#マエリベリー・ハーン
『金曜日はバイトを入れない』
これは私の習慣になっていたし、相方の蓮子も同じであった。金曜日は毎週、秘封倶楽部は一緒に食事をする日と決めていたのだ。
始まりは夏休みだった。普段は大学でよく顔を合わせていた私たちは、大学が夏季休業に入ると会う頻度がぐっと下がってしまった。
そんな状況に何かを思ったのだろう。蓮子は週一回私を食事に誘うようになった。
私も蓮子といるのは楽しかったし、下宿に一人でいても暇だったから、すぐにいいよと返事をした。
その時たまたま二人ともバイトが入っていなかったのが、金曜日だったのである。
そんなわけで私たちは金曜日に、どこかしらのお店で外食をする。私がお店を決めると、次の週は蓮子がお店を決めた。
行くお店といえば、ファミレスや焼き鳥屋、居酒屋などがメインで、たまにラーメンを食べに行った。
でも正直に打ち明けると、お店はどこでもよかった。
食事とは何を食べるかではなく、誰と食べるかが大事であるということを私は知っていたから。
蓮子と食べる食事は大抵のものが美味しく感じられた。そして料理の味だけでなく、食事の際の空気もとても心地よかった。
波長がうまく合うのだ。それは二人でシーソーに乗っているかのようだった。私が上がると蓮子が下がり、蓮子が上がると私が下がるといった雰囲気なのだ。
蓮子も私との食事を楽しんでくれているようだった。美味しいかどうか怪しいメニューに挑戦しては私を笑わせてくれた。
話す内容はといえば、大学のこと、バイトのこと、そして世間話だった。秘封倶楽部の話は敢えてあまり話さなかった。
金曜日の夕食の時だけは、私たちはどこにでもいそうな女子大生の二人組なのだ。
初めは食事に行くことが一つの非日常として感じられていたのに、今ではそれも日常の一部になっている。
だけど、いつか日常でなくなってしまうのではないかと思うこともあった。
今回は正に、そうなってしまう可能性のある出来事が起こったのだ。
今年の12月25日は金曜日だった。
私たちはわざわざ木曜日に「明日大丈夫?」などと確認はしていなかった。
それだけ、二人の食事は当たり前のこととして日常に組み込まれていたのだ。
だから、朝起きて蓮子からメールが送られていることに気付き、私は嫌な予感がした。
『ごめんねメリー。バイト先の子が二人インフルエンザになっちゃって、どうしても人が足りないからバイト入ってって言われたの。
バイトは夜の10時までなの。だから今夜の食事は行けそうにないわ。本当にごめんね。埋め合わせは必ずするから』
送信時刻から察すると、一限前に慌てて打ったようだ。蓮子の申し訳なさは伝わってきたけど、その文章はどこか事務的にも見えた。
『いいのよ。それは蓮子が悪いわけじゃないでしょう。明日から冬休みだし、いつでも行けるわよ』
少し文面を考え、蓮子が気を遣わないようにした。
京都の朝は本当に寒い。私は布団からなかなか出られず、携帯をいじっていた。
二限の授業まではまだ時間がある。しかし、私が布団から出ない理由はそれだけではなかった。
『金曜日は蓮子と食事をする日』というルーチンが崩れたことに、私はひどく困惑していたのだ。
まだ食事の時間までは12時間はある。しかし、ルーチンというのは先の方が崩れると、どんどん手前のほうにも影響を及ぼしてくる。
今週は私がお店を探す日だった。私は金曜日の朝から放課後までの間、その日の気分と相談しながら、ゆっくりとお店を決めるのが習慣だった。
金曜日の授業は他の曜日に比べると集中力が欠ける程度には、私のルーチンの中にそのお店決めが含まれていたのだ。
それがふいになくなってしまった私は、予定のない長期休みの真ん中あたりにぽんと放り込まれたような気分になった。
蓮子との食事がなくなるというのは、それだけ私にとって大きなことなのだ。授業が一コマ休講になるのとはわけが違う。
急に目標が失われたような気がして、私は布団から動けなかった。もちろん、蓮子と食事するために授業を受けに行っていたわけではないのだけれど。
はあ、と溜息をつく。そろそろ起きなければ二限に間に合わなくなる。もういっそのことサボってしまおうかと現実逃避も視野に入れる。しかし、学期の後半はテストに向けて重要な内容が増えるということを思い出し、結局授業に出ることにした。
顔を洗う、歯を磨くといった普段の行動がなぜか空虚なもののように思えてきた。これも蓮子と食事に行けなくなったからだろうか。
蓮子はどう思っているのだろう。私と同じように、穴が開いたような気分で授業を受けているのだろうか。明日から冬休みだしと前向きに考えているのだろうか。
蓮子はルーチンとは縁遠い性格だ。カフェやファミレスに行っても絶対に同じものを頼まない。お気に入りのメニューがあっても、新しいメニューに挑戦するのだ。同じことばかりしていてはつまらない、という考え方なのかもしれない。
むしろいつも違うことをしようというのが蓮子のルーチンなのかもしれない。
下宿を出る前に鏡で身だしなみをチェックする。そこには冴えない顔をした自分が映っている。長期休み明けの大学に行く前のようだ。
蓮子との食事一つが無くなるだけでこんなになるなんて、情けないわね。
鏡の向こうの自分にしっかりしなさい、と言い聞かせて私は下宿を後にした。
今シーズンもっとも強い寒気が流れ込んでいると天気予報は伝えていた。京都市内でも雪が積もると言っていたが本当だろうか。科学世紀においても天気予報は外れることがあるのだ。
マフラーを口元まで上げて冷たい空気から身を守る。それでも覆いきれない肌の部分には容赦なく風が当たる。早く暖房の効いた講義室に入りたい。そう思って歩くペースを上げた。
二限前の大学は人がいつもよりまばらだった。みんな大学をサボって遊びに行っているのだろうか。カップルは昼間からホテルで愛を営んでいるのかもしれない。
講義を受けているときに私は他の人の容姿に着目した。普段着よりも少しオシャレな服を着て、いつもより気合の入ったメイクをしている人たちが何人かいた。きっとあの人たちは講義の後にデートに出かけるのだろう。
そういえば私は普段と変わらない恰好で大学に来てしまった。蓮子と食事をしないと決まって、私は特に服を悩むことなく適当に決めたのだった。他人の目には、クリスマスに一緒に過ごす人がいない寂しい人に見えるのだろうか。
いや、でもそれは間違っていないのかもしれない。
私と蓮子は決して「クリスマス」に会う約束などしていないのだから。
あくまで金曜日がクリスマスと重なっただけなのだ。食事をした後にデートをするわけでもない。そもそも女同士でデートも何もないが。
今からでもバイトを入れてしまおうか。私は講義中にも関わらず携帯を取り出し、電話帳からバイト先の店長の番号を表示させる。しかし、そこで一つ嫌なことを思い出した。
私が12月のシフトを出した時のことだった。店長は私が25日に休むことについて恋人とデートするんだろうと聞いてきたのだ。
「違いますよ。金曜日は毎週お休み頂いてるので、たまたまです」
「ほんとに? 彼氏とデートなんじゃないの?」
「私、彼氏とかいませんから……」
店長は私が嘘をついていると思い込んでいた。ふーん、と顎に手を当てながら得意げな表情で私を見ていた。
そんな店長に今更電話して、今日は入れます、なんて言えるはずがない。人手不足のお店は助かるだろうけど。
今日何度目か分からない溜息をつく。窓の外は見てるだけで凍えそうな風が吹いている。どこかに一人で行く気にもなれないし、下宿で一人じっとしているのも寂しい。
講義中はずっとそんなことを考えていて、内容は上の空だった。四限が終わって講義棟から出ると、微かに粉雪が舞っていた。
いつもならこの時間に蓮子と待ち合わせをして、二人で時間をつぶしてから食事に行くのだが、あいにく今日は私の隣を歩いてくれる人はいない。
カップルが一組、二組……数えていてはキリがないくらい多かった。彼らは今から映画に行き、買い物に行き、食事に行き、そしてホテルへと行くのだろうか。
蓮子がバイトを終える時間は午後10時。それからどこかお店に食べに行っては遅い。蓮子はファミレスでバイトしている。遅くなることがあっても早く上がれることはないだろう。
どうにかして蓮子と食事をしようとしている自分になんだか嫌気が差してきた。どうして私はこんなに必死になっているのだろう。
粉雪が舞う中、下宿へと歩き出す。目を閉じてみると、暗闇の中に蓮子の顔が浮かんだ。ステーキを美味しそうに頬張っている。確か、いつかステーキハウスに二人で行ったときの記憶だ。
他にも様々な記憶を想起した。そのほとんどが金曜日の夕食の記憶だった。そしてその記憶の中ではいつも蓮子が笑っていた。
私ってだめね、蓮子。
たった一回あなたと食事に行けないだけで、頭の中が蓮子でいっぱいになるの。おかしいでしょ。笑ってくれていいのよ。
白い結晶が絶え間なく落ちてくる空に、私は静かに呟いた。
雪は地面に落ちるとすぐにシミになっていった。本当に積もるのだろうか。
地面についた途端に形を変えて、綺麗でもなんでもないただのシミになってしまう。雪はなんて儚いんだろう。
成分は同じはずなのに、温度の違いでこれほどまで形を変えてしまうなんて。
もしかしたら、私たちも雪と同じような感じなのかしら。私と蓮子がいるということは変わらなくても、二人の関係はいつか形を変えてしまうのだろうか。
結晶の時は固く結ばれていたのに、水になった途端に形を失ってばらばらになってしまう雪のように、私たちもいつか、離れ離れになってしまうの?
今日がそのきっかけになってしまうの? 地面についた瞬間だということなの?
そんなの私は嫌だ。蓮子も嫌だと思っていてほしい。
私は道の真ん中で唐突に立ち止まった。周囲を歩く学生が怪訝そうに通り過ぎていく。私は一つ、大きく呼吸した。それからくるりと身体を反転させ、最寄りのスーパーへ足を向けた。
私はまだ、蓮子に言いたいことがある。
私は雪を降らす灰色の雲を見上げ、今日こそはちゃんと言おうと決意した。
#宇佐見蓮子
朝目が覚めて、真っ先に携帯の通知ランプが目に入った。緑色に点滅するそれは、着信を知らせるサインだった。私はこの時点で嫌な予感がしていたが、どうか的中しませんようにと恐る恐る画面を見た。
そこには不在着信が2件。二つともバイト先の同僚からだった。
ああ、やってしまったか。私は最悪の事態を想定しながらその同僚に折り返し電話をかけた。
「もしもし、宇佐見さん」
「おはよう。どうしたの?」
先の言葉は聞かずとも分かっていた。最初の声がとてもだるそうだったことから、彼女が体調不良でバイトの交代をお願いしようとしていることを察してしまったのだ。
それでも、一縷の望みを胸に、どうしたの? と聞いてみた。
「実は、私も、インフルエンザになっちゃって……」
彼女で二人目である。一人ならまだしもこれでは交代で出勤もやむなしである。
私は「全然いいよ。私恋人とかいないし、予定ないから」と相手が気を遣わずに済むような言葉を言って電話を切った。自分で言っておいて後で少しだけ辛くなった。
今日はメリーと食事の日なのに。なんて運が悪いのかしら。
しかし、出勤すべき人数が二人減っては現場が回らない。ただでさえ今日はクリスマスなのだ。レストランは書き入れ時と言ってもいいほどお客さんがやってくる。
今度自分もインフルエンザだと嘘をついて休んでやろうかと考えながら、私は布団から少しずつ身体を出していった。
メリーと金曜日に食事するのは私の毎週の楽しみだった。せっかく今日まで毎週続けていたのに、なんだか残念だなあ。
朝食は二限の時間に食べることにする。急いで髪をとかし、いつもの服に着替え、洗顔を済ませて大学へ向かった。一限までもう時間がなかった。
遅刻癖も治さなきゃいけないなあと寒空の下を歩きながら思った。しかし、メリーは何分遅刻しても、怒りはするものの許してくれる。だから私はいつも甘えて時間にルーズになるのだ。
己の問題なのにメリーのせいにしようとしていることに気付き反省した。
大学までの道中で私はメリーにメールを打っておいた。メリーは二限からだからきっとまだ起床してない。しばらくしてからメールを見ることになるだろう。
メリーは食事会が中止になることについてどう思うだろう。案外あっさりと「そう。分かったわ」なんて返事をするのかもしれない。「どうして? 毎週の習慣なのに」と面倒くさい女のように駄々をこねるメリーは微塵も想像できなかった。基本的に聞き分けがいい子なのだ。
まだ日が出たばかりの京都は底冷えのする寒さだ。肌を刺すような冷たい風を思い切り顔に浴び、思わず身震いした。
それにしても、クリスマスの日くらいバイト休みたかったな。
科学世紀における最大の敵はウイルスと言っても過言ではないのかもしれないと、講義棟へ行く途中にそんなことを考えていた。
ホールから奥に引っ込んだ私は思わずため息を漏らした。やっと客足が減り、仕事の量が減ってきたのだ。壁かけ時計を見ると、9時45分だった。
夕方の6時ごろから今まで、ひっきりなしに動き回ったせいで、ふくらはぎがパンパンになっていた。今すぐアキレス腱を伸ばす運動をしたいくらいだった。
「宇佐見さん、もう上がっていいよ。今日は臨時だったんでしょ?」
「いいんですか?」
眼鏡をかけた中年ながらダンディな店長が声をかけてくれた。
「今からお客さんも減っていくから大丈夫だよ。今日はヘルプありがとうね。クリスマス出勤は手当つくから」
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
店長や同僚に挨拶をし、ロッカールームに引っ込んだ。そこで一際大きなため息をついた。内側に溜まっていた疲れや不満を一気に吐き出したような気分だ。
立っていることすら辛く、パイプいすに座ったまま私は着替えを始めた。すると、携帯の通知ランプが光っていることに気付いた。
確認してみると、メリーからメールが届いていた。
『お店の前で待ってるから』
私はその文面の意味を理解しかねた。お店とはどのお店を指しているのか、今日は食事をしないはずなのに待っているとはどういうことか。疲れて回らない頭で言葉を処理しようとするが、うまくいかない。
送信時刻は午後9時25分。つい20分ほど前だ。つまり、メリーはこの店の前で待っているということなのか。
何度も首を傾げながらも私は制服から私服に着替え終え、お店の裏口から外に出た。下宿へはこのまま北に向かうのだけど、念のためと思い、店の表側に回ってみることにした。
入り口には着膨れした一人の影があった。まさかと思い近づいてみると、見間違えるはずもない、金髪が目に入った。
いつもの帽子とは違う白いニット帽をかぶり、寒そうに震えるメリーだった。必死に身体を動かそうとその場で足踏みを繰り返していた。
「あら蓮子、早かったのね」
私に気付いたメリーは、寒さなんてどうってことないですよとばかりに笑顔で話しかけてきた。本当はすごく寒いのに我慢しているのがすぐに分かった。
「メリー……私のメール見たよね?」
「ええ。だからここにいるんじゃない。蓮子がバイト終わるの待ってたの」
「私は今日は行けないって言ったのよ」
「大丈夫。今から行けるお店見つけたから。行きましょう」
そう言うとメリーは私の手を取って歩き出した。メリーの手は氷のように冷たくなっていた。
歩き出したメリーは急に無口になった。私はメリーの中に何か普段とは違う感情が生まれていることを察した。私が金曜日にバイトを入れたことを怒っているのだろうか。表情も心なしか硬く見える。
メリーは飲食店があるような方向とはまるで違う方へ私の手を引っ張っていく。どこに行くの? とは聞けなかった。その時のメリーは何か強い決意に満ち溢れた様子だったのだ。
12月25日の午後10時。手を繋いで通りを歩く二人の女。今日だけは私たちもカップルに見えるかもしれない。秘封倶楽部の活動の時も手を繋ぐことはあるけど、あれはどちらかと言えば冒険隊のような雰囲気になる。
繁華街から離れ、徐々に住宅街に入ってきた。こんなところに穴場のお店があるのなら、メリーのリサーチに大いに感謝するけど、果たしてどうなることやら。
「着いたわ」
その言葉で顔を上げると、そこはメリーの下宿のマンションの前だった。私はわけが分からずメリーに聞き返す。
「えっと、つまりメリーの家で食事会?」
一瞬俯いたメリーはすぐに顔を戻して「そうよ」と力強く言い放った。そしてまた私の手を引っ張り、メリーの部屋へと向かっていく。
「メリーの部屋に来るの何回目だっけ」
「4回目よ」
「そっか。何だか今日も酔ってお泊まりになりそうね」
「だいたい想像はつくわ。あ、ちょっとだけ待ってて」
扉の前に着くとメリーは先に入って部屋の中で何かの準備をしているようだった。2分ほど経つとドアが開き、中からサンタの赤い帽子をかぶったメリーが出てきた。かわいい。
中に入ると、壁や天井のいたるところにクリスマスの装飾が施されていた。そしてリビングに入ると、テーブルにはご馳走やお酒が綺麗にセットされていた。
「すごいわねメリー! これ全部一人でやったの?」
「そうよ。四限終わりに買い物に行って、蓮子のバイトが終わるまでに仕上げたの」
「お酒もご馳走もあるし」
「ケーキもちゃんと冷蔵庫にあるわよ」
「さすがメリー!」
テーブルには純白のクロスが引かれ、その上にシャンパンとワインが一本ずつ、それにチキンやお酒に合いそうなおつまみが揃っている。そして椅子の上には何故かメリーがかぶっているのと同じ赤い帽子が置いてあった。
「それかぶってね。雰囲気出るでしょ?」
「メリーったらおちゃめね」
「さ、座って乾杯しましょう」
シャンパンの栓を慣れた手つきで抜くと、メリーは用意されていたオシャレなグラスに注いだ。わずかに肌色がかった透明な液体から泡が上がっている。
二人でグラスを持ち上げると、ちょうど視線が合った。メリーは嬉しそうに微笑んでいる。
「何に乾杯する?」
「え? キリストの誕生じゃないの?」
「だって蓮子キリスト教徒じゃないでしょ?」
「じゃあ、秘封倶楽部の今年一年の活動に」
「ふふ、蓮子らしいわ」
乾杯、と軽くグラスを合わせた。シャンパンは甘さの後に炭酸が口の中で広がり、最後にアルコールの香りを残した。すっきりしていて飲みやすい。
「ねえ、これ全部用意するの、結構お金かかったんじゃない?」
「今はそんなこと気にしないで」
「ということは、後で請求されるのね」
「当然でしょ」
メリーの用意してくれた料理はどれも美味しかった。そして、お酒を飲んで食事をしていると、いつの間にかクリスマス会というよりは、いつもの食事会の雰囲気に戻っていた。
私はバイトの愚痴をメリーに聞いてもらった。メリーはお酒が入っているからか、嫌な顔一つせずに楽しそうに聞いてくれる。そうなると私もどんどん饒舌になって、最後にはインフルエンザの同僚についてまで文句を言っていた。
「最近の子は免疫力が低いのよ。科学世紀も考えものね。とにかく綺麗なところで一年中過ごしてるから、ちょっと人ごみにいったらもうアウトよ。埃が何だって言うの? 私の下宿なんて埃っぽいけど風邪一つひいてないじゃない!」
「蓮子は図太いからねー。ウイルス? なにそれ、私の身体の中で生きられると思ってるの? って感じで追い払いそう」
「そんなこと言って、メリーだって風邪ひかないじゃない!」
「ウイルスのほうが遠慮してるのよ」
お酒が回ってくるとこういった馬鹿な話し合いも盛んになった。メリーはお酒に酔うと身体が左右に揺れ始める。頬を染めながら振り子時計のように一定のリズムを刻むメリーは、特別天然記念物に指定したいくらいかわいい。
「メリー酔ってる?」
「すこしだけー」
「酔ったらその振れ幅もっと大きくなるんじゃない」
赤ワインをメリーのグラスに注ぐと、メリーもお返しとして、まだワインが残っているグラスに追加して注いできた。
普段と違ってお店ではないから、好きなだけ騒げるし、酔って潰れても心配はない。というか、私はメリーの家で毎回酔って潰れて寝てしまっている。
料理が概ね片付いたところで、メリーがケーキを出してくれた。直径12センチ程度の小さなホールケーキで、定番のイチゴショートだった。二人で食べるには少し大きいだろうか。
メリーは酔っているはずなのに、何事もなくケーキを四等分に切り分けた。その後、「Merry X mas」と書かれたチョコのプレートをどちらが食べるかで数分ほど揉めた。結局じゃんけんで勝ったメリーが食べることになった。
「今年もいろいろあったわね」
「そうね。私としてはサナトリウムに入ったことが一番記憶に残ってるわ。あれのせいで私は前期の単位を全部落とすところだったのよ。何とか教授に頼み込んでレポート出して単位もらえたけど」
「あの時の傷ってまだ残ってるの?」
「ええ。全然消えそうにないわ」
ケーキをフォークに刺して口に入れると、しっとりとした記事とクリームの甘さが口の中に広がる。女の子はケーキを食べてる時が本当に幸せなのだ。メリーも美味しさのあまり頬を押さえている。
「今日はメリーと一緒にいられてよかった」
「どうしたの急に」
私はフォークをお皿に置いてメリーを見据えた。
「クリスマスはもちろんそうだけど、やっぱり金曜日はメリーと食事っていうのが習慣だからね」
「あら、蓮子ってあまりルーチンを気にしない人だと思ってたわ」
「まあ、間違いではないわ。私がメリーと食事をするのは、ルーチンだからじゃないわよ? メリーといると楽しいからよ」
フォークを持つメリーの手が止まった。それから静かにフォークを置いたメリーは不安そうな顔を上げて口を開きかけた。しかし言葉は出てこなかった。
大きな呼吸を一つ置き、少しためらってからメリーは笑顔になって言った。
「私も、蓮子と食事するのが楽しいわ。だから今日もこうやって準備したのよ。ルーチンなんかじゃないわ」
ケーキを食べ終えた私たちは再びお酒を飲み始めた。飲み残したワインやチューハイをグラスに注いでは体内に収めていく。メリーは相変わらず身体を左右に振っている。中でお酒が回りそうな動きだけど大丈夫だろうか。
気づけば日付が変わる時刻になっていた。ふと窓の外を見ると、大粒の雪がすごい勢いで地面に向かって降っていた。
「これ、積もるんじゃない?」
「かもしれないわね。天気予報でも言ってたわ」
「こんな吹雪の中じゃ帰れないので、泊めてくれますかメリーさん」
「最初から泊まるつもりだったでしょ?」
「えへへ、泊まるというか、いつものように酔いつぶれて寝ちゃうかなあと」
「はいはい。もう慣れましたよ」
メリーはお母さんのように優しい返事をしてくれた。メリーの声の高さは私を安心させてくれる心地よいものなのだ。
グラスに残っていたワインを一気に飲み干し、喉を抜けていく甘さとアルコールを味わう。アルコールの作用で身体全体が、特に顔がとても熱くなっていた。
私はグラスを置いてテーブルに突っ伏した。あ、だめだ、これ絶対寝ちゃう、と思いながらも身体は起き上がらない。やがて視界が暗くなり、意識がすうっと遠のいていった。
#マエリベリー・ハーン
あ、これ絶対寝るわ。でもせっかくだし起こさないであげよう。
目の前で机に突っ伏して眠る蓮子に、私は敢えて声をかけなかった。いつものことだし、起こしてもまた数分経てば寝てしまう。一度眠くなった身体はそう簡単に覚醒しないのだ。
日付は12月26日へと変わっていた。蓮子との毎週の約束だった『金曜日』は終わり、今は土曜日だ。そして同時に、クリスマスも終わった。
椅子から立ち上がって毛布を取りに行く。少しふらふらするけどまだ歩くことはできる。四回目ともなれば対応も素早くなるものだ。
押入れから毛布を取り出して蓮子の肩にかけてあげる。それから風邪をひかないように、暖房の温度を少し上げた。そうして私は再び蓮子の向かい側の椅子に腰を下ろした。
静かに肩を上下させる蓮子を見ていると、先ほどためらってしまったことに対する後悔の念が込み上げてきた。
どうして言えなかったんだろう。
自分の臆病さに嫌気が差す。
蓮子は私と一緒にいるのが楽しいと言ってくれた。それは私も同じよと私は言った。
この言葉は嘘ではない。しかし、二つの同じ言葉の裏にはそれぞれ違う気持ちが隠れているのだ。蓮子が私に向けてくれる感情は、きっと『友愛』だろう。しかし、私が蓮子に向ける感情はきっと違う。
私の前で可愛い寝顔を見せてくれる蓮子に対して、私は友愛以上の感情を持っている。
私は立ち上がって蓮子の後ろに回り込んだ。後ろから抱き付くように蓮子のお腹に手を回し、頭頂部に顎を乗せる。蓮子の髪の毛の香りがする。蓮子の暖かいお腹が手のひらを通して全身に伝わってくる。
蓮子の耳元に口を近づけた私は、かすれて今にも消えてしまいそうな小さな声で囁いた。
「そんな無防備な寝顔を見せてもいいの?」
蓮子は起きる素振りを見せなかった。胸がズキンと痛んだ。
私を信用してくれているのだ。蓮子は、私の前でなら眠ってしまっても、寝顔を見られてもいいと思っているのだ。これは、かなり親しい友達にしか抱けない感情だと思う。
私は、蓮子のことが好きよ。好きだから、一緒にいたいの。
あの時ちゃんと言えていたら、今頃どうなっていただろう。蓮子は私のことを気持ち悪いと思っただろうか。それとも受け入れてくれただろうか。
少なくとも、こんな風に無防備に眠ってしまうことはなかったはずだ。恋愛対象として好きだと打ち明けられた相手の前で、こんなことはするはずがない。
襲ってしまおうと何度も考えた。けど、いつも私は実行できなかった。私の中の理性がストップをかけていた。
蓮子は私を信用してくれている。その信用につけこんで襲うなんて卑怯なことを、私はできなかった。
だからいつも、私は蓮子に毛布をかけるだけで。
何もできずに朝を迎えてしまう。
これほどもどかしい時間が他にあるだろうか。
私が男だったら、なんてありもしない妄想を最近はよくしてしまう。男だったら、ちゃんと恋愛の関係になれたかもしれないのにと。でもそれは表面上の話であって、本質的には上手くいかない。
私が男だったら、秘封倶楽部は多分成立していないだろうし、こうやって家に招くこともできなかったと思う。
食事会も、お泊まりも、朝帰りも、全ては同性による距離の近さで成り立っているのだ。女の友人であるからこそできることなのだ。
しかし、女同士だからこそ、友人の壁は越えられない。近づくことは容易でも、くっつくことはできないのだ。
私はこのジレンマからの解放を求めていた。だから今日、自宅に招いてまで蓮子と食事をし、気持ちを伝えるはずだった。例え告白が成功しても失敗しても、どちらかに転べばそれでいいと思っていた。
臆病な私は今日も気持ちを伝えることができなかった。
「ねえ、どうすればいいの」
再び蓮子の耳元で囁く。しかし私のジレンマを作り出している蓮子は、穏やかな顔で寝息を立てているだけだ。
私に必要なのは、気持ちを伝える勇気なのか。それともすっぱり諦める気持ちの割り切りなのか。あるいはこの『好き』という感情が消えてしまうことが一番なのかもしれない。
『好き』が消えれば、私は幸せになれるだろうか。本来幸せになるために使われるはずのこの気持ちを消してしまえば、私は楽になれるのだろうか。
思考に疲れた私は蓮子から離れ、もう一枚の毛布を取り出し、リビングの床に寝転んだ。
暖房も効いてるし、布団は敷かなくても大丈夫だろう。
薄れていく意識と視界の中で、私は蓮子がいつもかぶっている帽子が置いてあるのを見つけた。毛布にくるまりながら私はもぞもぞと這いつくばって、ようやくその帽子を手にした。
黒のベースに白いリボンが巻かれた帽子。かぶってみると、私には少し小さかった。蓮子は頭が小さいのね。こっそり匂いを嗅ぐと、先ほど嗅いだ蓮子の髪の毛と同じ匂いがした。
私はその帽子にキスをした。蓮子の身体にキスをしているかのような気分で、何度も何度も唇を落とした。
「蓮子……」
帽子は冷たかった。当然返事もしない。
私は型崩れしないように帽子を柔らかく抱きしめた。先ほど嗅いだ匂いも相まって、まるで蓮子の身体を抱いているような気がした。
「おやすみ、蓮子」
毛布にくるまって蓮子と眠っている自分を妄想していると、やがて、意識は薄れていった。腕の中の蓮子は私の体温で少しだけ暖かくなっていた。
『金曜日はバイトを入れない』
これは私の習慣になっていたし、相方の蓮子も同じであった。金曜日は毎週、秘封倶楽部は一緒に食事をする日と決めていたのだ。
始まりは夏休みだった。普段は大学でよく顔を合わせていた私たちは、大学が夏季休業に入ると会う頻度がぐっと下がってしまった。
そんな状況に何かを思ったのだろう。蓮子は週一回私を食事に誘うようになった。
私も蓮子といるのは楽しかったし、下宿に一人でいても暇だったから、すぐにいいよと返事をした。
その時たまたま二人ともバイトが入っていなかったのが、金曜日だったのである。
そんなわけで私たちは金曜日に、どこかしらのお店で外食をする。私がお店を決めると、次の週は蓮子がお店を決めた。
行くお店といえば、ファミレスや焼き鳥屋、居酒屋などがメインで、たまにラーメンを食べに行った。
でも正直に打ち明けると、お店はどこでもよかった。
食事とは何を食べるかではなく、誰と食べるかが大事であるということを私は知っていたから。
蓮子と食べる食事は大抵のものが美味しく感じられた。そして料理の味だけでなく、食事の際の空気もとても心地よかった。
波長がうまく合うのだ。それは二人でシーソーに乗っているかのようだった。私が上がると蓮子が下がり、蓮子が上がると私が下がるといった雰囲気なのだ。
蓮子も私との食事を楽しんでくれているようだった。美味しいかどうか怪しいメニューに挑戦しては私を笑わせてくれた。
話す内容はといえば、大学のこと、バイトのこと、そして世間話だった。秘封倶楽部の話は敢えてあまり話さなかった。
金曜日の夕食の時だけは、私たちはどこにでもいそうな女子大生の二人組なのだ。
初めは食事に行くことが一つの非日常として感じられていたのに、今ではそれも日常の一部になっている。
だけど、いつか日常でなくなってしまうのではないかと思うこともあった。
今回は正に、そうなってしまう可能性のある出来事が起こったのだ。
今年の12月25日は金曜日だった。
私たちはわざわざ木曜日に「明日大丈夫?」などと確認はしていなかった。
それだけ、二人の食事は当たり前のこととして日常に組み込まれていたのだ。
だから、朝起きて蓮子からメールが送られていることに気付き、私は嫌な予感がした。
『ごめんねメリー。バイト先の子が二人インフルエンザになっちゃって、どうしても人が足りないからバイト入ってって言われたの。
バイトは夜の10時までなの。だから今夜の食事は行けそうにないわ。本当にごめんね。埋め合わせは必ずするから』
送信時刻から察すると、一限前に慌てて打ったようだ。蓮子の申し訳なさは伝わってきたけど、その文章はどこか事務的にも見えた。
『いいのよ。それは蓮子が悪いわけじゃないでしょう。明日から冬休みだし、いつでも行けるわよ』
少し文面を考え、蓮子が気を遣わないようにした。
京都の朝は本当に寒い。私は布団からなかなか出られず、携帯をいじっていた。
二限の授業まではまだ時間がある。しかし、私が布団から出ない理由はそれだけではなかった。
『金曜日は蓮子と食事をする日』というルーチンが崩れたことに、私はひどく困惑していたのだ。
まだ食事の時間までは12時間はある。しかし、ルーチンというのは先の方が崩れると、どんどん手前のほうにも影響を及ぼしてくる。
今週は私がお店を探す日だった。私は金曜日の朝から放課後までの間、その日の気分と相談しながら、ゆっくりとお店を決めるのが習慣だった。
金曜日の授業は他の曜日に比べると集中力が欠ける程度には、私のルーチンの中にそのお店決めが含まれていたのだ。
それがふいになくなってしまった私は、予定のない長期休みの真ん中あたりにぽんと放り込まれたような気分になった。
蓮子との食事がなくなるというのは、それだけ私にとって大きなことなのだ。授業が一コマ休講になるのとはわけが違う。
急に目標が失われたような気がして、私は布団から動けなかった。もちろん、蓮子と食事するために授業を受けに行っていたわけではないのだけれど。
はあ、と溜息をつく。そろそろ起きなければ二限に間に合わなくなる。もういっそのことサボってしまおうかと現実逃避も視野に入れる。しかし、学期の後半はテストに向けて重要な内容が増えるということを思い出し、結局授業に出ることにした。
顔を洗う、歯を磨くといった普段の行動がなぜか空虚なもののように思えてきた。これも蓮子と食事に行けなくなったからだろうか。
蓮子はどう思っているのだろう。私と同じように、穴が開いたような気分で授業を受けているのだろうか。明日から冬休みだしと前向きに考えているのだろうか。
蓮子はルーチンとは縁遠い性格だ。カフェやファミレスに行っても絶対に同じものを頼まない。お気に入りのメニューがあっても、新しいメニューに挑戦するのだ。同じことばかりしていてはつまらない、という考え方なのかもしれない。
むしろいつも違うことをしようというのが蓮子のルーチンなのかもしれない。
下宿を出る前に鏡で身だしなみをチェックする。そこには冴えない顔をした自分が映っている。長期休み明けの大学に行く前のようだ。
蓮子との食事一つが無くなるだけでこんなになるなんて、情けないわね。
鏡の向こうの自分にしっかりしなさい、と言い聞かせて私は下宿を後にした。
今シーズンもっとも強い寒気が流れ込んでいると天気予報は伝えていた。京都市内でも雪が積もると言っていたが本当だろうか。科学世紀においても天気予報は外れることがあるのだ。
マフラーを口元まで上げて冷たい空気から身を守る。それでも覆いきれない肌の部分には容赦なく風が当たる。早く暖房の効いた講義室に入りたい。そう思って歩くペースを上げた。
二限前の大学は人がいつもよりまばらだった。みんな大学をサボって遊びに行っているのだろうか。カップルは昼間からホテルで愛を営んでいるのかもしれない。
講義を受けているときに私は他の人の容姿に着目した。普段着よりも少しオシャレな服を着て、いつもより気合の入ったメイクをしている人たちが何人かいた。きっとあの人たちは講義の後にデートに出かけるのだろう。
そういえば私は普段と変わらない恰好で大学に来てしまった。蓮子と食事をしないと決まって、私は特に服を悩むことなく適当に決めたのだった。他人の目には、クリスマスに一緒に過ごす人がいない寂しい人に見えるのだろうか。
いや、でもそれは間違っていないのかもしれない。
私と蓮子は決して「クリスマス」に会う約束などしていないのだから。
あくまで金曜日がクリスマスと重なっただけなのだ。食事をした後にデートをするわけでもない。そもそも女同士でデートも何もないが。
今からでもバイトを入れてしまおうか。私は講義中にも関わらず携帯を取り出し、電話帳からバイト先の店長の番号を表示させる。しかし、そこで一つ嫌なことを思い出した。
私が12月のシフトを出した時のことだった。店長は私が25日に休むことについて恋人とデートするんだろうと聞いてきたのだ。
「違いますよ。金曜日は毎週お休み頂いてるので、たまたまです」
「ほんとに? 彼氏とデートなんじゃないの?」
「私、彼氏とかいませんから……」
店長は私が嘘をついていると思い込んでいた。ふーん、と顎に手を当てながら得意げな表情で私を見ていた。
そんな店長に今更電話して、今日は入れます、なんて言えるはずがない。人手不足のお店は助かるだろうけど。
今日何度目か分からない溜息をつく。窓の外は見てるだけで凍えそうな風が吹いている。どこかに一人で行く気にもなれないし、下宿で一人じっとしているのも寂しい。
講義中はずっとそんなことを考えていて、内容は上の空だった。四限が終わって講義棟から出ると、微かに粉雪が舞っていた。
いつもならこの時間に蓮子と待ち合わせをして、二人で時間をつぶしてから食事に行くのだが、あいにく今日は私の隣を歩いてくれる人はいない。
カップルが一組、二組……数えていてはキリがないくらい多かった。彼らは今から映画に行き、買い物に行き、食事に行き、そしてホテルへと行くのだろうか。
蓮子がバイトを終える時間は午後10時。それからどこかお店に食べに行っては遅い。蓮子はファミレスでバイトしている。遅くなることがあっても早く上がれることはないだろう。
どうにかして蓮子と食事をしようとしている自分になんだか嫌気が差してきた。どうして私はこんなに必死になっているのだろう。
粉雪が舞う中、下宿へと歩き出す。目を閉じてみると、暗闇の中に蓮子の顔が浮かんだ。ステーキを美味しそうに頬張っている。確か、いつかステーキハウスに二人で行ったときの記憶だ。
他にも様々な記憶を想起した。そのほとんどが金曜日の夕食の記憶だった。そしてその記憶の中ではいつも蓮子が笑っていた。
私ってだめね、蓮子。
たった一回あなたと食事に行けないだけで、頭の中が蓮子でいっぱいになるの。おかしいでしょ。笑ってくれていいのよ。
白い結晶が絶え間なく落ちてくる空に、私は静かに呟いた。
雪は地面に落ちるとすぐにシミになっていった。本当に積もるのだろうか。
地面についた途端に形を変えて、綺麗でもなんでもないただのシミになってしまう。雪はなんて儚いんだろう。
成分は同じはずなのに、温度の違いでこれほどまで形を変えてしまうなんて。
もしかしたら、私たちも雪と同じような感じなのかしら。私と蓮子がいるということは変わらなくても、二人の関係はいつか形を変えてしまうのだろうか。
結晶の時は固く結ばれていたのに、水になった途端に形を失ってばらばらになってしまう雪のように、私たちもいつか、離れ離れになってしまうの?
今日がそのきっかけになってしまうの? 地面についた瞬間だということなの?
そんなの私は嫌だ。蓮子も嫌だと思っていてほしい。
私は道の真ん中で唐突に立ち止まった。周囲を歩く学生が怪訝そうに通り過ぎていく。私は一つ、大きく呼吸した。それからくるりと身体を反転させ、最寄りのスーパーへ足を向けた。
私はまだ、蓮子に言いたいことがある。
私は雪を降らす灰色の雲を見上げ、今日こそはちゃんと言おうと決意した。
#宇佐見蓮子
朝目が覚めて、真っ先に携帯の通知ランプが目に入った。緑色に点滅するそれは、着信を知らせるサインだった。私はこの時点で嫌な予感がしていたが、どうか的中しませんようにと恐る恐る画面を見た。
そこには不在着信が2件。二つともバイト先の同僚からだった。
ああ、やってしまったか。私は最悪の事態を想定しながらその同僚に折り返し電話をかけた。
「もしもし、宇佐見さん」
「おはよう。どうしたの?」
先の言葉は聞かずとも分かっていた。最初の声がとてもだるそうだったことから、彼女が体調不良でバイトの交代をお願いしようとしていることを察してしまったのだ。
それでも、一縷の望みを胸に、どうしたの? と聞いてみた。
「実は、私も、インフルエンザになっちゃって……」
彼女で二人目である。一人ならまだしもこれでは交代で出勤もやむなしである。
私は「全然いいよ。私恋人とかいないし、予定ないから」と相手が気を遣わずに済むような言葉を言って電話を切った。自分で言っておいて後で少しだけ辛くなった。
今日はメリーと食事の日なのに。なんて運が悪いのかしら。
しかし、出勤すべき人数が二人減っては現場が回らない。ただでさえ今日はクリスマスなのだ。レストランは書き入れ時と言ってもいいほどお客さんがやってくる。
今度自分もインフルエンザだと嘘をついて休んでやろうかと考えながら、私は布団から少しずつ身体を出していった。
メリーと金曜日に食事するのは私の毎週の楽しみだった。せっかく今日まで毎週続けていたのに、なんだか残念だなあ。
朝食は二限の時間に食べることにする。急いで髪をとかし、いつもの服に着替え、洗顔を済ませて大学へ向かった。一限までもう時間がなかった。
遅刻癖も治さなきゃいけないなあと寒空の下を歩きながら思った。しかし、メリーは何分遅刻しても、怒りはするものの許してくれる。だから私はいつも甘えて時間にルーズになるのだ。
己の問題なのにメリーのせいにしようとしていることに気付き反省した。
大学までの道中で私はメリーにメールを打っておいた。メリーは二限からだからきっとまだ起床してない。しばらくしてからメールを見ることになるだろう。
メリーは食事会が中止になることについてどう思うだろう。案外あっさりと「そう。分かったわ」なんて返事をするのかもしれない。「どうして? 毎週の習慣なのに」と面倒くさい女のように駄々をこねるメリーは微塵も想像できなかった。基本的に聞き分けがいい子なのだ。
まだ日が出たばかりの京都は底冷えのする寒さだ。肌を刺すような冷たい風を思い切り顔に浴び、思わず身震いした。
それにしても、クリスマスの日くらいバイト休みたかったな。
科学世紀における最大の敵はウイルスと言っても過言ではないのかもしれないと、講義棟へ行く途中にそんなことを考えていた。
ホールから奥に引っ込んだ私は思わずため息を漏らした。やっと客足が減り、仕事の量が減ってきたのだ。壁かけ時計を見ると、9時45分だった。
夕方の6時ごろから今まで、ひっきりなしに動き回ったせいで、ふくらはぎがパンパンになっていた。今すぐアキレス腱を伸ばす運動をしたいくらいだった。
「宇佐見さん、もう上がっていいよ。今日は臨時だったんでしょ?」
「いいんですか?」
眼鏡をかけた中年ながらダンディな店長が声をかけてくれた。
「今からお客さんも減っていくから大丈夫だよ。今日はヘルプありがとうね。クリスマス出勤は手当つくから」
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
店長や同僚に挨拶をし、ロッカールームに引っ込んだ。そこで一際大きなため息をついた。内側に溜まっていた疲れや不満を一気に吐き出したような気分だ。
立っていることすら辛く、パイプいすに座ったまま私は着替えを始めた。すると、携帯の通知ランプが光っていることに気付いた。
確認してみると、メリーからメールが届いていた。
『お店の前で待ってるから』
私はその文面の意味を理解しかねた。お店とはどのお店を指しているのか、今日は食事をしないはずなのに待っているとはどういうことか。疲れて回らない頭で言葉を処理しようとするが、うまくいかない。
送信時刻は午後9時25分。つい20分ほど前だ。つまり、メリーはこの店の前で待っているということなのか。
何度も首を傾げながらも私は制服から私服に着替え終え、お店の裏口から外に出た。下宿へはこのまま北に向かうのだけど、念のためと思い、店の表側に回ってみることにした。
入り口には着膨れした一人の影があった。まさかと思い近づいてみると、見間違えるはずもない、金髪が目に入った。
いつもの帽子とは違う白いニット帽をかぶり、寒そうに震えるメリーだった。必死に身体を動かそうとその場で足踏みを繰り返していた。
「あら蓮子、早かったのね」
私に気付いたメリーは、寒さなんてどうってことないですよとばかりに笑顔で話しかけてきた。本当はすごく寒いのに我慢しているのがすぐに分かった。
「メリー……私のメール見たよね?」
「ええ。だからここにいるんじゃない。蓮子がバイト終わるの待ってたの」
「私は今日は行けないって言ったのよ」
「大丈夫。今から行けるお店見つけたから。行きましょう」
そう言うとメリーは私の手を取って歩き出した。メリーの手は氷のように冷たくなっていた。
歩き出したメリーは急に無口になった。私はメリーの中に何か普段とは違う感情が生まれていることを察した。私が金曜日にバイトを入れたことを怒っているのだろうか。表情も心なしか硬く見える。
メリーは飲食店があるような方向とはまるで違う方へ私の手を引っ張っていく。どこに行くの? とは聞けなかった。その時のメリーは何か強い決意に満ち溢れた様子だったのだ。
12月25日の午後10時。手を繋いで通りを歩く二人の女。今日だけは私たちもカップルに見えるかもしれない。秘封倶楽部の活動の時も手を繋ぐことはあるけど、あれはどちらかと言えば冒険隊のような雰囲気になる。
繁華街から離れ、徐々に住宅街に入ってきた。こんなところに穴場のお店があるのなら、メリーのリサーチに大いに感謝するけど、果たしてどうなることやら。
「着いたわ」
その言葉で顔を上げると、そこはメリーの下宿のマンションの前だった。私はわけが分からずメリーに聞き返す。
「えっと、つまりメリーの家で食事会?」
一瞬俯いたメリーはすぐに顔を戻して「そうよ」と力強く言い放った。そしてまた私の手を引っ張り、メリーの部屋へと向かっていく。
「メリーの部屋に来るの何回目だっけ」
「4回目よ」
「そっか。何だか今日も酔ってお泊まりになりそうね」
「だいたい想像はつくわ。あ、ちょっとだけ待ってて」
扉の前に着くとメリーは先に入って部屋の中で何かの準備をしているようだった。2分ほど経つとドアが開き、中からサンタの赤い帽子をかぶったメリーが出てきた。かわいい。
中に入ると、壁や天井のいたるところにクリスマスの装飾が施されていた。そしてリビングに入ると、テーブルにはご馳走やお酒が綺麗にセットされていた。
「すごいわねメリー! これ全部一人でやったの?」
「そうよ。四限終わりに買い物に行って、蓮子のバイトが終わるまでに仕上げたの」
「お酒もご馳走もあるし」
「ケーキもちゃんと冷蔵庫にあるわよ」
「さすがメリー!」
テーブルには純白のクロスが引かれ、その上にシャンパンとワインが一本ずつ、それにチキンやお酒に合いそうなおつまみが揃っている。そして椅子の上には何故かメリーがかぶっているのと同じ赤い帽子が置いてあった。
「それかぶってね。雰囲気出るでしょ?」
「メリーったらおちゃめね」
「さ、座って乾杯しましょう」
シャンパンの栓を慣れた手つきで抜くと、メリーは用意されていたオシャレなグラスに注いだ。わずかに肌色がかった透明な液体から泡が上がっている。
二人でグラスを持ち上げると、ちょうど視線が合った。メリーは嬉しそうに微笑んでいる。
「何に乾杯する?」
「え? キリストの誕生じゃないの?」
「だって蓮子キリスト教徒じゃないでしょ?」
「じゃあ、秘封倶楽部の今年一年の活動に」
「ふふ、蓮子らしいわ」
乾杯、と軽くグラスを合わせた。シャンパンは甘さの後に炭酸が口の中で広がり、最後にアルコールの香りを残した。すっきりしていて飲みやすい。
「ねえ、これ全部用意するの、結構お金かかったんじゃない?」
「今はそんなこと気にしないで」
「ということは、後で請求されるのね」
「当然でしょ」
メリーの用意してくれた料理はどれも美味しかった。そして、お酒を飲んで食事をしていると、いつの間にかクリスマス会というよりは、いつもの食事会の雰囲気に戻っていた。
私はバイトの愚痴をメリーに聞いてもらった。メリーはお酒が入っているからか、嫌な顔一つせずに楽しそうに聞いてくれる。そうなると私もどんどん饒舌になって、最後にはインフルエンザの同僚についてまで文句を言っていた。
「最近の子は免疫力が低いのよ。科学世紀も考えものね。とにかく綺麗なところで一年中過ごしてるから、ちょっと人ごみにいったらもうアウトよ。埃が何だって言うの? 私の下宿なんて埃っぽいけど風邪一つひいてないじゃない!」
「蓮子は図太いからねー。ウイルス? なにそれ、私の身体の中で生きられると思ってるの? って感じで追い払いそう」
「そんなこと言って、メリーだって風邪ひかないじゃない!」
「ウイルスのほうが遠慮してるのよ」
お酒が回ってくるとこういった馬鹿な話し合いも盛んになった。メリーはお酒に酔うと身体が左右に揺れ始める。頬を染めながら振り子時計のように一定のリズムを刻むメリーは、特別天然記念物に指定したいくらいかわいい。
「メリー酔ってる?」
「すこしだけー」
「酔ったらその振れ幅もっと大きくなるんじゃない」
赤ワインをメリーのグラスに注ぐと、メリーもお返しとして、まだワインが残っているグラスに追加して注いできた。
普段と違ってお店ではないから、好きなだけ騒げるし、酔って潰れても心配はない。というか、私はメリーの家で毎回酔って潰れて寝てしまっている。
料理が概ね片付いたところで、メリーがケーキを出してくれた。直径12センチ程度の小さなホールケーキで、定番のイチゴショートだった。二人で食べるには少し大きいだろうか。
メリーは酔っているはずなのに、何事もなくケーキを四等分に切り分けた。その後、「Merry X mas」と書かれたチョコのプレートをどちらが食べるかで数分ほど揉めた。結局じゃんけんで勝ったメリーが食べることになった。
「今年もいろいろあったわね」
「そうね。私としてはサナトリウムに入ったことが一番記憶に残ってるわ。あれのせいで私は前期の単位を全部落とすところだったのよ。何とか教授に頼み込んでレポート出して単位もらえたけど」
「あの時の傷ってまだ残ってるの?」
「ええ。全然消えそうにないわ」
ケーキをフォークに刺して口に入れると、しっとりとした記事とクリームの甘さが口の中に広がる。女の子はケーキを食べてる時が本当に幸せなのだ。メリーも美味しさのあまり頬を押さえている。
「今日はメリーと一緒にいられてよかった」
「どうしたの急に」
私はフォークをお皿に置いてメリーを見据えた。
「クリスマスはもちろんそうだけど、やっぱり金曜日はメリーと食事っていうのが習慣だからね」
「あら、蓮子ってあまりルーチンを気にしない人だと思ってたわ」
「まあ、間違いではないわ。私がメリーと食事をするのは、ルーチンだからじゃないわよ? メリーといると楽しいからよ」
フォークを持つメリーの手が止まった。それから静かにフォークを置いたメリーは不安そうな顔を上げて口を開きかけた。しかし言葉は出てこなかった。
大きな呼吸を一つ置き、少しためらってからメリーは笑顔になって言った。
「私も、蓮子と食事するのが楽しいわ。だから今日もこうやって準備したのよ。ルーチンなんかじゃないわ」
ケーキを食べ終えた私たちは再びお酒を飲み始めた。飲み残したワインやチューハイをグラスに注いでは体内に収めていく。メリーは相変わらず身体を左右に振っている。中でお酒が回りそうな動きだけど大丈夫だろうか。
気づけば日付が変わる時刻になっていた。ふと窓の外を見ると、大粒の雪がすごい勢いで地面に向かって降っていた。
「これ、積もるんじゃない?」
「かもしれないわね。天気予報でも言ってたわ」
「こんな吹雪の中じゃ帰れないので、泊めてくれますかメリーさん」
「最初から泊まるつもりだったでしょ?」
「えへへ、泊まるというか、いつものように酔いつぶれて寝ちゃうかなあと」
「はいはい。もう慣れましたよ」
メリーはお母さんのように優しい返事をしてくれた。メリーの声の高さは私を安心させてくれる心地よいものなのだ。
グラスに残っていたワインを一気に飲み干し、喉を抜けていく甘さとアルコールを味わう。アルコールの作用で身体全体が、特に顔がとても熱くなっていた。
私はグラスを置いてテーブルに突っ伏した。あ、だめだ、これ絶対寝ちゃう、と思いながらも身体は起き上がらない。やがて視界が暗くなり、意識がすうっと遠のいていった。
#マエリベリー・ハーン
あ、これ絶対寝るわ。でもせっかくだし起こさないであげよう。
目の前で机に突っ伏して眠る蓮子に、私は敢えて声をかけなかった。いつものことだし、起こしてもまた数分経てば寝てしまう。一度眠くなった身体はそう簡単に覚醒しないのだ。
日付は12月26日へと変わっていた。蓮子との毎週の約束だった『金曜日』は終わり、今は土曜日だ。そして同時に、クリスマスも終わった。
椅子から立ち上がって毛布を取りに行く。少しふらふらするけどまだ歩くことはできる。四回目ともなれば対応も素早くなるものだ。
押入れから毛布を取り出して蓮子の肩にかけてあげる。それから風邪をひかないように、暖房の温度を少し上げた。そうして私は再び蓮子の向かい側の椅子に腰を下ろした。
静かに肩を上下させる蓮子を見ていると、先ほどためらってしまったことに対する後悔の念が込み上げてきた。
どうして言えなかったんだろう。
自分の臆病さに嫌気が差す。
蓮子は私と一緒にいるのが楽しいと言ってくれた。それは私も同じよと私は言った。
この言葉は嘘ではない。しかし、二つの同じ言葉の裏にはそれぞれ違う気持ちが隠れているのだ。蓮子が私に向けてくれる感情は、きっと『友愛』だろう。しかし、私が蓮子に向ける感情はきっと違う。
私の前で可愛い寝顔を見せてくれる蓮子に対して、私は友愛以上の感情を持っている。
私は立ち上がって蓮子の後ろに回り込んだ。後ろから抱き付くように蓮子のお腹に手を回し、頭頂部に顎を乗せる。蓮子の髪の毛の香りがする。蓮子の暖かいお腹が手のひらを通して全身に伝わってくる。
蓮子の耳元に口を近づけた私は、かすれて今にも消えてしまいそうな小さな声で囁いた。
「そんな無防備な寝顔を見せてもいいの?」
蓮子は起きる素振りを見せなかった。胸がズキンと痛んだ。
私を信用してくれているのだ。蓮子は、私の前でなら眠ってしまっても、寝顔を見られてもいいと思っているのだ。これは、かなり親しい友達にしか抱けない感情だと思う。
私は、蓮子のことが好きよ。好きだから、一緒にいたいの。
あの時ちゃんと言えていたら、今頃どうなっていただろう。蓮子は私のことを気持ち悪いと思っただろうか。それとも受け入れてくれただろうか。
少なくとも、こんな風に無防備に眠ってしまうことはなかったはずだ。恋愛対象として好きだと打ち明けられた相手の前で、こんなことはするはずがない。
襲ってしまおうと何度も考えた。けど、いつも私は実行できなかった。私の中の理性がストップをかけていた。
蓮子は私を信用してくれている。その信用につけこんで襲うなんて卑怯なことを、私はできなかった。
だからいつも、私は蓮子に毛布をかけるだけで。
何もできずに朝を迎えてしまう。
これほどもどかしい時間が他にあるだろうか。
私が男だったら、なんてありもしない妄想を最近はよくしてしまう。男だったら、ちゃんと恋愛の関係になれたかもしれないのにと。でもそれは表面上の話であって、本質的には上手くいかない。
私が男だったら、秘封倶楽部は多分成立していないだろうし、こうやって家に招くこともできなかったと思う。
食事会も、お泊まりも、朝帰りも、全ては同性による距離の近さで成り立っているのだ。女の友人であるからこそできることなのだ。
しかし、女同士だからこそ、友人の壁は越えられない。近づくことは容易でも、くっつくことはできないのだ。
私はこのジレンマからの解放を求めていた。だから今日、自宅に招いてまで蓮子と食事をし、気持ちを伝えるはずだった。例え告白が成功しても失敗しても、どちらかに転べばそれでいいと思っていた。
臆病な私は今日も気持ちを伝えることができなかった。
「ねえ、どうすればいいの」
再び蓮子の耳元で囁く。しかし私のジレンマを作り出している蓮子は、穏やかな顔で寝息を立てているだけだ。
私に必要なのは、気持ちを伝える勇気なのか。それともすっぱり諦める気持ちの割り切りなのか。あるいはこの『好き』という感情が消えてしまうことが一番なのかもしれない。
『好き』が消えれば、私は幸せになれるだろうか。本来幸せになるために使われるはずのこの気持ちを消してしまえば、私は楽になれるのだろうか。
思考に疲れた私は蓮子から離れ、もう一枚の毛布を取り出し、リビングの床に寝転んだ。
暖房も効いてるし、布団は敷かなくても大丈夫だろう。
薄れていく意識と視界の中で、私は蓮子がいつもかぶっている帽子が置いてあるのを見つけた。毛布にくるまりながら私はもぞもぞと這いつくばって、ようやくその帽子を手にした。
黒のベースに白いリボンが巻かれた帽子。かぶってみると、私には少し小さかった。蓮子は頭が小さいのね。こっそり匂いを嗅ぐと、先ほど嗅いだ蓮子の髪の毛と同じ匂いがした。
私はその帽子にキスをした。蓮子の身体にキスをしているかのような気分で、何度も何度も唇を落とした。
「蓮子……」
帽子は冷たかった。当然返事もしない。
私は型崩れしないように帽子を柔らかく抱きしめた。先ほど嗅いだ匂いも相まって、まるで蓮子の身体を抱いているような気がした。
「おやすみ、蓮子」
毛布にくるまって蓮子と眠っている自分を妄想していると、やがて、意識は薄れていった。腕の中の蓮子は私の体温で少しだけ暖かくなっていた。
リアリティのある描写と、ゆったりとした雰囲気がよかったです。
やりすぎず、やらなすぎずの蓮メリで癒されました。(特に最後らへんのメリーが蓮子に抱きつくところとか!)
優しいお話で本当に面白かったです。
でも科学とは、できないことをできるようにし可能性を創出することにこそその意義があります。
科学世紀たる近未来では同性愛でも子供できるようになり社会における位置も視線も変わってるかもしれませんね。
来年のクリスマスこそは二人がちゅっちゅできますように。
もどかしいってつらいですよね。
素敵でした。
二人のこれからが楽しみです。
この気持ち凄く分かる・・・
四限を終えてからホームパーティを決意するにいたった心境の変化を想像すると、口からお砂糖とかスパイスとか吐きそうになる