Coolier - 新生・東方創想話

邂逅

2015/01/02 05:38:05
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「ハーンさんも飲んでる~?」
「ええ、まあそれなりに」
標準語と違う、ふわふわするようなイントネーションの日本語が私を取り囲んでいた。私の答えに、彼――たぶん先輩の誰かだと思う――は目を丸くした。
「へぇ! 日本語上手やねえ。僕らより上手いんちゃうかなあ」
 標準語はこの街では珍しいらしく、口を開くたびに驚かれる。外見のわりに、外人らしい訛りがないことも助けているのだろう。私にとっては遺憾なことだ。
 日本語を深層学習プログラムで習得してから来日した私は、この街ではどこを歩いていても京都弁(関西弁でひとくくりにしていいものだろうか。私には区別できないけれど)が聞こえてくることに少なからず驚いた。と、同時に、小さな落胆を覚えていた。ある特定の地域のみで独自に変化した言語であるところの方言を、情報化社会に変容してから長いこの時代になっても使い続けることは、その地域の人々の閉鎖的な性質を表しているのではないだろうか。もしかしたらこの落胆は私自身の憧れに起因しているのかもしれない。つまり、科学世紀の最先端を走る国家の首都が世界に対して開かれていないはずがない、という子供っぽい思い込みだ。私はこの閉鎖的な気質が、あまり好きになれずにいた。
入学してもその印象は変わらなかった。グループワークの相手も、教授にも京都出身の人が多い。彼らと話すとき、私の胸中には相変わらず“閉鎖的”の三文字が浮かぶのだった。仮にサークルに所属したとしても、初めは似た思いをするのだろう。そう想像するとどうしても二の足を踏んでしまう。新入生勧誘の時期には、学生でごった返すキャンパスを、人並みをこそこそかき分けてそそくさと退散するのが常だった。でも、この言葉だけは聞き逃せなかったのだ。「世界の揺らぎから、異界を覗いてみませんか!」という言葉だけは。

 しかし、まあ、その選択は失敗だったと、その段階では思っていた。大学そばの歩道の少し広いところ(他のサークルと思しき集団がたくさんあって、目当てのサークルを探し当てるのに苦労した。もっとオリジナリティのある場所で集合すれば良いと思う)に待ち合わせをして、連れてこられたのがこの安居酒屋だった。
 店内に入ってすぐに私の後悔は確信に変わった。。アングラ感を醸し出す勧誘にほいほい乗せられた自分にも怒りがあったと思う。なにしろ、他の一般的なサークルと何が違うのか、というくらいの普通の宴会だった。一杯目のなんだか分からない、全員同じ種類を勝手に注文された甘いアルコール飲料を空にする頃には、私は冒頭のような会話を片手で数えられないくらいすることになって、慣れないお酒の席に散々うんざりさせられていた。そんなときだったからか、遠くの席での言葉が、メンソレータムのようにすっと飛び込んできた。
「アルコールはもういいので、異界の話を早く聞かせてもらえませんか」
「宇佐見さんってあれなの、結構まじめなんだね……」
 それは私と同じ標準語で、遊びの少ない綺麗な黒髪の少女だった。真っ黒な瞳で先輩と思しき男性を見上げ……ほとんど睨みつけていた。その瞳は、「わかったわかった、説明会もちょっと早めるように言ってくるから」と先輩に言わせてようやく少し和らいだようだった。

 正面では、眼鏡を掛けた細身の男性が拡張現実スクリーンにスライドを表示して話し続けている。「――さっき説明した通り空間の歪みはいくつかの空間上のパラメータ……磁場に電場、気圧、……それからまだ実証されていないけど魔力や妖力といったものの線形和によって表されることが経験的に分かってるんで、まあある程度のデータがあれば予測することも不可能ではないと、考えられてるわけです。あ、配った資料の次のページから何ページかに今夜と明日の磁場、電場、まあその他観測可能なパラメータの予報データが載ってるのでよかったら使ってみてください」
 言われて、一応ページを捲る。宇佐見さんや私が手渡された、発表スライドの写しは軽く数えただけでも30ページほどあって、私をげんなりさせていた。開いたページには表と図と、それから何やら分からない式が書き連ねられている。文系の私には苦すぎる計算だった。そんな私を見ていたのかは知らないが、壇上の男は続けて言った。
「誤解のないように言っておくと、それは手計算するための資料ではないです! コンピューターに計算させるためのデータです! 手計算じゃ絶対に終わらないです。理系の人は分かると思うけど、魔力や妖力の予測値は経験的に導かれたもので誤差が山ほど出るので、実際コンピューターで計算した地点に言っても何か変なことが起こることなんてそうそうないですね。なので我々は……」
 そこから先は付いていくことを諦めて、紙束を閉じた。一生懸命説明してくれている先輩には申し訳ないと思いながらも、半分ほど残っていたお酒に手を伸ばす。

 グラスを傾けながら横目でちらと例の女の子を確かめた。彼女はまだ真剣な顔つきでスライドの紙束を睨みつけていた。

 店の外に出ると、時計を見ていなかったけど思ったより時間が経っていたんだろう、ひんやりとした空気が体を包んだ。酔って火照った身体にはちょうどよく、ずっと窮屈に座っていたところからの解放感も手伝って、私は大きく伸びをした。横に細くなる視界には夜空が広がる。ちりり、と脳がくすぐったいような感覚がした。またか、と思う。雲一つなかった夜空を遮って、ぴしり、ぴしりと空中にヒビが入っていく。まるで――私には比喩を必要としない、見慣れた光景なのだが――そう、まるで湖面に薄く張った氷が圧力で割れるときのようだといえば、健常者には分かりやすいだろうか。とにかくそのようにして、空間にできた裂け目は広がっていった。裂け目からは夜の闇より暗いもやが滲み出して、裂け目自体を覆う。私の目がその暗さに慣れると、向こうに何かうごめくものが見えた。それがこちらに視線を向けた気がして、私は慌てて顔を逸らした。

 あれは、眼なのだと思う。異界からこちらの世界を覗き込む瞳。それはこの世界の何かを探している。あるいは、物ではなく誰かを。だからあれと目を合わせてはいけない、私があれを見ることができることに気付かれてはいけないのだと、私は物心ついたときにはそう直感していた。
「ながーい欠伸やったねえ。だいぶ酔ってはる?」
「いえ。そんなに飲んでいないし、全然。大丈夫です」
 そんな私の様子は、周りからはただの長い欠伸だと思われていたようだった。どこでもそうで、人と違う、ということはどうあがいても目立ってしまう。それは良い結果に繋がることもあれば、もちろん悪い結果を招くこともある。心の中で胸をなでおろした。

 私が参加していたのと同じ新入生歓迎コンパというものが、今夜はあちこちで催されているらしい。メインの通りは若い酔客でごった返していた。私が言えたことでもないけど、自制が効かない酔っ払いほど目障りな生物もいないと思う。ぷあぁ、とあちらこちらからクラクションの音が聞こえてくる。歩道に入りきらなくなった人たちが、車道にまで溢れて交通を阻害しているのだろう。飲み過ぎた学生がいるのか、遠くからは救急車のサイレンも近づいている。(おそらく)同期になる人たちの醜態に思いをはせるのに嫌気がさして、私は出て来たばかりの裏道へ踵を返した。

 オカルトサークルの一団もすでに他のお店に向かってしまったようで、裏通りには人の姿はなかった。もしかしたら今後しばらくの付き合いになるかもしれない彼らの醜態を見ずに済んで、少しだけ安心した。京都の道は縦横に延びている。薄暗い景色でも、方角さえ意識していれば迷うことはない。私は下宿のある方向に歩いていく。

 夜道は人の神経を昂らせる。風で動いただけのビラや、物陰の看板でさえ意思を持った何者かに見えて、つい注目してしまう。枯れ尾花だけでなく、ときには本当のものも。見通す道の先がゆらりと揺れたような気がした。空間の裂け目が出来る兆しではないか、と想像して、私は急いで道を折れた。こんな時間に、一人であんなものに向かっていく勇気はない。

 京都に来てすぐに、この街には異常に裂け目が多いことに気付いていた。ただでさえ多いそれが夜はもっと増えることは、今夜初めて知った。向かう先にゆらぎや……時には裂け目に成長した物も見つけては、避けて遠回りしようと横道に入り、そこでも裂け目に阻まれる。何度も右折左折を繰り返して逃げ回っていくうちに、私はすっかり迷っていた。しかも出会う裂け目は、新しくなるにしたがってどんどん大きくなっていく。人ごみに揉まれてでも大人しくメインストリートを歩けばよかったという後悔が今さらのように去来する。今からでも戻るべきか。正面に揺れる人魂が現れたのは、ついに諦めて地図アプリを起動しようとしたところだった。

 手に持った何かを照らしながら歩いて行く少女の後に、私はしばらくついて歩いていた。人魂に見えたのは彼女が照らすのに使っていたランタンだった。ついて歩いていたというのは、彼女がどうも、亀裂のある方、ある方へとふらふら進んでいくように感じたからだ。私と同じように見えているのか、それともただの偶然なのか。やっぱり酔っていたからだろう。それを確かめずにいられなかったのだ。空間の亀裂を無視して歩き続ける彼女の背中を折っていると、なんだか安心して……たぶん、自分より危機意識の低い人を見ているからだろう。自分も後をついて亀裂のそばを通り抜けることができた。さっき通った道も、通らなかった道も歩き続けて、いつの間にか私たちは、一つの路地裏に入り込んでいた。
「……あっ」
 思わず悲鳴を漏らした私を、どうか責めないで欲しい。それだけ恐ろしい光景が広がっていたのだから。つまり、その夜一番大きな亀裂がそこにあって、亀裂からたくさんの瞳がその女の子を睨みつけていた、ということだ。
「何、誰!?」
 懐中電灯の光に照らされた、振り返った女の子の顔に私は見覚えがあった。見た顔だった、さっきの居酒屋で。
「宇佐見さん、だっけ」
「……ずっとつけてたんですか」
 恐怖や驚愕より、その表情には敵意が濃い。それは私には不思議だった。
「いえ、その。偶然見かけたから」
「偶然見かけただけの人について、こんなところまで来るんですか」
 私を鋭い目で睨みつける。目の前の巨大な亀裂を、宇佐見さんはまるで目に入らないかのように振る舞う。まるで――真相に思い当たって、私は思わず、状況を忘れて笑ってしまった。
「え、なに」
「だって、信じられなくて。こんな人がいるなんて」
「……どういうこと?」
 怒らせてしまっただろうか。女の子が手に持っていた紙束がくしゃりと歪んだ。そう、紙束が。
「それ、さっきのオカルトサークルでもらったものでしょう? あなたは、それを読んでここに辿り着いた。違う?」
「そうだけど」
 当然のように返される。私と同じ物が見えていないのなら、私には見えない物を見ているんだろう。それがたぶん、おそらく、あの方程式だ。信じがたいことだけど。
「解いたのね」
「表の数値を代入してちょっと暗算したら、今夜大きな波が来るように思えたから。あとは歩きながら計算して結果を修正して。でも外れだったみたい。残念だけど何もなかった」
 ――天才じゃ、ないか。唖然とする私をよそにかぶりをふる。私に振り返ったままの女の子は、背後の亀裂がどんどん大きくなっているのに気づいていない。いや直視していても気付けるかどうか。私はこんな風に、裂け目の向こうの眼がにたにたと笑うような目つきになったことを見たことはない。ここにいては、いけない。なんだか分からないけどそういう確信があって、私は一歩足を踏み出した。じゃりと、舗装されていない道で小石が転がる音がした。
 滑稽と言えば滑稽だった。あの恐ろしい亀裂を目の当たりにしながら、逃げもせずにむしろ近寄っていっているのだから。でも、この人は失ってはいけないという確信は、幼少期の直感を押しのけるほど大きかった。
 私は宇佐見さんの手を取った。強く引いた拍子に紙束が落ちるばさばさという音。ぁ、と小さく漏れる声。とにかく私は走った。後ろからはもう一つの足音が私と同じペースで追いかけてきた。すぐに手を引く力は必要なくなった。

 どこをどう走ったのか、私たちはメインストリートに戻ってきていた。膝に置いた手を杖にして、はあ、はあ、と荒い息をつく。酔客たちが不審そうに覗き込んでくるのを、私は努めて気にしないようにした。どうせ説明しても理解されるまい。私たちが何に出会ったか、なんて。
 どうしているのかと宇佐見さんの方を見ると、彼女は思ったよりにこやかに私を見つめていた。説明してくれるよね、と彼女が笑う。観念して、口を開く。
「私はね――」
書き終わってから気付いたんですが、宇佐見さんと呼ぶときには眼鏡が似合うように思います
うたかた
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コメント



0.100簡易評価
1.70名前が無い程度の能力削除
もう少し読みたかったです
2.90名前が無い程度の能力削除
京都弁を使う人々が登場するというのが個人的には新鮮でリアルで良かったです
二人の今後を予想させる終わり方も面白かったです
3.90奇声を発する程度の能力削除
引き込まれる様な感じが良かったです
4.80名前が無い程度の能力削除
はっきりとしたオチもなく主題の通り邂逅だけを書いた作品
進展も起伏も少ないのにも関わらず、何故か非常に魅力的であっという間に読み終わってしまいました
これは情景描写と心理描写がしっかりとしてるからなのでしょうが、続きを読みたいようなこれで終わりで良いような…
5.90名前が無い程度の能力削除
 既存のサークルにうんざりして、自分達だけで結成したという流れは説得力がありますね。
 楽しませて頂きました。
6.90とーなす削除
秘封の結成秘話的なお話は数多くあれど、このお話もそれらに劣らず素敵でした。
短くサックリしているけれど、この後の次第に絆を深めていくであろう二人が想像できる終わり方が好き。