『初恋は、実らないからこそ美しい』
何時だっただろう、そんな言葉を聞いたことがある。この言葉に意見をする気はないけれど、少なくとも私にとって、初恋というのは苦いものだった。
多分、そんなことを考えたのはこの天気のせいだろう。見上げた空は鈍い灰色で、音もなく降ってくる雪は、自分の体を空に浮かび上がらせてくれるような錯覚を与えてくれる。
一通りの雪かきを終えて、居間に戻る。子供のころからやっていることなので、面倒だとか嫌だとか、そういう否定的な感情はわかないけれど、ただ、寒いのは苦手だ。風が吹き付けるような攻撃的な寒さではなく、静かに、だけど体の芯から冷たくなっていく感覚は、多分この先慣れることは無いだろう。
卓袱台の上、置かれた二通の手紙。
先日、里を訪れたときに名前もわからない少年からもらったものだ。年相応のあどけない文章だが、その中身は確かに恋文だった。
恥ずかしかったのだろう、真っ赤な表情で。それでも覚悟を決めたのだろう、必死な表情を浮かべたままで。その表情を見たときに、思わずまぶしいと思ってしまった。私には出来なかったことだから。
その隣に置かれたもう一つの手紙。ピンクを基調として、当時流行っていたキャラクターのデザインがあしらわれている。時がたったせいだろうか。手に入れた時よりも、少し色がくすんで見える。
私が書いたラブレター。あの時、渡すことが出来なかったものだ。
雪の日特有の、あの金属的な無音が子供のころを思い出させる。
まだ、あの方たちが起きてくる気配はない。
多分、私が初めて異性を気にしたのは、小学生の高学年の頃だった。相手は近所に住む中学生だった。もっと年が下のころは、近所のお兄ちゃん的な感覚だったけれど、気が付いたら、意識をしていた。何かきっかけがあったのかもしれないが、もう思い出すことは出来ない。
どんどんと背が大きくなっていって、声もある時期を境に低くなって。皮肉なもので、そういう感情が強くなっていけばいくほどに、話をする機会は減っていった。
中学に上がってしばらく経つと、周りの女の子たちの中にもそういう話題をする子が増えてきた。その中身も人によって様々で。聞いているだけで、私は幸せな気持ちと、自分もその気持ちを体験したい衝動に襲われた。だけど、人に聞くのは恥ずかしくて、親に言うこともできなくて、私は自分にしか見えない神様たちに助言を求めては、眠れずに足をばたつかせた。
彼はもう高校に上がっていて、時々道端で会っては、その日学校であった出来事を話す。そんな関係だった。あの時の私は、上手く気持ちを隠せていたのだろうか。わからないけれど、もうちょっと前に出ても良かったかもしれない。今になって思い、少し笑ってしまう。
多分、どこかで安心していたのだ。時々会って、こんな話をして、胸の奥の甘い痛みを感じながら、それでも何時かは、この気持ちは報われる、実ると、信じていたのだ。少女漫画のハッピーエンドのように。だって、神様がついていたのだから。
終わりは、本当に突然だった。彼が、進学のために街を出るということを、母から聞いた。静かに雪の降る、冬のある日のことだった。
それからしばらく、心の中は常に渦を巻いていた。そんなに心配することもないという楽観的な考えをしたこともあったし、彼は明るい性格だから、きっと沢山友達もできて、彼女だって作れるだろう。そんな、自分が作った醜い考えに嫉妬していたこともあった。
怖かったのだ。彼に彼女が出来ることではなく、彼がこれから作っていく輪の中から自分がいなくなっていくことが怖かったのだ。まだ私の世界は狭くて、大切なものが自分の世界からいなくなっていく。その絶望が、たまらなく、怖かったのだ。
そんなある時、神様達が言った。
『告白すればいい』
確か、それを言われた時、私は激怒した覚えがある。他人事だからって好き勝手に言って、と。そんな内容だった気がする。もちろん、それはあのお方達なりに私のことを後押ししてくれた上での発言だったのだろう。世界は自分を中心には回っていないし、ハッピーエンドばかりではない。そんなことくらいは分かっていたつもりだったが、まだ私は子供だった。それは私に残された最後の希望で、だからこそとっておきたかったのものだったから。だからこそ、触れたくなかった。
けれど、こんな気持ちを抱えたまま生きていくのは、それこそ地獄だとも思った。悔いながら生きていくのは、絶対に嫌だった。散々悩んだ挙句、私は一通の手紙を書いた。初めて書いたラブレターは、それこそ奇跡がその中に詰まっているように輝いて見えた。後はこれを渡すだけだった。折り目が付かないように、大切に鞄の中に忍ばせて、けれども結局渡せずに、ずるずると時間ばかりが過ぎていった。
もうそろそろ春がやってくる。そんな時に、季節外れの雪が降った。灰色の空と街頭のおかげでおかげで、やたらと明るい夕刻の頃、久しぶりに彼の姿を見た。声をかけようとも思ったけれど、それは出来なかった。隣で並んで歩く女性と、話していたから。
彼の隣に並ぶ女性は、当時の私にはすごく大人びて見えた。そんな彼女が笑いながら彼と話す顔はすごく綺麗で、私はこの時、初めて自分の初恋が終わったことを理解した。自業自得だが、私は舞台に立つことすら許されなかったのだ。気付かれなかったことだけが、唯一の救いだった。
不思議と、その日は泣かなかった。御二方が必死に慰めてくれる姿が面白かったというのもあるが、ああ、やっぱりなあという気持ちが勝っていたから。だけど、日が経つにつれて、悲しみが大きくなって、ある日学校を早退して、一人近所の公園で大泣きしてしまった。
彼が街を出ていく日。私は意を決して駅まで見送りに行った。
始発の時間帯だからか、人の数もまばらな構内で、彼は一人、小さなベンチに腰かけていた。発車まで暇をしていたと笑う彼の顔は、今までと変わらないほどに普段通りで。それが少し悲しかった。私にとっては特別な日々だったのが、彼にとっては日常だったのだろうから。
色々と伝えたいことがあった。素直に思いを打ち明けたかった。けど、時の流れが、私の心に蓋をしていたのだ。結局私は、近所の幼馴染という仮面を被った。それからは、もう、日常だった。しばらくして電車がやってきて、彼はたまに帰ってくるという言葉を残して、私は土産話を期待していると言って。それで、終わりだった。
ポケットに忍ばせたラブレター。渡すことは出来なかった意味のなくなったモノ。捨てようとも思ったけれど、どうしてか、それは出来なかった。
この手紙に、意味はあったのだろうか。と言われれば、今なら答えられる。意味はあった。この手紙にはあの時の気持ちが、まだ詰まっているのだから。
今の私とあの頃の私は、もう別人なのだろう。この手紙は証なのだ。あの時、初恋が全ての中心だった私の。後悔や、淡い夢や、あの幸せな時が、この手紙の中には止まったままで詰まっているのだ。
自分の初恋に、あの頃の私に、祈りを。
「あー、寒い寒い。おはよぉう、早苗」
「お早うございます、神奈子さま。諏訪子様は……」
「まだ布団の中で冬眠してるよ……その手紙は、なに?」
「ああ、言ってませんでしたっけ?この前、ラブレターをいただいたんです」
瞬間、それまで寝ぼけ眼だった神奈子様の目がカッと見開いた。なんとなく想像していたが、可笑しくてつい吹き出してしまう。
「はぁ!?えっ、ラブレターって……はぁ!?」
「ふふっ。そうです。ラブレターです」
「あ、相手は?どこの誰なの!?」
「教えませんっ」
「す……」
「す?」
「諏訪子!起きてらっしゃい!諏訪子ぉ!」
慌てる神奈子様の姿はあまりにも神様らしくなくて、思わず笑ってしまった。
ふと外を見ると、雪は止んで、太陽が姿を覗かせていた。
「さて……」
あらかじめ用意しておいた紙を広げる。筆はちょっと使いづらいから、シャーペンで。
この子の初恋は、どうなるのだろうか。それは、私だけが知っている。
何時だっただろう、そんな言葉を聞いたことがある。この言葉に意見をする気はないけれど、少なくとも私にとって、初恋というのは苦いものだった。
多分、そんなことを考えたのはこの天気のせいだろう。見上げた空は鈍い灰色で、音もなく降ってくる雪は、自分の体を空に浮かび上がらせてくれるような錯覚を与えてくれる。
一通りの雪かきを終えて、居間に戻る。子供のころからやっていることなので、面倒だとか嫌だとか、そういう否定的な感情はわかないけれど、ただ、寒いのは苦手だ。風が吹き付けるような攻撃的な寒さではなく、静かに、だけど体の芯から冷たくなっていく感覚は、多分この先慣れることは無いだろう。
卓袱台の上、置かれた二通の手紙。
先日、里を訪れたときに名前もわからない少年からもらったものだ。年相応のあどけない文章だが、その中身は確かに恋文だった。
恥ずかしかったのだろう、真っ赤な表情で。それでも覚悟を決めたのだろう、必死な表情を浮かべたままで。その表情を見たときに、思わずまぶしいと思ってしまった。私には出来なかったことだから。
その隣に置かれたもう一つの手紙。ピンクを基調として、当時流行っていたキャラクターのデザインがあしらわれている。時がたったせいだろうか。手に入れた時よりも、少し色がくすんで見える。
私が書いたラブレター。あの時、渡すことが出来なかったものだ。
雪の日特有の、あの金属的な無音が子供のころを思い出させる。
まだ、あの方たちが起きてくる気配はない。
多分、私が初めて異性を気にしたのは、小学生の高学年の頃だった。相手は近所に住む中学生だった。もっと年が下のころは、近所のお兄ちゃん的な感覚だったけれど、気が付いたら、意識をしていた。何かきっかけがあったのかもしれないが、もう思い出すことは出来ない。
どんどんと背が大きくなっていって、声もある時期を境に低くなって。皮肉なもので、そういう感情が強くなっていけばいくほどに、話をする機会は減っていった。
中学に上がってしばらく経つと、周りの女の子たちの中にもそういう話題をする子が増えてきた。その中身も人によって様々で。聞いているだけで、私は幸せな気持ちと、自分もその気持ちを体験したい衝動に襲われた。だけど、人に聞くのは恥ずかしくて、親に言うこともできなくて、私は自分にしか見えない神様たちに助言を求めては、眠れずに足をばたつかせた。
彼はもう高校に上がっていて、時々道端で会っては、その日学校であった出来事を話す。そんな関係だった。あの時の私は、上手く気持ちを隠せていたのだろうか。わからないけれど、もうちょっと前に出ても良かったかもしれない。今になって思い、少し笑ってしまう。
多分、どこかで安心していたのだ。時々会って、こんな話をして、胸の奥の甘い痛みを感じながら、それでも何時かは、この気持ちは報われる、実ると、信じていたのだ。少女漫画のハッピーエンドのように。だって、神様がついていたのだから。
終わりは、本当に突然だった。彼が、進学のために街を出るということを、母から聞いた。静かに雪の降る、冬のある日のことだった。
それからしばらく、心の中は常に渦を巻いていた。そんなに心配することもないという楽観的な考えをしたこともあったし、彼は明るい性格だから、きっと沢山友達もできて、彼女だって作れるだろう。そんな、自分が作った醜い考えに嫉妬していたこともあった。
怖かったのだ。彼に彼女が出来ることではなく、彼がこれから作っていく輪の中から自分がいなくなっていくことが怖かったのだ。まだ私の世界は狭くて、大切なものが自分の世界からいなくなっていく。その絶望が、たまらなく、怖かったのだ。
そんなある時、神様達が言った。
『告白すればいい』
確か、それを言われた時、私は激怒した覚えがある。他人事だからって好き勝手に言って、と。そんな内容だった気がする。もちろん、それはあのお方達なりに私のことを後押ししてくれた上での発言だったのだろう。世界は自分を中心には回っていないし、ハッピーエンドばかりではない。そんなことくらいは分かっていたつもりだったが、まだ私は子供だった。それは私に残された最後の希望で、だからこそとっておきたかったのものだったから。だからこそ、触れたくなかった。
けれど、こんな気持ちを抱えたまま生きていくのは、それこそ地獄だとも思った。悔いながら生きていくのは、絶対に嫌だった。散々悩んだ挙句、私は一通の手紙を書いた。初めて書いたラブレターは、それこそ奇跡がその中に詰まっているように輝いて見えた。後はこれを渡すだけだった。折り目が付かないように、大切に鞄の中に忍ばせて、けれども結局渡せずに、ずるずると時間ばかりが過ぎていった。
もうそろそろ春がやってくる。そんな時に、季節外れの雪が降った。灰色の空と街頭のおかげでおかげで、やたらと明るい夕刻の頃、久しぶりに彼の姿を見た。声をかけようとも思ったけれど、それは出来なかった。隣で並んで歩く女性と、話していたから。
彼の隣に並ぶ女性は、当時の私にはすごく大人びて見えた。そんな彼女が笑いながら彼と話す顔はすごく綺麗で、私はこの時、初めて自分の初恋が終わったことを理解した。自業自得だが、私は舞台に立つことすら許されなかったのだ。気付かれなかったことだけが、唯一の救いだった。
不思議と、その日は泣かなかった。御二方が必死に慰めてくれる姿が面白かったというのもあるが、ああ、やっぱりなあという気持ちが勝っていたから。だけど、日が経つにつれて、悲しみが大きくなって、ある日学校を早退して、一人近所の公園で大泣きしてしまった。
彼が街を出ていく日。私は意を決して駅まで見送りに行った。
始発の時間帯だからか、人の数もまばらな構内で、彼は一人、小さなベンチに腰かけていた。発車まで暇をしていたと笑う彼の顔は、今までと変わらないほどに普段通りで。それが少し悲しかった。私にとっては特別な日々だったのが、彼にとっては日常だったのだろうから。
色々と伝えたいことがあった。素直に思いを打ち明けたかった。けど、時の流れが、私の心に蓋をしていたのだ。結局私は、近所の幼馴染という仮面を被った。それからは、もう、日常だった。しばらくして電車がやってきて、彼はたまに帰ってくるという言葉を残して、私は土産話を期待していると言って。それで、終わりだった。
ポケットに忍ばせたラブレター。渡すことは出来なかった意味のなくなったモノ。捨てようとも思ったけれど、どうしてか、それは出来なかった。
この手紙に、意味はあったのだろうか。と言われれば、今なら答えられる。意味はあった。この手紙にはあの時の気持ちが、まだ詰まっているのだから。
今の私とあの頃の私は、もう別人なのだろう。この手紙は証なのだ。あの時、初恋が全ての中心だった私の。後悔や、淡い夢や、あの幸せな時が、この手紙の中には止まったままで詰まっているのだ。
自分の初恋に、あの頃の私に、祈りを。
「あー、寒い寒い。おはよぉう、早苗」
「お早うございます、神奈子さま。諏訪子様は……」
「まだ布団の中で冬眠してるよ……その手紙は、なに?」
「ああ、言ってませんでしたっけ?この前、ラブレターをいただいたんです」
瞬間、それまで寝ぼけ眼だった神奈子様の目がカッと見開いた。なんとなく想像していたが、可笑しくてつい吹き出してしまう。
「はぁ!?えっ、ラブレターって……はぁ!?」
「ふふっ。そうです。ラブレターです」
「あ、相手は?どこの誰なの!?」
「教えませんっ」
「す……」
「す?」
「諏訪子!起きてらっしゃい!諏訪子ぉ!」
慌てる神奈子様の姿はあまりにも神様らしくなくて、思わず笑ってしまった。
ふと外を見ると、雪は止んで、太陽が姿を覗かせていた。
「さて……」
あらかじめ用意しておいた紙を広げる。筆はちょっと使いづらいから、シャーペンで。
この子の初恋は、どうなるのだろうか。それは、私だけが知っている。
あぁ、良い…… ほろ苦い時代を、思い出すのですねぇ……
また良い物を見させていただきました
しかし神奈子さまのリアクションに救われた気がするw
神様たちが親ばかで和みます