永遠亭の廊下を歩くてゐの耳に、永琳の叱りつける声が届いた。
「おんやぁ……?」
声のする部屋の前に辿り着き、を覗き込むと……正座する永琳と輝夜の姿。
「姫様、何やらかしたの?」
躊躇無く入っていくと、まずいのに見つかった、とばかりに苦い顔をする輝夜と、説教を中断する永琳。
「あら、てゐ……見て頂戴、これ」
永琳は机に置かれた書物を指差す。
覗き込むようにして、てゐが見やると、表紙には何も書かれていない。
内容は窺い知れないが、何か液体をぶちまけたように、すっかりよれよれになってしまっていた。
「ふむー、寝っ転がって読んでたら、お茶こぼしでもしたの?」
「ご名答。 問題は、この中身なのよ」
そう言うが、こうも完全に駄目になっていそうでは、手をつけるのも、流石にてゐとしても憚れる所。
その様子を見て、永琳が付け足す。
「昔、地上に来た頃、近所の村に住んでた男性の日記……なんですって」
「はー、そりゃまた貴重な品を、こんな風にしちゃってまぁ……」
千年以上も昔の書物、それにお茶をぶちまけた……聞く者によっては、卒倒ものの出来事であろう。
てゐはちらりと輝夜を見やる、流石に当人も、その事実に負い目があるのか、輝夜はてゐに、何か言う事もない。
「……うん、姫様もこの通り、すっかり反省してるみたいだしさ、お師匠様のお小言は、もう終わりにしてあげなよ」
「? 貴女、何か企んでるの?」
普段の言動から、すぐ様疑われるてゐ。
「そりゃまぁ、思う所が無いわけでもないけどね」
そのように返し、内容は言わないてゐに、永琳は少し目を見つめ……やがて、小さく息をついた。
「そうね……それじゃ、貴女と鈴仙に任せるわ」
「助け舟は有難いけど……話が広がっちゃったじゃない」
永琳が部屋を出て行って、輝夜はまずそんな不満を漏らした。
「んー? そんな事言っちゃうの? 私が割って入らなかったら、お師匠様の説教、まだ続いてたでしょ」
そこを指摘されては輝夜も、返す言葉がない。
黙りこむ輝夜を見て、てゐはその肩に手を置き、続けた。
「ま、お茶こぼした程度なら、紅魔館にでも依頼すれば、あっさり元通りに戻してくれるだろうけどさ」
「そう! そうよね!? なのに永琳ったら、あんなに怒っちゃって、もう……」
てゐの言葉に、身を乗り出して食いついた輝夜だが、最後は肩を落としてうなだれてしまう。
「んー、多分そういう風に思ってるとこも、怒ってる一因なんじゃないかな……ま、鈴仙が来るのを待とうか」
二人で待つ事しばし、鈴仙がやってきた。
「あ、姫様……」
部屋の前に立ち、頭を下げる鈴仙、入ってくると、てゐと輝夜のそばに座った。
「てゐ、お師匠様から話を聞くように、って言われたんだけど……何があったの?」
「本にお茶を飲ませちゃったんだって」
と、件の書物を指差すてゐ。
「こぼしたって事……? でも、それで何故私達に?」
「やー、ちょっと仲裁に入ってね、お小言は終わりにしてあげなよって言ったら、後は私達に任せるってさ」
その答えに、鈴仙は本とてゐを交互に見やる。
「……何企んでるの?」
永琳に続き、鈴仙にも疑われるてゐだった。
「そうよ、一体どういう風の吹き回し?」
更に輝夜までが、その真意を問う。
「ふふふ……みんなに疑われては仕方ない。 なぁに、単純な事だよ……」
勿体つけてそう言うと、てゐはゆっくりと腕を上げ、輝夜を指差す。
「これで貸し一つね! 私がお師匠様に怒られる時はよろしく!」
「あ、えらく単純だったのね」
「全く、貴女は……」
輝夜と鈴仙は、それぞれ呆れた視線をてゐに向けた。
「で、鈴仙……これ、なんだか知ってる?」
「いいえ? 初めて見るけど……」
話を聞くよりまず先に、てゐは書物について鈴仙に訊ねる。
「ふっるーい男性の日記なんだってさ。 姫様が昔こっちに来た頃の」
「え? そ、それってどういう……?」
鈴仙はやや戸惑いつつも、興味津々といった様子で輝夜の様子を伺う。
「あー、別に面白いこっちゃないわよ。 永琳と隠れて大分経った頃に、ふと懐かしくなって……昔いたとこの、近所の村を見に行ったらね?」
「ふんふん」
語りだす輝夜に、てゐはこくこく頷きながら身を乗り出す。
「これが疫病で全滅して、人っこ一人居ない廃村になってたっていう、笑えないオチよ。 で、なんか当時の名残を、ちょっと拝借しようと……持ってきたのが、これっていうだけ」
「そ、それは……」
重苦しい話が飛び出し、鈴仙は申し訳無さそうな顔をし、俯いた。
一方、てゐは然して気にする様子も無い。
「そりゃ災難だったねぇ……にしても、なんで日記なのさ」
「当時の日記と言や、貴族のする事よ? 寂れた村に、こんなもの残せる人がいたなんて、びっくりしたわよ。 ……学のありそうな奴だ、とは思ってたけど」
輝夜の返す言葉……その声音は、冷静なものだった。
衝撃的な内容を聞き、言葉に窮する鈴仙……てゐは輝夜の背中に、ぽんと手を置き……
「その人をどう思ってたかはさておき、切ない思い出、かねぇ」
「……まぁ、蓬莱人になったって事の悪い部分を、痛感した件の一つではあるわ」
うんうん、と、頷くてゐ。
鈴仙はてゐを止めようとしてか、何か言いたげな表情だ。
が、てゐはそれを放っておいて続ける。
「で、その日記に、お茶ぶちまけたってわけだー!!」
「え!? このタイミングでそこに戻すの!?」
「いやいやいやいや、そりゃお師匠様怒るって。 間違いなく姫様にとっても、大事なものじゃないのさ。 それにいつも通りにだらしなーく過ごして、お茶だばぁ、だなんて……私ですら引くわー」
大げさに構えて一歩、二歩と後ずさりするてゐ。
「ちょ、ちょっとてゐ……!」
「いいのよ鈴仙、貴女だって本心を言や、てゐと同じような意見でしょ?」
輝夜の言葉に、鈴仙は困ったように頬を掻く。
「え、えっと……それで、どうするんです?
なんだか、古い割に綺麗ではありますけど、もう手に取るのも、ためらわれる程になっちゃってますが……」
よれよれの本を指差す鈴仙、てゐがぴしっと手を上げて言葉を返す。
「あ、それは大丈夫、本と言えば紅魔館。 あそこを頼ればとりあえず、元に戻す事は出来るよ」
「じゃあ、本は大丈夫だとして、あとはお師匠様との事、ってわけね」
てゐの答えを受けて、鈴仙は腕組をし、俯き考える。
「んー……姫様もすっかりしょげかえってたし、ここは一つ、私が行って来ようかねぇ」
身を翻し、部屋を出て行こうとしたてゐ……しかし
「ちょっと待って、てゐ。 割って入って助けただけじゃなく、この上お師匠様と代わりに話そうと言うの?」
その肩を鈴仙が掴み、止めた。
「そうだけど、何か?」
「……怪しい。 貸し一つ、って言ってたけど、もう既に何かして、それが露見しそうだとでも思ってるんじゃないの?」
更に鈴仙はもう一方の手でも、てゐを掴み、じっと顔を見つめる。
「ふふふ……そんな風に疑われたって」
てゐは身を捻って、巧みに鈴仙の拘束を解き……
「簡単に答えるもんかー!」
脱兎の勢いで逃げ出した。
「あ、こら! 待ちなさーい!!」
その後を鈴仙が追いかける、輝夜を置き去りにして……
少し部屋を離れた頃に、てゐは敢えて逃げる速度を緩め、鈴仙を追いつかせた。
「あきらめるのが早いわね……さぁ、何をしたのか話しなさい!」
「……まぁ、想像の通り、いつものように、ちょっと悪戯したんだけどさー」
珍しく素直に返す――それでも幾分か、誤魔化そうとはしていたが――てゐに、鈴仙は目を丸くした。
「へ? ……本当に、何かやったの?」
「ちょっと妙な展開になっててね、多分お師匠様はとっくに知ってて……でもまだ、どう話すか決めてなかったんだと思うよ」
妙な答えに、鈴仙は首をかしげつつも、てゐが逃げる事なく歩き出すのを見て、その後ろについていった。
「お師匠様ー、私達で話してきたよー」
声をかけつつ、てゐは永琳のいた調剤部屋へと入る。
「……それで、どうだったの?」
「んー、私の妙な行動を「どういう風の吹き回し?」だなんて言っちゃう程度には、ショックを受けてるようだったね」
その返答を受けて、永琳は輝夜の居る部屋の方角を見やった。
「本なんてすぐに直せる、って言いたげな態度……っていうか、実際言ってたけどさ、逆にそればっか考えてるみたい」
「……そう、解ったわ」
短く答えると、永琳は薬の素材の入った引き出し、異様な程の数があるうちから一つを、迷い無く引いて、その中身を取り出した。
「話は変わるけど、これが何だか解る?」
取り出したのは……
「きのこだね」
「あれ? それってこの間の……まさか!」
先日の出来事……
小さな箱を手にした鈴仙と、てぶらで歩くてゐとが廊下で鉢合わせした。
「おんやぁ? 鈴仙、そのなんかじゃらじゃら鳴ってる箱は何?」
目を光らせるてゐに、鈴仙は箱を自分の背の後ろへと隠す。
「駄目よ、貴女はどうせ悪戯に使うに決まってるんだから」
取り付く島もなく、その返答のみで、鈴仙は箱を持って立ち去って行った。
その後、てゐはすぐに調剤部屋へと向かった。
「ふふーん、甘いね鈴仙ってば」
部屋には少量ながら、錠剤が落ちていた……その数、回収出来ただけで三つ。
鈴仙の薬師としての修行の一環で、何かしらの材料をお題に作ったものだろう。
小さい箱とはいえ、じゃらじゃらと音がする程の量……
ざっと掻き込んで箱に入れる際、少しくらいは落としているはずだと睨んだてゐは、予想通りに回収に成功した。
薬の備品としての空き瓶を拝借しては、すぐに露見する可能性があると見て、てゐは台所で適当な空き瓶を調達した。
念のため瓶は水洗いし、それが乾くのを待つ一方で、件の錠剤を眺める。
(悪戯にだなんていうからには、なんかあるとしたって、笑って済ませられる程度のもののはず……)
とはいえ、使いようによっては、冗談では済まないかもしれない……
悪戯をしたり、騙したり、それは楽しむためであって、後味の悪い結果を招いては意味が無い所……と、そこまで思い至った所で。
「あ、閃いた」
竹林を歩いていると、すぐに迷い込んだ人間が見つかった。
相手からも確認されるように動き、里へ向けて誘導するように追いかけさせ……程よい所で、薬の瓶をわざと落とす。
人間は、てゐの思惑通りにそれを拾った。
こっそりと隠れながらその様子を伺うてゐ、人間は薬を取り出すと、やや逡巡する様子こそ見せたものの、その場で飲んでしまった。
(えー……? 拾ったものを飲むなんて……何考えてんのさ……)
拾わせるようにしておいて、胸中でそう突っ込むてゐ。
歩きつかれてか、人間は近くの竹にもたれて座り込み……
(これじゃ効果が出るのを待つ間、退屈だねぇ……)
やや後悔を覚えつつも待っていると、やがて人間は笑い始めた。
てゐが面食らう一方、人間はひとしきり笑い転げると、里の方へと歩いていった……
「……と、こんな具合でね」
事の顛末を聞いた永琳はため息をつく。
鈴仙も呆れた視線を、てゐに向けていた。
それに気づいた永琳、鈴仙へ指を突きつけると、厳しい声音で言った。
「鈴仙……貴女、てゐを責めてばかりもいられないわ。 大した事ない薬だからって、扱いをぞんざいにしてしまったのね。 だからてゐに持っていかれたのよ」
「う……申し訳ありません」
肩を落とす鈴仙、流石にてゐもからかう言葉を投げはしなかった。
「で、結局どうなったの?」
「ど、どうなったのって、貴女ねぇ……」
軽い調子で問うてゐに、鈴仙が声を震わせる。
永琳はもう一度ため息をついた。
「……はい、慧音から……正しく言えば、その薬を飲んだ人間から、貴女に」
「へ?」
永琳が取り出したのは、饅頭の詰め合わせだった。
「あー、するとあれは……うん、死のうとしたのを止めたってとこ?」
てゐは饅頭の箱を永琳から受け取ると、それを両手で持ったまま返した。
「ええ、竹林で迷って行き倒れになろうとしていたけれど、大笑いしたら馬鹿らしくなってやめたんですって」
「やっぱりねー……「この薬が必要な者の手に渡る幸運」ってやったら、こんな風にもなるかー」
箱を片手で小脇に抱えなおし、てゐは残る手で頭を掻く。
「これでは、いつも通りには怒りづらいわね」
「うん、これでは、なんかしっくりこないね」
横で鈴仙も、どう言葉を投げるべきか迷っているようだった。
「ねぇお師匠様、提案なんだけどさ」
「何かしら?」
「いつも通りに怒られるようなら、姫様に助け舟を出してもらおうと、仲介したんだけど……もう、みんなでこの饅頭食べて、あとお茶でもすすって、全部水に流さない?」
てゐのふてぶてしいとも言える提案……永琳は三度目のため息をついた。
「仕方ないわね……でも、次があれば、同じようなやり方をしたってこうは行かないわ。 もしやるのなら、きちんと私達に話しなさい」
「へーい」
生返事を返すてゐ、こっそり胸中で
(悪戯のつもりが、中途半端な善行になるなんて、もうやりゃしないよ……)
そう呟くのだった。
(……たぶん。)
不意に脳裏によぎった蒲の穂……てゐは一言、付け足した。
「おんやぁ……?」
声のする部屋の前に辿り着き、を覗き込むと……正座する永琳と輝夜の姿。
「姫様、何やらかしたの?」
躊躇無く入っていくと、まずいのに見つかった、とばかりに苦い顔をする輝夜と、説教を中断する永琳。
「あら、てゐ……見て頂戴、これ」
永琳は机に置かれた書物を指差す。
覗き込むようにして、てゐが見やると、表紙には何も書かれていない。
内容は窺い知れないが、何か液体をぶちまけたように、すっかりよれよれになってしまっていた。
「ふむー、寝っ転がって読んでたら、お茶こぼしでもしたの?」
「ご名答。 問題は、この中身なのよ」
そう言うが、こうも完全に駄目になっていそうでは、手をつけるのも、流石にてゐとしても憚れる所。
その様子を見て、永琳が付け足す。
「昔、地上に来た頃、近所の村に住んでた男性の日記……なんですって」
「はー、そりゃまた貴重な品を、こんな風にしちゃってまぁ……」
千年以上も昔の書物、それにお茶をぶちまけた……聞く者によっては、卒倒ものの出来事であろう。
てゐはちらりと輝夜を見やる、流石に当人も、その事実に負い目があるのか、輝夜はてゐに、何か言う事もない。
「……うん、姫様もこの通り、すっかり反省してるみたいだしさ、お師匠様のお小言は、もう終わりにしてあげなよ」
「? 貴女、何か企んでるの?」
普段の言動から、すぐ様疑われるてゐ。
「そりゃまぁ、思う所が無いわけでもないけどね」
そのように返し、内容は言わないてゐに、永琳は少し目を見つめ……やがて、小さく息をついた。
「そうね……それじゃ、貴女と鈴仙に任せるわ」
「助け舟は有難いけど……話が広がっちゃったじゃない」
永琳が部屋を出て行って、輝夜はまずそんな不満を漏らした。
「んー? そんな事言っちゃうの? 私が割って入らなかったら、お師匠様の説教、まだ続いてたでしょ」
そこを指摘されては輝夜も、返す言葉がない。
黙りこむ輝夜を見て、てゐはその肩に手を置き、続けた。
「ま、お茶こぼした程度なら、紅魔館にでも依頼すれば、あっさり元通りに戻してくれるだろうけどさ」
「そう! そうよね!? なのに永琳ったら、あんなに怒っちゃって、もう……」
てゐの言葉に、身を乗り出して食いついた輝夜だが、最後は肩を落としてうなだれてしまう。
「んー、多分そういう風に思ってるとこも、怒ってる一因なんじゃないかな……ま、鈴仙が来るのを待とうか」
二人で待つ事しばし、鈴仙がやってきた。
「あ、姫様……」
部屋の前に立ち、頭を下げる鈴仙、入ってくると、てゐと輝夜のそばに座った。
「てゐ、お師匠様から話を聞くように、って言われたんだけど……何があったの?」
「本にお茶を飲ませちゃったんだって」
と、件の書物を指差すてゐ。
「こぼしたって事……? でも、それで何故私達に?」
「やー、ちょっと仲裁に入ってね、お小言は終わりにしてあげなよって言ったら、後は私達に任せるってさ」
その答えに、鈴仙は本とてゐを交互に見やる。
「……何企んでるの?」
永琳に続き、鈴仙にも疑われるてゐだった。
「そうよ、一体どういう風の吹き回し?」
更に輝夜までが、その真意を問う。
「ふふふ……みんなに疑われては仕方ない。 なぁに、単純な事だよ……」
勿体つけてそう言うと、てゐはゆっくりと腕を上げ、輝夜を指差す。
「これで貸し一つね! 私がお師匠様に怒られる時はよろしく!」
「あ、えらく単純だったのね」
「全く、貴女は……」
輝夜と鈴仙は、それぞれ呆れた視線をてゐに向けた。
「で、鈴仙……これ、なんだか知ってる?」
「いいえ? 初めて見るけど……」
話を聞くよりまず先に、てゐは書物について鈴仙に訊ねる。
「ふっるーい男性の日記なんだってさ。 姫様が昔こっちに来た頃の」
「え? そ、それってどういう……?」
鈴仙はやや戸惑いつつも、興味津々といった様子で輝夜の様子を伺う。
「あー、別に面白いこっちゃないわよ。 永琳と隠れて大分経った頃に、ふと懐かしくなって……昔いたとこの、近所の村を見に行ったらね?」
「ふんふん」
語りだす輝夜に、てゐはこくこく頷きながら身を乗り出す。
「これが疫病で全滅して、人っこ一人居ない廃村になってたっていう、笑えないオチよ。 で、なんか当時の名残を、ちょっと拝借しようと……持ってきたのが、これっていうだけ」
「そ、それは……」
重苦しい話が飛び出し、鈴仙は申し訳無さそうな顔をし、俯いた。
一方、てゐは然して気にする様子も無い。
「そりゃ災難だったねぇ……にしても、なんで日記なのさ」
「当時の日記と言や、貴族のする事よ? 寂れた村に、こんなもの残せる人がいたなんて、びっくりしたわよ。 ……学のありそうな奴だ、とは思ってたけど」
輝夜の返す言葉……その声音は、冷静なものだった。
衝撃的な内容を聞き、言葉に窮する鈴仙……てゐは輝夜の背中に、ぽんと手を置き……
「その人をどう思ってたかはさておき、切ない思い出、かねぇ」
「……まぁ、蓬莱人になったって事の悪い部分を、痛感した件の一つではあるわ」
うんうん、と、頷くてゐ。
鈴仙はてゐを止めようとしてか、何か言いたげな表情だ。
が、てゐはそれを放っておいて続ける。
「で、その日記に、お茶ぶちまけたってわけだー!!」
「え!? このタイミングでそこに戻すの!?」
「いやいやいやいや、そりゃお師匠様怒るって。 間違いなく姫様にとっても、大事なものじゃないのさ。 それにいつも通りにだらしなーく過ごして、お茶だばぁ、だなんて……私ですら引くわー」
大げさに構えて一歩、二歩と後ずさりするてゐ。
「ちょ、ちょっとてゐ……!」
「いいのよ鈴仙、貴女だって本心を言や、てゐと同じような意見でしょ?」
輝夜の言葉に、鈴仙は困ったように頬を掻く。
「え、えっと……それで、どうするんです?
なんだか、古い割に綺麗ではありますけど、もう手に取るのも、ためらわれる程になっちゃってますが……」
よれよれの本を指差す鈴仙、てゐがぴしっと手を上げて言葉を返す。
「あ、それは大丈夫、本と言えば紅魔館。 あそこを頼ればとりあえず、元に戻す事は出来るよ」
「じゃあ、本は大丈夫だとして、あとはお師匠様との事、ってわけね」
てゐの答えを受けて、鈴仙は腕組をし、俯き考える。
「んー……姫様もすっかりしょげかえってたし、ここは一つ、私が行って来ようかねぇ」
身を翻し、部屋を出て行こうとしたてゐ……しかし
「ちょっと待って、てゐ。 割って入って助けただけじゃなく、この上お師匠様と代わりに話そうと言うの?」
その肩を鈴仙が掴み、止めた。
「そうだけど、何か?」
「……怪しい。 貸し一つ、って言ってたけど、もう既に何かして、それが露見しそうだとでも思ってるんじゃないの?」
更に鈴仙はもう一方の手でも、てゐを掴み、じっと顔を見つめる。
「ふふふ……そんな風に疑われたって」
てゐは身を捻って、巧みに鈴仙の拘束を解き……
「簡単に答えるもんかー!」
脱兎の勢いで逃げ出した。
「あ、こら! 待ちなさーい!!」
その後を鈴仙が追いかける、輝夜を置き去りにして……
少し部屋を離れた頃に、てゐは敢えて逃げる速度を緩め、鈴仙を追いつかせた。
「あきらめるのが早いわね……さぁ、何をしたのか話しなさい!」
「……まぁ、想像の通り、いつものように、ちょっと悪戯したんだけどさー」
珍しく素直に返す――それでも幾分か、誤魔化そうとはしていたが――てゐに、鈴仙は目を丸くした。
「へ? ……本当に、何かやったの?」
「ちょっと妙な展開になっててね、多分お師匠様はとっくに知ってて……でもまだ、どう話すか決めてなかったんだと思うよ」
妙な答えに、鈴仙は首をかしげつつも、てゐが逃げる事なく歩き出すのを見て、その後ろについていった。
「お師匠様ー、私達で話してきたよー」
声をかけつつ、てゐは永琳のいた調剤部屋へと入る。
「……それで、どうだったの?」
「んー、私の妙な行動を「どういう風の吹き回し?」だなんて言っちゃう程度には、ショックを受けてるようだったね」
その返答を受けて、永琳は輝夜の居る部屋の方角を見やった。
「本なんてすぐに直せる、って言いたげな態度……っていうか、実際言ってたけどさ、逆にそればっか考えてるみたい」
「……そう、解ったわ」
短く答えると、永琳は薬の素材の入った引き出し、異様な程の数があるうちから一つを、迷い無く引いて、その中身を取り出した。
「話は変わるけど、これが何だか解る?」
取り出したのは……
「きのこだね」
「あれ? それってこの間の……まさか!」
先日の出来事……
小さな箱を手にした鈴仙と、てぶらで歩くてゐとが廊下で鉢合わせした。
「おんやぁ? 鈴仙、そのなんかじゃらじゃら鳴ってる箱は何?」
目を光らせるてゐに、鈴仙は箱を自分の背の後ろへと隠す。
「駄目よ、貴女はどうせ悪戯に使うに決まってるんだから」
取り付く島もなく、その返答のみで、鈴仙は箱を持って立ち去って行った。
その後、てゐはすぐに調剤部屋へと向かった。
「ふふーん、甘いね鈴仙ってば」
部屋には少量ながら、錠剤が落ちていた……その数、回収出来ただけで三つ。
鈴仙の薬師としての修行の一環で、何かしらの材料をお題に作ったものだろう。
小さい箱とはいえ、じゃらじゃらと音がする程の量……
ざっと掻き込んで箱に入れる際、少しくらいは落としているはずだと睨んだてゐは、予想通りに回収に成功した。
薬の備品としての空き瓶を拝借しては、すぐに露見する可能性があると見て、てゐは台所で適当な空き瓶を調達した。
念のため瓶は水洗いし、それが乾くのを待つ一方で、件の錠剤を眺める。
(悪戯にだなんていうからには、なんかあるとしたって、笑って済ませられる程度のもののはず……)
とはいえ、使いようによっては、冗談では済まないかもしれない……
悪戯をしたり、騙したり、それは楽しむためであって、後味の悪い結果を招いては意味が無い所……と、そこまで思い至った所で。
「あ、閃いた」
竹林を歩いていると、すぐに迷い込んだ人間が見つかった。
相手からも確認されるように動き、里へ向けて誘導するように追いかけさせ……程よい所で、薬の瓶をわざと落とす。
人間は、てゐの思惑通りにそれを拾った。
こっそりと隠れながらその様子を伺うてゐ、人間は薬を取り出すと、やや逡巡する様子こそ見せたものの、その場で飲んでしまった。
(えー……? 拾ったものを飲むなんて……何考えてんのさ……)
拾わせるようにしておいて、胸中でそう突っ込むてゐ。
歩きつかれてか、人間は近くの竹にもたれて座り込み……
(これじゃ効果が出るのを待つ間、退屈だねぇ……)
やや後悔を覚えつつも待っていると、やがて人間は笑い始めた。
てゐが面食らう一方、人間はひとしきり笑い転げると、里の方へと歩いていった……
「……と、こんな具合でね」
事の顛末を聞いた永琳はため息をつく。
鈴仙も呆れた視線を、てゐに向けていた。
それに気づいた永琳、鈴仙へ指を突きつけると、厳しい声音で言った。
「鈴仙……貴女、てゐを責めてばかりもいられないわ。 大した事ない薬だからって、扱いをぞんざいにしてしまったのね。 だからてゐに持っていかれたのよ」
「う……申し訳ありません」
肩を落とす鈴仙、流石にてゐもからかう言葉を投げはしなかった。
「で、結局どうなったの?」
「ど、どうなったのって、貴女ねぇ……」
軽い調子で問うてゐに、鈴仙が声を震わせる。
永琳はもう一度ため息をついた。
「……はい、慧音から……正しく言えば、その薬を飲んだ人間から、貴女に」
「へ?」
永琳が取り出したのは、饅頭の詰め合わせだった。
「あー、するとあれは……うん、死のうとしたのを止めたってとこ?」
てゐは饅頭の箱を永琳から受け取ると、それを両手で持ったまま返した。
「ええ、竹林で迷って行き倒れになろうとしていたけれど、大笑いしたら馬鹿らしくなってやめたんですって」
「やっぱりねー……「この薬が必要な者の手に渡る幸運」ってやったら、こんな風にもなるかー」
箱を片手で小脇に抱えなおし、てゐは残る手で頭を掻く。
「これでは、いつも通りには怒りづらいわね」
「うん、これでは、なんかしっくりこないね」
横で鈴仙も、どう言葉を投げるべきか迷っているようだった。
「ねぇお師匠様、提案なんだけどさ」
「何かしら?」
「いつも通りに怒られるようなら、姫様に助け舟を出してもらおうと、仲介したんだけど……もう、みんなでこの饅頭食べて、あとお茶でもすすって、全部水に流さない?」
てゐのふてぶてしいとも言える提案……永琳は三度目のため息をついた。
「仕方ないわね……でも、次があれば、同じようなやり方をしたってこうは行かないわ。 もしやるのなら、きちんと私達に話しなさい」
「へーい」
生返事を返すてゐ、こっそり胸中で
(悪戯のつもりが、中途半端な善行になるなんて、もうやりゃしないよ……)
そう呟くのだった。
(……たぶん。)
不意に脳裏によぎった蒲の穂……てゐは一言、付け足した。
てゐの悪戯か輝夜の失敗の顛末か、主軸をどちらに置くかはっきりさせた方が良かったのかも