Coolier - 新生・東方創想話

移りゆく世界に

2015/03/07 20:53:11
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 吐いた息が白い。まるで小さな雲だ。その形もすぐに霧散し、消えてしまう。射命丸文は飛行を止め、魔法の森の上空で一時停止し、冬らしいくすんだ曇天を見た。灰色の雲が霞んだ空を覆い隠し、幻想郷から色彩が失われたようにすら思える。
 年の終わりも近づき、人里の方は忙しさと活気に溢れているが、対して妖怪が多く住み着いている魔法の森や迷いの竹林などは、普段と大して変わらない、鬱蒼とした静けさに包まれている。広葉樹にぶら下がっている木の葉など、むしろ落ちてしまった方がよいのではと思うほどに色褪せ、見るだけで寒さが増すような気さえする。
 文の眼下に群れる樹木は、葉を落とす種とそうでないものが入り混じっており、そこら中に散らばった落ち葉が風に巻かれる乾いた音もまた、冬をより強く実感させる。今季は暖かい方で未だに初雪は降っていないが、結局、何をしても冬は寒い。自然とはそういうものだ。
 唯一それに当てはまらないのは妖怪の山で、冬でも生気に満ち、組織らしく師走にも飛び回っている者が多い。年末進行もいいとこだと文は思う。もちろん、自分もそのうちの一人だが。自然と苦笑が浮かんだ。
 さて、と文は内心で呟いた。腰に下げている鞣革の腰巾着から文花帖を取り出し、指を一舐めしてからページをめくる。年末年始の特別号を飾るネタはだいぶ集まったが、それを記事に昇華するとなると中々の苦労だ。
 無意識に飛行高度を下げた文は、絡み合うように伸びている骨のような白木の枝の、その中でも一番太い一本に降り立つ。一本下駄であろうと安定した着地は流石の烏天狗と言える。
 走り書きで隙間なく埋め尽くされたページを眺めながら、自らの吐息が大気に溶け込む様を見て、文は首に巻いたマフラーを鼻先まで持ち上げる。湿った息が熱く、口元は暖かいが、しかしすぐに冷えてしまう。頑丈な妖怪である文は真冬でも長袖のシャツにスカートで問題ないが、なんとなく味気ないという理由でマフラーだけは巻いていた。黒い毛糸で編まれており、暖かい。
 文はネタをいかに調理するかを考えながら、同時に魔法の森を包む静寂を感じ取った。飛行中は気付かなかったが、森の中は寒々とした冬空のせいでより閑散とした印象を受け、実際、野生の獣は既に冬眠を始めており、妖怪も動きを潜める者が多い。生命の気配が限りなく薄い。
 そんな中、文の鋭い察知能力が力強い息吹を発する気配を察した。生命としての限りない滾りと共に、どこか危険な、触れれば傷を負うような鋭さを併せ持つ気。
 自然と文は視線を下げ、その気配の元を探した。
 文が立っている大木の横を通る獣道、そこに敷かれた枯葉の絨毯を蹴散らしながら進む藤原妹紅の姿を認めた。長袖のシャツに赤いズボンといういつもの出で立ち、色こそ違うが防寒具はマフラーだけという、文に負けず劣らずの薄着だった。
 ほとんど反射的に文の身体は動いた。枝を支点に、まるで下駄歯と枝がくっ付いているように、ぐるりと回転。天地を逆さにして立つ。立つと言うよりも、枝に下駄歯を引っ付けてぶら下がっていると言う方が正しい。まるで枯葉か蓑虫だ。濡羽色の艶やかな髪も、首元の黒地のマフラーも地を向いているのに、何故かスカートだけは翻らずに正位置にあった。
「おや、妹紅さんじゃありませんか」
 突然頭上から声を掛けられ、妹紅は一瞬驚き、足を止めて大きく開いた目で見上げる。
「げげ、烏天狗」
「それは河童の台詞ですよ。そう邪険にしないでくださいな」
「そんなところで何してるのさ。ぶら下がり健康法?」
「そんなことしなくたって充分健康ですよ。伊達に千年生きてません。今はちょっと、記事の草案を整理しようと羽根休めをしていたところです」
 文は手にしている文花帖を見せた。
「そんな恰好で? 疲れそうな羽根休めだねえ」
「妹紅さんが通りかかったのでこんな恰好になってるだけですよ。蝙蝠じゃあるまいし、いつまでもこんなんじゃ頭に血が昇って死んでしまいます」
「どうでもいいけどさ、どうやってんの、その体勢」
「風のちょっとした応用です。天狗であれば造作もありません」
「スカート捲れてないのも?」
「如何にも」
「くっだらねえ」
 あまりにも馬鹿馬鹿しく、妹紅の心情はそのまま口から漏れてしまっていた。
 しかし当の文は別段気にせず、おもむろに枝から落ちた。体を回転させ、羽毛のような軽やかさで、着地音一つさせずに地面に降り立つ。目を見張るほどの見事な動きを披露した。
「お見事」
「恐悦至極。妹紅さんはお散歩ですか?」
 うん、と答えながら妹紅は歩き出した。文も続き、その横に並ぶ。
 烏天狗に同行されると思いがけないことで一面をすっぱ抜かれる危険もあるが、その時は焼けばいいかと思い、妹紅は素直に隣を許した。
「散歩兼、待ち合わせ、かな?」
「どなたと待ち合わせていらっしゃるんですか」
「慧音」
「おや、この道は人里に向かうには遠回りですよ」
「知ってる。用事があったから、途中で合流するよ」
「ほう。如何なご用事で?」
「ずけずけ聞くなあ。慧音に頼まれてたお使いだよ、守矢神社へね。この時期は慧音も忙しいから」
「なんと、妖怪の山へ行ってらしたのですか。どうりでこの道をお使いに。しかし、なんでまたあの神様の下へ」
「年末の挨拶回りだよ。慧音の代理ってこと」
「なるほど」
 合点がいったのか、文は両手を叩き合わせて頷いた。文花帖は疾風のような早業で腰巾着に収められていた。
「雑談は構わないけど、記事の整理ってのはいいの」
「なんら問題ありません。天狗は口と頭で別のことを唱えることが出来るのです」
「ふーん。いよいよもって胡散臭いなあ」
「あやや、それは風評被害です。私はいつでも清く正しい射命丸です」
 文はわざとらしく自らの頭を手で打っておどけてみせた。
 何事にも底を見せない文は茶化したような態度を取ることが多く、そうした態度を快く思わない者もいるが、妹紅は特に気にしなかった。つまりはどうでもいいのだ。
 不快を示す反応を見せない妹紅に、文は雑談の続きのつもりで軽く口を開く。
「ところで妹紅さん、最近は月のお姫様と殺り合っていないそうですが、和解でもされたのですか?」
 文は相手の感情をまるっきり無視した、都合の良い微笑みを浮かべた。もちろん皮肉や挑発といったものはなく、ただの雑談として無自覚に発しているからこそ、烏天狗の言葉は性質が悪い。
 対する妹紅は紅い瞳だけを文に向ける。眉一つ動かさず、赤いマフラーの下の表情も変化させずに、路傍の石を見るような興味のない眼で文を見た。
「それを私が答えると思っているの?」
 冬の冷気よりも冷たい声で妹紅は言った。
 返答の意を察した文が、特に悪びれた様子もなく苦笑を浮かべる。自覚はしたが反省をするつもりはなかった。
「ああ、これは失言でしたが。申し訳ありません、悪気はなかったのですが」
「だろうね。まあいいさ、烏天狗ってのはそういう種族だし」
「あやや、烏天狗の評判は構いませんが、私の評判が落ちるのは困ります。売り上げに響いてしまう」
「ジャーナリストなら売り上げよりも記事の精度を気にしなさいよ」
「おや、それは考えもしなかった。検討しましょう」
 なんともやる気のない答えが返ってきたので、妹紅は呆れて溜息を吐いた。息は風に乗って妹紅の周辺を漂い、消えてしまう。
「しかし冷えますね。もうすっかり冬です」
「今更。もう年の暮れでしょ」
「どうにも最近忙しくて、季節の巡りに無頓着になってしまいます。まあ、齢を重ねすぎると時間の流れにはどうにも」
「そんなんだと、気付いたときには死体だよ」
「ふふ、速度には自信がありますが、それは嫌ですねえ」
 妹紅の冗談めかした言葉に、文は素直に笑ったが、すぐにはっとした様子で笑いを止めた。永遠人に時間の話とは藪蛇だった。
「もしかして私、また失言しましたかねえ」
「いや、今のはわざと。もうそこまで尖ってるつもりはないし、実際そんなに気にしなくなったよ。まあ、ちょっと前の私だったら今頃焼き鳥にしてるだろうし、結構前の私なら会った瞬間消し炭にしてる」
「それはまた冗談でないから怖いですねえ。私でなくてどっかの夜雀でも焼いてください」
「あいつ焼いたら美味い鰻屋がなくなっちゃうじゃん」
「ああ、それは私も困ります」
 今度はお互いに笑い合う。音の減った冬の森に、小さな笑い声と、落ち葉の軽やかな音が融けていく。
「蒲焼を肴に熱燗でやりたくなるなあ」
「この時期でそれは反則ですよ。魂が溺れてしまう」
「暖冬って言ったって、夜は冷えるし、酒は心の湯たんぽさ」
「至言です。妹紅さんには今度、私の新聞のコラム欄をお願いしたいものです」
「え、やだよ。誰も読まないのに書いたって意味ないじゃん」
「いやいや、一定数の購読者はいますよ。そもそも妹紅さんもその一人じゃありませんか」
「え、ああ、そうだったっけ。覚えてないや」
 にやりと口角を上げて妹紅が笑った。仕返しとばかりに意地の悪い言葉で文を苛める。
 それを受けて文はわざとらしく肩を落として「まったく困ったものですねえ」と大袈裟な溜息と共に溢した。
 少しの間を置いて二人は笑い合った。陽も傾き始め、乾いた空気がより冷え込みを見せるが、心地良い気分だった。
 口元に笑みを浮かべたままの文が、しかし瞳には普段の気楽な様子を感じさせない実直な色を秘めて、妹紅に視線を向ける。
「正直なところ、貴女とこんな馬鹿話が出来る日が訪れるとは思ってもいませんでした」
 改まったような声色の文に、妹紅は一瞬驚き目を見張るが、すぐに笑みを浮かべた。
 その微笑みを返答と受け取った文はさらに続けて言う。
「幻想郷に流れ着いてからしばらくの貴女は危険過ぎて近寄りたくなかったのです。が、今は違う。幻想郷が楽園になって、人間も妖怪も緩やかに変化を遂げましたが、それは永遠人にも訪れるものなのですねえ」
 嫌味や皮肉でなく、射命丸文の実感としての言葉だった。
 変化とは、文自身も含まれているのだろう。無自覚な実感が込められた言葉だった。
「変わらないものはない。この世の全て、ありとあらゆるものは変わりゆく。だけど、それは恐れることではないと、私は思うようになった。ここ最近だけどね」
「貴女の最近は、きっと遠い事でしょう。故に永く、重い」
「何言ってるんだか。人のこと言えるほど若くないでしょ」
「いえいえ、ついこの間羽毛が生え揃ったばかりですよ」
「ひよっこ」
「焼き鳥」
 互いの憎まれ口に思わず笑いが漏れる。特別親しいわけではないが、こんな風に下らないことを言い合いながらぶらりと歩くのは中々悪くない。言葉にこそ出さないが二人は同じ思いで満足気に息を吐いた。深い吐息が紫煙のように天へ昇ってく。その行方を見上げて追った。
 曇天はより濃くなり、雲は厚く垂れこめている。寒気がさらに増したようだ。
 見るからに寒々しい空に、しんと静まり返るような冷気を文は感じた。この空の向こう、天より降りしきる、冬の結晶。
「……この後、降るかもしれませんねえ」
 足を止め、囁くような声で文は言った。空を越えた先を見るかのように目を細める。
 先を行く妹紅も釣られて立ち止まり、同じように天を仰いだ。
「この曇り空なら、雨の一つも降るだろうさ」
「いえ、雪が降りそうです」
「そう? 雪になる程寒い気はしないけど」
 まあ寒いけどさ、と言葉尻を結ぶ妹紅に、文は笑って答えた。
「暖冬ですからねえ。でも、今日はいつにも増して空気が湿ってます」
「私には乾いてるようにしか感じられないけどな」
「元は鴉ですからね。湿気には敏感なんですよ」
「へえ。そんなもんかねえ」
「そんなもんです」
 二人は口を閉ざし、空を眺めた。ただでさえ音の少ない森が、声を潜めたかのように静かになる。葉擦れの音も、落ちた枝葉が地面に重なるかすかな音も、今はない。世界が静止したような無音の中、互いの小さな吐息だけがはっきりと聞こえていた。
 そうして何を思うでもなく、二人は上を向いていた。葉が茂る季節なら森全体を覆い隠す木の葉も、今は寒々しいまでに落ち切り、森の中であるにも関わらず仄暗い空が良く見えた。
 ぼんやり眺めていると、不意にぽつりと黒い点のようなものが映り込んだ。やっぱりと思いながら文は点を追う。またぽつりと点が見える。空から降ってくる。
 やがて一つの点が、もう点とは呼べない程にはっきりとした姿で、見上げる文の頬に舞い降り、すぐに一筋の雫となって伝い落ちた。冬の寒さにおいてなお、その雫は更に冷たく、どこか優しかった。
「ああ、やっぱり降ってきましたねえ。思いのほか早かった」
「……雪だ。初雪だ」
 この冬、初めての雪だった。
 妹紅の言葉に応じるように、微かに降り出した雪はゆっくりと、穏やかに勢いを増し、確かに雪が降ってきたと知らしめる。
 小さく広げた両手を胸の前に出した文は、手の平に落ちる雪を見て、幻想郷の冬が訪れたことを、この年がもう終わることを実感した。
「こうして雪を見ると、冬だなと思えますよ」
 文は開いていた手の平を握り締め、腕を下して妹紅を見る。
 冬は厳しく、生きていくには難儀な季節だが、文は不思議と嫌いではなかった。不便でしかないこの雪も、こんな風に緩やかに降り積もる光景は物悲しくもあり、美しい。
 妹紅は応じるように視線を雪空から文へ向けた。視線が交わり、文の内心を察するように、妹紅は表情を緩めた。
 何百回と見た冬の情景、雪景色ではあるが、文は、そして妹紅も、見飽きたことはなかった。
「――ああ。本当に、冬だ。冬の季節が、やって来たんだな」
 噛み締めるように一言一句を紡ぎ、妹紅は再び雪空を仰いだ。文もそれに続く。
 雪は水気が少ない、さらさらとした乾雪だ。降り始めは小さいが、時間が経てば球形をした玉雪と呼ばれる大きなものになる。今夜には積もるだろう。
 文が深く息を吐いた。長い尾を引き、広がる。
「冬に閉ざされ、春には花咲き、夏に栄えて、秋に実る。また季節が一巡して、これからも巡り続けるのですね。でも、それもいつかは変わってしまう」
「変化は嫌い?」
「好ましく思うこともありますが、恐ろしく思うこともあります。むしろ、変わることを恐れる気持ちの方が強いかもしれない。自分としてはまだ若いつもりなんですが、やはり齢を取る程に、恐ろしく思うことが増えてしまう。欲が出てしまうんですねえ」
「分かるよ。私もそうだから。だからこそ、恐れるなと言いたい。己が己である限り、それを忘れなければ自分が変わろうと、世界が変わろうと、やっていけるもんさ。これがね」
「肝に銘じておきましょう」
「ちょっと説教臭かったな。まったくいけない。あまり説教やら先輩面は好きでないんだが、やっぱり私も齢なのかな」
「ふふ、人生経験が豊富なのですよ」
「そう言うけど、実際生きた年数は私もお前さんも大して変わらないでしょ」
「千年以上は生きてますが、無駄に年数を重ねても意味はありませんよ」
「どの口が言うんだか。この昼行灯め」
「おや、私は忠臣ではありませんよ。この幻想郷を愛し、己を愛し、自由を愛するだけのただの風任せです」
「ふうむ。ま、そういうことにしておこう」
 妹紅は微笑み、しかし瞳は猛禽類のように鋭く文を射抜く。
 並大抵の人妖ならその気迫に負けてしまう妹紅の眼光に、文は怯んだように身を縮ませた。恐ろしやと言わんばかりに肩を窄めているが、どこかおどけているようにも見える。
「おお、怖い怖い。勘弁してください」
 調子の良い声色で文は言ったが、妹紅を見るその目に強い光が宿っていた。千年を生きた妖怪に相応しい貫録と無比足る力が秘められている。
 妖怪には慣れている妹紅もこれには一瞬気圧され、思わず重心を落として顎を引き、いざという場合に備えてしまう。
 無論、文にそんな気は毛頭なく、目の光もすぐに隠れた。いつも通り猫かぶりをして口元を手で押さえた文が、妹紅の反応に可笑しそうに肩を震わせている。
 今の光が牽制か、からかっただけなのかは分からないが、とにかくばつの悪い妹紅は照れ隠しに首を振り、肩の力を抜いて背筋を伸ばす。
 文が堪え切れず、小さく笑った。相手を馬鹿にするようなものではなく、純粋に、好意から来る笑いだった。
「済みません。決して、悪気は。しかし、ちょっと可笑しくて。妹紅さんらしくて、らしくない。ふふ、済みません」
 口を手で隠してはいるが、顔いっぱいにまで笑いが広がり、やはり我慢出来ないらしい。文は空いている手で謝罪を示すように妹紅へ手のひらを向けたが、抑えきれない笑い声が漏れる。
 自分が笑いものにされてはいるものの、あまりに無邪気な文の笑いに妹紅は毒気を抜かれ、なんだか急に馬鹿らしく、愉快に思えてきた。自然と笑みが浮かび、妹紅も一緒になって笑った。
 雪の中に埋もれようとしている幻想郷は更に音を失くし、冬の厳しさを増す。しかし二人の笑い声はそれを感じさせない、陽気なものだった。
 ようやく笑いが収まった時には、二人の頭にはうっすらと雪が積もっていた。やはりそれも可笑しくて、小さく笑いながら叩き落とす。
「まったく、こんな雪の日に何やってるんだか。お互い」
「そうですね。やはり長く生きていると色々とあるものです」
「私もブン屋とこんな風に馬鹿みたいに笑う日が来るとは考えもしなかったよ」
「まあ、お互いねぐらが離れてますし、異変の時に合うこともありませんしね。狭い幻想郷ですが、機会と言うものは少ない」
「幻想郷が狭い? 私には十分な広さだと思うけど」
「鴉天狗の翼には狭いのです」
 文が教授するように人差し指を立てて、得意げな顔で言った。
 妹紅は呆れたように半笑いで首を横に振った。
「そうでございますか。大した自信よ、ほんと」
「ふふ。さ、そろそろ行きましょうか。先生を待たせて風邪を召されては事です」
 歩き出す文に頷き、妹紅は歩みを進める。また並んで森を行く。雪は吹雪いたりせず穏やかなものだが、地面はもう白雪に埋もれ出していた。枯葉を踏みしめる乾いた音が、積雪を踏む湿り気を含んだ音に変わり、足跡が薄く残る。
 長い時間足を止めていたわけではないが、もし慧音を待たせていたらいけないと、自然と妹紅の足が気持ち早くなる。
 その歩調の変化に気付き、文は思わず和んだ。もちろん口にも表情に出さず、その気持ちは胸中に仕舞っておく。
「ところで、待ち合わせ場所は遠いのですか」
「いや、この先。森を抜けると人里に続く道がある。その道の合流で待ち合わせ」
 妹紅の説明が終わる前に、唐突に魔法の森が開けた。獣道からいきなり野道へ出たのだ。魔法の森の木は、森の外との関係を拒むかのようにその境界線を明確に分けていた。
「ほらね」
 わざとらしく妹紅が肩を竦める。本人にとっても意外な程に突然だったらしい。
 文もそれに倣って、苦笑する。
 野道は魔法の森から緩やかに曲線を描いており、二人は道なりに進む。森から離れ、周囲の景色は次第に人間の手が加わったものへと変化していった。足元は歩きやすいようにならされた農道のような道だ。
「そう言えば、先生はどちらへお出かけになっているのですか? 待ち合わせと言うことは人里にはいらっしゃらなかったようですが」
「ん? ああ、博麗神社に寄ってくって言ってた」
「巫女のとこですか。あの巫女は年末年始も変わらず閑古鳥が鳴いていますよ」
「へえ。良く知ってる」
「取材に飛び回ってますからね。人寄せの何かでもやればいいのに、いつもよりちょっとだけ神社らしいことをして、あとはいつもと変わらずに掃き掃除をしてお茶を啜っていますよ」
「あの娘らしいなあ」
 くっくと笑う妹紅と異なり、文は呆れ顔になった。
「あれで人が来ない、参拝者がいないと怒っているのですから、まったく困ったものです。もう少し博麗の巫女としての自覚を持ってほしい」
「ふふ、そうだね」
 知らず知らずのうちに饒舌になる文に、堪らず妹紅は笑った。文自身は無自覚なのだから、余計に可愛げがある。
「私、何か変なこと言いましたか?」
「まるでスキマのみたいだなって思っただけ。いや、分かりやすさで言えばお前さんの方がよっぽど保護者っぽいけど」
「え、いや、そんなつもりは。ただもうちょっとしっかりして欲しいだけで」
 文は慌てて手を振り、否定を示す。感情を隠すことすら忘れるぐらいに狼狽えている射命丸文など、滅多に見られるものではない。参ったと言わんばかりに、文は自らの後頭部を撫でた。上目遣いに妹紅を見る。勘弁して下さいと訴える目だ。
「ま、いいんじゃないの。あの娘はああやって自由であるからこその、博麗霊夢なんだし。好き勝手に飛んでるから、みんなあの娘を慕うんだよ、きっと」
「そんなもんですかねえ」
「そんなもんよ」
 腑に落ちない文だが、これ以上の失態を犯したくない。それ以上の言及はせずに目を泳がせる。道の脇に広がる野原は雪原の様相を呈してきた。幻想郷が白く染まっていく。
 そう歩かずに、文と妹紅は待ち合わせ場所の二股道の岐路へとたどり着いた。そこには小さな地蔵が一つ置かれ、道程の安全を祈願されている。
 その横に、空を見上げて白い息を昇らせている上白沢慧音がいた。冬用の上着に、白いマフラーを巻いている。頭の、灯篭のような独特の帽子は雪で白ずんでいた。
 妹紅はその姿を認め、声を上げた。
「おーい、慧音!」
 声に気付き、慧音が妹紅を見る。微笑んだ後、妹紅の隣にいる文の姿に、不思議そうな顔をした。
 妹紅は速足で向かい、慧音の傍に立つ。
「ごめん、待たせちゃったみたいだ」
「大丈夫さ、私もさっき着いたばかりだから。そんなことよりも妹紅、またそんな薄着で風邪でも引いたらどうする」
 申し訳なさそうに帽子の雪を撫で落とす妹紅へ、慧音は声を強めて言った。もっとも、本気で怒っているわけではなく、子供を諭すような声だ。
 妹紅は苦笑しながら弁明をする。
 遅れて追いついた文が、そのやりとりを笑って眺めた。
「そうだ、妹紅。どうして彼女が一緒に?」
「道で偶然。そのまま成り行きで」
「どうも御無沙汰しております」
 文は片手を上げた。慧音とはよく人里で顔を合わせ、何度か取材もしたのでそれなりに面識はある。
「ああ、どうも」
 慧音は頷くように会釈する。道端で会う時も取材で会う時も変わらない、とことん生真面目で堅物だ。
 頭を上げた慧音が妹紅へ向き、言う。
「さて、雪が酷くなる前に急いで行こうか。もうすぐ日も暮れてしまうだろうし」
「そうだね。お前さんはどうする? 草案の整理ってやつはもう終わったのかい」
 話を振られ、妹紅と慧音から少し離れた位置で二人を観察していた文は、首を横に振った。
「私はここで。まだ記事の作成もありますし」
「働くねえ」
「記者に年末年始は関係ないのですよ。良くも悪くも」
 そう言って文は笑った。口調こそうんざりとしたものだが、声はどこか楽しげに弾んでいる。なんだかんだ言っても、文は新聞を作ることが楽しく、好きだった。
 そんな文に、妹紅と慧音は微笑みを返した。胸が空くような、良い顔だ。色褪せた灰色の空に、世界を覆い尽くそうとする雪の白色。そこにある、紅と青。
 二人の並び立つ姿に、不意に心を動かされ、文は思わず腰の写真機を抜いた。この光景は写真に収めたくなる程、美しいと思った。
「あの、もし良ければ、一枚どうですか? 初雪の記念にでも」
 躊躇い混じりの文の言葉に、妹紅は苦笑気味に片眉を上げた。
「どんな記念さ、それ」
「ふふ。でも、せっかくだからいいんじゃないかな。思い出になるよ、妹紅」
 慧音に促され、妹紅は仕方ないと言った様子で頷いた。
「では。あ、お二人とも、もう少し寄ってください」
 文の指示に従い、妹紅と慧音は互いの肩が触れ合いそうな距離にまで寄る。自然とその距離に寄れてしまう二人に、文はファインダー越しに、目に見えない絆を見た気がした。
「はい、じゃあ撮りますねー。はい、ちーず」
 妹紅と慧音はごく自然に微笑んだ。写真に慣れている二人だからこそ出来る、自然な表情だ。慣れていない人間など、写真機を向けただけで動きがおかしくなってしまう。
「ちーずって何さ」
「さあ? 外の世界で写真を取る時に言う、合言葉だそうで」
「なんだそれ」妹紅が呆れたように笑う。「まあいいや。じゃあ、この辺で」
「ええ。今日はどうもありがとうございました、妹紅さん。良いお話も聞けました」
「はいはい」
 妹紅はもう背中を向けて、軽く手を振った。
「では、失礼させてもらうよ。貴女も風邪など引かないように自愛を」
「ありがとうございます。またいつかお邪魔させてもらうかもしれませんが、その時はよろしくお願いしますね」
「ああ。それでは」
 丁寧に一礼し、慧音は、妹紅と共に歩き出した。
 足元にまで届きそうな長い髪が、白雪のような長髪と銀雪のような長髪が、寄り添うように並んで揺れ行く。
 文は二人の背中を見送る。初雪に紛れ、その姿は遠くなる程不鮮明になっていくが、並び立つ姿は文の瞳に確かに映っていた。
 変わらない歩調で歩いていた妹紅と慧音が、急に足を止め、振り返った。文へ向け、慧音が大きく手を振った。妹紅も一緒になって手を振っているが、あくまで軽く振っているのが妹紅らしい。
「良いお年を!」
 文へ届くように、慧音は大きな声で言った。
 妹紅もそれに続き、傍で話すような声量で「良いお年を」と言ったのを、文は確かに聞いた。
 咄嗟に文は手を振り返し、二人に向かって言う。
「お二人も、良いお年を!」
 嬉々とした思いが文の胸に込み上げてくる。己の感情をも簡単に分析できる程、射命丸文の頭脳は優れているが、文はそうしようとは思わなかった。ただ、なんとなく嬉しくなってしまった。それだけだ。
 今度こそ歩き出した妹紅と慧音は、もう振り返ることはなかった。
 その背中を見送り、一人残った文は、二人が残した足跡を見た。
「変わることを恐れるな。なるほど。貴女は失われぬものを、確かな己を知ったのですね」
 ふと思い立ち、文は写真機を二人の背中に向ける。
 雪の中を行く二人の背中は儚く、しかし心安らかな暖かさが溢れていた。なんて、幻想郷らしいのだろう。そう思いながら文はフィルムを巻き、息を止めてシャッターを切る。この一瞬を切り取るように。
 長い息を吐いてから写真機を降ろし、文はいつまでも、並んで行く背中を見送った。
 年の終わりに、幻想郷に初雪が降り、本当の冬に包まれる。妹紅と慧音は二人、冬の先へ向かうかのように歩き続ける。その足跡だけを、永遠に残して。
簡易評価

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コメント



0.500簡易評価
2.100ゆら削除
排他的な空気感が、開けてゆくような変化がお見事としかいいようがない素敵なお話しでした。
3.90奇声を発する程度の能力削除
良いね、素敵でした
8.100名前が無い程度の能力削除
ずっと浸っていたくなるような雰囲気でした。
11.90名前が無い程度の能力削除
とても穏やかな作品でした
永遠に変わらない人を通して世界を変化を感じることができるとは