頃だってそうだったわ、私が困っているのに助けるどころか鼻で笑って通りすぎて行ったわよね」
「あれはあんたが変なことしてたからでしょ、見知らぬ土地で仮装してカメラ弄ってる変人が居たら誰でも笑うって」
本当に懐かしい。
友人とは中学からの付き合いになる、さっきも言った通り彼女には振り回されてばかりで、カメラの件もその一つだ。
何でも修学旅行の記念として動画を撮影していたらしく、私もそれに巻き込まれたというわけだ。
結果的に仮装した変人と私の並んだ奇妙な動画が出来上がり、彼女はそれをあろうことかサイトに投稿してしまった。
記念にするなら投稿する意味など無いはずなのに。
出来るだけ多くの人に見て欲しいからー、なんて脳天気に笑う友人の腹に無言で拳を突き出したことは今でも鮮明に覚えている。
幸い、そんな下らない動画はせいぜい30再生程度しかされなかったようだが。
「あー、懐かしいなあ。そういえば久々にあの動画見たんだけどさ、なんと再生数800まで伸びてたんだよ」
「うえ、もう六年も前の動画だって言うのに何で伸びてるわけ?」
「さあ? どうも海外から見てた人が居たみたいで幾つかコメントが付いてたけど」
あんな動画を好んで見るなんて、海外との価値観の差は私が思ってる以上に大きいようで。
800と言えばそう大した数ではないが、最初の再生数に比べれば驚異的な伸びだ。
私の人生の汚点が800人もの人間に見られたかと思うと頭が痛い。
「本当に懐かしいわ、あの時の蓮子は今以上に冷たくて、根暗で、とっつきにくかったもの。
それが今では立派に人助けまでして……これ本当に蓮子なのかな?」
「何よ、私だってたまには人助けぐらいするって」
「パツキンでパイオツのカイデーチャンネーだったから助けたくせに」
「せめて日本語で話せば?」
要するに金髪で巨乳の美人さんだったから助けたんでしょう、と言いたいらしい。
「メリーって子の実物を見たことがあるわけじゃないけどさ、蓮子が声をかけるってことはよっぽど美人だったんでしょうね」
「だから見た目の問題じゃないんだってば、街で迷ってたメリーが私のことを縋るように見てくるから、仕方なく助けたの」
「見られたの?」
「ええ、私を見つけた途端にぱあっと顔を輝かせてね。
と言ってもあっちから声をかけてくることは無くて、通りすぎようとする私を目をキラキラさせて見つめてくるわけ。
ああ、もう逃げられないなって悟って仕方なく」
「実は古い知り合いだったとか?」
「まさか! 外国人の知り合いなんて居ないってば」
「覚えてないだけだったとか」
「メリーみたいな強烈な見た目をした子を忘れられるわけがないじゃない」
強烈と言うと悪く聞こえるかも知れないが、メリーの場合は良い意味で強烈だった。
友人の言う通り、金髪で巨乳の美人さんという形容が一番しっくり来る見た目ではあったのだが、最初に見た時はモデルか女優か何かだと勘違いしたほどだ。
街を歩くだけで男性はおろか女性の視線すらも釘付けにする、日本人の想像する理想の異邦人像そのものと言ってもいいぐらいだ。
私はかばんから携帯端末を取り出すと、以前旅行に出かけた際にメリーと一緒に撮った写真を表示した。
ちなみに端末の写真フォルダはメリーとの写真でほとんど埋まっている。
「ほら、これがメリー」
「うわお、でらべっぴんさんじゃない」
「だから日本語で喋りなさいって……」
「日本語だっての。いやあ、しかしこれは蓮子が思わず助けちゃう気持ちもわかるなあ、女の私でも”おお”って思うもの、下手したら惚れちゃうかもしれない」
「何度も言うけど、見た目で選んだわけじゃないから」
「本当に? 別にこの見た目なら選んじゃっても誰も責めないわよ、私だってそうするし、私が男だったら即ベッドにご案内しちゃうけどなあ」
実際に私と最初に出会った時も、その前に下心丸出しの男に何度も話しかけられたらしい。
ニホンゴワカリマセンでどうにか誤魔化したらしいが、日本に来たばかりと言いながらメリーは最初から日本語が堪能だった。
何でも、数年前にネットで見た京都の光景が忘れられず、ずっと勉強してからだとか。
「しかし……この写真、ずいぶんと仲良さそうね。頬くっつけて抱き合ってさ、やけに蓮子も嬉しそうだし」
「日本とは文化が違うのよ、スキンシップが過剰と言うか。私も悪い気はしないけどね」
「ああ、そういうの聞いたことあるわ。挨拶は抱き合ってキスが基本なのよね」
「そう、それ! 最初にされた時はびっくりしたんだから」
「あはははっ、違う文化圏の人と一緒に暮らすのは大変でしょうね
でも、あんな眉目秀麗な女性にキスなんてされたんじゃ、世の男どもは勘違いすると思うわよ、そのへん大丈夫なの?」
「初対面の相手にはハグもキスも止めた方がいいって注意しておいたからもう大丈夫」
そう言っても私に対してはやめてくれる様子はない。
今ではずいぶん慣れ……いや、未だ慣れない部分は多くあるが、おはようのキスやいってらっしゃいのキス、おかえりのキスにおやすみのキス、少なくとも計四回のキスが毎日繰り返されている、もうファーストキスなんてどうでもよくなってしまった。
少女漫画に憧れるほどロマンチストではないが、何となくファーストキスぐらいは大切にしておきたいと思っていたのだ。
それがほぼ初対面の美少女に奪われてしまうのだから世の中何が起こるかわからない。
まさにカルチャーショックというやつだ。
抱き合う度にメリーの豊満な胸が押し付けられて変な気分になるし、唇を離すとしばらくの間メリーはぽーっとした顔をしていてやけに色っぽいし、初対面の男性相手にもこんなことをしているのかと思うと気が気でない。
しばしメリー談義に花を咲かせていると、店員が注文しておいたコーヒーを持ってきた。
友人はオーソドックスなブラックコーヒー、私はカフェラテに少々多めのシロップを入れて。
「あーあ、経済格差を感じるわ」
「ただのカフェラテじゃない」
「ただのぉ!? ”プレミアム”が抜けてるわよ、倍近く値段差があるわ!」
「三百円程度の違いでいちいち噛み付かないの」
「苦学生のくせに贅沢しちゃってまあ、どうせたんまり仕送りしてもらってるんでしょう? この親の脛かじりガールめ」
「無いわけじゃないけど、あんたとそんなに変わらないんじゃないかな。
二人で暮らしてるから色々と生活費が浮いてね、おかげでずいぶん余裕が出来たの」
「あー、そういうこと。いいなあ、私も金髪巨乳の美少女とルームシェアしたいなー」
「そう良いもんじゃなって、さっきも言った通り色々文化が違うし」
挨拶に限った話ではない、メリーを基準に考えて良いものか判断しかねるが、彼女が言うのだからおそらくそれがメリーの国のスタンダードなのだろう。
こう、色々と奔放すぎるのだ。あけすけというか、容赦がないというか。
「前提として、何故かメリーが私のことをやけに気に入ってるってことがあるんだけど、それにしたって過激なのよね、あの子」
「例えば?」
「家では基本全裸」
「ぶっ……いやいや、待ってよ、確かに家で全裸で過ごしてる人が居るって話は聞いたことあるけど、あれって一人暮らしの話じゃないの!?」
「同居をはじめてすぐにね、おもむろに服を脱ぎだしたのよ。私もびっくりしたしさすがに怒ったけどね。
そしたら……」
「なんて言ったの?」
「私、外国から来たばっかりで日本のことよくわからないのって、申し訳無さそうに」
「外国人怖っ!?」
私も友人と全く同じ感想だった。
ここまで違うものなのかと、人が居ても裸を見せるのが平気なのが外国の文化なのかと。
正直言って今でも怖い、まだ私の知らない恐ろしい異文化があるのではないかと思うと体が震えてくる。
「まあでも最初に蓮子が注意してくれてよかったわね、今はきちんと服も着てるんでしょ?」
「んー、服って言うか、下着かな。妥協して、なんとか下着だけは身につけてくれて」
「ま、まあ全裸よりはマシかな、隠れてる分」
それでも目の毒であることに違いはないが。
「うん、マシと言えばマシなんだけど、たまに黒のガーターベルトとかつけてるんだよね」
「……本当に大丈夫なの、その子? と言うか本当にそれが海外の文化なの?」
「どうなのかな……」
実際に行ったことのある人間がここに一人でも居れば真偽もはっきりしたのかもしれないが、あいにく今までの人生で海外旅行に縁がなかった二人が揃っている。
メリーから微塵も恥じらいを感じない所を見ると、本当に彼女にとってはそれが自然な姿らしいのだが。
まだ見ているだけなら何とか冷静でいられるのだが、メリーはその状態で私を触れ合いたがるから始末におえない。
「あれ、もしかして最初に言ってたハグとかキスって、下着姿のままでやってるの?」
「まあ、ね」
「色々とすごいわね……蓮子の方はちゃんと服を着てるから大丈夫でしょうけど」
「……」
「待ってよ、何で目をそらすわけ?」
思い出すだけでも頭が痛い。
何より現状に慣れてしまっている自分が一番まずいのだと、自分でもよーくわかっているつもりだ。
「メリーが下着を着てくれる条件がね、私が下着姿で暮らすことだったって言うか……」
「えぇ……」
「私も日本の風習を受け入れたんだから、蓮子も私の国の風習を受け入れるべきだって、すごい力説されたんだよね。
それで仕方なく、折衷案として……本当に仕方なくなのよ、しぶしぶ下着で……」
「その状態で、ハグやキスも?」
「それは、そうなるかな」
「もう一度聞くけど、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だと思いたいんだけど」
今では休みの日になると一緒にランジェリーショップに行ってお互いの下着を選んだりもしている。
まずいとは思いながらも、二人で買い物をしてると何だかんだで楽しいし、今のままでもいいかなと思ってしまう自分も居るのは確かだ。
日本でも裸で暮らす人は居るって言うぐらいだし、下着で暮らしているとその人達の気持ちがわからないでもない。何せ身軽だし、楽なのだ。
それでもメリーほど羞恥心を失っているつもりはない、あの子の前以外で下着姿になろうなんて思いもしないし。
「何て言えばいいのか私にはわからないけど……ずいぶんと濃密な大学生活を送ってるのね、蓮子は」
「その濃密って言い方はやめて」
「だって濃密じゃない。
でも、さすがにそれだけよね、他にもあったりしないわよね?」
「そうね、やばいのはそれぐらいかな」
「やばくないのは沢山あるような言い方ね」
「大したことないから話す必要は無いってことよ」
言い出したらキリが無い。
一年が経った今でも毎日が驚きの連続なのだから、一つ一つ話していたら日が暮れてしまうほどだ。
「気になるから、試しに一つか二つぐらい話してよ」
「別にいいけど、本当に大したこと無い話よ?
例えば同じベッドに寝てるとか、お風呂は一緒に入るとか」
常に私にひっつきたがったり、外にでる時は必ず手をつないだりと、挙げれば他にも色々ある。
しかしそのどれもがキスに比べれば可愛い物で、おそらく友人の好奇心を満たすに足るエピソードではないだろう。
「蓮子、あんた……」
しかし私の予想に反して、友人は深刻な顔をしてこう言った。
「毒されてるわよ」
「え?」
想定外の反応に思わず声が出てしまう。
毒されている? 私が? 一体何に?
女の子同士で同衾なんてそう珍しいことではないし、確かに風呂場は狭いけど一緒に入るぐらいどうってことはないはずだ。
多少過ぎていると思う部分はあるが、常識の範囲内と言っても間違いではないはず。
「仮にそのメリーちゃんと私を置き換えて考えてみなさいよ。
私が下着姿であんたの帰りを待って、出迎えるや否やキスしてきたらどう思う?」
「気持ち悪い」
「そりゃそうでしょうよ、私だって気持ち悪いわよ。
それじゃあ一緒にお風呂に入って、下着姿のまま一緒に寝たらどう思う?」
「うわぁ」
「そうよね、そうなるわよね、それが世間一般の常識よ」
「言われてみればそんな気がしてきた……」
本当なら言われずとも理解しておくべきだった。
さすがに私だってキスやハグはおかしいとは思っていたが、外国の文化なら仕方ないと割りきってきた。
「海外の常識にしても、度が過ぎてるわ。
今の話を聞く限りじゃ、蓮子とメリーちゃんははまるで……」
最初にそれに慣らされたからか、後から提案された入浴も同衾も抵抗なく受け入れることができてしまったのだ。
冷静に考えればおかしい、スキンシップ過剰と言ってもやり過ぎだ、これではまるで――
「恋人みたいじゃない?」
ああ、そうだ、恋人のようだ。
恋人だったらしっくり来る、友人だったら不自然になる、ただそれだけのこと。
じゃあそれを受け入れていた私はメリーのことを恋人として認識していたかと言うと……ノーだ、そんなわけがない。
かけがえのない友人であることは間違いない、秘封倶楽部の大事なメンバーでもある。
しかしそのどれもが、恋とは直結しない。
まあ、私は確かにメリーに対して過保護な面はある。
あれだけの美人が大学を歩いていて男どもが黙っているわけがない、メリーを放っておけばすぐに声をかけられるし、時には私が一緒に居ても声をかけられることがある。
最初のうちは「日本語分かりません」で押し通すこともできたが、今やメリーはキャンパスの有名人、彼女が日本語ペラペラであることは誰もが知っている。
だから、私が守るしかない。
メリーは時折、ふざけて私のことをナイトと呼ぶことがあるけれど、そんな大仰なものになったつもりはなかった。
私はただ友人としてメリーを守りたいと、そう思っただけで――
「どうしたのよ、世界の終わりみたいな顔をして」
待ってよ。
守りたい? この私が?
本気でそう思ってる?
「私、出来る限りメリーが喜んでくれればいいと思って、だから多少違和感があってもメリーの提案を受け入れてたんだけど」
「いいことじゃない、美しい友情ね」
「メリーを守りたいと思ってさ、そのために近づく男たちを追い払ってきたし」
「前から言ってたわね、男が寄ってきて大変だって。
もしかして嫉妬だったりして?」
「嫉妬なんかじゃないの、ただ純粋に守りたいと思って。
でもそれって……変じゃない?」
「普通のことよ、あんな可愛い子だったら守りたいと思う気持ちもわかるわ」
「それは普通の人だったらそうだろうけど、でも”私”よ?」
今まで、メリーと出会うまで一度だって自分から誰かに興味をもったことは無かった。
オカルトばかりに向いていた興味が初めて人間に向けられた、それがメリーだったのだ。
この友人の場合は私が突き放しても付きまとってきたのだから話は別、腐れ縁とでも呼ぶべきだろう。
だがメリーは違う。
私から近づいて、私が自分の意思で守りたいと思った。思うことが出来た。
「高校のクラスメイト、誰一人として名前を覚えてないの。
それどころか教師の名前だって、あんた以外の名前は一切覚えてないわ、もちろん連絡先も知らない」
「筋金入りの人間嫌いね、今のポジションに落ち着いてる自分を褒めたいわ」
「ええ、そうね。今思えば私はずっと昔から人間嫌いだったのかもしれない、自分でも驚くぐらい他人に興味が無かったから。
だから、そんな私がメリーのことをこんなに守りたいと思うのは、とても奇妙なことなんじゃないかって」
理由はわからない。
最初からそう思っていたわけではなかったのだ、初めてメリーと会った時に本当なら無視して通りすぎようとしていたのだから。
それがメリーの懇願に負けて声をかけて、道に迷ったメリーを案内することになって、行き先は私の通う予定の大学だった。
そう、その時に私とメリーが同じ大学通うことを初めて知ったのだ。
”私にしては珍しく”メリーと会話は盛り上がり、道案内だけに留まらず一緒に食事に行くことになり、連絡先も交換した。
それから頻繁に遊ぶようになって、メリーが秘封倶楽部のメンバーになって、こんなにしょっちゅう遊ぶならいっそ一緒に暮らしたらどうかってメリーに誘われて……ああ、そうだ、この時点ですでに私はこの奇妙な感情を抱いていた。
だって、以前の私ならルームシェアなんて絶対に受け入れなかっただろうから。
私自身は嫌だと思った、一人がいいと考えた。なのに私は迷わずに首を縦に振った、メリーに喜んで欲しいという気持ちが勝ったから。
いつからだろう、何故なのだろう。
目の前の友人との間にある感情が友情と呼ばれる物なのだとしたら、私とメリーの間にある感情は友情ではない。
だったらこの奇妙な感情を、人は何と呼ぶのだろう。
「蓮子さんや」
「何?」
「その奇妙な物は、もしかすると愛ってやつじゃいなかな?」
「何言ってるんだか、私がメリーに恋なんてするわけないじゃない、第一女同士だし」
「いや、それは恋でしょう? 私が言ってるのは愛よ、家族愛だったり姉妹愛だったり友愛だったりする、うまく言葉じゃ説明出来ないやつ」
「愛って……」
まず愛の定義が定かではない。
友人が言葉では説明できないと言ったように、恋ほど明確な自覚があるものであはない。
「全てを受け入れる大いなる愛! なんて言うと胡散臭く聞こえるけどさ、要するにそういうことじゃない。
今までの話聞いてると、蓮子はメリーちゃんにお願いされたら何もかも受け入れちゃう気がするんだよね」
「全裸は受け入れなかったけど?」
「それは節度って物があるからよ。
でも今の蓮子なら、メリーちゃんが仮にお付き合いしてくださいって言ってきても受け入れちゃうんじゃない?」
「いや、だから女同士だしそんなわけが……」
「そう言わずに想像してみなよ」
半ば強引に、そんなありえないシチュエーションを想像させられる。
告白を受け入れるということは、つまり私たちが恋人になるということ。
恋人になれば抱き合ったりもするだろう、キスもするかもしれない。
一緒にお風呂に入って、手を繋いでデートに出かけて、寝るときもずっと一緒に――
「……あれ?」
これ、今と変わらないんじゃないだろうか。
そういえばさっき、”恋人みたい”と言われたばかりだ、”恋人のようだ”と自覚したばかりだ。
結局私たちは、すでに恋人として必要なステップをすでに数段踏み越えているわけで、今更呼び方が友人から恋人に変わった所で劇的な変化があるわけではない。
ただ、それを恋と呼ぶだけで。
「どうよ、断れた?」
断れば、メリーは悲しむだろう。
今となんら変わらない関係、日々の些細な変化を受け入れ今まで通りの日常を拒絶することに、そして私のプライドを守ることに、メリーを泣かせる以上の価値などあるだろうか。
いや、無い。
微塵もない。
「無理だった」
「だよね、そう言うと思った。
でもさ、蓮子の方から告白しようとかは思わないでしょ?」
「それは、まあ。今のままで行けるなら今のままでもいいかなと思ってる」
「つまり蓮子はね、メリーちゃんが望むままが一番良いって考えてるのよ。
何を言われても全てを許すし受け入れる、良い事も悪い事もね。これを愛と呼ばずに何を愛と呼ぼうか!」
確かに、この気持ちは恋などではない。
友人でもいいし、家族になってもいい、恋人だって、夫婦だって別に構わない。
そこでメリーが笑っているのなら、私はどんな場所だろうと満足できる。
なるほど、確かにこれは愛と呼ぶべきだ。それ以外に相応しい呼び名が見つからない。
「そっか、愛だったんだ」
「そう、愛だったのよ」
わかった所で大したことはない。
どんな変化でも受け入れるだけで、私がその名前を知った所で何が変わるだけでも無いのだから。
喉奥に刺さっていた小さな骨が一つ取れた程度の違い。
うん、本当に大したことは無い。
愛という大した言葉を使っておきながら、私の心には恥ずかしさも誇らしさも微塵も無かった。
変わらず平静が、ただメリーを想うだけの静かな海があるだけで。
「すいませーん!」
話が一段落した所で、私は店員を呼びつけた。
メニューを開くと、美味しいと評判のシフォンケーキを二つ注文する。
一つはプレーンシフォン、もう一つは紅茶シフォン。
手際よく注文を進める私を見て、ジト目の友人が一言呟く。
「食いしん坊め」
そう言いたくなる気持ちもわかる。
コーヒー一杯に節約する友人が追加のケーキなど頼めるわけがない、それをわかった上で私は二つ頼んだのだ。
「そんなこと言っていいのかなぁ、せっかく私が奢ってあげようと思ったのに」
「なっ、なんだって!? 蓮子が奢りとか今日の帰り大丈夫かしら……」
「雨が降るとでも言いたいわけ?」
空は雲ひとつ無い晴天だ、それだけに余計皮肉の切れ味が増す。
「だってさ、あの蓮子が奢りなんてありえないじゃない、それこそ天変地異でも起きない限りさ。
やっぱりメリーちゃんと出会ってから変わったのね」
言われみれば、他人に興味のない私から誰かに奢るという発想が生まれるわけがない。
最初に友人と顔を合わせた時に”変わらない”と言われたが、変わってないのはどうやら見た目だけだったようで。
「変わったといえば……」
友人の目が私の胸に向けられる。
「見た目はそう変わってないけど、そこだけはずいぶん変わってるわよね。
あえて触れないようにしてたけど、もしかして何か詰めてるの?」
「ああ、これ……」
メリーとの話が出てきた時点で話すべきかどうか迷っていたのだが、果たしてこの変化がメリーのおかげかどうかは定かではないわけだし、話せば友人が食いついてくるのが目に見えていたから。
だが気付かれてしまっては仕方無い。
「ここ一年ぐらいで大きくなったんだよね」
「やっぱり巨乳ちゃんと住んでると大きくなるもんなの? 食生活に何か秘密があるのかしら」
そんな物があるのなら私が聞きたいぐらいだ。
メリーは日本にいる間は日本食を食べたいと言っており、国に居た頃とずいぶんと食生活が変わったらしい。
だから彼女の体型の秘密なんて物は知るわけがない。
私の胸が大きくなった理由は、おそらくもっと別の場所にあって。
「いや、そういうわけじゃなくて……その、揉まれるの」
「……誰に?」
「メリーに」
そう、そういうことだ。
それも過剰なスキンシップの一つであり、湯船に二人で使ってると必ずメリーは私の胸を揉んでくる。
私の抗議など一切受け入れず、それはもう好き勝手に、自由気ままに、縦横無尽に蹂躙してくるのだ。
「どこで?」
「お風呂で」
「どれぐらいの頻度で?」
「毎日のように」
毎日一緒に入ってるし、それは仕方ないよね。
そこまで聞くと、友人は目を光らせてずいっと私の方に乗り出してきた。
「蓮子、その話くわしく聞かせてもらいましょうか?」
ほら来た、だから話したくなかったんだ。
あの後も話が盛り上がり、何だかんだで部屋に戻れたのは午後五時を過ぎた頃だった。
夕食前には戻ると言っておいたけど、思ったより遅かったしメリーがへそを曲げているかもしれない。
その対策と言うと賄賂のようであまり良い気がしないが、例のシフォンケーキもおみやげとして買ってきた。
あとで二人でつつけば多少は機嫌もなおるだろう。
インターフォンを押すと、中からドタドタとこちらへ走ってくる音が聞こえてきた。
そう慌てる必要など無いのにわざわざ走ってくるということは、どうやら私の帰りを首を長くして待っていてくれたらしい。
鍵が開かれるのとほぼ同時に、私がドアノブに手をのばすよりも早くドアが開かれた。
「ただいま、メリー」
「おかえりなさい、蓮子」
今にもこちらに抱きついてきそうだったので、先手を取って私からメリーに抱きつき、少々強引に部屋の中へと押しこむ。
驚いたメリーが「きゃっ」と声を上げたが、さすがに下着姿のままで廊下に出すわけにはいかない。
しかし今日はやけにメリーの胸が存在を主張している気がする、さっき友人とあんな話をしたせいだろうか。
何かと触りたがるメリーのせいで私の胸も大きくはなったが、メリーに比べるとまだまだだ。
目の前にあるそれを見ると口が裂けても大きくなったなんて言えない。
「今日の蓮子は大胆ね」
「メリーの柔肌を公衆の面前に晒すわけにはいかないの」
「大丈夫よ、心配しなくても蓮子以外には絶対に見せないから」
いたずらっぽく笑ったメリーは、そのまま顔を近づける。
同時に体もさらに密着する。
柔らかく、弾力のある唇が私の唇に押し付けられた。
背中に腕を回し、たっぷり十秒ほどキスをする。
唇を離すと、メリーは自分の唇に指を当てながら「はふぅ」と色っぽく吐息を漏らした。
その表情を見るたびにぞくりとした感触が背中を走る。
これだけはどうにも慣れない、挨拶の度に他人にもこの色気を見せているのかと思うと少しもやもやする。
すると私が表情を曇らせているのに気付いたか、メリーが自分の唇に触れていた指で私の唇に触れながらこう言った。
「これも、蓮子以外には絶対に見せないから」
心はとっくに見透かされていた。
私がメリーのことを理解できない一方で、おそらくメリーは私の全てを理解していると言っても過言ではないだろう。
その目は、まるで何もかもを知っているかのようで。
結界の境目だけではない、もっと違うものも見えているのではないか、たまにそんな風に思ってしまう。
こんなに傍にいるのに一人だけ置いて行かれる悲しさが、超然とした存在に全てを支配される喜びが同時に交じり合って、それでも出来ることなら同じ場所に立っていたいと、私はそう願っている。
自分の中にある愛という感情を知ったのならなおさらだ。
こちらから積極的に迫りはしない、何もかもを受け入れる、それでも失って平気な顔をしていられるほど物分かりのいい子ではない。
「……おかわりする?」
言葉にせずとも伝わることを私は知っているから、その意志を目で訴えかけた。
すぐに伝わる。すぐに触れあう。
ただいまのキス、おかえりのキス、二度も繰り返す必要があるのかと言われれば、無い。
おそらくメリーの国でも二度はしないだろう。
それでもしたいと思ってしまった。だって仕方無いじゃない、これが愛なんだもの。
「はふ……やっぱり今日の蓮子は大胆ね、何かいいことでもあったのかしら」
「いいことと言うか、メリーのことを沢山考える時間があってね、おかげで色々わかった気がしたの」
「私のこと?」
「ううん、私のこと」
それぞれに自分を指さす。
マエリベリー・ハーンのことを考えていたのに、理解できたのは宇佐美蓮子のこと。
私は自分のことだし理解できているが、メリーからしたら何のことかさっぱりだろう。
現に私の目の前でメリーは首をかしげている。
「私のことを考えていたのに、蓮子のことがわかったの?」
「そう、だってメリーのことは考えてもよくわからないし、謎が多すぎるのよ」
「そうかしら? 私からしたら蓮子の方が謎多き女よ、私は蓮子が思ってるよりずっと単純なんだから」
本気なのか冗談なのかもわからない、私を構成する要素なんてオカルト好き、人間嫌いぐらいの物で、メリーはとっくに知っているはずなのに。
いつまでも玄関で話を続けるのも何なので、私とメリーは洋室へと移動する。
ワンルームロフト付きのその部屋は、二人暮らしにしてはかなり窮屈だ。
六畳程度の洋室に、そこから梯子で上がった先に四畳ほどのロフトがある。
最初はそれぞれの部屋として使うつもりで居たのだが、メリーの提案で二人とも洋室で暮らすことになってしまった。
窮屈なのが好きと言うより、私と近い方が良いらしく、そのままなし崩し的に同じベッドに眠ることになったのである。
今ではロフトはすっかり物置と化しており、とてもじゃないが生活できるスペースは無い。
どうやらメリーの家はそれなりに裕福らしく、仕送り自体は私よりもずっと多いので無理せずとも1LDKの部屋ぐらいなら家賃で困ることも無かったはずなのに、出来るだけ節約した方がいいとのメリーの助言に乗っかった結果がこれだ。
洋室のベッドに腰掛けると、メリーは私の服を脱がし始めた。
これもメリーが始めたことで、断じて私が言い始めたわけではない。
よくわからないが、私の服を脱がすのが楽しくて仕方ないらしい、おかげで私もメリーの服を脱がすのが日課になってしまった。
下着で暮らすわけだし、どうせ服は脱ぐことになるのだから脱ごうが脱がされようがどちらでも構わないのだが、やはり恥ずかしい物は恥ずかしい。
ネクタイを外され、シャツのボタンを上から一つずつ外されていくのを見ていると、変な想像をしてしまうのは私だけではないと思う。
メリーも決してそういう下心があってやってるわけじゃ無いと思うんだけど、私ばかりが変な妄想をしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「せっかくの機会だし、理解を深めるためにもお互いの秘密を発表してみない?
もう一年も二人で暮らしてるのに、お互いに謎多き女なんて嫌じゃない」
「私に秘密なんて無いって、全部メリーには見透かされてるから」
「蓮子には無いつもりでも私が知らない事は沢山あるのよ。
私が一つ秘密を打ち明ける度に蓮子も言うこと、いいわね?」
どうせ私に拒否権はない、まあいつものことだ。
拒否権の有無に関わらず、頼まれればどうせ断れないのだから愚痴っても仕方ないのだが。
「じゃあまずは私の方からね、最初は軽い秘密から行きましょう。
私と蓮子ってよくキスするじゃない?」
「してるね、メリーの国では普通の挨拶なんだよね」
実際に行ったことがあるわけでは無いので情報のソースはメリーだが、彼女がそう言っていたのだから間違いないのだろう。
「実はね、あれ嘘なの」
「……は?」
思わず固まる。
今まで同居を始めてから一年間、挨拶に関してはその前からだったから一年以上だ、私たちはずっと挨拶と称してキスを続けてきた。
もう何度も、何百回か、下手したら千回は超えているかもしれない。
あれが、嘘?
いや待って欲しい、外国の人たちが抱き合ってキスをするシーンはテレビなんかで何度か見たことがあったはずだ、確かにその記憶がある。
メリーの国ではしないってこと? 確かにそれなら大した嘘ではない、メリーのちょっとした茶目っ気なんだろうし、軽い秘密と言うのにも納得だ。
「嘘と言っても、挨拶代わりのキスぐらいはするわよ」
「じゃあ何が嘘だって言うわけ?」
「唇にキスなんてしないわ、頬に軽くするだけよ。唇は特別な相手のために取っておくの」
「特別な相手って……」
私にとってもメリーは特別な相手ではある。
だがメリーの言葉の意味は、蓮子のそれとは少し違う気がする。
「はい、じゃあ次は蓮子の番ね」
「へ? いや待ってよ、特別って――」
「蓮子が秘密を教えてくれたら一つ教えてあげるわ」
「ええぇっ!? 秘密って言われても、私にメリーの知らない秘密なんて……」
「だったら私から聞いてもいい?」
「まあ、それだったら」
メリーが何を知っていて何を知らないのか、私にはてんで見当がつかない。
それよりもメリーの言った特別の意味が気になって仕方ないのだ、これはもう身を任せるしか無い。
メリーは私のシャツを脱がしながら、私へ質問を投げかける。
「最初に出会った時、私を見てどう思った?」
最初と言うと、京都の町中で迷っていたメリーを見つけた時だ。
「正直に言った方がいいかな」
「正直に言ってくれないと意味が無いじゃない」
「それもそうよね。
えーと……美人な外国人が困ってるなあ、できれば関わり合いになりたくないなあって思ったかな」
「やっぱりそうだったのね、私と話してる間も面倒臭そうな顔してたものね」
「気付いてた?」
「露骨過ぎてすぐにわかったわ」
懐かしい、あの頃の私はまだまだ人間嫌い続行中だった。
今も是正したつもりはないが、まあ以前より多少はマシになっているらしい。
「まあ、そうよね。一目惚れなんて都合のいい展開あるわけないし」
「一目惚れって何の話?」
「こっちの話。それじゃあ次は私の番ね」
「え、あんなのでいいんだ」
「いいのよ、一つずつ聞いていくから。
一緒に暮らし始めた頃に、実家では服を着ないで暮らしてたって言ってたじゃない」
「ああ、そういえば言ってたね。あれにはさすがにびっくりしたわ」
「あれも嘘」
「……マジで?」
「うん、本当に。みんなちゃんと服は着てたし、いくらなんでも全裸で生活はしないわ。
まさか蓮子が信じてくれるとは思ってなかったけどね」
「な、なんでまたそんな嘘をっ」
「だって、あれが通れば蓮子も脱いでくれるでしょう?」
私のスカートを脱がしながらそんなことを言うものだから、不覚にも寒気を感じてしまった。
なんだ、じゃあつまり、私が妥協して下着生活を余儀なくされたのも、ただ私の下着姿が見たいだけで国の風習でも何でもなかったと?
「私にとって蓮子は特別だったの」
「私、外国から来ました、日本のことはよくわかりませんって、そう言ってたのは……?」
「あれもね、全部ウソ」
「なっ――」
絶句。
つまり私が今までメリーと同居する上で受け入れてきた数多の妥協は、国の文化などではなく――ただのメリーの願望だったってことになる。
「一緒にお風呂に入るのは?」
「私の国ではね、まず日本と違って毎日湯船に浸かったりしないのよ。
もちろん入るときも一人で入るわよ」
「じゃあ、一緒に寝るのは!?」
「自慢じゃないけど、小学校に入る頃にはもう一人で寝てたわ」
「だったら、外を歩く時に手をつなぐのが普通っていうのも……」
「手を繋いでデートなんて特別な相手とだけよ、恥ずかしかったけど嬉しかった」
「……目眩してきたんだけど」
「ごめんね、蓮子と一緒に居られるのが嬉しくて色々誤魔化してたの」
こんなの、卑怯だ。
もし私とメリーが出会ってすぐに白状されてたら、気持ちだって冷めていたかもしれない。
でも、今更じゃないか。
もう私の気持ちは引き返せない所まで来ている、愛なんてとんでもない物を自覚して、ああそっかで済ませてしまえる程にメリーのことを想ってしまっているのだ。
なのに、だというのに――いや、これもまたメリーの思惑通りなのかもしれない。
今日という日に、何の前触れもなく全てを吐露しようと決めたのは、そろそろ頃合いだと判断したからなのだろう。
ああ、なんて恐ろしい子なのだろう。
メリーに目を付けられた時点で、私の運命はすでに絡め取られていたのかもしれない。
「次は蓮子の番」
先ほどの秘密に吊り合うような物は持ち合わせていない。
きっとこれもメリーの作戦の範囲内なのだろう、私が彼女に質問の権利を与えることも含めて、きっと全て知っていたのだ。
「ねえ教えて。
それでも蓮子は、私の傍に居てくれる?」
上下共に下着姿になった私の足に手を這わせ、靴下を脱がせながらメリーはそう問いかける。
全てがメリーの手のひらの上だと言うのなら、その答えすらも彼女は知っているのではないだろうか。
だったら私に問いかける意味なんてほとんど無いはずなのに。
「メリーはどう思う?」
「どう、って」
「私がメリーのことをどう思っているか、わかった上で聞いてるんじゃない?」
少し冷たい言い方になってしまった。
別に彼女を責めるつもりはない、最後の確認だ。
私は完全にメリーの思惑通り動いていたんだって、自分の敗北の事実を知りたかっただけなのだ。
「最初に言ったけど、私は蓮子のことを何も知らないわ。わからないことだらけよ、だからこうして確かめないと不安で仕方ないの」
「何もかも見透かしたような目をしてるくせに」
「ふふふ、何よそれ、蓮子の気のせいよ。
そっちこそ、その目で私の心を全部見透かしてるんじゃないの?」
私の目なんて、せいぜい星と月ぐらいしか見ることはできない。
どんなに近くにいたって、メリーを見つけることすらままならないのに。
「もし蓮子が本当に全てを見透かされていると感じているのだとしたら、それは気のせいか、偶然か、あるいは奇跡のおかげね。
こんなに何もかもがうまくいくなんて、神様が奇跡を授けてくれたとしか思えないもの」
「奇跡って、私がまんまと騙されて同居しちゃったこと?」
「ううん、それだけじゃなくて、最初から全部。
最初と言っても、蓮子にとっての最初のことだけど」
私にとっての最初とメリーにとっての最初が違うような言い方だ。
そういう言い方をするということは、実際違うということなのだろうか。
私の知らないうちからメリーは私のことを知っていたってこと?
「運命を感じたの、一度も足を踏み入れたことのない京都という地にやってきて、最初に出会えたのが宇佐見蓮子という人間だったことに」
あえてぼかすような言い方から、私はメリーの言いたいことを読み取ることが出来た。
ルールはルールだ、私が秘密を明らかにしなければメリーは次の秘密を教えてはくれない。
つまりは一つ秘密を教えて欲しいと、遠回しにそう言っているのだろう。
だったら、言ってやろうじゃないか。
嘘に嘘で対抗するのは子供のやり方だ、もう私たちは大学生なんだからそんなやり方は間違ってる。
私は、真正面から真実をぶつけてやろう。
「傍に居てくれるか、って聞いたよね」
「ええ」
「正直に言ってもいい?」
「もちろん、蓮子の素直な気持ちを聞きたいの」
だったら、お望み通りありったけの素直さで応えようじゃないか。
もうぼやけた関係はまっぴらだ、お互いに知らないでもやもやするぐらいなら、見せなくていい部分まで見せてすっきりした方が気持ちだって楽になる。
だから、言ってやろうと思う。望まれるより多く、余計なことまで全部。
「傍に居るよ、いつまでも、どんなときだって。
メリーが私を嫌いになっても、どこか遠くに行っても、手の届かない場所に居たとしても、私はどんな手を使ってでもメリーの傍にあり続ける。
嘘なんて関係ない。ううん、嘘をついたのなら余計に責任をとって私の傍にいてもらわないと困るわ。
好き勝手に私を捕まえて、好き勝手にはいさよならなんてそんなの絶対に許せないもの。
私は……もう手遅れなぐらい、メリーのことを愛してるから」
ほら、言ってやった。
嘘は言ってない、それは恋とは少し形の違う愛だけれど、メリーの気持ちがあって初めてその形になる不定形の感情だけれど、確かに私の中に愛と呼ばれる感情はある。
愛しているって言葉は、世間一般では恋人になるための告白なのかもしれない。
愛と恋は少し違うけれど、仮にメリーがそれを恋として受け取っても構わないと思った。
そうなるのならそうなってしまえ、恋人になればメリーが無責任に私を放棄することは無いだろうし、対価として全ての秘密を話さなければならなくなる。
追い込むために必要な言葉だったのだ。
さあ私は身を削ったよ、今度はメリーがぼかさず素直に全部話す番だ。
「これが、私の素直な気持ち」
「……」
メリーはぱちくりと目を見開いて私の方を見ている。
「何か言ってよ、恥ずかしいから」
「……え、あ……ごめんなさい、急に告白されたから、びっくりしちゃって」
今まで告白まがいのことをさんざんしておいてよく言う。
とはいえ、自分でもさすがに急すぎたかな、とは思っている。
傍に居るかどうかと言う質問だったのに、いきなり愛の告白をされたら私でも驚くだろう。
「えっと」
手をもじもじさせながら視線を泳がせるメリー。
それでも、やっぱり返事ぐらいは欲しい。
私に言わせるだけ言わせておいて終わりなんて、そうは問屋がおろさない。
しかし帰って来たのは、私の期待したような返事ではなく――
「えへへ」
気の抜けた笑い声だった。
可愛いけども、確かに可愛いけども! 私が望んでるのはそんな可愛いアピールじゃなくって!
「なんで笑うのよっ、これでも気持ち込めて告白したのよ!」
「だって、ここまで行くともう笑うしかないじゃない。
色んな事うまくいきすぎて、こんな簡単に夢が叶って良いのかなって」
「夢って、私に告白されることが?」
「ずっと前からそれが夢だったの、一緒に暮らし始めたのもそのためなんだから」
ずっと前と言っても、私とメリーが出会ったのはつい一年半ほど前のはずだ。
その前に会ったことは無いし、メリーほどの美人と出会って忘れられるほど私の人間嫌いは飛び抜けたスペックではない。
だったらずっと前とは一体何のことを指すのだろう。
何かの比喩? それとも夢で見た誰かに私が似ていたとか?
「ごめん、ちゃんと言わないと蓮子にはさっぱり分からないわよね」
まったくその通りだ、懇切丁寧に説明してもらわなければ。
「実は私、本当はここで出会う前から蓮子のことを知っていたの」
「それは、私が声をかける前にどこかで目撃したってこと?」
「いいえ、日本に来るより前からよ」
「え、どういうこと? 私、海外旅行なんて行ったことないんだけど、メリーだって今回初めて日本に来たって言ってたよね」
「そうよ、日本に来たのは初めてだし、間違いなく私と蓮子は初対面だった。
でも私は蓮子のことを見たことがあるし、ずっと前から知っているの」
ますますわからない。
初対面なのに知っている? 会ったこと無いのに私の顔を見たことがある?
友達のいない私の顔が海外にまで知れ渡るなんて、そんなことあるだろうか。
「覚えてないかな、六年前に蓮子が何をしたのか。
私が日本に来ようと思ったきっかけはそれなんだよ」
「六年前って……」
六年前と言うと、私が中学生の頃だ。
今よりもずっと素直じゃなくて、可愛くなくて、クラスメイトどころか教師にもあまり好かれていなかった。
でも私はそれを特に気にすることはなく、自分の好きなことだけに没頭していた。
ただし、一人の例外は居たけど。
例外と言うのはあの友人のことだ、彼女が居なければ私はもっと平穏な中学高校生活を送れていたはずなのに。
修学旅行先でおもむろに仮装してカメラを回すなんて奇行、並大抵の変人じゃできないだろう。
映画研究会や演劇部に入っているなら辛うじて理解できたかもしれないが、なんと彼女はただの帰宅部である。
他にも奇行を列挙するとキリがない、彼女は間違いなく私以上の変人――
「……あ、もしかして」
「思い出した?」
メリーは嬉しそうに微笑んだ。
「あの動画、見たの!?」
「そう、蓮子が映ってたあの動画よ。
日本のことを何も知らなかった私が、適当にネットで検索してたら見つけたのがあの動画だった。
私が見つけたのは今からちょうど五年ぐらい前のことだったかしら、意味もわからないし特に面白みも無かったけど、そこにはとても可愛らしい女の子が映っていたわ」
「それが、私……」
そういえば、先日話した時に、友人は例の動画の再生数が当時に比べてかなり伸びていると言っていなかっただろうか。
海外からのコメントが付いていたとも。
あの時は海外にも変わった人は居るもんだな、ぐらいの認識だったけど……そうか、あれがメリーだったんだ。
「その通り、それが蓮子だったのよ。今よりちっちゃくて生意気そうだったけど間違いなく宇佐見蓮子だった。
もちろんその時はフルネームまでは知らなかったけど、蓮子のお友達がレンコって呼んでたから名前だけは知ってたの。
それにしても、最初に動画を見た時はびっくりしたわ」
「あれ、変な内容だったでしょ?」
「内容じゃなくて、蓮子によ。
ああ、こんなにかわいい子がこの世に存在するのか、って心の底から驚いたわ。
見た瞬間に胸がぎゅーっと締め付けられて、虜になるってまさにこういうことを言うんでしょうね。
一瞬で夢中になって、もうその時から私の頭のことは蓮子でいっぱいになって。
声しか聞いたこともない、苗字も知らない、遠い異国の地に住むあなたに、私は最初で最後の恋をしてしまったの」
メリーは胸に手を当てて目を閉じ、当時のことを想起する。
道理で、初対面の時に私を見て目を輝かせていたわけだ。
あれは私に助けを求めていたわけではなく、日本に来るきっかけになった私を偶然見つけて喜んでいたんだ。
「動画から辛うじてわかったことは、これが日本にある京都という都市であること、そして動画に映っているレンコと呼ばれる少女が私と同い年ということだけ。
それでもね、私を突き動かすには十分すぎる情報量だったわ。
この子に会えるチャンスがあるなら何でもしてやるって、あんな動画でそこまでするなんておかしいわよね、けどそう思ってしまうほどに蓮子に惹かれちゃったのよ。
私にだって理由なんてわからなかったわ、でも私にはこの子しか無いんだって、理屈抜きでそれが正しいことなんだって、もう信じるしかないぐらい強い想いだった。
だから私、死に物狂いで日本のことを勉強してわ。
どうにか親も説得して、大学の入試にも通って、ようやく日本に留学出来ることになったの。
嬉しかった……嘘偽り無く、その瞬間は生まれてきて一番嬉しかったわ。
今は二番目だけどね、だってあの日に蓮子と出会えたんだから」
まいった、ここまでメリーに想われているとは想わなかった。
しかもあんな下らない動画がきっかけだなんて、人生の汚点として消化してきたアレがまさかメリーとの繋がりを産むなんて、神様だって想像していなかっただろう。
仮装した友人と私が揉み合ったり言い合いをしてるだけの動画だって言うのに、一体あれの何に惹かれたって言うんだろう。
メリーだって理由はわからないって言ってるんだ、それを私が理解できるわけがない。
今考えなければならないことは、メリーのその想いに私が報いる事ができるどうか、と言うことだ。
私はメリーを愛している。積極的な愛ではなく、受動的に、献身的にその想いを全て受け止めたいと思っている。
しかしメリーからの想いは私の器より遥かに大きい。
それを受け止めることなんて、果たして出来るのだろうか。
「だから、最初から日本語ペラペラだったんだ」
お茶を濁すように、関係が無いようである微妙な話題を振ることしか出来ない。
真正面からその物量を受け止める自信が無い。
「うん、蓮子とお話することを夢見て頑張ったんだから」
「でも京都で私と会えなかったらどうするつもりだったの? そもそも私の実家は東京だしね」
「そうね、後から実家のことを聞いた時は肝が冷えたわ。
でも私にとっては可能性があるだけで十分だったのよ、何もせずに諦めるぐらいなら一度ぐらい無茶した方がいいじゃない?
それに、結果こうして蓮子と出会えたんだもの、私の選択は正しかったってことよね」
それはもう、偶然なんて言葉では片付けられない、見えない力が私達を巡りあわせたとしか思えない、まさに奇跡と呼ぶに相応しい出来事だったのだ。
私はそれに気づかずにメリーの前を通り過ぎようとしていた。
無知とは真に恐ろしいものだ、私がタイムスリップ出来るとしたら、あの時の自分をバカヤロウって思い切り殴ってやりたい。
「こんな奇跡、私だって信じられなかった。
日本に来てから今までの日々が全部夢なんじゃないかって疑うぐらいに、ほんとに怖いぐらい全部うまく行って、今日もこんな風に蓮子に告白してもらって……」
夢だと思ってしまう気持ちもわかる。
日本の人口一億弱、と言うと大げさかもしれないが、首都である京都にはその二割ほどの人口が集まっている。
その中で私とメリーは巡りあったのだ。
奇跡という言葉も相応しくないかもしれない、メリーの強い想いが運命引き寄せた結果と呼んだ方がずっとしっくり来る。
出会いだけじゃない、私が初対面の相手に心を開いたという事もまた奇跡だったのだ。
それから友人になって、一緒に暮らすことになって、そしてメリーの数多の嘘は私に見破られること無く、私は疑いもせずにそれを受け入れた。
考えみれば、毎日服を脱がすなんて行為が常識であるわけがない。
要はメリーが私を脱がしたかっただけじゃないか、それを信じた私も私だけど。
結果的に、その過剰すぎるスキンシップが私に友情以上の感情を芽生えさせてしまったわけだ、つまりはメリーの思惑通りに。
成功するかどうかはまさに綱渡りだったはずだ、相手が私でなければとっくに見破られていただろう。
そう、私が人間嫌いでろくに友人も居ないポンコツだったから、メリーの作戦は奇跡的に成功してしまったのだ。
「本当に夢じゃないのよね、蓮子に触れたら泡のように消えたりしないわよね?」
「心配しなくてもちゃんと居るから、メリーを愛している私は、確かにここに」
手のひらを引き寄せ私の頬に当てると、メリーは熱く潤んだ瞳で私を見つめた。
今まで気付かなかったが、その眼差しには確かに彼女の言葉通り、溶けてしまうほどの熱量が込められていて――その真っぐすな力強さに思わず目を背けそうになる臆病な私を思い切りひっぱたいて、心の中から追い出した。
メリーにそんな冷たい真似出来るかっての。
それに、今更躊躇ったからってどうなる。私達はもう行く所まで行ってしまっている。
周りの目だってある、女同士だし色々と大変なことはあるだろう、今までのように何もかもがうまくいくことばかりじゃ無いはずだ。
でもそれは、臆病さの言い訳にはならない。
以前の私ならつゆ知らず、今の私は人間嫌いだけどメリーが好きだ、愛してる。
これはメリーと出会えたことで生まれた感情だ。
砂漠から同じひと粒を同時に探り当てる、そんな奇跡を私の臆病さなんかで無為にしていいわけがない。
何より、私自身がこの気持ちを大事にしたいって思ってる。
だから――
「いいよ」
彼女の全てを、私は受け入れてみせよう。
「……っ」
メリーが生唾をごくりと嚥下する。
「メリーの気持ち、全部私が受け入れてあげる」
宣言した。もう逃げられない。ざまあみろ、臆病な私。もう逃げ場など無い、愛という言葉に背は向けられない。
頬で重ねた手をたぐり寄せるようにメリーは私に近づいて、そのまま私をベッドの上に押し倒した。
「すぅ……ふぅ……」
息が荒い。
深呼吸をしなければならないほどいに乱れている。
あのメリーが心を乱している、私なんかのために。
見開かれた瞳がが、まばたきも忘れて揺れている。
白雪のような肌がしっとりと汗ばんでいる。
首から鎖骨にかけてが赤く染まっている。
近づいた体が、触れてもないのにメリーの体温を感じていた。
熱い。メリーの何もかもが熱くて焼けてしまいそうだ。
視線も、吐息も、そして想いも。
「……今でも夢みたいに幸せなのに、本当にいいの?」
いいな、この感じ。
うん、いい。メリーほどの素敵な女の子が私に夢中になってくれるなんて、こんなに素晴らしいことはない。
できれば離したくないと、受け身な私の割には、少しわがままな独占欲が私の中に芽生えるのがわかった。
きっと、人はこんな気持ちを恋と呼ぶのだろう。
メリーの恋を受け入れて初めて芽吹いた、私だけの恋心。今はまだ愛しか知らない私の初恋。
その恋を、私は手遅れにまるまで育ててみたいと思った。
「いいって言ってるじゃない、いつも強引なメリーらしくもない」
頬に手を重ねると、手のひらに砂糖菓子のような甘い熱が広がった。
触れ合うだけでメリーの瞳にさらに強く熱がこもる、もう我慢出来ないとさらに息を荒くする。
「本当の、本当の、本当にいいの?」
「もう、ここまで来ておいて何言ってるのよ。
怖いことなんて一つもないわ」
受け入れる覚悟はとうにできている。
両手を広げて、私はメリーに全てを委ねた。
「夢の向こう側、一緒に見よ?」
めでたしめでたし……でも蓮子の実家は東京だったりする。
寸止め感がたまりませんね
二人はどこまで行ってしまうのでしょうか
良い秘封をありがとう……!!
メリーの執念が恐ろしいほどで素晴らしかったです