冬が近づいているというのに、未だに向日葵が咲いている太陽の畑を行く。向日葵は普通夏に咲く植物なのだが、ここを縄張りにしている妖怪の趣味なのか中心部へ行くへ連れ、燦々と照りつける太陽の様に咲き誇っている。
生き生きと咲いている向日葵達はそれは言葉にしにくいぐらい綺麗なのだが、どれもが人の背丈を超えており、威圧感を放っているかのような程の存在感だからか少し怖いものがある。外の世界では自然破壊が進んでいるから、ここではそうならない様に警告しているのかもしれないが。
また太陽の畑は妖精達のたまり場でもあり、ここへやって来る者達はたいてい妖精に遊ばれてしまうのだが、最初からここがそういう場所だと分かっていれば何も問題ない。
太陽を睨んでいた向日葵が僕を睨んでいる。
人の背丈を超えるだけの向日葵が更に巨大化している。
冬だというのに夏のような暑さになった。
普通の人間であれば正気を失ったりする状況だが、弱いとはいえ僕は半妖である。これぐらいどうという事はない。
持っていた傘を奪おうと何かの蔓が伸びるが、ここで植物の妖怪がいると聞いた事がない。ならばと蔓を持っているであろう妖精がいそうな場所を、刀の鞘で強く叩いてみる。
鈍い音がしたと同時に蔓は地に落ち、一度も動かなかった。
妖怪にとって人を襲うのが本分なら、妖精にとって人に悪戯するのが本分である。しかし、この傘の持ち主を考えれば傘に悪戯をするのは破滅でしかないのだが…………ああ、妖精にそこまでの知能はないのか。霧の湖を主な生息地にしている妖精を見ればそうという感想にしかならない。
「この太陽の畑にいる妖怪を敵に回したくなければ、傘に手を出さない事だ」
高い知能を持たない妖精だからか、今の言葉の意味をあまり理解出来ないみたいだが、本能が何かを告げたのか一人が逃げ出すのを見て他の妖精達も逃げ出した。蜘蛛の子を散らす様に、といった言い回しがあるが妖精を散らす様にといった言い回しがあってもいいかもしれない。
悪戯をされる事がなくなったからか、僕の足取りは軽く目的地までの最短距離で道なき道を行く。あのまま妖精達に遊ばれていたら、もしかすると夕方になっていたかもしれない。それだけは勘弁してほしいものだ。
太陽の畑の中心部に、一件の洋風の家が建っていた。
黄色と緑で覆われた世界に赤い煉瓦の家だからかその存在感は強く、一つの絵画のように映える光景である。
ノックをする。二回でもなく、連打でもなく、きっちりと三回。
「遅かったわね」
突如として声は背後からした。
傘を差し、柔かな笑顔を浮かべた女性がそこに立っていたが、本能が危険を知らせ足が一歩下がり半身になる。
この女性は風見幽香。太陽の畑に住む妖怪であり、僕のお得意先でもある。
「質の悪い妖精達に絡まれてね。それよりもこれが、頼まれていた新しい傘だよ」
幽香は傘を受け取ると、持っていた傘の代わりに差して色々と試し始めた。
本来傘の役割は雨から身を守るものなのだが、外の世界の傘は紫外線を防ぐ事も出来るらしくその機能を僕なりに解析して付け加え、更には弾幕すら防ぐように改造を施したのが幽香の持つ傘である。
今回の傘は今までの機能を持ちつつ軽量化と強度の上昇を目指し、それでいて見た目にも拘った中々出来た物だと自負している。
「実際に試してみないと分からないわね。貴方で試してもいいかしら?」
「それは勘弁してほしいな。君の力で試されては僕みたいな弱い妖怪は死んじゃうじゃないか」
「あら、それは大丈夫よ。最初は痛いだけで後から気持ち良くなってくるから」
「はっはっはっはっは…………」
「うふふふふふふふふ…………」
しばらく睨み合いが続いたが、興味が失せたのか幽香は視線を外すと家の中に入っていった。続こうかとも思ったが、許可もなしに入るなと弾幕が飛んできそうなので止めておこう。
少しして戻ってくるとその手に、淡い紫色をした小さな花びらを沢山着飾った花を抱えていた。
「約束していた報酬だけど、本当に花で良かったのかしら」
「時期的に手に入らないと思っていた花だからね、十分報酬となるさ」
幽香が抱えているその花の名前は、紫苑。九月から十月にかけて咲く花な為に、この時期では手に入らないと思い、そこへ幽香からの依頼があったので報酬にこの花を指定させてもらった。
「花束で、という指定だったけどこの花は丈が短くて花束には適さないわ。鉢植えにした方がいいのだけど、貴方はどうするの?」
「多少の見栄えについては目を瞑るから花束にしてくれないだろうか。君なら誤魔化しが利く綺麗な方法を知っているだろう?」
「文句は言わないでね」
適さないと幽香は言ったが、慣れた手つきで丈の短い紫苑を綺麗な花束に作り上げていく。
ほう、とため息が零れた。
脈々と受け継ぐ職人芸というよりも、当代限りの演技という芸術とそれを称すればいいだろうか。これが見世物であるならなけなしの銭を投げ入れた事だろう。
出来上がった花束を受け取るなりまじまじと見てみるが、文句なしの出来である。花束に適さないとの言だが、むしろ花束である事に誇りを持っているかのような姿じゃないか。
「手に入れるという点でもだけど、君に頼んで正解だったよ。里でこれ以上の物を探すのは不可能だろう」
「褒めても何も出ないわよ。報酬について聞くのは愚問でしょうけど、失恋した相手への最後の贈り物かしら」
紫苑の花言葉は、遠方にある人を思う、思い出、君を忘れない、追憶。
情愛のこもったこの花を贈り物として選ぶ、という事は確かに恋愛事なのかもしれないが、はたして僕の胸にあるこの思いはどうなのだろう。
答えられないその問いにただ苦笑してみせると、何かが幽香の琴線に触れたのだろう。僕がこの花束を贈る姿を見たいと、我が家をたまり場にしている子供のような事を言い出した。楽しい事などない、と告げても構わないと言い張る。
どうしたものか、と思案したが結局諦めて彼女を連れて行く事にした。強い妖怪である幽香なら、僕がこれから会いにいく人ともどこかで関わっているだろうから問題ないだろう。
幻想郷には縁者のいない者が埋葬される共同墓地、無縁塚という場所がある。先述したように縁者のいない者をここに埋葬するのが通例であり、その中には外の世界からやってきた者も含まれている。ある理由から結界が緩みやすくなったここは、時折外の世界とも冥界とも繋がり、何が起きるか予想しにくく常人は次第に訪れる事をしなくなった。
つまりはだ、何かをしでかした時にここへ隠す事でそれが明るみに出る事がなくなるという事でもある。つい殺人を犯してしまった時、他人が大切にしていた物を壊してしまった時、そんな事の為にここは今では使われる事があり何とも頭の痛い話だ。
「そう、その花は死者へ贈る弔花だったのね」
言葉もなくただただ、僕の後ろをついて来た幽香がこの場所に来てようやく言葉を発した。その声には茶化そうとしたり、といった色はなく何かを偲ぶような色が塗られていた。
だからこその紫苑であり、だからこそ楽しい事はないと言ったのだ。
「知っての通りここは身寄りのない者達が埋葬される、悲しい場所だ。でも、ここに埋葬されるのは何も身寄りのない者だけじゃないよ」
「貴方が言う、その縁者がここに眠っていると言うの?」
「僕だけの縁者じゃないよ。きっと誰もが一度は会った事のある、有名な人がこの花束を贈る人だ」
勿体ぶるつもりはないが、名前を告げる事をはばかれる。そう思ってしまうのは、僕があの人に対してどこか後ろめたい想いがあるのか、それとも死んでしまった事をどこか認めたくないのか。
また言葉を失くした幽香に付き合う訳でもないのだが、僕もそれから言葉を発する事なく、二人ただ黙々と無縁塚の奥へと向かっていく。
今年はもう咲いてしまったのか、紫の桜は枯れた枝葉で僕達の背中を見送っていく。死者が眠る土地だからだろう、紫の桜に見送られるとまるで生きて帰る事が出来ないような、そんな感情が浮かんでくる。
無縁塚の一番奥、紫の桜の中で一番大きい木が生えているその下に、無骨で小さな墓が存在していた。そしてその墓の前に、先客がいた。
「そろそろ貴方も来る頃だと思っていました。風見幽香、貴女が来るのは予想外でしたが」
八雲紫。妖怪の賢者と呼ばれる大妖怪であり、幽香と同じかもしくはそれ以上かの妖怪だ。
「紫が墓参りに来る程の誰かがここに眠っているというの?」
「ええ。ここには、幻想郷の誰もが本来なら訪れる程の人間が眠っているのです。ですがここを知る人は他に二人しかいないのですけどね」
そうまで言われた故人の名前を知りたくなった幽香が墓を見るが、無骨な墓には何も掘られていない。
「――――――の墓だよ」
「どうりで幻想郷のどこを探しても見付からない訳だわ。こんな場所に、ひっそりと埋葬されているなんて」
「強い霊力を持つ彼女の遺体を妖怪に知られる訳にいかず、そして落ち着いて眠れる場所と言えばここしかなかったのです」
「とはいえ遺体はここには眠っていないんだ。遺体を利用される訳にはいかないから紫の手で消滅させ、魂は死神が直接地獄へと連れて行った。これはただの墓標であり、形だけの墓だ」
墓として意味を成さない墓。だけど他の何処かへ墓を用意しようものなら必ず悪用され、それを知れば彼女の魂は安らぐ事が出来ないだろう。だから紫はここへ墓を用意した。
意味を成さない墓の意義は何なのかと問われるなら僕達はこう答えよう、彼女を忘れない為だ。短い時を生きる人間と違い、僕達妖怪はどうしても長い時を生きて、その度に出会いと別れを繰り返し、忘れては記憶する事を義務付けられている。だけどここに眠る彼女を忘れない為に、墓標を造りこうして墓参りをしてきた。
少しずつ彼女と過ごした季節が、彼女と味わった思い出が、彼女の色も匂いを存在が記憶の中から消しゴムをかけたように、薄れてきてしまっているがここへ墓参りに来る事で鮮明に思い出す事が出来る。いつか完全に彼女の全てを忘れる時が来たとしても、墓参りを続けていれば懐かしむ事が出来るかもしれない。我ながらなんとも情けない姿であり、女々しい感傷だ。
だけど、きっとそれでいいのだろう。彼女の事を僕の魂から消してしまうより、そうして覚えている事が後に残された者の役目なんじゃないだろうか。
「いつまでそうしているのです。贈る為にその弔花を用意したのでしょう?」
「柄にもなく感傷に浸っていたよ」
紫が持ってきたのだろう。墓には白い星の花びらをした、エーデルワイスが贈られていた。その隣りに紫苑を置かせてもらう。
何かを心の中で言おうとしたが止めた。この墓の下には何もないのだから、何かを伝えるならそれこそ地獄にでも行って会いに行った方がいい。
「――――が亡くなって、もう十五年も経ったかしら」
「人間からすればもう随分と昔の話なのでしょうが、私達妖怪からすればつい昨日の様に思いますね。今でも忘れません、彼女が冷たくなっていく様は」
「どうにもならなかったの?」
「幾ら私の能力を以てしても生命の終わりにまでは関与しきれません。神ですら死ぬ世界で、人間だけが死なないというのはおかしな話ですわ」
「永遠亭の皆が幻想郷に関わり始めたのがつい最近だからね。例え、彼女が亡くなったあの日に永遠亭の皆に助けを求めたとしても、きっと間に合わなかっただろう」
「あれだけ強い力を持った人間でも、私達妖怪のようにはなれない。ああも簡単に死んでしまうのね」
敵対しながらも彼女を慕っていた妖怪達は助ける事が出来なかった紫を責めたが、それでも紫は何も言い返さなかった。確かに出来なかった事に僕も少しの苛立ちを覚えたが、それ以上にこの幻想郷の未来を考えなければならない紫の立場があった。
パワーバランスの崩れた幻想郷を立て直す為に紫は、役割を継ぐ子を探し出しながら、彼女の葬儀や各所への連絡へ奔走していた。それを不快に思う者達もいたが、それでも紫の立場からすれば仕方のない事だろう。
「だからこそ妖怪は人間を虫けらのように思い、その一方で壊れ物のように愛するのでしょう」
一瞬だけだが紫の目に涙が滲んでいるように見えた。
「あまり湿っぽい話はなしにしようか。彼女もそういうのは苦手にしていたし、ここは飲みにでも行くかい?」
「あら万年金欠の貴方が奢ってくれるのかしら」
「なんでそうなるんだ。もちろん割り勘に決まっているだろう」
「これだけの美女がいるのですから、奢ってくれる甲斐性を見せていただいてもいいのですよ?」
自分で言うか、そう突っ込みたかったが二人とも美人な上に、意見は鋭い視線で封殺された。
最近は人里の方からも少しずつ依頼が入るようになり、多少は懐が暖かいのだがこれからますますと寒くなるのだから、懐を寒くするのは得策ではないだろう。ここは徹底抗戦の姿勢を見せなければ。
「まあお酒は私が用意しますから、そうですね…………幽香には何かおつまみを用意してもらいましょうか」
「それは良いけど、貴方は何を用意するの?」
「じゃあ僕は肴になる話を幾つか用意しようじゃないか。少し前に話題になるネタを仕入れたから、退屈はさせないさ」
墓参りに来ておいてすぐに宴会の話になるのは何とも薄情な事だが、この幻想郷ではそれが常であり、彼女も暗い話を続けられるのも嫌だろう。
先に行く二人の背中を追いかける前に一度振り返る。
「また近い内に来るよ。その時は僕が造った酒を持ってくるから君も飲もう」
「置いていくわよー」
「ああ、待ってくれ!」
赤い服に身を包んだ黒髪の女性が微笑むの見て、僕は二人の後を追いかけた。
紫の桜が満開になる頃、約束を果たす為に集まった僕達がちょっとした事件に巻き込まれるのだが、それはまた別のお話である。
生き生きと咲いている向日葵達はそれは言葉にしにくいぐらい綺麗なのだが、どれもが人の背丈を超えており、威圧感を放っているかのような程の存在感だからか少し怖いものがある。外の世界では自然破壊が進んでいるから、ここではそうならない様に警告しているのかもしれないが。
また太陽の畑は妖精達のたまり場でもあり、ここへやって来る者達はたいてい妖精に遊ばれてしまうのだが、最初からここがそういう場所だと分かっていれば何も問題ない。
太陽を睨んでいた向日葵が僕を睨んでいる。
人の背丈を超えるだけの向日葵が更に巨大化している。
冬だというのに夏のような暑さになった。
普通の人間であれば正気を失ったりする状況だが、弱いとはいえ僕は半妖である。これぐらいどうという事はない。
持っていた傘を奪おうと何かの蔓が伸びるが、ここで植物の妖怪がいると聞いた事がない。ならばと蔓を持っているであろう妖精がいそうな場所を、刀の鞘で強く叩いてみる。
鈍い音がしたと同時に蔓は地に落ち、一度も動かなかった。
妖怪にとって人を襲うのが本分なら、妖精にとって人に悪戯するのが本分である。しかし、この傘の持ち主を考えれば傘に悪戯をするのは破滅でしかないのだが…………ああ、妖精にそこまでの知能はないのか。霧の湖を主な生息地にしている妖精を見ればそうという感想にしかならない。
「この太陽の畑にいる妖怪を敵に回したくなければ、傘に手を出さない事だ」
高い知能を持たない妖精だからか、今の言葉の意味をあまり理解出来ないみたいだが、本能が何かを告げたのか一人が逃げ出すのを見て他の妖精達も逃げ出した。蜘蛛の子を散らす様に、といった言い回しがあるが妖精を散らす様にといった言い回しがあってもいいかもしれない。
悪戯をされる事がなくなったからか、僕の足取りは軽く目的地までの最短距離で道なき道を行く。あのまま妖精達に遊ばれていたら、もしかすると夕方になっていたかもしれない。それだけは勘弁してほしいものだ。
太陽の畑の中心部に、一件の洋風の家が建っていた。
黄色と緑で覆われた世界に赤い煉瓦の家だからかその存在感は強く、一つの絵画のように映える光景である。
ノックをする。二回でもなく、連打でもなく、きっちりと三回。
「遅かったわね」
突如として声は背後からした。
傘を差し、柔かな笑顔を浮かべた女性がそこに立っていたが、本能が危険を知らせ足が一歩下がり半身になる。
この女性は風見幽香。太陽の畑に住む妖怪であり、僕のお得意先でもある。
「質の悪い妖精達に絡まれてね。それよりもこれが、頼まれていた新しい傘だよ」
幽香は傘を受け取ると、持っていた傘の代わりに差して色々と試し始めた。
本来傘の役割は雨から身を守るものなのだが、外の世界の傘は紫外線を防ぐ事も出来るらしくその機能を僕なりに解析して付け加え、更には弾幕すら防ぐように改造を施したのが幽香の持つ傘である。
今回の傘は今までの機能を持ちつつ軽量化と強度の上昇を目指し、それでいて見た目にも拘った中々出来た物だと自負している。
「実際に試してみないと分からないわね。貴方で試してもいいかしら?」
「それは勘弁してほしいな。君の力で試されては僕みたいな弱い妖怪は死んじゃうじゃないか」
「あら、それは大丈夫よ。最初は痛いだけで後から気持ち良くなってくるから」
「はっはっはっはっは…………」
「うふふふふふふふふ…………」
しばらく睨み合いが続いたが、興味が失せたのか幽香は視線を外すと家の中に入っていった。続こうかとも思ったが、許可もなしに入るなと弾幕が飛んできそうなので止めておこう。
少しして戻ってくるとその手に、淡い紫色をした小さな花びらを沢山着飾った花を抱えていた。
「約束していた報酬だけど、本当に花で良かったのかしら」
「時期的に手に入らないと思っていた花だからね、十分報酬となるさ」
幽香が抱えているその花の名前は、紫苑。九月から十月にかけて咲く花な為に、この時期では手に入らないと思い、そこへ幽香からの依頼があったので報酬にこの花を指定させてもらった。
「花束で、という指定だったけどこの花は丈が短くて花束には適さないわ。鉢植えにした方がいいのだけど、貴方はどうするの?」
「多少の見栄えについては目を瞑るから花束にしてくれないだろうか。君なら誤魔化しが利く綺麗な方法を知っているだろう?」
「文句は言わないでね」
適さないと幽香は言ったが、慣れた手つきで丈の短い紫苑を綺麗な花束に作り上げていく。
ほう、とため息が零れた。
脈々と受け継ぐ職人芸というよりも、当代限りの演技という芸術とそれを称すればいいだろうか。これが見世物であるならなけなしの銭を投げ入れた事だろう。
出来上がった花束を受け取るなりまじまじと見てみるが、文句なしの出来である。花束に適さないとの言だが、むしろ花束である事に誇りを持っているかのような姿じゃないか。
「手に入れるという点でもだけど、君に頼んで正解だったよ。里でこれ以上の物を探すのは不可能だろう」
「褒めても何も出ないわよ。報酬について聞くのは愚問でしょうけど、失恋した相手への最後の贈り物かしら」
紫苑の花言葉は、遠方にある人を思う、思い出、君を忘れない、追憶。
情愛のこもったこの花を贈り物として選ぶ、という事は確かに恋愛事なのかもしれないが、はたして僕の胸にあるこの思いはどうなのだろう。
答えられないその問いにただ苦笑してみせると、何かが幽香の琴線に触れたのだろう。僕がこの花束を贈る姿を見たいと、我が家をたまり場にしている子供のような事を言い出した。楽しい事などない、と告げても構わないと言い張る。
どうしたものか、と思案したが結局諦めて彼女を連れて行く事にした。強い妖怪である幽香なら、僕がこれから会いにいく人ともどこかで関わっているだろうから問題ないだろう。
幻想郷には縁者のいない者が埋葬される共同墓地、無縁塚という場所がある。先述したように縁者のいない者をここに埋葬するのが通例であり、その中には外の世界からやってきた者も含まれている。ある理由から結界が緩みやすくなったここは、時折外の世界とも冥界とも繋がり、何が起きるか予想しにくく常人は次第に訪れる事をしなくなった。
つまりはだ、何かをしでかした時にここへ隠す事でそれが明るみに出る事がなくなるという事でもある。つい殺人を犯してしまった時、他人が大切にしていた物を壊してしまった時、そんな事の為にここは今では使われる事があり何とも頭の痛い話だ。
「そう、その花は死者へ贈る弔花だったのね」
言葉もなくただただ、僕の後ろをついて来た幽香がこの場所に来てようやく言葉を発した。その声には茶化そうとしたり、といった色はなく何かを偲ぶような色が塗られていた。
だからこその紫苑であり、だからこそ楽しい事はないと言ったのだ。
「知っての通りここは身寄りのない者達が埋葬される、悲しい場所だ。でも、ここに埋葬されるのは何も身寄りのない者だけじゃないよ」
「貴方が言う、その縁者がここに眠っていると言うの?」
「僕だけの縁者じゃないよ。きっと誰もが一度は会った事のある、有名な人がこの花束を贈る人だ」
勿体ぶるつもりはないが、名前を告げる事をはばかれる。そう思ってしまうのは、僕があの人に対してどこか後ろめたい想いがあるのか、それとも死んでしまった事をどこか認めたくないのか。
また言葉を失くした幽香に付き合う訳でもないのだが、僕もそれから言葉を発する事なく、二人ただ黙々と無縁塚の奥へと向かっていく。
今年はもう咲いてしまったのか、紫の桜は枯れた枝葉で僕達の背中を見送っていく。死者が眠る土地だからだろう、紫の桜に見送られるとまるで生きて帰る事が出来ないような、そんな感情が浮かんでくる。
無縁塚の一番奥、紫の桜の中で一番大きい木が生えているその下に、無骨で小さな墓が存在していた。そしてその墓の前に、先客がいた。
「そろそろ貴方も来る頃だと思っていました。風見幽香、貴女が来るのは予想外でしたが」
八雲紫。妖怪の賢者と呼ばれる大妖怪であり、幽香と同じかもしくはそれ以上かの妖怪だ。
「紫が墓参りに来る程の誰かがここに眠っているというの?」
「ええ。ここには、幻想郷の誰もが本来なら訪れる程の人間が眠っているのです。ですがここを知る人は他に二人しかいないのですけどね」
そうまで言われた故人の名前を知りたくなった幽香が墓を見るが、無骨な墓には何も掘られていない。
「――――――の墓だよ」
「どうりで幻想郷のどこを探しても見付からない訳だわ。こんな場所に、ひっそりと埋葬されているなんて」
「強い霊力を持つ彼女の遺体を妖怪に知られる訳にいかず、そして落ち着いて眠れる場所と言えばここしかなかったのです」
「とはいえ遺体はここには眠っていないんだ。遺体を利用される訳にはいかないから紫の手で消滅させ、魂は死神が直接地獄へと連れて行った。これはただの墓標であり、形だけの墓だ」
墓として意味を成さない墓。だけど他の何処かへ墓を用意しようものなら必ず悪用され、それを知れば彼女の魂は安らぐ事が出来ないだろう。だから紫はここへ墓を用意した。
意味を成さない墓の意義は何なのかと問われるなら僕達はこう答えよう、彼女を忘れない為だ。短い時を生きる人間と違い、僕達妖怪はどうしても長い時を生きて、その度に出会いと別れを繰り返し、忘れては記憶する事を義務付けられている。だけどここに眠る彼女を忘れない為に、墓標を造りこうして墓参りをしてきた。
少しずつ彼女と過ごした季節が、彼女と味わった思い出が、彼女の色も匂いを存在が記憶の中から消しゴムをかけたように、薄れてきてしまっているがここへ墓参りに来る事で鮮明に思い出す事が出来る。いつか完全に彼女の全てを忘れる時が来たとしても、墓参りを続けていれば懐かしむ事が出来るかもしれない。我ながらなんとも情けない姿であり、女々しい感傷だ。
だけど、きっとそれでいいのだろう。彼女の事を僕の魂から消してしまうより、そうして覚えている事が後に残された者の役目なんじゃないだろうか。
「いつまでそうしているのです。贈る為にその弔花を用意したのでしょう?」
「柄にもなく感傷に浸っていたよ」
紫が持ってきたのだろう。墓には白い星の花びらをした、エーデルワイスが贈られていた。その隣りに紫苑を置かせてもらう。
何かを心の中で言おうとしたが止めた。この墓の下には何もないのだから、何かを伝えるならそれこそ地獄にでも行って会いに行った方がいい。
「――――が亡くなって、もう十五年も経ったかしら」
「人間からすればもう随分と昔の話なのでしょうが、私達妖怪からすればつい昨日の様に思いますね。今でも忘れません、彼女が冷たくなっていく様は」
「どうにもならなかったの?」
「幾ら私の能力を以てしても生命の終わりにまでは関与しきれません。神ですら死ぬ世界で、人間だけが死なないというのはおかしな話ですわ」
「永遠亭の皆が幻想郷に関わり始めたのがつい最近だからね。例え、彼女が亡くなったあの日に永遠亭の皆に助けを求めたとしても、きっと間に合わなかっただろう」
「あれだけ強い力を持った人間でも、私達妖怪のようにはなれない。ああも簡単に死んでしまうのね」
敵対しながらも彼女を慕っていた妖怪達は助ける事が出来なかった紫を責めたが、それでも紫は何も言い返さなかった。確かに出来なかった事に僕も少しの苛立ちを覚えたが、それ以上にこの幻想郷の未来を考えなければならない紫の立場があった。
パワーバランスの崩れた幻想郷を立て直す為に紫は、役割を継ぐ子を探し出しながら、彼女の葬儀や各所への連絡へ奔走していた。それを不快に思う者達もいたが、それでも紫の立場からすれば仕方のない事だろう。
「だからこそ妖怪は人間を虫けらのように思い、その一方で壊れ物のように愛するのでしょう」
一瞬だけだが紫の目に涙が滲んでいるように見えた。
「あまり湿っぽい話はなしにしようか。彼女もそういうのは苦手にしていたし、ここは飲みにでも行くかい?」
「あら万年金欠の貴方が奢ってくれるのかしら」
「なんでそうなるんだ。もちろん割り勘に決まっているだろう」
「これだけの美女がいるのですから、奢ってくれる甲斐性を見せていただいてもいいのですよ?」
自分で言うか、そう突っ込みたかったが二人とも美人な上に、意見は鋭い視線で封殺された。
最近は人里の方からも少しずつ依頼が入るようになり、多少は懐が暖かいのだがこれからますますと寒くなるのだから、懐を寒くするのは得策ではないだろう。ここは徹底抗戦の姿勢を見せなければ。
「まあお酒は私が用意しますから、そうですね…………幽香には何かおつまみを用意してもらいましょうか」
「それは良いけど、貴方は何を用意するの?」
「じゃあ僕は肴になる話を幾つか用意しようじゃないか。少し前に話題になるネタを仕入れたから、退屈はさせないさ」
墓参りに来ておいてすぐに宴会の話になるのは何とも薄情な事だが、この幻想郷ではそれが常であり、彼女も暗い話を続けられるのも嫌だろう。
先に行く二人の背中を追いかける前に一度振り返る。
「また近い内に来るよ。その時は僕が造った酒を持ってくるから君も飲もう」
「置いていくわよー」
「ああ、待ってくれ!」
赤い服に身を包んだ黒髪の女性が微笑むの見て、僕は二人の後を追いかけた。
紫の桜が満開になる頃、約束を果たす為に集まった僕達がちょっとした事件に巻き込まれるのだが、それはまた別のお話である。