Coolier - 新生・東方創想話

コミケに参加した秘封倶楽部

2015/01/15 21:06:53
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     一

「メリーって、年末は日本にいるんだよね?」

 師走を迎えて早々、お昼休みの学生食堂でマエリベリー・ハーンに問いかけてきたのは、彼女の親友である、宇佐見蓮子であった。この、白と黒のツートンカラーを基調とし、黒の中折帽を愛用する、ボーイッシュな雰囲気の強い少女が、その特有な愛嬌のある笑顔で話しかけてくるとき、マエリベリーは予感する。

(また、何か思いついたのね)

 マエリベリーは、その自慢のセミロングの金髪を指先でいじりながら、お気に入りに新しく迎えた、それとなく裾にフリル増し増しなドレスに、全く無頓着な親友に対するムッとした気持ちよりも、期待する気持ちが強いことを確認した。
 蓮子の提案は、それが、美味しいお茶のお店だったり、ケーキの新作だったり、レポートの題材だったり、はたまた旅行の提案だったりと、多種多様で内容を推察はできないが、とにかく、蓮子なりに面白いと思う事柄に、マエリベリーを巻き込みたいと考えて行われるものなのである。そして、その面白いと思う事柄は、常にマエリベリーもその面白さを共有できるものであった。
 マエリベリーは蓮子の問いかけに、

「うん、いるよ。でも、どうして?」

 と、一応とぼけてみるのだが、実は内心、楽しみで仕方がなかった。それだけの特別な時間の共有が、二人の間には既にあるのだ。

「東京の幼馴染の子で、まりちゃんって子がいるんだけどね。その子が、手伝ってほしいことがあるって言うの。それで、一緒に行かないかなって」
「まりちゃん……えっと、中学校まで一緒の子なんだっけ?」
「そうそう。高校は別になっちゃったんだけど、それでもご近所だったから、元旦とかは、一緒に初詣に行ってた子なんだ」
「ふぅん……そうなんだ」

 マエリベリーは、ちょっと興味深いと思った。考えてみると、蓮子の友人に会ったことはほとんどない。特に、東京に住んでいたころの友人とは、全然出会う経験がない。
 果たして、東京時代の宇佐見蓮子がどんな女の子であったのか。
 これは、耳目の欲を掻きたてる。

「まぁ、特に用事はないし、付き合ってもいいけど……何を手伝えばいいの?」
「うん、売り子さんをしてほしいんだって」
「売り子さん? えっと。お店とかしてるの?」
「う~ん……まぁ、お店と言えばお店と言えないこともないのかもしれない」

 はてと小首をひねる蓮子の、あいまいな解答にマエリベリーも小首をひねった。

「ハッキリしないわね」
「いや、なんというか、説明が難しくて」

 しばらく思案して言葉をまとめる蓮子の様子に、少し珍しい表情を発見して、これだけでも十分にオモシロイと、内面で作った笑顔はおくびにも出さず、「もう。そそっかしいなぁ。あらかじめ、どう説明するかぐらい、考えておきなさいよ。」と、少しばかり意地悪を言って困らせるのは、マエリベリーなりの愛情表現である。

「あっと。ゴメンゴメン。えっとね、メリーって、コミケって、聞いたことある?」
「コミケ? うん、あるけど」
「まりちゃん、それに出るんだ。それで、売り子さんが必要なんだけど」
「へぇ……え? 売り子さんが必要って、何か売るの、まりちゃん? コミケで? スゴイ子なんだ」

 マエリベリーはちょっと驚いた。コミケというイベントは、聞いたことがある。何十万という人が集まり、何百何千という、漫画やゲームが販売される大きなイベントだ。中には一日で百万円以上を売り上げて、それで生活する人もいるのだとか。
 それに、まりちゃんは参加するのだという。蓮子の幼馴染が、そうした一芸に秀でている成功者だとは、よもや予想だにしなかった。

「いや、そんな、スゴイってことはないと思うんだけどね。まりちゃんも、一人だと寂しいからって言ってたし」
「それって、謙遜でしょ。だって、中には百万円以上も一日で売り上げる人がいるって、聞いたことがあるよ」
「それは本当に、ごく一部の人だよ。まりちゃんは趣味で絵を描いてるだけ。それに、社会福祉士になるために勉強している、勤労学生なんだから。本業はちゃんと他にあるの」
「あ、そうなんだ。勤労学生なんだ。偉いなぁ」

 勤労学生というのは、日本において特別な位置づけがされている。少子化による労働力の減少と、高齢化への対応という観点から、特に社会福祉の分野における勤労学生に対しては非常に手厚い優遇措置が取られている。
 例えば、奨学金は大学卒業後、五年以上の指定法人における勤務で返済が免除される。また、勤労学生控除により、年間300万円までの所得に対しては、住民税や所得税が全額控除され、しかも年金や健康保険に関しても免除されるのであるから、実質の所得水準は、最高で450万円相当になるなど、社会人より学生が裕福とすら言われることもある。
 そのおかげもあり、今では日本の老人ホームは、同じ高齢化という問題を抱えるアジア諸国へ輸出されている。その原動力は、日本で経験を積んだ比較的若い優秀な労働者たちである。彼らが現地で、経営と運営と指導とにあたっているのである。いまや老人ホームは、日本の主要な輸出産業として、世界的にも有名なくらいだ。
 
「そそ。モラトリアムな私たちとは、まりちゃんは全然違うんだ。週に30時間働いて、40時間勉強するって言ってたよ。それで、実家暮らしなのに、ちゃんと家に家賃も納めてるんだって。本当に偉い子だよ。そんな頑張り屋さんのまりちゃんが、手伝ってって言ってくれるんだから、助けてあげないわけにはいかないよ」
 そう言う蓮子の胸を張る姿に、また一つ、マエリベリーは蓮子の新しい表情を発見した。あまり蓮子は、日本人らしい日本人じゃないと、マエリベリーは感じていた。そこが、外国人の彼女にとって、とても気軽だったことは間違いない。日本人は、優しさと誠実さと真面目さと、そうして何よりも日本人としての強い誇りを持っている。それが、失われた20年を経て、日本を再度、経済大国として復興させたことへの自負であることは当然である。そして、その復興の理由が、忠君愛国と勤労勤勉の誠であるというのも、これは世界の常識だ。
 だからこそ、マエリベリーはギョッとする。日本人という立派な存在そのものが、無言の威圧感で、モラトリアムな彼女に負い目を感じさせるのだ。だからこそ、そうした負い目を感じさせることのない、蓮子という日本人が、もっとも親しい日本人の友人ともなったのである。
 しかし幸いに、この蓮子の新しい表情は、つまり日本人としての誇りを持つ蓮子の表情は、決してマエリベリーを気まずくさせなかった。というのは、その誇りは、日本人としての誇りというよりは、立派な友人を持つ一人の個人としての誇りだったからである。それは、むしろ外国人のマエリベリーにとっては、身近な考え方であった。

「そうね。喜んで、手伝わせてもらうわ」
「さっすが、メリー。二つ返事で快諾なんて、やっぱり優等生は違うね」
「いや、それはあんまり関係ないと思うけど。それより、私、詳しいことは全然分からないよ? 大丈夫かな」

 そんなマエリベリーの一抹の不安を吹き飛ばすように、蓮子は満面の笑顔で答えた。

「大丈夫! なにせ、あの柚木さんに作法を学んでおいてから」

 あぁ、それなら大丈夫と、マエリベリーが安心した柚木さんとは、いかにも東京の若者文化に精通していそうな、ゴスロリ通学で有名な同級生である。ギャルとは違う金髪は、カラーコンタクトと相まって日本人と思われない。しかしその顔立ちは、やはり日本人らしく人形的な丸い童顔。黒を基調としたフリフリのドレスは、人目を引くにあまりある。小柄なことも、本当の人形のようなかわいらしさを演出しており、むしろ彼女にとっては仕合せだ。西洋的な整った美とは異なる、不思議な愛らしさを漂わせている好事家が、この柚木杏子である。
 なお、性格は意外にざっくばらんとしている。いや、ざっくばらんとし過ぎているかもしれない。たまに、どこのだれとも限らずに、「こんにちは!」とあいさつをしていたりする。それを変人として退けることなく、「こんにちは。」と笑顔で返答する二人は、各々、自己の異質を深く感じている者たちである。
 つまり、結局その人の格好や言動などは、目ほどに物を言いはしないのだ。

「柚木さんも、毎回、コミケには参加してるんだって」
「それは心強いね」

 そうしてふと、マエリベリーは、コミケ会場にはきっと、柚木さんのような衣装の人たちでひしめいているのだと予感して、なんだか面白可笑しい気分になった。赤とか青とか、白とか黒とか、カラフルでファンシーな、メルヘンチックな世界なのかもしれない。そう思うとこれは、幻想の世界を訪れる以上に、浮世離れした世界を見ることができる、貴重な経験なのかもしれない。
 そこに、自分も傍観者として加わるのである。いや、この場合は、当事者なのかもしれない。当事者として、メルヘンの森を森林浴でも楽しむ気分でいるならば、こんな楽しいことはなさそうだ。
 さらに加えれば、彼女の進路のためにも役立つ可能性がある。マエリベリーは最近、将来の進路に、日本語教師を考えるようになってきた。日本語教師は、ただ日本語教授法を学んだだけでは、塾や予備校の講師にももとる稼ぎにしかならないが、そこに多国語を操る語学力と、心理学に関する専門用語の知識があれば、臨床心理の医療系通訳として、高い専門性とそれに見合う報酬とを獲得することができるようになる。円高のときは日本で働き、円安のときは外国で働けば、為替の差分で、収入は1割くらい増す算段もつく。そうしてフリーで気楽なライフスタイルを選択できるのだから、年収650万円、毎年2週間のバカンス、そうして年に3度ほど、三泊四日の観光もできると、計算積みなのだ。そうしてそのためには、大学院に進み、院生の時分に半年休学し、米軍基地で日本語教師兼通訳のアルバイト(三か月の契約で時給2000円、生活費はかからない、沖縄観光もできると、かなりの好条件)をしてと、将来の算段が捗って仕方がない。
 ここで一つ恩を売っておくことが、蓮子を院生に引きずり込むことにもつながると、内心で考えていることはもちろん、決して気どられてはならないし、気どられることもない。

「けっこう、楽しみかも」
「あ、本当? よかった~。実は、メリーはこういうの、けっこう楽しめちゃうんじゃないかなって、思ってたんだ」
「あら? ふふふ。よく見られちゃってるわね。えぇ、そうね。日本文化の勉強になりそうだし、将来のキャリアにもつながるかもしれないわ。語学力を活かして就職するなら、日本文化に精通していたほうが、絶対有利だし。そうそう、ついでだから、向こうに着いたら、観光もしていかないとねぇ。初詣にお勧めの神社、教えてね? あ、それと滞在中は、ちゃんと面倒みてよね」

 マエリベリーの問いかけに、「もちろん!」と答えた蓮子は、早くも年の瀬を迎えるのが、待ちきれないという表情であった。

     二

「うげぇ。なにこれ……絶対おかしいよ」

 国際展示場駅から外に出た蓮子の、まず第一声がこうであった。見渡す限りの、人、人、人。電車の中も、酷かった。さびれたはずの東京で、まさかこのような満員電車を経験しようとは思いもしなかった。

「ちょっと、蓮子! は、はぐれちゃう~」

 その声にハッとして周囲を見渡すと、人ごみの中から手を振って蓮子に助けを求める、マエリベリーの姿があった。マズイと慌てた蓮子は、急いで彼女の下へと近寄ったが、それはつまり、二人とも人ごみに流されてしまうということを意味していた。せっかく人ごみから解放されて、新鮮な空気を吸うことができるようになったと思いきや、これである。そうしてかろうじて二人が人ごみから抜け出したのは、サークル入場ではなく一般入場者の参列するところで、あやうく路頭に迷うところであった。

「これはやっぱり、借りだわ。蓮子」
「え? なに? どうしたの? え?」

 と、多少の本音はご愛嬌。結局、二人が喫茶店に到着したのは、約束より20分遅れであったのだ。

「ご、ゴメン! まりちゃん、遅刻しちゃった」

 そう平謝りをする蓮子に、温和でやさしい笑顔を向けるのは、オシャレとは縁が遠そうな、ベージュのコートに紺のロングスカートという地味な格好をした、ふくよかな眼鏡の女性であった。

「うぅん。気にしないで。れんちゃんにしては、早い方だよ」
「それはどちらかというと、止めを刺されているんだけど……」

 そんなつもりはなかったのだろう。誠実に悪意を否定する姿からは、いかにも、この女性らしい人の好さが感じられて、マエリベリーは安堵した。どうやら、この女性もまた、気軽に交際ができる日本人らしい。

「分かってるよ。まりちゃんが冗談以外で嫌味とか、言ってるところなんて見たことがないし。それより、紹介するね。この子が、メリー。大学の同級生で、同じ倶楽部のメンバーなんだ」

 紹介に応じて笑顔で挨拶をするのは、何も繕うためのものではない。心地よい時間を共有することができそうな、期待がもたらした自然な笑顔である。

「はじめまして。マエリベリー・ハーンです。気軽に、メリーって呼んでくださいね」

 金髪碧眼を初見とは言わないが、さびれた東京の端の街に住む彼女にとっては、義務教育を出ればなおさら、なかなか、こうして外国人と話をする機会は得られない。

「うわぁ。スゴイ美人さん。緊張しちゃうよ。しかも、日本語がスゴイ上手。本当に、すっごい」

 スゴイ、スゴイと何度も口癖のように言われて、さすがにマエリベリーも面映ゆいが、しかしそれよりも、偽りのない大げさな反応に愉快さを覚えて、笑みがこぼれた。

「あ、ごめんなさい。私も自己紹介しなきゃ。は、はじめまして。私、鞠子って言います。ヤバイ、すっごい緊張しちゃう。ははは。えっと、れんちゃんとはご近所さんで、ずっと、仲良くしてたんです。小さいころから、ずっと、みんなにまりちゃんって呼ばれてます。だから、メリーさんも、まりちゃんって呼んでください」
「はい。今日はよろしくお願いします、まりちゃん」

 そうして名前を呼ばれると、赤面して鞠子は喜んだ。

「スゴイ。外国の人にまりちゃんって呼ばれるの、はじめて」
「そんな。私、芸能人じゃないんだから」
「いやでも、すっごい美人さんだし、本当、テレビに出てても全然おかしくないです。スゴイ」
「スゴイ、スゴイって、さっきから何度も言われちゃって、照れます」

 するとまた、いっそう鞠子は頬を朱に染めてしまった。

「まりちゃん、相変わらずだね。昔から、何かあると、スゴイ、スゴイって言うの。学校の先生にも、からかわれてたよね」

 そんな蓮子の言葉に呼応して、

「そうなんだ。それ、聞きたいかも」

 と、マエリベリーも興が乗った。

「昔の話とか、恥ずかしいから止めてよ。そんなこと言うなら、れんちゃんが昔、全校集会で前に引っ張り出されて、校長先生に怒られたこと、教えちゃうんだから」

 この格好の話題に、食いつかないわけがない。

「それは面白そう! ねぇ、教えて、まりちゃん」
「もちろん! れんちゃんったら、お転婆ですごかったんだから」
「待った、待った。二人とも、それよりほら、入場しないと。ね? ほら、急ごう、急ごう」

 そうして背中を押される鞠子は、それでも道すがら、話をぶり返して蓮子を驚かせようとするが、それは勝手知ったる幼馴染の気安いじゃれ合いである。その間に入ることを簡単に許されたマエリベリーは、あたかも二人とは古くからの顔なじみのような居心地でいることができたのであった。

     三

 寒さの中、凍えながらも居並ぶ人々を後目にして、三人はサークルスペースへと向かった。途中、中学生と思われる一同が雲集して列をなしていたが、あれは幻想と割り切った。それも含めて、蓮子とマエリベリーにとっては、すべてが新奇な催し事である。特に蓮子は、途中、奇抜なデザインの衣装を着た人々を見て、まさしく、ここにあってはあれだけ学内で浮いている柚木杏子も、平凡人として扱われるのだと合点した。

「いい? 郷に入りては郷に従えよ。私の言ったとおりにしておけば、大丈夫。売り子の仕事は、万事完璧にこなせちゃうんだから。なぁに、全然変じゃないわ。私みたいな人が、ごろごろいるんだもの」

 そうして、コミケの売り子として、杏子から手ほどきを受けた蓮子だったが、彼女の言葉が真実であることを実感し、いよいよその指導が頼もしく思えてきた。

「三人もいたら、準備は簡単ね。サークルスペースについたら、私は書類の手続きをするから、二人は設営と、郵便の受け取りをお願いします」

 そう、気軽に言う鞠子だったが、勝手を知らぬ二人には、設営というものがどんなものか、ピンとこない。それを察した鞠子は、「大丈夫。新刊が一冊と、既刊が二冊あるだけなんだから。並べるくらいしか、やることないの。」と言葉をかけて、二人の心配を取り除いてやった。
 もっとも、そう言われたところで、全くの門外漢には、やはりよく分からない話なのだが、ならばよく分からないにしても、大丈夫だと言ってくれるその言葉を頼って、何とかなるのだろうと、二人は気楽に考えることにした。
 果たして鞠子の言葉は真実であった。実際、彼女はよく準備もしていた。コミケに来たことこそ初めてであるものの、イベントの参加経験は、何度もあるらしい。スケッチブックには、色鉛筆でかわいく描かれた、温かみと親しみのあるキャラクターが、サークル名と新刊があることを告知していて、これは事前に用意されていた。値札もまた、事前に作って持ってきている。

「用意周到なのは、相変わらずだね。いっつも私、まりちゃんに頼ってた」
「私、れんちゃんのお世話係って言われてたからね」

 そんな蓮子と鞠子の会話を聞き、昔からこの親友のルーズな性格は変わらないのだと、マエリベリーは溜息をついた。そうしてまた、今も結局、彼女がマエリベリーを頼っているところを見れば、この友人は誰かに支えられなくてはうまく生きていくことができず、しかしどこか助けてあげたくなる妙な魅力があって、一種の処世術としてそうした技能を無意識に備えてしまっているのだから、これからも彼女の世話を焼くことは、運命として諦めるほかにないのだろうとも納得した。そうして、これらのことを受け入れることは、案外心地よいことなのだと、認めざるを得ない気持ちにもさせられた。
 だが、それを素直に受け入れてしまうのは癪なことである。

「学校の宿題とか、見せてもらってたんじゃない?」

 そんなマエリベリーの報復は、案外簡単に蓮子を動転させた。

「いや、宿題とかは、別に……」
「別に?」

 そう、再度問い詰められると、もごもごとして、蓮子は頼りなくなってしまった。

「あれは中学三年生の夏休みのことだったね~。体育祭の実行委員で張り切って、宿題を全然しなかったれんちゃんは、内申に響くからって、必死になって私に泣きついてきたの」

 鞠子の密告に、いよいよ蓮子は血相を変えた。

「活発な女の子だったけど、そういう行事に熱をあげるタイプじゃなかったから、友人としては応援してあげたくなったわけだけど。まさか、税に関する作文を、私が二つも書かなくちゃいけなくなろうとは思わなかったわ~」
「そ、それはダメ! まずいまずい」

 そう言われると、知りたくなるのが人情だ。

「まるで、今年見た光景ね。必修単位を二つも落としそうになったのは、レポートを提出しなかったからだったっけ」
「提出したよ! 字数制限で返却されただけで……それにほら、秘封倶楽部の活動で忙しかったから」
「なるほど。つまり、対象が学園祭じゃなくって、倶楽部活動に変わっただけで、あんまり違いはないということね」
「もしかして、そのレポートはメリーさんが書いてあげることになったの?」
「そうね。ページ数が足りない分は、私が補ってあげたから……半分は私が書いてあげたわ」
「変わらないなぁ。あのときも、宿題の半分は私がしたよね。れんちゃん、二問に一問は空欄なんだもの」

 そうして、新旧のお世話係にジトッとした目で見られては、蓮子の所在があるわけもない。

「あ~っと……いつも、お世話になってます。アリガトウ」

 と、他に言葉もなくなった蓮子が恭しく頭を下げるのを見るのは、二人にとっては愉快であった。
 そうした折に、蓮子を救った来訪者は、いかにもなコスプレ衣装をまとった同級生、柚木杏子である。カボチャこそ見られないものの、蝙蝠の翼が付いているあたり、まるでハロウィンパーティーである。彼女もまた、知り合いのサークルの売り子として参加しており、手が空いたところで、蓮子たちのことを心配して顔を見せたのであった。

「あ、柚木さん! いいところに来てくれた!」

 ひどく感謝されていることに、多少驚いたこの女性だが、むしろ意外は好奇心をくすぐるらしい。大きめの瞳をきょろんとさせて、言外に、「なになに? どうしたの?」と、問いかけてくる。
 その問いかけは言外のものとして収まらず、言葉になって出てきてしまう。

(はじめてのコミケで、緊張しちゃってる?)
(なんだか必死になっちゃって、かわいいぞ、自分?)
(こういう子見てると、助けてあげたくなっちゃう)

 ほんのわずかな間に、このように思案して一人で納得し、蓮子のために一肌脱いであげたくなってしまう。そのあたりの決心は、反射の域に近い俊敏である。

「どうしたの、宇佐見さん? 緊張してるの? 大丈夫?」
「そ、そうそう。そうなの。ほら、こういうイベント、はじめてだから」
「そっか。それも当然よね。気持ち、分かるよ。私もはじめてイベントに参加したときは、さすがに興奮して変な汗出たし。中学生だったし。年齢ばれないかなとか、気が気じゃなかった」
「え? こういうのって、参加年齢に規則とかあるの? 中学生っぽい子が、来る途中にいた気がするけど」
「うぅん、そんなことないよ! 気にしないで!」
「そ、そう?」
「そうそう。気にしない、気にしない。で、緊張もしないで大丈夫。この前言ったとおり、郷に入りては郷に従え。むしろ、思い切って飛び込まないほうが、恥ずかしいものよ。ドンと、胸を張っていたら、オールオッケー」

 そう言って、自信満々に胸を張る杏子の姿が、蓮子を救ったことは間違いない。マエリベリーはこの突然の来訪者が発するエネルギーにたじろいで、問い詰めるタイミングを失ってしまった。

「ハーンさん。宇佐見さんのこと、見ててあげてね?」

 そうして言葉を振られてハッと我に返ったマエリベリーだが、しかしどうしてここで私に振るのかと、一瞬疑問を覚えずにはおられなかった。しかし、まぁ、そういう役回りと相場が決まってしまっているのだろうと、一応の納得を得たマエリベリーは、

「はい。いつも通りにしています」
「ハーンさんがいれば、頼もしいわ」

 と、微笑を交わしあったものの、どうにも、釈然としないところが残る。
 そのような模糊とした思いを断ち切るように、鞠子が杏子に語り掛ける。

「あ、あの。れんちゃんのお友達さん。それ、すっごいカワイイですね。黒のブラウスに、赤いスカートが、すっごいちっちゃくてカワイイ。頭にちょこんと乗ってる帽子も、カワイイ! それ、上海プロジェクトのレミィちゃんでしょ?」
「そう、そうなの! どう? かわいいでしょ? 書籍版の衣装なの。ピンクのドレスもいいけど、オーダーメイドで作ってもらっちゃった」
「うわぁ。いいなぁ。私、こう、頭にちょんと乗ってる、ミニシルクハットが大好き。すっごいカワイイ」
「分かる分かる。これに惹かれて、ローゼンのコスも真紅にするかギリギリまで悩んだもん」

 この二人の会話を、マエリベリーは興味深いなと思った。お互い、名前すらもよく知らない仲である。にもかかわらず、この忌憚のなさはどうであろうか。一つ、共通の趣味があるということだけで、まるで旧来の知人であるかのような親しさである。

(なんていうか……うん、こういうの、すごいイイかも)

 自然と笑みのこぼれるのを感じながら、マエリベリーはふと蓮子のほうへと視線をやると、そこには驚くくらいやさしい笑みをうかべて、鞠子を見る親友の姿があった。
 これは、マエリベリーの知らない蓮子の姿である。
 蓮子から聞く限り、そうしてマエリベリー自身が見る限り、鞠子は温和で人に嫌われない性格である。しかし、社交性が高いタイプではないようだ。そこに、蓮子が新しい表情を浮かべている理由もありそうだ。
 留学生としての日本観察と、また一人の人間としての友人観察は、マエリベリーのライフワークだ。パブリックな存在としての彼女が、日本国という大きな存在に対する見識を養うことは義務である。プライベートな存在としての彼女が、宇佐見蓮子という一人の個人に対する交友を深めることは権利である。前者は成功の道へとつながっていて、後者は幸福の道へとつながっている。その両面で進歩があるという、欣快がマエリベリーの心を満たしていた。
 そうした充足感を覚える歓談の後、杏子はふと思い出したように、「そうだ。一緒に写真を撮らない?」と、マエリベリーに提案してきた。

(え、私? 何で急に?)

 と、マエリベリーが思う間もなく、これに鞠子が「それじゃ、私が撮ります。」と、気を利かせる。そうお膳立てされては、断る理由はない。だが、先ほどの模糊とした思いが再度よみがえり、なんだか腑に落ちない気分だ。

「先に、二人で撮ったら? 私が撮ってあげるよ」

 と、鞠子に言うが、

「私? 私はぁ……」
「昔からまりちゃん、写真とか嫌いだよね」

 蓮子の合いの手に、うんうんと鞠子は頷いて言う。

「私みたいなぽっちゃりが写真に写っても、かわいくないし」
「そんなことないと思うけど」

 本人が固辞するものを、強いることはできない。求められれば、知り合い同士、写真くらいはお安い御用だが、どうして自分だけなのかと、そこは妙な気持ちになる。

「写真撮るの、二回目だね」
「そう言えば……」

 杏子に言われて、マエリベリーは思い出した。以前、一度、頼まれて彼女と一緒に写真を撮ったことがある。

「私、家庭教師をしてるんだけど。教え子の女の子、写真を見せたらカワイイって、喜んでた」
「ははは……それは、よかった」
 
 マエリベリーは納得した。

(なるほど。よくあることだわ。なんだか妙に貴重がって写真を求められる。外国人だからかしらね)

 そうして思案を片づけて、杏子と二人、横に並ぶと、杏子が語り掛けてくる。

「その衣装、新しいのだよね」
「あ、分かる? 今月のはじめに買ったんだ。……蓮子は気が付いてくれなかったケド」
「ダメだなぁ、宇佐見さん。減点1だよ?」

 そうしてピシッと指を立てて、蓮子に注意をする姿は、あざといくらいに可愛らしい。芝居がかった大きな動きが、このコスプレ姿には絶妙である。似合う人には、似合うのだ。マエリベリーは、ちょっとした感嘆を杏子に抱かずにはいられなかった。

「これね、ショップの店員さんがすっごいお勧めしてくれて。絶対、似合いますよって。割引もしてくれたし、買っちゃった」
「フリルが多めになってるんだね。うん。すごい似合う」
「ありがとう」
「あの子にも見せてあげなきゃ」

 あの子というのは、家庭教師の生徒のことである。キャンパスライフを伝達する際に、留学生の写真を見せてあげるというのは、良いアイディアと言えるだろう。マエリベリーもそう考えた。なおさら、今回のことも納得がいく。
 そうして5枚、ツーショットを撮ると、

「私もいい?」

 と、蓮子も写真を求めた。そうして今度は蓮子と杏子が一緒に写真を撮ってもらい、最後に蓮子とマエリベリーが一緒になって撮ってもらった。

(そう言えば、以前のときも、あの後、彼女は蓮子と写真を撮っていたっけ。そうだ。そのときは、私が撮ってあげたんだった)

 そんな記憶を探っているうちに、マエリベリーはそのとき杏子が着ていた、色合いの美しいドレスのことを思い出した。内心では少し羨ましくさえ思うすてきなドレスだったのであるが、それはまた、どうしてだったのだろうか。

「そう言えば、以前の時は、ゴスロリでしたよね。アリスみたいな、青色の」
「うん。あのときは、アリスみたいなじゃなくって、アリスそのもののコスプレだったよ。少し、アレンジが強めで、フリルが増し増しにされていたけど」

 その言葉を聞いて、マエリベリーは思わず頷いた。
 
(そうか。不思議の国のアリスだったんだ。そう言えば、小学生のころ、ディズニーアニメを見ながら、あの服を着たいなと、思ったこともあったっけか。羨ましさも、そこから来てたのか)

 一人で納得するマエリベリーの横で、「いいなぁ~、見たかったなぁ。」と、溜息をもらす鞠子。「写真、ありますよ。」と言って、携帯を取り出す杏子。「スゴイ! スゴイ、カワイイ!」と、いつもの癖が隠せない鞠子。それからまたもう少し、楽しい時間の共有は続いた。
 そうして杏子が去ったとき、ホッと蓮子は胸を撫で下ろした。
 この様子ならば、蓮子と鞠子に挟まれて、糾問されることもないと安堵したのである。
 しかし、その蓮子の様子が、マエリベリーには、ほどよい獲物と映ったようだ。

「ああやって、また次のお世話係を見つけてくるのね。杏子さんには、どの課題を手伝ってもらったのかしら?」

 と、意地悪くマエリベリーが追撃をする。

「もうやめて! 降参、降参。これからは本当に、しっかりするから」

 そんな言葉は、もう何度聞いたことか分からないと、二人は心中そう思ったが、さすがにこれ以上は野暮であるから、それきり、この話題は口には出さなかった。

     四

 時刻は十時になったところである。開場まであと三十分。鞠子が挨拶をするサークル数は少なく、あっという間に回り終わってしまった。
 さて、この手持ち無沙汰な時間をどうするかと、鞠子が少し案じたと同時に、蓮子がふとたずねてきた。

「ねぇねぇ、まりちゃん。まりちゃんが今日出すのって、漫画なんだよね? 読んでみていい? 私、まりちゃんの漫画読むの、はじめて。イラストはたくさん見たことあるけど」
「もちろん。どうぞ、メリーさんも読んで。迷惑じゃなかったら、既刊のイラスト集も一緒に、一部ずつ持って行ってね」

 そうして手渡される漫画とイラスト集を見て、蓮子もマエリベリーも、その技術の高さに驚かされた。色鉛筆で描かれたイラスト群は、曲線の優しさと温かみのある色彩が調和して個性を生んでいる。デジタルではなく、アナログだからこそ持つことのできる、この色の濃淡で表現される世界は、他にはない親しみやすさを持っていて、かえって現代のイラストに慣れた二人にとっては新鮮であった。
 漫画は、モノクロだからこそ鉛筆の真骨頂が発揮される。そこかしこに見える稚い線は、童話的なタッチと相まって、純真な世界観を確立していた。内容もまた、画風に合っていた。
 ストーリーは、上海人形が、見覚えのあるスカーフを首に巻いた、一匹の三毛猫を発見し、追いかける話である。上海人形がその三毛猫の所在を探ると、行きついたのは向日葵の咲く畑であった。その畑には、アリスを知る花の妖怪がいて、その妖怪の家にすっかり住み着いたのだと言う。アリスは三毛猫を珍しく思い、これを愛しんで首にスカーフを巻いてやったのである。


「それで、あなた。あのスカーフを持っていくのかしら? アリスがあれを巻いてあげたのは、ほんの一週間前だもの。魔力の残り香を辿って行けば、今なら消息がつかめるんじゃなくって?」

 そんな花の妖怪の言葉に、上海人形は首を振って答えたのである。

「おっしゃることはもっともですし、ご好意にも感謝申し上げます。ですが、私は、私の信じるところがあるので、そのような真似はいたしません」
「あなたの信じるところ?」
「はい。私は、アリスの愛によって心を得たという、信念です。だから、アリスの愛を奪うような真似は、私にはできません。あの子も、私にとっては……血のつながらない、弟みたいなものですから」

 そうして、毛むくじゃらな弟を撫でてやり、上海人形はまた、アリスを探して旅に出るのだ。
 ふと、出来の悪いあの子(蓬莱人形)のことを思い出しながら。


「どうかな? オリキャラとか出しちゃったから、不安なんだけど」

 オリキャラというのは、花の妖怪のことである。
 だが、それが原作にいるのかどうかということは、二人にとっては、もともと判別できないことである。むしろ、原作の設定を大前提としない掛け合いが、初心者にとっては優しいくらいである。
 しかし、そうした理由を抜きにしても、彼女たちの表情からは、賞賛の色しか見ることができない。

「まりちゃん、めちゃくちゃ上手になってるじゃん! 面白かった!」

 蓮子の率直な感想は、彼女の偽りのない人柄と相まって、鞠子の控えめな自負心を励ました。

「私、小説ばっかりで漫画は全然読まないんだけど、こんなに魅力的な絵柄だったら、たくさん読みたくなっちゃうな」

 マエリベリーの賛辞もまた、飾らないものであった。

「なんだか、動いているみたい」
「うん。情景が浮かび上がってくるよ。キャラクターが生き生きしているし、景色も本当に見ているみたい」
「本当? やったぁ!」

 鞠子がまさに、描きたかった世界をそのまま、二人は感想で答えてくれたのである。

「こういうのって、今までもたくさん描いているの?」

 マエリベリーの問いかけに、鞠子は照れながら答えた。

「イラストはたくさん描いているんだけど、漫画を描くのは、実は初めてなの。だから、メリーさんにそんな喜んでもらえて、スゴイ嬉しい」
「え? 初めてでこんなにうまいの? それって、スゴイと思う」
「ありがとう。でも、自分で描いたのは初めてだっていうだけで、お手伝いは何度もしたことがあるの。私、今までは他の人と一緒にサークル活動していて、その人は漫画を描く人だったから」
「ふぅん。きっと達者な人だったんでしょうね」

 達者な人というフレーズに、鞠子は少しおかしさを感じた。外国人のマエリベリーが使うには流暢すぎる言い回しだし、また、サークル仲間だった先輩を言い表すには、ある意味では大変正鵠を射る表現であり、しかしある意味では全然的外れな表現でもあるからだ。

「うん。勤労学生をしながら、漫画賞で一度佳作に選ばれてね。それがきっかけになって、来年からは、イラストレーターとしてゲーム会社で働くことが決まっているくらい、スゴイ人」

 この鞠子の言葉には、マエリベリーも蓮子も、思わず唸った。芸の道を生業にすることができるというのは、ちょっとした努力と才能があるだけでは及びもしないことと、素人でも分かる。

「漫画賞を取ったんだ! え、なに? ということは、プロデビューしてるの? だれだれ? 名前教えて。サインちょうだい」
「ちょっと、蓮子。いくらなんでも、ミーハーよ。でも、絵の世界で生きることができるなんて、その人、本当にスゴイ。私たちとは全然、別世界だわ」

 その、マエリベリーの「私たち」という言葉の中には、蓮子とマエリベリーがいて、しかし、鞠子は含まれていない。では、鞠子は彼女の先輩と同じ世界の人かと言われれば、断じてそれは違う。そこに、最近の鞠子を悩み苦しめる原因があって、少しばかり、彼女は陰鬱な色を浮かべた。

「うん……先輩は、スゴイ人だから」

 そういう鞠子の表情に、マエリベリーは違和感を覚えたが、蓮子は全然、頓着しない。

「名前教えて、名前! もしかして、私の知ってる人?」
「うん。知ってる人。同じ地区のご近所さんだもん。小学校も、中学校も同じだった、二つ上の先輩」
「え? 本当? ん~……あ~……も、もしかして、青信号?」
「青信号じゃない! 青井信吾。まぁ、れんちゃんは、小学生のとき、青信号、青信号って先輩のことを大声で呼んで、泣かせちゃったこともあったからね~」

 そうして、じっとりとした目で鞠子に睨まられると、蓮子は藪蛇に慌てふためいた。マエリベリーも、子供の頃にやったことと理解しながらも、この友人はまだまだ過去に粗忽をやっていそうだと呆れてしまった。
 そんな雰囲気は、しかし鞠子にとっては救いであった。
 絵を描いて生きるという夢を追う世界と、社会福祉士として現実を直視して生きる世界。
 六年間ずっと恋慕している男性に思いを告げることすらできず、疎遠になってしまおうとしている現在。
 夢と恋とが、まるで幻想の世界に飛び立ってしまって、残された自分は、しかし夢と恋とを忘れられず、こうして同人の漫画を描くに至った。
 でも、それがきっと限界なのだ。彼女はこれ以上、飛び立つことができない。

(私はおデブだから、先輩みたいに飛べないや)

 なんて、自嘲気味に考えることで、かろうじて自分を保とうとしている、そんな弱い自分があふれ出して堪え切れなくなることを、蓮子のキャラクターが止めてくれたのである。

「そ、そうだ。それよりさ、私たち、あんまり上海プロジェクトに詳しくないんだ。せっかくだし、まりちゃん解説してよ」

 もう少し、この親しい友人が困惑するところを楽しんでいたいという、そんな鞠子なりのいじわるな欲望も多少はあったが、大好きな上海プロジェクトについて解説をしてほしいと頼まれてしまっては、断ることも難しい。

「れんちゃんには、東京にいるときにたくさん貸してあげた気がするから、説明不要だと思うんだけどな~……なんて、まぁ、最近のは知らないかもだし、教えてあげましょう」
「さっすが、頼りになる!」
「はいはい。メリーさんは、えっと、けっこう詳しいんだよね?」
「いえ、私は、むしろ全然知らないんです。だから、一から教えて欲しいかな」
「あ、そうだったんだ。ごめんなさい。すっかり詳しいと思ってて」

 どうしてそう思い込んだのか、マエリベリーには釈然としなかったが、考えてみればこういった文化に飛び込もうという外国人は、基本、よほどの物好きかオタクそのものなのだろう。だからと言って、いちいち釈明するのは煩わしい。

「日本語お上手ですね! 昔から日本にいるんですか? どうして留学されたんですか? 日本食はどうですか? 御口にあいますか? どこに観光へ行かれましたか?」

 外国人としては、もう、いちいち答えていくのは、おなか一杯な気分なのだ。

(あ、もしかして私、柚木さんと同じタイプだと思われている?)

 それはさすがに困るが、まさか、コスプレ衣装で街を練り歩く彼女と同列にはなるまいと、マエリベリーは杞憂を笑った。
 鞠子はすっかり、炎の舌である。異言の伝道者になったように、滔々と言葉が流れ連なる。

「上海プロジェクトってのは、もともとが個人製作のゲームが発祥なの。上海人形っていう、一体の自律人形が、その主である七色の魔法使いであるアリスを探して、旅をするっていうストーリーなんだ。ゲームシステムといい、使用されている音楽といい、キャラクターのデザインや設定といい、最高にクオリティーが高くて、もう、十年以上も愛されている作品。姉妹作品に、蓬莱プロジェクトっていうのがあって、そっちは書籍が中心でストーリーが進んでいてね。ゲームとは違って、漫画と小説で話が進むから、蓬莱プロジェクトだけ知ってるって人もけっこういるね。ちなみに、蓬莱プロジェクトの主人公は蓬莱人形っていって、この子も自律人形として、ご主人様を探す旅をしているの。メディアミックスしていて相乗効果が出てるし、二次創作に寛容だから質の高い同人作品が多いし、ファンは飽きずに着いてくるし、裾野はどんどん拡大してる。それにどっちもまだ、完結してなくて、続きが出てるのも、人気が衰えない理由かなぁ」

 ふむふむ、ほうほうと、頷くマエリベリーと蓮子。だが、蓮子のほうは既に、このぐらいは承知していたが、友人の熱い舌を冷ましたくはない。

「その、七色の魔法使いが、物語の鍵を握っているわけね」

 マエリベリーの絶妙な問いかけに、俄然、鞠子も勢いが増した。 

「傑出した魔法使いには、その力に応じて色の称号が与えられるんだけど、そのすべてを手にしている最高峰の魔法使いが、アリス。そのアリスが、何を思って上海人形や蓬莱人形を作ったのかという物語の中核となる謎。そうして、アリスの力を正統に受け継ぎ、七つの属性の魔法をすべて扱える上海と、何一つとして魔法の力を与えられず、修練によって剣の達人となった蓬莱との対比。作風も対照的で、上海プロジェクトがのんびりとした女性的な物語なのに対して、蓬莱プロジェクトは熱い男性的な物語。アリスを求めて旅を続ける二人が出会うのは、個性的なアリスの知人たち。ある人はアリスの消息や人となりを教えてくれるし、ある人は腕試しに戦いを挑んでくる。そうしてある人は、師となってカップリング要素を増やしてくれる。蓬莱は師匠がたくさんいるし、あの子が男の子か女の子か分からない僕っ子だっていうこともあって、あぁ、もう、どれだけの女子が悶々と眠れない日を過ごしたことかしら!」

 そう、鼻息荒く言い切る鞠子を、ぽかんとして見やるマエリベリー。

「二次創作での王道はやっぱり、蓬莱の最初の師匠であり、その代名詞とも言える判官流の奥義、疾風迅雷突きを指南したもこたん……いやいや、そこは意外に意外、ひそかに人気のキャラクター、流星剣を伝授した虎眼先生こと妖忌さんも、ありだよねぇ。あるいは、飛竜剣を伝授した、二刀流のみょんちゃんで、妖忌さんとの三角関係が成立する可能性が微粒子レベルで存在している!? でもでも、私は、やっぱり公式が推してるとしか思えない、パッチェさんとのカップリングね! 七色の魔法使いを探し出したと思ったら、そこにはもう一人の七つの称号を冠する稀代の魔女がいるとは予想外だったなぁ。でも、パッチェさんとの出会いで、蓬莱は本当の意味での自律を手にするようになるのよねぇ。これがもう、セリフ全部覚えちゃったくらい大好きな場面で……うひゃぁ~」

 さすがにこれ以上はと見かねたマエリベリーが、

「ちょ、ちょっと、声が大きいかな、まりちゃん」

 と、一度言葉を遮ると、ハッと我に返った鞠子が、赤面して顔をあげられなくなってしまう。

「まりちゃん、昔からたま~に、キャラ変わるよね」

 ニヤニヤと嬉しそうに言う蓮子は、もちろん悪意満面である。
 
「し、知ってた?」
「なぁに、まりちゃん?」
「さっき来た、大学のお知り合いの子がコスプレしてた、レミィちゃんってさ。すっごい可愛いんだけど、すっごい強いの。めっちゃ人気があって、私も大好きなの」
「へぇ~。そうなんだ~」
「う、うん。そうなの」
「ところでまりちゃんって、昔からたまにキャラ変わるよね?」
「あ~……う~……」

 悪癖をさらけ出したとの、慙愧の念に悶える鞠子だが、それがまた、彼女にとっての癒しになっている点、友情はいかにも麗しい。

「書籍版には、付属のパスコードが付いていてね、そのパスコードを公式のサイトに入力すると、特典でアニメーションが見れるんだけど、これが私、大好きなんだ。このアニメーションでのみ、アリスのシルエットと音声が明らかになるの。ここで、他のキャラクターとの絡みが見れるんだけど、パッチェさんとの会話が意味深なんだよ~」
「それとまりちゃんの豹変とはどのような因果関係があるのか、200文字以内で説明せよ!」
「う……まさかの意趣返しとは」

 そんな、てんやわんやも祭りの華と興じているうちに、いよいよコミックマーケットは開催になった。アナウンスがにわかにざわめく場内に響き、盛大な拍手がこれを迎えた。

「あ、コミケ、始まった」
「お~。ぱちぱちぱちぱち~」

 こうした祭典の儀の節目に、協調するのは日本人の美徳である。
 しかし開場後、ひしひしと緊張が伝わってくる。コンクリートの四面がなおさら、圧迫感を覚えさせるのだ。

「めちゃくちゃな数の人が並んでたよね。ドッと押しせよてきて、ぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃない?」
「大丈夫だよ、れんちゃん。最初は壁側からまわる人が多いし。ぽつぽつ増える感じ。まぁ、でも、しばらくすれば、人でぎゅうぎゅうになっちゃうけどね」
「テレビで見た光景はすごかったなぁ。一面人だらけ」
「実際になるんだよ、メリーさん。一面、人だらけに」
「そっか。それじゃ、期待できるね。全部売れちゃうかも」
「売れるといいんだけどね。まぁ、残ったら委託すればいいだけなんだけど」

 委託という言葉に、蓮子もマエリベリーもはてと思案顔になる。

「まりちゃん、委託ってなに?」
「委託っていうのは、こういう個人の本を専門に売っているお店に、販売してもらうってこと」
「え? じゃぁ、これ、お店に並ぶの?」
「売れ残っちゃったら、そうなるね」
「スゴイじゃん!」
「ん~……そうでもないんだけど……いや、でも、委託してもいいですよって言ってくれないこともあるから、最低限度スゴイみたいな?」
「ナニソレ。新しいんだけど」

 マエリベリーは、じっと机の下に置かれた三つのダンボール箱を凝視しながらたずねた。

「ところで、これって、何冊あるの?」
「うん。今回は、500冊だよ」
「おぉ。スゴイ! いや、んん? スゴイのか分からないや。どう思う、メリー?」
「いや、スゴイわよ、蓮子。だって、500冊で500円なんだから、25万円でしょ?」
「ヤバい、スゴイ。まりちゃん、スゴイ!」
「ハハハ。なんかスゴイばっかり言われちゃってる。ありがとー」
「いや、でも、本当にすごいなって思うわ。これだけたくさん、個人で印刷するなんて」
「先輩が、うちのサークルを語る以上は、500は刷ってもらわないと困るって言うから。私は、はじめての漫画だし、もっと少なくてもって思ったんだけどね」
「その先輩は、いつもどのくらいだったんですか?」
「1000部くらいかなぁ。500冊を会場で販売して、500冊を委託で販売する感じでした」
「さらにこの倍もあるのね」
「達者な人でしたから」
「あら? ふふ。そうですよね」

 気の利いた返答に、マエリベリーも粋を感じた。この女性もまた、無意識のうちに緊張しているのかもしれない。

(神道は祭典の儀。なら、この日本人たちが、祭典を格別視する民なのも当然。だから、節目節目の行事はあれほどに厳かさをたたえている。こうしたお祭りごとにも、浮かれている。新年は除夜の鐘を聞きに詣でる。そうして、クリスマスもバレンタインも、年中行事に取り込んでしまう。それは、単純な西洋化という言葉だけでくくれるような、軽薄なものではないのよね)

 そうした異国人の眼をついに失わないところは、ブリティッシュ・フラムの才女ならではである。この怜悧さを問われれば、「Cause I am(もちろん)」と微笑んで返すくらいの気丈さがなくては、その血に対して申し訳がない。こうして見事に、他国を知ることで、彼女もまた、自分を知るという相対化の機会を得ているわけである。
 両親は留学についても、院生に進んで米軍基地で働いてみたいと考えていることについても、「Too good opportunity to miss (逃すことのできない絶好の機会)」としか言わなかった。徴兵を免除されるために日本でボランティア活動を行うことにしたギリシャ系フランス人の父と、日英同盟の時分から日本との通商を行ってきた由緒を持つ家系のイギリス人の母との子供は、その生まれからして、オリジナルでユニークを覚える宿命なのである。その宿命は、容易にこの祭典の民の特性を看取したし、また受け入れもする。
 その間、わずか3秒ほど。微笑の裏の冷徹であった。

「あ、そうだ。大事なことを伝えてなかった。スケッチブックとか色紙は、頼まれたらお受けしてください。売り子さんは、お二人にお任せしますから。最初は、一緒に私も売り子、しますけどね」
「はい。絵も描いてさしあげるんですね。チップって……」
「もちろん、取らないですよ。来ていただいた、お礼のサービスです」
「そうですか。それじゃ、たくさん頼まれちゃいません?」
「はい。それで、いいんです。私も、一緒になってコミケを楽しみたいから」

 そうして今日、一番というほどの鞠子の笑顔を見たときに、この新しい日本の文化というのは、なかなか、素晴らしいものだなと実感したマエリベリーは、一種の感動を覚えずにはいられなかった。売り手も買い手も、みな、等しく祭りの担い手なのである。

(この人たちと一緒の視線で、もっと深く、味わいたい)

 そんな欲すら、湧いてくるほどに。
 蓮子が思い出したように、大事をマエリベリーに確認する。

「そうだ、メリー。売り子だけどね、私がお金の計算するから、メリーはお客さんに本を渡してあげてね。そのほうが絶対、喜んでくれるって、柚木さん言ってたから」
「うん、わかった」

 そうして説明をはじめようとしたとき、ちょうどほどよく、一人の男性がサークルスペースに立ち寄った。
 ぐっと拳を握りしめて、気合を入れる蓮子の姿が、マエリベリーにはおかしかった。

(そんな。中学生の職場体験じゃないんだから)

 しかし蓮子は、ドキドキと胸を高鳴らせながら、一生懸命に勇気を振り絞り、お客様をお出迎えした。

「いらっしゃいませ、ご主人様」
「ふぁ?」

 ぽかんとして、間抜けに口をあけるマエリベリー。思わず、「Why ?」と、英語が出そうになった。

「はい、五百円です。ちょうどお預かりします。……メリー?」
「あ、はい、どうぞ」
「ありがとうございました、ご主人様」
「……」

 そうして深々とお辞儀をする蓮子を前にして、目が点になっているのは、後ろの鞠子も同じであるが、一瞬、早く正気を取り戻した鞠子が、抜群の槍働きを見せた。

「れんちゃん。いらっしゃいませ、じゃなくって、お帰りなさいませ、だよ?」
「あ、そうだったっけ? ゴメンゴメン」

 関ヶ原の小早川秀秋もかくやという東軍に対する大きな加勢は、即座に西軍を混乱に貶めた。宰相殿の空弁当が如く、状況を把握できないマエリベリーは、ただただ物言わず静観するよりほかにはない。

「あと、ありがとうございます、じゃなくって、行ってらっしゃいませ、だからね」
「うん。分かったよ~。……へへへ、なんか照れるね」

 そうして、キュートに「てへぺろ☆」を決める蓮子はやっぱり可愛い。ほのかに胸をときめかせてしまったマエリベリーの迂闊さが、全く進退を極めてしまった。

「それじゃ、メリーも一緒にやってね。ほら、こういう文化だからさ」
「あ……う、うん。分かったわ」

 もしマエリベリーがもう少し日本の歴史に精通していれば、島津家の勇猛果敢さや、彼らの関ヶ原で見せた引き口から、突貫を行い、九死に一生を得たかもしれないが、現代に生きるこの才女にとって、もっぱらその大きな関心は、日本文化を咀嚼し、吟味し、それを現代的意味合いの下に再度価値あるものとして評価し直すことにある。どうしても歴史を知ることよりも、目下繰り広げられる日常と非日常の、キラキラと光る黄金色の彩りに目が奪われてしまう。
 
 
 世界は美しい。本当に美しい。ただこの世界において、太陽が昇り、また沈む。それだけにもかかわらず、それは無限に続き、今日までの私たちの歴史すべてを説明してしまう。わずかに四季があるだけで、その移ろう変化は無限となって、何千億という人々を楽しませてきたのだ。その楽しみは、しかも年を重ねるごとに倍旧となる。さらには、これからも永久に続くのだ。そうした世界の美しさを発見し、ただ鳥が樹に止まり、そしてそこから飛び立つという些事にまで感動を覚える東洋の感性は、私を本当に感動させてくれる。
 思えば、蓮子の不思議な瞳も、ただ星々から送られる光と、その合間を埋める闇との、二つの信号を受け止めるというだけのことで、言い換えれば二つの点をどのように編むかというだけのことで、無限に異なった、意味のある数字を二進法で構成しているとも言えるのじゃないかしら。

808,017,424,794,512,875,886,459,904,961,710,757,005,754,368,000,000,000

 それは、モンスター群よりも大きな、意味のある固有の数字を、彼女は常に帯びていることを意味していて、その神秘がいっそう私を困惑させる。
 私は、困惑している。この世界の美しさに。その世界の東洋に。その東洋の日本に。その東洋の美しさをもった蓮子に。困惑し、魅了され、もっと知りたいと願っている。

 I have a strong desire to know ...

 これ以上はダメ。言葉はきっと、書かれたら意味を持ってしまうから。



 そんなマエリベリーの日記は、わずか半日前に書かれたものであるから、師走というのも嘘ではないらしい。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「お、おかえりなさ……」

 頼りなくなったマエリベリーの声は、一抹の泡が弾けるほどの些細な音をたてて消えてしまった。

「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
「い、いってらっしゃいませ、ご、ご、ご主人様」

 そうして言い終えたときには、すでにお客様はいなくなっていた。
 マエリベリーは気づいてしまった。あの、渦のような人の波に飲み込まれたその人は、永遠に、困惑して赤面する金髪碧眼の美少女の顔を忘れることがないのである。
 今、このとき、まさに永遠の今(Eternal Now)がたしかに存在した。
 それは、日本人が、現実に所持した神話― Harakiri ―が、自らの腹黒くないことを証明するとともに、今死ぬことによって、永遠に魂としては生存しようとした神聖な儀式につながる、崇高な価値観なのである。
 そんな接点を発見した才知が、今はただただ恨めしい。正直、理解したくなかった真実である。

「あ~! ゆかりんだ! ゆかりん! かわいい、ゆかり~ん!」

 そう、絶叫する女の子が一人、マエリベリーを見て手を振っている。
 ぽかんとしながらも、条件反射的に手を振る彼女は、心の中で、

(ごめんね。ゆかりんじゃないの。マエリベリーなの。知り合いに似てたのかな? って、ゆかりんって誰?)

 女の子はいつまでも、「ゆかりん! ゆかりん!」と、大賑わいで叫んでいる。猫耳に尻尾まで生やしたそのコスプレ姿は、覚えずマエリベリーに笑みを含ませた。
 結局、女の子は、立派な狐の尻尾を生やした美しいコスプレイヤーに引き取られるまで、しばしマエリベリーを独占していた。
 そうして、女の子がいなくなると、そろそろ同人誌の販売は盛況となり、マエリベリーも忙しくなって、あれこれと考えている余裕はなくなってしまった。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」

 そんな言葉も、何十回と繰り返すうちに、気にならなくなるから不思議だ。それに、お客さんたちも、笑顔で嬉しそうにしてくれていることだし、それはやっぱり、人として嬉しい。
 そうして、忙中の閑ができた。50冊ほど売れた頃だろうか。スケッチブックを依頼に来た人は、今のところ一人。後ろで、鉛筆の音をたてて一生懸命に描く鞠子の姿を見ると、役に立てているという実感も一入だ。
 時間の余裕から、ふと、マエリベリーが、

「なんだったのかな、あの子?」

 と先ほどの疑問をもらすと、鞠子はにこやかに、

「ゆかりんが大好きなのね。あの子、ちぇんのコスプレしてたし、お姉ちゃんかな? らんしゃまのコスプレしてたし」

 と、嬉しそうに答えたのである。
 そのとき、マエリベリーの格物致知の慧眼が、天網を知る炯眼となって凄まじい眼光を鞠子に向けた。

「ひゅい! ど、どうしたの、メリーさん。怖いよ……」
「教えて。その、ゆかりんって、なに?」
「なにって……上海プロジェクトの、ゆかりんだよ? 魔法少女、ゆかりん。永遠の15歳で、最強の魔法『スキマ・レリーズ』で何でもできちゃうチートキャラ。あ、でも、シェイプシフトで背格好が変わるから、13歳のロリゆかりんとか、18歳のお姉さんゆかりんとか、22歳の大人ゆかりんとか、その人の好みで、けっこうゆかりんって背格好が違うんだよね。メリーさんは、15歳の美少女ゆかりんが好きなんだよね? その衣装、似合ってるよ。私も、美少女ゆかりん大好き。お姉さんゆかりんもステキだけど、65-Hは、さすがに無理だな~。ははは」

 にこやかな笑みを浮かべる鞠子から視線を移し、今度は蓮子を射抜くように見た。

「蓮子! 柚木さん、何か言ってなかった?」
「うわ! な、なに? そんな睨まないでよ」
「いいから!」
「え、えっと……別に、特にこれと言って……あ、そうだ。暇だったら、メリーはお客さんに手を振ってあげたほうが良いって。そのほうが、喜んでもらえるらしいよ? ほら、ぱたぱた~……」

 耳まで真っ赤になったマエリベリーは、困惑でいっぱいになった表情を浮かべると、その場で顔を伏せ、全然動けなくなってしまった。

(え? えぇ? ちょ、ちょっと待ってよ。なにそれ? ゆかりん? コスプレ? えぇ? えぇぇぇ?)

 そんなマエリベリーを慰めるように、やさしく鞠子は語り掛けてくれた。

「メリーさん、とっても似合ってるよ? 元のキャラが、外人さんの容姿だし。やっぱり、日本人じゃ難しいクオリティーってあるもん」

 その、完成度の高さがむしろ困るのだが、賞賛を素直に喜ばない態度は、成績優秀者がテストで満点をとっても喜ばないようなもので、他者には全然理解できない。

「あのね、メリー。私、メリーがどんな趣味でも、大好きだよ?」

 その、大好きという言葉は、もっと別の時に聞きたかったと、腹の底からマエリベリーは思った。
 妙に生暖かい友人たちからの視線を感じて、わなわなと震え、脳裏で絶叫を繰り広げる少女の懊悩は深く、ただちには立ち直れそうにはない。
 キャンパスで歩いているときも、駅前を通るときも、もしかしたら柚木さんが家庭教師で指導する女の子が「かわいい!」と言っていたときも、店員さんが「スゴイ似合うと思うわよ~」とお勧めしたときも、常にみんなは、マエリベリーのことを、マエリベリー・ハーンではなく、「メリー・ザ・コスプレイヤー」として、魔法少女ゆかりんをほうふつとしていたのかもしれないのである。
 しばし、蓮子は一人で接客をすることになった。
 その数分の間は、得も言われぬ沈黙が流れた。
 マエリベリーは顔を伏してあげなかった。
 蓮子と鞠子は、お互いに視線を交わしながら、恥ずかしがる友人をやさしく見守っていてあげていた。
 ふと、女性のお客様がやってきて、新刊を一部購入して帰った。
 その後姿を見つめながら、蓮子は思い出して言った。

「あ、そうそう。女性の時は、お嬢様って言わなくちゃいけないんだって」

 そのとき、ピクリとマエリベリーが、何やらスイッチの入ったような挙動をするのを、コミケの神様はスキマの彼方からしっかりと見ていた。

「でも、女性のご主人様もありだと思うんだけど。どうしてかなぁ」
「う~ん……やっぱり、気分かなぁ。お嬢様って呼ばれるほうが、嬉しいって人が多いんだと思うよ」
「そう? まりちゃんも、お嬢様って呼ばれるほうが嬉しい?」
「ははは……うん。嬉しいです」
「なるほど、なるほど。勉強になります」

 マエリベリーはむんずと顔をあげると、まっすぐに蓮子を見詰めて言った。

「蓮子……お嬢様って、言ってみて?」
「うん? いいけど。お嬢様……これでいい?」
「もう一回」
「お嬢様」
「違うの」
「うん?」
「名前つけて」
「あぁ……メリーお嬢様」
「違う違う」
「なに?」
「マエリベリーお嬢様って」
「……マエリベリーお嬢様」
「ありがとう」
「?」

 そのとき、マエリベリーの脳裏には、お姫様抱っこをされる彼女の姿がたしかに映っていたし、目の前の蓮子は白のタキシードを着ていたのであるが、こういう一時を、白昼夢と言うのであろう。その証拠に、ポンと鞠子に肩を叩かれたマエリベリーは、ハッと我に返ったのだ。これが妄想なら、夢から醒めることもない。

「わかる。その気持ち」

 その一言で、マエリベリーの中の、とても奥底に眠っていて、今まで見つけることのできなかった新しい芽が萌えいずるのを、彼女はたしかに感じたのである。
 えへへっと、控えめに可愛く笑って、マエリベリーは手を振りはじめた。
 先ほどまで、自分の大学生活のすべてを根底からひっくり返す衝撃に打ちひしがれていたのが、今やもう、はるか過去の話である。羞恥心は注目されることの悦びへと転換され、なんだか、気持ちがよくなってきた。
 マエリベリーは、「ご主人様」「お嬢様」とお呼びするだけで、人々の大切な日常に笑顔をもたらすことのできる、この新しい東洋の神秘の森で、森林浴を堪能しているのである。
 彼女の知見がいっそう深まったことを、コミケの神様はスキマの向こうから、嬉しそうに見守っているのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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道楽
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コメント



0.350簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
読点多くね?w
2.80名前が無い程度の能力削除
メリーがすごく外人してました。オリキャラも違和感がないですし、二人の過去に触れながら進む物語はとても微笑ましいです。ゆかりん姿でずっといたメリーにはニヤけました。
ただ私の読解力がないのか、日記の部分が唐突すぎてテンポを損なっている気がします。あと最後が尻切れトンボなので、もう少ししっかり終わらせてくれたほうが読後感がいいと思いました。
3.80名前が無い程度の能力削除
もう少し続きを書かないと、中途半端だと思う。
もう一度この後に山場がないと、しっかり終わったと思えない。
留学生という視点でメリーを書いているのは面白い。
5.60名前が無い程度の能力削除
ところどころおもしろそうな部分はあるんだよなぁ。ほかの人では見れないような設定とかもあるし。でも、それがあんまり生きてない気がする。もうちょっと、構成を工夫したほうがいいんじゃない?
6.70名前が無い程度の能力削除
科学世紀の制度の描写が個人的にはなかなか面白かったです
この続きのちゅっちゅが描かれる日を待っています
7.30名前が無い程度の能力削除
ネタと設定だけあって、ストーリーがない感じだね
コミケにいった秘封クラブ、だがほんとに行って帰ってきただけ、みたいな
設定とかキャラは興味深い部分はあるんだけど、見所はそれだけだったかなあ
8.70奇声を発する程度の能力削除
もうちょっと欲しい所はあったけど面白かったです
9.10名前が無い程度の能力削除
作者の知識があらゆる方面に知ったかぶりで気持ち悪い。よくここまで想像だけのホラが吹けるもんだ。
12.70名前が無い程度の能力削除
コミケ行ったことないですけど実際こんなんなんですかね?←妄想
いやなんか道楽さんの違った一面が見れて良かったです
13.90名前が無い程度の能力削除
…魔法少女ゆかりん、いったい何者なんだ…。