" />楽園 作者: 野田文七
Coolier - 新生・東方創想話

楽園

2015/05/20 23:30:27
最終更新
サイズ
22.72KB
ページ数
1
閲覧数
3129
評価数
9/15
POINT
1130
Rate
14.44

分類タグ

 幽々子がいくら嗅いでみても、月の海からは、一切生物の匂いがしなかった。地球の、豊穣の海とはまったく違う、死の海だ。しかし、ひとの意識というものが存在する限り、まったく穢れがないということは、ありえないのではないか、と幽々子は思う。
 どれほど醜い心情や、惑う感覚を厭い、持て余し、一刻も早く煩悩から逃れたいと願っても、そもそもそこから離れたら、意識そのものがなくなってしまうのではないか。
 桃源郷も、遠くから見ればなにやら正体のわからぬ魅惑の園のようでもあるが、実際に中に入ってしまえばどこも同じものかもしれない。
 現に、こうして八雲紫の差し金で月に潜入した幽々子は、銃剣を持った少女たちに囲まれながら、彼女たちの目に浮かんだ怯えをたやすく見て取れている。
「そう怖がらないの。ただの迷子なんだから」
 ブレザーにスカートという出で立ちの玉兎たちは、こわばった表情のまま、互いに顔を見合わせながら、じりじりと幽々子の包囲網を作っていく。
「どうしよう、こいつ、私たちだけでやらないと駄目かな」
「たったひとりにビクビクしないでよね、焦らないで、捕まえればいいのよ」
「少し様子を見ましょうよ。この前の地上人たちとはなんか雰囲気が違うわ」
「連絡、した方がいいのかな」
「もうしてる。ちょうど近場でイーグルラヴィが訓練中みたいだったから」
 玉兎たちは、明らかに腰が引けていた。それどころか、怯えているようだった。銃剣の刃を向けられている当の幽々子は、恐れる様子もない。自分から歩みだし、刃に手を触れさせた。
「桃でも食べて、ゆっくりしましょう」
「冷たッ」
 刃に霜が降り、玉兎は銃剣を取り落す。全身が震え、目が大きくひらかれ、鼻の穴が膨らんでいる。
「ちょっと怖がりすぎじゃないかしら。ねえ」
「し、侵入者めっ!」
「あ、ばっ……」
 隣の玉兎は、たまらず引き金を引いた。仲間の制止も間に合わず、銃弾は幽々子の体をすり抜ける。そのまま、幽々子の背後に立っていた玉兎のブレザーの胸元に当たった。流れ弾を食らった玉兎は、詰まった悲鳴を漏らし、仰向けにぶっ倒れる。血は出ていないので、ブレザーには防弾性能があるようだ。
「あらあら、落ち着いて。特殊な加工もされていない鉛の塊なんて、私に通用するわけがないでしょう。やるなら、こっちの方でやらないと」
 銃剣の刃の切っ先に人差し指の腹を当てる。すると、指の皮がわずかに破れ、血の一滴が刃先に乗る。その一滴は蜘蛛の巣のように、銃剣の表面を鮮紅色の網となって覆った。やがて網の色合いは濃く、赤黒くなっていき、対照的に銃剣の色は薄まり、つやつやとした鉛色から、干からびた鼠の死体を思わせる、みすぼらしい色となった。重さもほとんどなくなり、玉兎が引き金を引こうとすると銃把そのものがぼろぼろに崩れてしまった。
「ひぇ、なんなの、こいつ」
「もういい、一斉にかかるわよ!」
 自棄(やけ)になったか、玉兎たちは八方から幽々子に銃剣を突きつけた。幽々子は口元を緩ませる。
「あぁ、それは悪手ねぇ」
 立て続けに金属音が鳴り響いた。全員の銃剣の刃が、半ばで断ち切られていた。折られた切っ先は、激しく縦に回転し、それぞれ持ち主の眼前をかすめ、頬や鼻先、前髪などをわずかに切り裂き、背後の砂地へ刺さった。
「ほら、曲芸の練習台にされちゃった」
「曲芸とはいくらなんでも失敬な。これも、戦わずして相手の戦意を喪失させる、立派な剣術のひとつです」
 幽々子の足元から、銀白色の少女が立ち上がる。今までうずくまっていたようだが、少なくとも玉兎たちは誰も気づけていなかった。それほど気配を押し殺していたということだ。傍らには、一抱えもありそうな丸い半霊もついているというのに。
 服装は、玉兎たちのブレザーとやや似ているが、こちらはベストにスカートだ。短い刀を腰の鞘に収める。もう一本、背中にも長い刀がある。玉兎たちは次々とその場にへたり込んでいった。
「ほらこの通り、相手を傷つけずして勝つ、です。あまり血みどろの凄惨な現場を増やしてしまっては、騒ぎも大きくなりますし、浄土住まいの私たちが選ばれて来た意味もなくなるってもんですよね」
 妖夢の自信に満ちた表情は、日頃、幽々子の意味不明なひとりごとや命令に付き合わされて右往左往する、頼りない従者のそれではない。
 異郷の地で、主人を守る。これほど妖夢にとってわかりやすい目的はなかった。
「では幽々子さま、この中の誰かを訊問して、月の都への案内に用立てたいと思うのですが」
「よきに計らいなさい」
「畏まりました」
 実に何気ない口調だったが、内容はこの上なく物騒だった。玉兎たちは震え上がった。しかし、あの妖夢の剣技を見せつけられては、今から立ち上がって、ろくに下半身に力が入らない状態でヨタヨタ走ってもなんの意味もないことが、嫌でも理解できる。多少距離を取っても、一撃で斬り捨てられるだろう。妖夢は、一瞥して最初に目が合った玉兎に近づいた。
「すぐにしゃべれば、そんなに苦しくないわ」
 安心させるためか、単純に尋問が好きなのか、剣を持った少女は笑顔を浮かべている。玉兎からすれば不気味なことこの上ない。

  弾符「鷹は撃ち抜いた」

 上空から、猛禽のオーラを象った鞭が降ってきた。十条は越えている。先端に嘴と爪と目があるその鞭は、けたたましい金切声を発しながら、続けざまに妖夢を襲い、砂浜をかき散らした。さらに、鞭から逃げる妖夢の退路を狙い澄ましたかのように、密集した弾幕が頭上から降りかかる。先が尖ったライフル弾の形状だ。
 妖夢は剣の柄に手をかけて構えを取ったまま、瞬時に体を三百六十度、横へ回転させ、周囲の状況を把握する。鞭の密度が少ないところがある。横っ飛びでかわすなら、頭上正面の密集ライフル弾は回避できる。
 妖夢は抜き放った両刀を頭上で交差し、集中した剣気の上に半霊を据える。刀をバツの字で振り切ると、剣気を受けた半霊が、餅のように展開し、分厚い傘となって妖夢の頭上を覆った。
 ライフル弾幕は半霊にめり込むが、やがて勢いを殺され、弾き返される。
 すべてを防ぎきれたわけではない。めり込んだ弾丸の後ろからさらに弾丸が続くと、半霊の粘性も耐えかねて、ゴムのように裂けてしまう。そこへさらに新手の弾丸が後ろから背中を押すと、妖夢まで届く。
 その段階でかなり弾数は減っており、妖夢の刀でだいたい弾いてしまえる。それでも、二、三、頬や肩をかすめてしまった。
 すとん、と軽やかに、妖夢の右斜め後方で、少女の着地音がする。
 ちょうど、一瞬前まで妖夢が回避経路として考えていた場所だ。
「へー、そこでよけないんだ」
 オーラが弱まり、猛禽の鞭たちは消えていく。頭の上から二枚の兎耳を生やした少女は、手にしている杵(きね)を、くるりと宙で一回転して勢いをつけ、肩に担いだ。密集ライフル弾をよけていれば、あれを食らう羽目になっていた。見た目はただの木製の杵に見えるが、中からただならぬ物々しさを感じる。率直に言って、妖夢にはどんな材質でできているか、想像もつかない。月の科学力が幻想郷のそれをはるかに上回っていることは、永遠亭で行われた月都万象展(げつとばんしょうてん)で展示されたものを見て、その一端を理解していた。中途半端な回避姿勢で、あの得体の知れない杵をうまく刀で防御できたかどうか、自信はない。
「久々にこいつに血を吸わせてやろうと思ったのに。やるわね。勘がいいじゃないの、地上人のくせに」
 他の兎と違って、ブレザーのようないかにも制服然としたものではなく、水色のワンピースだった。肩から半袖の部分にかけてふくらみを持たせている。袖や裾にはフリルがあしらわれており、見せドロワーズなのだろう、スカートの裾は膝までしかない。
 妖夢は、これと似た兎を地上で見た気がした。あれは淡いピンクがかった色合いだったが、この兎少女の服は、青い。地上のやつよりはずっと真面目そうだ。
「イーグルラヴィ!」
「助かった、早くこいつらをどうにかしてよ」
 ブレザーの玉兎たちが口々に、青服の兎に呼びかける。青服は、まるでモノでも見るように玉兎たちに顔を向けた。
「ああ、なんかそこにいたのね。つくづくあんたらって、ほんとうに、いてもいいなくてもいい、どうでもいい存在だわ。役立たずの恥さらしね。月から宇宙空間に弾き飛ばされてスペースデブリに突っ込んで屑になっちゃえばいいのに」
 玉兎たちはうつむくばかりで、言い返せない。青服は、怒っている様子はまったくない。その淡々とした様子がかえって、本心から罵っていることをまざまざと周囲に思い知らせていた。
「あのー」
 たまりかねて妖夢が声をかける。
「なにか」
「そこまで言わなくてもいいんじゃないかしら。ちょっとかわいそうで」
「あなたには関係のないことよね」
「そりゃまあ。じゃあ、やりましょうか」
 妖夢は抜刀し、構える。
「お嬢さまは、私の後ろにいらしてください。こいつは、私が片付けます」
 背後に幽々子の存在を感じると、それだけで、妖夢は体中から自信が満ち溢れてくるのを感じる。青服兎は杵を両手で持ちながら、スカートの裾から、鞭状のオーラをぞろりと垂らす。後ろに幽々子がいなければ、なにも考えず斬り込むところだが、今は足腰をどっしりと構え、どこから来てもいいように集中を研ぎ澄ませている。今度は、襲いかかってくる鞭を片っ端から斬り落としてやるつもりだ。
「よく見たら、地上人にしては穢れが少ないわね。だから侵入に気づくのが遅れたのかしら。普通はこれだけ近くにいたなら、玉兎(くず)たちにわざわざ教えられなくても、わかりそうなものだけど」
 妖夢の立ち姿から、近寄りがたさを感じた青服は、表情こそ変えないものの、口数が多くなる。スカートからぬるりと現われた鞭たちが、爪を折り曲げ、青服の周囲で鎌首をもたげ始める。妖夢の足元から滲み出す剣気は、徐々にだが、砂浜を侵食し、青服に近づく。
 そのまま、一分近く過ぎただろうか。緊張に耐えかねたように、青服は早口で言い放つ。
「でも、半分ぐらいは穢れているわ。完全に清らかな私たちに、かなうはずがない」
「やめておきなさいよ、清蘭(せいらん)」
 死の海の面に、水飛沫が立った。沖合から、こちらまでまっすぐ近づいてくる。かなりの水量が散っており、妖夢と青服のそばまでやってくる頃には、飛沫というよりは、水の柱が続けざまに立っては崩れていくかのようで、壮観だった。数秒間の突発的な雨が収まった後には、浜辺で、少女が足を組んで座っていた。ただし、宙の上で、だ。右足だけを組み、左足はそのまま下に垂らしている。
 半跏思惟像を、妖夢は想起した。麦の穂や柑橘系の実を思わせる髪の毛の少女は、帽子をかぶり、その両脇から兎耳を垂らしている。頬が膨らんでおり、なにか咀嚼しているようだ。
「あんたじゃこいつは分が悪い。私が替わろう」
 声は、妖夢の頭の中から聞こえてくるかのようだった。当人は、口をもぐもぐと動かしたままだ。
「こいつ、念話をっ。幽々子さま、お気をつけください。なにか仕掛けてくるかもしれません」
「はぁい、気をつけておくわぁ」
 振り向かぬまま叫ぶと、後ろから間延びした返答がきた。
「なにさ、中に物を入れたまま口を開けてしゃべったら、マナー違反じゃないの。だから配慮して念話にしてあげたってのに、どうしてそう悪い風に取るかなぁ」
「鈴瑚(りんご)さん……どうしてあなたまで」
 清蘭と呼ばれた青い兎は、釈然としないようだった。口調には、わずかだが怯えが含まれている。
「んー、だから、あんたじゃちょっとこいつの相手は向いていなさそうだったから、私が出てきたってこと。というか、さっきそう言ったよね。聞いていなかったかな」
「いえ、聞いていましたが……どうして分が悪いなんて」
「やらなきゃわからない? やらなくても、私はわかるの。他人だけどね。他人の方がよくわかるって、なんだかなぁ」
 鈴瑚は、清蘭以上に淡々とした口調だった。つい今まで目下の玉兎たちに強く出ていた清蘭が、今度は立場が逆転して、手も足も出ないようだった。月の世界を貫く厳然たる階級を、妖夢は目の当たりにした。
「あんたはあっち」
 鈴瑚は、妖夢の頭の後ろ、すなわち幽々子を指さした。妖夢もつられて振り向くと、そこにはひとの輪ができていた。
「地上ってやっぱり汚いんですか」
「そんなに汚くないわ。少なくとも月人の上役よりは」
「あー確かに理不尽な命令とか、勘弁してくださいって思うことある」
「食べ物は? ご飯はすぐ腐って、それを食べると死んでしまうこともあるって聞いたわ」
「ご飯は、甘いのも辛いのも酸っぱいのもあって、退屈しないわ。桃ぐらいしかろくに食べ物がないなんて、かわいそうね。まあ、桃はおいしいけど」
「私たち、たいてい桃ばかり食べさせられているわ」
「地上は気楽そうね」
「他に質問は?」
玉兎たちが幽々子を取り囲んで質問攻めしている。明らかに、戦意など吹き飛んでしまっている。
「なんというプロパガンダ攻撃……」
「あいつ、なんかふわふわしてそうだから、私よりあんたの弾丸の方が向いている。頼んだよ。ちゃんと報告しておくからさ」
「わっかりました!」
「させない!」
 幽々子に向って飛行する清蘭目がけて、妖夢は半霊を放った。清蘭は寸前で軌道を変えて小回りに縦一回転し、半霊をやり過ごしてから、再度幽々子へ突撃をかけようとした。
 しかし、清蘭を待っていたのは、剣撃だった。半霊が、妖夢の形を取り、清蘭に斬りかかってきたのだ。

  魂符「幽明の苦輪」

「なによ分身てこと? やだーこいつめんどくさい!」
 杵で応戦する。その杵さばきはかなりのものだ。半霊側とはいえ、妖夢の剣術をもってしても押し切れず、中空で膠着状態に陥る。
「妖夢~、二兎を追っちゃ駄目よ。そっちの青い方は私が相手をしてあげるから」
 振り向くと、幽々子を囲む玉兎たちは動揺していた。幽々子を攻撃すべきか迷っているようだった。
「し、しかし……」
「ご主人の言う通りにした方がいいと思うけど。こっちに集中できないんじゃないの」
 声は、鈴瑚の口から直接発された。もう口の中のものは始末したらしい。妖夢は、鈴瑚の右腕を見て、目を見張る。まるで酒樽が鈴瑚の肩から生えているかのようだった。今や鈴瑚の右腕は、みっちりと血管の走った、筋肉の塊だった。本人の腰回りよりも、腕周りの方が大きい。そして、半跏思惟像のポーズで浮いていたはずが、今は砂浜に両足をつけている。
「団子を食べれば食べるほど、私は強くなる。副作用があるからあまりやりたくないんだけど、仕事中は、好きとか嫌いとか言っていられないからね」
 無造作に、腰をひねり、右腕を突き出した。
 ただそれだけで凄まじい風圧が発生し、拳が妖夢の眼前を覆う。今や握りこぶしの直径は、妖夢の身長に迫る勢いだった。
「面妖な!」
 左斜め上方から、袈裟に斬る。握り拳の、薬指から中指、人差し指にかけて斜めに切れ目が入り、鈴瑚の巨大な拳は手首の辺りまで、左右に裂けた。しかし、止まらない。裂けた状態で妖夢に衝突し、そのまま殴り飛ばした。
「なん……だと」
 弧を描き、頭から砂浜に落ちて、さらに勢いをとめず二十メートルほど派手に転がる。これは、ダメージを軽減させるための、妖夢の工夫であり、致命傷には至っていない。すぐさま跳ね置き、砂を払うこともせず、殴られても離さなかった刀を再び構えた。半ば自分から飛んだとはいえ、それにしてもここまで吹き飛ばされなければならないほどの威力を、相手方が持っていたのは確かだった。
 霊魂の形に戻った半霊が、妖夢のもとへやってくる。片手間ではおそらく無理だ。幽々子の言葉に甘えることにする。あの青い兎は、こっちの黄色い兎よりは弱いはず。
「あいたた……あのタイミングで斬ってくるなんて、たいしたもんね」
 吹き飛ばされて、かなり距離がひらいたはずだが、もう鈴瑚は詰めて、妖夢に直接声が届く位置まで来ていた。右腕のサイズはもとに戻っており、手から血が流れている。
「まずいなぁ、流血は減点対象なのよ。ま、黙っていればバレないけど」
「けっこうルーズなんですね」
「そりゃそうだよ。穢れがないとか、完璧に清らかとか、常識で考えてそんなことあるわけないじゃんね」
「ごもっとも」
「そりゃ地上の民は馬鹿だから物凄く穢れているよ。それよりは私たち月の民ははるかに少ない穢れで済んでいるだろうけど、言ってしまえば、程度の問題」
「なるほど。まったく穢れがないのなら、いったいどうやって物事を思考しているのか、気になっていたんです」
「そこはそれ、まるでないかのように振舞いつつも、実際はあることを承知で話を進めるってわけ」
「面倒ですね」
「いや、それほど難しいことじゃないのよ、慣れてしまえばね。そういう二重基準(ダブルスタンダード)は地上人も得意でしょう」
 妖夢は、境界の妖怪を思い出し、うなずいた。
「ま、そういうことで、ちょこっと本気を出させてもらうよ。弾幕の押し合いをやってもいいんだけど、さっきの対清蘭見ていたら、けっこうあんた、見かけによらずいなすの巧いからね、そういう、地上人に時間かけている感は出したくないんだ。私も評価がかかっているから」
 鈴瑚は手元の袋から、串団子を取り出すと、刺さっている三つをすべて口に入れて、串だけを口から抜き取り、足元に投げ捨てた。
 外見に、変わった様子は見受けられない。しかし、彼女から漂うオーラの質が一変した。一変したというより、すっかり鳴りを潜めてしまったようだ。戦意すら、ほとんど感じられない。不気味な静けさを保ちながら、片足で立ち、右足は腰のところで胡坐の形で折り曲げている。
 とん、と軽やかな音を立てて、鈴瑚が飛ぶ。まっすぐに弧を描いて妖夢へ頭上から落ちかかる軌道だ。あまりにも予想がつきすぎて、かえって妖夢は選択の幅を狭められた。折り曲げられた足が、この上なく不気味だった。
 弾幕をいなす手間をかけずに接近戦に持ち込めるのならそれが一番いい。ましてや、向こうから飛び込みを仕掛けてきた。やることはひとつしかない。頭上目がけて、居合を放った。同時に、鈴瑚の折り曲げられた右足が瞬時に伸びる。さながら撓められていた金属が、瞬時に力を弾けさせたかのように。
 鋭い金属音が鳴り、妖夢の右腕は、持っている楼観剣ごと大きく伸びあがった。胸元がガラ空きになる。空中の鈴瑚も無事では済まなかったようで、右足を奇妙な角度にねじれさせたまま、体勢を崩して着地した。妖夢の目の前だ。しかしそこからが速い。着地と同時に両足で地面を蹴りながら、体を丸める。一気にオーラを噴出させ、鎧として身にまとい、一個の球体となって突撃してきた。妖夢はハナからよける気はない。よけられるはずもない。白楼剣には手をかけない。斬っても、さっきみたいに残った部分をぶつけられて負ける。
 すでに半霊を顔の前に呼んでいた。四股を踏ん張り、半霊ごと頭突きで迎え撃つ。
 衝突した瞬間、衝撃波がふたりを中心に起こり、足元の砂を四方へ吹き散らした。団子のようなボールは大きく跳ねて、オーラを解除した鈴瑚が着地する。額が赤く腫れていた。
 妖夢も、後ずさりこそしなかったが、その場で膝をついた。やはり額に血が滲んでいる。
「やるね、あんた。いけないな、ちょっと愉しくなってきちゃった」
 さらに団子を取り出す。妖夢はうんざりした。今は、愉しむより、幽々子を無事守って、何事もなく幻想郷にたどりつく方を優先したかった。このまま付き合っていたら、妖夢も愉しさに引きずり込まれそうな気もする。
「そろそろ、副作用の心配をした方がいいんじゃないですかね」
 妖夢は、相手のやる気をなくすよう試みた。
「心配無用。作用が来る時期そのものをコントロールできる薬も、あるんでね。それにもまた副作用があるんだけど」
「薬漬けですね」
「科学が発達すると、どこでもそうなるよ」
 鈴瑚が新たな串団子を口に近づけたときだった。
「妖夢ぅ、そろそろ行くわよ~」
 呑気な声とともに、妖夢の肩に手がかかった。
「ゆっ」
「こっちはもう終わったから」
 見ると、清蘭は砂浜に両手両膝をついていた。酔っぱらったように、立ち上がろうとしても立ち上がれないでいる。
「なんでよ……なんで当たらないのよ。おかしいわよ」
 ぶつぶつとつぶやいている。まわりで、玉兎たちは心配そうに見守っていた。それは、清蘭が心配なのではなく、自分たちに八つ当たりのとばっちりがこないかどうかを心配しているといのが、あからさまに態度に出ていた。
「もういいわよ、こうなったら奥の手よ!」
 キッとまなじりをつりあげ、顔をあげる。
「あ、それはやめといた方が」
 鈴瑚の念話に、聞く耳など持たない。清蘭は右の人差し指と親指を立て、残り三本を握り込み、ピストルの形を作った。左手で、右手首を握り込む。指先は、幽々子ではなく、足元の砂浜に向いている。
「これでも食らってなさい!」
 清蘭の指先が光ると、刹那遅れて、幽々子の上半身がビクンと小さく跳ねる。喉の下、胸の膨らみよりやや上、胸の中心から、青白い煙が立ち上る。
「ツ……」
 幽々子は目を細め、わずかに眉をしかめる。その仕草が、本物であることを妖夢は察知する。幽々子は、冗談で痛がるような性格はしていない。
「きさ!」
 幽々子が踏み出そうとしたとき、清蘭の首に、幽々子の手がかかっていた。手だけが、そこにある。幽々子を見ると、胸元に手を当てていた。正確には手は、幽々子の胸元のあたりで沈み込んでいる。
「異次元弾丸なんて効きゃしないよ、こういう手合いには。逆用されるのがオチさ」
 鈴瑚はため息をついた。清蘭を助けようという気はないらしい。ほっそりとした指が、清蘭の喉をそっと締めつけている。それほど力は入っていないように見えるが、清蘭は犬かきでもするように手で空中をかき、あけた口からは涎を垂らし、痙攣していた。
「深淵を覗き込む者は、深淵から覗き返される。越境する者は、越境し返されることも覚悟しなきゃならないのよ」
 幽々子の言葉は、届いていないようだった。やがて清蘭は白目を剥いて意識を失い、倒れた。八つ当たりの心配がなくなった玉兎たちは、担架を用意して、担ぎ上げた。まだ鈴瑚が残っているため、仕事をやっているアピールはしておかなくてはならない。
「それじゃあ、私たちは行くけど、月の都はここから近いのかしら」
 幽々子は、鈴瑚に声をかける。すでに、芯から戦意を失っている鈴瑚は肩をすくめた。
「さすがにそこまでは教えられない。そんなに遠くないから自分で探しておくれよ。私は、死力を尽くした防衛戦に従事したわけだから、もう案内する体力も残っていないってことにしておいてよ」
「そうね。そうしましょうか。では妖夢、行きましょう」
 幽々子は宙に浮き、砂浜から桃の林の方へ向かっていった。妖夢も、あとを追って飛ぼうとする。そこへ、鈴瑚が声をかけた。
「そこの剣士、あんた、思ったよりずっと強かったよ。地上のやつらは一筋縄じゃ行かない戦い方をするもんだね」
「あなたの戦り方の独特さもたいがいでしたけど。でも、やっぱりあの清蘭というひとを幽々子さまに当てたのは失敗でしたよ」
「いや、あれでいいのよ。どのみち、今、この浜の近辺にいるやつで、あの幽霊さんに勝てるやつはいない。私も含めてね。だとしたら、私はせいぜい善戦の記録を残すことに努力するだけだ。とすると、やりやすそうなあんたとの方がいいところを見せられる。というか、勝てると踏んでいたんだけど、なかなかどうして」
「き……汚いですね」
「利口なのよ」
 鈴瑚は、悪びれる風でもなく、にかっと片側の唇を横に大きく広げた。
「ま、私みたいに大っぴらに言うやつがあんまりいないのは事実だけど。ひょっとしたら私は地上の方が向いているのかなって思うこともあるわ。もし、向こうで会ったらそのときはよろしく」
「はあ、まあ、縁があったら」
 鈴瑚に背を向け、幽々子を追おうと身をひるがえす前、鈴瑚は何気ない調子で付け加えた。
「もし月の中枢に行くつもりなら、そこには最強の剣士がいる。カミサマもひれ伏すような姫さまだ。覚えておくといいかもしれないね」


 桃の林を越えると、きちんと整備された街道が野原を貫いていた。向こう側に、都市が見える。遠くからでも、その建物が、幻想郷の人里よりも、むしろ白玉楼の造りに近いことが見て取れる。
「地上から遠いと、建物は似てくるものなんでしょうか。行ったことはありませんが、天界も似たようなものかもしれません」
「根っこのところでは、だいたいどこもかしこもつながっているのかしらねぇ」
「なにかご存じなんですか」
「いいえ、ただそう思っただけ」
 妖夢は幽々子に並んで飛び、胸元を見た。煙がまだ少し出ている。
「傷の具合はいかがですか」
「ちょっと痛いわ」
「お嬢さまがそんな風に言われるなんて、滅多にないことです。下っ端兎みたいにしていましたけど、あの青い方も、強かったんですね」
「下っ端よ、間違いないわ。月の連中は、そりゃもう強いのよ」
「そうなんですか。最初に、あのブレザー兎たちを見ていたので」
「あれは数に入らないもの。なにしろ千年前、一度月を攻めて、こちらは負けているのだから。あの紫たちが、どうしても勝てなかったのよ」
「そのお話、人里の歴史家の本でも読みましたけど、いまだに私、信じられないんです。だって、その頃の妖怪と言ったら、幽々子さまや八雲さまの他に、鬼とかもいたんですよね。それがどうして」
「私は、直接は参加していないけど、そうね……文明のレベルがそもそも違っていた、と言うしかないわ」
「今はどうなんでしょう。地球側は追い付いたんでしょうか」
「さあ、そのままじゃないのかしら。そういうのは興味ないから、紫に聞くといいわ。そんなことより、妖夢。今から私たちは、相手にちょっとした嫌がらせをしないといけないの」
「感心しませんが……しかし相手が敵なら仕方ないですね。なにをなさるおつもりですか」
「なにか、取っていこうと思うの」
「はあ、泥棒ですか。嫌がらせとしては、妥当な手段ですね」
「でしょう。かといって、あんまり相手を怒らせたり、絶望に叩き落としたりしてはいけないわ。ほどほどに、けど簡単には忘れられないような、がっかり感を与えなければいけないの」
「なかなかハードルが高いです。では、たとえば住んでいる家を燃やすとか、先祖代々の廟を壊すとか、そういうことをしてはいけないわけですね」
「そう。それは、あまりといえばあまりだしね」
「では、お酒などどうでしょう」
「お酒! それ、いいわね」
「大事なお酒なら、かなりがっかりすると思います。それで絶望して死んでしまう、ということは、余程のことがない限り、普通はないはずですし」
 妖夢は、幽々子が予想以上にいい反応をしたので、面食らってしまった。いつも、聞き流されたり、おざなりな返事をされたりすることに慣れていたから。
「そうよぉ、それがいいわ。お酒をいただきましょう。地上にもいいお土産になるわ。懐かしい味だと思うひとたちもいるだろうし。妖夢、あなた珍しくとてもいいことを言ったわ」
 妖夢としては素直に喜べない。普段がんばって考えた答えは無下にされて、こうやって何気ない言葉を評価されても、どうも微妙な心持ちにしかならない。
 月の都が見えてきた。大陸風の建物に混じって、表面のつるつるした、材質不明の、流線型の建物も見える。四角い窓が、蟲の目のように、気味悪いほど整然と並んでいる。それらの建築様式は、あまりに隔たりがあった。上は甍(いらか)で、下は流線型と、混じりあっているのもある。
「魔界ってところを覗いたことがあるんだけど、ああいうのも見たわ。やっぱりつながっているのかしら」
 幽々子はそうつぶやいて、高度を落としていった。これから先方の中心部に潜入しなければいけない。またひと悶着起こるのだろうか、できれば何事もなく幻想郷に戻られればいいのだが、と妖夢はかすかな希望を抱きながら、幽々子の後に続いた。

 まさか一か月も月に滞在する羽目になるとは思わなかった。
紺珠伝1ボスと2ボスがどういう戦い方をするのか、ちょっと考えをまとめてみたくて、書きました。紺珠伝体験版に漂う緊張感のある強さを表現しつつも、既存の強キャラを良さを殺すことなく、バランス感を出せていればと思います。
野田文七
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.270点簡易評価
4.100点名前が無い程度の能力 削除
アクションめちゃくちゃ面白かったです
ジャンプ的というか
クド過ぎずアッサリし過ぎず魔法にも体術にも偏らず丁度良い感じでとてもよかったです
こういうの大好きです
6.100点名前が無い程度の能力 削除
やはり新作ボス兎はいいですね。清蘭ちゃんの能力かっこいい
7.90点奇声を発する程度の能力 削除
勢いとかがあって面白かったです
8.90点名前が無い程度の能力 削除
バトル描写が映えますわー。発売が楽しみです。
9.90点非現実世界に棲む者 削除
久々に熱くなりました。とても面白かったです。
11.90点名前が無い程度の能力 削除
幽々子が踏み出そう…って妖夢の間違いかな?
全体的に良く纏められてました
12.100点名前が無い程度の能力 削除
最新作からきました
紺珠伝面白いなぁ
13.100点名前が無い程度の能力 削除
次作と比べるとちょっと曖昧な感じがするかも。
でも良かったです。
15.100点ばかのひ 削除
面白かったー!
幽々顧様がとてもよいですねえ