『マスター、どこへ行くの?』
「ちょっと魔理沙に呼ばれてね」
『……ふーん』
『あら、姉さまったら。また魔理沙さまにそういう視線を向けるのですか?』
『う、うるさいわね、蓬莱! 別にどうでもいいでしょ!』
と、なにやら頭の上で騒ぐ人形たちを見上げるのはアリス・マーガトロイド。
「二人とも、騒いでいるなら連れて行かないわよ」
という一言で、この二人――上海人形と蓬莱人形――は静かになる。
静かにはなるのだが、内心では、あまり納得してなさそうではあるのだが。
「それにしても、用事って何かしら」
『また何か手伝ってくれというお話ではないでしょうか』
「それがろくでもないこと以外なら、まぁ、やぶさかではないのだけど」
『ろくでもないことでないことがあったかしら』
「それについては上海の言う通りね」
ともあれ、一路、その相手の家を目指して移動する。
移動距離はそれほどでもないのだが、移動時間はそこそこかかる。
何せ、その相手の家(と、自分の家)は、ここ、幻想郷の中でも『危険で胡散臭いからあまり近寄るな』と言われている魔法の森の中にあるのだから。
「魔理沙、来たわよ」
ドアをノックして、しばし、待つ。
『何だか以前よりごみが増えていないかしら』
『あら、ごみだなんて。
これなんてよさそうですわ』
『……蓬莱。あたし、前々から思っていたんだけど、あんたの美的感覚がわからないわ』
原色カラフルな衣装を身に纏い、目元には黒縁眼鏡をかけ、胸元から提げた太鼓と二本のばちが特徴的な人形に目を輝かせる蓬莱人形に対し、汗一筋流す上海人形。
こういう反応の違いも、アリスがそれぞれの人形に持たせている『個性』の賜物である。
「よーう、アリスー」
ようやくドアが開いた。
ドアの向こうから現れたのは、小柄な金髪少女。
今日の衣装は普段とは違い、若草色のワンピースと白のカーディガン。どこから仕入れてきたのか、結構、その見た目はかわいらしい。
「魔理沙。私に用事って何?」
「いや、ちょっとさ。
まあ、入ってくれ」
その人物、霧雨魔理沙は、そんなかわいらしい格好とは裏腹に『にかっ』としか表現できない、少年のような笑みで笑うと、アリスを家の中へと招き入れる。
「相変わらず荒れ果てているわね」
「これでも掃除してるんだぞ。
本が増えたからそう見えるだけだ」
絶対に、それだけが理由ではない『ごみ屋敷』ぶりに、アリスは腰に手を当てる。
この惨状の中、平穏を保っているのは、部屋の隅のベッドと食卓テーブルの周りだけだ。
「寝室とリビングは分けなさいと言ってるのに」
「奥の部屋が使えないんだ。仕方ないだろ」
「あとで私が掃除してあげるわ。
全部、きれいに、きっちりとね」
「余計なことすんな!」
足下に転がっている本を一冊、アリスは拾い上げる。
その本のタイトルに見覚えがある。
彼女の友人の魔女が暮らす図書館のものだ。見ればラベルもしっかりついている。
「管理用に、こういうことしてるのには好感が持てるわ」
アリスはひょいと肩をすくめた後、さっさと家の奥に入ってしまった魔理沙の背中をにらみつけた。
――あとで、あいつの用事が終わったら説教しておこう。
彼女の瞳はそれを語っている。
少し待っていると、魔理沙が戻ってくる。
彼女の手には、お盆と、それに不釣合いなグラスが載っていた。
「何それ」
「見てわかるだろ。ワインだ」
「そりゃ、見ればわかるけど」
ラベルなども貼られていないどころか、ただのガラスで作られているボトルの中で、ちゃぷちゃぷとワインが揺れている。
「あなた、ワインの保管の仕方も知らないの?」
「え? 瓶に入れて冷蔵庫に入れておくだけだろ?」
「あきれるわ」
アリスは大仰に肩をすくめてため息をついてみせた。
しかし、それを事細かく伝えたところで、魔理沙がそれを理解することはないだろう。
どころか、なんらか理由をつけて反発してくるのは目に見えている。
だから、「そういう保管の仕方はやめなさい」というだけに留めておくことにしたらしい。
「こいつの試飲を頼みたい」
「何、あなたが作ったの?」
「それに近い」
魔理沙は瓶の口を開けると、その中身をグラスの中に注いで行く。
適当な保管のされ方をしている割に、その香りは見事であった。
グラスを持たなくても、一瞬だけ、鼻腔をくすぐるワインの香り。思わず『へぇ』と声が出てしまう。
「これくらいか」
「そんななみなみ入れないで。っていうか、ワイングラスとか……持ってるわけないか」
「お前、それ、私のことを馬鹿にしただろ」
「別に」
提供されるのは普通のグラス。
それに目一杯入れられたワインに、アリスは肩をすくめてみせる。
ともあれ、まずはそれを手にとって、
「いい色じゃない」
眺める色は見事なワインレッド。
香りは間違いないことは、すでに確認している。
さて、問題の味はというと、これもまた、なかなかのものである。
「ずいぶん軽い感じね」
「ジュースみたいに飲める方がぱかぱか行けるだろ」
「あなた、ワインの二日酔いはひどいことになるわよ」
このワインは赤ワイン。
しかし、赤ワインの定番である渋みと酸味はかなり抑えられており、弾けるような甘みが特徴的だ。
ロゼワインどころかぶどうジュースに近い、ライトボディのワインである。
「どうだ。うまいか」
「私は、もう少し渋みのある方が好きだけど。
ワインを初めて飲む人とかにはいいんじゃない?」
「だろ? さすがは私だな」
「ふーん。
このワイン、やっぱりあなたが作ったの?」
「ちょっと違う」
私はワインの作り方なんてよくわからない、と魔理沙は言った。
彼女が言うには、『ワインを造りたいから作ってくれ。材料は持ってきた』ということで、事もあろうに河童連中にそれを頼んだそうである。
「……大丈夫なの? これ」
その一言を聞いて、途端に不安になる。
あの連中――自分達を『幻想郷のメカニック』と自称してはばからない、幻想郷のトラブルメーカーの一つ――の作ったワインというだけで、中に機械油が混入してそうな感じがする。
もうすでに口にしてしまっただけに、アリスは不安げな眼差しを、手にしたワインに向けている。
「いや、それは大丈夫だ。
あいつらの中に、酒の醸造なんかをやってる奴がいてさ」
「河童が?」
「そう。
正確には、酒を造るための機械というか、設備を持ってる奴だな。
ほら、妖怪の山の銘酒とかあるだろ。あーいうの、全部、そいつが作ってるらしい」
「酒蔵みたいなものかしら」
「それに近い」
そいつのところに、ワインを作るために、ぶどうを持ち込んだんだ、というのが魔理沙の言葉だった。
なら心配ないか、とアリスは胸をなでおろす。
きちんと、酒の造り方を知っているものが行った仕事であるなら、先のような不安は杞憂に過ぎないだろう――と、一応、思えるためである。
「そんなところがあったのね」
「実際に見せてもらったけど、すごかったぞ。
でっかい蔵の中に、ものすごい数のワインの樽がずらーっと並んでてさ。
試しに飲ませてもらったけどうまかった」
「ワインは樽から直接飲むと、何かすごく美味しいのよね」
そんなわけで、その『酒蔵』へと、ワインの材料となるぶどうやら何やらを持ち込み、『出来た酒を半分くらいお前らにやるから、代金はまけてくれ』という形で依頼してきたのだという。
「実際に出来たのはそんなに量も多くなくてさ。
試飲用のこいつと、あと瓶に二つ三つかな」
「試飲だから、こんなガラスの瓶に入れてよこしたのかしら」
「何だ、ガラスはダメなのか?」
「日光に当たると変質するでしょ」
そこで、ぽん、と魔理沙は手を打った。
「……あなた、そんなことも知らないでワインを造ったわけ?」
アリスのジト目がさすがに痛かったのか、魔理沙はわははと笑いつつも視線は逸らしている。
「で? 試飲って、誰にこれを持っていくつもり?
霖之助さんって、ワイン、好きなの?」
「何であいつにワインに限らず、酒を持っていかないといけないんだ。
どうせ持っていくならビンテージものを手に入れて、それを高値で売りつけるさ」
「まあ、そういうことじゃないんだけど」
普段の礼というか、迷惑かけていることへの侘びというか。
ともあれ、ちょっとはしおらしいことでも考えているのかと思いきや、これである。
元々、その霖之助なる人物への贈り物として考えていたわけではないにせよ、色々と、アレな回答であった。
「いや、そうじゃなくてだな。
この前、早苗から聞いたんだけどさ。何か、外の世界には、特定の季節に、自分の親に贈り物を贈る習慣があるらしい」
「誕生日とかじゃなくて?」
「そうじゃなくて」
「ふぅん……。
……って、あなた、確か家族から絶縁食らったとか……」
「まぁ、そうだけど。
だけど、まぁ……うん……。ま、色々と」
「なるほど」
何か思うことでもあったのか。それとも、単なる気まぐれか。
ともあれ、この、実家を飛び出してきたおてんば娘にも『そういう』感情が、たまには芽生えることがあるようだ。
「なら、なおさらね」
「……何がだ?」
「少しくらいは見た目を飾りなさい、ってこと」
――というわけで、やってきたのはいつものここである。
「なるほど。ご家族への贈り物ね。
わかったわ。そういう事情なら、こちらも協力させてもらうわね」
「いつもご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのよ。
こら、魔理沙。アリスに頭を下げさせてないで、あなたも『お願いします』くらい言いなさい」
「別に、私は頼んでないぞ」
ぷいっとそっぽを向く彼女を見て、くすくす笑うのは、ここ、紅の館のメイド長、十六夜咲夜である。
これこれこういう事情なので、とやってきたアリスの事情説明を受けて、それを快諾した彼女は『そうねぇ』と腕組みをしてみせる。
「やっぱり、ご家族にワインを贈るのなら、上等なワイングラスがいるわね。
確か、あなたのご実家は商家なのでしょう? それなら、なおさら、貧相なコップで飲めというわけにはね」
「うちの蔵の中にゃ、そういうの、ごろごろあると思うんだが」
「わかってないわね、魔理沙。
そういう、有象無象のものを使うよりも、実の娘から贈られたものを使ってしまうのが人間の常というものなのよ」
「私は家出娘です」
「あなた、バカね。親――特に男親なんて、娘なんてかわいくてかわいくて仕方ない存在なのよ」
あっさりと、どんな抵抗も咲夜にあしらわれる魔理沙である。
彼女は二人を連れて踵を返すと、『こっちね』と館の中を歩いていく。
二人が連れてこられるのは、そうした食器がたくさんあるであろう、喧騒あふれる厨房――ではなく、
「あら、メイド長。何かご用でしょうか?」
一人のメイドが顔を出す部屋の前だった。
咲夜は『これこれこういう理由なの』と彼女へ事情説明すると、彼女がにっこり笑って、一同を部屋の中へと入れてくれる。
「……へぇ」
果たして、そこは、ショーウィンドウにたくさんの食器が陳列された部屋であった。
壁面一面がずらりそれであり、まるでどこかのショールームのようだ。
細長い部屋の隅に、この部屋の主である彼女のものであろう執務机と椅子が置かれている以外は、全部、食器の並ぶ部屋であった。
「……こりゃすごい」
「うちのレストランで使う、特に高くて貴重な食器は、全部、ここに集めてあるの。
保管にも気を使う物ばかりだから」
「ええ。
厨房に置いておくと、ふとしたことでがっしゃーんってなることも。ねぇ?」
「そ、そうね」
彼女の言葉に、なぜか、咲夜は頬を赤くして視線を逸らす。
この部屋へと初めて連れてこられた魔理沙とアリスの二人は、この十六夜咲夜こそが、『食器破壊』の常習犯であることを知らない。
「宝石が埋まっているのもありますね」
「ええ。
特に、ほら、お嬢様が好きなルビーとか。そういうのが多いわね」
「だけど、レミリアに、こんな高い食器なんて出せないでしょう?」
「もちろん。割られたら困るわ」
聞けば、この部屋の食器の中には、それこそ『お皿一枚何十万』というのがごろごろあるのだという。
そんなものを、紅魔館のマスコットとして有名な、この館のちみっこお嬢様に出すことなど出来はしないのだ。割るから。絶対。
「もう宝石ですね」
「そうね。
ただ、まぁ、さすがにそこまでのものをほいと、いくらあなた達とはいえ、あげることも出来ないから。
そこは勘弁してちょうだい」
そういうわけで、魔理沙に課せられたのは『そこそこの金額で、見た目もよくて使い勝手もよさそうなワイングラスを探すこと』であった。
う~ん、と悩み、腕組みして、魔理沙はワイングラスの物色を始める。
「よく見たら、この部屋、窓がないですね」
「外から泥棒に入られたら困るからね。
部屋全体を結界で覆って、外部からの侵入者を悉くシャットアウトするようにしてるのよ」
「なるほど」
「ここにあるものは全てリストにして、彼女に管理してもらっているわ」
入り口で、こちらを笑顔で見つめているメイドを一瞥して、咲夜。
よく見れば、その立ち位置はドアの前。ふとした出来心で、この部屋のものを失敬しても出られないように『見張って』いるともいえる。
「そんな上等なものはいらないと思うんだよな。
せいぜい、ちょっと高そうくらいのものでさ」
「家出してる親不孝ものが何を言うの」
と、ぴしゃりと咲夜。
そういう時くらいは、親のことを想って、可能な限り『すばらしいもの』を選びなさい、とのことである。
魔理沙は『ちぇ~』と呻くものの、それ以上、声を上げたりはしなかった。
「んー」
彼女の頭の上、天井に程近いところにあるグラスのところで、魔理沙は足を止めた。
彼女はそれが気になるのだろうと考えたのか、咲夜は、その棚の一番下と二番目の棚を手前に引いた。すると、そこに隠されていた段が出てくる。
「へぇ」
咲夜はポケットから鍵を取り出し、棚のウィンドウを開けると、声を上げた魔理沙に『これ?』と取り出したワイングラスを手渡す。もちろん、グラスを手に持つ時はハンカチを間に挟むのは忘れない。
「綺麗なガラスですね。いや、ギヤマン、って言ったほうがいいかな」
咲夜が取り出したワイングラスは、普通のワイングラスより少しサイズが大きめかつガラスの厚みがあるものだ。
その分、少しごつくて重たいのだが、ガラスの表面には無数の精緻な細工が入っており、一目見ただけで『見事』と言えるものである。
「あ、うっすらと色も入ってるんだ」
「なかなかいい目をしているわね、魔理沙」
「まあ、目利きの一つもできないで魔法使いなんてやってられないからな」
威張って言う彼女に『これでいいの?』と咲夜は問いかける。
そうだな、と魔理沙はうなずき、グラスを受け取った。咲夜は、『はい、もう一つ』と同じグラスを手渡してくる。
「何で二つなんだ?」
「あなたの家にはお父様とお母様がいるのでしょ」
こういう時にはペアグラスでお贈りするのが当然、ということだった。
「贈答用の箱を出して頂戴」
「はい」
入り口でこちらを見つめていたメイドが一礼して、部屋の右手側にあるドアを開けて、その中へと入っていく。
少ししてから、『こちらでよろしいでしょうか』と、これまた上等な桐箱を持ってやってくる。
それの蓋を開ければ、元々、ワインなどの贈呈用に造られているのか、ワイングラスが二つとワインのボトルが一本、ちょうど入るだけの大きさと作りになっている。
「用意がいいですね」
「うちには、この手のもの、よく来るし買うからね」
いざという時に使えそうな空き箱は確保しておくのが、いざという時に困らない秘訣なのだ、と咲夜は言う。
それにアリスは『家が大きくないと出来ない真似事ですけどね』と一言。
取り出したワイングラスを箱の中に入れてもらい、『落とさないようにね』と魔理沙へと渡される。
そして、
「はい、魔理沙。お礼」
「わかってるよ。うるさいな」
そのワイングラスと引き換えに、魔理沙が『ほれ。これがそうだ』と取り出したのは、例の特製ワインである。
「いいの?」
「別にいいよ。自分で飲むには試飲のやつがあるし」
「それなら、遠慮なく」
「紅魔館が飲むような、上等なワインじゃないですけど」
「こら、アリス。私が作らせた酒だぞ。上等な酒に決まってるじゃないか」
「はいはい。そうね」
「むっ」
ぷくっとほっぺた膨らませ、魔理沙がふてくされた。
一方、咲夜は、受け取ったワインを『ふーん』と眺めている。
「このボトル、いいものね。大したことのないお酒に、こういう上等なものを使うことはないだろうから、中身も期待できそうだわ」
「味は、どっちかというとジュースみたいな感じです」
「じゃあ、お酒が苦手な子達に出してあげようかしら」
「そんな人もいるんですね」
「妖精は、お酒よりも甘いジュースが好きなのだけどね。
だけど、お酒が嫌いってわけじゃないし。
ものすごい酒豪の子もいるけれど、そうじゃない子もいる。人を雇うって大変よ」
受け取ったワインのボトルをこんこんと叩いて、咲夜は苦笑した。
三人は、部屋を管理するメイドに礼を言って、その場を後にする。
「それじゃ、次に必要なのは――」
「ああ、咲夜さんも気づきましたか」
後生大事に桐箱を抱えて歩く魔理沙へと、前を行く二人が肩越しに振り返る。
その視線に気づいた魔理沙が『?』と、頭の上に『?』を浮かべた時にはもう遅かった。
「何だよ、これは!?」
「はい。その言葉遣いがアウト。
『これは何でしょうか、お姉さま』でしょ?」
「誰がだい!」
にんまり笑う咲夜と、その様子を眺めて、おなか抱えて笑っているアリスの姿がそこにある。
紅魔館の一角にあるその部屋にて、魔理沙が次に食らった『攻撃』は、ずばり、『変装』であった。
「あなたは家出して絶縁されているのでしょ?
それなら、堂々と、顔を出して家に戻るのも……ねぇ?」
どうせ、その贈り物を誰かに配達させるつもりだったのだろう、と咲夜は看破した。
次の言葉を言い出せず、黙ってしまう辺り、魔理沙にとってそれは図星であったらしい。
「そんなものはダメ。ちゃんと自分の手で渡してきなさい」
しかし、それをするにしても、もしかしたら家に入れてくれないかもしれない。
ならば、変装して、一見、別人のふりして何食わぬ顔で行って来い――というわけである。
「それじゃ意味ないじゃないか!」
と、精一杯の反論をする魔理沙。
咲夜としても、先ほどまでの己の言動とこの仕打ちの間に矛盾があるのはわかっているのだろう。しかし、「贈り物っていうのは、自分の手で相手に渡してこそよ」と聞き入れない。
まさしく『物は言い様』であった。
「明朗快活、かわいらしい女の子の配達人――まぁ、ちょっと設定に無理はあるけど、概ね、いい感じかしら」
「アリス、お前は笑いすぎだ!」
「だ、だって……! 魔理沙に『かわいい系』の格好とか……!」
「あら、アリス。それは失礼ね。
魔理沙には、意外と、こういう格好は似合うと思うのよ」
シャツと上着とスカートという、どこにでもありふれた格好ではあるのだが、その服装のデザインと色、そして変装の一環として、ポニーテールにさせられてお化粧しっかり引いて、とどめに眼鏡まで装備させられるという雰囲気は、なるほど、とてもではないが『魔理沙』ではない。
咲夜の化粧術と服装のセンス、ついでに『年下の女の子』への遊び心が存分に出た意匠である。これを笑わずに何を笑えというのか。
「丁寧語と尊敬語の基本、それから女の子らしい会話術はアリスに仕込んでもらうとして――」
咲夜の視線は魔理沙を向いて、しばし停止。
ちょうどその時、無造作にがちゃっと部屋のドアが開く。
「咲夜。ここにいると聞いてきたのだけど……。
あら、アリスじゃない」
この館を統べるちみっこお嬢様ことレミリア・スカーレットが現れる。
彼女は尊大な態度で、「おなかがすいたのだけど、おやつはまだ?」と咲夜へ尋ねた。
咲夜の視線はレミリアに向き、
「お嬢様」
「何かしら?」
「こちらの方なのですが」
「うちで新しく雇うメイドかしら?
まぁ、なんにせよ、わたしへの紹介もなく、勝手に館の中に入れないでちょうだい」
「申し訳ございません」
「それじゃ、よろしくね」
自分の言いたいことが伝わればそれでいいのか、さっさと、彼女はその場を後にする。
「完璧だったわね」
レミリアは、自分の前に立っていた人物が誰であるか、全く気づいていなかったようだ。
妖怪というのは、目以上に鼻も利く。人間の変装など、その匂いで見抜いてしまうものなのだが、それすらもごまかした咲夜の腕前は見事と言わざるを得ないだろう。
「じゃあ、アリス。
道中はよろしく頼むわね」
「ええ、お任せください、咲夜さん」
「……って、これから!?」
「当然でしょ。
まあ、もっとも、何日もそのままの格好でいたいというなら、別にかまわないのだけどね。
いつでもうちに来てくれていいわよ。何度でも、お化粧とお着替えをしてあげるから」
「冗談じゃないやい!」
曰く、『自分でおしゃれをするのはそう嫌いではないが、おもちゃにされるのはごめんこうむる』。
魔理沙のその一言は、まさしく、彼女の切なる言葉であったのだが、そういうこと言うと、この手の『年上のお姉さん』達はもっと面白がって色々やりたくなってしまうということに、彼女は気づかなかったようだった。
「……しかし、冷静になってみるとだけど、うまくいくのかしら?」
『……マスター、そこ、今、冷静になるところ?』
さすがにお供の人形からもツッコミ入れられてしまうアリスである。
魔理沙に『いいからついてくるな』と言われ、人里の一角の甘味処で待つことすでに数十分。
テーブルの上には、魔理沙に持たせた人形と全く同じ、小さな人形が一人、ぽつんと座っている。
これは、対となる人形との間で双方向の通信を可能とするものである。以前、地底に潜った時に使ったものの改良型だ。
そこから流れてくるのは、魔理沙と、それに応対している誰かの声。
『あの、それで、こちら、霧雨魔理沙さんからのお預かりしたもので……』
『あら、そう? それ、本当に、その人から?』
ずいぶん、若い声の持ち主だ。魔理沙の家は大きな商家と言っていたから、そこで働く誰かなのだろう。
「映像が見えるようにしておけばよかったわね」
『通信だけにこだわったしね』
「音声は以前よりもずっとクリアなんだけど、映像が見られないのは失敗したわ」
やはり、あまりにも小型化しすぎたか、とアリスは内心で呻いた。
この人形、とにかく音声に対する感度が高い。設置した位置から100メートル離れたところにいる人物のひそひそ話でも拾い上げるほどだ。
また、その音声取得範囲を限定することにより、外部のノイズを一切拾わず、目標とする相手の声だけを拾い上げるという芸当すら可能にする。
しかし、問題は、その能力に全てを割り振ったがためによる、映像機能の欠如である。
『そう……。へぇ~』
『え、えっと、あの……』
『わかったわ。ありがとう。
あなた、見ない子ね。最近、このお仕事を始めた子?』
『あ、は、はい。つい最近……』
『そうなの。最近は、女の子も、こういうことをやるようになったのね。
ああ、だけど、そんなかわいらしい格好で大丈夫? 怪我したりしない?』
魔理沙がしどろもどろで相手に応対しつつ、その相手は余裕の表情で、『彼女』の相手をしている――そんな光景が目に浮かぶ。
今回の魔理沙の役どころは、『初めて荷物の配達を始めた、元気一杯の女の子』である。
その演技を、彼女の骨の髄まで、たった1時間やそこらで叩き込んだのが、このアリスなのであるが、
「圧倒されているわね」
『やっぱり、魔理沙に、演技なんて無理なのよ』
「まぁ、正体はばれてなさそうだし。
それならそれでいいんじゃないかしら」
目的の本懐を果たせるのなら、多少の大根演技は認めるしかあるまい、とアリス。
やがて魔理沙は、目の前の相手から判子か何かをもらえたのか、『ありがとうございました』と言って歩き出す。
彼女の足音を拾い始めたことで、この監視も終了。音声の取得を切断する――ところで。
『魔理沙からの贈り物だなんて。珍しいわね』
という、相手の女性の、嬉しそうな音を含む声が流れてきた。
アリスは小さく笑うと、人形をポケットへとしまう。
そして、
「あー。もー」
「はい、お帰り。魔理沙ちゃん」
「うるさいやい」
魔理沙が戻ってきた。
ポニーテールの頭そのままで、ぐしぐしと頭をかきむしる。
その彼女に、『よく頑張りましたで賞』ということで、アリスから飲み物とお菓子がプレゼントされる。要はおごりだ。
「ずいぶん時間がかかったわね。さっさと行けばいいのに」
「うるさいな。心の準備ってのがあるんだよ」
かわいらしい格好をしていようが、顔に化粧が残っていようが、そういう悪態をついていると、あっという間に魔理沙は『魔理沙』に逆戻りする。
アリスは笑いながら、「だけど、受け取ってもらえてよかったじゃない」と一言。
「よくあるか。ったく。
何が『完璧な変装』だよ。おふくろに完璧にばれてたぞ」
その一言で、アリスは『……え?』と声を上げる。
「あー、もー。あのにやにや笑い。あれ、絶対、後で手紙とか送ってからかおうって考えてる顔だ」
「……あ……えっと……」
何だよ、と魔理沙。
アリスは、『えーっと』と前置きをおいてから、
「……あなたのお母さんが応対に出たの?」
「そうだよ。
私の名前を出したら、あそこは、絶対におふくろが出てくるからな」
「……声、すっごい若かったんだけど。年齢いくつ?」
「まだ三十路を少し過ぎたくらいだろうけど、おふくろの見た目の若さは、確かに疑問だな。
こーりんも、『君のお母上は、あれか。実は妖怪なんじゃないのか』って言ってたくらいだし」
「……」
あの声の声質から判断するに、魔理沙の『母親』というのが三十に届いているというのは、どう頑張っても信じることが出来ない。
よくて二十歳そこそこ程度だ。それくらい、声の音は『若かった』のだ。
「何が完璧だよ。もう。恨むからな」
「……えーっと。
あなた……勘当されてたんじゃ?」
「おふくろは『いつだって、あたしは娘の味方』だそうだ」
――たとえ、霧雨魔理沙のことを知るものですら欺く、今の魔理沙の変装をあっさり見破れたのは、なるほど、これぞ血のつながった母親故の眼力である。
アリスはその点については、全く、考慮してなかったといわざるを得ない。
しかし、しかしだ。
「……あなたのお母さんって、一度、お会いしてみたいのだけど」
「絶対やめとけ。お前みたいに融通の利かない奴はおもちゃにされるだけだ」
『だからおふくろには会いたくなかった』と魔理沙はぼやく。
我が子と見抜かれているにも拘わらず、他人を演じなければいけない恥ずかしさは大したものだっただろう。しかも、その相手が、魔理沙曰く『性悪なお茶目さん』だとすればなおさらである。
「絶対、内心で大笑いしてた。っていうか、今頃、家の中で爆笑してる。
あー、くそ。これだから家に顔出すのはやなんだよ」
「だ、だけど、ほら……プレゼントは渡せたわけだし……」
「それとこれとは別だよ、もう」
我が子にプレゼントを渡してもらったことから来る嬉しさも、我が子の滑稽な演技を笑いこらえて見ていたら、全部、吹き飛んで当たり前。
魔理沙は比ゆではなく顔を赤く染めながら、「大恥かいた」と呻いている。
アリスは小さく、そして恐る恐る、つぶやいた。
「……やっぱり私が行った方がよかった?」
「いまさら遅い」
やれやれだよ、と呻いて、魔理沙は髪の毛をまとめていたゴムを解いた。
そうして、目の前の飲み物を一口する。
「けど、まぁ」
グラスをテーブルの上に戻してからつぶやく。
「……ありがと」
「え?」
「久々におふくろと話をして、何というか……楽しかった。ありがと」
お前たちが余計なことをしてくれたせいで、私は恥をかいた。恥をかいたけど、こうしなければ、手紙で終わらせていた。話す機会なんてなかった。
――そう、彼女はぽつりぽつりと言った。
「だけど、感謝はここで終わりだ。後は、迷惑をかけてくれたお礼をしてやる」
その魔理沙の宣言に、アリスは肩から力を抜いて息を吐くと、店員を呼ぶ。
そして、冷たい水羊羹の追加注文を一つ。
もちろん、「私のおごり」というのは忘れない。
「この肌寒い季節に水羊羹とか嫌がらせか」
「そうよ。嫌がらせには嫌がらせで返すものでしょ」
いつもの二人のやり取りが戻ってくる。
アリスは椅子に背もたれを預けて、「お母さんかぁ。たまには家に帰ってみるかな」という。
「お前のおっかさん、いつもあれだからな。家に帰ったら帰れなくなるんじゃないか?」
「そうなのよね。絶対に引き止められる」
「お前、口うるさいから、しばらく帰ってこなくていいぞ」
「よく言うわね。その間の晩御飯はどうするのかしら?」
そんな憎まれ口の叩きあいをしていると、後ろから、「あ、見つけた」という声がした。
振り返ると、そこに、若い男性の姿がある。彼は店の暖簾をくぐり、魔理沙のほうを見ていた。
魔理沙は、彼に見覚えがあるのか、『あっ』という顔をする。
「さっきの、配達の方ですよね? 女将さんから手紙を預かってきました。
わざわざありがとうと伝えておいて欲しい、と」
彼はどうやら、目の前の彼女が、魔理沙であることに気づいていないようだ。
やはり、魔理沙の変装は完全なのである。完全はあっても完璧は存在しないことは、彼女の母親によって証明されてしまっているが、それ以外の相手にとっては、『完全』であった。
「それじゃ、失礼します」
彼はぺこりと頭を下げて、足早に店を去っていった。
魔理沙は渡された手紙――ただの半紙に『手紙』としか書かれていないものだ――を見て、それを開いてみる。
中を見て、彼女は苦笑した。
続いて、その苦笑は大きな笑いに変わり、アリスが『どうしたのよ』と尋ねる。
魔理沙は笑いながら、その手紙を見せてくれた。
その手紙に書かれていた文字に、アリスはなるほどとうなずいて、やはり同じように笑ってしまう。
そこには、魔理沙がよく書くような、元気のある、しかしちょっと不恰好な文字で言葉がしたためられている。
たった一言。
『よくやった、バカ娘!』
――と。
「ちょっと魔理沙に呼ばれてね」
『……ふーん』
『あら、姉さまったら。また魔理沙さまにそういう視線を向けるのですか?』
『う、うるさいわね、蓬莱! 別にどうでもいいでしょ!』
と、なにやら頭の上で騒ぐ人形たちを見上げるのはアリス・マーガトロイド。
「二人とも、騒いでいるなら連れて行かないわよ」
という一言で、この二人――上海人形と蓬莱人形――は静かになる。
静かにはなるのだが、内心では、あまり納得してなさそうではあるのだが。
「それにしても、用事って何かしら」
『また何か手伝ってくれというお話ではないでしょうか』
「それがろくでもないこと以外なら、まぁ、やぶさかではないのだけど」
『ろくでもないことでないことがあったかしら』
「それについては上海の言う通りね」
ともあれ、一路、その相手の家を目指して移動する。
移動距離はそれほどでもないのだが、移動時間はそこそこかかる。
何せ、その相手の家(と、自分の家)は、ここ、幻想郷の中でも『危険で胡散臭いからあまり近寄るな』と言われている魔法の森の中にあるのだから。
「魔理沙、来たわよ」
ドアをノックして、しばし、待つ。
『何だか以前よりごみが増えていないかしら』
『あら、ごみだなんて。
これなんてよさそうですわ』
『……蓬莱。あたし、前々から思っていたんだけど、あんたの美的感覚がわからないわ』
原色カラフルな衣装を身に纏い、目元には黒縁眼鏡をかけ、胸元から提げた太鼓と二本のばちが特徴的な人形に目を輝かせる蓬莱人形に対し、汗一筋流す上海人形。
こういう反応の違いも、アリスがそれぞれの人形に持たせている『個性』の賜物である。
「よーう、アリスー」
ようやくドアが開いた。
ドアの向こうから現れたのは、小柄な金髪少女。
今日の衣装は普段とは違い、若草色のワンピースと白のカーディガン。どこから仕入れてきたのか、結構、その見た目はかわいらしい。
「魔理沙。私に用事って何?」
「いや、ちょっとさ。
まあ、入ってくれ」
その人物、霧雨魔理沙は、そんなかわいらしい格好とは裏腹に『にかっ』としか表現できない、少年のような笑みで笑うと、アリスを家の中へと招き入れる。
「相変わらず荒れ果てているわね」
「これでも掃除してるんだぞ。
本が増えたからそう見えるだけだ」
絶対に、それだけが理由ではない『ごみ屋敷』ぶりに、アリスは腰に手を当てる。
この惨状の中、平穏を保っているのは、部屋の隅のベッドと食卓テーブルの周りだけだ。
「寝室とリビングは分けなさいと言ってるのに」
「奥の部屋が使えないんだ。仕方ないだろ」
「あとで私が掃除してあげるわ。
全部、きれいに、きっちりとね」
「余計なことすんな!」
足下に転がっている本を一冊、アリスは拾い上げる。
その本のタイトルに見覚えがある。
彼女の友人の魔女が暮らす図書館のものだ。見ればラベルもしっかりついている。
「管理用に、こういうことしてるのには好感が持てるわ」
アリスはひょいと肩をすくめた後、さっさと家の奥に入ってしまった魔理沙の背中をにらみつけた。
――あとで、あいつの用事が終わったら説教しておこう。
彼女の瞳はそれを語っている。
少し待っていると、魔理沙が戻ってくる。
彼女の手には、お盆と、それに不釣合いなグラスが載っていた。
「何それ」
「見てわかるだろ。ワインだ」
「そりゃ、見ればわかるけど」
ラベルなども貼られていないどころか、ただのガラスで作られているボトルの中で、ちゃぷちゃぷとワインが揺れている。
「あなた、ワインの保管の仕方も知らないの?」
「え? 瓶に入れて冷蔵庫に入れておくだけだろ?」
「あきれるわ」
アリスは大仰に肩をすくめてため息をついてみせた。
しかし、それを事細かく伝えたところで、魔理沙がそれを理解することはないだろう。
どころか、なんらか理由をつけて反発してくるのは目に見えている。
だから、「そういう保管の仕方はやめなさい」というだけに留めておくことにしたらしい。
「こいつの試飲を頼みたい」
「何、あなたが作ったの?」
「それに近い」
魔理沙は瓶の口を開けると、その中身をグラスの中に注いで行く。
適当な保管のされ方をしている割に、その香りは見事であった。
グラスを持たなくても、一瞬だけ、鼻腔をくすぐるワインの香り。思わず『へぇ』と声が出てしまう。
「これくらいか」
「そんななみなみ入れないで。っていうか、ワイングラスとか……持ってるわけないか」
「お前、それ、私のことを馬鹿にしただろ」
「別に」
提供されるのは普通のグラス。
それに目一杯入れられたワインに、アリスは肩をすくめてみせる。
ともあれ、まずはそれを手にとって、
「いい色じゃない」
眺める色は見事なワインレッド。
香りは間違いないことは、すでに確認している。
さて、問題の味はというと、これもまた、なかなかのものである。
「ずいぶん軽い感じね」
「ジュースみたいに飲める方がぱかぱか行けるだろ」
「あなた、ワインの二日酔いはひどいことになるわよ」
このワインは赤ワイン。
しかし、赤ワインの定番である渋みと酸味はかなり抑えられており、弾けるような甘みが特徴的だ。
ロゼワインどころかぶどうジュースに近い、ライトボディのワインである。
「どうだ。うまいか」
「私は、もう少し渋みのある方が好きだけど。
ワインを初めて飲む人とかにはいいんじゃない?」
「だろ? さすがは私だな」
「ふーん。
このワイン、やっぱりあなたが作ったの?」
「ちょっと違う」
私はワインの作り方なんてよくわからない、と魔理沙は言った。
彼女が言うには、『ワインを造りたいから作ってくれ。材料は持ってきた』ということで、事もあろうに河童連中にそれを頼んだそうである。
「……大丈夫なの? これ」
その一言を聞いて、途端に不安になる。
あの連中――自分達を『幻想郷のメカニック』と自称してはばからない、幻想郷のトラブルメーカーの一つ――の作ったワインというだけで、中に機械油が混入してそうな感じがする。
もうすでに口にしてしまっただけに、アリスは不安げな眼差しを、手にしたワインに向けている。
「いや、それは大丈夫だ。
あいつらの中に、酒の醸造なんかをやってる奴がいてさ」
「河童が?」
「そう。
正確には、酒を造るための機械というか、設備を持ってる奴だな。
ほら、妖怪の山の銘酒とかあるだろ。あーいうの、全部、そいつが作ってるらしい」
「酒蔵みたいなものかしら」
「それに近い」
そいつのところに、ワインを作るために、ぶどうを持ち込んだんだ、というのが魔理沙の言葉だった。
なら心配ないか、とアリスは胸をなでおろす。
きちんと、酒の造り方を知っているものが行った仕事であるなら、先のような不安は杞憂に過ぎないだろう――と、一応、思えるためである。
「そんなところがあったのね」
「実際に見せてもらったけど、すごかったぞ。
でっかい蔵の中に、ものすごい数のワインの樽がずらーっと並んでてさ。
試しに飲ませてもらったけどうまかった」
「ワインは樽から直接飲むと、何かすごく美味しいのよね」
そんなわけで、その『酒蔵』へと、ワインの材料となるぶどうやら何やらを持ち込み、『出来た酒を半分くらいお前らにやるから、代金はまけてくれ』という形で依頼してきたのだという。
「実際に出来たのはそんなに量も多くなくてさ。
試飲用のこいつと、あと瓶に二つ三つかな」
「試飲だから、こんなガラスの瓶に入れてよこしたのかしら」
「何だ、ガラスはダメなのか?」
「日光に当たると変質するでしょ」
そこで、ぽん、と魔理沙は手を打った。
「……あなた、そんなことも知らないでワインを造ったわけ?」
アリスのジト目がさすがに痛かったのか、魔理沙はわははと笑いつつも視線は逸らしている。
「で? 試飲って、誰にこれを持っていくつもり?
霖之助さんって、ワイン、好きなの?」
「何であいつにワインに限らず、酒を持っていかないといけないんだ。
どうせ持っていくならビンテージものを手に入れて、それを高値で売りつけるさ」
「まあ、そういうことじゃないんだけど」
普段の礼というか、迷惑かけていることへの侘びというか。
ともあれ、ちょっとはしおらしいことでも考えているのかと思いきや、これである。
元々、その霖之助なる人物への贈り物として考えていたわけではないにせよ、色々と、アレな回答であった。
「いや、そうじゃなくてだな。
この前、早苗から聞いたんだけどさ。何か、外の世界には、特定の季節に、自分の親に贈り物を贈る習慣があるらしい」
「誕生日とかじゃなくて?」
「そうじゃなくて」
「ふぅん……。
……って、あなた、確か家族から絶縁食らったとか……」
「まぁ、そうだけど。
だけど、まぁ……うん……。ま、色々と」
「なるほど」
何か思うことでもあったのか。それとも、単なる気まぐれか。
ともあれ、この、実家を飛び出してきたおてんば娘にも『そういう』感情が、たまには芽生えることがあるようだ。
「なら、なおさらね」
「……何がだ?」
「少しくらいは見た目を飾りなさい、ってこと」
――というわけで、やってきたのはいつものここである。
「なるほど。ご家族への贈り物ね。
わかったわ。そういう事情なら、こちらも協力させてもらうわね」
「いつもご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのよ。
こら、魔理沙。アリスに頭を下げさせてないで、あなたも『お願いします』くらい言いなさい」
「別に、私は頼んでないぞ」
ぷいっとそっぽを向く彼女を見て、くすくす笑うのは、ここ、紅の館のメイド長、十六夜咲夜である。
これこれこういう事情なので、とやってきたアリスの事情説明を受けて、それを快諾した彼女は『そうねぇ』と腕組みをしてみせる。
「やっぱり、ご家族にワインを贈るのなら、上等なワイングラスがいるわね。
確か、あなたのご実家は商家なのでしょう? それなら、なおさら、貧相なコップで飲めというわけにはね」
「うちの蔵の中にゃ、そういうの、ごろごろあると思うんだが」
「わかってないわね、魔理沙。
そういう、有象無象のものを使うよりも、実の娘から贈られたものを使ってしまうのが人間の常というものなのよ」
「私は家出娘です」
「あなた、バカね。親――特に男親なんて、娘なんてかわいくてかわいくて仕方ない存在なのよ」
あっさりと、どんな抵抗も咲夜にあしらわれる魔理沙である。
彼女は二人を連れて踵を返すと、『こっちね』と館の中を歩いていく。
二人が連れてこられるのは、そうした食器がたくさんあるであろう、喧騒あふれる厨房――ではなく、
「あら、メイド長。何かご用でしょうか?」
一人のメイドが顔を出す部屋の前だった。
咲夜は『これこれこういう理由なの』と彼女へ事情説明すると、彼女がにっこり笑って、一同を部屋の中へと入れてくれる。
「……へぇ」
果たして、そこは、ショーウィンドウにたくさんの食器が陳列された部屋であった。
壁面一面がずらりそれであり、まるでどこかのショールームのようだ。
細長い部屋の隅に、この部屋の主である彼女のものであろう執務机と椅子が置かれている以外は、全部、食器の並ぶ部屋であった。
「……こりゃすごい」
「うちのレストランで使う、特に高くて貴重な食器は、全部、ここに集めてあるの。
保管にも気を使う物ばかりだから」
「ええ。
厨房に置いておくと、ふとしたことでがっしゃーんってなることも。ねぇ?」
「そ、そうね」
彼女の言葉に、なぜか、咲夜は頬を赤くして視線を逸らす。
この部屋へと初めて連れてこられた魔理沙とアリスの二人は、この十六夜咲夜こそが、『食器破壊』の常習犯であることを知らない。
「宝石が埋まっているのもありますね」
「ええ。
特に、ほら、お嬢様が好きなルビーとか。そういうのが多いわね」
「だけど、レミリアに、こんな高い食器なんて出せないでしょう?」
「もちろん。割られたら困るわ」
聞けば、この部屋の食器の中には、それこそ『お皿一枚何十万』というのがごろごろあるのだという。
そんなものを、紅魔館のマスコットとして有名な、この館のちみっこお嬢様に出すことなど出来はしないのだ。割るから。絶対。
「もう宝石ですね」
「そうね。
ただ、まぁ、さすがにそこまでのものをほいと、いくらあなた達とはいえ、あげることも出来ないから。
そこは勘弁してちょうだい」
そういうわけで、魔理沙に課せられたのは『そこそこの金額で、見た目もよくて使い勝手もよさそうなワイングラスを探すこと』であった。
う~ん、と悩み、腕組みして、魔理沙はワイングラスの物色を始める。
「よく見たら、この部屋、窓がないですね」
「外から泥棒に入られたら困るからね。
部屋全体を結界で覆って、外部からの侵入者を悉くシャットアウトするようにしてるのよ」
「なるほど」
「ここにあるものは全てリストにして、彼女に管理してもらっているわ」
入り口で、こちらを笑顔で見つめているメイドを一瞥して、咲夜。
よく見れば、その立ち位置はドアの前。ふとした出来心で、この部屋のものを失敬しても出られないように『見張って』いるともいえる。
「そんな上等なものはいらないと思うんだよな。
せいぜい、ちょっと高そうくらいのものでさ」
「家出してる親不孝ものが何を言うの」
と、ぴしゃりと咲夜。
そういう時くらいは、親のことを想って、可能な限り『すばらしいもの』を選びなさい、とのことである。
魔理沙は『ちぇ~』と呻くものの、それ以上、声を上げたりはしなかった。
「んー」
彼女の頭の上、天井に程近いところにあるグラスのところで、魔理沙は足を止めた。
彼女はそれが気になるのだろうと考えたのか、咲夜は、その棚の一番下と二番目の棚を手前に引いた。すると、そこに隠されていた段が出てくる。
「へぇ」
咲夜はポケットから鍵を取り出し、棚のウィンドウを開けると、声を上げた魔理沙に『これ?』と取り出したワイングラスを手渡す。もちろん、グラスを手に持つ時はハンカチを間に挟むのは忘れない。
「綺麗なガラスですね。いや、ギヤマン、って言ったほうがいいかな」
咲夜が取り出したワイングラスは、普通のワイングラスより少しサイズが大きめかつガラスの厚みがあるものだ。
その分、少しごつくて重たいのだが、ガラスの表面には無数の精緻な細工が入っており、一目見ただけで『見事』と言えるものである。
「あ、うっすらと色も入ってるんだ」
「なかなかいい目をしているわね、魔理沙」
「まあ、目利きの一つもできないで魔法使いなんてやってられないからな」
威張って言う彼女に『これでいいの?』と咲夜は問いかける。
そうだな、と魔理沙はうなずき、グラスを受け取った。咲夜は、『はい、もう一つ』と同じグラスを手渡してくる。
「何で二つなんだ?」
「あなたの家にはお父様とお母様がいるのでしょ」
こういう時にはペアグラスでお贈りするのが当然、ということだった。
「贈答用の箱を出して頂戴」
「はい」
入り口でこちらを見つめていたメイドが一礼して、部屋の右手側にあるドアを開けて、その中へと入っていく。
少ししてから、『こちらでよろしいでしょうか』と、これまた上等な桐箱を持ってやってくる。
それの蓋を開ければ、元々、ワインなどの贈呈用に造られているのか、ワイングラスが二つとワインのボトルが一本、ちょうど入るだけの大きさと作りになっている。
「用意がいいですね」
「うちには、この手のもの、よく来るし買うからね」
いざという時に使えそうな空き箱は確保しておくのが、いざという時に困らない秘訣なのだ、と咲夜は言う。
それにアリスは『家が大きくないと出来ない真似事ですけどね』と一言。
取り出したワイングラスを箱の中に入れてもらい、『落とさないようにね』と魔理沙へと渡される。
そして、
「はい、魔理沙。お礼」
「わかってるよ。うるさいな」
そのワイングラスと引き換えに、魔理沙が『ほれ。これがそうだ』と取り出したのは、例の特製ワインである。
「いいの?」
「別にいいよ。自分で飲むには試飲のやつがあるし」
「それなら、遠慮なく」
「紅魔館が飲むような、上等なワインじゃないですけど」
「こら、アリス。私が作らせた酒だぞ。上等な酒に決まってるじゃないか」
「はいはい。そうね」
「むっ」
ぷくっとほっぺた膨らませ、魔理沙がふてくされた。
一方、咲夜は、受け取ったワインを『ふーん』と眺めている。
「このボトル、いいものね。大したことのないお酒に、こういう上等なものを使うことはないだろうから、中身も期待できそうだわ」
「味は、どっちかというとジュースみたいな感じです」
「じゃあ、お酒が苦手な子達に出してあげようかしら」
「そんな人もいるんですね」
「妖精は、お酒よりも甘いジュースが好きなのだけどね。
だけど、お酒が嫌いってわけじゃないし。
ものすごい酒豪の子もいるけれど、そうじゃない子もいる。人を雇うって大変よ」
受け取ったワインのボトルをこんこんと叩いて、咲夜は苦笑した。
三人は、部屋を管理するメイドに礼を言って、その場を後にする。
「それじゃ、次に必要なのは――」
「ああ、咲夜さんも気づきましたか」
後生大事に桐箱を抱えて歩く魔理沙へと、前を行く二人が肩越しに振り返る。
その視線に気づいた魔理沙が『?』と、頭の上に『?』を浮かべた時にはもう遅かった。
「何だよ、これは!?」
「はい。その言葉遣いがアウト。
『これは何でしょうか、お姉さま』でしょ?」
「誰がだい!」
にんまり笑う咲夜と、その様子を眺めて、おなか抱えて笑っているアリスの姿がそこにある。
紅魔館の一角にあるその部屋にて、魔理沙が次に食らった『攻撃』は、ずばり、『変装』であった。
「あなたは家出して絶縁されているのでしょ?
それなら、堂々と、顔を出して家に戻るのも……ねぇ?」
どうせ、その贈り物を誰かに配達させるつもりだったのだろう、と咲夜は看破した。
次の言葉を言い出せず、黙ってしまう辺り、魔理沙にとってそれは図星であったらしい。
「そんなものはダメ。ちゃんと自分の手で渡してきなさい」
しかし、それをするにしても、もしかしたら家に入れてくれないかもしれない。
ならば、変装して、一見、別人のふりして何食わぬ顔で行って来い――というわけである。
「それじゃ意味ないじゃないか!」
と、精一杯の反論をする魔理沙。
咲夜としても、先ほどまでの己の言動とこの仕打ちの間に矛盾があるのはわかっているのだろう。しかし、「贈り物っていうのは、自分の手で相手に渡してこそよ」と聞き入れない。
まさしく『物は言い様』であった。
「明朗快活、かわいらしい女の子の配達人――まぁ、ちょっと設定に無理はあるけど、概ね、いい感じかしら」
「アリス、お前は笑いすぎだ!」
「だ、だって……! 魔理沙に『かわいい系』の格好とか……!」
「あら、アリス。それは失礼ね。
魔理沙には、意外と、こういう格好は似合うと思うのよ」
シャツと上着とスカートという、どこにでもありふれた格好ではあるのだが、その服装のデザインと色、そして変装の一環として、ポニーテールにさせられてお化粧しっかり引いて、とどめに眼鏡まで装備させられるという雰囲気は、なるほど、とてもではないが『魔理沙』ではない。
咲夜の化粧術と服装のセンス、ついでに『年下の女の子』への遊び心が存分に出た意匠である。これを笑わずに何を笑えというのか。
「丁寧語と尊敬語の基本、それから女の子らしい会話術はアリスに仕込んでもらうとして――」
咲夜の視線は魔理沙を向いて、しばし停止。
ちょうどその時、無造作にがちゃっと部屋のドアが開く。
「咲夜。ここにいると聞いてきたのだけど……。
あら、アリスじゃない」
この館を統べるちみっこお嬢様ことレミリア・スカーレットが現れる。
彼女は尊大な態度で、「おなかがすいたのだけど、おやつはまだ?」と咲夜へ尋ねた。
咲夜の視線はレミリアに向き、
「お嬢様」
「何かしら?」
「こちらの方なのですが」
「うちで新しく雇うメイドかしら?
まぁ、なんにせよ、わたしへの紹介もなく、勝手に館の中に入れないでちょうだい」
「申し訳ございません」
「それじゃ、よろしくね」
自分の言いたいことが伝わればそれでいいのか、さっさと、彼女はその場を後にする。
「完璧だったわね」
レミリアは、自分の前に立っていた人物が誰であるか、全く気づいていなかったようだ。
妖怪というのは、目以上に鼻も利く。人間の変装など、その匂いで見抜いてしまうものなのだが、それすらもごまかした咲夜の腕前は見事と言わざるを得ないだろう。
「じゃあ、アリス。
道中はよろしく頼むわね」
「ええ、お任せください、咲夜さん」
「……って、これから!?」
「当然でしょ。
まあ、もっとも、何日もそのままの格好でいたいというなら、別にかまわないのだけどね。
いつでもうちに来てくれていいわよ。何度でも、お化粧とお着替えをしてあげるから」
「冗談じゃないやい!」
曰く、『自分でおしゃれをするのはそう嫌いではないが、おもちゃにされるのはごめんこうむる』。
魔理沙のその一言は、まさしく、彼女の切なる言葉であったのだが、そういうこと言うと、この手の『年上のお姉さん』達はもっと面白がって色々やりたくなってしまうということに、彼女は気づかなかったようだった。
「……しかし、冷静になってみるとだけど、うまくいくのかしら?」
『……マスター、そこ、今、冷静になるところ?』
さすがにお供の人形からもツッコミ入れられてしまうアリスである。
魔理沙に『いいからついてくるな』と言われ、人里の一角の甘味処で待つことすでに数十分。
テーブルの上には、魔理沙に持たせた人形と全く同じ、小さな人形が一人、ぽつんと座っている。
これは、対となる人形との間で双方向の通信を可能とするものである。以前、地底に潜った時に使ったものの改良型だ。
そこから流れてくるのは、魔理沙と、それに応対している誰かの声。
『あの、それで、こちら、霧雨魔理沙さんからのお預かりしたもので……』
『あら、そう? それ、本当に、その人から?』
ずいぶん、若い声の持ち主だ。魔理沙の家は大きな商家と言っていたから、そこで働く誰かなのだろう。
「映像が見えるようにしておけばよかったわね」
『通信だけにこだわったしね』
「音声は以前よりもずっとクリアなんだけど、映像が見られないのは失敗したわ」
やはり、あまりにも小型化しすぎたか、とアリスは内心で呻いた。
この人形、とにかく音声に対する感度が高い。設置した位置から100メートル離れたところにいる人物のひそひそ話でも拾い上げるほどだ。
また、その音声取得範囲を限定することにより、外部のノイズを一切拾わず、目標とする相手の声だけを拾い上げるという芸当すら可能にする。
しかし、問題は、その能力に全てを割り振ったがためによる、映像機能の欠如である。
『そう……。へぇ~』
『え、えっと、あの……』
『わかったわ。ありがとう。
あなた、見ない子ね。最近、このお仕事を始めた子?』
『あ、は、はい。つい最近……』
『そうなの。最近は、女の子も、こういうことをやるようになったのね。
ああ、だけど、そんなかわいらしい格好で大丈夫? 怪我したりしない?』
魔理沙がしどろもどろで相手に応対しつつ、その相手は余裕の表情で、『彼女』の相手をしている――そんな光景が目に浮かぶ。
今回の魔理沙の役どころは、『初めて荷物の配達を始めた、元気一杯の女の子』である。
その演技を、彼女の骨の髄まで、たった1時間やそこらで叩き込んだのが、このアリスなのであるが、
「圧倒されているわね」
『やっぱり、魔理沙に、演技なんて無理なのよ』
「まぁ、正体はばれてなさそうだし。
それならそれでいいんじゃないかしら」
目的の本懐を果たせるのなら、多少の大根演技は認めるしかあるまい、とアリス。
やがて魔理沙は、目の前の相手から判子か何かをもらえたのか、『ありがとうございました』と言って歩き出す。
彼女の足音を拾い始めたことで、この監視も終了。音声の取得を切断する――ところで。
『魔理沙からの贈り物だなんて。珍しいわね』
という、相手の女性の、嬉しそうな音を含む声が流れてきた。
アリスは小さく笑うと、人形をポケットへとしまう。
そして、
「あー。もー」
「はい、お帰り。魔理沙ちゃん」
「うるさいやい」
魔理沙が戻ってきた。
ポニーテールの頭そのままで、ぐしぐしと頭をかきむしる。
その彼女に、『よく頑張りましたで賞』ということで、アリスから飲み物とお菓子がプレゼントされる。要はおごりだ。
「ずいぶん時間がかかったわね。さっさと行けばいいのに」
「うるさいな。心の準備ってのがあるんだよ」
かわいらしい格好をしていようが、顔に化粧が残っていようが、そういう悪態をついていると、あっという間に魔理沙は『魔理沙』に逆戻りする。
アリスは笑いながら、「だけど、受け取ってもらえてよかったじゃない」と一言。
「よくあるか。ったく。
何が『完璧な変装』だよ。おふくろに完璧にばれてたぞ」
その一言で、アリスは『……え?』と声を上げる。
「あー、もー。あのにやにや笑い。あれ、絶対、後で手紙とか送ってからかおうって考えてる顔だ」
「……あ……えっと……」
何だよ、と魔理沙。
アリスは、『えーっと』と前置きをおいてから、
「……あなたのお母さんが応対に出たの?」
「そうだよ。
私の名前を出したら、あそこは、絶対におふくろが出てくるからな」
「……声、すっごい若かったんだけど。年齢いくつ?」
「まだ三十路を少し過ぎたくらいだろうけど、おふくろの見た目の若さは、確かに疑問だな。
こーりんも、『君のお母上は、あれか。実は妖怪なんじゃないのか』って言ってたくらいだし」
「……」
あの声の声質から判断するに、魔理沙の『母親』というのが三十に届いているというのは、どう頑張っても信じることが出来ない。
よくて二十歳そこそこ程度だ。それくらい、声の音は『若かった』のだ。
「何が完璧だよ。もう。恨むからな」
「……えーっと。
あなた……勘当されてたんじゃ?」
「おふくろは『いつだって、あたしは娘の味方』だそうだ」
――たとえ、霧雨魔理沙のことを知るものですら欺く、今の魔理沙の変装をあっさり見破れたのは、なるほど、これぞ血のつながった母親故の眼力である。
アリスはその点については、全く、考慮してなかったといわざるを得ない。
しかし、しかしだ。
「……あなたのお母さんって、一度、お会いしてみたいのだけど」
「絶対やめとけ。お前みたいに融通の利かない奴はおもちゃにされるだけだ」
『だからおふくろには会いたくなかった』と魔理沙はぼやく。
我が子と見抜かれているにも拘わらず、他人を演じなければいけない恥ずかしさは大したものだっただろう。しかも、その相手が、魔理沙曰く『性悪なお茶目さん』だとすればなおさらである。
「絶対、内心で大笑いしてた。っていうか、今頃、家の中で爆笑してる。
あー、くそ。これだから家に顔出すのはやなんだよ」
「だ、だけど、ほら……プレゼントは渡せたわけだし……」
「それとこれとは別だよ、もう」
我が子にプレゼントを渡してもらったことから来る嬉しさも、我が子の滑稽な演技を笑いこらえて見ていたら、全部、吹き飛んで当たり前。
魔理沙は比ゆではなく顔を赤く染めながら、「大恥かいた」と呻いている。
アリスは小さく、そして恐る恐る、つぶやいた。
「……やっぱり私が行った方がよかった?」
「いまさら遅い」
やれやれだよ、と呻いて、魔理沙は髪の毛をまとめていたゴムを解いた。
そうして、目の前の飲み物を一口する。
「けど、まぁ」
グラスをテーブルの上に戻してからつぶやく。
「……ありがと」
「え?」
「久々におふくろと話をして、何というか……楽しかった。ありがと」
お前たちが余計なことをしてくれたせいで、私は恥をかいた。恥をかいたけど、こうしなければ、手紙で終わらせていた。話す機会なんてなかった。
――そう、彼女はぽつりぽつりと言った。
「だけど、感謝はここで終わりだ。後は、迷惑をかけてくれたお礼をしてやる」
その魔理沙の宣言に、アリスは肩から力を抜いて息を吐くと、店員を呼ぶ。
そして、冷たい水羊羹の追加注文を一つ。
もちろん、「私のおごり」というのは忘れない。
「この肌寒い季節に水羊羹とか嫌がらせか」
「そうよ。嫌がらせには嫌がらせで返すものでしょ」
いつもの二人のやり取りが戻ってくる。
アリスは椅子に背もたれを預けて、「お母さんかぁ。たまには家に帰ってみるかな」という。
「お前のおっかさん、いつもあれだからな。家に帰ったら帰れなくなるんじゃないか?」
「そうなのよね。絶対に引き止められる」
「お前、口うるさいから、しばらく帰ってこなくていいぞ」
「よく言うわね。その間の晩御飯はどうするのかしら?」
そんな憎まれ口の叩きあいをしていると、後ろから、「あ、見つけた」という声がした。
振り返ると、そこに、若い男性の姿がある。彼は店の暖簾をくぐり、魔理沙のほうを見ていた。
魔理沙は、彼に見覚えがあるのか、『あっ』という顔をする。
「さっきの、配達の方ですよね? 女将さんから手紙を預かってきました。
わざわざありがとうと伝えておいて欲しい、と」
彼はどうやら、目の前の彼女が、魔理沙であることに気づいていないようだ。
やはり、魔理沙の変装は完全なのである。完全はあっても完璧は存在しないことは、彼女の母親によって証明されてしまっているが、それ以外の相手にとっては、『完全』であった。
「それじゃ、失礼します」
彼はぺこりと頭を下げて、足早に店を去っていった。
魔理沙は渡された手紙――ただの半紙に『手紙』としか書かれていないものだ――を見て、それを開いてみる。
中を見て、彼女は苦笑した。
続いて、その苦笑は大きな笑いに変わり、アリスが『どうしたのよ』と尋ねる。
魔理沙は笑いながら、その手紙を見せてくれた。
その手紙に書かれていた文字に、アリスはなるほどとうなずいて、やはり同じように笑ってしまう。
そこには、魔理沙がよく書くような、元気のある、しかしちょっと不恰好な文字で言葉がしたためられている。
たった一言。
『よくやった、バカ娘!』
――と。
万点作家だから読んだけどつまらんかった。
ほっこりしながら読めました。