「さて妖夢。私はそろそろ休むわ」
「はい、おやすみなさいませ幽々子様」
夜も更けて寝室へと戻る主を妖夢は頭を下げて見送った。今日も一日の務めを終わった。この後は少しばかり剣術の鍛錬を行い風呂で汗を流し明日に備える。ところがこのところ妖夢の一日に変化があった。
「……さてと」
幽々子が寝室の襖を閉めた音が聞こえた後、妖夢は頭を上げると自室へと向かう。その顔がどこか楽しげだ。実はこれから妖夢にとって最近始めた娯楽の時間が始まるのだった。
鼻歌交じりに自室へと着いた妖夢。
灯りを入れると部屋の隅に置かれた四角形の機械が机の上に置かれていた。
機械は背が低く横に長い。ダイヤルがいくつか付いていて機械の隅からはアンテナが天井へと伸びていた。
今日一日楽しみにしていたという風に妖夢は機械の前に飛び込むように座ると傍らのヘッドフォンを耳に当てる。
そして機械に設置されたストレート・キーと呼ばれる電鍵に人差し指を当てる。
ツーツーツーツーツー
妖夢の指に力が入る度にキーがモールス信号を発信した。
このところの妖夢の楽しみ。
それは寝る前のアマチュア無線によるラグチュー、つまりは同じアマチュア無線仲間との世間話であった。
※
「今度はこんなのが幻想郷に入って来たのよ。まったく困ったものだわ」
一ヵ月前のことになる。
幽々子に連れられて妖夢は主の親友、八雲紫の家へとお邪魔していた。幽々子と紫がたわいのない世間話をしていると、紫が「そうそう」と見せたのが三台の無線機だった。
無線機はすでに古びた物だったが、目立って壊れているようでもない。少し修理をすればまだまだ使えそうにも見えた。
「あら。面白そうね。しかもおまけつきだなんて」
幽々子が目を細めて珍しそうに無線機を見つめる。
「もしかして幽々子。興味あるのかしら? よかったら持って行ってもいいわよ。こんなの古道具屋くらいしか欲しがるところはないのだし。使い方とか教えてあげるわよ」
「ふふふ。残念。そんなの使うくらいなら直接会って話をするわよ」
「それもそうね」
やんわりと幽々子に断られた紫。しかしその顔は少しも残念そうにない。
幽々子の横で妖夢が好奇心に満ちた目でまじまじと見つめていたからだ。
無線機の一つは妖夢の物になった。
河童たちに修理してもらい、また紫の知恵で幻想郷でも使えるように無線機自体にアンテナを取り付けた。これで無線機同士で信号を飛ばし合い会話が出来るようになった。
無線機が完成して妖夢の元に届くと妖夢は紫にモールス信号を学んだ。毎日のように白玉楼にやってくる紫に幽々子も嬉しそうだった。
モールス信号は思ったよりも簡単だ。モールス符号という決められた文字コードをキーで叩けば言葉になる。モールス符号の中でも和文モールス符号というものを知っていれば少なくても幻想郷の中で知り合いと遊ぶくらいなら困らない。それに暗記するようなものでもなく、モールス符号が書かれた紙を見ながら信号を打ったり解読すればいいので、すぐに妖夢も覚えることが出来た。
すると今度は親しい仲の美鈴と鈴仙に無線機をすすめた。互いに従者であり何かと仲の良い二人は妖夢のすすめに興味を持った。妖夢から無線機の扱い方を学んだ二人はそれぞれ無線機を持ち帰り、その日から三人は信号を飛ばし合い雑談を楽しむようになった。
※
「さて、まだ起きているかな?」
妖夢はキーを叩きながら美鈴の無線機に呼びかける。
マ・ダ・オ・キ・テ・イ・マ・ス・カ
一文を打つが返事はすぐに来ない。妖夢は繰り返して信号を打った。
ダイヤルを変えることで美鈴の無線機と鈴仙の無線機への信号の受信と送信が出来るようになっている。美鈴の無線機のダイヤル番号は「5」、鈴仙の無線機のダイヤルは「7」であった。三人同時に会話をすることが出来ないので細目にダイヤルを変えないと一人をほったらかしにしてしまいかねないのが、この無線機の欠点であった。
しかし従者仲良し三人組はこの無線機を愛用していた。
何しろ打つのはモールス信号なので誰かにモールス音を聞かれてもすぐに三人の会話を理解することは出来ないからだ。鈴仙の上司である永琳にはモールス音だけで会話の中身がバレてしまう恐れはあるのだが。しかしそれでも三人は無線機で仕事の愚痴を語り合ったり、遊びに行く予定を打ち合わせたり、本当にただのラグチューを楽しんだりと夢中になっていた。
幻想郷の夜空に妖夢が打つモールス信号が飛ぶ。
しかし美鈴の無線機からは何の返事も来ない。どうやら今夜は夜勤のようだ。この前夜勤中に無線に夢中になってしまい仕事をそっちのけにしていたらメイド長に怒られた話で盛り上がったところだ。寒空の下で美鈴は娯楽を忘れて真面目に門番の仕事をしているのだろう。その話は今度聞いてみたい。
妖夢はダイヤルを回して鈴仙の無線機に繋ごうとした。
ダイヤルを回すと同時にヘッドフォンの向こうからモールス信号が聞こえた。
慌てて妖夢は和文モールス符号の用紙を手にとって信号を解読する。
ダ・レ・カ・イ・マ・セ・ン・カ
どうやら鈴仙も仕事を終え無線機に向かっているようだ。
話し相手を見つけて妖夢の顔がほころぶ。すぐに返事を打った。
コ・ン・バ・ン・ハ
キ・ョ・ウ・モ・オ・ハ・ナ・シ・ヲ・シ・マ・シ・ョ・ウ
妖夢の指が動く度にキーが叩かれモールス音が響いた。
打ち終わるとすぐに返事が届いた。
イ・マ・ナ・ニ・ヲ・シ・テ・マ・ス・カ
「あはは。無線をしているんだから仕事が終わったに決まってるじゃない。鈴仙ったらまだ仕事中なのかな?」
一人無線機の前で妖夢は笑うと鈴仙にモールス信号を送る。
ツーツーツーツーツー。妖夢に合わせてモールス音がリズムよく鳴った。
シ・ゴ・ト・ガ・オ・ワ・ッ・タ・ト・コ・ロ・デ・ス
ソ・ッ・チ・モ
シ・ゴ・ト・ガ
オ・ワ・ッ・タ・ト・コ・ロ・デ・ス・カ
妖夢の一文に返信が途切れた。
「あれ?」
ヘッドフォンに耳を傾けるもやはり返事はない。
もしかしたら本当に仕事中に無線をしていたのだろうか。そして永琳に見つかってしまって怒られているのだろうか。妖夢が首を傾げて数分の後に返事が届いた。
ワ・タ・シ・ハ
シ・ロ・ク・ジ・チ・ュ・ウ
ニ・ン・ム・デ・ス
返信に妖夢は噴き出した。そして大笑いをした。
四六時中仕事だなんて、時間を空けてから鈴仙は冗談をかましたもんだ。
主の言うことを一つ一つ聞かねばならない従者には分かる冗談だ。
一しきり笑って妖夢は返信をしようとキーに指をかける。しかし指を動かす前に妖夢は考えた。
どうせならこっちも冗談で返そうと思ったのだ。
少しの間考えたが上手い冗談を思いつかず、妖夢はとりあえず鈴仙の冗談にのることにした。
ヨ・カ・ッ・タ・ラ
オ・タ・ス・ケ・シ・マ・シ・ョ・ウ・カ
キーを打ち終え、妖夢は鈴仙の返事をわくわくして待った。
いったいどんな冗談が続くのか。それが楽しみだ。もしここから仕事の愚痴になっても妖夢の楽しみに変わりはない。いつものように互いに愚痴を語り合い、励まし合うのだから。
返信はまた途切れた。
数分が経っても返事が届かない。
妖夢の顔から笑顔が消える。
どうしたのだろうか。頭の中で想像を膨らませる。
とうとう永琳に見つかってしまったのだろうか。まだ愚痴は話していないので怒られることはないのだが。
さらに数分が経った。
やはり何事か起こったのだろう。妖夢が指に力を入れて「大丈夫?」と打とうとした時だ。
トトトツーツーツートトト
ヘッドフォンの奥から小さくモールス音が聞こえた。
「え?」
妖夢が驚く間もなくそのモールス音は間断なく繰り返される。
慌てて返信を打とうとしても鈴仙は一方的に信号を発した。
返信を打つ前に鈴仙の信号を確認する。
やがてモールス符号の用紙を持つ妖夢の手が震えた。
それはアルファベットの符号だ。
妖夢たちが世間話するくらいには使うことのない符号だが、しかし紫から一つの有名なモールス信号を学んでいた妖夢は背筋が凍るようだった。
S・O・S
つまり救助を求める信号だった。
妖夢の頭が真っ白になった。
いったい鈴仙の身に何が起きたというのだろうか。
しかしさっきまで会話を楽しんでいたではないか。妖夢が無線機に向かってからまだ一時間も経っていないのだ。
鈴仙からの返信を遮るように妖夢は必死にモールス信号を打った。
――たちの悪い冗談はやめてください、と。
するとまた信号が途切れる。
しんと静かになったヘッドフォンに妖夢はあ然として、そして鈴仙に怒りを覚えた。
親しい仲とはいえ、たちの悪い冗談ほど怒りたくものはない。親しき仲にも礼儀ありというではないか。今度あったら注意しよう。
妖夢がそう思った時だった。
先ほどとは比べ物にならない速さでモールス音が妖夢の耳に響く。
まるで心の底から訴えるように。
タスケテ
タスケテ アツイ
タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ アツイ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ アツイ アツイ アツイ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ
「れ、鈴仙!?」
突如果てを知らないように連続して打たれるモールス音、それはどんどん大きくなり強くなっていくように思えた。
固くなる妖夢の指に構わずモールス音はなおも打たれる。
タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ シニタクナイ タスケテ シニタクナイ タスケテ タスケテ タスケテ シニタクナイ シニタクナイ シニタクナイ ハヤクキテ ハヤク ハヤク コッチニ ハヤクキテ ハヤクキテ
妖夢は慌てて返信を打つ。「死にたくない」という一文を聞いて冷静になっていられなかった。震える手で必死にモールス信号を飛ばした。
――何があったの? 説明して!
すると。あの間断なく送られて来たモールス音の嵐がすぅーっと止んだ。
沈黙が妖夢の身を包んだ。妖夢の顔からはすでに血の気が引いていた。
やっぱり何かあったのだ。鈴仙の身に何かが。
すぐにでも鈴仙のところへ駆けつけたかった。
しかし先ほど自分が送った信号の返事を聞いてからの方がいいのではないか。
無線機の前で妖夢は落ち着かない体を必死にじっとさせていた。
「……ちっ」
妖夢の耳に。
小さく男の声で。
舌打ちをした声が聞こえた。
妖夢の体が一つ震えた。
モールス音が聞こえた。
短く。はっきりと。
モ・ウ・イ・イ
コ・ッ・チ・カ・ラ
オ・マ・エ・ノ・ト・コ・ロ・ニ
イ・ク
信号を解読すると妖夢は部屋を飛び出した。
※
「鈴仙!? 鈴仙、無事!? 返事をしてよ鈴仙!?」
数分後。
永遠亭へとたどり着いた妖夢はその玄関の扉を力いっぱいに叩いていた。すでに永遠亭の灯りは落ち、暗くなっていた。
「お願い! 返事をしてよ鈴仙!」
何度も何度も扉を叩くと玄関先の灯りが灯った。妖夢が叩くのを止めると錠が開かれる音がして、やがてゆっくりと扉が開いた。
「こんな時間に何の用かしら?」
顔を覗かせたのは永琳だった。すでに寝巻に着替えていて迷惑そうな顔を隠そうともしない。しかし妖夢は構わず詰め寄るように永琳に話しかける。
「あの! 大変なんです! 私にもよくわからないのですが、とにかく大変なんです!」
必死に話しかける妖夢に永琳はため息を吐いてから視線を移した。
その目が大きくなる。
「こっちに来なさい!」
「え? うわ!?」
永琳に腕を力いっぱい引っ張られて妖夢は永遠亭の中へと引きずり込まれる。
廊下を少し歩いて案内されたのは永琳の診察室だった。
妖夢を乱暴に椅子に座らせると永琳を白衣を身に纏う。
「いったい何があったのか教えてちょうだい!」
「え? いや、あのぉ……」
何が起きたのか理解出来ない妖夢が恐る恐る永琳に話しかける。
「何かが起きたのは私じゃなくて、そのぉ……鈴仙ですけど」
「え?」
永琳がまた目を丸くしていると、診察室の入り口から一人姿を現せた。
「もぅ……なんですか師匠ー。もう夜なのに……ふわぁー」
そこには眠そうな目をした寝間着姿の鈴仙だった。手であくびを隠そうとしている。
そんな鈴仙に妖夢は勢いよく椅子から立ち上がると鈴仙に詰め寄る。
「鈴仙! 無事なの!? なんともない!?」
「ふぇ!? よ、妖夢! どうしたの、こんな夜遅くに?」
「どうしたのって……鈴仙が呼んだのじゃない! 助けてって!」
「え?」
眠気が吹き飛んだ鈴仙は目を丸くして妖夢の顔を見つめる。
「呼んだって、何で?」
「え?」
「私、妖夢のこと呼んでないよ。今日は仕事で疲れたからお風呂入ってすぐに寝たんだけど」
「……無線機、使ってないの?」
「無線? うん、そうだけど? 今日はラグチューする体力残ってなかったから」
きょとんと鈴仙は小首を傾げる。
妖夢の頭が真っ白になった。
意識が遠くなる中で永琳の声が聞こえた。
「あれ? 彼はどこに行ったのかしら? ……酷く全身を焼けただれていたのに。ここまで一緒に来たのでしょう? 妖夢、彼はどこに?」
永琳の言葉に。
妖夢は音を立てて床に倒れ込んだ。
※
誰もいない妖夢の部屋。
無線機だけが残されている。
そのダイヤルは「6」を指していた。
※
後日。
博麗神社にて霊夢によって無線機のお祓いが行われた。
紫に頼んで無線機の過去を調査してもらうと、あの三台の無線機は昔軍隊の通信基地で使われていたことが分かった。
軍内で莫大な機密事項を打っていた無線機だったが、ある日空襲によって無線機を扱っていた通信兵は基地ごと焼夷弾によって焼かれたのだ。この三台の無線機は空襲から奇跡的に免れた物であり、そして未練を残す多くの通信兵たちの霊がとり憑いていたのだ。
霊夢のお祓いで多くの霊は皆成仏した。
しかし。
「妖夢。もう無線機は使わないの? せっかく『おまけ憑き』だったのに」
その日以来、妖夢たち三人は無線機を使うことはなかった。
「はい、おやすみなさいませ幽々子様」
夜も更けて寝室へと戻る主を妖夢は頭を下げて見送った。今日も一日の務めを終わった。この後は少しばかり剣術の鍛錬を行い風呂で汗を流し明日に備える。ところがこのところ妖夢の一日に変化があった。
「……さてと」
幽々子が寝室の襖を閉めた音が聞こえた後、妖夢は頭を上げると自室へと向かう。その顔がどこか楽しげだ。実はこれから妖夢にとって最近始めた娯楽の時間が始まるのだった。
鼻歌交じりに自室へと着いた妖夢。
灯りを入れると部屋の隅に置かれた四角形の機械が机の上に置かれていた。
機械は背が低く横に長い。ダイヤルがいくつか付いていて機械の隅からはアンテナが天井へと伸びていた。
今日一日楽しみにしていたという風に妖夢は機械の前に飛び込むように座ると傍らのヘッドフォンを耳に当てる。
そして機械に設置されたストレート・キーと呼ばれる電鍵に人差し指を当てる。
ツーツーツーツーツー
妖夢の指に力が入る度にキーがモールス信号を発信した。
このところの妖夢の楽しみ。
それは寝る前のアマチュア無線によるラグチュー、つまりは同じアマチュア無線仲間との世間話であった。
※
「今度はこんなのが幻想郷に入って来たのよ。まったく困ったものだわ」
一ヵ月前のことになる。
幽々子に連れられて妖夢は主の親友、八雲紫の家へとお邪魔していた。幽々子と紫がたわいのない世間話をしていると、紫が「そうそう」と見せたのが三台の無線機だった。
無線機はすでに古びた物だったが、目立って壊れているようでもない。少し修理をすればまだまだ使えそうにも見えた。
「あら。面白そうね。しかもおまけつきだなんて」
幽々子が目を細めて珍しそうに無線機を見つめる。
「もしかして幽々子。興味あるのかしら? よかったら持って行ってもいいわよ。こんなの古道具屋くらいしか欲しがるところはないのだし。使い方とか教えてあげるわよ」
「ふふふ。残念。そんなの使うくらいなら直接会って話をするわよ」
「それもそうね」
やんわりと幽々子に断られた紫。しかしその顔は少しも残念そうにない。
幽々子の横で妖夢が好奇心に満ちた目でまじまじと見つめていたからだ。
無線機の一つは妖夢の物になった。
河童たちに修理してもらい、また紫の知恵で幻想郷でも使えるように無線機自体にアンテナを取り付けた。これで無線機同士で信号を飛ばし合い会話が出来るようになった。
無線機が完成して妖夢の元に届くと妖夢は紫にモールス信号を学んだ。毎日のように白玉楼にやってくる紫に幽々子も嬉しそうだった。
モールス信号は思ったよりも簡単だ。モールス符号という決められた文字コードをキーで叩けば言葉になる。モールス符号の中でも和文モールス符号というものを知っていれば少なくても幻想郷の中で知り合いと遊ぶくらいなら困らない。それに暗記するようなものでもなく、モールス符号が書かれた紙を見ながら信号を打ったり解読すればいいので、すぐに妖夢も覚えることが出来た。
すると今度は親しい仲の美鈴と鈴仙に無線機をすすめた。互いに従者であり何かと仲の良い二人は妖夢のすすめに興味を持った。妖夢から無線機の扱い方を学んだ二人はそれぞれ無線機を持ち帰り、その日から三人は信号を飛ばし合い雑談を楽しむようになった。
※
「さて、まだ起きているかな?」
妖夢はキーを叩きながら美鈴の無線機に呼びかける。
マ・ダ・オ・キ・テ・イ・マ・ス・カ
一文を打つが返事はすぐに来ない。妖夢は繰り返して信号を打った。
ダイヤルを変えることで美鈴の無線機と鈴仙の無線機への信号の受信と送信が出来るようになっている。美鈴の無線機のダイヤル番号は「5」、鈴仙の無線機のダイヤルは「7」であった。三人同時に会話をすることが出来ないので細目にダイヤルを変えないと一人をほったらかしにしてしまいかねないのが、この無線機の欠点であった。
しかし従者仲良し三人組はこの無線機を愛用していた。
何しろ打つのはモールス信号なので誰かにモールス音を聞かれてもすぐに三人の会話を理解することは出来ないからだ。鈴仙の上司である永琳にはモールス音だけで会話の中身がバレてしまう恐れはあるのだが。しかしそれでも三人は無線機で仕事の愚痴を語り合ったり、遊びに行く予定を打ち合わせたり、本当にただのラグチューを楽しんだりと夢中になっていた。
幻想郷の夜空に妖夢が打つモールス信号が飛ぶ。
しかし美鈴の無線機からは何の返事も来ない。どうやら今夜は夜勤のようだ。この前夜勤中に無線に夢中になってしまい仕事をそっちのけにしていたらメイド長に怒られた話で盛り上がったところだ。寒空の下で美鈴は娯楽を忘れて真面目に門番の仕事をしているのだろう。その話は今度聞いてみたい。
妖夢はダイヤルを回して鈴仙の無線機に繋ごうとした。
ダイヤルを回すと同時にヘッドフォンの向こうからモールス信号が聞こえた。
慌てて妖夢は和文モールス符号の用紙を手にとって信号を解読する。
ダ・レ・カ・イ・マ・セ・ン・カ
どうやら鈴仙も仕事を終え無線機に向かっているようだ。
話し相手を見つけて妖夢の顔がほころぶ。すぐに返事を打った。
コ・ン・バ・ン・ハ
キ・ョ・ウ・モ・オ・ハ・ナ・シ・ヲ・シ・マ・シ・ョ・ウ
妖夢の指が動く度にキーが叩かれモールス音が響いた。
打ち終わるとすぐに返事が届いた。
イ・マ・ナ・ニ・ヲ・シ・テ・マ・ス・カ
「あはは。無線をしているんだから仕事が終わったに決まってるじゃない。鈴仙ったらまだ仕事中なのかな?」
一人無線機の前で妖夢は笑うと鈴仙にモールス信号を送る。
ツーツーツーツーツー。妖夢に合わせてモールス音がリズムよく鳴った。
シ・ゴ・ト・ガ・オ・ワ・ッ・タ・ト・コ・ロ・デ・ス
ソ・ッ・チ・モ
シ・ゴ・ト・ガ
オ・ワ・ッ・タ・ト・コ・ロ・デ・ス・カ
妖夢の一文に返信が途切れた。
「あれ?」
ヘッドフォンに耳を傾けるもやはり返事はない。
もしかしたら本当に仕事中に無線をしていたのだろうか。そして永琳に見つかってしまって怒られているのだろうか。妖夢が首を傾げて数分の後に返事が届いた。
ワ・タ・シ・ハ
シ・ロ・ク・ジ・チ・ュ・ウ
ニ・ン・ム・デ・ス
返信に妖夢は噴き出した。そして大笑いをした。
四六時中仕事だなんて、時間を空けてから鈴仙は冗談をかましたもんだ。
主の言うことを一つ一つ聞かねばならない従者には分かる冗談だ。
一しきり笑って妖夢は返信をしようとキーに指をかける。しかし指を動かす前に妖夢は考えた。
どうせならこっちも冗談で返そうと思ったのだ。
少しの間考えたが上手い冗談を思いつかず、妖夢はとりあえず鈴仙の冗談にのることにした。
ヨ・カ・ッ・タ・ラ
オ・タ・ス・ケ・シ・マ・シ・ョ・ウ・カ
キーを打ち終え、妖夢は鈴仙の返事をわくわくして待った。
いったいどんな冗談が続くのか。それが楽しみだ。もしここから仕事の愚痴になっても妖夢の楽しみに変わりはない。いつものように互いに愚痴を語り合い、励まし合うのだから。
返信はまた途切れた。
数分が経っても返事が届かない。
妖夢の顔から笑顔が消える。
どうしたのだろうか。頭の中で想像を膨らませる。
とうとう永琳に見つかってしまったのだろうか。まだ愚痴は話していないので怒られることはないのだが。
さらに数分が経った。
やはり何事か起こったのだろう。妖夢が指に力を入れて「大丈夫?」と打とうとした時だ。
トトトツーツーツートトト
ヘッドフォンの奥から小さくモールス音が聞こえた。
「え?」
妖夢が驚く間もなくそのモールス音は間断なく繰り返される。
慌てて返信を打とうとしても鈴仙は一方的に信号を発した。
返信を打つ前に鈴仙の信号を確認する。
やがてモールス符号の用紙を持つ妖夢の手が震えた。
それはアルファベットの符号だ。
妖夢たちが世間話するくらいには使うことのない符号だが、しかし紫から一つの有名なモールス信号を学んでいた妖夢は背筋が凍るようだった。
S・O・S
つまり救助を求める信号だった。
妖夢の頭が真っ白になった。
いったい鈴仙の身に何が起きたというのだろうか。
しかしさっきまで会話を楽しんでいたではないか。妖夢が無線機に向かってからまだ一時間も経っていないのだ。
鈴仙からの返信を遮るように妖夢は必死にモールス信号を打った。
――たちの悪い冗談はやめてください、と。
するとまた信号が途切れる。
しんと静かになったヘッドフォンに妖夢はあ然として、そして鈴仙に怒りを覚えた。
親しい仲とはいえ、たちの悪い冗談ほど怒りたくものはない。親しき仲にも礼儀ありというではないか。今度あったら注意しよう。
妖夢がそう思った時だった。
先ほどとは比べ物にならない速さでモールス音が妖夢の耳に響く。
まるで心の底から訴えるように。
タスケテ
タスケテ アツイ
タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ アツイ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ アツイ アツイ アツイ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ
「れ、鈴仙!?」
突如果てを知らないように連続して打たれるモールス音、それはどんどん大きくなり強くなっていくように思えた。
固くなる妖夢の指に構わずモールス音はなおも打たれる。
タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ シニタクナイ タスケテ シニタクナイ タスケテ タスケテ タスケテ シニタクナイ シニタクナイ シニタクナイ ハヤクキテ ハヤク ハヤク コッチニ ハヤクキテ ハヤクキテ
妖夢は慌てて返信を打つ。「死にたくない」という一文を聞いて冷静になっていられなかった。震える手で必死にモールス信号を飛ばした。
――何があったの? 説明して!
すると。あの間断なく送られて来たモールス音の嵐がすぅーっと止んだ。
沈黙が妖夢の身を包んだ。妖夢の顔からはすでに血の気が引いていた。
やっぱり何かあったのだ。鈴仙の身に何かが。
すぐにでも鈴仙のところへ駆けつけたかった。
しかし先ほど自分が送った信号の返事を聞いてからの方がいいのではないか。
無線機の前で妖夢は落ち着かない体を必死にじっとさせていた。
「……ちっ」
妖夢の耳に。
小さく男の声で。
舌打ちをした声が聞こえた。
妖夢の体が一つ震えた。
モールス音が聞こえた。
短く。はっきりと。
モ・ウ・イ・イ
コ・ッ・チ・カ・ラ
オ・マ・エ・ノ・ト・コ・ロ・ニ
イ・ク
信号を解読すると妖夢は部屋を飛び出した。
※
「鈴仙!? 鈴仙、無事!? 返事をしてよ鈴仙!?」
数分後。
永遠亭へとたどり着いた妖夢はその玄関の扉を力いっぱいに叩いていた。すでに永遠亭の灯りは落ち、暗くなっていた。
「お願い! 返事をしてよ鈴仙!」
何度も何度も扉を叩くと玄関先の灯りが灯った。妖夢が叩くのを止めると錠が開かれる音がして、やがてゆっくりと扉が開いた。
「こんな時間に何の用かしら?」
顔を覗かせたのは永琳だった。すでに寝巻に着替えていて迷惑そうな顔を隠そうともしない。しかし妖夢は構わず詰め寄るように永琳に話しかける。
「あの! 大変なんです! 私にもよくわからないのですが、とにかく大変なんです!」
必死に話しかける妖夢に永琳はため息を吐いてから視線を移した。
その目が大きくなる。
「こっちに来なさい!」
「え? うわ!?」
永琳に腕を力いっぱい引っ張られて妖夢は永遠亭の中へと引きずり込まれる。
廊下を少し歩いて案内されたのは永琳の診察室だった。
妖夢を乱暴に椅子に座らせると永琳を白衣を身に纏う。
「いったい何があったのか教えてちょうだい!」
「え? いや、あのぉ……」
何が起きたのか理解出来ない妖夢が恐る恐る永琳に話しかける。
「何かが起きたのは私じゃなくて、そのぉ……鈴仙ですけど」
「え?」
永琳がまた目を丸くしていると、診察室の入り口から一人姿を現せた。
「もぅ……なんですか師匠ー。もう夜なのに……ふわぁー」
そこには眠そうな目をした寝間着姿の鈴仙だった。手であくびを隠そうとしている。
そんな鈴仙に妖夢は勢いよく椅子から立ち上がると鈴仙に詰め寄る。
「鈴仙! 無事なの!? なんともない!?」
「ふぇ!? よ、妖夢! どうしたの、こんな夜遅くに?」
「どうしたのって……鈴仙が呼んだのじゃない! 助けてって!」
「え?」
眠気が吹き飛んだ鈴仙は目を丸くして妖夢の顔を見つめる。
「呼んだって、何で?」
「え?」
「私、妖夢のこと呼んでないよ。今日は仕事で疲れたからお風呂入ってすぐに寝たんだけど」
「……無線機、使ってないの?」
「無線? うん、そうだけど? 今日はラグチューする体力残ってなかったから」
きょとんと鈴仙は小首を傾げる。
妖夢の頭が真っ白になった。
意識が遠くなる中で永琳の声が聞こえた。
「あれ? 彼はどこに行ったのかしら? ……酷く全身を焼けただれていたのに。ここまで一緒に来たのでしょう? 妖夢、彼はどこに?」
永琳の言葉に。
妖夢は音を立てて床に倒れ込んだ。
※
誰もいない妖夢の部屋。
無線機だけが残されている。
そのダイヤルは「6」を指していた。
※
後日。
博麗神社にて霊夢によって無線機のお祓いが行われた。
紫に頼んで無線機の過去を調査してもらうと、あの三台の無線機は昔軍隊の通信基地で使われていたことが分かった。
軍内で莫大な機密事項を打っていた無線機だったが、ある日空襲によって無線機を扱っていた通信兵は基地ごと焼夷弾によって焼かれたのだ。この三台の無線機は空襲から奇跡的に免れた物であり、そして未練を残す多くの通信兵たちの霊がとり憑いていたのだ。
霊夢のお祓いで多くの霊は皆成仏した。
しかし。
「妖夢。もう無線機は使わないの? せっかく『おまけ憑き』だったのに」
その日以来、妖夢たち三人は無線機を使うことはなかった。
結局妖夢は彼の姿は見てないのでしょうかね?
トトトツーツーツートトトは、後の解説を見る前に、その信号を見た瞬間、背筋が凍りました。意味がわかっているとゾクってきますね。お見事でした。でも日清ハムは悪くないんです妖夢ちゃん!そして美味しい!
モールス信号のカタカナはズルくないすか旦那!
焼け死にっつーのは特に凄惨な死に方ですよね。
戦争で感覚が麻痺してると、焼夷弾に巻き込まれた人間のことなんて考えられなくなるんだろなあ。
以前からアマチュア無線に興味があったので尚更
ひたすら同じカタカナを繰り返されるとすごい狂気を感じますね。
妖夢の無線に向かうときの楽しそうな顔、そしてだんだんと不審、焦りを通して恐怖にいたる表情が目に見えるようでした。
ゆゆ様や紫様も要所で生き生きしていてすごく魅力的でした。
※わざと混信させ虚偽の情報を流すのは犯罪です
冥界はフルサイズDPでも余裕だろうし良く飛びそうだな……
やはりいわくつきというものは何とも言えぬ恐ろしさがあります
面白い題材です
次回作を楽しみにしてます