「ねえメリー、運命って信じる?」
「随分とまた唐突ね。」
時は夕方過ぎ、大学構内の誰も寄り付かない小さな教室内での話。
宇佐見蓮子は相方であるマエリベリー・ハーンに一言声をかけた。
「たまにはいいじゃない。それで、メリーはどっち?」
「そうね。どちらかと言われれば、信じてないわ。」
「それはどうして?」
マエリベリーの返しに、宇佐見は身を乗り出して更に疑問を重ねる。
その多少大げさな動作に少し驚きながらも、マエリベリーは小さく咳払いをしてから答えた。
「私の専攻忘れた?精神や感情というものは、決まった形のないものだからよ。」
「もしその精神や感情ですら、実は近い未来、数式で示されてしまうとしたら、メリーはどう思うかしら。」
「どういうこと?」
その答えに、今度はマエリベリーは少し興味を持って疑問を返す。
夕暮れに少しの赤みを反射する白いページ、宇佐見はその赤と白を混ぜ合わせるように乱雑に数式を書き並べて言った。
「メリーのいう精神や感情といったものは、いわゆる脳内の電気信号であると言いきれたとして、その電気信号をどうにかして取り出してきて計測したとする。そしてその電気信号の次の動きを計算機でちょちょいっと計算してしまえば、未来の感情予測ができてしまうんじゃないかってことよ。」
そう満足げに語る宇佐見の顔が、まるで満点のテストを褒めてほしいと親に強請る子供のようだと、マエリベリーは感じた。
「そのちょちょいってのがとんでもなく難しいんじゃないの?いえ、そもそも私には言ってることがよく分からないのだけれど。」
「簡単な例でいうと、よ。」
マエリベリーの言葉を聞いてか否か、宇佐見は話を続ける。
「高校での物理を思い出してみて。仮に空気みたいな邪魔なものの無い、完全に抵抗のない空間にボールを投げたとしたら、その軌道は美しい放物線を描いて地面に落ちる。」
「ええ、そうね。」
「それは単純な話で、完全なる世界の話だけど。今の科学力ならごく一般的な環境の中にあるボールの動きを、同じように計算で求められるの。もしメリーが今ふいにそのペンを私に向かって投げたとして、その投げる寸前のメリーの手の力、向き、私とメリーの間の空気抵抗、その他のデータさえあれば、私はそれを華麗に避けることができるってわけ。」
宇佐見は左右に体を振り、架空のペンを避ける真似をしてみせる。
そんな宇佐見の目の前でマエリベリーは頬杖をついて、手に持ったペンをしっかりと握りなおした。
「別に投げやしないわよ、ペンが傷つくじゃない。」
「ペンより私の心配してよ。」
マエリベリーの態度に宇佐見は少し不満そうな顔をしたが、すぐにまた子供のような顔で話し始める。
「でもそれって、一種の未来予測だと思わない?」
「蓮子の言うこともわかるけれど、どうしてそれが感情まで数式で表せられる、なんて話になるのかしら?」
「少し前まではね、メリー。この決定論という考え方は、量子論のような確率的な考えによって否定されてきた。でも私は思うのよ、人間の探究心を持ってすれば、いずれ量子の動きですら観測が可能なんじゃないかって。」
ここまで話を聞いてきたマエリベリーであったが、もうこの相方は止まらないのだと、諦めて本日片づけるはずであった課題を鞄へと戻し始めた。
「もうすでについていけてないわよ。もっと分かりやすく簡潔に言って。」
「科学が発展すれば次にメリーがすることが分かるようになるんじゃないかって話。」
「あら、私は蓮子の行動くらい、科学が発展しなくたって分かるわよ。」
「え、どうしてよ。」
そんな簡単なこと、とマエリベリーは言葉を続けた。
「蓮子は今、出来るだけ話を長くして、ここが閉まるまで私を引き留め、外食に向かわざるを得なくしようとしてる。」
ここまで饒舌であった宇佐見の口が、マエリベリーの一言でその動きを止めた。
宇佐見の目が何かの言い訳を続けようと上へ下へと、口元よりもよく動く。
自分ひとりじゃ絶対に怠けてしまうから、と最初休日に無理に誘ってきたのは誰だったのかとマエリベリーは内で小さく叱咤すると、何も言わぬ宇佐見へと声をかけた。
「だから蓮子の次の行動は、なんでわかったのかと私に聞いてくること。」
「何で分かったのよ。」
「科学が発展してきたからかしらね。」
「そういうの、ずるいわよ。」
このような結果が不服だと言わんばかりに、宇佐見が視線をマエリベリーから外す。
「蓮子、私、この前の駅前で見たあのお店がいいわ。」
「はー、精神学の学者様には勝てないわね。」
「相対性精神学、よ。」
「はいはい。で、そのお店に行けば付き合ってくれる?」
宇佐見が外した視線をマエリベリーに向け直す。
夕暮れの赤みと少しの期待を混ぜた瞳に、マエリベリーの呆れ顔がしっかりと映った。
「さっきの話の続きもまだだし、仕方ないから付き合ってあげるわ。」
「じゃあ決まり!そうと決まればご飯よご飯!」
余程空腹だったのか、勉強というものがそんなに退屈だったのか。
それとも、他に理由でもあったのか。
そうと決まれば、とマエリベリーが指定した店を宇佐見は端末を用いて調べながら勢いよく立ち上がり、歩き始めた。
その様子を変わらず頬杖を付きながら見つめるマエリベリーも、立ちあがると、
「課題が終わったって、ご飯くらい付き合ってあげるのにね。」
と、口の端をほんの少し、あげてみせた。
今日も終わらなかった課題が鞄の中で揺れ、長い影を作る。
また明日も付き合ってねと、少女の声が夕暮れに響いた。
「随分とまた唐突ね。」
時は夕方過ぎ、大学構内の誰も寄り付かない小さな教室内での話。
宇佐見蓮子は相方であるマエリベリー・ハーンに一言声をかけた。
「たまにはいいじゃない。それで、メリーはどっち?」
「そうね。どちらかと言われれば、信じてないわ。」
「それはどうして?」
マエリベリーの返しに、宇佐見は身を乗り出して更に疑問を重ねる。
その多少大げさな動作に少し驚きながらも、マエリベリーは小さく咳払いをしてから答えた。
「私の専攻忘れた?精神や感情というものは、決まった形のないものだからよ。」
「もしその精神や感情ですら、実は近い未来、数式で示されてしまうとしたら、メリーはどう思うかしら。」
「どういうこと?」
その答えに、今度はマエリベリーは少し興味を持って疑問を返す。
夕暮れに少しの赤みを反射する白いページ、宇佐見はその赤と白を混ぜ合わせるように乱雑に数式を書き並べて言った。
「メリーのいう精神や感情といったものは、いわゆる脳内の電気信号であると言いきれたとして、その電気信号をどうにかして取り出してきて計測したとする。そしてその電気信号の次の動きを計算機でちょちょいっと計算してしまえば、未来の感情予測ができてしまうんじゃないかってことよ。」
そう満足げに語る宇佐見の顔が、まるで満点のテストを褒めてほしいと親に強請る子供のようだと、マエリベリーは感じた。
「そのちょちょいってのがとんでもなく難しいんじゃないの?いえ、そもそも私には言ってることがよく分からないのだけれど。」
「簡単な例でいうと、よ。」
マエリベリーの言葉を聞いてか否か、宇佐見は話を続ける。
「高校での物理を思い出してみて。仮に空気みたいな邪魔なものの無い、完全に抵抗のない空間にボールを投げたとしたら、その軌道は美しい放物線を描いて地面に落ちる。」
「ええ、そうね。」
「それは単純な話で、完全なる世界の話だけど。今の科学力ならごく一般的な環境の中にあるボールの動きを、同じように計算で求められるの。もしメリーが今ふいにそのペンを私に向かって投げたとして、その投げる寸前のメリーの手の力、向き、私とメリーの間の空気抵抗、その他のデータさえあれば、私はそれを華麗に避けることができるってわけ。」
宇佐見は左右に体を振り、架空のペンを避ける真似をしてみせる。
そんな宇佐見の目の前でマエリベリーは頬杖をついて、手に持ったペンをしっかりと握りなおした。
「別に投げやしないわよ、ペンが傷つくじゃない。」
「ペンより私の心配してよ。」
マエリベリーの態度に宇佐見は少し不満そうな顔をしたが、すぐにまた子供のような顔で話し始める。
「でもそれって、一種の未来予測だと思わない?」
「蓮子の言うこともわかるけれど、どうしてそれが感情まで数式で表せられる、なんて話になるのかしら?」
「少し前まではね、メリー。この決定論という考え方は、量子論のような確率的な考えによって否定されてきた。でも私は思うのよ、人間の探究心を持ってすれば、いずれ量子の動きですら観測が可能なんじゃないかって。」
ここまで話を聞いてきたマエリベリーであったが、もうこの相方は止まらないのだと、諦めて本日片づけるはずであった課題を鞄へと戻し始めた。
「もうすでについていけてないわよ。もっと分かりやすく簡潔に言って。」
「科学が発展すれば次にメリーがすることが分かるようになるんじゃないかって話。」
「あら、私は蓮子の行動くらい、科学が発展しなくたって分かるわよ。」
「え、どうしてよ。」
そんな簡単なこと、とマエリベリーは言葉を続けた。
「蓮子は今、出来るだけ話を長くして、ここが閉まるまで私を引き留め、外食に向かわざるを得なくしようとしてる。」
ここまで饒舌であった宇佐見の口が、マエリベリーの一言でその動きを止めた。
宇佐見の目が何かの言い訳を続けようと上へ下へと、口元よりもよく動く。
自分ひとりじゃ絶対に怠けてしまうから、と最初休日に無理に誘ってきたのは誰だったのかとマエリベリーは内で小さく叱咤すると、何も言わぬ宇佐見へと声をかけた。
「だから蓮子の次の行動は、なんでわかったのかと私に聞いてくること。」
「何で分かったのよ。」
「科学が発展してきたからかしらね。」
「そういうの、ずるいわよ。」
このような結果が不服だと言わんばかりに、宇佐見が視線をマエリベリーから外す。
「蓮子、私、この前の駅前で見たあのお店がいいわ。」
「はー、精神学の学者様には勝てないわね。」
「相対性精神学、よ。」
「はいはい。で、そのお店に行けば付き合ってくれる?」
宇佐見が外した視線をマエリベリーに向け直す。
夕暮れの赤みと少しの期待を混ぜた瞳に、マエリベリーの呆れ顔がしっかりと映った。
「さっきの話の続きもまだだし、仕方ないから付き合ってあげるわ。」
「じゃあ決まり!そうと決まればご飯よご飯!」
余程空腹だったのか、勉強というものがそんなに退屈だったのか。
それとも、他に理由でもあったのか。
そうと決まれば、とマエリベリーが指定した店を宇佐見は端末を用いて調べながら勢いよく立ち上がり、歩き始めた。
その様子を変わらず頬杖を付きながら見つめるマエリベリーも、立ちあがると、
「課題が終わったって、ご飯くらい付き合ってあげるのにね。」
と、口の端をほんの少し、あげてみせた。
今日も終わらなかった課題が鞄の中で揺れ、長い影を作る。
また明日も付き合ってねと、少女の声が夕暮れに響いた。
でも理屈っぽい秘封は大好物です!
次はもっと長いものが読みたいな