二限が終わってスマホを確認してみると、メリーから一通のメールが届いていた。今日はお昼を一緒に食べる日だから、きっと何か用事ができたのだろう。そういう軽い気持ちで私はメールを開いた。
『かぜひいた。いけない』
何故か片言表現だった。メリーは何年日本にいるのかと突っ込みたくなるくらい日本語に堪能なはずなのに。一体どうしたのだろう。まさか、メールも打てないほどの風邪?
心のどこかで胸騒ぎがした。私は人の多い通りを避け、静かな裏通りに入ってメリーに電話をかけてみた。五コール目にやっと出たメリーは、非常にだるそうな声を出した。
「れんこぉ。かぜ。ひいた」
「熱はどれくらいなの?」
「はかってない……。身体おもくて……」
「大丈夫じゃなさそうね。今から行くわ」
「れんこ、じゅぎょう」
「休講になったの。行くからドア開けてね」
すぐに電話を切って大学を飛び出した。もちろんそんな都合よく休講になるはずはない。しかしメリーのことが気がかりで、どうせ授業を聞いても上の空になるだけだ。それならいっそ休んでしまってメリーの看病をするほうがましだ。
こういうときに自分の頭がよくてよかったと思う。一コマくらいすっぽかしても平気なのだ。
メリーの下宿へは大学から五分ほどだ。どう見ても学生向けじゃない高級マンションの八階にメリーの部屋はある。オートロックの玄関を抜けると広いエントランスがあり、警備員も常駐している。メリーの家はたいそうなお金持ちらしい。日本に身寄りがない代わりに、こんな贅沢なマンションを与えているのだ。
「808」とボタンを押す。メリーが玄関を開錠してくれないと私は中に入れない。風邪を引いたメリーには辛いだろうが。
メリーは誰が来たか確認もせずに開錠した。こういうところが不用心というか、抜けているというか、心配になる。
警備員さんに軽く頭を下げてエレベーターに乗り、メリーの部屋のインターホンを鳴らした。ドタバタと物音がして、しばらくした後にドアが開くと、ピンク色のパジャマを着たメリーがつらそうな顔をしていた。
「やっぱりひどいわね。来てよかった」
「ふえ、れんこ、れんこ」
「はいはいどうしたの」
ドアを閉め、メリーの身体を支えながら靴を脱ぐ。メリーは熱にうなされて夢うつつのようになっていた。
「れんこ、夢でなんかいもでてきたから、ほんもの、うれしい」
そう言ってメリーは私の身体に寄りかかってくる。肩のあたりにほおずりしている姿は、紛れもない天然記念物級のかわいさがあるが、いつまでもそうさせているわけにはいかない。
寝室までメリーを引っ張り、ベッドに寝かせる。寝室には窓がなく、梅雨特有の湿気がこもっていて蒸し暑い。
「メリー暑くない?」
「あつい……」
「エアコンつけるわよ。湿度調整モードね。風は当たらないようにするから」
気温が同じでも湿度が下がるだけで快適さが変わるはずだ。しかし乾燥しすぎないようにしなければいけない。
メリーは熱で頭がぼうっとしているようだ。目の焦点も定まっていない。まずは頭を冷やしてあげよう。
キッチンに行ってビニル袋を探し、氷を取り出して氷のうを作る。メリーの頭に乗せてあげると、少し表情が和らいだ。
「気持ちいい?」
「うん。ありがと」
あまり開いていない瞼の奥にある瞳が、確かに私を見てくれた。
他に私ができることってなんだろう。病人がしてもらいたいことってなんだろう。メリーのことを見ていると何かしてあげたいという気持ちが湧いてくる。
勢いにまかせて氷のうを作ったけど、まず体温を測るべきではないだろうか。そして高熱なら病院に連れて行くことも考えなければ。最悪往診ということも頭に入れておく。
「メリー。体温計ってどこにある?」
「そのへん」
メリーが指差したのは、化粧道具などが置かれた机だった。寝癖直しやブラシ、香水や鏡などが置かれている。なかなかプライベートな空間だった。爪切りややすり、耳かきの棒なんかも置いてある。その中に小さな液晶がついた体温計を見つけた。
長い間使っていなかったようで、体温計はほこりをかぶっていた。ティッシュで先を拭き取ってからメリーに差し出す。
「メリー。とりあえず熱を測りなさい。ひどいようなら病院に行くわよ」
「んー……」
受け取った体温計を左のわきに挟もうとする。しかしシャツのボタンが邪魔でうまく右手を入れられないでいた。
私はメリーのパジャマであるピンクのシャツのボタンを上から二つ外してあげた。すると、ピンクのブラに包まれたメリーのふくよかな胸が露わになる。
「ありがとー」
メリーが左わきに体温計を挟むと、数秒でピピッという電子音が鳴った。液晶を見せてもらうと三十七度六分。病院に行くほどではないかもしれない。
体温計を元の場所に戻す。メリーを見ると、ボタンが開けっ放しで、また意識がはっきりしない状態になっていた。瞼が閉じそうで閉じない。
メリーの胸元がはっきりと見える。ピンク色に白のレースが入ったブラも、ふくよかな胸によってできた谷間も。その谷間には汗が浮かんでいる。
そもそも私は寝るときにブラをしないのだけど、メリーくらい大きければ必要になるのだろうか。少し妬ましい。メリーに聞いたら当然でしょって顔をされそう。
「汗拭いてあげようか。ベタベタして気持ち悪いでしょ」
「うーん……。なんかわるいし」
「いいのいいの。タオル持ってくるね」
私は洗面所に行って勝手に予備のタオルを取り出し、蛇口をひねった。冷たさを感じさせてあげられるように念入りに濡らしてから、絞って水を落とした。
胸元は相変わらず開きっぱなしだった。私はまずメリーの顔の汗を拭いてあげた。額や頬を撫でるとメリーは少しだけ安らかな表情を見せた。そのまま首を拭き、肩や鎖骨周辺へと手を伸ばす。ちらりとメリーの顔を確認したが、特に嫌がる様子は見せない。
そのまま手を徐々に下に伸ばす。胸のふくらみや蒸れていそうな谷間を、指先を使って拭いてあげる。「ん……」という詰まった声にドキッとしたが、メリーは抵抗しなかった。
私はただ看病しているだけのはずなのに、メリーの身体に触れることで少なからず興奮していた。メリーの白い肌や大きな胸を間近で見ることはあまりない。せいぜい温泉に行ったときくらいだ。その綺麗な身体は、女の私でさえ魅力的だと思えるものだった。
勢いに任せてシャツのボタンを全部は外す。メリーの上半身が目の前で露わになる。くびれた腰に引き締まったお腹、おへそが妙に艶めかしかった。
肌を撫でるように私はタオルを滑らせていく。ブラのすぐ下から、腰、お腹、おへそ周りまで。さすがにボトムはを脱がせるのは自重した。拭き終えると、身体を冷やさないようにまたボタンを留め、掛布団をかけてあげた。
「えへへ、ありがとうれんこ」
「お、お安い御用よ」
にへーっとメリーが顔を崩す。色白の彼女は頬を染めていると可愛いさがいつもより増して見える。それが弱っている状態ともなればなおさらだ。
「他にしてほしいことはあるかしら」
「そんなに頼んだら、その、わるいというか」
「病人だからいいのよ。ほら、言ってみて」
メリーはしばらく無表情で天井を見つめた。彼女の中で一体どんな思考が流れているのだろう。
「じゃあ、れんこのおかゆがたべたい」
「おかゆ……分かったわ。キッチン使わせてもらうわよ」
「うん」
メリーは私を見て、またふにゃあととろけるような笑顔を見せた。そんな彼女に小さく手を振って私はキッチンに向かった。
私は自炊をあまりしない。今どきお店に行けばいくらでも調理済みのものが手に入る。それも、すぐに提供できるように作られた合成食材だ。
とはいえ、さすがにおかゆなら作れるだろう。そこに自信が持てないほどではない。
高級マンションだけあってキッチンも豪華だ。とりあえず、シンクの下にある食洗機から手ごろな大きさの鍋を取り出した。次に炊飯器をチェックしたが、ごはんは入っていなかった。冷凍庫を見ると一食分ごとに分けられたごはんがラップに包まれて冷凍してあった。それを一つ取り出す。
あとは調味料の類だ。人の家のキッチンだからどこに何があるか分からず、探すのに苦労する。
ようやく調理に取り掛かる。とは言っても、ご飯を鍋で煮て、適当に味をつけるだけだ。そうだ、溶き卵を入れてあげよう。
煮詰めて程よく水分を飛ばしたおかゆに塩を振り、溶いた卵を上から流し込んだ。卵が固まる間に戸棚からお茶碗を取り出し、完成したおかゆを盛り付けた。
「おまたせメリー」
「ふへ、えへへ、れんこのてりょうり……」
「メリーさっきからちょっとおかしいわよ」
熱のせいで普段出ない変な部分が現れているのだろうか。
お茶碗とスプーンと醤油さしを載せたお盆を、ベッドの横の小さなテーブルに置いた。
「味が薄かったらお醤油かけてね」
「食べさせてぇ、ほしいなぁ」
「えー」
「病人だから何でもしてくれるんでしょぉ?」
「何でもとは言ってないんだけどなあ」
メリーは上半身を起こしたままずっと笑顔で私を見てくる。完全に私に食べさせるように笑顔で要求してきていた。これ以上見つめあっていたら、私はメリーの笑顔に悩殺されそうだ。
渋々スプーンを手に取った。嬉しそうに手を叩くメリー。いくら胸が大きくても今だけは女子大生には見えない。
私だってメリーに食べさせることは嫌じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。でも、こう真っ直ぐ要求されるとこっ恥ずかしいものがある。
スプーンでおかゆをすくい、冷ますためにふうふうと息を吹きかけた。自分の息がかかったものがメリーの身体に入っていくと思うとなんだか変な気分になりそうだ。
あーん、とお決まりのセリフでメリーの口にスプーンを入れた。特に熱いというそぶりを見せずにメリーは食べてくれた。
「おいしい」
「そう? よかったわ」
「もっかい」
「はいはい」
メリーは一口食べるのがとても早い。もっとよく噛みなさいと言っても聞かなかった。スプーンでおかゆをすくってふうふう、そしてメリーの口へ。これを最後まで繰り返した。ほんの数分でお茶碗は空になった。
最後の一口を飲み込むと、メリーは幸せそうな顔で「ごちそうさま」と言った。
「れんこのてりょうり、はじめてたべた」
「そうだっけ?」
「うん。おいしかった。またたべたい」
「また風邪引いたらね。でもわざとはだめよ」
くしゃ、とメリーが笑った。上半身をまた横にして、惚けた表情で天井を見上げた。その目がだんだんと閉じていき、やがてメリーは眠ってしまった。
私はキッチンに行ってお茶碗やスプーンや鍋を食洗機に入れておいた。他にやることはないだろうかと私は家の中を一回りすることにした。
お風呂掃除はメリーにはお節介だろう。きっと湯船に浸からないだろうから。部屋の掃除も、本人の許可なくやるのは悪い気がする。買い物も、本人同伴でないとだめだ。洗濯物も、今は機械がすべてやってくれるから必要はない。
メリーはすうすうと静かな寝息を立てている。夢を見ているのだろうか。メリーは夢の中で変な世界を歩いているらしいが、私の目の前にはしっかりとベッドに横たわるメリーの身体がある。やはり、メリーの夢の話は夢でしかないのだ。それとも、本当に身体ごと向こうの世界に行ってしまうときがあるのだろうか。
急に不安になった私はメリーに近寄ってその手を取った。熱いくらいの熱を持った右手を、感触を確かめるように両手で握る。
メリーが眠る姿は、少し怖い。
風邪をひいているせいか、普段より存在が儚く思える。その儚さが、私の不安に拍車をかける。
「メリー……」
「れんこ?」
いつの間にかメリーは起きていた。いや、ずっと意識と無意識の間をさまよっていたのかもしれない。
「どうしたの?」
「なんでもないわ」
「そう。あのね、わたしもれんこが風邪ひいたら、看病してあげる。おかゆ食べさせてあげる。やくそく」
「私あんまり風邪引かないからなあ。子供のころも雨に濡れてもピンピンしてたわ。メリーは今回の風邪に心当たりはあるの? ストレスによる免疫力の低下? それとも偏った食事?」
「……」
ニコニコと笑っていたメリーが、突然無表情になった。そればかりか、何故か悲しそうに俯いてしまった。私は自分の言った言葉を省みた。何か気に障ることを言ってしまったのではと不安が心に広がった。
メリーは何も言わない。私が握っている右手には、何の力も込められていない。まるで眠っているかのように。でもメリーの体温だけは確かに伝わってきている。
唐突にメリーがベッドから起き上がった。額に乗せていた氷嚢がシーツの上にポタリと落ちた。頼りない足取りでベッドから降りると、私の正面に立って向き合った。
握っていた手が離れた。でも、メリーは目の前にいる。
「抱いて」
「え? へ?」
「抱きしめて」
「い、いきなりどうしたの」
「抱きしめてくれたら、さっきの、教えてあげる」
「さっきの?」
その言葉が風邪を引いた理由だと分かるまで少し時間がかかった。なんたってメリーはそんなことをさせるのだろう。普通に教えてくれればいいのに。
でも私にメリーを抱きしめられない理由はない。
メリーは真っ直ぐ私の目を見つめていた。
私はメリーの背中に腕を回し、その熱い身体を抱きしめた。
「昨日、雨に濡れたの」
メリーは私の耳元でささやくように話し始めた。私は腕に力を込めたままメリーの小さな声に集中した。
「傘を、わすれたの」
「それで?」
「蓮子に入れてもらおうと思ってたの」
「あっ……」
昨日の夕方のことが脳内で次々に映像化されていく。メリーからのメール。私は一緒に帰れると返事をした。でも、教授に呼ばれたから、やっぱり先に帰ってと後からメリーに伝えたのだ。結局下宿に帰ったのは深夜になってからだった。
「もしかしたらすぐに用事が終わるかもしれないと思って、私ずっと待ってたの。でも、七時になっても八時になっても蓮子は来なかった。私は諦めて一人で帰った。濡れて、帰って、着替えもせずにそのままベッドに倒れこんだ。そしたら深夜に目が覚めて、寒くて、寒くて、私は」
「ごめんなさい」
メリーの言葉をさえぎって私は謝った。メリーの身体を、それまでの何倍も、強く抱きしめた。
私が、私自身が原因だったなんて。
言葉にならない感情がせり上がってきて、それを我慢していると涙がこぼれそうになる。
「ごめんなさい」
「蓮子、私は」
「ごめんなさい」
「私って馬鹿でしょ。傘なんて学生課に行けばいくらでも借りられるのに」
そういう問題ではないんだ。メリーもきっとそう思ったから、昨日は傘を差さずに濡れて帰ったんだ。
メリーの言葉は私の耳から全身に広がっていくようだった。抱きしめているからメリーがどんな表情をしているのか分からない。怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも……。
「でも、もう怒ってないよ」
無意識に腕の力が少しだけ緩んだ。私はメリーの言葉を待った。
「れんこが、こうやって、かんびょうしてくれて、抱きしめてくれて……」
そこまで言ってメリーは力を失ったように私にもたれかかってきた。やはりずっと立っているのは辛かったのだ。
メリーを再びベッドに寝かせた。今度はメリーも、私の手を強く握ってくれた。
「本当に怒ってないのよ。だからそんな悲しそうな顔をしないで」
「ほんとに?」
「だきしめてくれたからゆるす」
やや力なくメリーが笑った。同時に私の手を強めに握りしめた。
メリーは本当に怒っていないのだろうか。
私がしてしまった大きな過ちを、あの程度のことで許してもらえるのだろうか。
「これ以上あやまったらおこる」
「分かった。もう謝らない」
だから私は心の中で謝った。ごめんなさいメリー。
「さっきのやくそくおぼえてる?」
「うん。私が風邪引いたらメリーが看病してくれるんでしょ?」
「そうよ。おしかけるわよ。鍵こじあけてでもれんこのそばにいるんだから」
「それはこわい」
「じょうだんよ」
メリーの口調は冗談に聞こえなかった。本当にドアを破ってでも看病しに来そうだった。
これだけ接触していたら、メリーの風邪が私にうつるかもしれない。そうなったら、すぐに役割交代だ。約束も忘れずに済む。むしろ今うつしてもらったほうがいいかもしれないと思った。
「つかれた」
そう言ってメリーは目を閉じた。意識があることはメリーの手から伝わってきていた。私はメリーの手の握る力が弱まり、完全に眠りにつくまで、ずっと手を握り続けた。
「眠った?」
「……」
「メリー?」
「……」
ごめんね。メリー。もう忘れないから。
手を握ったまま、眠っているメリーの唇に、そっと自分の唇を押し当てた。
キスをすれば、風邪がうつると信じて。
『かぜひいた。いけない』
何故か片言表現だった。メリーは何年日本にいるのかと突っ込みたくなるくらい日本語に堪能なはずなのに。一体どうしたのだろう。まさか、メールも打てないほどの風邪?
心のどこかで胸騒ぎがした。私は人の多い通りを避け、静かな裏通りに入ってメリーに電話をかけてみた。五コール目にやっと出たメリーは、非常にだるそうな声を出した。
「れんこぉ。かぜ。ひいた」
「熱はどれくらいなの?」
「はかってない……。身体おもくて……」
「大丈夫じゃなさそうね。今から行くわ」
「れんこ、じゅぎょう」
「休講になったの。行くからドア開けてね」
すぐに電話を切って大学を飛び出した。もちろんそんな都合よく休講になるはずはない。しかしメリーのことが気がかりで、どうせ授業を聞いても上の空になるだけだ。それならいっそ休んでしまってメリーの看病をするほうがましだ。
こういうときに自分の頭がよくてよかったと思う。一コマくらいすっぽかしても平気なのだ。
メリーの下宿へは大学から五分ほどだ。どう見ても学生向けじゃない高級マンションの八階にメリーの部屋はある。オートロックの玄関を抜けると広いエントランスがあり、警備員も常駐している。メリーの家はたいそうなお金持ちらしい。日本に身寄りがない代わりに、こんな贅沢なマンションを与えているのだ。
「808」とボタンを押す。メリーが玄関を開錠してくれないと私は中に入れない。風邪を引いたメリーには辛いだろうが。
メリーは誰が来たか確認もせずに開錠した。こういうところが不用心というか、抜けているというか、心配になる。
警備員さんに軽く頭を下げてエレベーターに乗り、メリーの部屋のインターホンを鳴らした。ドタバタと物音がして、しばらくした後にドアが開くと、ピンク色のパジャマを着たメリーがつらそうな顔をしていた。
「やっぱりひどいわね。来てよかった」
「ふえ、れんこ、れんこ」
「はいはいどうしたの」
ドアを閉め、メリーの身体を支えながら靴を脱ぐ。メリーは熱にうなされて夢うつつのようになっていた。
「れんこ、夢でなんかいもでてきたから、ほんもの、うれしい」
そう言ってメリーは私の身体に寄りかかってくる。肩のあたりにほおずりしている姿は、紛れもない天然記念物級のかわいさがあるが、いつまでもそうさせているわけにはいかない。
寝室までメリーを引っ張り、ベッドに寝かせる。寝室には窓がなく、梅雨特有の湿気がこもっていて蒸し暑い。
「メリー暑くない?」
「あつい……」
「エアコンつけるわよ。湿度調整モードね。風は当たらないようにするから」
気温が同じでも湿度が下がるだけで快適さが変わるはずだ。しかし乾燥しすぎないようにしなければいけない。
メリーは熱で頭がぼうっとしているようだ。目の焦点も定まっていない。まずは頭を冷やしてあげよう。
キッチンに行ってビニル袋を探し、氷を取り出して氷のうを作る。メリーの頭に乗せてあげると、少し表情が和らいだ。
「気持ちいい?」
「うん。ありがと」
あまり開いていない瞼の奥にある瞳が、確かに私を見てくれた。
他に私ができることってなんだろう。病人がしてもらいたいことってなんだろう。メリーのことを見ていると何かしてあげたいという気持ちが湧いてくる。
勢いにまかせて氷のうを作ったけど、まず体温を測るべきではないだろうか。そして高熱なら病院に連れて行くことも考えなければ。最悪往診ということも頭に入れておく。
「メリー。体温計ってどこにある?」
「そのへん」
メリーが指差したのは、化粧道具などが置かれた机だった。寝癖直しやブラシ、香水や鏡などが置かれている。なかなかプライベートな空間だった。爪切りややすり、耳かきの棒なんかも置いてある。その中に小さな液晶がついた体温計を見つけた。
長い間使っていなかったようで、体温計はほこりをかぶっていた。ティッシュで先を拭き取ってからメリーに差し出す。
「メリー。とりあえず熱を測りなさい。ひどいようなら病院に行くわよ」
「んー……」
受け取った体温計を左のわきに挟もうとする。しかしシャツのボタンが邪魔でうまく右手を入れられないでいた。
私はメリーのパジャマであるピンクのシャツのボタンを上から二つ外してあげた。すると、ピンクのブラに包まれたメリーのふくよかな胸が露わになる。
「ありがとー」
メリーが左わきに体温計を挟むと、数秒でピピッという電子音が鳴った。液晶を見せてもらうと三十七度六分。病院に行くほどではないかもしれない。
体温計を元の場所に戻す。メリーを見ると、ボタンが開けっ放しで、また意識がはっきりしない状態になっていた。瞼が閉じそうで閉じない。
メリーの胸元がはっきりと見える。ピンク色に白のレースが入ったブラも、ふくよかな胸によってできた谷間も。その谷間には汗が浮かんでいる。
そもそも私は寝るときにブラをしないのだけど、メリーくらい大きければ必要になるのだろうか。少し妬ましい。メリーに聞いたら当然でしょって顔をされそう。
「汗拭いてあげようか。ベタベタして気持ち悪いでしょ」
「うーん……。なんかわるいし」
「いいのいいの。タオル持ってくるね」
私は洗面所に行って勝手に予備のタオルを取り出し、蛇口をひねった。冷たさを感じさせてあげられるように念入りに濡らしてから、絞って水を落とした。
胸元は相変わらず開きっぱなしだった。私はまずメリーの顔の汗を拭いてあげた。額や頬を撫でるとメリーは少しだけ安らかな表情を見せた。そのまま首を拭き、肩や鎖骨周辺へと手を伸ばす。ちらりとメリーの顔を確認したが、特に嫌がる様子は見せない。
そのまま手を徐々に下に伸ばす。胸のふくらみや蒸れていそうな谷間を、指先を使って拭いてあげる。「ん……」という詰まった声にドキッとしたが、メリーは抵抗しなかった。
私はただ看病しているだけのはずなのに、メリーの身体に触れることで少なからず興奮していた。メリーの白い肌や大きな胸を間近で見ることはあまりない。せいぜい温泉に行ったときくらいだ。その綺麗な身体は、女の私でさえ魅力的だと思えるものだった。
勢いに任せてシャツのボタンを全部は外す。メリーの上半身が目の前で露わになる。くびれた腰に引き締まったお腹、おへそが妙に艶めかしかった。
肌を撫でるように私はタオルを滑らせていく。ブラのすぐ下から、腰、お腹、おへそ周りまで。さすがにボトムはを脱がせるのは自重した。拭き終えると、身体を冷やさないようにまたボタンを留め、掛布団をかけてあげた。
「えへへ、ありがとうれんこ」
「お、お安い御用よ」
にへーっとメリーが顔を崩す。色白の彼女は頬を染めていると可愛いさがいつもより増して見える。それが弱っている状態ともなればなおさらだ。
「他にしてほしいことはあるかしら」
「そんなに頼んだら、その、わるいというか」
「病人だからいいのよ。ほら、言ってみて」
メリーはしばらく無表情で天井を見つめた。彼女の中で一体どんな思考が流れているのだろう。
「じゃあ、れんこのおかゆがたべたい」
「おかゆ……分かったわ。キッチン使わせてもらうわよ」
「うん」
メリーは私を見て、またふにゃあととろけるような笑顔を見せた。そんな彼女に小さく手を振って私はキッチンに向かった。
私は自炊をあまりしない。今どきお店に行けばいくらでも調理済みのものが手に入る。それも、すぐに提供できるように作られた合成食材だ。
とはいえ、さすがにおかゆなら作れるだろう。そこに自信が持てないほどではない。
高級マンションだけあってキッチンも豪華だ。とりあえず、シンクの下にある食洗機から手ごろな大きさの鍋を取り出した。次に炊飯器をチェックしたが、ごはんは入っていなかった。冷凍庫を見ると一食分ごとに分けられたごはんがラップに包まれて冷凍してあった。それを一つ取り出す。
あとは調味料の類だ。人の家のキッチンだからどこに何があるか分からず、探すのに苦労する。
ようやく調理に取り掛かる。とは言っても、ご飯を鍋で煮て、適当に味をつけるだけだ。そうだ、溶き卵を入れてあげよう。
煮詰めて程よく水分を飛ばしたおかゆに塩を振り、溶いた卵を上から流し込んだ。卵が固まる間に戸棚からお茶碗を取り出し、完成したおかゆを盛り付けた。
「おまたせメリー」
「ふへ、えへへ、れんこのてりょうり……」
「メリーさっきからちょっとおかしいわよ」
熱のせいで普段出ない変な部分が現れているのだろうか。
お茶碗とスプーンと醤油さしを載せたお盆を、ベッドの横の小さなテーブルに置いた。
「味が薄かったらお醤油かけてね」
「食べさせてぇ、ほしいなぁ」
「えー」
「病人だから何でもしてくれるんでしょぉ?」
「何でもとは言ってないんだけどなあ」
メリーは上半身を起こしたままずっと笑顔で私を見てくる。完全に私に食べさせるように笑顔で要求してきていた。これ以上見つめあっていたら、私はメリーの笑顔に悩殺されそうだ。
渋々スプーンを手に取った。嬉しそうに手を叩くメリー。いくら胸が大きくても今だけは女子大生には見えない。
私だってメリーに食べさせることは嫌じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。でも、こう真っ直ぐ要求されるとこっ恥ずかしいものがある。
スプーンでおかゆをすくい、冷ますためにふうふうと息を吹きかけた。自分の息がかかったものがメリーの身体に入っていくと思うとなんだか変な気分になりそうだ。
あーん、とお決まりのセリフでメリーの口にスプーンを入れた。特に熱いというそぶりを見せずにメリーは食べてくれた。
「おいしい」
「そう? よかったわ」
「もっかい」
「はいはい」
メリーは一口食べるのがとても早い。もっとよく噛みなさいと言っても聞かなかった。スプーンでおかゆをすくってふうふう、そしてメリーの口へ。これを最後まで繰り返した。ほんの数分でお茶碗は空になった。
最後の一口を飲み込むと、メリーは幸せそうな顔で「ごちそうさま」と言った。
「れんこのてりょうり、はじめてたべた」
「そうだっけ?」
「うん。おいしかった。またたべたい」
「また風邪引いたらね。でもわざとはだめよ」
くしゃ、とメリーが笑った。上半身をまた横にして、惚けた表情で天井を見上げた。その目がだんだんと閉じていき、やがてメリーは眠ってしまった。
私はキッチンに行ってお茶碗やスプーンや鍋を食洗機に入れておいた。他にやることはないだろうかと私は家の中を一回りすることにした。
お風呂掃除はメリーにはお節介だろう。きっと湯船に浸からないだろうから。部屋の掃除も、本人の許可なくやるのは悪い気がする。買い物も、本人同伴でないとだめだ。洗濯物も、今は機械がすべてやってくれるから必要はない。
メリーはすうすうと静かな寝息を立てている。夢を見ているのだろうか。メリーは夢の中で変な世界を歩いているらしいが、私の目の前にはしっかりとベッドに横たわるメリーの身体がある。やはり、メリーの夢の話は夢でしかないのだ。それとも、本当に身体ごと向こうの世界に行ってしまうときがあるのだろうか。
急に不安になった私はメリーに近寄ってその手を取った。熱いくらいの熱を持った右手を、感触を確かめるように両手で握る。
メリーが眠る姿は、少し怖い。
風邪をひいているせいか、普段より存在が儚く思える。その儚さが、私の不安に拍車をかける。
「メリー……」
「れんこ?」
いつの間にかメリーは起きていた。いや、ずっと意識と無意識の間をさまよっていたのかもしれない。
「どうしたの?」
「なんでもないわ」
「そう。あのね、わたしもれんこが風邪ひいたら、看病してあげる。おかゆ食べさせてあげる。やくそく」
「私あんまり風邪引かないからなあ。子供のころも雨に濡れてもピンピンしてたわ。メリーは今回の風邪に心当たりはあるの? ストレスによる免疫力の低下? それとも偏った食事?」
「……」
ニコニコと笑っていたメリーが、突然無表情になった。そればかりか、何故か悲しそうに俯いてしまった。私は自分の言った言葉を省みた。何か気に障ることを言ってしまったのではと不安が心に広がった。
メリーは何も言わない。私が握っている右手には、何の力も込められていない。まるで眠っているかのように。でもメリーの体温だけは確かに伝わってきている。
唐突にメリーがベッドから起き上がった。額に乗せていた氷嚢がシーツの上にポタリと落ちた。頼りない足取りでベッドから降りると、私の正面に立って向き合った。
握っていた手が離れた。でも、メリーは目の前にいる。
「抱いて」
「え? へ?」
「抱きしめて」
「い、いきなりどうしたの」
「抱きしめてくれたら、さっきの、教えてあげる」
「さっきの?」
その言葉が風邪を引いた理由だと分かるまで少し時間がかかった。なんたってメリーはそんなことをさせるのだろう。普通に教えてくれればいいのに。
でも私にメリーを抱きしめられない理由はない。
メリーは真っ直ぐ私の目を見つめていた。
私はメリーの背中に腕を回し、その熱い身体を抱きしめた。
「昨日、雨に濡れたの」
メリーは私の耳元でささやくように話し始めた。私は腕に力を込めたままメリーの小さな声に集中した。
「傘を、わすれたの」
「それで?」
「蓮子に入れてもらおうと思ってたの」
「あっ……」
昨日の夕方のことが脳内で次々に映像化されていく。メリーからのメール。私は一緒に帰れると返事をした。でも、教授に呼ばれたから、やっぱり先に帰ってと後からメリーに伝えたのだ。結局下宿に帰ったのは深夜になってからだった。
「もしかしたらすぐに用事が終わるかもしれないと思って、私ずっと待ってたの。でも、七時になっても八時になっても蓮子は来なかった。私は諦めて一人で帰った。濡れて、帰って、着替えもせずにそのままベッドに倒れこんだ。そしたら深夜に目が覚めて、寒くて、寒くて、私は」
「ごめんなさい」
メリーの言葉をさえぎって私は謝った。メリーの身体を、それまでの何倍も、強く抱きしめた。
私が、私自身が原因だったなんて。
言葉にならない感情がせり上がってきて、それを我慢していると涙がこぼれそうになる。
「ごめんなさい」
「蓮子、私は」
「ごめんなさい」
「私って馬鹿でしょ。傘なんて学生課に行けばいくらでも借りられるのに」
そういう問題ではないんだ。メリーもきっとそう思ったから、昨日は傘を差さずに濡れて帰ったんだ。
メリーの言葉は私の耳から全身に広がっていくようだった。抱きしめているからメリーがどんな表情をしているのか分からない。怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも……。
「でも、もう怒ってないよ」
無意識に腕の力が少しだけ緩んだ。私はメリーの言葉を待った。
「れんこが、こうやって、かんびょうしてくれて、抱きしめてくれて……」
そこまで言ってメリーは力を失ったように私にもたれかかってきた。やはりずっと立っているのは辛かったのだ。
メリーを再びベッドに寝かせた。今度はメリーも、私の手を強く握ってくれた。
「本当に怒ってないのよ。だからそんな悲しそうな顔をしないで」
「ほんとに?」
「だきしめてくれたからゆるす」
やや力なくメリーが笑った。同時に私の手を強めに握りしめた。
メリーは本当に怒っていないのだろうか。
私がしてしまった大きな過ちを、あの程度のことで許してもらえるのだろうか。
「これ以上あやまったらおこる」
「分かった。もう謝らない」
だから私は心の中で謝った。ごめんなさいメリー。
「さっきのやくそくおぼえてる?」
「うん。私が風邪引いたらメリーが看病してくれるんでしょ?」
「そうよ。おしかけるわよ。鍵こじあけてでもれんこのそばにいるんだから」
「それはこわい」
「じょうだんよ」
メリーの口調は冗談に聞こえなかった。本当にドアを破ってでも看病しに来そうだった。
これだけ接触していたら、メリーの風邪が私にうつるかもしれない。そうなったら、すぐに役割交代だ。約束も忘れずに済む。むしろ今うつしてもらったほうがいいかもしれないと思った。
「つかれた」
そう言ってメリーは目を閉じた。意識があることはメリーの手から伝わってきていた。私はメリーの手の握る力が弱まり、完全に眠りにつくまで、ずっと手を握り続けた。
「眠った?」
「……」
「メリー?」
「……」
ごめんね。メリー。もう忘れないから。
手を握ったまま、眠っているメリーの唇に、そっと自分の唇を押し当てた。
キスをすれば、風邪がうつると信じて。
このメリーは蓮子に甘えたくてわざとすごく体調悪いふりしてるに違いない
作戦に乗っちゃう蓮子もかわいい
って言いたくなりました。面白かったです。
>>メリーもきっとそう思ったから、昨日は傘を差さずに濡れて帰ったんだ。
此処だと思う。前日の一件と絡めたことでありがちなテンプレ看病モノでは終わらず、良い作品になっていると思います
他にはラストのまとめ方もとってもお上手だなあと思いました。
読んだあと素敵な気持ちになれる作品でしたよ!
風邪で弱ったメリーさんも良いものですね。
一つ事に絞り切ったその純粋さは、大変に魅力的なものです。
蓮メリちゅっちゅ