「メリー! プールに行こう!」
「プール? まあいいけど、明日?」
「明日の朝九時に京都駅の改札前で待ち合わせね!」
「明日ね……。はあ、蓮子はいつも急なんだから。はいはい分かったわ」
夏といえばプール。これはたいていの日本人なら首を縦に振るほど馴染みがあるはずだ。日本の小学生のほとんどは、夏にプールに行くし、義務教育では必ずプールに入る。
しかし、外国育ちのメリーは違う。調べたところ、公立の小中高校にプールがあるのは日本くらいのものらしい。このことが何を意味しているのかというと、そう、メリーは泳げないはずである。
もちろん泳げなくても外国人はビーチで寝転がったり、波打ち際で遊んだりしているから、水に馴染みがないわけではないだろうけど。
だいたいの日本人は二十五メートルか五十メートルくらいならクロールで泳げる。それに対してメリーはどうだろう。水に顔を付けることすら少し怖がるかもしれない。
つまり、プールに行けばメリーさんの怖がる姿や泳げないで流される姿を堪能できるというわけなのだ。行くしかない。
さらに言えば、普段は見ることのできないメリーさんの水着姿まで拝めてしまう。いいこと尽くめだ。
水着と下着はなんとなく区別されていて、水着は見られてもいいという風潮がある。だがちょっと待ってほしい。水着も下着も、形状はほとんど同じだし、隠しているところも一緒。つまり水着イコール下着と考えても問題はないわけで、つまり私は下着姿のメリーさんも拝めちゃうわけだ。
いや、ほんとに手を合わせて拝むかもしれない。
メリーはエロい。こう言うとメリーの名誉が怪しくなるのでもう少し噛み砕けば、胸が大きい。それから肌が白くて綺麗である。そして金髪美女。あんな子をプールに連れていったら、開放感に満たされた男どものナンパの対象にあるかもしれない。そこで私が颯爽と登場し、メリーを男の魔の手から救ってあげるのだ。
きゃー蓮子たすけてー! 任せてメリー! よし、イメトレはこんなもんかしら。
明日のことを妄想すると止まらなくなってしまう。忘れないうちに準備をしておこう。先日メリーと買いに行った水着をバッグに入れ、タオルとゴーグルも忘れない。
はっ! そうだ。夏といえば日焼け止めだ。メリーと塗りあいできる。メリーのすべすべお肌に合法的に触れるチャンスじゃないか。
明日はメリーにおさわりできて、水着姿……もとい下着姿を拝めて、さらに水を怖がる姿まで見られて、かわいいメリー尽くしだ。
しばらくはメリー成分を補給しなくても済むくらいメリーを堪能してやる。
暑さでテンションがおかしなことになっている。自分でもそれは分かっているが、今更戻そうとも思えない。
プールの場所と行き方も調べておく。京都駅から山陰本線で三十分ほどだ。道中迷ってしまってはかっこがつかないから、電車の時間まで調べて記憶しておこう。
遠足前夜の子どものように、枕元に荷物を置き、目覚ましをセットして眠りにつく。明日は何だか遅刻しない気がする。
可愛いメリーを妄想していたらやがて意識が遠くなっていった。
「三分遅刻よ蓮子」
「ごめんごめん。出る前にバタバタしちゃって」
私が京都駅の改札についたらやっぱりメリーは先に来ていた。
メリーは白いワンピースに、いつもの帽子の代わりに麦わら帽子をかぶっていた。アニメとかで出てきそうな金髪美少女だった。
私はいつも通りの服装にいつもの帽子をかぶっている。プールに行った後のことばかり考えていて、おしゃれにまで頭が回らなかった。
メリーのワンピースは腰の辺りが細く作られていて、逆に胸のあたりがかなり強調されている。それは胸が控えめな人が大きく見せるために着るやつじゃないのか。メリーが着ていると巨乳が強調されて、いくつもの男の視線を奪っているような気がする。
二人で切符を買って改札を抜けた。広い広い京都駅の一番端にあるホームには、京都駅発の電車が既に停車していた。
座席につくと、家族連れやカップルの姿がいくつも見られた。みんな同じプールに行くのかもしれない。平日の昼間とは思えない混み具合だった。
「バタバタしたって、何してたのよ」
「ああ、ちょっとね」
メリーは知らないかもしれないが、日本では海やプールに行くときにあらかじめ水着を着ていくことがあるのだ。何故かって、それは単に着替えるのが面倒だからだ。もちろん、ちゃんとプールに入る前にシャワーを浴びて、汗を流すのが最低限のルールだが。
そんなわけで私は白いブラウスの下に水着を着ていた。幸い私の水着は白だったから、透ける心配は無い。
「メリーって泳げるの?」
「泳げないわ。でもプールって水たまりでしょ? 海みたいに流されることないから安心じゃない」
「ほうほう。メリーさんは日本のプールを知らないのですな」
「プールに国ごとの個性なんてあるの? 端から端までが五十メートルの長方形……もとい直方体に水がためてあるだけでしょ?」
メリーはオリンピックなどの競技で使われる、一般的な五十メートルプールを想像しているようだ。市民プールなどならそんなものだろうが、いわゆる遊戯施設としてのプールにはそんなものはない。
「まあ、見てのお楽しみね」
「日本はクレイジーだから何が来ても驚かないわ」
日本をあまり知らない外国人のような口調だった。それを流暢な日本語で言っているのだから少しおかしい。
電車はそれなりの混雑を保ったまま、プール施設の最寄り駅に到着した。案の定たくさんの人がホームに降りてくる。この駅からプールまで直通の送迎バスが出ているから、みんなそれを利用するのだろう。
メリーとはぐれないように手を繋ぐ。メリーは拒むことなくしっかり握り返してくれる。こういうところはとても素直だ。
手を繋いだまま混雑したバスに乗り、十分ほど揺られて私たちはようやくプールにまでたどり着けた。
「時は金なりよメリー。タイムイズマネー。さっさと着替えるのよ」
「はいはい」
私は必要もないのにタオルを身体に巻き、ブラウスとスカートを脱いだ。これでもう水着姿である。白地に黒のレースが入ったこの水着は、メリーが似合うと言って選んでくれたものだ。メリーがあちらを向いている間にタオルを取っ払うと、メリーは驚いた様子で私を見た。
「もう着替えたの?」
「メリーが遅いのよ!」
「はいはい。分かりました」
更衣室は夏休みということもあって混んでいた。誰も私の行為に気付くものはいない。脱いだ服とカバンと財布をロッカーに入れ、鍵をかけておく。
メリーはまだ水着を着ている途中だった。私は先に行ってシャワーを浴びることにした。
暑い中やってきたせいで身体は十分に火照っていた。シャワーの水は冷たいが、寒いということはなくむしろ気持ちいいくらいだ。
「お待たせ蓮子」
「ひゅー。メリーさんセクスィー」
「声が大きいわ」
メリーは水色のビキニだった。やはり脱ぐと胸の大きさが強調されて思わず目がいってしまう。肌は透き通るように白く、お尻は引き締まって少し小さめだった。
これを下着姿だと思うと……あ、やばい。襲いそうになる。くびれた腰とか、ほどよくお肉のついた太ももとか、妄想が膨らむほどエロい。
「メリー! 日焼け止め塗ってあげる!」
「家を出る前に塗ったわよ」
「それは手とか首とかだけでしょ? 全身塗ってあげる!」
「もう、蓮子ったら……」
私はメリーを立たせて、服の採寸をするかのように全身にくまなく日焼け止めを塗ってあげた。はあ、メリーのお肌が気持ちよすぎる。舐めたい。太ももをぷにぷにしてたら頭にチョップを入れられた。痛い。
「みんな見てるってば」
「日焼け止め塗ってるだけじゃない」
「手つきが不自然なのよ、もう……」
文句を言いながらもメリーは動かずにいてくれた。通り過ぎていく人たちに見られてメリーは顔を染めていて、それを下から見上げるのがたまらない。
一度塗ったところをもう一周してやろうかと思ったけど、塗りすぎはお肌によくないからやめておく。
胸の谷間に塗ろうとしたらさすがに怒られた。冷徹な目で私を見るメリーはちょっと怖かったけど、少し興奮した。
「次は準備運動よメリー。日本では水に入る前に五分以上準備運動しないやつは妖怪に食べられるって言い伝えがあるの」
「怖いわね。夢に出てきそうで」
もちろん嘘だけど、メリーならその妖怪の存在を信じてもおかしくないし、実際に会えるかもしれない。そんな妖怪がいればの話だけど。
「ほらほら足を開いて、私が背中を押してあげるわ」
「ぐええぇー。きっつ、ちょ、蓮子、ぐふうぅ」
メリーの背中に合法的に触るチャンスとばかりに私はメリーを前屈させる。普段聞けない珍しい声が聞こえる。メリーはあんまり身体が柔らかくない。お肌は柔らかいのに。
金髪をポニーテールにしているメリーは、普段見えないうなじをくっきり見せつけていた。これは私に舐めろって誘ってるのか。いや、さすがにそれはないけど、でもちょっと舐めたい。指で触るくらいならいいかな。
背中を押している間に、どさくさに紛れてうなじを指でなぞってみた。するとメリーが「ひゃあぁっ」なんて声を出すからびっくりして手を引っ込めた。
「そこ、やめて、ほんと、弱いから」
涙目になりながらメリーが振り返ってきた。こんなのゾクゾクするに決まってるじゃないか。でもやり過ぎるとやっぱり怒るから、今度からちょくちょく触っていくことにしよう。そのほうが長く楽しめる。
自分も準備運動を済ませ、いざ二人でプールに入る。そこでメリーがぽかんと口を開いたまま固まった。初めて見る日本のプール施設にさぞかし驚いているのだろう。
「日本人って、プールの中でも規則正しいのね」
「ん、どうして?」
「だってほら、みんな同じ速度で一定方向に泳いでいるのよ」
メリーが指さしたのは流れるプールだった。流水が発生していることを知らないメリーには、それが駅のホームやお店の行列に並ぶ人々と同じように見えたようだ。
「メリーも入ってみれば分かるわ」
メリーの手を引いてゆっくりと入り口に歩いていく。ベルトコンベアーのように一定速度で流れ続ける人々を見ると、メリーの言っていることも間違いではないように思えてくる。
手を繋いだまま階段を下り、水の中に入っていく。そして流れ続ける人々の中に一歩踏み出した。すると身体は勝手に水の流れに押されて、自分の意思とは無関係に動き始める。
「わ、な、なにこれ! なんでこんな流れが、はわわ」
「これが流水プールよ」
「こんなのプールじゃない! 怖い!」
「何が怖いのよ。別に溺れるわけじゃないでしょ」
「でもぉ……」
メリーは私の手を先ほどより強く握りしめた。離すと流されてそのままどこかへ行ってしまうと思っているのだろう。
私はメリーの手の感触に癒されながら、日差しでぬるくなった水に全身を浸けて、火照った身体を冷やした。全身が水に包まれる感覚が気持ちいい。これがプールの醍醐味だ。それに水の中にいると浮力で身体の重さが軽減されるから、どこか浮き上がった気分になれる。宇宙には行ったことがないけど、きっと無重力に少しだけ近い感覚なんだろう。
そわそわと辺りを見回しながら時より私の顔を不安そうに見るメリーは、あんまりプールを楽しめていないようだ。そんなに流水プールが怖いのか。
この状態で潜ってメリーの太ももを触ってみたらどうなるだろう。メリーは私の手を離せないから、触り放題なんじゃないか?
「蓮子、いやらしいこと考えてるでしょ」
「あ、分かった?」
「せめて否定しなさいよ」
「じゃあいやらしいことされるのと、手を離すのと、どっちがいい?」
「どっちも嫌よ」
手を離すと本当に泣きそうに思えたから、足の指でメリーの太ももをつつくことにした。こうすればメリーの恥ずかしがっている表情も見られる。
メリーは流水の怖さと恥ずかしさでまるで余裕がなくなっている。ささいな抗議として手を強く握ってくるが、メリーの握力ならさして痛くはない。
そうこうしている間にちょうど一周したので、メリーが私の手を引っ張ってプールサイドに上がった。メリーは他のプールに行こうと言い出した。
「次はウォータースライダーやりましょ」
「なにそれ」
「水のすべり台よ。やってみれば分かるわ」
ウォータースライダーは盛況で、多くの人が並んでいる。スタート地点まで上がるための階段の半ばまで列が伸びていた。
「あのトンネルの中を滑るの?」
「そうそう」
「落ちないよね?」
「落ちるわけないじゃん」
子供みたいな心配をするメリーが可愛い。
列はそれなりの速度で進んでいた。少しずつ上がっていくことで期待感も高まってくる。
「どっちが先に滑る?」
「え、一緒にじゃないの?」
「うーん。このタイプは一人用ね。ボートに二人で乗るやつもあるらしいけど」
「じゃあ蓮子が先に行って。私様子見てるから」
「分かったわ。ポロリしないように気を付けなよ」
しかし、いざ滑る直前になるとメリーが辞めると言い出した。前の人達がキャーキャーと悲鳴を上げているのを聞いて怖くなったらしい。
あれは悲鳴じゃなくてエキサイトしてるだけよと教えてあげたのに、メリーは怖がって聞いてくれない。順番が回ってくる前に決心させないと後ろの人に迷惑がかかる。
「私が背中押してあげるから」
「いやよ!」
「はい座って座って。いちにのさーん」
「きゃああああああぁぁ」
係員さんに苦笑いをして、私もメリーの後を追った。
下まで降りたメリーはバカバカと私の肩を叩いた。私はメリーのあやすように頭を撫でてあげた。
お昼を食べ終わった直後に、施設内で放送が流れた。どうやら波のプールがスタートするらしい。私は波を起こす装置の付いたプールにまでメリーを引っ張っていった。
「今度は何よ」
メリーが怪訝そうに周りを見渡す。どんどん人が集まってくる光景に嫌な予感を覚えているようだ。
「これは波のプールよ」
「並のプール?」
「海みたいに波が起きるの。面白いわよ」
「なんでプールに来たのに海みたいなとこに入るのよ!」
メリーはどうやら海が苦手なようだ。しかしここは閉鎖的なプールだし、潮流に流されることもない。一番奥まで行けば足が届かない程度には深くなっているけど。
「海怖いよ蓮子」
「海じゃないってば。ほら行こう」
始まったばかりで、まだ波はほとんど起きていなかった。とりあえず腰のあたりまで浸かるくらいの深さまで行ってみた。すると徐々に水面が波打ち始めた。人がどんどんやって来て、周りを囲まれてしまう。
「蓮子、手を離したら秘封倶楽部辞めるわよ」
「離さないって」
メリーはいつになく真剣な口調だった。本気で秘封倶楽部の存続に関わる気がしたから、メリーの手をしっかりと握り直す。互いに指の間に指を絡めた。
「はわわ、波が、プールなのに波がああ」
「あはは、メリーの反応面白い!」
「こんな装置を作るなんて日本人はクレイジーだわ!」
波のプールの発祥が日本かどうか私は知らないが、メリーはそうだと思い込んでいるらしい。目をグルグルさせ、繋いでいない方の手は振り回している。他のお客さんに当たりそうで危なっかしい。
だんだん波が大きくなってくると、足が一瞬浮くような感覚にとらわれる。その度にメリーが手を強く握ってくる。まったく庇護欲をそそられる可愛い生物だ。
そうして何分くらい続いたのだろう。やがて波は収まり、人が少しずつ減っていった。私たちもプールサイドに戻り、休憩所の椅子に座った。手は未だに繋いだままだった。
「頑張ったわねメリー。えらいえらい」
「どうしてプールに来て頑張らないといけないのかしら」
「でも、途中で帰らなかったよね」
「それは……蓮子が……」
何かを言いかけてメリーは口をつぐんだ。首を傾げて見せたけど、メリーは続きを言おうとはしなかった。
しばらく無言の時間が流れた。日差しは相変わらず強く、私たちの肌をじりじりと焼いていく。離すタイミングを失ってしまった手から、日差し以上に暑いメリーの熱を感じる。
水着姿ですら、直射日光のもとでは汗が浮かんでくる。また水に入りたくなった。
「メリーって潜れるの? というか、水に顔付けれる?」
「たぶんできる」
多分ということはそれほど経験がないのだろう。
「水底に境界あったりしないかな?」
「どうかしら」
「昔からね、水に入っていると足を引っ張られるって言い伝えが日本にはあるのよ。それってさ、境界から誰かが手を伸ばして引っ張ってるのかもしれないよ」
「うーん。でも境界があったらそこに水が流れ込むんじゃないの?」
「あ、確かに。でも逆に言えば、そこに向かって水が流れ込むから、その流れに足を取られているのかもしれないわ。そして普通の人には境界が見えないから、誰かに足を引っ張られていると思うのかも。あれ……でも境界が物理的な概念だとしたら普通に見えるはずだし、違うとしたら水が流れ込むのはおかしいかな? んん?」
実際に境界が見つかれば一番手っ取り早いのだけど。メリーは生憎あまり潜れそうにない。さすがに潜るのを強要させるのは、何だかかわいそうだ。それに今のメリーは少し疲れているように見えた。
実はメリーには境界が見えていて、それを私に隠しているということもあるのだろうか。その境界から知らない間に影響を受けて、メリーの体調が変化したりすることがあり得るのだろうか。そう考えるとメリーの様子が心配になった。
「蓮子の物理の話は分からないわ。でも少なくとも、今日は境界を見ていないわよ」
「そう。ならいいんだけど」
メリーはまだ私の手を離そうとしない。それは何か不安があるからなのか、それともタイミングを計っているのか、どっちなんだろう。
境界が人の足を引っ張っている。なかなか面白い仮説だと思った。でも、私にはそれを確かめる術はない。
秘封倶楽部の活動はオカルトを追い求めることだけど、最近はもっぱらメリーの能力に頼った結界暴きばかりをしている。
私だけでは決してできない。むしろメリーがいるからこそできる活動だ。秘封倶楽部は、メリーがいないと秘封倶楽部ではなくなってしまう。
だからメリーと仲良くしているというわけでは、ないはずだ。私はメリーの目に境界が映らないとしても、メリーのそばにいると思う。
まあ、メリーの能力は強くなっていっている気がするし、見えなくなることはないと思うけど。
「いい加減熱くなってきたし、もう一回入りましょう。今度はあの遊具があるところに」
「あそこは子ども向けじゃないの?」
「いいのいいの。大人だって入れるんだから」
そこは大人の膝くらいまでしか深さがないプールで、主に子どもと大人が一緒に水遊びをしていた。
船の形をした遊具が中心にあり、大砲が備えられるべき場所には水鉄砲が付いている。なかなか子供心をくすぐられる。
端っこに座って子どもを眺めているメリーに向かって思い切り水鉄砲で放水してやった。「ぶぅふ」と鈍い声が聞こえてメリーの顔がびしょ濡れになった。プールに入っても同じように濡れるはずなのに、髪や顔から水を垂らすメリーは何だか色っぽい。
「れんこ~?」
濡れた髪をかき分けて睨んできたメリーの目が普段見ないくらい怖い。
水鉄砲はプールの水をくみ上げているらしく、無限に打てるらしい。これでメリーの胸元を狙ったらさすがにしばらく口を聞いてくれないか、あるいは一緒に帰ってもらえなくなるかもしれない。でもちょっとやってみたいぞ。
そこで私の隣に小学校低学年くらいの男の子がやってきた。私の水鉄砲を羨望の眼差しで見つめている。私は「どうぞ」と男の子に水鉄砲を譲ってあげた。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
男の子は純真な瞳を輝かせながらきちんとお礼を言った。親の教育を感じる。オモチャを失った私は船の遊具から降りてメリーの隣に座った。
「子供は可愛いわね」
「まあね。少なくとも蓮子よりはね」
「むむ。私のどこがお気に召さないのかしら」
「大学生にもなって水鉄砲で友人を濡らすところとかよ」
さすがにまだ少し怒っているらしい。私は頭を下げて「ごめんなさい」と言った。「分かればよろしい」とメリーは私の頭をぽんぽんと二回叩いた。
それからはまたしばらく子供を眺めたり、流れるプールに戻ったり、波のプールに入ったりした。流れるプールでは手を離したメリーも、波のプールでは結局最後まで手を繋いでいた。そんなに怖いのかしら。
プール施設の閉園時刻は午後五時だが、混雑を避けるために午後四時前にはプールから上がった。それでもみんな考えることは同じらしく、更衣室には溢れるほどと言わなくても多くの人がいた。
家族連れの母親が子供の着替えを手伝っている様子がそこかしこで見られた。これは電車も混みそうだと思いながら私はロッカーを開けてタオルを取り出す。タオルを巻いて水着を脱ぎ、身体を拭いた。
あとは下着といつもの服を着て、電車が混まないうちに帰るだけだ。
そのつもりだった。
それなのにどうして。
「あれ?」
「どうしたの蓮子」
「いや、ちょっと、おっかしいなあ」
バッグの中をいくら探しても下着が出てこない。バッグの中身を全てロッカーの中にひっくり返してみたが、財布と帽子と濡れた水着を入れる袋だけで、やっぱり下着は入っていない。
「あっ……」
その瞬間、頭が真っ白になった。そして真っ白な背景のイメージの中に、朝の出来事がゆっくりと浮かび上がってきた。
家を出る少し前、このまま行けばちゃんと待ち合わせ時間に着きそうだと思っていた。そこで私は、服の下に水着を着ていくことを思い出した。小学校の頃よくやったと懐かしんでいるうちに、下着を脱いで水着を着た。そして、時計を見て時間が迫っていることに気付いた私は、脱いだ下着をバッグに入れずに、そのまま京都駅まで急いだのだった。
つまり今私が持っている布は、黒のスカートと白のブラウス、そして靴下と濡れた水着だけだった。
頭の中だけでなく視界まで真っ白になりそうだ。メリーの濡れた金髪が薄ぼんやりと滲んでいる気がする。
なんとかならないだろうか。どうしたって下着はここにはない。ここにあるものでどうするべきか考えなければいけない。
白いブラウスと黒いスカートと靴下と濡れた水着。まず除外するのは濡れた水着だ。こんなものは身に着けられない。早速袋に入れてバッグに突っ込んだ。
そういえばタオルという存在を忘れていた。これを巻いてその上にブラウスを着るのはどうだろう。
数秒想像してすぐにやめた。どう見ても不自然である。
「蓮子、着替えないの?」
「ああ、うん。着替える着替える」
「まだ時間かかるなら、私お手洗いに行ってきてもいいかしら」
「うんうん。どうぞごゆっくり」
メリーは何も知らない様子で去っていった。着替えるなら今しかない。深呼吸をして覚悟を決めた。
まず、何も履いていない下半身にスカートを履く。な、なんだこれ。めちゃくちゃスースーするじゃないか。風のイタズラでも起きようものなら大変なことになる。せめて大事なところを覆う布があれば……。
そうは言ってもないものはない。モタモタしているとメリーが帰ってきてしまう。私は急いでブラウスの袖に腕を通した。
ボタンを一つ一つ止めていき、一番上から下まできっちり止める。こ、これは意外といけるか? パジャマを着ているような気分で、スカートよりはやや抵抗感が少ない。
おそるおそるタオルを取ってみた。見た目はいつも通りの私だ。黒スカートに白ブラウス。しかし、その下には何も身に着けていない、ノーブラノーパン。露出狂と疑われても言い逃れができない。スカートが風で舞い上がったり、ブラウスが胸に密着したりしたら、一発でばれてしまう。
知らない人に変態だと思われるだけならまだしも、メリーにまで気付かれたら、私はもうメリーと友達を続けられないかもしれない。
メリーにだけは知られたくない。何としてもノーブラノーパンという事実を隠し通さなければならない。
「ただいま。行きましょう蓮子」
「ああ、うん。いこっか」
お手洗いから帰ってきたメリーは、特に服装に言及するわけでもなく普通に話しかけてきた。その態度から私はメリーには気付かれていないと確信した。
プールから駅まで直通のバスが停まるバス停まで歩く。今日だけは貧乳でよかったと思える。メリーみたいに胸が大きかったら、ノーブラなんて三秒でばれる。控えめな私の胸は、俯き加減で歩けばほとんど存在を主張しない。
駅までの直通バスがバス停に停まる。ぞろぞろと人が乗り込み、座席数よりは明らかに多い乗客数となったため、私たちは立つことになった。
待てよ。揺れる車内で誰かが私の胸のほうにぶつかってきたら……さすがに気付かれてしまうだろうか。
私はバッグを胸の前に抱えることでその問題を解決した。これならスリに遭わないように警戒しているようにしか見えない。
「楽しかったわね。だいぶ焼けちゃったかも」
メリーは私がノーブラノーパンとは知らずに呑気な声を出している。
「そうね。明日痛くなるかも」
「髪もちゃんと洗わないと傷んじゃうわ」
「そうそう。プールの水の中に含まれる塩素が髪に付着することによって、髪がぱさぱさする原因になるからね」
「なんでそんな説明的なの?」
「なんでもないよ」
ふーん、とメリーは怪しい物を見る目で私を見つめてくる。私はバッグで胸元をガッチリガードしてノーブラがばれないようにした。
「蓮子、ブラウスのボタン一番上まで止めて暑くないの?」
「え、えっと、別に。プール入った後で身体冷えてるし。そう! プール入った日はちゃんと湯船に浸からないとだめよメリー! 冷房やプールで身体を冷やした日はちゃんと芯から温めないと体調を崩す原因になるわ」
「へえー。蓮子って物知りねえ。でも私、湯船に浸かるの苦手なのよね」
「じゃあ、いつもより高めの温度のお湯で、長めにシャワーするといいわ!」
「そっか。ありがとう蓮子」
いつか覚えた断片的な知識を披露して何とかやり過ごした。
それにしても、メリーのあの質問。あれはまさか、私のノーブラに気付いているの?
いやいや、気付いているなら逆に、ブラウスのボタンを上まで止めることに不自然さを抱かないはずだ。
それとも、昼間意地悪ばっかりしたから、ノーブラを悟った上で悟っていないという演技をして、私を辱めようとしている? まさかメリーに限ってそんな……。でも昼間は結構ひどいこともしちゃったし、実は根に持っているのかもしれない。
あるいは、メリーはまだノーブラを疑っている段階で、微妙な質問を投げかけることによって私の反応を確かめ、それでノーブラか否かを判断しようとしたのかもしれない。
あれこれ考えている間にバスは駅前に到着した。人の流れに任せて私たちもバスを降り、京都行きの電車に乗った。平日の帰宅ラッシュより少しだけ早い時間帯で、乗る時は客はまばらだったが、同じ駅から乗ってきた人たちで立ち客がちらほら出る程度の混雑になった。
ノーパンな私としては座っているより立っているほうが落ち着くのだが、ちょうど二人分の席が空いていたのだからしょうがない。疲れているメリーを立たせるのも悪いと思って座ってしまった。メリーと特に会話はない。私はあわよくば席を誰かに譲ろうと辺りを注意深く見ていた。
そこにちょうど杖をついた年配の女性が電車に乗ってきた。私はすぐに席を立っておばあさんに譲った。おばあさんも「ありがとう」と感謝の言葉とともに素直に座ってくれた。
「蓮子、バッグ持ってあげる」
助かったと思った矢先、メリーから困ってしまう言葉をもらう。膝の上をトントンと叩いているから、ここに置けと言いたいのだろう。しかし私はノーブラをバッグで隠しているから、このバッグを手放したくはない。
「いいよ。あと十分くらいで着くから」
「でも私だけ座ってるし、何だか悪い気がするから」
「いいのいいの。メリー疲れてるでしょ。特に波のプールとかで」
「あれは、ちょっと、ねえ」
メリーは歯切れ悪そうに言った。うまく話題をすり替えたおかげで、バッグに対する追及はなかった。
電車は京都市内に入り、街中を抜けていく。メリーはうとうとと舟をこいでいる。このまま京都駅に着いて別れれば、あとはバッグを胸に抱えながら下宿に帰るだけだ。最悪、徒歩も辞さない覚悟がある。電車やバスなんかより、普通に街中を歩いていったほうが人と密着しなくて済むし、ばれにくいだろう。
車掌が終点京都駅のアナウンスを始めた。乗り換え案内の放送中に、眠りかけていたメリーがぱっちり目を開けて私を見上げた。
「もう京都駅?」
「うん」
「蓮子、この後どうする? ご飯でも食べに行く?」
「えっ……」
予想外の言葉にバッグを落としそうになり、慌てて抱え直した。メリーは淀みのない綺麗な瞳で私を見つめてくる。やはり気付いていない。気付いていないからこその発言なんだろう。
「えっと、今日は……いい、かな」
「家で食べる?」
「うん。何か作るよ」
「そっか。私は面倒だから外食したかったのだけど……。蓮子が行かないならスーパーでお惣菜でも買って帰るわ」
「なんか、ごめんね」
「どうして謝るのよ。そうだわ。蓮子も一緒に買い物行きましょうよ」
パン、と手を叩いてメリーが上目遣いでこちらを見てくる。その純真な瞳からは、私に対する嫌がらせを行っているようには見えなかった。しかし、私はこれ以上人の多い場所には行きたくないのだ。しかしメリーはそれを察してはくれない。察せるはずがない。友人がノーブラノーパンでいるだなんてメリーは夢の中でも思わないだろう。
私の心が不安定に揺れる。本当は全部分かっていて、その上で私に意地悪しているのだろうか。考えたくはないのに、そんな想像が頭の片隅で展開されてしまう。こんな純粋そうな子を信じないなんて私はひどい友人だ。でも、メリーの全ての言動が、そうである可能性も示唆している。私の頭の中がどんどんぐちゃぐちゃになっていく。
「か、買い物行くなら、一度荷物を置いてからでもいいかしら」
そうすれば家に寄った時に下着を着用できる。
「分かったわ。じゃあ私も荷物を置きに帰るわね」
今度はすんなり思い通りになって私はほっと一息をついた。これでメリーにばれる心配はほぼなくなったと言ってもいい。
「荷物を置きに行くなら、二条で降りた方がよかったね」
「あ、そう言えばそうだね」
私たちの下宿は地下鉄今出川駅の近くである。二条でJRから地下鉄東西線に乗り換え、烏丸御池で烏丸線に乗り換えたほうが早かった。しかし二条駅前後ではメリーはうとうとしていたし、私も頭の中がそれどころではなかったから、何事もなく通過していた。
やがて、電車が京都駅に到着した。JRから地下鉄に乗り換える。京都駅は相変わらずの人の量だったけど、バッグがある限り上の心配はなかった。時たま吹く地下特有の強い風だけが懸案事項だった。私はバッグを持っていない方の手でスカートの裾を押さえ、何とか事なきを得ていた。
地下鉄に乗るころには、当初より随分心に余裕を持ち始めていた。普通にしていればノーブラノーパンでも人は気づかない。というよりも、人は意外と他人のことを見ているようで見ていないことに気付く。個人主義が日本に入ってきてもう百年以上。それは確実に浸透していっているように思えた。
京都駅から今出川駅までは特に問題はなく、無事に改札を抜けて人ごみから解放された。あとは下宿に向かって数分の道のりを歩くだけだ。緊張していた心も徐々に緩みつつある。
メリーは下宿までついてくるらしい。別れてもう一度待ち合わせしてもいいと提案したが、ついて行きたいと言ってきた。何故だろう。
夕方の京都では風がほとんど吹いてなかった。もう人にばれる要素はない。下宿のアパートも目の前だ。
アパートは三階建てで、八畳のワンルームである。3LDKという学生にあるまじき間取りの下宿を持つメリーとは大違いだ。エレベーターもなく、階段はかなり急になっている。私の部屋は三階の角部屋だ。
「じゃあ、荷物置いて別のカバン持ってくるから」
敢えて荷物を置く以外の用事を口にして、下着を身に着ける時間に不自然を生じさせないようにした。メリーも「はーい」と特に変わった様子はなかった。
ようやくノーブラノーパンから解放される。いや、履いてない付けてない今までが逆に解放だったのだろうか。そんな馬鹿げた思考をしながら階段を上っていった。
「あっ……」
「えっ?」
メリーの何かに気が付くような声に気付いて振り返ったとき、ちょうど一陣の風が吹いた。その風は私のスカートをさらい、裾を高く舞い上げた。
ノーパンの私は下から見上げるようにこちらを見ていたメリーに、スカートの下を全部見られてしまった。
全部、見られた。全部。
「あ、ああ、あぅ……」
メリーに、見られた。ノーパンであることを。
私はその場に膝をついた。瞳からは涙がポロポロと零れ出し、太ももの上に落ちていく。
メリーに軽蔑される。変態だって思われちゃう。
「蓮子! 大丈夫!?」
「ううぅ……うあ、ひっく……」
「蓮子……」
メリーが私の肩に両手を置く。その行為が何を表すのか私には分からない。私はただノーパンを見られてメリーに軽蔑されることに対する恐怖で泣いていた。
離れてよメリー。どうせ軽蔑してるんでしょ。
「蓮子、どうして黙ってたの?」
「……」
「下着、忘れたんでしょ。それで帰りの様子がずっとおかしかったのね。言ってくれれば私もフォローしてあげたのに」
メリーは今初めて知ったかのような口ぶりだ。実際にそうなんだろう。私はずっとメリーのことを疑っていた。知っていながら知らないふりをして私に意地悪しているんだと疑っていた。こんな優しい言葉をくれるメリーに対して。馬鹿みたいだ。
メリーは全て納得がいったようだった。朝の私の遅刻や、着替える時の速さや、帰り道での不自然な態度は、全て下着を忘れたという一つのことに繋がっている。そのことにメリーは気付いたらしかった。
「軽蔑されるかと思った」
「しないわよ」
「でも、怖かったの」
メリーに軽蔑されるのが怖かった。でもそれは、メリーへの信用度の低さの表れだった。私がメリーのことをちゃんと信じていれば、着替えの段階で告白していただろう。どうしてあの時私は隠してしまったのだろう。
「メリーに意地悪ばっかりしたから……メリーも私に意地悪するんじゃないかって……」
「しないわよ」
「私の意地悪は、メリーが嫌いとか、そんなことは決してないの」
「分かってるわよ。幼い男の子が好きな女の子に意地悪するみたいな感じでしょ?」
私は頷きかけて止めた。肯定してしまうとメリーのことが好きだと告白するようなことになってしまうと思ったから。
それは、まだメリーに伝えるべきではない。例え可能性が少しでもあるとしても。はっきりするまでは言わないほうがいいと思う。
「私が気付いていると思ってたの?」
「うん……」
「気付いたらちゃんと言ってたわよ。そりゃあ多少蓮子の名誉は傷つくかもしれないけど、気付いていながら気付いていないふりをするのは蓮子に対して申し訳ないじゃない」
「うん……」
「そんなに私のこと信用できない?」
「ち、違うのっ。そういうのじゃなくて」
自分の中で渦巻く感情をうまく言葉にできない。私はメリーのことが友達として好きだし、それはもう若干病的なくらい好きだし、でもどこかでメリーが遠い存在のように思えて、自分とは違う何かを持っているような気がして。そうした複雑な感情が混ざり合って、あんな行動を生んでしまったのだ。
「自分でも本当によく分からないの。ごめんなさい……」
「いいのよ蓮子。私がもっと蓮子に信頼されるようになればいいだけじゃない」
メリーはまるで自分に非があるような言い方をする。決してそんなことはないはずなのに。これは私の中の感情が原因のはずなのに。
「ほら、立って。ちゃんと下着付けてきてね」
少しお茶目な口調でメリーは言った。私は静かに立ち上がり、メリーには何も言わずに再び階段を上り始めた。
部屋に入ってバッグを置き、朝に脱ぎ捨てたまま放置されていた下着を付けた。そして買い物用のカバンを持って外に出る。
階段を降りるとメリーは同じ場所で待っていた。私を見るとにっこり笑って、私が隣に並ぶと同時に手を繋いできた。
「行きましょう」
「うん」
メリーは何故かご機嫌そうに繋いだ手を振る。遠足に行く時の小学生のようだ。
初めは手のひらを重ねていただけだったが、歩いているうちにメリーは指を絡めてきた。波のプールで何度も行った繋ぎ方と同じだった。あの時は水中に手があったから感じられなかったが、今はメリーの体温や指の感触がしっかりと伝わってくる。手を繋いでいるだけなのに、少しだけ幸せな気分になってくる。
「私は蓮子のこと信頼してるわよ。もし信頼してなかったら、あの時手を繋がずに逃げていただろうから」
私は何も返事ができなかった。するとメリーはさらに言葉を続けた。
「蓮子はどう思っているのか知らないけど、私は蓮子のことが好きよ。大事な友人として、秘封倶楽部の相棒としてね。だから、ちょっとくらい意地悪されたからって嫌いになんかならないし、蓮子から離れていくこともないわ」
メリーはどんどん想いを口にしていく。ここが私との決定的な違いだった。私はメリーみたいに、思ったことを素直に口にできない。どこかで恐れてしまっている。
でも、自己開示は対等でないと、よりよい関係を築くことはできない。相手が気持ちを口にしたら、こちらも同じくらい気持ちを口にしなければならない。
この辺りで、私たちはきっと少しずつずれている。
「私も……メリーのこと……」
「うん?」
メリーは首を傾げて次の言葉を待っている。私を勇気づけるためか、繋いでいる手を少しだけ強く握った。あの時とは逆だった。今度は私が勇気をもらう番だ。
「メリーのこと、私も、す……嫌いじゃないから。だから、ちゃんと信頼するように頑張るから」
「うんうん」
「だから、時間はかかるかもしれないけど……もうちょっとそばにいてほしい」
「分かったわ」
メリーの下宿に着くと今度はメリーが荷物を置きに行く。帰ってきたメリーは財布が入った小さなカバンだけを持ってきていた。
そうしてまた自然な流れで手を繋ぎ、指を絡めた。
近所のスーパーへ行くまでのほんの数分間だけ。さすがに店内では手を繋がない。
「あったかいわね」とメリーが言った。気温はむしろ暑いくらいだから、きっと手のことを言ったのだろう。
私は「うん」と短く返事をした。
「もうちょっとと言わず、ずっと一緒にいるわよ」
メリーが天使のような笑顔で言った。
私はその笑顔が照れくさくて、思わず顔を逸らす。恥ずかしくて何と返せばいいのか分からなかった。
これで伝わればいいのに、とメリーの手を二三回握るだけだった。
「プール? まあいいけど、明日?」
「明日の朝九時に京都駅の改札前で待ち合わせね!」
「明日ね……。はあ、蓮子はいつも急なんだから。はいはい分かったわ」
夏といえばプール。これはたいていの日本人なら首を縦に振るほど馴染みがあるはずだ。日本の小学生のほとんどは、夏にプールに行くし、義務教育では必ずプールに入る。
しかし、外国育ちのメリーは違う。調べたところ、公立の小中高校にプールがあるのは日本くらいのものらしい。このことが何を意味しているのかというと、そう、メリーは泳げないはずである。
もちろん泳げなくても外国人はビーチで寝転がったり、波打ち際で遊んだりしているから、水に馴染みがないわけではないだろうけど。
だいたいの日本人は二十五メートルか五十メートルくらいならクロールで泳げる。それに対してメリーはどうだろう。水に顔を付けることすら少し怖がるかもしれない。
つまり、プールに行けばメリーさんの怖がる姿や泳げないで流される姿を堪能できるというわけなのだ。行くしかない。
さらに言えば、普段は見ることのできないメリーさんの水着姿まで拝めてしまう。いいこと尽くめだ。
水着と下着はなんとなく区別されていて、水着は見られてもいいという風潮がある。だがちょっと待ってほしい。水着も下着も、形状はほとんど同じだし、隠しているところも一緒。つまり水着イコール下着と考えても問題はないわけで、つまり私は下着姿のメリーさんも拝めちゃうわけだ。
いや、ほんとに手を合わせて拝むかもしれない。
メリーはエロい。こう言うとメリーの名誉が怪しくなるのでもう少し噛み砕けば、胸が大きい。それから肌が白くて綺麗である。そして金髪美女。あんな子をプールに連れていったら、開放感に満たされた男どものナンパの対象にあるかもしれない。そこで私が颯爽と登場し、メリーを男の魔の手から救ってあげるのだ。
きゃー蓮子たすけてー! 任せてメリー! よし、イメトレはこんなもんかしら。
明日のことを妄想すると止まらなくなってしまう。忘れないうちに準備をしておこう。先日メリーと買いに行った水着をバッグに入れ、タオルとゴーグルも忘れない。
はっ! そうだ。夏といえば日焼け止めだ。メリーと塗りあいできる。メリーのすべすべお肌に合法的に触れるチャンスじゃないか。
明日はメリーにおさわりできて、水着姿……もとい下着姿を拝めて、さらに水を怖がる姿まで見られて、かわいいメリー尽くしだ。
しばらくはメリー成分を補給しなくても済むくらいメリーを堪能してやる。
暑さでテンションがおかしなことになっている。自分でもそれは分かっているが、今更戻そうとも思えない。
プールの場所と行き方も調べておく。京都駅から山陰本線で三十分ほどだ。道中迷ってしまってはかっこがつかないから、電車の時間まで調べて記憶しておこう。
遠足前夜の子どものように、枕元に荷物を置き、目覚ましをセットして眠りにつく。明日は何だか遅刻しない気がする。
可愛いメリーを妄想していたらやがて意識が遠くなっていった。
「三分遅刻よ蓮子」
「ごめんごめん。出る前にバタバタしちゃって」
私が京都駅の改札についたらやっぱりメリーは先に来ていた。
メリーは白いワンピースに、いつもの帽子の代わりに麦わら帽子をかぶっていた。アニメとかで出てきそうな金髪美少女だった。
私はいつも通りの服装にいつもの帽子をかぶっている。プールに行った後のことばかり考えていて、おしゃれにまで頭が回らなかった。
メリーのワンピースは腰の辺りが細く作られていて、逆に胸のあたりがかなり強調されている。それは胸が控えめな人が大きく見せるために着るやつじゃないのか。メリーが着ていると巨乳が強調されて、いくつもの男の視線を奪っているような気がする。
二人で切符を買って改札を抜けた。広い広い京都駅の一番端にあるホームには、京都駅発の電車が既に停車していた。
座席につくと、家族連れやカップルの姿がいくつも見られた。みんな同じプールに行くのかもしれない。平日の昼間とは思えない混み具合だった。
「バタバタしたって、何してたのよ」
「ああ、ちょっとね」
メリーは知らないかもしれないが、日本では海やプールに行くときにあらかじめ水着を着ていくことがあるのだ。何故かって、それは単に着替えるのが面倒だからだ。もちろん、ちゃんとプールに入る前にシャワーを浴びて、汗を流すのが最低限のルールだが。
そんなわけで私は白いブラウスの下に水着を着ていた。幸い私の水着は白だったから、透ける心配は無い。
「メリーって泳げるの?」
「泳げないわ。でもプールって水たまりでしょ? 海みたいに流されることないから安心じゃない」
「ほうほう。メリーさんは日本のプールを知らないのですな」
「プールに国ごとの個性なんてあるの? 端から端までが五十メートルの長方形……もとい直方体に水がためてあるだけでしょ?」
メリーはオリンピックなどの競技で使われる、一般的な五十メートルプールを想像しているようだ。市民プールなどならそんなものだろうが、いわゆる遊戯施設としてのプールにはそんなものはない。
「まあ、見てのお楽しみね」
「日本はクレイジーだから何が来ても驚かないわ」
日本をあまり知らない外国人のような口調だった。それを流暢な日本語で言っているのだから少しおかしい。
電車はそれなりの混雑を保ったまま、プール施設の最寄り駅に到着した。案の定たくさんの人がホームに降りてくる。この駅からプールまで直通の送迎バスが出ているから、みんなそれを利用するのだろう。
メリーとはぐれないように手を繋ぐ。メリーは拒むことなくしっかり握り返してくれる。こういうところはとても素直だ。
手を繋いだまま混雑したバスに乗り、十分ほど揺られて私たちはようやくプールにまでたどり着けた。
「時は金なりよメリー。タイムイズマネー。さっさと着替えるのよ」
「はいはい」
私は必要もないのにタオルを身体に巻き、ブラウスとスカートを脱いだ。これでもう水着姿である。白地に黒のレースが入ったこの水着は、メリーが似合うと言って選んでくれたものだ。メリーがあちらを向いている間にタオルを取っ払うと、メリーは驚いた様子で私を見た。
「もう着替えたの?」
「メリーが遅いのよ!」
「はいはい。分かりました」
更衣室は夏休みということもあって混んでいた。誰も私の行為に気付くものはいない。脱いだ服とカバンと財布をロッカーに入れ、鍵をかけておく。
メリーはまだ水着を着ている途中だった。私は先に行ってシャワーを浴びることにした。
暑い中やってきたせいで身体は十分に火照っていた。シャワーの水は冷たいが、寒いということはなくむしろ気持ちいいくらいだ。
「お待たせ蓮子」
「ひゅー。メリーさんセクスィー」
「声が大きいわ」
メリーは水色のビキニだった。やはり脱ぐと胸の大きさが強調されて思わず目がいってしまう。肌は透き通るように白く、お尻は引き締まって少し小さめだった。
これを下着姿だと思うと……あ、やばい。襲いそうになる。くびれた腰とか、ほどよくお肉のついた太ももとか、妄想が膨らむほどエロい。
「メリー! 日焼け止め塗ってあげる!」
「家を出る前に塗ったわよ」
「それは手とか首とかだけでしょ? 全身塗ってあげる!」
「もう、蓮子ったら……」
私はメリーを立たせて、服の採寸をするかのように全身にくまなく日焼け止めを塗ってあげた。はあ、メリーのお肌が気持ちよすぎる。舐めたい。太ももをぷにぷにしてたら頭にチョップを入れられた。痛い。
「みんな見てるってば」
「日焼け止め塗ってるだけじゃない」
「手つきが不自然なのよ、もう……」
文句を言いながらもメリーは動かずにいてくれた。通り過ぎていく人たちに見られてメリーは顔を染めていて、それを下から見上げるのがたまらない。
一度塗ったところをもう一周してやろうかと思ったけど、塗りすぎはお肌によくないからやめておく。
胸の谷間に塗ろうとしたらさすがに怒られた。冷徹な目で私を見るメリーはちょっと怖かったけど、少し興奮した。
「次は準備運動よメリー。日本では水に入る前に五分以上準備運動しないやつは妖怪に食べられるって言い伝えがあるの」
「怖いわね。夢に出てきそうで」
もちろん嘘だけど、メリーならその妖怪の存在を信じてもおかしくないし、実際に会えるかもしれない。そんな妖怪がいればの話だけど。
「ほらほら足を開いて、私が背中を押してあげるわ」
「ぐええぇー。きっつ、ちょ、蓮子、ぐふうぅ」
メリーの背中に合法的に触るチャンスとばかりに私はメリーを前屈させる。普段聞けない珍しい声が聞こえる。メリーはあんまり身体が柔らかくない。お肌は柔らかいのに。
金髪をポニーテールにしているメリーは、普段見えないうなじをくっきり見せつけていた。これは私に舐めろって誘ってるのか。いや、さすがにそれはないけど、でもちょっと舐めたい。指で触るくらいならいいかな。
背中を押している間に、どさくさに紛れてうなじを指でなぞってみた。するとメリーが「ひゃあぁっ」なんて声を出すからびっくりして手を引っ込めた。
「そこ、やめて、ほんと、弱いから」
涙目になりながらメリーが振り返ってきた。こんなのゾクゾクするに決まってるじゃないか。でもやり過ぎるとやっぱり怒るから、今度からちょくちょく触っていくことにしよう。そのほうが長く楽しめる。
自分も準備運動を済ませ、いざ二人でプールに入る。そこでメリーがぽかんと口を開いたまま固まった。初めて見る日本のプール施設にさぞかし驚いているのだろう。
「日本人って、プールの中でも規則正しいのね」
「ん、どうして?」
「だってほら、みんな同じ速度で一定方向に泳いでいるのよ」
メリーが指さしたのは流れるプールだった。流水が発生していることを知らないメリーには、それが駅のホームやお店の行列に並ぶ人々と同じように見えたようだ。
「メリーも入ってみれば分かるわ」
メリーの手を引いてゆっくりと入り口に歩いていく。ベルトコンベアーのように一定速度で流れ続ける人々を見ると、メリーの言っていることも間違いではないように思えてくる。
手を繋いだまま階段を下り、水の中に入っていく。そして流れ続ける人々の中に一歩踏み出した。すると身体は勝手に水の流れに押されて、自分の意思とは無関係に動き始める。
「わ、な、なにこれ! なんでこんな流れが、はわわ」
「これが流水プールよ」
「こんなのプールじゃない! 怖い!」
「何が怖いのよ。別に溺れるわけじゃないでしょ」
「でもぉ……」
メリーは私の手を先ほどより強く握りしめた。離すと流されてそのままどこかへ行ってしまうと思っているのだろう。
私はメリーの手の感触に癒されながら、日差しでぬるくなった水に全身を浸けて、火照った身体を冷やした。全身が水に包まれる感覚が気持ちいい。これがプールの醍醐味だ。それに水の中にいると浮力で身体の重さが軽減されるから、どこか浮き上がった気分になれる。宇宙には行ったことがないけど、きっと無重力に少しだけ近い感覚なんだろう。
そわそわと辺りを見回しながら時より私の顔を不安そうに見るメリーは、あんまりプールを楽しめていないようだ。そんなに流水プールが怖いのか。
この状態で潜ってメリーの太ももを触ってみたらどうなるだろう。メリーは私の手を離せないから、触り放題なんじゃないか?
「蓮子、いやらしいこと考えてるでしょ」
「あ、分かった?」
「せめて否定しなさいよ」
「じゃあいやらしいことされるのと、手を離すのと、どっちがいい?」
「どっちも嫌よ」
手を離すと本当に泣きそうに思えたから、足の指でメリーの太ももをつつくことにした。こうすればメリーの恥ずかしがっている表情も見られる。
メリーは流水の怖さと恥ずかしさでまるで余裕がなくなっている。ささいな抗議として手を強く握ってくるが、メリーの握力ならさして痛くはない。
そうこうしている間にちょうど一周したので、メリーが私の手を引っ張ってプールサイドに上がった。メリーは他のプールに行こうと言い出した。
「次はウォータースライダーやりましょ」
「なにそれ」
「水のすべり台よ。やってみれば分かるわ」
ウォータースライダーは盛況で、多くの人が並んでいる。スタート地点まで上がるための階段の半ばまで列が伸びていた。
「あのトンネルの中を滑るの?」
「そうそう」
「落ちないよね?」
「落ちるわけないじゃん」
子供みたいな心配をするメリーが可愛い。
列はそれなりの速度で進んでいた。少しずつ上がっていくことで期待感も高まってくる。
「どっちが先に滑る?」
「え、一緒にじゃないの?」
「うーん。このタイプは一人用ね。ボートに二人で乗るやつもあるらしいけど」
「じゃあ蓮子が先に行って。私様子見てるから」
「分かったわ。ポロリしないように気を付けなよ」
しかし、いざ滑る直前になるとメリーが辞めると言い出した。前の人達がキャーキャーと悲鳴を上げているのを聞いて怖くなったらしい。
あれは悲鳴じゃなくてエキサイトしてるだけよと教えてあげたのに、メリーは怖がって聞いてくれない。順番が回ってくる前に決心させないと後ろの人に迷惑がかかる。
「私が背中押してあげるから」
「いやよ!」
「はい座って座って。いちにのさーん」
「きゃああああああぁぁ」
係員さんに苦笑いをして、私もメリーの後を追った。
下まで降りたメリーはバカバカと私の肩を叩いた。私はメリーのあやすように頭を撫でてあげた。
お昼を食べ終わった直後に、施設内で放送が流れた。どうやら波のプールがスタートするらしい。私は波を起こす装置の付いたプールにまでメリーを引っ張っていった。
「今度は何よ」
メリーが怪訝そうに周りを見渡す。どんどん人が集まってくる光景に嫌な予感を覚えているようだ。
「これは波のプールよ」
「並のプール?」
「海みたいに波が起きるの。面白いわよ」
「なんでプールに来たのに海みたいなとこに入るのよ!」
メリーはどうやら海が苦手なようだ。しかしここは閉鎖的なプールだし、潮流に流されることもない。一番奥まで行けば足が届かない程度には深くなっているけど。
「海怖いよ蓮子」
「海じゃないってば。ほら行こう」
始まったばかりで、まだ波はほとんど起きていなかった。とりあえず腰のあたりまで浸かるくらいの深さまで行ってみた。すると徐々に水面が波打ち始めた。人がどんどんやって来て、周りを囲まれてしまう。
「蓮子、手を離したら秘封倶楽部辞めるわよ」
「離さないって」
メリーはいつになく真剣な口調だった。本気で秘封倶楽部の存続に関わる気がしたから、メリーの手をしっかりと握り直す。互いに指の間に指を絡めた。
「はわわ、波が、プールなのに波がああ」
「あはは、メリーの反応面白い!」
「こんな装置を作るなんて日本人はクレイジーだわ!」
波のプールの発祥が日本かどうか私は知らないが、メリーはそうだと思い込んでいるらしい。目をグルグルさせ、繋いでいない方の手は振り回している。他のお客さんに当たりそうで危なっかしい。
だんだん波が大きくなってくると、足が一瞬浮くような感覚にとらわれる。その度にメリーが手を強く握ってくる。まったく庇護欲をそそられる可愛い生物だ。
そうして何分くらい続いたのだろう。やがて波は収まり、人が少しずつ減っていった。私たちもプールサイドに戻り、休憩所の椅子に座った。手は未だに繋いだままだった。
「頑張ったわねメリー。えらいえらい」
「どうしてプールに来て頑張らないといけないのかしら」
「でも、途中で帰らなかったよね」
「それは……蓮子が……」
何かを言いかけてメリーは口をつぐんだ。首を傾げて見せたけど、メリーは続きを言おうとはしなかった。
しばらく無言の時間が流れた。日差しは相変わらず強く、私たちの肌をじりじりと焼いていく。離すタイミングを失ってしまった手から、日差し以上に暑いメリーの熱を感じる。
水着姿ですら、直射日光のもとでは汗が浮かんでくる。また水に入りたくなった。
「メリーって潜れるの? というか、水に顔付けれる?」
「たぶんできる」
多分ということはそれほど経験がないのだろう。
「水底に境界あったりしないかな?」
「どうかしら」
「昔からね、水に入っていると足を引っ張られるって言い伝えが日本にはあるのよ。それってさ、境界から誰かが手を伸ばして引っ張ってるのかもしれないよ」
「うーん。でも境界があったらそこに水が流れ込むんじゃないの?」
「あ、確かに。でも逆に言えば、そこに向かって水が流れ込むから、その流れに足を取られているのかもしれないわ。そして普通の人には境界が見えないから、誰かに足を引っ張られていると思うのかも。あれ……でも境界が物理的な概念だとしたら普通に見えるはずだし、違うとしたら水が流れ込むのはおかしいかな? んん?」
実際に境界が見つかれば一番手っ取り早いのだけど。メリーは生憎あまり潜れそうにない。さすがに潜るのを強要させるのは、何だかかわいそうだ。それに今のメリーは少し疲れているように見えた。
実はメリーには境界が見えていて、それを私に隠しているということもあるのだろうか。その境界から知らない間に影響を受けて、メリーの体調が変化したりすることがあり得るのだろうか。そう考えるとメリーの様子が心配になった。
「蓮子の物理の話は分からないわ。でも少なくとも、今日は境界を見ていないわよ」
「そう。ならいいんだけど」
メリーはまだ私の手を離そうとしない。それは何か不安があるからなのか、それともタイミングを計っているのか、どっちなんだろう。
境界が人の足を引っ張っている。なかなか面白い仮説だと思った。でも、私にはそれを確かめる術はない。
秘封倶楽部の活動はオカルトを追い求めることだけど、最近はもっぱらメリーの能力に頼った結界暴きばかりをしている。
私だけでは決してできない。むしろメリーがいるからこそできる活動だ。秘封倶楽部は、メリーがいないと秘封倶楽部ではなくなってしまう。
だからメリーと仲良くしているというわけでは、ないはずだ。私はメリーの目に境界が映らないとしても、メリーのそばにいると思う。
まあ、メリーの能力は強くなっていっている気がするし、見えなくなることはないと思うけど。
「いい加減熱くなってきたし、もう一回入りましょう。今度はあの遊具があるところに」
「あそこは子ども向けじゃないの?」
「いいのいいの。大人だって入れるんだから」
そこは大人の膝くらいまでしか深さがないプールで、主に子どもと大人が一緒に水遊びをしていた。
船の形をした遊具が中心にあり、大砲が備えられるべき場所には水鉄砲が付いている。なかなか子供心をくすぐられる。
端っこに座って子どもを眺めているメリーに向かって思い切り水鉄砲で放水してやった。「ぶぅふ」と鈍い声が聞こえてメリーの顔がびしょ濡れになった。プールに入っても同じように濡れるはずなのに、髪や顔から水を垂らすメリーは何だか色っぽい。
「れんこ~?」
濡れた髪をかき分けて睨んできたメリーの目が普段見ないくらい怖い。
水鉄砲はプールの水をくみ上げているらしく、無限に打てるらしい。これでメリーの胸元を狙ったらさすがにしばらく口を聞いてくれないか、あるいは一緒に帰ってもらえなくなるかもしれない。でもちょっとやってみたいぞ。
そこで私の隣に小学校低学年くらいの男の子がやってきた。私の水鉄砲を羨望の眼差しで見つめている。私は「どうぞ」と男の子に水鉄砲を譲ってあげた。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
男の子は純真な瞳を輝かせながらきちんとお礼を言った。親の教育を感じる。オモチャを失った私は船の遊具から降りてメリーの隣に座った。
「子供は可愛いわね」
「まあね。少なくとも蓮子よりはね」
「むむ。私のどこがお気に召さないのかしら」
「大学生にもなって水鉄砲で友人を濡らすところとかよ」
さすがにまだ少し怒っているらしい。私は頭を下げて「ごめんなさい」と言った。「分かればよろしい」とメリーは私の頭をぽんぽんと二回叩いた。
それからはまたしばらく子供を眺めたり、流れるプールに戻ったり、波のプールに入ったりした。流れるプールでは手を離したメリーも、波のプールでは結局最後まで手を繋いでいた。そんなに怖いのかしら。
プール施設の閉園時刻は午後五時だが、混雑を避けるために午後四時前にはプールから上がった。それでもみんな考えることは同じらしく、更衣室には溢れるほどと言わなくても多くの人がいた。
家族連れの母親が子供の着替えを手伝っている様子がそこかしこで見られた。これは電車も混みそうだと思いながら私はロッカーを開けてタオルを取り出す。タオルを巻いて水着を脱ぎ、身体を拭いた。
あとは下着といつもの服を着て、電車が混まないうちに帰るだけだ。
そのつもりだった。
それなのにどうして。
「あれ?」
「どうしたの蓮子」
「いや、ちょっと、おっかしいなあ」
バッグの中をいくら探しても下着が出てこない。バッグの中身を全てロッカーの中にひっくり返してみたが、財布と帽子と濡れた水着を入れる袋だけで、やっぱり下着は入っていない。
「あっ……」
その瞬間、頭が真っ白になった。そして真っ白な背景のイメージの中に、朝の出来事がゆっくりと浮かび上がってきた。
家を出る少し前、このまま行けばちゃんと待ち合わせ時間に着きそうだと思っていた。そこで私は、服の下に水着を着ていくことを思い出した。小学校の頃よくやったと懐かしんでいるうちに、下着を脱いで水着を着た。そして、時計を見て時間が迫っていることに気付いた私は、脱いだ下着をバッグに入れずに、そのまま京都駅まで急いだのだった。
つまり今私が持っている布は、黒のスカートと白のブラウス、そして靴下と濡れた水着だけだった。
頭の中だけでなく視界まで真っ白になりそうだ。メリーの濡れた金髪が薄ぼんやりと滲んでいる気がする。
なんとかならないだろうか。どうしたって下着はここにはない。ここにあるものでどうするべきか考えなければいけない。
白いブラウスと黒いスカートと靴下と濡れた水着。まず除外するのは濡れた水着だ。こんなものは身に着けられない。早速袋に入れてバッグに突っ込んだ。
そういえばタオルという存在を忘れていた。これを巻いてその上にブラウスを着るのはどうだろう。
数秒想像してすぐにやめた。どう見ても不自然である。
「蓮子、着替えないの?」
「ああ、うん。着替える着替える」
「まだ時間かかるなら、私お手洗いに行ってきてもいいかしら」
「うんうん。どうぞごゆっくり」
メリーは何も知らない様子で去っていった。着替えるなら今しかない。深呼吸をして覚悟を決めた。
まず、何も履いていない下半身にスカートを履く。な、なんだこれ。めちゃくちゃスースーするじゃないか。風のイタズラでも起きようものなら大変なことになる。せめて大事なところを覆う布があれば……。
そうは言ってもないものはない。モタモタしているとメリーが帰ってきてしまう。私は急いでブラウスの袖に腕を通した。
ボタンを一つ一つ止めていき、一番上から下まできっちり止める。こ、これは意外といけるか? パジャマを着ているような気分で、スカートよりはやや抵抗感が少ない。
おそるおそるタオルを取ってみた。見た目はいつも通りの私だ。黒スカートに白ブラウス。しかし、その下には何も身に着けていない、ノーブラノーパン。露出狂と疑われても言い逃れができない。スカートが風で舞い上がったり、ブラウスが胸に密着したりしたら、一発でばれてしまう。
知らない人に変態だと思われるだけならまだしも、メリーにまで気付かれたら、私はもうメリーと友達を続けられないかもしれない。
メリーにだけは知られたくない。何としてもノーブラノーパンという事実を隠し通さなければならない。
「ただいま。行きましょう蓮子」
「ああ、うん。いこっか」
お手洗いから帰ってきたメリーは、特に服装に言及するわけでもなく普通に話しかけてきた。その態度から私はメリーには気付かれていないと確信した。
プールから駅まで直通のバスが停まるバス停まで歩く。今日だけは貧乳でよかったと思える。メリーみたいに胸が大きかったら、ノーブラなんて三秒でばれる。控えめな私の胸は、俯き加減で歩けばほとんど存在を主張しない。
駅までの直通バスがバス停に停まる。ぞろぞろと人が乗り込み、座席数よりは明らかに多い乗客数となったため、私たちは立つことになった。
待てよ。揺れる車内で誰かが私の胸のほうにぶつかってきたら……さすがに気付かれてしまうだろうか。
私はバッグを胸の前に抱えることでその問題を解決した。これならスリに遭わないように警戒しているようにしか見えない。
「楽しかったわね。だいぶ焼けちゃったかも」
メリーは私がノーブラノーパンとは知らずに呑気な声を出している。
「そうね。明日痛くなるかも」
「髪もちゃんと洗わないと傷んじゃうわ」
「そうそう。プールの水の中に含まれる塩素が髪に付着することによって、髪がぱさぱさする原因になるからね」
「なんでそんな説明的なの?」
「なんでもないよ」
ふーん、とメリーは怪しい物を見る目で私を見つめてくる。私はバッグで胸元をガッチリガードしてノーブラがばれないようにした。
「蓮子、ブラウスのボタン一番上まで止めて暑くないの?」
「え、えっと、別に。プール入った後で身体冷えてるし。そう! プール入った日はちゃんと湯船に浸からないとだめよメリー! 冷房やプールで身体を冷やした日はちゃんと芯から温めないと体調を崩す原因になるわ」
「へえー。蓮子って物知りねえ。でも私、湯船に浸かるの苦手なのよね」
「じゃあ、いつもより高めの温度のお湯で、長めにシャワーするといいわ!」
「そっか。ありがとう蓮子」
いつか覚えた断片的な知識を披露して何とかやり過ごした。
それにしても、メリーのあの質問。あれはまさか、私のノーブラに気付いているの?
いやいや、気付いているなら逆に、ブラウスのボタンを上まで止めることに不自然さを抱かないはずだ。
それとも、昼間意地悪ばっかりしたから、ノーブラを悟った上で悟っていないという演技をして、私を辱めようとしている? まさかメリーに限ってそんな……。でも昼間は結構ひどいこともしちゃったし、実は根に持っているのかもしれない。
あるいは、メリーはまだノーブラを疑っている段階で、微妙な質問を投げかけることによって私の反応を確かめ、それでノーブラか否かを判断しようとしたのかもしれない。
あれこれ考えている間にバスは駅前に到着した。人の流れに任せて私たちもバスを降り、京都行きの電車に乗った。平日の帰宅ラッシュより少しだけ早い時間帯で、乗る時は客はまばらだったが、同じ駅から乗ってきた人たちで立ち客がちらほら出る程度の混雑になった。
ノーパンな私としては座っているより立っているほうが落ち着くのだが、ちょうど二人分の席が空いていたのだからしょうがない。疲れているメリーを立たせるのも悪いと思って座ってしまった。メリーと特に会話はない。私はあわよくば席を誰かに譲ろうと辺りを注意深く見ていた。
そこにちょうど杖をついた年配の女性が電車に乗ってきた。私はすぐに席を立っておばあさんに譲った。おばあさんも「ありがとう」と感謝の言葉とともに素直に座ってくれた。
「蓮子、バッグ持ってあげる」
助かったと思った矢先、メリーから困ってしまう言葉をもらう。膝の上をトントンと叩いているから、ここに置けと言いたいのだろう。しかし私はノーブラをバッグで隠しているから、このバッグを手放したくはない。
「いいよ。あと十分くらいで着くから」
「でも私だけ座ってるし、何だか悪い気がするから」
「いいのいいの。メリー疲れてるでしょ。特に波のプールとかで」
「あれは、ちょっと、ねえ」
メリーは歯切れ悪そうに言った。うまく話題をすり替えたおかげで、バッグに対する追及はなかった。
電車は京都市内に入り、街中を抜けていく。メリーはうとうとと舟をこいでいる。このまま京都駅に着いて別れれば、あとはバッグを胸に抱えながら下宿に帰るだけだ。最悪、徒歩も辞さない覚悟がある。電車やバスなんかより、普通に街中を歩いていったほうが人と密着しなくて済むし、ばれにくいだろう。
車掌が終点京都駅のアナウンスを始めた。乗り換え案内の放送中に、眠りかけていたメリーがぱっちり目を開けて私を見上げた。
「もう京都駅?」
「うん」
「蓮子、この後どうする? ご飯でも食べに行く?」
「えっ……」
予想外の言葉にバッグを落としそうになり、慌てて抱え直した。メリーは淀みのない綺麗な瞳で私を見つめてくる。やはり気付いていない。気付いていないからこその発言なんだろう。
「えっと、今日は……いい、かな」
「家で食べる?」
「うん。何か作るよ」
「そっか。私は面倒だから外食したかったのだけど……。蓮子が行かないならスーパーでお惣菜でも買って帰るわ」
「なんか、ごめんね」
「どうして謝るのよ。そうだわ。蓮子も一緒に買い物行きましょうよ」
パン、と手を叩いてメリーが上目遣いでこちらを見てくる。その純真な瞳からは、私に対する嫌がらせを行っているようには見えなかった。しかし、私はこれ以上人の多い場所には行きたくないのだ。しかしメリーはそれを察してはくれない。察せるはずがない。友人がノーブラノーパンでいるだなんてメリーは夢の中でも思わないだろう。
私の心が不安定に揺れる。本当は全部分かっていて、その上で私に意地悪しているのだろうか。考えたくはないのに、そんな想像が頭の片隅で展開されてしまう。こんな純粋そうな子を信じないなんて私はひどい友人だ。でも、メリーの全ての言動が、そうである可能性も示唆している。私の頭の中がどんどんぐちゃぐちゃになっていく。
「か、買い物行くなら、一度荷物を置いてからでもいいかしら」
そうすれば家に寄った時に下着を着用できる。
「分かったわ。じゃあ私も荷物を置きに帰るわね」
今度はすんなり思い通りになって私はほっと一息をついた。これでメリーにばれる心配はほぼなくなったと言ってもいい。
「荷物を置きに行くなら、二条で降りた方がよかったね」
「あ、そう言えばそうだね」
私たちの下宿は地下鉄今出川駅の近くである。二条でJRから地下鉄東西線に乗り換え、烏丸御池で烏丸線に乗り換えたほうが早かった。しかし二条駅前後ではメリーはうとうとしていたし、私も頭の中がそれどころではなかったから、何事もなく通過していた。
やがて、電車が京都駅に到着した。JRから地下鉄に乗り換える。京都駅は相変わらずの人の量だったけど、バッグがある限り上の心配はなかった。時たま吹く地下特有の強い風だけが懸案事項だった。私はバッグを持っていない方の手でスカートの裾を押さえ、何とか事なきを得ていた。
地下鉄に乗るころには、当初より随分心に余裕を持ち始めていた。普通にしていればノーブラノーパンでも人は気づかない。というよりも、人は意外と他人のことを見ているようで見ていないことに気付く。個人主義が日本に入ってきてもう百年以上。それは確実に浸透していっているように思えた。
京都駅から今出川駅までは特に問題はなく、無事に改札を抜けて人ごみから解放された。あとは下宿に向かって数分の道のりを歩くだけだ。緊張していた心も徐々に緩みつつある。
メリーは下宿までついてくるらしい。別れてもう一度待ち合わせしてもいいと提案したが、ついて行きたいと言ってきた。何故だろう。
夕方の京都では風がほとんど吹いてなかった。もう人にばれる要素はない。下宿のアパートも目の前だ。
アパートは三階建てで、八畳のワンルームである。3LDKという学生にあるまじき間取りの下宿を持つメリーとは大違いだ。エレベーターもなく、階段はかなり急になっている。私の部屋は三階の角部屋だ。
「じゃあ、荷物置いて別のカバン持ってくるから」
敢えて荷物を置く以外の用事を口にして、下着を身に着ける時間に不自然を生じさせないようにした。メリーも「はーい」と特に変わった様子はなかった。
ようやくノーブラノーパンから解放される。いや、履いてない付けてない今までが逆に解放だったのだろうか。そんな馬鹿げた思考をしながら階段を上っていった。
「あっ……」
「えっ?」
メリーの何かに気が付くような声に気付いて振り返ったとき、ちょうど一陣の風が吹いた。その風は私のスカートをさらい、裾を高く舞い上げた。
ノーパンの私は下から見上げるようにこちらを見ていたメリーに、スカートの下を全部見られてしまった。
全部、見られた。全部。
「あ、ああ、あぅ……」
メリーに、見られた。ノーパンであることを。
私はその場に膝をついた。瞳からは涙がポロポロと零れ出し、太ももの上に落ちていく。
メリーに軽蔑される。変態だって思われちゃう。
「蓮子! 大丈夫!?」
「ううぅ……うあ、ひっく……」
「蓮子……」
メリーが私の肩に両手を置く。その行為が何を表すのか私には分からない。私はただノーパンを見られてメリーに軽蔑されることに対する恐怖で泣いていた。
離れてよメリー。どうせ軽蔑してるんでしょ。
「蓮子、どうして黙ってたの?」
「……」
「下着、忘れたんでしょ。それで帰りの様子がずっとおかしかったのね。言ってくれれば私もフォローしてあげたのに」
メリーは今初めて知ったかのような口ぶりだ。実際にそうなんだろう。私はずっとメリーのことを疑っていた。知っていながら知らないふりをして私に意地悪しているんだと疑っていた。こんな優しい言葉をくれるメリーに対して。馬鹿みたいだ。
メリーは全て納得がいったようだった。朝の私の遅刻や、着替える時の速さや、帰り道での不自然な態度は、全て下着を忘れたという一つのことに繋がっている。そのことにメリーは気付いたらしかった。
「軽蔑されるかと思った」
「しないわよ」
「でも、怖かったの」
メリーに軽蔑されるのが怖かった。でもそれは、メリーへの信用度の低さの表れだった。私がメリーのことをちゃんと信じていれば、着替えの段階で告白していただろう。どうしてあの時私は隠してしまったのだろう。
「メリーに意地悪ばっかりしたから……メリーも私に意地悪するんじゃないかって……」
「しないわよ」
「私の意地悪は、メリーが嫌いとか、そんなことは決してないの」
「分かってるわよ。幼い男の子が好きな女の子に意地悪するみたいな感じでしょ?」
私は頷きかけて止めた。肯定してしまうとメリーのことが好きだと告白するようなことになってしまうと思ったから。
それは、まだメリーに伝えるべきではない。例え可能性が少しでもあるとしても。はっきりするまでは言わないほうがいいと思う。
「私が気付いていると思ってたの?」
「うん……」
「気付いたらちゃんと言ってたわよ。そりゃあ多少蓮子の名誉は傷つくかもしれないけど、気付いていながら気付いていないふりをするのは蓮子に対して申し訳ないじゃない」
「うん……」
「そんなに私のこと信用できない?」
「ち、違うのっ。そういうのじゃなくて」
自分の中で渦巻く感情をうまく言葉にできない。私はメリーのことが友達として好きだし、それはもう若干病的なくらい好きだし、でもどこかでメリーが遠い存在のように思えて、自分とは違う何かを持っているような気がして。そうした複雑な感情が混ざり合って、あんな行動を生んでしまったのだ。
「自分でも本当によく分からないの。ごめんなさい……」
「いいのよ蓮子。私がもっと蓮子に信頼されるようになればいいだけじゃない」
メリーはまるで自分に非があるような言い方をする。決してそんなことはないはずなのに。これは私の中の感情が原因のはずなのに。
「ほら、立って。ちゃんと下着付けてきてね」
少しお茶目な口調でメリーは言った。私は静かに立ち上がり、メリーには何も言わずに再び階段を上り始めた。
部屋に入ってバッグを置き、朝に脱ぎ捨てたまま放置されていた下着を付けた。そして買い物用のカバンを持って外に出る。
階段を降りるとメリーは同じ場所で待っていた。私を見るとにっこり笑って、私が隣に並ぶと同時に手を繋いできた。
「行きましょう」
「うん」
メリーは何故かご機嫌そうに繋いだ手を振る。遠足に行く時の小学生のようだ。
初めは手のひらを重ねていただけだったが、歩いているうちにメリーは指を絡めてきた。波のプールで何度も行った繋ぎ方と同じだった。あの時は水中に手があったから感じられなかったが、今はメリーの体温や指の感触がしっかりと伝わってくる。手を繋いでいるだけなのに、少しだけ幸せな気分になってくる。
「私は蓮子のこと信頼してるわよ。もし信頼してなかったら、あの時手を繋がずに逃げていただろうから」
私は何も返事ができなかった。するとメリーはさらに言葉を続けた。
「蓮子はどう思っているのか知らないけど、私は蓮子のことが好きよ。大事な友人として、秘封倶楽部の相棒としてね。だから、ちょっとくらい意地悪されたからって嫌いになんかならないし、蓮子から離れていくこともないわ」
メリーはどんどん想いを口にしていく。ここが私との決定的な違いだった。私はメリーみたいに、思ったことを素直に口にできない。どこかで恐れてしまっている。
でも、自己開示は対等でないと、よりよい関係を築くことはできない。相手が気持ちを口にしたら、こちらも同じくらい気持ちを口にしなければならない。
この辺りで、私たちはきっと少しずつずれている。
「私も……メリーのこと……」
「うん?」
メリーは首を傾げて次の言葉を待っている。私を勇気づけるためか、繋いでいる手を少しだけ強く握った。あの時とは逆だった。今度は私が勇気をもらう番だ。
「メリーのこと、私も、す……嫌いじゃないから。だから、ちゃんと信頼するように頑張るから」
「うんうん」
「だから、時間はかかるかもしれないけど……もうちょっとそばにいてほしい」
「分かったわ」
メリーの下宿に着くと今度はメリーが荷物を置きに行く。帰ってきたメリーは財布が入った小さなカバンだけを持ってきていた。
そうしてまた自然な流れで手を繋ぎ、指を絡めた。
近所のスーパーへ行くまでのほんの数分間だけ。さすがに店内では手を繋がない。
「あったかいわね」とメリーが言った。気温はむしろ暑いくらいだから、きっと手のことを言ったのだろう。
私は「うん」と短く返事をした。
「もうちょっとと言わず、ずっと一緒にいるわよ」
メリーが天使のような笑顔で言った。
私はその笑顔が照れくさくて、思わず顔を逸らす。恥ずかしくて何と返せばいいのか分からなかった。
これで伝わればいいのに、とメリーの手を二三回握るだけだった。
…にも関わらず、何故かメリーにチャンスをものにした確信的な行動を感じてしまいましたw
でもメリーは蓮子の気持ちに気付いてそうだからきっと気持ちを受け止めてくれるはず
がんばれ蓮子
面白かったです。
最後の方は「あーかわいいな」ってニヤニヤしながら読んでました
ごちそうさまでした!
なんか小学生みたいな手順を一から一歩ずつ踏んでいくような、ある意味では飾らない関係性の進展に微笑ましくなったり、ちょっと心配になったりする二人でした。
どちらのパートでも二人の関係が甘いというより甘酸っぱくて、なんだか青春を感じました