【開店前】
自分で見ても小さな店だと思う。
席数はたったの5席。看板もなくて、目印は提灯だけ。もう店を始めて何年か忘れたけれども、よくこれだけやってこれたと思う。
最初は何となく始めた屋台だった。
今は完全に生活の一部になってしまっている。お酒の量を確認したり、その日のお通しを考えたり。来てくれるお客さんの笑顔を想像しながら考えるのは、凄く楽しい。
「机よし、お湯よし、お酒よし、調味料よし」
誰もいない屋台に自分の声が響く。
その様子は少し寂しい。
でも、お客さんが来れば、お店の寂しさも、自分の声も賑やかな声にかき消される。
全部の準備が整ったことを確認したら、いよいよ開店。とくに時間は決めていない。季節や天気によって変えている。
「よし! 今日も頑張ろう!」
自分に言い聞かせてからろうそくとマッチを持って外に出る。屋台がある道は、いつ見ても人通りの少なさそうな道だ。
「こんなところまで来てくれるんだからね」
わざわざ来てくれるのだ。目一杯楽しんでもらわないと。
そんなことを考えながら今日も赤提灯に火をいれる。
屋台に賑やかな声が満ちるまでは、もう少しだ。
☆☆☆
【天狗の悲劇】
その人物は、この店では初めて見た。
「妖夢さんも、お酒飲む方なんですか?」
「わたしは大して。ここの料理が美味しいって聞いたんです」
「ミスティアさんの料理は最高ですからね。期待していいですよ」
「もう堪能しています」
八目鰻の串焼きを手にしているのは、ちょっと幼さの残る顔立ちをした妖夢。
その隣の席に、特に深いことを考えるまでもなく、わたし、射命丸文は座った。
このあと起こる悲劇など、まったく予想もせずに。
「よーし! わたしも妖夢さんには負けませんよ!」
言いながらも、別に飲み比べをする気はない。
ただ飲兵衛の代名詞たる天狗として、飲む量で半人半霊負けたくないだけだ。普通に飲み進めて、最終的に飲んだ量で勝っていればかまわない。
「天狗の文さんと同じ量飲んだら、潰れますよ」
妖夢の方も特に張り合う気もないようで、ゆっくりと飲み進めている。
「それ、レモンハイですよね? わたしにも同じのください」
「妖夢さんと同じのですか?」
「そうですけど」
「わかりました……」
お酒を作るときのミスティアの表情は今までに見たことがないものだった。
無茶をする人間を心配するような表情。
どうして天狗がお酒で心配されなくてはならないのか?
まったく意味が分からなかったが、一口レモンハイを飲んだ瞬間、疑問は氷解した。
妖夢のレモンハイは、ものすごく濃い。
日本酒とほとんど同じくらいではないだろうか?
チューハイなんて一気に飲んでも問題ないお酒だと思っていたが、このチューハイのような何かは別だ。
横目で見てみれば、妖夢も少しずつレモンハイを飲み進めている。
これは持久戦になりそうだ。
「妖夢さんって、普段からよく飲むんですか?」
「そんなに飲まないですよ。寝る前に少し飲む程度で」
「家でもチューハイ?」
「家だと日本酒が多いですね。量はあんまり飲まないので」
「じゃあ薄いのをたくさんってよりは、濃いのを少しって感じですね」
「そうですね。本当に、量は大して飲めないです」
妖夢は両手でグラスを持ちながら、チビチビと日本酒のように飲んでいく。
このとき、文は完全に戦闘態勢に入っていた。
勝手な予想だが、妖夢は強い方だと思う。
強い人ほど大して飲めないといい、弱い人ほど飲めると言い張る。アルコールはそういうものだ。
その考え方から言えば、妖夢は強いに違いない。
でも自分は天狗だ。
鬼以外の種族にはアルコールで負けるわけにはいかない。
ちなみに、上記の話に天狗と鬼は含まれない。
基本的にアルコールに強いからだ。フラグではない。
「おかわりちょうだい。同じレモンハイで」
「あ、わたしにもお願いします」
偶然、2人同時に注文が入る。
相変わらず濃いレモンハイを一口飲んでから、八目鰻の串焼きを食べる。お酒ばっかり飲んでいては、酔いがまわってしまいよくない。
「文さんって、普段はどんなお酒飲んでるんですか?」
「わたし?」
妖夢に尋ねられて、うーんと考える。
興味津々でこちらを見る妖夢は、とてもお酒に強そうな少女には見えない。ここに来ても、アルコールを頼むよりは、ウーロン茶を頼む方が似合いそうだ。
「あんまり何を飲むとかはないですね」
しばらく考えて、そう答えた。
「妖怪の山って言うと、日本酒のイメージが強いんですが」
「日本酒は確かによく飲みますけど。でも飲兵衛なので、あまり種類にはこだわらないですね」
「飲兵衛だからこそ、こだわりがありそうなものですけど」
「いや、本当に飲兵衛を名乗るなら、お酒を選んじゃダメですよ」
「なんか、名言ですね。飲兵衛はお酒を選んではいけない! って」
ちびちびと飲みながらふわりと笑う。
笑うと本当に子供みたいで、こんなお酒を飲むようにはまったく思えない。
「妖夢さんは、レモンハイが一番好きなんですか?」
逆に妖夢さんに尋ねてみる。
「わたしですか? そうですね。飲兵衛じゃないので、レモンハイが一番好きです。家では日本酒とかも少し飲みますけど」
「寝る前に飲むんでしたっけ?」
「あとはたまに幽々子様と飲みますね」
「あー、あの幽霊のですか。幽々子さんって飲む方なんですか?」
「日本酒だと、2人で2升ちょっとくらいですかね。あんまり深酒はしないので」
「な、なるほど……」
これはなかなかの強敵だ。
2人で2升で深酒でないと言い張るのだから、相当に強い。
でも、わたしは天狗。負けるわけにはいかない。
妖夢との会話を楽しみながらも、一人決意を固める。
「すみません、おかわりお願いします」
だが、次におかわりをしたのは妖夢さんだった。さっき頼んでから10分くらいしか経ってないのに……。しかも一気に飲んでいるところも見ていない。
あわてて自分も飲み干して追加を注文してから、妖夢の動きを観察する。
その結果、わかった。
たしかに妖夢は一気には飲まない。だが、絶え間なく飲み続けている。スプリンターではなく、マラソンランナーなのだ。
その後、勝負は文の予想通り持久戦になった。
会話に華を咲かせながらも、妖夢のペースは変わることなく淡々と飲み続ける。
それに引っ張られてしまい、こっちも引きどころを失って、飲み続けてしまう。
「文……、なんで結構赤くなってるの?」
飲み初めて2時間くらい経ったころだろうか。
店にやってきた美鈴にいきなり指摘された。
「え、わたし、赤い?」
「うん。けっこう。文が赤くなってるところ初めて見たわ」
言いながら美鈴は妖夢の隣に座る。
あれ? 初めてってどういう意味だっけ?
頭の中に薄くもやがかかってくる。実はさっきから体も少し重たい。
「かんぱーい!」
さっそく美鈴が新参の妖夢に話しかけ、乾杯が始まる。一緒にグラスを合わせるが、その瞬間の衝撃で体がビクッとなる。
なにやら妖夢と美鈴が楽しげに話しているが、その会話もまったく入ってこない。
これは結構マズイ。素直に負けを認めて、ノンアルコールに切り替えるしかないかもしれない。
そう思った瞬間。
「文さん大丈夫ですか? あんまり無理はしない方が……」
妖夢が色白な顔を向けて言った。
頬にも全く朱はさしておらず、酔ってるそぶりもない。
その瞬間、文の頭にカッと血が上る。
客観的に見れば、この瞬間文は完全に酔っている。
だが、酔っぱらいというのは、それには気づけない。
こんな小娘に酒で心配されるなんて!
天狗として、酒飲みとしてこの上ない屈辱!
文は怒りに任せて残っていたレモンハイを飲み干し、「ミスティア! おかわり!」と追加を注文する。
最後の気力をふりしぼった注文。
結局その1杯を飲み干すことには成功する。
が、その後の記憶は残っていない。
ガンガンと響く頭痛に目が覚める。
いつの間にか毛布がかけてあり、椅子に寝かされていた。
「文、起きた?」
「わたし、どれくらい寝てた?」
「2時間ちょっと。妖夢なら、もう帰ったわよ」
「ううぅ。まだフラフラする」
なんとか体を起こして椅子にもたれるように座る。目の焦点は合わず、体もフワフワする。
「文さん、お水です」
「ミスティアさん……、すみませんでした」
「いえいえ、ここではよくあることなので」
ミスティアはまったく気にしていないようだが、申し訳ない気持ちでいっぱいだ
まさか、店で潰れるなんて。
「あの子、何者? 白玉楼の庭師で、幽々子の世話をしてて、ってぐらいしか知らないんだけど。話をしても普通だし」
「わたしが聞きたいくらいよ。何なの、あの強さ?」
「文が潰れたあとも、平然と飲んでたわよ」
美鈴の言葉に、絶句する。
この強さ相手では萃香でも危ういかもしれない。
「わたしもずっと店をやってきましたけど、あんなに強い人、初めて見ましたよ。ワクってああいう人を言うんですね」
「いや、あれはワクですらないわね……」
美鈴の言葉に、ミスティアと一緒にうなずく。
この日、屋台に1人の怪物が誕生した。
後に萃香をも潰す少女、魂魄妖夢。
彼女が潰れたところを見た者は、誰もいない。
☆☆☆
【キッチンドランカー】
休みの日でも、わたしは屋台に顔を出す。単純に店の確認もあるし、自分の食事の都合もある。
別にわたしは妖怪だし、人間を襲ってもいいのだけれど、このお店に来てくれる人間のことを考えると襲う気が起こらない。
お店に来る人間がいい人っていうのもあるけど、いろんな意味でわたしの手に負えない人間ばっかりだし。
そんなわけで、普通に料理をして食べることになる。
「うーん、今日はどうしよっかなぁ」
いろいろ料理の名前は浮かぶけれど、ピンとくるメニューがない。
とりあえず米を食べたいとは思ったので、小さな土鍋に米を研いで、火にかける。
「このままかつおぶしに醤油でもいいけど……」
猫まんまを想像すると、ゴクリと喉が鳴る。熱々ごはんの上にかつおぶしを踊らせ、醤油をまわしかけ一気にかきこむ。
それはそれで美味しいんだけど……。
「とりあえず、飲みながら考えよ」
結局考えがまとまらなくて、お酒に手が伸びてしまった。名前に辛口と書いてある日本酒をグラスに注いで、少し口に含む
アルコールが口の中や喉を刺激してなんとなく頭が冴えてくる気がする。
でもこれだけじゃ、ちょっと物足りない。
塩分が欲しくなって、日本酒片手にまな板を取り出す。キャベツを切って塩とほんの少しのニンニク、それにごま油を加えて全体をさっと和えれば、すぐに塩キャベツができあがる。
ニンニクとごま油の強烈な風味を、キャベツの水気がちょうど流してくれる。
「あとは」
日本酒を追加して、塩キャベツを食べながら、今度は豚バラ肉を準備。弱火で脂を出してからもやしを加えて、一気に強い火で炒めていく。それだけで豚の脂独特の甘い香りがたって、お酒が進んでしまう。
水が出る前に日本酒をちょっと入れ、塩こしょうで味をつけ、最後に醤油で風味を足せば、豚バラ炒めの完成だ。
普段は白菜と一緒に蒸したりして、脂を落としているけど、今日は別。塩も多めにふっちゃったし、体によくないのもわかってるけど、たまにはいいよね?
それにしても、なんで豚の脂身と日本酒って、こんなに相性がいいんだろう。単純に脂身だけだとしつこいのに、日本酒を飲むとうま味が口の中に広がってくれる。シャキシャキしたもやしも、豚肉のうま味を吸って最高だ。
脂身といえば、豚の角煮なんて脂身を味わう料理もあった。
明日は角煮を作ろうかなぁ、などと考えつつ別のお酒を出す。まだご飯も炊けてないのに3杯目だ。
「やっぱり豚だからねー」
次のお酒は泡盛。水割りにして一口飲むと、米の香りが広がる。
豚バラ炒めと一緒に食べても美味しいけど、やっぱり泡盛は角煮の方が合いそうだ。
泡盛を飲みながら、塩キャベツと豚バラ炒めをつつき、ご飯が炊きあがるのを待つ。
卵かけご飯とか、丼とかも考えたけれど、今日のご飯の行き先は、炭火の上だった。
普段は八目鰻を焼いている炭火。そこに網を引いて、おにぎりにしたご飯を乗せる。
掟破りの炊き立てご飯焼おにぎりだ。
パチパチと炭の立てる音と、ご飯の焼ける香りを肴に、ゆっくりと泡盛を飲む。
普段はにぎやかなお店だけど、たまになら静かなのも悪くない。
もちろん、たまにだったらで、毎日静かならさみしいだけだ。
もし、ここに妖夢さんがいたら、レモンハイを飲みながら、焼おにぎりのレシピの話になるだろう。
魔理沙さんだったら、醤油をぬった瞬間の香りに歓声をあげ、ビールを用意するだろう。
美鈴さんは、その様子を静かに眺めながらも、真っ先におにぎりにかぶりつくだろう。
いなくても想像がつくお客さんたちの絵に、思わず笑みがもれる。
焼おにぎりは1つは普通に醤油をぬり、もう1つには八目鰻のタレをぬってみた。お客さんに出すわけではないので、軽いチャレンジだ。
「あっ……つ」
炊きたてご飯で作った焼おにぎりは中まで熱々。醤油の香ばしい香りと合わさって、最高に美味しい。
これに合うお酒はやっぱりビールだ。
軽い音を立てながらビールの栓を抜いてグラスに注ぎ、半分くらいを一気に飲み干す。
やっぱりビールは喉ごしだ。
次に八目鰻のタレをぬった焼おにぎり。これもなかなかだけど……、
「ちょっと甘ったるいかな」
タレには砂糖が結構入っているので、焼おにぎりには少し甘い。メニューにするなら、醤油を足したり工夫が必要そうだ。
「ごちそうさまでした」
パチンと手をあわせて飲みながらの食事を終える。アルコールが入ると、どうしても作りすぎてしまい、若干苦しいくらいの満腹感に襲われる。
「後片づけしたら、ゆっくりしよう」
すでに日の暮れた店内。
食べ終わった食器を洗ってから、カウンターの席に座る。
テーブルの上には日本酒と、空豆。
その日の晩酌は夜遅くまで続いた。
☆☆☆
【旗とケチャップ】
美鈴にとって、屋台は日頃の楽しみの1つだ。
お酒や料理はもちろんだが、それ以外にも新しい出会いがある。何年生きていても、新しい出会いは嬉しいものだ。
今日の屋台には妖夢と早苗が来ていた。
妖夢については今さら語るまでもない。この屋台最強の酒飲みで十分だろう。
一方の早苗はなかなか面白い。外の世界出身で、こちらにはない常識を持ち込んでくる。20歳未満が飲酒禁止なんて、初めて聞いた。
もっとも、朱に交われば赤くなるもので、早苗もこちらの世界ではお酒を飲んでいる。今日のお酒はファジーネーブルだ。
そして、この日は早苗の一言で、料理大会が開かれることになった。
「昔は、お子さまランチばっかりでした」
お店でよく頼むメニューは? という話題。定番の定食や麺類が並ぶなか、早苗の口から出たのが「お子さまランチ」というメニュー。
「お子さまランチって、どんなメニューなんですか?」
早速興味を持った妖夢が興奮気味に尋ねる。
「そのまんまの意味ですよ。子供が好きそうなメニューをワンプレートにのっけた感じで」
チキンライスにナポリタン。ハンバーグにエビフライ。デザートにゼリー。チキンライスはお店によってカレーだったりオムライスになったり。
「すごいボリュームね」
思わず声が漏れる。
子供どころか、大人でも食べきるのが大変な量だ。
「実際は全部少しずつなんです」
「少し?」
早苗の言葉に、妖夢が尋ねる。
「いろいろ食べたい子供のためのメニューなので。ナポリタンもほんの少しですし、ハンバーグも小さめですね」
「でも作る側は大変ですね。ナポリタンも結構面倒なのに、チキンライスにハンバーグなんて」
妖夢が普段料理をしている側らしい意見を出す。
美鈴自身も料理をするので、一瞬ハンバーグが面倒だと思ったが、ナポリタンもなかなか面倒だ。手順は簡単だが、麺を茹でる鍋と炒めるフライパンが必要だし、ケチャップのついたフライパンを洗うのも手間がかかる。
「お子さまランチは時期を逃すと、もう食べられませんしね。自分で全部作るのも大変なので」
「早苗さんが最後にお子さまランチを食べたのって、どれくらい前ですか?」
「10年までは行かないですけど、結構前ですね……。懐かしいなぁ」
妖夢と話ながら、早苗がどこか遠くを見つめる。
視線の先にあるのは、昔食べた外の世界のお店なのだろうか。
「お子さまランチ、作ってみます?」
沈黙を破って、ミスティアが言った。
「お子さまランチ、あるんですか?」
「用意はしてないですけど、さっきのメニューなら、そこそこ作れますよ? ゼリーとエビフライは無理ですけど」
早苗の疑問にミスティアが答える。
「そんな、悪いですよ。ミスティアさん1人ですし」
「わたしも、たまには面白いなぁと思ったので」
「なら、わたしも手伝いますよ。1品くらいなら手伝えるので」
早苗が手伝いを名乗り出て、お子さまランチを作る方向で話が固まり始める。
何が起こるか予想がつかないミスティアの屋台。
そこが面白いところでもあるんだけど。
でも、妖夢まで手伝うといい始めるとは思わなかった。
そうなってくると、わたしも一人だけ待ってるというわけにもいかないし。この状況で、一人で飲んでてもつまらないし。
結局4人での料理大会が始まることになる。
「つくるのは、チキンライス、ナポリタン、ハンバーグですよね?」
ハンバーグのためのタマネギを炒めながら、ミスティアが確認する。
「そうですね。ゼリーは無理ですけど、エビフライの代わりに。ポテトでも作ります?」
「それなら4品で、1人1品でちょうどいいですね」
早苗の提案でポテトの追加が決まり、計4品。
ミスティアにはそのままハンバーグを作ってもらい、妖夢がナポリタン、早苗がポテト、わたしはチキンライスの担当になった。
「なんか、こうやってみんなで料理していると、調理実習みたいですねー」
「調理実習?」
早苗と並んで材料を切っていると、また聞きなれない言葉を口にする。
「学校の家庭科の授業で、みんなで料理を作るんです。たまに大失敗も起こりますけど、結構楽しかったですよ?」
「それって花嫁修業ってことですか?」
「妖夢さん、そんな仰々しいものじゃないです。ただ授業の一部ってだけで」
妖夢の疑問に早苗がやや引き気味に答える。
口に出さなくてよかった。実は同じことを考えていたのだ。どうも外の世界の常識は幻想郷とは異なるようで、度々こんなことが起こる。
「そろそろポテト揚げますね!」
なにやらカウンターで準備をしていた早苗が宣言して油にじゃがいもを投入する。
その隣ではミスティアがフライパンの上でケチャップを始めいろいろな調味料を混ぜてソースを作っていた。
妖夢とわたしも、ケチャップを使ってナポリタンとチキンライスを仕上げる。
「お子さまランチって、ケチャップばっかりね」
「きっと子供ってケチャップが好きなんですよ」
「じゃあ、妖夢もケチャップ好きなの?」
「美鈴さん、それ、わたしが子供っぽいって意味ですか?」
「さぁ。そんなことは言ってないけど」
むっとした表情を見せる妖夢に、「その反応が子供っぽいんだけどなぁ」と言いたくなるが、今回は見逃してあげる。
できあがったチキンライスは大きなお皿の一部分に、小さな山のように盛りつける。早苗の話によると、山のようにいないとお子さまランチとは言えないらしい。
ミスティアがハンバーグ、妖夢がナポリタンを盛りつけたところに、早苗がポテトを並べ、最後の仕上げとやらを始める。
何をするのかと思ったら、チキンライスの山の上に小さな旗を立てた。つまようじに和紙を巻いて作った旗で、日の丸、赤白青と赤白緑の三色の旗、それに全部緑いろの旗が立っている。わざわざ4本別の模様にしたらしい。
「ご飯には旗を立てないと、お子さまランチとは言わないんです」
とは早苗の弁。山のように盛りつけるだけではなく、旗も必要とは。お子さまランチもなかなか奥が深い。
「これ、何飲みます?」
全員が自分のお皿を持って、カウンターに座ったところでミスティアが言った。
いつもだったらアルコールなのだが……。
「何か、アルコール行く気力を削がれますよね……、これ」
妖夢が酒飲みらしからぬことを言う。
でも、それは事実だった。やたらケチャップ色のお皿に、つまようじで作った旗(わたしは全部緑色の旗だった)が立っている姿は、一気にビールを飲むとか、日本酒をゆっくり飲むとか、そういう気分にはどうもなれない。
「早苗さん、お子さまランチのときって、何を飲んでました?」
「うーん、炭酸とかは飲めなかったので、オレンジジュース、だったかな?」
妖夢が尋ねると、早苗が少し考えて言う。
「じゃあ、オレンジジュースにしましょうか」
妖夢の言葉で、なんとなくオレンジジュースに決定し、全員の前に栓の抜かれたオレンジジュースが用意される。
居酒屋で飲み物はオレンジジュースで、料理はやたらケチャップ色のお子さまランチ。
わたしも長く生きてるし、居酒屋も多く経験しているが、はじめてだ。
「いただきます」
パチンと手を合わせて、スプーンでお子さまランチに手をつける。
こんなにケチャップばっかりではすぐ飽きるだろう。
そう思って食べ始めたが、それは間違いだった。
一番意外だったのがチキンライスとナポリタンで、同じ主食にケチャップの組み合わせなのに、ぜんぜん味が違う。
作り手が違ったのもあるかもしれないが、ナポリタンの方が少しケチャップの主張が強い。チキンライスの方は、ケチャップだけでなく、バターの風味が合わさっている。
たかがケチャップの料理と侮ってはいけない。
今日学んだことの1つだ。
そしてもう1つ学んだことがある。
「早苗さん、口の周り赤いですよ」
「わっ! でも妖夢さんだって」
「嘘!?」
早苗さんが、手鏡をとりだして妖夢さんに渡す。
まさかと思って、自分も口のまわりを紙で拭うと、ケチャップで真っ赤になった。
口を汚しながら料理を食べたなんていつ以来だろう。
そして飲み物はオレンジジュース。アルコールでない食事も久しぶりだ。
ケチャップを口につけないようにナポリタンを食べたり、旗を倒さないようにチキンライスを食べたり。
いつもと少し違う雰囲気で屋台の時間は過ぎていく。
でも、だからと言ってつまらないわけではない。
店の中を包む暖かで、柔らかな雰囲気は変わっていないのだ。
そのことに満足しながらチキンライスを食べていくと、とうとう旗が倒れてしまう。
「うーん」
どうしようかと思案したあと、ところどころケチャップのついてしまった旗を、紙に包んでポケットに入れる。
せっかく早苗が作ってくれた旗だ。初めてお子さまランチを食べた記念としてとっておこう。
もっとも、早苗が慌てて聞いてきても。
「あれ、美鈴さん旗はどうしたんですか?」
「え! あ! 間違って食べちゃった!」
「だ、大丈夫ですか!? 喉から血がでたりとか」
「大丈夫大丈夫。丈夫さだけは取り柄だから」
ちょっと子供っぽくて恥ずかしいので、言えないけれども。
☆☆☆
【閉店後】
提灯の火を消せば、その日の営業はおしまい。あとは片づけをしたり、掃除をしたり。たまに潰れたまま寝てる妖怪や人もいるので、そのときは少し静かにやる。
一人でのんびりと片づけをしていると、その日にあった会話がよぎったりする。
楽しい会話、面白い会話、たまに悩みとかの真剣な話も混ざる。けど、ここにいる間だけは種族とか立場もあまり気にせず話してくれる。
悩みが解決したあとには報告までしてくれる妖怪もいて、そんな日は張り切って料理をしてしまう。
今日も屋台には多くはないけれどもお客さんが来てくれて、食事や会話を楽しんでいってくれた。
誰もいなくなった店内だけど、今日の楽しかった雰囲気がまだ残っている。
それは、お客さんたちが残していってくれた、暖かくて優しいもの。
けれども朝になれば、日差しと共に霧散してしまう。
夜半も過ぎたいつもの夜の後。
ゆっくりとした時の流れに身をまかせ、すぐに消えてしまう幸せの余韻に浸る。
ほのぼのして面白かったです。
常連さんの多い居酒屋ならではの和気あいあいとした雰囲気がしっかりと伝わってきました
そして魅惑のお子様ランチ。
美鈴から話を聞いたおぜうがそんな子供臭いものよく食べるわねフフンとか小馬鹿にしながらも
お子様ランチなるものが気になって気になって仕方なくなりこっそり抜け出してお子様ランチ食べにきて
口の周りケチャップだらけにしながら上機嫌で食べてるところをたまたま飲みにきた美鈴と咲夜さんに見つかって
これは大人様ランチよ!とか言い訳するところまで妄想した。