宇佐見蓮子は変人である。
秘封倶楽部は私こと宇佐見蓮子とメリーことマエリベリー・ハーンの二名で構成されており、私が変人ということはつまり変人率五割の集まりということになる。
五割が変人なのだ、秘封倶楽部は変人の集いだと言われても反論はできない。
だが私としては、自分で変人と呼ぶのは良いのだが、他人から変人と呼ばれるのには納得がいっていない。
私は多少好奇心が旺盛なだけのごく一般的な大学生なのだから、わざわざ指差されて変人だと呼ばれるほどではないと思うのだ。
もし面と向かって変人だと言ってくる奴が居たら、私もそいつに面と向かって言ってやるのだ。
「初対面の人間を変人呼ばわりする奴に言われたくないやい!」
と。
常識的な対応だ、あまりの正論に相手はぐうの音も出ないらしく、論破された人間特有の不満気な表情をしてその場を去っていく。
そして私は勝ち誇る。そんな私をメリーは呆れたような目で見ている。
どうだろう、これでも私が変人に見えるだろうか。
これでも見えるという者がいるとしたら、一度目の手術をおすすめするね。
最近は性能の良い義眼が増えたと言うから、丸ごと変えてみるのもお勧めかもしれない。
アンダーグラウンドな世界には服だけ透ける便利な義眼なんてものもあるらしい、透けすぎて服を纏っていない部分がグロ画像状態になっちゃうらしいけど、まあおっぱいが見られる対価としては些細なものだよね。私は遠慮しとくけど。
さて、私の変人論議など今はどうでもいい、本題はメリーである。
私が変人なのに対してメリーは常人である。だが私のついでに他人から変人だと指差されようと罵られようと否定はしない、理不尽な物言いにもむしろにっこりと笑って肯定するほどの善人である。
いくらメリーの人がいいからってこればかりは否定したほうがいいと思うのだけど、メリーが好き好んでやっていることを直接的に否定するのはあまり気が乗らない。
メリーの自意識を侵害してまで考えを変えさせようとは思わない、メリーはメリーだからこそメリーなのだ、メリーが私になったらきっと私たちは友達ではいられないし、自己嫌悪によって友人ですらいられないだろう。
だから今のままでいいと思っている。
私は否定し続けるし、メリーは受け入れ続ける。
人が他人を受け入れるのは、自分に無い部分を補うためだ、だったら私たちの関係は理想的と言えるんじゃなかろうか。
そのメリーなのだが、実を言えばちょっぴり変人な部分もあったりする。
原因としてはやはりその目が持つ能力だろう。
彼女の目には、結界の境目が見えるという便利なんだか不便なんだかわからない不思議で不気味で素敵な能力が宿っているのだ。
秘封倶楽部の活動には欠かせない能力であるし、メリーがときおり他人から見れば理解し難い行動を取るのはその目のせいでもある。
メリーが居なければ、私も多くの不思議に出会うことはできなかっただろう。
人の目には見えない妖怪や神々の住む世界、そんな幻想的な場所を少しでも目にすることが出来たのは、彼女の能力あってこそだ。
もし私がメリーと出会わなかったのなら、きっとごく普通の女子大学生として、それなりに普通の大学生活を送っていたと思う。
要するに、私が変人呼ばわりされる理由のほとんどは、メリーにある気がするのだ。
ちょっと責任を押し付け過ぎかなとは思わないでもない。
しかしメリーが居ない世界の私など想像できないほどにメリーの影響を受けているのだ、その程度の責任ぐらい受け入れてくれていい。
彼女に直接そんなことを言ったことはない。
けどいつか、私をこんな変人にしてしまった責任を取ってもらわなければ。
そうあるべきだと思う、そうあって欲しいと願う、そうあるようにと祈る。
望み過ぎだと言われても私は止めない。
なぜなら私は変人だから、人から止めろと言われて止めるようなら、最初から変人など名乗っては居ない。
季節は夏、大学は長すぎる夏休みに突入し、多くの大学生たちがアルバイトや青春ごっこに打ち込む中、私たち秘封倶楽部は――
「あぢー……ありえないし……」
「あぁ……頭どうにかなりそ……」
日差しに照らされ天然のサウナと化した私の部屋で、まるでゾンビのような唸り声を上げながらダウンしていた。
ガラス張りのテーブルに突っ伏しながら微動だにしないメリー。
ベッドに体を投げ出して汗を垂れ流す私。
いかなる異変にも負けず、メリーの入院という突然のハプニングにもくじけずに活動を続けてきた我が秘封倶楽部は、なぜかエアコンの故障という非常に現実的で地味なハプニングを前に崩壊の危機を迎えていた。
エアコンの故障に気付いたのは今からちょうど三日前、いつものようにメリーと一緒に不思議を探して街を練り歩き、日が暮れる頃に帰宅、蒸しサウナ状態になっていた部屋の中で急いでエアコンのリモコンを探し、そのスイッチを入れた瞬間であった。
この灼熱地獄を天国へとテラフォーミングするあの魔法の音、ピッと言うその音だけで涼しくなってしまう救いの福音が、どうしたことか鳴らないのだ。
音が鳴らないということはエアコン本体に反応があるわけもなく、私は顎から汗の雫を垂らしながら、何度も何度もスイッチを押したが、一向に電源がオンになる様子はない。
あらゆる可能性を考慮した。もちろん電池は変えたし、エアコン本体にある電源を押して電源のオンオフを繰り返してみたりもした、それでも全く動く様子はない。
沈黙するエアコン。もはやそれは、文鎮として使うにもでかすぎるただの粗大ごみと化していた。
絶望のあまり膝から崩れ落ちる。必死に電源を入れようとする私を「がんばれっ、がんばれっ」と巨乳を揺らしながら応援していたメリーも、私と同様に崩れ落ちた。
てか何でメリーは当然のように私の部屋に居るのだろう。そういやあの子、ここ最近全く自分の部屋に帰ってない気がする……まあ楽しいからいいけど。
そんなわけで、私たちを外の灼熱から健気にも守ってくれていたエアコン様は、ついにご臨終してしまったのであった。
「ねえ蓮子、修理まだなの? 私もう溶けてスライムになって蓮子と一体化しちゃいそうだよ」
「うふふ、ふふ……私も溶けそうだし、いっそ二人でスライムになって混ざり合っちゃいましょうか……」
実を言えば、私の頭はとっくにおかしくなってしまっていた。
メリーは別にいいじゃないか、自分の部屋じゃないし、電気屋に修理頼んだって自分の財布が痛むことはないのだから。
だが私は違う、ダメージは暑さだけじゃない、今回の事件は私の財布にも多大なるダメージを与えているのだ。
ちなみにエアコンの修理だが、故障したその日にとっくに頼んでいる。
だが電話の向こうから聞こえてきたのは、死刑宣告とも取れるあまりに無慈悲な言葉であった。
「最近修理依頼が立て込んでてですねー、そちらのお宅に伺えるまで1週間はかかっちゃいそうなんですよー、はい」
エアコンの故障は別に彼らのせいではないが、暑さのあまりフラストレーションが溜まりに溜まっていた私にとっては、その語尾の伸ばし方さえ十分な起爆材料になり得た。
私の顔を見て察したメリーが宥めてくれたからどうにかなったけど、メリーが居なかったらどうなっていたことか。
きっとその電気屋のブラックリストに私の名前が並んでいたに違いない、もしかしたらその前に店が潰れてたかもしれないけど。
というわけで、エアコンが修理されるまであと四日以上かかるのだ。
今日から四日も私たちはこの地獄に耐えなければならない。
うーん。
……無理じゃね?
「ねえメリー、私からとても魅力的な提案があるのだけれど」
「んー、却下」
「まだ何も言ってないじゃない! ただエアコンのある涼しい天国を得るためのいい案を思いついたのよ」
「ねえ蓮子」
「なぁにメリー」
「そのフレーズ、今年の夏に入ってもう十と三回目だわ。仏の顔も三度までって言うけど、十三回も耐えている私は神を越えた何かなの?」
「確かにその胸は神を越えた何かだと思うけど、メリー自身は神じゃないわ」
「蓮子って私の胸大好きよね」
「うん大好き、揉みしだきながら顔を埋めたいわ」
「んもー、仕方ないなあ。ほらカモン蓮子」
「わぁい」
両手を広げウェルカム体勢になったメリーの胸に私は飛び込む。
ぼふっと、いつものことだし遠慮無く。
豊満なる肉の海、矮小な人の体に宿るにはあまりに荘厳すぎる。
このような物を身に宿すなどマエリベリー・ハーンは間違いなく神に近い何かに違いない、あるいは彼女の言った通り神を越えた何かなのかもしれない。
じゃあ、そんなメリーの胸に顔を埋められる私は神の使徒なのかしら、ああ何て素敵なのくんかくんか。
「あんまり匂い嗅がないでよお、汗臭いでしょ?」
ちなみに今、私たち下着姿です。
私の汗ばんだ頬とメリーの汗ばんだ乳房がこすれあって、にゅるにゅるする。
これで相手がメリーじゃなかったら、汚物を処分するように私の右ストレートが炸裂していただろうけど、相手がメリーなら話は別。
好き。これ大好き。サイズと形、柔らかさと弾力を両立したメリーの胸はただの胸を越えた芸術品か何かだよね。
それを独り占めできる私はなんて幸せ者なのでしょう、これがあれば変人呼ばわりされたって構わないわ。
あぁー、やっぱりメリーの胸はたまんないわぁ。
「メリーは、汗の匂いもフローラルで素敵よね」
「冗談よしてよ、自分だって汗の匂いは嫌なんだから」
「あれ、嘘だってバレちゃった? でもメリーの汗の匂いは本当に好きだよ、嗅いでて嫌な感じしないもの」
そう言いながら、私はすんすんと鼻を鳴らす。
「ちょっとぉ、もう……。
でも、私だって蓮子の汗の匂いは好きよ。
ほらこうやって抱いてるとちょうど蓮子の頭が目の前に来るでしょう?
だから蓮子の頭皮の匂いを嗅ぎ放題ってわけ」
「と、頭皮……? マニアックだね」
「そうかなぁ、胸も頭皮も同じ皮膚じゃない、似たようなものだわ」
メリーはたまにやたらフェチっぽい発言をする、さすがにこればかりは私でも理解できない。
実はメリーって私以上に変人だったりして、目がどうこうとか関係し無しに。
場所が頭皮ってのがちょっと気になるけど、でも好きって言われるのは単純に嬉しい。だって相手がメリーなんだもの。
メリーが私の一部だけでも愛してくれるというのなら、私は神に愛されるよりもずっと嬉しく感じる。
「けどさ、私がこんなに無防備な姿を晒しているのに、それでも私の提案を飲んではくれないの?」
「ダメなものはダメ、蓮子が無残に怪物に食い荒らされる姿なんて見たくないの」
「怪物って……それメリーのことでしょ?」
「そうよ、私は醜くて凶暴な獣と化すの」
私が十三回も繰り返した要望と言うのは、つまりメリーの部屋に移動したらいいじゃないか、ということだった。
考えてみれば簡単な事だ、エアコンが故障したのなら、修理できるまで故障していないエアコンのある場所に行けばいい。
私の部屋は大多数の大学生と同様にワンルームで、ベッド含めて家具一式を押し込んだその部屋はお世辞にも広いとはいえない。
寝るときは窮屈ながらもベッドで二人並んで寝ているのだ。
だがメリーの部屋はなんと2LDK。大学生なのに。一人暮らしなのに。
もちろんそんなだだっ広い部屋をメリー一人で使いきれるわけ無く……っていうかそもそも今じゃメリー自身すらその部屋を使ってないわけで、おそらく私の部屋よりも数段高いであろう家賃は全てドブに捨てているような物なのである。
じゃあいっそルームシェアしようよと言ってもメリーは冗談めいた謎の警告を発して受け入れてくれないし、かといって私の部屋から出て行く様子もない。
なんなのさ、一体。ほんとメリーってよくわからない。
まさか家賃の半分すら払いたくないからルームシェアじゃなくてお泊まりの体裁をとっているのだろうか。
さすがに私から金よこせって言う訳にも行かないし、一応今だって食費は折半してるけども。
「蓮子だって見たでしょう? あの宇宙船の化け物。
きっと私はあんな怪物になってしまうの、間違いないわ」
「でもメリーはメリーなんでしょう? だったら構わない、きっと化け物になってもメリーは私を襲わないから」
「出た、根拠の無い自信」
「根拠ならあるわ」
「じゃあ言ってみてよ、私が納得できるようなご立派な理由を」
「メリーがメリーで、私が私だからよ」
「……」
「何呆れたような顔してるの? これ以上に説得力のある理由があるかしら」
「そーいうのを根拠の無い自信っていうのよ」
そう言いつつ、メリーは私を抱きしめる腕にぎゅーっと力を込めた。
窒息しそうなほどに私の顔は胸に押し付けられる、ついに視界が胸に埋め尽くされる。
苦しいけど、しゃーわせである。
さっきより濃密なメリーの匂いが鼻腔をくすぐる、何だか変な気を起こしてしまいそうだ。
いっそ私が獣になってしまおうか。
ほら、そしたらこんな汗かきも気にならなくなるし、拒絶されたならそれはそれで部屋が広くなるし、全部解決するわ。
……とか言ってみたものの、メリー無しの毎日とか想像するだけで吐き気しそう。うえぇ。
「ところでメリー」
「なぁに蓮子」
「メリーはいつになったらスライムになってくれるの?
私は早くメリーと融け合いたくてたまらないのだけれど」
「いつから蓮子は性欲を隠さず曝け出すビッチ系女子になっちゃったのかしら、女性誌にでも感化された?」
「えー、メリーが溶けるっていうから期待して待ってたのに」
「溶けられるものなら溶けたいわよ、私だって。
でもどっちだっていいじゃない、溶けようが溶けまいがやってることは変わんないんだから。
こうやってべたべたくっついてぐだぐだと下らないことを話してるだけなんでしょう?」
「言われてみりゃそうかもね、つまり私とメリーはもう溶けあってるも同然なんだ」
「その言い方、なんかやらしいわよ」
「当然わかってるよ、メリーがもうちょっと恥じらってくれるのを期待してた」
「誰かさんのせいで慣れちゃったのよ、初心な私が見たいならもっとおしとやかな女の子になることね」
「とんだ無理難題を押し付けるなあ、おしとやかの反義語が宇佐見蓮子だって知ってて言ってる?」
変人と呼ばれている時点で正常性とはおさらばしているのだから、”まとも”に固執する理由はあまりないわけで、だったら脳みそが溶けてようが体が溶けてようが些細な問題である。
変人がさらに変人になったところで、きっと誰も気にしないだろうから。
ふむ、ってことは実は変人ってとても便利なものなのかもしれない。少なくとも私にとってはメリットしか無い。
なぜかって? そりゃ、あれだよ。私ってば変人だから。
私は変人だけど、メリーは変人じゃないからさ。
さっきは私よりメリーのが変人かもなんて言ったけど、根本的にメリーは常人なのだ。
それは揺るがない。
「それにしても……暑いよねぇ」
「そりゃこんな格好してたらね。抱きついてる蓮子のが暑いんじゃない?」
「暑さを我慢してでも手にしなければならない物があるのよ……!」
そう言いつつメリーの胸をむぎゅりとつかむ。
「んっ……もう、急に掴まないでよ」
メリーの色っぽい吐息に意識がぐらりと揺らぎ掛ける。
だめだだめだ、さっきのは、ちょっと、やりすぎた。
これじゃおふざけじゃない。
ごくりと唾を飲み込んで、どうにかのぼせた頭を冷ます。
あまりの暑さに忘れかけていた、大前提として宇佐見蓮子は冷静にならなければならない、一挙手一投足に気を使うべき立場にあるということを。
「そんなに私の胸が好きなの?」
どうやらメリーは私の動揺に気付いていないようだった。
顔は赤いがそれは最初からだ、私もメリーも暑さに脳みそをやられているのだから。
よかった、メリーが常人で。
「三大欲求の性欲を押しのけてメリーおっぱい欲が入ってくる程度には好きかな」
「それ性欲よね」
「メリー以外には適用されないわ」
「でも性欲よね!?
まあいいけど、いつも蓮子ばっかり堪能してずるいわ」
「おや……」
メリーの意外な一言。
私がおねだりして、しぶしぶメリーが受け入れてくれているのだと思っていたけれど、実は興味津々だったとは。
これはまたとないチャンス、おふざけをするにはいい機会だ。
私はメリーの胸から離れる。名残惜しいが得るべきものを得るためには仕方ない。
そしてがばっと腕を広げ、大海原よりも広い母を思わせる慈悲の表情を浮かべる。
「メリー、カモン!」
「……その顔、気持ち悪いわ」
宇佐見蓮子が敗北する歴史的瞬間であった。
どうやら私と母性はすこぶる相性が悪いらしい、メリーの表情を真似したつもりだったのにまさか気持ち悪いとまで言われるとは。
いくら作った表情だったとは言え、メリーに真正面から気持ち悪いと言われるとさすがにショック。
落ち込む。そりゃ落ち込む。この世の終わりかってぐらい、ずーんと言う効果音を背中に浮かべながら、俯き萎れ憂鬱の泥沼の底に沈んでいく。
「ご、ごめんなさい蓮子、ちょっと素直に言い過ぎたわ。訂正させて」
「私の心を癒やすような訂正なの?」
「きっと大丈夫」
「じゃあお願い」
すぅ、と長めに息を吸って気持ちを押し付けるメリー。
汗に濡れてぬらりと輝く豊満な胸が、小さく上下した。
「とても心が不愉快な気分になる顔だったわ、二度と見たくない」
「うわぁぁぁぁん!」
とんでもない追い打ちがやってきた。
私はもうだめだ、体中の骨が軟体生物のように力を失い、ぐだりと地面に突っ伏す。
立ち上がる気力は残されていない。
私はこのサウナのような部屋のなかで、このまま水分を失い干からびたスルメイカのようにカラカラになるまで放置されるに違いない。
ああ、だったらいっそ私はイカになりたい。イカになってメリーに食べてもらいたい。
「ごめんなさい、まさかそんなに傷つくなんて」
「わかっててやってるよね!?」
「まさか! 私は蓮子のことを心から思って言ってるわ、傷つける意図なんて微塵も無いの」
「ああ、メリーに罵られた挙句に嘘までつかれるなんて。
このまま干からびて即身仏になっちゃいたい……」
「だめよ、蓮子が倒れたら一体誰がエアコンの修理料金を払うの!?」
もしかしなくても、メリーはここで私を仕留めるつもりなんじゃなかろうか。
残念だけど私はマゾヒストではない、メリーのサディスティックな責めでエクスタシーを感じるタイプの変人ではない。
かといってメリーがサディストだなんて話を聞いたことがあるわけじゃないし、ただ単にじゃれてるだけなんだろうけど、割と本気で傷ついてるってメリーわかってるのかな……。
メリーってば私以外と話す時は良い子ちゃんなのに、私と二人きりで話すときはたまーに辛辣なこと言ってくるんだよね。
前向きに考えれば私の前だけで素の性格を見せてくれてるってことなんだろうけど、実はメリーは外だと猫を被ってるってのは中々にショッキングな事実である。
「はぁ……いつまでもそんな風に潰れられちゃ私が困るわ」
「こういう私が見たくて罵ったんでしょ」
「ちょっと私の中の小悪魔的な部分が外に出ちゃっただけよ、蓮子で遊びたくなっちゃったの」
「小悪魔じゃなくて悪魔だー!」
「小さかろうが大きかろうがどうでもいいの、ほらほら早くしゃんとして。
じゃないと私が蓮子の胸に飛び込めないわ」
「……飛び込みたいの?」
「私の気持ちを汲み取ったからこそ、蓮子はさっきの気持ち悪い顔をしたんでしょ」
「気持ち悪いって言わないでよ、あれでも本気で母性を込めたつもりだったんだよ」
「ぷっ……母性? 蓮子が母性? しかもあの顔で?」
「マジ笑いしないでよー!」
「ふふっ、ごめん、あんまり蓮子が面白いこと言うものだから……ふっ、あっははははっ」
「あーわかった、もういいですー、メリーには私の胸は触らせませんー!」
そりゃ拗ねる、誰だって拗ねるに決まってる。
私が本気で拗ねた事に気付いたメリーは、私の腕にすがりながら許しを請うのだが、まだまだ顔が笑っているので許す気にはならない。
なかなか頑固な私に痺れを切らしたメリーは最終手段を繰り出した。
胸元を見せつけながら、涙目の上目遣いで私に迫る。
「ねえ……お願い蓮子、許して」
語尾にハートが付きそうなほどのスウィートな声が耳をくすぐる。
思わず体をよじってしまうほどの色気。
「わかった許す」
もちろん即答で許した。メリーにここまでさせたのだから十分に私の勝ちだと思う。
「じゃあ、改めて。カモーンメリー!」
「おじゃましまーす」
えいっと掛け声をかけながら私の胸に飛び込んでくるメリー。
私の胸も決して小さい方ではない、むしろ世間一般の平均と比べれば大きい方だと思うのだが、やはりメリーの圧倒的戦力に比べるといささか戦力不足である。
あそこまで行くともはや兵器だ、あの圧倒的胸には何かしらの名前を付けるべきだと思う。無敵要塞ザイガスとか。
「はふぅ……」
「ど、どう?」
「なるほどこれは……蓮子が私の胸に飛び込みたがる理由がわかった気がするわ。
全部蓮子に支配されてる感じがする」
「支配?」
「蓮子の匂いがして、蓮子の感触がして、蓮子しか見えなくて……舌を伸ばせば、蓮子の味がするのかしら」
「ちょ、メリー!?」
本当にメリーの舌が伸びる。
私の谷間がぺろりと舐められる。
くすぐったいを越えた、口では言えない類の感覚に私は思わず「ひゃんっ」と声を上げた。
「ふーん、蓮子ってばそんな可愛い声出すんだ。意外な一面を知っちゃったわ」
「もう、おふざけも大概にしてよね」
「蓮子はいつも私の胸を鷲掴みにしてるじゃない、あれは良いって言うの?」
「私がやってるのは手じゃない、口は……何ていうか、シャレにならない気がするから。
思い出してみてよ、今まで私が一度でもメリーの胸を舐めたことがあった?」
「無い、けど……」
メリーは納得いかない様子。
私の考えが必ずしも正しいとは思わないし、メリーと価値観が違うのも仕方のないことだとは思う。
けどさ、やっぱ口で色々するのって、ちょっと一線超えてると言うか……おふざけにしては、度が過ぎてると思うんだ。
「蓮子はさ、誰か他の人に胸を舐められたりしたことってある?」
「……はい?」
「だから、恋人とかと、そういうことしたことがあるのかなーって」
「お、おおう……急に踏み込んできたね」
「気にするのは変かな?」
「一般的には変じゃないんだろうけど、今まで私たちが恋愛絡みの話をして来たことなんてなかったからびっくりしちゃった。
思えば変な話だけどね、私たちの年頃で恋愛に興味のない女子なんて滅多に居ないんじゃないかな」
私は意図的に避けていた。
でもメリーからその手の話を振ってきたら避けることはできなかったはずだ、今までそんな場面に直面しなかったのはまさに奇跡と呼んでもいいのかもしれない。
いや、あるいはメリーも避けていたのか。
「逆に普通すぎて困っちゃうなあ、こういうのってぶっちゃけて話しちゃっていいものなの?」
「わからないわ、蓮子が知らないことを私が知ってると思う? ずっと一緒にいるのに」
「それもそうだよね。
と言うか、ずっと一緒に居るんだから答えはわかってるんじゃないのかな」
「大学に入る前の蓮子のことなんて知らないもの。
それに、ずっと一緒に居るけど、四六時中ずっと離れずにいられるわけじゃないから」
メリーと離れた一瞬の隙に、見知らぬ異性といたらぬことを致しているのではないかと、メリーはそんな邪推をしているらしい。
正直なことを言えば、私だってメリーと離れている間は不安だ。
講義が行われている間は離れている時間だってそう短くないし、恋人を作るのは難しかったとしても、大学に一定数居る異性慣れした男共の毒牙にかかっていてもおかしくはない。
何せ、あのマエリベリー・ハーンなのだから。あんなに可愛い金髪巨乳のおしとやかな外人の女の子を男連中が放っておくわけがない。
でもその不安は、友人としては変じゃなかろうか。
友人に恋人が出来たら、多少の寂しさはあっても喜ぶだろう、それが友人ってものなのだから。
だから私はあえて聞かなかったし、その不安を表に出すことも無かった。
不安に思っているのは私が変人だからだと、そう思うことにしていた。
しかしどうだろう、私だけだと思っていたその不安もメリーも感じていたと言うではないか。
「変な意味じゃなくて、客観的に見てね、蓮子ってすっごく可愛いと思うの。
ちょっと性格に難はあるけど、私はそこも魅力的だと思うし。
スタイルも良くて、肌も綺麗で、顔は言うまでもなくって、そんな蓮子が誰にも手を付けられてないだなんて、そんな都合のいいことあるものなのかな」
しかも、メリーは私が感じていた不安とほとんど同じ不安を抱いていたと言うのだから驚きだ。
それにしたって、都合がいいって何のことなのだろう。
メリーにとって都合がいいってこと? 私が手を付けられてないとメリーにとって都合がいいの?
友達でも、嫉妬ってするものなのだろうか。だとしたら、私は自分で思っているほど変人ではないのかもしれない。
それとも、あるいは、ひょっとしたら。そんなありえない希望を抱いても、いいのだろうか。
「なんだかそこまで言われると照れるなあ。
でも私だって同じだよ、こんなに可愛いメリーが誰にも手を付けられていないだなんて、そんな都合のいいことあるものかって思ってる」
ほんの少しの希望を頼りに、私はいつもより一歩だけ踏み出すことにした。
それはいわゆる”おふざけ”の範疇を越えたもの。
その意図がメリーに伝わるかどうかは別として、全ての勇気を振り絞って口にした一言であった。
「……」
メリーは少しだけ驚いたような顔をして。
もちろん今メリーは私の胸の中に居て、胸元から見上げるようにしてメリーは私の顔を真正面から見ている。
メリーの瞳が、私だけを見ている。いつもは結界の境目や不思議な世界をぼんやりと見つめている不気味な瞳なのに。
その目を素直に”綺麗だ”と思えたのは、今日が初めてだった。
不気味な一つだけが、私の中のメリーから欠けていた一欠片だったのに、それまで満たされてしまったというのなら私はもはや後戻り出来ない。
欠けていたパズルのピースがかちりとはまり、私の中でメリーは完全になった。
それはある意味で、確率五割の死刑宣告とも呼べるだろう。
「大丈夫、私はまだ誰のものでもないから」
「良かった、外国ってそういうの早いイメージがあるから、メリーはとっくに済ませちゃってるんじゃないかと思ってた」
「そんなことないわよ、それに私の国から見た日本の女性だってそんなにガードが堅いってイメージがあるわけじゃないし」
「だから、不安だった?」
「うん、不安だった。でも良かったわ、蓮子も……って、そういえばまだ蓮子の方から答えを聞いてないわ」
「言うまでもないでしょうに。
私はメリーと出会う以前にそんな気持ちになったことすら無いし、メリーと出会ってからはずっと一緒に居るから心配するようなことはなにもないわ。
あなたが見ている私が、私の全てなの」
メリーの居ない私なんて、きっと私ではない何かだ。
だから今の私が私の全て、それ以外はゼロに等しい。
「そっか、私の中にいる蓮子が、蓮子の全てなのね。
それなら私だってそうよ、私は蓮子に自分の全てを見せてるもの」
「実は裏で私の悪口言ってたらどうしようかと思ってたわ、良かった」
「わざわざ裏で言ったりはしないわ、蓮子の悪口を言うなら本人の目の前で堂々と言うから」
「それもどうかと思うんだけど……」
「隠し事、したくないのよ。
それに相手に嫌な部分があるなら、その欠点をどうやって埋めていくか二人で考えたらいいのよ。
それが……」
「それが?」
「それが、友達ってもの……でしょ?」
「……うん、そだね」
ちょっとだけがっかりしたけど、それは表には出さない。
私たちは似たような表情をしながら、仲の良い友人同士でにししと笑いあった。
それから私たちは、この暑さにも関わらずずっとべったりとくっついたままで、日が暮れるまで部屋から一歩に外に出ずに引きこもっていた。
お互いに髪を弄ってみたり、教授の愚痴を言い合ったり、今後の活動について話しあったり、女子大学生らしく流行りのお店の話をしてみたり。
明日には何を話していたのか忘れてしまうほどに薄っぺらい内容だったが、不思議と会話と笑顔が途切れることはなく、やけに濃密な時間を過ごしたと言う実感がある。
不思議な現象に遭遇した時と同じぐらいに満たされている。
「どうしよっか、日が暮れて来ちゃったよ。
まさか何もせずにメリーと駄弁ってるだけで一日過ぎちゃうとは思いもしなかった」
「んー、楽しくなかった?」
「いんや、楽しかった。めっちゃ楽しかった」
「じゃあいいじゃない、私も楽しかったし、明日もこれで良いと思ったわ」
「そうね、ずっと続けるのはどうかと思うけど、明日もこんな感じでいいのかもね」
そりゃ調べたい場所は沢山ある、まだ見ぬ世界に思いを馳せるのもまた有意義な時間の使い方だろう。
だけどその逆が、必ずしも秘封倶楽部にとって無意味かと言えばそんなわけはなく。
今日は見知らぬ世界を旅するのと変わらないぐらい、沢山の物を得られた気がする。
「でも……」
今日一日が満たされていたからと言って、欲求の全てが消えたかといわれればそんなことはなく。
「やっぱり、暑いよね」
「うん、暑いわねえ」
不満は、まだある。
「……メリーの部屋」
「だめです」
やはり即答。
メリーは何があったって私を家に入れる気は無いらしい。
自分でも暑いと認めているくせに、涼しいはずのメリーの部屋に入れてくれないとは一体どういう了見なのか。
「蓮子が何を言ったって絶対に入れてあげないんだから」
「いっそ食べられちゃってもいいからさ、メリーの部屋に行こうよお。
エアコンが恋しくてしかたないのさ」
「エアコンと命のどちらが大切なのかしら」
「メリー、冗談で言ってるんでしょ?
私がメリーの部屋に言ったからって死ぬわけ無いじゃん、メリーが突然化け物になっちゃうなんてこともないだろうし」
「蓮子は私を過小評価しすぎよ、その気になればすぐに獣になっちゃうんだから。
変形ロボットも真っ青な超変身を遂げた私は、もはやマエリベリー・ハーンの原形すら留めないエクストリームなモンスターなんだからね」
「獣になったメリーは私でも襲うの?」
「蓮子だから襲うのよ、怪物になった人間は親しい人間から襲うってのがセオリーなの」
どこの国のセオリーか知らないけれど、何かの映画にでもかぶれたのだろうか。
私はメリーの部屋に全く入ったことがないわけではない。
むしろ以前は私の部屋よりもメリーの部屋をメインとして秘封倶楽部の活動を行っていた。
当然の話だ、だって私の部屋よりも遥かに広くて環境もいい、お菓子だって充実してれば駅にも近い、これでメリーの部屋を使わない理由がない。
なのに最近はなぜか使わせてくれなくなった、確か半年ぐらい前からだったか。
最初は別に気にしていなかったけれど、さすがに三ヶ月ほどたった頃から気になりだして、ちょいちょいメリーの部屋に行こうと提案していたのだけれど、この有り様である。
言い訳するにしてももっとマシな言い訳はないのだろうか、メリーが化け物になるから入れないって、最近の小学生ですらそんな苦しい言い訳はしない。
「ちなみに聞くけれど、襲われた私はどうなってしまうの?」
「どうなって、って……それはスプラッタ映画顔負けのグロテスクな状態になるわ。
ドロドロのグチャグチャよ、その可愛い顔だって見る影も無いぐらいにめちゃくちゃになっちゃうんだから」
「その獣は私のことを食べるんだよね?」
「ええ、食べるわ」
「そっか、人喰い生物なんだ。
ちなみにどこから私を食べるの?」
「えっ? どこから?」
「そう、場所。体の部位」
メリーの与太話には全く興味は無いが、こうなったらボロを出すまでとことん追い詰めてやろうと決めた。
どうせ適当に獣になるとか言ったんだろうし、質問攻めにしたらそのうち処理しきれなくなるだろう。
「まずは……そうね、口から行くわ。
怪物は大きな口をがばっと開いて、赤くて柔らかそうな唇をがぶって食べちゃうの」
「え、唇からなの?」
「そうよ、恐ろしいでしょう? 食べられた蓮子は口の周りを血まみれにしながら痛みのあまり床をごろごろ転がりまわるの」
「うっ、結構グロいんだね」
「だから言ったじゃない、グロいの。
ここから先はもっとえぐいんだから、止めるなら今のうちだからね」
なかなかどうしてえげつない設定をしてるじゃないか。
私と一緒に見たB級映画の設定を思い出しているのだろうか、確かそんな感じのゾンビ映画を見た記憶がある。
「それで、次はどこにかぶりつくの?」
「止めないの?」
「この程度じゃねえ、私を納得させるには弱すぎるわ」
「わかった、じゃあ続けるわね。
次は床に倒れている蓮子に覆いかぶさって首にかぶりつくわ、がぶがぶっ! ってね、蓮子は首から大量の血を流しながらぎゃあああーって叫ぶの」
「よくある展開ね」
「もうちょっと怯えてよ……それから、怪物は胸に噛み付くわ。
蓮子のこの柔らかくてちょうどいいサイズの素敵な胸を台無しにしちゃうの、自慢の胸を失った蓮子は痛みとショックで涙を流し始めるわ」
「メリーの前じゃ口が裂けても自慢なんて出来やしないわ」
「私は、ただ大きいだけの胸より、こっちの方がいいと思うわ。
うん、少なくとも自分の胸よりは蓮子の胸の方が好きよ」
「グロテスクな展開の途中で急に胸を褒められても困るんだけど」
しかも胸を食べると宣告された直後になんて、そんなの反応に困るに決まってる。
しかし唇から首、そして胸か。
一体どんな設定があるのかまだはっきりしないけど、その怪物はどうやら上から順に私を食べていくつもりらしい。
「ねえ、そろそろ聞くの止めた方がいいんじゃないのかな?
私もまだ加減してるからね、次は蓮子だってドン引きしちゃうような血みどろで恐ろしい展開が待ってるのよ?」
「そう言われてもねえ、今のところ対して怖くないし」
「やめても、いいのよ?」
「止めて欲しいの?」
「……できれば」
「止めるわけ無いじゃん、いい加減この部屋の暑さには飽き飽きしてるの。
メリーにどんな理由があるか知らないけど、冷房を手に入れるために負けるわけにはいかないわ」
「うぅ、蓮子のわからずやー」
どうやら本人は睨んでるつもりらしいが、それすらも可愛いのだからメリーは卑怯だ。
はてさて、次はどんなB級映画じみた設定が飛び出すやら。
「い、いいのね、言うわよ」
「どうぞどうぞ」
「口と首と胸と食べて、心臓までえぐり出した怪物はついにメインディッシュに辿り着くわ。
……首をどんどん下に持っていて、次にターゲットにしたのは、お腹より少し下の部分。
そこに怪物の大好物が眠っているの」
「お腹より下って……」
「そう、子宮よ。その怪物は女性の子宮が大好物なの。
大きな口を開いて、もう動かなくなった蓮子の体に牙をつきたて、容赦なく内臓をえぐり出し――」
唇に、首、胸、そして子宮。
はて、即興で作ったにしてはやけに設定が具体的じゃなかろうか。
何かがひっかかる。
確かこの怪物、元はメリーだったはずだ、つまりはメリーが口をつけている場所ということになる。
いや、確かメリーは最初、怪物ではなく獣になると、そういう言い方をしていなかっただろうか。
「……ねえ、メリー」
「なに、ギブアップ?」
「ううん、違うの。
その化け物って……メリーなのよね」
「ええ、そうよ。
私が部屋に入った瞬間、体が化け物に変わって油断している蓮子をがぶーっと」
「メリーが、私のそこに口をつけるの?」
私は言ったはずだ、口を付けるのはシャレにならない、と。
でも私はこうとも言った、いっそ食べられてしまってもいい、と。
それは冗談のつもりで、つまり”おふざけ”だったのだが、全てが冗談かといえばそうではなく。
「な、何言ってるのよ蓮子、私が化け物になるって言ったでしょう?
それは私じゃないの、獣になった私なの」
「私が経験ないって言ったから、気付かないと思った?」
「だから、ちがっ……」
「違わないよね、だってメリーは具体的に言ったんだもん」
私は一箇所ずつ、指をさしていく。
「唇」
メリーの視線が私の唇に釘付けになる。
メリーにしては珍しく余裕がないらしく、唇をきゅっと結んでへの字に曲げながらじっと見つめている。
「首」
私の指先につられて、視線が首へと移る。
メリーと言う名の怪物はここに口づけて、その証を残そうとでも言うのか。
「胸」
さっきまでメリーが顔を埋めていた部分だ。
私だって緊張していないわけじゃない、先ほどまでとの汗とはまた違う、冷や汗がこめかみから顔の輪郭をつたい、顎から胸に滴り落ちる。
ちょうど私が指差す部分に、冷たい雫が落ちてくる。
「子宮」
おへその下のあたりを指さす。
メリーの喉がごくりと動き、目は一段と見開かれた。
ああ、もう冗談じゃ済まされない。
仮に彼女が違うと否定したとしても、私はそれを信じることは出来ないだろう。
ずっと一緒に居るのだから、言葉にしなくたってわかる。
顔がイエスと答えている、表情を取り繕う余裕すらないらしい。
「あ、あのね、違うのよ蓮子、本当に私はそんなつもりで言ったわけじゃっ!」
「どうしてメリーはそんなに慌てているの?」
「だって、だって蓮子、私がそんなこと考えてるだなんて知ったら絶対に私のこと気持ち悪いって思うでしょ!?」
「思わないわ」
「へっ……?」
「思わないって言ってるの、何があったって私はメリーのことを嫌いになんてなったりしない」
「嘘よ、なるにきまってる。
私だったらそうなるわ、一番大切な友達がそんなこと考えてたらもう二度と近づきたくないと思うし、一緒に居たいだなんて思わなくなるじゃないっ!
でも私は嫌なの、蓮子と一緒に居られなくなるなんて、今日みたいな一日を二度と過ごせなくなるなんて、そんなの、そんなの私っ……」
今にも泣きそうなほど取り乱すメリー。
なんてこと、私に彼女を追い詰める意図なんて無いのに、まさか泣かせてしまうなんて。
早くその涙を止めてあげないと。
メリーの背中に手を伸ばす、先程は胸に抱きとめるだけだったけど、今度は同じ高さで抱きしめる。
おふざけじゃなく、本音の気持ちで。
「蓮子……?」
「私ね、メリーも知っての通り、ずっと自分のことを変人だと思ってきたわ。
うん、私は変だった。ずっと変だし、今だって変だと思ってる。
いや……変にさせられちゃったってのが正しいかな、どっかの怪物さんにね」
「かい、ぶつ?」
「そう、その怪物さんは友達を装って私の体を虎視眈々と狙っていたとーっても怖い怪物さんなの。
もしかしたらその怪物の能力なのかもしれないわね、初めて出会った時、一目見た瞬間に私は変になってしまったわ。
だってそうでしょう、相手は同性なのにこんな気持ちになるだなんて、変に決まってるもの。
最初のうちは自分で受け入れることも出来なくって、夜な夜などうしようか悩みに悩んだわ。
だってのに、相手は無防備に私に近づいてくるの。本当にどうしようかと思ったわ、果たして上手く友人を演じられるのかってね。
ま、その不安も杞憂だったわけだけど。
けど、今の今までずっと変なのは私だけだと思ってた、相手が怪物だってことにも今日まで気付いてなかったわ」
だから、”おふざけ”と称したチキンレースを繰り返し行なってきた。
友達のラインを確かめるように、どこまでやっていいのか試行錯誤を繰り返し。
だけどそのチキンレースもどうやら無駄な行為だったらしい。
何せ相手は私の体を狙うとんでもない相手だ、そんなのラインなんてどこにもないに決まってる、その気になれば一線を越えることだって。
きっと彼女は拒まなかっただろう、むしろ私から迫ってくれることを喜んで受け入れたはずだ。
「あの、蓮子……?」
「私、信じちゃうから。それが答えなんだって決めつけちゃうから、それでいいのよね?
変人は私一人じゃなくて、秘封倶楽部は二人とも変人だったんだって」
「……そういうこと、なの?」
「そういうことよ、だからそんな泣きそうな顔をする必要はないの」
「嘘じゃ、ない?」
「こんな気の利いた嘘、私につけると思う?」
「夢じゃ、ない?」
「残念だけどそれを証明する手段は私にはないわ、体の感触と温もりだけじゃ納得出来ない?」
「できないよぉ……だって、ありえないでしょ、普通こんなの……っ」
「うん、ありえないね。普通はありえない、だから私たち変人なんだよ」
そして私は今、自分が変人であることをいつになく誇らしく感じている。
変人でよかったって、心の底から感謝してる。
「まだ、信じられないの……」
「どうしたら信じてくれるの?」
「気の利いた台詞なんて要らないわ、もっとちゃんとした言葉が欲しいの。
蓮子の口から、直接聞きたい」
言われてみれば、私はまだ一番大切な言葉をメリーに伝えていなかった。
周りくどい言葉ばかり使ってかっこつけて、実は私、照れ隠ししたかっただけだったりして。
「好き」
「……うん」
「メリーのことが、好き」
「うん、うんっ」
「実は出会った時からずっと好きでした。
触れ合ってる時いつもドキドキしてました」
「うん……私もだよ」
「メリーの口からも聞きたいな」
「わかった」
背中に回していた手を、指の一本一本に至るまで絡ませて恋人つなぎ。
手の平に、指と指の間にメリーの温もりを感じながら、私たちは笑い合う。
涙混じりの笑顔の彼女が口を開く。
「大好きだよ、蓮子」
メリーの言葉がじわりと胸に染みこんで、私の口からも自然と言葉がこぼれ落ちた。
「私も、メリーのことが大好き」
愛の告白を終えたのなら、次にやることなんて決まっている。
私はキスを望んだ。メリーもキスを望んだ。
今がそのタイミングだって、誰が言ったわけでもなく本能的に察して、気付けば体が自然と動いていた。
唇同士が触れる。胸と胸が触れる。
ちょっと調子に乗って口を開いてみると、メリーもそれに応じてくれた。
口を離す時、軽くちゅぱっと音がした。
私たちのファーストキスはとても甘くて、ほんの少しだけディープだった。
すごく、気持ちよかったです。
キスの後、妙に気まずくなって私たちは視線を逸らしたまま、顔を真っ赤にしてしばらく無言だった。
でも手は離さなかったし、相手の体温が伝わるぐらいに至近距離なのは変わらない。
恥ずかしいけど、好きって気持ちがあるから、何があっても離れたくなかった。今まで以上に。
「メリーの部屋、行こっか」
しばらくの沈黙の後、私から口を開いた。
儀式を終え正式な恋人になった私たちを遮るものはもう何もない、おふざけももう必要ないのだ。
「いいの? 怪物が待ってるのに」
「いいよ」
愛しい怪物さんは、私のどこを食べるかまで予告してくれた。
だったら、やってもらおうじゃないか。
ま、怪物に簡単に食べられるほど弱っちい私じゃないけどね。
「メリー、私を食べて」
私にとって精一杯の挑発。
しかし力を振り絞った甲斐あって怪物には大ダメージを与えることに成功したらしく、顔を赤くした怪物さんはちょっとだけ鼻息を荒くしている。
これ、メリーの家まで我慢できるのかなぁ。
「私、本当にケダモノになっちゃうから。
手加減できないわよ、覚悟してよね変人さん」
「お手柔らかにお願いするわ、怪物さん」
部屋に投げ捨てられていた服をまとい、大急ぎで外へと飛び出す。
時間の余裕はいくらでもある、だけど私たちには精神的な余裕がちっともないのだ。
大急ぎでメリーの部屋へと向かう途中、小走りで移動しながらも私たちは手を繋ぐことを忘れなかった。
……え、その後?
やだなあ、この先を見たがる変わり者なんて誰も居るわけがないじゃない。
なにせ、変人が怪物に食べられるグロテスクでスプラッタなシーンが待ってるだけなんだからさ。
秘封倶楽部は私こと宇佐見蓮子とメリーことマエリベリー・ハーンの二名で構成されており、私が変人ということはつまり変人率五割の集まりということになる。
五割が変人なのだ、秘封倶楽部は変人の集いだと言われても反論はできない。
だが私としては、自分で変人と呼ぶのは良いのだが、他人から変人と呼ばれるのには納得がいっていない。
私は多少好奇心が旺盛なだけのごく一般的な大学生なのだから、わざわざ指差されて変人だと呼ばれるほどではないと思うのだ。
もし面と向かって変人だと言ってくる奴が居たら、私もそいつに面と向かって言ってやるのだ。
「初対面の人間を変人呼ばわりする奴に言われたくないやい!」
と。
常識的な対応だ、あまりの正論に相手はぐうの音も出ないらしく、論破された人間特有の不満気な表情をしてその場を去っていく。
そして私は勝ち誇る。そんな私をメリーは呆れたような目で見ている。
どうだろう、これでも私が変人に見えるだろうか。
これでも見えるという者がいるとしたら、一度目の手術をおすすめするね。
最近は性能の良い義眼が増えたと言うから、丸ごと変えてみるのもお勧めかもしれない。
アンダーグラウンドな世界には服だけ透ける便利な義眼なんてものもあるらしい、透けすぎて服を纏っていない部分がグロ画像状態になっちゃうらしいけど、まあおっぱいが見られる対価としては些細なものだよね。私は遠慮しとくけど。
さて、私の変人論議など今はどうでもいい、本題はメリーである。
私が変人なのに対してメリーは常人である。だが私のついでに他人から変人だと指差されようと罵られようと否定はしない、理不尽な物言いにもむしろにっこりと笑って肯定するほどの善人である。
いくらメリーの人がいいからってこればかりは否定したほうがいいと思うのだけど、メリーが好き好んでやっていることを直接的に否定するのはあまり気が乗らない。
メリーの自意識を侵害してまで考えを変えさせようとは思わない、メリーはメリーだからこそメリーなのだ、メリーが私になったらきっと私たちは友達ではいられないし、自己嫌悪によって友人ですらいられないだろう。
だから今のままでいいと思っている。
私は否定し続けるし、メリーは受け入れ続ける。
人が他人を受け入れるのは、自分に無い部分を補うためだ、だったら私たちの関係は理想的と言えるんじゃなかろうか。
そのメリーなのだが、実を言えばちょっぴり変人な部分もあったりする。
原因としてはやはりその目が持つ能力だろう。
彼女の目には、結界の境目が見えるという便利なんだか不便なんだかわからない不思議で不気味で素敵な能力が宿っているのだ。
秘封倶楽部の活動には欠かせない能力であるし、メリーがときおり他人から見れば理解し難い行動を取るのはその目のせいでもある。
メリーが居なければ、私も多くの不思議に出会うことはできなかっただろう。
人の目には見えない妖怪や神々の住む世界、そんな幻想的な場所を少しでも目にすることが出来たのは、彼女の能力あってこそだ。
もし私がメリーと出会わなかったのなら、きっとごく普通の女子大学生として、それなりに普通の大学生活を送っていたと思う。
要するに、私が変人呼ばわりされる理由のほとんどは、メリーにある気がするのだ。
ちょっと責任を押し付け過ぎかなとは思わないでもない。
しかしメリーが居ない世界の私など想像できないほどにメリーの影響を受けているのだ、その程度の責任ぐらい受け入れてくれていい。
彼女に直接そんなことを言ったことはない。
けどいつか、私をこんな変人にしてしまった責任を取ってもらわなければ。
そうあるべきだと思う、そうあって欲しいと願う、そうあるようにと祈る。
望み過ぎだと言われても私は止めない。
なぜなら私は変人だから、人から止めろと言われて止めるようなら、最初から変人など名乗っては居ない。
季節は夏、大学は長すぎる夏休みに突入し、多くの大学生たちがアルバイトや青春ごっこに打ち込む中、私たち秘封倶楽部は――
「あぢー……ありえないし……」
「あぁ……頭どうにかなりそ……」
日差しに照らされ天然のサウナと化した私の部屋で、まるでゾンビのような唸り声を上げながらダウンしていた。
ガラス張りのテーブルに突っ伏しながら微動だにしないメリー。
ベッドに体を投げ出して汗を垂れ流す私。
いかなる異変にも負けず、メリーの入院という突然のハプニングにもくじけずに活動を続けてきた我が秘封倶楽部は、なぜかエアコンの故障という非常に現実的で地味なハプニングを前に崩壊の危機を迎えていた。
エアコンの故障に気付いたのは今からちょうど三日前、いつものようにメリーと一緒に不思議を探して街を練り歩き、日が暮れる頃に帰宅、蒸しサウナ状態になっていた部屋の中で急いでエアコンのリモコンを探し、そのスイッチを入れた瞬間であった。
この灼熱地獄を天国へとテラフォーミングするあの魔法の音、ピッと言うその音だけで涼しくなってしまう救いの福音が、どうしたことか鳴らないのだ。
音が鳴らないということはエアコン本体に反応があるわけもなく、私は顎から汗の雫を垂らしながら、何度も何度もスイッチを押したが、一向に電源がオンになる様子はない。
あらゆる可能性を考慮した。もちろん電池は変えたし、エアコン本体にある電源を押して電源のオンオフを繰り返してみたりもした、それでも全く動く様子はない。
沈黙するエアコン。もはやそれは、文鎮として使うにもでかすぎるただの粗大ごみと化していた。
絶望のあまり膝から崩れ落ちる。必死に電源を入れようとする私を「がんばれっ、がんばれっ」と巨乳を揺らしながら応援していたメリーも、私と同様に崩れ落ちた。
てか何でメリーは当然のように私の部屋に居るのだろう。そういやあの子、ここ最近全く自分の部屋に帰ってない気がする……まあ楽しいからいいけど。
そんなわけで、私たちを外の灼熱から健気にも守ってくれていたエアコン様は、ついにご臨終してしまったのであった。
「ねえ蓮子、修理まだなの? 私もう溶けてスライムになって蓮子と一体化しちゃいそうだよ」
「うふふ、ふふ……私も溶けそうだし、いっそ二人でスライムになって混ざり合っちゃいましょうか……」
実を言えば、私の頭はとっくにおかしくなってしまっていた。
メリーは別にいいじゃないか、自分の部屋じゃないし、電気屋に修理頼んだって自分の財布が痛むことはないのだから。
だが私は違う、ダメージは暑さだけじゃない、今回の事件は私の財布にも多大なるダメージを与えているのだ。
ちなみにエアコンの修理だが、故障したその日にとっくに頼んでいる。
だが電話の向こうから聞こえてきたのは、死刑宣告とも取れるあまりに無慈悲な言葉であった。
「最近修理依頼が立て込んでてですねー、そちらのお宅に伺えるまで1週間はかかっちゃいそうなんですよー、はい」
エアコンの故障は別に彼らのせいではないが、暑さのあまりフラストレーションが溜まりに溜まっていた私にとっては、その語尾の伸ばし方さえ十分な起爆材料になり得た。
私の顔を見て察したメリーが宥めてくれたからどうにかなったけど、メリーが居なかったらどうなっていたことか。
きっとその電気屋のブラックリストに私の名前が並んでいたに違いない、もしかしたらその前に店が潰れてたかもしれないけど。
というわけで、エアコンが修理されるまであと四日以上かかるのだ。
今日から四日も私たちはこの地獄に耐えなければならない。
うーん。
……無理じゃね?
「ねえメリー、私からとても魅力的な提案があるのだけれど」
「んー、却下」
「まだ何も言ってないじゃない! ただエアコンのある涼しい天国を得るためのいい案を思いついたのよ」
「ねえ蓮子」
「なぁにメリー」
「そのフレーズ、今年の夏に入ってもう十と三回目だわ。仏の顔も三度までって言うけど、十三回も耐えている私は神を越えた何かなの?」
「確かにその胸は神を越えた何かだと思うけど、メリー自身は神じゃないわ」
「蓮子って私の胸大好きよね」
「うん大好き、揉みしだきながら顔を埋めたいわ」
「んもー、仕方ないなあ。ほらカモン蓮子」
「わぁい」
両手を広げウェルカム体勢になったメリーの胸に私は飛び込む。
ぼふっと、いつものことだし遠慮無く。
豊満なる肉の海、矮小な人の体に宿るにはあまりに荘厳すぎる。
このような物を身に宿すなどマエリベリー・ハーンは間違いなく神に近い何かに違いない、あるいは彼女の言った通り神を越えた何かなのかもしれない。
じゃあ、そんなメリーの胸に顔を埋められる私は神の使徒なのかしら、ああ何て素敵なのくんかくんか。
「あんまり匂い嗅がないでよお、汗臭いでしょ?」
ちなみに今、私たち下着姿です。
私の汗ばんだ頬とメリーの汗ばんだ乳房がこすれあって、にゅるにゅるする。
これで相手がメリーじゃなかったら、汚物を処分するように私の右ストレートが炸裂していただろうけど、相手がメリーなら話は別。
好き。これ大好き。サイズと形、柔らかさと弾力を両立したメリーの胸はただの胸を越えた芸術品か何かだよね。
それを独り占めできる私はなんて幸せ者なのでしょう、これがあれば変人呼ばわりされたって構わないわ。
あぁー、やっぱりメリーの胸はたまんないわぁ。
「メリーは、汗の匂いもフローラルで素敵よね」
「冗談よしてよ、自分だって汗の匂いは嫌なんだから」
「あれ、嘘だってバレちゃった? でもメリーの汗の匂いは本当に好きだよ、嗅いでて嫌な感じしないもの」
そう言いながら、私はすんすんと鼻を鳴らす。
「ちょっとぉ、もう……。
でも、私だって蓮子の汗の匂いは好きよ。
ほらこうやって抱いてるとちょうど蓮子の頭が目の前に来るでしょう?
だから蓮子の頭皮の匂いを嗅ぎ放題ってわけ」
「と、頭皮……? マニアックだね」
「そうかなぁ、胸も頭皮も同じ皮膚じゃない、似たようなものだわ」
メリーはたまにやたらフェチっぽい発言をする、さすがにこればかりは私でも理解できない。
実はメリーって私以上に変人だったりして、目がどうこうとか関係し無しに。
場所が頭皮ってのがちょっと気になるけど、でも好きって言われるのは単純に嬉しい。だって相手がメリーなんだもの。
メリーが私の一部だけでも愛してくれるというのなら、私は神に愛されるよりもずっと嬉しく感じる。
「けどさ、私がこんなに無防備な姿を晒しているのに、それでも私の提案を飲んではくれないの?」
「ダメなものはダメ、蓮子が無残に怪物に食い荒らされる姿なんて見たくないの」
「怪物って……それメリーのことでしょ?」
「そうよ、私は醜くて凶暴な獣と化すの」
私が十三回も繰り返した要望と言うのは、つまりメリーの部屋に移動したらいいじゃないか、ということだった。
考えてみれば簡単な事だ、エアコンが故障したのなら、修理できるまで故障していないエアコンのある場所に行けばいい。
私の部屋は大多数の大学生と同様にワンルームで、ベッド含めて家具一式を押し込んだその部屋はお世辞にも広いとはいえない。
寝るときは窮屈ながらもベッドで二人並んで寝ているのだ。
だがメリーの部屋はなんと2LDK。大学生なのに。一人暮らしなのに。
もちろんそんなだだっ広い部屋をメリー一人で使いきれるわけ無く……っていうかそもそも今じゃメリー自身すらその部屋を使ってないわけで、おそらく私の部屋よりも数段高いであろう家賃は全てドブに捨てているような物なのである。
じゃあいっそルームシェアしようよと言ってもメリーは冗談めいた謎の警告を発して受け入れてくれないし、かといって私の部屋から出て行く様子もない。
なんなのさ、一体。ほんとメリーってよくわからない。
まさか家賃の半分すら払いたくないからルームシェアじゃなくてお泊まりの体裁をとっているのだろうか。
さすがに私から金よこせって言う訳にも行かないし、一応今だって食費は折半してるけども。
「蓮子だって見たでしょう? あの宇宙船の化け物。
きっと私はあんな怪物になってしまうの、間違いないわ」
「でもメリーはメリーなんでしょう? だったら構わない、きっと化け物になってもメリーは私を襲わないから」
「出た、根拠の無い自信」
「根拠ならあるわ」
「じゃあ言ってみてよ、私が納得できるようなご立派な理由を」
「メリーがメリーで、私が私だからよ」
「……」
「何呆れたような顔してるの? これ以上に説得力のある理由があるかしら」
「そーいうのを根拠の無い自信っていうのよ」
そう言いつつ、メリーは私を抱きしめる腕にぎゅーっと力を込めた。
窒息しそうなほどに私の顔は胸に押し付けられる、ついに視界が胸に埋め尽くされる。
苦しいけど、しゃーわせである。
さっきより濃密なメリーの匂いが鼻腔をくすぐる、何だか変な気を起こしてしまいそうだ。
いっそ私が獣になってしまおうか。
ほら、そしたらこんな汗かきも気にならなくなるし、拒絶されたならそれはそれで部屋が広くなるし、全部解決するわ。
……とか言ってみたものの、メリー無しの毎日とか想像するだけで吐き気しそう。うえぇ。
「ところでメリー」
「なぁに蓮子」
「メリーはいつになったらスライムになってくれるの?
私は早くメリーと融け合いたくてたまらないのだけれど」
「いつから蓮子は性欲を隠さず曝け出すビッチ系女子になっちゃったのかしら、女性誌にでも感化された?」
「えー、メリーが溶けるっていうから期待して待ってたのに」
「溶けられるものなら溶けたいわよ、私だって。
でもどっちだっていいじゃない、溶けようが溶けまいがやってることは変わんないんだから。
こうやってべたべたくっついてぐだぐだと下らないことを話してるだけなんでしょう?」
「言われてみりゃそうかもね、つまり私とメリーはもう溶けあってるも同然なんだ」
「その言い方、なんかやらしいわよ」
「当然わかってるよ、メリーがもうちょっと恥じらってくれるのを期待してた」
「誰かさんのせいで慣れちゃったのよ、初心な私が見たいならもっとおしとやかな女の子になることね」
「とんだ無理難題を押し付けるなあ、おしとやかの反義語が宇佐見蓮子だって知ってて言ってる?」
変人と呼ばれている時点で正常性とはおさらばしているのだから、”まとも”に固執する理由はあまりないわけで、だったら脳みそが溶けてようが体が溶けてようが些細な問題である。
変人がさらに変人になったところで、きっと誰も気にしないだろうから。
ふむ、ってことは実は変人ってとても便利なものなのかもしれない。少なくとも私にとってはメリットしか無い。
なぜかって? そりゃ、あれだよ。私ってば変人だから。
私は変人だけど、メリーは変人じゃないからさ。
さっきは私よりメリーのが変人かもなんて言ったけど、根本的にメリーは常人なのだ。
それは揺るがない。
「それにしても……暑いよねぇ」
「そりゃこんな格好してたらね。抱きついてる蓮子のが暑いんじゃない?」
「暑さを我慢してでも手にしなければならない物があるのよ……!」
そう言いつつメリーの胸をむぎゅりとつかむ。
「んっ……もう、急に掴まないでよ」
メリーの色っぽい吐息に意識がぐらりと揺らぎ掛ける。
だめだだめだ、さっきのは、ちょっと、やりすぎた。
これじゃおふざけじゃない。
ごくりと唾を飲み込んで、どうにかのぼせた頭を冷ます。
あまりの暑さに忘れかけていた、大前提として宇佐見蓮子は冷静にならなければならない、一挙手一投足に気を使うべき立場にあるということを。
「そんなに私の胸が好きなの?」
どうやらメリーは私の動揺に気付いていないようだった。
顔は赤いがそれは最初からだ、私もメリーも暑さに脳みそをやられているのだから。
よかった、メリーが常人で。
「三大欲求の性欲を押しのけてメリーおっぱい欲が入ってくる程度には好きかな」
「それ性欲よね」
「メリー以外には適用されないわ」
「でも性欲よね!?
まあいいけど、いつも蓮子ばっかり堪能してずるいわ」
「おや……」
メリーの意外な一言。
私がおねだりして、しぶしぶメリーが受け入れてくれているのだと思っていたけれど、実は興味津々だったとは。
これはまたとないチャンス、おふざけをするにはいい機会だ。
私はメリーの胸から離れる。名残惜しいが得るべきものを得るためには仕方ない。
そしてがばっと腕を広げ、大海原よりも広い母を思わせる慈悲の表情を浮かべる。
「メリー、カモン!」
「……その顔、気持ち悪いわ」
宇佐見蓮子が敗北する歴史的瞬間であった。
どうやら私と母性はすこぶる相性が悪いらしい、メリーの表情を真似したつもりだったのにまさか気持ち悪いとまで言われるとは。
いくら作った表情だったとは言え、メリーに真正面から気持ち悪いと言われるとさすがにショック。
落ち込む。そりゃ落ち込む。この世の終わりかってぐらい、ずーんと言う効果音を背中に浮かべながら、俯き萎れ憂鬱の泥沼の底に沈んでいく。
「ご、ごめんなさい蓮子、ちょっと素直に言い過ぎたわ。訂正させて」
「私の心を癒やすような訂正なの?」
「きっと大丈夫」
「じゃあお願い」
すぅ、と長めに息を吸って気持ちを押し付けるメリー。
汗に濡れてぬらりと輝く豊満な胸が、小さく上下した。
「とても心が不愉快な気分になる顔だったわ、二度と見たくない」
「うわぁぁぁぁん!」
とんでもない追い打ちがやってきた。
私はもうだめだ、体中の骨が軟体生物のように力を失い、ぐだりと地面に突っ伏す。
立ち上がる気力は残されていない。
私はこのサウナのような部屋のなかで、このまま水分を失い干からびたスルメイカのようにカラカラになるまで放置されるに違いない。
ああ、だったらいっそ私はイカになりたい。イカになってメリーに食べてもらいたい。
「ごめんなさい、まさかそんなに傷つくなんて」
「わかっててやってるよね!?」
「まさか! 私は蓮子のことを心から思って言ってるわ、傷つける意図なんて微塵も無いの」
「ああ、メリーに罵られた挙句に嘘までつかれるなんて。
このまま干からびて即身仏になっちゃいたい……」
「だめよ、蓮子が倒れたら一体誰がエアコンの修理料金を払うの!?」
もしかしなくても、メリーはここで私を仕留めるつもりなんじゃなかろうか。
残念だけど私はマゾヒストではない、メリーのサディスティックな責めでエクスタシーを感じるタイプの変人ではない。
かといってメリーがサディストだなんて話を聞いたことがあるわけじゃないし、ただ単にじゃれてるだけなんだろうけど、割と本気で傷ついてるってメリーわかってるのかな……。
メリーってば私以外と話す時は良い子ちゃんなのに、私と二人きりで話すときはたまーに辛辣なこと言ってくるんだよね。
前向きに考えれば私の前だけで素の性格を見せてくれてるってことなんだろうけど、実はメリーは外だと猫を被ってるってのは中々にショッキングな事実である。
「はぁ……いつまでもそんな風に潰れられちゃ私が困るわ」
「こういう私が見たくて罵ったんでしょ」
「ちょっと私の中の小悪魔的な部分が外に出ちゃっただけよ、蓮子で遊びたくなっちゃったの」
「小悪魔じゃなくて悪魔だー!」
「小さかろうが大きかろうがどうでもいいの、ほらほら早くしゃんとして。
じゃないと私が蓮子の胸に飛び込めないわ」
「……飛び込みたいの?」
「私の気持ちを汲み取ったからこそ、蓮子はさっきの気持ち悪い顔をしたんでしょ」
「気持ち悪いって言わないでよ、あれでも本気で母性を込めたつもりだったんだよ」
「ぷっ……母性? 蓮子が母性? しかもあの顔で?」
「マジ笑いしないでよー!」
「ふふっ、ごめん、あんまり蓮子が面白いこと言うものだから……ふっ、あっははははっ」
「あーわかった、もういいですー、メリーには私の胸は触らせませんー!」
そりゃ拗ねる、誰だって拗ねるに決まってる。
私が本気で拗ねた事に気付いたメリーは、私の腕にすがりながら許しを請うのだが、まだまだ顔が笑っているので許す気にはならない。
なかなか頑固な私に痺れを切らしたメリーは最終手段を繰り出した。
胸元を見せつけながら、涙目の上目遣いで私に迫る。
「ねえ……お願い蓮子、許して」
語尾にハートが付きそうなほどのスウィートな声が耳をくすぐる。
思わず体をよじってしまうほどの色気。
「わかった許す」
もちろん即答で許した。メリーにここまでさせたのだから十分に私の勝ちだと思う。
「じゃあ、改めて。カモーンメリー!」
「おじゃましまーす」
えいっと掛け声をかけながら私の胸に飛び込んでくるメリー。
私の胸も決して小さい方ではない、むしろ世間一般の平均と比べれば大きい方だと思うのだが、やはりメリーの圧倒的戦力に比べるといささか戦力不足である。
あそこまで行くともはや兵器だ、あの圧倒的胸には何かしらの名前を付けるべきだと思う。無敵要塞ザイガスとか。
「はふぅ……」
「ど、どう?」
「なるほどこれは……蓮子が私の胸に飛び込みたがる理由がわかった気がするわ。
全部蓮子に支配されてる感じがする」
「支配?」
「蓮子の匂いがして、蓮子の感触がして、蓮子しか見えなくて……舌を伸ばせば、蓮子の味がするのかしら」
「ちょ、メリー!?」
本当にメリーの舌が伸びる。
私の谷間がぺろりと舐められる。
くすぐったいを越えた、口では言えない類の感覚に私は思わず「ひゃんっ」と声を上げた。
「ふーん、蓮子ってばそんな可愛い声出すんだ。意外な一面を知っちゃったわ」
「もう、おふざけも大概にしてよね」
「蓮子はいつも私の胸を鷲掴みにしてるじゃない、あれは良いって言うの?」
「私がやってるのは手じゃない、口は……何ていうか、シャレにならない気がするから。
思い出してみてよ、今まで私が一度でもメリーの胸を舐めたことがあった?」
「無い、けど……」
メリーは納得いかない様子。
私の考えが必ずしも正しいとは思わないし、メリーと価値観が違うのも仕方のないことだとは思う。
けどさ、やっぱ口で色々するのって、ちょっと一線超えてると言うか……おふざけにしては、度が過ぎてると思うんだ。
「蓮子はさ、誰か他の人に胸を舐められたりしたことってある?」
「……はい?」
「だから、恋人とかと、そういうことしたことがあるのかなーって」
「お、おおう……急に踏み込んできたね」
「気にするのは変かな?」
「一般的には変じゃないんだろうけど、今まで私たちが恋愛絡みの話をして来たことなんてなかったからびっくりしちゃった。
思えば変な話だけどね、私たちの年頃で恋愛に興味のない女子なんて滅多に居ないんじゃないかな」
私は意図的に避けていた。
でもメリーからその手の話を振ってきたら避けることはできなかったはずだ、今までそんな場面に直面しなかったのはまさに奇跡と呼んでもいいのかもしれない。
いや、あるいはメリーも避けていたのか。
「逆に普通すぎて困っちゃうなあ、こういうのってぶっちゃけて話しちゃっていいものなの?」
「わからないわ、蓮子が知らないことを私が知ってると思う? ずっと一緒にいるのに」
「それもそうだよね。
と言うか、ずっと一緒に居るんだから答えはわかってるんじゃないのかな」
「大学に入る前の蓮子のことなんて知らないもの。
それに、ずっと一緒に居るけど、四六時中ずっと離れずにいられるわけじゃないから」
メリーと離れた一瞬の隙に、見知らぬ異性といたらぬことを致しているのではないかと、メリーはそんな邪推をしているらしい。
正直なことを言えば、私だってメリーと離れている間は不安だ。
講義が行われている間は離れている時間だってそう短くないし、恋人を作るのは難しかったとしても、大学に一定数居る異性慣れした男共の毒牙にかかっていてもおかしくはない。
何せ、あのマエリベリー・ハーンなのだから。あんなに可愛い金髪巨乳のおしとやかな外人の女の子を男連中が放っておくわけがない。
でもその不安は、友人としては変じゃなかろうか。
友人に恋人が出来たら、多少の寂しさはあっても喜ぶだろう、それが友人ってものなのだから。
だから私はあえて聞かなかったし、その不安を表に出すことも無かった。
不安に思っているのは私が変人だからだと、そう思うことにしていた。
しかしどうだろう、私だけだと思っていたその不安もメリーも感じていたと言うではないか。
「変な意味じゃなくて、客観的に見てね、蓮子ってすっごく可愛いと思うの。
ちょっと性格に難はあるけど、私はそこも魅力的だと思うし。
スタイルも良くて、肌も綺麗で、顔は言うまでもなくって、そんな蓮子が誰にも手を付けられてないだなんて、そんな都合のいいことあるものなのかな」
しかも、メリーは私が感じていた不安とほとんど同じ不安を抱いていたと言うのだから驚きだ。
それにしたって、都合がいいって何のことなのだろう。
メリーにとって都合がいいってこと? 私が手を付けられてないとメリーにとって都合がいいの?
友達でも、嫉妬ってするものなのだろうか。だとしたら、私は自分で思っているほど変人ではないのかもしれない。
それとも、あるいは、ひょっとしたら。そんなありえない希望を抱いても、いいのだろうか。
「なんだかそこまで言われると照れるなあ。
でも私だって同じだよ、こんなに可愛いメリーが誰にも手を付けられていないだなんて、そんな都合のいいことあるものかって思ってる」
ほんの少しの希望を頼りに、私はいつもより一歩だけ踏み出すことにした。
それはいわゆる”おふざけ”の範疇を越えたもの。
その意図がメリーに伝わるかどうかは別として、全ての勇気を振り絞って口にした一言であった。
「……」
メリーは少しだけ驚いたような顔をして。
もちろん今メリーは私の胸の中に居て、胸元から見上げるようにしてメリーは私の顔を真正面から見ている。
メリーの瞳が、私だけを見ている。いつもは結界の境目や不思議な世界をぼんやりと見つめている不気味な瞳なのに。
その目を素直に”綺麗だ”と思えたのは、今日が初めてだった。
不気味な一つだけが、私の中のメリーから欠けていた一欠片だったのに、それまで満たされてしまったというのなら私はもはや後戻り出来ない。
欠けていたパズルのピースがかちりとはまり、私の中でメリーは完全になった。
それはある意味で、確率五割の死刑宣告とも呼べるだろう。
「大丈夫、私はまだ誰のものでもないから」
「良かった、外国ってそういうの早いイメージがあるから、メリーはとっくに済ませちゃってるんじゃないかと思ってた」
「そんなことないわよ、それに私の国から見た日本の女性だってそんなにガードが堅いってイメージがあるわけじゃないし」
「だから、不安だった?」
「うん、不安だった。でも良かったわ、蓮子も……って、そういえばまだ蓮子の方から答えを聞いてないわ」
「言うまでもないでしょうに。
私はメリーと出会う以前にそんな気持ちになったことすら無いし、メリーと出会ってからはずっと一緒に居るから心配するようなことはなにもないわ。
あなたが見ている私が、私の全てなの」
メリーの居ない私なんて、きっと私ではない何かだ。
だから今の私が私の全て、それ以外はゼロに等しい。
「そっか、私の中にいる蓮子が、蓮子の全てなのね。
それなら私だってそうよ、私は蓮子に自分の全てを見せてるもの」
「実は裏で私の悪口言ってたらどうしようかと思ってたわ、良かった」
「わざわざ裏で言ったりはしないわ、蓮子の悪口を言うなら本人の目の前で堂々と言うから」
「それもどうかと思うんだけど……」
「隠し事、したくないのよ。
それに相手に嫌な部分があるなら、その欠点をどうやって埋めていくか二人で考えたらいいのよ。
それが……」
「それが?」
「それが、友達ってもの……でしょ?」
「……うん、そだね」
ちょっとだけがっかりしたけど、それは表には出さない。
私たちは似たような表情をしながら、仲の良い友人同士でにししと笑いあった。
それから私たちは、この暑さにも関わらずずっとべったりとくっついたままで、日が暮れるまで部屋から一歩に外に出ずに引きこもっていた。
お互いに髪を弄ってみたり、教授の愚痴を言い合ったり、今後の活動について話しあったり、女子大学生らしく流行りのお店の話をしてみたり。
明日には何を話していたのか忘れてしまうほどに薄っぺらい内容だったが、不思議と会話と笑顔が途切れることはなく、やけに濃密な時間を過ごしたと言う実感がある。
不思議な現象に遭遇した時と同じぐらいに満たされている。
「どうしよっか、日が暮れて来ちゃったよ。
まさか何もせずにメリーと駄弁ってるだけで一日過ぎちゃうとは思いもしなかった」
「んー、楽しくなかった?」
「いんや、楽しかった。めっちゃ楽しかった」
「じゃあいいじゃない、私も楽しかったし、明日もこれで良いと思ったわ」
「そうね、ずっと続けるのはどうかと思うけど、明日もこんな感じでいいのかもね」
そりゃ調べたい場所は沢山ある、まだ見ぬ世界に思いを馳せるのもまた有意義な時間の使い方だろう。
だけどその逆が、必ずしも秘封倶楽部にとって無意味かと言えばそんなわけはなく。
今日は見知らぬ世界を旅するのと変わらないぐらい、沢山の物を得られた気がする。
「でも……」
今日一日が満たされていたからと言って、欲求の全てが消えたかといわれればそんなことはなく。
「やっぱり、暑いよね」
「うん、暑いわねえ」
不満は、まだある。
「……メリーの部屋」
「だめです」
やはり即答。
メリーは何があったって私を家に入れる気は無いらしい。
自分でも暑いと認めているくせに、涼しいはずのメリーの部屋に入れてくれないとは一体どういう了見なのか。
「蓮子が何を言ったって絶対に入れてあげないんだから」
「いっそ食べられちゃってもいいからさ、メリーの部屋に行こうよお。
エアコンが恋しくてしかたないのさ」
「エアコンと命のどちらが大切なのかしら」
「メリー、冗談で言ってるんでしょ?
私がメリーの部屋に言ったからって死ぬわけ無いじゃん、メリーが突然化け物になっちゃうなんてこともないだろうし」
「蓮子は私を過小評価しすぎよ、その気になればすぐに獣になっちゃうんだから。
変形ロボットも真っ青な超変身を遂げた私は、もはやマエリベリー・ハーンの原形すら留めないエクストリームなモンスターなんだからね」
「獣になったメリーは私でも襲うの?」
「蓮子だから襲うのよ、怪物になった人間は親しい人間から襲うってのがセオリーなの」
どこの国のセオリーか知らないけれど、何かの映画にでもかぶれたのだろうか。
私はメリーの部屋に全く入ったことがないわけではない。
むしろ以前は私の部屋よりもメリーの部屋をメインとして秘封倶楽部の活動を行っていた。
当然の話だ、だって私の部屋よりも遥かに広くて環境もいい、お菓子だって充実してれば駅にも近い、これでメリーの部屋を使わない理由がない。
なのに最近はなぜか使わせてくれなくなった、確か半年ぐらい前からだったか。
最初は別に気にしていなかったけれど、さすがに三ヶ月ほどたった頃から気になりだして、ちょいちょいメリーの部屋に行こうと提案していたのだけれど、この有り様である。
言い訳するにしてももっとマシな言い訳はないのだろうか、メリーが化け物になるから入れないって、最近の小学生ですらそんな苦しい言い訳はしない。
「ちなみに聞くけれど、襲われた私はどうなってしまうの?」
「どうなって、って……それはスプラッタ映画顔負けのグロテスクな状態になるわ。
ドロドロのグチャグチャよ、その可愛い顔だって見る影も無いぐらいにめちゃくちゃになっちゃうんだから」
「その獣は私のことを食べるんだよね?」
「ええ、食べるわ」
「そっか、人喰い生物なんだ。
ちなみにどこから私を食べるの?」
「えっ? どこから?」
「そう、場所。体の部位」
メリーの与太話には全く興味は無いが、こうなったらボロを出すまでとことん追い詰めてやろうと決めた。
どうせ適当に獣になるとか言ったんだろうし、質問攻めにしたらそのうち処理しきれなくなるだろう。
「まずは……そうね、口から行くわ。
怪物は大きな口をがばっと開いて、赤くて柔らかそうな唇をがぶって食べちゃうの」
「え、唇からなの?」
「そうよ、恐ろしいでしょう? 食べられた蓮子は口の周りを血まみれにしながら痛みのあまり床をごろごろ転がりまわるの」
「うっ、結構グロいんだね」
「だから言ったじゃない、グロいの。
ここから先はもっとえぐいんだから、止めるなら今のうちだからね」
なかなかどうしてえげつない設定をしてるじゃないか。
私と一緒に見たB級映画の設定を思い出しているのだろうか、確かそんな感じのゾンビ映画を見た記憶がある。
「それで、次はどこにかぶりつくの?」
「止めないの?」
「この程度じゃねえ、私を納得させるには弱すぎるわ」
「わかった、じゃあ続けるわね。
次は床に倒れている蓮子に覆いかぶさって首にかぶりつくわ、がぶがぶっ! ってね、蓮子は首から大量の血を流しながらぎゃあああーって叫ぶの」
「よくある展開ね」
「もうちょっと怯えてよ……それから、怪物は胸に噛み付くわ。
蓮子のこの柔らかくてちょうどいいサイズの素敵な胸を台無しにしちゃうの、自慢の胸を失った蓮子は痛みとショックで涙を流し始めるわ」
「メリーの前じゃ口が裂けても自慢なんて出来やしないわ」
「私は、ただ大きいだけの胸より、こっちの方がいいと思うわ。
うん、少なくとも自分の胸よりは蓮子の胸の方が好きよ」
「グロテスクな展開の途中で急に胸を褒められても困るんだけど」
しかも胸を食べると宣告された直後になんて、そんなの反応に困るに決まってる。
しかし唇から首、そして胸か。
一体どんな設定があるのかまだはっきりしないけど、その怪物はどうやら上から順に私を食べていくつもりらしい。
「ねえ、そろそろ聞くの止めた方がいいんじゃないのかな?
私もまだ加減してるからね、次は蓮子だってドン引きしちゃうような血みどろで恐ろしい展開が待ってるのよ?」
「そう言われてもねえ、今のところ対して怖くないし」
「やめても、いいのよ?」
「止めて欲しいの?」
「……できれば」
「止めるわけ無いじゃん、いい加減この部屋の暑さには飽き飽きしてるの。
メリーにどんな理由があるか知らないけど、冷房を手に入れるために負けるわけにはいかないわ」
「うぅ、蓮子のわからずやー」
どうやら本人は睨んでるつもりらしいが、それすらも可愛いのだからメリーは卑怯だ。
はてさて、次はどんなB級映画じみた設定が飛び出すやら。
「い、いいのね、言うわよ」
「どうぞどうぞ」
「口と首と胸と食べて、心臓までえぐり出した怪物はついにメインディッシュに辿り着くわ。
……首をどんどん下に持っていて、次にターゲットにしたのは、お腹より少し下の部分。
そこに怪物の大好物が眠っているの」
「お腹より下って……」
「そう、子宮よ。その怪物は女性の子宮が大好物なの。
大きな口を開いて、もう動かなくなった蓮子の体に牙をつきたて、容赦なく内臓をえぐり出し――」
唇に、首、胸、そして子宮。
はて、即興で作ったにしてはやけに設定が具体的じゃなかろうか。
何かがひっかかる。
確かこの怪物、元はメリーだったはずだ、つまりはメリーが口をつけている場所ということになる。
いや、確かメリーは最初、怪物ではなく獣になると、そういう言い方をしていなかっただろうか。
「……ねえ、メリー」
「なに、ギブアップ?」
「ううん、違うの。
その化け物って……メリーなのよね」
「ええ、そうよ。
私が部屋に入った瞬間、体が化け物に変わって油断している蓮子をがぶーっと」
「メリーが、私のそこに口をつけるの?」
私は言ったはずだ、口を付けるのはシャレにならない、と。
でも私はこうとも言った、いっそ食べられてしまってもいい、と。
それは冗談のつもりで、つまり”おふざけ”だったのだが、全てが冗談かといえばそうではなく。
「な、何言ってるのよ蓮子、私が化け物になるって言ったでしょう?
それは私じゃないの、獣になった私なの」
「私が経験ないって言ったから、気付かないと思った?」
「だから、ちがっ……」
「違わないよね、だってメリーは具体的に言ったんだもん」
私は一箇所ずつ、指をさしていく。
「唇」
メリーの視線が私の唇に釘付けになる。
メリーにしては珍しく余裕がないらしく、唇をきゅっと結んでへの字に曲げながらじっと見つめている。
「首」
私の指先につられて、視線が首へと移る。
メリーと言う名の怪物はここに口づけて、その証を残そうとでも言うのか。
「胸」
さっきまでメリーが顔を埋めていた部分だ。
私だって緊張していないわけじゃない、先ほどまでとの汗とはまた違う、冷や汗がこめかみから顔の輪郭をつたい、顎から胸に滴り落ちる。
ちょうど私が指差す部分に、冷たい雫が落ちてくる。
「子宮」
おへその下のあたりを指さす。
メリーの喉がごくりと動き、目は一段と見開かれた。
ああ、もう冗談じゃ済まされない。
仮に彼女が違うと否定したとしても、私はそれを信じることは出来ないだろう。
ずっと一緒に居るのだから、言葉にしなくたってわかる。
顔がイエスと答えている、表情を取り繕う余裕すらないらしい。
「あ、あのね、違うのよ蓮子、本当に私はそんなつもりで言ったわけじゃっ!」
「どうしてメリーはそんなに慌てているの?」
「だって、だって蓮子、私がそんなこと考えてるだなんて知ったら絶対に私のこと気持ち悪いって思うでしょ!?」
「思わないわ」
「へっ……?」
「思わないって言ってるの、何があったって私はメリーのことを嫌いになんてなったりしない」
「嘘よ、なるにきまってる。
私だったらそうなるわ、一番大切な友達がそんなこと考えてたらもう二度と近づきたくないと思うし、一緒に居たいだなんて思わなくなるじゃないっ!
でも私は嫌なの、蓮子と一緒に居られなくなるなんて、今日みたいな一日を二度と過ごせなくなるなんて、そんなの、そんなの私っ……」
今にも泣きそうなほど取り乱すメリー。
なんてこと、私に彼女を追い詰める意図なんて無いのに、まさか泣かせてしまうなんて。
早くその涙を止めてあげないと。
メリーの背中に手を伸ばす、先程は胸に抱きとめるだけだったけど、今度は同じ高さで抱きしめる。
おふざけじゃなく、本音の気持ちで。
「蓮子……?」
「私ね、メリーも知っての通り、ずっと自分のことを変人だと思ってきたわ。
うん、私は変だった。ずっと変だし、今だって変だと思ってる。
いや……変にさせられちゃったってのが正しいかな、どっかの怪物さんにね」
「かい、ぶつ?」
「そう、その怪物さんは友達を装って私の体を虎視眈々と狙っていたとーっても怖い怪物さんなの。
もしかしたらその怪物の能力なのかもしれないわね、初めて出会った時、一目見た瞬間に私は変になってしまったわ。
だってそうでしょう、相手は同性なのにこんな気持ちになるだなんて、変に決まってるもの。
最初のうちは自分で受け入れることも出来なくって、夜な夜などうしようか悩みに悩んだわ。
だってのに、相手は無防備に私に近づいてくるの。本当にどうしようかと思ったわ、果たして上手く友人を演じられるのかってね。
ま、その不安も杞憂だったわけだけど。
けど、今の今までずっと変なのは私だけだと思ってた、相手が怪物だってことにも今日まで気付いてなかったわ」
だから、”おふざけ”と称したチキンレースを繰り返し行なってきた。
友達のラインを確かめるように、どこまでやっていいのか試行錯誤を繰り返し。
だけどそのチキンレースもどうやら無駄な行為だったらしい。
何せ相手は私の体を狙うとんでもない相手だ、そんなのラインなんてどこにもないに決まってる、その気になれば一線を越えることだって。
きっと彼女は拒まなかっただろう、むしろ私から迫ってくれることを喜んで受け入れたはずだ。
「あの、蓮子……?」
「私、信じちゃうから。それが答えなんだって決めつけちゃうから、それでいいのよね?
変人は私一人じゃなくて、秘封倶楽部は二人とも変人だったんだって」
「……そういうこと、なの?」
「そういうことよ、だからそんな泣きそうな顔をする必要はないの」
「嘘じゃ、ない?」
「こんな気の利いた嘘、私につけると思う?」
「夢じゃ、ない?」
「残念だけどそれを証明する手段は私にはないわ、体の感触と温もりだけじゃ納得出来ない?」
「できないよぉ……だって、ありえないでしょ、普通こんなの……っ」
「うん、ありえないね。普通はありえない、だから私たち変人なんだよ」
そして私は今、自分が変人であることをいつになく誇らしく感じている。
変人でよかったって、心の底から感謝してる。
「まだ、信じられないの……」
「どうしたら信じてくれるの?」
「気の利いた台詞なんて要らないわ、もっとちゃんとした言葉が欲しいの。
蓮子の口から、直接聞きたい」
言われてみれば、私はまだ一番大切な言葉をメリーに伝えていなかった。
周りくどい言葉ばかり使ってかっこつけて、実は私、照れ隠ししたかっただけだったりして。
「好き」
「……うん」
「メリーのことが、好き」
「うん、うんっ」
「実は出会った時からずっと好きでした。
触れ合ってる時いつもドキドキしてました」
「うん……私もだよ」
「メリーの口からも聞きたいな」
「わかった」
背中に回していた手を、指の一本一本に至るまで絡ませて恋人つなぎ。
手の平に、指と指の間にメリーの温もりを感じながら、私たちは笑い合う。
涙混じりの笑顔の彼女が口を開く。
「大好きだよ、蓮子」
メリーの言葉がじわりと胸に染みこんで、私の口からも自然と言葉がこぼれ落ちた。
「私も、メリーのことが大好き」
愛の告白を終えたのなら、次にやることなんて決まっている。
私はキスを望んだ。メリーもキスを望んだ。
今がそのタイミングだって、誰が言ったわけでもなく本能的に察して、気付けば体が自然と動いていた。
唇同士が触れる。胸と胸が触れる。
ちょっと調子に乗って口を開いてみると、メリーもそれに応じてくれた。
口を離す時、軽くちゅぱっと音がした。
私たちのファーストキスはとても甘くて、ほんの少しだけディープだった。
すごく、気持ちよかったです。
キスの後、妙に気まずくなって私たちは視線を逸らしたまま、顔を真っ赤にしてしばらく無言だった。
でも手は離さなかったし、相手の体温が伝わるぐらいに至近距離なのは変わらない。
恥ずかしいけど、好きって気持ちがあるから、何があっても離れたくなかった。今まで以上に。
「メリーの部屋、行こっか」
しばらくの沈黙の後、私から口を開いた。
儀式を終え正式な恋人になった私たちを遮るものはもう何もない、おふざけももう必要ないのだ。
「いいの? 怪物が待ってるのに」
「いいよ」
愛しい怪物さんは、私のどこを食べるかまで予告してくれた。
だったら、やってもらおうじゃないか。
ま、怪物に簡単に食べられるほど弱っちい私じゃないけどね。
「メリー、私を食べて」
私にとって精一杯の挑発。
しかし力を振り絞った甲斐あって怪物には大ダメージを与えることに成功したらしく、顔を赤くした怪物さんはちょっとだけ鼻息を荒くしている。
これ、メリーの家まで我慢できるのかなぁ。
「私、本当にケダモノになっちゃうから。
手加減できないわよ、覚悟してよね変人さん」
「お手柔らかにお願いするわ、怪物さん」
部屋に投げ捨てられていた服をまとい、大急ぎで外へと飛び出す。
時間の余裕はいくらでもある、だけど私たちには精神的な余裕がちっともないのだ。
大急ぎでメリーの部屋へと向かう途中、小走りで移動しながらも私たちは手を繋ぐことを忘れなかった。
……え、その後?
やだなあ、この先を見たがる変わり者なんて誰も居るわけがないじゃない。
なにせ、変人が怪物に食べられるグロテスクでスプラッタなシーンが待ってるだけなんだからさ。
いい蓮メリだ!!こっちまでテンションが上がるハッピーエンドホント好き
待つので。
遠回しに伝えようとしたけど結局ばれちゃって泣きそうになるメリーがかわいい
踏み出せない二人のチキンレースも最高です
蓮メリちゅっちゅ