「私、すごいことに気付いちゃったかも」
レミリアがそう言う時は、決まって下らない話だという事をパチュリーは理解していた。
テーブルに両肘を立て、両手を口元に持ってくるいつものポーズのままで話を続けるレミリアは、一見して悪事を企む組織のトップに見えないでもない。
表情を隠しているおかげか、妙な圧迫感があるのだ。
だがそれが通用するのはせいぜい初対面の相手ぐらいのもので、百年単位の付き合いがあるパチュリーに通用するはずもなく、無関心そうにカップを傾け紅茶を啜るだけだった。
「そう」と適当に相槌を打つだけのパチュリーだったが、レミリアは全く気にする様子無く話を続ける。
「美鈴って、実はすごくかっこいいんじゃないかしら……」
「……ごふっ」
静かに紅茶を吹き出すパチュリー、そしてなぜか頬を赤らめるレミリア。
百年以上の歴史があるささやかなセオリーは、何の前触れもなくあまりに突然にぶち壊された。
重大な話をするなら前もってそう言って欲しい、こっちの気持ちの準備もあるんだから――そう愚痴りたいパチュリーだったが、冷静に考えればレミリアはきちんと予告していたわけで、勝手に狼少年扱いしていた自分の責任なのは明白である。
吹き出した紅茶が本に掛からなかったのが幸いだ、多少服を汚してしまったが爆弾発言に比べれば些細な問題である。
「ごめん、もう一回聞いてもいいかしら。たぶん私の聞き間違いか、レミィの気の迷いだと思うから」
「失礼ね、私は正気よ。
前々から考えてはいたんだけど、つい最近確信したのよ。
美鈴ってかっこいいし、魅力的だなって」
「……ごめんなさい、もう一回」
「だから聞き間違いじゃないって言ってるでしょ!」
レミリアが怒るのももっともだが、パチュリーが聞き返す気持ちも理解できなくはない。
それほどまでに受け入れがたい……と言うより、理解し難い発言であったからだ。
なぜよりにもよってあの美鈴を、レミリアが。
その仕草を見る限り、女性が美形の男性を見た時に軽く口にする”かっこいい”と言う意味合いではないように思える。
であれば、その言葉の意味する所は、女性が意中の相手に対して発する”それ”なのではないかと、そう考えるのが妥当だろう。
出来れば間違いであってほしいと願うのだが、レミリアの言うとおり聞き間違いでも気の迷いでもないとするのなら、どうやらその願いは叶うことはなさそうだ。
にしたってどうして、なぜあの美鈴を、レミリアが。
どう考えても、何度思考を巡らせても、パチュリーは合理的な答えを導き出せないでいた。
「そんなに驚くようなことかしら、美鈴との付き合いは長いし、別に変な話じゃないと思うのだけど」
「驚かれないと思ってることに驚いてるわ。
あまりに理解できない事が多すぎて、逆にどこから突っ込みを入れればいいのかわからなくなるぐらいよ」
「具体的に、どこが理解できないのよ」
「まずレミィと美鈴と言う言葉が結びつかない」
「……ちょっと、美鈴を何だと思ってるのよ」
「門番でしょう、レミィにとってはそれ以上でもそれ以下でもないと思ってたわ」
「あの子をスカウトしたのは私なのよ、少なからず好意を抱いていてもおかしくはないじゃない」
好意と、はっきりそう口にされてしまった。
パチュリーとしては一旦話を止めてそこを追求したかったのだが、二兎を追うものはなんとやらだ、まずは一つずつ疑問を解消していかなかければなるまい。
「その能力はもちろんだけど、紅って名前も気に入ったわ。まさに私を守るのにふさわしい名前だと思わない?」
「いつの間にか館に住み着いてたから、勝手に入り込んだものだと思ってたわ」
「あれ、私が連れてきたって話してなかったっけ?」
「話なんてされてないわよ、レミィも気にしてないみたいだから別に構わないと思って放置してたけど」
「そっかなるほど、だから美鈴が来た頃って二人の仲が悪かったんだ。
あっはっは、私とした事がうっかりしてたなあ」
もう百年以上前の話なだけにいまさらレミリアを責めるつもりはなかったが、正直な話をすれば当時はパチュリーもかなり頭を悩ませていた。
いきなり館の中に名前も知らない謎の妖怪が入り込んで、勝手に門番を名乗っているのだから、そりゃ悩みもする。
たった一言、『私がスカウトしてきた』とレミリアがパチュリーに伝えればよかっただけの話なのだが、それを忘れるあたりがまたレミリアっぽいので、パチュリーもため息を吐くことしかできない。
長年の付き合いは伊達ではない、円滑な人間関係には諦めが必要不可欠なのだ。
「でもさ、私と美鈴の仲がいいことぐらい気付いてると思ってた。
ほら、美鈴が持ってる本を借りたりしてるし、よく美鈴の部屋に入り浸って遊んだりしてるわよ、私」
「それこそ初耳よ。私、基本的にここから動かないから」
「パチェったら引きこもりだもんね、出会った時からほとんど変わってないんだし、そろそろプロ名乗ってもいいんじゃない?」
「不名誉な称号ね、遠慮しておくわ」
否定したところで、現にそうである以上逃げられる物ではないのだが。
レミリアが相手の時でさえ引きこもり呼ばわりされるのを嫌うパチュリーには、何らかのこだわりがあるのかもしれない。
「それで、えっと……美鈴のことをかっこいいと思ってる、だったかしら?」
「そうそう、出会った時から顔は整ってるしスタイルもいいなあとは思ってたんだけど、せいぜいそんな感想を持つぐらいであの子の容姿とか性格に特別な感情を持つことって無かったのよ。
うん、つい最近まではそのはずだったんだけどなあ。
なんで急にかっこよく見えちゃったんだろう、美鈴の軽口なんて今に始まった話じゃないのに、妙にドキドキするようになってるし」
「軽口?」
「ええ、パチェは知らないかもしれないけど、美鈴って結構フランクな物言いをするのよ。
私と初めて出会った時もそうだったわ、『あなたとの出会いはきっと運命です』とか言ってたから」
「イメージと違うわね……」
「知らない人はみんなそう言うわ。
私は昔から知ってるから、それこそが美鈴らしさだと思ってるけど」
趣味は土いじりとトレーニング、門番のくせに暇になればすぐに昼寝するし、たまに仕事をしてるかと思えば妖精たちと遊んでたりするし――それがパチュリーの中にある美鈴のイメージだ。
人里からやってきた自信家の拳法家をけちょんけちょんにしている姿も見たことはあるが、それもレミリアの話す美鈴とは一致しない。
アウトドア派の美鈴とインドア派のパチュリーではいくら同じ館に住んでるとは言えあまり接点が無いのは仕方のないことなのだが、それでも百年以上は一緒に住んでいるのだ、ある程度は相手を理解しているつもりだったのだが。
「最初こそ驚いて大げさなリアクションしてたんだけど、最近じゃすっかり慣れちゃって、ちょうどさっきのパチュリーみたいに適当に相槌打つだけになってたの」
「気付いてたんだ」
「当たり前じゃない、それでも話聞いてくれるだけで十分だと思ってるわ。
そっか……美鈴もそう思ってたのかしら、私が聞いてるだけで十分だって。
『スカーレットと紅だから、私たちは赤い糸で結ばれてるのかもしれない』とか、『お嬢様はどのような花よりも遥かに可憐で美しい』とか、さすがに無視するのは可哀想かなと思ってたんだけど」
「待ってレミィ、それ本当に美鈴が言ってたの?」
「そうよ、何か気になることでもあった?」
「気になることしかないわよ!」
軽口というから、もっと冗談めいた話でもしているのかと思ったら、なんだそれは丸っきり口説いてるだけじゃないか。
レミリアは美鈴をスカウトしたと言っていたが、ほとんど見返りのない条件を美鈴がなぜ飲んだのか、その理由がパチュリーにははっきりと理解できた。
美鈴はレミリアに惚れていたのだ、だから文句ひとつ言わず門番なんて面倒な仕事を引き受けた。
「パチェが興奮するなんて珍しいわね」
「衝撃発言が多すぎて興奮せずにはいられないわよ、レミィはそんなこと言われて何も思わないの?」
「つい最近までは何も思わなかったわ、でも今は……」
レミリアは再び顔を紅に染め、両手を頬に当てて誰かの事を想っている。
誰かなんて考えるまでもない、おそらく脳内で限界まで美化された美鈴の幻想でも見ているのだろう。
つまり美鈴の執念はようやく実を結んだのだ。
最初から好意を抱いてたくせに、百年以上口説かれてもなびきもしなかったレミリアの鈍感さもなかなかだが、ついに美鈴のしつこさがそれを上回ってしまった。
継続は力なりとはまさにこのこと。
「美鈴なりのジョークだってことはわかってるのよ、でも今の私じゃ本気にしちゃうかもしれない。
こんな状態じゃ簡単な会話もままならなくって」
「最近はどうしてるのよ、部屋に入り浸ったりしてたんでしょう」
「今は無理よ、一緒のベッドに寝転がって向かい合ったままお話してみたり、美鈴の膝の上に乗って二人で同じ漫画読んだり、『お嬢様分が足りない』って言われて急に抱きしめられたりなんて、今の私にできるわけないじゃない!」
「今まで出来てた事にびっくりよ!」
それもう付き合ってるんじゃないのと思わず口走りそうになるパチュリー。
だが、今パチュリーに必要とされているのは何よりも冷静さである、力づくで言葉を飲み込み、ヒートアップする脳を鎮め、”落ち着け”と自分に言い聞かせる。
レミリアの言動からして、彼女は自分たちが両想いだということにまだ気付いていないようだ。
見ての通り彼女は幼い、実年齢は置いといても、背伸びして大人アピールしたがるお子様なのである、それは親友であるパチュリーが最もよく知っている。
四六時中そういう状態と言うわけではなく、有事の際には年齢なりの振る舞いもしてみせるのだが、基本的には見た目通りか、それよりちょっと上程度の精神年齢しかない、好奇心旺盛な少女なのである。
好奇心旺盛という点においてはパチュリーも同じだし、そんなレミリアと親友として長々と付き合えるあたり、自分も人のことを言えるほど大人ではないのだが、それは今は関係ない。
問題は、そんなレミリアが美鈴とお付き合いを始めたらどうなってしまうか、ということ。
レミリアとは対照的に、美鈴は見た目も中身も大人のお姉さんである、詳しくは知らないが恋愛経験もそれなりに豊富だろうと考えられる。
そんな彼女が、純粋無垢なレミリアに手を出したらどうなるのか、異性経験が乏しいパチュリーにも容易に想像できる。
手取り足取り、それ以外も全身のあらゆる部位を手に取り、パチュリーが現在想像しているような口では言えないエキサイティングでエキゾチックな行為に及ぶのだろう。
性知識が全く無いのを良いことに間違った常識を教え込み、相手の好意を利用して本来なら絶対に言わない口にするのも憚られるような言葉を連呼させ、何度も何度もそれを繰り返し慣れさせ羞恥心を少しずつ薄め、その真っ白なキャンバスを美鈴好みの色に染め上げ、完成した作品を大衆の面前で晒すのだけれどその頃にはレミリアも喜んで事に及ぶような変態系美少女に仕立て上げられていて――
「パチュリー、なんでにやけてるの?」
「な、なんでもないわよ、ちょっと興奮しすぎただけ」
嘘は言っていない。
パチュリーは一度咳払いすると、ふしだらな想像を頭から追い払い、再び普段通りのキリっとした表情に戻る。
そんなパチュリーの百面相をレミリアは訝しげに見ていた。
「それで、レミィはどうしたいのよ」
「どうしたい、って?」
「美鈴と恋人になりたいんでしょう?」
「こ、こここ恋人っ!? やめてよ、急にそんな話を飛躍させないでよっ!」
「……いや、決して飛躍なんかしてないと思うのだけど」
「飛躍してるわよっ、エッフェル塔より高く飛び立ってるわ!
いいかしら? 私は美鈴の事をかっこいいと思ってるし、好きでもあるわ、でもそれは恋人になりたいって話とはまた別なの!
こ、こい、恋人、なんて……私と、美鈴が恋人なんて……」
顔を耳まで真っ赤にしながら必死に反論していたレミリアだったが、なぜかその声は次第に小さくなっていく。
視線もうつろで、どこか違う世界へと飛び立ってしまっているようだ。
「こい……びと……そんなのダメよ……でも、私と美鈴が……」
どうやらその違う世界では美鈴とレミリアはすでに恋人になっているらしい。
無論その世界にはパチュリーの居場所などあるはずもなく、レミリアがトリップしている間パチュリーは放置状態である。
先ほどまで同じような状態だったパチュリーにとってはありがたい休憩時間だ。
パチュリーは一度大きく深呼吸すると、紅茶を一口ずずずとすすった。
「恋人……恋人……って、何するのかしら……」
「……そこからなんだ」
やはりお子様である。
吸血鬼は魅了の能力を持っているらしく、おそらくレミリアも例外ではないはずなのだが、ここまで恋愛に疎いと言うことは今まで使う機会は一度も無かったのだろう。
魅力が無いわけではない、まるでビスクドールのように整った外見ではあるのだが、いかんせん幼すぎる。
そんなレミリアに求愛する者など、変人かロリコンかのどちらかに決まっている。
美鈴がフランドールに対して求愛していない所を見ると、彼女はおそらく前者なのだろう。
「ねえパチェ、恋人ってどんなことをするの?」
「どんなことって、手を繋いで一緒に出かけたりするんじゃない」
「手を繋いで!?」
「何をそんな驚いてるのよ。
あとは……ハグしてみたり、キスしたり」
「ハグ!? キス!?」
「だからなんでいちいち驚くのよ」
「だって、だってだって!」
手をパタパタと振り回しながら驚くレミリア。
声も騒がしいが、動きもなかなかに騒がしい、何をそんなに騒ぐようなことがあるのか。
パチュリーはジト目で、呆れたような表情をしながらレミリアをの方を見ていた。
「大変よパチェ、私すごいことに気付いちゃったわ!」
パチュリーは確信する、今度こそ間違いなく下らない話であると。
不意打ちが来ないとも限らないが、九分九厘間違いないだろう。
「私と美鈴って、もう恋人だったのよ!」
ほらね。
パチュリーは余裕綽々にお茶を啜った。
さっきの話を聞いた時点でこの展開は読めていた、平気で同じベッドで寝て抱き合うような二人の関係だ、レミリアがそう勘違いしても仕方無い。
まあ手を繋いだりハグをする程度なら、十分にありえる話だろう。
「……ん、キス?」
だが一つだけ引っかかる部分がある。
レミリアが恋人だと言い切ったと言うことは、パチュリーのあげた条件全てに引っかかったということだろう。
手をつないだのは分かる、ハグをするのもわかる、じゃあ最後の一つは。キスをしたという条件は、一体全体どういうことなのか。
「ねえレミィ、あなたもしかして、美鈴にキスされたの?」
「されたどころか、毎日のようにしてるわよ」
「毎日!?」
思わず声が上ずる。
パチュリーは自分が喘息持ちということも忘れて、全力で声を上げた。
毎日キスをするなんて、一体どこの新婚夫婦の話だ。
これは確かにレミリアの言うとおり、明確に告白をしていないだけで二人の関係は恋人のようなものなのかもしれない。
「私としたことが……とっくに手遅れだったのね」
「まさか、そんな、告白もされてないのに私と美鈴がすでに恋人だったなんて」
ショックを受けうなだれるレミリアとパチュリー。
そんな二人を遠目から眺める小悪魔は、なぜだか白けたような、つまらそうな顔をしている。
主の会話に割り込むのは悪いと思って今まで傍観者に徹していたのだが、このままでは小悪魔にとって”つまらない展開”になってしまいそうだ。
パチュリーはレミリアと美鈴の関係を進展させたくないようだし、レミリアも自分から告白する気配はない、そんなの悪魔として許せるわけがない。
そもそもハグやキス程度、小悪魔にとってはお遊びのようなものだ。
「パチュリー様、お嬢様、お言葉ですが……」
「何よ小悪魔」
「キス程度で恋人を名乗るなんて、まだまだお子様ですよね」
「な、なんですって……私と美鈴は恋人じゃないって言うの!?」
突然の乱入者、そして爆弾発言にレミリアは目を見開き驚愕した。
キス”程度”、さらにお子様扱いなど、従者ごときが口にしていい言葉ではない。
そこまで言うということは、主が相手でもぐうの音も出ないほど論破出来る自信があるに違いない。
「ええ、まだまだです。美鈴さんは経験豊富なようですし、キスぐらいならお遊びの可能性も捨て切れませんね」
「遊び、ですって……? この私が、美鈴に遊ばれてるっていうの?
毎日のようにキスしてくれてるのにっ!」
「ちなみにどこにキスされたんです?」
「どこって……頬とか、額とか、手の甲とか」
「レミィ、唇じゃなかったの?」
「く、唇なんて許可するわけないでしょっ! そんなことしたら……その、私と美鈴の子供ができちゃうじゃない……」
「うわぁ……」
これにはさすがの小悪魔のドン引きである。
「パチュリー様、お嬢様に性教育とかしてこなかったんです?」
「親友に性教育なんてできるわけないでしょう」
「言われてみれば。
いやでも、親友に性教育するってなんだかそそりません?」
「……」
「ごめんなさいすいませんでした」
パチュリーの手に魔力が渦巻き始めた瞬間、小悪魔は反射的に頭を下げていた。
長年従者を務めてきた物の勘である、これぐらい出来なければ小悪魔はすでにこの世に存在していなかっただろう。
レミリアに性教育がされていないのは仕方のない話だ。
吸血鬼が通う学校などあるわけがないし、パチュリーがレミリアにいかがわしい本を貸し出すとは考えにくい。
恋愛事に疎いのも仕方のないこと、しかし小悪魔はそれで良しとするほど甘くはない。
「でも、美鈴さんはお嬢様に漫画を貸してたんですよね。
今どきの漫画って、そういう描写があるのも少なく無いと思うんですが」
「そういうのは持ってなかったんじゃないの」
「美鈴さんの持ち物なのにですか? うーん……ひょっとするとわざと避けてたんじゃないですかね、そういう描写がある漫画を」
「何のために避ける必要があるのよ、美鈴からしてみればレミリアがいつまでもお子様のままじゃ困るんじゃない」
パチュリーの答えも間違っているとは言いがたい。
だが小悪魔の頭には、限りなく答えに近いであろう考えが一つ浮かんでいた。
美鈴は、レミリアを真っ白な状態で自分のものにしたいのではないかと言う可能性である。
奇しくも、パチュリーの暴走した妄想こそが答えに最も近かったのだ。
真っ白なキャンバスを汚したい……という理由かは定かではないが、美鈴が純粋無垢なレミリアに惹かれたのだとしたら、その行動にも合点がいく。
「だとすると、遊びではないんですかね」
二人に聞こえない音量で呟く。
頬や額にキスをしたという話は置いといて、手の甲にキスをしたという話も気になる。
お遊びにしてはキザったらしすぎるし、そもそも遊ぶにしたってレミリアが相手と言うのはさすがにリスクが高すぎやしないだろうか。
実は火遊びが大好きなのかもしれないし、ひょっとすると高度な自殺志願者という線も捨てがたいが、一番可能性が高いのは、美鈴が本気だという線。
でなければ、こんなに長い間仕えることも出来なかっただろう。
だが小悪魔はそれに気付いても二人には伝えない。
なぜなら、そっちの方が面白そうだから。
進展が無いのもつまらないけれど、どうせなら拗れてくれた方が面白い。小悪魔は腐っても悪魔なのである。
「……もしかしてもしかするとだけど、キスじゃ子供は出来ないの?」
二人のやり取りを傍観していたレミリアが口を開いた。
何を今更、といった表情の二人だが、レミリアは本気である。
てっきりキスをしたら子供が出来るものだと思っていたし、子供が生まれるのはキャベツ畑だと思っていた。
幼少期に母親が冗談めかして言った、キャベツ畑から拾ってきた子だという言葉を今でも信じ続けていたのである。
五百年近くも覚えているとは、さすがに母親も想像していなかっただろう。
「二人の表情でわかったわ、キスじゃ子供は出来ないのね。
じゃあなんで、唇同士のキスには特別な意味があるの?」
「なんで、っていうのは私にもわかりませんが、多くの動物達が独特の求愛行動をするように、人型生命体にとっての求愛行動の一つってことじゃないでしょうか。
好きって気持ちを表現するのに最適ですしね、手軽ですから」
「手軽……かしら」
「お嬢様は大げさに考え過ぎなんです。超手軽ですよ、ほら」
おもむろにパチュリーの頬を両手で押さえると、振りほどかれるよりも先に深くキスをする小悪魔。
唇を重ねるだけでは飽きたらず、パチュリーの唇が閉じられるよりも先に舌を滑り込ませ、思うがままに口内を蹂躙する。
「ん、ぶちゅっ…んぐっ、んー! んー! あふ…ひゃ、め……じゅるっ……ん、ちゅ……」
「な、な、な……っ」
抗議の声をあげ、必死に引き剥がそうとするパチュリーだったが、小悪魔はなかなか離れない。
本気を出せば、小悪魔程度簡単にどうにかできるはずなのだが。
突如目の前で繰り広げられる刺激的な光景を、レミリアは食い入るように見ていた。
こんなの見たこと無い。こんなの知らない。キスなんて唇を重ねるだけだと思ってた。
レミリアの常識は尽く塗りつぶされていく。
小悪魔はキスをしながらちらりとレミリアの方へ視線を向ける。
驚き目を見開いたその表情を見ると、小悪魔は満足気に”ふふっ”と鼻を鳴らした。
「あわわわわ……」
レミリアの両手は一応その視界を遮ってはいるのだが、指の隙間はかなり大きめに開いていて、目隠しとしての役割を全く果たしていない。
反抗していたパチュリーの手からは次第に力が抜けていき、今では小悪魔の体に手を添えるので精一杯である。
親友の見たことのない表情、口と口の隙間から時折見える絡み合った舌、顎を伝う唾液、響く湿った音。
レミリアはごくりと生唾を飲み込む。
最初は軽いイタズラのつもりで仕掛けた小悪魔だったが、気付けばレミリアの前出あるということも忘れてパチュリーとの接吻に夢中になっていた。
自分は悪くない、急に抵抗をやめたパチュリー様が悪いのだ、と責任転嫁しつつ、思う存分その口内を貪る。
てっきり魔法で吹き飛ばされて終わりだと思っていたのに、まさかこんな何十秒もキス出来るなんて、まるで夢みたいだ。
肩を抑えていたパチュリーの手が、するりと背中に移動する。
抵抗をやめるどころか、パチュリーは小悪魔のキスを受け入れ、あろうことかその体を抱きしめたのだ。
さらに密着度を増す二人の体、深さを増すキス。
胸の鼓動と鼓動が合わさって、共振して、うるさいほどに体中に響いていた。
耳にはパチュリーの声しか届かない、視界はパチュリーの色っぽい表情で埋め尽くされている、だから脳内もパチュリーの事しか考えられなくなるのは当然の理。
それはパチュリーも同様だった。
従者の突然にキスを、”調子に乗るな”と叱責して魔法で吹き飛ばしてやるつもりだったのに。
キスされた瞬間、喜んでいる自分が居ることに気付いてしまった。
本能を理性で抑えこむ事ができるのは、知性がある生物の証左。
魔法使いともなれば、人間よりもはるかに本能をコントロール出来なければならないし、欲求を制御できなくなる状況などあってはならない、そう考えていたはずだった。
だから気づかなかったのだ、本能が求める物と、理性が制御する自分とが、いつの間にかかけ離れてしまっていたことに。
それを突然与えられたことで気付いてしまった。
自分は、小悪魔が欲しかったんだと。ずっと一緒に居てくれた小悪魔のことが好きだったんだと。
一度溢れだすともう止まらない、貯めこんできた量が多い分だけ他のだれよりも反動は大きい。
背中をかき抱き、強く引き寄せる。
二人の想いが通じあったことは、誰の目から見ても明らかだった。
……もちろん、鈍感なレミリアの目から見ても。
「……あの、二人ともそろそろ」
「小悪魔っ、小悪魔ぁっ、好きなの、ずっと好きだったのっ」
「私の話はまだ終わってないのだけれど」
「パチュリーさまぁっ、うれしいです、私も、私もずっと!」
「えっと、美鈴の件は……」
「もっと、もっとしたいの、小悪魔から離れたくないのっ」
「パチュリー、聞いてる? あと小悪魔も、私の話はまだ終わってないって言ってるの、この私を無視してふしだらな行為を続けるなんて許されるとでも」
「いくらでもあげます、いつまでも傍に居てあげます、だからパチュリー様……ん、ちゅっ……」
「ねえ、二人とも……」
レミリアは無言で立ち上がると、勝手に盛り上がる二人に背を向ける。
「……帰ろう」
これは気まずい、完全にアウェーであることは火を見るより明らかだ。
あれだけ呼びかけても反応が無かった事を考えると、これ以上ここに留まってもレミリアの期待するような話にはなりそうもない。
後ろからは盛り上がる二人の声が聴こえる。
「頬にキスぐらいで大騒ぎするなんて、まだまだお子様だったのね……」
恋人同士の行為にはキス以上があること、それだけははっきりとわかった。
望まずして、パチュリーは親友への性教育を済ませてしまったわけだ。
だがレミリアはまだ知らない、それよりも更に先があることを。
図書館の入口、その扉の前までたどり着いたレミリアは、目に毒だと理解していながらも、最後に一度だけ振り向くことにした。
話の続きを期待したわけではない、今後の美鈴との関係を築いて行くにあたって、何らかの形で役に立つかもしれないと思ったからだ。
ただ単に見たいだけとも言える。
好奇心旺盛、それはこんな場面においても変わることはない。
だが振り向いたレミリアが見た光景は、想像していた行為を遥かに超越していた。
「う、うわ、うわわわわっ。え、ええっ、そんなことするの……っ!?
そんな、あれより先が……うわぁ……」
再び食い入るように二人の絡みを見ていると、ふいに小悪魔の視線がこちらを向いた。
ニヤリと唇を歪ませる小悪魔。
偶然目が合ってしまったレミリアは、背筋に悪寒が走るのを感じた。
ぶるっと体を震わせる。
瞳は深い黒、じっと見てると飲み込まれそうになる。魂ごともってかれて、雰囲気に飲まれたまま戻ってこれなくなりそうな、そんな予感がした。
慌てて踵を返し図書館から飛び出す。
勢い良く閉じたドアが、ガシャンと大げさに音を鳴らした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
体力が尽きたわけでもないのに、勝手に息が荒くなる。
「小悪魔の、くせに……私をビビらせるなんていい度胸じゃない……」
腐っても悪魔ということか。
力の強さで言えば吸血鬼であるレミリアの方がずっと上であるはずなのに、蠱惑的な表情に飲まれそうになってしまった、恐怖を感じてしまった。
あんな風になりたいわけじゃない、でも恋の行く末がさっきの二人の姿なのだとすれば、自分の美鈴に対する感情は本当に恋なのか、レミリアはそれすらも怪しく感じてしまう。
価値観が揺らぐとはまさにこのこと。
好意を抱いているのは間違いない、胸だって痛くなる、迫られればドキドキだってする、これが恋じゃないのなら一体何を信じればいいのか。
「あーもう、結局遊びとか遊びじゃないとかなんなのよっ! こんなことならパチュリーになんて話さなければよかったわ!」
恋愛に詳しい小悪魔の登場で疑問が減るかと思えば、さらに増えてしまう始末。
かといって今更この中に戻って問いただすわけにもいかず、もやもやとした気分を持て余したまま二人の行為が終わるのを待たなければならない。
レミリアは待つのが嫌いだった。
いつ終わるかも分からないのに、このままじっとして待っておくなんてまっぴらごめんだ。
かと言って下手に歩きまわって美鈴と遭遇しようものなら、何を口走ってしまうかわかったもんじゃない。
パチュリーの言葉を信じるなら、手を繋いでハグをしてキスをして、そういう二人の事を恋人と言うらしい。
恋人でなくとも、そういった行為に愛情を表す意図があるという事はもはや疑う余地もないだろう。
だが一方で、小悪魔はその程度の行為なら遊びである可能性も有り得ると言っていた。
美鈴は経験豊富だから、とも。
小悪魔とパチュリーの先ほどの行為を見れば分かる、唇以外の場所に対してのキスなど、しょせんは子供だましの遊び程度の意味しかないのだと。
いや、遊びではないのかもしれないが、それは恋愛を意味するキスではなく、親愛を表すためのキスである可能性は捨てきれないと言うこと。
言われてみれば、レミリアに対する美鈴の態度はどこか妹に対する姉を思わせる部分があったのかもしれない。
レミリアは目の前にある窓に目を向けた。
三日月が高く登り、ところどころ雲で隠れている。
今日は最悪の天気だ、月が完全に隠れていないだけまだマシだが、吸血鬼に限らず妖怪全般が嫌う天気である事は間違いない。
だが、今は窓の向こうの景色に用は無い、見たいのは窓に写る自分の姿。
そこに映るのは、幼い童女の姿だ。
美鈴と比べるまでもない、恋人や主従関係というよりは、年の離れた姉妹と言った方がしっくりくる。
遊び、なのだろうか。自分をからかって遊んでいるのだろうか。一喜一憂する姿は、さぞ滑稽に見えるに違いない。
自虐的な想像が、思考の海に淀んだ一滴を落とす。
たった一つ、難しく考えなければどうってことないネガティブ思考は、美鈴が絡んだ途端に抜けられない迷宮のように難解になる。
恋の迷路というのは、かくも厄介なものなのか。
レミリアは身を持って思い知らされた。
「なんなのよこれ、なんでこんなに胸が痛いのよ。
それもこれも、全部美鈴が悪いんだからっ、主である私を悩ませるなんて本当にダメね、門番失格だわ!」
こんな時、いつまでもしょげているわけにはいかない。
いつまでも凹んでいるレミリア・スカーレットではない、とりあえず他人に責任転嫁してその場を乗り切ってしまう傍若無人さこそ組織のトップに立つものに必要な才能なのである。
しかしそれが役に立つのも、主と従者と言う上下関係が存在する時だけの話。
恋愛関係においてはこれっぽっちも役に立ちやしない。
「主は私で美鈴は従者なんだから、その辺の上下関係を理解してないなんて本当にバカよね。
バカ、バカバカ、美鈴のバカーッ!」
叫び声が廊下に響き渡る。
誰もいないこんな場所で叫んだって何の意味も無いことはレミリアだって理解している、ただのガス抜き、ストレス解消だ。
大声を出すというのはただそれだけでストレス発散になる。
叫んだ後、大きくため息を吐くと、扉にもたれながら体から力を抜き、しばらくぼーっと立ち尽くしていた。
色々ありすぎて疲れてしまったらしい。
故に、、完全に気を抜いていたレミリアは近づく足音にも気づかなかった。
「お呼びしましたか、お嬢様」
「……へ?」
聞き覚えがある声。何度も聞いた声。忘れるはずのない、声。
胸の鼓動がドクンと跳ねた。
目を開くと、目の前には美鈴の姿が。
「めい……りん?」
「はい、お嬢様の愛する従者、紅美鈴です。
私を呼ぶ声が聞こえたと思ったらいきなり罵倒されるんですもん、びっくりしましたよ」
「き、聞いてたの?」
「そりゃもうはっきりと。
あ、ちなみに咲夜さんも一緒に聞いてましたよ。ね、咲夜さん」
「聞こえないふりをするのが従者として正しい行動かと思いましたが、美鈴がどうしてもというので」
「咲夜さんったら酷いです、ゲラゲラ笑いながら私の服引っ張ってたくせに!」
「あら、そうだったかしら? 私は存じ上げませんわ」
表情を全く変えずに白を切る咲夜。
美鈴は口を尖らせながら、ジト目で咲夜を睨みつけた。
普段ならそんな二人のやり取りを見ても何も感じないレミリアだったが、今日だけは違う。
遊びと言う言葉が脳裏にちらつく。
美鈴と咲夜は普段から仲がいい、レミリアと美鈴の関係と比べてどちらが上か優劣を付けられないぐらいに。
主と従者、従者と従者、どちらが付き合いやすいかなんて考えるまでもない、その点を考慮すると咲夜の方が上なのかもしれない。
もし美鈴の本命が咲夜なのだとしたら。
胸は都合関係なしに身勝手に痛む、切なさが感情を冷やす。
「お嬢様、具合が悪いのですか?」
真っ先に気付いたのは美鈴だった。
それだけで救われた気分になるのだから、レミリアは自分の単純さに呆れるしか無い。
「些細なことよ、気にしないで」
「……お嬢様、無理はされないでください、少しでも気分が優れないのなら部屋で休むべきです。
すぐに準備をしますわ」
「いいわよ咲夜、体調の問題じゃないのだから」
「ですが」
「咲夜」
「……はい」
些細なこととは言え、自分の体調に異変があることをほのめかしてしまったのはレミリアらしからぬ失言である。
主の体調に少しでも変化があればそれを察して対応する、それが優秀な従者なのだから。
「さて、部屋に戻るわ。
お茶の準備もいらないから、しばらく一人にしてもらっていいかしら」
「かしこまりました」
咲夜が頭を下げる。
一方で美鈴は心配そうにレミリアの方を見ていた。
「美鈴、私が大丈夫って言ってるのに信じられないのかしら。
私の心配をするぐらいなら自分の仕事を進めなさい」
「今は私の仕事なんてありませんから、暇なんですよ」
「あらそうなの、じゃあちょうど良かったわ、大広間の掃除を手伝って」
「わーたいへんだー、とても重要な仕事ができちゃったぞー、すぐにいかないと間に合わないぞー」
「……はいはい、そう来ると思ってたわよ」
「というわけで、私も失礼させてもらいますね」
大慌てでレミリアの部屋とは逆方向に駆けていく美鈴。
そのコミカルな言動に、レミリアの頬は思わず綻ぶ。
「ふふっ」
「お嬢様の悩み、もしかして美鈴絡みですか?」
「藪から棒にどうしたのよ」
「さっきまで微妙な表情をしてたのに、今では影も形も無いんですもの」
「……伊達に従者はやってないってことかしら。
そうね、美鈴絡みよ。でも咲夜が気にすることは無いわ、本当に些細なことなんだから」
「お嬢様が些細という言い方をされるときは、いつだって重要な出来事が起きる時なんですよ、ご存知でしたか?」
「そ、そうだったかしら」
「ええ、そうなんです。伊達に従者はしてませんから。
ですが些細と言われてしまった以上、従者にはこれ以上出しゃばる権限はありません」
「よくわかってるわね」
いつだって踏み込みすぎず、離れすぎず、適切な距離感を保つのが咲夜だ。
そんな彼女だからこそ、一緒にいて心地いい。
レミリアが咲夜を常に傍においているのはそういった理由がある。
美鈴みたいに遠慮なしに踏み込んでくるのもそれはそれで悪くないのかもしれないが、従者と言う立場には相応しくない。
「ですから、一言だけ言わせてもらいます」
咲夜は両手をぎゅっと握り、ガッツポーズを作る。
「ファイトです、お嬢様っ」
いつも見せる従者としての笑みとは違う、美鈴や外の友人たちに見せる砕けた笑顔を浮かべて、私にそう言った。
励ましたつもりなのだろう。
咲夜らしからぬ素直なエールに、レミリアは思わず吹き出してしまった。
「なによそれ、知ったような口きいちゃって」
「僭越ながら、今のお嬢様には必要な言葉だと思いましたので。
それでは、私もまだ掃除が残っていますので失礼します」
咲夜はそう言うと、次の瞬間にはレミリアの目の前から姿を消していた。
頬がほんのり赤くなっていたことを考えると、咲夜もそれなりに恥ずかしかったのだろう。
「ファイトって言われたって何を頑張ればいいのかわからないけど……そうね、まあ元気は出たかな」
おかげでさっきまでのネガティブ思考はすっかりと吹き飛んでしまっていた。
部屋に戻ると、そこにはハーブティとスコーンが用意されていた。
レミリアは呆れたように大きく息を吐く。
「はぁ。いらないって言ったのに、気を利かせすぎなのよ咲夜は」
ありがた迷惑とまでは行かないが、たまにお節介過ぎる時がある。過保護すぎるのだ。
レミリアが部屋に戻るまでの間に、わざわざお茶を煎れてスコーンまで作っていたというのだから驚きだ。
咲夜でなければ出来ない芸当、だからこそ彼女に負担をかけすぎている。
「……二つ?」
問題は、用意されたお茶とお菓子の数である。
ハーブティが二つに、スコーンが二つ、明らかに一人用ではない。
咲夜がそんな失敗をするとも考えにくい、つまりはあと一人誰かがここに来る予定があるということだろうか。
一番可能性が高いのはそれを準備してくれた咲夜なのだろうが、咲夜の姿はすでに部屋に無い。
レミリアが考え込んでいると、扉をノックする音が四回聞こえてきた。
「どうぞ」
「しつれしまーす」
「美鈴!?」
姿を表したのは、先ほど部屋とは真逆の方向に走っていったはずの美鈴だった。
「いやはや、そこまで驚いてもらえると部屋に来たかいがあるってもんです」
「だってさっき、真逆の方向に行ったはずじゃ」
「頑張って走ってきました」
「なんでそんな無駄なことを……」
「サプライズって大事だと思いません? おかげでレミリア様も驚いてくれたようですし」
歯を見せながらイタズラっ子っぽく笑うその姿は、上品に笑ってみせる咲夜とは対照的だ。
レミリアはどちらの笑顔も好きだった。
その好きの意味合いが違うことに気付いたのはつい最近で、それまでは二人の間に大した差はないと思っていたほどだ。
ちなみに、美鈴はレミリアと二人きりの時はお嬢様でなくレミリア様と呼ぶ。
特にレミリアが命令したわけではなく、昔からそうなのだ。
名前呼びの間は従者ではなく友人として接する、という美鈴なりの意思表示ではないかとレミリアは考えているが、本人に聞いたわけではないので、本当のところどういう意図があるのかは本人以外に誰も知らない。
何よりレミリア自身が全く気にしていない。
「ああ、なるほどそれで……」
美鈴の来訪でレミリアは気づいた、お茶が二人分用意されていたその意味を。
「ほんと、気が滅入るぐらい気を利かせすぎね」
「何の話です?」
「部屋に戻ってきたら、お茶が二人分用意してあったのよ。
たぶん私と美鈴の分でしょうね」
「咲夜さんが準備したってことですか!?
さすがだなあ、たぶん私が逆方向に走っていった時点で気付いてたんでしょうね」
「人間にしておくには惜しい勘の良さだわ」
本人がそう望むのなら、いっそ人間を辞めさせてもいいとレミリアは考えていた。
幻想郷を管理する連中が障害になる可能性もあるが、博麗の巫女は咲夜一人を始末するために本気の紅魔館全員を相手にするなんて愚かな真似はしないだろう。
以前の異変の時とは違い、紅魔館には正式な戦力としてフランドールも居るのだから。
レミリアがお茶を片手にベッドに腰掛けると、美鈴もその隣に腰を下ろした。
二人は密着しながら隣に並ぶ。
お茶を飲むにはあまりに近すぎる距離だが、二人にとってそれはいつも通りの距離だった。
ふとレミリアは思う。
最初から自分たちの距離はこんなに近かっただろうか、と。
確か出会った時は隣に座ること自体なかったはずだ、隣に座るように促したのはレミリアの方だった。
従者ではなく友人を欲しがったレミリアは、半ば無理やり美鈴を自分の隣に座らせたのだ。
しかしその頃だって多少は距離が離れていた。
距離を詰めたのはレミリアではない、美鈴からのはず。
無意識なのか、それとも意識的に距離を縮めていったのか。
いっそ直接問いただしてしまいたかったが、それを聞くことはつまり、レミリアが抱く疑問全ての核心に迫ることのような気がしていた。
好きか、嫌いか。恋か、妹か。遊びか、本気か。
不安は尽きない。欲求も付きない。
「ふぅ、やっぱり咲夜さんの煎れてくれたお茶は飲んでると落ち着きますね。
でもこれ、いつも飲んでるお茶とちょっと違うような」
「サフランティーね」
「へえ、サフランティーってこんな味なんですね」
「ええ、まあ……」
「どうしたんです?」
偶然なのか、それともわざとなのか、咲夜の意図をレミリアは読めないでいた。
てっきり何も知らないで適当に応援しているものだと思っていたが、どうやら咲夜はレミリアが何を悩んでいるのか全て知っていたようだ。
でなければ、この場でサフランティーなんてチョイスはしないはず。
「女性の体に良いお茶なのよ、咲夜があまりに気を使いすぎるものだから呆れてたの」
「確かに咲夜さんはすごいですよね、もっと私みたいに自分の体を労るべきです」
「あんまり美鈴みたいになられても困るけどね」
「……割とショックです」
「咲夜みたいなのは一人でいいし、美鈴みたいなのも一人でいいってことよ」
「あんまり褒められてる気がしませんね」
「私に必要とされてる時点で胸を張りなさい、そこらの有象無象では私に触れることすら許さないんだから」
「そうですよね、レミリア様にこんなこと出来るの私ぐらいですもんね」
そう言いながら、美鈴はレミリアの頬にキスをした。
タイミングがタイミングなだけに、レミリアは微妙な心境だ。
「こうしてキスするのも久しぶりな気がします、なんだか最近レミリア様に避けられてるような気がしてましたから」
「忙しかったのよ、こう見えても紅魔館の主なんだから」
「わかってます、それでも寂しい物は寂しいんです、人肌に慣れちゃってると余計に」
「私だって……」
寂しかった、その一言が言えないレミリアの強情な性格が、二人の関係の不透明さを加速させているのかもしれない。
従者に頑張れと言われてしまった以上は頑張らないわけにもいかない。
全てをはっきりさせるには、結局はレミリアから歩み寄るしか無いのだ。
明らかになった全てがレミリアに取ってマイナスになる真実だったとしても、それを明かさずに蓋をしておけるほど聞き分けのいい性格はしていない。
「私だって、寂しかったわ」
美鈴の方に体重を預け、接触していた体をさらに密着させた。
まるで恋人に甘えるような仕草になっていることに、レミリアは気付いていない。
ただやりたいと思った事をそのまま実行しているだけで、あざとい仕草になってしまったのは意図的にではない、あくまで偶然。
恥ずかしくないわけじゃない、ただ恥を捨ててでも手に入れたいものがあったからそうしただけだ。
だがレミリアの渾身の攻めにも、美鈴が揺らぐ様子はなかった。
「同じこと考えてたなんて、何だか嬉しいですね」
全くもっていつも通りの美鈴の反応に、レミリアは内心拗ねていた。
大胆さが足りないのか、それとも美鈴は本当にレミリアに興味がないのか。
しかしこれで諦めてしまっては紅魔館の主の名が廃る、続いて次の攻撃手段を考え始める――実は美鈴が追い詰められている事など、全く知りもせずに。
「(なにそれ寂しいとか可愛すぎてやばいんだけど心臓爆発しそうなんだけどっ!
でも何で急にこんなに素直に、いや可愛いけどめっちゃカワイイけどそんなことされた私の理性がヤバイっていうかもう限界なんて超えてるんだけど我慢しないと駄目だしでもちょっとだけなら先っぽだけなら大丈夫なんじゃいやいやでもでも!)」
「美鈴、何をぶつぶつ言ってるの?」
「な、なんでもありませんっ!」
何でも無いわけがない、あのレミリアがついにデレたのだ、これは美鈴の人生を揺るがす大事件だ。
美鈴がレミリアに仕え始めてから、途方も無い時間が過ぎた。
過ぎた時間イコール、美鈴がレミリアに対してアプローチを仕掛けてきた時間になる。
その時間はなんと百年超、こんなにも長い間一人の女性を愛し続け、一日もかかさずアプローチを続けてきたのに、レミリアは全く美鈴になびかなかった。
必死で訓練をした、苦手な勉強だってした、歯の浮くような言葉なんて全く知らなかったのに、いつの間にか考えずとも浮かんでくるほどに極めてしまった。
だというのに、全く崩れない難攻不落の城を前に、美鈴は幾度と無く挫折を味わい続けたのである。
距離を詰めている実感はあった、でも手を伸ばしたって霞のようで掴めない。そんなところまで吸血鬼らしくしなくていいのに。
初めて隣に座ることを許された時は完全に勝利を手にした気分で居た、だというのにあれから一体どれほどの月日が過ぎただろう、未だに美鈴とレミリアの関係は変わらないままだ。
一緒に寝てもいつも通り、抱きしめてもいつも通り、挙句の果てにはキスをしてもいつも通り。
いつも通りのレミリアが好きな美鈴としては悪い状況ではないはずなのに、全く揺らがないその心に焦りは募るばかり。
皮肉なことに、レミリアに対する気持ちに関してはすっかり自信が付いてしまった。
これだけ長い間報われないにも関わらず、それでもレミリア以外に浮気したりしていないのだ、とっくに彼女以外誰も愛せなくなってるに決まってる。
「こんなにべったりしてるとこ、誰かに見られたりしたら大変ですね」
「どうして大変なの?」
「だって、恋人と勘違いされちゃうかもしれませんよ? 紅魔館の主が従者とそんな関係だなんて思われたら大変じゃないですか、きっと新聞の一面を飾ってしまいます」
「別に一面に載ったって構わないわ、勘違いでもいいじゃない」
「何それ超ときめく」
「超?」
「え、あ、ちょ、ちょうどいいですねって言ったんですよ。
ほら勘違いされてもいいわけですから、調度良かったですって、あはは、はは」
いつもは適当な相槌が返ってくるだけなのに、今日は一体何が起きていると言うのか。
いちいち心の弱い部分にクリティカルヒットしてくるレミリアの反応に、思わず本音が漏れる美鈴。
すでに漏れ出ているリビドーを一体いつまで抑えられるのか。
そもそも抑える必要なんてあるの? という悪魔の囁きが美鈴の精神を蝕んでいく。
寂しいのなら、勘違いされてもいいのなら、いっそ本当に勘違いされるような関係になってしまえばいい、そう囁く悪魔。
……いや、本当にそれは悪魔なのだろうか。
その囁きが美鈴の欲望そのものなのだとしたら、抗う必要など無いのでは。
「美鈴って……かっこいいわよね」
「急にどうしたんです?」
「私よりずっと背も高くて、スタイルも良くって、優しくて、強くて。
そんなのかっこいいのは当たり前なのにね、どうして私いままで気付かなかったのかしら」
どうしたことか、相手をおだてるのは美鈴の役割であるはずなのに、突然レミリアから飛んできた歯の浮くようなワードに戸惑うことしか出来ない。
立場逆転のロールプレイがお望みなのか、はたまたパチュリーから変な薬でも飲まされたのか、美鈴から見たレミリアの意図は未だはっきりとしない。
一方レミリアは、外面では全く変化の無い美鈴にやきもきしていた。
端々に妙な言動はあるものの、レミリアのように顔を赤くするなど露骨な変化は見せない。
美鈴は表情が外に出難いタイプというだけで、レミリアの誘惑の効果が薄いというわけでは無いのだが、彼女にはそれが理解できないようだ。
故に攻撃の手を緩めない、美鈴が爆発寸前だとしてもお構いなしに。
「そんな素敵な人が近くに居てくれるなんて、私は幸せものね」
「私だってそうですよ、レミリア様のような最高の主にお仕え出来て幸せです」
「三十点」
「な、何の点数ですかそれ」
「今の言葉よ、私は近くに居るだけで幸せって言ってるのに、美鈴は仕えてるから幸せって平等じゃないと思わない?」
「そう言われましても……」
「美鈴は、私の傍にいて幸せじゃないの?」
「それはもう、幸せすぎて頭がどうにかなりそうなぐらいですっ」
原因が幸せの所為なのかその是非は置いといても、レミリアのせいで頭がどうにかなりそうなのは事実である。
「じゃあ、もしも私が吸血鬼じゃなくて、ただのそこら辺に転がってる石ころのようなごく普通の人間の女の子だったとしましょう。
それでも美鈴は幸せだって言い切れるかしら?」
「それがレミリア様なら」
「本当の本当に?」
「この紅美鈴、主であるレミリア様の前では決して嘘はつきません」
「さっき咲夜の前で、急に用事を思い出したとか言って走って行ったわよね。あれは嘘じゃないの?」
「あ、あれはノーカウントでお願いします!」
こんなにすぐ例外を出されてしまったのでは、信じられる物も信じられない。
だがレミリアは、今回だけ特別に信じてみることにした。
「仕方ないわね、わかったわよあれは無かったことにしてあげる」
疑ったからと言って何か良い事が起きるわけでもない、だったら信じたほうが自分も幸せだし、美鈴だって幸せだろう。
きっとあれは嘘なんかではなかったのだ、美鈴にとってはレミリアの部屋に行くのが何よりも優先すべき重要な用事だったということ。
そう考えると、またきゅっと胸が痛くなる。
寂しさのせいではなく、相手を想うが故の痛み、今より更に相手を好きになった証。
もっと触れたい、もっと近くにいきたい、けれどこれ以上なんてどうしたら。
そう考えた時、ふと先ほどの図書館での光景を思い出した。
パチュリーと小悪魔の唇が深くつながり、その後二人はさらにその先までレミリアに見せつけようとしていた。
あの時、行為の意味をレミリアは理解出来なかったが、今なら少しだけわかるような気がする。
好きになると、今よりもっと傍に行きたくなる。
肩を寄せあって足りないのなら手を繋いで、それでも足りなければ抱き合って、キスをして、舌を絡めて。
もっともっと、そうやって先を望んでいくうちにたどり着くのは、一つになりたいという欲求だ。
もちろん人型の生物が一つになることはできない、妖怪や魔法使いの中には例外もいるかもしれないが、少なくともレミリアと美鈴には無理だろう。
だからそれに近い状態を望む、欲望を満たすために。
幸せとは、欲望が満たされた状況の事を言う。
なら求めるがままに、まずはできることから。
「……っ」
何故かはわからない、いつもそうしているはずなのに、今日は手をつなぐだけで随分と恥ずかしく感じてしまう。
レミリアは太ももに指を添わせながら、自らの手を美鈴の手に近づけていく。
指先のくすぐったい感触に気付いた美鈴は、「んっ」と声を出して足をもぞもぞと動かした、だがレミリアの動きを拒絶する様子はない。
いっそもっと恥ずかしがってくれればいいのに、と何をしたって赤くならない美鈴にほんの少しの憤りを感じながら、手と手を重ねる。
美鈴の手より一回り小さいレミリアの手は、美鈴の手の甲を包むと、ゆっくりと指をからませた。
指と指の間に、レミリアは自らの指を沈ませる。
ドクン、ドクン、と心臓が警笛を鳴らしている。
何をそんなに警戒しているのか、たかが手をつないでいるだけじゃないか――そう自分に言い聞かせても、緊張はなかなか和らがない。
今日のそれはいつもと違う意味なのだと、自分でわかっているからこそだ。
「レミリア様、今日はあまえんぼさんなんですね」
「……迷惑、だった?」
「いいえ、むしろもっと甘えて欲しいぐらいです。
こんな風にレミリア様に甘えてもらえることなんて滅多にありませんから」
「もっと早くに甘えてればよかった、こんな気持ちになれるんなら」
「どんな気持ちになってるんです?」
「あったかい気持ちよ。
心のなか全部、美鈴で満たされてるみたいに」
美鈴の胸が、大きめに上下する。
彼女の平静が目に見える形で揺らいだことに、レミリアは満足していた。
だが次の瞬間、美鈴は無言のまま、おもむろに繋いでいた手を解いてしまう。
急に孤独に晒された手に強烈な寂しさを感じたレミリアは、不安げに美鈴の顔を覗いた。
同時に美鈴も、寂しい思いをさせてしまったのではないかと不安に思い、レミリアの顔を覗き見る。
偶然に、二人の視線が合う。
レミリアは赤く染まった顔を真正面から見られた気まずさにすぐに視線を別の方向にそらしてしまったが、美鈴はじっとレミリアの顔を見つめていた。
「今日のレミリア様は、いつもよりずっとかわいく見えます」
「いつもはかわいくないみたいな言い方しないでよ」
「あはは、褒め言葉のつもりだったんですが。
いつもかわいいですが、今日は輪をかけてかわいいんです」
美鈴は手の甲ではなく、手のひら同士で手を繋ぎ直す。
一方的にレミリアが握るだけだったその手を、今度はお互いに強く握り合った。
お互いに気持ちが通じ合ったような気がする。
レミリアの視線は再び美鈴を捕え、二人の視線は今度こそ深く絡み合った。
「美鈴は、こうやって近くでみるともっとかっこよく見えるわね」
「仕返しのつもりですか?」
「主の言葉は疑わないの。
私は本気よ、私の目にはあなたが誰よりも魅力的に写っているわ」
「レミリア様にそう言って頂けるなんて光栄です」
二人の会話は途切れ、しばしじっと見つめ合うだけの時間が過ぎる。
「……ねえ美鈴、お願いがあるのだけれど」
「なんなりと」
「名前を、呼んでくれないかしら」
「さっきから何度も呼んでるはずですが、いまさらどうしてそんなお願いを」
「違うわ、名前だけで呼んで欲しいの。
様なんて要らないわ、呼び捨てでお願い」
「呼び捨てって……ですが私はレミリア様にお仕えする身、そのような無礼な振る舞いは」
「だからね、そのしがらみを捨てて欲しいの。
私が自分から呼び捨てで呼ばせる相手は、身内だけって決めてるの」
「身内、ですか。私が?」
「今、美鈴以外は私の目に写ってないわ」
レミリアはとうに確信していた、美鈴の気持ちも、自分の気持ちも。
すでに疑う必要はないと結論が出たのだから、これ以上の追い打ちは美鈴を追い詰めるだけで無意味だ。
だが、それではレミリアが納得しない。
まだ一度だって彼女は赤くなっていない、自分だけが顔を真っ赤にして終わるのはやはりプライドが許さない。
「パチェは親友、フランは家族、だったら美鈴は……何だと思う?」
「レミリア様、一つよろしいでしょうか」
「ヒントが欲しいの? 仕方ないわね、聞いてあげるわ」
「私は、とうに限界を迎えています。今はどうにか繋ぎ止めている状態です。
これ以上は……その、まずいと思います。私にもどうにも出来ないかもしれない、それでも」
「今日の美鈴は珍しく鈍いのね、それとも私の戯れだとでも思っていたのかしら」
むしろ逆だったはずだ、レミリアはずっと美鈴の遊びではないかと疑っていた。
美鈴がそれを疑うと言うことは、同時にレミリアの不安も解消されることになる。
遊びなんかじゃない。美鈴も、レミリアも。
「気付かなかった? 私、その美鈴の限界とやらを崩すために一生懸命頑張っていたの。
だから、どうにもならない状況になってくれるのは大歓迎よ、それを待ってたんだから」
「……ああ、もう、本当に知りませんからね」
美鈴は一度固く目を閉じ、大きく息を吸った。
長年の悲願はもう眼前にある。
何がきっかけかなんてわからない、日々積み重ねてきた物がようやく花開いたとしか考えられない。
吸い込む息も、吐き出す息も、細かく震えている。
恐怖か、歓喜か、その先に待つものが想像できないために、自分でもどちらが原因かわからない。
瞳を開けば、頬紅く微笑む最愛の少女の姿があった。
「レミリア」
その名前を呼んだ瞬間、レミリアの体がぴくりと震えた。
変革の瞬間。
主と従者は今のこの時、全く別物へと姿を変えた。
「もう一度、呼んで」
今日のレミリアは欲張りだ、欲求を自分の中で留めるのをやめたら、自分でも呆れるほどにして欲しいこと、言って欲しい言葉が溢れ出てくる。
「レミリア」
「ふふ、いいわ、とても素敵な気分よ。気分が高揚して、体が熱くなって。
名前を呼ばれるだけでこんなに嬉しいなんて初めて。
今度から、二人きりの時は必ずそう呼んで、絶対よ」
「呼ぶだけじゃ、足りません」
「何が足りないのかしら」
「想いです、ずっと伝えたくてたまらなかった想いがたくさんあるんです」
「じゃあ満足するまで言葉を頂戴、きっとそれは私が待ち望んでいた言葉だわ」
何も躊躇することはない、お互いの想いが一致しているのはもはや疑いようのない事実なのだから。
「レミリア。
愛しています、出会った時からずっと」
城壁は脆くも崩れ去った。
さらけ出された本能は、あとはもう相手をひたすらに求めるだけで、誰の言葉も聞きはしない。
いや、聞こうが聞くまいがもはや関係のない話だ。
この部屋にはもう、誰も止める者などいないのだから。
美鈴の顔がレミリアに近づいていく。
繋いでいた手を解き、レミリアの肩に手を当てベッドの上に押し倒す。
レミリアもされるがまま、抗うこと無く仰向けにベッドへと倒れる。
馬乗りになった美鈴は、その唇を奪おうと顔を近づけていく。
「待って」
その唇が触れるより前に、レミリアの人差し指が美鈴の唇に当てられた。
指に力は込められていない、だが美鈴の顔はそこでぴたりと止まる。
「まだ私は返事をしていないわ、恋人でもない相手を押し倒すなんて、美鈴はとんだけだものさんなのね」
「こんな状態でおあずけなんて出来るわけがないでしょう」
「ごめんなさい、でも聞いて欲しいの」
形式は重要である。
双方向の告白の成立は、関係の成立だけではなく呪術的な意味での契約の成立を意味する。
目に見えるほどの効果はなくとも、多少は今までよりも強く二人を結びつけるはずだ。
「愛してるわ、美鈴」
レミリアの告白。
それを聞いた瞬間、美鈴の頬は初めてほんのりと紅く染まった。
最後の最後に、ようやく。
レミリアは満足気に微笑む。
最初からある程度は晒しだすつもりではあったが、上機嫌になったレミリアは何もかもを捧げていい気分だった。
今日の美鈴なら、捧げた分だけ貪り食らうだろう。
それはそれは素敵なこと。
恋とは不思議なもので、支配者たる吸血鬼でさえも、相手に支配されたいという欲求が生まれる。
今のレミリアがまさにそれだ、出来ることなら美鈴に全てを奪って欲しい。
「心のなかはとっくにあなたでいっぱいだから……今夜は、身体まで美鈴でいっぱいにして」
「――っ!」
性知識などほとんどないレミリアが、本当にそういった意味で発した言葉かどうかは定かではない。
自覚の有る無しなどもはや些細な問題である。
どうせ全てを捧げる気でいるのだから、あとは美鈴が求める分だけレミリアが与える、ただそれだけだ。
「咲夜ちょーっぷ」
「あいたっ! な、何ですか急に、今日はサボってませんよ」
「知ってるわよ、ただ何となくぶん殴りたくなったの。
チョップで済んだだけマシなんだから、感謝しなさい」
「そんな理不尽な……」
雲ひとつ無い空の下、絶好の昼寝日和にも関わらず美鈴は珍しく眠ってはいなかった。
咲夜としては昼寝をしていること前提でチョップを仕掛けたのだが、まさか起きているとは全くの予想外。
だが何ら問題はなかった、これは嫉妬によるストレスを発散するための攻撃なのだから。
「ああ、チョップしたせいで手が痛いわ。
お嬢様と美鈴がもうちょっと落ち着いてくれてれば私が手にダメージを受ける必要もなかったのに」
「今日の咲夜さんはまた一段と攻撃的ですね」
「たまにはいいじゃない、どうせこの後もお嬢様といちゃいちゃするんでしょう」
「それはもう、死ぬほどいちゃいちゃします」
「そのまま死んでしまえ」
「無理ですね、お嬢様が泣いてしまいますから。私は死ねないんです」
「はぁ……暖簾に腕押しってやつね、これだから色ボケの相手は嫌なのよ」
愚痴りながらもわざわざ美鈴の所に遊びに来るということは、今の咲夜はよっぽど暇なのだろう。
以前から、咲夜と美鈴はこうして門のところでよく雑談していた。
昼寝をする美鈴をたたき起こす咲夜、と言う構図も紅魔館の住人からしてみれば見慣れた物である。
レミリアが美鈴と咲夜の関係を疑うのも仕方無い、館で働く妖精たちはレミリアと美鈴が結ばれたと聞いてかなり驚いていたとか。
「お嬢様、最近は随分と笑顔が多くなったわ。きっと美鈴のおかげね」
「私は何もしてませんよ、むしろお嬢様から力を貰ってるぐらいです」
「なるほど、だから最近は昼寝をしてないってわけね。
あーあ、愛の力って本当に素敵ね、そのまま死んじゃえばいいのに」
「最近の咲夜さんやさぐれすぎですよ」
「これぐらい許してよ、右を見ても左を見てもいちゃいちゃいちゃいちゃと、黒子に徹して世話しないといけない私の身にもなって欲しいわ」
レミリアと美鈴、パチュリーと小悪魔がくっつくだけなら咲夜もここまで荒れはしなかった。
問題は、それを見て影響を受けた妖精たちが、急にそこらじゅうでいちゃつき始めた事である。
仕事をする分には問題ないのだが、中にはサボって影でこそこそと逢引を繰り返す者もいるらしく、追いかけ回す咲夜の仕事量は以前に増えて格段に増えてしまったのである。
「咲夜さんも相手を見つければいいじゃないですか」
「軽々しく言ってくれるわね……」
「無関係みたいな顔してますけど、私は知ってますからね、最近妹様と仲がいいんですよね」
「べ、別にフラン様とは何も」
「怪しいなあ、以前までは妹様って呼んでませんでした?」
「……気のせいじゃないかしら」
妙な間、露骨に逸らされた視線、これで怪しむなと言う方が無理な話である。
実を言えば、美鈴は咲夜とフランドールが仲睦まじく遊んでいる場面を実際に目撃したことがある。
フランドールが心を許していると言うこともあるが、咲夜も彼女と一緒に居るときは実に楽しそうだ、恋愛感情の有無はともかく、一緒に遊ぶのもまんざらでもないのかもしれない。
以前のフランドールならともかく、今の彼女は随分と柔らかくなった、咲夜が危険にさらされるようなことも無いだろう。
「おっと、そろそろ時間ね。仕事に戻るわ、昼寝してるの見つけたら今度は本気チョップお見舞いするから」
「大丈夫です、愛の力がありますから!」
「咲夜チョップ!」
「痛っ!? なんで叩くんですかぁっ」
「何故かイラッと来たからよ、それじゃ今度こそ行くから」
美鈴は早い所、フランドールと咲夜にくっついて欲しいと思っていた。
二人のためだという想いも無いわけではない、だが一番の理由は自分の身の安全を確保するためである。
軽い調子でチョップを繰り出す割には、実はかなり重く痛い一撃なのである、毎日食らってると頭が凹まないか心配になってくる。
咲夜が去っていった後、数時間の間は静かな時間が続いた。
日が傾き始め、辺りはオレンジ色の黄昏に包まれる。
紅魔館にやってくる変わり者なんて滅多に居ない、魔理沙や霊夢は実質顔パス状態だし、たまにやってくる美鈴への挑戦者もほとんどは本気を出すに値しない雑魚ばかりだ。
美鈴の昼寝癖も仕方無いというものだ、娯楽も何もない状態で数時間突っ立っておくだけなんて、眠くなるのも当然なのだから。
「ふわぁ~……」
「大きなあくびね、そんな調子で本当に私を守れるのかしら」
「お、お嬢様っ!?」
美鈴がちょうど欠伸をしたタイミングで、日傘を差したレミリアが現れる。
昼寝をしていなかっただけマシかもしれないが、最悪のタイミングであることに違いはない。
美鈴は必死でどう言い訳をするか必死に考えたが、いまいち良い言葉が浮かんでこなかい。
「うっふふふ、そんなに慌てなくても冗談よ。
夜寝かしてあげてない張本人が言っていい言葉じゃないもの、それにあくびをしている美鈴はいつもと違ってかわいく見えるわ」
「お恥ずかしい所を見せてしまいました……」
「気にしない気にしない、今は二人きりなんだから」
「ですがお嬢様」
「今は二人きりって言ったわよ」
「……レミリア」
「わかってくれたみたいでよかった、恋人と以心伝心ってのは幸せなものね」
レミリアは美鈴に向けて無防備な笑顔を見せた。
頬をほんのり桃色に染めながら見せるその笑顔は、家族であるフランドールにも、親友であるパチュリーにも見せたことのない表情だ。
付き合う前までは美鈴だって一度も見たことはなかった、今では美鈴の最も好きなレミリアの表情の一つだ、見るだけで眠気も疲れも一瞬で吹き飛んでしまう。
「まだ慣れません、今までずっと様付けて呼んできましたから」
「じきに慣れるわよ、今までなんてせいぜい数百年程度じゃない、これからは数千年単位で一緒に居てもらうんだから」
「途方もなく遠い未来ですね」
「遠い未来まで幸せの予約でいっぱいなんだもの、その時が来るのが楽しみで仕方ないわ」
見ての通り、レミリアはお付き合いを始める前では想像も付かなかったほどデレデレである。
美鈴のことが気になり始めた時点でその片鱗は見せていたのだが、まさかここまでとは、片鱗など氷山の一角に過ぎなかったと言うことだ。
「そろそろ良さそうね」
レミリアは日の傾き具合を確認すると、美鈴の前に移動して日傘を閉じる。
この時間になると、日傘を差さなくても美鈴の身体に隠れることで太陽光を避ける事ができるのである。
これを発見してから、レミリアは夕方ごろになると必ず美鈴の居る門へと遊びに来るようになった。
美鈴にとっては嬉しい変化ではあるのだが、これのお陰で全く昼寝ができなくなってしまった、というわけである。
愛の力と言えば愛の力なのだが、決して美鈴が変わったわけではない。
美鈴はレミリアの身体に腕を回すと、優しく抱きしめた。
「ふぅ、やっと美鈴分が補給されたわ。起きた時となりに居てくれるのが一番いいのだけど、そういうわけにはいかないものね」
「レミリアが寝ている間、門を守るのが私の仕事ですから」
「わかってはいるのよ、でもいっそ美鈴も夜の眷属になってくれたら、一緒に寝て一緒に起きて、そういう生活を送れるのかしらと思わないでもないの」
「なかなか魅力的な提案ですが……それでは門番ができなくなりますね」
「門番じゃなくたって私を守ってくれるんでしょう?」
「もちろん、この命に代えても」
「命に代えちゃ駄目よ、あなたが死ぬときは私も死ぬときなんだから。その逆も然り。
だから私たちはお互いが死なないように守らないといけないの。
……でも、命を賭けるって言ってくれて、ちょっとだけ嬉しかったわ」
レミリアは美鈴と向き合い、首を上に傾けて唇を突き出す。
すぐに意図を察した美鈴は少ししゃがむと、突き出された唇に自分の唇を重ねた。
「今日のファーストキスね」
「毎日言われるとなんだか恥ずかしいですよ」
「恥ずかしいから良いんじゃない、この気持ちが恋の醍醐味なんだから」
愛おしさはとどまる所を知らない。
レミリアの言う数千年後までこの気持ちが続いているのか疑わしいものだが、少なくとも今は美鈴もそれを信じられるような気がする。
「明日もやるし、明後日もやるわ、これから毎日ファーストキスをしましょう」
その日のファーストキスという概念は美鈴には全く理解できなかったが、レミリアが嬉しそうなので良しとしよう。
「近い未来も幸せで、遠い未来も幸せなんて、どこを見ても幸せなんだから困っちゃうわ」
他の妖怪たちのように特別な力があるわけではなく、大妖怪と呼ばれる者達ほど強大な力を持っているわけでもない。
美鈴にできることなんて、せいぜいレミリアの傍に居ることぐらいで、それだけでレミリアが幸せになってくれるのから、対価としてた十分過ぎるほどだ。
「美鈴はどうかしら、私たちの未来とか考えてる?」
「考えてますよ、私だってレミリアと一緒です。
明日キスして抱き合えることを考えたら、それだけで幸せになれますから」
「良かったわ、美鈴とは何だって一緒がいいもの」
それに、未来が楽しみで仕方ないのは何もレミリアに限った話ではない。
美鈴だってレミリアと同じなのだ。
明日のキスを想像するだけで幸せだし、彼女ほど遠い未来を想像できるわけではないが、差し当たって数日後の幸せを想像することぐらいならできる。
人里の職人に発注している指輪が完成するのが今週、ドレスが完成するのがその数日後。
それをレミリアに渡す瞬間、彼女の喜ぶ顔を想像するだけで幸せでたまらなくなるのだ。
「あなたが私の従者でよかった、これからもずっと一緒に居てね」
「言われなくたってそうするつもりです」
じきに日が沈む。
夜の帳が下りて、二人の夜の幕が上がる。
今日は何が起きるのやら、レミリアの突拍子もないアイデアは、時折美鈴の想像を越える事件を引き起こしたりする。
それでも、疑いようのない事実が一つ。
明日も明後日もその次の日も、未来は途方もなく幸せなのだから――今夜だって間違いなく幸せに決まってる。
レミリアがそう言う時は、決まって下らない話だという事をパチュリーは理解していた。
テーブルに両肘を立て、両手を口元に持ってくるいつものポーズのままで話を続けるレミリアは、一見して悪事を企む組織のトップに見えないでもない。
表情を隠しているおかげか、妙な圧迫感があるのだ。
だがそれが通用するのはせいぜい初対面の相手ぐらいのもので、百年単位の付き合いがあるパチュリーに通用するはずもなく、無関心そうにカップを傾け紅茶を啜るだけだった。
「そう」と適当に相槌を打つだけのパチュリーだったが、レミリアは全く気にする様子無く話を続ける。
「美鈴って、実はすごくかっこいいんじゃないかしら……」
「……ごふっ」
静かに紅茶を吹き出すパチュリー、そしてなぜか頬を赤らめるレミリア。
百年以上の歴史があるささやかなセオリーは、何の前触れもなくあまりに突然にぶち壊された。
重大な話をするなら前もってそう言って欲しい、こっちの気持ちの準備もあるんだから――そう愚痴りたいパチュリーだったが、冷静に考えればレミリアはきちんと予告していたわけで、勝手に狼少年扱いしていた自分の責任なのは明白である。
吹き出した紅茶が本に掛からなかったのが幸いだ、多少服を汚してしまったが爆弾発言に比べれば些細な問題である。
「ごめん、もう一回聞いてもいいかしら。たぶん私の聞き間違いか、レミィの気の迷いだと思うから」
「失礼ね、私は正気よ。
前々から考えてはいたんだけど、つい最近確信したのよ。
美鈴ってかっこいいし、魅力的だなって」
「……ごめんなさい、もう一回」
「だから聞き間違いじゃないって言ってるでしょ!」
レミリアが怒るのももっともだが、パチュリーが聞き返す気持ちも理解できなくはない。
それほどまでに受け入れがたい……と言うより、理解し難い発言であったからだ。
なぜよりにもよってあの美鈴を、レミリアが。
その仕草を見る限り、女性が美形の男性を見た時に軽く口にする”かっこいい”と言う意味合いではないように思える。
であれば、その言葉の意味する所は、女性が意中の相手に対して発する”それ”なのではないかと、そう考えるのが妥当だろう。
出来れば間違いであってほしいと願うのだが、レミリアの言うとおり聞き間違いでも気の迷いでもないとするのなら、どうやらその願いは叶うことはなさそうだ。
にしたってどうして、なぜあの美鈴を、レミリアが。
どう考えても、何度思考を巡らせても、パチュリーは合理的な答えを導き出せないでいた。
「そんなに驚くようなことかしら、美鈴との付き合いは長いし、別に変な話じゃないと思うのだけど」
「驚かれないと思ってることに驚いてるわ。
あまりに理解できない事が多すぎて、逆にどこから突っ込みを入れればいいのかわからなくなるぐらいよ」
「具体的に、どこが理解できないのよ」
「まずレミィと美鈴と言う言葉が結びつかない」
「……ちょっと、美鈴を何だと思ってるのよ」
「門番でしょう、レミィにとってはそれ以上でもそれ以下でもないと思ってたわ」
「あの子をスカウトしたのは私なのよ、少なからず好意を抱いていてもおかしくはないじゃない」
好意と、はっきりそう口にされてしまった。
パチュリーとしては一旦話を止めてそこを追求したかったのだが、二兎を追うものはなんとやらだ、まずは一つずつ疑問を解消していかなかければなるまい。
「その能力はもちろんだけど、紅って名前も気に入ったわ。まさに私を守るのにふさわしい名前だと思わない?」
「いつの間にか館に住み着いてたから、勝手に入り込んだものだと思ってたわ」
「あれ、私が連れてきたって話してなかったっけ?」
「話なんてされてないわよ、レミィも気にしてないみたいだから別に構わないと思って放置してたけど」
「そっかなるほど、だから美鈴が来た頃って二人の仲が悪かったんだ。
あっはっは、私とした事がうっかりしてたなあ」
もう百年以上前の話なだけにいまさらレミリアを責めるつもりはなかったが、正直な話をすれば当時はパチュリーもかなり頭を悩ませていた。
いきなり館の中に名前も知らない謎の妖怪が入り込んで、勝手に門番を名乗っているのだから、そりゃ悩みもする。
たった一言、『私がスカウトしてきた』とレミリアがパチュリーに伝えればよかっただけの話なのだが、それを忘れるあたりがまたレミリアっぽいので、パチュリーもため息を吐くことしかできない。
長年の付き合いは伊達ではない、円滑な人間関係には諦めが必要不可欠なのだ。
「でもさ、私と美鈴の仲がいいことぐらい気付いてると思ってた。
ほら、美鈴が持ってる本を借りたりしてるし、よく美鈴の部屋に入り浸って遊んだりしてるわよ、私」
「それこそ初耳よ。私、基本的にここから動かないから」
「パチェったら引きこもりだもんね、出会った時からほとんど変わってないんだし、そろそろプロ名乗ってもいいんじゃない?」
「不名誉な称号ね、遠慮しておくわ」
否定したところで、現にそうである以上逃げられる物ではないのだが。
レミリアが相手の時でさえ引きこもり呼ばわりされるのを嫌うパチュリーには、何らかのこだわりがあるのかもしれない。
「それで、えっと……美鈴のことをかっこいいと思ってる、だったかしら?」
「そうそう、出会った時から顔は整ってるしスタイルもいいなあとは思ってたんだけど、せいぜいそんな感想を持つぐらいであの子の容姿とか性格に特別な感情を持つことって無かったのよ。
うん、つい最近まではそのはずだったんだけどなあ。
なんで急にかっこよく見えちゃったんだろう、美鈴の軽口なんて今に始まった話じゃないのに、妙にドキドキするようになってるし」
「軽口?」
「ええ、パチェは知らないかもしれないけど、美鈴って結構フランクな物言いをするのよ。
私と初めて出会った時もそうだったわ、『あなたとの出会いはきっと運命です』とか言ってたから」
「イメージと違うわね……」
「知らない人はみんなそう言うわ。
私は昔から知ってるから、それこそが美鈴らしさだと思ってるけど」
趣味は土いじりとトレーニング、門番のくせに暇になればすぐに昼寝するし、たまに仕事をしてるかと思えば妖精たちと遊んでたりするし――それがパチュリーの中にある美鈴のイメージだ。
人里からやってきた自信家の拳法家をけちょんけちょんにしている姿も見たことはあるが、それもレミリアの話す美鈴とは一致しない。
アウトドア派の美鈴とインドア派のパチュリーではいくら同じ館に住んでるとは言えあまり接点が無いのは仕方のないことなのだが、それでも百年以上は一緒に住んでいるのだ、ある程度は相手を理解しているつもりだったのだが。
「最初こそ驚いて大げさなリアクションしてたんだけど、最近じゃすっかり慣れちゃって、ちょうどさっきのパチュリーみたいに適当に相槌打つだけになってたの」
「気付いてたんだ」
「当たり前じゃない、それでも話聞いてくれるだけで十分だと思ってるわ。
そっか……美鈴もそう思ってたのかしら、私が聞いてるだけで十分だって。
『スカーレットと紅だから、私たちは赤い糸で結ばれてるのかもしれない』とか、『お嬢様はどのような花よりも遥かに可憐で美しい』とか、さすがに無視するのは可哀想かなと思ってたんだけど」
「待ってレミィ、それ本当に美鈴が言ってたの?」
「そうよ、何か気になることでもあった?」
「気になることしかないわよ!」
軽口というから、もっと冗談めいた話でもしているのかと思ったら、なんだそれは丸っきり口説いてるだけじゃないか。
レミリアは美鈴をスカウトしたと言っていたが、ほとんど見返りのない条件を美鈴がなぜ飲んだのか、その理由がパチュリーにははっきりと理解できた。
美鈴はレミリアに惚れていたのだ、だから文句ひとつ言わず門番なんて面倒な仕事を引き受けた。
「パチェが興奮するなんて珍しいわね」
「衝撃発言が多すぎて興奮せずにはいられないわよ、レミィはそんなこと言われて何も思わないの?」
「つい最近までは何も思わなかったわ、でも今は……」
レミリアは再び顔を紅に染め、両手を頬に当てて誰かの事を想っている。
誰かなんて考えるまでもない、おそらく脳内で限界まで美化された美鈴の幻想でも見ているのだろう。
つまり美鈴の執念はようやく実を結んだのだ。
最初から好意を抱いてたくせに、百年以上口説かれてもなびきもしなかったレミリアの鈍感さもなかなかだが、ついに美鈴のしつこさがそれを上回ってしまった。
継続は力なりとはまさにこのこと。
「美鈴なりのジョークだってことはわかってるのよ、でも今の私じゃ本気にしちゃうかもしれない。
こんな状態じゃ簡単な会話もままならなくって」
「最近はどうしてるのよ、部屋に入り浸ったりしてたんでしょう」
「今は無理よ、一緒のベッドに寝転がって向かい合ったままお話してみたり、美鈴の膝の上に乗って二人で同じ漫画読んだり、『お嬢様分が足りない』って言われて急に抱きしめられたりなんて、今の私にできるわけないじゃない!」
「今まで出来てた事にびっくりよ!」
それもう付き合ってるんじゃないのと思わず口走りそうになるパチュリー。
だが、今パチュリーに必要とされているのは何よりも冷静さである、力づくで言葉を飲み込み、ヒートアップする脳を鎮め、”落ち着け”と自分に言い聞かせる。
レミリアの言動からして、彼女は自分たちが両想いだということにまだ気付いていないようだ。
見ての通り彼女は幼い、実年齢は置いといても、背伸びして大人アピールしたがるお子様なのである、それは親友であるパチュリーが最もよく知っている。
四六時中そういう状態と言うわけではなく、有事の際には年齢なりの振る舞いもしてみせるのだが、基本的には見た目通りか、それよりちょっと上程度の精神年齢しかない、好奇心旺盛な少女なのである。
好奇心旺盛という点においてはパチュリーも同じだし、そんなレミリアと親友として長々と付き合えるあたり、自分も人のことを言えるほど大人ではないのだが、それは今は関係ない。
問題は、そんなレミリアが美鈴とお付き合いを始めたらどうなってしまうか、ということ。
レミリアとは対照的に、美鈴は見た目も中身も大人のお姉さんである、詳しくは知らないが恋愛経験もそれなりに豊富だろうと考えられる。
そんな彼女が、純粋無垢なレミリアに手を出したらどうなるのか、異性経験が乏しいパチュリーにも容易に想像できる。
手取り足取り、それ以外も全身のあらゆる部位を手に取り、パチュリーが現在想像しているような口では言えないエキサイティングでエキゾチックな行為に及ぶのだろう。
性知識が全く無いのを良いことに間違った常識を教え込み、相手の好意を利用して本来なら絶対に言わない口にするのも憚られるような言葉を連呼させ、何度も何度もそれを繰り返し慣れさせ羞恥心を少しずつ薄め、その真っ白なキャンバスを美鈴好みの色に染め上げ、完成した作品を大衆の面前で晒すのだけれどその頃にはレミリアも喜んで事に及ぶような変態系美少女に仕立て上げられていて――
「パチュリー、なんでにやけてるの?」
「な、なんでもないわよ、ちょっと興奮しすぎただけ」
嘘は言っていない。
パチュリーは一度咳払いすると、ふしだらな想像を頭から追い払い、再び普段通りのキリっとした表情に戻る。
そんなパチュリーの百面相をレミリアは訝しげに見ていた。
「それで、レミィはどうしたいのよ」
「どうしたい、って?」
「美鈴と恋人になりたいんでしょう?」
「こ、こここ恋人っ!? やめてよ、急にそんな話を飛躍させないでよっ!」
「……いや、決して飛躍なんかしてないと思うのだけど」
「飛躍してるわよっ、エッフェル塔より高く飛び立ってるわ!
いいかしら? 私は美鈴の事をかっこいいと思ってるし、好きでもあるわ、でもそれは恋人になりたいって話とはまた別なの!
こ、こい、恋人、なんて……私と、美鈴が恋人なんて……」
顔を耳まで真っ赤にしながら必死に反論していたレミリアだったが、なぜかその声は次第に小さくなっていく。
視線もうつろで、どこか違う世界へと飛び立ってしまっているようだ。
「こい……びと……そんなのダメよ……でも、私と美鈴が……」
どうやらその違う世界では美鈴とレミリアはすでに恋人になっているらしい。
無論その世界にはパチュリーの居場所などあるはずもなく、レミリアがトリップしている間パチュリーは放置状態である。
先ほどまで同じような状態だったパチュリーにとってはありがたい休憩時間だ。
パチュリーは一度大きく深呼吸すると、紅茶を一口ずずずとすすった。
「恋人……恋人……って、何するのかしら……」
「……そこからなんだ」
やはりお子様である。
吸血鬼は魅了の能力を持っているらしく、おそらくレミリアも例外ではないはずなのだが、ここまで恋愛に疎いと言うことは今まで使う機会は一度も無かったのだろう。
魅力が無いわけではない、まるでビスクドールのように整った外見ではあるのだが、いかんせん幼すぎる。
そんなレミリアに求愛する者など、変人かロリコンかのどちらかに決まっている。
美鈴がフランドールに対して求愛していない所を見ると、彼女はおそらく前者なのだろう。
「ねえパチェ、恋人ってどんなことをするの?」
「どんなことって、手を繋いで一緒に出かけたりするんじゃない」
「手を繋いで!?」
「何をそんな驚いてるのよ。
あとは……ハグしてみたり、キスしたり」
「ハグ!? キス!?」
「だからなんでいちいち驚くのよ」
「だって、だってだって!」
手をパタパタと振り回しながら驚くレミリア。
声も騒がしいが、動きもなかなかに騒がしい、何をそんなに騒ぐようなことがあるのか。
パチュリーはジト目で、呆れたような表情をしながらレミリアをの方を見ていた。
「大変よパチェ、私すごいことに気付いちゃったわ!」
パチュリーは確信する、今度こそ間違いなく下らない話であると。
不意打ちが来ないとも限らないが、九分九厘間違いないだろう。
「私と美鈴って、もう恋人だったのよ!」
ほらね。
パチュリーは余裕綽々にお茶を啜った。
さっきの話を聞いた時点でこの展開は読めていた、平気で同じベッドで寝て抱き合うような二人の関係だ、レミリアがそう勘違いしても仕方無い。
まあ手を繋いだりハグをする程度なら、十分にありえる話だろう。
「……ん、キス?」
だが一つだけ引っかかる部分がある。
レミリアが恋人だと言い切ったと言うことは、パチュリーのあげた条件全てに引っかかったということだろう。
手をつないだのは分かる、ハグをするのもわかる、じゃあ最後の一つは。キスをしたという条件は、一体全体どういうことなのか。
「ねえレミィ、あなたもしかして、美鈴にキスされたの?」
「されたどころか、毎日のようにしてるわよ」
「毎日!?」
思わず声が上ずる。
パチュリーは自分が喘息持ちということも忘れて、全力で声を上げた。
毎日キスをするなんて、一体どこの新婚夫婦の話だ。
これは確かにレミリアの言うとおり、明確に告白をしていないだけで二人の関係は恋人のようなものなのかもしれない。
「私としたことが……とっくに手遅れだったのね」
「まさか、そんな、告白もされてないのに私と美鈴がすでに恋人だったなんて」
ショックを受けうなだれるレミリアとパチュリー。
そんな二人を遠目から眺める小悪魔は、なぜだか白けたような、つまらそうな顔をしている。
主の会話に割り込むのは悪いと思って今まで傍観者に徹していたのだが、このままでは小悪魔にとって”つまらない展開”になってしまいそうだ。
パチュリーはレミリアと美鈴の関係を進展させたくないようだし、レミリアも自分から告白する気配はない、そんなの悪魔として許せるわけがない。
そもそもハグやキス程度、小悪魔にとってはお遊びのようなものだ。
「パチュリー様、お嬢様、お言葉ですが……」
「何よ小悪魔」
「キス程度で恋人を名乗るなんて、まだまだお子様ですよね」
「な、なんですって……私と美鈴は恋人じゃないって言うの!?」
突然の乱入者、そして爆弾発言にレミリアは目を見開き驚愕した。
キス”程度”、さらにお子様扱いなど、従者ごときが口にしていい言葉ではない。
そこまで言うということは、主が相手でもぐうの音も出ないほど論破出来る自信があるに違いない。
「ええ、まだまだです。美鈴さんは経験豊富なようですし、キスぐらいならお遊びの可能性も捨て切れませんね」
「遊び、ですって……? この私が、美鈴に遊ばれてるっていうの?
毎日のようにキスしてくれてるのにっ!」
「ちなみにどこにキスされたんです?」
「どこって……頬とか、額とか、手の甲とか」
「レミィ、唇じゃなかったの?」
「く、唇なんて許可するわけないでしょっ! そんなことしたら……その、私と美鈴の子供ができちゃうじゃない……」
「うわぁ……」
これにはさすがの小悪魔のドン引きである。
「パチュリー様、お嬢様に性教育とかしてこなかったんです?」
「親友に性教育なんてできるわけないでしょう」
「言われてみれば。
いやでも、親友に性教育するってなんだかそそりません?」
「……」
「ごめんなさいすいませんでした」
パチュリーの手に魔力が渦巻き始めた瞬間、小悪魔は反射的に頭を下げていた。
長年従者を務めてきた物の勘である、これぐらい出来なければ小悪魔はすでにこの世に存在していなかっただろう。
レミリアに性教育がされていないのは仕方のない話だ。
吸血鬼が通う学校などあるわけがないし、パチュリーがレミリアにいかがわしい本を貸し出すとは考えにくい。
恋愛事に疎いのも仕方のないこと、しかし小悪魔はそれで良しとするほど甘くはない。
「でも、美鈴さんはお嬢様に漫画を貸してたんですよね。
今どきの漫画って、そういう描写があるのも少なく無いと思うんですが」
「そういうのは持ってなかったんじゃないの」
「美鈴さんの持ち物なのにですか? うーん……ひょっとするとわざと避けてたんじゃないですかね、そういう描写がある漫画を」
「何のために避ける必要があるのよ、美鈴からしてみればレミリアがいつまでもお子様のままじゃ困るんじゃない」
パチュリーの答えも間違っているとは言いがたい。
だが小悪魔の頭には、限りなく答えに近いであろう考えが一つ浮かんでいた。
美鈴は、レミリアを真っ白な状態で自分のものにしたいのではないかと言う可能性である。
奇しくも、パチュリーの暴走した妄想こそが答えに最も近かったのだ。
真っ白なキャンバスを汚したい……という理由かは定かではないが、美鈴が純粋無垢なレミリアに惹かれたのだとしたら、その行動にも合点がいく。
「だとすると、遊びではないんですかね」
二人に聞こえない音量で呟く。
頬や額にキスをしたという話は置いといて、手の甲にキスをしたという話も気になる。
お遊びにしてはキザったらしすぎるし、そもそも遊ぶにしたってレミリアが相手と言うのはさすがにリスクが高すぎやしないだろうか。
実は火遊びが大好きなのかもしれないし、ひょっとすると高度な自殺志願者という線も捨てがたいが、一番可能性が高いのは、美鈴が本気だという線。
でなければ、こんなに長い間仕えることも出来なかっただろう。
だが小悪魔はそれに気付いても二人には伝えない。
なぜなら、そっちの方が面白そうだから。
進展が無いのもつまらないけれど、どうせなら拗れてくれた方が面白い。小悪魔は腐っても悪魔なのである。
「……もしかしてもしかするとだけど、キスじゃ子供は出来ないの?」
二人のやり取りを傍観していたレミリアが口を開いた。
何を今更、といった表情の二人だが、レミリアは本気である。
てっきりキスをしたら子供が出来るものだと思っていたし、子供が生まれるのはキャベツ畑だと思っていた。
幼少期に母親が冗談めかして言った、キャベツ畑から拾ってきた子だという言葉を今でも信じ続けていたのである。
五百年近くも覚えているとは、さすがに母親も想像していなかっただろう。
「二人の表情でわかったわ、キスじゃ子供は出来ないのね。
じゃあなんで、唇同士のキスには特別な意味があるの?」
「なんで、っていうのは私にもわかりませんが、多くの動物達が独特の求愛行動をするように、人型生命体にとっての求愛行動の一つってことじゃないでしょうか。
好きって気持ちを表現するのに最適ですしね、手軽ですから」
「手軽……かしら」
「お嬢様は大げさに考え過ぎなんです。超手軽ですよ、ほら」
おもむろにパチュリーの頬を両手で押さえると、振りほどかれるよりも先に深くキスをする小悪魔。
唇を重ねるだけでは飽きたらず、パチュリーの唇が閉じられるよりも先に舌を滑り込ませ、思うがままに口内を蹂躙する。
「ん、ぶちゅっ…んぐっ、んー! んー! あふ…ひゃ、め……じゅるっ……ん、ちゅ……」
「な、な、な……っ」
抗議の声をあげ、必死に引き剥がそうとするパチュリーだったが、小悪魔はなかなか離れない。
本気を出せば、小悪魔程度簡単にどうにかできるはずなのだが。
突如目の前で繰り広げられる刺激的な光景を、レミリアは食い入るように見ていた。
こんなの見たこと無い。こんなの知らない。キスなんて唇を重ねるだけだと思ってた。
レミリアの常識は尽く塗りつぶされていく。
小悪魔はキスをしながらちらりとレミリアの方へ視線を向ける。
驚き目を見開いたその表情を見ると、小悪魔は満足気に”ふふっ”と鼻を鳴らした。
「あわわわわ……」
レミリアの両手は一応その視界を遮ってはいるのだが、指の隙間はかなり大きめに開いていて、目隠しとしての役割を全く果たしていない。
反抗していたパチュリーの手からは次第に力が抜けていき、今では小悪魔の体に手を添えるので精一杯である。
親友の見たことのない表情、口と口の隙間から時折見える絡み合った舌、顎を伝う唾液、響く湿った音。
レミリアはごくりと生唾を飲み込む。
最初は軽いイタズラのつもりで仕掛けた小悪魔だったが、気付けばレミリアの前出あるということも忘れてパチュリーとの接吻に夢中になっていた。
自分は悪くない、急に抵抗をやめたパチュリー様が悪いのだ、と責任転嫁しつつ、思う存分その口内を貪る。
てっきり魔法で吹き飛ばされて終わりだと思っていたのに、まさかこんな何十秒もキス出来るなんて、まるで夢みたいだ。
肩を抑えていたパチュリーの手が、するりと背中に移動する。
抵抗をやめるどころか、パチュリーは小悪魔のキスを受け入れ、あろうことかその体を抱きしめたのだ。
さらに密着度を増す二人の体、深さを増すキス。
胸の鼓動と鼓動が合わさって、共振して、うるさいほどに体中に響いていた。
耳にはパチュリーの声しか届かない、視界はパチュリーの色っぽい表情で埋め尽くされている、だから脳内もパチュリーの事しか考えられなくなるのは当然の理。
それはパチュリーも同様だった。
従者の突然にキスを、”調子に乗るな”と叱責して魔法で吹き飛ばしてやるつもりだったのに。
キスされた瞬間、喜んでいる自分が居ることに気付いてしまった。
本能を理性で抑えこむ事ができるのは、知性がある生物の証左。
魔法使いともなれば、人間よりもはるかに本能をコントロール出来なければならないし、欲求を制御できなくなる状況などあってはならない、そう考えていたはずだった。
だから気づかなかったのだ、本能が求める物と、理性が制御する自分とが、いつの間にかかけ離れてしまっていたことに。
それを突然与えられたことで気付いてしまった。
自分は、小悪魔が欲しかったんだと。ずっと一緒に居てくれた小悪魔のことが好きだったんだと。
一度溢れだすともう止まらない、貯めこんできた量が多い分だけ他のだれよりも反動は大きい。
背中をかき抱き、強く引き寄せる。
二人の想いが通じあったことは、誰の目から見ても明らかだった。
……もちろん、鈍感なレミリアの目から見ても。
「……あの、二人ともそろそろ」
「小悪魔っ、小悪魔ぁっ、好きなの、ずっと好きだったのっ」
「私の話はまだ終わってないのだけれど」
「パチュリーさまぁっ、うれしいです、私も、私もずっと!」
「えっと、美鈴の件は……」
「もっと、もっとしたいの、小悪魔から離れたくないのっ」
「パチュリー、聞いてる? あと小悪魔も、私の話はまだ終わってないって言ってるの、この私を無視してふしだらな行為を続けるなんて許されるとでも」
「いくらでもあげます、いつまでも傍に居てあげます、だからパチュリー様……ん、ちゅっ……」
「ねえ、二人とも……」
レミリアは無言で立ち上がると、勝手に盛り上がる二人に背を向ける。
「……帰ろう」
これは気まずい、完全にアウェーであることは火を見るより明らかだ。
あれだけ呼びかけても反応が無かった事を考えると、これ以上ここに留まってもレミリアの期待するような話にはなりそうもない。
後ろからは盛り上がる二人の声が聴こえる。
「頬にキスぐらいで大騒ぎするなんて、まだまだお子様だったのね……」
恋人同士の行為にはキス以上があること、それだけははっきりとわかった。
望まずして、パチュリーは親友への性教育を済ませてしまったわけだ。
だがレミリアはまだ知らない、それよりも更に先があることを。
図書館の入口、その扉の前までたどり着いたレミリアは、目に毒だと理解していながらも、最後に一度だけ振り向くことにした。
話の続きを期待したわけではない、今後の美鈴との関係を築いて行くにあたって、何らかの形で役に立つかもしれないと思ったからだ。
ただ単に見たいだけとも言える。
好奇心旺盛、それはこんな場面においても変わることはない。
だが振り向いたレミリアが見た光景は、想像していた行為を遥かに超越していた。
「う、うわ、うわわわわっ。え、ええっ、そんなことするの……っ!?
そんな、あれより先が……うわぁ……」
再び食い入るように二人の絡みを見ていると、ふいに小悪魔の視線がこちらを向いた。
ニヤリと唇を歪ませる小悪魔。
偶然目が合ってしまったレミリアは、背筋に悪寒が走るのを感じた。
ぶるっと体を震わせる。
瞳は深い黒、じっと見てると飲み込まれそうになる。魂ごともってかれて、雰囲気に飲まれたまま戻ってこれなくなりそうな、そんな予感がした。
慌てて踵を返し図書館から飛び出す。
勢い良く閉じたドアが、ガシャンと大げさに音を鳴らした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
体力が尽きたわけでもないのに、勝手に息が荒くなる。
「小悪魔の、くせに……私をビビらせるなんていい度胸じゃない……」
腐っても悪魔ということか。
力の強さで言えば吸血鬼であるレミリアの方がずっと上であるはずなのに、蠱惑的な表情に飲まれそうになってしまった、恐怖を感じてしまった。
あんな風になりたいわけじゃない、でも恋の行く末がさっきの二人の姿なのだとすれば、自分の美鈴に対する感情は本当に恋なのか、レミリアはそれすらも怪しく感じてしまう。
価値観が揺らぐとはまさにこのこと。
好意を抱いているのは間違いない、胸だって痛くなる、迫られればドキドキだってする、これが恋じゃないのなら一体何を信じればいいのか。
「あーもう、結局遊びとか遊びじゃないとかなんなのよっ! こんなことならパチュリーになんて話さなければよかったわ!」
恋愛に詳しい小悪魔の登場で疑問が減るかと思えば、さらに増えてしまう始末。
かといって今更この中に戻って問いただすわけにもいかず、もやもやとした気分を持て余したまま二人の行為が終わるのを待たなければならない。
レミリアは待つのが嫌いだった。
いつ終わるかも分からないのに、このままじっとして待っておくなんてまっぴらごめんだ。
かと言って下手に歩きまわって美鈴と遭遇しようものなら、何を口走ってしまうかわかったもんじゃない。
パチュリーの言葉を信じるなら、手を繋いでハグをしてキスをして、そういう二人の事を恋人と言うらしい。
恋人でなくとも、そういった行為に愛情を表す意図があるという事はもはや疑う余地もないだろう。
だが一方で、小悪魔はその程度の行為なら遊びである可能性も有り得ると言っていた。
美鈴は経験豊富だから、とも。
小悪魔とパチュリーの先ほどの行為を見れば分かる、唇以外の場所に対してのキスなど、しょせんは子供だましの遊び程度の意味しかないのだと。
いや、遊びではないのかもしれないが、それは恋愛を意味するキスではなく、親愛を表すためのキスである可能性は捨てきれないと言うこと。
言われてみれば、レミリアに対する美鈴の態度はどこか妹に対する姉を思わせる部分があったのかもしれない。
レミリアは目の前にある窓に目を向けた。
三日月が高く登り、ところどころ雲で隠れている。
今日は最悪の天気だ、月が完全に隠れていないだけまだマシだが、吸血鬼に限らず妖怪全般が嫌う天気である事は間違いない。
だが、今は窓の向こうの景色に用は無い、見たいのは窓に写る自分の姿。
そこに映るのは、幼い童女の姿だ。
美鈴と比べるまでもない、恋人や主従関係というよりは、年の離れた姉妹と言った方がしっくりくる。
遊び、なのだろうか。自分をからかって遊んでいるのだろうか。一喜一憂する姿は、さぞ滑稽に見えるに違いない。
自虐的な想像が、思考の海に淀んだ一滴を落とす。
たった一つ、難しく考えなければどうってことないネガティブ思考は、美鈴が絡んだ途端に抜けられない迷宮のように難解になる。
恋の迷路というのは、かくも厄介なものなのか。
レミリアは身を持って思い知らされた。
「なんなのよこれ、なんでこんなに胸が痛いのよ。
それもこれも、全部美鈴が悪いんだからっ、主である私を悩ませるなんて本当にダメね、門番失格だわ!」
こんな時、いつまでもしょげているわけにはいかない。
いつまでも凹んでいるレミリア・スカーレットではない、とりあえず他人に責任転嫁してその場を乗り切ってしまう傍若無人さこそ組織のトップに立つものに必要な才能なのである。
しかしそれが役に立つのも、主と従者と言う上下関係が存在する時だけの話。
恋愛関係においてはこれっぽっちも役に立ちやしない。
「主は私で美鈴は従者なんだから、その辺の上下関係を理解してないなんて本当にバカよね。
バカ、バカバカ、美鈴のバカーッ!」
叫び声が廊下に響き渡る。
誰もいないこんな場所で叫んだって何の意味も無いことはレミリアだって理解している、ただのガス抜き、ストレス解消だ。
大声を出すというのはただそれだけでストレス発散になる。
叫んだ後、大きくため息を吐くと、扉にもたれながら体から力を抜き、しばらくぼーっと立ち尽くしていた。
色々ありすぎて疲れてしまったらしい。
故に、、完全に気を抜いていたレミリアは近づく足音にも気づかなかった。
「お呼びしましたか、お嬢様」
「……へ?」
聞き覚えがある声。何度も聞いた声。忘れるはずのない、声。
胸の鼓動がドクンと跳ねた。
目を開くと、目の前には美鈴の姿が。
「めい……りん?」
「はい、お嬢様の愛する従者、紅美鈴です。
私を呼ぶ声が聞こえたと思ったらいきなり罵倒されるんですもん、びっくりしましたよ」
「き、聞いてたの?」
「そりゃもうはっきりと。
あ、ちなみに咲夜さんも一緒に聞いてましたよ。ね、咲夜さん」
「聞こえないふりをするのが従者として正しい行動かと思いましたが、美鈴がどうしてもというので」
「咲夜さんったら酷いです、ゲラゲラ笑いながら私の服引っ張ってたくせに!」
「あら、そうだったかしら? 私は存じ上げませんわ」
表情を全く変えずに白を切る咲夜。
美鈴は口を尖らせながら、ジト目で咲夜を睨みつけた。
普段ならそんな二人のやり取りを見ても何も感じないレミリアだったが、今日だけは違う。
遊びと言う言葉が脳裏にちらつく。
美鈴と咲夜は普段から仲がいい、レミリアと美鈴の関係と比べてどちらが上か優劣を付けられないぐらいに。
主と従者、従者と従者、どちらが付き合いやすいかなんて考えるまでもない、その点を考慮すると咲夜の方が上なのかもしれない。
もし美鈴の本命が咲夜なのだとしたら。
胸は都合関係なしに身勝手に痛む、切なさが感情を冷やす。
「お嬢様、具合が悪いのですか?」
真っ先に気付いたのは美鈴だった。
それだけで救われた気分になるのだから、レミリアは自分の単純さに呆れるしか無い。
「些細なことよ、気にしないで」
「……お嬢様、無理はされないでください、少しでも気分が優れないのなら部屋で休むべきです。
すぐに準備をしますわ」
「いいわよ咲夜、体調の問題じゃないのだから」
「ですが」
「咲夜」
「……はい」
些細なこととは言え、自分の体調に異変があることをほのめかしてしまったのはレミリアらしからぬ失言である。
主の体調に少しでも変化があればそれを察して対応する、それが優秀な従者なのだから。
「さて、部屋に戻るわ。
お茶の準備もいらないから、しばらく一人にしてもらっていいかしら」
「かしこまりました」
咲夜が頭を下げる。
一方で美鈴は心配そうにレミリアの方を見ていた。
「美鈴、私が大丈夫って言ってるのに信じられないのかしら。
私の心配をするぐらいなら自分の仕事を進めなさい」
「今は私の仕事なんてありませんから、暇なんですよ」
「あらそうなの、じゃあちょうど良かったわ、大広間の掃除を手伝って」
「わーたいへんだー、とても重要な仕事ができちゃったぞー、すぐにいかないと間に合わないぞー」
「……はいはい、そう来ると思ってたわよ」
「というわけで、私も失礼させてもらいますね」
大慌てでレミリアの部屋とは逆方向に駆けていく美鈴。
そのコミカルな言動に、レミリアの頬は思わず綻ぶ。
「ふふっ」
「お嬢様の悩み、もしかして美鈴絡みですか?」
「藪から棒にどうしたのよ」
「さっきまで微妙な表情をしてたのに、今では影も形も無いんですもの」
「……伊達に従者はやってないってことかしら。
そうね、美鈴絡みよ。でも咲夜が気にすることは無いわ、本当に些細なことなんだから」
「お嬢様が些細という言い方をされるときは、いつだって重要な出来事が起きる時なんですよ、ご存知でしたか?」
「そ、そうだったかしら」
「ええ、そうなんです。伊達に従者はしてませんから。
ですが些細と言われてしまった以上、従者にはこれ以上出しゃばる権限はありません」
「よくわかってるわね」
いつだって踏み込みすぎず、離れすぎず、適切な距離感を保つのが咲夜だ。
そんな彼女だからこそ、一緒にいて心地いい。
レミリアが咲夜を常に傍においているのはそういった理由がある。
美鈴みたいに遠慮なしに踏み込んでくるのもそれはそれで悪くないのかもしれないが、従者と言う立場には相応しくない。
「ですから、一言だけ言わせてもらいます」
咲夜は両手をぎゅっと握り、ガッツポーズを作る。
「ファイトです、お嬢様っ」
いつも見せる従者としての笑みとは違う、美鈴や外の友人たちに見せる砕けた笑顔を浮かべて、私にそう言った。
励ましたつもりなのだろう。
咲夜らしからぬ素直なエールに、レミリアは思わず吹き出してしまった。
「なによそれ、知ったような口きいちゃって」
「僭越ながら、今のお嬢様には必要な言葉だと思いましたので。
それでは、私もまだ掃除が残っていますので失礼します」
咲夜はそう言うと、次の瞬間にはレミリアの目の前から姿を消していた。
頬がほんのり赤くなっていたことを考えると、咲夜もそれなりに恥ずかしかったのだろう。
「ファイトって言われたって何を頑張ればいいのかわからないけど……そうね、まあ元気は出たかな」
おかげでさっきまでのネガティブ思考はすっかりと吹き飛んでしまっていた。
部屋に戻ると、そこにはハーブティとスコーンが用意されていた。
レミリアは呆れたように大きく息を吐く。
「はぁ。いらないって言ったのに、気を利かせすぎなのよ咲夜は」
ありがた迷惑とまでは行かないが、たまにお節介過ぎる時がある。過保護すぎるのだ。
レミリアが部屋に戻るまでの間に、わざわざお茶を煎れてスコーンまで作っていたというのだから驚きだ。
咲夜でなければ出来ない芸当、だからこそ彼女に負担をかけすぎている。
「……二つ?」
問題は、用意されたお茶とお菓子の数である。
ハーブティが二つに、スコーンが二つ、明らかに一人用ではない。
咲夜がそんな失敗をするとも考えにくい、つまりはあと一人誰かがここに来る予定があるということだろうか。
一番可能性が高いのはそれを準備してくれた咲夜なのだろうが、咲夜の姿はすでに部屋に無い。
レミリアが考え込んでいると、扉をノックする音が四回聞こえてきた。
「どうぞ」
「しつれしまーす」
「美鈴!?」
姿を表したのは、先ほど部屋とは真逆の方向に走っていったはずの美鈴だった。
「いやはや、そこまで驚いてもらえると部屋に来たかいがあるってもんです」
「だってさっき、真逆の方向に行ったはずじゃ」
「頑張って走ってきました」
「なんでそんな無駄なことを……」
「サプライズって大事だと思いません? おかげでレミリア様も驚いてくれたようですし」
歯を見せながらイタズラっ子っぽく笑うその姿は、上品に笑ってみせる咲夜とは対照的だ。
レミリアはどちらの笑顔も好きだった。
その好きの意味合いが違うことに気付いたのはつい最近で、それまでは二人の間に大した差はないと思っていたほどだ。
ちなみに、美鈴はレミリアと二人きりの時はお嬢様でなくレミリア様と呼ぶ。
特にレミリアが命令したわけではなく、昔からそうなのだ。
名前呼びの間は従者ではなく友人として接する、という美鈴なりの意思表示ではないかとレミリアは考えているが、本人に聞いたわけではないので、本当のところどういう意図があるのかは本人以外に誰も知らない。
何よりレミリア自身が全く気にしていない。
「ああ、なるほどそれで……」
美鈴の来訪でレミリアは気づいた、お茶が二人分用意されていたその意味を。
「ほんと、気が滅入るぐらい気を利かせすぎね」
「何の話です?」
「部屋に戻ってきたら、お茶が二人分用意してあったのよ。
たぶん私と美鈴の分でしょうね」
「咲夜さんが準備したってことですか!?
さすがだなあ、たぶん私が逆方向に走っていった時点で気付いてたんでしょうね」
「人間にしておくには惜しい勘の良さだわ」
本人がそう望むのなら、いっそ人間を辞めさせてもいいとレミリアは考えていた。
幻想郷を管理する連中が障害になる可能性もあるが、博麗の巫女は咲夜一人を始末するために本気の紅魔館全員を相手にするなんて愚かな真似はしないだろう。
以前の異変の時とは違い、紅魔館には正式な戦力としてフランドールも居るのだから。
レミリアがお茶を片手にベッドに腰掛けると、美鈴もその隣に腰を下ろした。
二人は密着しながら隣に並ぶ。
お茶を飲むにはあまりに近すぎる距離だが、二人にとってそれはいつも通りの距離だった。
ふとレミリアは思う。
最初から自分たちの距離はこんなに近かっただろうか、と。
確か出会った時は隣に座ること自体なかったはずだ、隣に座るように促したのはレミリアの方だった。
従者ではなく友人を欲しがったレミリアは、半ば無理やり美鈴を自分の隣に座らせたのだ。
しかしその頃だって多少は距離が離れていた。
距離を詰めたのはレミリアではない、美鈴からのはず。
無意識なのか、それとも意識的に距離を縮めていったのか。
いっそ直接問いただしてしまいたかったが、それを聞くことはつまり、レミリアが抱く疑問全ての核心に迫ることのような気がしていた。
好きか、嫌いか。恋か、妹か。遊びか、本気か。
不安は尽きない。欲求も付きない。
「ふぅ、やっぱり咲夜さんの煎れてくれたお茶は飲んでると落ち着きますね。
でもこれ、いつも飲んでるお茶とちょっと違うような」
「サフランティーね」
「へえ、サフランティーってこんな味なんですね」
「ええ、まあ……」
「どうしたんです?」
偶然なのか、それともわざとなのか、咲夜の意図をレミリアは読めないでいた。
てっきり何も知らないで適当に応援しているものだと思っていたが、どうやら咲夜はレミリアが何を悩んでいるのか全て知っていたようだ。
でなければ、この場でサフランティーなんてチョイスはしないはず。
「女性の体に良いお茶なのよ、咲夜があまりに気を使いすぎるものだから呆れてたの」
「確かに咲夜さんはすごいですよね、もっと私みたいに自分の体を労るべきです」
「あんまり美鈴みたいになられても困るけどね」
「……割とショックです」
「咲夜みたいなのは一人でいいし、美鈴みたいなのも一人でいいってことよ」
「あんまり褒められてる気がしませんね」
「私に必要とされてる時点で胸を張りなさい、そこらの有象無象では私に触れることすら許さないんだから」
「そうですよね、レミリア様にこんなこと出来るの私ぐらいですもんね」
そう言いながら、美鈴はレミリアの頬にキスをした。
タイミングがタイミングなだけに、レミリアは微妙な心境だ。
「こうしてキスするのも久しぶりな気がします、なんだか最近レミリア様に避けられてるような気がしてましたから」
「忙しかったのよ、こう見えても紅魔館の主なんだから」
「わかってます、それでも寂しい物は寂しいんです、人肌に慣れちゃってると余計に」
「私だって……」
寂しかった、その一言が言えないレミリアの強情な性格が、二人の関係の不透明さを加速させているのかもしれない。
従者に頑張れと言われてしまった以上は頑張らないわけにもいかない。
全てをはっきりさせるには、結局はレミリアから歩み寄るしか無いのだ。
明らかになった全てがレミリアに取ってマイナスになる真実だったとしても、それを明かさずに蓋をしておけるほど聞き分けのいい性格はしていない。
「私だって、寂しかったわ」
美鈴の方に体重を預け、接触していた体をさらに密着させた。
まるで恋人に甘えるような仕草になっていることに、レミリアは気付いていない。
ただやりたいと思った事をそのまま実行しているだけで、あざとい仕草になってしまったのは意図的にではない、あくまで偶然。
恥ずかしくないわけじゃない、ただ恥を捨ててでも手に入れたいものがあったからそうしただけだ。
だがレミリアの渾身の攻めにも、美鈴が揺らぐ様子はなかった。
「同じこと考えてたなんて、何だか嬉しいですね」
全くもっていつも通りの美鈴の反応に、レミリアは内心拗ねていた。
大胆さが足りないのか、それとも美鈴は本当にレミリアに興味がないのか。
しかしこれで諦めてしまっては紅魔館の主の名が廃る、続いて次の攻撃手段を考え始める――実は美鈴が追い詰められている事など、全く知りもせずに。
「(なにそれ寂しいとか可愛すぎてやばいんだけど心臓爆発しそうなんだけどっ!
でも何で急にこんなに素直に、いや可愛いけどめっちゃカワイイけどそんなことされた私の理性がヤバイっていうかもう限界なんて超えてるんだけど我慢しないと駄目だしでもちょっとだけなら先っぽだけなら大丈夫なんじゃいやいやでもでも!)」
「美鈴、何をぶつぶつ言ってるの?」
「な、なんでもありませんっ!」
何でも無いわけがない、あのレミリアがついにデレたのだ、これは美鈴の人生を揺るがす大事件だ。
美鈴がレミリアに仕え始めてから、途方も無い時間が過ぎた。
過ぎた時間イコール、美鈴がレミリアに対してアプローチを仕掛けてきた時間になる。
その時間はなんと百年超、こんなにも長い間一人の女性を愛し続け、一日もかかさずアプローチを続けてきたのに、レミリアは全く美鈴になびかなかった。
必死で訓練をした、苦手な勉強だってした、歯の浮くような言葉なんて全く知らなかったのに、いつの間にか考えずとも浮かんでくるほどに極めてしまった。
だというのに、全く崩れない難攻不落の城を前に、美鈴は幾度と無く挫折を味わい続けたのである。
距離を詰めている実感はあった、でも手を伸ばしたって霞のようで掴めない。そんなところまで吸血鬼らしくしなくていいのに。
初めて隣に座ることを許された時は完全に勝利を手にした気分で居た、だというのにあれから一体どれほどの月日が過ぎただろう、未だに美鈴とレミリアの関係は変わらないままだ。
一緒に寝てもいつも通り、抱きしめてもいつも通り、挙句の果てにはキスをしてもいつも通り。
いつも通りのレミリアが好きな美鈴としては悪い状況ではないはずなのに、全く揺らがないその心に焦りは募るばかり。
皮肉なことに、レミリアに対する気持ちに関してはすっかり自信が付いてしまった。
これだけ長い間報われないにも関わらず、それでもレミリア以外に浮気したりしていないのだ、とっくに彼女以外誰も愛せなくなってるに決まってる。
「こんなにべったりしてるとこ、誰かに見られたりしたら大変ですね」
「どうして大変なの?」
「だって、恋人と勘違いされちゃうかもしれませんよ? 紅魔館の主が従者とそんな関係だなんて思われたら大変じゃないですか、きっと新聞の一面を飾ってしまいます」
「別に一面に載ったって構わないわ、勘違いでもいいじゃない」
「何それ超ときめく」
「超?」
「え、あ、ちょ、ちょうどいいですねって言ったんですよ。
ほら勘違いされてもいいわけですから、調度良かったですって、あはは、はは」
いつもは適当な相槌が返ってくるだけなのに、今日は一体何が起きていると言うのか。
いちいち心の弱い部分にクリティカルヒットしてくるレミリアの反応に、思わず本音が漏れる美鈴。
すでに漏れ出ているリビドーを一体いつまで抑えられるのか。
そもそも抑える必要なんてあるの? という悪魔の囁きが美鈴の精神を蝕んでいく。
寂しいのなら、勘違いされてもいいのなら、いっそ本当に勘違いされるような関係になってしまえばいい、そう囁く悪魔。
……いや、本当にそれは悪魔なのだろうか。
その囁きが美鈴の欲望そのものなのだとしたら、抗う必要など無いのでは。
「美鈴って……かっこいいわよね」
「急にどうしたんです?」
「私よりずっと背も高くて、スタイルも良くって、優しくて、強くて。
そんなのかっこいいのは当たり前なのにね、どうして私いままで気付かなかったのかしら」
どうしたことか、相手をおだてるのは美鈴の役割であるはずなのに、突然レミリアから飛んできた歯の浮くようなワードに戸惑うことしか出来ない。
立場逆転のロールプレイがお望みなのか、はたまたパチュリーから変な薬でも飲まされたのか、美鈴から見たレミリアの意図は未だはっきりとしない。
一方レミリアは、外面では全く変化の無い美鈴にやきもきしていた。
端々に妙な言動はあるものの、レミリアのように顔を赤くするなど露骨な変化は見せない。
美鈴は表情が外に出難いタイプというだけで、レミリアの誘惑の効果が薄いというわけでは無いのだが、彼女にはそれが理解できないようだ。
故に攻撃の手を緩めない、美鈴が爆発寸前だとしてもお構いなしに。
「そんな素敵な人が近くに居てくれるなんて、私は幸せものね」
「私だってそうですよ、レミリア様のような最高の主にお仕え出来て幸せです」
「三十点」
「な、何の点数ですかそれ」
「今の言葉よ、私は近くに居るだけで幸せって言ってるのに、美鈴は仕えてるから幸せって平等じゃないと思わない?」
「そう言われましても……」
「美鈴は、私の傍にいて幸せじゃないの?」
「それはもう、幸せすぎて頭がどうにかなりそうなぐらいですっ」
原因が幸せの所為なのかその是非は置いといても、レミリアのせいで頭がどうにかなりそうなのは事実である。
「じゃあ、もしも私が吸血鬼じゃなくて、ただのそこら辺に転がってる石ころのようなごく普通の人間の女の子だったとしましょう。
それでも美鈴は幸せだって言い切れるかしら?」
「それがレミリア様なら」
「本当の本当に?」
「この紅美鈴、主であるレミリア様の前では決して嘘はつきません」
「さっき咲夜の前で、急に用事を思い出したとか言って走って行ったわよね。あれは嘘じゃないの?」
「あ、あれはノーカウントでお願いします!」
こんなにすぐ例外を出されてしまったのでは、信じられる物も信じられない。
だがレミリアは、今回だけ特別に信じてみることにした。
「仕方ないわね、わかったわよあれは無かったことにしてあげる」
疑ったからと言って何か良い事が起きるわけでもない、だったら信じたほうが自分も幸せだし、美鈴だって幸せだろう。
きっとあれは嘘なんかではなかったのだ、美鈴にとってはレミリアの部屋に行くのが何よりも優先すべき重要な用事だったということ。
そう考えると、またきゅっと胸が痛くなる。
寂しさのせいではなく、相手を想うが故の痛み、今より更に相手を好きになった証。
もっと触れたい、もっと近くにいきたい、けれどこれ以上なんてどうしたら。
そう考えた時、ふと先ほどの図書館での光景を思い出した。
パチュリーと小悪魔の唇が深くつながり、その後二人はさらにその先までレミリアに見せつけようとしていた。
あの時、行為の意味をレミリアは理解出来なかったが、今なら少しだけわかるような気がする。
好きになると、今よりもっと傍に行きたくなる。
肩を寄せあって足りないのなら手を繋いで、それでも足りなければ抱き合って、キスをして、舌を絡めて。
もっともっと、そうやって先を望んでいくうちにたどり着くのは、一つになりたいという欲求だ。
もちろん人型の生物が一つになることはできない、妖怪や魔法使いの中には例外もいるかもしれないが、少なくともレミリアと美鈴には無理だろう。
だからそれに近い状態を望む、欲望を満たすために。
幸せとは、欲望が満たされた状況の事を言う。
なら求めるがままに、まずはできることから。
「……っ」
何故かはわからない、いつもそうしているはずなのに、今日は手をつなぐだけで随分と恥ずかしく感じてしまう。
レミリアは太ももに指を添わせながら、自らの手を美鈴の手に近づけていく。
指先のくすぐったい感触に気付いた美鈴は、「んっ」と声を出して足をもぞもぞと動かした、だがレミリアの動きを拒絶する様子はない。
いっそもっと恥ずかしがってくれればいいのに、と何をしたって赤くならない美鈴にほんの少しの憤りを感じながら、手と手を重ねる。
美鈴の手より一回り小さいレミリアの手は、美鈴の手の甲を包むと、ゆっくりと指をからませた。
指と指の間に、レミリアは自らの指を沈ませる。
ドクン、ドクン、と心臓が警笛を鳴らしている。
何をそんなに警戒しているのか、たかが手をつないでいるだけじゃないか――そう自分に言い聞かせても、緊張はなかなか和らがない。
今日のそれはいつもと違う意味なのだと、自分でわかっているからこそだ。
「レミリア様、今日はあまえんぼさんなんですね」
「……迷惑、だった?」
「いいえ、むしろもっと甘えて欲しいぐらいです。
こんな風にレミリア様に甘えてもらえることなんて滅多にありませんから」
「もっと早くに甘えてればよかった、こんな気持ちになれるんなら」
「どんな気持ちになってるんです?」
「あったかい気持ちよ。
心のなか全部、美鈴で満たされてるみたいに」
美鈴の胸が、大きめに上下する。
彼女の平静が目に見える形で揺らいだことに、レミリアは満足していた。
だが次の瞬間、美鈴は無言のまま、おもむろに繋いでいた手を解いてしまう。
急に孤独に晒された手に強烈な寂しさを感じたレミリアは、不安げに美鈴の顔を覗いた。
同時に美鈴も、寂しい思いをさせてしまったのではないかと不安に思い、レミリアの顔を覗き見る。
偶然に、二人の視線が合う。
レミリアは赤く染まった顔を真正面から見られた気まずさにすぐに視線を別の方向にそらしてしまったが、美鈴はじっとレミリアの顔を見つめていた。
「今日のレミリア様は、いつもよりずっとかわいく見えます」
「いつもはかわいくないみたいな言い方しないでよ」
「あはは、褒め言葉のつもりだったんですが。
いつもかわいいですが、今日は輪をかけてかわいいんです」
美鈴は手の甲ではなく、手のひら同士で手を繋ぎ直す。
一方的にレミリアが握るだけだったその手を、今度はお互いに強く握り合った。
お互いに気持ちが通じ合ったような気がする。
レミリアの視線は再び美鈴を捕え、二人の視線は今度こそ深く絡み合った。
「美鈴は、こうやって近くでみるともっとかっこよく見えるわね」
「仕返しのつもりですか?」
「主の言葉は疑わないの。
私は本気よ、私の目にはあなたが誰よりも魅力的に写っているわ」
「レミリア様にそう言って頂けるなんて光栄です」
二人の会話は途切れ、しばしじっと見つめ合うだけの時間が過ぎる。
「……ねえ美鈴、お願いがあるのだけれど」
「なんなりと」
「名前を、呼んでくれないかしら」
「さっきから何度も呼んでるはずですが、いまさらどうしてそんなお願いを」
「違うわ、名前だけで呼んで欲しいの。
様なんて要らないわ、呼び捨てでお願い」
「呼び捨てって……ですが私はレミリア様にお仕えする身、そのような無礼な振る舞いは」
「だからね、そのしがらみを捨てて欲しいの。
私が自分から呼び捨てで呼ばせる相手は、身内だけって決めてるの」
「身内、ですか。私が?」
「今、美鈴以外は私の目に写ってないわ」
レミリアはとうに確信していた、美鈴の気持ちも、自分の気持ちも。
すでに疑う必要はないと結論が出たのだから、これ以上の追い打ちは美鈴を追い詰めるだけで無意味だ。
だが、それではレミリアが納得しない。
まだ一度だって彼女は赤くなっていない、自分だけが顔を真っ赤にして終わるのはやはりプライドが許さない。
「パチェは親友、フランは家族、だったら美鈴は……何だと思う?」
「レミリア様、一つよろしいでしょうか」
「ヒントが欲しいの? 仕方ないわね、聞いてあげるわ」
「私は、とうに限界を迎えています。今はどうにか繋ぎ止めている状態です。
これ以上は……その、まずいと思います。私にもどうにも出来ないかもしれない、それでも」
「今日の美鈴は珍しく鈍いのね、それとも私の戯れだとでも思っていたのかしら」
むしろ逆だったはずだ、レミリアはずっと美鈴の遊びではないかと疑っていた。
美鈴がそれを疑うと言うことは、同時にレミリアの不安も解消されることになる。
遊びなんかじゃない。美鈴も、レミリアも。
「気付かなかった? 私、その美鈴の限界とやらを崩すために一生懸命頑張っていたの。
だから、どうにもならない状況になってくれるのは大歓迎よ、それを待ってたんだから」
「……ああ、もう、本当に知りませんからね」
美鈴は一度固く目を閉じ、大きく息を吸った。
長年の悲願はもう眼前にある。
何がきっかけかなんてわからない、日々積み重ねてきた物がようやく花開いたとしか考えられない。
吸い込む息も、吐き出す息も、細かく震えている。
恐怖か、歓喜か、その先に待つものが想像できないために、自分でもどちらが原因かわからない。
瞳を開けば、頬紅く微笑む最愛の少女の姿があった。
「レミリア」
その名前を呼んだ瞬間、レミリアの体がぴくりと震えた。
変革の瞬間。
主と従者は今のこの時、全く別物へと姿を変えた。
「もう一度、呼んで」
今日のレミリアは欲張りだ、欲求を自分の中で留めるのをやめたら、自分でも呆れるほどにして欲しいこと、言って欲しい言葉が溢れ出てくる。
「レミリア」
「ふふ、いいわ、とても素敵な気分よ。気分が高揚して、体が熱くなって。
名前を呼ばれるだけでこんなに嬉しいなんて初めて。
今度から、二人きりの時は必ずそう呼んで、絶対よ」
「呼ぶだけじゃ、足りません」
「何が足りないのかしら」
「想いです、ずっと伝えたくてたまらなかった想いがたくさんあるんです」
「じゃあ満足するまで言葉を頂戴、きっとそれは私が待ち望んでいた言葉だわ」
何も躊躇することはない、お互いの想いが一致しているのはもはや疑いようのない事実なのだから。
「レミリア。
愛しています、出会った時からずっと」
城壁は脆くも崩れ去った。
さらけ出された本能は、あとはもう相手をひたすらに求めるだけで、誰の言葉も聞きはしない。
いや、聞こうが聞くまいがもはや関係のない話だ。
この部屋にはもう、誰も止める者などいないのだから。
美鈴の顔がレミリアに近づいていく。
繋いでいた手を解き、レミリアの肩に手を当てベッドの上に押し倒す。
レミリアもされるがまま、抗うこと無く仰向けにベッドへと倒れる。
馬乗りになった美鈴は、その唇を奪おうと顔を近づけていく。
「待って」
その唇が触れるより前に、レミリアの人差し指が美鈴の唇に当てられた。
指に力は込められていない、だが美鈴の顔はそこでぴたりと止まる。
「まだ私は返事をしていないわ、恋人でもない相手を押し倒すなんて、美鈴はとんだけだものさんなのね」
「こんな状態でおあずけなんて出来るわけがないでしょう」
「ごめんなさい、でも聞いて欲しいの」
形式は重要である。
双方向の告白の成立は、関係の成立だけではなく呪術的な意味での契約の成立を意味する。
目に見えるほどの効果はなくとも、多少は今までよりも強く二人を結びつけるはずだ。
「愛してるわ、美鈴」
レミリアの告白。
それを聞いた瞬間、美鈴の頬は初めてほんのりと紅く染まった。
最後の最後に、ようやく。
レミリアは満足気に微笑む。
最初からある程度は晒しだすつもりではあったが、上機嫌になったレミリアは何もかもを捧げていい気分だった。
今日の美鈴なら、捧げた分だけ貪り食らうだろう。
それはそれは素敵なこと。
恋とは不思議なもので、支配者たる吸血鬼でさえも、相手に支配されたいという欲求が生まれる。
今のレミリアがまさにそれだ、出来ることなら美鈴に全てを奪って欲しい。
「心のなかはとっくにあなたでいっぱいだから……今夜は、身体まで美鈴でいっぱいにして」
「――っ!」
性知識などほとんどないレミリアが、本当にそういった意味で発した言葉かどうかは定かではない。
自覚の有る無しなどもはや些細な問題である。
どうせ全てを捧げる気でいるのだから、あとは美鈴が求める分だけレミリアが与える、ただそれだけだ。
「咲夜ちょーっぷ」
「あいたっ! な、何ですか急に、今日はサボってませんよ」
「知ってるわよ、ただ何となくぶん殴りたくなったの。
チョップで済んだだけマシなんだから、感謝しなさい」
「そんな理不尽な……」
雲ひとつ無い空の下、絶好の昼寝日和にも関わらず美鈴は珍しく眠ってはいなかった。
咲夜としては昼寝をしていること前提でチョップを仕掛けたのだが、まさか起きているとは全くの予想外。
だが何ら問題はなかった、これは嫉妬によるストレスを発散するための攻撃なのだから。
「ああ、チョップしたせいで手が痛いわ。
お嬢様と美鈴がもうちょっと落ち着いてくれてれば私が手にダメージを受ける必要もなかったのに」
「今日の咲夜さんはまた一段と攻撃的ですね」
「たまにはいいじゃない、どうせこの後もお嬢様といちゃいちゃするんでしょう」
「それはもう、死ぬほどいちゃいちゃします」
「そのまま死んでしまえ」
「無理ですね、お嬢様が泣いてしまいますから。私は死ねないんです」
「はぁ……暖簾に腕押しってやつね、これだから色ボケの相手は嫌なのよ」
愚痴りながらもわざわざ美鈴の所に遊びに来るということは、今の咲夜はよっぽど暇なのだろう。
以前から、咲夜と美鈴はこうして門のところでよく雑談していた。
昼寝をする美鈴をたたき起こす咲夜、と言う構図も紅魔館の住人からしてみれば見慣れた物である。
レミリアが美鈴と咲夜の関係を疑うのも仕方無い、館で働く妖精たちはレミリアと美鈴が結ばれたと聞いてかなり驚いていたとか。
「お嬢様、最近は随分と笑顔が多くなったわ。きっと美鈴のおかげね」
「私は何もしてませんよ、むしろお嬢様から力を貰ってるぐらいです」
「なるほど、だから最近は昼寝をしてないってわけね。
あーあ、愛の力って本当に素敵ね、そのまま死んじゃえばいいのに」
「最近の咲夜さんやさぐれすぎですよ」
「これぐらい許してよ、右を見ても左を見てもいちゃいちゃいちゃいちゃと、黒子に徹して世話しないといけない私の身にもなって欲しいわ」
レミリアと美鈴、パチュリーと小悪魔がくっつくだけなら咲夜もここまで荒れはしなかった。
問題は、それを見て影響を受けた妖精たちが、急にそこらじゅうでいちゃつき始めた事である。
仕事をする分には問題ないのだが、中にはサボって影でこそこそと逢引を繰り返す者もいるらしく、追いかけ回す咲夜の仕事量は以前に増えて格段に増えてしまったのである。
「咲夜さんも相手を見つければいいじゃないですか」
「軽々しく言ってくれるわね……」
「無関係みたいな顔してますけど、私は知ってますからね、最近妹様と仲がいいんですよね」
「べ、別にフラン様とは何も」
「怪しいなあ、以前までは妹様って呼んでませんでした?」
「……気のせいじゃないかしら」
妙な間、露骨に逸らされた視線、これで怪しむなと言う方が無理な話である。
実を言えば、美鈴は咲夜とフランドールが仲睦まじく遊んでいる場面を実際に目撃したことがある。
フランドールが心を許していると言うこともあるが、咲夜も彼女と一緒に居るときは実に楽しそうだ、恋愛感情の有無はともかく、一緒に遊ぶのもまんざらでもないのかもしれない。
以前のフランドールならともかく、今の彼女は随分と柔らかくなった、咲夜が危険にさらされるようなことも無いだろう。
「おっと、そろそろ時間ね。仕事に戻るわ、昼寝してるの見つけたら今度は本気チョップお見舞いするから」
「大丈夫です、愛の力がありますから!」
「咲夜チョップ!」
「痛っ!? なんで叩くんですかぁっ」
「何故かイラッと来たからよ、それじゃ今度こそ行くから」
美鈴は早い所、フランドールと咲夜にくっついて欲しいと思っていた。
二人のためだという想いも無いわけではない、だが一番の理由は自分の身の安全を確保するためである。
軽い調子でチョップを繰り出す割には、実はかなり重く痛い一撃なのである、毎日食らってると頭が凹まないか心配になってくる。
咲夜が去っていった後、数時間の間は静かな時間が続いた。
日が傾き始め、辺りはオレンジ色の黄昏に包まれる。
紅魔館にやってくる変わり者なんて滅多に居ない、魔理沙や霊夢は実質顔パス状態だし、たまにやってくる美鈴への挑戦者もほとんどは本気を出すに値しない雑魚ばかりだ。
美鈴の昼寝癖も仕方無いというものだ、娯楽も何もない状態で数時間突っ立っておくだけなんて、眠くなるのも当然なのだから。
「ふわぁ~……」
「大きなあくびね、そんな調子で本当に私を守れるのかしら」
「お、お嬢様っ!?」
美鈴がちょうど欠伸をしたタイミングで、日傘を差したレミリアが現れる。
昼寝をしていなかっただけマシかもしれないが、最悪のタイミングであることに違いはない。
美鈴は必死でどう言い訳をするか必死に考えたが、いまいち良い言葉が浮かんでこなかい。
「うっふふふ、そんなに慌てなくても冗談よ。
夜寝かしてあげてない張本人が言っていい言葉じゃないもの、それにあくびをしている美鈴はいつもと違ってかわいく見えるわ」
「お恥ずかしい所を見せてしまいました……」
「気にしない気にしない、今は二人きりなんだから」
「ですがお嬢様」
「今は二人きりって言ったわよ」
「……レミリア」
「わかってくれたみたいでよかった、恋人と以心伝心ってのは幸せなものね」
レミリアは美鈴に向けて無防備な笑顔を見せた。
頬をほんのり桃色に染めながら見せるその笑顔は、家族であるフランドールにも、親友であるパチュリーにも見せたことのない表情だ。
付き合う前までは美鈴だって一度も見たことはなかった、今では美鈴の最も好きなレミリアの表情の一つだ、見るだけで眠気も疲れも一瞬で吹き飛んでしまう。
「まだ慣れません、今までずっと様付けて呼んできましたから」
「じきに慣れるわよ、今までなんてせいぜい数百年程度じゃない、これからは数千年単位で一緒に居てもらうんだから」
「途方もなく遠い未来ですね」
「遠い未来まで幸せの予約でいっぱいなんだもの、その時が来るのが楽しみで仕方ないわ」
見ての通り、レミリアはお付き合いを始める前では想像も付かなかったほどデレデレである。
美鈴のことが気になり始めた時点でその片鱗は見せていたのだが、まさかここまでとは、片鱗など氷山の一角に過ぎなかったと言うことだ。
「そろそろ良さそうね」
レミリアは日の傾き具合を確認すると、美鈴の前に移動して日傘を閉じる。
この時間になると、日傘を差さなくても美鈴の身体に隠れることで太陽光を避ける事ができるのである。
これを発見してから、レミリアは夕方ごろになると必ず美鈴の居る門へと遊びに来るようになった。
美鈴にとっては嬉しい変化ではあるのだが、これのお陰で全く昼寝ができなくなってしまった、というわけである。
愛の力と言えば愛の力なのだが、決して美鈴が変わったわけではない。
美鈴はレミリアの身体に腕を回すと、優しく抱きしめた。
「ふぅ、やっと美鈴分が補給されたわ。起きた時となりに居てくれるのが一番いいのだけど、そういうわけにはいかないものね」
「レミリアが寝ている間、門を守るのが私の仕事ですから」
「わかってはいるのよ、でもいっそ美鈴も夜の眷属になってくれたら、一緒に寝て一緒に起きて、そういう生活を送れるのかしらと思わないでもないの」
「なかなか魅力的な提案ですが……それでは門番ができなくなりますね」
「門番じゃなくたって私を守ってくれるんでしょう?」
「もちろん、この命に代えても」
「命に代えちゃ駄目よ、あなたが死ぬときは私も死ぬときなんだから。その逆も然り。
だから私たちはお互いが死なないように守らないといけないの。
……でも、命を賭けるって言ってくれて、ちょっとだけ嬉しかったわ」
レミリアは美鈴と向き合い、首を上に傾けて唇を突き出す。
すぐに意図を察した美鈴は少ししゃがむと、突き出された唇に自分の唇を重ねた。
「今日のファーストキスね」
「毎日言われるとなんだか恥ずかしいですよ」
「恥ずかしいから良いんじゃない、この気持ちが恋の醍醐味なんだから」
愛おしさはとどまる所を知らない。
レミリアの言う数千年後までこの気持ちが続いているのか疑わしいものだが、少なくとも今は美鈴もそれを信じられるような気がする。
「明日もやるし、明後日もやるわ、これから毎日ファーストキスをしましょう」
その日のファーストキスという概念は美鈴には全く理解できなかったが、レミリアが嬉しそうなので良しとしよう。
「近い未来も幸せで、遠い未来も幸せなんて、どこを見ても幸せなんだから困っちゃうわ」
他の妖怪たちのように特別な力があるわけではなく、大妖怪と呼ばれる者達ほど強大な力を持っているわけでもない。
美鈴にできることなんて、せいぜいレミリアの傍に居ることぐらいで、それだけでレミリアが幸せになってくれるのから、対価としてた十分過ぎるほどだ。
「美鈴はどうかしら、私たちの未来とか考えてる?」
「考えてますよ、私だってレミリアと一緒です。
明日キスして抱き合えることを考えたら、それだけで幸せになれますから」
「良かったわ、美鈴とは何だって一緒がいいもの」
それに、未来が楽しみで仕方ないのは何もレミリアに限った話ではない。
美鈴だってレミリアと同じなのだ。
明日のキスを想像するだけで幸せだし、彼女ほど遠い未来を想像できるわけではないが、差し当たって数日後の幸せを想像することぐらいならできる。
人里の職人に発注している指輪が完成するのが今週、ドレスが完成するのがその数日後。
それをレミリアに渡す瞬間、彼女の喜ぶ顔を想像するだけで幸せでたまらなくなるのだ。
「あなたが私の従者でよかった、これからもずっと一緒に居てね」
「言われなくたってそうするつもりです」
じきに日が沈む。
夜の帳が下りて、二人の夜の幕が上がる。
今日は何が起きるのやら、レミリアの突拍子もないアイデアは、時折美鈴の想像を越える事件を引き起こしたりする。
それでも、疑いようのない事実が一つ。
明日も明後日もその次の日も、未来は途方もなく幸せなのだから――今夜だって間違いなく幸せに決まってる。
もっとやったって!
だが世界にはあまりにめーレミが足りていない!
そこに一石を投じた貴方は素晴らしいと思います!
それでもちょっと大人な感じがあったところがさすがメイレミだと感じました。
あとパチュリー様のその後についてkwsk
でも供給量が少ないのでいつも飢饉にあえいでます。
だからもっと餌をくださいお願いします
みんな、百合で世界は平和になれる
ただ、「今日のファーストキスね」は甘いというよりも格好良いです
こんなことを言えるような人生を送ってみたいものです
>でもちょっとだけなら先っぽだけなら大丈夫なんじゃ
この美鈴、はえt(ry