ぐずっと鼻をすする。
「あーあ、分かっていたのになぁ……」
目が痛い。鼻が痛い。喉が痛い。
いつまでもいつまでも涙が流れるものだから袖はすっかりと重いし、拭いすぎて目や鼻の周りがひりひりするし、嗚咽のしすぎで喉全体がぴりぴりと熱い。
霊夢さんと魔理沙さん。二人が好き合ってることなんて最初から分かってて、それでも奥手な二人はなかなかくっつかないから自分にもチャンスがあるなんて思って。お弁当作ってみたり、一緒に買い物したり、お泊りしたり。
好きな人がいるんだと相談を受けたときは悲しいのか嬉しいのか自分でも良くわからなくなった。確かに親密にはなれたんだろうけど、でもそこで線引きをされたみたいだった。外じゃドラマや漫画なんかでよく見た話で、恋愛相談から恋仲になったりするアレ。アレをちょっぴり期待する下心で受けたけれど、そんなことちぃっとも無かった。そりゃそうだ。長い長い両想いな片想いをしてきたのだもの。今さら新しい風を吹かせたって揺れようも無い。
結局最後は背中を押すようなことをして、二人は晴れて恋人に。それで、おめでとうって言って、二人の仲を茶化して、逃げて、泣いて。悲しくて、悔しくて、妬ましくて、祝福してあげたくて、嬉しくて、もう何だかぐちゃぐちゃで、目が痛くて、鼻が痛くて、喉が痛くて、心が痛くて今。
頬を赤らめはにかみながら恋人になったことを報告してくれた二人の様子が浮かぶ。恥ずかしくてお互い顔を背けていたけど、絡められた指は決して離さなかった。いかにも幸せですといった風で、あの瞬間に私の心にすとんと諦めが落っこちてきた。
空は赤く色づきつつある。もう随分と長くここで泣いていた。だけれど、まだ家には帰れない。敬愛する家族は私を心配しすぎる嫌いがある。私は失恋をしただけ。それだけで心配させるのも、してもらうのも今は煩わしい。
がさりと音がした。ちらと視界を動かすと山の緑の中にぽつんと生えた茄子色が見える。視界の隅のほうでこそこそと動くそれがただの徘徊中であることを祈るも、それは段々と大きくなって何時もの元気な声を私の上に降らせてきた。
「おどろけー!!」
茂みからぽんと飛び出してきたのは唐傘の付喪神。人畜無害な笑顔を見せながら人に驚くことを強要してくるだけの人畜無害な存在である。彼女のテリトリーに近いからなのか、私が日ごろ良く出会う人物の一人なのだが、今日この日にやってくるなんて正直幾らか恨めしい。彼女は、今の気持ちに相容れないぐらいに明るい性根をしている。
「あれ? 聞こえないの? おーい、おどろけー」
「はぁ……、聞こえてますよ小傘さん」
わざとの無視を察してくれることは無く、恨みたっぷりの視線を向けて返事をしてやると彼女はぱちくりと目を大きくさせ、小さく「おどろいたぁ」と零した。
「早苗、泣いてたの?」
私はぶっきらぼうに「そうですよ」と答えた。だから貴女と遊ぶ気分じゃないんですよ、と意思を込めて。
しかし彼女は去ることなく、信じられないといった表情でじっとこちらの顔を見ている。顔を逸らしても追いかけてくるものだから、とりあえずその間抜けた顔にぺたりとお札を貼ってやると、みぎゃっ、とほうきで叩かれた猫のような悲鳴をあげて山道を転がり降りていった。
「うー、こんな時でもわちきを虐めるのか」
「貴女の態度が失礼なのがいけないんです」
それでそのまま帰らないのが彼女の面倒なところで、土や葉っぱをあちこちにつけて何やらぶつぶつと私への非難を口にしながらも戻ってきた。
「心配してるのに酷いなぁ。でも、元気ならそれでいいや」
彼女は笑う。本当に嫌な妖怪だ。酷いことをされても私が元気なら許せる? 今の私は彼女の手をとって踊りに誘うような気概を持つ娘に見えると言うのか。煌びやかな弾幕を展開して彼女を追い払う意気に満ちているように見えると言うのか。適当な奴。何も見えていない。酷いことをされたなら嫌いになって離れればいいのに。だって私は元気なんて、そんなものこれっぽちだって……
「あるわけ……ないのに……」
近くでちまちまと体についた葉っぱを取っていた彼女の雰囲気が変わったのを感じる。はっとして口を覆ったが、漏れてしまった言葉は戻せない。失言だった。彼女の能天気さに苛立って口から出てしまった。
「おどろいた。早苗も弱ることがあるんだね」
唇を噛む。面倒なことになった。
「ねぇ、何があったの?」
誰かに苛められたの? 神さまと喧嘩したの? 転んでどこか痛いの?
懲らしめてあげるよ。 一緒に居てあげるよ。 舐めて治してあげるよ。
彼女の性根は今の私と相容れないぐらい明るく優しい。妖怪の癖に人の心配なんぞする。その気遣いが一つ一つと積み重なるたびに、こぽりこぽりと惨めさが湧き上がってくる。私は失恋しただけ。そんなことで弱ってるのを知られるのは酷くいやで、そんなことで心配されるのは酷く鬱陶しい。まして家族でも友達でもない、ただの妖怪に。
彼女の手が私の肩に添えられたところで堪えられなくなって、その手を強く叩き落として私は叫んだ。
「うるさい! 失恋ですよ! 失恋したんです! もう放って置いてください! 貴女がいると、イライラするっ!」
彼女の言葉は止まった。私の言葉も。葉っぱが山の傾斜に沿うようにひらひらと落ちていき、赤く色づいた雲は散り散りに流れ、どこかで烏が鳴いた。暫くの沈黙の後に、彼女はぽつりと呟いた。
「そっかぁ、やっと失恋したんだぁ」
喜色を孕む声にぎょっとして彼女を見た。
彼女は、こんな表情をする子だっただろうか。
口は三日月形につり上がり、細められた青と赤のオッドアイが暗く光る。黄昏が誰そ彼へと導くなかでも浮かび上がる表情は異様な色を放ち、私はこの時初めて彼女が妖怪であることを認識した。
「早苗もバカだよね。あの二人が好き合ってる事ぐらい、ちょっと見てれば直ぐ分かるじゃん」
「わ、分かりましたよ! 私の入る余地なんかないって! それでも、それでも好きになっちゃったんですよ! 仕方ないじゃないですか!」
仕方なかった。話しかけてくれる声だとか、微笑みかけてくれる顔だとか、繋いだ手の温かさだとか、もうとにかく全部が全部魅力に溢れてて、あっと止める前にはもう恋してしまっていたのだ。
「分かってたのに失恋して泣くんだから、やっぱりバカじゃんか」
「でも……、でも私はっ……」
言葉に詰まった。彼女の言うとおり、私はバカだ。恋をすることは止められない。でも、何処かで降りることは出来る。告白する勇気が無くてずるずると引き伸ばしたのは私だし、苦しくなって二人をくっつけた臆病者も私。家に帰らずこんな山の途中で泣きはらして神奈子様と諏訪子様に心配をかけ、小傘さんには機嫌の悪さをぶつけている。なんてバカで情けなくて面倒くさい娘なのだろうか。
からから笑う彼女の声がやけに耳に纏わりつく。
「だからさぁ、次は私にしなよ」
「え?」
再び見た彼女の顔からは不気味な雰囲気のすっかり抜けたいつもの笑顔があった。
「恋。私にするんだったら失恋なんかしないよ」
力が抜ける。
「ほ、本気で言ってるんですか、それ」
「うむ。わちきは何時だって真面目に本気なのだ」
「ふふっ、そんな変な喋り方されると信じられなくなっちゃいますよ」
「あ、笑った。やっぱり早苗は笑顔でいるのがいいよ。悲しんでるよりうんとうんといい」
なんだか可笑しくなってひとしきり笑う。私は彼女のことを誤解していたかもしれない。追い払っても追い払っても絡んでくるものだから意図が読めず少し不気味だったし、はっきり言って鬱陶しかった。無知で考えなしで無駄に諦めの悪い子供。それが彼女に対する評価で、好感度が表示されるならプラスでは無かっただろう。
でも今は、彼女のことが少しは理解できた気がするし、ちょぴっとだけ好きになった。
失恋したてで彼女の真面目に本気に答えてあげられる余裕はないけれど、とりあえずは友達を始めてみよう。
「小傘さん、私今から家に帰ろうと思うんですけど、よかったら晩御飯一緒に食べませんか?」
「うん!」
差し出した手はしっかりと握られた。
明日、もう一度二人に会いに行こう。もう一度二人の仲を茶化して、それから自分の好意を伝えてフられよう。もう一度泣いてしまうかもしれないが別にいい。
夕日が地平線の向こうに消え、辺りを薄い夜が覆う。私と小傘さんは二人手を繋いで山の上を目指して歩いていった。
「あーあ、分かっていたのになぁ……」
目が痛い。鼻が痛い。喉が痛い。
いつまでもいつまでも涙が流れるものだから袖はすっかりと重いし、拭いすぎて目や鼻の周りがひりひりするし、嗚咽のしすぎで喉全体がぴりぴりと熱い。
霊夢さんと魔理沙さん。二人が好き合ってることなんて最初から分かってて、それでも奥手な二人はなかなかくっつかないから自分にもチャンスがあるなんて思って。お弁当作ってみたり、一緒に買い物したり、お泊りしたり。
好きな人がいるんだと相談を受けたときは悲しいのか嬉しいのか自分でも良くわからなくなった。確かに親密にはなれたんだろうけど、でもそこで線引きをされたみたいだった。外じゃドラマや漫画なんかでよく見た話で、恋愛相談から恋仲になったりするアレ。アレをちょっぴり期待する下心で受けたけれど、そんなことちぃっとも無かった。そりゃそうだ。長い長い両想いな片想いをしてきたのだもの。今さら新しい風を吹かせたって揺れようも無い。
結局最後は背中を押すようなことをして、二人は晴れて恋人に。それで、おめでとうって言って、二人の仲を茶化して、逃げて、泣いて。悲しくて、悔しくて、妬ましくて、祝福してあげたくて、嬉しくて、もう何だかぐちゃぐちゃで、目が痛くて、鼻が痛くて、喉が痛くて、心が痛くて今。
頬を赤らめはにかみながら恋人になったことを報告してくれた二人の様子が浮かぶ。恥ずかしくてお互い顔を背けていたけど、絡められた指は決して離さなかった。いかにも幸せですといった風で、あの瞬間に私の心にすとんと諦めが落っこちてきた。
空は赤く色づきつつある。もう随分と長くここで泣いていた。だけれど、まだ家には帰れない。敬愛する家族は私を心配しすぎる嫌いがある。私は失恋をしただけ。それだけで心配させるのも、してもらうのも今は煩わしい。
がさりと音がした。ちらと視界を動かすと山の緑の中にぽつんと生えた茄子色が見える。視界の隅のほうでこそこそと動くそれがただの徘徊中であることを祈るも、それは段々と大きくなって何時もの元気な声を私の上に降らせてきた。
「おどろけー!!」
茂みからぽんと飛び出してきたのは唐傘の付喪神。人畜無害な笑顔を見せながら人に驚くことを強要してくるだけの人畜無害な存在である。彼女のテリトリーに近いからなのか、私が日ごろ良く出会う人物の一人なのだが、今日この日にやってくるなんて正直幾らか恨めしい。彼女は、今の気持ちに相容れないぐらいに明るい性根をしている。
「あれ? 聞こえないの? おーい、おどろけー」
「はぁ……、聞こえてますよ小傘さん」
わざとの無視を察してくれることは無く、恨みたっぷりの視線を向けて返事をしてやると彼女はぱちくりと目を大きくさせ、小さく「おどろいたぁ」と零した。
「早苗、泣いてたの?」
私はぶっきらぼうに「そうですよ」と答えた。だから貴女と遊ぶ気分じゃないんですよ、と意思を込めて。
しかし彼女は去ることなく、信じられないといった表情でじっとこちらの顔を見ている。顔を逸らしても追いかけてくるものだから、とりあえずその間抜けた顔にぺたりとお札を貼ってやると、みぎゃっ、とほうきで叩かれた猫のような悲鳴をあげて山道を転がり降りていった。
「うー、こんな時でもわちきを虐めるのか」
「貴女の態度が失礼なのがいけないんです」
それでそのまま帰らないのが彼女の面倒なところで、土や葉っぱをあちこちにつけて何やらぶつぶつと私への非難を口にしながらも戻ってきた。
「心配してるのに酷いなぁ。でも、元気ならそれでいいや」
彼女は笑う。本当に嫌な妖怪だ。酷いことをされても私が元気なら許せる? 今の私は彼女の手をとって踊りに誘うような気概を持つ娘に見えると言うのか。煌びやかな弾幕を展開して彼女を追い払う意気に満ちているように見えると言うのか。適当な奴。何も見えていない。酷いことをされたなら嫌いになって離れればいいのに。だって私は元気なんて、そんなものこれっぽちだって……
「あるわけ……ないのに……」
近くでちまちまと体についた葉っぱを取っていた彼女の雰囲気が変わったのを感じる。はっとして口を覆ったが、漏れてしまった言葉は戻せない。失言だった。彼女の能天気さに苛立って口から出てしまった。
「おどろいた。早苗も弱ることがあるんだね」
唇を噛む。面倒なことになった。
「ねぇ、何があったの?」
誰かに苛められたの? 神さまと喧嘩したの? 転んでどこか痛いの?
懲らしめてあげるよ。 一緒に居てあげるよ。 舐めて治してあげるよ。
彼女の性根は今の私と相容れないぐらい明るく優しい。妖怪の癖に人の心配なんぞする。その気遣いが一つ一つと積み重なるたびに、こぽりこぽりと惨めさが湧き上がってくる。私は失恋しただけ。そんなことで弱ってるのを知られるのは酷くいやで、そんなことで心配されるのは酷く鬱陶しい。まして家族でも友達でもない、ただの妖怪に。
彼女の手が私の肩に添えられたところで堪えられなくなって、その手を強く叩き落として私は叫んだ。
「うるさい! 失恋ですよ! 失恋したんです! もう放って置いてください! 貴女がいると、イライラするっ!」
彼女の言葉は止まった。私の言葉も。葉っぱが山の傾斜に沿うようにひらひらと落ちていき、赤く色づいた雲は散り散りに流れ、どこかで烏が鳴いた。暫くの沈黙の後に、彼女はぽつりと呟いた。
「そっかぁ、やっと失恋したんだぁ」
喜色を孕む声にぎょっとして彼女を見た。
彼女は、こんな表情をする子だっただろうか。
口は三日月形につり上がり、細められた青と赤のオッドアイが暗く光る。黄昏が誰そ彼へと導くなかでも浮かび上がる表情は異様な色を放ち、私はこの時初めて彼女が妖怪であることを認識した。
「早苗もバカだよね。あの二人が好き合ってる事ぐらい、ちょっと見てれば直ぐ分かるじゃん」
「わ、分かりましたよ! 私の入る余地なんかないって! それでも、それでも好きになっちゃったんですよ! 仕方ないじゃないですか!」
仕方なかった。話しかけてくれる声だとか、微笑みかけてくれる顔だとか、繋いだ手の温かさだとか、もうとにかく全部が全部魅力に溢れてて、あっと止める前にはもう恋してしまっていたのだ。
「分かってたのに失恋して泣くんだから、やっぱりバカじゃんか」
「でも……、でも私はっ……」
言葉に詰まった。彼女の言うとおり、私はバカだ。恋をすることは止められない。でも、何処かで降りることは出来る。告白する勇気が無くてずるずると引き伸ばしたのは私だし、苦しくなって二人をくっつけた臆病者も私。家に帰らずこんな山の途中で泣きはらして神奈子様と諏訪子様に心配をかけ、小傘さんには機嫌の悪さをぶつけている。なんてバカで情けなくて面倒くさい娘なのだろうか。
からから笑う彼女の声がやけに耳に纏わりつく。
「だからさぁ、次は私にしなよ」
「え?」
再び見た彼女の顔からは不気味な雰囲気のすっかり抜けたいつもの笑顔があった。
「恋。私にするんだったら失恋なんかしないよ」
力が抜ける。
「ほ、本気で言ってるんですか、それ」
「うむ。わちきは何時だって真面目に本気なのだ」
「ふふっ、そんな変な喋り方されると信じられなくなっちゃいますよ」
「あ、笑った。やっぱり早苗は笑顔でいるのがいいよ。悲しんでるよりうんとうんといい」
なんだか可笑しくなってひとしきり笑う。私は彼女のことを誤解していたかもしれない。追い払っても追い払っても絡んでくるものだから意図が読めず少し不気味だったし、はっきり言って鬱陶しかった。無知で考えなしで無駄に諦めの悪い子供。それが彼女に対する評価で、好感度が表示されるならプラスでは無かっただろう。
でも今は、彼女のことが少しは理解できた気がするし、ちょぴっとだけ好きになった。
失恋したてで彼女の真面目に本気に答えてあげられる余裕はないけれど、とりあえずは友達を始めてみよう。
「小傘さん、私今から家に帰ろうと思うんですけど、よかったら晩御飯一緒に食べませんか?」
「うん!」
差し出した手はしっかりと握られた。
明日、もう一度二人に会いに行こう。もう一度二人の仲を茶化して、それから自分の好意を伝えてフられよう。もう一度泣いてしまうかもしれないが別にいい。
夕日が地平線の向こうに消え、辺りを薄い夜が覆う。私と小傘さんは二人手を繋いで山の上を目指して歩いていった。
失恋以前の段階で小傘が早苗さんへそれとなく求愛する場面だとか、早苗さんがどれほど片恋相手にご執心なのかもう少し詳しくお願いしたくなります
誤字の報告>魔理紗
告白の仕方を含めて小傘が妖怪らしくて良かったです
それはないんじゃないかね
文章しっかり読んだ方がいいよ
それはないんじゃないかね
文章しっかり読んだ方がいいよ