ああ、なんて憂鬱なのだろう。
晩秋のある朝。紅い葉をつけた木々に覆われた妖怪の山で、秋の神様である秋姉妹の姉である秋静葉はひとりごちた。
何故静葉が落ち込んでいるか。それはもうすぐ秋が終わり、秋の神、そして紅葉を司る神として最後の仕事を行う時が来たからである。季節が変わるのは自然の流れとはいえ、自らの存在意義である季節が終わると思うと気分が沈んでしまう。
「月日が過ぎるのは早いものね……」
だが冬になったら寒さでもっと憂鬱な気分になるのだ。せめて秋の間は神である自分がきちんとしなければ!
静葉は心の中で自分を鼓舞し、駆け出した。
「今年も頑張らなきゃ!」
ああ、なんて憂鬱なのだろう。
春の妖精、春告精リリーホワイトは家の中でひとりごちた。
春になると妖怪並に力を増す彼女だが、それ以外の季節にはめっぽう弱くなり「春(以外)眠暁を覚えず」という状態になる。夏は避暑のため外出することもあるが、秋と冬はほぼずっと家の中だ。
「うー今日も寒そうですね……」
布団の中で丸まって窓から見える外の景色を一瞥し、再び眠ろうと目をつぶったときだ。
たぁん
なんだろう今の音は。
風の音ではない、天狗の新聞が窓を突き破る音でももちろんない。
リリーは再び外に目を向けた。
目に飛び込んできたのは、一人の少女の舞であった。
紅葉が風で舞い散る中、紅の衣を身にまとった少女がくるり、くるりと舞い踊っている。まるで紅葉が生きているように、一緒に踊っている。そんな印象をリリーは受けた。
――なんて綺麗なのだろう
優雅であり可憐である舞に、リリーの目はくぎづけになった。。
やがて舞が終わったのか、その少女は木々の向こうに去って言った。
「待って!」
布団から飛び出し、箪笥から衣を何枚か引っ張り出して着重ね、リリーは慌てて外に飛び出した。慣れない秋の寒さに身を縮こませながら、さっきの少女が行った方向を辿っていく。
何故こんな秋の寒い日に、わざわざ外に出てまで探すのか。明確な理由はない。ただ、会いたいと思ったのだ。
幸いにも紅の衣の少女はすぐに見つけることができた。
「す、すいませーん! ちょっといいですかー!」
ドキドキしながら勇気を出して声をかける。
少女は振り返り、不思議そうな目でリリーを見つめた。
「あら? あなたは……春告精? まだ春には半年ほど早いわよ」
「リリーのことを知っているんですか?」
「むしろあなたのことを知らない人のほうが珍しいわよ。それに四季の一つである秋の神様である私が知らないはずがないわ」
「え!? か、神様!?」
「そうよー秋の神様よー」
なんと自分が声をかけたのは神様らしい! そういえばなんとなく彼女から神々しいオーラが漂ってる気がしないでもない!
と、感激していたリリーだがある言葉が引っかかった。
――「そうよー『秋』の神様よー」
……ん? 秋の神様?
「……今の季節は秋ですよね」
「そうよー素敵でしょー」
「つまり……こんなに寒いのはあなたのせいなんですね!」
「そうよー……うん?」
「成敗!」
「秋の神=寒い原因」という方程式を立てたリリーはキシャーッ!と荒げ、静葉に飛びかかった。
不意を突かれた静葉は咄嗟に足を上げ――
ベキッ
「あっ」
静葉の膝蹴りがリリーの顔を打ち抜いた。
「うう……ひどいです、痛いです。よりによって顔だなんて。もうお嫁に行けません……」
「悪かったわよ、つい手が出ちゃって」
「出たのは足ですけどね!」
非難の色を込めて睨みつけるリリーに対し、静葉もムッっとして言い返す。
「そもそも最初に襲ってきたのはそっちじゃない、春度がまだ頭に残ってたの?」
「先に寒くしたのはそっちです!」
「別に私のせいじゃないわよ!それに涼しいのが最高じゃない。一年で一番過ごしやすい時期よ!」
「聞き捨てなりませんね! 春が一番過ごしやすいに決まっているじゃないですか! ぽかぽか暖かいのが一番です!」
「むむむー!」
「うー!」
「……」
「……」
「えっとその、ごめんなさい」
「いえ、私こそ……」
曲がりなりにも長く生きている二人は経験上分かっていた。埒が明かない言い争いなど何も生まないということを。
「まあ、今更だけど自己紹介でもしましょうか。私は秋静葉、紅葉を司る秋の神よ」
「はい。私はリリーホワイト、春の妖精ですよー」
「その春の妖精がどうしてここにいるのかしら?」
「え、えーっと」
『静葉さんの綺麗な舞に目を離せなくなり、気になって追ってきました』とこっ恥ずかしいことを正直に言う勇気は、リリーにはなかった。
「あの、外を見たら静葉さんが見えて、こんな寒い日に一体何をしているかちょっと気になっちゃいまして」
「ああ、なるほどね。でも冬に比べればこれくらい全然過ごしやすいじゃない。私は秋の神様としての、今年最後の仕事をやっている最中だったの。」
「最後の仕事、ですか?」
「そう、今もその途中だったの。紅葉した葉を地に落とす、落葉の仕事がね」
神様の仕事、という響きに強く惹かれたリリーは興味津々に尋ねた。
「見てもいいですか⁉」
「ええ、構わないわ。そんなに面白いものでもないけど。……そうね、じゃあ特別なやり方をみせてあげる」
「おー!」
静葉は紅い葉で彩られた一本の木の前に立ち、目を閉じる。
その瞬間周りの空気がぴんと張りつめられ、そして――
「秋拳法奥義『飛花落葉』!」
掛け声と共に繰り出された瞬速の掌底が、木の幹を正確に打ち抜いた。
一瞬の静寂の後、鮮やかな紅い葉が全て一斉に、はらはらと舞い落ちる。
しかも不思議なことに掌底を打ちこんだ木の幹には傷一つない、まさに神業であった。
静葉は振り返り、一仕事終えたような誇らしげな表情を見せた。
「まあ、こんなものよ」
――いや、こんなものと言われましても
ドヤっとした静葉に対し、リリーはポカンとした顔をになった。
「え……? いや、今のなんです?」
「何って、見て分からないの? 落葉よ」
「いやいやいや!え?もっとなんか神様の不思議な神秘的な力みたいな感じじゃないのです!? まさかの落葉(物理)!?」
「なに寝ぼけたこと言っているのよ、葉が勝手に落ちるわけないわ。今は特別に気合を入れたけど、普段は蹴って落としているし」
「あ、はい……え? うん?」
どこか納得のいかないのは私だけなのだろうか。
とリリーは心の中でつぶやいた。
「不満そうねぇ」
「えー私としてはもっとばーっ! と神様の力―! 的な何かで」
「悪かったわね、期待外れで。ばーっとした神様の力! みたいなのはこの山の葉を紅く染め上げるのに使っちゃったのよ」
静葉はぷくりと頬をふくらませ、拗ねたようにそっぽを向いた。
あの時見た舞は自分の見間違えなのだろうか。どう見ても同一人物とは思えない。
「双子がいたりしませんよね……?」
「妹ならいるわよ。かわいくて、私より神様らしい妹が」
「妹さんがいるんですか?」
「ええ。今頃は収穫祭で引っ張りだこね」
聞いたことのない言葉に、リリーは首をかしげた。
「収穫祭、ってなんですか?」
「人里の村人さん達が、今年の豊作を祝って神様に感謝するお祭りよ」
「なるほどー。……あれ? 静葉さんも神様ですよね、一緒に呼ばれたんじゃないんですか?」
「収穫祭よ。妹は豊穣の神、私は紅葉の神。ね?」
「ならなおさら静葉さんは行くべきじゃないですか」
「……穣子みたいなこというのね」
自然の権化である妖精のリリーホワイトは、静葉の役割がとても重要なことを理解している。
木々が紅葉するのは冬への準備をさせ、落葉することにより休眠する。そして春になり、まだ青々しい葉をつけるのだ。
もしも冬になっても葉が緑のまま、残っていたならば――?
葉に水分をとられ、栄養不足になった木は死んでしまうだろう。そして木が死ねば地が死に山が死ぬ。そうなれば、人も妖怪も甚大な被害を受けることは想像に難くない。彼女がいなくなったら、どれだけの被害が幻想郷に及ぶのか。
そんな重要な役割を任されている神様が、どうして不参加なのだろう?
リリーが不思議そうな顔をしていると、静葉は苦笑してリリーに質問をする。
「リリー、あなたが春を告げたとき、皆はどんな反応する?」
「どうって、皆喜びますよ。春がきたんですから」
春の始まりは生命の始まり。冬眠していた動物は目覚め、木は再び葉をつけ始める。リリーが春を告げると皆が喜んでくれて、それでリリー自身も嬉しくなるのだ。
「そう、羨ましいわ」
静葉は優しい、しかしどこか寂しい笑みを浮かべる。
そんな反応にリリーは戸惑い、尋ねた。
「私は秋には人里にいませんからよくわからないのですが、たぶん、秋も皆さん喜ぶのではないのですか?」
「そうね、秋がきたら人々は喜んでくれるわ。けれどそれは秋の訪れに、ではないわ」
「え?」
「喜ぶのは育った作物に、よ」
秋は穣りの季節だ。丹精込めて育ててきた作物が穣り、収穫する。それはまさに人々にとって自らの努力が文字通り穣った結果だ。
しかし秋はもう一つ、別の側面がある。
――終焉の季節
木々の葉は老化し、紅く染まり人々に秋を知らせる。秋静葉の仕事は後者であり、妹である秋穣子の仕事が前者だ。
春の訪れを知らせるリリーホワイトと秋の訪れを知らせる静葉。そう比べると二人は似たようなものに思えるかもしれない。しかし、人々の彼女らに対する認識はまったく違う。
今朝のことだ。静葉が落葉の仕事の準備運動をしているとき、穣子は玄関にて声をかけてきた。
「お姉ちゃん、今日の収穫祭――今年最後の収穫祭も、一緒に行かないの?」
「昨日も言ったでしょ、私は落葉の仕事があるって。それに、私はお呼ばれじゃないわ」
「またそんなこと言って! 私達は二人で秋の神様でしょう、お姉ちゃんがいなきゃダメじゃない!」
「……そんなことないわ。収穫祭に呼ばれているのはあなた一人。私のことは気にしないで行ってくればいいのよ」
「お姉ちゃんを連れてきちゃダメだなんて言われてないわ!私が主役なんだから、文句は言わせない!」
「ワガママ言わないの。私は平気だから、ね?」
姉の優しい表情に何も言い返せないのか穣子は涙目になりながら、
「お姉ちゃんのバカ!」
とだけ言い、穣子は人里のほうへ飛んで行った。
穣子の気持ちは嬉しい、しかし私が行ったところで村人達はどう思うのだろうか。人も妖怪も、静葉には感謝どころか認識しているかどうか怪しい。たとえ知っている者がいたとしても、単なる紅葉の神、豊穣の神である妹の付けあえ扱いだ。
しかしそれも無理のない話だ。特に人間は、わかりやすい物をありがたがる。穣る作物と朽ちる葉を同等に扱うなんてことは無茶な話なのかもしれない。
ふと、静葉が足を止めた。
不思議に思ったリリーが静葉の視線を辿ると、そこにいたのは地面に横たわっているリスだった。
本来この時期に食糧をたくわえ、冬越えのための準備をするはずのリスがどうしてこんなところに寝そべっているのか。
不思議に思ったリリーが、リスに話しかける。
「こんな寒い日に、寝てると風邪をひ……」
言葉は途中で止まる。
そのリスは足が不自然な方向に曲がっていた。息も絶え絶えで、目は虚ろ、どう見ても死に体だ。
慌ててリリーはリスの傍に駆け寄った。
「助けないと!」
しかし差し伸べようとする手を、静葉は遮る。
「……無理よ、私達にはもうどうすることもできないわ。足が折れて、衰弱している。どうあってもこの子はここで死ぬ」
「そんな!」
泣きそうな表情のリリーとは対照的に静葉はいたって冷静だ。
静葉は何度もこんな光景を見てきた。ケガのせいか、はたまた十分な冬越えの準備をすることができず、朽ちていく動物たちを何度も。
だからこそ分かる、もうこのリスは、死ぬ。紅葉を司る程度の能力しか持たない静葉にも、そして春が来たことを伝える程度の能力しか持たないリリーホワイトにもどうすることはできない。いや、唯一できることがあるならば――
静葉はしゃがみ込んで、リスの頭に手を当てる。辺りに神気が満ち――ふっと『何か』が消えた。
静葉が手をどけると、リスは目をゆっくりと閉じ、そして微かな息も止まった。
まるで春の陽気の中で昼寝でもしているような、そんな風にリリーは思った。ただ一つ違うのは、もうこのリスは目を開けることは二度とないということだ。
静葉は手を頭上に掲げ、それを合図に風が吹き、赤黄の紅葉を舞う。雨のように降り注ぎ、それらはリスだったものを覆い隠す。
静葉は立ちあがり、瞑目する。
舞い散る紅葉の中、佇む彼女はひどく悲しそうで――美しい、とリリーは思った。
紅葉させた葉を散らすように、朽ち行く命を終焉へと導く。
それが寂しさと終焉の象徴たる神、秋静葉の役割なのだ。
「ごめんなさい」
静葉はつぶやいた。
「最後に見るのが、『寂しさと終焉の象徴(わたし)』で――ごめんなさい」
「そんなこと、ありません!」
涙目になりながらもリリーは否定する。
「あのリスさんは、最後に見たのが、静葉さんでよかったって、絶対思っていました!」
「……それは都合のいい幻想(思い込み)よ。きっとあの子も私より、春にあなたを見られたほうが幸せだったでしょう」
「いいえ、きっと感謝していたと思います、絶対に」
「……どうして?」
「だって――」
リリーは自らの思いの丈を口にする。
「あなたが、綺麗だったから」
「だから、あんなに安らかな顔をしていたじゃないですか?」
キイッという鳴き声がした。
木陰から四匹のリスが出てきたのだ。リス達は静葉の前に駆け寄ると、
――ありがとう
そんな言葉が聞こえたような気がした。
そしてリスはそのまま去って行った。
「あれは……」
「感謝、していたんですよ、仲間を、家族を看取ってくれてありがとうって」
「分かるの?」
「静葉さんも分かっているくせに」
リリーは笑って答えた。
静葉の目から一筋の涙がこぼれ出た。
そのまま抱きしめあって、二人で泣いた。
「今日のところはこれで終わりにしましょうか」
「ヘトヘトです……」
「私も足が疲れちゃった」
それから静葉はリリーと一緒に秋の景色巡りをしていた。もちろん木に蹴りを叩き込んで落葉させる仕事をやりつつだ。初めて見るらしい秋の景色に、リリーは疲れながらも満足そうな表情をしていた。
「それで、初めて体験した秋はどうだった?」
「はい!すごかったです!景色も、静葉さんも!」
「わ、私も?」
「はい!落葉のときに、たくさんの紅葉が舞っていて、その中にいる静葉さんがすごく綺麗で、見惚れちゃいました!」
「そう……」
「あれ?静葉さん、顔が赤いですが大丈夫ですか?」
「夕日のせいよ、そういうことにしてちょうだい」
気分が高揚しているからか、リリーは自分が何を言ったか深く考えていないようだ。
リリーは言葉を続けた。
「来年は、私が春の妖精の力を見せて、春の魅力をいっぱい伝えて、春こそが一番だってことを証明してみせますよ!」
「ええ、楽しみにしておくわ」
まさか、秋の神である自分が春を楽しみにするとは――おかしなことだが、それも悪くない。
「そろそろ家に帰らなくちゃ。妹も、もうすぐ帰ってくるだろうし」
秋の日は釣瓶落としという言葉の通り、すっかり日が落ち夕方になっていた。
「はい、今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、ありがとう」
もうすぐ秋は終わり、寒い冬がくる。
だが二人の憂鬱な気分はなくなっていた。
「ええ、またね」
「はい、またです!」
静葉は疲れながらも、しかし軽い足取りで帰途につく。
帰ったら妹に自慢してやろう。秋の中でも紅葉が一番だって。収穫祭なんかに呼ばれなくても、紅葉や私を褒めてくれる人がいるんだって。そうしたらきっと妹は里の作物の穣りを自慢してくるだろう。収穫祭でいっぱい信仰されたことを自慢してくるのだろう。
二人で自慢しあって、そして残り少ない秋を目一杯楽しむのだ!
そして秋が過ぎ、冬になったときの二人の様子だが。
「寒い……寒い……憂鬱だわ」
「寒い……寒い……憂鬱です」
神様も春の妖精も冬には勝てないのだった。
晩秋のある朝。紅い葉をつけた木々に覆われた妖怪の山で、秋の神様である秋姉妹の姉である秋静葉はひとりごちた。
何故静葉が落ち込んでいるか。それはもうすぐ秋が終わり、秋の神、そして紅葉を司る神として最後の仕事を行う時が来たからである。季節が変わるのは自然の流れとはいえ、自らの存在意義である季節が終わると思うと気分が沈んでしまう。
「月日が過ぎるのは早いものね……」
だが冬になったら寒さでもっと憂鬱な気分になるのだ。せめて秋の間は神である自分がきちんとしなければ!
静葉は心の中で自分を鼓舞し、駆け出した。
「今年も頑張らなきゃ!」
ああ、なんて憂鬱なのだろう。
春の妖精、春告精リリーホワイトは家の中でひとりごちた。
春になると妖怪並に力を増す彼女だが、それ以外の季節にはめっぽう弱くなり「春(以外)眠暁を覚えず」という状態になる。夏は避暑のため外出することもあるが、秋と冬はほぼずっと家の中だ。
「うー今日も寒そうですね……」
布団の中で丸まって窓から見える外の景色を一瞥し、再び眠ろうと目をつぶったときだ。
たぁん
なんだろう今の音は。
風の音ではない、天狗の新聞が窓を突き破る音でももちろんない。
リリーは再び外に目を向けた。
目に飛び込んできたのは、一人の少女の舞であった。
紅葉が風で舞い散る中、紅の衣を身にまとった少女がくるり、くるりと舞い踊っている。まるで紅葉が生きているように、一緒に踊っている。そんな印象をリリーは受けた。
――なんて綺麗なのだろう
優雅であり可憐である舞に、リリーの目はくぎづけになった。。
やがて舞が終わったのか、その少女は木々の向こうに去って言った。
「待って!」
布団から飛び出し、箪笥から衣を何枚か引っ張り出して着重ね、リリーは慌てて外に飛び出した。慣れない秋の寒さに身を縮こませながら、さっきの少女が行った方向を辿っていく。
何故こんな秋の寒い日に、わざわざ外に出てまで探すのか。明確な理由はない。ただ、会いたいと思ったのだ。
幸いにも紅の衣の少女はすぐに見つけることができた。
「す、すいませーん! ちょっといいですかー!」
ドキドキしながら勇気を出して声をかける。
少女は振り返り、不思議そうな目でリリーを見つめた。
「あら? あなたは……春告精? まだ春には半年ほど早いわよ」
「リリーのことを知っているんですか?」
「むしろあなたのことを知らない人のほうが珍しいわよ。それに四季の一つである秋の神様である私が知らないはずがないわ」
「え!? か、神様!?」
「そうよー秋の神様よー」
なんと自分が声をかけたのは神様らしい! そういえばなんとなく彼女から神々しいオーラが漂ってる気がしないでもない!
と、感激していたリリーだがある言葉が引っかかった。
――「そうよー『秋』の神様よー」
……ん? 秋の神様?
「……今の季節は秋ですよね」
「そうよー素敵でしょー」
「つまり……こんなに寒いのはあなたのせいなんですね!」
「そうよー……うん?」
「成敗!」
「秋の神=寒い原因」という方程式を立てたリリーはキシャーッ!と荒げ、静葉に飛びかかった。
不意を突かれた静葉は咄嗟に足を上げ――
ベキッ
「あっ」
静葉の膝蹴りがリリーの顔を打ち抜いた。
「うう……ひどいです、痛いです。よりによって顔だなんて。もうお嫁に行けません……」
「悪かったわよ、つい手が出ちゃって」
「出たのは足ですけどね!」
非難の色を込めて睨みつけるリリーに対し、静葉もムッっとして言い返す。
「そもそも最初に襲ってきたのはそっちじゃない、春度がまだ頭に残ってたの?」
「先に寒くしたのはそっちです!」
「別に私のせいじゃないわよ!それに涼しいのが最高じゃない。一年で一番過ごしやすい時期よ!」
「聞き捨てなりませんね! 春が一番過ごしやすいに決まっているじゃないですか! ぽかぽか暖かいのが一番です!」
「むむむー!」
「うー!」
「……」
「……」
「えっとその、ごめんなさい」
「いえ、私こそ……」
曲がりなりにも長く生きている二人は経験上分かっていた。埒が明かない言い争いなど何も生まないということを。
「まあ、今更だけど自己紹介でもしましょうか。私は秋静葉、紅葉を司る秋の神よ」
「はい。私はリリーホワイト、春の妖精ですよー」
「その春の妖精がどうしてここにいるのかしら?」
「え、えーっと」
『静葉さんの綺麗な舞に目を離せなくなり、気になって追ってきました』とこっ恥ずかしいことを正直に言う勇気は、リリーにはなかった。
「あの、外を見たら静葉さんが見えて、こんな寒い日に一体何をしているかちょっと気になっちゃいまして」
「ああ、なるほどね。でも冬に比べればこれくらい全然過ごしやすいじゃない。私は秋の神様としての、今年最後の仕事をやっている最中だったの。」
「最後の仕事、ですか?」
「そう、今もその途中だったの。紅葉した葉を地に落とす、落葉の仕事がね」
神様の仕事、という響きに強く惹かれたリリーは興味津々に尋ねた。
「見てもいいですか⁉」
「ええ、構わないわ。そんなに面白いものでもないけど。……そうね、じゃあ特別なやり方をみせてあげる」
「おー!」
静葉は紅い葉で彩られた一本の木の前に立ち、目を閉じる。
その瞬間周りの空気がぴんと張りつめられ、そして――
「秋拳法奥義『飛花落葉』!」
掛け声と共に繰り出された瞬速の掌底が、木の幹を正確に打ち抜いた。
一瞬の静寂の後、鮮やかな紅い葉が全て一斉に、はらはらと舞い落ちる。
しかも不思議なことに掌底を打ちこんだ木の幹には傷一つない、まさに神業であった。
静葉は振り返り、一仕事終えたような誇らしげな表情を見せた。
「まあ、こんなものよ」
――いや、こんなものと言われましても
ドヤっとした静葉に対し、リリーはポカンとした顔をになった。
「え……? いや、今のなんです?」
「何って、見て分からないの? 落葉よ」
「いやいやいや!え?もっとなんか神様の不思議な神秘的な力みたいな感じじゃないのです!? まさかの落葉(物理)!?」
「なに寝ぼけたこと言っているのよ、葉が勝手に落ちるわけないわ。今は特別に気合を入れたけど、普段は蹴って落としているし」
「あ、はい……え? うん?」
どこか納得のいかないのは私だけなのだろうか。
とリリーは心の中でつぶやいた。
「不満そうねぇ」
「えー私としてはもっとばーっ! と神様の力―! 的な何かで」
「悪かったわね、期待外れで。ばーっとした神様の力! みたいなのはこの山の葉を紅く染め上げるのに使っちゃったのよ」
静葉はぷくりと頬をふくらませ、拗ねたようにそっぽを向いた。
あの時見た舞は自分の見間違えなのだろうか。どう見ても同一人物とは思えない。
「双子がいたりしませんよね……?」
「妹ならいるわよ。かわいくて、私より神様らしい妹が」
「妹さんがいるんですか?」
「ええ。今頃は収穫祭で引っ張りだこね」
聞いたことのない言葉に、リリーは首をかしげた。
「収穫祭、ってなんですか?」
「人里の村人さん達が、今年の豊作を祝って神様に感謝するお祭りよ」
「なるほどー。……あれ? 静葉さんも神様ですよね、一緒に呼ばれたんじゃないんですか?」
「収穫祭よ。妹は豊穣の神、私は紅葉の神。ね?」
「ならなおさら静葉さんは行くべきじゃないですか」
「……穣子みたいなこというのね」
自然の権化である妖精のリリーホワイトは、静葉の役割がとても重要なことを理解している。
木々が紅葉するのは冬への準備をさせ、落葉することにより休眠する。そして春になり、まだ青々しい葉をつけるのだ。
もしも冬になっても葉が緑のまま、残っていたならば――?
葉に水分をとられ、栄養不足になった木は死んでしまうだろう。そして木が死ねば地が死に山が死ぬ。そうなれば、人も妖怪も甚大な被害を受けることは想像に難くない。彼女がいなくなったら、どれだけの被害が幻想郷に及ぶのか。
そんな重要な役割を任されている神様が、どうして不参加なのだろう?
リリーが不思議そうな顔をしていると、静葉は苦笑してリリーに質問をする。
「リリー、あなたが春を告げたとき、皆はどんな反応する?」
「どうって、皆喜びますよ。春がきたんですから」
春の始まりは生命の始まり。冬眠していた動物は目覚め、木は再び葉をつけ始める。リリーが春を告げると皆が喜んでくれて、それでリリー自身も嬉しくなるのだ。
「そう、羨ましいわ」
静葉は優しい、しかしどこか寂しい笑みを浮かべる。
そんな反応にリリーは戸惑い、尋ねた。
「私は秋には人里にいませんからよくわからないのですが、たぶん、秋も皆さん喜ぶのではないのですか?」
「そうね、秋がきたら人々は喜んでくれるわ。けれどそれは秋の訪れに、ではないわ」
「え?」
「喜ぶのは育った作物に、よ」
秋は穣りの季節だ。丹精込めて育ててきた作物が穣り、収穫する。それはまさに人々にとって自らの努力が文字通り穣った結果だ。
しかし秋はもう一つ、別の側面がある。
――終焉の季節
木々の葉は老化し、紅く染まり人々に秋を知らせる。秋静葉の仕事は後者であり、妹である秋穣子の仕事が前者だ。
春の訪れを知らせるリリーホワイトと秋の訪れを知らせる静葉。そう比べると二人は似たようなものに思えるかもしれない。しかし、人々の彼女らに対する認識はまったく違う。
今朝のことだ。静葉が落葉の仕事の準備運動をしているとき、穣子は玄関にて声をかけてきた。
「お姉ちゃん、今日の収穫祭――今年最後の収穫祭も、一緒に行かないの?」
「昨日も言ったでしょ、私は落葉の仕事があるって。それに、私はお呼ばれじゃないわ」
「またそんなこと言って! 私達は二人で秋の神様でしょう、お姉ちゃんがいなきゃダメじゃない!」
「……そんなことないわ。収穫祭に呼ばれているのはあなた一人。私のことは気にしないで行ってくればいいのよ」
「お姉ちゃんを連れてきちゃダメだなんて言われてないわ!私が主役なんだから、文句は言わせない!」
「ワガママ言わないの。私は平気だから、ね?」
姉の優しい表情に何も言い返せないのか穣子は涙目になりながら、
「お姉ちゃんのバカ!」
とだけ言い、穣子は人里のほうへ飛んで行った。
穣子の気持ちは嬉しい、しかし私が行ったところで村人達はどう思うのだろうか。人も妖怪も、静葉には感謝どころか認識しているかどうか怪しい。たとえ知っている者がいたとしても、単なる紅葉の神、豊穣の神である妹の付けあえ扱いだ。
しかしそれも無理のない話だ。特に人間は、わかりやすい物をありがたがる。穣る作物と朽ちる葉を同等に扱うなんてことは無茶な話なのかもしれない。
ふと、静葉が足を止めた。
不思議に思ったリリーが静葉の視線を辿ると、そこにいたのは地面に横たわっているリスだった。
本来この時期に食糧をたくわえ、冬越えのための準備をするはずのリスがどうしてこんなところに寝そべっているのか。
不思議に思ったリリーが、リスに話しかける。
「こんな寒い日に、寝てると風邪をひ……」
言葉は途中で止まる。
そのリスは足が不自然な方向に曲がっていた。息も絶え絶えで、目は虚ろ、どう見ても死に体だ。
慌ててリリーはリスの傍に駆け寄った。
「助けないと!」
しかし差し伸べようとする手を、静葉は遮る。
「……無理よ、私達にはもうどうすることもできないわ。足が折れて、衰弱している。どうあってもこの子はここで死ぬ」
「そんな!」
泣きそうな表情のリリーとは対照的に静葉はいたって冷静だ。
静葉は何度もこんな光景を見てきた。ケガのせいか、はたまた十分な冬越えの準備をすることができず、朽ちていく動物たちを何度も。
だからこそ分かる、もうこのリスは、死ぬ。紅葉を司る程度の能力しか持たない静葉にも、そして春が来たことを伝える程度の能力しか持たないリリーホワイトにもどうすることはできない。いや、唯一できることがあるならば――
静葉はしゃがみ込んで、リスの頭に手を当てる。辺りに神気が満ち――ふっと『何か』が消えた。
静葉が手をどけると、リスは目をゆっくりと閉じ、そして微かな息も止まった。
まるで春の陽気の中で昼寝でもしているような、そんな風にリリーは思った。ただ一つ違うのは、もうこのリスは目を開けることは二度とないということだ。
静葉は手を頭上に掲げ、それを合図に風が吹き、赤黄の紅葉を舞う。雨のように降り注ぎ、それらはリスだったものを覆い隠す。
静葉は立ちあがり、瞑目する。
舞い散る紅葉の中、佇む彼女はひどく悲しそうで――美しい、とリリーは思った。
紅葉させた葉を散らすように、朽ち行く命を終焉へと導く。
それが寂しさと終焉の象徴たる神、秋静葉の役割なのだ。
「ごめんなさい」
静葉はつぶやいた。
「最後に見るのが、『寂しさと終焉の象徴(わたし)』で――ごめんなさい」
「そんなこと、ありません!」
涙目になりながらもリリーは否定する。
「あのリスさんは、最後に見たのが、静葉さんでよかったって、絶対思っていました!」
「……それは都合のいい幻想(思い込み)よ。きっとあの子も私より、春にあなたを見られたほうが幸せだったでしょう」
「いいえ、きっと感謝していたと思います、絶対に」
「……どうして?」
「だって――」
リリーは自らの思いの丈を口にする。
「あなたが、綺麗だったから」
「だから、あんなに安らかな顔をしていたじゃないですか?」
キイッという鳴き声がした。
木陰から四匹のリスが出てきたのだ。リス達は静葉の前に駆け寄ると、
――ありがとう
そんな言葉が聞こえたような気がした。
そしてリスはそのまま去って行った。
「あれは……」
「感謝、していたんですよ、仲間を、家族を看取ってくれてありがとうって」
「分かるの?」
「静葉さんも分かっているくせに」
リリーは笑って答えた。
静葉の目から一筋の涙がこぼれ出た。
そのまま抱きしめあって、二人で泣いた。
「今日のところはこれで終わりにしましょうか」
「ヘトヘトです……」
「私も足が疲れちゃった」
それから静葉はリリーと一緒に秋の景色巡りをしていた。もちろん木に蹴りを叩き込んで落葉させる仕事をやりつつだ。初めて見るらしい秋の景色に、リリーは疲れながらも満足そうな表情をしていた。
「それで、初めて体験した秋はどうだった?」
「はい!すごかったです!景色も、静葉さんも!」
「わ、私も?」
「はい!落葉のときに、たくさんの紅葉が舞っていて、その中にいる静葉さんがすごく綺麗で、見惚れちゃいました!」
「そう……」
「あれ?静葉さん、顔が赤いですが大丈夫ですか?」
「夕日のせいよ、そういうことにしてちょうだい」
気分が高揚しているからか、リリーは自分が何を言ったか深く考えていないようだ。
リリーは言葉を続けた。
「来年は、私が春の妖精の力を見せて、春の魅力をいっぱい伝えて、春こそが一番だってことを証明してみせますよ!」
「ええ、楽しみにしておくわ」
まさか、秋の神である自分が春を楽しみにするとは――おかしなことだが、それも悪くない。
「そろそろ家に帰らなくちゃ。妹も、もうすぐ帰ってくるだろうし」
秋の日は釣瓶落としという言葉の通り、すっかり日が落ち夕方になっていた。
「はい、今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、ありがとう」
もうすぐ秋は終わり、寒い冬がくる。
だが二人の憂鬱な気分はなくなっていた。
「ええ、またね」
「はい、またです!」
静葉は疲れながらも、しかし軽い足取りで帰途につく。
帰ったら妹に自慢してやろう。秋の中でも紅葉が一番だって。収穫祭なんかに呼ばれなくても、紅葉や私を褒めてくれる人がいるんだって。そうしたらきっと妹は里の作物の穣りを自慢してくるだろう。収穫祭でいっぱい信仰されたことを自慢してくるのだろう。
二人で自慢しあって、そして残り少ない秋を目一杯楽しむのだ!
そして秋が過ぎ、冬になったときの二人の様子だが。
「寒い……寒い……憂鬱だわ」
「寒い……寒い……憂鬱です」
神様も春の妖精も冬には勝てないのだった。
ところどころ、もう少し描写と構成に対する理由付けがあれば、もっと綺麗でしたのに、と思うところがありました。少し惜しいと思ったのです。