幻想郷は冬に包まれている。
人里も霧の湖も魔法の森も。
一面が銀世界に覆われていた。
結晶が銀色に輝く夜を彼女は駆けていく。
楽しそうに笑いながら、いたずらっ子のように笑いながらレティは両腕を大きく伸ばしてくるくる回りながら、雪に覆われた夜を駆けていった。
この季節は彼女の為にある。
彼女の為の遊び場だ。
訪れた冬に喜びながら彼女は笑顔で駆け抜ける。
レティは迷いの竹林にたどり着いた。
地面は見渡す限り白色に染まっている。
雪の中から伸びていく竹林も雪化粧をして緑色と白色の不規則な彩りを映していた。
冬空へと伸びる竹と竹との間から白い粉雪が舞っていく。
レティは空を見上げ、また地面を見ると満面な笑顔で竹林の間を走っていく。
白い地面に足跡を付けるのを楽しむように。
今ここに自分がいることを示すように柔らかい雪を踏みしめていく。
時折顔から地面に倒れ込んで雪に自分の顔を映しながら、両手で雪をすくって宙へ投げながら、踊るように舞い散る雪の中で回りながら、やっと訪れた冬の到来を心から楽しんでいた。
ふとレティの耳に大きな声が聞こえてきた。
レティは舞うのを止めてその声の主を探す。
この雪深い夜に出歩く者などめったにいない。
多くの人間たちは家へ閉じこもり温かい日が差すのを待つばかりのはずだった。
彼女の遊び場に出歩く者がいることに珍しさを覚えて、レティは声の元を辿るように歩いた。
少し開かれた場所。
雪化粧をした竹林に囲まれた所に二人が向き合って佇んでいた。
「一体いつになったら貴女はこんな無駄な争いを止めてくれるのかしら?」
「ふん! お前がそのふてぶてしい態度を止めるまでだな」
雪が舞い落ちる中、彼女たちは顔を見合わせていた。
一人は黒い艶々とした髪をなびかせている。
白い雪と対照的に黒い髪の彼女がレティの目に惹いた。
もう一人は雪のような銀髪を伸ばしている。
冬の夜に輝く彼女の髪にレティは興味をもった。
レティは竹林に隠れるようにして彼女たちを見つめることにした。
「あーあ。今日も弾幕勝負を止めてあげたのに、話にならないわ」
「そりゃこっちのセリフだ。いくらお前と話し合っても分かり合えないね」
「妹紅が頑固なのよ」
「輝夜が分からず屋なんだ」
そうして二人は「ふん!」とそっぽを向いてしまうと互いに背を向けて歩いてしまう。
距離を空けて離れてしまう二人。
しかしレティには見えていた。
二人とも後ろ手にリボンが付いた包みを握っているのを。
二人は互いに睨み合って悪態を吐きながら、両手に握られた物を背中に隠すようにしていたということも。
その二人の表情が恥ずかしそうに赤く頬を染めていたということも。
やがて二人は竹林の向こうへと消えていった。
レティの顔に笑みが浮かぶ。
悪戯を思いついたような顔だ。
この銀世界は彼女の遊び場。
そこへ迷い込んだ玩具で遊ぼうとするようにレティは楽しそうに宙に浮かんだ。
「まったく輝夜の分からず屋……」
妹紅はぶつぶつ言いながら竹林の中を歩いていく。
視線は片手に持つ包装紙に包まれた物を見つめていた。
その表情はどこか寂しそうだ。
「頑固か……言われてみればそうなんだよなぁ。今年もまた渡せなかったなぁ」
白い雪に包まれた竹林の中で立ち止まると妹紅はため息を漏らす。
口から漏れる息が白くなり空へと舞い、すぐに消えた。
「迷惑なのかな。こんな私の贈り物なんて受け取りたくないのかな」
「やっほー」
急に冷たい寒気が妹紅を襲った。
雪の結晶がちくちくと肌を刺す。
背に雪の風を受けながら妹紅は、背に炎の翼を広げて寒気を吹き飛ばすと声の主に振り返った。
「……なに?」
「ありゃ? 貴女は火を操るのね。こりゃ相性が悪いわね」
妹紅の前に笑みを浮かべながらレティは舞い降りた。
「私と勝負したいのかい? 悪いけど今はそんな気分じゃないから他をあたりなよ」
「うーん、いや貴女が持っているそれが気になってね」
レティが妹紅が手にしている包装紙に包まれてリボンまで付いている物を指さした。
妹紅が視線を下ろして手にしている輝夜への贈り物に気が付くと慌てて両手を振る。
「な、なんだよ! お前には関係ないだろ!?」
赤い顔で背中に隠す妹紅。もちろん背中の炎の翼を消してから両手で後ろに回した。
輝夜への気持ちが込められているのだろう。
「どうして渡さないの? あのお姫様に」
「げっ!? お前見てたのか?」
あちゃーと苦々しい顔を作って見せると妹紅はぼそぼそと呟くように話す。
「そんなに憎くなくなってきたというか、ここんところ弾幕勝負もしなくなったのに。でも顔を見合わせると互いに悪態吐いちゃうんだよなぁ。やっぱり私たち仲が悪いのかも。こんなの贈ったってどうせまた喧嘩の種になるだけよな」
一つため息を吐いてから妹紅は「納得?」とレティに苦笑いを浮かべて、くるりと背中を見せて歩き始める。
「あ、ちょっと待って」
妹紅が一歩踏み出したところでレティが呼び止める。
その顔がニコニコと笑っていた。
いい悪戯が思いついたのだ。
「何よ? もう話すことないでしょ?」
「それどうするの?」
「え? これ?」
レティがまた妹紅が手にしている物を指差した。
「どうするって、まぁ中身は手編みの手袋だし帰ってほどいてしまうけど? 慧音に教わりながら編んだんだけど、どうせ下手だし」
「えー、ほどいちゃうの? じゃあ私に頂戴よ」
「はぁ?」
「いいじゃない。またあのお姫様の為に編むんでしょ? じゃあそれ頂戴よ。ね、お願い」
小首を傾げながら両手を合わせておねだりするレティに妹紅は呆れた顔をする。
「まぁ、そうだな。もったいないといえばもったいないし」
そう言うと妹紅は包装紙に手をかけた。
包装紙を破って中から手袋を取り出そうとしているのだった。
その妹紅の動きを止めようとするかのように正面からまた強い雪の風が襲った。
「うわっ!?」
妹紅が驚いて両手で風を防ごうとした。
風は一瞬のうちに止む。
ゆっくりと目を開けると両手にあった手袋がない。
キョロキョロと辺りを見渡したところで頭上からクスクス笑う声が聞こえた。
妹紅が顔を上げるとレティが舞い散る粉雪に包まれるように浮かんでいた。
その片手には包装紙に包まれた手袋が握られていた。
「それじゃあ頂くわね。ありがとう」
悪戯っぽく笑いながらそれだけを言うとレティはその場から去ってしまう。
竹林の中に妹紅だけが取り残された。
一面の銀世界。
粉雪が新雪の上へ舞い落ちて結晶と結晶がぶつかり合う音が消えてきそうなほど静かだった。
「……なんなんだ?」
ぼそりと呟いて妹紅はゆっくりと家へと歩いていく。
雪は永遠亭の屋根にも降り積もる。
庭も一面白色に染まっていた。
妖怪兎たちが元気に庭を走り回っていた。
「いっちに、さんし、ごーろく」
「てゐ……その恰好で寒くないの?」
「え? 全然寒くないよ。まったく鈴仙は寒がりだなぁ」
体を震わせながら厚いマフラーに口元を隠す鈴仙の横で、てゐはいつもの半袖のワンピース姿で準備体操をしていた。
体操を一通り終えるとてゐは鈴仙ににっこり笑いかける。
「ふふん。そんな様子じゃ健康にはなれないよ」
「はいはい。それで準備体操なんかしちゃってなにするつもりよ。それもこんな夜に――」
鈴仙が震えながら話している最中にその横顔に雪玉が当たり弾ける。
鈴仙の体から震えが止まった。驚きで目が大きく見開いているが。
向こうで妖怪兎たちがキャッキャッと嬉しそうに跳ねていた。
どうやら彼女たちの一人が投げたようである。
「姫様が落ち込んで帰ってきたことだし、ここで一発盛り上げましょう。というわけで雪合戦・ナイトゲームです」
「……ほほぉ」
鈴仙の目がギラリと輝く。
元、月のエースだった鈴仙。
そして華麗な動きで地面の雪をすくい片手を動かして雪玉を成形する。
「あんまり私を舐めないで――」
投げ返そうと振りかぶったところで、てゐを含めた妖怪兎たちの集中砲火を顔面に浴びてしまう鈴仙だった。
庭で楽しそうに遊ぶ彼女たちをレティは宙から笑いながら見つめていた。
多くの人間たちは大人になると雪を嫌う。
雪が降ると家へ閉じこもってしまう。
冬になると動物も眠りにつく。
妖怪にも冬眠をする者がいるらしい。
彼女の遊び場はほとんどレティ一人しかいない。
でもたまにこうして雪で遊ぶ、冬を楽しむ者と出会うことがある。
遊び相手をやっと見つけたようにレティは嬉しかった。
そうしてつい悪戯がしたくなる。
レティは屋敷の周りに沿うように飛ぶ。
すぐに探していた彼女が見つかった。
「輝夜。イナバたちが雪合戦で遊んでいるみたいね」
「うえー、こんな夜中によくやるわね」
「遊んでこないの?」
「冗談はよしてよ。こんなに寒いのに……今はより寒く感じるわ」
広い部屋の前の縁側で。
輝夜は永琳に寄り添うように座っていた。
その表情は落ち込んでいるというよりは拗ねているようにも見える。
隣に座る永琳は困ったように笑っていた。
二人から少し離れた場所に火鉢の中が赤く光っていた。
その傍らにリボンが付いた包装紙に包まれた物が無造作にも置かれている。
どうやら妹紅へ渡したくて渡せなかった物らしい。
「まったく。仲直りしましょうって言えばいいじゃない」
「言ったわよ。でも妹紅ったらまともに聞いてくれないし。ムキになっちゃって気が付いたら口げんかになっちゃう」
「だからムキにならなければいいのに」
「えー、だって妹紅が……はぁ。やっぱり私たちって仲が悪いのね」
口を尖らせて不満げな顔をする輝夜。
その頭を永琳が優しく撫でてあげる。
「あんまり暗い顔をしちゃダメよ。イナバたちも気にしているんだから」
「はーい。あ、永琳。これ永琳にあげる。輝夜お手製マフラー」
そう言うと輝夜は片手を伸ばして乱暴に包装紙に包まれたマフラーを手にすると永琳に差し出す。
「え? いやそれ妹紅のために作ったのでしょ?」
「いいわよ。また今度はもっと上手に編むから」
「こんばんはー」
輝夜と永琳の横顔に冷たい風が襲う。
振り返ると庭先にレティがニコニコ笑いながら立っていた。
両手にリボンが付いた包装紙に包まれた物を持って。
「あら雪女かしら? 何か御用かしら?」
永琳が立ち上がりながらレティに話しかける。
敵意を感じないがどこかてゐと同じような雰囲気が漂ってくるレティに永琳は内心警戒をした。
輝夜は「寒い寒い」と言いながら火鉢の傍へとすり寄った。
「えへへ。そこのお姫様にプレゼントがあるのよ」
「? 私?」
火鉢の中を火箸でかき回していた輝夜がレティに振り向く。
レティはゆっくり輝夜の元へ歩くと両手にしていたプレゼントを差し出す。
「はい、どうぞ」
「はいって私に? どういうこと?」
輝夜とレティとはあまり接点などない。
たまに冬になると見かけるくらいだ。
今こうしてプレゼントを差し出されて輝夜の頭は混乱した。
レティは悪戯っぽく笑う。
「それね。貴女が一番仲が悪い人からだよ」
「一番仲が悪いって……え?」
輝夜の目が丸くなる。
レティから包装紙の包みを受け取るとあちらこちら見る。
裏に小さく「輝夜へ」と書かれてあった。
「……妹紅」
「それじゃあ、私の用は終わったので」
レティはゆっくりと輝夜の前から去って行く。
そしてとうとう鈴仙を雪だるまにしてしまった妖怪兎たちのところへ行くと、てゐと何か一言二言話して一緒に遊び始める。
悪戯も終わり次は妖怪兎たちと遊ぶことに決めたようだ。
そんなレティを見ながら永琳は小首を傾げてから輝夜に向き直る。
「あの子何を考えていたのかしら? まぁ一番仲が悪い子からのプレゼント届けてくれたしよかったわね、輝夜」
輝夜は丁寧に包装紙を開けて、中から手編みの手袋を取り出していた。
左右大きさが違う雑な手編みの手袋は黄色だった。
月の色を浮かべて決めたのだろうか。
せっせと慣れない手つきで編み棒を操る妹紅の姿を頭に浮かべながら、輝夜は手袋を胸に抱いていた。
「あー、楽しかった」
翌朝。
日の光が降り注ぎ雪に反射してあちらこちらで結晶が輝いていた。
まだ粉雪がちらちらと舞い落ちていた。
その中を妖怪兎たちと心行くまで遊んだレティは満足そうに笑いながら歩いていく。
最後はとうとう怒り出した鈴仙から逃げ回って鬼ごっこ状態だったが。
「さてと、悪戯の方はどうなったのかな?」
レティは呟きながら竹林の中を見渡す。
朝てゐたちと別れた時、輝夜の姿が見えなかった。
レティは永遠亭を去る前に永琳に訊ねると輝夜は妹紅のところへ行ってしまったと言うので二人を探しているのだ。
一番仲が悪い人からのプレゼント。
きっとあの姫様は困っただろう。
そして銀髪の子も勝手に贈られて困っているだろう。
今頃二人とも困り切っているはず。もしかしたら喧嘩しているかもしれない。
自分の悪戯の結果を予想してレティはニヤニヤ笑ってしまうのを隠しきれない。
ふと視線に長い黒髪と銀髪がなびいているのが遠くに見えた。
「あ、いた。ふふふ」
輝夜と妹紅を見つけて急ぎ足で向かう。
その顔はニコニコと笑っていたが、やがて二人の顔が見えるところまで近づくとレティの顔から笑顔が消える。
足を止めたレティの前に二人は横になった竹に腰を掛けていた。
二人の首を一つの手編みのマフラーが巻かれていた。
輝夜の左手には雑な黄色の手袋。
妹紅の右手にはぶかぶかのやっぱり雑な黄色の手袋。
二人のもう片方の手は絡み合って繋がっていた。
二人は目を閉じて寄り添い合っていた。
一言も言葉が口から出ることがない。
まるで言葉などいらないかのように。
二人の周りを雪だけが包んでいた。
地面も竹林も、縦も横も見分けがつかない銀世界。
日の光を浴びて結晶が輝き二人を照らした。
眩しくて薄らとしている二人の輪郭。
その顔は幸せそうに笑っているようだった。
粉雪が舞い落ちて新雪の上へ重なっていく。
結晶と結晶がぶつかり合う音が聞こえてきそうだ。
「……なーんだ」
消えそうな小さな声でレティは呟くと、ゆっくりとその場で回って二人に背を向けて歩き始める。
少し離れたところで宙に浮かんで飛び始めた。
「喧嘩してくれると思っていたのにね。残念残念。でもお二人さん綺麗だったからいいかな」
レティの目には真っ白の雪と対照的な艶々しい黒髪の彼女と、この雪景色のような銀髪をした彼女の二人が寄り添う姿が焼き付いていた。
それはレティが見続けていた美しい冬の景色の一つだったから。
ニコリと笑いながらレティは次の遊び場へと飛んでいく。
この季節は彼女の為にある。
この季節は彼女の遊び場だ。
春が来るまでにはまだまだ時間がある。
人里も霧の湖も魔法の森も。
一面が銀世界に覆われていた。
結晶が銀色に輝く夜を彼女は駆けていく。
楽しそうに笑いながら、いたずらっ子のように笑いながらレティは両腕を大きく伸ばしてくるくる回りながら、雪に覆われた夜を駆けていった。
この季節は彼女の為にある。
彼女の為の遊び場だ。
訪れた冬に喜びながら彼女は笑顔で駆け抜ける。
レティは迷いの竹林にたどり着いた。
地面は見渡す限り白色に染まっている。
雪の中から伸びていく竹林も雪化粧をして緑色と白色の不規則な彩りを映していた。
冬空へと伸びる竹と竹との間から白い粉雪が舞っていく。
レティは空を見上げ、また地面を見ると満面な笑顔で竹林の間を走っていく。
白い地面に足跡を付けるのを楽しむように。
今ここに自分がいることを示すように柔らかい雪を踏みしめていく。
時折顔から地面に倒れ込んで雪に自分の顔を映しながら、両手で雪をすくって宙へ投げながら、踊るように舞い散る雪の中で回りながら、やっと訪れた冬の到来を心から楽しんでいた。
ふとレティの耳に大きな声が聞こえてきた。
レティは舞うのを止めてその声の主を探す。
この雪深い夜に出歩く者などめったにいない。
多くの人間たちは家へ閉じこもり温かい日が差すのを待つばかりのはずだった。
彼女の遊び場に出歩く者がいることに珍しさを覚えて、レティは声の元を辿るように歩いた。
少し開かれた場所。
雪化粧をした竹林に囲まれた所に二人が向き合って佇んでいた。
「一体いつになったら貴女はこんな無駄な争いを止めてくれるのかしら?」
「ふん! お前がそのふてぶてしい態度を止めるまでだな」
雪が舞い落ちる中、彼女たちは顔を見合わせていた。
一人は黒い艶々とした髪をなびかせている。
白い雪と対照的に黒い髪の彼女がレティの目に惹いた。
もう一人は雪のような銀髪を伸ばしている。
冬の夜に輝く彼女の髪にレティは興味をもった。
レティは竹林に隠れるようにして彼女たちを見つめることにした。
「あーあ。今日も弾幕勝負を止めてあげたのに、話にならないわ」
「そりゃこっちのセリフだ。いくらお前と話し合っても分かり合えないね」
「妹紅が頑固なのよ」
「輝夜が分からず屋なんだ」
そうして二人は「ふん!」とそっぽを向いてしまうと互いに背を向けて歩いてしまう。
距離を空けて離れてしまう二人。
しかしレティには見えていた。
二人とも後ろ手にリボンが付いた包みを握っているのを。
二人は互いに睨み合って悪態を吐きながら、両手に握られた物を背中に隠すようにしていたということも。
その二人の表情が恥ずかしそうに赤く頬を染めていたということも。
やがて二人は竹林の向こうへと消えていった。
レティの顔に笑みが浮かぶ。
悪戯を思いついたような顔だ。
この銀世界は彼女の遊び場。
そこへ迷い込んだ玩具で遊ぼうとするようにレティは楽しそうに宙に浮かんだ。
「まったく輝夜の分からず屋……」
妹紅はぶつぶつ言いながら竹林の中を歩いていく。
視線は片手に持つ包装紙に包まれた物を見つめていた。
その表情はどこか寂しそうだ。
「頑固か……言われてみればそうなんだよなぁ。今年もまた渡せなかったなぁ」
白い雪に包まれた竹林の中で立ち止まると妹紅はため息を漏らす。
口から漏れる息が白くなり空へと舞い、すぐに消えた。
「迷惑なのかな。こんな私の贈り物なんて受け取りたくないのかな」
「やっほー」
急に冷たい寒気が妹紅を襲った。
雪の結晶がちくちくと肌を刺す。
背に雪の風を受けながら妹紅は、背に炎の翼を広げて寒気を吹き飛ばすと声の主に振り返った。
「……なに?」
「ありゃ? 貴女は火を操るのね。こりゃ相性が悪いわね」
妹紅の前に笑みを浮かべながらレティは舞い降りた。
「私と勝負したいのかい? 悪いけど今はそんな気分じゃないから他をあたりなよ」
「うーん、いや貴女が持っているそれが気になってね」
レティが妹紅が手にしている包装紙に包まれてリボンまで付いている物を指さした。
妹紅が視線を下ろして手にしている輝夜への贈り物に気が付くと慌てて両手を振る。
「な、なんだよ! お前には関係ないだろ!?」
赤い顔で背中に隠す妹紅。もちろん背中の炎の翼を消してから両手で後ろに回した。
輝夜への気持ちが込められているのだろう。
「どうして渡さないの? あのお姫様に」
「げっ!? お前見てたのか?」
あちゃーと苦々しい顔を作って見せると妹紅はぼそぼそと呟くように話す。
「そんなに憎くなくなってきたというか、ここんところ弾幕勝負もしなくなったのに。でも顔を見合わせると互いに悪態吐いちゃうんだよなぁ。やっぱり私たち仲が悪いのかも。こんなの贈ったってどうせまた喧嘩の種になるだけよな」
一つため息を吐いてから妹紅は「納得?」とレティに苦笑いを浮かべて、くるりと背中を見せて歩き始める。
「あ、ちょっと待って」
妹紅が一歩踏み出したところでレティが呼び止める。
その顔がニコニコと笑っていた。
いい悪戯が思いついたのだ。
「何よ? もう話すことないでしょ?」
「それどうするの?」
「え? これ?」
レティがまた妹紅が手にしている物を指差した。
「どうするって、まぁ中身は手編みの手袋だし帰ってほどいてしまうけど? 慧音に教わりながら編んだんだけど、どうせ下手だし」
「えー、ほどいちゃうの? じゃあ私に頂戴よ」
「はぁ?」
「いいじゃない。またあのお姫様の為に編むんでしょ? じゃあそれ頂戴よ。ね、お願い」
小首を傾げながら両手を合わせておねだりするレティに妹紅は呆れた顔をする。
「まぁ、そうだな。もったいないといえばもったいないし」
そう言うと妹紅は包装紙に手をかけた。
包装紙を破って中から手袋を取り出そうとしているのだった。
その妹紅の動きを止めようとするかのように正面からまた強い雪の風が襲った。
「うわっ!?」
妹紅が驚いて両手で風を防ごうとした。
風は一瞬のうちに止む。
ゆっくりと目を開けると両手にあった手袋がない。
キョロキョロと辺りを見渡したところで頭上からクスクス笑う声が聞こえた。
妹紅が顔を上げるとレティが舞い散る粉雪に包まれるように浮かんでいた。
その片手には包装紙に包まれた手袋が握られていた。
「それじゃあ頂くわね。ありがとう」
悪戯っぽく笑いながらそれだけを言うとレティはその場から去ってしまう。
竹林の中に妹紅だけが取り残された。
一面の銀世界。
粉雪が新雪の上へ舞い落ちて結晶と結晶がぶつかり合う音が消えてきそうなほど静かだった。
「……なんなんだ?」
ぼそりと呟いて妹紅はゆっくりと家へと歩いていく。
雪は永遠亭の屋根にも降り積もる。
庭も一面白色に染まっていた。
妖怪兎たちが元気に庭を走り回っていた。
「いっちに、さんし、ごーろく」
「てゐ……その恰好で寒くないの?」
「え? 全然寒くないよ。まったく鈴仙は寒がりだなぁ」
体を震わせながら厚いマフラーに口元を隠す鈴仙の横で、てゐはいつもの半袖のワンピース姿で準備体操をしていた。
体操を一通り終えるとてゐは鈴仙ににっこり笑いかける。
「ふふん。そんな様子じゃ健康にはなれないよ」
「はいはい。それで準備体操なんかしちゃってなにするつもりよ。それもこんな夜に――」
鈴仙が震えながら話している最中にその横顔に雪玉が当たり弾ける。
鈴仙の体から震えが止まった。驚きで目が大きく見開いているが。
向こうで妖怪兎たちがキャッキャッと嬉しそうに跳ねていた。
どうやら彼女たちの一人が投げたようである。
「姫様が落ち込んで帰ってきたことだし、ここで一発盛り上げましょう。というわけで雪合戦・ナイトゲームです」
「……ほほぉ」
鈴仙の目がギラリと輝く。
元、月のエースだった鈴仙。
そして華麗な動きで地面の雪をすくい片手を動かして雪玉を成形する。
「あんまり私を舐めないで――」
投げ返そうと振りかぶったところで、てゐを含めた妖怪兎たちの集中砲火を顔面に浴びてしまう鈴仙だった。
庭で楽しそうに遊ぶ彼女たちをレティは宙から笑いながら見つめていた。
多くの人間たちは大人になると雪を嫌う。
雪が降ると家へ閉じこもってしまう。
冬になると動物も眠りにつく。
妖怪にも冬眠をする者がいるらしい。
彼女の遊び場はほとんどレティ一人しかいない。
でもたまにこうして雪で遊ぶ、冬を楽しむ者と出会うことがある。
遊び相手をやっと見つけたようにレティは嬉しかった。
そうしてつい悪戯がしたくなる。
レティは屋敷の周りに沿うように飛ぶ。
すぐに探していた彼女が見つかった。
「輝夜。イナバたちが雪合戦で遊んでいるみたいね」
「うえー、こんな夜中によくやるわね」
「遊んでこないの?」
「冗談はよしてよ。こんなに寒いのに……今はより寒く感じるわ」
広い部屋の前の縁側で。
輝夜は永琳に寄り添うように座っていた。
その表情は落ち込んでいるというよりは拗ねているようにも見える。
隣に座る永琳は困ったように笑っていた。
二人から少し離れた場所に火鉢の中が赤く光っていた。
その傍らにリボンが付いた包装紙に包まれた物が無造作にも置かれている。
どうやら妹紅へ渡したくて渡せなかった物らしい。
「まったく。仲直りしましょうって言えばいいじゃない」
「言ったわよ。でも妹紅ったらまともに聞いてくれないし。ムキになっちゃって気が付いたら口げんかになっちゃう」
「だからムキにならなければいいのに」
「えー、だって妹紅が……はぁ。やっぱり私たちって仲が悪いのね」
口を尖らせて不満げな顔をする輝夜。
その頭を永琳が優しく撫でてあげる。
「あんまり暗い顔をしちゃダメよ。イナバたちも気にしているんだから」
「はーい。あ、永琳。これ永琳にあげる。輝夜お手製マフラー」
そう言うと輝夜は片手を伸ばして乱暴に包装紙に包まれたマフラーを手にすると永琳に差し出す。
「え? いやそれ妹紅のために作ったのでしょ?」
「いいわよ。また今度はもっと上手に編むから」
「こんばんはー」
輝夜と永琳の横顔に冷たい風が襲う。
振り返ると庭先にレティがニコニコ笑いながら立っていた。
両手にリボンが付いた包装紙に包まれた物を持って。
「あら雪女かしら? 何か御用かしら?」
永琳が立ち上がりながらレティに話しかける。
敵意を感じないがどこかてゐと同じような雰囲気が漂ってくるレティに永琳は内心警戒をした。
輝夜は「寒い寒い」と言いながら火鉢の傍へとすり寄った。
「えへへ。そこのお姫様にプレゼントがあるのよ」
「? 私?」
火鉢の中を火箸でかき回していた輝夜がレティに振り向く。
レティはゆっくり輝夜の元へ歩くと両手にしていたプレゼントを差し出す。
「はい、どうぞ」
「はいって私に? どういうこと?」
輝夜とレティとはあまり接点などない。
たまに冬になると見かけるくらいだ。
今こうしてプレゼントを差し出されて輝夜の頭は混乱した。
レティは悪戯っぽく笑う。
「それね。貴女が一番仲が悪い人からだよ」
「一番仲が悪いって……え?」
輝夜の目が丸くなる。
レティから包装紙の包みを受け取るとあちらこちら見る。
裏に小さく「輝夜へ」と書かれてあった。
「……妹紅」
「それじゃあ、私の用は終わったので」
レティはゆっくりと輝夜の前から去って行く。
そしてとうとう鈴仙を雪だるまにしてしまった妖怪兎たちのところへ行くと、てゐと何か一言二言話して一緒に遊び始める。
悪戯も終わり次は妖怪兎たちと遊ぶことに決めたようだ。
そんなレティを見ながら永琳は小首を傾げてから輝夜に向き直る。
「あの子何を考えていたのかしら? まぁ一番仲が悪い子からのプレゼント届けてくれたしよかったわね、輝夜」
輝夜は丁寧に包装紙を開けて、中から手編みの手袋を取り出していた。
左右大きさが違う雑な手編みの手袋は黄色だった。
月の色を浮かべて決めたのだろうか。
せっせと慣れない手つきで編み棒を操る妹紅の姿を頭に浮かべながら、輝夜は手袋を胸に抱いていた。
「あー、楽しかった」
翌朝。
日の光が降り注ぎ雪に反射してあちらこちらで結晶が輝いていた。
まだ粉雪がちらちらと舞い落ちていた。
その中を妖怪兎たちと心行くまで遊んだレティは満足そうに笑いながら歩いていく。
最後はとうとう怒り出した鈴仙から逃げ回って鬼ごっこ状態だったが。
「さてと、悪戯の方はどうなったのかな?」
レティは呟きながら竹林の中を見渡す。
朝てゐたちと別れた時、輝夜の姿が見えなかった。
レティは永遠亭を去る前に永琳に訊ねると輝夜は妹紅のところへ行ってしまったと言うので二人を探しているのだ。
一番仲が悪い人からのプレゼント。
きっとあの姫様は困っただろう。
そして銀髪の子も勝手に贈られて困っているだろう。
今頃二人とも困り切っているはず。もしかしたら喧嘩しているかもしれない。
自分の悪戯の結果を予想してレティはニヤニヤ笑ってしまうのを隠しきれない。
ふと視線に長い黒髪と銀髪がなびいているのが遠くに見えた。
「あ、いた。ふふふ」
輝夜と妹紅を見つけて急ぎ足で向かう。
その顔はニコニコと笑っていたが、やがて二人の顔が見えるところまで近づくとレティの顔から笑顔が消える。
足を止めたレティの前に二人は横になった竹に腰を掛けていた。
二人の首を一つの手編みのマフラーが巻かれていた。
輝夜の左手には雑な黄色の手袋。
妹紅の右手にはぶかぶかのやっぱり雑な黄色の手袋。
二人のもう片方の手は絡み合って繋がっていた。
二人は目を閉じて寄り添い合っていた。
一言も言葉が口から出ることがない。
まるで言葉などいらないかのように。
二人の周りを雪だけが包んでいた。
地面も竹林も、縦も横も見分けがつかない銀世界。
日の光を浴びて結晶が輝き二人を照らした。
眩しくて薄らとしている二人の輪郭。
その顔は幸せそうに笑っているようだった。
粉雪が舞い落ちて新雪の上へ重なっていく。
結晶と結晶がぶつかり合う音が聞こえてきそうだ。
「……なーんだ」
消えそうな小さな声でレティは呟くと、ゆっくりとその場で回って二人に背を向けて歩き始める。
少し離れたところで宙に浮かんで飛び始めた。
「喧嘩してくれると思っていたのにね。残念残念。でもお二人さん綺麗だったからいいかな」
レティの目には真っ白の雪と対照的な艶々しい黒髪の彼女と、この雪景色のような銀髪をした彼女の二人が寄り添う姿が焼き付いていた。
それはレティが見続けていた美しい冬の景色の一つだったから。
ニコリと笑いながらレティは次の遊び場へと飛んでいく。
この季節は彼女の為にある。
この季節は彼女の遊び場だ。
春が来るまでにはまだまだ時間がある。
年をとると雪かきの苦労などを連想してしまい、素直に雪を楽しむことができなくなってしまいました。悲しいですね
今年はレティを見習って少しでも昔のように雪を楽しみたいです