幻想郷は春を迎えていた。長かった冬も終わり、雪は溶け、草木が芽生え始めていた。
地上では人間だけでなく妖精が活気づいていた。自然の象徴たる妖精は春になると一斉に活動を始めるのだ。
私はそんな春の明るい日差しのなか、幻想郷上空をふらふらと飛んでいた。
ふらふらと、と言っても無意識ではない。今日はちゃんと目的がある。
(あ、あそこがよさそうね)
少し開けた丘のようなところに着地する。そこは美しい花たちが咲き誇る花畑のような場所だった。
春の暖かい風に揺られると、花の甘い香りがふわっと広がる。様々な種類の花が思い思いに自生していた。
どの花も独特な色と形をしている。妖怪や人間の顔が一人ずつ違うように、花にもいろいろな種類があった。
花びらが細かく何十、何百とついているもの。鮮やかな赤色のもの。薄暗い紫色のもの。私の好きなバラの花も咲いていた。
(一番綺麗な色のものにしよう)
花を踏まないように浮きながら理想の花を探していく。たまに綺麗な花を見つけると、近づいてよく観察した。
バラやチューリップなど私でも名前が分かる花もあれば、よく知らない花もあった。でも、例え名前が分からなくても、その花を美しいとは思える。
それは色も同じだった。花の色は赤や青といった単純な言葉では言い表せないものもある。
それはまるで、他の花との区別を図って個性を出すために、自ら色を作り出したかのようだ。
(どうせなら、言葉で言い表せない色を探そう)
それは、まだ人間が見つけたことのない色かもしれない。仮にそうならば、私がその色に名前を付けてあげよう。
誰も見たことがないような色を作り出した花は、きっとどの花よりも個性的で、異端で、だからこそどの花よりも美しい。
その花は、よく目を凝らしていなければ見逃してしまいそうな、小さな花だった。他の背の高い花に隠れ、陰の中にひっそりと咲いていた。
花びらは直径三センチほどしかない。高さも二十センチ程度だ。花の色は紫のようなピンクのような不思議な色をしている。
花びらの奥の方はより濃い紫で、黒ずんでいるようにも見える。その色は手前にいくほど明るい紫色になり、先の方はピンクに近い色だ。
(これが一番綺麗だ)
私はその花を少し摘んでいくことにした。持ってきていたバスケットに、名前も分からない花を摘んで入れていく。
その花は他の花と比べて極端に数が少なく、バスケットの底が埋まる程度しか摘み取れなかった。
(これじゃあ花束は作れないなあ……)
しかし、花畑をぐるぐる回ってみても同じ花は咲いていなかった。もしかしたらこの花は希少種で、これから絶滅していくのかもしれない。
そう考えると、少し悪いことをしたかもしれない。
「あなた、そこで何をしているの?」
「えっ?」
びっくりして声の聞こえた方を振り返ると、白いシャツに赤いベストとスカートのお姉さんが立っていた。髪は緑色。その手には閉じられた日傘を持っている。
お姉さんは顔に少し笑みを浮かべていた。でもそれは可笑しいことがあるからという感じではなく、むしろ余裕を見せつけているような笑顔だった。強い妖怪なのかもしれない。
「お花を摘んでいたの」
「自然は大切にしないとダメよ」
「ごめんなさい。とても綺麗だったから。お姉さん、このお花畑の管理者ですか?」
「いいえ。私は花とともに暮らす妖怪よ。あなたは……何だか変な妖怪ね」
「失礼ですね。私は元さとり妖怪です。もう今は心が読めませんが」
私の言葉を聞いたお姉さんは少し驚いた様子で、私の胸元にある閉じたサードアイを見つめた。それから妙に納得した顔をしてまた余裕の笑顔に戻った。
「誰かに贈るのかしら」
「はい。お姉ちゃんに」
「どうしてその花を選んだのかしら」
「色が綺麗だったから」
「そう……」
ふう、と溜息のようなものをついてお姉さんは目を閉じた。それから目を開けると、私のバスケットを覗き込み、優しい口調で言った。
「花も一生懸命生きているの。それ以上は摘まないであげて」
「分かりました。これだけにしときます」
閉じていた日傘を開き、私に背を向けてお姉さんはゆっくりと歩いていった。戦いを挑まれるのかと思っていた私は少し拍子抜けした。
本当に強い妖怪は、大概ああいう風に余裕ぶるのだ。圧倒的実力差があるということを、強い妖気によってではなく、笑みによって示す。
だから、戦わずに済んだのはむしろ幸運だったかもしれない。やられてしまったら、この花も持って帰れなかっただろうし。
バスケットには、数えきれる程度の花しかなかったが、それでも十分だった。花瓶に挿すくらいはできるだろう。
私はバスケットに布をかぶせ、地底に向かって花畑を飛び立った。日傘のお姉さんは、まだ花畑の中をゆっくりと歩いていた。
書斎から自室に戻ると、見慣れない花瓶が置いてあった。そして机の上には白い封筒。近づいて見てみると「お姉ちゃんへ」という文字が書いてあった。
こいしはいつの間に帰ってきたのだろう。しかも手紙を書くだなんて珍しい。何百年ぶりだろうか。
しかし、こいしが無事に地霊殿に帰ってきていることに、私はとても安心した。最近はよく地上に遊びに行っているようで、昔より行動を把握しにくくなったから。
花瓶には紫のようなピンクのような、不思議な色の花が活けてあった。それは、ちょうど私の髪の毛の色に近かった。
封筒はやや膨らんでいて、中の便箋の重さを感じられた。裏には小さな丸い文字で「こいしより」と書かれていた。
(手紙を書くなんて、一体どんな気まぐれなんでしょうね)
ゆっくり、とても丁寧に封を切っていく。こいしからの手紙なんて、もう二度ともらえないかもしれない。読み終わったら大事に保管しないと。
便箋は全部で五枚だった。封筒を机に置き、折り曲げられた五枚の便箋をゆっくり開いた。
どんなことが書かれているのか、想像して私は胸を膨らませた。もう読めなくなってしまったこいしの心は、一体何を思い、考えているのか。
手が少しだけ震えていた。一旦目を閉じ、深く呼吸を繰り返した。
一枚目から、便箋をゆっくりと読み始める。
お姉ちゃんへ
お誕生日おめでとう。と言っても、私も同じ誕生日なんだけどね。
でも、もうさとり妖怪じゃなくなった私はお姉ちゃんと同じ誕生日とは言えないかもね。
私が最後に手紙を書いた日をお姉ちゃんは覚えてるかな? あれは、私が目を閉じちゃった次の日だったよ。
あの時は、ずっと謝り続けていたような気がするね。お姉ちゃんごめん。お姉ちゃんごめんって。
まさか、まだその手紙を持っているなんてことはないよね? まあいいや。
あの頃から私の気持ちは変わってないよ。今でも、お姉ちゃんに謝りたい。
ごめんなさい。
あの時お姉ちゃん、「どうして謝るの」って言ってたよね。今でも分からないでいるのかな?
私が目を閉じる直前だったら、心が読めたのにね。
もしかしたら今も分かってないかもしれないから、ここに書いてみるよ。
私のこの気持ちは、全て私が目を閉じてしまったことに由来してるわ。
さとり妖怪としてお姉ちゃんと一緒に生まれたのに、私は心が読めることに耐えられなかった。
こんな目、閉じてしまいたいと思った。でも、サードアイを閉じることは、さとり妖怪にとって死んだも同然。
私はさとり妖怪として、お姉ちゃんと同じ種族として、生きていたかった。でも、私はお姉ちゃんみたいに強くなかった。
心が読めることでみんなに嫌われて、虐げられて、みんなの声がどんどん頭に入ってきて。
嫌われることがさとり妖怪の宿命。それは分かってたよ。
だからこそ、私はお姉ちゃんに悪いことをしたって思った。
一緒に生まれたのに、さとり妖怪の宿命を全部お姉ちゃんに押し付けて、私だけ楽になってしまった。
このことを、私はずっと悔やんでるの。
ごめんなさい。
私だけ楽になってごめんなさい。
この気持ちはあの時からずっと忘れてないよ。
話が逸れたね。いや、逸れてはないのかな。まあいいや。
今日はお姉ちゃんの誕生日。だから私は地上に行ってお花を摘んできたの。
花瓶に活けておくから。水をこまめに変えると一週間くらいは枯れないかも。
お姉ちゃんは昔からお花が好きだよね。だからお花にしたんだけど、私お姉ちゃんの好きな色を知らなかったの。
かと言って、自分の好きな色にするのもどうかなと思ったの。この花の色はね、私が一番綺麗だと思った色。
濃い紫と、薄い紫と、ピンク色が入ってる。まるでお姉ちゃんの髪の色みたいでしょ。
この花はね、広いお花畑の中で本当に少ししか咲いてなかったの。それも、他の花の陰に隠れて、ひっそりとしていた。
決して目立ってなかった。でも、私はこの花を見つけられた。なんでだろうね。
この花は、お姉ちゃんにそっくりなんだと思った。色はもちろんだけど、隠れてひっそりとしているところもね。
私はずっとさとり妖怪を続けているお姉ちゃんを、誇りに思ってるよ。
みんなから避けられ、嫌われ、地底に追いやられても、お姉ちゃんはさとり妖怪を辞めなかった。
どうしてそこまでしてさとり妖怪を続けるのか、私には分からなかった。
でも、今ならお姉ちゃんの気持ちが少し分かる気がする。
お姉ちゃんは、お花畑の隅っこで、陰に隠れて咲いてる花みたい。
目立たなくてもとっても綺麗だよ。
私の分まで「さとり妖怪」を背負ってくれてありがとう。
お誕生日おめでとう。お姉ちゃんが生まれた日を心から祝うわ。
それから、ずっと私のお姉ちゃんでいてくれてありがとう。
お姉ちゃんの妹 こいしより
追伸
もしもう一度生まれ変われるのなら、私は……
そこで文章は途切れていた。最後は何と書こうとしたのだろう。
私はその手紙を何度も何度も読み返した。手垢が付くのもお構いなしに、何度も何度も。
そしてふと顔を上げて、花瓶に活けられた花を見つめる。
こいしがお花畑で見つけてきた、私の髪にそっくりな色の小さな花。
(これが、こいしにとっての私なのね)
花に対しての愛おしさが心の奥から込み上げてくる。広い広いお花畑から、こいしが見つけてくれたお花。
花を見ているだけでたまらなく嬉しかった。思わず涙がこぼれそうになり、咄嗟に上を向いた。
せっかくのこいしからの手紙を、涙で濡らすわけにはいかない。私は五枚の便箋を再び折って封筒に入れ、鍵付きの机の引き出しにしまった。
頭の中ではこいしの文章が延々と流れていた。一つ一つの言葉が、こいしの声を伴って頭の中を流れ続けた。
身体が小刻みに震えていた。胸の内から次々と溢れ出す気持ちが、収まりきらずに身体をも動かしていた。
今まで生きてきて、これほど「さとり妖怪でよかった」と思えたことはないだろう。
「私もこいしのことをずっと想っていますよ」
驚くほど自然に口をついた言葉は、部屋の静かな空気の中に溶けていった。
(どこまで遊びに行っても、私はこいしの帰りを待ってますよ)
私も手紙を書こうか。こいしの部屋に置いておけば読んでもらえるだろうか。
うっとうしいと思うだろうか。過保護と思うだろうか。
今までずっと距離を置いてきたせいで、唐突に近づいていくことに私は一種の恐怖を感じていた。
私って臆病ね。いつからこんな風になってしまったのかしら。
筆と便箋を用意した。返事が来なくてもいい。読まれなくてもいい。
ただ、私はこいしを心配しているということを、あの子に伝えたいと思った。
こいし宛ての手紙を書くのは初めてだ。どんな風に書けばいい? 普段通り、話をするときのような口調で?
何度か書き進め、その度に私は便箋を無駄にした。文章を書くとなった途端、身構えてしまって、伝えたいことがまとまらなかった。
結局最後は、便箋一枚に、たった三行だけの手紙になった。
こいしへ
お姉ちゃんも、こいしのことを誇りに思います。
いつでも帰ってきてください。こいしの帰りをいつでも待ってます。
そして、いつまでも私の妹でいてください。
あなたの姉 さとりより
地上では人間だけでなく妖精が活気づいていた。自然の象徴たる妖精は春になると一斉に活動を始めるのだ。
私はそんな春の明るい日差しのなか、幻想郷上空をふらふらと飛んでいた。
ふらふらと、と言っても無意識ではない。今日はちゃんと目的がある。
(あ、あそこがよさそうね)
少し開けた丘のようなところに着地する。そこは美しい花たちが咲き誇る花畑のような場所だった。
春の暖かい風に揺られると、花の甘い香りがふわっと広がる。様々な種類の花が思い思いに自生していた。
どの花も独特な色と形をしている。妖怪や人間の顔が一人ずつ違うように、花にもいろいろな種類があった。
花びらが細かく何十、何百とついているもの。鮮やかな赤色のもの。薄暗い紫色のもの。私の好きなバラの花も咲いていた。
(一番綺麗な色のものにしよう)
花を踏まないように浮きながら理想の花を探していく。たまに綺麗な花を見つけると、近づいてよく観察した。
バラやチューリップなど私でも名前が分かる花もあれば、よく知らない花もあった。でも、例え名前が分からなくても、その花を美しいとは思える。
それは色も同じだった。花の色は赤や青といった単純な言葉では言い表せないものもある。
それはまるで、他の花との区別を図って個性を出すために、自ら色を作り出したかのようだ。
(どうせなら、言葉で言い表せない色を探そう)
それは、まだ人間が見つけたことのない色かもしれない。仮にそうならば、私がその色に名前を付けてあげよう。
誰も見たことがないような色を作り出した花は、きっとどの花よりも個性的で、異端で、だからこそどの花よりも美しい。
その花は、よく目を凝らしていなければ見逃してしまいそうな、小さな花だった。他の背の高い花に隠れ、陰の中にひっそりと咲いていた。
花びらは直径三センチほどしかない。高さも二十センチ程度だ。花の色は紫のようなピンクのような不思議な色をしている。
花びらの奥の方はより濃い紫で、黒ずんでいるようにも見える。その色は手前にいくほど明るい紫色になり、先の方はピンクに近い色だ。
(これが一番綺麗だ)
私はその花を少し摘んでいくことにした。持ってきていたバスケットに、名前も分からない花を摘んで入れていく。
その花は他の花と比べて極端に数が少なく、バスケットの底が埋まる程度しか摘み取れなかった。
(これじゃあ花束は作れないなあ……)
しかし、花畑をぐるぐる回ってみても同じ花は咲いていなかった。もしかしたらこの花は希少種で、これから絶滅していくのかもしれない。
そう考えると、少し悪いことをしたかもしれない。
「あなた、そこで何をしているの?」
「えっ?」
びっくりして声の聞こえた方を振り返ると、白いシャツに赤いベストとスカートのお姉さんが立っていた。髪は緑色。その手には閉じられた日傘を持っている。
お姉さんは顔に少し笑みを浮かべていた。でもそれは可笑しいことがあるからという感じではなく、むしろ余裕を見せつけているような笑顔だった。強い妖怪なのかもしれない。
「お花を摘んでいたの」
「自然は大切にしないとダメよ」
「ごめんなさい。とても綺麗だったから。お姉さん、このお花畑の管理者ですか?」
「いいえ。私は花とともに暮らす妖怪よ。あなたは……何だか変な妖怪ね」
「失礼ですね。私は元さとり妖怪です。もう今は心が読めませんが」
私の言葉を聞いたお姉さんは少し驚いた様子で、私の胸元にある閉じたサードアイを見つめた。それから妙に納得した顔をしてまた余裕の笑顔に戻った。
「誰かに贈るのかしら」
「はい。お姉ちゃんに」
「どうしてその花を選んだのかしら」
「色が綺麗だったから」
「そう……」
ふう、と溜息のようなものをついてお姉さんは目を閉じた。それから目を開けると、私のバスケットを覗き込み、優しい口調で言った。
「花も一生懸命生きているの。それ以上は摘まないであげて」
「分かりました。これだけにしときます」
閉じていた日傘を開き、私に背を向けてお姉さんはゆっくりと歩いていった。戦いを挑まれるのかと思っていた私は少し拍子抜けした。
本当に強い妖怪は、大概ああいう風に余裕ぶるのだ。圧倒的実力差があるということを、強い妖気によってではなく、笑みによって示す。
だから、戦わずに済んだのはむしろ幸運だったかもしれない。やられてしまったら、この花も持って帰れなかっただろうし。
バスケットには、数えきれる程度の花しかなかったが、それでも十分だった。花瓶に挿すくらいはできるだろう。
私はバスケットに布をかぶせ、地底に向かって花畑を飛び立った。日傘のお姉さんは、まだ花畑の中をゆっくりと歩いていた。
書斎から自室に戻ると、見慣れない花瓶が置いてあった。そして机の上には白い封筒。近づいて見てみると「お姉ちゃんへ」という文字が書いてあった。
こいしはいつの間に帰ってきたのだろう。しかも手紙を書くだなんて珍しい。何百年ぶりだろうか。
しかし、こいしが無事に地霊殿に帰ってきていることに、私はとても安心した。最近はよく地上に遊びに行っているようで、昔より行動を把握しにくくなったから。
花瓶には紫のようなピンクのような、不思議な色の花が活けてあった。それは、ちょうど私の髪の毛の色に近かった。
封筒はやや膨らんでいて、中の便箋の重さを感じられた。裏には小さな丸い文字で「こいしより」と書かれていた。
(手紙を書くなんて、一体どんな気まぐれなんでしょうね)
ゆっくり、とても丁寧に封を切っていく。こいしからの手紙なんて、もう二度ともらえないかもしれない。読み終わったら大事に保管しないと。
便箋は全部で五枚だった。封筒を机に置き、折り曲げられた五枚の便箋をゆっくり開いた。
どんなことが書かれているのか、想像して私は胸を膨らませた。もう読めなくなってしまったこいしの心は、一体何を思い、考えているのか。
手が少しだけ震えていた。一旦目を閉じ、深く呼吸を繰り返した。
一枚目から、便箋をゆっくりと読み始める。
お姉ちゃんへ
お誕生日おめでとう。と言っても、私も同じ誕生日なんだけどね。
でも、もうさとり妖怪じゃなくなった私はお姉ちゃんと同じ誕生日とは言えないかもね。
私が最後に手紙を書いた日をお姉ちゃんは覚えてるかな? あれは、私が目を閉じちゃった次の日だったよ。
あの時は、ずっと謝り続けていたような気がするね。お姉ちゃんごめん。お姉ちゃんごめんって。
まさか、まだその手紙を持っているなんてことはないよね? まあいいや。
あの頃から私の気持ちは変わってないよ。今でも、お姉ちゃんに謝りたい。
ごめんなさい。
あの時お姉ちゃん、「どうして謝るの」って言ってたよね。今でも分からないでいるのかな?
私が目を閉じる直前だったら、心が読めたのにね。
もしかしたら今も分かってないかもしれないから、ここに書いてみるよ。
私のこの気持ちは、全て私が目を閉じてしまったことに由来してるわ。
さとり妖怪としてお姉ちゃんと一緒に生まれたのに、私は心が読めることに耐えられなかった。
こんな目、閉じてしまいたいと思った。でも、サードアイを閉じることは、さとり妖怪にとって死んだも同然。
私はさとり妖怪として、お姉ちゃんと同じ種族として、生きていたかった。でも、私はお姉ちゃんみたいに強くなかった。
心が読めることでみんなに嫌われて、虐げられて、みんなの声がどんどん頭に入ってきて。
嫌われることがさとり妖怪の宿命。それは分かってたよ。
だからこそ、私はお姉ちゃんに悪いことをしたって思った。
一緒に生まれたのに、さとり妖怪の宿命を全部お姉ちゃんに押し付けて、私だけ楽になってしまった。
このことを、私はずっと悔やんでるの。
ごめんなさい。
私だけ楽になってごめんなさい。
この気持ちはあの時からずっと忘れてないよ。
話が逸れたね。いや、逸れてはないのかな。まあいいや。
今日はお姉ちゃんの誕生日。だから私は地上に行ってお花を摘んできたの。
花瓶に活けておくから。水をこまめに変えると一週間くらいは枯れないかも。
お姉ちゃんは昔からお花が好きだよね。だからお花にしたんだけど、私お姉ちゃんの好きな色を知らなかったの。
かと言って、自分の好きな色にするのもどうかなと思ったの。この花の色はね、私が一番綺麗だと思った色。
濃い紫と、薄い紫と、ピンク色が入ってる。まるでお姉ちゃんの髪の色みたいでしょ。
この花はね、広いお花畑の中で本当に少ししか咲いてなかったの。それも、他の花の陰に隠れて、ひっそりとしていた。
決して目立ってなかった。でも、私はこの花を見つけられた。なんでだろうね。
この花は、お姉ちゃんにそっくりなんだと思った。色はもちろんだけど、隠れてひっそりとしているところもね。
私はずっとさとり妖怪を続けているお姉ちゃんを、誇りに思ってるよ。
みんなから避けられ、嫌われ、地底に追いやられても、お姉ちゃんはさとり妖怪を辞めなかった。
どうしてそこまでしてさとり妖怪を続けるのか、私には分からなかった。
でも、今ならお姉ちゃんの気持ちが少し分かる気がする。
お姉ちゃんは、お花畑の隅っこで、陰に隠れて咲いてる花みたい。
目立たなくてもとっても綺麗だよ。
私の分まで「さとり妖怪」を背負ってくれてありがとう。
お誕生日おめでとう。お姉ちゃんが生まれた日を心から祝うわ。
それから、ずっと私のお姉ちゃんでいてくれてありがとう。
お姉ちゃんの妹 こいしより
追伸
もしもう一度生まれ変われるのなら、私は……
そこで文章は途切れていた。最後は何と書こうとしたのだろう。
私はその手紙を何度も何度も読み返した。手垢が付くのもお構いなしに、何度も何度も。
そしてふと顔を上げて、花瓶に活けられた花を見つめる。
こいしがお花畑で見つけてきた、私の髪にそっくりな色の小さな花。
(これが、こいしにとっての私なのね)
花に対しての愛おしさが心の奥から込み上げてくる。広い広いお花畑から、こいしが見つけてくれたお花。
花を見ているだけでたまらなく嬉しかった。思わず涙がこぼれそうになり、咄嗟に上を向いた。
せっかくのこいしからの手紙を、涙で濡らすわけにはいかない。私は五枚の便箋を再び折って封筒に入れ、鍵付きの机の引き出しにしまった。
頭の中ではこいしの文章が延々と流れていた。一つ一つの言葉が、こいしの声を伴って頭の中を流れ続けた。
身体が小刻みに震えていた。胸の内から次々と溢れ出す気持ちが、収まりきらずに身体をも動かしていた。
今まで生きてきて、これほど「さとり妖怪でよかった」と思えたことはないだろう。
「私もこいしのことをずっと想っていますよ」
驚くほど自然に口をついた言葉は、部屋の静かな空気の中に溶けていった。
(どこまで遊びに行っても、私はこいしの帰りを待ってますよ)
私も手紙を書こうか。こいしの部屋に置いておけば読んでもらえるだろうか。
うっとうしいと思うだろうか。過保護と思うだろうか。
今までずっと距離を置いてきたせいで、唐突に近づいていくことに私は一種の恐怖を感じていた。
私って臆病ね。いつからこんな風になってしまったのかしら。
筆と便箋を用意した。返事が来なくてもいい。読まれなくてもいい。
ただ、私はこいしを心配しているということを、あの子に伝えたいと思った。
こいし宛ての手紙を書くのは初めてだ。どんな風に書けばいい? 普段通り、話をするときのような口調で?
何度か書き進め、その度に私は便箋を無駄にした。文章を書くとなった途端、身構えてしまって、伝えたいことがまとまらなかった。
結局最後は、便箋一枚に、たった三行だけの手紙になった。
こいしへ
お姉ちゃんも、こいしのことを誇りに思います。
いつでも帰ってきてください。こいしの帰りをいつでも待ってます。
そして、いつまでも私の妹でいてください。
あなたの姉 さとりより
しかしだからこそ、その温かみを感じることができる。
さとりが文面から心を読むことができないならば、文通は彼女たちにとって最もフェアなコミュニケーションかもしれません。
二人の距離感が良く伝わってきました。
でもその中には、妹へのいっぱいの愛が込められているのだなぁ……
面白かったです。姉妹愛、いいモノです。
さとりへ贈った花は
直感では→わすれなぐさ
葉っぱがハート形→梅花いかりそう
花色→雪割草
に脳内変換して読んでました。
ゆうかりんさすがどS(親切)