クリスマスの翌日。
博麗神社で宴会が開かれ、多くの妖怪たちが集まり酒を酌み交わしていた。
何故クリスマスの日に宴会をしないのかは、クリスマスの日はそれぞれ仲の良い相手、中には恋仲の相手と二人で静かに過ごしたいと誰もが思っていたからだ。
新しい年がそこまで来ていた。今年一年を振り返り、もうすぐやって来る新年に期待しながら楽しい酒を呑んでいた。
ところが宴会の一隅、楽しい酒の席なのに少しばかり空気が張り詰めた席があった。
命蓮寺の面々が集まっている席だった。
「姐さん、お酒お注ぎします」
「もう一輪、飲み過ぎよ」
「あはは。今日ぐらいいいじゃないですか」
一輪が顔を赤らめて聖にお酒をすすめる。聖もまんざらではなくて盃を一輪に伸ばした。
「ナズーリン殿はなかなかいける口なんじゃな」
「まぁね。こうみえてもお酒には強いつもりだよ」
マミゾウもナズーリン相手に酒を酌み交わす。
なんともないお酒の席のようにみえるが、しかし一輪も聖も酒を口に運びながら時折視線を二人へと向けた。その目の裏には不安が覗かせている。
「…………」
「…………」
一輪たちの傍で寅丸星と村紗水蜜は黙ったまま向き合って酒を呑んでいた。宴会が始まってまだ一時間も経っていないが二人は言葉を交わしていない。目を伏せて盃を口に運んでいた。
聖たちはハラハラとして二人の様子を横目に見守っていた。
星と村紗は仲が悪いわけではない。しかし『ある事』を話題にした時、二人はライバル関係になる。周りを気にせず真剣な表情で議論を交わすのだ。楽しい宴会の席なのに言い合いっこされてはたまらない。聖たちはその『ある事』が話題になったら全力で止めに入ろうと互いに頷き合っていた。
「星」
「うん?」
村紗が手を伸ばして星に酒を注ごうとする。星は黙って盃を傾ける。聖たちの間に緊張が走った。
「今年も終わろうとしていますね」
「そうですね。来年も私は聖のために尽くそうと思っていますよ、村紗」
「それは私も同じです」
にっこりと笑って言葉と酒を酌み交わす二人。聖たちはほっと胸をなで下ろした。さすがに年末の宴会の席でキャンキャン口喧嘩のような言い合いはないだろう。互いに今日はゆっくりとお酒が呑めると緊張が和らごうとしていた。
しかし。向こうからやって来る一人の姿を見て、聖たちの表情が凍った。
鈴仙・優曇華院・イナバである。
星と村紗を見つけたというように、盃を片手に赤ら顔で笑みを浮かべてこっちにやって来る。
再び聖たちに緊張が走る。鈴仙もまた『ある事』では星たちとライバル関係にある。絶対に『ある事』を口にするだろう。そうして星や村紗と一緒にかしましい言い合いをするだろう。
なんとかして鈴仙を追い払う術はないか。聖たちは視線を交わして作戦会議を開こうとしていた。
しかしそれよりも早く鈴仙は駆けだすと星と村紗の間に飛び込むように座り込んだ。
万事休す。
聖たちはもはや諦めた。南無三。
「こんばんは、お二人さん。今年ももう終わりますね……ところでシーズンが終わって、阪神と広島の補強はどうかしら? 来年こそはリーグ優勝できるといいわねぇ」
赤ら顔で得意げに話しかける鈴仙に星も村紗もピクッと体の動きが止まった。そうして険しい顔をして鈴仙を睨み付ける。
「……いや、来年こそタイガースが優勝しますよ!」
「違いますね。来年はカープこそが悲願の優勝をしますよ!」
星と村紗の言葉に鈴仙は「ふふん!」と得意げに返して、聖たちは「他の席に混ぜてもらおうか」と腰を上げた。こうなってしまっては例え聖ですら止めることはできない。あとは三人で勝手にしてちょうだい、と聖たちは神子たちの席へとそそくさ移動する。
三人の間で話題になる『ある事』、それは外界で人気の『プロ野球』というものだった。
※
幻想郷にプロ野球を流行させたのは紫だった。
妖怪の賢者とはいえ幻想郷で暮らすにはやはりお金がいる。もっと収入源を得られるにはどうしたらいいのか。紫が考えたのはスキマを使って外界からプロ野球の情報を得て、それを鴉天狗に売ることだった。しかし試合経過や結果の情報ばかりでは幻想郷の住人たちの関心は得られない。そこで紫はテレビとテレビレコーダーというものを幻想郷に持ち込んだのだ。試合中継をDVDなるものに焼き付け、一日遅れで録画を幻想郷中に設置したテレビに流す。一日遅れの中継が終わる頃には紫の情報をもとに鴉天狗が詳細な記事を配るのだ。
果たして幻想郷の住人は、焼き付け作業、幻想郷中のテレビにDVDをセットする九尾の式の仕事をまだかまだかと待ち焦がれるようになった。今では多くの人間や妖怪たちが投手が打者を封じ込める姿に、打者が大きな放物線を描いてボールをスタンドに弾き飛ばす姿に、野手がファインプレーでボールをグラブに収める姿に一喜一憂するようになった。
トレードや選手の怪我情報はリアルタイムで鴉天狗に売りつけた。速報の記事を人々は喉から手が出るように欲しがり、文々。スポーツ新聞はその日のうちに全部なくなるほどだ。紫の商売方法は大成功を迎えたのだった。
※
「まぁ、来年も巨人が優勝するのは間違いないわね。セリーグで先発陣がそろっているのはうちだけだし」
得意げに胸を張る鈴仙は紫のテレビ商法によって今では大の巨人ファンである。理由? マスコット。そんな彼女だが北の大地の背番号41が引退した時はてゐと一緒に泣いたとか。泣いちゃったとか。号泣したとか。理由? 名前。
「クライマックスシリーズではうちに完敗しませんでしたか? あれ? おかしいですね」
「うっ!?」
鈴仙の胸をえぐる言葉を火の玉ストレートで投げかけたのは星。もちろん言うまでもなく阪神ファンである。巨人と阪神は永遠のライバル関係。幻想郷内でもテレビの影響を受けてか、巨人ファンと阪神ファンは対戦するたびに火花を散らせた。
「本当に金満球団は優勝のためなら何でもするのですね。オオタケ選手を返せ!」
横から村紗が星と一緒になって鈴仙を口撃する。村紗は広島ファンである。何故彼女が広島ファンなのか、おそらくテレビを観ているうちになんとなくファンになってしまったのだろう。そんなもんだろう。村紗って広島のユニフォーム似合いそう。
さて村紗は星とライバル関係にあるのだが、それ以上に鈴仙とは火花を散らすことが多い。といっても村紗から一方的にだが。原因は『FA オオタケ選手』でご理解いただけるだろう。
先ほどから口撃されてばかりの鈴仙、もちろん黙っているわけはない。すぐさま反撃に出る。
「うるさいわね! だったら広島だってFAで獲ればいいじゃない! 獲れればだけど」
「うぐっ!」
「それに代わりにイチオカあげたじゃない! むしろ感謝してよ……あーあ、いい投手だったのに」
「それについては頭が上がりません!」
頭を深々と下げる村紗。どうもFAの話は広島ファンの村紗にとって言いくるめられてしまうようだ。村紗が怯んだところで今度は星が村紗に話しかける。
「ところで村紗。アライさんを返したのでアカマツ選手を返してほしいのですが」
「お断りいたします」
頭を上げてニッコリ笑う村紗。
「いいじゃないですか! ギブ・アンド・テイクですよ!」
「星さん、それ多分意味が違うと思う。というよりトリタニが出て行ったらショートがいないのよねぇ。あー、うちにはサカモトがいてよかったわぁ」
「うぅ……こうなればヤマト選手をショートにコンバートしてセンターをアカマツ選手に」
「だからやらないですって! 若手を育てればいいじゃないですか」
「あぅ……ふ、不安が」
「メジャー帰りばかり取るからですよ」
だぁーと滝のように涙を流す星。どうやら中々補強がうまく行っていない様子。と三人でわいわいやっていると他の野球ファンの連中もぞろぞろと集まってくる。
「来年も中日はBクラスのような気がします……」
「あはは、大丈夫だって。ま、来年こそ横浜がAクラスだけどな!」
肩を落としてため息を吐く中日ファンの衣玖を横浜ファンの魔理沙が肩を叩いて慰めになっていない言葉をかけてあげる。やっさしぃー。
「来年こそは優勝を目指して応援するつもりだ」
「パリーグは毎年優勝チームが読めないからねぇ。あたいのところも負けるつもりはないけど」
その隣でパリーグ組、慧音と燐が肩を並べて来年の順位の予想をしていた。
慧音はオリックスファンだ。元々大阪近鉄ファンだったがオリックスとの吸収合併によって消滅した際はやるせない思いを堪えきれず、輝夜と妹紅の弾幕勝負に乱入して二人をボコボコにいてまえしたほどである。
燐は西武ファン。このところ優勝争いから遠ざかって少しばかり寂しい思いをしている。中継ぎ投手が灼熱地獄よりも炎上するのだからしょうがない。
プロ野球を愛する連中が集まりわいわい話し合っていると、皆の話題は来年の先発投手陣の話になった。無論、話をふったのは鈴仙であった。
「で? 皆のところの先発陣はどうなのかしら?」
巨人に対抗できるくらい先発陣がそろっているのは福岡のチームぐらいなので、この手の話は得意げになれるのだろう。やっぱお金って大事。
「先発陣は番長とイノウくらいだが、それでもマシンガン打線が打ち勝てばいけるぜ!」
この数年、横浜は少しずつ力をつけており、万年最下位の称号を返上した。特に打撃陣が向上し補強の方も進めている為そろそろAクラスの期待がかかる。魔理沙の来年への意気込みは強い。
「先発陣ですか? ……え? 先発陣ですか?」
それに比べてどんよりと冴えないのは衣玖。かつての常勝軍団のイメージはどこへやら、この二年でBクラスに転落している。前の監督が選手と揉めたりコーチと揉めたり、打撃陣はベテランに代わる若手がイマイチ、投手陣もオオノ選手とヤマイ選手が二桁勝利を挙げたが他の先発陣は崩壊してしまっていた。中継ぎ陣については二人の新人が大活躍をみせて、ファンに期待を持たしたが、困ったことに二番手捕手の問題もある。あれ? ヤバくね?
「あたいのところは先発陣よりも中継ぎ陣が問題なんだよねぇ」
と燐。うん、知ってます。皆が頷く。
「私のところは何と言ってもチィちゃんが残留してくれただけでも助かったよ」
「ちっ、欲しかったのに」
「巨人に行くぐらいならメジャーに行ってくれた方がまだよかったよ」
バチバチと鈴仙と火花を散らす慧音。鴉天狗の新聞がカネコチヒロ選手のFAで巨人入り濃厚と発表したとき、落ち着かずとりあえず妹紅と輝夜を相手にいてまえして心の平衡を保つ日々が続いていたが先日チームに残留するとの知らせに胸をなで下ろした。ちなみにカネコ選手のことをチィちゃんと読んでいる慧音だが、妹紅にはすごく引かれている。ないわー、慧音ったらそんなキャラちゃうわー。でも口に出したらいてまえされるから黙っている妹紅であった。来年度に向けてちゃくちゃくと補強をしているオリックス、優勝も夢ではない。
「今年のメンバーが来年も活躍できたらいいのですが……」
阪神もまたカネコ選手の獲得を狙っていたと報じられていた。ローテを任せられる投手が四人はいるものの五人目以降が誰もいない状態。誰か一人でも怪我で離脱してしまうと大幅な戦力ダウンだ。即戦力の先発投手があと一人は欲しいところだ。それからトリタニ選手流出となると即戦力のショートも。外野陣も中々若手が出て来てくれない。リリーフ陣もベテラン陣の高齢化が気になる。あれ? こちらさんもヤバイ?
「ふふふ。鈴仙さん、得意気になれるのはそこまでですよ。来年こそは広島が投手王国になるのですから!」
一喜一憂する面々を前に村紗は腕を組んで胸を張った。村紗の強い自信に面々の視線が集中する。
「なんと言ってもセリーグを代表するマエケン選手! そして新人王のオオセラ選手! そこにノムラ選手! 中継ぎ陣は今年は怪我で入れ代わり立ち代わりとなってしまいましたが、怪我さえなければ安定していると思います!」
「確かに安定しているかなとは思うけど、先発ローテ確定なのは三人だけなの?」
「いえ、そんなことはありません。広島は若手育成に評判がありますからね。来年こそは若鯉たちが活躍しますよ」
「でも若手って結果を出すまでは未知数じゃない。ばりんとんが抜けてその穴を埋められるの?」
鈴仙が両肩をすくめて「はん」と鼻で笑った。若手に期待できるのならどのチームにも言えることなのだが。しかし村紗は立ち上がると「大丈夫です!」と大声で宣言した。
「今年こそクロダ選手が帰って来ますから!」
「…………」
「………………」
「…………………」
一座、沈黙。
先ほどまでの賑やかな議論が嘘のよう。冷たくなった魚のような目で村紗を見つめる。
「いや。村紗、そういうのいいですから」
「なんか星に言われるとすっごく腹が立つのですけど!?」
「お師匠様にお薬、作ってもらう?」
「どうしてそうなるのですか!? さっきまで得意げな表情していたのに、何で今哀れむような目をするのですか!?」
「だって、それ去年の暮れの時も言っていなかったっけ?」
鈴仙の指摘に「うぐっ!?」と胸がドキリとする村紗。皆はため息を吐いて「やれやれ」と視線を交わす。
※
クロダ選手とはかつて広島のエースだった投手のことである。かつて万年Bクラスと言われた広島、打撃陣の援護も望めないチーム状況にも関わらず完投するクロダはまさに広島にとって大きな存在であった。
八年前、クロダ選手は大リーグへと旅立ってしまった。自らの力を験したいという気持ちからだった。
チームもファンも静かに見送った。仕方がない、今まで打撃陣、中継ぎ陣の援護力の無さにクロダ選手は何度得ていたはずの白星を逃しただろうか。
しかしファンはいつか必ずクロダ選手が広島に戻ってくるのを信じていた。
万年Bクラスだが、いつかは優勝をする。クロダ選手と優勝したいと願っていた。
大リーグにてクロダ選手は有名メジャー球団で先発ローテーションを守り、五年連続で二桁勝利を挙げるなど大活躍をみせた。
一方、広島は昨年Bクラスを脱出。その勢いのまま今年は優勝争いをするなど力をつけてきた。
ファンは「今こそ!」とクロダ選手の復帰が期待している。
※
が、現実は中々そうはいかないものだ。
鈴仙が村紗に話しかける。
「そう言えば今年もクロダって二桁勝利で、先発ローテーションを唯一守ったんだっけ? 帰って来るならもっと衰えてからじゃない?」
「え?」
「そうですね。でもたしか結構なお歳だったような……村紗さん、クロダ選手は幾つでしょうか?」
「……来年で四〇」
衣玖に返事をしていると今度は魔理沙が思案顔で口にした。
「真面目に答えるとしよう。正直広島に帰ってこないと思うな。力の限り現役生活を続けたら、もう広島に帰って投げる前に向こうで引退するんじゃないのか?」
「そ、それは……で、でもわかりませんよ」
「クロダ選手は大阪出身。阪神に帰ってきませんかね」
「それはない」
星がさらりと妄言を放つが村紗にバッサリ切って捨てられた。先ほどのお返しである。
さて皆に好き勝手言われているわけだが、日本人選手がたいてい衰えてから日本球界に復帰するのに対して確かにクロダ選手はまだメジャーで先発ローテを守れるほどの投手。広島復帰はまだ早いようにも思えるし、大リーグで燃え尽きて引退してしまう可能性だってある。こればかりでは広島復帰の可能性もあると思えるが、しかしクロダ選手は帰ってこないだろう、誰もがそう思う原因があるのだ。
「クロダが復帰したらさぁ、お金どうするの?」
燐が訊ねる。はい、来ました。その原因。
お金である。マネーである。世の中の銭である。
これには村紗も現実に戻らざるを得ない。もっとも事実を直視するとファンの期待など粉々に砕けるのだが。
「確か年俸何十億とか言っていたけど、広島にそんなお金あるの?」
「…………ありません」
今でこそ汚名は返上したが、かつて広島カープと言えば貧乏球団の代名詞だった。某自動車メーカーが球団の親会社であるが、広島の市民球団とあって中々お金を贅沢に使うことができない。その為FA宣言した選手を獲ったことはなく、否、獲ろうとしても他球団よりも条件が低くなるので広島に入団しようとする選手などいなかった。さらに広島の選手がFA宣言したら残留を認めないので、「広島で育った選手はFAで阪神や巨人、メジャーに移籍する」と言われるくらいだ。
「というわけでクロダの復帰はないわ。もし復帰したらカープのユニフォームで一日過ごしてあげてもいいわよ」
「それなら私は一週間過ごしてやるぜ」
「あ、私もそうしようかしら」
鈴仙と魔理沙が顔を見合わせて高笑いをする。
そんな二人を見て村紗の肩がプルプル震える。わかっているのだ。とてもメジャー並みのお金を出せないということは。でも、もう一度カープのユニフォームを着たクロダ選手を見たいのだ。一緒に優勝したいのだ。目頭が熱くなってきた。
空気を読んだ衣玖がどう声をかけようと思っていると、村紗の肩を慧音がポンと叩いた。
村紗が顔を見上げると慧音はニッコリ笑った。さすがは人里で寺子屋の教師をしているだけのことはある。からかい過ぎはいけません。そう思っているのだ。
「クロダ選手が帰ってきたら、私は一週間スラィリーのコスプレをしよう」
「けいねさんのばかぁぁあああっ!!」
思ってなかったね。うん、今は教師でなくて一野球ファンだもん。村紗をいてまえしちゃってもしょうがないね。
とうとう泣き出した村紗は宴会会場の中を走り出す。
そんな村紗を見て神子たちと呑んでいた一輪はぼそりと呟いた。
「……野球よりフィギュア・スケートだろ」
※
「あははは、でさー……ん? あれはぬえの連れじゃないか?」
「え? あ、ほんとだ」
楽しく酒を呑んでいたぬえ。そこへ村紗が「ぬぇえええ!」と泣きながら走ってくる。その顔を見てぬえは「うん、めんどくさいな」と確信した。
毎年の事である。こうして年末になると鈴仙や星に言い負かされてべそをかくのだ。そしていつもぬえに泣きついていた。
当初、妙蓮寺の面々と馴染めなかったぬえに声をかけたのは村紗だった。気さくな性格で明るく話しかけてくれる村紗とぬえは親しい仲になり、村紗を通して命蓮寺の面々と親しくなることができた。それを思うと村紗を慰めてあげるのもたまには悪くないと思う。
ただ、めんどくさい。
村紗がぬえの胸元に飛び込んできた。
「ぬぇえええ! 聞いてよ、聞いてくださいよ!」
「はいはい、聞いてあげるから『ぬぇえええ』って呼ばないで。私が鳴いているように聞こえるじゃん」
「あの、あのですね、あのあの、クロダ選手――」
「はい、もういいよ。話はわかった」
「まだ何も言っていませんけど!?」
はぁ、とため息を吐いて村紗の顔をじっと見つめる。去年とまったく同じじゃねーかと。ぬえは村紗に問う。
「どうせまた年俸払えないから復帰はないとか言われたんでしょ?」
「ぎくっ!」
「自分で『ぎくっ』て言うなよ……ほらほら落ち着いて。まぁ、歳だからさ。そろそろ戻って来るんじゃない?」
「ほ、本当っ!?」
パァーッと明るくなる村紗の顔。とりあえず慰めようと適当な言葉をかけたのだが、あれか? 広島ファンで感情の起伏が激しいのか? ぬえは小首を傾げながら村紗に話しかける。
「そういうことだから年俸下がってきているんじゃないの。今幾らもらっているの? そのクロダって」
「……約十九億円」
「じゅっ、十九億円ってすごいな。で、広島は幾らくらい出せるの?」
「三億くらいかな」
「うん、復帰しないね」
ついポロリと禁句が口から出てしまう。時すでに遅し。村紗は再び泣き顔で走り出した。やっぱり広島ファンって感情の起伏が激しいんじゃね? とぬえが思っている後ろで「くくく」と低く笑い声が聞こえてきた。
「まったくぬえの連れは面白いな」
「いや、面倒くさいだけだよ」
「ところでそのクロダって奴が広島に帰るとすごいのか?」
「うーん、まぁ。少なくても村紗もあそこにいる野球ファンの連中は驚愕すると思うよ」
「へぇー」
近頃ぬえと仲良くなった彼女は面白そうに笑みを浮かべた。その視線は再び鈴仙たちに突撃をした涙目の村紗に注がれている。
彼女――鬼人正邪はゆっくりと右手を伸ばすと、掌を回そうとした。
※
翌日の早朝の事である。
まだ朝日の光がみえない時間。
幻想郷の各地に文々。スポーツ新聞が配られた。家という家、妖怪の住処という住処に。
幻想郷の住人たちはこんな早い時間に鴉天狗の新聞が届くことに首を傾げて、記事を読んだ。
プロ野球ファンの住人は声にならない声を上げたことだろう。
永遠亭で鈴仙は新聞の一面に釘付けになったまま、かれこれ三十分固まったままだ。
「……なによ、これ」
そして命蓮寺でも。
星は静かに隅々まで記事を丹念に読み、「ふぅ」と一つ息を吐いて目を閉じながら新聞を畳んだ。実に落ち着き払った冷静な姿である。そしてゆっくりと目を開ける。
「そうですか。阪神入りなのですね」
超絶な現実拒否でした。にっこりと笑う顔が白目剥いてて怖い。
その後ろで村紗は新聞を広げたまま目を見開いていた。書かれている記事が頭に入ってこない。大きな見出しだけを捕えることができた。まだ受け入れられない。
ずっと期待していた。ずっと夢物語だと言われた、馬鹿にされた。どこかで帰ってこないんじゃないか、そんな弱気になる自分がいた。
でも、今なら言える。
それでもずっと、信じていたって。
文々。スポーツ新聞
『クロダ 広島カープに復帰へ!』
大リーグでFA宣言をしていたクロダ ヒロキ投手(39)が古巣である広島東洋カープに復帰することが明らかになった。
すでに大型契約を提示していたメジャー球団には断りの連絡をしているという。
年俸は今年約19億円から大幅減の4億円(推定)。
8年ぶりの広島復帰である――
※
「ちえっ、なんだ。こうなるってこと知っていたのかよ」
「えぇ、そうよ」
紅魔館にて。
広い客間にて正邪は咲夜が淹れる紅茶を口にした。向かい合ってこの館の主が肩肘をついて笑みを浮かべる。
レミリア・スカーレット。
運命を操り、そして視ることができる吸血鬼。
昨晩の宴会の席で正邪は鈴仙たちの言葉を『ひっくり返そう』としていたのだが、レミリアによって止められたのだ。
陽が昇り幻想郷では各地で大騒ぎだそうだ。それを咲夜から聞いたレミリアは満足そうに頷いたところへ正邪がやってきたのである。
「だってせっかく面白くなりそうなのに。『ひっくり返されたら』たまらないわ」
「それでも先に言えよ。いきなり弾幕仕掛けてきやがって。ま、人里の野球好きの連中は大騒ぎだそうだ。あの兎も毘沙門天の代理も、今ごろ泡吹いてるだろうね」
「そうね。その顔を思い浮かべるだけでいい暇つぶしになったわ」
「ところで」
正邪が身を乗り出してレミリアに訊ねる。
「まさかお前、運命を操ったとでもいうのか?」
その言葉にレミリアの顔が一瞬真顔になったが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。
「そんなことするわけないじゃない。私は何もしていないわ。最初から運命は決まっていたの。大方の予想を覆す運命が。面白いじゃない」
「確かにな」
くっくっくっと満足げに笑うと正邪はゆっくりと立ち上がった。
「もう行くの?」
「大騒ぎしている連中を眺めに行くよ。じゃあな……あ、そうそう。お前中々強いな」
そう言い残して正邪はベランダから外へ飛び出してしまう。
「行ったかしら?」
「ええ、行かれましたわ。お嬢様」
「そう……」
静かに紅茶茶碗を口へ運ぶ。部屋の中は静かでレミリアが紅茶を啜る音しかしない。やがて空になった紅茶茶碗がカチリと高い音を立てて皿に着地した。
「咲夜! すぐに八雲紫を通してクロダのユニフォームの予約を! あの紫に私が頭を下げる覚悟はあるからクロダのユニフォームをこの紅魔館全員分予約しなさい!」
「かしこまりました」
「来年こそは優勝、優勝よ!」
わくわくと来シーズンに胸を躍らせるレミリアお嬢様。実は広島ファンだったのでした。理由? 紅いから。
「ああ、ちょっと! ほんの少しちょーっと運命を『視た』のよ! 本当はこんなことしたくなかったのだけど、ちょーっと気になって視てみたら、まさか復帰だなんて! ああ! もう興奮して一週間もマエケンダンスをしっぱなしだったわ! 堪えるのでやっとだったわ。クロダは本当に男気溢れる選手ね!」
「ええ。妹様がそんなお嬢様を見て『セレッソがJ2に降格して妹が落ち込んでいるのに、コイツは』って怖い顔をしていましたけど」
「早く! 早くシーズンが開幕すればいいのに!」
「そうそう。妹様が『私がアイツにとってかわって当主になってやる』っておっしゃってましたよ。紅魔館のシーズンは終わろうとしているのですけど」
「え? 投手? さすがは我が妹。広島に入団して先発ローテーションに加わるつもりなのね。いいわよ、お姉ちゃん応援するわ」
「あ、もしもし? 永遠亭ですか? ちょっと『診て』欲しい患者さんがいるのですが」
※
「いやぁー、来年も巨人さんは強いでしょうね。巨人キラーのクロダ投手にどう立ち向かってくるのか楽しみですね」
「ぐぬぬ…………」
「魔理沙さん、広島に帰ってきましたよ。やっぱりクロダ選手は広島で引退するんですかねぇ」
「あー、そうかもしれんが……やっぱりあの話はなかったことに」
「何か言いましたか?」
「……いえ」
命蓮寺にて。
ニッコニコと上機嫌で笑う村紗の前で鈴仙と魔理沙が苦虫を噛み潰したような顔で視線を下に落とす。
二人の手には「Carp」と書かれた赤と白のユニフォームがあった。
「ワーイ、阪神ニ来テクレルナンテ、ワーイ」
星は未だ現実拒否を続けていた。だから白目が怖いって。
「あのさ。馬鹿にしていたのは謝るから、ね?」
「これはちょっと勘弁願いたいのだが」
「え? 嫌なのですか? そうですか……」
村紗が片腕を伸ばして境内を指差す。
「ぎゃははははは! あはははは!」
「……何がおかしいんだ妹紅」
そこには笑い転げる妹紅と、スラィリーの着ぐるみを着た慧音が立っていた。慧音の顔は広島のユニフォームよりもめっちゃ赤かった。
「アリスさんに頼んでスラィリーの着ぐるみを多めに作ってもらったのだけど、そちらを着ますか?」
「「ユニフォームで!!」」
※
すでに来シーズンに向けて各球団は動き出している。
いったいどこのチームが優勝するのか。
しかし確実なことが一つだけあった。
来年――広島のマウンドに背番号15が帰ってくる。
それは全ての鯉党にとって少しばかり遅れた最高のクリスマスプレゼントだった。
博麗神社で宴会が開かれ、多くの妖怪たちが集まり酒を酌み交わしていた。
何故クリスマスの日に宴会をしないのかは、クリスマスの日はそれぞれ仲の良い相手、中には恋仲の相手と二人で静かに過ごしたいと誰もが思っていたからだ。
新しい年がそこまで来ていた。今年一年を振り返り、もうすぐやって来る新年に期待しながら楽しい酒を呑んでいた。
ところが宴会の一隅、楽しい酒の席なのに少しばかり空気が張り詰めた席があった。
命蓮寺の面々が集まっている席だった。
「姐さん、お酒お注ぎします」
「もう一輪、飲み過ぎよ」
「あはは。今日ぐらいいいじゃないですか」
一輪が顔を赤らめて聖にお酒をすすめる。聖もまんざらではなくて盃を一輪に伸ばした。
「ナズーリン殿はなかなかいける口なんじゃな」
「まぁね。こうみえてもお酒には強いつもりだよ」
マミゾウもナズーリン相手に酒を酌み交わす。
なんともないお酒の席のようにみえるが、しかし一輪も聖も酒を口に運びながら時折視線を二人へと向けた。その目の裏には不安が覗かせている。
「…………」
「…………」
一輪たちの傍で寅丸星と村紗水蜜は黙ったまま向き合って酒を呑んでいた。宴会が始まってまだ一時間も経っていないが二人は言葉を交わしていない。目を伏せて盃を口に運んでいた。
聖たちはハラハラとして二人の様子を横目に見守っていた。
星と村紗は仲が悪いわけではない。しかし『ある事』を話題にした時、二人はライバル関係になる。周りを気にせず真剣な表情で議論を交わすのだ。楽しい宴会の席なのに言い合いっこされてはたまらない。聖たちはその『ある事』が話題になったら全力で止めに入ろうと互いに頷き合っていた。
「星」
「うん?」
村紗が手を伸ばして星に酒を注ごうとする。星は黙って盃を傾ける。聖たちの間に緊張が走った。
「今年も終わろうとしていますね」
「そうですね。来年も私は聖のために尽くそうと思っていますよ、村紗」
「それは私も同じです」
にっこりと笑って言葉と酒を酌み交わす二人。聖たちはほっと胸をなで下ろした。さすがに年末の宴会の席でキャンキャン口喧嘩のような言い合いはないだろう。互いに今日はゆっくりとお酒が呑めると緊張が和らごうとしていた。
しかし。向こうからやって来る一人の姿を見て、聖たちの表情が凍った。
鈴仙・優曇華院・イナバである。
星と村紗を見つけたというように、盃を片手に赤ら顔で笑みを浮かべてこっちにやって来る。
再び聖たちに緊張が走る。鈴仙もまた『ある事』では星たちとライバル関係にある。絶対に『ある事』を口にするだろう。そうして星や村紗と一緒にかしましい言い合いをするだろう。
なんとかして鈴仙を追い払う術はないか。聖たちは視線を交わして作戦会議を開こうとしていた。
しかしそれよりも早く鈴仙は駆けだすと星と村紗の間に飛び込むように座り込んだ。
万事休す。
聖たちはもはや諦めた。南無三。
「こんばんは、お二人さん。今年ももう終わりますね……ところでシーズンが終わって、阪神と広島の補強はどうかしら? 来年こそはリーグ優勝できるといいわねぇ」
赤ら顔で得意げに話しかける鈴仙に星も村紗もピクッと体の動きが止まった。そうして険しい顔をして鈴仙を睨み付ける。
「……いや、来年こそタイガースが優勝しますよ!」
「違いますね。来年はカープこそが悲願の優勝をしますよ!」
星と村紗の言葉に鈴仙は「ふふん!」と得意げに返して、聖たちは「他の席に混ぜてもらおうか」と腰を上げた。こうなってしまっては例え聖ですら止めることはできない。あとは三人で勝手にしてちょうだい、と聖たちは神子たちの席へとそそくさ移動する。
三人の間で話題になる『ある事』、それは外界で人気の『プロ野球』というものだった。
※
幻想郷にプロ野球を流行させたのは紫だった。
妖怪の賢者とはいえ幻想郷で暮らすにはやはりお金がいる。もっと収入源を得られるにはどうしたらいいのか。紫が考えたのはスキマを使って外界からプロ野球の情報を得て、それを鴉天狗に売ることだった。しかし試合経過や結果の情報ばかりでは幻想郷の住人たちの関心は得られない。そこで紫はテレビとテレビレコーダーというものを幻想郷に持ち込んだのだ。試合中継をDVDなるものに焼き付け、一日遅れで録画を幻想郷中に設置したテレビに流す。一日遅れの中継が終わる頃には紫の情報をもとに鴉天狗が詳細な記事を配るのだ。
果たして幻想郷の住人は、焼き付け作業、幻想郷中のテレビにDVDをセットする九尾の式の仕事をまだかまだかと待ち焦がれるようになった。今では多くの人間や妖怪たちが投手が打者を封じ込める姿に、打者が大きな放物線を描いてボールをスタンドに弾き飛ばす姿に、野手がファインプレーでボールをグラブに収める姿に一喜一憂するようになった。
トレードや選手の怪我情報はリアルタイムで鴉天狗に売りつけた。速報の記事を人々は喉から手が出るように欲しがり、文々。スポーツ新聞はその日のうちに全部なくなるほどだ。紫の商売方法は大成功を迎えたのだった。
※
「まぁ、来年も巨人が優勝するのは間違いないわね。セリーグで先発陣がそろっているのはうちだけだし」
得意げに胸を張る鈴仙は紫のテレビ商法によって今では大の巨人ファンである。理由? マスコット。そんな彼女だが北の大地の背番号41が引退した時はてゐと一緒に泣いたとか。泣いちゃったとか。号泣したとか。理由? 名前。
「クライマックスシリーズではうちに完敗しませんでしたか? あれ? おかしいですね」
「うっ!?」
鈴仙の胸をえぐる言葉を火の玉ストレートで投げかけたのは星。もちろん言うまでもなく阪神ファンである。巨人と阪神は永遠のライバル関係。幻想郷内でもテレビの影響を受けてか、巨人ファンと阪神ファンは対戦するたびに火花を散らせた。
「本当に金満球団は優勝のためなら何でもするのですね。オオタケ選手を返せ!」
横から村紗が星と一緒になって鈴仙を口撃する。村紗は広島ファンである。何故彼女が広島ファンなのか、おそらくテレビを観ているうちになんとなくファンになってしまったのだろう。そんなもんだろう。村紗って広島のユニフォーム似合いそう。
さて村紗は星とライバル関係にあるのだが、それ以上に鈴仙とは火花を散らすことが多い。といっても村紗から一方的にだが。原因は『FA オオタケ選手』でご理解いただけるだろう。
先ほどから口撃されてばかりの鈴仙、もちろん黙っているわけはない。すぐさま反撃に出る。
「うるさいわね! だったら広島だってFAで獲ればいいじゃない! 獲れればだけど」
「うぐっ!」
「それに代わりにイチオカあげたじゃない! むしろ感謝してよ……あーあ、いい投手だったのに」
「それについては頭が上がりません!」
頭を深々と下げる村紗。どうもFAの話は広島ファンの村紗にとって言いくるめられてしまうようだ。村紗が怯んだところで今度は星が村紗に話しかける。
「ところで村紗。アライさんを返したのでアカマツ選手を返してほしいのですが」
「お断りいたします」
頭を上げてニッコリ笑う村紗。
「いいじゃないですか! ギブ・アンド・テイクですよ!」
「星さん、それ多分意味が違うと思う。というよりトリタニが出て行ったらショートがいないのよねぇ。あー、うちにはサカモトがいてよかったわぁ」
「うぅ……こうなればヤマト選手をショートにコンバートしてセンターをアカマツ選手に」
「だからやらないですって! 若手を育てればいいじゃないですか」
「あぅ……ふ、不安が」
「メジャー帰りばかり取るからですよ」
だぁーと滝のように涙を流す星。どうやら中々補強がうまく行っていない様子。と三人でわいわいやっていると他の野球ファンの連中もぞろぞろと集まってくる。
「来年も中日はBクラスのような気がします……」
「あはは、大丈夫だって。ま、来年こそ横浜がAクラスだけどな!」
肩を落としてため息を吐く中日ファンの衣玖を横浜ファンの魔理沙が肩を叩いて慰めになっていない言葉をかけてあげる。やっさしぃー。
「来年こそは優勝を目指して応援するつもりだ」
「パリーグは毎年優勝チームが読めないからねぇ。あたいのところも負けるつもりはないけど」
その隣でパリーグ組、慧音と燐が肩を並べて来年の順位の予想をしていた。
慧音はオリックスファンだ。元々大阪近鉄ファンだったがオリックスとの吸収合併によって消滅した際はやるせない思いを堪えきれず、輝夜と妹紅の弾幕勝負に乱入して二人をボコボコにいてまえしたほどである。
燐は西武ファン。このところ優勝争いから遠ざかって少しばかり寂しい思いをしている。中継ぎ投手が灼熱地獄よりも炎上するのだからしょうがない。
プロ野球を愛する連中が集まりわいわい話し合っていると、皆の話題は来年の先発投手陣の話になった。無論、話をふったのは鈴仙であった。
「で? 皆のところの先発陣はどうなのかしら?」
巨人に対抗できるくらい先発陣がそろっているのは福岡のチームぐらいなので、この手の話は得意げになれるのだろう。やっぱお金って大事。
「先発陣は番長とイノウくらいだが、それでもマシンガン打線が打ち勝てばいけるぜ!」
この数年、横浜は少しずつ力をつけており、万年最下位の称号を返上した。特に打撃陣が向上し補強の方も進めている為そろそろAクラスの期待がかかる。魔理沙の来年への意気込みは強い。
「先発陣ですか? ……え? 先発陣ですか?」
それに比べてどんよりと冴えないのは衣玖。かつての常勝軍団のイメージはどこへやら、この二年でBクラスに転落している。前の監督が選手と揉めたりコーチと揉めたり、打撃陣はベテランに代わる若手がイマイチ、投手陣もオオノ選手とヤマイ選手が二桁勝利を挙げたが他の先発陣は崩壊してしまっていた。中継ぎ陣については二人の新人が大活躍をみせて、ファンに期待を持たしたが、困ったことに二番手捕手の問題もある。あれ? ヤバくね?
「あたいのところは先発陣よりも中継ぎ陣が問題なんだよねぇ」
と燐。うん、知ってます。皆が頷く。
「私のところは何と言ってもチィちゃんが残留してくれただけでも助かったよ」
「ちっ、欲しかったのに」
「巨人に行くぐらいならメジャーに行ってくれた方がまだよかったよ」
バチバチと鈴仙と火花を散らす慧音。鴉天狗の新聞がカネコチヒロ選手のFAで巨人入り濃厚と発表したとき、落ち着かずとりあえず妹紅と輝夜を相手にいてまえして心の平衡を保つ日々が続いていたが先日チームに残留するとの知らせに胸をなで下ろした。ちなみにカネコ選手のことをチィちゃんと読んでいる慧音だが、妹紅にはすごく引かれている。ないわー、慧音ったらそんなキャラちゃうわー。でも口に出したらいてまえされるから黙っている妹紅であった。来年度に向けてちゃくちゃくと補強をしているオリックス、優勝も夢ではない。
「今年のメンバーが来年も活躍できたらいいのですが……」
阪神もまたカネコ選手の獲得を狙っていたと報じられていた。ローテを任せられる投手が四人はいるものの五人目以降が誰もいない状態。誰か一人でも怪我で離脱してしまうと大幅な戦力ダウンだ。即戦力の先発投手があと一人は欲しいところだ。それからトリタニ選手流出となると即戦力のショートも。外野陣も中々若手が出て来てくれない。リリーフ陣もベテラン陣の高齢化が気になる。あれ? こちらさんもヤバイ?
「ふふふ。鈴仙さん、得意気になれるのはそこまでですよ。来年こそは広島が投手王国になるのですから!」
一喜一憂する面々を前に村紗は腕を組んで胸を張った。村紗の強い自信に面々の視線が集中する。
「なんと言ってもセリーグを代表するマエケン選手! そして新人王のオオセラ選手! そこにノムラ選手! 中継ぎ陣は今年は怪我で入れ代わり立ち代わりとなってしまいましたが、怪我さえなければ安定していると思います!」
「確かに安定しているかなとは思うけど、先発ローテ確定なのは三人だけなの?」
「いえ、そんなことはありません。広島は若手育成に評判がありますからね。来年こそは若鯉たちが活躍しますよ」
「でも若手って結果を出すまでは未知数じゃない。ばりんとんが抜けてその穴を埋められるの?」
鈴仙が両肩をすくめて「はん」と鼻で笑った。若手に期待できるのならどのチームにも言えることなのだが。しかし村紗は立ち上がると「大丈夫です!」と大声で宣言した。
「今年こそクロダ選手が帰って来ますから!」
「…………」
「………………」
「…………………」
一座、沈黙。
先ほどまでの賑やかな議論が嘘のよう。冷たくなった魚のような目で村紗を見つめる。
「いや。村紗、そういうのいいですから」
「なんか星に言われるとすっごく腹が立つのですけど!?」
「お師匠様にお薬、作ってもらう?」
「どうしてそうなるのですか!? さっきまで得意げな表情していたのに、何で今哀れむような目をするのですか!?」
「だって、それ去年の暮れの時も言っていなかったっけ?」
鈴仙の指摘に「うぐっ!?」と胸がドキリとする村紗。皆はため息を吐いて「やれやれ」と視線を交わす。
※
クロダ選手とはかつて広島のエースだった投手のことである。かつて万年Bクラスと言われた広島、打撃陣の援護も望めないチーム状況にも関わらず完投するクロダはまさに広島にとって大きな存在であった。
八年前、クロダ選手は大リーグへと旅立ってしまった。自らの力を験したいという気持ちからだった。
チームもファンも静かに見送った。仕方がない、今まで打撃陣、中継ぎ陣の援護力の無さにクロダ選手は何度得ていたはずの白星を逃しただろうか。
しかしファンはいつか必ずクロダ選手が広島に戻ってくるのを信じていた。
万年Bクラスだが、いつかは優勝をする。クロダ選手と優勝したいと願っていた。
大リーグにてクロダ選手は有名メジャー球団で先発ローテーションを守り、五年連続で二桁勝利を挙げるなど大活躍をみせた。
一方、広島は昨年Bクラスを脱出。その勢いのまま今年は優勝争いをするなど力をつけてきた。
ファンは「今こそ!」とクロダ選手の復帰が期待している。
※
が、現実は中々そうはいかないものだ。
鈴仙が村紗に話しかける。
「そう言えば今年もクロダって二桁勝利で、先発ローテーションを唯一守ったんだっけ? 帰って来るならもっと衰えてからじゃない?」
「え?」
「そうですね。でもたしか結構なお歳だったような……村紗さん、クロダ選手は幾つでしょうか?」
「……来年で四〇」
衣玖に返事をしていると今度は魔理沙が思案顔で口にした。
「真面目に答えるとしよう。正直広島に帰ってこないと思うな。力の限り現役生活を続けたら、もう広島に帰って投げる前に向こうで引退するんじゃないのか?」
「そ、それは……で、でもわかりませんよ」
「クロダ選手は大阪出身。阪神に帰ってきませんかね」
「それはない」
星がさらりと妄言を放つが村紗にバッサリ切って捨てられた。先ほどのお返しである。
さて皆に好き勝手言われているわけだが、日本人選手がたいてい衰えてから日本球界に復帰するのに対して確かにクロダ選手はまだメジャーで先発ローテを守れるほどの投手。広島復帰はまだ早いようにも思えるし、大リーグで燃え尽きて引退してしまう可能性だってある。こればかりでは広島復帰の可能性もあると思えるが、しかしクロダ選手は帰ってこないだろう、誰もがそう思う原因があるのだ。
「クロダが復帰したらさぁ、お金どうするの?」
燐が訊ねる。はい、来ました。その原因。
お金である。マネーである。世の中の銭である。
これには村紗も現実に戻らざるを得ない。もっとも事実を直視するとファンの期待など粉々に砕けるのだが。
「確か年俸何十億とか言っていたけど、広島にそんなお金あるの?」
「…………ありません」
今でこそ汚名は返上したが、かつて広島カープと言えば貧乏球団の代名詞だった。某自動車メーカーが球団の親会社であるが、広島の市民球団とあって中々お金を贅沢に使うことができない。その為FA宣言した選手を獲ったことはなく、否、獲ろうとしても他球団よりも条件が低くなるので広島に入団しようとする選手などいなかった。さらに広島の選手がFA宣言したら残留を認めないので、「広島で育った選手はFAで阪神や巨人、メジャーに移籍する」と言われるくらいだ。
「というわけでクロダの復帰はないわ。もし復帰したらカープのユニフォームで一日過ごしてあげてもいいわよ」
「それなら私は一週間過ごしてやるぜ」
「あ、私もそうしようかしら」
鈴仙と魔理沙が顔を見合わせて高笑いをする。
そんな二人を見て村紗の肩がプルプル震える。わかっているのだ。とてもメジャー並みのお金を出せないということは。でも、もう一度カープのユニフォームを着たクロダ選手を見たいのだ。一緒に優勝したいのだ。目頭が熱くなってきた。
空気を読んだ衣玖がどう声をかけようと思っていると、村紗の肩を慧音がポンと叩いた。
村紗が顔を見上げると慧音はニッコリ笑った。さすがは人里で寺子屋の教師をしているだけのことはある。からかい過ぎはいけません。そう思っているのだ。
「クロダ選手が帰ってきたら、私は一週間スラィリーのコスプレをしよう」
「けいねさんのばかぁぁあああっ!!」
思ってなかったね。うん、今は教師でなくて一野球ファンだもん。村紗をいてまえしちゃってもしょうがないね。
とうとう泣き出した村紗は宴会会場の中を走り出す。
そんな村紗を見て神子たちと呑んでいた一輪はぼそりと呟いた。
「……野球よりフィギュア・スケートだろ」
※
「あははは、でさー……ん? あれはぬえの連れじゃないか?」
「え? あ、ほんとだ」
楽しく酒を呑んでいたぬえ。そこへ村紗が「ぬぇえええ!」と泣きながら走ってくる。その顔を見てぬえは「うん、めんどくさいな」と確信した。
毎年の事である。こうして年末になると鈴仙や星に言い負かされてべそをかくのだ。そしていつもぬえに泣きついていた。
当初、妙蓮寺の面々と馴染めなかったぬえに声をかけたのは村紗だった。気さくな性格で明るく話しかけてくれる村紗とぬえは親しい仲になり、村紗を通して命蓮寺の面々と親しくなることができた。それを思うと村紗を慰めてあげるのもたまには悪くないと思う。
ただ、めんどくさい。
村紗がぬえの胸元に飛び込んできた。
「ぬぇえええ! 聞いてよ、聞いてくださいよ!」
「はいはい、聞いてあげるから『ぬぇえええ』って呼ばないで。私が鳴いているように聞こえるじゃん」
「あの、あのですね、あのあの、クロダ選手――」
「はい、もういいよ。話はわかった」
「まだ何も言っていませんけど!?」
はぁ、とため息を吐いて村紗の顔をじっと見つめる。去年とまったく同じじゃねーかと。ぬえは村紗に問う。
「どうせまた年俸払えないから復帰はないとか言われたんでしょ?」
「ぎくっ!」
「自分で『ぎくっ』て言うなよ……ほらほら落ち着いて。まぁ、歳だからさ。そろそろ戻って来るんじゃない?」
「ほ、本当っ!?」
パァーッと明るくなる村紗の顔。とりあえず慰めようと適当な言葉をかけたのだが、あれか? 広島ファンで感情の起伏が激しいのか? ぬえは小首を傾げながら村紗に話しかける。
「そういうことだから年俸下がってきているんじゃないの。今幾らもらっているの? そのクロダって」
「……約十九億円」
「じゅっ、十九億円ってすごいな。で、広島は幾らくらい出せるの?」
「三億くらいかな」
「うん、復帰しないね」
ついポロリと禁句が口から出てしまう。時すでに遅し。村紗は再び泣き顔で走り出した。やっぱり広島ファンって感情の起伏が激しいんじゃね? とぬえが思っている後ろで「くくく」と低く笑い声が聞こえてきた。
「まったくぬえの連れは面白いな」
「いや、面倒くさいだけだよ」
「ところでそのクロダって奴が広島に帰るとすごいのか?」
「うーん、まぁ。少なくても村紗もあそこにいる野球ファンの連中は驚愕すると思うよ」
「へぇー」
近頃ぬえと仲良くなった彼女は面白そうに笑みを浮かべた。その視線は再び鈴仙たちに突撃をした涙目の村紗に注がれている。
彼女――鬼人正邪はゆっくりと右手を伸ばすと、掌を回そうとした。
※
翌日の早朝の事である。
まだ朝日の光がみえない時間。
幻想郷の各地に文々。スポーツ新聞が配られた。家という家、妖怪の住処という住処に。
幻想郷の住人たちはこんな早い時間に鴉天狗の新聞が届くことに首を傾げて、記事を読んだ。
プロ野球ファンの住人は声にならない声を上げたことだろう。
永遠亭で鈴仙は新聞の一面に釘付けになったまま、かれこれ三十分固まったままだ。
「……なによ、これ」
そして命蓮寺でも。
星は静かに隅々まで記事を丹念に読み、「ふぅ」と一つ息を吐いて目を閉じながら新聞を畳んだ。実に落ち着き払った冷静な姿である。そしてゆっくりと目を開ける。
「そうですか。阪神入りなのですね」
超絶な現実拒否でした。にっこりと笑う顔が白目剥いてて怖い。
その後ろで村紗は新聞を広げたまま目を見開いていた。書かれている記事が頭に入ってこない。大きな見出しだけを捕えることができた。まだ受け入れられない。
ずっと期待していた。ずっと夢物語だと言われた、馬鹿にされた。どこかで帰ってこないんじゃないか、そんな弱気になる自分がいた。
でも、今なら言える。
それでもずっと、信じていたって。
文々。スポーツ新聞
『クロダ 広島カープに復帰へ!』
大リーグでFA宣言をしていたクロダ ヒロキ投手(39)が古巣である広島東洋カープに復帰することが明らかになった。
すでに大型契約を提示していたメジャー球団には断りの連絡をしているという。
年俸は今年約19億円から大幅減の4億円(推定)。
8年ぶりの広島復帰である――
※
「ちえっ、なんだ。こうなるってこと知っていたのかよ」
「えぇ、そうよ」
紅魔館にて。
広い客間にて正邪は咲夜が淹れる紅茶を口にした。向かい合ってこの館の主が肩肘をついて笑みを浮かべる。
レミリア・スカーレット。
運命を操り、そして視ることができる吸血鬼。
昨晩の宴会の席で正邪は鈴仙たちの言葉を『ひっくり返そう』としていたのだが、レミリアによって止められたのだ。
陽が昇り幻想郷では各地で大騒ぎだそうだ。それを咲夜から聞いたレミリアは満足そうに頷いたところへ正邪がやってきたのである。
「だってせっかく面白くなりそうなのに。『ひっくり返されたら』たまらないわ」
「それでも先に言えよ。いきなり弾幕仕掛けてきやがって。ま、人里の野球好きの連中は大騒ぎだそうだ。あの兎も毘沙門天の代理も、今ごろ泡吹いてるだろうね」
「そうね。その顔を思い浮かべるだけでいい暇つぶしになったわ」
「ところで」
正邪が身を乗り出してレミリアに訊ねる。
「まさかお前、運命を操ったとでもいうのか?」
その言葉にレミリアの顔が一瞬真顔になったが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。
「そんなことするわけないじゃない。私は何もしていないわ。最初から運命は決まっていたの。大方の予想を覆す運命が。面白いじゃない」
「確かにな」
くっくっくっと満足げに笑うと正邪はゆっくりと立ち上がった。
「もう行くの?」
「大騒ぎしている連中を眺めに行くよ。じゃあな……あ、そうそう。お前中々強いな」
そう言い残して正邪はベランダから外へ飛び出してしまう。
「行ったかしら?」
「ええ、行かれましたわ。お嬢様」
「そう……」
静かに紅茶茶碗を口へ運ぶ。部屋の中は静かでレミリアが紅茶を啜る音しかしない。やがて空になった紅茶茶碗がカチリと高い音を立てて皿に着地した。
「咲夜! すぐに八雲紫を通してクロダのユニフォームの予約を! あの紫に私が頭を下げる覚悟はあるからクロダのユニフォームをこの紅魔館全員分予約しなさい!」
「かしこまりました」
「来年こそは優勝、優勝よ!」
わくわくと来シーズンに胸を躍らせるレミリアお嬢様。実は広島ファンだったのでした。理由? 紅いから。
「ああ、ちょっと! ほんの少しちょーっと運命を『視た』のよ! 本当はこんなことしたくなかったのだけど、ちょーっと気になって視てみたら、まさか復帰だなんて! ああ! もう興奮して一週間もマエケンダンスをしっぱなしだったわ! 堪えるのでやっとだったわ。クロダは本当に男気溢れる選手ね!」
「ええ。妹様がそんなお嬢様を見て『セレッソがJ2に降格して妹が落ち込んでいるのに、コイツは』って怖い顔をしていましたけど」
「早く! 早くシーズンが開幕すればいいのに!」
「そうそう。妹様が『私がアイツにとってかわって当主になってやる』っておっしゃってましたよ。紅魔館のシーズンは終わろうとしているのですけど」
「え? 投手? さすがは我が妹。広島に入団して先発ローテーションに加わるつもりなのね。いいわよ、お姉ちゃん応援するわ」
「あ、もしもし? 永遠亭ですか? ちょっと『診て』欲しい患者さんがいるのですが」
※
「いやぁー、来年も巨人さんは強いでしょうね。巨人キラーのクロダ投手にどう立ち向かってくるのか楽しみですね」
「ぐぬぬ…………」
「魔理沙さん、広島に帰ってきましたよ。やっぱりクロダ選手は広島で引退するんですかねぇ」
「あー、そうかもしれんが……やっぱりあの話はなかったことに」
「何か言いましたか?」
「……いえ」
命蓮寺にて。
ニッコニコと上機嫌で笑う村紗の前で鈴仙と魔理沙が苦虫を噛み潰したような顔で視線を下に落とす。
二人の手には「Carp」と書かれた赤と白のユニフォームがあった。
「ワーイ、阪神ニ来テクレルナンテ、ワーイ」
星は未だ現実拒否を続けていた。だから白目が怖いって。
「あのさ。馬鹿にしていたのは謝るから、ね?」
「これはちょっと勘弁願いたいのだが」
「え? 嫌なのですか? そうですか……」
村紗が片腕を伸ばして境内を指差す。
「ぎゃははははは! あはははは!」
「……何がおかしいんだ妹紅」
そこには笑い転げる妹紅と、スラィリーの着ぐるみを着た慧音が立っていた。慧音の顔は広島のユニフォームよりもめっちゃ赤かった。
「アリスさんに頼んでスラィリーの着ぐるみを多めに作ってもらったのだけど、そちらを着ますか?」
「「ユニフォームで!!」」
※
すでに来シーズンに向けて各球団は動き出している。
いったいどこのチームが優勝するのか。
しかし確実なことが一つだけあった。
来年――広島のマウンドに背番号15が帰ってくる。
それは全ての鯉党にとって少しばかり遅れた最高のクリスマスプレゼントだった。
贔屓のチームの話題に一喜一憂する東方キャラも良かったです。
しかし、黒田さんの男気がおぜうをあそこまで魅了するとは!
ちなみに野球よりもフィギュアスケート好きの一輪やサッカー好きの妹様がさりげなく出ていたのもポイントです。
自分野球ワカンネ。
それでも十分楽しめたんで。
昔なら「強力な打線」で納得できるけど今はなぁ
15年前くらいが全盛期だったよな横浜
>九尾の式の仕事
ADSLとか光回線の工事の順番を待ちわびる人みたい
カープの為にプライドを捨てるお嬢様を見れて大変面白かったです
とりあえずカープの背番号15番は”男らしくて凄い奴”ということだけ覚えました
あと、地の文にある 「理由?○○。」 という簡潔に答えるテンポの良さに笑いました
紅白のユニフォーム着てるし