Coolier - 新生・東方創想話

さみどりの庭 8

2014/12/07 20:40:15
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過去の話はこちらです。


 私は稗田阿求に会うため里までおりていた。
 約束をしていないのが気がかりだったが、家人に「お待ちしておりました」と一声かけられ、すんなり母屋まで通された。
 私がぼんやり総桐の箪笥に浮彫された猿を眺めていると、せわしない足音とともに稗田阿求が部屋に入ってきた。彼女は私の姿を目に捕らえるなり、舌なめずりし、襟髪を捉えて放さず、「これは異なこと、獲物からやってくるとは物怪の幸いだわい」と、有無を言わさず書斎まで引きずり、出された茶が冷え切るまで質問に次ぐ質問を浴びせかけ、ただひたすらこたびの経緯の口述を求めたのだった。
 もちろん稗田阿求は幻想郷縁起の記述を改稿する作業に迫られていた。私と霊夢について、そして幻想郷についての所感を。
「まあ、これぐらい聞けばいいでしょう」
 ようやく苦役を解かれた私は稗田阿求に背を向け、しどけなく書斎の明り取りの丸窓に上半身をゆだねていた。
 風に私の疲れが溶けていく。
 訪れたのは朝方だが、既に太陽は昇りきっていた。幻想郷縁起の執筆作業への協力もひと段落し、ようやく外の空気で一服するご寛恕にあずかった私は、窓から乗り出した身をふらふらと揺らせ、稗田阿求の家に乱立する蔵を、桐の葉陰をすり抜ける太陽に目を細めながら眺める。
「あー疲れた。立派な蔵が並んでいるなあ。あれが頭の中に詰まっているとは、まったく知識の守銭奴だよお前は。でもね、そろそろ私にも、知識のおこぼれが与えられてもよいのではないのかな」
「ええ」
 彼女は恥じたように笑う。
 そう、助言のお返しが期待できるとなれば悪い支払いではないのだ、と気分を改め、冷たいお茶で乾いた舌を潤しながら、風でほつれた髪をかき上げる。何しろ知りたいことは山積している。来たか長さん待ってたほいとのこのこ捕まりに来た私だが、本来なら今頃は逆に稗田阿求を質問攻めにしているはずだった。
「私は霊夢さんのことについて、また後日改めてお話しするといいました。約束を果たしましょう。とはいえまずは感謝させてください。はかどりました。あとはあなたの求めに私が応じる番です」
 稗田阿求が筆をおき、座ったまま頭を下げ、また筆先を墨にくぐらせる。彼女は止むことなく、先ほどまでの応答を会話を続けながら記憶から引っ張り出し、幻想郷縁起の草案をしたため続けた。
「霊夢さんは、幻想郷での生き方に失敗したのですよ。霊夢さんの死の原因は大結界に手を加えようとしたことです。大結界、これはとんでもない食わせ物ですからね。あなたの問題でもありますよ、博麗の巫女様。私は転生してから、この知らない間に幻想郷に引かれていた馬鹿でかい結界をつぶさに確認しましたが、結論はいつでもそこです。おっと、まあ、急かないでください」
 じっと見定めるように視線を動かさない私を押しとどめるように、快闊な調子で言葉を続けた。
「ここは疑いなくいい土地でしょう。ただ住むにはね。しつこい質問で申し訳ないですが、霧雨魔理沙さん、しばらく巫女として過ごしてどうです、見え方は変わりましたか。それとも、ただ質問攻めの毎日で、まだ巫女としての生活が始まっていませんか。そして霊夢さんが寿命を迎えたとは紫様の見解ですが、何故寿命を迎えたのかを聞きましたか」
 当然のことながら、私と八雲紫は会合ごとに質問攻めにあった。
「聞いていない。何故私を殺そうとしたのかは聞いたけれどね。紫も説明しなかったし」
 礼儀作法の贅肉を削ぎ落としたのならば、大方の興味の対象は巫女と大結界の二つに集約されていた。第一声は博麗霊夢の早すぎる死の原因であり、とくればお次は幻想郷の結界の損壊にまつわる生活上の不安だった。気にかける順番を間違えることで顰蹙を買う奴もいたが、八雲紫の回答が変わるわけでもなく、彼女は常に同じ応答を行く先々で反復した。
 曰く、活動中の博麗の巫女の死については痛ましい事件ではあるし、かてて加えて自ら命を捨てる振る舞いに至っては歴史的な大失態であり、巫女と結界の重要度の諸階梯に対する課題と弱点について、敷設時とまったく同じ指摘の繰り返しが歴史のごみ箱から甦りはするかもしれないが、博麗霊夢は己の決定された寿命を前しても動じることなく幻想郷を次なる時代へと引き上げ、得がたい遺産をあまた残し、淡々と次代へ仕事を引き継いだのであり、現に今日も私たちは平穏無事に生きていることを忘れてはならない。
 余人が得てにさして人間のいじましい身の振り方の自由を制限し、博麗霊夢の墓を掘り返し、棺おけの釘を引っこ抜き、気に入らない身の振り方に斧鉞を加えるべく彼女を暴き立てるのは忘恩も甚だしく、おぞましいまでに身勝手である。限られた生の範囲で、引き幕の見掛け模様を思いのままにする程度の報酬は、誰の一生にとっても正当なものである。
 そして大結界及び幻想郷についていうのなら、新たな頼もしい巫女である霧雨魔理沙が独り立ちするまで八雲紫が親しく管理を代行するからには、今日も明日も無事であることを保障する。まったくなにも問題はない。屹然と動ぜず、八雲紫はあらゆる場で静かに、だが最も外周にも届く波長でそう繰り返した。
「誰も指摘しませんでしたか。そうですか」
「霊夢は何も間違ってはいない。幻想郷の拡大を成し遂げ、住人達の活発な交流に貢献した。千年後の幻想郷も変わらず順調に続く不壊のヴィジョンを提供した。霊夢の時代で何かひとつでも幻想郷が悪くなったことがあったか? それに、大結界の何が悪い。あの結界のおかげで私たちは生活できているのじゃあないか」
「おやこれはまあ、悲しいことです」
 彼女は首を振って、落胆をあらわした。 
「魔理沙さんはすっかり紫様のいたこになってしまったようですね。確かにそう、謀計果たして図にあたり、大結界は我々の消滅を防いでいます。しかし永遠に? 幻想郷は外界と運命を軌を一にしますから、外界の適切な進歩が必要です。いつまでも奇形にしてはおけません。あるいは、このまま外界の繋がりが希薄となり、幻想郷がいかなる座標上にも、いかなる時間上にも存在せず、戻るべき幹も分からぬ異界となれば? 既にその徴候は出ています、万遺漏なきとはいきません、各々の利害の問題ですが。にしても魔理沙さんは迷い家で紫様のお尻を跪拝する作法でも学んだのですか。その様子では、本当に誰も霊夢さんの意図を指摘したりはしなかったばかりか、むしろ努めて避けていたようですね」
 死穢により神社に入れない紫は私から会いにくるように要求し、博麗神社の巫女としての心得を頑張って授けようとしていた。そして霊夢をしてこの仕事がつとまっていた理由が薄もやが晴れるがごとく私の眼前に明瞭な境を顕しはじめた。つまり巫女の仕事は難しい祝詞や儀式を後生大事に踏襲することではなく、先代のことすら気にしなくていいのである。もっといえば博麗神社のごときは身こなしの統制が一社の故実ならず一者の故実にまで零落しており、祝詞も祭儀も都度の必要に応じて発生し、それは紫のお仕着せと巫女の手抜きの絶えざる闘争の結果物だった。私は紫に漢字の読み方や霊具の使い方を教えてもらう程度で頑張っており、あと必要なのは経験だけだった。
 天を仰ぐ稗田阿求は大げさに悲嘆した。
「悲しいことです。霊夢さんの死、ひいては幻想郷全ての死を準備した大淫婦バビロンであり、私たちの運命の火つけ人である八雲紫様の此度の際限のないやり方がまかりとおる現状に心を痛め、ただ一人のキロンが匹夫の勇に奮い立ち、告発し、弾劾することすらないとは」
 私と紫はいわば衆人の暖かい同情の対象であった。私が憂慮したように興味津々たる聴衆により私と八雲紫の隠れたる共犯関係が暴かれ、疑義の声色が剣呑な色を帯び、時系列及び道義上の仔細を認めんとする気運が雲壌され、追福の場が法廷官吏どもの糾弾の場となることについては、ただ一つも、ついぞ許さなかった。説明を求めらても揺らぐことなく堂々と振る舞う八雲紫の決意の偉容が奏功したためだろう。
 八雲紫の図太さのお陰をもって殺人に応じた仕置きにかけられる心配はなくなった訳だが、私はといえば感謝を示す表現として、たとえば葬式の最中に大声で差し指を張りつめさせ『おうおうおう、おまえら、八雲紫と私は結託し、よってたかって特に何もしていない霊夢を殺してやったぜ! 逃げも隠れもしないぞ!』と絶叫してやったらどうなるだろう、と妄想たくましくし、読経中の聖白蓮の木魚が刻む退屈な時間をやり過ごしたものだ。
「結局、単に霊夢は見殺しにされた訳ではないということか」
「当たり前です。でなければ、一旦緩急あれば幻想郷に応じる存在が死んでしまった。これはつまり幻想郷が死んでしまった、あるいは、幻想郷はこれから死ぬということではありませんか。違います。そういう話ではありません」
「紫も言っていたが、それは単に新しい時代の幻想郷に生まれ変わったということでは」
「なら次の巫女になるだけです。死にはしませんよ」
 稗田阿求は部屋の掃除を厳に禁じているため、ここ数日に発行された印刷物が散乱していた。それらを睥睨していた彼女は、手の平をパンと叩いた。
「ひとまず水入りです。今更ですが、よく来ていただけましたね。忙しいのではないのですか」
「何だいきなり。まあね。今日は修行を横着してやったのさ」
「あなたは時の人ですから、招待に応じていただけて誇らしい心持ちですよ。霧雨魔理沙さん。昼は肉すきの仕出しを二人分頼んでいますよ。食べながらでも良いでしょう。悲鳴をあげる胃袋を抱えて話をしても、良いことはありません。お腹がすきました。是非食べながら、話をしましょう。そしてまずは、食堂へ行きましょう、食堂へ……。しかし、もしよかったら」
 と、私を眺めて、躊躇いがちに語尾を濁した。
「何だ。ここでいいよ。インクの匂いがするが、私は気にしない」
「あら、そうですか。ではここで。資料を読みながら話もできますしね」
 ころりと喜色満面、稗田阿求は使用人を呼びつけて昼食の準備をするように声をあげた。
 そしてくるりと駒のように振り返り、
「私はね、煤払いが行き届き整然としている立派な食堂で、使用人に囲まれて体裁を繕いながら、単にそうすべきだからといって、調度品や天気の具合を肴に時間を潰したくないのですよ」
「私の顔を知っている人も居るしね」
 彼女の言葉に頷きながら、とはいえこのようなことは人里に住んでいたころは我慢ならなかっただろうな、と昔の生活を思い出し、ずいぶん度量が深くなったものだと心の中で皮肉に笑う。
「にしても、言っちゃなんだが、書きものをする姿が様になっているね」
 外界では採取が禁じられている硯の鋒鋩をゆるやかに立てる稗田阿求が、威儀を正し唐墨をすり、優しく筆先を紙に滑らせる所作に私は感心していた。
「そりゃそうです。私は御阿礼の子ですから」
 胸を膨らませる彼女は、修練を自覚するように生意気な筆先を誇ると、書斎に入り乱れうずもれる資料から立ち上る言霊の蒸気を感じとるように、手の平を水平に動かし部屋全体を私に指示した。
「普段は片付いているのですが、時折このような乱雑な書斎になります。不毛でしょう。ですが、私には違って見えます。もっとも美しいときには、散らかり尽くしたこの資料の海が豊穣にて混沌たる原初の海に見えるのです」
 ともったいつけ、人差し指と中指の羽ばたくように交差させた。
「このようなとき。私には普段纏う病身の気安さとはどこか違うものが取りつき、筆先は運命の女神の作業机にある糸繰車の紡錘と同等の役割を果たします。すらすらと引かれる墨の跡は雑然とした資料を繋いで生命の発生を模索し、御意に適った表現の姿態を引っかけようとするのですよ。残念ながら、多くは無為な作業ですがね」
 万事うまくは運ばないのだと彼女は愚痴り、ため息をついて、だが結局それら全体が気高い作業なのだと釈明した。
「仮令わずかな紙の掠れる音が躓き断絶するたび、芽差しはじめた著述の索が根腐れし、達意が沮喪する質感を辛抱強く耐えなければならないとしても、この絶えざる創造と破壊の経験は、独特の印象を私に与えるはずです」
「というと?」
「凝縮した生滅の受難は、稗田阿求に人間以上の気高い光輝を帯びさせ、それなりの神智の宿りを余人に印象付けるはずです」
 私は軽率に彼女を褒めたことは失策だったと首を振る。
「後日その光輝を見せてもらうとして、霊夢の話の続きを聞こうかな」
「大まじめですよ。私は様々な妖怪を生み出し、食事を与え、牙を抜き、爪を丸め、殺してきました。幻想郷縁起があなたの幾ばくかを変質させたようにね。その節は、重ね重ね軽率でした。今の世の幻想郷縁起を私自身、軽く見ていたのかもしれません。人間を英雄扱いするのは今に始まったことではないのですが」
「お前のせいではないさ。妖怪の変質なんてそんな簡単にいくものでもないだろうし」
「根源的の部分はそうです。妖怪が発達するとすれば、釈義の拡大により統べ括る対象を敷衍していくぐらいでしょう。しかし、単に根源的な部分に付随するだけの詞書きは容易に変遷していきます。吸血鬼などは典型です。南米に棲息するチスイコウモリのイメージが交易の増加により付加されたり、ある書き物によって鏡に映らなくなり、ある映画によって致命的に日光が弱点になる。血を吸うことはやめられなくてもね。……まあ、この幻想郷の妖怪は私の子供のようなものです。紫様が幻想郷を我が子のように思うのならば、私もまたこの幻想郷を我が子のように思っています。私と紫様は、子育ての方針で衝突する親のようなものですかねえ」
 そして私を落ち着かせるように近くへ来て、肩に手を置いた。
「もったいぶっている訳ではないですよ。求めよさらば与えられん。ただ、霊夢さんのこととなると、我々にとって興味深い交流の材料ですからね。話し込むうち機を逸して欠食するのも間抜けだと思いまして。まあ、もうすぐ調理されたのが届きますから、食べていってください」
 もちろん好意には好意を。昼食の話題は私にとっても渡りに船だった。私は高級な食事を奢ってくれる新しい隣人に友情を示した。
「悪いね、私の分まで。今日はこれ以上することもないし、いただいていくよ」
 使用人が部屋に入り、食卓を据え、器を並べ始める。
 鉄なべの中身は既に煮立ち、脂の焦げるかぐわしい匂いが充満する。この屋敷で火を入れたはずだが、匂いがまったくこの書斎まで届かなかった。
 この敷地の中には私の家などかるく十は入ってしまうだろう。里における住居は基本的には魔法の森の私の一人住まいより数層倍大きい。里では一族係累が団子になって住む傾向にあるので、まずもって居住空間を確保する必要があり、もちろん、住まいと職場が分かたれていないことからも広大な作業場所は欠くべからざるものだった。商いにも、繋牧にも、耕種にも、物を焼くにも、細工をするにも、そして史料の保管にも、それなりの空間が必要になる。幻想郷においては、せせこましい私の家など決戦住宅が幻想入りしたようなものだった。
「牛肉を食べるときの行きつけでしてね、ご存じでしょう」
「ああ、あそこの主人の嫁さんは私の親父が世話してやったからね、古いつきあいだよ」
 私は散逸した資料が散らばる畳の上であぐらをかいた。
「顔馴染みでしたか。狭いですね幻想郷は」
 窒息しちゃいそうだよ。と私は首に手をかける。
「もっといえば今の主人は二代目で経験が浅いが真面目だし、きめ細かいね。2階の奥の間を使ったことがあるか。高い座敷だが、昔は前主人が書いた黄ばんだ不潔な仙人の釣り姿の墨絵があったことを知らないだろう」
「ええ」
「メシがまずくなるといったらない。ともかく、そんなものを掲げる店ではなくなった。店を清潔にするよう教育するようになった。器の洗い残しや、料理が乾いていることがない。あれは、私の店で丁稚したからだよ。親父はそういうところ、きっちりと仕込むからね」
 となれば稗田阿求もこんな小娘に言わせるままにしちゃおられんと、うんちくの張り合いをし始める。
「いやあ、私の前世にあのような立派な食堂などなかったものです。調度も行き届いていますし、間仕切りされているのが都合が良くて。小洒落た器に小盛りにされた八寸など、目による美味をようやく幻想郷も知ったのだと感慨深いものがありますね。牛ばかりが有名で、他の料理は「脱脂の香に咽んだだけ」などと食通ぶって評する輩もおりますが、とんでもない。それは今日急に目が見えるようになった昨日のめしいが、俺は舌触りは知っているが、実は目では四角も丸も文目も分かたぬと告白しているに過ぎません」
 一呼吸おいて沈黙を確認すると、余勢をかって付け加える。
「だいいち、ころ柿のおろし合えは絶品でしてね。何につけても食べたあとは清潔なお湯のお風呂まで済ませられるのが……」
「わかったわかった、おいしく頂戴するよ」
 鈍重な鉄鍋に牛肉とネギがこれでもかと入っている。稗田阿求は嬉しそうに箸を持ち、いただきますと言うが早いか、準備も整わないうちに一口目を運んだ。
「んー、そうそう、この薄切りはなかなか発明ですよ。他の店のものは噛み切れませんし、大味ですからねえ。おや、これは客人よりも失礼。しかし、はやく食べないと、冷めてしまいますよ。どうもこう、長生きするとこういうことがどうでもよくなってきまして。失礼千万は容れていただき、あなたに対する気を置くところのない表現と思っていただければ、もしゃもしゃ」
 飯釜を開けてご飯をよそう。
「私の家では、飯炊きは若いモノにはまかせません。コツがありましてね、人生の半ばを過ぎた閉経した寡婦の加減に優るものはありません。諸行無常の諦念が重要なのですよ」
 などと付け合わせの百合根の漬け物をかじりながら、稗田阿求は妖しげなこだわりを披露するのだった。
 私は黙々と箸を進める。久方ぶりの里の味が懐郷の念を呼び覚まし、好悪相反する熱衷が湯気立つ肉汁からにじみ出るように感じたが、一口、二口と食べ進めるうちに心の独白も薄れてきて、ただ空腹を和らげる言葉の体を取らぬ満足に浸されるのだった。
「神社では何を食べているのです」
 私はあの妖怪の山での通夜から、ただ一人、神社に住まっていた。
「霊夢の小指の燻製だよ。人体の構成から析出したアミノ酸が味覚芽を喜ばせ、ひもじさを緩和してくれるからな。もちろん料理を目で食べる趣味があるのなら、食欲を減退させる機能についても特筆すべきだがね。しかし、私はいつまで世間話をして脇道を散歩させられるのかな」
 阿求は愉快そうに笑い、私の冗談に付きあって、食事中ということを余計におもしろがるように滑稽な語り口調で続きを引き受ける。
「おっと、霊夢さんの話でしたね。そういえば、あの夜のあと、私は妖怪達よる例の霊夢さんをメインディッシュとする例の八雲紫様によるアトレウス的な人肉食の饗宴に参加しましたよ。ええ、大丈夫ですよ、本題と関係した話ですから」
 と、切り出した。
「妖怪どもが霊夢を食べた日のことか。まさか、霊夢の太ももの切り落としが、御阿礼の美食家の肥えた舌を、この肉すきみたいに楽しませたということはないだろうね」
「まさか、とんでものうございます。私は付け合わせの鶏のレバーとバゲットに紅茶をいただいただけですが、なかなか凝ったおもむきでして、紫様をはじめとするお偉方などは全身を少しずつ隈無く団子にし、餡かけにしていましたよ。どうも対象を丸ごと摂取するということに執心するようで、しかし空きっ腹を抱えている客はたくさんいるわけですから、団子とは苦衷と美食の要求の発明であり、いわば妖怪たちの『ころ柿のおろし和え』ですよ」
 と彼女はころ柿のおろし和えをぱくりと咥えて、感歎のうめき声をあげる。
「これ、これです」
「てっきり偉い奴からシャトーブリアンにありつけるのかと思ったよ」
「象徴的に彼女の存在を取り込むことが、妖怪にとって重要ということですね。妖怪の食餌とは人間の最良の部位の薄切り肉を指すのではありません。本来空腹を満たす料理なども妖怪はいたしません。ある存在を襲い、丸ごと摂取すること、――もちろん完食するという意味ではありませんよ――が、妖怪の空腹を満たすただ一つの方法なのです。ごらんください」
 彼女はこの数日で山積した天狗の新聞を寄せながら、どうしてこの疑わしい一個師団の売文家どものうちの中に一個の稗田阿礼が生まれないのだろう、嘆かわしい、ぷんぷんといった様子で、厚みのある新聞紙の一番上に鎮座する圧巻たる文々。新聞の紙面を眺める。
 文々。新聞とは何か? それは真実の光の直射がカラス天狗を通過したとき、その座りの悪い帽子を回折することによって発生する7色の虚報のスペクトルだった。たとえば第十三号では幻想化した霧雨魔理沙の異変と巫女の死因について全貌解明についてミネルヴァのふくろうと化し日没までの勝利宣言をする輝かしい日程を宣言していたが、日没に間に合わなかった第十四号は単なる扇情的な創作的楽園と化し、最後のほうで言い訳がましく、そもそも日周運動と張り合ったのは失策であり、鴉天狗をしてミネルヴァのふくろうに間に合うなどいった豪語は愚かな思い上がりであったが、それというのも私の筆力が足りないからではなく、型落ちの輪転機を使うしかない零細稼業の身の丈に合わなかったからであり、真実は日夜更新されていくのだから、私は真実を告げるためにも速報に適した良い輪転機を使用を許されるほどの発行部数つまり購読者が欲しいのだと泣き言をいっていた。
 倫理の居直り強盗と化した射名丸文の紙上において連日投稿される、私と霊夢のことについてのふざけたコラムの野放図な観想といったらなかった。たまの意図しなかったであろう1フレーズのせいで、私は何度座布団からズリ落ち、引きつった笑い声をあげ、呼吸困難に陥り、もう一巻の終わりだと腹筋を痛めつけながら観念しただろう。とりわけ、生まれたときからの古い知古といえないこともない魔女M・K某が幻想郷を向こうに回して、ただ語感によってのみ想起される魔法帝国を成さんとする英雄譚を読んだときなどは腹筋が黒色火薬を越えた炸裂力を持ち部屋に四散するかと思ったほどだ。
 箸を置き指で字面を追う稗田阿求は文々。新聞第十五版の文字列を成すという残酷な事業に消費され疲れて乾ききってしまったインク跡、すなわち『幻想郷を征服せんと目論む冒険家霧雨魔理沙は、その野心的なピクニックのカレンダーの終末に、幼い頃からの悲願あった博麗神社の制圧を書き加えた。時は至り、幻想郷の覇権をかけた無慈悲な新旧巫女のデス・マッチのゴングの雷鳴が博麗神社にとどろき渡る。バチバチと、天を揺るがす怒りの嵐の中で博麗霊夢と霧雨魔理沙の激突は三日三晩行われた。勝利の末に自らの物語を完結させた霧雨魔理沙は、敗者の首を掲げ荒ぶる天を鎮め、意気揚々に神社を制圧した。軍事的に』という日本語にも見えるインクの跡を指に吸い込み、がこの哀れなインク達を再利用し、別のもっとましな用途に供し、インクとして生まれてきた本分を全うできたならば、と惜しむように指紋をつける。
「これがおおむね妖怪の本心ですよ。要するに自分たちが霊夢さんに拒否された不健全な存在であるということ、そして、霊夢さんが喪われたことへの悲しみ、おまけに霊夢さんのお団子にありつけなかった代わりの食事方法として、そしてそれら全てに対して、彼女らはこのようなニヒリズムで対抗し、消化しているのです」
 彼女から言わせれば、所詮奴らは暇に飽いた殿上人であり、奴らの遠大な、全てを平坦にする長命からの時間軸上に、それでも垂直に屹立しまばゆく煌めいた博麗霊夢という精神の一瞬の振幅と喪失、つまり早すぎる死を表現せんと詩的な雅やかを表現する方法を模索し、なんとか捕まえようとしているに過ぎない。言い方を変えれば、これは彼女たちに挿入された痛ましい事件を、精神の白血球が無害化しようとして膿を排出しているに過ぎない。
「自分たちが呪いをかけたようなものなのに」
 と、新聞を脇へ避けた彼女は親切な友人達の悼辞を頭から消し去るように、「済」の字を裏紙に墨書きしておいた。なるほど、と私は未読の新聞をたぐりよせる。霊夢の死という悲報はそろそろ号外第十九版前段『晩夏の寂しさに孤独に浮かぶ黄金色の満月より放射される甘い催眠術から我々が覚めることで1月前の幻想郷に戻る』ので、じきに解消されるし、さもなければ号外第二十版後段『何者かに偽りの歴史をほしいままにされている我々が小賢しい錯覚の実験のシャーレに載せられていることに気づく』に頃合いの時節柄かもしれない。
 なかなか無害な笑い話といえる。これは、奴らなりの追悼といえばそうだろう。
「呪いだと」
「病だの事故など、防ぎようがなかったと紫様は仰いますがね。そういう有りふれた死因連中は、呪いの相の一つに過ぎません。おおかた、幻想郷を否定するしっぺ返しを食らったのでしょう。巫女は結界から放逐したくてもできませんから。そもそも、ですね」
 別の新聞をほっぽりだし、稗田阿求は先を続ける。
 開け放しの窓からの風が、新聞の端をわずかにはためかせた。
 私が聞き役となれば急に口さみしくなり、鉄釜の蓋をあげてしゃもじであつあつのご飯を掬い上げた。
 彼女は嬉しそうに、私の食事を促した。
「気にせずどうぞ、冷めてもつまりません、聞きながら食べてください」
 そして幻想郷の歴史についての講義が始まった。
「もとを辿れば数百年前、この幻と実体との区別がはじまり、ここは幻想であると位置づけられたときから始まったのでしょう。もっとも、幻想郷はもとより私たちのような幻想を許容する土地であったのですから、何らの変化もありませんでした。当時は何故そのような結界が必要なのか、八雲様の老婆心をあざ笑う声さえありましたよ。いわば私には今でもあなた方に御阿礼の子だと思われていますが、私自身それを確固たる地位にしようと、御阿礼の子なりという結界を我が身に引くがごとく作業でしたからね。それは準備のための結界でした。余人の出入りを制限し、ここが時の権力に編入し大字と番地を与えられることのないように、オノゴロ島に対する沼島のように、桃源郷に対する桃源県のように、アルカディアに対するアルカディア県のように、アヴァロンに対するグラストンベリーのように、かつての幻想の土地と同じように、消滅させられ、他の名前で呼ばれ、変質する運命を辿らないように。ですが、全ての誤りはこの準備に内包されています。それは時の流れに対して幻想郷の利益の彼岸と此岸を横断するだけの得手勝手な堰堤を築く神を恐れぬ事業ですからね」
 食事の半ばを過ぎたころだった。彼女は箸を使い、寂しくなった褐色の割り下に点在するネギの間を牛肉で繋ぎ、ダムを表現しているつもりになったのだろうが、しばらく黙って考え込み、この諷意に価値を感じなかったのか、ぱくりとその牛肉を食べお茶をすすった。
「外界の幻想を呼び込むことは、この結界の敷設から始まりました。外の世界ではますます私たちを許容する文化を保った土地が少なくなっていったからです。とはいえ、数百年は平々凡々でした。私たちを許容する幻想の没滅が、私たちの土地に降りかかるまで。つまり、明治維新となり、憲法、議会、選挙、あらゆる官公庁の明治各年の布告の号番号が刻まれていくたびに、ガス灯、水道、鉄道、公共施設が増えるたび、……そう、天使の喇叭の音を期待するたび打ち砕かれてきた耶蘇の民が、理性の名のもとに、王や貴族から神の息吹を剥ぎ取り、夜から暗闇を剥ぎ取り、我らこそが主人なのだと確信させたものと同じものが……、常識となり、他の幻想を圧迫し始め、私たちもついに対決を強いられるまで。それは個々の人間が考えの末に妖怪を否定するのとはまた違う種類の否定的な幻想でしたからね。ええ、今の常識もまた幻想です」
 といい、彼女は再び食事により講義を中断する。
 私はといえば、茶碗に急須からお茶を注ぎ、最後の一口を済ませるところだった。
「ああ、食器はそのままで、あとで運ばせます」
 風が熱で火照った私の体温を冷ましていく。
 子供の遊び声が塀の外で遠ざかっていった。
「他の土地から訪れた妖怪が警告する外界の革命的動静に対して、ひねもす『何もなし』を日記にものすがごとし態度を持って君臨していた厚かましい幻想郷の妖怪達はここに至って、自らが安泰ではなく、座りよい尻型がついた幻想の玉座を追われ得ることに気づいたのです。よって私たちには新しい箱船が必要でした。もちろんそれは博麗大結界ですが、時間はありません。博麗神社が国家の宗祀の手先となり公的な諸儀細則の影響を被ることを、あたう限り逃れる必要がありましたからね。明治政府のもとで、儀式に込められた情念は褪色し、古儀復活の名を借りた清潔な再構築が行われました。ただ否定され忘却されるよりも厳しい戦いでしたでしょうね。幻想を、幻想抜きに解釈されるのですから。そのような教義に与するわけにはいけません」
「つい最近の話だな」
「ええ。最近の話ばかりですよ。たとえば魔理沙さん、仏式の葬式なんて始めてだったでしょう。幻想郷にもご多分に漏れず廃仏毀釈の嵐が吹き荒れましたから、寺と仏僧が失われてしまいました。命蓮寺により古い墓の再興されされましたが、あれだって政府の指導により近在地に作られすぐに廃れたものであり、本来幻想郷にないものですし、仏葬の墓でもないのですよ。その墓を命蓮寺が使うというのですから、実に幻想郷らしい」
 窓からの雑音は子供の喧噪から読み売りのちんどんに変化する。
 里を徘徊する読み売りどもは、霧雨家から他でもない例の気の良い看板娘が美しく成長して博麗の巫女となり、いわばこの界隈に錦を飾ったという一点だけを土俵にして熟睡中の乳幼児の鼓膜に声の張り手をぶちかましていた。そこには我が愛すべき霧雨家への媚びへつらいが混じっていなくもなかった。
 彼女は外から漏れ聞こえてくる私の容姿や人となりへの美辞麗句をしっかり拾って私をひやかすのだった。
「おやおや、まああなたは可愛らしくて、おしゃまな愛嬌がありますからね。里では愛されているし、巫女としては適役ですね」
 唇をへの字にした私の脳裏では、葬式の線香の独特な匂いが蘇っていた。
 最近にわかに増え始めた宗教家どもの吠え声は魔法の森のケモノたちが夜ごと奏でる縄張り争いの遠吠え合戦より優っているとはいえない。宗教の都合で幻想郷を作るなら、総則においては幻想郷の普遍性を喪失し個別の幻想に墜ちてしまい、再び個別の幻想につきまとう危機を乗り越える必要があるだろうし、細則においては実際的な運営能力がなく数世代で社会運営に失敗してしまうだろう。
 聖白蓮の説法は、じつに退屈なものだった。やがて死者は六道輪廻から救われ、長い年月を経て解脱する。それというのも人間は誰もがこの上ない悟りに至る仏性を等しく持ち、徐々に迷妄を取り払って過ちをただしていくからだ。霊夢のような才ある人間こそはやく次の輪廻へと移っていくのだ。私のような人間こそが残り物であり前非の改悟ができない愚物だ。とほほほ。云々……。といった調子だった。その私の耳朶に徘徊する諧謔味のある白蓮住職の説法の粗熱は、お茶をすするともに消え去さり、ただ残されたものに対するこなれた慰めとは無縁なのだという認識を私に与えるに留まった。
 寺の賛美歌とキャンドルは日曜日の気分転換の小道具であり、それはただの懺悔のお供だった。ごきげんな聖白蓮の句作りによって、私たちはしてもされてもいないことを、したりされたりする気になるだろう。どうしようもなく、抗えない悲劇に対しては、いい作戦だ。白蓮に唱和するのも悪くない。しかし、私にはまだ手段が残されている。そこに言葉は必要ない。私は欲し、成すだろう。私はいまさら生娘のように霊夢への贖罪の意識に飲まれ繰り言を述べたり、親友を殺すことについてのナイーブな自白の詩を文々。新聞に投稿しようとは思わない。目新しくもない、幾度目のかの確認がなされただけだった。
間が空いてしまいました。

いつもありがとうございます。
tama
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コメント



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2.90名前が無い程度の能力削除
変わらぬ文章の味に混ざった阿求の軽さについ笑ってしまいました。
がんばってください。
3.100名前が無い程度の能力削除
次回も楽しみにしています。
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。作者の本性が現れてきたなぁw