「ねえ霖之助っ、次はあのお店行こうっ」
「あー、わかったわかった、わかったから引っ張らないでくれ」
銀髪の幼い容姿をした少女に手を引かれて、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべながら、人里の大通りを歩く青年の姿があった。
青と黒を基調とした落ち着いた色の着物に、金色の瞳を覆うのは透き通った眼鏡。インテリ、という言葉がこれ以上ないくらいに似合いそうな顔立ちの青年の名は、森近霖之助。
数多の靴がざくざくと道を踏み締める音に、たくさんの人々が口ずさむ話し声、道沿いにある野菜屋が売り文句を威勢の良い大声で飛ばして、それらがすべてごちゃ混ぜになり識別のつかない雑音となって霖之助の耳に届く。
昼故に、空は晴れやかな青色。綿菓子のようなふわふわの白い雲が所々に存在していて、その雲の端に太陽がほんの少しだけ顔を出していた。あれは確か、積雲と呼ばれる雲だったか。日差しはそれほど強くなく、暑いというよりは温かい柔らかな光が人里に満ちていた。絶好のお散歩日和であるゆえにか、霖之助とすれ違う人々の数はとても多い。
そしてそんなお日様の下、霖之助の服の袖をぱたぱたと引っ張っている少女の名は物部布都という。見た目で判断できる年の頃は十代前半か、あるいはそれ以下であり、幼い見た目に似合った純粋な元気さを振りまきながら、彼女はご機嫌な様子で霖之助と人里の大通りを歩いている。
布都の目はキラキラと輝いていて、まるで子どもみたいにはしゃぐ彼女の元気さは、隣にいる霖之助が参ってしまうほどに眩しかった。
「ほら、あれ! 綺麗だと思わないか霖之助っ!」
「ああうん、そうだね」
霖之助は適当な答えを返しながら、その店を見る。
布都が指をさしている方向は、側面三方囲いの構造をした、祭りなどでよく見る出店をちょっと豪華にした感じの店だった。台には売り物であろう綺麗なアクセサリーや小物の類が置かれていて、その下には小さく値札が付いている。どうやら彼女はそのアクセサリーに目を奪われているらしい。奥には店主であろう若い少女の姿が見えて、にこにことこちらを見ているような気がした。
布都も女の子だ、そういう類のアクセサリーには憧れるのだろう。興味津々といった様子で瞳を輝かせている少女を前に、霖之助は遠い目をしながらぼんやりと思う。
(ああ——)
本当に、なんでこんなことになっているんだろう。霖之助はそう思わざるを得なかった。
霖之助は、基本人混みを避けるタイプの人物である。なぜなのか、と聞かれれば、騒がしいのが苦手だからだと答える他はないのだけれど、ともかく霖之助は無意識で人が多く集まる場所を避ける傾向にあった。
そんな霖之助が、いくら布都と一緒だとはいえ、こんな人通りの多い大通りのど真ん中を歩くなんて、珍しいを通り越して奇妙とすら言えるくらいにおかしなことだった。霖之助をよく知る人物が見れば目を丸くして驚くことは間違いないだろう。霖之助だって、自分でもおかしいと感じるくらいなのだから。
(本当に、なんでこんなことになってるんだったかな……)
興奮した様子の布都の声を遠く感じながら、霖之助はこうなった原因である日のことに思いを馳せた。
◇
事の始まりは、霖之助の記憶が正しければ、たしかほんの数日前だったと思う。
霖之助は、いつも通りの日々を過ごしていた。起床して、自らが営業する古道具屋である香霖堂のカウンターに座り、本を読みながらいつ来るかわからない客を適当に待つ。客が来たら、適当に商売して、また適当に次の客を待つ。そんな適当な日々。
そんな中、たまに——いや、かなりの頻度で巫女やら魔法使いやらスキマ妖怪やら招かれざる常連客がやってくるのだが、そんな少女たちの相手もだんだん日課となりつつあった。客は滅多に来ないにも関わらず、彼女らだけは頻繁にやってくるのだからままならないものである。巫女がやってくればお茶やお菓子を持っていかれ、魔法使いが来ればガラクタを押し付けられ、スキマ妖怪がやってくれば霖之助の精神がガリガリと音を立てて削られていくにも関わらず、霖之助にはなんの利益もないのだからまったくたまったものではない。
まあそれも、最近となってはだんだん慣れてきたもので、あしらい方もなんとなくわかってきた。慣れとは恐ろしいものである。
彼女らをあしらうたびに思うのだが、なんで巫女やら魔法使いやら、はたまたスキマ妖怪やらはわざわざこんな古ぼけた道具屋にやってくるのだろうか。霖之助はそんなことを考えずにはいられなかった。
当然だが、ここに彼女たち年頃(もちろん中には年頃と呼べないような妖怪もいるが)の少女たちが喜ぶような品物は置いていない。恐らくだけれど、彼女らもここに置いてある品物を目当てに香霖堂へやってきているわけではないのだろう。その証拠として、彼女たちは香霖堂へ来ても絶対になにも買っていかない。商品に興味を示すことはあっても、『香霖堂で買い物をしてはいけない』という暗黙の了解でもあるのかと勘繰ってしまうくらいに買い物をしていかない。
しかしそうなると、ますます彼女たちがここへ来る理由がわからなかった。まさか霖之助になにかしらの興味がある、というわけでもないだろう。こちとらただのしがない半妖なのだ。巫女といえば博麗の巫女という幻想郷でもかなり有名な巫女であり、魔法使いといえば博麗の巫女とはまた違った悪い意味で有名な魔法使いであり、スキマ妖怪にいたっては幻想郷の管理者にして妖怪の賢者である。どいつもこいつも、本来ただの半妖でしかない霖之助とつるむような人物ではない。魔法使いはまあ、霖之助の幼馴染だからまだわかるのだけれど。
「ん、いらっしゃい」
そんなことを考えながら、カウンターに座っていた時のことだった。
木製の扉が軋む音と同時に、来客を告げるベルの軽い音が香霖堂内に響き渡って、霖之助は無意識のうちにお決まりのセリフを投げかける。まだ誰が来たかわからないから、はたして客かどうかはわからないのだけれど、さすがに長い間商売を続けていると、客を認識するよりも先に言葉が出てしまうのだ。
霖之助は眼鏡の奥の瞳で改めて訪ねてきた人物を見遣った。
寺子屋の生徒と変わらないくらいの小さな身長に、ゆらゆらと揺れる灰っぽい銀色のポニーテールは外の日差しを浴びてキラキラと輝いている。えらく古風ながら、それでいてどことなく現代風のアレンジが施されているような気がしないでもないような変わった服装。
ちょこんと頭に乗った烏帽子と、その下にあるのは明るく快活な笑顔だった。
「霖之助、遊びに来たぞ!」
その少女——物部布都は、霖之助に向けて、自らの訪れを告げた。
それを見た霖之助は、厄介な客ではなかった安堵からか、ほんの少しだけ引き締めていた表情を緩める。
「ああ、君か。ようこそ香霖堂へ。今日はなにをお探しで?」
霖之助がいかにも商売人らしいセリフを投げかけると、布都はその笑顔から一転、「ああ、うむ、まあ」と歯切れの悪い表情になって、口の前でげんこつを作ると、こほんとかわいらしく咳き込んだ。
「今日はな、悪いのだが、買い物に来たわけじゃなくて……」
「へえ?」
ころりと表情を変える布都に対し、霖之助は興味深そうに眉を上げる。しかし、その瞳に不快そうな色は一切なく、ただ興味だけがあった。
布都は、この香霖堂の数少ない『まともなお客さん』である。きちんと買い物をしてくれて、きちんと人の話を聞いてくれて、世間話だってする。この時点で霖之助からすればなによりもありがたい癒しのようなお客様なのだが、加えて知識欲も旺盛で、道具へ愛情を注ぐことを惜しまず、また道具に対し理解を深めることにも積極的だ。
おまけに誰もが眠くなる催眠術のような霖之助の薀蓄に嫌な顔ひとつすらせず耳を傾け、頷きや相槌、質問なども返してくれて、寡黙な霖之助が思わず喋りすぎてしまうくらいに彼女は聞き上手でもある。恐らく意識してやっているわけではなくて、純粋な好奇心からそうなっているのだろうけれど、それがまた話す側にとっては心地良い。原寸大で素直な反応でありながら、それでいてしっかりと興味を持ってくれているのが話していてわかるから、ついつい話し込んでしまう。
香霖堂店主としても、一人の半妖としても、布都は非常に好感が持てる少女だった。
それゆえ、某巫女やら魔法使いやらスキマ妖怪やらとは違って、例えなにか用がなくとも霖之助は布都の来訪についてポジティブに考えている。三人からはぶーぶーと文句を言われそうだが、こういう所で日頃の行いというものが影響してくるのである。
「ああ、いや、その、迷惑だったか? なにか買い物に来たわけでもないのに、ここへ来るなんて……」
しかし布都は霖之助の反応を勘違いしてしまったのか、わたわたと慌て始めた。
それを見て、霖之助は零れるように苦笑する。
「いや、迷惑なんかじゃないさ。君ならどんな用だって歓迎だよ。ただ、興味が湧いてね」
「とりあえず、そんな所にいないで入っておいで」と布都を香霖堂内に招きながら、布都に説明する。
「布都はいつも香霖堂の品物に興味を惹かれて絶対なにか買っていってくれるから、最初からそんなに『買い物に来たわけじゃない』って断言するのは、珍しいなあって思っただけさ」
「そ、そうか……」
布都は香霖堂の中に入りながら、安心したように息を吐くと、また顔を霖之助から逸らしてしまう。その顔は、ちょっとだけ俯いているようにも見えた。
霖之助は頭に疑問符を浮かべる。布都はいつも元気で感情豊かな少女だ。それがこんなにもおどおどしているなんて、珍しかった。
「……布都?」
「な、なんだ!?」
「いや、なんだか様子が変だと思って」
ちょっと声を掛けただけで、この慌てようだ。これはなにかあったかな、と霖之助は推測する。
「どうしたんだい? なんだか顔も赤いみたいだし……」
「ぅえ!? そ、そんなことないぞ!?」
声を張り上げる布都だが、その顔は霖之助の予想以上に赤くて、もしかしたら風邪でも引いてしまっているんじゃないかと思うくらいだった。まあ、こんな大声を出せるのだから、とりあえずは大丈夫そうだ。
しかしますます布都がなにをしにきたのかわからなくなってしまったので、もう霖之助は単刀直入に用件を聞いてみることにした。
「で、いったいなんの用があってここに来たんだい?」
「う、うむ……」
布都はもう一度こほんと咳払いすると、「すー、はー、」と自分を落ち着けるように深呼吸。
そして、顔を真っ赤にしながら、勇気を振り絞った様子で霖之助に衝撃の一言を投げつけた。
「わ、我と『でーと』してほしいのだ、霖之助!」
「……はい?」
◇
(いきなりデートとは何事かと思ったけど……)
布都に手を引かれるがまま、霖之助はその時のことを思い出して苦く笑う。
デート、とは言っても、なんのことはない。単に霖之助と一緒に遊びにいきたい、という、それだけのこと。しかしどこで間違った知識を吹き込まれたのか、布都は『一緒に人里に出て買い物をしたり遊んだりする』ことを『デート』、そしてデートとは『恋人同士がやること』という致命的にズレている認識をしていたらしい。
いろいろとツッコミ所はあるが、しかし布都は少しだけ抜けている少女だから、そんな間違えた覚え方をしてしまうのもしかたないことなのかもしれない。霖之助は間違いを訂正はすれど、つっこむことはしなかった。
「おおー……!」
布都と霖之助がそのアクセサリー屋にたどり着くと、布都はキラキラと目を輝かせながら置かれているアクセサリーを見る。今は、どうやら銀色の美しいリボンに心を奪われているようだ。
いらっしゃいませ、とにこやかに笑う若い女性店主の言葉なんてまったく聞こえていないかのように、布都は自分の世界に入り込んでいた。その横顔を見下ろしながら、霖之助は思う。
(……あんな顔されたら、断れないな)
つい数日前の会話を思い出して、霖之助は困ったように苦笑した。
あまりに唐突な布都の『デート』発言に霖之助が固まっていると、布都は恐らく勘違いしてしまったのだろう、瞳いっぱいに涙を浮かべながら「だ、ダメだったか……?」なんて上目遣いで聞いてくるものだから、霖之助は大変にうろたえた。なんだか自分がとてつもなく悪いことをしているような錯覚に囚われて、慌てながら布都を宥めると、その時ついうっかり布都と『デート』の約束をしてしまったのだ。
まあ、もともと断るつもりもなかったから、それは良いのだけれど、とにかくあの表情はやりづらかった。嘘泣きだったならば、まだあしらうこともできたのだろうが、相手は布都だ。ぞんざいに扱ってしまうのも気が引けたし、しかも布都の場合は正真正銘泣いていたので、いくら霖之助といえど突き放すことはできなかった。
「これが欲しいのかい?」
「うん!」
霖之助が銀色のリボンを指差すと、布都は霖之助の顔を一瞥すらせずに答えた。恐らく、夢中なのだろう。完全に目を奪われてしまっている。
霖之助は口もとを緩ませつつ、懐から財布を取り出すと、女性店員に声をかけた。
「すいません、このリボンください」
「はい、ありがとうございます」
霖之助が銀色のリボンを指差して、リボンの下に貼られた値札分の金額を差し出す。それを受けた女性店員は、にこやかに微笑みながら会計を済ませて、銀色のリボンを霖之助に渡した。無論、その間も布都の視線はリボンに釘付けだ。
「ふふふ、妹さんですか? 銀色の髪の毛なんて、お二人とも綺麗でそっくりですよ」
「……ええ、まあ、そんなところです。かわいい妹分ですよ」
くすくすと笑う女性店員に、霖之助も同じく笑みを零すと、隣にいる布都の頭をぽんぽんと撫でた。
ただ、そうやって笑う店員の少女の顔に、一瞬だが寒気を感じたのは、霖之助の気のせいなのだろうか。霖之助のうなじにひやりと冷たい汗が走って、肌が粟立った。
ともかく、物欲しそうにリボンを見る布都に向けて、霖之助は鳥肌を抑えながら購入したリボンを渡す。
「ほら、どうぞ」
「えっ……い、良いのか?」
「構わないさ」
霖之助が布都に笑顔を向けてやると、布都はひまわりの開花を彷彿とさせるような、底抜けに明るい笑顔を浮かべた。彼女は嬉しそうにリボンを胸に抱きながら、霖之助に礼を言う。
「ありがとう、霖之助!」
「どういたしまして」
その笑顔を見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってきて、霖之助は微笑を浮かべた。
「子どもの笑顔というのは、人を元気にする力があるんだ」——人里の寺子屋で教師をやっている少女の言葉を思い出す。実際の年齢がわからない布都を子ども扱いするのは自分でもどうかと思うが、確かに今ならその言葉に同意できると霖之助は思った。
「せっかくですし、ここでリボンを結んでいってはいかがでしょうか?」
アクセサリー屋の女性店主が、人の良さそうな微笑みを浮かべながら、布都の方を見る。
「う、うむ。そうだな。ええと……」
布都は烏帽子を脱いで霖之助に手渡すと、ポニーテールの所で結んである黒い紐を外した。布都の髪が降りて、銀色のさらさらな髪がふわりと舞う。いつも丁寧に結われたポニーテールの姿しか見ないこともあり、その姿はまるで別人のように新鮮だった。
いくらがんばっても見えないだろうに、布都は自分の目を右に左に寄せながら、自分の髪の毛をいじくっている。
「こ、ここをこうやって……あれ? い、いやいや、たしか……」
「……何やってるんだい」
「い、いや違うのだ、いつもは太子さまや屠自古がやってくれるから……」
いったいなにが違うのか霖之助にはよくわからなかったが、なるほど、普段は彼女らに髪を結んでもらっているのかと霖之助は納得する。彼女らは布都とは違ってしっかりものだから、そういった身だしなみなどを整えるのは彼女たちの役目なのかもしれない。
どちらにせよ、このまま布都に任せておくと、布都がリボンを結ぶまでに時間がかかりそうだったので、霖之助はため息をつきながら、悪戦苦闘している布都の後ろへ回る。
「ほら、手どかして。僕がやるから」
「おおっ、やってくれるのか! ありがたいっ」
布都は素直に手を離し、リボンを霖之助に渡した。
霖之助は、さっきの女性店員との話ではないが、妹を見るような微笑ましさを交えた笑みをこっそり浮かべると、慣れた手つきでリボンを結んでいく。
霖之助に髪を結ばれている間、布都はくすぐったそうな、心地良さそうな声で、霖之助へと話しかけていた。
「霖之助の結び方は、なんだか優しいな。慣れておるのか?」
「まあね。長く生きてると、いろんなことができるようになるものさ」
霖之助はこれでも人間とは比べ物にならないくらい長生きだから、身につけているスキルは幅広い。一人暮らしに必須なものは無論、こういったアクセサリーの類だって、取り扱いには慣れていた。
「それと、君の髪は柔らかくて綺麗だからね。結びやすい」
「そ、そうか? えへへ……」
ここからでは見えないが、布都が照れくさそうにはにかんでいるのが手に取るようにわかった。
無論、お世辞を言ったつもりはたく、霖之助は本心からそう思っていた。布都の髪はよく手入れが行き届いていて、柔らかい。リボンを結ぶ側としては、こういった綺麗な髪の毛が一番結びやすかった。
霖之助は丁寧かつ滑らかな動作であっという間に布都の髪を元通りのポニーテールに結ぶと、ぱっと手を離して布都の正面に回る。
「はい、終わったよ」
「おお、ありがとう霖之助っ。どうだ? 似合っておるか?」
「もちろん」
霖之助は預かっていた烏帽子を布都に返した。
布都はとても嬉しそうにはにかみながら、烏帽子を両手で被る。
その時、ずっと絶え間無く笑顔を浮かべ続けていた女性店主が、背中を曲げながら礼をした。
「仲が良さそうでなによりですね。ありがとうございました、またのご来店を」
その礼儀正しく整った女性店員の声に反応して、霖之助は彼女の方を見る。見た目から判断するに年は十代中頃、あるいは前半くらいだろうか。
やはり、その笑顔には裏があるように思えてならない。失礼だということはわかっているのだが、なんとなく霖之助は怖くなった。悪人、というわけではなさそうなのだが……。
しかし、事実としてまだ若いのによくできた少女だ、と霖之助は感心すると、その女性店員に礼を返そうとする。
「ああいえ、こちらこそありが——」
「——やっぱり妹萌えって最高よね妹と兄の禁断の関係とかもう鼻血ものだものああでもお二人はなんだかそういう関係じゃなくて微笑ましい兄妹っぽかったわねいやでもそれはそれでそそるものがあるわいやいや危険な意味じゃなくて単にこれは微笑ましいという意味でどっちにせよごちそうさまでしたって言うべきかしらそうに決まってるわよねあの妹さんの表情だけでご飯三杯はイケるのにそこからお兄さんのクールな微笑でなんかもう色々と天元突破しちゃった妹さんは元気で素直な良い子そうだけどお兄さんはクールで物静かでそのギャップがなんともいやでもすごい妹さん想いな良いお兄さんよねああもう内心では妹さんのこと第一に考えたりしてるんだろうなあって思うと——」
「…………」
霖之助は、言葉を紡ぐ途中で絶句するという世にも奇妙な体験をした。同時に脳がフリーズして、ピシリと石化したように体が固まる。
「ああもう最高の兄妹さんじゃないこれは良い土産話ができたわどっちも器量良しだしでも違うのよ顔がすべてじゃないのよお互いを想い合う兄妹愛に敵うものなんてないのでもこの二人はその兄妹愛すらもクリアしてそうだからもうすごいわよねだってお互いが愛を持ってないとあんな素晴らしい笑顔なんてできないものああ最高よお二人とも——」
「……あの」
「——はっ」
綺麗な礼をしたままこの世のものとは思えない呪詛めいた言葉を高速で呟いていた彼女は、霖之助の困惑や驚愕や不信感や恐怖心などなどをぐちゃぐちゃに混ぜ込んだその一言でようやく我に返ったらしく、姿勢を戻して短く息を呑みながら霖之助たちを見る。
「あ、あはは……ま、またのご来店をお待ちしておりますね」
「……」
冷や汗を浮かべながら笑う彼女に向けて、霖之助は絶対零度の視線を向けた。どうやら、先ほどからチラチラと感じたあの寒気は霖之助の気のせいなどではなかったらしい。
「……な、なにも言っておりませんよ? ですから是非またお二人一緒でご来店くださいませ」
『お二人一緒で』の部分を強調する彼女を、霖之助は無言の圧力を込めた半目で見ていた。ずっと黙っている霖之助を不審に思ったらしい布都が、首を傾げて霖之助を見上げる。
「む? どうしたのだ、霖之助。ここは良いお店だ、また来よう! な?」
にっこりとした笑みを霖之助に送る布都の顔は、純真無垢という四字以外に当てはまる言葉が見当たらないくらいだった。どうやら、布都にあの呪詛は聞こえていなかったらしい。聞こえていなくて本当に良かったと、霖之助は胸を撫で下ろす。あれは布都のような純粋な少女には悪影響すぎる。
霖之助はほんの数瞬迷ったあげく、とりあえず今は口だけでも布都に同意を示しておくことに決めた。店主はアレだが、品揃えや質はかなりのものだ。商品だからというのもあるだろうけれど、それ以上の気持ちを感じさせるほど道具の手入れも行き届いていて、道具を大切に思う心が伝わってくるから、その点においては非常に好感を抱く。
まあ、道具を大事にする人間に悪い人間はいない。これは霖之助が今までの経験から得た言葉である。確かに少し怖くはあるけれど、今のところ実害があるわけでもないし、そこまで警戒する必要はないのかもしれない——霖之助は頭を掻きながらそう考えて、女性店員の顔を見た。
「……まあ、たまになら——」
「——あああああ今の妹さんの顔ホントに素敵すぎて死んじゃうなに今の天使かしら天使よねそうに違いな」
「む? どうしたのだ、鼻血が垂れておるぞ? 大丈夫か?」
「はっ!? い、いえいえお構いなくこれは鼻血というか愛というかともかくそういう類の溢れ出る私の感情であって——」
「行くよ、布都」
霖之助は、一瞬でも彼女を信用した自分を恥じた。
「ああああ! ちょっ、待ってくださいお兄さん! そんなっ、そんなゴミを見るような目で私を見ないでください! ま、また来てくださいね? 来てくださいますよね!?」
「二度と来ない」
「そんな殺生なああああっ!?」
霖之助は布都の手を引いて、女性店員の慟哭を背中に受けながら、駆け足に店から離れた。
◇
恐ろしい悪魔の巣窟から抜け出した霖之助と布都が次に向かった先は、チョコレートのような色合いで落ち着いた雰囲気をした喫茶店だった。外観は洋風であり、未だ和風の建物が多い人里の中では一際異彩を放つ喫茶店である。
現在の時刻は三時ごろ。おやつ時だ。せっかくなので、ここで布都と一緒になにか甘いものでも食べようという話になった。
どうやら、この喫茶店は外の世界から迷い込んだ外来人が作った喫茶店らしい。霖之助はその外来人とやらに激しく興味を惹かれたが、ぐっとこらえて我慢する。今は布都の『デート』に付き合っている最中だし、彼女を疎かにするのは良くない。また今度、一人で来た時にでも話を伺えば良いだろう。確実に話を聞くためにアポも取っておくべきか——。
そんなことを考えて、霖之助は困ったように苦笑する。ちょっとでも外の世界のことが絡むとこれだ。自分の悪い癖、とまで言うつもりはないが、時々好奇心が旺盛すぎると窘められることがあるし、少しは落ち着いた方が良いのかもしれない。
「早く早く!」とはしゃぐ布都に手を引かれながら、霖之助と布都は喫茶店内部の窓際の席に向かい合って座る。
喫茶店の内観は、これまた茶色の静かな雰囲気を持った霖之助好みの内装だった。やや大きめの窓からは、里の通りを歩く人々の姿がたくさん見えて、雰囲気を壊さない程度の静かな活気を店内に入れてくれる。
「霖之助はなにを頼むのだ?」
「ん? ……そうだね」
テーブルの横にあるメニューを開いて、ざっと流し読みする。コーヒーやジュースの類に加え、スイーツはもちろんサンドイッチなどもある。今は売っていないようだが、朝や昼であれば定食のようなものも注文できるようだ。
さすが外来人が作った喫茶店というべきか、幻想郷では耳馴染みのないメニューもちらほらと見受けられる。
「ふむ……なかなか面白そうなメニューがあるね。布都はなにを頼むか決まったのかな……って、どうしたんだい」
霖之助がそれらを興味深そうに眺めていると、布都の肩がピクリと跳ねたのが目に入った。
それだけなら特にどうということもなかったのだが、なにやら布都の様子がおかしいことに気づく。顔はいつもよりピンク色に染まっていて、その目線はメニューに釘付けではあったけれど、先ほどリボンを見たときのように夢中というわけではなさそうだった。夢中、というよりは、なんだか固まってしまったかのように思える。
不審に思った霖之助は、訝しげな表情を浮かべながら布都に再度話しかけた。
「……布都?」
「ひゃっ!? なっ、ななななんだ霖之助!?」
布都は明らかに動揺した様子でメニューから視線を離すと、霖之助の方を見る。だがその目はゆらゆらと落ち着きがなく、霖之助を直視できていない。上目遣いで目線を逸らしながらこちらをちらちらと伺う布都の様子は、どう見てもおかしかった。
「どうしたんだい? 顔、真っ赤だよ?」
「いっ、いや……あの……」
布都は歯切れの悪い言葉をボソボソと呟いていた。しかし霖之助の方といえば頭に疑問符がたくさん浮かぶばかりである。
布都もそれはわかっているのだろう。だからこそ、がんばって霖之助になにかを伝えようとしていることは霖之助にもなんとなくわかるのだが。
しかし、布都はやがて覚悟を決めたように手をぐっと握った。目を瞑ったあと、霖之助をまっすぐに見つめながら、布都は自分が持っていたメニューを見せる。
そして、そのまま霖之助の耳に届く前に消えてしまいそうなほど小さな声で、言った。
「こ……これ、頼んでみない……か?」
「ん、どれ」
布都が顔を赤く染めて、眉を八の字にしながら霖之助から目を逸らす。だがその指はメニューに書かれているスイーツを指差しているようだった。
霖之助はやや身を乗り出して、それを見る。そこには——
「……カップル限定ラブラブパフェ?」
そんな、霖之助の理解の範疇を超えるような名前のスイーツが書かれていた。
◇
結論から言えば、霖之助と布都はそのパフェを注文した。
霖之助としては、そんな恥ずかしい名前のパフェなんて注文したくなかったが、しかし布都がどれだけの羞恥を堪えて霖之助に提案したのかということを考えると、なんだか断りづらく思えてしまった。
結局、折れたのは霖之助の方だった。注文した瞬間、店員から感じる霖之助への侮蔑の視線が突き刺さり、霖之助はうんざりとするが、背に腹は変えられない。
兄妹であるならば微笑ましく見られる霖之助と布都も、恋人同士という風に見られると霖之助へ容赦ない軽蔑が投げられる。そもそもカップル云々はデートの勘違いからさらに連鎖した布都の勘違いであって、本当に恋人同士というわけではないのだけれど、それを他人が知る術もない。
布都にもそれは説明したはずなのだけれど、わかっていなかったのだろうか。
わかっていないのだろうな、とため息混じりに思う。意味を理解しているならば、恋人でもない霖之助がいる時にこんなパフェなんぞ頼むはずがない。——まさか、布都が霖之助をそういう意味で好いているはずもないだろうし。
「……で、でかいな」
「……そうだね」
お待たせしました、という声と同時に店員や店の客から投げられる「そんな小さい女の子とカップルとかマジかよ犯罪だろ」という無言の罵声を居心地悪く肌に感じながら、霖之助は布都の言葉に同意を示す。
店員が運んできたそのパフェは、カップル限定ということもあるのだろうがかなりの大きさだった。これなら二人で分け合っても十分である。むしろ、霖之助は少食だし、布都も女の子ゆえにそこまで食べないだろうから、残してしまわないか不安になってしまうほどだ。
「……し、しかしスプーンが一つしかないのはどういうことなのだ? 店員に言った方が良いのか?」
「……」
おろおろと動揺する布都。だが、霖之助はその理由が察せてしまっていた。できれば自分の推測が外れていてほしいと思いながら、霖之助はぐるりと店内を見回す。
ぽつぽつと見受けられる客の中に、仲睦まじそうなカップルが霖之助たちと同じくカップル限定パフェを食べているのが目に入る。もちろん、彼らが食べているパフェにもスプーンは一つしかない。
もちろん片方だけがパフェを食べているわけではないのだろう。霖之助が怪しまれない程度にその様子を盗み見ていると、若い青年が、パフェのクリームをスプーンで掬い、それをパートナーである少女の前に差し出した。少女は頬を赤らめながら、差し出されたスプーンを頬張る。
そしてカップルの二人は、かあっという血液が頬に登る音が聞こえてきそうなくらいに顔を赤くして、どちらともなく微笑んだ。
それを見た霖之助は、憂鬱そうにため息をつく。
(……この推測は、当たっていてほしくなかったんだけどね)
つまり、そういうことなのだろう。このパフェにスプーンが片方しかない理由は、俗に言う『あーん』を恋人同士でやれ、ということだ。
霖之助は、盛大にもう一度ため息を吐いた。この純粋で純情な少女にそんなことをさせたら、恥ずかしさで爆発してしまうんじゃないだろうか。
「どうしたのだ? 頭でも痛いのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……ああ、でも頭は痛いね、確かに」
布都は霖之助の言葉の意図がわからないのか、こてんと首を傾げる。
霖之助は額に手を当て、布都に言った。
「スプーンがひとつしかないのは店員のミスじゃないよ」
「え? で、でも一つしかなかったら食べれないではないか」
「あそこのカップルを見てごらん」
霖之助は、先ほど盗み見たカップルの方を指差す。布都の事だからぐいっと食い入るように見るのではないかと不安になったが、しかしその辺りは布都もわきまえているようで、そーっとそのカップルを見やる。
しかしカップルである青年と少女は、どうやら完全に二人の世界に入ってしまっているらしく、周りの視線なんてまったく気にしていないようだ。二人の周囲には桃色の甘いムードが漂っていて、お互いに食べさせっこしながらはにかむその姿はとても幸せそうだった。
布都はそれを見て、ぼふんという音を立てて爆発、顔を真っ赤に染めながら霖之助の方を見た。
「……しっ、幸せそう、だな、あの二人は」
「……そうだね」
「も……も、もしかして、わっ、我らも、アレを、やらねば、ならない、のか?」
なんだか壊れたカラクリみたいになっている布都を、しかし霖之助はどこか冷静な目で見る。霖之助も内心穏やかなものではないのだけれど、ここまで布都が動揺しているのを見ると、逆に落ち着いてきた。
まあ、霖之助からすれば、ある程度は予想できていたことだ。『カップル限定』というくらいなのだから、もしかしたらカップルらしい食べ方をしなければならなくなるかもしれないな、なんて、そんな軽い推測ではあったが、確かに予想できていた。無論、まさか本当にその通りだったということは、予想外だったけれど。
霖之助は茹でタコみたいになった布都を見ながら、落ち着いた息を吐いて、一言。
「……そうだね。やるしかないんだろう」
「〜っ!? り、りんのすけっ。なんでこんなものを頼んだのだっ!? 我、さすがにあんなことできないぞっ!?」
「布都、落ち着いて。頼んだのは君だよ」
もはや羞恥のあまり錯乱状態に陥っている布都は、ばんと机を叩いて立ち上がり、霖之助をぐるぐる目で見る。
「……まあ、せっかく出されたものを残すのも感じが悪いだろうしね。やるしかないよ」
「う、うう〜……っ!」
布都はガタンと音を立てて座る。そしておろおろしながら、小さく小さく、それこそ本当に蚊の鳴くような声で——いや、もしかしたら蚊が鳴く音の方が聞こえやすいんじゃないかと思うくらいの小声で、言った。
「……ふ、」
真っ赤な顔をして、俯きがちになりながら一言。
「不束者ですが、よろしくお願いします……」
「ちょっと待つんだそんな言葉誰から教わった」
加えて言うならば、間違いなくこの状況で言うような言葉ではない。なんだか店内の霖之助を見る視線がよりいっそう痛くなったので、真剣にやめてほしい。これではまるで霖之助が犯罪者のようだ。こちらとしては、そんな考えは一切持ち合わせていないというのに。
今はこの店の客にしかこの状況を見られていないから良いが(いや良くはないけれど)、もしこの光景を霖之助の知り合い——そう、あの鴉天狗のパパラッチや、妖怪の賢者にでも見られれば、霖之助の社会的地位はどん底にまで落ちるだろう。
あの二人だけに限った話ではない。少なくとも霖之助の知り合いのうち誰かにこの状況を見られたら詰む。仮にあの教師にでも見られたらと思うと、霖之助はぞっとした。まず間違いなく頭突き百連発は避けられないだろう。
「……あ、そうだ。なんなら、布都が一人で食べれば良いじゃないか」
名案を思いついた、と言わんばかりに霖之助は言葉を発した。別に食べ方まで強制されているわけではないのだし、霖之助自身も甘いものはそんなに好きではないため、そうすればお互い変な思いをせずに済む。
しかし、霖之助がそう言うとなぜか布都が慌てた様子で抗議を始めた。
「そ、それはダメっ。なんかすごく損した気分になるっ」
「どうしてだい? 僕が食べないのだから、結果的に布都が食べる量の方が多くなるだろう?」
布都もそれはわかっているのか、しかしそれでも納得できないらしく、顔を紅潮させながら霖之助の目をまっすぐに見る。その目は必死さすら感じられるほどだった。
「うう……と、ともかく、ダメなものはダメなのだっ。霖之助も食べるのじゃっ!」
「僕はお腹なんて空いてないんだけどね」
「良いからっ」
ため息を吐く霖之助に、布都はいよいよ痺れを切らしたらしい。先ほど恥ずかしがっていたのはいったいなんだったのかと思わせるほど大胆な動きでパフェからスプーンを抜き、クリームを掬って霖之助の顔まで持っていく。ずいと身を乗り出す彼女。霖之助のすぐ目前に、布都の顔が接近していた。赤らめられたその頬は羞恥に満ちていて、見ている霖之助が気の毒に思えてしまうほどだった。
「ほら、口を開けるのだ霖之助っ」
「……どうしても食べないとダメかい?」
「ダメじゃっ」
背をのけぞらせながら言ってみるのだが、布都の意志は固いらしい。
霖之助はやれやれと小さく息を吐くと、ちらりと目線だけを回し辺りを確認する。覗き見られている気配はなく、またそのような素振りをしている客もいない。
一人だけ「ちくしょう! あんなかわいい幼女とイチャイチャしやがって!」と嫉妬に溢れた血涙を流しながらこちらを睨み、周りの仲間にたしなめられている男の姿が見えたが、霖之助はスルーした。あれは関わってはいけないタイプの人種である。軽蔑するならばともかく、嫉妬するというのはつまり布都のような幼い少女とそういう関係に発展したいという願望を持っているということの裏返しなわけで。無論霖之助にそんな趣味はない。
とりあえず周りを確認した霖之助は、観念したように小さく口を開け、スプーンを頬張る。パフェクリームの甘ったるい味が口の中に広がった。
霖之助は布都にバレないよう気をつけながら、小さく眉を顰める。あまり好きではない味だった。ここまで甘いと、胸やけしてしまいそうになる。一口程度ならばまだ楽しめるのだが。
「どうだ? 美味いか?」
「ん……まあ、それなりに」
しかし、今から食べる布都にまさかまずいなどと言うわけにもいかず、霖之助は当たり障りのない感想を口ずさむ。
布都は顔を真っ赤にしたまま、「そ、そうか」と答えると、乗り出していた身を戻して、椅子に座り直した。恥ずかしいならやらなければ良いだろうに、と霖之助はぼんやり思う。
当然だが、霖之助は布都のようにこんなことであたふたと慌てふためくほど若くない。むしろ、いちいちこんな事で慌てていたら、幻想郷の自由奔放な少女たちの相手なんて到底務まらない。
布都は座ったあと、じーっとスプーンを見つめていた。食い入るように、といっても過言ではないくらいに。
霖之助は参ったようにその光景から顔を逸らした。自分が食べたあとのスプーンをまじまじと見られて良い気がする人物などいるはずがない。少なくとも霖之助は落ち着かない感情を抱く。
しかし布都は、スプーンをしばらく見た後、パフェにスプーンを突っ込み、クリームを掬ってすぐさま頬張った。目を閉じて、恥ずかしそうに——しかし、どこか嬉しそうに。
「……♪」
「……」
霖之助は、いつのまにか顔を戻して、その光景をどこかぼんやり眺めていた。
なぜ、布都は——あんなにも『嬉しそう』なのだろうか。見間違いであるならば、それは霖之助の恥ずかしい勘違いということで終わるのだけれど、布都の様子は到底見間違いだとは思えなかった。
(……いや)
霖之助はしばしぼんやりと思案して、すぐに首を振る。いくらなんでもそんなはずはないだろう。自分の気のせいだ。多分、パフェがおいしかったがためにそういう風に見えただけに違いない。自分はこんな幼い少女相手になにを考えているんだ、と霖之助は自分に呆れた。
頬を押さえ、目を細めてパフェを頬張る布都を頬杖をつきながら、ぼんやりと眺める。おいしそうに物を食べる子だ。
「おいしいかい?」
気づけば、霖之助はそんなことを尋ねていた。自分でも気づかないような、無意識の微笑を浮かべながら。
布都は霖之助の問いに、パフェを飲み込んでから満面の笑みで答える。
「うむ! とーっても、おいしいぞ!」
「そうかい。それは良かった」
その笑顔は、きっとパフェが布都好みの味だったからに違いないと結論付けて、霖之助は微笑ましく思いながら顔を綻ばせた。
布都はそのままパフェのクリームを掬って、再び身を乗り出しながら霖之助の顔前に持っていく。布都の顔は、先ほどよりもちょっとだけ赤い。
「ほら、霖之助もう一回っ」
「……また、やるのかい?」
「当然だっ。ほ、ほら——」
布都は、ごくりと緊張したように、息を飲んで言った。
「——霖之助っ、あーんっ」
その顔は、とてつもなく恥ずかしそうではあるが、どことなく幸せそうだった。
◇
綺麗なオレンジ色の空をバックに、黒い烏が三羽ほど、かあかあと元気良く鳴きながら山に帰っていく。友達に別れを告げた子どもたちが大通りを駆け抜け、温かい家族が待つ家へと帰っていくが、しかしその姿はまだまだ元気いっぱいそうで、遊び足りないという風にも見えた。
さすがに夕方ともなれば、人通りも多少は減る——などということもなく。もちろん、確かに減ってはいるのだが、しかしその分夕食の準備のため買い物に出かける人や、もうそろそろ活動を始める妖怪たちの姿もちらほらと見え始めるようになり、結果として人通りの多さはまったくと言って良いほど変わっていなかった。
その人の流れの中をゆっくり歩く二つの銀は、霖之助と布都。隣同士並んで歩く二人の身長差はそれなりにあるから、傍から見れば、霖之助は妹を連れて帰る兄のように見えているのかもしれない。
「今日は楽しかったな、霖之助っ」
「……そうだね」
満面の笑顔でこちらを見上げる布都の顔を見て、霖之助は引きつった青い顔で笑みを返す。
霖之助としては、たまったものではない一日だった。アクセサリー屋では世にも恐ろしい人間の一面を見せつけられ、喫茶店では店員や客のいかがわしい視線から耐えながら布都に『あーん』させられ。
その上、あのパフェは霖之助からすれば甘すぎた。三口も食べた辺りから限界が訪れ始めてきたのだから相当である。なおも霖之助にパフェを勧めてくる布都に「もういらない」と言っても、布都はどうやらそれを霖之助の遠慮と受け取ったらしく、「遠慮するな」と強引に食べさせられた。決して遠慮ではなかったのだけれど。
しかも、そこからさらに強く「いらないって」と言うと、布都は悲しそうな顔をして、終いには丸いその瞳に涙を浮かべ始めるのだから、シャレにならない。
あんな小さな子を泣かせるなんて、という店内の圧力もかなりのものだったために、結局霖之助はあのパフェの半分を食べることとなってしまった。おかげでしばらく甘いものは食べられそうにない。腹は膨れたが、その分胸は粘っこい気持ち悪さに襲われ、あともう少し無茶をすれば戻してしまいそうなくらいだった。霖之助の顔が青い原因はそれである。
しかし今は、ようやくそのデートも終わり、布都を送っている所だった。
「もう、ここで良い」
「ん、そうかい?」
「ああ」
霖之助と布都は、人里の分かれ道で立ち止まった。ここから霖之助と布都は別々の道に別れる。
霖之助としては、別に最後まで送っても一向に構わなかったのだけれど。
「……霖之助、今日はありがとう」
そう言って、布都は笑顔で霖之助を見た。
「『でーと』とは楽しいものだな。……今日は、我にとって最高の一日だったぞっ」
そう言われると、なんだか照れる。霖之助は人差し指で頬を掻いた。
そして布都が、笑顔から一転。顔を紅潮させながら、霖之助を見る。その頬の赤みは、きっと夕焼けのせいではないのだろう。
「……だから……その、ええっと、」
布都は恥ずかしそうに霖之助から視線を外して、自分の指をつんつんと合わせる。そしてそのあと、布都は勇気を振り絞るような仕草で言った。
「ま、また……今日みたいに、デートしてくれる、か?」
「……」
その仕草が、あんまりにも健気なもので、霖之助はついぽかんとしてしまった。しかし、それも一瞬。
彼女の言う『デート』とは、つまり恋人同士がやるようなものではなくて、友人同士で遊びに行こうという意味合いのものなのだ。霖之助が間違いを指摘したとはいえ、それでもやっぱり、一度吹き込まれた知識というのは訂正されにくいものなのだろう。
次の瞬間、霖之助は自分が意識しないまま勝手に答えていた。
……布都のデートのニュアンスが、今までのものとは違うものであるということに気づかないまま。
「もちろん」
「……!」
彼女の表情が、沈み行く夕焼けに劣らぬほど明るく輝いていく。
しかしそのあと、霖之助は戒めるるように苦笑をひとつ。
「でも、もうあんな恥ずかしいのはごめんだからね?」
「さ、さすがにあれはもう頼まないっ」
あれ、とは、言わずもがなあのパフェのことである。どうやら布都も並々ならぬ恥ずかしさを感じていたらしい。まあ、あれで恥ずかしさを感じない人物なんてそうそういないであろうが。
霖之助は、布都のその姿を見て苦笑した。
「……じゃあ、お別れだね」
「うむ、そうだな。明日にでも、また遊びにいくぞ!」
「はいはい。ご来店をお待ちしてるからね」
無論、嘘ではない。霖之助は本当に布都の来店を心待ちにしている。
夕焼けが照らす、オレンジの光の中で、霖之助は布都に背を向けた。そのままゆっくりとしたペースで、人里の出口に向かって歩いていく。
その背中に、明るい布都の声が投げかけられた。
「りんのすけー! またなー!!」
霖之助は、声に反応して目を丸く開くと、そのあとに、くすりと一笑。布都の方を向かずに、手をひらひらと返して、また歩みを再開する。
いろいろあって騒がしかったけれど——しかし、楽しい一日だった。
「……たまには、こんな一日も悪くないのかもしれないね」
霖之助は自分でも気づかないくらいに薄い笑みを浮かべると、夕焼けの中、香霖堂への道を歩いていった。
その次の日、綺麗に身だしなみを整えた布都が、やたら気合いを入れて香霖堂に来店してくるのは、また別のお話。
「あー、わかったわかった、わかったから引っ張らないでくれ」
銀髪の幼い容姿をした少女に手を引かれて、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべながら、人里の大通りを歩く青年の姿があった。
青と黒を基調とした落ち着いた色の着物に、金色の瞳を覆うのは透き通った眼鏡。インテリ、という言葉がこれ以上ないくらいに似合いそうな顔立ちの青年の名は、森近霖之助。
数多の靴がざくざくと道を踏み締める音に、たくさんの人々が口ずさむ話し声、道沿いにある野菜屋が売り文句を威勢の良い大声で飛ばして、それらがすべてごちゃ混ぜになり識別のつかない雑音となって霖之助の耳に届く。
昼故に、空は晴れやかな青色。綿菓子のようなふわふわの白い雲が所々に存在していて、その雲の端に太陽がほんの少しだけ顔を出していた。あれは確か、積雲と呼ばれる雲だったか。日差しはそれほど強くなく、暑いというよりは温かい柔らかな光が人里に満ちていた。絶好のお散歩日和であるゆえにか、霖之助とすれ違う人々の数はとても多い。
そしてそんなお日様の下、霖之助の服の袖をぱたぱたと引っ張っている少女の名は物部布都という。見た目で判断できる年の頃は十代前半か、あるいはそれ以下であり、幼い見た目に似合った純粋な元気さを振りまきながら、彼女はご機嫌な様子で霖之助と人里の大通りを歩いている。
布都の目はキラキラと輝いていて、まるで子どもみたいにはしゃぐ彼女の元気さは、隣にいる霖之助が参ってしまうほどに眩しかった。
「ほら、あれ! 綺麗だと思わないか霖之助っ!」
「ああうん、そうだね」
霖之助は適当な答えを返しながら、その店を見る。
布都が指をさしている方向は、側面三方囲いの構造をした、祭りなどでよく見る出店をちょっと豪華にした感じの店だった。台には売り物であろう綺麗なアクセサリーや小物の類が置かれていて、その下には小さく値札が付いている。どうやら彼女はそのアクセサリーに目を奪われているらしい。奥には店主であろう若い少女の姿が見えて、にこにことこちらを見ているような気がした。
布都も女の子だ、そういう類のアクセサリーには憧れるのだろう。興味津々といった様子で瞳を輝かせている少女を前に、霖之助は遠い目をしながらぼんやりと思う。
(ああ——)
本当に、なんでこんなことになっているんだろう。霖之助はそう思わざるを得なかった。
霖之助は、基本人混みを避けるタイプの人物である。なぜなのか、と聞かれれば、騒がしいのが苦手だからだと答える他はないのだけれど、ともかく霖之助は無意識で人が多く集まる場所を避ける傾向にあった。
そんな霖之助が、いくら布都と一緒だとはいえ、こんな人通りの多い大通りのど真ん中を歩くなんて、珍しいを通り越して奇妙とすら言えるくらいにおかしなことだった。霖之助をよく知る人物が見れば目を丸くして驚くことは間違いないだろう。霖之助だって、自分でもおかしいと感じるくらいなのだから。
(本当に、なんでこんなことになってるんだったかな……)
興奮した様子の布都の声を遠く感じながら、霖之助はこうなった原因である日のことに思いを馳せた。
◇
事の始まりは、霖之助の記憶が正しければ、たしかほんの数日前だったと思う。
霖之助は、いつも通りの日々を過ごしていた。起床して、自らが営業する古道具屋である香霖堂のカウンターに座り、本を読みながらいつ来るかわからない客を適当に待つ。客が来たら、適当に商売して、また適当に次の客を待つ。そんな適当な日々。
そんな中、たまに——いや、かなりの頻度で巫女やら魔法使いやらスキマ妖怪やら招かれざる常連客がやってくるのだが、そんな少女たちの相手もだんだん日課となりつつあった。客は滅多に来ないにも関わらず、彼女らだけは頻繁にやってくるのだからままならないものである。巫女がやってくればお茶やお菓子を持っていかれ、魔法使いが来ればガラクタを押し付けられ、スキマ妖怪がやってくれば霖之助の精神がガリガリと音を立てて削られていくにも関わらず、霖之助にはなんの利益もないのだからまったくたまったものではない。
まあそれも、最近となってはだんだん慣れてきたもので、あしらい方もなんとなくわかってきた。慣れとは恐ろしいものである。
彼女らをあしらうたびに思うのだが、なんで巫女やら魔法使いやら、はたまたスキマ妖怪やらはわざわざこんな古ぼけた道具屋にやってくるのだろうか。霖之助はそんなことを考えずにはいられなかった。
当然だが、ここに彼女たち年頃(もちろん中には年頃と呼べないような妖怪もいるが)の少女たちが喜ぶような品物は置いていない。恐らくだけれど、彼女らもここに置いてある品物を目当てに香霖堂へやってきているわけではないのだろう。その証拠として、彼女たちは香霖堂へ来ても絶対になにも買っていかない。商品に興味を示すことはあっても、『香霖堂で買い物をしてはいけない』という暗黙の了解でもあるのかと勘繰ってしまうくらいに買い物をしていかない。
しかしそうなると、ますます彼女たちがここへ来る理由がわからなかった。まさか霖之助になにかしらの興味がある、というわけでもないだろう。こちとらただのしがない半妖なのだ。巫女といえば博麗の巫女という幻想郷でもかなり有名な巫女であり、魔法使いといえば博麗の巫女とはまた違った悪い意味で有名な魔法使いであり、スキマ妖怪にいたっては幻想郷の管理者にして妖怪の賢者である。どいつもこいつも、本来ただの半妖でしかない霖之助とつるむような人物ではない。魔法使いはまあ、霖之助の幼馴染だからまだわかるのだけれど。
「ん、いらっしゃい」
そんなことを考えながら、カウンターに座っていた時のことだった。
木製の扉が軋む音と同時に、来客を告げるベルの軽い音が香霖堂内に響き渡って、霖之助は無意識のうちにお決まりのセリフを投げかける。まだ誰が来たかわからないから、はたして客かどうかはわからないのだけれど、さすがに長い間商売を続けていると、客を認識するよりも先に言葉が出てしまうのだ。
霖之助は眼鏡の奥の瞳で改めて訪ねてきた人物を見遣った。
寺子屋の生徒と変わらないくらいの小さな身長に、ゆらゆらと揺れる灰っぽい銀色のポニーテールは外の日差しを浴びてキラキラと輝いている。えらく古風ながら、それでいてどことなく現代風のアレンジが施されているような気がしないでもないような変わった服装。
ちょこんと頭に乗った烏帽子と、その下にあるのは明るく快活な笑顔だった。
「霖之助、遊びに来たぞ!」
その少女——物部布都は、霖之助に向けて、自らの訪れを告げた。
それを見た霖之助は、厄介な客ではなかった安堵からか、ほんの少しだけ引き締めていた表情を緩める。
「ああ、君か。ようこそ香霖堂へ。今日はなにをお探しで?」
霖之助がいかにも商売人らしいセリフを投げかけると、布都はその笑顔から一転、「ああ、うむ、まあ」と歯切れの悪い表情になって、口の前でげんこつを作ると、こほんとかわいらしく咳き込んだ。
「今日はな、悪いのだが、買い物に来たわけじゃなくて……」
「へえ?」
ころりと表情を変える布都に対し、霖之助は興味深そうに眉を上げる。しかし、その瞳に不快そうな色は一切なく、ただ興味だけがあった。
布都は、この香霖堂の数少ない『まともなお客さん』である。きちんと買い物をしてくれて、きちんと人の話を聞いてくれて、世間話だってする。この時点で霖之助からすればなによりもありがたい癒しのようなお客様なのだが、加えて知識欲も旺盛で、道具へ愛情を注ぐことを惜しまず、また道具に対し理解を深めることにも積極的だ。
おまけに誰もが眠くなる催眠術のような霖之助の薀蓄に嫌な顔ひとつすらせず耳を傾け、頷きや相槌、質問なども返してくれて、寡黙な霖之助が思わず喋りすぎてしまうくらいに彼女は聞き上手でもある。恐らく意識してやっているわけではなくて、純粋な好奇心からそうなっているのだろうけれど、それがまた話す側にとっては心地良い。原寸大で素直な反応でありながら、それでいてしっかりと興味を持ってくれているのが話していてわかるから、ついつい話し込んでしまう。
香霖堂店主としても、一人の半妖としても、布都は非常に好感が持てる少女だった。
それゆえ、某巫女やら魔法使いやらスキマ妖怪やらとは違って、例えなにか用がなくとも霖之助は布都の来訪についてポジティブに考えている。三人からはぶーぶーと文句を言われそうだが、こういう所で日頃の行いというものが影響してくるのである。
「ああ、いや、その、迷惑だったか? なにか買い物に来たわけでもないのに、ここへ来るなんて……」
しかし布都は霖之助の反応を勘違いしてしまったのか、わたわたと慌て始めた。
それを見て、霖之助は零れるように苦笑する。
「いや、迷惑なんかじゃないさ。君ならどんな用だって歓迎だよ。ただ、興味が湧いてね」
「とりあえず、そんな所にいないで入っておいで」と布都を香霖堂内に招きながら、布都に説明する。
「布都はいつも香霖堂の品物に興味を惹かれて絶対なにか買っていってくれるから、最初からそんなに『買い物に来たわけじゃない』って断言するのは、珍しいなあって思っただけさ」
「そ、そうか……」
布都は香霖堂の中に入りながら、安心したように息を吐くと、また顔を霖之助から逸らしてしまう。その顔は、ちょっとだけ俯いているようにも見えた。
霖之助は頭に疑問符を浮かべる。布都はいつも元気で感情豊かな少女だ。それがこんなにもおどおどしているなんて、珍しかった。
「……布都?」
「な、なんだ!?」
「いや、なんだか様子が変だと思って」
ちょっと声を掛けただけで、この慌てようだ。これはなにかあったかな、と霖之助は推測する。
「どうしたんだい? なんだか顔も赤いみたいだし……」
「ぅえ!? そ、そんなことないぞ!?」
声を張り上げる布都だが、その顔は霖之助の予想以上に赤くて、もしかしたら風邪でも引いてしまっているんじゃないかと思うくらいだった。まあ、こんな大声を出せるのだから、とりあえずは大丈夫そうだ。
しかしますます布都がなにをしにきたのかわからなくなってしまったので、もう霖之助は単刀直入に用件を聞いてみることにした。
「で、いったいなんの用があってここに来たんだい?」
「う、うむ……」
布都はもう一度こほんと咳払いすると、「すー、はー、」と自分を落ち着けるように深呼吸。
そして、顔を真っ赤にしながら、勇気を振り絞った様子で霖之助に衝撃の一言を投げつけた。
「わ、我と『でーと』してほしいのだ、霖之助!」
「……はい?」
◇
(いきなりデートとは何事かと思ったけど……)
布都に手を引かれるがまま、霖之助はその時のことを思い出して苦く笑う。
デート、とは言っても、なんのことはない。単に霖之助と一緒に遊びにいきたい、という、それだけのこと。しかしどこで間違った知識を吹き込まれたのか、布都は『一緒に人里に出て買い物をしたり遊んだりする』ことを『デート』、そしてデートとは『恋人同士がやること』という致命的にズレている認識をしていたらしい。
いろいろとツッコミ所はあるが、しかし布都は少しだけ抜けている少女だから、そんな間違えた覚え方をしてしまうのもしかたないことなのかもしれない。霖之助は間違いを訂正はすれど、つっこむことはしなかった。
「おおー……!」
布都と霖之助がそのアクセサリー屋にたどり着くと、布都はキラキラと目を輝かせながら置かれているアクセサリーを見る。今は、どうやら銀色の美しいリボンに心を奪われているようだ。
いらっしゃいませ、とにこやかに笑う若い女性店主の言葉なんてまったく聞こえていないかのように、布都は自分の世界に入り込んでいた。その横顔を見下ろしながら、霖之助は思う。
(……あんな顔されたら、断れないな)
つい数日前の会話を思い出して、霖之助は困ったように苦笑した。
あまりに唐突な布都の『デート』発言に霖之助が固まっていると、布都は恐らく勘違いしてしまったのだろう、瞳いっぱいに涙を浮かべながら「だ、ダメだったか……?」なんて上目遣いで聞いてくるものだから、霖之助は大変にうろたえた。なんだか自分がとてつもなく悪いことをしているような錯覚に囚われて、慌てながら布都を宥めると、その時ついうっかり布都と『デート』の約束をしてしまったのだ。
まあ、もともと断るつもりもなかったから、それは良いのだけれど、とにかくあの表情はやりづらかった。嘘泣きだったならば、まだあしらうこともできたのだろうが、相手は布都だ。ぞんざいに扱ってしまうのも気が引けたし、しかも布都の場合は正真正銘泣いていたので、いくら霖之助といえど突き放すことはできなかった。
「これが欲しいのかい?」
「うん!」
霖之助が銀色のリボンを指差すと、布都は霖之助の顔を一瞥すらせずに答えた。恐らく、夢中なのだろう。完全に目を奪われてしまっている。
霖之助は口もとを緩ませつつ、懐から財布を取り出すと、女性店員に声をかけた。
「すいません、このリボンください」
「はい、ありがとうございます」
霖之助が銀色のリボンを指差して、リボンの下に貼られた値札分の金額を差し出す。それを受けた女性店員は、にこやかに微笑みながら会計を済ませて、銀色のリボンを霖之助に渡した。無論、その間も布都の視線はリボンに釘付けだ。
「ふふふ、妹さんですか? 銀色の髪の毛なんて、お二人とも綺麗でそっくりですよ」
「……ええ、まあ、そんなところです。かわいい妹分ですよ」
くすくすと笑う女性店員に、霖之助も同じく笑みを零すと、隣にいる布都の頭をぽんぽんと撫でた。
ただ、そうやって笑う店員の少女の顔に、一瞬だが寒気を感じたのは、霖之助の気のせいなのだろうか。霖之助のうなじにひやりと冷たい汗が走って、肌が粟立った。
ともかく、物欲しそうにリボンを見る布都に向けて、霖之助は鳥肌を抑えながら購入したリボンを渡す。
「ほら、どうぞ」
「えっ……い、良いのか?」
「構わないさ」
霖之助が布都に笑顔を向けてやると、布都はひまわりの開花を彷彿とさせるような、底抜けに明るい笑顔を浮かべた。彼女は嬉しそうにリボンを胸に抱きながら、霖之助に礼を言う。
「ありがとう、霖之助!」
「どういたしまして」
その笑顔を見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってきて、霖之助は微笑を浮かべた。
「子どもの笑顔というのは、人を元気にする力があるんだ」——人里の寺子屋で教師をやっている少女の言葉を思い出す。実際の年齢がわからない布都を子ども扱いするのは自分でもどうかと思うが、確かに今ならその言葉に同意できると霖之助は思った。
「せっかくですし、ここでリボンを結んでいってはいかがでしょうか?」
アクセサリー屋の女性店主が、人の良さそうな微笑みを浮かべながら、布都の方を見る。
「う、うむ。そうだな。ええと……」
布都は烏帽子を脱いで霖之助に手渡すと、ポニーテールの所で結んである黒い紐を外した。布都の髪が降りて、銀色のさらさらな髪がふわりと舞う。いつも丁寧に結われたポニーテールの姿しか見ないこともあり、その姿はまるで別人のように新鮮だった。
いくらがんばっても見えないだろうに、布都は自分の目を右に左に寄せながら、自分の髪の毛をいじくっている。
「こ、ここをこうやって……あれ? い、いやいや、たしか……」
「……何やってるんだい」
「い、いや違うのだ、いつもは太子さまや屠自古がやってくれるから……」
いったいなにが違うのか霖之助にはよくわからなかったが、なるほど、普段は彼女らに髪を結んでもらっているのかと霖之助は納得する。彼女らは布都とは違ってしっかりものだから、そういった身だしなみなどを整えるのは彼女たちの役目なのかもしれない。
どちらにせよ、このまま布都に任せておくと、布都がリボンを結ぶまでに時間がかかりそうだったので、霖之助はため息をつきながら、悪戦苦闘している布都の後ろへ回る。
「ほら、手どかして。僕がやるから」
「おおっ、やってくれるのか! ありがたいっ」
布都は素直に手を離し、リボンを霖之助に渡した。
霖之助は、さっきの女性店員との話ではないが、妹を見るような微笑ましさを交えた笑みをこっそり浮かべると、慣れた手つきでリボンを結んでいく。
霖之助に髪を結ばれている間、布都はくすぐったそうな、心地良さそうな声で、霖之助へと話しかけていた。
「霖之助の結び方は、なんだか優しいな。慣れておるのか?」
「まあね。長く生きてると、いろんなことができるようになるものさ」
霖之助はこれでも人間とは比べ物にならないくらい長生きだから、身につけているスキルは幅広い。一人暮らしに必須なものは無論、こういったアクセサリーの類だって、取り扱いには慣れていた。
「それと、君の髪は柔らかくて綺麗だからね。結びやすい」
「そ、そうか? えへへ……」
ここからでは見えないが、布都が照れくさそうにはにかんでいるのが手に取るようにわかった。
無論、お世辞を言ったつもりはたく、霖之助は本心からそう思っていた。布都の髪はよく手入れが行き届いていて、柔らかい。リボンを結ぶ側としては、こういった綺麗な髪の毛が一番結びやすかった。
霖之助は丁寧かつ滑らかな動作であっという間に布都の髪を元通りのポニーテールに結ぶと、ぱっと手を離して布都の正面に回る。
「はい、終わったよ」
「おお、ありがとう霖之助っ。どうだ? 似合っておるか?」
「もちろん」
霖之助は預かっていた烏帽子を布都に返した。
布都はとても嬉しそうにはにかみながら、烏帽子を両手で被る。
その時、ずっと絶え間無く笑顔を浮かべ続けていた女性店主が、背中を曲げながら礼をした。
「仲が良さそうでなによりですね。ありがとうございました、またのご来店を」
その礼儀正しく整った女性店員の声に反応して、霖之助は彼女の方を見る。見た目から判断するに年は十代中頃、あるいは前半くらいだろうか。
やはり、その笑顔には裏があるように思えてならない。失礼だということはわかっているのだが、なんとなく霖之助は怖くなった。悪人、というわけではなさそうなのだが……。
しかし、事実としてまだ若いのによくできた少女だ、と霖之助は感心すると、その女性店員に礼を返そうとする。
「ああいえ、こちらこそありが——」
「——やっぱり妹萌えって最高よね妹と兄の禁断の関係とかもう鼻血ものだものああでもお二人はなんだかそういう関係じゃなくて微笑ましい兄妹っぽかったわねいやでもそれはそれでそそるものがあるわいやいや危険な意味じゃなくて単にこれは微笑ましいという意味でどっちにせよごちそうさまでしたって言うべきかしらそうに決まってるわよねあの妹さんの表情だけでご飯三杯はイケるのにそこからお兄さんのクールな微笑でなんかもう色々と天元突破しちゃった妹さんは元気で素直な良い子そうだけどお兄さんはクールで物静かでそのギャップがなんともいやでもすごい妹さん想いな良いお兄さんよねああもう内心では妹さんのこと第一に考えたりしてるんだろうなあって思うと——」
「…………」
霖之助は、言葉を紡ぐ途中で絶句するという世にも奇妙な体験をした。同時に脳がフリーズして、ピシリと石化したように体が固まる。
「ああもう最高の兄妹さんじゃないこれは良い土産話ができたわどっちも器量良しだしでも違うのよ顔がすべてじゃないのよお互いを想い合う兄妹愛に敵うものなんてないのでもこの二人はその兄妹愛すらもクリアしてそうだからもうすごいわよねだってお互いが愛を持ってないとあんな素晴らしい笑顔なんてできないものああ最高よお二人とも——」
「……あの」
「——はっ」
綺麗な礼をしたままこの世のものとは思えない呪詛めいた言葉を高速で呟いていた彼女は、霖之助の困惑や驚愕や不信感や恐怖心などなどをぐちゃぐちゃに混ぜ込んだその一言でようやく我に返ったらしく、姿勢を戻して短く息を呑みながら霖之助たちを見る。
「あ、あはは……ま、またのご来店をお待ちしておりますね」
「……」
冷や汗を浮かべながら笑う彼女に向けて、霖之助は絶対零度の視線を向けた。どうやら、先ほどからチラチラと感じたあの寒気は霖之助の気のせいなどではなかったらしい。
「……な、なにも言っておりませんよ? ですから是非またお二人一緒でご来店くださいませ」
『お二人一緒で』の部分を強調する彼女を、霖之助は無言の圧力を込めた半目で見ていた。ずっと黙っている霖之助を不審に思ったらしい布都が、首を傾げて霖之助を見上げる。
「む? どうしたのだ、霖之助。ここは良いお店だ、また来よう! な?」
にっこりとした笑みを霖之助に送る布都の顔は、純真無垢という四字以外に当てはまる言葉が見当たらないくらいだった。どうやら、布都にあの呪詛は聞こえていなかったらしい。聞こえていなくて本当に良かったと、霖之助は胸を撫で下ろす。あれは布都のような純粋な少女には悪影響すぎる。
霖之助はほんの数瞬迷ったあげく、とりあえず今は口だけでも布都に同意を示しておくことに決めた。店主はアレだが、品揃えや質はかなりのものだ。商品だからというのもあるだろうけれど、それ以上の気持ちを感じさせるほど道具の手入れも行き届いていて、道具を大切に思う心が伝わってくるから、その点においては非常に好感を抱く。
まあ、道具を大事にする人間に悪い人間はいない。これは霖之助が今までの経験から得た言葉である。確かに少し怖くはあるけれど、今のところ実害があるわけでもないし、そこまで警戒する必要はないのかもしれない——霖之助は頭を掻きながらそう考えて、女性店員の顔を見た。
「……まあ、たまになら——」
「——あああああ今の妹さんの顔ホントに素敵すぎて死んじゃうなに今の天使かしら天使よねそうに違いな」
「む? どうしたのだ、鼻血が垂れておるぞ? 大丈夫か?」
「はっ!? い、いえいえお構いなくこれは鼻血というか愛というかともかくそういう類の溢れ出る私の感情であって——」
「行くよ、布都」
霖之助は、一瞬でも彼女を信用した自分を恥じた。
「ああああ! ちょっ、待ってくださいお兄さん! そんなっ、そんなゴミを見るような目で私を見ないでください! ま、また来てくださいね? 来てくださいますよね!?」
「二度と来ない」
「そんな殺生なああああっ!?」
霖之助は布都の手を引いて、女性店員の慟哭を背中に受けながら、駆け足に店から離れた。
◇
恐ろしい悪魔の巣窟から抜け出した霖之助と布都が次に向かった先は、チョコレートのような色合いで落ち着いた雰囲気をした喫茶店だった。外観は洋風であり、未だ和風の建物が多い人里の中では一際異彩を放つ喫茶店である。
現在の時刻は三時ごろ。おやつ時だ。せっかくなので、ここで布都と一緒になにか甘いものでも食べようという話になった。
どうやら、この喫茶店は外の世界から迷い込んだ外来人が作った喫茶店らしい。霖之助はその外来人とやらに激しく興味を惹かれたが、ぐっとこらえて我慢する。今は布都の『デート』に付き合っている最中だし、彼女を疎かにするのは良くない。また今度、一人で来た時にでも話を伺えば良いだろう。確実に話を聞くためにアポも取っておくべきか——。
そんなことを考えて、霖之助は困ったように苦笑する。ちょっとでも外の世界のことが絡むとこれだ。自分の悪い癖、とまで言うつもりはないが、時々好奇心が旺盛すぎると窘められることがあるし、少しは落ち着いた方が良いのかもしれない。
「早く早く!」とはしゃぐ布都に手を引かれながら、霖之助と布都は喫茶店内部の窓際の席に向かい合って座る。
喫茶店の内観は、これまた茶色の静かな雰囲気を持った霖之助好みの内装だった。やや大きめの窓からは、里の通りを歩く人々の姿がたくさん見えて、雰囲気を壊さない程度の静かな活気を店内に入れてくれる。
「霖之助はなにを頼むのだ?」
「ん? ……そうだね」
テーブルの横にあるメニューを開いて、ざっと流し読みする。コーヒーやジュースの類に加え、スイーツはもちろんサンドイッチなどもある。今は売っていないようだが、朝や昼であれば定食のようなものも注文できるようだ。
さすが外来人が作った喫茶店というべきか、幻想郷では耳馴染みのないメニューもちらほらと見受けられる。
「ふむ……なかなか面白そうなメニューがあるね。布都はなにを頼むか決まったのかな……って、どうしたんだい」
霖之助がそれらを興味深そうに眺めていると、布都の肩がピクリと跳ねたのが目に入った。
それだけなら特にどうということもなかったのだが、なにやら布都の様子がおかしいことに気づく。顔はいつもよりピンク色に染まっていて、その目線はメニューに釘付けではあったけれど、先ほどリボンを見たときのように夢中というわけではなさそうだった。夢中、というよりは、なんだか固まってしまったかのように思える。
不審に思った霖之助は、訝しげな表情を浮かべながら布都に再度話しかけた。
「……布都?」
「ひゃっ!? なっ、ななななんだ霖之助!?」
布都は明らかに動揺した様子でメニューから視線を離すと、霖之助の方を見る。だがその目はゆらゆらと落ち着きがなく、霖之助を直視できていない。上目遣いで目線を逸らしながらこちらをちらちらと伺う布都の様子は、どう見てもおかしかった。
「どうしたんだい? 顔、真っ赤だよ?」
「いっ、いや……あの……」
布都は歯切れの悪い言葉をボソボソと呟いていた。しかし霖之助の方といえば頭に疑問符がたくさん浮かぶばかりである。
布都もそれはわかっているのだろう。だからこそ、がんばって霖之助になにかを伝えようとしていることは霖之助にもなんとなくわかるのだが。
しかし、布都はやがて覚悟を決めたように手をぐっと握った。目を瞑ったあと、霖之助をまっすぐに見つめながら、布都は自分が持っていたメニューを見せる。
そして、そのまま霖之助の耳に届く前に消えてしまいそうなほど小さな声で、言った。
「こ……これ、頼んでみない……か?」
「ん、どれ」
布都が顔を赤く染めて、眉を八の字にしながら霖之助から目を逸らす。だがその指はメニューに書かれているスイーツを指差しているようだった。
霖之助はやや身を乗り出して、それを見る。そこには——
「……カップル限定ラブラブパフェ?」
そんな、霖之助の理解の範疇を超えるような名前のスイーツが書かれていた。
◇
結論から言えば、霖之助と布都はそのパフェを注文した。
霖之助としては、そんな恥ずかしい名前のパフェなんて注文したくなかったが、しかし布都がどれだけの羞恥を堪えて霖之助に提案したのかということを考えると、なんだか断りづらく思えてしまった。
結局、折れたのは霖之助の方だった。注文した瞬間、店員から感じる霖之助への侮蔑の視線が突き刺さり、霖之助はうんざりとするが、背に腹は変えられない。
兄妹であるならば微笑ましく見られる霖之助と布都も、恋人同士という風に見られると霖之助へ容赦ない軽蔑が投げられる。そもそもカップル云々はデートの勘違いからさらに連鎖した布都の勘違いであって、本当に恋人同士というわけではないのだけれど、それを他人が知る術もない。
布都にもそれは説明したはずなのだけれど、わかっていなかったのだろうか。
わかっていないのだろうな、とため息混じりに思う。意味を理解しているならば、恋人でもない霖之助がいる時にこんなパフェなんぞ頼むはずがない。——まさか、布都が霖之助をそういう意味で好いているはずもないだろうし。
「……で、でかいな」
「……そうだね」
お待たせしました、という声と同時に店員や店の客から投げられる「そんな小さい女の子とカップルとかマジかよ犯罪だろ」という無言の罵声を居心地悪く肌に感じながら、霖之助は布都の言葉に同意を示す。
店員が運んできたそのパフェは、カップル限定ということもあるのだろうがかなりの大きさだった。これなら二人で分け合っても十分である。むしろ、霖之助は少食だし、布都も女の子ゆえにそこまで食べないだろうから、残してしまわないか不安になってしまうほどだ。
「……し、しかしスプーンが一つしかないのはどういうことなのだ? 店員に言った方が良いのか?」
「……」
おろおろと動揺する布都。だが、霖之助はその理由が察せてしまっていた。できれば自分の推測が外れていてほしいと思いながら、霖之助はぐるりと店内を見回す。
ぽつぽつと見受けられる客の中に、仲睦まじそうなカップルが霖之助たちと同じくカップル限定パフェを食べているのが目に入る。もちろん、彼らが食べているパフェにもスプーンは一つしかない。
もちろん片方だけがパフェを食べているわけではないのだろう。霖之助が怪しまれない程度にその様子を盗み見ていると、若い青年が、パフェのクリームをスプーンで掬い、それをパートナーである少女の前に差し出した。少女は頬を赤らめながら、差し出されたスプーンを頬張る。
そしてカップルの二人は、かあっという血液が頬に登る音が聞こえてきそうなくらいに顔を赤くして、どちらともなく微笑んだ。
それを見た霖之助は、憂鬱そうにため息をつく。
(……この推測は、当たっていてほしくなかったんだけどね)
つまり、そういうことなのだろう。このパフェにスプーンが片方しかない理由は、俗に言う『あーん』を恋人同士でやれ、ということだ。
霖之助は、盛大にもう一度ため息を吐いた。この純粋で純情な少女にそんなことをさせたら、恥ずかしさで爆発してしまうんじゃないだろうか。
「どうしたのだ? 頭でも痛いのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……ああ、でも頭は痛いね、確かに」
布都は霖之助の言葉の意図がわからないのか、こてんと首を傾げる。
霖之助は額に手を当て、布都に言った。
「スプーンがひとつしかないのは店員のミスじゃないよ」
「え? で、でも一つしかなかったら食べれないではないか」
「あそこのカップルを見てごらん」
霖之助は、先ほど盗み見たカップルの方を指差す。布都の事だからぐいっと食い入るように見るのではないかと不安になったが、しかしその辺りは布都もわきまえているようで、そーっとそのカップルを見やる。
しかしカップルである青年と少女は、どうやら完全に二人の世界に入ってしまっているらしく、周りの視線なんてまったく気にしていないようだ。二人の周囲には桃色の甘いムードが漂っていて、お互いに食べさせっこしながらはにかむその姿はとても幸せそうだった。
布都はそれを見て、ぼふんという音を立てて爆発、顔を真っ赤に染めながら霖之助の方を見た。
「……しっ、幸せそう、だな、あの二人は」
「……そうだね」
「も……も、もしかして、わっ、我らも、アレを、やらねば、ならない、のか?」
なんだか壊れたカラクリみたいになっている布都を、しかし霖之助はどこか冷静な目で見る。霖之助も内心穏やかなものではないのだけれど、ここまで布都が動揺しているのを見ると、逆に落ち着いてきた。
まあ、霖之助からすれば、ある程度は予想できていたことだ。『カップル限定』というくらいなのだから、もしかしたらカップルらしい食べ方をしなければならなくなるかもしれないな、なんて、そんな軽い推測ではあったが、確かに予想できていた。無論、まさか本当にその通りだったということは、予想外だったけれど。
霖之助は茹でタコみたいになった布都を見ながら、落ち着いた息を吐いて、一言。
「……そうだね。やるしかないんだろう」
「〜っ!? り、りんのすけっ。なんでこんなものを頼んだのだっ!? 我、さすがにあんなことできないぞっ!?」
「布都、落ち着いて。頼んだのは君だよ」
もはや羞恥のあまり錯乱状態に陥っている布都は、ばんと机を叩いて立ち上がり、霖之助をぐるぐる目で見る。
「……まあ、せっかく出されたものを残すのも感じが悪いだろうしね。やるしかないよ」
「う、うう〜……っ!」
布都はガタンと音を立てて座る。そしておろおろしながら、小さく小さく、それこそ本当に蚊の鳴くような声で——いや、もしかしたら蚊が鳴く音の方が聞こえやすいんじゃないかと思うくらいの小声で、言った。
「……ふ、」
真っ赤な顔をして、俯きがちになりながら一言。
「不束者ですが、よろしくお願いします……」
「ちょっと待つんだそんな言葉誰から教わった」
加えて言うならば、間違いなくこの状況で言うような言葉ではない。なんだか店内の霖之助を見る視線がよりいっそう痛くなったので、真剣にやめてほしい。これではまるで霖之助が犯罪者のようだ。こちらとしては、そんな考えは一切持ち合わせていないというのに。
今はこの店の客にしかこの状況を見られていないから良いが(いや良くはないけれど)、もしこの光景を霖之助の知り合い——そう、あの鴉天狗のパパラッチや、妖怪の賢者にでも見られれば、霖之助の社会的地位はどん底にまで落ちるだろう。
あの二人だけに限った話ではない。少なくとも霖之助の知り合いのうち誰かにこの状況を見られたら詰む。仮にあの教師にでも見られたらと思うと、霖之助はぞっとした。まず間違いなく頭突き百連発は避けられないだろう。
「……あ、そうだ。なんなら、布都が一人で食べれば良いじゃないか」
名案を思いついた、と言わんばかりに霖之助は言葉を発した。別に食べ方まで強制されているわけではないのだし、霖之助自身も甘いものはそんなに好きではないため、そうすればお互い変な思いをせずに済む。
しかし、霖之助がそう言うとなぜか布都が慌てた様子で抗議を始めた。
「そ、それはダメっ。なんかすごく損した気分になるっ」
「どうしてだい? 僕が食べないのだから、結果的に布都が食べる量の方が多くなるだろう?」
布都もそれはわかっているのか、しかしそれでも納得できないらしく、顔を紅潮させながら霖之助の目をまっすぐに見る。その目は必死さすら感じられるほどだった。
「うう……と、ともかく、ダメなものはダメなのだっ。霖之助も食べるのじゃっ!」
「僕はお腹なんて空いてないんだけどね」
「良いからっ」
ため息を吐く霖之助に、布都はいよいよ痺れを切らしたらしい。先ほど恥ずかしがっていたのはいったいなんだったのかと思わせるほど大胆な動きでパフェからスプーンを抜き、クリームを掬って霖之助の顔まで持っていく。ずいと身を乗り出す彼女。霖之助のすぐ目前に、布都の顔が接近していた。赤らめられたその頬は羞恥に満ちていて、見ている霖之助が気の毒に思えてしまうほどだった。
「ほら、口を開けるのだ霖之助っ」
「……どうしても食べないとダメかい?」
「ダメじゃっ」
背をのけぞらせながら言ってみるのだが、布都の意志は固いらしい。
霖之助はやれやれと小さく息を吐くと、ちらりと目線だけを回し辺りを確認する。覗き見られている気配はなく、またそのような素振りをしている客もいない。
一人だけ「ちくしょう! あんなかわいい幼女とイチャイチャしやがって!」と嫉妬に溢れた血涙を流しながらこちらを睨み、周りの仲間にたしなめられている男の姿が見えたが、霖之助はスルーした。あれは関わってはいけないタイプの人種である。軽蔑するならばともかく、嫉妬するというのはつまり布都のような幼い少女とそういう関係に発展したいという願望を持っているということの裏返しなわけで。無論霖之助にそんな趣味はない。
とりあえず周りを確認した霖之助は、観念したように小さく口を開け、スプーンを頬張る。パフェクリームの甘ったるい味が口の中に広がった。
霖之助は布都にバレないよう気をつけながら、小さく眉を顰める。あまり好きではない味だった。ここまで甘いと、胸やけしてしまいそうになる。一口程度ならばまだ楽しめるのだが。
「どうだ? 美味いか?」
「ん……まあ、それなりに」
しかし、今から食べる布都にまさかまずいなどと言うわけにもいかず、霖之助は当たり障りのない感想を口ずさむ。
布都は顔を真っ赤にしたまま、「そ、そうか」と答えると、乗り出していた身を戻して、椅子に座り直した。恥ずかしいならやらなければ良いだろうに、と霖之助はぼんやり思う。
当然だが、霖之助は布都のようにこんなことであたふたと慌てふためくほど若くない。むしろ、いちいちこんな事で慌てていたら、幻想郷の自由奔放な少女たちの相手なんて到底務まらない。
布都は座ったあと、じーっとスプーンを見つめていた。食い入るように、といっても過言ではないくらいに。
霖之助は参ったようにその光景から顔を逸らした。自分が食べたあとのスプーンをまじまじと見られて良い気がする人物などいるはずがない。少なくとも霖之助は落ち着かない感情を抱く。
しかし布都は、スプーンをしばらく見た後、パフェにスプーンを突っ込み、クリームを掬ってすぐさま頬張った。目を閉じて、恥ずかしそうに——しかし、どこか嬉しそうに。
「……♪」
「……」
霖之助は、いつのまにか顔を戻して、その光景をどこかぼんやり眺めていた。
なぜ、布都は——あんなにも『嬉しそう』なのだろうか。見間違いであるならば、それは霖之助の恥ずかしい勘違いということで終わるのだけれど、布都の様子は到底見間違いだとは思えなかった。
(……いや)
霖之助はしばしぼんやりと思案して、すぐに首を振る。いくらなんでもそんなはずはないだろう。自分の気のせいだ。多分、パフェがおいしかったがためにそういう風に見えただけに違いない。自分はこんな幼い少女相手になにを考えているんだ、と霖之助は自分に呆れた。
頬を押さえ、目を細めてパフェを頬張る布都を頬杖をつきながら、ぼんやりと眺める。おいしそうに物を食べる子だ。
「おいしいかい?」
気づけば、霖之助はそんなことを尋ねていた。自分でも気づかないような、無意識の微笑を浮かべながら。
布都は霖之助の問いに、パフェを飲み込んでから満面の笑みで答える。
「うむ! とーっても、おいしいぞ!」
「そうかい。それは良かった」
その笑顔は、きっとパフェが布都好みの味だったからに違いないと結論付けて、霖之助は微笑ましく思いながら顔を綻ばせた。
布都はそのままパフェのクリームを掬って、再び身を乗り出しながら霖之助の顔前に持っていく。布都の顔は、先ほどよりもちょっとだけ赤い。
「ほら、霖之助もう一回っ」
「……また、やるのかい?」
「当然だっ。ほ、ほら——」
布都は、ごくりと緊張したように、息を飲んで言った。
「——霖之助っ、あーんっ」
その顔は、とてつもなく恥ずかしそうではあるが、どことなく幸せそうだった。
◇
綺麗なオレンジ色の空をバックに、黒い烏が三羽ほど、かあかあと元気良く鳴きながら山に帰っていく。友達に別れを告げた子どもたちが大通りを駆け抜け、温かい家族が待つ家へと帰っていくが、しかしその姿はまだまだ元気いっぱいそうで、遊び足りないという風にも見えた。
さすがに夕方ともなれば、人通りも多少は減る——などということもなく。もちろん、確かに減ってはいるのだが、しかしその分夕食の準備のため買い物に出かける人や、もうそろそろ活動を始める妖怪たちの姿もちらほらと見え始めるようになり、結果として人通りの多さはまったくと言って良いほど変わっていなかった。
その人の流れの中をゆっくり歩く二つの銀は、霖之助と布都。隣同士並んで歩く二人の身長差はそれなりにあるから、傍から見れば、霖之助は妹を連れて帰る兄のように見えているのかもしれない。
「今日は楽しかったな、霖之助っ」
「……そうだね」
満面の笑顔でこちらを見上げる布都の顔を見て、霖之助は引きつった青い顔で笑みを返す。
霖之助としては、たまったものではない一日だった。アクセサリー屋では世にも恐ろしい人間の一面を見せつけられ、喫茶店では店員や客のいかがわしい視線から耐えながら布都に『あーん』させられ。
その上、あのパフェは霖之助からすれば甘すぎた。三口も食べた辺りから限界が訪れ始めてきたのだから相当である。なおも霖之助にパフェを勧めてくる布都に「もういらない」と言っても、布都はどうやらそれを霖之助の遠慮と受け取ったらしく、「遠慮するな」と強引に食べさせられた。決して遠慮ではなかったのだけれど。
しかも、そこからさらに強く「いらないって」と言うと、布都は悲しそうな顔をして、終いには丸いその瞳に涙を浮かべ始めるのだから、シャレにならない。
あんな小さな子を泣かせるなんて、という店内の圧力もかなりのものだったために、結局霖之助はあのパフェの半分を食べることとなってしまった。おかげでしばらく甘いものは食べられそうにない。腹は膨れたが、その分胸は粘っこい気持ち悪さに襲われ、あともう少し無茶をすれば戻してしまいそうなくらいだった。霖之助の顔が青い原因はそれである。
しかし今は、ようやくそのデートも終わり、布都を送っている所だった。
「もう、ここで良い」
「ん、そうかい?」
「ああ」
霖之助と布都は、人里の分かれ道で立ち止まった。ここから霖之助と布都は別々の道に別れる。
霖之助としては、別に最後まで送っても一向に構わなかったのだけれど。
「……霖之助、今日はありがとう」
そう言って、布都は笑顔で霖之助を見た。
「『でーと』とは楽しいものだな。……今日は、我にとって最高の一日だったぞっ」
そう言われると、なんだか照れる。霖之助は人差し指で頬を掻いた。
そして布都が、笑顔から一転。顔を紅潮させながら、霖之助を見る。その頬の赤みは、きっと夕焼けのせいではないのだろう。
「……だから……その、ええっと、」
布都は恥ずかしそうに霖之助から視線を外して、自分の指をつんつんと合わせる。そしてそのあと、布都は勇気を振り絞るような仕草で言った。
「ま、また……今日みたいに、デートしてくれる、か?」
「……」
その仕草が、あんまりにも健気なもので、霖之助はついぽかんとしてしまった。しかし、それも一瞬。
彼女の言う『デート』とは、つまり恋人同士がやるようなものではなくて、友人同士で遊びに行こうという意味合いのものなのだ。霖之助が間違いを指摘したとはいえ、それでもやっぱり、一度吹き込まれた知識というのは訂正されにくいものなのだろう。
次の瞬間、霖之助は自分が意識しないまま勝手に答えていた。
……布都のデートのニュアンスが、今までのものとは違うものであるということに気づかないまま。
「もちろん」
「……!」
彼女の表情が、沈み行く夕焼けに劣らぬほど明るく輝いていく。
しかしそのあと、霖之助は戒めるるように苦笑をひとつ。
「でも、もうあんな恥ずかしいのはごめんだからね?」
「さ、さすがにあれはもう頼まないっ」
あれ、とは、言わずもがなあのパフェのことである。どうやら布都も並々ならぬ恥ずかしさを感じていたらしい。まあ、あれで恥ずかしさを感じない人物なんてそうそういないであろうが。
霖之助は、布都のその姿を見て苦笑した。
「……じゃあ、お別れだね」
「うむ、そうだな。明日にでも、また遊びにいくぞ!」
「はいはい。ご来店をお待ちしてるからね」
無論、嘘ではない。霖之助は本当に布都の来店を心待ちにしている。
夕焼けが照らす、オレンジの光の中で、霖之助は布都に背を向けた。そのままゆっくりとしたペースで、人里の出口に向かって歩いていく。
その背中に、明るい布都の声が投げかけられた。
「りんのすけー! またなー!!」
霖之助は、声に反応して目を丸く開くと、そのあとに、くすりと一笑。布都の方を向かずに、手をひらひらと返して、また歩みを再開する。
いろいろあって騒がしかったけれど——しかし、楽しい一日だった。
「……たまには、こんな一日も悪くないのかもしれないね」
霖之助は自分でも気づかないくらいに薄い笑みを浮かべると、夕焼けの中、香霖堂への道を歩いていった。
その次の日、綺麗に身だしなみを整えた布都が、やたら気合いを入れて香霖堂に来店してくるのは、また別のお話。
キャラクターの必然性が光るエピソードをもっと入れるとより面白くなると思います
ありがとうございます!これからももっとかわいい布都霖を書けるようよりいっそう努力したいところ……!
しかし、なるほど、キャラの必然性ですか。むむ、たしかに読み直してみればこれ別に布都である必要も霖之助である必要もありませんよね……アドバイス大変感謝なのです、次回作ではそのあたりも気をつけて書いていこうと思います!
2.名前が無い程度の能力さま
ちょっとおませな布都ちゃんっていうか幼女ってすごく良いと思いますもっと増えろ
3.名前が無い程度の能力さま
布都ちゃんのふとももを……おのれ霖之助許さんぞ貴様っ(血涙
4.奇声を発する程度の能力さま
ありがとうございますっ!いろんなタイプの作品にも挑戦していきたいですが、やっぱりもっともっとかわいらしい作品を書けるようにがんばりたいところです……!
8.絶望を司る程度の能力さま
ふふふ、甘いと言ってもらえたようでなにより……いつか読んでくれた方々に砂糖を吐かせるくらい甘い作品も書きたいですぜっ!