「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
意識しなくとも、礼の角度、手の位置、動作のスピードが、適切に美しく見えるよう体が動く。今日も私は主の望むまま、完全で瀟洒に、あることができる。できている。
「パーティはまだ始まって間もありません。ホールの出入口のメイドに、上着とお荷物をお預けください」
今日はまた随分と冷え込んでいる。今夜は雪が降るかもしれない。
遅れてやってきた男性を一人見送ると、私は僅かに息を吐く。頭の中の出席者リストと照合。恐らく今の彼が最後の一人のはずだ。ホール内の様子も気になるし、後は妖精メイドのはんぺん(命名レミリアお嬢様)か、うろうろ(命名レミリアお嬢様)に持ち場を交代して、お嬢様のもとに行こうか。…私はお嬢様のネーミングセンス好きですけど、なにか?
そんなことをつらつらと考えていると、門の方でカンテラの光が二度、三度揺れる。新しいお客様の合図だ。まだ誰かいたかしら、と思う間に、その誰かはやってきた。
「あら、…いらっしゃいませミズ・マーガトロイド」
「お疲れさまね、咲夜」
訪れたのはアリス・マーガトロイドだった。空を飛んでくる相手では、門からの合図も間に合いづらい。アリスは分厚く、暖かそうな緑のコートを羽織っていた。
「招待状はお持ちですか?」
「ええ、どうぞ」
アリスに手渡された薄紫の便せんにはP.K.――パチュリー・ノーレッジの署名がある。今日のパーティは紅魔館と融資や保険の取引がある、里の外で暮らす人間たちを対象としているが、他に招待枠があって、お嬢様、パチュリー様、私が、それぞれ個人的に友人を招待している。パチュリー様に伺ったときには、別に誰でもいいでしょう、と誰を招待したのか教えていただけなかったから、今日の出席者として想定していなかった。
「はい、確かに。こちらはお返しいたします」
招待状をアリスに返す。
「上着をお預かりいたします」
アリスにそう断ってコートに手をかけると、アリスは自然に両腕を後ろに流しながら歩き出す。使用人に服を脱がされることに慣れているものの動きだった。やはり彼女は良家の生まれなのではないか。
そうしてコートが私の腕に収まって、息をのむ。
美しいと、そう、思った。
アリスはいつものブルーのワンピースではなく、ワインレッドのカクテルドレスを着ていた。極限までシンプルで、抑制の効いたシックなデザインだ。数瞬目を奪われ、客人に先を歩かせる不行届きに慌て、完全に瀟洒な早歩きを敢行する。
今日のお嬢様の装いを思い出す。豪奢な黒のイブニングドレスは、取引先でもある縫製工房のオーダーメイド品だ。アリスと二人並べば、僅かにお嬢様のドレスが格上だろう。色合いも映えるはずだ。そのあたり、きっとアリスは計算してきている。お嬢様が気まぐれに決めるその日のドレスをいったいどうやって事前に知っているのかについては、折を見て確認せねばなるまい。
アリス・マーガトロイドという女性の印象について、私はいつも第一に、美しいという言葉を思い浮かべてしまう。彼女のそれは、お嬢様や、魔理沙のような動的な美しさではなく、まさしく人形のような、静的な美しさなのだ。
…人形のような、はいくらなんでも安直過ぎるか。とにかくそうしたガラス細工のような美しさを持っている。綺麗系、可愛い系、なんて分類をすると急激に俗っぽくなってしまうけれど、私はアリスと近い分類だと思う。思うのだがしかし、何処までも実用性から乖離した金細工のような彼女に比べ、私はといえば、せいぜいがテーブルに並ぶ銀食器が関の山。
彼女はこのパーティのゲストで、私はメイド。その間にある一線は、博麗大結界よりも厚い。
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会場を見渡すと、既にあちこちで参加者たちの談笑が始まっている。思ったよりいい空気に安心して、私はステージに上る。メイドのしいたけ(命名私)からマイクを受け取ると、会場に向かって一礼する。私に気付いた参加者たちが拍手をする。それが収まるのを待つ。ステージ脇をちらと見ると、しいたけが腕を頭の上で大きくマルの形にしていた。マイクの調整が完了した合図だ。
「あー、みなさま」
キィーン、というハウリングにゲストたちがびくっと仰け反る。
ステージ袖を睨むとしいたけ達が涙目で機材をいじっていた。後でお仕置きだな。
「失礼。改めまして皆さま。今宵は我が紅魔館主催のバレンタインパーティーへお集まりいただき誠にありがとう。主催者の代表理事館主、レミリア・スカーレットだ」
一度言葉を切って拍手がやむのをまた待つ。
「バレンタインデーという行事に馴染みのない方も多かろうと思う。もともとはルペルカリア祭という古代ローマの祭りであったが、ロマンチストな詩人の思いつきに偏見持ちの創作、そこに宗教家の思惑と商売人の経済活動が絡み合って生まれた奇怪な祭りだ。互いに親睦を深めましょう、という程度のイベントだと思って楽しんでいただければ幸いだ」
土着の宗教行事を排除しつつ、しかし地元民の反発を避けたい。そうした苦境の中でキリスト教が編み出した取り込み戦略は今なお世界に影響を残している。取り込みのために、ルぺルカリア祭にもキリスト教的”いわれ”をでっちあげる必要があったのだ。捏造と知りながらひっぱってこられたヴァレンティヌスもさぞや迷惑しているだろう。いや、それとも愉快に笑っているだろうか?
クリスマスも同様だ。槍でつんつんされた例のおじさんが生まれた場所を考えれば、クリスマスツリーなどという常緑樹の存在は実に場違いだ。
しかしそれはそれでよし。冒涜は望むところ。酒のつまみになってくれるなら、ワインの一つも捧げようというもの。
「今日ここに招待させていただいたゲストはみな普段は里の外に一人で暮らしている方ばかりであろう。せっかくの機会、存分に飲み、また語らって欲しい」
そして私もまた自らの思惑を載せて、バレンタインを歪めよう。
「以上。あー、あと一つ。今夜は特に冷える。雪が降る可能性も高いため、是非この紅魔館で一泊されていくことをお勧めする。何分急なことで部屋割も決めていないが、あちらの…」
ホール後方を指す。
「テーブルにゲストルームの鍵を並べておいた。必要であれば自由に使って欲しい。今度こそ以上だ。いい夜を」
拍手を背にステージを降りる。後は本職に任せよう。
ステージ裏の控室に顔を出すと、プリズムリバー三姉妹がスタンバイしていた。
「今日はよろしくお願いするわね」
「ええ。このような依頼は初めてだから上手くいく保証はしかねるが、全力を尽くそう」
長女のルナサ・プリズムリバーがそう答える。言い訳ではなく、ことわりと決意。非常に私好みの回答だった。報酬は前渡し。かなりの金額だが、払う価値のある楽団だと思う。私は仕事に対して相応の報酬を支払うのではなく、相当額の報酬を与えたうえで、それに見合う働きを引き出すのが好きだ。安全圏で他人を評価する審判ではなく、一緒にリスクを取るプレーヤーでありたい。
プリズムリバーには少々難しい注文をした。提示した高額報酬は、失敗は許さんという脅しでもある。しかし彼女たちは上手くやるだろう。他人から最高のパフォーマンスを引き出したいとき、背中を押すべき相手と、プレッシャーをかけるべき相手がいる。彼女たちは後者だ。
ホールに戻ると、暫くしてプリズムリバーの演奏が流れ始める。楽しげで、しかしノリが強すぎず、助走をするような曲だ。私はホストとして招待客一人一人に挨拶しなくてはならない。顧客との会話も大事な今宵の目的である。
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パーティー会場に戻るとゲストたちの緊張も取れた頃、プリズムリバーの軽快な音楽をバックに、人間たちが語らっていた。
折角個人的に招待した連中もいるのだから、オープニングがすんだら貴女もゲストとして参加なさいとお嬢様に命じられ、私はブルーのチャイナドレスに着替えている。いや、下穿きを履いて、スリットは腰まであるため、どちらかといえばアオザイというべきか。何れにせよ普段は着る機会のない大陸の衣装だ。お嬢様からの、煽情的で、かつ近寄りがたいドレスがよいというよく分からないリクエストに対して、美鈴が出した結論がこれだ。
当の美鈴はというと、今頃は東塔の4階で妹様とディナー中である。今日のパーティーに妹様をどうしても出席させたくないというお嬢様の意向と、妹様が要求された代替措置のせめぎ合いの結果だ。美鈴が出席できなくなってしまった代わりとして、私がこのドレスを着ることになった…らしい。正直因果関係が良く分からないのだが。
ホールを見渡すと、見知った金髪の少女が料理を小脇に抱えて誰かと話している。私が招待枠を使って呼んだのが彼女、霧雨魔理沙である。声をかけようと思ったのだが、随分と盛りあがっている様子だったので今はやめにする。ここにきている人間たちはみな、何らかの理由で里から離れて生活しているものばかりであるため、彼女と境遇が近い。話したいこともたくさんあるだろう。一つにはそれを狙って招待した、というのもあるし、ある意味では思惑通りだ。飲み過ぎて失敗しなければいいけれど。
お嬢様は最近見ていなかった、顧客の錬金術師と話しこんでいる様子だ。私はスタッフ人事を含め、内部的な業務の一切を管理する使用人代表、参事であるのだが、融資や共済、信用業務を扱ういわゆる直接部門には精通していない。下手に会話に入るとお嬢様の目算を狂わす可能性があるので、あちらにも行かないほうがよさそうだ。
そう言えばパチュリー様は、珍しくパーティーに出席なさっているはずだ。出るわ、の一言についつい驚いてしまったところ「何か文句でも?バレンタインパーティーなんていうから仕方なく…」云々とボヤいておられた。会場を見渡すと、隅の方に鮮やかな白銀のイブニングドレスを着たパチュリー様がいらした。珍しい色のチョイスだ。何をしているかと思えば、こちらも珍しい白を基調にしたのマーメイドラインドレスを装った八雲紫とピリピリした空気で話し込んでいた。
ん…?お嬢様のドレスは黒…。あっ。
見なかったふりをして壁際へ。途中手に取ったシャンパンに口をつけため息をひとつ。
「そういうことか」
八雲紫はお嬢様が招待されたゲストだ。名義上紅魔館の理事に名を連ねる彼女は私の上司と呼べなくもない。吸血鬼条約の件で確執がある、と外部からは見られている八雲と紅魔館だが、私の目から見る限り、八雲紫とお嬢様は極めて友好的な関係を構築している。個人的には苦手な相手だが、紅魔館の今後を考えれば妖怪の賢者とつながりを持っておくことは大事だろう。
しかしパチュリー様はこれが面白くないらしい。パチュリー様とお嬢様が”そういう”関係であることは知っている。使用人たちの間では公然の秘密だ。今でこそ私も普通の顔をしていられるが、初めてそれに気付いた時は大いに狼狽したものだ。それでいてお二人とも互いに「親友」なんて言うものだから、親友とはそういうものなのかと美鈴に訪ねて大いに笑われてしまった。
恐らくパチュリー様は、仕事と称してお嬢様が頻繁に八雲紫を招いていることが気に食わないのだろうと思う。実際私は、ソファで二人がうたた寝しているところを見てしまったことがある。少なくともお嬢様の、仕事、という言葉の全てが真実ではないと知っている。お嬢様の足が完全に八雲紫の喉に入っていて、非常に寝苦しそうだったのが印象的だった。あの様子を見る限り、二人は極めて健全な関係であろうと思うが、一方で強い信頼感があるようにも見えた。
複雑で、そういう感覚が私にはいまいちわからない。
そういう、というのはつまり、色恋とか、そういう、ことだ。
お嬢様相手に非常に特別な感情を抱いている自覚はある。しかしそれは憧れだとか、敬愛といったものが、出会いの少ない私の中でへんに熟成されてしまった産物のようなものだとも思っている。美鈴に対しても同様だ。お嬢様がパチュリー様や八雲紫と一緒にいるとき、あるいは美鈴が何処か遠くに、私の知らない誰かを見るとき、お嬢様や妹様に誰かの面影を見るとき、私は自分でも抑えきれない苛立ちを感じることがある。
そうでありながら、私自身が誰かに情愛を感じたことは無い。
私には分からないことが多い。
悪魔の館で育ったからだろうか。人里の娘たちは、こんなことで悩んだりはしないのだろうか。
「2杯目はいるかしら?」
自分の考えに沈んでいたところに急に声をかけられる。顔を上げると、アリス・マーガトロイドがシャンパングラスを2つ持って立っていた。気付くと私のグラスは空だ。考え込むとペースが速くなるくせは治っていないらしい。
「ありがとう、アリス」
今は対等のゲストだから、敬語は使わない。そうしている間、私は彼女と同じ所に立っているような気になれる。近くに立っていたゴブリンを呼んで、空のグラスを回収してもらう。
「この館、ホフゴブリンには名前が無いの?妖精たちにはキュートな名前が付いているのに」
アリスがいたずらっぽく笑う。
私はむっとして、
「お嬢様のネーミングセンスを笑うことは、私の名前を笑うも同じよ」
と言い返す。十六夜咲夜。私は自分の名前が好き。同時に、自分には過ぎた名前だとも思う。
「あら、そんなつもりじゃなかったのよ。貴女の名前も、貴女も、とってもキュートで私は好きだわ」
アリスはそんなことを言う。臆面もなく。
えーっと、なにこれ。何だろう。凄く顔が熱い。
暖房が利きすぎているのだとしたら由々しき事態だ。
「ご、ご、ご、ご、ゴブリン達っには、さ、さ、最初からなまっ、名前があっ…あって」
「ど、どうしたの咲夜、大丈夫?」
アリスが心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。
こいつめ人の気も知らないで。
アリスは誰にでも平気でそういうことをいう奴なので、気にしてはいけない。
そう、気にしてはいけない。
「コホン。ゴブリン達には最初から名前があって、お嬢様だけはそれを全員知っているの。だけど、名前を呼ぶと紅魔館を出て行ってしまう、という契約だそうで」
不便極まりないが仕方が無い。
「古典的な屋敷しもべなのね。意外」
驚き方一つとっても彼女は魅力的だ。華がある、というよりは作り込まれている、という印象だが。
「それにしてもレミリアが貴女をこのパーティーに出席させたのは意外だわ」
「どういうこと?」
アリスがいっているのは、単に使用人をゲストとして参加させていることではなさそうだ。
「だってこのパーティー”そういう”目的なんじゃないの?」
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嫌なものを見てしまった。
パチェと紫がなにやら話し込んでいる。見ないふりをしたいが、他のゲストへの挨拶はすませてしまったし、時間帯的に私が彼らの会話に入るのはよろしくない。紫を招いたのは私なのだから私が対応しなければ。
…でもなあ。あの間に入っていくの嫌すぎる。
そうこうしているうちに、彼女らの射程範囲に入ってしまった。
「あらレミィ、挨拶回りはもういいの?」
「ああ、パチェ今あらかた…」
と言いかけたところに、
「私への挨拶がまだでしたわね」
と紫が割り込む。
「あ、ああ。そうなんだよパチェ」
パチェの眉間のしわが深くなる。
私は目線で
<なんでパチェのこと煽るような言い方。もう少し気を使って頂戴>
と訴える。目線といってもテレパシーのようなものだが。
<なんで?え?なんでって、分からない?>
紫の目線に込められた怒りにうろたえる私。
<さっきからこの小娘に貴女とあってる間何してるのかって、もう30分以上ネチネチ詰問されてるんですけど>
えぇー、悪いけどパチェ、それはないわ。
<コレ、貴女のステディでしょう?ちゃんと躾けておきなさいよね>
<それは申し訳ないけど私の責任では…>
って、おや?
紫の後ろを何か青いのがチョロチョロしている。
「あら、そちらの方は?」
そう尋ねると、紫は一瞬うっ、と呻いた。
「天子、お願いだからあんまりうろちょろしないで頂戴。そういう約束でしょう?」
「えー、つまんないよさっきから紫はずーっとその魔女と話してるしー」
ウロチョロする青色の正体は天人、比那名居天子であった。最近周囲をつきまとわれて迷惑している、とは先日会ったときの紫の弁であったが、私の想像よりもずっと気やすい関係のようだ。ほほう。
「これはこれは天人様にいらしていただけるとは、このパーティーにも箔が付くわ」
「そういうお前はレミリア・スカーレット。この私が来たやってことに感謝し、むせび泣きなさ、痛った」
紫が天子の顔面に賢者パンチを打ち込んだ。普通の人間にやったら頭部が無くなるような攻撃だが、天子はちょっと手でさする程度で、鼻血すら出ていない。すげーな天人。
<ちょっと紫?招待した覚えのない子がいるわ>
ジト目でにらむと紫は珍しく決まりが悪そうな顔をしていた。激レアだ。
<こ、これは、道中出くわして、ついてこられちゃって…。へんに乱入とかされても困るし>
<ま、別にいいけど。貴女、青髪が好きだったのね>
<ちょっ、それは誤解よマジで!>
なんてことをしていると。
「何時まで紫とにらめっこしてるのよレミィ?」
今度はうちのわがまま姫がご機嫌斜めだ。もう勘弁して。
この分だと、このパーティー自体、紫の依頼で開いたなんて言ったら、なんといわれるか。
-----------------------
「そういう目的って、どういうこと?」
私はアリスのいうことに思い当たらない。
顧客と紅魔館の交誼、そして顧客と顧客の親睦を深めるためのパーティーだと伺っているけれど。
「親睦を深める、…ね。間違ってはいないわよね」
アリスはしたり顔で頷いている。
「ねえ咲夜、今日の料理のメニューは誰が考えたの?」
「私よ。作っているのは私ではないけれど、メニューの最終決定は私がやっているわ」
「そう」
うちのキッチンスタッフは優秀だ。大規模なパーティーや晩餐会が定期的に行われるこの紅魔館においては、メイド長不在でも十分な仕事をこなせるだけの力がある。
「そのときレミリアに、何か食材について指示を受けた?」
「ええ、使用禁止の食材のリストをいただいたりなんか」
「ふーん。やっぱり」
何がやっぱり、なのだろう。
ちょっと断っておくが、
「別に珍しいことじゃないわ。紅魔館のパーティーには多種多様な種族、思想の持ち主が出席するのが常だもの。人間相手に、今日のメインは人間でございます、なんてわけにはいかないでしょう?」
「人間、ねえ」
「菜食主義者向けのメニューについて専門家のレクチャーを受けたりもしているし、イスラム法学者からハラール認証も受けてるわよ」
「レタスは使うように言われた?」
出し抜けの質問に、ちょっと驚く。
「…ええ、何で知ってるの?」
お嬢様からはこの食材を使ってくれというリクエストもあった。レタスやアスパラガスだ。
「レタスも、アスパラガスも、古くは媚薬として用いられた野菜よ」
「………は?」
突然何を言い出すのだろうか。
「男女の性衝動を阻害するとされる食材が注意深く除かれている。魔法薬学的にも良く考えられたメニューだと思う」
「アリス?」
「照明を絞ってあるのは誰の指示?」
「え?」
そう言えばお嬢様は今日、シャンデリアの光量についても指示をされていた。紅魔館の照明は殆どが魔法光だから、調整は難しくない。いつもの8割ほどに抑えてある。
「音楽にも随分こだわっているのね」
気付くとプリズムリバーの演奏は華やかなものから、ゆったりとしたバラード調の曲に変わっていた。
そうしてホール内を見回すと、参加者の多くが自然と男女二人組になって酒を飲み交わしている。何処となく、なんとなく、艶っぽい雰囲気…というのだろうか。
「これは…いったい…」
「参加者同士の”親睦”を深めるために、レミリアは随分気を使っているようね」
-------------------------
「里の外で、もう少し人口増やせない?」
「あ?」
紫の依頼は非常に直截的なものだった。
幻想郷において、人間は決して失うわけにはいかない重要なリソースだ。人口の管理、調整は賢者たちにとって常に懸念事項である。毎年11月、妖怪の山に集まった神々と意見交換を繰り返しながら、1ヶ月間ほぼ毎日あーでもないこーでもない議論する。人間をどれくらい減らすか、あるいは増やすかを。妖怪の賢者と高位の神々を除けば、縁結び会議の内情を知るものは極めて少ない。数万人からなる幻想郷の人間をわーわー言いながら組み合わせて最終的な人口を調整する。どの家に何人の子供が生まれるかというレベルまで予測計算がなされる。賢者にとっても神にとっても頭の痛いイベントらしい。
しかしこうした縁結びや未来予測は当然ながら、全てが成就するわけではない。それでも単に組み合わせが変わるだけならフォローもできるそうだが、問題は里を出てしまうパターンだ。組合せのバリエーションが減ってしまうこともあり、里の内部で調整を行う場合、かなり大掛かりな修正の手間を擁するそうだ。里を抜けて外で生活できるような人間の多くが、いわゆる結婚適齢期前後の人間ばかりというのも問題に拍車をかけている。
そこで紫の依頼に戻るわけだ。
「外の人間同士で一人でも二人でも作ってもらえるとこっちの作業がかなり楽になるの」
「あー、そう」
運命を扱う悪魔としては、多くの人間の運命が、自分の預かり知らない場所で動いていることなんか百も承知で、そういう意味で特に含むところは無いけれど。でも自分がそこに関わるということに少し抵抗を感じたりもした。でも、
「そういうことなら私に任せておきなさい」
それでも引き受けてしまうのは、紫が命令ではなく、お願いをする相手として自分を選んでくれることに、僅かに嬉しさを感じてしまうから、なのだろうか。
もちろん私の商売にとってもこれはプラスになる。里の外の人間たちは余りにも互いに協力というものをしないので、この先どうしようかという懸念はあったのだ。これを機に何組か結婚でもしてくれれば、老後も安心だし、養育費の融資もはかどる。子どもが将来の顧客になってくれる可能性も十分だ。
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「つまりお嬢様は出席者同士を、つまりその、あー、せっ…、せっ…」
「セックスさせるのが目的なんでしょう」
お願いだからそのきれいな顔でセックスとか普通に言わないで。
アリスの指摘は実に腑に落ちるものではあった。むしろそのあたりを察せなかった私が、瀟洒とは言えない。お嬢様は私が分かっていないのも承知だっただろう。
「ま、それだとあんまりな言い方だし、まあ婚活パーティーぐらいに言い換えた方がいいかしら」
「こん、かつ?」
「手っ取り早い合同お見合いみたいなものよ」
アリスは知っていて来たのだろうか、それとも来てから気付いたのだろうか。出席者には親睦会を兼ねたイベント、という招待しかしていないから、目的を知っている人間はいないはずだが。
「あ」
「どうしたの」
「私、魔理沙招待しちゃったんだけど」
すっかり忘れていた。
アリスは特に興味がなさそうで
「気の合う男でも見つけたら、身を固めたらいいんじゃないかしら」
「アリスはそれでいいの?」
「なにが?」
アリスは魔理沙とも仲が良かったはずだ。
「本人が何を幸せと思うかによるんじゃない。顔に怪我でもする前に家庭に落ち着いたほうが、あの子のためなんじゃないか、という気もするけれど。まああの様子じゃ、まだまだ色気より食い気ね」
アリスが眺める方向に視線を移すと、両手に料理を抱えて天子とバカ笑いしている魔理沙が見えた。少しホッとしてしまう。
「あなた今ホッとした?」
「えっ?」
アリスが私を見つめていた。
鼓動が速くなる。
アリスはシャンパンをひと口飲む。その唇をつと目で追ってしまう。
「友達が大人になるの、こわい?」
こわい、のだろうか。私は。
愛されることへの漠然とした欲求はある。しかしそれが私の中で具体的な像を結んだことは無い。何時だって、焦点の合わない、ピンボケの写真のようなそれを、ここ数年、ずっと抱えている。それを指摘されたような気がして、酷く不安定な気持ちになる。自分を見透かされているような、不安。
お嬢様も、ときどき私の内面を見透かすようなことをおっしゃることがある。けれどもそれで不安になったことは無い。お嬢様は何時でも私を包み込むような優しさで接して下さる。でもアリスの視線は違った。私から何かを奪おうとするような、鋭く、しかし見る者を魅了するような瞳。
アリスは答えない私に何も言わず、また少しシャンパンを口にする。私はその唇を見てしまう。
「フフッ」
とアリスが笑った。
私がアリスを見ていたことに気付かれてしまったのだと思った。
「貴女、好きな男性はいないの?」
アリスの問いに、私は少し冷静さを取り戻した。
「いないわね」
ハッキリとそう答える。
「私の身も、心も、全てはお嬢様のものですわ」
その言葉を口にすると、ようやく動揺は収まり、自分の体と、心の全てが自分のコントロール下に戻ってくるような気がした。結局のところ、それこそが私の基礎。基盤。その事実の上に私は立っているのだった。
「嘘」
だから、それを崩されると、私は弱い。
アリスは私の言葉を否定した。それを偽りと断じた。
「だって貴女、断ったのでしょう。吸血鬼になること」
「……!!」
どうして、そのことを。
呼吸が浅くなる。吸っても吸っても、ちっとも息苦しさが無くならない。
「パチュリーから少し聞いたの。貴女、吸血鬼になってずっとレミリアの従者でいて欲しいって誘い、断ったそうね。それなのに、身も心もお嬢様のもの、なんて言うのね」
「そ、それは…」
それは、だって、
「どうしても、それだけは、できなかったの」
私は何も持っていなかった。名前さえも持っていなかった。全てはお嬢様から与えられたもの。名前も、生き方も、居場所も。そんな私がたった一つ、最初から持っていたのが、この身体だ。たくさんのものを最初から持っている他の人間に、この感覚は分からないだろう。たったひとつ、この肉体だけが私だった。それを差し出してしまえば、私は最早何物でもなくなってしまう。そういう強迫観念のようなものが、私の中にはある。私は望まれれば、魂さえもお嬢様に捧げる。今既に捧げているつもりだ。しかしこの身体だけは、死ぬまで私のものにしておきたい。
「だから私は…」
「ふーん」
アリスは何かに納得したように、頷いた。
「つまりあなたは、それを引け目に感じていて、お嬢様に愛されることはできないって、思ってるわけ」
「そう、なのかしら」
そうなのだろうか。
全てを捧げると言いながら、手放せないものを持っている私は、だからお嬢様に愛されることを、想像できないのだろうか。
「そうして人間とも愛を交わせない」
「どういうこと?」
アリスはどうしてこんなにも私のことを話すのだろう。私以上に、私のことに詳しいような顔をして。
「あなた、人間を見たとき、あ、人間だ、って思うでしょう?」
「?」
いっている意味が良く分からない。
「人間は、犬を犬と呼び、妖精を妖精と呼ぶ。でも人間を人間とは呼ばないものよ」
そうでしょ?とアリスはいう。
「人間が犬に恋しないように、貴女は人間に恋をしない。だって人間を自分とは違う生き物だと思ってる」
思い当たることが、ないではない。
時には食材として調理することさえある、そんな生き物とどうして愛し合える?そう、言われてみればそうだ。私は人間に、恋したことが無かった。
「だったら、一体誰が…」
アリスが私に手を伸ばし、
「貴女を愛してくれるのかしらね」
私の頬に触れた。
全身に電流のような、あるいは麻酔のような、痺れが襲った。体を、首を僅かにも動かすことができず、視線だけで周りの様子を伺う。けれどもホールに人はまばらになっていて、残っている参加者も、誰も他人を気にする様子じゃなかった。誰もが自分たちだけの世界に、入ってしまっている。
視線を戻すと、アリスは私をじっと見つめていた。ガラス玉のように透き通った目だ。
「愛してあげましょうか?」
「なっ、何を言っている…の?」
自分の体の中を巡る、赤い液体の温度を感じる。
アリスにも同じものが流れているだろうか。この美しい人形遣いにも。
「咲夜、たまに私のこと見てるでしょう?」
見ている。
アリスの美しい肢体を、瞳を、唇を、ふと目で追ってしまうことはこれまでにもあった。その理由がいまようやく分かった。アリスからは、人間を、感じないからだ。人間のような、人間に似た、身体を持ちながら、しかしまるで、別物としか思えない。その作り物めいた美しさに、私は罪を感じずにいられるのだ。
「私は綺麗でしょう?」
「自分で、言うのね」
「だってそう出来ているからね」
アリスは更に私に顔を近づける。
「私は咲夜も凄く綺麗だと思うけど。私は咲夜の身体、好きよ」
「身体だけ?」
アリスが言っていることはさっきから滅茶苦茶で、だけどそこに少しも嫌味を感じないのはどうしてだろう。事実しか口にしていないからだろうか。アリスが嘘をついたところを見たことが無い。
「肉体には全てが現れるわ。その人の気持ちも、考え方も、そう、心もね。身体の動き、骨の角度、筋肉のつき方、皮膚の固さ。身体を見れば、その人の全てが分かる」
アリスは私の頬に当てた手を、首筋から肩、脇腹から腰まで、なぞる様に下ろす。
私は悪い魔女に捕まってしまったらしい。
アリスは私の手を取って、何かを握らせた。
「愛は与えても減らないのよ。レミリアを見れば分かるでしょう」
お嬢様の方を見ると、相変わらず八雲紫とパチュリー様に挟まれていた。しかし雰囲気は先ほどのようにピリピリしたものではなく、和やかに談笑しているようだった。
視線を戻すと、アリスは既にこちらに背を向けて歩き出していた。
「貴女もそろそろ大人のレディにならなくちゃね」
振り向きざまのウインクが許されるのは、私の知る限りアリスぐらいのものだろう。
掌にはRoom.214と書かれたゲストルームのキーがあった。
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ようやくパチェの機嫌も治ってきて、食事を楽しむ余裕が出てきた。ここまで来るのに、半笑いの紫の眼前でパチェに愛を囁き続けるという拷問のような30分を過ごす必要があったが、三人で楽しく食事を楽しむためなら、その程度は苦労の内にも入らない。何より今日は紫の新たなウィークポイントを見つけることができた。これは大きな収穫だ。幽々子は天子のこと、知っているのだろうか。
「なんだか邪なことを考えている顔ね」
紫が半眼で睨みつけてくる。
「レミィがこういう顔で笑っているときはだいたいろくでもないことを考えている時だから気をつけなさい」
なんだかパチェと紫が仲良くなってしまったのは誤算である。考えてみれば間欠泉騒動のとき、パチェは私より先に紫に相談したんだった。もともと相性はいいのだろう。ちょっと怖いが、仲が悪いよりずっといい。
ホール内を見渡すと、出席者の数がだいぶ減っている様子だった。パチェに頼んでパーティー中に外を吹雪かせてもらっているから、帰ったということはあるまい。きっかけの中で、どのような愛をつかみ取るのか、それは人間に与えられた自由だ。それは随分狭い自由ではあるが、そんなものは色恋に限った話ではないだろう。色々な思惑からお膳立てされたレールを、どう走っていくのか、それが人生の楽しみというものだと思う。
企みと陰謀、ささやかな願いの果てに歪められた、このバレンタインというイベントが、それでも誰かを幸せにすることがある様に。
ところで咲夜の姿が見えないけれど。
人間相手に心動かす性質でもないし、もう寝てしまったのかな。
結局、場所を自室に移して朝まで飲むことになってしまった。紫は忙しいんだからさっさと帰れよと思ったのだが、
「パチュリーさんを交えてお酒を飲む機会なんて貴重ですわ」
などとのたまっていた。何で私は呼び捨てで、パチェはさん付けなんだ。
それでも楽しいパーティーになってよかった。
早朝、帰宅する参加者たちをロビーで見送る限り、今回の主目的も、思いのほか達成されたようである。見知った顧客同士が男女で、ちょっとぎこちなく帰っていく様は微笑ましい。死ぬほどおせっかいなことをしている自覚はあるが、人間なんて人生短いんだから、後世に何かを残してほしいというのが私の飾らない本音である。
ちなみにホールを覗くと、魔理沙と天子がテーブルに突っ伏して眠っていた。片づけの妖精メイドたちに荷物のように退かされていく様は哀愁を感じる。
「お嬢様、おはようございます」
声に振り返ると、咲夜が何時ものメイド服で立っていた。
「ああ、おはよう。昨日はよく眠れたか?」
「…え?あ、すみません今なんと?」
珍しいこともあるものだ、ぼーっとして私の言葉を聞き逃すなんて咲夜らしくもない。
「昨日は眠れたか、と聞いた。そのぶんだと夜更かしが過ぎたようね」
「申し訳ありません。昨夜はなかなか寝かせ、…眠れなかったもので」
メイドとしてではなく、ゲストとして参加するパーティーは殆どないし、緊張もあったのだろうか。
「何時までもボーっとしていてはいけませんね。少し顔を洗ってまいります」
「ええ、そうしなさい」
なんだか今朝の咲夜はポヤポヤっとしている、というかなんというか。あまり咲夜らしくない気がする。触れたら切れてしまいそうな、ナイフのような緊張感が無い。今朝の咲夜はまるで、
「人間みたい」
なんて言うと、彼女は気を悪くするだろうか。だけど、ぽやっとした咲夜は、キリッとした咲夜よりちょっと幸せそうなので、良しとする。
「おはようレミリア」
今度はアリスがロビーにやってきた。いつもの青いワンピースに白いケープだ。
妖精メイドが預かっていた彼女の荷物とコートを持ってくる間、少し立ち話に興ずる。
「パーティーの首尾はどうだった?」
とアリスに聞かれる。
この聞き方、どうやらアリスには目的が分かっていたらしい。
「参ったね。よく気が付いたものだと褒めておく」
「あんなに露骨にやっておいて、よく言うわ」
「首尾は上々も上々、大成功だよ。メルラン・プリズムリバーにはチップを弾まないと」
演奏に込められた魔力は人を情熱的にも、センチメンタルにもする。彼女たちの仕事は完璧だった。
「貴女はどうだったのアリス、楽しんでもらえた?」
パチェが招待したはずなのに、肝心の招待主であるパチェが紫に付きっきりだったせいで、ホストとしては少し申し訳なくも思ったのだが。
「心配は無用よ。とても楽しませてもらったわ」
「あら、そう。それは良かった」
そこに妖精メイドがやってきて、アリスがコートに袖を通す。
「いいパーティーをありがとう。特にデザートのラングドシャはとってもおいしかったわ」
そういって笑顔で立ち去るアリスを手を振って見送る。
ゲストに不満が無いようで何よりだ。
そろそろ執務室に戻って今回の顛末でも記録しようと向き直った瞬間に、あれ、と違和感を覚える。
「デザートにラングドシャなんか出したかしら」
たぶん出してない。
数秒間の思考の末、急に頭の中がクリア―になる、真相に気付いた探偵の閃きにも似たそれ。
―――昨夜はなかなか寝かせ、…眠れなかったもので
―――ぼーっとして私の言葉を聞き逃すなんて咲夜らしくもない。
―――とても楽しませてもらった
―――ラングドシャはとってもおいしかったわ
―――ラングドシャ
「あ」
やってくれたな、
「あンの人形使いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
意識しなくとも、礼の角度、手の位置、動作のスピードが、適切に美しく見えるよう体が動く。今日も私は主の望むまま、完全で瀟洒に、あることができる。できている。
「パーティはまだ始まって間もありません。ホールの出入口のメイドに、上着とお荷物をお預けください」
今日はまた随分と冷え込んでいる。今夜は雪が降るかもしれない。
遅れてやってきた男性を一人見送ると、私は僅かに息を吐く。頭の中の出席者リストと照合。恐らく今の彼が最後の一人のはずだ。ホール内の様子も気になるし、後は妖精メイドのはんぺん(命名レミリアお嬢様)か、うろうろ(命名レミリアお嬢様)に持ち場を交代して、お嬢様のもとに行こうか。…私はお嬢様のネーミングセンス好きですけど、なにか?
そんなことをつらつらと考えていると、門の方でカンテラの光が二度、三度揺れる。新しいお客様の合図だ。まだ誰かいたかしら、と思う間に、その誰かはやってきた。
「あら、…いらっしゃいませミズ・マーガトロイド」
「お疲れさまね、咲夜」
訪れたのはアリス・マーガトロイドだった。空を飛んでくる相手では、門からの合図も間に合いづらい。アリスは分厚く、暖かそうな緑のコートを羽織っていた。
「招待状はお持ちですか?」
「ええ、どうぞ」
アリスに手渡された薄紫の便せんにはP.K.――パチュリー・ノーレッジの署名がある。今日のパーティは紅魔館と融資や保険の取引がある、里の外で暮らす人間たちを対象としているが、他に招待枠があって、お嬢様、パチュリー様、私が、それぞれ個人的に友人を招待している。パチュリー様に伺ったときには、別に誰でもいいでしょう、と誰を招待したのか教えていただけなかったから、今日の出席者として想定していなかった。
「はい、確かに。こちらはお返しいたします」
招待状をアリスに返す。
「上着をお預かりいたします」
アリスにそう断ってコートに手をかけると、アリスは自然に両腕を後ろに流しながら歩き出す。使用人に服を脱がされることに慣れているものの動きだった。やはり彼女は良家の生まれなのではないか。
そうしてコートが私の腕に収まって、息をのむ。
美しいと、そう、思った。
アリスはいつものブルーのワンピースではなく、ワインレッドのカクテルドレスを着ていた。極限までシンプルで、抑制の効いたシックなデザインだ。数瞬目を奪われ、客人に先を歩かせる不行届きに慌て、完全に瀟洒な早歩きを敢行する。
今日のお嬢様の装いを思い出す。豪奢な黒のイブニングドレスは、取引先でもある縫製工房のオーダーメイド品だ。アリスと二人並べば、僅かにお嬢様のドレスが格上だろう。色合いも映えるはずだ。そのあたり、きっとアリスは計算してきている。お嬢様が気まぐれに決めるその日のドレスをいったいどうやって事前に知っているのかについては、折を見て確認せねばなるまい。
アリス・マーガトロイドという女性の印象について、私はいつも第一に、美しいという言葉を思い浮かべてしまう。彼女のそれは、お嬢様や、魔理沙のような動的な美しさではなく、まさしく人形のような、静的な美しさなのだ。
…人形のような、はいくらなんでも安直過ぎるか。とにかくそうしたガラス細工のような美しさを持っている。綺麗系、可愛い系、なんて分類をすると急激に俗っぽくなってしまうけれど、私はアリスと近い分類だと思う。思うのだがしかし、何処までも実用性から乖離した金細工のような彼女に比べ、私はといえば、せいぜいがテーブルに並ぶ銀食器が関の山。
彼女はこのパーティのゲストで、私はメイド。その間にある一線は、博麗大結界よりも厚い。
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会場を見渡すと、既にあちこちで参加者たちの談笑が始まっている。思ったよりいい空気に安心して、私はステージに上る。メイドのしいたけ(命名私)からマイクを受け取ると、会場に向かって一礼する。私に気付いた参加者たちが拍手をする。それが収まるのを待つ。ステージ脇をちらと見ると、しいたけが腕を頭の上で大きくマルの形にしていた。マイクの調整が完了した合図だ。
「あー、みなさま」
キィーン、というハウリングにゲストたちがびくっと仰け反る。
ステージ袖を睨むとしいたけ達が涙目で機材をいじっていた。後でお仕置きだな。
「失礼。改めまして皆さま。今宵は我が紅魔館主催のバレンタインパーティーへお集まりいただき誠にありがとう。主催者の代表理事館主、レミリア・スカーレットだ」
一度言葉を切って拍手がやむのをまた待つ。
「バレンタインデーという行事に馴染みのない方も多かろうと思う。もともとはルペルカリア祭という古代ローマの祭りであったが、ロマンチストな詩人の思いつきに偏見持ちの創作、そこに宗教家の思惑と商売人の経済活動が絡み合って生まれた奇怪な祭りだ。互いに親睦を深めましょう、という程度のイベントだと思って楽しんでいただければ幸いだ」
土着の宗教行事を排除しつつ、しかし地元民の反発を避けたい。そうした苦境の中でキリスト教が編み出した取り込み戦略は今なお世界に影響を残している。取り込みのために、ルぺルカリア祭にもキリスト教的”いわれ”をでっちあげる必要があったのだ。捏造と知りながらひっぱってこられたヴァレンティヌスもさぞや迷惑しているだろう。いや、それとも愉快に笑っているだろうか?
クリスマスも同様だ。槍でつんつんされた例のおじさんが生まれた場所を考えれば、クリスマスツリーなどという常緑樹の存在は実に場違いだ。
しかしそれはそれでよし。冒涜は望むところ。酒のつまみになってくれるなら、ワインの一つも捧げようというもの。
「今日ここに招待させていただいたゲストはみな普段は里の外に一人で暮らしている方ばかりであろう。せっかくの機会、存分に飲み、また語らって欲しい」
そして私もまた自らの思惑を載せて、バレンタインを歪めよう。
「以上。あー、あと一つ。今夜は特に冷える。雪が降る可能性も高いため、是非この紅魔館で一泊されていくことをお勧めする。何分急なことで部屋割も決めていないが、あちらの…」
ホール後方を指す。
「テーブルにゲストルームの鍵を並べておいた。必要であれば自由に使って欲しい。今度こそ以上だ。いい夜を」
拍手を背にステージを降りる。後は本職に任せよう。
ステージ裏の控室に顔を出すと、プリズムリバー三姉妹がスタンバイしていた。
「今日はよろしくお願いするわね」
「ええ。このような依頼は初めてだから上手くいく保証はしかねるが、全力を尽くそう」
長女のルナサ・プリズムリバーがそう答える。言い訳ではなく、ことわりと決意。非常に私好みの回答だった。報酬は前渡し。かなりの金額だが、払う価値のある楽団だと思う。私は仕事に対して相応の報酬を支払うのではなく、相当額の報酬を与えたうえで、それに見合う働きを引き出すのが好きだ。安全圏で他人を評価する審判ではなく、一緒にリスクを取るプレーヤーでありたい。
プリズムリバーには少々難しい注文をした。提示した高額報酬は、失敗は許さんという脅しでもある。しかし彼女たちは上手くやるだろう。他人から最高のパフォーマンスを引き出したいとき、背中を押すべき相手と、プレッシャーをかけるべき相手がいる。彼女たちは後者だ。
ホールに戻ると、暫くしてプリズムリバーの演奏が流れ始める。楽しげで、しかしノリが強すぎず、助走をするような曲だ。私はホストとして招待客一人一人に挨拶しなくてはならない。顧客との会話も大事な今宵の目的である。
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パーティー会場に戻るとゲストたちの緊張も取れた頃、プリズムリバーの軽快な音楽をバックに、人間たちが語らっていた。
折角個人的に招待した連中もいるのだから、オープニングがすんだら貴女もゲストとして参加なさいとお嬢様に命じられ、私はブルーのチャイナドレスに着替えている。いや、下穿きを履いて、スリットは腰まであるため、どちらかといえばアオザイというべきか。何れにせよ普段は着る機会のない大陸の衣装だ。お嬢様からの、煽情的で、かつ近寄りがたいドレスがよいというよく分からないリクエストに対して、美鈴が出した結論がこれだ。
当の美鈴はというと、今頃は東塔の4階で妹様とディナー中である。今日のパーティーに妹様をどうしても出席させたくないというお嬢様の意向と、妹様が要求された代替措置のせめぎ合いの結果だ。美鈴が出席できなくなってしまった代わりとして、私がこのドレスを着ることになった…らしい。正直因果関係が良く分からないのだが。
ホールを見渡すと、見知った金髪の少女が料理を小脇に抱えて誰かと話している。私が招待枠を使って呼んだのが彼女、霧雨魔理沙である。声をかけようと思ったのだが、随分と盛りあがっている様子だったので今はやめにする。ここにきている人間たちはみな、何らかの理由で里から離れて生活しているものばかりであるため、彼女と境遇が近い。話したいこともたくさんあるだろう。一つにはそれを狙って招待した、というのもあるし、ある意味では思惑通りだ。飲み過ぎて失敗しなければいいけれど。
お嬢様は最近見ていなかった、顧客の錬金術師と話しこんでいる様子だ。私はスタッフ人事を含め、内部的な業務の一切を管理する使用人代表、参事であるのだが、融資や共済、信用業務を扱ういわゆる直接部門には精通していない。下手に会話に入るとお嬢様の目算を狂わす可能性があるので、あちらにも行かないほうがよさそうだ。
そう言えばパチュリー様は、珍しくパーティーに出席なさっているはずだ。出るわ、の一言についつい驚いてしまったところ「何か文句でも?バレンタインパーティーなんていうから仕方なく…」云々とボヤいておられた。会場を見渡すと、隅の方に鮮やかな白銀のイブニングドレスを着たパチュリー様がいらした。珍しい色のチョイスだ。何をしているかと思えば、こちらも珍しい白を基調にしたのマーメイドラインドレスを装った八雲紫とピリピリした空気で話し込んでいた。
ん…?お嬢様のドレスは黒…。あっ。
見なかったふりをして壁際へ。途中手に取ったシャンパンに口をつけため息をひとつ。
「そういうことか」
八雲紫はお嬢様が招待されたゲストだ。名義上紅魔館の理事に名を連ねる彼女は私の上司と呼べなくもない。吸血鬼条約の件で確執がある、と外部からは見られている八雲と紅魔館だが、私の目から見る限り、八雲紫とお嬢様は極めて友好的な関係を構築している。個人的には苦手な相手だが、紅魔館の今後を考えれば妖怪の賢者とつながりを持っておくことは大事だろう。
しかしパチュリー様はこれが面白くないらしい。パチュリー様とお嬢様が”そういう”関係であることは知っている。使用人たちの間では公然の秘密だ。今でこそ私も普通の顔をしていられるが、初めてそれに気付いた時は大いに狼狽したものだ。それでいてお二人とも互いに「親友」なんて言うものだから、親友とはそういうものなのかと美鈴に訪ねて大いに笑われてしまった。
恐らくパチュリー様は、仕事と称してお嬢様が頻繁に八雲紫を招いていることが気に食わないのだろうと思う。実際私は、ソファで二人がうたた寝しているところを見てしまったことがある。少なくともお嬢様の、仕事、という言葉の全てが真実ではないと知っている。お嬢様の足が完全に八雲紫の喉に入っていて、非常に寝苦しそうだったのが印象的だった。あの様子を見る限り、二人は極めて健全な関係であろうと思うが、一方で強い信頼感があるようにも見えた。
複雑で、そういう感覚が私にはいまいちわからない。
そういう、というのはつまり、色恋とか、そういう、ことだ。
お嬢様相手に非常に特別な感情を抱いている自覚はある。しかしそれは憧れだとか、敬愛といったものが、出会いの少ない私の中でへんに熟成されてしまった産物のようなものだとも思っている。美鈴に対しても同様だ。お嬢様がパチュリー様や八雲紫と一緒にいるとき、あるいは美鈴が何処か遠くに、私の知らない誰かを見るとき、お嬢様や妹様に誰かの面影を見るとき、私は自分でも抑えきれない苛立ちを感じることがある。
そうでありながら、私自身が誰かに情愛を感じたことは無い。
私には分からないことが多い。
悪魔の館で育ったからだろうか。人里の娘たちは、こんなことで悩んだりはしないのだろうか。
「2杯目はいるかしら?」
自分の考えに沈んでいたところに急に声をかけられる。顔を上げると、アリス・マーガトロイドがシャンパングラスを2つ持って立っていた。気付くと私のグラスは空だ。考え込むとペースが速くなるくせは治っていないらしい。
「ありがとう、アリス」
今は対等のゲストだから、敬語は使わない。そうしている間、私は彼女と同じ所に立っているような気になれる。近くに立っていたゴブリンを呼んで、空のグラスを回収してもらう。
「この館、ホフゴブリンには名前が無いの?妖精たちにはキュートな名前が付いているのに」
アリスがいたずらっぽく笑う。
私はむっとして、
「お嬢様のネーミングセンスを笑うことは、私の名前を笑うも同じよ」
と言い返す。十六夜咲夜。私は自分の名前が好き。同時に、自分には過ぎた名前だとも思う。
「あら、そんなつもりじゃなかったのよ。貴女の名前も、貴女も、とってもキュートで私は好きだわ」
アリスはそんなことを言う。臆面もなく。
えーっと、なにこれ。何だろう。凄く顔が熱い。
暖房が利きすぎているのだとしたら由々しき事態だ。
「ご、ご、ご、ご、ゴブリン達っには、さ、さ、最初からなまっ、名前があっ…あって」
「ど、どうしたの咲夜、大丈夫?」
アリスが心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。
こいつめ人の気も知らないで。
アリスは誰にでも平気でそういうことをいう奴なので、気にしてはいけない。
そう、気にしてはいけない。
「コホン。ゴブリン達には最初から名前があって、お嬢様だけはそれを全員知っているの。だけど、名前を呼ぶと紅魔館を出て行ってしまう、という契約だそうで」
不便極まりないが仕方が無い。
「古典的な屋敷しもべなのね。意外」
驚き方一つとっても彼女は魅力的だ。華がある、というよりは作り込まれている、という印象だが。
「それにしてもレミリアが貴女をこのパーティーに出席させたのは意外だわ」
「どういうこと?」
アリスがいっているのは、単に使用人をゲストとして参加させていることではなさそうだ。
「だってこのパーティー”そういう”目的なんじゃないの?」
-----------------------
嫌なものを見てしまった。
パチェと紫がなにやら話し込んでいる。見ないふりをしたいが、他のゲストへの挨拶はすませてしまったし、時間帯的に私が彼らの会話に入るのはよろしくない。紫を招いたのは私なのだから私が対応しなければ。
…でもなあ。あの間に入っていくの嫌すぎる。
そうこうしているうちに、彼女らの射程範囲に入ってしまった。
「あらレミィ、挨拶回りはもういいの?」
「ああ、パチェ今あらかた…」
と言いかけたところに、
「私への挨拶がまだでしたわね」
と紫が割り込む。
「あ、ああ。そうなんだよパチェ」
パチェの眉間のしわが深くなる。
私は目線で
<なんでパチェのこと煽るような言い方。もう少し気を使って頂戴>
と訴える。目線といってもテレパシーのようなものだが。
<なんで?え?なんでって、分からない?>
紫の目線に込められた怒りにうろたえる私。
<さっきからこの小娘に貴女とあってる間何してるのかって、もう30分以上ネチネチ詰問されてるんですけど>
えぇー、悪いけどパチェ、それはないわ。
<コレ、貴女のステディでしょう?ちゃんと躾けておきなさいよね>
<それは申し訳ないけど私の責任では…>
って、おや?
紫の後ろを何か青いのがチョロチョロしている。
「あら、そちらの方は?」
そう尋ねると、紫は一瞬うっ、と呻いた。
「天子、お願いだからあんまりうろちょろしないで頂戴。そういう約束でしょう?」
「えー、つまんないよさっきから紫はずーっとその魔女と話してるしー」
ウロチョロする青色の正体は天人、比那名居天子であった。最近周囲をつきまとわれて迷惑している、とは先日会ったときの紫の弁であったが、私の想像よりもずっと気やすい関係のようだ。ほほう。
「これはこれは天人様にいらしていただけるとは、このパーティーにも箔が付くわ」
「そういうお前はレミリア・スカーレット。この私が来たやってことに感謝し、むせび泣きなさ、痛った」
紫が天子の顔面に賢者パンチを打ち込んだ。普通の人間にやったら頭部が無くなるような攻撃だが、天子はちょっと手でさする程度で、鼻血すら出ていない。すげーな天人。
<ちょっと紫?招待した覚えのない子がいるわ>
ジト目でにらむと紫は珍しく決まりが悪そうな顔をしていた。激レアだ。
<こ、これは、道中出くわして、ついてこられちゃって…。へんに乱入とかされても困るし>
<ま、別にいいけど。貴女、青髪が好きだったのね>
<ちょっ、それは誤解よマジで!>
なんてことをしていると。
「何時まで紫とにらめっこしてるのよレミィ?」
今度はうちのわがまま姫がご機嫌斜めだ。もう勘弁して。
この分だと、このパーティー自体、紫の依頼で開いたなんて言ったら、なんといわれるか。
-----------------------
「そういう目的って、どういうこと?」
私はアリスのいうことに思い当たらない。
顧客と紅魔館の交誼、そして顧客と顧客の親睦を深めるためのパーティーだと伺っているけれど。
「親睦を深める、…ね。間違ってはいないわよね」
アリスはしたり顔で頷いている。
「ねえ咲夜、今日の料理のメニューは誰が考えたの?」
「私よ。作っているのは私ではないけれど、メニューの最終決定は私がやっているわ」
「そう」
うちのキッチンスタッフは優秀だ。大規模なパーティーや晩餐会が定期的に行われるこの紅魔館においては、メイド長不在でも十分な仕事をこなせるだけの力がある。
「そのときレミリアに、何か食材について指示を受けた?」
「ええ、使用禁止の食材のリストをいただいたりなんか」
「ふーん。やっぱり」
何がやっぱり、なのだろう。
ちょっと断っておくが、
「別に珍しいことじゃないわ。紅魔館のパーティーには多種多様な種族、思想の持ち主が出席するのが常だもの。人間相手に、今日のメインは人間でございます、なんてわけにはいかないでしょう?」
「人間、ねえ」
「菜食主義者向けのメニューについて専門家のレクチャーを受けたりもしているし、イスラム法学者からハラール認証も受けてるわよ」
「レタスは使うように言われた?」
出し抜けの質問に、ちょっと驚く。
「…ええ、何で知ってるの?」
お嬢様からはこの食材を使ってくれというリクエストもあった。レタスやアスパラガスだ。
「レタスも、アスパラガスも、古くは媚薬として用いられた野菜よ」
「………は?」
突然何を言い出すのだろうか。
「男女の性衝動を阻害するとされる食材が注意深く除かれている。魔法薬学的にも良く考えられたメニューだと思う」
「アリス?」
「照明を絞ってあるのは誰の指示?」
「え?」
そう言えばお嬢様は今日、シャンデリアの光量についても指示をされていた。紅魔館の照明は殆どが魔法光だから、調整は難しくない。いつもの8割ほどに抑えてある。
「音楽にも随分こだわっているのね」
気付くとプリズムリバーの演奏は華やかなものから、ゆったりとしたバラード調の曲に変わっていた。
そうしてホール内を見回すと、参加者の多くが自然と男女二人組になって酒を飲み交わしている。何処となく、なんとなく、艶っぽい雰囲気…というのだろうか。
「これは…いったい…」
「参加者同士の”親睦”を深めるために、レミリアは随分気を使っているようね」
-------------------------
「里の外で、もう少し人口増やせない?」
「あ?」
紫の依頼は非常に直截的なものだった。
幻想郷において、人間は決して失うわけにはいかない重要なリソースだ。人口の管理、調整は賢者たちにとって常に懸念事項である。毎年11月、妖怪の山に集まった神々と意見交換を繰り返しながら、1ヶ月間ほぼ毎日あーでもないこーでもない議論する。人間をどれくらい減らすか、あるいは増やすかを。妖怪の賢者と高位の神々を除けば、縁結び会議の内情を知るものは極めて少ない。数万人からなる幻想郷の人間をわーわー言いながら組み合わせて最終的な人口を調整する。どの家に何人の子供が生まれるかというレベルまで予測計算がなされる。賢者にとっても神にとっても頭の痛いイベントらしい。
しかしこうした縁結びや未来予測は当然ながら、全てが成就するわけではない。それでも単に組み合わせが変わるだけならフォローもできるそうだが、問題は里を出てしまうパターンだ。組合せのバリエーションが減ってしまうこともあり、里の内部で調整を行う場合、かなり大掛かりな修正の手間を擁するそうだ。里を抜けて外で生活できるような人間の多くが、いわゆる結婚適齢期前後の人間ばかりというのも問題に拍車をかけている。
そこで紫の依頼に戻るわけだ。
「外の人間同士で一人でも二人でも作ってもらえるとこっちの作業がかなり楽になるの」
「あー、そう」
運命を扱う悪魔としては、多くの人間の運命が、自分の預かり知らない場所で動いていることなんか百も承知で、そういう意味で特に含むところは無いけれど。でも自分がそこに関わるということに少し抵抗を感じたりもした。でも、
「そういうことなら私に任せておきなさい」
それでも引き受けてしまうのは、紫が命令ではなく、お願いをする相手として自分を選んでくれることに、僅かに嬉しさを感じてしまうから、なのだろうか。
もちろん私の商売にとってもこれはプラスになる。里の外の人間たちは余りにも互いに協力というものをしないので、この先どうしようかという懸念はあったのだ。これを機に何組か結婚でもしてくれれば、老後も安心だし、養育費の融資もはかどる。子どもが将来の顧客になってくれる可能性も十分だ。
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「つまりお嬢様は出席者同士を、つまりその、あー、せっ…、せっ…」
「セックスさせるのが目的なんでしょう」
お願いだからそのきれいな顔でセックスとか普通に言わないで。
アリスの指摘は実に腑に落ちるものではあった。むしろそのあたりを察せなかった私が、瀟洒とは言えない。お嬢様は私が分かっていないのも承知だっただろう。
「ま、それだとあんまりな言い方だし、まあ婚活パーティーぐらいに言い換えた方がいいかしら」
「こん、かつ?」
「手っ取り早い合同お見合いみたいなものよ」
アリスは知っていて来たのだろうか、それとも来てから気付いたのだろうか。出席者には親睦会を兼ねたイベント、という招待しかしていないから、目的を知っている人間はいないはずだが。
「あ」
「どうしたの」
「私、魔理沙招待しちゃったんだけど」
すっかり忘れていた。
アリスは特に興味がなさそうで
「気の合う男でも見つけたら、身を固めたらいいんじゃないかしら」
「アリスはそれでいいの?」
「なにが?」
アリスは魔理沙とも仲が良かったはずだ。
「本人が何を幸せと思うかによるんじゃない。顔に怪我でもする前に家庭に落ち着いたほうが、あの子のためなんじゃないか、という気もするけれど。まああの様子じゃ、まだまだ色気より食い気ね」
アリスが眺める方向に視線を移すと、両手に料理を抱えて天子とバカ笑いしている魔理沙が見えた。少しホッとしてしまう。
「あなた今ホッとした?」
「えっ?」
アリスが私を見つめていた。
鼓動が速くなる。
アリスはシャンパンをひと口飲む。その唇をつと目で追ってしまう。
「友達が大人になるの、こわい?」
こわい、のだろうか。私は。
愛されることへの漠然とした欲求はある。しかしそれが私の中で具体的な像を結んだことは無い。何時だって、焦点の合わない、ピンボケの写真のようなそれを、ここ数年、ずっと抱えている。それを指摘されたような気がして、酷く不安定な気持ちになる。自分を見透かされているような、不安。
お嬢様も、ときどき私の内面を見透かすようなことをおっしゃることがある。けれどもそれで不安になったことは無い。お嬢様は何時でも私を包み込むような優しさで接して下さる。でもアリスの視線は違った。私から何かを奪おうとするような、鋭く、しかし見る者を魅了するような瞳。
アリスは答えない私に何も言わず、また少しシャンパンを口にする。私はその唇を見てしまう。
「フフッ」
とアリスが笑った。
私がアリスを見ていたことに気付かれてしまったのだと思った。
「貴女、好きな男性はいないの?」
アリスの問いに、私は少し冷静さを取り戻した。
「いないわね」
ハッキリとそう答える。
「私の身も、心も、全てはお嬢様のものですわ」
その言葉を口にすると、ようやく動揺は収まり、自分の体と、心の全てが自分のコントロール下に戻ってくるような気がした。結局のところ、それこそが私の基礎。基盤。その事実の上に私は立っているのだった。
「嘘」
だから、それを崩されると、私は弱い。
アリスは私の言葉を否定した。それを偽りと断じた。
「だって貴女、断ったのでしょう。吸血鬼になること」
「……!!」
どうして、そのことを。
呼吸が浅くなる。吸っても吸っても、ちっとも息苦しさが無くならない。
「パチュリーから少し聞いたの。貴女、吸血鬼になってずっとレミリアの従者でいて欲しいって誘い、断ったそうね。それなのに、身も心もお嬢様のもの、なんて言うのね」
「そ、それは…」
それは、だって、
「どうしても、それだけは、できなかったの」
私は何も持っていなかった。名前さえも持っていなかった。全てはお嬢様から与えられたもの。名前も、生き方も、居場所も。そんな私がたった一つ、最初から持っていたのが、この身体だ。たくさんのものを最初から持っている他の人間に、この感覚は分からないだろう。たったひとつ、この肉体だけが私だった。それを差し出してしまえば、私は最早何物でもなくなってしまう。そういう強迫観念のようなものが、私の中にはある。私は望まれれば、魂さえもお嬢様に捧げる。今既に捧げているつもりだ。しかしこの身体だけは、死ぬまで私のものにしておきたい。
「だから私は…」
「ふーん」
アリスは何かに納得したように、頷いた。
「つまりあなたは、それを引け目に感じていて、お嬢様に愛されることはできないって、思ってるわけ」
「そう、なのかしら」
そうなのだろうか。
全てを捧げると言いながら、手放せないものを持っている私は、だからお嬢様に愛されることを、想像できないのだろうか。
「そうして人間とも愛を交わせない」
「どういうこと?」
アリスはどうしてこんなにも私のことを話すのだろう。私以上に、私のことに詳しいような顔をして。
「あなた、人間を見たとき、あ、人間だ、って思うでしょう?」
「?」
いっている意味が良く分からない。
「人間は、犬を犬と呼び、妖精を妖精と呼ぶ。でも人間を人間とは呼ばないものよ」
そうでしょ?とアリスはいう。
「人間が犬に恋しないように、貴女は人間に恋をしない。だって人間を自分とは違う生き物だと思ってる」
思い当たることが、ないではない。
時には食材として調理することさえある、そんな生き物とどうして愛し合える?そう、言われてみればそうだ。私は人間に、恋したことが無かった。
「だったら、一体誰が…」
アリスが私に手を伸ばし、
「貴女を愛してくれるのかしらね」
私の頬に触れた。
全身に電流のような、あるいは麻酔のような、痺れが襲った。体を、首を僅かにも動かすことができず、視線だけで周りの様子を伺う。けれどもホールに人はまばらになっていて、残っている参加者も、誰も他人を気にする様子じゃなかった。誰もが自分たちだけの世界に、入ってしまっている。
視線を戻すと、アリスは私をじっと見つめていた。ガラス玉のように透き通った目だ。
「愛してあげましょうか?」
「なっ、何を言っている…の?」
自分の体の中を巡る、赤い液体の温度を感じる。
アリスにも同じものが流れているだろうか。この美しい人形遣いにも。
「咲夜、たまに私のこと見てるでしょう?」
見ている。
アリスの美しい肢体を、瞳を、唇を、ふと目で追ってしまうことはこれまでにもあった。その理由がいまようやく分かった。アリスからは、人間を、感じないからだ。人間のような、人間に似た、身体を持ちながら、しかしまるで、別物としか思えない。その作り物めいた美しさに、私は罪を感じずにいられるのだ。
「私は綺麗でしょう?」
「自分で、言うのね」
「だってそう出来ているからね」
アリスは更に私に顔を近づける。
「私は咲夜も凄く綺麗だと思うけど。私は咲夜の身体、好きよ」
「身体だけ?」
アリスが言っていることはさっきから滅茶苦茶で、だけどそこに少しも嫌味を感じないのはどうしてだろう。事実しか口にしていないからだろうか。アリスが嘘をついたところを見たことが無い。
「肉体には全てが現れるわ。その人の気持ちも、考え方も、そう、心もね。身体の動き、骨の角度、筋肉のつき方、皮膚の固さ。身体を見れば、その人の全てが分かる」
アリスは私の頬に当てた手を、首筋から肩、脇腹から腰まで、なぞる様に下ろす。
私は悪い魔女に捕まってしまったらしい。
アリスは私の手を取って、何かを握らせた。
「愛は与えても減らないのよ。レミリアを見れば分かるでしょう」
お嬢様の方を見ると、相変わらず八雲紫とパチュリー様に挟まれていた。しかし雰囲気は先ほどのようにピリピリしたものではなく、和やかに談笑しているようだった。
視線を戻すと、アリスは既にこちらに背を向けて歩き出していた。
「貴女もそろそろ大人のレディにならなくちゃね」
振り向きざまのウインクが許されるのは、私の知る限りアリスぐらいのものだろう。
掌にはRoom.214と書かれたゲストルームのキーがあった。
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ようやくパチェの機嫌も治ってきて、食事を楽しむ余裕が出てきた。ここまで来るのに、半笑いの紫の眼前でパチェに愛を囁き続けるという拷問のような30分を過ごす必要があったが、三人で楽しく食事を楽しむためなら、その程度は苦労の内にも入らない。何より今日は紫の新たなウィークポイントを見つけることができた。これは大きな収穫だ。幽々子は天子のこと、知っているのだろうか。
「なんだか邪なことを考えている顔ね」
紫が半眼で睨みつけてくる。
「レミィがこういう顔で笑っているときはだいたいろくでもないことを考えている時だから気をつけなさい」
なんだかパチェと紫が仲良くなってしまったのは誤算である。考えてみれば間欠泉騒動のとき、パチェは私より先に紫に相談したんだった。もともと相性はいいのだろう。ちょっと怖いが、仲が悪いよりずっといい。
ホール内を見渡すと、出席者の数がだいぶ減っている様子だった。パチェに頼んでパーティー中に外を吹雪かせてもらっているから、帰ったということはあるまい。きっかけの中で、どのような愛をつかみ取るのか、それは人間に与えられた自由だ。それは随分狭い自由ではあるが、そんなものは色恋に限った話ではないだろう。色々な思惑からお膳立てされたレールを、どう走っていくのか、それが人生の楽しみというものだと思う。
企みと陰謀、ささやかな願いの果てに歪められた、このバレンタインというイベントが、それでも誰かを幸せにすることがある様に。
ところで咲夜の姿が見えないけれど。
人間相手に心動かす性質でもないし、もう寝てしまったのかな。
結局、場所を自室に移して朝まで飲むことになってしまった。紫は忙しいんだからさっさと帰れよと思ったのだが、
「パチュリーさんを交えてお酒を飲む機会なんて貴重ですわ」
などとのたまっていた。何で私は呼び捨てで、パチェはさん付けなんだ。
それでも楽しいパーティーになってよかった。
早朝、帰宅する参加者たちをロビーで見送る限り、今回の主目的も、思いのほか達成されたようである。見知った顧客同士が男女で、ちょっとぎこちなく帰っていく様は微笑ましい。死ぬほどおせっかいなことをしている自覚はあるが、人間なんて人生短いんだから、後世に何かを残してほしいというのが私の飾らない本音である。
ちなみにホールを覗くと、魔理沙と天子がテーブルに突っ伏して眠っていた。片づけの妖精メイドたちに荷物のように退かされていく様は哀愁を感じる。
「お嬢様、おはようございます」
声に振り返ると、咲夜が何時ものメイド服で立っていた。
「ああ、おはよう。昨日はよく眠れたか?」
「…え?あ、すみません今なんと?」
珍しいこともあるものだ、ぼーっとして私の言葉を聞き逃すなんて咲夜らしくもない。
「昨日は眠れたか、と聞いた。そのぶんだと夜更かしが過ぎたようね」
「申し訳ありません。昨夜はなかなか寝かせ、…眠れなかったもので」
メイドとしてではなく、ゲストとして参加するパーティーは殆どないし、緊張もあったのだろうか。
「何時までもボーっとしていてはいけませんね。少し顔を洗ってまいります」
「ええ、そうしなさい」
なんだか今朝の咲夜はポヤポヤっとしている、というかなんというか。あまり咲夜らしくない気がする。触れたら切れてしまいそうな、ナイフのような緊張感が無い。今朝の咲夜はまるで、
「人間みたい」
なんて言うと、彼女は気を悪くするだろうか。だけど、ぽやっとした咲夜は、キリッとした咲夜よりちょっと幸せそうなので、良しとする。
「おはようレミリア」
今度はアリスがロビーにやってきた。いつもの青いワンピースに白いケープだ。
妖精メイドが預かっていた彼女の荷物とコートを持ってくる間、少し立ち話に興ずる。
「パーティーの首尾はどうだった?」
とアリスに聞かれる。
この聞き方、どうやらアリスには目的が分かっていたらしい。
「参ったね。よく気が付いたものだと褒めておく」
「あんなに露骨にやっておいて、よく言うわ」
「首尾は上々も上々、大成功だよ。メルラン・プリズムリバーにはチップを弾まないと」
演奏に込められた魔力は人を情熱的にも、センチメンタルにもする。彼女たちの仕事は完璧だった。
「貴女はどうだったのアリス、楽しんでもらえた?」
パチェが招待したはずなのに、肝心の招待主であるパチェが紫に付きっきりだったせいで、ホストとしては少し申し訳なくも思ったのだが。
「心配は無用よ。とても楽しませてもらったわ」
「あら、そう。それは良かった」
そこに妖精メイドがやってきて、アリスがコートに袖を通す。
「いいパーティーをありがとう。特にデザートのラングドシャはとってもおいしかったわ」
そういって笑顔で立ち去るアリスを手を振って見送る。
ゲストに不満が無いようで何よりだ。
そろそろ執務室に戻って今回の顛末でも記録しようと向き直った瞬間に、あれ、と違和感を覚える。
「デザートにラングドシャなんか出したかしら」
たぶん出してない。
数秒間の思考の末、急に頭の中がクリア―になる、真相に気付いた探偵の閃きにも似たそれ。
―――昨夜はなかなか寝かせ、…眠れなかったもので
―――ぼーっとして私の言葉を聞き逃すなんて咲夜らしくもない。
―――とても楽しませてもらった
―――ラングドシャはとってもおいしかったわ
―――ラングドシャ
「あ」
やってくれたな、
「あンの人形使いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
咲夜さんのアンバランスさがいいですね。人間としても女性としてもアンバランス
ところで咲夜さんは1部屋ずつ後始末しながら昨晩の行為を思い返しては赤面するんですよね…?
P.S:頂かれて満足そうな咲夜さんは、一つ大人の階段登りましたね。君はまだシンデレラさ〜
あとお嬢様様は御愁傷様でした…でも信用?できる相手に頂かれてよかったんじゃないですかね?
そのラングドシャはさぞ甘美だったのでしょう
ところでこのパーティーの招待状はどうやったらもらえますか?
こういう、名士なレミリアはあまり見たことがないけど、面白いです。もっと読みたい。
あと、咲夜がかわいい。
視点の切り替わりが少々分かりにくかった気がします。
レミリアがステージにあがって話すシーン、咲夜が話してると思ってたので、言葉使いが??? となりました。
人間は人間を見ても人間と言わない、の部分はかなり説得力がありました
白リボンちゃんも再登場してほしいですね
アリスにペース乱されっぱなしの咲夜さんも、会場の空気に当てられてたんですかね。
あなたの作品に出逢えて良かった。
咲夜さん美味しく頂かれてしまいましたか。
魔女こわい。さすがアリス。