Coolier - 新生・東方創想話

Wlii  ~其は赤にして赤編 4

2014/12/21 13:03:57
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夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭

最初
~其は赤にして赤編 1

一つ前
~其は赤にして赤編 3



    第五節 心裏の詩仙

「今度は誰を殺したの?」
 少女の声が残響する。
 少女の吐息が鼻をくすぐる。
 少女に頬を撫でられる。
 妖夢は怯える様に体を震わせ、少女を見つめながら首を横に振った。
 誰も殺してなんかいない。
 そう訴えるが、少女は「いけない子ね」と妖夢の頬を軽く叩き、背を向けて桜の下まで戻った。
 桜の下に辿り着いた少女は愛おしそうに桜の幹を撫でてから振り返る。桜の下で笑う少女はぞっとする程美しい。
「それで、もう二度とここには来ないと誓ったんじゃなかったの?」
 そうだその筈だ。そう誓った筈なのに、どうしてか妖夢はここに居る。
「今日は何の用?」
 少女の問いに、妖夢は答えられない。何故ここに居るのか自分で説明がつかない。
「また昔みたいにお話を聞かせてあげましょうか」
 妖夢は少女が何を言っているのか分からない。少女から何か話を聞いた覚えはないし、目の前の少女が何者かも想像はついているが本当の所は知らない。妖夢が知っているのは、少女が妖夢の両親を殺し、妖夢の祖父を連れ去ったという事だけ。
 そう。目の前の少女が、妖夢が孤独になってしまった元凶。
「それとも私を殺しに来たの?」
 その言葉を聞いた瞬間、妖夢の目の前が赤く明滅した。
 突然心の底から怒りが沸き上がってきた。
「そうだよ!」
 妖夢はそう言って刀を構える。何処から取り出したのだろうと一瞬不思議に思ったが、その疑問も含めたあらゆる思考は、目の前の少女に対する怒りで塗りつぶされた。
「幽々子がパパとママを盗った!」
 妖夢の怒声に、少女は寂しげな笑みだけを返す。
「お爺ちゃんもお前に!」
 妖夢の瞳から涙が溢れる。涙で少女が滲む。その後ろの桜も滲む。視界が滲んで混ざり合う。視界に桜色が滲んでいる。滲み過ぎてそこに何があるのか分からない。でもその桜色がどうしようもなく妖夢の癇に障った。
「幽々子が悪い! 出てって! パパとママを盗らないで!」
 滲んだ視界の中で、桜色が身動いだ。
「やめて」
 少女の声が聞こえる。
 知った事じゃない。
「何で! そっちが悪い! 私、やめてって言ったのに、パパとママ盗った! やめてって言ったのに! だからそっちがやめてって言ったってやめない!」
「ごめんなさい。お願い。私、妖夢の事好きよ。仲良くしましょう? ね? 優しい妖夢に戻って」
「嫌だ! じゃあパパとママを盗るな!」
 妖夢が踏み出すと、桜色が転ぶ。転んだそれを冷徹に見下ろしながら、妖夢は刀を握りしめる。桜色がぐねぐねと動きながら妖夢と距離を取ろうとする。それを妖夢はゆっくり追いかける。
「分かった。もう盗らないから」
「嘘吐き!」
 命乞いを間髪入れずに拒絶して、握る手に力を込める。
「やめて!」
「嘘吐き!」
 妖夢は涙を拭う。
 涙を浮かべて怯えきった少女が見えた。
 妖夢は握りしめた刀を上段に構えると、躊躇い無く切って捨てた。

 そこで目が覚めた。
 気が付くと布団の中に居た。自分の部屋だ。それを確認して、妖夢はほっと息を吐く。流れる額の汗を拭い、身を起こす。月の光で薄っすらと照らされた自室を見回すが、誰も居ない。亡霊も桜も少女の死体も何も無い。
 時刻を確認すると、まだ朝までは時間がある。もう一眠りしなくちゃと思うが、胸の動悸が激しすぎて、眠れそうにない。嫌な夢だった。未だに夢の中で覚えた恐怖と不快感が頭にこびりついている。気分を落ち着ける為に、何か飲もうと立ち上がり、屋敷の電気を付けて、台所へ行こうと部屋を出た。
 静まり返った廊下は冷え冷えとしていた。妖夢は思わず身を縮こまらせる。まだ冬の二月。寒くて当然だ。それなのに、何故か一瞬前まで、今が春だと勘違いしていた。慌てて部屋に戻り、もう一枚重ねてから、妖夢は台所に向かう。
 照明が点いて明るいとはいえ、深夜という時間帯は寂しく恐ろしい。夢の中で覚えた恐怖はまだ尾を引いて、知らず知らずの内に足早となる。うっかり横を向いたら見てはならない何かを見てしまう気がして、妖夢は脇目を振らずに進んだ。
 台所に辿り着き、お茶を淹れて口をつけると、気分が落ち着いた。寒い廊下を歩いてきた所為で、頭もすっかりと冴え、夢で覚えた恐怖も薄れていた。
 一口二口とお茶を流し込んでから息を吐く。
 少女を切り殺す夢を見た。悪夢だ。それも懐かしい悪夢だ。小学生の頃に、よく見ていた。桜の下で少女を切り殺す悪夢。ずっと忘れていたけれど、小学校の時はしょっちゅうその悪夢を見て怯えていた。ようやく思い出した。かつて桜の下の少女を恐れていたのは、両親を殺されたからじゃない。勿論それも恐怖の一端ではあったけれど、本当に怖かったのは、夢の中で少女を殺してしまう事だった。それを思い出した。
 これも呪いなんだろうか。
 妖夢は飲み干した湯呑みの底を見つめながら考える。
 小学校を境に忘れていた悪夢にうなされた。どうして今更という疑問が拭えない。
 さっき見た悪夢は一ヶ月前の再現だ。一ヶ月前、惹き寄せられる様に裏庭へ向かってしまい、呪われた桜と噂される西行妖の下で、少女の幽霊に出会った。少女は親しげに近付いてきて、妖夢の頬を撫でながら今日は誰を殺したのかと尋ねてきた。
 そこまでは一緒だ。でも現実はそこで終わった筈だ。妖夢が固まって答えられないでいると、少女は忽然と消え失せてしまったのだ。
 だがさっき見た夢では、その続きが展開された。少女の問いに何故か怒り、妖夢は少女の事を切り殺した。それは小学校の頃に夢でよく見た展開だ。
 つまり、夢の前半は一ヶ月前に少女と出会った時の再現で、後半は小学校の頃に見ていた悪夢の再現という事になる。それだけの単なる夢だと言えばそれまでだが、妖夢は何だか一ヶ月前に少女と出会ってしまった恐怖と、小学校の頃に抱いていた少女を殺してしまう恐怖が、無理矢理繋げられてしまった様に思えた。小学校の頃、頻繁に少女を切り殺す悪夢を見ていた様に、今度は現実の世界で頻繁に少女と出会う事になるかもしれない。そんな嫌な予感を覚えて、胸焼けに似た不快感が喉の奥からこみ上げてきた。
 呪いなんだろうか。
 夢の中で妖夢は少女に対して酷い殺意を覚えた。そう、小学校の頃から、何故か夢の中で少女に殺意を覚え、そして切り殺してきた。だが夢から覚めると怒りは消えていて、どうして少女の事を憎むのか自分で分からなかった。小学校の頃はずっとそれは不思議に思っていた。何か理由が思い当たれば納得出来るが、自分でも何故少女に怒りを覚えるのか検討がつかない。けれど、今の妖夢には、両親と祖父を奪われたという怒りの理由がある。夢の中だけの感情でなく、現実でも少女を恨む理由が生まれた。実際のところは、怒りよりも恐れの方が遥かに大きいが、理由という意味では確かに存在する。
 それはまるで現実が夢に追いついた様だ。だとすれば小学校の頃に見ていた夢は未来の事なのかもしれない。妖夢は未来で少女を切り殺す。その予知夢をずっと見続けていたのかもしれない。
 思い浮かんだそんな想像を、妖夢は頭を振って払いのける。気分の良い想像では無い。不吉な符合が重なって、どんどん自分が呪いの中に引きずり込まれている気がする。
 このまま考えを進めていっても不安な泥沼から逃れられそうにないので、妖夢は思考の方向を変える事にした。
 どうして今更一ヶ月前の夢を見たのだ。
 少女と出会った直後に見たのなら分かる。けれど今になっては一ヶ月も前の話だ。始めの一週間は、自分も両親や祖父の様に死んでしまったり失踪してしまったりするんだろうかと恐れていたが、何も無かったのでもうすっかりと安心していた。それがどうして今になって、あの時の夢を見てしまったのだろうか。
 妖夢は汗の滲む手を握りしめる。
 単なる悪夢なんだろうか。
 そうだと信じたい自分と信じ切れずに恐れている自分が居る。
 自分の手には少女を切った感触がまざまざと残っている。少女の断末魔が耳の奥で鳴り響いている。少女の血で赤く染まった視界をはっきりと思い出せてしまう。血に塗れて動かなくなった少女の瞳から涙が零れて頬を伝っていた。
 まるで本当に自分が少女を殺してしまった様な現実感が残っている。少女を惨殺したという在りもしない記憶が自分の中にこびりついている。
 お茶を飲み終えた妖夢は茶碗を洗いながらぼんやり考える。これが呪いなのだろうか。こうやって忘れた頃に、思い出させる様にフラッシュバックして、少しずつ精神を削り盗られ、いずれ殺されるのだろうか。今回は一ヶ月だった。なら次に呪いが姿を現すのは?
 分からないし、考えたくもない。
 単なる夢だと妖夢は強く自分に言い聞かせる。
 悪夢なんかに悩んでいても仕方が無い。
 妖夢は一瞬項垂れかけた頭を跳ね上げると、息を思いっきり吐いて気持ちを切り替える。早く寝てしまおうと寝室へ向かう最中、私は幸せだと呟いてみた。
 そう、悪夢なんて馬鹿げたものを除けば、幸せに違いない。
 お爺ちゃんが居ない寂しさは残っているものの、友達と過ごす生活は楽しい。一ヶ月前に転入してきたシャウナも自分達のグループに入って、今ではすっかり仲良くなれた。明日は芳香の詩の二次選考があるから楽しみにしている。一ヶ月後には友達とお花見をするし、美貴がチケットを取ってくれたレミリアのファッションショーにも行ける。
 順風満帆だと自分に言い聞かせながら妖夢は足早に寝室へ戻る。途中、寒さに身が震え立ち止まりそうになったが、必死で足を動かし、最後は駆け足になって寝室まで戻った。
 荒く息を吐きながら布団に入り、頭まで掛け布団に潜り込んだ妖夢は、早く友達に会いたいと願いながら目を瞑る。しばらく眠れず恐怖に悩んでいたが、いつの間にか寝入って意識を失った。何か夢を見た気がするが、翌日の妖夢はそれを覚えていなかった。

 妖夢は机についたままじっと昨日の見た夢の事を考えていた。あれは本当に単なる悪夢なのか。あるいは何か不吉を示唆しているのか。考えたって分からない。それでも思考は昨日の夢へ向かってしまう。
「妖夢?」
 名前を呼ばれて妖夢は顔をあげる。
 隣にシャウナが立っていた。
「あ、何?」
 慌てて笑顔を取り繕うと、シャウナは訝しげな表情を返してきた。
「もう帰る時間だけど?」
「え?」
 辺りを見渡すと、教室中が帰り支度を始めていて、既に教室を出て行こうとする者も居た。サッカー部の生徒達が元気に駆け去っていく。
 ずっと悩んでいた不吉な夢と今のこの現実が結びつかない。桜の下で少女を切り殺した事と辺りに広がる平穏な現実、どちらが夢なのか一瞬本気で分からなくなった。
「ぼんやりしているわね。寝てたの?」
「そうみたい」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと眠くて」
 心配掛けてはいけないと妖夢は嘘を吐いた。
 頭の中にずっと不吉な夢がこびりついている。不安な気持ちで一杯だ。この不安をシャウナに相談したかった。でも言えない。もしもこれが呪いで感染するとしたら、昨日の夢を話せばシャウナまで妖夢の両親や祖父の様になってしまうかもしれない。
 妖夢は空元気を出して立ち上がり、思いっきり伸びをする。
「ああ、良く寝た」
「何よりだわ」
 シャウナが笑ってくれたので、妖夢も笑いを返す。自分の中の不安に気が付かれていない様でほっとした。シャウナは時偶人の心を読むみたいに鋭い時がある。
「美貴達が待っているわ。早く行きましょう」
 言葉の通り、教室の入口には焦れた様子の美貴が手招いていた。
 そういえば今日は芳香の詩が二次選考を通過したのか発表される日だったと思い出す。
「芳香、受かってるかな?」
「心配しなくても大丈夫」
 不安そうな妖夢に向けて、シャウナが力強く宣言した。自信に満ちた言葉には、友達である芳香への信頼がこめられている様で、妖夢は何だか嬉しかった。この一ヶ月で、本当の友達になれた気がする。
 頷きを返した妖夢は、大声で呼んでいる美貴達の下へ急いだ。

「楽しみだなぁ」
 美貴の言葉に愛梨が同意する。
「そうだね。受かってると良いね!」
「遂に大詩人の誕生かぁ。本当に楽しみだ」
 揶揄する様な美貴を、芳香は睨んだ。
「だから、まだだってば! 今回通っても次の最終選考があるの! それに受かっても、有名になるなんて難しいし」
 はいはいといなしつつ、美貴は先頭を進んでいく。妖夢はそれを見ながら温かな気持ちになる。美貴だって芳香が言った事は初めから分かっていただろう。でも敢えて希望を口にしている。それは茶化している様に見えるけれど、嬉しさの余り喜びを抑え切れていない様にも見えた。美貴は、芳香が活躍してくれる事がきっと嬉しいんだ。本当に大詩人になって、世間を賑わせてくれたらと願っている。
 美貴達はテロで家族を亡くした孤児だ。流石に聞くのもはばかられるので、妖夢はそれぞれのテロについて詳しく知らないが、美貴は旅行中に両親を亡くし、愛梨は二度も事件にあって一度目で家族を二度目で親戚を失い、芳香は中国で暮らしていた時に一族をみんな殺されてしまったらしい。それぞればらばらな事件に巻き込まれた三人が、この町に集まったのは、八意の養護施設があるからに他ならない。この辺りの養護施設は最新鋭の理論で児童をケアする世界的に有名らしく、美貴達三人も酷い事件に巻き込まれたにも関わらず、性格がねじくれる事も他人との関わりを恐れる事も無く、明るく素直な思いやりのある人柄に育った。祖父が失踪して落ち込んでいた妖夢を励ましてくれたのも美貴達だ。美貴達の真っ直ぐな優しい心根のお陰で、泣き崩れて学校まで休んでいた妖夢は立ち直れた。それまで殆ど面識が無かったのに、妖夢を心配して毎日家に通ってくれて、妖夢がようやく登校した時は、三人共涙ぐんで喜んでくれた。
 他人の幸せを妬まず、自分の事の様に喜んでくれる。今回だって、芳香が詩で成功してくれる様に、美貴も愛梨も心の底から願っている。そんな優しい美貴達と友達になれて本当に良かったと妖夢は思う。
「きっと受かってるよ」
 妖夢が笑顔で言うと、芳香は恥ずかしげに俯いた。
「あなたの詩は素晴らしかった。だから自信を持ちなさい」
 シャウナも妖夢に加勢する。
 芳香は真っ赤な顔をあげると、妖夢とシャウナを交互に見えて、かすれる様な声でありがとうと言った。
「お礼を言う事じゃ無いわ。本当に素晴らしかったもの」
 芳香は嬉しそうにはにかむ。
「だから自信を持って、自分は強く受かってるって思わないと。ほら言ってみて。私は詩人になるって。なりたいんでしょう?」
「でも」
「言ってみて」
「私は、詩人になる」
「もう一回」
「私は詩人になる」
「大きな声で」
「私は詩人になる!」
 芳香が大きな声で叫ぶと、シャウナはグッドと言って笑った。芳香もすっきりとした顔になって笑い出す。
「よーし、じゃあ行くぞ!」
 美貴が掛け声を上げて歩速を上げた。すると芳香が小走りになって美貴の隣に並ぶ。さっきまでの自信の無さが嘘の様に、夢を追う自信に溢れた表情で前を向いている。横を歩くシャウナを見上げると、シャウナも見つめ返してきた。
「何? にやにやして」
「ううん、ただシャウナ凄いなって思って」
「は? 何故?」
「えっと、何ていうか、芳香を笑顔にして。あんな嬉しそうに」
 妖夢が前を見ると、芳香は美貴と並んで大股で歩いている。自信がみなぎって見えた。
「初めから嬉しそうだったじゃない。発表の日だって、待ち遠しそうにしてた。私は何もしてないわ」
「そうだけど。でも自信が無さそうだったのに、シャウナのおかげで自信がついて」
「それも違う。あの子は最初から自信があった。ただ自信を表に出す事は恥ずかしい事だって思っていただけ」
「そうかな?」
「この一ヶ月、事ある毎に私達みんなで芳香の事を褒めていたのよ。自信がつかない方がおかしいじゃない」
 でしょ? とシャウナに問いかけられて、妖夢はこの一ヶ月の事を思い出す。確かに四人共、芳香の詩を褒めまくった。美貴は芳香が将来凄い詩人になるんだとからかい続けたし、愛梨はもう少し控え目にだが、芳香の詩の素晴らしさを語った。妖夢も、この前芳香の作った詩を読ませてもらい、暗く寂しい日常の根底に温かみを感じる詩の美しさに感嘆した。シャウナも、妖夢よりもずっと多くの言葉を費やして、芳香の詩を褒めていた。
 確かにシャウナの言う通り、妖夢達はずっと芳香の詩を褒めてきた。だから芳香に自信がついていないとおかしいという言葉も分からなくはない。けれど妖夢の目から見ると、芳香はいつだって褒められると照れて恥ずかしそうにしていた。嬉しさは透けて見えたけど、自信と呼べる様な雰囲気を感じられなかった。
 その奥底に、シャウナは自信を見たらしい。
 思い返しても妖夢にはそう思えない。
 でも妖夢はシャウナの言葉が正しいと思う。
「そうかも」
「そうでしょ? 恥ずかしそうにはしていたけれど、あの子が本気で自分の詩を否定した事は無かったもの」
 それが本当なのか妖夢には分からない。でもシャウナがそう言うのならそれは正しいと思う。
 妖夢にとって、シャウナは憧れの存在だ。一目見て心を奪われたのもそうだが、それだけじゃない。一目惚れは往往にして対象を知れば知る程、憧れの気持ちを失っていく。けれど妖夢にとってのシャウナは違う。決して容姿だけの美しさに惹かれている訳じゃないからだ。シャウナの言葉の端端には相手への思いやりが感じられる。少しでも落ち込むと、逸早くそれに気がついて慰めてくれるし、自信が無くなるとそれに気がついて励ましてくれる。重い物を持っていると一緒に持ってくれるし、下手なナンパに捕まった時もあっさりと追い払ってくれた。美しくて優しくて思いやりがあって頼りがいがある。妖夢にとってシャウナは理想の存在だった。自分がなりたいと憧れる理想そのものだった。
 自分でも少し盲目的だと分かっている。けれどどうしたってシャウナは素晴らしくて、それを好きになるのだって仕方が無いと思ってしまう。
「やっぱりシャウナは凄いね」
「何が?」
「色色」
「いつもそうやって無為に褒めて。その癖、どうしてか聞くと理由を答えない。理由も無く褒められたって馬鹿にされている様に感じるわ」
「あ、ごめん」
 妖夢が慌てて謝るとシャウナは先に歩いて行ってしまった。
 怒らせてしまっただろうかと恐る恐るその後をついていくと、シャウナは振り返らずに言った。
「別に悪い気はしない。褒めてくれるあなたの気持ちは本当だろうから」
 それを聞いて、妖夢は救われた気になった。
 やっぱりシャウナは優しい。
 きっと本当に妖夢の言葉は失礼だっただろうに、妖夢の気持ちを慮って、傷付けない様にしてくれた。それが嬉しくて申し訳無くて。
 これから褒める時は理由もちゃんと告げようと決めた。
 いや、早速今、さっき褒めた理由を言葉にするべきだ。
「シャウナ! あのね、シャウナが凄いと思うのは」
 芳香の事をわかってあげていたから?
 芳香を元気にしてあげたから?
 いつも人の気落ちを推し量ってくれるから?
 いつも優しくしてくれるから?
 頭の中に幾つか理由を上げてみたが、さっきシャウナを凄いと褒めた理由かと言われると少しずれている気がした。
 もっとこう、何か、シャウナの凄さを表す言葉がある気がした。
 けれどその言葉が何か、悩んでみたが、正しい言葉は思い浮かばなかった。
「ごめん」
 結局謝る事しか出来無い。
 自分の不甲斐なさに喉の奥が詰まった様な苦しさを覚える。
 泣きそうな顔をしている妖夢に、シャウナは優しく微笑む。
「分かってるから」
 きっと自分のシャウナを褒めたいという気持ちを本当に分かってくれているんだろうけれど、自分の言葉でそれを伝えられない事が、どうしようもなくもどかしかった。
 妖夢の手にシャウナの手が触れる。
 何だろうと妖夢が思っている間に、手を引かれた。
 気がつけば、美貴達と随分離されていた。
 これ以上、引っ張られてばかりだと、申し訳が立ちそうにない。シャウナには頼ってばかりだ。その上、理由も告げずにただ褒め言葉を口にしたりと、シャウナを嫌な気持ちにさせてしまった。もっとちゃんとしなくちゃなぁと妖夢は溜息を吐く。
 差し当たっては、シャウナをちゃんと褒められる様に、芳香に日本語を教えてもらおうと決意して、妖夢は自分達を待ってくれている美貴達の下へ急いだ。

「大丈夫? 落ち着いて」
 本屋の前で深呼吸をし始めた芳香を心配して、愛梨が芳香の肩に触れた。
「大丈夫。落ち着いてる」
 芳香が荒い息を吐きながら答えた。全く落ち着いている様に見えない。尚も深呼吸を続ける芳香の背を、美貴が叩いた。
「ここで立ち止まってても仕方無いし、行くよ」
 美貴が強引に背中を押して本屋に入らせようとするので、芳香は踏ん張りながら振り返る。
「待って。まだ心の準備が」
「私は出来てる」
「美貴ちゃんのじゃなくて」
 芳香は抗議の声を上げながら本屋へ押し込められていった。
 心配そうな愛梨もそれに続き、妖夢とシャウナも後を追う。
 一ヶ月前と同じ、紙媒体の雑誌コーナへ向かう。今の時代、紙で文字を読もうなんて奇特な人間は少なく、人影はまばらだ。そこに少女達が姦しく乗り込んできたので怪訝な視線が集まる。そんな視線を意に介さず、美貴達は誌の発表が載っている雑誌まで辿り着いた。
 雑誌の前に立っても尚、芳香は心の準備が出来ていない様子で、息を吸って吐いている。
「まだなの? 私が見てあげようか?」
 美貴が呆れた口調で言った。けれど美貴の表情も常に比べて堅い。親友の人生が掛かった発表なのだ。芳香がずっと力を注いで来た詩が認められるかどうか。もしも受かれば、詩人として今後の人生は一変するだろう。そしてもし落ちたら、その残酷な結果はどうしようもなく芳香を傷付けるだろう。美貴が緊張するのは当然で、愛梨も不安そうにしている。妖夢も思わず息を飲み、シャウナだけは平静とした顔で芳香が確認するのを待った。
「ううん、私が自分で確認する」
 芳香はそう言って、覚悟を決めた顔で雑誌を手にとった。喉を鳴らし、雑誌を強く握り締め、自分の顔の高さまで持ち上げる。
 そうしてゆっくりと開こうとして
「やっぱ無理!」
そのまま元の場所へ戻した。
「阿呆!」
 美貴が芳香の頭を叩く。
「自信持て、自信! さっきシャウナが言ってただろ?」
 芳香がシャウナへ振り返る。
「でも最終選考に残るのは本当に狭い門で。五作品だけなんだよ? まだ百作以上残ってるのにだよ? その内の五つだけなんて」
 弱気な事を言う芳香に、シャウナは尋ねた。
「それで、芳香は自分の詩が下手だと思うの?」
 迷った顔をする芳香に、シャウナが問い重ねる。
「私はこの前見せてくれたあなたの作品を素晴らしいと思った。今まで読んだ詩の中で一番だと思った。そう考えた私を間違っていると言うの?」
 何故か咎められた芳香は驚いて首を横に振る。
「そうは言わないよ。でも私」
「何?」
「あの、まだ詩は作り始めたばかりだし。国語の点も良く無いし」
「関係無いでしょ? 詩の出来如何よ」
「そうだけど」
「なら素晴らしかった。自信を持って。私達が正しい事を証明して見せて」
「そうだよ、芳香! 私達がついてるぞ!」
 美貴が同意すると、愛梨も妖夢も同調する。
 追い詰められた芳香は何も言えなくなって、再び雑誌を手にとった。
「でも、もし落ちてても、怒らないでね」
 その背に、シャウナがそっと手を当てた。
「大丈夫よ。きっと受かっているから」
 芳香は歯を食いしばると、最早躊躇う事無く、雑誌をめくり、目的のページを開いた。
 そうして硬直した様子で、動かなくなった。
「おい、どうだった?」
 美貴が問いかけても、芳香は答えない。
「もしかして落ちてたの?」
 愛梨が泣きそうな声を出すが、芳香はやはり答えない。
 妖夢が何か励ましの言葉を掛けようと口を開いた時、芳香が振り返った。
 目に涙を一杯に湛え、唇を強く引き結んだ表情は、泣き顔以外の何ものでもない。
「元気出して芳香」
 妖夢は大した励ましの言葉も思い浮かずそれだけしか言えない自分を悔いる。
 どうしたら慰められるだろうと考える妖夢の目の前に、芳香は雑誌のページを開いてみせた。
「あった」
「え?」
「あった。名前あった。受かってた。私の、残ってる!」
「見せて!」
 美貴が慌ててそれをひったくり、芳香の開いていたページを確認する。愛梨と妖夢もそれを覗きこむ。ページに目を滑らせると、確かに最終選考に残った者の名に、芳香の名前が載っていた。
 それを見た妖夢は、感動で胸が締め付けられた。鼻の奥から涙がこみ上げてくる。
 美貴も愛梨も同じ様に、今にも涙を零しそうな表情で、発表のページを食い入る様に見つめている。
「芳香ぁ」
 愛梨が涙声で芳香の名を呼ぶ。
「受かってた。私の、あるよね?」
「ある。あるよぉ」
「どうしよう。嘘みたい」
「嘘じゃないよ。本当だよ」
 芳香はううと唸ると、愛梨の胸に飛び込んだ。そこに美貴も加わって、涙を零しながら三人で抱き締め合う。
 妖夢はもう一度、雑誌を確認して、芳香の名前がしっかりある事を確かめると、それを開いたままシャウナへ見せた。
「あった。芳香受かってる」
「ええ」
 シャウナは微笑んで、泣きじゃくっている三人に一瞬視線を送ってから、妖夢に視線を戻す。
「だから大丈夫だって言ったでしょ?」
「うん。シャウナの言う通りだった」
 やはりシャウナは正しい。まるで未来を予知した様に言い当てた。けれど本当に凄いのは未来を言い当てた事でなく、何処までも芳香と、そして芳香の詩を信頼し切った事だ。シャウナだって未来が見えた訳ではない。選考に受かったかどうかは分からなかった筈だ。芳香にとって人生を懸けた挑戦で、その上全国から集められた幾多の詩の中からたった三篇だけが選ばれるという狭き門を前に、シャウナは疑う事無く芳香を信じ、そして躊躇う事無く芳香の詩は受かっていると豪語してみせた。もしもそんな期待を持たせる事を言って、落ちていたらと考えると、妖夢は怖くなる。でもシャウナはやってのけた。妖夢にはシャウナが最早雲の上の存在に見えた。
 そんな訳で、妖夢が尊敬の眼差しを送っていると、不意にシャウナは苦笑して顔を近づけてきた。妖夢が仰け反るよりも前に、妖夢の耳元にシャウナは口を寄せる。
「ごめんなさい。実は知ってたの」
 妖夢はその言葉の意味が分からずに眉根を寄せる。
「朝の内に、雑誌を確認しておいたの。だから知ってたのよ。芳香が最終選考に進んだって」
 妖夢は目を見開き、シャウナを見た。
 シャウナの顔が離れる。
「幻滅した?」
 妖夢は唖然として答えられなかった。
 シャウナは最終選考の結果を知っていた。だからあんなに自信満満に芳香が受かっていると言えたのだ。シャウナは答えを知っていた。ずっと、芳香が本気で悩んでいる間もずっと。知らない振りをして、接していた。それは確かに、悩める芳香を冒涜していたと言って良い。
 けれど、妖夢は首を横に振ってシャウナの言葉を否定した。
 確かに妖夢の想像とは違っていたけれど、シャウナが芳香の事を思っていた事には変わりない。シャウナは弱気になっていた芳香を勇気付けた事は事実だし、妖夢の想像になるが、きっと落ちていたとしたら、シャウナは出来るだけ芳香が傷つかない様にしただろう。シャウナの行為は何処までも、友達である芳香の事を思っての行為だ。それに対して幻滅する謂われは無い。むしろそこまでしてあげたシャウナを凄いと思う。
 妖夢は事前に結果を確認しようなんて思いもしなかったし、思いついたとしても、本当にそれを実行してあげたか分からない。いや、きっと芳香に失礼だからと、確認しなかっただろう。でも確認しなければ、自信を持って芳香を励まして上げる事は出来ない。万が一落ちていた場合を考えれば、事前に確認して心構えをしておかないと、その場で芳香と一緒に落ち込んで、まともに励ます事が出来なかったに違いない。考えれば考えるだけ、事前に結果を確認しておけば良かったと思うし、実行したシャウナを凄いと思う。まかり間違っても、幻滅するだなんてあり得ない。やっぱりシャウナは凄いと、改めて実感する。
 妖夢が改めてシャウナを見上げると、シャウナは芳香達を見つめていた。妖夢も芳香達を見ると、ようやく涙が収まり落ち着いた様だ。
「私、雑誌買ってくるね」
 そう言って芳香が会計に向かおうとすると、美貴も雑誌を一冊手にとった。
「私も買う」
「え? 何で?」
「ちゃんと芳香を選んだから」
 すると愛梨も一冊取った。
「じゃあ、私も」
 無駄に二冊も買おうとする友達に困惑している芳香の前で、妖夢とシャウナも雑誌を手にとった。
「みんなで買おう」
「ちゃんと保存しておかないとね」
 雑誌を手にする友達を前に、芳香がまた涙ぐみ始めた。美貴はその手を取り、みんなで会計に向かう。晴れ晴れしい笑顔を浮かべて、心の底から幸せを感じながら。
 五人が去った後、何事かと五人を観察していた客達は、一斉に芳香達の見ていた雑誌の下に集まり、芳香達の言っていた発表のページを開き、そして聞こえていた芳香という名前を見つける。客達が振り返った時には既に芳香達の姿は見えなくなっていたが、確かに彼等の記憶に宮古芳香という名前が刻まれた。
 けれどまだ数人。
 その名前が世間一般に広く知れ渡るのはもう少し先の話。

「まだ夢を見てるみたい」
 本屋を出てからしばらく歩いた所で、芳香は急に立ち止まり空を見上げた。妖夢も同じ様に見上げてみた。空はいつもと変わらない青空だけれど、いつもよりも澄んだ青さをしている気がした。
「次が最終選考で、それに受かれば、デビュー出来るんだよな」
 美貴がそう言うと、興奮した様に足を踏み鳴らし、芳香を抱きしめる。
「うわー、すげぇ。凄いじゃん、芳香!」
「まだ最後の一つに選ばれた訳じゃないよ」
 そう言いつつも、芳香は嬉しそうだ。
「でも最終選考に落ちても、デビュー出来る事もあるんでしょ?」
 愛梨がにこにこと問うた。
「うん。そうみたい」
「何だ! じゃあ、もうプロになったも同然じゃん! いや、でもやっぱり狙うわ優勝かな!」
「私は、どっちでも。読んだ人が楽しんでくれるなら」
「駄目駄目。目標低いよ。狙うは一番! 他の奴等に負けたら悔しいじゃん」
「私は、別に」
「芳香、そういう所あるー。私が悔しいの! だから負けんな」
「うん、頑張る。と言っても、もう作品は出しちゃってるけど」
「頑張れ!」
 そう言って、美貴が芳香の手を取って踊りだした。踊るというより振り回しているだけだが、とにかく全身から喜びを漲らせてくるくると回る。美貴は更に愛梨の手を掴み、引っ張られた愛梨が思わず妖夢の手を掴み、妖夢も咄嗟にシャウナの手を握る。そのまま奇妙なバランスを保ちつつ、五人は仲良く回転し、そのまま壁に激突した。
 美貴がぶつけた肩をさすりつつ、満面の笑顔で四人を眺める。
「今年のお花見は、芳香のデビュー祝いだな」
「だからまだ気が早いって」
 芳香は抗議するが、上機嫌の美貴は聞いていない。
「一ヶ月後が楽しみだ! どうする芳香? プロになったら!」
「とにかく一杯詩を書きたい」
「なんだよ。お金持ちになるんだから、色色買ったりさぁ」
「でも今の時代、詩を書いてもお金にならないって言うし」
「いやいや。調べたんだけど、芳香の賞でデビューしたら、作詞したり、講演したり、テレビ出たりするらしいよ」
「そうだけど、私、そういうのは。詩を書ければ」
「勿体無いなぁ。欲しい物とか無いの?」
「今は特に」
「本当か? 私は沢山あるよ? 欲しい物ばっかり」
「私には友達が居れば。美貴ちゃん達が居てくれるから、それで十分」
 うわ恥ずかしい奴と美貴が気味悪そうに後ろに下がったので、芳香は顔を赤らめて芳香にぽかぽかと殴りかかった。笑いながら芳香の拳を受けている美貴を見つめながら、ふと愛梨が呟いた。
「プロになったら」
 芳香が手を止めて、愛梨へ振り向く。
「遠くの人になっちゃうね」
 はっと気がついた様子で美貴が息を飲む。
「そっか。プロになったらこうして一緒に遊べなくなるのかも」
 愛梨は一瞬訝しげに眉を顰めたが、すぐに悲しげな顔になって項垂れた。
「何か忙しそうだし、学校にも来れないのかも」
 悲観的な二人の言葉に芳香が顔を青ざめさせる。
「嫌だよ。そんなの」
「でもプロになったらなぁ」
「しょうがないよねぇ」
「じゃあプロにならない!」
 今にも泣き出しそうな顔で、芳香が叫んだ。
「歌人になんてならない! 私はみんなと一緒に居たい!」
「馬鹿!」
 芳香の顔を掴み、美貴が叫び返す。
「ずっと憧れてたんだろ! そのチャンスをふいにするのか!」
「でも私には友達の方が大事で」
 芳香の瞳から涙が零れ落ちる。美貴はその涙を拭うと、芳香の事を抱き締めた。
「大丈夫。私達は一緒だよ。例え離れ離れになっても友達」
「本当に?」
「死が二人を分かつまで私達はずっと一緒」
「嫌だ。死んでも一緒に居たい」
「重い。けど分かった。じゃあ死んでも一緒」
「美貴ちゃん」
「芳香」
 二人のやり取りを眺めていたシャウナは不思議そうに尋ねた。
「詩を書くのってそんなに忙しいの? 学校に通えなくなるとか、遊ぶ時間が無くなるとか。そんなに忙しくなるとは思えないけど」
 すると美貴があっけらかんと答えた。
「別に忙しくないんじゃない? 詩を書くだけでしょ?」
 芳香が驚きの表情で美貴を見上げる。
 そんな芳香に顔を向けて、美貴は真顔で尋ねた。
「そんなに忙しいの?」
 さっきと正反対の事を言う美貴に、芳香は唇を戦慄かせた。
「だって美貴ちゃんが」
「え? 何? 私なんか言った?」
「もー!」
 芳香が再び美貴をぽかぽかと殴り始めた。美貴は笑って芳香の拳を受けながら、妖夢に視線を向ける。
「そういや、話は変わるけど」
「はぐらかすな! 美貴ちゃんの馬鹿!」
「はいはい分かった分かった。もうお終い」
 美貴が芳香の手を掴むと、芳香は涙を浮かべながら、美貴に蹴りを入れる。痛みで跳び上がった美貴を、芳香は冷たい目で睨む。
「で、どうしたの?」
 足を押さえながら、美貴が答える。
「うん、ほら一ヶ月後にレミリアのファッションショーあるじゃん?」
 愛梨が頷いた。
「美貴がチケット取ってくれたよね」
「うん、頑張った。そのレミリアがもう日本に来てるらしい」
 その瞬間、シャウナの表情が変わった。
 それに気がついた美貴はにっと笑って、鋭く目を細めたシャウナと視線を合わせる。
「やっぱ気になる?」
「何処に居るの?」
「噂なんだけど、レミリアの家? 事務所? 拠点? とにかく住まいみたいな所が、隣町にあるんだって。全国を回り終えたらそこに住むらしいよ」
 その奇妙な噂に、芳香が首を傾げる。
「何で? 日本好きなんだっけ?」
「この辺りに態態移住するって事は最先端の医療か教育を求めてるんだよ」
「そっか。じゃあレミリアって」
「あの子、めっちゃ白いじゃん? 病気なんだって。陽の光を浴びると凄い火傷になったり。不治の病で、ここでしか治せないらしいよ」
 語る美貴に、シャウナが近寄る。
「場所は?」
「え? まさか今から行くの?」
「ええ。場所は分かる?」
 美貴が口の端を釣り上げる。
「そう言うと思ってちゃんと調べといた。さっきも言った通り隣町で、駅からも近いよ。行ってみる?」
「行きましょう」
 他の者の意見は求めていないとばかりにシャウナはさっさと歩き出した。妖夢達もそれについていく。
 どうしてシャウナはそこまでレミリアに拘泥するのか。
 妖夢には不思議でならない。
 レミリアというモデルは相当に美しい。だが普段から冷静なシャウナが、レミリアの話になると人が変わった様に執着しだすのが何だかそぐわない。雑誌で見た時にレミリアのファンになったとシャウナは言っていたのだが、妖夢にはどうしても信じられない。とは言え、そう疑っているのは妖夢だけの様で、美貴達はシャウナがレミリアのファンだと信じている。実際にシャウナはレミリアに執着しているのは確かなので、疑う方がおかしいと言えばおかしい。特に決定的だったのは、レミリアのチケットをどうしても手に入れて欲しいと美貴に頼み込んだ為だ。シャウナはいつも冷静で周りを助ける事は多いが、反面他人を頼ったり我儘を言ったりする事が殆ど無い。そのシャウナが唯一と言って良い我儘を言ったのだ。レミリアのファンになったという言葉は一気に真実味を持った。シャウナが珍しく我儘を言ってくれたという事で、美貴は必死になってチケットを手に入れ、それを知ったシャウナは息を詰めて固まる位に、驚き、そして喜んでいた。その喜びも美貴達から見ると心の底からの素直な喜びに見えたらしいが、妖夢にはどうしてもそれが単なる喜びではなく、奥底に暗い陰りが見えてならなかった。
 どうしてシャウナを疑うのか。
 妖夢自身もその理由が分からない。友達なんだから信じてあげれば良いのに、どうしてもレミリアに反応するシャウナの一挙手一投足に何か裏がある気がしてならない。
 レミリアに合う為、電車に乗って隣町に行く間も、シャウナは落ち着かなげにしていたが、妖夢にはそんなシャウナの様子が、憧れの存在に会えるファンではなく、死地に赴く戦士か殉教者の様に見えた。
 電車を降りて、ビル街を少し歩くと、目的の場所に辿り着いた。目的地は一際背の高いオフィスビルで、入り口にはスーツを来た人間と、如何にも学生然とした少年少女が出入りしている。あれも噂を聞いた奴等かなと美貴が言った。既に美貴の聞いた噂は広まり、レミリアに会おうとするファンがやって来ているらしい。
「じゃあ、行こうか」
 美貴が促した時にはもう、シャウナの姿が無く、見れば入り口を潜り抜けるところだった。気が早いなぁとぼやきつつ、美貴達はそれを追う。
 ビルの中にも学生らしき人影があちらこちらで屯していて、レミリアの人気の高さが伺えた。シャウナは早くもエレベータの前に立っていて、フロア案内を眺めながら、追い付いてきた美貴にレミリアの居る階を尋ねた。
「確か十五階だったかな?」
 シャウナは無言で頷き、エレベータが来るのを待つ。
 その時になってようやく愛梨が、妖夢の居ない事に気がついた。
「あれ、妖夢は?」
 辺りを見回すが、姿が無い。
「置いてきちゃったのかも。呼んでくる」
 愛梨が来た道を戻る。先に行っててという愛梨の言葉で、妖夢の事は愛梨に任せ、美貴達はエレベータを待つ事にした。そのやり取りの間、シャウナは微動だにせず、ただエレベータを待った。やがてエレベータが到着すると、残念そうな顔をして降りる学生を押しのけて、シャウナは無表情で乗り込み、十五階のボタンを押して、扉を閉じようとした。先に行ってしまおうとするシャウナの様子に慌てて美貴達は急ぎ乗り込み、他の客も扉をこじ開けながら乗り込んでくる。シャウナはそれを意に介さず、黙ったまま扉が閉まるのを待って、エレベータが動き出すと、人知れず拳を握りこんだ。
 一方で、妖夢はビルとビルの間の路地裏の前に立っていた。美貴達から離れて、人気の無い場所に来た理由は、白い兎が町中を駆けていたのが不思議で追い掛けてきた為だ。妖夢は自分の行動に疑問を抱いていない。不思議な光景だったから気になって追いかけてきた。それが当たり前の事だと信じ込んでいる。普段の妖夢なら、友達と一緒に行動しているというのに、ただ珍しいからという理由だけで、兎を追いかける何てメルヘンじみた事はしなかっただろう。だが妖夢は白兎を追った。そしてそれを何ら不思議に思っていなかった。
 兎はビルとビルの路地裏に入って、駆け去ってしまった。妖夢は、兎の消えた路地を前にして、追いかけるべきかどうか迷っている。路地は薄暗い。わだかまった闇が何だか恐ろしい。幾ら珍しいからと言って、友達との用事を無視して兎を追いかけ、暗く路地裏に入り込んでいくなんて馬鹿げている。早く戻って友達を追うべきだ。普通であれば。けれど妖夢は一歩路地裏へ踏み出した。自分でも何をしているのか分からない。まるで何かに惹き寄せられる様に、一歩また一歩と歩んでいく。
 歩みながら妖夢は一月前に同じ感覚を味わった事を思い出していた。他でもない。妖夢の屋敷の裏にある西行妖の下へ向かい、あの亡霊に出会ってしまった時と同じだ。あの時も、妖夢は操られる様にして裏庭に向かった。今も同じだ。妖夢は茫洋として路地裏を歩んでいく。その奇妙な符合に、妖夢は何の違和感も覚えない。
 歩いていると、不意に鉄錆染みた臭いが漂ってきた。妖夢はそれが血の臭いだとすぐに分かった。血の臭いが妖夢を誘う。かつて嗅いだ臭い。いつの事か。転んで怪我でもした時か。指先でも切った事があっただろうか。それとも。何処かで嗅いだ事がある。こんなにも強烈な血の臭い。
 妖夢は再び兎を視界に捉えた。兎が十字路を曲がったのを見て、妖夢はその後を追って曲がり掛けた。その途中で倒れた人の足が見えた。曲がろうとしていた妖夢は驚いて止まろうとしたが止まりきれず、十字路を曲がりきり、曲がった先ではっきりとそれを見てしまう。血溜まりに溺れていた。妖夢と同じ位の年頃の少年だ。うつ伏せになって倒れている。体は血に沈み、染まった衣服は赤黒い。横倒しになった顔に生気は無く、見開かれた目は地面を見つめている。
 生きている様には見えなかった。
 だが少年はじろりと目を動かして妖夢と目を合わせた。そうして唇が震えながらもしっかりと動く。
「どうして?」
 何を問うたのか、妖夢には分からない。いや、そんな事に気が回らない。明らかに死んでいた少年が、意思を持って動いたのだ。その事実に驚いて、妖夢はへたり込んだ。怯えきった妖夢は、その異常な死体から離れようと這いつくばって、来た道を戻る。十字路を曲がり這っていると戻ろうとした先から足音が聞こえた。驚いて顔をあげると、愛梨が妖夢の下へ向かってきた。
「どうしたの? 大丈夫? 何があったの?」
 妖夢は自分の口から悲鳴が迸っている事に気が付いた。何とか悲鳴を押さえ、今見た事を説明しようとするが、枯れ切った喉からはまともな声が出ず、自分でも何を言っているのか分からない。
 だが愛梨は分からないなりに何か察した様で、妖夢の背後を見つめた。
「向こうに何かあるんだね?」
 そう言って愛梨は奥へ向かおうとした。
 慌てて妖夢は愛梨の腰を掴み、引き止める。
「何かあるんでしょ?」
 行っちゃ駄目だと言いたいが言葉が上手く出て来ない。だから必死で愛梨を掴み引き留める。向こうに行ってはならない。愛梨は聞こえないのだろうか。この音が。何の音かは分からない。引きずる様な音。金属質な音。湿った粘液質の音。衣擦れの音。足音。それ等は微かに、ほんの微かに、耳を澄ましてようやく聞こえる程度の大きさで聞こえてくる。路地を曲がった先、血塗れになった少年の居た場所で何かおぞましい作業が行われている。
 だから妖夢は必死で愛梨を止めた。向こうに何があるか分からない。何が起こっているのか分からない。そして向こうに行けばどうなるか分からない。
 必死に引き留めたのが功を奏し、愛梨は路地の奥へ行く事を諦め、しがみつく妖夢を助け起こした。
「ここから逃げた方が良いって事?」
 妖夢が頷くと、愛梨はようやく自分の身が危険に曝されていると気がついた様で、慌てて妖夢の手を取ると、急いで来た道を戻った。
 妖夢と愛梨は路地を抜け、美貴達の居るビルへ戻る。そおうして美貴達と合流しようとしたが、それは出来なかった。
 ビルの周りに人集りが出来ていた。どうやら警察が入り口を封鎖しているらしく、次次にビルの中から人が追い出されている。入ろうとしている者達も、警察に追い払われている。
 何かあったのかと疑問がる妖夢の隣で、愛梨が怯えた様子で呟いた。
「もしかしてテロ?」
 愛梨にとってテロはトラウマだ。少し前まで一緒に笑っていた大切な人達が何の理由も無く奪われてしまう。その恐怖は愛梨の心の底に根付いている。だからこそ愛梨はすぐにその可能性に思い当たったし、忽ち顔を青くして美貴へ電話を掛けた。向こうと繋がるまでの間、愛梨はどうしようどうしようと不安な面持ちで呟き続けた。やがて電話は繋がり、愛梨の顔に喜びが溢れる。
「美貴! 良かった! 大丈夫?」
 妖夢には向こうからの声が聞こえなかったが、どうやら美貴達は元気な様で、愛梨は思いっきり安堵の息を吐き出した。
「うん、何か警察が来てる。あ、待って」
 愛梨は端末を遠ざけて辺りに聞き耳を立てた。妖夢も耳を澄ませるとビルから追い出されてきた野次馬の会話で、エントランスホールにて自殺者が出たと聞こえてきた。愛梨がまた美貴との会話に戻る。
「ごめん。何かね、一階で自殺した人が居たみたい。うん。美貴は大丈夫?」
 愛梨はそれからしばらく相槌を打って、電話を切った。
「美貴達は大丈夫なの?」
「うん。上の方では何にも起こってないみたい。レミリアは居なかったけど、その知り合いに会えたらしくて話し込んでるって」
「良かった」
「うん」
 愛梨は安堵した顔で頷いたが、すぐに恐ろしそうに買おを歪めた。
「妖夢の方は? さっき何を見たの?」
 妖夢はまたさっきの血塗れの少年と、その後に聞こえてきた音を思い出して、体を震わせる。
「血を流して人が倒れてた。凄い血で死んでるみたいだった。でもまだ生きてた」
 妖夢が恐ろしげに告げると、愛梨は驚いて目を見開いた。
「嘘! じゃあ早く助けないと」
「駄目。もうきっと。さっき愛梨が来てくれた時、向こうから音が聞こえてた。愛梨は聞こえなかった? 色んな音が、聞こえてた。多分誰かが来て、あの人を」
「犯人が居たって事?」
「分からないけど、多分」
「じゃあすぐ向こうで」
 愛梨は絶句すると、険しい顔になって妖夢の手を引き、駅への道を歩き出した。
「帰ろう。何か今日は危ない」
「でも美貴達は?」
「連絡しとく。注意しておく様に言っておくから。美貴が居るし多分大丈夫。それよりも私達の心配をしないと。まだ犯人も居るかもしれないし、もし私達の顔とか見られてたら」
 愛梨の嫌な想像に、妖夢は背筋が寒くなるのを感じた。
 愛梨も恐ろしそうな顔で辺りを見回す。
「だから逃げよう。早く」
 路地裏の死体と、エントランスホールでの自殺者。突然降って湧いた恐怖の連続に、妖夢と愛梨は周囲の全てに怯えながら家路についた。

 無事に家へと戻った妖夢は疲れきって布団に倒れこんだ。怪しい人に見られているかもという恐怖から家に帰るまでずっと周りを警戒し続けていた為、神経が磨り減っていた。幸いにも、怪しい人は居らず、おかしな事もなかった。ついさっき、美貴からも、無事電車に乗ったという報告があって、とりあえず大丈夫そうだと安心する。反動で疲れが一気に来て、妖夢は眠気に抗えなくなった。
 まどろむ中で妖夢は胸のざわめきを覚えた、何か奇妙な胸騒ぎ。その理由は分からない。
 気が付くと、自分の傍にあの桜の木の下の少女が座っていた。
「また血の臭いがするわ」
 少女は呆れた顔で妖夢の頭を撫でる。
「また誰かを殺したの?」
 違う。私は誰も殺していない。そう否定したいが、眠りに落ちようとする体は動かず言葉も出ない。それでも頭の中で、妖夢は必死で否定した。
 私はやっていない。あれは私じゃない。最初からああなっていた。私がやったんじゃない。私に出来る訳が無い。血溜まりを思い出す。人が死んでいる。嫌な音がする。血の臭いがする。それが鼻孔をくすぐる。手には感触が残っている。何処からか風が吹く。桜の花弁が散っている。血なんてみたくない。人なんて切りたくない。私はやってない。
 少女は微笑みを浮かべながら妖夢の髪をすく。擽ったさに身を捩る妖夢に向かって、少女は笑顔のまま言った。
「あなた、顔が笑っているわ。そんなに人を切ったのが嬉しい?」
 どういう事だと聞き返そうとしたが、瞼が下がり、辺りは暗闇に沈んだ。
「嘘吐き」
 少女に耳元で囁かれた瞬間、瞼の裏に強烈な光が迸った。

 驚いて目を開ける。寝ぼけたまま辺りを見回すが少女の姿は無い。遠くから鳥の囀りが聞こえた。時間を確認すると朝になっていた。一晩中寝ていたのか。何か夢を見た気がする。思いだせない。そういえば、美貴達は大丈夫だっただろうかと確認すると、昨夜の内に愛梨が三人の無事を確かめていた。
 良かったと安堵しつつ妖夢は伸びをする。心臓がやけに早く動いていた。悪夢を見た所為で興奮している様だ。どんな夢だったかと思いだそうとしても思い出せないが、何か不吉な夢だった気がする。とは言え、夢は夢だ。
 それよりも現実の方が大事だ。
 昨日の事を思い出す。
 遂に芳香が最終選考に進んだ。
 一ヶ月後にはその結果が発表される。
 どうなるかはまだ分からないし、決して一番に選ばれるのは簡単では無いだろうが、妖夢は芳香がきっと選ばれるだろうと信じている。きっと一ヶ月後に、芳香はプロの歌人になって、世界に名を轟かせるだろう。親友が成功の道を歩んでいるのだと思うと、心の底から嬉しくなって、妖夢は悪夢にうなされた気怠さを忘れて、勢い良く立ち上がった。



続き
~其は赤にして赤編 5(剣士1下)
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コメント



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8.100名前が無い程度の能力削除
面白い
9.90名前が無い程度の能力削除
宇佐見菫子の登場により
続編が書きにくくなったのかな?
二次創作なのだから設定はある程度が破綻しても大丈夫でしよ
それよりも綺麗にまとまっていれば最終的にいいのだと思う
それよりも続編が一刻も早く投稿されるのを気長に待ってます