窓の外に拡がるのは温もりを失った銀灰色の世界。降りしきる雪を“ぼうっ”と眺めながら、私はデスクに押し付けた燐寸を擦って火を点けた。
*
口に咥えた少し歪なかたちの紙巻きタバコに燐寸を近づけ小さく一呼吸。口元に幽かな明かりを灯し、仄暗い部屋の一隅を照らした私は用済みとなった燐寸を宙に放りました。
視界の端で“くるくる”と数回転するそれにウィンクをひとつくれれば、燐寸が青白い炎に包まれて灰すら残さず燃え尽きる。よく考えなくとも矛盾したことをしているみたいですが、何事も雰囲気というのは重要なのです。煙草を喫むのに魔力で火を点けるじゃ、風情も“へったくれ”もないとは思いません?
ちなみに今、口にしている不格好なこの紙巻き、実は私が暇潰しついでに作ったものだったりします。材料はパイプ用の“きざみ”と、書き損じた魔導書の屑紙。捨て犬よろしくパチュリー様に拾われる前は、こうやって道端に落ちているタバコの吸い差し集めて新しい煙草を作り、それを売るなどして日々の糧を得ていたものです。飲まず食わずでもお腹が空くだけで、文字通り死ぬまでは死ぬ身体じゃあないのですれけど。
過ぎ去った日々に思いを馳せながらゆったりと紫煙を吐き出し、また一吸い。数拍おいてまたひとつ、“ぷかり”と紫煙を吐き出した私は口から煙草を外し、卓上に置かれたクリスタルの容器に灰を落とし込む。そのまま咥えもせずに指に挟んだ煙草を燻らせ、部屋に紫煙が拡がりゆく様を呆けたように眺めていると、やや離れたところから小さく声が投げかけられました。
「……それ、さっさと消して頂戴」
不愉快という言葉の見本とでもいうべき声の元を辿れば、窓際の椅子に置かれた重厚な仕立ての椅子に体を埋めたパチュリー様が真新しい書籍を手に、親の仇でも見るかのような目を私と、私の吐いた煙に向けていらっしゃいました。このお方の場合だと仮に目の前で親兄弟が殺されたとて、感情を見せるどころか眉のひとつも動かさず仇に百倍返しをなさるだけのことでしょうけれど。
わあ、おっかない。3秒も睨まれれば心臓が石にでも変えられそうな眼光に(ちなみに比喩ではなく、この方ならお出来になるのです)射ぬかれた私は大げさに身震いをしてみせ、黄泉路に惑う亡霊のように“ゆらゆら”漂う紫煙へと一息、吹きかけました。吐息に押された煙は集塵機にでも吸い寄せられたように集まり凝り固まっていきます。数秒ほどして、すべての煙が頭上に集まったところで、私はそれを左の手で“ひょい”と掴み引き寄せました。
さて、これをどうしたものか。右手で煙草を、左手で渦巻く煙をもてあそび私は考えます。《清浄》の魔法でさっさと処分してもよかったのですが、それではちょいと面白くない。私は目だけを動かし、手にした煙塊とパチュリー様とを交互に見比べました。そしてふと思いつき煙草を一吸い。煙塊に新たな煙をつけ足してからそこに手を突っ込み、ある部分は撫でつけまたある部分はちぎりして輪郭を整え、さながら粘土細工を形作るように手を加えていきます。
咥えた煙草が3分の1になったくらいで、私の膝の上に猫の形(の、つもり)をした煙の細工物ができあがりました。それを“ぽい”と床に投げ出し、“ちびた”煙草を処分した私は新たな煙草に火を点けて軽く顎を“しゃくり”ました。
───ほれ、おいきなさいな。
指し示す先には、剣呑な目つきをさらに険しくする魔女の影。私にけしかけられた煙の猫───魔力仕掛けのインスタント使い魔もどき───は軽快な動きでもってそこへ向かい、そして目的地まであと数メートルのところ音もなく弾け飛んでしまいました。パチュリー様が常時、身の回りに張り巡らせる《清浄》と《護り》の魔法に引っかかったのです。予想通りの光景にこれといって感じることもなく、私は“これみよがし”の態度で紫煙をお部屋に追加してみせ、魔女の秀麗な眉間に新たな不機嫌模様が刻まれる。そんな“いや”な顔をなさらんでくださいよ、ちゃんとシールドしてるんだからいいじゃないですか。
「私の近くに部屋の空気を不浄な煙で汚染する輩が居る、それが我慢ならないと言っている」
酷い言われようですね、私ゃ産廃から生まれた新種の怪物ですか。さも悲しげに見える表情をこさえ、私は左の手で胸元を押さえました。どうやら硝子細工のごとく繊細な小悪魔のハートが、雇い主からの心ない言葉によって傷ついてしまったようです。ついでとばかりに“よよ”とわざとらしく泣き崩れたふりをして、乙女の傷心を演じてみせます。
「硝子にも毛が生えるだなんて、それなりに永く生きててはじめて知ったわ」
パチュリー様には顔面筋を微動だにもされずに言い捨てられてしまいましたが。しかし、さすがにそれは酷すぎませんか。今度は演技ではなく、私は顔をしかめずにはいられません。私とて一応は悪魔の端くれである以前に少女の端くれなんで。軽く抗議をしてみるも、魔女の冷たい表情はほんの僅かに温もることさえありませんでした。
「知ったことじゃないわね、そんなもん」
最後通告、どうしても吸いたきゃ外でなさい。しかめっ面を繕おうともせずちいさく咳を一つ、パチュリー様はこれ以上は話すこともないとばかりに手にした書籍に視線を落とされました。あらら、ちょっと“からかい”が過ぎましたか。失敗を悟った私は内心で小さく舌を出し、パチュリー様がこれ以上機嫌を損なわぬよう咥えていた煙草を急いで始末し、残りの煙草と燐寸もポッケに仕舞いました。こうやって雇い主が機嫌を悪くするかしないかの、ギリギリの範囲内で“ちょっかい”をかけて、その反応を観察するというのが最近のひそかなマイブームなのです。
───しかし今回は流石にやり過ぎたらしいので、この“おいた”もしばらくは控えるべきでしょう。魔女の堪忍袋の緒を切った迂闊者がいかなる末路を辿ったかは、童話説話をご覧になればイヤというほど判ろうもの。ある朝、目が覚めたら毒虫やらネズミやらに成り果てていた自分を発見したではたまらない。
なので、次はもう少し穏便な方法で神経を逆撫でてみることにいたします。とりあえず今日のところは、パチュリー様のお気に入りの紅茶でも淹れて機嫌を直していただきましょうか。
そうと決まれば善は急げ。私は《清浄》の術を自分にかけて、身体に残ったヤニの残り香を追い払い、私以外には使うもののないキッチンに向かいました。
*
淹れたての紅茶を読み物の邪魔にならぬよう、微かな音さえ立てずデスクに置いてもパチュリー様の不機嫌顔は変わられませんでしたが、それでも纏う雰囲気がほんの僅かに和らいだのを私は見逃しませんでした。単位としてはm(ミリ)どころかn(ナノ)レベルの違いでしかありませんので、素人が見分けるためには《実験室》に置かれているでっかい顕微鏡の親玉が必要になることでしょうが。こりゃあ暫くは大人しくしておいたが身の為のようです。
気まずさもあって、私はふたたび窓の外へと目をやりました。このモグリ医院はパチュリー様のお身体への防護として外部からの閉鎖措置がなされているので(隔壁等の物理的なものではなく、空間の位相からも断絶された《隔離》です)、当然のことながらこの『窓』も一般家庭のそれとは違い外の様子を電子的に映し出す監視装置兼用のモニターだったりします。窓の外では(よく考えればおかしな表現だ)昨日から降りしきる雪が街路を埋めつつあり、その様はさながら天上の高みにおわしますいや貴き方々が、汚濁に満ちた世界をあるべき無垢の色に染めんとしているかのようにも見えました。もしそうだとしても、焼け石どころか溶岩にスポイトで水を垂らすのと同じくらい不毛なことでありましょうが。
彼女の魂は無数の光になって、いつかどこかの星に降り注ぐのさ───此処ではない何処かの、今ではない何時かの、名も知れぬ何者が詠った一節を脳裏に浮かべた私はちょっとした思いつきを口にしてみました。
ねえパチュリー様、そろそろクリスマスですし私達も何かお祝いのパーティーをしましょうよ。
「誰がするもんですか」
阿呆らしい。手にした本の織りなす活字の世界へと意識を躍らせたまま、パチュリー様は顔を上げもせずに提案を切って捨てられました。別に全面的なYESのみを求めていたわけではないですが、もうちょっとくらいは食い付いてくだすってもいいじゃないですか。エサを頬張るリスよろしく、頬っペを“ぷくー”とふくらませていると、面倒くさそうな横目の視線が寄越されました。
「あなたはそう言うけれどね、魔女と小悪魔───息をするがごとく天に唾吐いて回ってるような奴らが何を祝おうっていうのよ」
いや、それを言われると“ぐう”の音も出ないんですけどね。私はあらぬ方へと目を逸らし、ひそかな自慢の赤毛の髪を指先で“くるくる”と絡めもてあそびました。
なんせ私ら、存在そのものがバチ当たりみたいなもんですし。
*
クリスマス───言わずと知れた、世界でも1、2を争うくらいの有名人ジーザス・某氏ご生誕の日。ひょっとしたら命日だったかもしれませんが、まあそこら辺はどうでもよろしい。どれだけお偉いお方であろうとも、顔も知らないきゃ特に思い入れがあるでもない御仁のそれなんぞに価値意義(主観的意味合いにおける)が宿るはずもなし。ましてや私、頭に『小』が付くとはいえ悪魔稼業に身をやつす身の上でございます。かのスーパースターは不倶戴天とまではいかずとも、熱い抱擁とともに“べぇぜ”のひとつもくれてやろうと思えるほどの親近感が湧くでなし。
「よく判ってんじゃないの」
身の程を弁えるのは小人物あるいは小悪魔にとってごく初歩の処世術ですから。特に私の場合、その両面を兼ね備えているので尚更です。
「なら、そんな私達がクリスマス祝うなんてのがどれだけのナンセンスかも理解できるでしょうに」
そこら辺に関しちゃ気にせんでもいいと思われますがね。海よりも深く山よりも雄大なる神様の慈悲(定番のキャッチコピーですね)は、この地この世に住まうすべての人々に惜しみなく与えられて然るべきなのですから。例えばそれは、スラムの一角に蠢く肺病もちの魔女や、いつまで経っても頭から『小』の字が抜けない“ちんけ”な小悪魔にだって適応されてもいいはず。なら、感謝なりお返しなりとして年に一度くらい祝いを捧げてもバチは当たらんでしょうさ。
自分としては結構、良いこと言ったつもりなのですが、なぜだかパチュリー様は認知症のお年寄り騙くらかして高額商品を売りつける詐欺師を目の当たりにしたような顔で私を一瞥し、右手を軽く閃かせました。病的なほどに(実際、病持ちですが)白くか細い繊指に嵌めこまれた指輪が微かに光り、空気中の浮遊分子と電子、それに霊的物質をこね合わせたスクリーンが浮かび上がります。パチュリー様は小刻みに指を動かしてそれを調整し、ここいら一帯に張り巡らせてある監視映像を映し出されました。
スクリーンの中では、この近所でご両親に街娼を強要させられている娘さんがなけなしの売上をその親御さんに奪われてたり(その数秒後、件のご両親は逆上した彼女に刺されました)、安酒を買うお金欲しさに強盗しようとして無様に返り討ちに遭ったアル中のおじさんが地べたと熱烈なる抱擁を交わしていたり(動かないところを見るに、どうも打ちどころが悪かったっぽいです)、路地裏にボロ布で包んだ赤ん坊を放り捨てた小母さんがさも清々した顔で立ち去ったり(なお赤ちゃんはお腹を空かせた野犬のディナーになってます)、溜め込みすぎた若気の滾りを抑えきれなくなったお兄さんが通りがかったお姐さんを襲ってたり(どうも美人局だったらしく、直ぐにやって来た旦那さんらしい方に身ぐるみと命を剥がされました)等々、この街の日常風景が万華鏡の如くに映しだされています。世にも汚い万華鏡があったもんですが。
今日もこの界隈は平和というか平常運転ですね。こんなゴミ溜めもしくはクソ溜めさもなきゃ掃き溜めにさえ、神様はお慈悲を恵んでくださるのです。しかもタダで。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ありがたいありがたい。
「これで?」
水甕に身体突っ込んで溺れ死んだドラ猫よろしく、“どこかのだれかさん”にお昼に食べたサンドウィッチのハムより薄っぺらい感謝の祈りを捧げていると、こちらに向けられていた視線がエセ宗教家のインチキ説法を目の当たりにしたようなものに変わりました。今日のところは慈悲も恵みも品切れなのでしょうね、季節や時期を問わずの人気商品ですから致し方なし。まあ、その内にでも新しく入荷されることでしょうさ。
彼ら彼女らがその“おこぼれ”に与れるかどうかまではさておいて。私はもてあそんでいた髪を指で弾きながら嘆息してみせます。理由までは知りませんし興味もないですが、神様の愛がもたらされる優先順位というのはどういうわけか貧乏人や要領あるいは“おつむ”の働き具合の悪いやつには回りにくかったりするのです。かつての私がそうだったように。ひょっとしたら流通の経路になにがしか問題でもあるのでしょうか。だとしたら早急に解決していただきたいもんですね。
「東洋の教えによれば、衆生に等しく救済と幸せのデリバリーをなさる神さまがいるらしいけれど」
配達予定時刻はざっと5~60億年くらいか後だそうで。あちらの神さまとやらはよっぽど気が長いか、さもなきゃ時間にルーズなお方であらせられるらしい。といいますか、お天道様が赤色巨星化してお吹っ飛びあそばされるのが、丁度それくらいじゃなかったですかね。もしや幸も辛も消えてなくなりゃ皆が等しくあれるっていうイヤミなのでは?
パチュリー様はこめかみのあたりを軽く揉み、読んでいた本───表題にはレ・ミゼラブルと書かれています───に金糸織りの栞をはさんで閉じられました。“ぱたん”と、乾いた音を響かせ閉じられた本は、みるみるうちに輪郭をぼやかせ消えてしまいます。いつもの物質転移で《書庫》に戻っていったのでしょう。
「遙かに遠く波斯の、古き時代に詩人が曰く───」
“みかど”も“こじき”も死ねば土、よく言ったもんだわ。本を“戻した”パチュリー様は、溜め息をひとつこぼして椅子に体を埋め直されました。そりゃあ、しょうがないでしょうね。相槌を打った私はわざとらく肩をすくめてみせました。
信じる者は馬鹿をみて疑う者は縛り首───これ宗教のみならず世の中の基本ですし。
*
───ふん。
誰に宛てたものか、パチュリー様が小馬鹿にするように鼻を鳴らされました。仮に私なんぞが同じことをやらかそうものなら、この上なく癇に障るであろう所作もこの方がやると実に絵になるというか、思わず見惚れてしまうくらい様になっていのが凄いところです。いつかは私も、こうした仕草が似合う立派な悪魔になりたいものです。
「なら、ますます祝う理由がない」
それでなくとも《魔女》と宗教はどこまでいっても相容れない。微かに忌々しげなものを滲ませた口調でパチュリー様は言いました。過去に何度か火炙りやら串刺しやらにされたと仰ってましたね。
「まあね。それを思えばやつらの親玉の生誕を祝う理由なんぞありゃせんわな」
少なくとも私のポケットのどこにも見当たらん。それは東洋のことわざに曰く坊主憎けりゃケサまで憎いというやつですか(ケサとやらが何なのかまでは私ゃ知りませんが)。これは相当に根深いようで。
とはいえ、そうなるとまた別の疑問も湧いてきます。それが面に出ていたのでしょうか、わずかに眉をひそめてパチュリー様が訊ねてきました。
「なにか?」
いや、大したことじゃないのですがね。それでもちょいと不思議に思ったのですよ。
前置いて私は質問を投げかけてみます。なんでパチュリー様ともあろうお方がそんなヘマをなすったのでしょう。《パチュリー・ノーレッジ》の名を戴く魔女の、様々な方面における手練手管は誰より(私の知り得る範囲における、という注釈付きで)私が存じております。吹けば飛び突けば折れたる儚いその身に、刻んだ魔道と世過ぎの術は世俗の人知遠く及ばず。巷の“ぼんくら”有象無象が無い知恵いくら寄せ集めたとて、足元どころかそこから伸びる影さえ踏むことさえかなわぬでしょうに。
「あなたも口が上手くなったものね。持ち上げ方としては中の下だけれど」
点数が辛いですねえ。で、どうしてなのでしょうね?
「簡単なことよ。追手を撒くのにそれが一番、手っ取り早い方法だったから」
まさかに自分が殺した相手が、三日で復活してのけた聖者よろしく娑婆をうろついてるだなんて夢にも思わないでしょう。パチュリー様はごく初歩の数式を諳んじるように答えてくださいましたが、私としてはやはり納得はしかねました。“ここ”に腰を落ち着ける前の肩書の始末の際にも思ったものですが、どう考えても割に合わないというか徒労とでも言うべきでは。そこまでする必要がどこにあるというのです。普通に逃げ隠れしてるだけじゃいかんのでしょうか。
「それがそうでもなくてね」
ひとつことに邁進する人の意志、あるいは指向性を持った人間の群れというものは中々どうして侮れない。それが長年に渡って“追いつ追われつ”を繰り返してきたその果てに、パチュリー様が得た結論なのだそうです。
正味の話、ピンときません。だって私みたくな小悪魔はさておいて、なぜにパチュリー様ほどのお方がそうまでして人間を恐れる必要があるのでしょうか。私が思ったことを口にすると、パチュリー様は出来の悪い教え子に手を焼く教師のような顔をなさいました。
「……なんだかんだであなたも人外、人間というものを軽く見てしまうのは仕方がない」
だからここらで釘を差しておくのだけれどね。姿勢を正し、机に肘を立てて優雅に組んだ両手の上に顎をのせてパチュリー様はおっしゃいます。人間そのものを重く見る必要はどこにもなかろうと、しかしてそれが積み上げてきた《営み》までは、決して軽んずるべきではないとかなんとか。そんなもんでしょうか。話をこじらせたくはなかったので、今度は口どころか態度にも出さず、しかし私は内心で首を傾げっぱなしでした。決してパチュリー様のお言葉を否定するわけではありませんが、それでも私には首肯すべからざるようにしか思えませんでしたので。塵芥をいくら積み上げても価値なんてもんはできますまいに。
とはいえ偉大なる《魔女》にして師たる雇い主に、いまだちんけな小悪魔風情が異論を挟むわけにもいかず、私は表向き神妙そうな風情で頷いてみせるのですが。
「納得いかない、そう言いたいのね」
いやいや、そんなことはございませんよ。パチュリー様のお言葉、この身と魂に“しか”と刻み込みました。突発性の不整脈でも患ったかのように飛び跳ねる心の臓を宥め賺せて落ち着かせ、しかつめらしい態度を装う私に向けられる視線に呆れが混じったようでした。いや、『呆れ』というのは自分に甘い表現でした。有り体に云うなら重篤の阿呆を見る目のほうが正しいのか。深い溜息を吐き、パチュリー様は言ったものです。
「隠し事くらいならいくらでもするがいいわ。ただし、つまらない嘘をつくのだけはやめておいたがいい」
“けち”なウソほど信用を貶すものはない。温度を下げた視線を添えての一言に、今度こそ観念します。はあい、心を致します。頷くちんけな悪魔に、疲れたような溜め息一つが返されました。
「結構。普段からそれくらいの素直さでいてくれれば、私もいま少し心穏やかでいられるでしょうさ」
そりゃあまことに相済みません。実り多き稲穂のごとく、私は“ぺこり”と赤毛の頭を垂らしてみせます。根っこの部分で性根がひん曲がってたりするのは『小』が付くとはいえ悪魔の本分ですので、こればかりは私にさえ如何ともしがたいのです。しかしそれはさておくにしても、最後にもう一つ疑問が湧きます。一体、どうしてパチュリー様は私めの心中をお察しになったのでしょう? 私とてそれなりの歳月を積んでおります。内心の動きを表情筋に無視させるくらいはできますが。
それを聞いたパチュリー様はつまらんことを口にしてくれるなとばかりに“しずしず”と頭を振って見せました。
「なんだかんだで付き合いも長い───深いかどうかまではさておいて、ね───あなたが私のことを理解したつもりであるように、私もあなたを理解したつもりでいる」
*
「ところで、そういうあなたとしては連中に思うところはないのかしら。身の上的に苦労したんじゃなくて?」
それはないですね。私は“すっぱり”と言い切りました。教会の人らに結構お世話になってたりしてたんで特にはなにも。むしろ感謝してるくらいです。かつての、パチュリー様に拾われる前の貧乏暮らしをしてた頃には、教会で行われるお恵みやら炊き出しやらで飢えをしのいでおりましたので。
まあ、それにしたところで正体バレてとっ捕まってたりしてたら真逆の印象を抱いて“昇天”する羽目になっていたことでしょうが。
「実利が上回るなら多少の不都合は無視できるか。変なところで合理的よね、あなた」
褒められてるのでしょうかね? どう判断して良いのか判らず黙ったまま曖昧な微笑みを浮かべてやり過ごしているとパチュリー様は続けられました。
「そんなあなたの理屈からすれば、こんなところで私らが神の子のご生誕を祝うなんて無駄としか映らないのではないかしら?」
ふむ、そうきましたか。私はゆるく握った右のこぶしを唇に当て、小首をできるだけ可愛らしく見えるように傾げて(なんと不毛な行為でありましょうや)、数秒ほどで考えをまとめました。無駄かどうかはさておいて、それでも無意味ってことはないと思われますよ。
「なぜ」
人に紛れているからですよ。その中で住み暮らすからには私らも、彼らや彼らの織りなす“あれやこれ”やらに触れる機会は“まま”ありましょう。そして人の姿を借りて生きていくからには、被った皮の些細な綻びはご法度です。つまらんボロを出さぬためには、常日頃からの“こころがけ”こそがなによりの予防策になるでしょう。彼ら彼女らの『日常風景』とやらを模倣することで、その習性なり生態なりを肌で学び取り、努めて意識の端にでも置いておくのはこれから先、私ら《人外》が《人の内》に紛れていく上での一助となってくれるのでは?
“つらつら”と語っておきながらなんですが、屁理屈どころか三段論法とさえ云えない無茶苦茶な話だなと自分でも思わずにはいられません。しかしパチュリー様は大粒の紫水晶を嵌め込んだような瞳にどこか楽しげな、強いていうなら滑稽な珍獣を見るような色をたたえて言ったものでした。
「……一理がないわけでもない、とでもしておこうかしら」
口調からすると内容に納得したというよりもむしろ、とりあえず反論だけはしてみせたという事実の方をこそパチュリー様は気に入ったのかもしれません。
「そうさな……年に一度くらい、気紛れなり厭味なりで祝ってやるのなら良いのか」
そうですとも。内輪のささやかなパーティーですが、せっかくですしなんぞプレゼントもご用意いたしますよ。どうやら食いついていただけたらしいのを察し、私はここぞとばかりにまくしたてます。そんな私が満面にこしらえた笑顔をパチュリー様は厭味っぽい視線でさっとひと撫でしました。
「だからといっても、さっきの行いを“チャラ”にするつもりは毛頭ないけれどね」
ありゃあ、やっぱりダメですか。とっておきのイタズラが不発に終わった悪童のように目を泳がせていると、パチュリー様は“にたり”と口の端を吊り上げ、不思議の国の笑い猫じみた表情を浮かべました。
「昔も今も《魔女》ってやつは執念深いもんなのよ、一人の例外もなくね」
無論、私がその例外であった記憶もつもりもない。底なし沼から響いてくるような魔女の声。おお、こわいこわい。でしたら、そんな恐ろしい《魔女》のご機嫌を少しでも良いものにしていただくために、無い知恵絞って趣向を凝らすといたしましょう。お料理なども腕によりをかけて美味しいものを作らせていただきますね。私の意気込みを聞いたパチュリー様は、しかし微塵の感銘を受けるでもなく、どこか白けたように言いました。
「まあ止めはしないから精々、頑張りなさいな」
不機嫌というわけではないですが、奥歯に物がはさまったかのような物言いは、この方には珍しい。もしかすると、なんぞご不満でもございましたか。
「そういうわけではないわよ。ただ───」
言葉を切ったパチュリー様はチェアのやわらかなクッションに体を預け、ご自分のみぞおちのあたりを人差し指で軽く突つきました。
「あなた、私が食事ができない身体なのを忘れたのかしら」
ああ、そういえばそうでしたね。ついこの間なんて、とうとう不要になった腑のものをいくつか取り出して、試験的に開発した人工臓器を移植したくらいでしたから。うっかり忘れていましたが。
*
クリスマスにパーティーを行うことを雇い主様に了承して頂いてから、しばらくの時が経ちました。
その間も相変わらずパチュリー様は分厚い本とにらめっこ、私は私でパーティーの準備と盛況を極める医院の切り盛りに“おおわらわ”といった具合で、それなりに忙しくはあっても平穏な日々はあっという間に過ぎていきました。救いを求めて聖者のもとを訪れる、道を迷いし衆生のごとくに我がモグリ医院に足を運ぶ人々を、私らは送られてきた家畜をシメる屠殺職人よろしく捌いていくのでした。
そしてやってきたクリスマスの当日。
本日最後のお客に、よく効くお薬だと偽ってふくらし粉を渡してお引取りいただいた私は医院のドアに『本日は閉店なり』の看板を掛け、早速パーティーの準備にとりかかりました。なお、ヤブとか悪党とかいった文句苦情は一切合切、受け付けません。お金もないくせにやって来て、挙句、払いはツケにしてくれとぬかすふざけた輩にゃこれくらいでいいのです。本来ならば、後腐れと面倒を避けるために毒でも盛って現世からもお引取りいただくところでしたが、生誕祭の日くらいは人死を出さんでもよかろうという、細やかな配慮をして差し上げた私めを、どなたか褒めていただきたい。
医療室等の後片付けを終えた私は普段はあまり使われていない広間に足を運び、前準備として用意されていた長机に絹のレースを被せ、そこに定番の七面鳥をはじめとした、今日という日のために前から仕込んでおいたお料理やお酒、ケーキなどを並べていきます。
手早く準備を終えた私は最後になにか忘れているものがないかの確認を済ませ、着替えのために一旦、自室へ行き、仕事着であるメイド服を脱いで“とっておき”の衣装をまといました。次いで、いつもならただの置物と化している化粧台の前に座り、普段はあまりしないお化粧やアクセサリーで身を飾り立てます。姿見で自分の姿をチェックし、全ての用意はおしまい。私は本日の『主賓』というべきお方が待っているであろう《院長室》へと向かいました。
*
《院長室》の扉を軽くノックしてから入ると、そこではごく一部を除けば普段と変わらぬ様子で大きな書籍を読み耽るパチュリー様が。その姿に一礼し、私は準備が整った旨を伝えました。
「待ちくたびれたわ」
本から顔を上げ、特に感情も見せずに言うパチュリー様も、いつもの貫頭衣ではなく豪奢なドレスに身を包んでいらっしゃいます。おそらくはサテンでしょうか。艶がのった紫の地に純白のアクセントが映える綺羅びやかなそのドレスは、素材や色合いこそ派手ですがデザイン自体は実にシックなのと、なによりも着ている方が見た目だけなら静やかな佳人ということもあり“けばけばしさ”なぞは微塵も感じさせません。むしろその出で立ちは、さながら夢の住人のような儚さをこそ印象づけるものでした。実に、よくお似合いです。
「ありがとう」
意識もせずに口をついて出た賞賛を、鼻で笑うようにしてパチュリー様は受け止められます。しかしそれも一瞬のこと、すぐに何かに気がついたように眉をひそめられました。私のドレスを指さし、
「ところで、あなたの“それ”だけど───」
お気づきになられましたか。私は小悪魔の肩書に恥じぬ、いたずらっぽい笑顔を浮かべてドレスの裾を摘んでみせました。これは、はじめてパチュリー様にお会いした時に仕立てていただいた衣装、それをドレスとして仕立て直したものですよ。
「そんなものをまだ持っていたとは……物持ちがいいこと」
呆れたようにつぶやき、パチュリー様は栞をはさんで閉じた本を仕舞って立ち上がられました。そして“しずしず”と歩んで私の前に立つと、小川に遊ぶ白魚のような動きで手を差し出されます。仄暗い部屋の中でさえ白々と光り輝くがごとき、わずかでも力を込めれば脆くはかなく消えてしまいそうなその手を、私は一礼とともに“うやうやしく”取りました。
「それじゃあ、案内してもらおうかしら」
では───こちらへどうぞ、お嬢様。
*
「よくもまあ、ここまで手間暇かけて準備をしたものね」
案内された広間を“ぐるり”と見渡したパチュリー様の感想がそれでした。広間のあちこちには煌びやかな飾り(私の手作りです)がしつらわれ、料理やお酒が載せられた長机の脇には綺麗にデコレートされたでっかいツリーだって置かれております。私の準備に抜かりなし。
感心半分、呆れ半分の賞賛を私はエレガントな微笑みでもって受けいれました。この日のために鏡の前で何度も練習した“とっておき”の笑顔も、パチュリー様相手には何の効果も見込めないのが残念ですが、それをおくびにも出さず私は小さく呪文を唱え、かねてから用意していたプレゼントの入った小箱を“喚び出し”ます。わざわざ術を使ったのは、最近になって習得した魔法のお披露目と、《魔法使いの弟子》としての習熟の度合いを師匠に報告するためでもあります。
空間を《跳んで》私の手に現れた小箱を見て、パチュリー様は満足そうに頷かれました。どうやら、及第点をいただけたようです。
「結構───では、あなたの精進へのご褒美として、私からも贈り物を」
貰ってばかりでは雇い主の立場がないしね。そう言ってパチュリー様が喚び出したのは小さな懐中時計───の形をした細工物でした。一体なんでしょうか。
「『かぎ煙草入れ』よ、中身は入ってないけどね。“次”からはこれを使いなさい」
なるほど。これはパチュリー様からのご褒美を兼ねた仕返しということですか。さっきまでパチュリー様が浮かべていたものと同種の笑みを口元に浮かべ、私はそれをおしいただきました。
基部は透明度の高いバラ色の瑪瑙、黄金の縁取りに小粒のダイヤモンドまで散りばめられたこのかぎ煙草入れ、なんでも元は貧乏軍人から身を起こしてなんやかんやの末にこの国の皇帝陛下にまで成り上がった御仁の所有物だったとかいうものだそうです。なんとも噓くさい由来があったもんだと思いましたが、口に出しては何も言いません。
代わって私からパチュリー様へ手渡されたプレゼントは金細工の栞です。精緻な彫刻に小さな宝石をいくつかあしらったこの細工物、なんと私の手ずからの作品であったりします。工作に必要な機材は“ここ”の工房にあったものを使わせていただきました。ちなみに素材が素材だけにお値段も結構なものとなったのですが、まあこれは雇い主への日頃からの感謝の気持ちの現れと、なによりご機嫌取りのための必要経費だと思えば安いもんだということにしておきましょうか。
「あなたにしては中々、“しゃれた”ものを贈ってくれたわね」
しかし悪魔に貰うクリスマスプレゼントとは、色んな意味で皮肉と厭味が利いている。栞を手になさったパチュリー様は反応に困ったような、強いていうなら苦笑いに近いものを面に浮かべました。
でも、悪くないか。口の中でつぶやくように言ってパチュリー様は栞を仕舞われ、優雅な手つきでシャンパンの満たされたグラスを取られます。私もそれに倣い、グラスを手にします。
「こうして何かを口にするのも久しぶり」
我ながらなんと酔狂なことか。失笑気味に口元をほころばせるパチュリー様のお顔は、どこか幼い童女のように無邪気なものに見えました。無論、そう見えるというだけで気のせい以外の何物でもないですが。
私達は示し合わせたような動きで一緒にシャンパングラスを掲げ、視線を交わし、小さく笑みを交わしました。
そして魔女と小悪魔、どちらともなく短く言葉を交わし合う。
*
───メリークリスマス
*
口に咥えた少し歪なかたちの紙巻きタバコに燐寸を近づけ小さく一呼吸。口元に幽かな明かりを灯し、仄暗い部屋の一隅を照らした私は用済みとなった燐寸を宙に放りました。
視界の端で“くるくる”と数回転するそれにウィンクをひとつくれれば、燐寸が青白い炎に包まれて灰すら残さず燃え尽きる。よく考えなくとも矛盾したことをしているみたいですが、何事も雰囲気というのは重要なのです。煙草を喫むのに魔力で火を点けるじゃ、風情も“へったくれ”もないとは思いません?
ちなみに今、口にしている不格好なこの紙巻き、実は私が暇潰しついでに作ったものだったりします。材料はパイプ用の“きざみ”と、書き損じた魔導書の屑紙。捨て犬よろしくパチュリー様に拾われる前は、こうやって道端に落ちているタバコの吸い差し集めて新しい煙草を作り、それを売るなどして日々の糧を得ていたものです。飲まず食わずでもお腹が空くだけで、文字通り死ぬまでは死ぬ身体じゃあないのですれけど。
過ぎ去った日々に思いを馳せながらゆったりと紫煙を吐き出し、また一吸い。数拍おいてまたひとつ、“ぷかり”と紫煙を吐き出した私は口から煙草を外し、卓上に置かれたクリスタルの容器に灰を落とし込む。そのまま咥えもせずに指に挟んだ煙草を燻らせ、部屋に紫煙が拡がりゆく様を呆けたように眺めていると、やや離れたところから小さく声が投げかけられました。
「……それ、さっさと消して頂戴」
不愉快という言葉の見本とでもいうべき声の元を辿れば、窓際の椅子に置かれた重厚な仕立ての椅子に体を埋めたパチュリー様が真新しい書籍を手に、親の仇でも見るかのような目を私と、私の吐いた煙に向けていらっしゃいました。このお方の場合だと仮に目の前で親兄弟が殺されたとて、感情を見せるどころか眉のひとつも動かさず仇に百倍返しをなさるだけのことでしょうけれど。
わあ、おっかない。3秒も睨まれれば心臓が石にでも変えられそうな眼光に(ちなみに比喩ではなく、この方ならお出来になるのです)射ぬかれた私は大げさに身震いをしてみせ、黄泉路に惑う亡霊のように“ゆらゆら”漂う紫煙へと一息、吹きかけました。吐息に押された煙は集塵機にでも吸い寄せられたように集まり凝り固まっていきます。数秒ほどして、すべての煙が頭上に集まったところで、私はそれを左の手で“ひょい”と掴み引き寄せました。
さて、これをどうしたものか。右手で煙草を、左手で渦巻く煙をもてあそび私は考えます。《清浄》の魔法でさっさと処分してもよかったのですが、それではちょいと面白くない。私は目だけを動かし、手にした煙塊とパチュリー様とを交互に見比べました。そしてふと思いつき煙草を一吸い。煙塊に新たな煙をつけ足してからそこに手を突っ込み、ある部分は撫でつけまたある部分はちぎりして輪郭を整え、さながら粘土細工を形作るように手を加えていきます。
咥えた煙草が3分の1になったくらいで、私の膝の上に猫の形(の、つもり)をした煙の細工物ができあがりました。それを“ぽい”と床に投げ出し、“ちびた”煙草を処分した私は新たな煙草に火を点けて軽く顎を“しゃくり”ました。
───ほれ、おいきなさいな。
指し示す先には、剣呑な目つきをさらに険しくする魔女の影。私にけしかけられた煙の猫───魔力仕掛けのインスタント使い魔もどき───は軽快な動きでもってそこへ向かい、そして目的地まであと数メートルのところ音もなく弾け飛んでしまいました。パチュリー様が常時、身の回りに張り巡らせる《清浄》と《護り》の魔法に引っかかったのです。予想通りの光景にこれといって感じることもなく、私は“これみよがし”の態度で紫煙をお部屋に追加してみせ、魔女の秀麗な眉間に新たな不機嫌模様が刻まれる。そんな“いや”な顔をなさらんでくださいよ、ちゃんとシールドしてるんだからいいじゃないですか。
「私の近くに部屋の空気を不浄な煙で汚染する輩が居る、それが我慢ならないと言っている」
酷い言われようですね、私ゃ産廃から生まれた新種の怪物ですか。さも悲しげに見える表情をこさえ、私は左の手で胸元を押さえました。どうやら硝子細工のごとく繊細な小悪魔のハートが、雇い主からの心ない言葉によって傷ついてしまったようです。ついでとばかりに“よよ”とわざとらしく泣き崩れたふりをして、乙女の傷心を演じてみせます。
「硝子にも毛が生えるだなんて、それなりに永く生きててはじめて知ったわ」
パチュリー様には顔面筋を微動だにもされずに言い捨てられてしまいましたが。しかし、さすがにそれは酷すぎませんか。今度は演技ではなく、私は顔をしかめずにはいられません。私とて一応は悪魔の端くれである以前に少女の端くれなんで。軽く抗議をしてみるも、魔女の冷たい表情はほんの僅かに温もることさえありませんでした。
「知ったことじゃないわね、そんなもん」
最後通告、どうしても吸いたきゃ外でなさい。しかめっ面を繕おうともせずちいさく咳を一つ、パチュリー様はこれ以上は話すこともないとばかりに手にした書籍に視線を落とされました。あらら、ちょっと“からかい”が過ぎましたか。失敗を悟った私は内心で小さく舌を出し、パチュリー様がこれ以上機嫌を損なわぬよう咥えていた煙草を急いで始末し、残りの煙草と燐寸もポッケに仕舞いました。こうやって雇い主が機嫌を悪くするかしないかの、ギリギリの範囲内で“ちょっかい”をかけて、その反応を観察するというのが最近のひそかなマイブームなのです。
───しかし今回は流石にやり過ぎたらしいので、この“おいた”もしばらくは控えるべきでしょう。魔女の堪忍袋の緒を切った迂闊者がいかなる末路を辿ったかは、童話説話をご覧になればイヤというほど判ろうもの。ある朝、目が覚めたら毒虫やらネズミやらに成り果てていた自分を発見したではたまらない。
なので、次はもう少し穏便な方法で神経を逆撫でてみることにいたします。とりあえず今日のところは、パチュリー様のお気に入りの紅茶でも淹れて機嫌を直していただきましょうか。
そうと決まれば善は急げ。私は《清浄》の術を自分にかけて、身体に残ったヤニの残り香を追い払い、私以外には使うもののないキッチンに向かいました。
*
淹れたての紅茶を読み物の邪魔にならぬよう、微かな音さえ立てずデスクに置いてもパチュリー様の不機嫌顔は変わられませんでしたが、それでも纏う雰囲気がほんの僅かに和らいだのを私は見逃しませんでした。単位としてはm(ミリ)どころかn(ナノ)レベルの違いでしかありませんので、素人が見分けるためには《実験室》に置かれているでっかい顕微鏡の親玉が必要になることでしょうが。こりゃあ暫くは大人しくしておいたが身の為のようです。
気まずさもあって、私はふたたび窓の外へと目をやりました。このモグリ医院はパチュリー様のお身体への防護として外部からの閉鎖措置がなされているので(隔壁等の物理的なものではなく、空間の位相からも断絶された《隔離》です)、当然のことながらこの『窓』も一般家庭のそれとは違い外の様子を電子的に映し出す監視装置兼用のモニターだったりします。窓の外では(よく考えればおかしな表現だ)昨日から降りしきる雪が街路を埋めつつあり、その様はさながら天上の高みにおわしますいや貴き方々が、汚濁に満ちた世界をあるべき無垢の色に染めんとしているかのようにも見えました。もしそうだとしても、焼け石どころか溶岩にスポイトで水を垂らすのと同じくらい不毛なことでありましょうが。
彼女の魂は無数の光になって、いつかどこかの星に降り注ぐのさ───此処ではない何処かの、今ではない何時かの、名も知れぬ何者が詠った一節を脳裏に浮かべた私はちょっとした思いつきを口にしてみました。
ねえパチュリー様、そろそろクリスマスですし私達も何かお祝いのパーティーをしましょうよ。
「誰がするもんですか」
阿呆らしい。手にした本の織りなす活字の世界へと意識を躍らせたまま、パチュリー様は顔を上げもせずに提案を切って捨てられました。別に全面的なYESのみを求めていたわけではないですが、もうちょっとくらいは食い付いてくだすってもいいじゃないですか。エサを頬張るリスよろしく、頬っペを“ぷくー”とふくらませていると、面倒くさそうな横目の視線が寄越されました。
「あなたはそう言うけれどね、魔女と小悪魔───息をするがごとく天に唾吐いて回ってるような奴らが何を祝おうっていうのよ」
いや、それを言われると“ぐう”の音も出ないんですけどね。私はあらぬ方へと目を逸らし、ひそかな自慢の赤毛の髪を指先で“くるくる”と絡めもてあそびました。
なんせ私ら、存在そのものがバチ当たりみたいなもんですし。
*
クリスマス───言わずと知れた、世界でも1、2を争うくらいの有名人ジーザス・某氏ご生誕の日。ひょっとしたら命日だったかもしれませんが、まあそこら辺はどうでもよろしい。どれだけお偉いお方であろうとも、顔も知らないきゃ特に思い入れがあるでもない御仁のそれなんぞに価値意義(主観的意味合いにおける)が宿るはずもなし。ましてや私、頭に『小』が付くとはいえ悪魔稼業に身をやつす身の上でございます。かのスーパースターは不倶戴天とまではいかずとも、熱い抱擁とともに“べぇぜ”のひとつもくれてやろうと思えるほどの親近感が湧くでなし。
「よく判ってんじゃないの」
身の程を弁えるのは小人物あるいは小悪魔にとってごく初歩の処世術ですから。特に私の場合、その両面を兼ね備えているので尚更です。
「なら、そんな私達がクリスマス祝うなんてのがどれだけのナンセンスかも理解できるでしょうに」
そこら辺に関しちゃ気にせんでもいいと思われますがね。海よりも深く山よりも雄大なる神様の慈悲(定番のキャッチコピーですね)は、この地この世に住まうすべての人々に惜しみなく与えられて然るべきなのですから。例えばそれは、スラムの一角に蠢く肺病もちの魔女や、いつまで経っても頭から『小』の字が抜けない“ちんけ”な小悪魔にだって適応されてもいいはず。なら、感謝なりお返しなりとして年に一度くらい祝いを捧げてもバチは当たらんでしょうさ。
自分としては結構、良いこと言ったつもりなのですが、なぜだかパチュリー様は認知症のお年寄り騙くらかして高額商品を売りつける詐欺師を目の当たりにしたような顔で私を一瞥し、右手を軽く閃かせました。病的なほどに(実際、病持ちですが)白くか細い繊指に嵌めこまれた指輪が微かに光り、空気中の浮遊分子と電子、それに霊的物質をこね合わせたスクリーンが浮かび上がります。パチュリー様は小刻みに指を動かしてそれを調整し、ここいら一帯に張り巡らせてある監視映像を映し出されました。
スクリーンの中では、この近所でご両親に街娼を強要させられている娘さんがなけなしの売上をその親御さんに奪われてたり(その数秒後、件のご両親は逆上した彼女に刺されました)、安酒を買うお金欲しさに強盗しようとして無様に返り討ちに遭ったアル中のおじさんが地べたと熱烈なる抱擁を交わしていたり(動かないところを見るに、どうも打ちどころが悪かったっぽいです)、路地裏にボロ布で包んだ赤ん坊を放り捨てた小母さんがさも清々した顔で立ち去ったり(なお赤ちゃんはお腹を空かせた野犬のディナーになってます)、溜め込みすぎた若気の滾りを抑えきれなくなったお兄さんが通りがかったお姐さんを襲ってたり(どうも美人局だったらしく、直ぐにやって来た旦那さんらしい方に身ぐるみと命を剥がされました)等々、この街の日常風景が万華鏡の如くに映しだされています。世にも汚い万華鏡があったもんですが。
今日もこの界隈は平和というか平常運転ですね。こんなゴミ溜めもしくはクソ溜めさもなきゃ掃き溜めにさえ、神様はお慈悲を恵んでくださるのです。しかもタダで。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ありがたいありがたい。
「これで?」
水甕に身体突っ込んで溺れ死んだドラ猫よろしく、“どこかのだれかさん”にお昼に食べたサンドウィッチのハムより薄っぺらい感謝の祈りを捧げていると、こちらに向けられていた視線がエセ宗教家のインチキ説法を目の当たりにしたようなものに変わりました。今日のところは慈悲も恵みも品切れなのでしょうね、季節や時期を問わずの人気商品ですから致し方なし。まあ、その内にでも新しく入荷されることでしょうさ。
彼ら彼女らがその“おこぼれ”に与れるかどうかまではさておいて。私はもてあそんでいた髪を指で弾きながら嘆息してみせます。理由までは知りませんし興味もないですが、神様の愛がもたらされる優先順位というのはどういうわけか貧乏人や要領あるいは“おつむ”の働き具合の悪いやつには回りにくかったりするのです。かつての私がそうだったように。ひょっとしたら流通の経路になにがしか問題でもあるのでしょうか。だとしたら早急に解決していただきたいもんですね。
「東洋の教えによれば、衆生に等しく救済と幸せのデリバリーをなさる神さまがいるらしいけれど」
配達予定時刻はざっと5~60億年くらいか後だそうで。あちらの神さまとやらはよっぽど気が長いか、さもなきゃ時間にルーズなお方であらせられるらしい。といいますか、お天道様が赤色巨星化してお吹っ飛びあそばされるのが、丁度それくらいじゃなかったですかね。もしや幸も辛も消えてなくなりゃ皆が等しくあれるっていうイヤミなのでは?
パチュリー様はこめかみのあたりを軽く揉み、読んでいた本───表題にはレ・ミゼラブルと書かれています───に金糸織りの栞をはさんで閉じられました。“ぱたん”と、乾いた音を響かせ閉じられた本は、みるみるうちに輪郭をぼやかせ消えてしまいます。いつもの物質転移で《書庫》に戻っていったのでしょう。
「遙かに遠く波斯の、古き時代に詩人が曰く───」
“みかど”も“こじき”も死ねば土、よく言ったもんだわ。本を“戻した”パチュリー様は、溜め息をひとつこぼして椅子に体を埋め直されました。そりゃあ、しょうがないでしょうね。相槌を打った私はわざとらく肩をすくめてみせました。
信じる者は馬鹿をみて疑う者は縛り首───これ宗教のみならず世の中の基本ですし。
*
───ふん。
誰に宛てたものか、パチュリー様が小馬鹿にするように鼻を鳴らされました。仮に私なんぞが同じことをやらかそうものなら、この上なく癇に障るであろう所作もこの方がやると実に絵になるというか、思わず見惚れてしまうくらい様になっていのが凄いところです。いつかは私も、こうした仕草が似合う立派な悪魔になりたいものです。
「なら、ますます祝う理由がない」
それでなくとも《魔女》と宗教はどこまでいっても相容れない。微かに忌々しげなものを滲ませた口調でパチュリー様は言いました。過去に何度か火炙りやら串刺しやらにされたと仰ってましたね。
「まあね。それを思えばやつらの親玉の生誕を祝う理由なんぞありゃせんわな」
少なくとも私のポケットのどこにも見当たらん。それは東洋のことわざに曰く坊主憎けりゃケサまで憎いというやつですか(ケサとやらが何なのかまでは私ゃ知りませんが)。これは相当に根深いようで。
とはいえ、そうなるとまた別の疑問も湧いてきます。それが面に出ていたのでしょうか、わずかに眉をひそめてパチュリー様が訊ねてきました。
「なにか?」
いや、大したことじゃないのですがね。それでもちょいと不思議に思ったのですよ。
前置いて私は質問を投げかけてみます。なんでパチュリー様ともあろうお方がそんなヘマをなすったのでしょう。《パチュリー・ノーレッジ》の名を戴く魔女の、様々な方面における手練手管は誰より(私の知り得る範囲における、という注釈付きで)私が存じております。吹けば飛び突けば折れたる儚いその身に、刻んだ魔道と世過ぎの術は世俗の人知遠く及ばず。巷の“ぼんくら”有象無象が無い知恵いくら寄せ集めたとて、足元どころかそこから伸びる影さえ踏むことさえかなわぬでしょうに。
「あなたも口が上手くなったものね。持ち上げ方としては中の下だけれど」
点数が辛いですねえ。で、どうしてなのでしょうね?
「簡単なことよ。追手を撒くのにそれが一番、手っ取り早い方法だったから」
まさかに自分が殺した相手が、三日で復活してのけた聖者よろしく娑婆をうろついてるだなんて夢にも思わないでしょう。パチュリー様はごく初歩の数式を諳んじるように答えてくださいましたが、私としてはやはり納得はしかねました。“ここ”に腰を落ち着ける前の肩書の始末の際にも思ったものですが、どう考えても割に合わないというか徒労とでも言うべきでは。そこまでする必要がどこにあるというのです。普通に逃げ隠れしてるだけじゃいかんのでしょうか。
「それがそうでもなくてね」
ひとつことに邁進する人の意志、あるいは指向性を持った人間の群れというものは中々どうして侮れない。それが長年に渡って“追いつ追われつ”を繰り返してきたその果てに、パチュリー様が得た結論なのだそうです。
正味の話、ピンときません。だって私みたくな小悪魔はさておいて、なぜにパチュリー様ほどのお方がそうまでして人間を恐れる必要があるのでしょうか。私が思ったことを口にすると、パチュリー様は出来の悪い教え子に手を焼く教師のような顔をなさいました。
「……なんだかんだであなたも人外、人間というものを軽く見てしまうのは仕方がない」
だからここらで釘を差しておくのだけれどね。姿勢を正し、机に肘を立てて優雅に組んだ両手の上に顎をのせてパチュリー様はおっしゃいます。人間そのものを重く見る必要はどこにもなかろうと、しかしてそれが積み上げてきた《営み》までは、決して軽んずるべきではないとかなんとか。そんなもんでしょうか。話をこじらせたくはなかったので、今度は口どころか態度にも出さず、しかし私は内心で首を傾げっぱなしでした。決してパチュリー様のお言葉を否定するわけではありませんが、それでも私には首肯すべからざるようにしか思えませんでしたので。塵芥をいくら積み上げても価値なんてもんはできますまいに。
とはいえ偉大なる《魔女》にして師たる雇い主に、いまだちんけな小悪魔風情が異論を挟むわけにもいかず、私は表向き神妙そうな風情で頷いてみせるのですが。
「納得いかない、そう言いたいのね」
いやいや、そんなことはございませんよ。パチュリー様のお言葉、この身と魂に“しか”と刻み込みました。突発性の不整脈でも患ったかのように飛び跳ねる心の臓を宥め賺せて落ち着かせ、しかつめらしい態度を装う私に向けられる視線に呆れが混じったようでした。いや、『呆れ』というのは自分に甘い表現でした。有り体に云うなら重篤の阿呆を見る目のほうが正しいのか。深い溜息を吐き、パチュリー様は言ったものです。
「隠し事くらいならいくらでもするがいいわ。ただし、つまらない嘘をつくのだけはやめておいたがいい」
“けち”なウソほど信用を貶すものはない。温度を下げた視線を添えての一言に、今度こそ観念します。はあい、心を致します。頷くちんけな悪魔に、疲れたような溜め息一つが返されました。
「結構。普段からそれくらいの素直さでいてくれれば、私もいま少し心穏やかでいられるでしょうさ」
そりゃあまことに相済みません。実り多き稲穂のごとく、私は“ぺこり”と赤毛の頭を垂らしてみせます。根っこの部分で性根がひん曲がってたりするのは『小』が付くとはいえ悪魔の本分ですので、こればかりは私にさえ如何ともしがたいのです。しかしそれはさておくにしても、最後にもう一つ疑問が湧きます。一体、どうしてパチュリー様は私めの心中をお察しになったのでしょう? 私とてそれなりの歳月を積んでおります。内心の動きを表情筋に無視させるくらいはできますが。
それを聞いたパチュリー様はつまらんことを口にしてくれるなとばかりに“しずしず”と頭を振って見せました。
「なんだかんだで付き合いも長い───深いかどうかまではさておいて、ね───あなたが私のことを理解したつもりであるように、私もあなたを理解したつもりでいる」
*
「ところで、そういうあなたとしては連中に思うところはないのかしら。身の上的に苦労したんじゃなくて?」
それはないですね。私は“すっぱり”と言い切りました。教会の人らに結構お世話になってたりしてたんで特にはなにも。むしろ感謝してるくらいです。かつての、パチュリー様に拾われる前の貧乏暮らしをしてた頃には、教会で行われるお恵みやら炊き出しやらで飢えをしのいでおりましたので。
まあ、それにしたところで正体バレてとっ捕まってたりしてたら真逆の印象を抱いて“昇天”する羽目になっていたことでしょうが。
「実利が上回るなら多少の不都合は無視できるか。変なところで合理的よね、あなた」
褒められてるのでしょうかね? どう判断して良いのか判らず黙ったまま曖昧な微笑みを浮かべてやり過ごしているとパチュリー様は続けられました。
「そんなあなたの理屈からすれば、こんなところで私らが神の子のご生誕を祝うなんて無駄としか映らないのではないかしら?」
ふむ、そうきましたか。私はゆるく握った右のこぶしを唇に当て、小首をできるだけ可愛らしく見えるように傾げて(なんと不毛な行為でありましょうや)、数秒ほどで考えをまとめました。無駄かどうかはさておいて、それでも無意味ってことはないと思われますよ。
「なぜ」
人に紛れているからですよ。その中で住み暮らすからには私らも、彼らや彼らの織りなす“あれやこれ”やらに触れる機会は“まま”ありましょう。そして人の姿を借りて生きていくからには、被った皮の些細な綻びはご法度です。つまらんボロを出さぬためには、常日頃からの“こころがけ”こそがなによりの予防策になるでしょう。彼ら彼女らの『日常風景』とやらを模倣することで、その習性なり生態なりを肌で学び取り、努めて意識の端にでも置いておくのはこれから先、私ら《人外》が《人の内》に紛れていく上での一助となってくれるのでは?
“つらつら”と語っておきながらなんですが、屁理屈どころか三段論法とさえ云えない無茶苦茶な話だなと自分でも思わずにはいられません。しかしパチュリー様は大粒の紫水晶を嵌め込んだような瞳にどこか楽しげな、強いていうなら滑稽な珍獣を見るような色をたたえて言ったものでした。
「……一理がないわけでもない、とでもしておこうかしら」
口調からすると内容に納得したというよりもむしろ、とりあえず反論だけはしてみせたという事実の方をこそパチュリー様は気に入ったのかもしれません。
「そうさな……年に一度くらい、気紛れなり厭味なりで祝ってやるのなら良いのか」
そうですとも。内輪のささやかなパーティーですが、せっかくですしなんぞプレゼントもご用意いたしますよ。どうやら食いついていただけたらしいのを察し、私はここぞとばかりにまくしたてます。そんな私が満面にこしらえた笑顔をパチュリー様は厭味っぽい視線でさっとひと撫でしました。
「だからといっても、さっきの行いを“チャラ”にするつもりは毛頭ないけれどね」
ありゃあ、やっぱりダメですか。とっておきのイタズラが不発に終わった悪童のように目を泳がせていると、パチュリー様は“にたり”と口の端を吊り上げ、不思議の国の笑い猫じみた表情を浮かべました。
「昔も今も《魔女》ってやつは執念深いもんなのよ、一人の例外もなくね」
無論、私がその例外であった記憶もつもりもない。底なし沼から響いてくるような魔女の声。おお、こわいこわい。でしたら、そんな恐ろしい《魔女》のご機嫌を少しでも良いものにしていただくために、無い知恵絞って趣向を凝らすといたしましょう。お料理なども腕によりをかけて美味しいものを作らせていただきますね。私の意気込みを聞いたパチュリー様は、しかし微塵の感銘を受けるでもなく、どこか白けたように言いました。
「まあ止めはしないから精々、頑張りなさいな」
不機嫌というわけではないですが、奥歯に物がはさまったかのような物言いは、この方には珍しい。もしかすると、なんぞご不満でもございましたか。
「そういうわけではないわよ。ただ───」
言葉を切ったパチュリー様はチェアのやわらかなクッションに体を預け、ご自分のみぞおちのあたりを人差し指で軽く突つきました。
「あなた、私が食事ができない身体なのを忘れたのかしら」
ああ、そういえばそうでしたね。ついこの間なんて、とうとう不要になった腑のものをいくつか取り出して、試験的に開発した人工臓器を移植したくらいでしたから。うっかり忘れていましたが。
*
クリスマスにパーティーを行うことを雇い主様に了承して頂いてから、しばらくの時が経ちました。
その間も相変わらずパチュリー様は分厚い本とにらめっこ、私は私でパーティーの準備と盛況を極める医院の切り盛りに“おおわらわ”といった具合で、それなりに忙しくはあっても平穏な日々はあっという間に過ぎていきました。救いを求めて聖者のもとを訪れる、道を迷いし衆生のごとくに我がモグリ医院に足を運ぶ人々を、私らは送られてきた家畜をシメる屠殺職人よろしく捌いていくのでした。
そしてやってきたクリスマスの当日。
本日最後のお客に、よく効くお薬だと偽ってふくらし粉を渡してお引取りいただいた私は医院のドアに『本日は閉店なり』の看板を掛け、早速パーティーの準備にとりかかりました。なお、ヤブとか悪党とかいった文句苦情は一切合切、受け付けません。お金もないくせにやって来て、挙句、払いはツケにしてくれとぬかすふざけた輩にゃこれくらいでいいのです。本来ならば、後腐れと面倒を避けるために毒でも盛って現世からもお引取りいただくところでしたが、生誕祭の日くらいは人死を出さんでもよかろうという、細やかな配慮をして差し上げた私めを、どなたか褒めていただきたい。
医療室等の後片付けを終えた私は普段はあまり使われていない広間に足を運び、前準備として用意されていた長机に絹のレースを被せ、そこに定番の七面鳥をはじめとした、今日という日のために前から仕込んでおいたお料理やお酒、ケーキなどを並べていきます。
手早く準備を終えた私は最後になにか忘れているものがないかの確認を済ませ、着替えのために一旦、自室へ行き、仕事着であるメイド服を脱いで“とっておき”の衣装をまといました。次いで、いつもならただの置物と化している化粧台の前に座り、普段はあまりしないお化粧やアクセサリーで身を飾り立てます。姿見で自分の姿をチェックし、全ての用意はおしまい。私は本日の『主賓』というべきお方が待っているであろう《院長室》へと向かいました。
*
《院長室》の扉を軽くノックしてから入ると、そこではごく一部を除けば普段と変わらぬ様子で大きな書籍を読み耽るパチュリー様が。その姿に一礼し、私は準備が整った旨を伝えました。
「待ちくたびれたわ」
本から顔を上げ、特に感情も見せずに言うパチュリー様も、いつもの貫頭衣ではなく豪奢なドレスに身を包んでいらっしゃいます。おそらくはサテンでしょうか。艶がのった紫の地に純白のアクセントが映える綺羅びやかなそのドレスは、素材や色合いこそ派手ですがデザイン自体は実にシックなのと、なによりも着ている方が見た目だけなら静やかな佳人ということもあり“けばけばしさ”なぞは微塵も感じさせません。むしろその出で立ちは、さながら夢の住人のような儚さをこそ印象づけるものでした。実に、よくお似合いです。
「ありがとう」
意識もせずに口をついて出た賞賛を、鼻で笑うようにしてパチュリー様は受け止められます。しかしそれも一瞬のこと、すぐに何かに気がついたように眉をひそめられました。私のドレスを指さし、
「ところで、あなたの“それ”だけど───」
お気づきになられましたか。私は小悪魔の肩書に恥じぬ、いたずらっぽい笑顔を浮かべてドレスの裾を摘んでみせました。これは、はじめてパチュリー様にお会いした時に仕立てていただいた衣装、それをドレスとして仕立て直したものですよ。
「そんなものをまだ持っていたとは……物持ちがいいこと」
呆れたようにつぶやき、パチュリー様は栞をはさんで閉じた本を仕舞って立ち上がられました。そして“しずしず”と歩んで私の前に立つと、小川に遊ぶ白魚のような動きで手を差し出されます。仄暗い部屋の中でさえ白々と光り輝くがごとき、わずかでも力を込めれば脆くはかなく消えてしまいそうなその手を、私は一礼とともに“うやうやしく”取りました。
「それじゃあ、案内してもらおうかしら」
では───こちらへどうぞ、お嬢様。
*
「よくもまあ、ここまで手間暇かけて準備をしたものね」
案内された広間を“ぐるり”と見渡したパチュリー様の感想がそれでした。広間のあちこちには煌びやかな飾り(私の手作りです)がしつらわれ、料理やお酒が載せられた長机の脇には綺麗にデコレートされたでっかいツリーだって置かれております。私の準備に抜かりなし。
感心半分、呆れ半分の賞賛を私はエレガントな微笑みでもって受けいれました。この日のために鏡の前で何度も練習した“とっておき”の笑顔も、パチュリー様相手には何の効果も見込めないのが残念ですが、それをおくびにも出さず私は小さく呪文を唱え、かねてから用意していたプレゼントの入った小箱を“喚び出し”ます。わざわざ術を使ったのは、最近になって習得した魔法のお披露目と、《魔法使いの弟子》としての習熟の度合いを師匠に報告するためでもあります。
空間を《跳んで》私の手に現れた小箱を見て、パチュリー様は満足そうに頷かれました。どうやら、及第点をいただけたようです。
「結構───では、あなたの精進へのご褒美として、私からも贈り物を」
貰ってばかりでは雇い主の立場がないしね。そう言ってパチュリー様が喚び出したのは小さな懐中時計───の形をした細工物でした。一体なんでしょうか。
「『かぎ煙草入れ』よ、中身は入ってないけどね。“次”からはこれを使いなさい」
なるほど。これはパチュリー様からのご褒美を兼ねた仕返しということですか。さっきまでパチュリー様が浮かべていたものと同種の笑みを口元に浮かべ、私はそれをおしいただきました。
基部は透明度の高いバラ色の瑪瑙、黄金の縁取りに小粒のダイヤモンドまで散りばめられたこのかぎ煙草入れ、なんでも元は貧乏軍人から身を起こしてなんやかんやの末にこの国の皇帝陛下にまで成り上がった御仁の所有物だったとかいうものだそうです。なんとも噓くさい由来があったもんだと思いましたが、口に出しては何も言いません。
代わって私からパチュリー様へ手渡されたプレゼントは金細工の栞です。精緻な彫刻に小さな宝石をいくつかあしらったこの細工物、なんと私の手ずからの作品であったりします。工作に必要な機材は“ここ”の工房にあったものを使わせていただきました。ちなみに素材が素材だけにお値段も結構なものとなったのですが、まあこれは雇い主への日頃からの感謝の気持ちの現れと、なによりご機嫌取りのための必要経費だと思えば安いもんだということにしておきましょうか。
「あなたにしては中々、“しゃれた”ものを贈ってくれたわね」
しかし悪魔に貰うクリスマスプレゼントとは、色んな意味で皮肉と厭味が利いている。栞を手になさったパチュリー様は反応に困ったような、強いていうなら苦笑いに近いものを面に浮かべました。
でも、悪くないか。口の中でつぶやくように言ってパチュリー様は栞を仕舞われ、優雅な手つきでシャンパンの満たされたグラスを取られます。私もそれに倣い、グラスを手にします。
「こうして何かを口にするのも久しぶり」
我ながらなんと酔狂なことか。失笑気味に口元をほころばせるパチュリー様のお顔は、どこか幼い童女のように無邪気なものに見えました。無論、そう見えるというだけで気のせい以外の何物でもないですが。
私達は示し合わせたような動きで一緒にシャンパングラスを掲げ、視線を交わし、小さく笑みを交わしました。
そして魔女と小悪魔、どちらともなく短く言葉を交わし合う。
*
───メリークリスマス
いよいよもって書くがよい
相変わらずの小ネタとブラックなやりとりが面白かったです。
後書きの人物紹介が地味に楽しみだったりw
が、がーるずとーく? 初めて目を通したけど結構隙の無い書き方するのね、
細部まで造り込んで煮詰めた作品でした。言い回しひとつひとつが凝っていて、退廃的で不道徳な雰囲気に引き込まれます。
正直なところ内容も書き方も万人受けするようなものではありませんが
それでも最後まで読みたくなる、クセになる作品であると感じました
全部の存在も全部の道徳も守る力なんてないし、自然になんらかの友愛を道徳を選ぶことになる
全てを選べないし全てを選ばないことも多分出来ない
だからこの二人はやっぱり人間臭い
でもまあやはり身体は妖怪だから妖怪なんだろうね 男女や大人と子供の差も凄いんだから
選んだ時選ばなかったものは選ぶことが出来ない
その当たり前過ぎる現実があることだけは事実だわ
個人的には東方を知り出した時の彼女らのイメージはこんなのだったけど今はなんつーかキツイな