諸々の手続きのために代言人と事務所へ寄らなくてはならないという父と別れ、命蓮寺の墓地に一人取り残されたぼくは所在なく足もとの玉砂利を蹴った。全身黒ずくめの法衣に身を包んだ白蓮住職はそんなぼくを咎めるでもなく、憐れみに満ちた表情でそっと近づき、墓碑に静かに手を合わせてから「お母様ですね」と言った。
「殺されたんです」ぼくが事実ありのままをことさら淡々とした口調で述べたので、住職はいささか面食らって、「妖怪が人を襲うことは少なくなりましたが、いまだ不幸な事故を根絶するまでには至りません。これはひとえに我々宗教家の力不足と……」
「妖怪ではありません」住職の言葉を遮り、ぼくはよどみなく言い放った。
ぼくの言わんとすることを明敏に察した住職は、少しの間押し黙り、慎重に言葉を選びながらたずねた。「その話は……わたくし以外の誰かに?」
「今日あなたにはじめて打ち明ける話です」ぼくは嘘をついた。
住職は胸をなでおろし、穏やかだけど真剣な口調で「それは非常にデリケートな問題ですから、みだりに人前で公言せぬ方がよいでしょうね」と釘を刺した。
不幸な事故の結果としてではなく、明確な殺意を持って〝人は人を殺す〟ことができる――ぼくがこのあたりまえの事実を発見したのはつい最近のことだ。押し込み強盗だった。三人組の強盗は母さんに抱きついたり、馬乗りになったり、激しく揺すったりを繰り返していたが、やがて子どもが飽きたおもちゃを放り出すみたいに、あっさりと首を絞めて殺してしまった。震えながら隠れたつづらの中からかいま見た強盗の顔は常軌を逸していたけれど、少なくとも外見上は人間に見えた。だからぼくはそのことを包み隠さずに証言した。話を聞いた上白沢先生はそれこそ震え上がらんばかりになって――先生はぼくの頭がおかしくなったと思ったに違いない――すぐにぼくを診療所に連れて行くと言ってわめき出した。診療所に向かう道中も、先生は何かしきりにぶつくさと小言を言い続け、その大半をぼくはうわの空で聞き流した。
「記憶に多少の混乱が見られます」近代医療の権化、八意博士はぼくの頭の周囲の長さや、眉と眉の間隔や、舌の厚みや、足の小指の太さを入念に測定して、ミミズがのたくったような見たこともない文字でカルテに記録しながらそう断言した。ほっと安堵の表情を浮かべる先生――もし、ぼくの頭が正常だと診断されたら、この人はどんな顔をしただろう?――に博士はこう付け加えた。「念のためお薬を出しておきます。依存性の強いお薬ですから、過度の摂取はひかえるように」
事実、博士のお薬は効果てきめんで、神経症じみたぼくの憂鬱をたちどころに頭から追い出して、その空いた隙間を幸福感でいっぱいにしてくれた。数日後〝お花畑〟から帰還したぼくは、今ではもう母さんの死に付随する諸々のできごとが――ひょっとすると母さんの死そのものですらも――実はすべてが嘘で、つくり話だったのだと言われたなら、素直にそう信じてしまえそうなほど、健全で常識的な思考を取り戻していた。
その日、石切場の大きくて平らな石の上に仰向けに寝転がって空を見上げていたぼくは、いつの間にかうとうとと眠り込んでしまった。目を覚ましたとき、すでに日は大きく西に傾いていた。一人の少女がぼくの顔をのぞき込んでいた。寺子屋で見かけないその顔はぼくと同い年か、それより少し上くらいに見えた。少女がやや大人びて見えたのは艶やかな緋色の着物と、うすく引かれた紅のせいかもしれない。
失せ物を探しているのだと少女は言った。もうじき日が暮れるから続きは明日にしようと主張するぼくに、自分はこれこれの商店主に仕える身で、今は遣いの途中なのだが、なくした包みの中には大事な証文が入っていて、それがないと店主にこっぴどく叱られるから、見つかるまで家に帰れないのだと少女は言葉少なに語り、なくしたその包みを黙々と探し続けているのだった。危なっかしい足取りで大きな石の上をふらふらと歩きまわる少女のうしろ姿を、ぼくはどうしても放っておくことができなかった。物探しを手伝いながら、ぼくは少女といろいろな話をした。その中には殺された母さんの話も含まれていて、注意深くその話を聞いていた少女は、今にも山の向こうに沈みそうな真っ赤な夕日をまぶしそうに見つめながら、ぽつりとつぶやくように言った。「人を殺したんなら、もう人じゃないんじゃないかな」
さっきまで単なる岩陰だったところが、底なしの深淵に見えるくらいにまで闇が深くなって、灯りも持たずにこれ以上の捜索は無理だと思った矢先、案の定石の上で足をすべらせた少女と、とっさに手を差しのべたぼくは、橋の上から身投げする男女さながら、二人仲良く手に手を取って真っ逆さまに深淵の一つに落ちてしまった。幸い、ぼくらが落ちたのは固い石の上でも、もちろん底なしの深淵でもなく、やわらかい草の上だった。ぼくは少女を傷つけまいと必死に強く抱きしめている自分に気づいた。少女の体温を両手に感じた。身体の細さ、やわらかさ、しなやかさ……、肉体のわずかな起伏すらも余さず感じ取ろうと、ぼくは全身の神経を鋭敏に働かせた。土と草と夜のにおいに混じって、かすかに女の子のにおいがした。それがなぜ女の子のにおいだと分かったのか、ぼく自身にもさっぱり分からなかったけれど……。
少女がふいに大きく身体を震わせたので、はっと我に返ったぼくは弾かれたみたいに手を離した。けれど少女の方はぼくにぴったりくっついたままで、いっこうに離れるそぶりを見せなかった。「どこか怪我でも……?」恐るおそるたずねるぼくを無視して、少女はただくすくすと笑い続けた。その笑い声に、どこか淫靡なニュアンスがまじりはじめていることにぼくは気付いていた。突然、少女は馬乗りになってぼくの首筋に何度も接吻しはじめた。情けないことに、このときのぼくは金縛りにあったみたいに指一本満足に動かすことができないでいた。ぼくにできることといったら、朦朧とする頭で、あの石の上から落ちたときに二人とも気を失っていて、今は夢でも見ているのかしらん、などとありきたりの空想を思い浮かべて現実逃避するのが精々だった。着物がはだけるのも気にせず、少女がぐっと身体を反らせたので、月明かりの下に透き通るような白い小さな膨らみがあらわになった。それが見てはならないものであるかのように、ぼくは目をそむけ、そんなぼくの反応を楽しむように、少女はほとんど唇が触れそうなほど近くまで顔を寄せて、ささやいた。「ねぇ、あんたの母さんが殺される前に何をされたか、あたしが教えてあげよっか」
ぼくはとっさに少女の両肩をつかんで、乱暴にはねのけていた。少女は半裸――着物は腰に巻かれた帯によってようやく繋ぎ止められているといった有様で、衣服としての役割をまったく果たしていなかった――のまま草の上に転がってなおからからと笑い続けた。やがて身を起こした少女は急に笑うのをやめ、興味を失った猫みたいにそっぽを向いて目を細めた。少女の視線の先に、何本もの松明が隊列を組んでこちらに向かってくるのが見えた。少女は立ち上がり「また明日、この場所で」と短く言うと、月明かりだけを頼りに、大きな石の海を慣れた足取りで軽やかに渡って暗い林の奥へと姿を消した。
ほどなくして、松明を掲げた大勢の自警団を引き連れて、四人の神官が担ぐ輿に乗った博麗の巫女が姿を現した。神官がうやうやしくひざを折るのももどかしく自ら輿を飛び降りた巫女は、自警団の各班長に実務的な指示を手短に与えながらぼくの前までやって来て、唖然とするぼくをまるで値踏みでもするように頭のてっぺんから足の先まで無遠慮にしげしげとながめまわしてから、ふいに首のあたりを指して「魔が憑いているわ」と言って蔑むように笑った。首筋についた紅のあとを、ぼくは拳固で素早くぬぐい去った。
その晩、夢の中でぼくは少女との再会を果たした。少女の着物はやはりはだけていて、ほとんど何も身につけていないのと変わらなかったけれど、大事なところにはいつも靄がかかっていて、見ることができなかった。夢の中でぼくは少女に抱きついたり、馬乗りになったり、激しく揺すったりした。夢から覚めたとき、ぼくは何年かぶりにそそうをやらかしたと思い込み、愕然としたが、違った。それが精通だと知ったのはもっとずっとあとになってからのことだ。
巫女から三日間の物忌み――という名の謹慎――を命ぜられたぼくは、その間家に閉じこもって悶々と過ごした。四日目の朝、ぼくの足はさっそく人目を忍んで件の石切場へと向かっていた。石切場の片隅には大小の石を積み上げただけの粗末な石塔があり、それを見つめる巫女の姿があった。怪訝な顔でたずねるぼくに、「これは墓よ」と巫女は答えた。「こいつは里の男どもを喰っていた、だから退治したの」
石塔の前には小さな祭壇があり、玉串が捧げられていた。巫女が厳かに祭詞を奏上する間、ぼくは厳粛な気持ちでその光景に見入った。巫女が立ち去ったあとも、ぼくはずっとその場に居座り続けた。少女がもうここには来ないことをぼくは知っていたけど、それでもぼくは少女の面影を求めて足繁くこの場所に通い続けるのだった。
①幻想郷では妖怪が人を襲うーという支配者に都合の良いフィクションが強制される実態がある。
②幻想郷に妖怪は存在しないー博麗の巫女は空を飛べない。
③人を襲った人間は妖怪として処理されるが、その真実を口にしてはならない。ー妖怪の正体が人間であることは、薬品で記憶を操作してでも覆い隠される。
ってなところでしょうか。考えさせられる作品です。
気がする
表の顔は誰もから慕われる寺子屋のセンセ
しかして秩序の為には率先して動く八雲幻想郷の尖兵でもあり……
お これは是非に慧音で一本読みたいですね
改行が少なくて途中で読む気がなくなりました。
あくまで個人的な意見なので、そこまで気にしないでください
縦書きで読むと良いかも?
私はしっかり文章書く人のは全て縦書きで読んでます
今でもアフリカとかじゃこういうノリの集落もあるでしょう
生きることが戦いなら洗脳は戦いに必須だから生きることに洗脳は必須
これを理解しないと宗教史はわからないし現代社会もわからない(上から目線)
あえていうならこんな土人社会じゃない現代日本に只管感謝ですわ
妖怪が力を失った意味に感謝
妖怪や妖怪を必要とすることへの恐怖と緊張感と距離感は忘れないようにしなきゃ
行為に文章を割くならば設定に割くか、そもそも行為についてはあまり書かなければより雰囲気が出たと思います
設定自体はかなりのものだと感じました