仕事も一区切りがつき、紅茶の入ったポットとカップを持って自室に戻る。
窓の少ないこの館では雨の日になると、独特のしめって重たい空気が漂う。
カチャン。自室のドアをしめると、ふうっと息をついた。
疲れているのではなく、リラックス。自室は憩いの場。
窓際にあるテーブルへティーセットを置き、赤いベルベットの椅子に腰をおろす。
ちょっとお行儀悪く、ひじをついて外を見ると、薄暗い空が広がっていた。館の正門側を向いているこの部屋からは、はるか向こうのその石造りの門を通りこして、敷地の外に広がる深い森すらも見える。まあ、それは晴れていたらの話だけれどね。
いかにもどんよりと雲がたれこめた今日の空では正門までが精一杯の視界だ。コポコポとポットからそそいだ紅茶を口元へもっていく。ダージリンの甘くも、さわやかな香りがふんわりと広がった。
窓に目を戻すと、吐いた息で、ガラスがくもる。すぐに消えていくもやを指でこすると、ふと目のすみになにか動いた気がした。窓ガラスの枠の向こう、正門の柱の間をいったりきたり、深い青のコートを着た人がいる。
「あら」
美鈴ね。
紅茶をもう二口。口腔に広がる華やかな思い出にひたりながら、彼女のことを考える。
あの娘はよく門番さぼって寝てるけれど、なんだかんだしっかり働いてるわよね。
この間も一人で庭中の落ち葉をかいて、常緑樹に麻の袋かなにかをかぶせたり冬支度していたし。おかげで今は、緑の芝生に薄茶の案山子が沢山立っているようなおかしな景色だ。
カップの中に半分ほどになった紅茶を、のみほして、ポットからまた注ぐ。
銀の容器から角砂糖を二つ、つまんで、ポチャンとおとした。
窓の向こうでは美鈴が門の前に立っている。さっきまで、柱の間をいったりきたりしていたのが、真ん中にどっしりと立って、動かない。
そろいの銀のスプーンでカップの中をかきまぜながら、咲夜は静かに外を眺める。雨足は強くなっていた。
時計をみると、午後三時半。
さっきよりも甘い紅茶に口をつけ、息を吐く。だんだんと体が温まっていた。
窓はまた白くなり、そしてまた冷たくなる。
休憩をとってから二十分ほどたっただろうか。
今日はそれほど仕事はない。洗濯はできないし、買物の用事も昨日すませてある。
お嬢様は珍しく今朝遅くに寝たようだから、起きてくるのはもう少しあとになるだろう。
静かに時が過ぎ去っていく。カチコチとリズムをつけて秒針が奏でる音と、雨の降り注ぐ音、屋根や窓に水滴がはねる音が、咲夜を包んでいた。
ほとんど無意識に紅茶を含む。それは心なしか、少し温くなっていた。
首から下がる鎖をたぐり、懐中時計を見る。
「もうそろそろかしらね」
針は午後四時前を指していた。
冷えているとも、温かいともいえる紅茶を飲みほして、咲夜はもう一度窓の外を見る。
門の中央には青いコート姿がしっかりと立っていた。
そんなところが好きなのよね。
ティーセットの片付けもそこそこに、簡単に銀の盆へまとめて、咲夜はドアノブをまわす。
廊下を歩きながら、その顔は紅茶のぬくもりにひたる時より、柔らかかった。
しょっちゅう昼寝をするくせに、こんな大雨の日でも仕事はやめないで、大真面目に門の前に立っている。
────お屋敷の中は咲夜さん、外は私に任せてくださいね。
言った通りに、門番だけでなく庭師の仕事もして、館の庭や外のことなら、私の、お嬢様の、誰の質問にだってこたえてくれる。
廊下を薄暗く照らす蝋燭の灯も、急ぎ歩く咲夜には目に温かかった。
館の正面玄関の門を開けると、一気に冷たい風が吹き付ける。
しめった風が紅茶のぬくもりもどこかに運び去ったようだった。
「放っておけないんだから、全く」
寒さにふるえても、怒ったようなことを言っていても咲夜の顔はやはり柔らかかった。
時計を見る。
「よし」
彼女の就業時間が終わったのを確認して咲夜は館を出る。
冷たい体はもう一度紅茶で、疲れた心は楽しいお喋りで温めればいい。
両手で傘をしっかりと持って、咲夜は風の中を走り出した。
了
窓の少ないこの館では雨の日になると、独特のしめって重たい空気が漂う。
カチャン。自室のドアをしめると、ふうっと息をついた。
疲れているのではなく、リラックス。自室は憩いの場。
窓際にあるテーブルへティーセットを置き、赤いベルベットの椅子に腰をおろす。
ちょっとお行儀悪く、ひじをついて外を見ると、薄暗い空が広がっていた。館の正門側を向いているこの部屋からは、はるか向こうのその石造りの門を通りこして、敷地の外に広がる深い森すらも見える。まあ、それは晴れていたらの話だけれどね。
いかにもどんよりと雲がたれこめた今日の空では正門までが精一杯の視界だ。コポコポとポットからそそいだ紅茶を口元へもっていく。ダージリンの甘くも、さわやかな香りがふんわりと広がった。
窓に目を戻すと、吐いた息で、ガラスがくもる。すぐに消えていくもやを指でこすると、ふと目のすみになにか動いた気がした。窓ガラスの枠の向こう、正門の柱の間をいったりきたり、深い青のコートを着た人がいる。
「あら」
美鈴ね。
紅茶をもう二口。口腔に広がる華やかな思い出にひたりながら、彼女のことを考える。
あの娘はよく門番さぼって寝てるけれど、なんだかんだしっかり働いてるわよね。
この間も一人で庭中の落ち葉をかいて、常緑樹に麻の袋かなにかをかぶせたり冬支度していたし。おかげで今は、緑の芝生に薄茶の案山子が沢山立っているようなおかしな景色だ。
カップの中に半分ほどになった紅茶を、のみほして、ポットからまた注ぐ。
銀の容器から角砂糖を二つ、つまんで、ポチャンとおとした。
窓の向こうでは美鈴が門の前に立っている。さっきまで、柱の間をいったりきたりしていたのが、真ん中にどっしりと立って、動かない。
そろいの銀のスプーンでカップの中をかきまぜながら、咲夜は静かに外を眺める。雨足は強くなっていた。
時計をみると、午後三時半。
さっきよりも甘い紅茶に口をつけ、息を吐く。だんだんと体が温まっていた。
窓はまた白くなり、そしてまた冷たくなる。
休憩をとってから二十分ほどたっただろうか。
今日はそれほど仕事はない。洗濯はできないし、買物の用事も昨日すませてある。
お嬢様は珍しく今朝遅くに寝たようだから、起きてくるのはもう少しあとになるだろう。
静かに時が過ぎ去っていく。カチコチとリズムをつけて秒針が奏でる音と、雨の降り注ぐ音、屋根や窓に水滴がはねる音が、咲夜を包んでいた。
ほとんど無意識に紅茶を含む。それは心なしか、少し温くなっていた。
首から下がる鎖をたぐり、懐中時計を見る。
「もうそろそろかしらね」
針は午後四時前を指していた。
冷えているとも、温かいともいえる紅茶を飲みほして、咲夜はもう一度窓の外を見る。
門の中央には青いコート姿がしっかりと立っていた。
そんなところが好きなのよね。
ティーセットの片付けもそこそこに、簡単に銀の盆へまとめて、咲夜はドアノブをまわす。
廊下を歩きながら、その顔は紅茶のぬくもりにひたる時より、柔らかかった。
しょっちゅう昼寝をするくせに、こんな大雨の日でも仕事はやめないで、大真面目に門の前に立っている。
────お屋敷の中は咲夜さん、外は私に任せてくださいね。
言った通りに、門番だけでなく庭師の仕事もして、館の庭や外のことなら、私の、お嬢様の、誰の質問にだってこたえてくれる。
廊下を薄暗く照らす蝋燭の灯も、急ぎ歩く咲夜には目に温かかった。
館の正面玄関の門を開けると、一気に冷たい風が吹き付ける。
しめった風が紅茶のぬくもりもどこかに運び去ったようだった。
「放っておけないんだから、全く」
寒さにふるえても、怒ったようなことを言っていても咲夜の顔はやはり柔らかかった。
時計を見る。
「よし」
彼女の就業時間が終わったのを確認して咲夜は館を出る。
冷たい体はもう一度紅茶で、疲れた心は楽しいお喋りで温めればいい。
両手で傘をしっかりと持って、咲夜は風の中を走り出した。
了