立ってるだけの門番仕事は退屈だ。両目を閉じて、柱に背を預けたくもなる。
「あ、あの……」
ふと、声を掛けられた。気弱そうな子どもの声だ。
「うん? なぁに?」
優しい声を心がけ、美鈴は意識を声のほうへ向けた。予想通り、そこには美鈴よりずっと小さい妖精が立っていた。頬を赤らめ、青色をしたスカートの裾をいじりながら、上目気味に美鈴を見ている。
「えーと」
しゃがんで視線を合わせても、しかしその妖精は目を逸らしたりこちらを見たりで、答えてはくれない。美鈴は困りがちに頬をかく。
「その……えと、お姉ちゃんのこと見たら……」
元から赤かったほっぺをもっと赤くしながら、妖精は言葉をつむぎ始めた。
「すっごくどきどきして……気付いたら、話しかけてたの」
肩を縮ませ、そわそわ、おどおどと。
「そ、そうなんだ……」
これはさすがに冗談ではなかろうか、と美鈴は思う。こんな小さな子に懸想されるとは。いたずら好きで生意気が相場の妖精なのに、こんな純真そうな子が飛び込んできた。
「ね、わたし、お姉ちゃんのこと……好きになっちゃったみたい」
そして、素直だ。嘘を吐くことなんて知らないのではないだろうか。
「うん……ありがとう……」
美鈴が取り繕った顔でお礼を言うと、妖精は花のように笑顔を咲かせてみせた。その清らかさに気圧される。まっすぐな視線に射抜かれてしまう。思わず、作り笑いが引き攣った。
「お姉ちゃん、お名前はなんていうの?」
「美鈴。紅美鈴よ」
「めいりんお姉ちゃん、だね」
心底楽しそうに妖精は笑う。ようやく美鈴も、まあ好意を寄せられること自体は悪いことではないと前向きに捉えはじめる。
美鈴が頭を撫でてあげると、妖精は嬉しそうに体をよじった。名前は聞き返さない。妖精は基本的に名前を持っていない。持つ必要がない。それなりの妖力を持つこの子みたいな大妖精であっても例外ではない。
「一緒にいてちゃだめ?」
美鈴が立ち上がると、途端に妖精は淋しそうに手を握ってきた。
「そんなことないわ。ちょうど退屈だったから、話し相手になってくれないかしら?」
見上げる妖精の手を引いて、椅子代わりの木箱に座る。自分の隣に、妖精も腰掛けさせた。
それから、色々とお喋りをした。やはり子どもと同じで、妖精の語彙は決して多くない。言葉を足してあげながら、楽しそうに話す妖精に相槌を打つ。
しばらく話して、ようやく妖精も話すことがなくなったらしい。言葉が途切れ、ほんの少し居辛そうに前のほうに視線を逸らした。まあ、無理もなかった。今さっき初めて会った間柄に過ぎないのだから。
「ね、お姉ちゃん」
脚をぱたぱたと振りながら、妖精は改めて口を開く。
「そのね、えっとね……」
さっきの元気な様子から一転、また急にもじもじし出す。脚の降りも早くなって、頬に手を当て身をよじってみせる。
「な、なにかしら……」
少し、嫌な予感がする。そして、その具体的な内容も想像できる。
「……ちゅー、したいな」
ああ、やっぱり――と、美鈴はこうべを垂れる。困った。こんな小さな子と。決して嫌じゃない自分にも困っている。そりゃそんな簡単に唇を許していいとは思わない。だが、こんな切なそうに頼まれて断るのは酷すぎる。自分の都合で傷つけていいとも思わない。葛藤してる間にもいじらしく妖精は肩を擦り付けてくる。好意を向けられているのが明白すぎて、気付かない振りをすることも出来ない。
きょろきょろと周りを見渡した。……大丈夫、誰もいない。
「うん……仕方ない。一回だけ、だからね?」
もはや自分に言い聞かせている節がある。自分がこんなに年下趣味だったとは知らなかった。
「ほんとうっ?」
ぱっと、またしても妖精が笑顔を咲かせる。不安も、喜びも、すぐに全身に現れるようだ。
「よい、しょ」
その笑顔に一瞬見とれたあと、妖精の脇に手をいれ抱き上げ、膝の上に跨らせる。これでようやく同じ目線の高さとなる。
「はい、じゃあ目を閉じて?」
促すと、妖精は静かに眼を閉じた。美鈴の視線は自然と唇に向かった。薄く開かれたそれは自らのものよりはるかに小さく、みずみずしい。唇だけじゃない。見れば見るほど、妖精の顔立ちは可憐で美しかった。見とれてしまいそうになって、美鈴は慌てて視線をはずした。これじゃ、一体どっちが一目ぼれかわかりゃしない。
心の中で小さく咳払いをする。唇どうしを少しくっつけるだけだ。これは決して性的な意味ではない。好意は好意でも、そういうのとは違う好意うんぬんかんぬん。
ざっと言い訳を並べたて、ようやく顔を寄せる。触れそうになったとき、美鈴も目を閉じる。そして、小さな唇と、みずからのそれとを重ねた。小さすぎて、自然と覆う形になってしまう。
薄目を開けると、妖精は健気に目を閉じていた。ふう、ふう、という小刻みな息遣いを感じる。微笑ましいその様子に名残惜しさを覚えつつ、もう一度目を閉じ、口を離した。
「どうだった?」
「おねえちゃぁん……」
美鈴が訊ねると、妖精がとろけきった目で見つめてくる。そのまなざし、声。目や耳がべとべとするぐらい甘ったるい。砂糖のはちみつ漬けのようになった妖精が、首に手を回してしがみついてきた。
口付けしやすかろうと思ってこの体勢にしたのは誤ちだった。終わったら手早く体を離すつもりだったのに、誰かに見られて勘違いされる危険を余計に増やしただけではないか。
どぎまぎした胸を御しつつ、美鈴は慌てて辺りを見回した。幸運にも、誰もいない。
ほっと一息ついても、まだ鼓動は高いままだ。頬も熱い。ここまでまっすぐ好意を示されると、こんなにも胸かき乱されてしまうものなのか。生唾を飲み込んで、また再び誰も見ていないことを確認して、それでも迷って、迷った末に抱きしめた。
妖精の体温は高かった。お日様のようなその温かさに肩の力が抜ける。だが、腕は不自然に引き攣っている。感じてはならない禁断の温もりだということを、心のどこかが分かっているのかもしれない。
「……はち、きゅうじゅうきゅう……ひゃく……っ!」
たっぷり百数え、美鈴は引き剥がすように妖精から体を離した。浸っていたい心を振り払うのに、相当な気合が必要だった。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ……?」
そのためあまりに必死な形相となったらしく、妖精に心配されてしまう。
「あはは……大丈夫大丈夫」
咄嗟に笑って誤魔化し、ついでに頭も撫でて逃げ切る。
「ね、明日もまた来ていーい?」
妖精は帰る段になって、美鈴に尋ねた。
「もちろん、いいわよ」
美鈴の気のいい返事を聞いてぱぁっと笑顔を咲かせると、元気な声で別れの挨拶をして、ちょっと歩いて振り向いて手を振り、また歩いて手を振り、帰っていった。
「おつとめご苦労様。めいりんお姉ちゃん?」
その姿が見えなくなった後、背後から声がした。きゅーっと美鈴は心臓が縮み上がるのを感じた。
「さ、ささささ、咲夜さんっ」
「あなた、ああいう小さい子が好みなのね……」
その目は呆れというか、いずれにせよ軽蔑をはらんでいるのは間違いなかった。
「違います違いますっ。あの子のほうからであって。そして私は断れなくてっ」
「いいの。好みは人それぞれ。それに、純真そうでいい子だったじゃない……」
美鈴の反論も虚しく、咲夜の視線の哀れみの色は濃くなるばかりであった。
「だーかーらっ……違いますよぉ!」
(おわり)